はてなキーワード: アンダーグラウンドとは
小学生の頃から親のPCでネット漬け。ネット漬けといっても小中学生が回る範囲なんて限られていて「インターネット=おもしろフラッシュ」程度の認識しかなかった。
ネットを使えるやつはみんなフラッシュを見ていたし、学校でも友達の家で遊んでいてもどのフラッシュが面白いだとかそんな話ばかりしていた。
だから、いつもみている「おもしろフラッシュ」から「エロフラ」にたどり着くのは自然なことだった。
「おもしろフラッシュ」を見るために親の設定したフィルタリングを平然と破るようなクソガキなのに「エロフラ」を見るのはすごくイケナイことのような気がして、胸の鼓動がざわついた。
その体験は、資源ごみに出されたエロ本をこっそり覗き見る感覚と似ている。リビングにあるPCでフラッシュを見ながら馬鹿笑いしつつ、親が部屋から消えた隙に高速で「エロフラ」へのリンクをたどる。広告ばかりでたらいまわしのリンク群に苛立ち、悪質な釣りやブラクラもかいくぐり、辿り着いた目的のページは画面上からゆっくりとページが描画されていき、ページが読み終われば今度はフラッシュのロードが始まる。常に背後のリビングをちらちらと確認しながら目線と片手はせわしなく動く。ようやく始まった「エロフラ」は甘美としか形容できない代物で、翌日学校に行っても四六時中「エロフラ」が頭のなかを駆け巡る。家に帰るとすぐPCを立ち上げ、ブラウザが立ち上がるのを待ちながらエロフラまでの道筋を頭のなかで巡らせる。まさかお気に入りに追加するわけにはいかない。その頃にはお気に入りは既に自分の登録したネタサイトばかりで、親の見ているサイトは端っこにちょこんとあるばかりで、それも使用されているのか疑問なぐらいであったが、少しでも自分が“ああいうサイト”にアクセスしたという痕跡を残すわけにはいかない。履歴の消し方もちゃんと調べていた。こんなひどく回りくどいことなんてせずとも当時からインターネットの世界には無数のエロにあふれており、そういった世界に精通したクラスの識者からは「一本道」がすごいという情報がもたらされ、男子のひそひそ話の中では呪文のように「一本道」の言葉が繰り返されたが、そういったサイトに直接アクセスする勇気はなかった。ゴミ捨て場のエロ本をひっそり持ち去る勇気はあっても、本屋のエロ本コーナーに堂々と入り浸る精神は持ち合わせていなかったのだ。
そうしてあの頃の自分は、何度も何度も同じ「エロフラ」を見てオナニーばかりしていた。
高校に入ると、周りのやつらはみんな携帯やPCを持っているのが当たり前で、自分も念願かなってノートPC(家族と共用という条件付きだったが、実質自分専用のようなものだ)を買ってもらっていた。
そうなると、どんなエロサイトを見ているかなんて話題も事欠かなくて、クラスで人気があったのは「X-video」だった。まるでそれがエロサイトの代名詞のようにも扱われ、「x-Hamster」とどっちがエロいかなんていうくだらない話題で盛り上がった。そういったバカ話の中でよく起こったのが三次元と二次元の対立で、おかずは絶対三次元派と二次元に限る派が両者相容れぬ論争を巻き起こした。しかしこれはいくら話し合っても不毛なことだと互いに理解してか、相互不干渉という態度で解決した。しかし時折、三次元派に“絶対おすすめ!”としてエロ漫画を送りつけたり、二次元派に不要な雑誌付録のDVDを押し付けたりとささいな嫌がらせが続いた。そんな三次二次戦争での自分はもちろん二次元派に分類されたが、別に三次元が駄目なわけではなく、あとで三次元派が話していたマル秘動画をひっそり検索したり、同じく三次二次の垣根を持たない派を見つけて情報をシェアするなど賢く立ちまわった。一方で、三次元派勢力の有力者が二次元にクツワ替えするなどの騒ぎもあり勢力図は混迷を極めたが、それは別の話だ。
中学時代に毎日危険なインターネットの波をくぐり抜けてオナニーライフを送っていた自分が、クラスメイトの話に漏れ聞いたエロ動画を探すくらいじゃ満足するはずもなく、自分がインターネットに求めるエロは次の段階に至っていた。
「おもしろフラッシュ」を卒業した自分が次に辿り着いたのは「2ch」であった。「おもしろフラッシュ」同様、多数のネタが供給される一方で「2ch」はインターネットのエロの秘境でもあった。
おっぱいうpスレは言うに及ばず、自撮り系の新鮮なエロ画像が毎日生産されるそこはまさしく「天国」とでも言うべき場所で、親が定めたPCの使用時間ギリギリまでうpを粘り、PCを見れない間に流れてしまった画像には涙をのんだ。再うpを行ってくれた者に対しては惜しみない賞賛を送り、また自分も画像を取り逃がした者にたいして手を差し伸べるのを惜しまなかった。うpされる画像にかけられているパスワードにはいくつかのパターンがあって、それを知らなければ画像は拝めない。学業よりも真剣にパスを学んだ。自撮り系の三次以外にも24時間いつでもどこかでエロ画像スレは建っていたし。「欲しいエロ漫画の1ページをアップすると、全ページうpしてくれる神」なんてものも存在した。おおらかな時代だったのだ。自分もアンダーグラウンドな世界に誘われ、よりスリルのあるエロを求めてWinnyに手を出しかけるも複雑さに断念した。同時期にtorrentの使い方が広まり、「エロゲを丸々一本あげる神」も多数出現したが、スペックもHD容量も低いノートPCでは体験版の時点で動かないソフトも多く、エロゲをやるには至らなかった。しかしわざわざゲーム本体をやらずともエロい公式サイトはいくつもあり、サンプルCGを使って何度もオナニーをした。それらのCGもかかざすダウンロードし、ノートPCのHDはエロ画像で埋め尽くされていった。
ダウンロード違法化が施行されると「2ch」からは一気にエロコンテンツの姿が消えた。よりアングラな一部の専門板では引き続きエロ画像の供給が行われ続けたが、いつも利用していた雑談系の板からエロが消え、エロを求めいた者は自然と場を移さなければならなくなった。
自分が次に行き着いたのは「RPGツクールエロゲ」だった。その界隈ははっきり言って無法地帯のような有様で、大体のゲームはあたりまえのように無修正なものが公開されていた。またしても自分は天国を見つけてしまった。製作者の大半が素人な「RPGツクール」は当たり外れも大きいが、当たりなソフトは一般的なゲームソフト以上の作りこみがなされていて、ゲームとしても非常にやりこみがいが高い。シチュエーションはマニアックなものが多く、普通の人ならば受け付けないような描写もあったがそれが逆に興奮を誘った。
それと同時期に、違法なコンテンツの扱いが厳しくなった「2ch」では、オナニーの方法に焦点が当てられていた。「オナクール」に騙され冷えた下半身を暖めながらブラウジングしていた最中見つけたそれは自分に衝撃を与えた。音声による誘導のみで人を絶頂に導くそれは「催眠オナニー」というもので、自分はこれに生活リズムが崩れるくらいにのめり込んでいった。「思い込みが激しい性格」で「想像力も高い」というのもあってか「催眠オナニー」は自分にとって相性抜群で、様々な音声に魅了されていった。しかしハードな音声は体力を消耗させたり、術後のメンタルに影響するものもあり、仕方なく自粛した。それくらい「催眠オナニー」は強力だった。
「催眠オナニー」から遠ざかった自分が次に行き着いたのは「pixivランキング」サイトだった。「pixiv」も毎日のようにエロ画像が生産される、素晴らしいサイトだったが、自分には何か刺激が足りなかった。アングラな世界に浸かりすぎた自分には「pixiv」程度の健全なサイトでは刺激が足りなかったのだ。何を言っているのかわからないかもしれない。しかし今、コンビニでエロ雑誌を普通に買える年齢になっても、昔拾った捨てられていたあのエロ漫画がどうしても忘れられないのだ。
昔ネットがまだちょっとアンダーグラウンドだった時代、テレビドラマなどでネット掲示板が取り上げられる時には、決まって「さっさと死ねよ」「自殺しろ」「早く死んでほしい」みたいな酷い書き込みが並んでいるシーンが流されていたように思う。(主に黒い背景の掲示板のイメージで。)
あの頃はそれを見ながら「いやいや、ネットはそこまで酷くないからw テレビ局、ネットに悪意持ちすぎw」とか思っていた。
あの時代、ネット上にそういう書き込みが全くないわけではなかったけれど、例えば呪いの掲示板みたいなクローズドな世界に限られていたように思う。2chも今よりクローズドな感じだったし。
でも、今回のエンブレムの件では2chはおろかTwitter、果てはFacebookまで「さっさと死ね」「責任とって死ね」「一家心中よろー」みたいな意見が溢れていて、すごく恐ろしくなった。いつからこんなあけっぴろげに他人に「死ね」と言うようになったのだろう。この状況は明らかに病んでいると思う。
それを「しょうがないよね」「ネットなんてそんなもんだよね」と言ってスルーしている私達は、いじめの傍観者と何も変わらないのではないか。
流石にやばいよ、この状況。
この前、サイベリヤとかいう高級レストランへ連れてってもらったのだけど、
あとは自分で好きなのを好きなだけ飲んでいいって理解でいいのかな。
シャイなシティボーイだもんで、その場で詳しい説明を聞くことができなかったんだ。
で、よくわからないのは、客がドリンクバーを注文したか否かをどうやって店員さんが識別しているのか、ということ。
注文を取りに来た店員のお姉さんならこちらの顔を覚えているかもしれないけど、
向うにいた店員のお兄さんには、はたしてこちらがドリンクバーを注文したということが伝わっているんだろうか。
万が一にでも伝わっていなかったら、「注文もしていないのにドリンクを取りに来やがった」と疑われやしないだろうか。
心配だ。
まさか気づかないうちに客にマイクロチップか何かを埋め込んで管理してたりするんだろうか。
おそろしいおそろしい。
ところで、昔は、サイベリアといえば(当時は高級レストランの代名詞ではなくてクラブみたいなダンスフロアだったはずだけど)、
プシュケーとかいうアクセラレータの取引場所として暗に知られていたわけだけど、
今でもそういうアンダーグラウンドな取引をしてたりするのだろうか。
いまどきのNAVI は自分で増設したりなんかするような人もいないのかもしれないけれども。
水冷式には憧れたなー。
もう随分前の話だけど高野政所が大麻所持容疑で逮捕された。もちろんニュースになった時は大騒ぎだったが結局何も変わらなかった。今の音楽の震源地はもうどこも何もなかったように今までどおりパーティーやステージや数多の即売会や…もちろんSoundCloudやニコニコ動画も盛り上がっている。所詮「ちょっとハッパやっただけの話」だ、インドネシアでは普通に喫っていたんだろう。だからこれからも恐らく変わらない。
じゃあ変わってしまったのは俺だけなんだろうか?
もちろん今すぐアンダーグラウンドシーンや同人音楽が終わるとは思えない。「今すぐ」はね…だけど確実に終わる、永遠に続くなんてありえない。日本のレイヴだってあっけなく終わったじゃないか。
「これは世の常なんだ、流行とはそんなものなんだ」…それは後ろ向きだ、でもそうかもしれない。「きっとその時は新しい何かが僕達を夢中にしてくれる」…それは待ってくれ、果たして本当にそうだろうか?
私見かも知れないがアンダーグラウンドミュージックや同人音楽は俺達を何度か救ってきた。世の中に音楽が溢れてCDが売れることが目的になった時、少なくともTVやラジオから流れてくる音楽は初めて聴くのに聴き飽きてしまうジャンクな音楽ばかりになってしまった。そういう時に俺はインターネットの音楽に出会った。まだシャープネルが自分のサイトでMODを配布してた頃の話だ。まだカラテクノだったし、まだレオパルドンだった。きっとあの時みんなが「ここに新しい音楽があって」「それはずっと続いていくんだろう」と思ったと思う。俺だってそうだったし実際その時はそうだった様に思う。この先何度もジョックの道具だったフロアミュージックとナードの道具だった同人音楽は奇妙な接続をして奇妙な、まるでCDの盤面の様な虹色の織物を編んでいった。
誰かがフロアミュージックを浴びせかける。呼応した誰かが新しいトラックをドロップする。そんなことを続けていくうちにあらゆるものを呑み込んでいく。ジュリアナレイヴ、J-TEK、ドラムンベース、UKアンダーグラウンド、エピックトランス、UKハードコア、ダブステップ、EDM…
私見かも知れないがアンダーグラウンドミュージックや同人音楽は俺達を初めて欺いているかもしれない。世の中に音楽が溢れてパーティーが続くことが目的になった時、少なくともインターネットから流れてくる音楽は初めて聴くのに聴き飽きてしまうジャンクな音楽ばかりになってしまった。そういう時に俺は何に出会えばいいんだ?もうシャープネルだってインディーレーベルでCDを売る頃の話だ。もうBUBBLE-Bだし、もうJET BARONだ。きっとまだみんなが「ここに新しい音楽があって」「それはずっと続いていくんだ」と思っている。もう俺はそう思えないしもしかしたらもうその終わりが来ているのかもしれない。この先恐らくジョックの道具だったパーティーとナードの道具になったパーティーミュージックは奇妙な接続をして奇妙な、まるでCDの盤面の様な虹色のライトの下で踊るんだろう。
「これは世の常なんだ、流行とはそんなものなんだ」…それは前向きすぎる、でもそうかもしれない。「きっと今から産まれる新しい何かは僕達を夢中にしてくれる」…
それは待ってくれ!少なくとも俺はもうたくさんだ!
もうやめてくれ!まるでTVみたいだ!
もちろん今すぐアンダーグラウンドシーンや同人音楽が終わるとは思えない。「今すぐ」はね…だけど確実に終わる。永遠に続くなんてありえない。
確実に、終わる。
「何処へ行くか?」…言えないよ、次は終わらせたくないからね。
hideが好き
→ロックの古典、プログレ、とくにジャーマンプログレ、CAN、キャプテンビーフハート、ヴェルベットアンダーグラウンド
→サイケとか重いとかノイズとか形容されるロックならなんでも聞いてた。あと邦楽ロックが凄い盛り上がってた時期なのでそれも聞いた。モーサム、ゆら帝。くるり。坂本慎太郎は天才。
→グラインドコアとストーナー大好き。ブルータルトゥルース、カイアス。フリージャズと現代音楽も好きになる。デレクベイリー、アルバートアイラー、スティーヴライヒ、ジョンケージ。
→Ryoji Ikedaの+/-に衝撃受ける。ミポリンの彼氏のATAKもちょうど活動の最盛期でエレクトロニカにのめりこむ。Pan Sonic、Pole、SNDなど
→世界最古のエレクトロニカとかレコード屋で書かれてたのでダブを聞くようになる。Lee Perry、Max Romeo、Scientist
★「東京で600万円、700万円稼いでいた人が、東京に疲れて、隠岐の島とか徳島の山間に移住する」的話がある。
「年収は300万円になったが、通勤ラッシュもないし、食べ物は島や山の人がタダで持ってきてくれるから、かえって豊かになりました」的な話」。
・・・ミクロでは豊かになってるが、国家マクロでは、どうなのか?
★国家の税収とか、社会保障負担は、あくまで「金銭化された豊かさ」にしか課税・課金されない。
税収的には、「東京の700万円プレーヤーが、島根県海士町の300万円プレーヤーになってしまう」のは、
だから、国家単位で考えたら、Iターンの支援は、同時に「東京在職時と同額の給与の職場」を用意しとかないと、
そのまま「税収の減少」に直結することになる。
※もっとも、「産める年代の女性が地方シフトする」ことで、「国家全体では出生率が向上する」から、そちらを優先すべきとの話もある。
★別の言い方をすれば、
「住民同士が、物々交換で食べ物を分け合っている、田舎の支えあい社会」
というのは、美しいとも言えるが、キツイ言い方をすれば「脱税し合っている」とも言える。
「ノンケ物」のビデオが多いのは、ゲイ特有の事情からくるんじゃないかな。
ゲイにとってノンケって、本能的には性欲(そして恋愛)の対象にはなっても、それが叶う機会は基本的にはない。
社会生活上出会う男性はほぼ全てノンケだけど、そういう対象はアンダーグラウンドで探すしかない。
だから、ノンケに対して複雑な感情を持ってるゲイは少なくないと思うし、「せめてフィクションの中だけでも」という方向に行き着くのでは。
一般の「高校生もの」とかに似てる部分もあるかもしれない。前述のとおり、社会生活上出会うのはほぼノンケという点が大きく違うけど。
そういう側面もあるのかも。
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開1(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/
「黒子のバスケ」脅迫事件の被告人意見陳述全文公開2(篠田博之) - 個人 - Yahoo!ニュース http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/
「黒子のバスケ」脅迫事件犯人の「自分語り」全文公開されたが、自重しない腐女子は黒バス脅迫犯を生んだ罪について真剣に考えた方が良い。
問題は彼がBLに入れ込みすぎた結果、脅迫を犯したという事実である。彼はこのように書いている。
31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。また、新宿につきましては、16年前に自殺をしようとしてJR新宿駅周辺を彷徨し、11年前にJR新大久保駅周辺を歩き回ったことがきっかけです。
喪服の死神は自らを同性愛者と語っているけども、これだって本当か疑わしい。おそらく自己愛性人格障害であって、同性愛というのはあくまで詐称か、BLに入れ込んだ自称腐男子程度のものではないだろうか。本当の同性愛者ならBLに入れ込むようなことはしないと思われる。
彼の自分語りから漏れ出る意識は肥大化して歪んだ自己愛であり、その結果として表れたのがBL愛好と詐称同性愛といったところか。
「22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯」を記している。
いったい何の同人誌を知ったのか私には知る由もないが、ボーイズラブ系の二次創作同人誌の問題は、純粋に作品を楽しんでいる愛好者が、本来ならあり得ない視線(男性登場人物を性的に絡ませる)という嗜好にある。
一昔前までは腐女子の活動はアンダーグラウンドなものだった。検索避けや隠語を用いた隠れたやりとりをして、あくまで自分たちが特殊嗜好者であることを自覚した振る舞いをしていた、と記憶している。
ただ現在の腐女子はオープンにBL談義をすることも珍しくなくなったらしい。
この辺は「ゴキ腐リ」という言葉があるようで、pixiv百科事典なんかにも載っているようだ。
ゴキ腐リ (ごきぶり)とは【ピクシブ百科事典】 http://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B4%E3%82%AD%E8%85%90%E3%83%AA
この解説でとくに興味深いのは、この項だ。
実際にはファンタジーであるBLは、『男性(もしくは元となる人物)の形状を模した異質なクリーチャー』を恋愛や性行に結びつけて楽しむ嗜好であり、現実の同性愛とは全く関係が無い。
まとめサイトでは、「同性愛者の為の作品」や「同性愛をテーマにした作品」は問題が無く、同性愛嫌悪の無い人や、実際の同性愛者の中にもBLを嫌う人がおり、BLを問題に感じる人もいることから、「BL=同性愛」ではない、『男性の形状を模した“何か”を当人達以外の人間が妄想の中で恋愛・性行に結び付けて楽しみ喜び興奮する嗜好』と解説されている。
BLは実際の同性愛とは違うし、同性愛者や、同性愛嫌悪のない人物にも気持ち悪がられている・・・とのことらしいが、この解説は直感的に正しいと理解できる。
喪服の死神が入れ込んでいたのはあくまでBLであって、本当の同性愛では無かった。一方で彼は自ら童貞やキモブサメンとオタク用語を使って自己解説している。
ここには非常に強い性愛のゆがみが見て取れる。
例えば純粋にバスケ漫画を好きで黒子のバスケを読んでいる人が、腐女子人気の増大により黒バスを読む際に同性愛者と思われるようになったら、通常なら強い憤りを感じる。
現在の腐女子がおおっぴらにBL談義をする風潮(ゴキ腐リと呼ぶらしいが・・・)が、喪服の死神のねじれを生み出したと。
彼が黒子のバスケをターゲットにしたのは、ボーイズラブ系二次創作が盛んだったからであり、実際の同性愛とは全く違う女の妄想を少年誌に持ち込む異常性が、喪服の死神の内面を作り上げた現実に対する文化的な自省について、腐女子たちは真剣に考えるべきだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20131105121052
この増田さんは以前にもいたね。うまくいってよかったじゃん。
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匿名だから少し煽るくらい上から目線で書いてもいいだろう。本当はいつももっと謙虚に振る舞うようにしているけど、今回は気にしない。
さて、友人は俺と話す時、どうやったら女性にモテるか、とか、今デートしている女の子をどうやったら落とせるか、という話をする。というのも、俺は女性の落とし方に精通しているのだ。高校卒業までずっと運動も出来ず、嫌みで嫌われ者で、ブサイクな上童貞だった俺は、好きな女の子に振られたのをきっかけにアンダーグラウンドな努力を重ねた。その結果、現在ではどんな女性でも口説き落とすことが出来る男に変貌していた。大学生のうちにモデルや女優をナンパして口説き落とすことにも成功した。俺の友人はこぞって俺のことを「この世で一番モテる男」という。だからその変貌の過程を見てきている友人は、俺とこの手の話をしたがる。俺自身としても自分が最も熱心に打ち込んできたことに関する話だから、本当に楽しくその話に応える。
しかし帰り道になるといつも思う。これは俺が本当に話したいことではない。モテについて話すときの俺は薄っぺらいのだ。なにをどうすれば自分が魅力的に見えるのか、女性が惚れるのか、初対面の男性とSEXをしたいと思うのか、清楚とビッチのそれぞれの落とし方、なにもかもを知っている俺は、どんな話があろうとコンピューターのようにすぐに答えが頭の中に出てきてしまう。そしてその解答を言うだけだ。何も面白くない、こんな話をしていてももうなにも俺は得るものがないんだ。どんな恋愛本や恋愛記事を読んでも結局知っている話の焼き直しだと思うか、その恋愛記事の間違っている部分に気付くかのどちらかだ。俺はどんな女でも落とせるし、放っておいても毎週1人は新しい女性に告白される。そんな恋愛スキルはとっくに身に付けた。友人の彼女に惚れられてから、もう不必要にモテることもやめた。
じゃあ今の興味は何かというと、「愛」だ。愛する女性に出会い、うまくやっていく方法。幸せになる方法。今の興味はそこだ。語り合う相手が欲しい。全てをさらけ出して友人と愛について話したい。教えてくれ。生涯の伴侶となる女性と幸せな人生をおくりたいんだ。大好きな彼女が欲しい。
・自分の頭で物事を考えることが出来ること
・浮気をしないこと(俺のことを好きでいさせることは俺の役目だとしても)
・価値観が合うこと
俺はどんどんモテるようになり、時間の経過ともに交際する女性のスペックも上がってきた。そして、信じられないほど美しい女性とも交際をしたこともあるし、もう相手の顔が美人とか、そういう表面的なものはさほど大事じゃないと心が思うようになった!(以前は頭では理解していても心はそう感じていなかったのに!)
にもかかわらず、この年齢で誰も経験していない様なレベルで経験を積んできた俺は、どんな女性も未熟なガキにしか思えないのだ。上記の条件を満たす様な成熟した女性に出会わなくなった。美人の彼女と別れてから1年近く立つが、それ以降交際したいと思う女性と出会うことはもうなくなった。いったい俺はどうしたらいいんだ?頭がおかしくなりそうだ。どうすべきかも分かっているのに、条件もはっきりしているのに、全ての女を惚れさせるスキルもあるのに、俺の要求が無意識のうちに高くなり過ぎたせいで、付き合える女性がいなくなってしまった。きっと付き合ってうまくやっていくことに関しては達観していないから、とりあえず付き合ってみればそれなりにうまくいくのだろうか?
一人になるといつも発狂する。誰か救い出してくれ。
匿名だから煽るくらい上から目線で書いてもいいだろう。本当はもっと謙虚に振る舞うようにしたいけど、皆に読んでもらうために気にしないことにする。
さて、俺は友人と話す時、どうやったら女性にモテるか、とか、今デートしている女の子をどうやったら落とせるか、という話をする。というのも、友人は女性の落とし方に精通しているのだ。高校卒業までずっと運動も出来ず、嫌みで嫌われ者で、ブサイクな上童貞だった友人は、好きな女の子に振られたのをきっかけにアンダーグラウンドな努力を重ねた。その結果、現在ではどんな女性でも口説き落とすことが出来る男に変貌していた。これはモテのテクニック云々の話ではなく、自分の人間的魅力を身につけ、加えてそれらを上手く見せることが出来るようになったからだ。大学生のうちにモデルや女優をナンパして口説き落とすことにも成功した。俺はこぞって友人のことを「この世で一番モテる男」という。だからその変貌の過程を見てきている俺は、友人とこの手の話をしたがる。相談を持ちかける。友人自身としても自分が最も熱心に打ち込んできたことに関する話だから、本当に楽しくその話に応える。
しかし帰り道になるといつも思う。これは友人が本当に話したいことではない。モテについて話すときの友人は薄っぺらいのだ。なにをどうすれば自分が魅力的に見えるのか、女性が惚れるのか、初対面の男性とSEXをしたいと思うのか、清楚とビッチのそれぞれの落とし方、なにもかもを知っている友人は、どんな話があろうとコンピューターのようにすぐに答えが頭の中に出てきてしまう。そしてその解答を言うだけだ。何も面白くない、こんな話をしていてももうなにも友人は得るものがないんだ。どんな恋愛本や恋愛記事を読んでも結局知っている話の焼き直しだと思うか、その恋愛記事の間違っている部分に気付くかのどちらかだ。友人はどんな女でも落とせるし、放っておいても毎週1人は新しい女性に告白される。そんな恋愛スキルはとっくに身に付けた。俺の彼女に惚れられてから、もう不必要にモテることもやめた。
じゃあ今の興味は何かというと、「愛」だ。愛する女性に出会い、うまくやっていく方法。幸せになる方法。今の興味はそこだ。語り合う相手が欲しい。全てをさらけ出して愛について話し合いたい。愛したいし愛されたいんだ。教えてくれ。生涯の伴侶となる女性と幸せな人生をおくりたい。愛に飢えている。大好きな彼女が欲しい。
・自分の頭で物事を考えることが出来ること
・浮気をしないこと(俺のことを好きでいさせることは俺の役目だとしても)
・価値観が合うこと
友人はどんどんモテるようになり、時間の経過ともに交際する女性のスペックも上がってきた。そして、信じられないほど美しい女性とも交際をしたこともあるし、もう相手の顔が美人とか、そういう表面的なものはさほど大事じゃないと心が思うようになった!(以前は頭では理解していても心はそう感じていなかったのに!)
にもかかわらず、今の友人にはどんな女性も未熟なガキにしか思えないのだ。上記の条件を満たす様な成熟した女性に出会わなくなった。美人の彼女と別れてから1年近く立つが、それ以降交際したいと思う女性と出会うことはもうなくなった。これまで真剣に5人の女性と交際した。付き合ったときは好きだし好きになろうとしているし、相手にも幸せになってもらいたいと思っている。ところが自分の基準が高くなり過ぎて、結局満足出来なくなってしまうのだ。いったい友人はどうしたらいいんだ?頭がおかしくなりそうだ。もはやどんな女性にあっても付き合いたいとすら思わなくなってしまった。童貞時代一目惚れをしたような女も、高校時代好きだった女の子も、今や俺の基準に満たないのだ。もちろん愛は育んでいくものなのは知っている。とりあえず付き合ってみればいいのかもしれないが・・・
一人になるといつも発狂する。誰か救い出してくれ。
前日は空が白むのを見てから寝たにも関わらず、暑さゆえに8時過ぎ起床。
テントサイトにて、フジロック初回から参加し続ける猛者たちと杯を交わす。
潰れる一歩寸前まで日本酒を飲み、大声で歌いながらライブ会場へ。
・青葉市子
前野健太とソープランダーズを見逃し、フジロック2日目は森の中の青葉市子からスタート。
会場は、青葉市子に似つかわしく、森の中にぽつんとある一番小さなステージ。狭いながらも超満員。
心地良い演奏にうとうととしてしまい、椅子から転げ落ちそうになったため次のライブに移動。
青葉市子の弾き語りは2週間前に下北沢音楽祭で見たし、前日の深夜にもピラミッドガーデンにて見ていたので特に感想はなし。
なんか日本のバンドっぽくない印象。逆輸入アーティストだからまぁそりゃそうなんだけど。
日本のバンドは演奏が上手く、サウンドメイキングにより強烈な個性を出すのは苦手、
そして海外のバンドはサウンドメイキングにより表面的な個性を打ち出すのが上手く演奏は下手くそ
というイメージを勝手にもっているのだが、トクマルシューゴは後者に該当した。
演奏は下手くそというとさすがに言い過ぎだが、難しいギターのフレーズはCD音源のほうが綺麗に弾けてるし、バンドのアンサンブルもなんとなくだけどそこまで息がピッタリという雰囲気でもなかった。
前日にギターの達人たちを見たからハードルが上がってたのかな?
しかしおもちゃ箱を開けたようなサウンドはライブでも健在であり、楽しいライブであることは間違いなかった。
そういえばドラムの人が目測で身長190以上あって存在感半端無かった。
・SUZANNE VEGA
本当はオレンジコートでVERY BE CAREFULというクンビアバンドを見たかったが、豪雨により断念。
フィールド・オブ・ヘブンのTシャツ屋でなんと2時間近く雨宿りをして意地でSUZANNE VEGAを見る。
何度テントに帰りたいと思ったことか。まぁこの時テントは雨漏りしまくっていたわけだが。
しかし演奏は素晴らしかった。フジロック三日間を通してのベストソングは間違いなくSUZANNE VEGAのLUKAだろう。
LUKAのリリースからは既に26年が経過しており、声の変化が心配だったが、そんなのは杞憂に過ぎなかった。
バンド編成はなんとアコギを抱えたSUZANNE VEGAとエレキギターのおじさんのみ。
エレキギターのおじさんはルーパーを巧みに操り1人でドラムとベースとリズム&リードギターをこなしていた。
最初は「おいおい手抜きかよ」と思ったが、今思えば逆にそれが功を奏していたといえる。
このシンプルな構成により、LUKAに限らずSUZANNE VEGAの声が前景化して、より感動的に仕上がっていた。
リバーブが思いっきりかかったおじさんのギターソロも際立っていた。
豪雨によりずぶ濡れになった服を着替え、少し遅れてレッドマーキーへ。
ボーカルはスーツに黒い革手袋!真紅の帳に舞い降りた漆黒の歌い手!
いやー、モニターに足をかけて客席を指差すとかもう完全にV系です、ありがとうございました。
This song is called〜〜って演奏前にいう感じもなんか外国語ながら中二感を感じざるを得ないw
遅れて行ったからか、Wonderful Lifeが聞けなかった。
・KENDRICK LAMAR
ビョークはあんまりわからないし、死ぬほど混んでいたのでさらにわからないKENDRICK LAMARへ。
なんと10列目でラーメンが食べられるほど空いておりましたが、ライブ自体はとてもよかった。
まずDJセットではなくバンドセットで、B-BOYたちがバンドをやっている姿はなんともシュールだったw
そして、今風なアンビエント的R&Bみたいなのを生で初めて聞いたのだが、あの手のものは音圧が半端無いんだということを知った。
Frank OceanとかJames Blakeとかも生で聞いたら恐らく音の風が吹いてくるみたいな感じなんだろう。
KENDRICK LAMARはとにかくアンダーグラウンドのワルみたいな雰囲気で、なぜか雨もやんでいてステージには屋根があるにも関わらず300円のビニールレインコートを着ていたw
スヌープドッグがシャンプーハットをファッションとして着ていたりするが、これもそういうことなのだろうか…
フジロックベストアクト、エンターテイメント部門はJURASSIC 5に決まりでしょう。
途中でタイコクラブで知り合った人に遭遇したり、後ろの人に声をかけられたりとテンション上がりすぎて、いつの間にか持っていたジン300mlをライブ中に飲み干していた…
ライブはショウとして完成されており、DJの二人によるショルダーCDJ(!?)とショルダーサンプラーでのライブが挟まれるなど、90分間片時も飽きさせないライブだった。
そして脱退したと思っていたカット・ケミストが生で見られたのもなかなかに感動的。
前日のDJシャドウは深夜につき断念したが、カット・ケミストのターンテーブルさばきはしっかりと目に焼き付けた…と言いたいところだが、酩酊状態につきそこまで覚えていないw
DJももちろんすごかったが、前に立つ4MCもKICK THE CAN CREWのように、それぞれキャラ分けがしっかりとなされており、コミカルなボディランゲージと共に最高のフロウを聞かせてくれた。
全てがノンストップにミックスされたライブだったので曲単位でこれがよかった!とかはあまり感じなかったが、BreakのサビやI am sombodyのコールアンドレスポンスは酩酊状態だったにも関わらず鮮明に記憶している。
全体的にショウとしての完成度で言えば直前のKENDRICK LAMARを大きく上回っていたな、まぁ比較してもしょうがないが。
この後はJURASSIC 5で声をかけてきた人とそのお友達(みなさん私よりも10歳以上年上…)に二時間以上も絡み続けて、千鳥足でテントに向かいましたとさ。
最近、前からずっとあるのかもしれないが、ビギナープログラマへ向けた教訓めいたエントリなどを
よく見かける。
やれフレームワークから始めるなだとか、なんとかかんとかというものだ。
同時に、これは昔から変わらないが、プログラムを勉強したいけどどうしたら良いのかというような
質問などもよく見かける。
こういった数多のやり取りを見ていて、自身もプログラマとしての一面をもつ限りは
頑張っての一声もかけてやりたいと思うし、辛辣な内容のエントリに頷くこともあれば苦い顔をすることもある。
自分がプログラムの勉強を始めた当時は、プログラマを目指す者にとってはイバラの道だったと思う。
はいはい、懐古厨おつと言われてしまいそうだが、実際そうだったのだ。
まずなんたって、パソコンを手に入れるのが容易でない。
当時PC-9821全盛期であったが、1台40万くらいはした。
容量1.2MBしかないフロッピーにしこしこデータを保存していた。
そしてパソコンを手に入れたとしても、情報を調べる手段というのが確立されていない。
今でこそ、ブラウザを開いてGoogleで検索すれば、どんな情報だって手に入る。
ブロードバンドという言葉がまだなかった頃は、そうではなかった。
インターネットへ接続するのも、お金持ちの家はISDNだが、自分の家はモデムでピーがが~とつないでいた。
そのため、当時はWebサイトのページ容量は画像も含めて数キロバイト以内に収めましょうという
慣習があったように思う。
NTTのテレホーダイというサービスがあり、夜11時から朝の7時までは
特定の番号にかけ続けても一定料金でかけられるサービスがあり、みなそれを
利用していた。自然とパソコンを利用する人々の活動タイミングは夜間となった。
当時はまだGoogleがなかった。
なにより検索で情報にたどり着くということはほとんど概念としてなかったんじゃないかと思う。
Yahoo!が用意したカテゴリを元に、登録されたWebサイトへアクセスし、
サイトからのリンクで新しいサイトを発見するという、本当のインターネットサーフィンを
IntetnetExplorerはまだバージョン3くらいで、脆弱性がありまくり、危険なサイトへ
一番陰気な雰囲気を持っていたんじゃないでしょうか。
NetscapeNavigator(今のFirefoxの前身)が人気を博していた時代の話である。
さて、情報にアクセスできたとして、次に問題になるのは開発環境の話である。
昔の昔、基本ソフトがBASICだった時代は、パソコンを起ち上げるとBASIC言語を使って
プログラミングが出来たが、Windows95はそうではなかった。
開発環境、そしてコンパイラをまず準備できないと、そもそもプログラムの勉強が難しかった。
当時からMicrosoftの統合開発環境として、VisualStudioが存在したが、よほどの金持ちでないと
買えない値段がした。
そこで、LSI-C試食版であるとか、Borlandの無料開発環境であるとか、N-88互換BASICなどの
無料開発環境を探しだして、しこしことコマンドライン上で動く基本動作だけを勉強したものなのだ。
自マシン上に、Apache+PHP+MySQLをインストールする、なんて手法は夢のまた夢だった。
Webプログラムを勉強するには、自分でLinuxサーバーを起ち上げるか、CGIが利用できる
CGIで利用できる言語も、CかPerlかくらいしかなかった。
JavaScriptもまだまだ発展途上で、今のようにあれこれと使えるようになるのは
まだまだ数年先の話だった。
それが今やどうだろう。
パソコンも一家に1台あるだろう。それどころか職場の自分の机の上にも1台あるだろうし、
学校にいってもいくらでも使えるだろう。
開発環境なんて、よりどりみどり。メモ帳ソフトがあれば、もう勉強を始めることができる。
Windows上で動くアプリだって、VisualStudioが無料で手に入る。
それで敷居が高ければ、Excelを使ってもいい。VBAを使えば、Windowsアプリの勉強もできるだろう。
これだけ情報も溢れ、環境もどれを選ぶか難しいほどの状態になってしまっているのだ。
もはや、プログラムを勉強するには、必要以上のものが用意されている環境にあるといっても過言ではない。
がんばってください。
あ、まず前提として、
はたして貴女を幸福にするかどうか、それはまた別問題だけれど。
IT系の超かしこい男なども多く、
したがって、釣り師たる女たちにとっては、
なかなかあなどれない釣り場です。
では、FC東京大好き男に「どのチームが好き?」と訊ねられたとき、
あとはJリーグ、そして(サポになるほどではないけれど)JFLが大好きな、
貴女はかれの目を見て、微笑みとともに質問など無視して、こう言いましょう、
「わたしが、一緒にスタジアムに行ってあげる♪」
これこそまさに必殺の答えです。
そこでサッカー大好き男が、えへへ、とやにさがったならば、
チェックしておきましょう。これで成功まちがいなしです。
しかし、ここでは、もう少しハイブロウな(?)いわゆるFC東京好きの男の
落とし方をお伝えしましょう。
「わたしは、FC東京が好き。
ソシオピンバッジは全部持ってるの、「石川直宏」は最高だし、日本代表の「高橋秀人」、大好き♪」
もしも貴女がそう答えたならば、
かれの貴女への恋心は、
20%増量になるでしょう。
なぜって、FC東京は、
ちょっぴりヨーロッパなふんいきをかもしだしていて。
質高くふるまっていて、なおかつ、
開幕二連勝の功績もあって。
従ってFC東京こそは、
本来なんの接点もないまったく縁もゆかりもない別々の世界に生きている、
橘ゆりか似のアンダーグラウンド系アイドルと、玉もあれば石も混じっている、そんなサッカー大好き男たちが、
●
では、参考までに、危険な回答を挙げておきましょう。
FC東京大好き男に「どこのチームが好き?」と訊ねられたとき、
「浦和レッズが好き♪ 毎週、連勝だった頃は埼スタで応援してたの。」
スタジアムグルメの構成は平凡ながら、ま、無難にまとめてあるものの、
しかし、「浦和レッズこそビッグクラブになるべき」とかなんとか無意味な自慢を吹聴し、
サッカーについての謬見を撒き散らした罪がありますから、FC東京大好き男にとっては天敵なんです。
また、もしも貴女が「ヴェルディが大好き♪ あたしまだJ1に上がるって信じてるよ♪」
と答えたとしても、同様の効果をもたらすでしょう、
なぜって、ヴェルディは、1990年代には黄金時代だったものの、
いまや、あの分野では、コンスタントに企画を出し続ける川崎フロンターレの魅力に遥かに及びません。
最高に好きなのはイニエスタ♪ 「チャビ」も、「セスク」もすっごくおもしろいの。」
と、答えたとしたらどうでしょう?
たしかにバルセロナは、 世界最高のチーム であるのみならず、
展開も最高におもしろいんですけれど、
しかし、貴女の答えを聞いて、FC東京大好き男はきっとおもうでしょう、
(なんだよ、お高くとまった女だな、海外厨かよ)って。
貴女が、FC東京が大好きで、好きなの選手名を挙げるにしても、
なぜならば、「長友佑都」は、ふつうのOLにもマニアにもともに愛されるめずらしいサッカー選手で、
貴女がその名前を挙げても必ずしも、あなたがサッカーおた宣言をしているとは受け取られないでしょう。
しかし、たとえば、
ましてや貴女が、「イケイケが大好き♪ わたし、もうほとんどTシャツ、買っちゃった♪」
と答えたならば、どうでしょう?
これはかなり博打な答え方で、
なるほど、イケイケは、サポーター集団の中では超絶評価の高い集団ゆえ、
あなたがそう答えた瞬間、FC東京大好き男がいきなり超笑顔になって、
しかし、逆に、(なんだよ、この女、イケイケ信者かよ)とおもわれて、どん引きされる可能性もまた大です、
なぜって、必ずしもFC東京大好き男がイケイケ大好き女を好きになるとは、限らないですから。
男たちは、女を導き高みへ引き上げてあげることが大好きゆえ、
そこにはもはや、男が貴女をFC東京を教育する余地がまったく残されていません、
したがって貴女のその答えは、
FC東京大好き男の貴女への夢を潰してしまうことに他なりません。
ま、ざっとそんな感じです、貴女の目には男たちはバカでスケベで鈍感に見えるでしょうが、
しかし、ああ見せて、男は男で繊細で、傷つきやすく、女に夢を持っています、
貴女の答え方ひとつで、男の貴女への夢は大きくふくらみもすれば、
一瞬で、しぼんでしまいもするでしょう。
●
では、スキットを繰り返しましょう。
「わたしは、サッカーが好き。
そして、その瞬間、サッカー大好き男の目がらんらんと輝いたなら、
貴女はこう重ねましょう、
「それからね、いま、わたしが行ってみたいところは、
FC東京の「味の素スタジアム」素敵なスタジアムって噂を聞いたから。
あなたのお暇なときがあったら、わたしに「チケット」を招待して♪」
これでもう完璧です。
そうなったらこっちのもの、
デートの日には、青赤をばっちり決めて、かわいい下着をつけて、
元ネタ:
http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002457/dtlrvwlst/3464106/
142 ソーゾー君 [] 2013/02/05(火) 19:39:09 ID:zWjfUcfA Be:
↑こうなっている。
右翼の目的は陰謀論者が語っている通りで間違いないがヤクザとは全く異質の組織である。
利害関係で一致して良く一緒に行動しているからヤクザ=右翼と錯覚する。
凱旋カーに乗っている大半のゴロツキは右翼と関係のないヤクザの準構成員である。
元チンピラに聞いたら日当は約1万円程貰える(本人に1万円なのか組に1万円なのかは聞かなかった。)
おそらく日当は1万円と言ってる訳だから本人に1万円が入ると言う意味だと思う。
組にはその倍以上の金が入る仕組みになっている。
労働基準に絡まないアンダーグラウンド日雇い労働者はヤクザの仕事なのを知ってたら簡単に理解できるよな?
原発だけななく右翼団体にも日雇いを派遣しているのがヤクザの仕事です。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/l50
2013年5月4日、Gunosyについていくつかの批判記事が出た。
賛否両論あるが、残念ながら、はてなブックマークにフリーライドしていること、配信される記事がはてブのホットエントリーと被ることは事実である。
それはさておき、本日のGunosyで、上記の記事は誰にも配信されなかった。はてブのホッテントリ入りしたのに、だ。
ここから言えるのは、「Gunosyは運営者の都合で記事をフィルタリングすることができる」ということだ。GoogleはGoogleを批判する記事をフィルタリングしないが、Gunosyはフィルタリングした。2ちゃんねるや各社ブログは運営を批判する記事をフィルタリングしないが、Gunosyはフィルタリングした。インターネット関連企業は言論の自由や知る権利を守るべきなのに、Gunosyは守らなかった。
上記の記事は中傷的だから、同情的に感じる人もいるかもしれない。しかし、フィルタリングする基準は曖昧だ。今年の参院選、特定の政党を批判する記事が配信されなかったらどうなるだろうか? 近い将来、彼らの意見を否定する記事が配信されなかったらどうなるだろうか?
この人「ファン」じゃないですよ。
大衆に見られる場に文章を置く場合は、もっと作品と向き合って下さい。
作家は命削って書いてるのです。それに対する答えを大衆に向かって発する場合、せめてももっと作家と作品に真摯に向き合うべきだと思います。
以下この方の意見に対する個人的な疑問と意見です。長文ですので気が向いたら読んでみて下さい。
村上春樹、段々、一般的な感覚の人々には理解されないようなことを延々と書いてる作家になってるよねーというのは、私も思うなあ。だから、まあ評価が低くなるのもわかるなー。
結構、「純粋」な方向に、ふってきちゃってるよね。そういう(純粋すぎる)のは、狂気というにはわかりにくいんだけど、なんかなあ、真実というところからはずれてきている気がする。うーん。難しいのだけど、一般にピュアであればあるほど、正常といえる水準を超えちゃう確率は高いから。うーん。多分、あまりにも、抽象的なものってちゃんとすればすごい威力あるけど、間違えちゃう可能性は高いよね、という例と似てると思う。
>文章を読んですぐに理解できるのが良作、分からないから駄作なのでしょうか?
しかも、小説ってもともと、正しさ(これも微妙な表現だが)がわかりにくいからさ。その上で、村上春樹は、小説の中でも、あえて正しいかどうか(さらに難しい)がよくわからない方向で、突き詰めようとしているんだと思う。そしてそれが、微妙に少しずつ、本当のところからずれてきてしまっている気がする。なんとなく。
>小説に正しさはあるのでしょうか。あるとしたら、作家が伝えたいことが読者に伝わっていることくらいではないでしょうか。
Aを書いたから正解、Bを書いたから間違い、という問題ではないと思います。
新作について触れると、このタイトル、「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」というタイトルを見た時、私は、これが、作者自身の慰めのために書かれたことがわかったよ。いや、だって、村上春樹、巡礼、絶対すきだもん。その他もろもろ、このタイトル、考えられないくらいわかりやすいよね。疲れた作者本人の心情と合致していそうだなという意味で。なんかびっくりしました。
曲のタイトルの一部としてですか?それとも純粋に単語としてですか?
でもさー。。。。こっからは、愚痴だけど。この人は、今まで、すっごい孤独なタイプの小説家にもかかわらず、いつも、大衆に向けて、つまりノーベル賞を狙って、書いてきた人なのにね。それで、うまく大衆受けするものがかけないなーってずっと悩んできた人(推定)なのにねえ。。。。
もう少し、わかりやすく説明するために、まず、村上春樹の小説家としての才能について書く。幸いなことに、小説を書くというのは、技能を向上させるための課題の発見が、その他の技能と比べても最も難しい技能だと思う。要するに、どうやって練習すれば、小説が上達するのかわからないという、あの課題ね。でも、実は、この人の才能の出発点はここにある。つまり、ある意味で、ものすごくわかりやすいところに、いつも課題があったこの人は、小説家としての技術を「磨く」才能には、ものすごく恵まれていたともいえるのだ。つまり、一般的にヒットしそうな小説が全く書けないという課題。本当に村上春樹ってなんで、こうなんだろうねえ。
>「賞について関心を持たない」
大衆受けするものがかけない、とどこで悩んでいたのでしょうか。
そのような悩みを打ち明けたインタビューに興味があるので、出典を教えていただけませんか。
しかもさー。その上で、この人、ひたすら(下手でも)、小説を書くことに対して、わけわかんないくらいの努力家なんだよね。(これは本人の日記やエッセイによる。なんでも毎日マラソン練習のようにストイックに小説を書きまくっているそうだ。)
>ランニングは日課として行われているそうですが、
小説を書かない時期があることは「遠い太鼓」などではっきり明記されています。
むしろ小説を書かない時期を蓄積させ、小説を書くことに飢えた状態に持って行くことを大切にしているようです。
はっきりいって、その他の、突如現れる霊的なものに対する本筋から見て不必要で余計な感受性だとか、また作者の孤独に対する鈍感さからくる主人公の孤独の無意味さとかは、小説家の適性からみると、もうどうしようもなくだめだと思うのだけど。とにかく、その課題(大衆受けしない)は誰の目にも明らかなのに、本人は全然それが達成できなくて、その上でなぜかこの人は、小説を書くことに対して非常に努力ができた。または、してきた。これが、村上春樹の成功のポイントじゃないかなあ。他の人には色々な意見もあると思うけど、私は、この主張は非常に的を得ていると思うね。
スピリチュアルブーム、パワースポットブームがありましたし、どの雑誌にも占いのページがありますよね?
また需要の無いものに対して努力をしたことが、どうして成功につながるのでしょうか。
さて、その上で、今回の小説に話を戻すと。この作品が珍しく作者自身の慰めのために書かれたことと、村上春樹の小説家としての持ち味をちょっと考えてみると、即座にこの作品が駄作であることがわかる。だって、この人は今まで努力してきたことを捨てたわけだから。なんとか、人に受け入れられるようなものを書きたいという課題を捨ててしまった訳だから。
>どの点で「努力をしてきたことを捨てた」のかが分かりません。
多分、去年ノーベル賞とれなくて悲しかったのと、もっというと、ノーベル賞を目前にして色々な欲がでて、自分の持ち味とバランスを崩しているのだろうね。なんでも本屋の誇大広告によると、この小説は、ほとんど筆をとめずに書かれたそうだ。そんな、当人が趣味でだらだら書いた作品が、これだけバカ売れするんだから、商業小説家としては大成功だね。
>こだい‐こうこく【誇大広告】 商品やサービスの内容・価格などが、実際のものより優良または有利であると消費者に誤認させるように表示した広告。
ですが、どうしてタイトルと作家名と発売日のみ明記した出版社からの広告が、誇大広告に当たるのでしょうか。それとも書店員の手描きポップを指しているですか?
また、「筆をとめずに書かれた」=「趣味ででだらだら書いた」とはならないのではないでしょうか。
画家のスケッチも、ミュージシャンの即興演奏も、俳優のエチュードも、即興的な表現はすべて否定されるのですか?その瞬間にしかない力や勢いに、魅力はないのですか?
まあー。村上春樹にとって、例え自分がとんでもなく寂しいことに気づいたからって、それで純粋な方向に振り切っちゃうのは、はっきりいってよくない戦略じゃないかなあ。というか、それ、青豆と天吾のストーリー、ひきづってるだけだよねー。いや、1Q84は恋愛がテーマじゃないから、奇跡的に、ああいうのが物語になったけど。もし恋愛をテーマにするんだったら、青豆と天吾のような主人公では小説がかけないでしょー。。。。というかですね。
はっきりいって、もういい加減、孤独をつきつめた作品ではなくて、大恋愛について書くべきなんですよ、村上春樹は。だって、この人が孤独でも、全く悲しくないんだよね。もともとが孤独に鈍感な人なんで。なんとか、もうちょっと、大衆とコミュニュケーションとるために努力して下さい。それができないなら、今後は、本当に人に認められたいなんて思うのはやめて、出家してくださいなー。
(終)
>村上春樹の作品は「アンダーグラウンド」以降どんどん社会性を帯びていると思います。
インタビュー集や読者との交流を何冊もの書籍にまとめていることからそれは明らかです。
私見を述べるならば、今回の「色彩を持たない〜」は、「孤独をつきつめた作品」ではないと思います。
今回の作品の主人公は具体的な地名と風景の描写を付け加えられた最後のシーンの描写からも、内面はどうであれ、外面としてはしっかりと社会性を持った人物ではないかと考えられます。
その意味で「ノルウェイの森」の主人公が最後に感じた、「僕はどこにいるんだ」という感覚と、対比される作品と考えられます。
そのため、「色彩を持たない〜」は、「孤独をつきつめた作品」には少なくとも作家の作品群から位置づけする分に該当しないと考えられます。
とありますが、
「村上さんに聞いてみよう」シリーズで読者からの何百もの雑多な質問に答えたり、
「少年カフカ」で特定の作品に向けられた読者からのフィードバックや質問に真摯に向き合ったり、
「アンダーグラウンド」「約束された場所で」の中で地下鉄サリン事件の被害者加害者の内面をインタビューした作品を出したり、
その他に京都での講演を企画したり、海外では朗読会を行ったり、
十分に大衆とコミュニケーションを図ろうとする姿勢があると思うのです。
ここまで大衆とコミュニケーションを図ろうとしている長編小説家が私には挙げられません。
その成果も、以前は若い独身男性の視点で一人称で描かれていた作品が、三人称になったり、また1Q84の牛河のように、全く違う立場の人物の内面を描いたりと、
どんどん小説の中で反映されていると思うのです。
http://www.men-joy.jp/archives/28023
世間はクリスマスらしいけど、本当にビックリするぐらいに彼氏彼女がいない連中が多い。
まだ男性は彼女がいないことをネタに出来るし、歳をとっても経済力さえあれば一発逆転もあるし、オンナをカネで買う文化も世の中的に許容されているので、実はそんなにダメージが多くない。
むしろ今後ぼっちが増えることで、風俗やキャバクラだけではなく、恋人になってくれるサービス、カワイイ子供をレンタル出来るサービスみたいに、ぼっちの寂しさを解消する多種多様なサービスが出てくることが期待される。
ぼっちが世の中の過半数を超えれば、結婚して減価償却が進む嫁を運用し続けることや、将来のリターンが期待出来ない子供を育てることよりも、その時々のフレッシュな癒しや寂しさ解消効果をレンタル感覚でサービス提供を受けるようなスタイルの方がいいとみんなが思うようになるだろう。
・・・と、ぼっちな男性には明るい未来がある一方で、女性はキツいかもしれない。
世間一般には男性ぼっちはかわいそうだねー、という論調でメディア等で描写されるが、一方で女性ぼっちは高齢化するとその存在が無いものとされる。
メディアが炙り出すアラフォー独身女性なんてのは、キャリアもおカネもあってそこそこ美人という、そもそもがレアキャラであって、大多数のキャリアもおカネもなく、美人でもない高齢化した女性ぼっちは、その存在そのものが世間から認識されない、というか採り上げるのもある種のタブーという雰囲気すら漂う。
ここが男性ぼっちと違って、いじることが出来ないという大きな特徴の差であり、女性ぼっちは以降の人生で永遠に続く世間からの疎外感と付き合っていかねばならない。
ねるとんを思い出してみれば、男性は振られても必ずテレビに映れる一方で、告白されなかった女性は後で編集の段階でフリータイムですら映らない、空気扱いになってしまうことが、まさにこの状況を象徴している。
もちろん、アンダーグラウンドな世界では喪女と称して救われない女性にある種のカテゴライズを行った上でのサービスが提供され、経済的にも成功しているケースが少なくない。
ただ、その世界に足を踏み入れるというのは、女性にとっての社会的尊厳が消失するのと同等であり、多くの女性はそこまで踏み切れずに悶々とした世間にぶつけられない悩みを抱えていくのだろう。
男性ぼっちが増えるということは、即ちこうした女性ぼっちも増えるということで、ますますこの世間に認知されない層が増えることが予想される。
それだけに、男性ぼっちと同じような、女性ぼっちも世の中に多く存在していて、それは決して異常なことではなく、ごく当たり前の現実なのである、ということが社会的な常識として認知されるような状況にならないと、ますます日本は殺伐とした状況になってしまうのではないだろうか・・・。
異論、反論、もちろん大歓迎です。