はてなキーワード: ぼやきとは
主に男向けに書く。
女も読んで欲しい。
自分の履歴書を思い出して欲しい。そこから相手の何がわかると言うのだ。
履歴書よりも「どういう仕事をやってきたか?」「仕事にどういう姿勢で取り組んでいるか?」
のほうが大事なわけであり、
それを聴く為の材料が「履歴書」であり、「プロフィールカード」である。
プロフィールカードにばかり目を落としていないで、相手の顔を見よう。
相手の服装でも見て「春らしい色のお洋服が似合いますね」とでも言ってみた方が良い。
■回転寿司トークについて
3分やそこらしゃべったからと言って、相手の事がわかるわけない。
その日のうちに2次会へ持ち込め。
2次会こそ、相手の人となりがわかる会だ。
結論:回転寿司トークタイムは2次会のためのウォーミングアップタイム程度に考えよ。
■2次会について
2次会へ行くメンバーは正直誰でも良い。
カワイイとかかわいくないとか、若いとかババアとか、男女比がどうのとか気にせず、
取りあえず会場を出てすぐに、うろうろしている参加者に男女関係なく手当たりしだい声をかけろ。
そもそ婚活しているようなやつに、自分から率先して2次会を執行する度胸があるやつはほとんどいない。
誰かが誘ってくれるのを待っていてはすぐにお流れになってしまう。
男女手当たりしだい「このあと2次会とかどうですか?」って声をかけるんだ。
結論:婚活パーティーにおいて最も力を入れて挑むタイミングは、
パーティー直後に2次会へ以降する時だ。
■2次会での振る舞いについて
2次会の良さ、それは全員少し疲れていて、今日出会った人や日頃の婚活の悩み等を、
「あ〜あ、結婚したい」
などというぼやきが出てくる頃だ。そんな時に
などとは言わずに、「僕も結婚したいですよ〜」って話に食らいついて行け。
さて、2次会で必ずやらなければならない大事な事がある。
それは、全員分の連絡先を交換することだ。
男女関係なく、必ずその場にいる全員と連絡先交換をすること。
婚活中の人間同士、突然「合コンのメンバーが足りなくて」なんて誘いが君のところに来る場合がある。
場合によっては「俺or私の知り合いの独身の女の子今度紹介しようか?」
などという展開にも発展する。
結論:2次会会場では男女問わず必ず全員と連絡先を交換しよう。
■帰宅後
2次会中に次回の飲み会やデートの予定までこぎ着けられれば理想だが、
そんなに簡単に行くようならわざわざ婚活などしていないだろう。
本当は、回転寿司タイムで気に入った娘→2次会誘う→連絡先交換
となるのが理想だが、そう順調に行く訳でもない。
なので、ここは今日連絡先を手に入れた「女性」に対し、全員にデートの誘いをしよう。
「別に今日すぐじゃなくても。。。」って思っているやつ、甘い。甘すぎる。
同じように今日パーティーに参加した男どもが、何人も彼女達に対してデートの誘いをしている。
その中で、如何に先手を打って次に繋げるかが大事だ。
ここで大事なのは、メール(LINE)の本文に必ず「自分の特徴」と「今日何を話したか」を添えて送る事。
相手の女性には同じように、今日3分しか話をしていない(似たような髪型と服装と体型と年齢の)男性から
何通も誘いが来ている訳で、誰がか思い出せない事が多い。
だから、本文にわずかでも「大手町に勤務している〜〜です」「山形出身の〜〜です」「沖縄旅行の話をした〜〜です」
などが書かれているだけで、彼女は君の事を思い出してくれ、デートの予定にもこぎ着けやすくなるだろう。
メール(LINE)は、今日の回転寿司タイムや2次会であまりいい印象を持てなかった女性に対しても送ろう。
一度は2人きりでデートしてみないと相手の良さも悪さもわからない。
面接で例えれば、2次面接の予約を取り付けるくらいの気持ちで予定を取り付けろ。
それに、誘った相手が自分とのデートに応じてくれる保証は無い。
数が多い方が、誰かが捕まる可能性が高い。
結論:帰宅後すぐに、自分の事を織り込んだ内容で、女性達全員に連絡しよう。
■次回のデートまで
見事デートの約束が出来たら、デート当日までになるべく連絡を取り合い、
当日スムーズに会話が出来るように仕込んでおこう。
苦手な食べ物があるのか、アレルギーなどがあるのかを事前に確認しておけば、
飯屋探しの役に立つはずだ。
また平日の終業時間や帰宅時間、睡眠時間等を、メールやLINEの返信時間からある程度探っておこう。
人ごみが苦手か、インドア派、アウトドア派なども探っておくといいだろう。
メールの頻度は人それぞれなので、毎日送って返してくれる子もいれば、
週1回が丁度良い子もいる。この辺は男も女も人それぞれだろう。
結論:次回のデートまでにメールやLINEで、相手のタイプをそれとなく下調べしておこう。
■デート当日
双方のどちらかが「この相手、苦手だ」と思っても、2時間までならギリ耐えられる。
(そう考えると映画がだいたい2時間なのはよく出来た仕組みだ。)
例えば、飲食店の予約を2時間制にして、店を出た後「明日の仕事の準備があるので今日は帰ります」
逆に、2時間一緒にいてまだ一緒に居たいと思える相手だった場合は、
それはかなり有力な相手だ。
そんな相手がいたら、出来るだけその日のうちに次のデートの約束を取り付けよう。
逆に、2時間で疲れてしまった相手とは、それ以上合わない方が良い。
何かがかみ合っていない相手だ。
「今日は楽しかったです、次は〜〜に行きましょう」など、内容は定番のもので良い。
「私嫌われちゃったかな?」と落ち込むか「気の利かない奴」とむかつかれるか、
どちらかしかない。
■2回目以降のデート
婚活中の人間にとっては、1回1回の休日が大変貴重な時間となる。
パーティーへ行き、そこで出会った相手とデートして、また別の相手とデートして、時には合コンへ行き…
だから、1回デートして「う〜ん」って思った相手とは、そこで見切りをつけよう。
好きでもない男に休日を捧げている時間があったら、一人でも多くの相手と出会い、確実な関係を築きたい。
だから女性から断られても「そういうものだ」と思えるようになろう。
しかし、逆に1回目のデートで、時間が過ぎるのがあっという間だった相手だったり、
どうしてもこの人を逃したくないと思うような相手だったら、
とにかく2回、3回とデートしよう。
2週間に1度は会うようにしよう。
結論:2回目のデートが無くても、それは相手のタイムリミット的に仕方ない事だから落ち込むな。
■それから先
ここでみなさんに質問です。
「日常的にデートしたり飲みに行ったりするけど、付き合ってるわけでは無い女性がいる」
1:いる
2:いない
いる、と答えた人は結構多いのではないだろうか。
そう、何度も会うからと言って、じゃあ相手と「付き合っているか」と言われると、
はっきり答えられない関係がある。
どちらかが勇気を出して「結婚を前提に付き合って下さい、婚活は一旦終了にしましょう」
と言わなければならない。
わざわざ婚活なんてするのだろうか。
「どちらかが」なんて書いてしまったが、
めんどくさい、傷つきたく無い、責任取りたく無い…
その結果「もうちょっとこのまま婚活を続けよう」となりがちである。
男よ、世の中には沢山のライバルが居る。だが、そのほとんどが「覚悟」と「勇気」と「度胸」が無い男だ。
勇気を出して、女性に「結婚しよう」と言えるか言えないか、たったそれだけだ。
あなたに「結婚しよう」と言える「覚悟」も「勇気」も「度胸」も無い男ばかりだ。
結婚出来るか出来ないかは、あなたの顔でもスタイルの良さでもない。
私が風俗嬢になったのは2年前。
高校卒業してすぐにキャバ嬢になったが、当時ハマっていたバンドマンの追っかけと贅沢な生活の両立ができるほどには稼げず、もっとお金が欲しいと思って風俗を始めた。
異変を感じたのは2月の初めのことで、アソコに何かできものがあるなと思って、怖くなって病院に行ったらコンジローマだった。進行はひどくないそうだが膣内にできものがあるということで大きい病院を紹介された。
病院の帰りに、行ってはいけないのはわかっていたけどなんとなく献血に行った。その日はなんともなく献血できたが、今日血液センターから連絡が来た。B型肝炎。なんだか忘れたけど肝臓の数値も悪いらしい。
クラミジアや淋病みたいなありふれた病気なら何度もかかったけど、流石に血液検査に引っかかったりガン化する可能性のある病気だったので今回はショックだった。梅毒やHIVじゃなくてまだ良かったとは思うけど、治療には時間がかかるしこれから一生献血もできない。
S着とはいえ大衆店で1日に10人近くの客を捌いているので、誰から移されたのかもわからない。
2年間も風俗やって少なく見積もっても1000万以上は稼いだはずなのに、ホストや過食嘔吐や買い物に全部使って貯金はゼロ。年明け前にキャバクラも始めたけれど、肝炎となればそれも辞めなきゃいけないかもしれない。
やっとホスト通いもやめてこれから貯金しようと思ってたところなのに、人生ってうまくいかないものだね。
唯一の救いは学業を辞めなかったことなので、残り2年間真面目に勉強するべきなのかな。でも今更普通のアルバイトなんか出来る気がしないけど。
風俗やってる女の子も風俗行ってる男性も、性病には気をつけて。吉原では梅毒も流行ってるらしいし、本当に病気になったら洒落にならないよ。
去年アメコミにはまった。アメコミというかマーベルの某キャラにはまって、原作のコミックにも手を出すようになり、今では慣れないながら原書なども辞書を引き引き追いかけている。
ちなみに旬のデッドプールではない。(デッドプールも好きだが)
ところで、単に"アメコミを読みたい"だけならともかく"『アメコミジャンル』についていけるようになりたい"を目標にして入門すると、意外と戸惑うことが多いように思う。
自分の周りでも結構「ツイッターでアメコミジャンルの人をフォローしてみたけど、いつまで経ってもファンの人の話が理解できるようにならない」というようなぼやきを見るのだが、個人的にこれはよく言われるような英語力の差から来るギャップではない気がする。
「ジャンルの人のツイッターをフォローしてみたけど~」的なことをぼやく人は、おそらくツイッターをフォローした時点で日本のアニメや漫画などのファンコミュニティと同じように、いちファンとして対等に馴染んで行けることを期待している人ではないかと思う。
しかし、はっきり言ってアメコミジャンルは「○○(キャラ)のことが好き/気になる」というだけでは、他のファンの人とほとんど話が通じない世界だと思った方が良い。そのキャラに関する知識量が違うからではなく、そもそも「共通の話のタネ」が存在していないからだ。
ここが一番の違いだと思うのだが、国産アニメ・漫画等のジャンルには"ファンならばこれは知っているだろう"という明確な原作(底本)が存在する。
そのため新規にファンになった時点でも、その原作さえ知っていれば古参の人とも「○○(キャラ)ってこういう所が良いですよね」などと対等に話ができる。
だがアメコミの場合、大抵のキャラは一人につき複数のシリーズを持っていたり、そのシリーズにしてもそれぞれ原作者(ライター)が違っていたり、能力や人間関係等の設定も時期ごとにかなり変わっていたりするので、「○○(キャラ)ってこういう所が良いですよね」と言うだけでは、「私の知っている○○(キャラ)とは違う」と思われてしまう。
相手に通じるよう丁寧に言おうとすると、必然的に「××(ライター名)の書いた第2シーズンの○○(キャラ)はこういう所が良いですよね」という感じになる。
別にライターの名前を知っているから俺は詳しいんだぜアピールをしたいわけではない。こう言わないと「自分の想定している○○(キャラ)」についての話ができないのである。
したがって、最初から同じアメコミキャラが好きな人に自分のイメージする○○(キャラ)を当然のようにぶつけて行くと、まず間違いなく会話に壁を感じるようになると思う。
アメコミジャンルで交流をしようとするなら、好きなキャラについて少なくとも以下のことは調べて明らかにしておくと良い。
当然だが映画の○○(キャラ)は好きだけどコミックにまで興味はないという人が、コミックの○○を追いかけている人の話を無理に理解しようとする必要はない。
コミックファンにとっても然りで、映画の○○にはノータッチという人もいる。
同じ名前のキャラクターが好きでも、実質全く別のジャンルの人同士なんだと認識しておこう。
このように自分のファンとしての立ち位置を確認しつつ、次は「この人の話している○○(キャラ)は、どんな○○なんだろう?」と相手の持っているキャライメージを意識するようにして行くだけでも、かなり『アメコミジャンル』内の人たちとスムーズな話ができるようになるのではないだろうか。相手の○○(キャラ)に興味が沸いたら今度はその○○を一から知って行こうとすれば、自然と話せる話題も広がって行くだろう。
ちまたで日本語なのに読めないと話題の某Web製作会社代表のあいさつを理解しようと努めてみたがやっぱり読めない。
ていうかそもそも大事なことは何も言ってないから読む必要もないんだが。
この代表さんはビジネス書やマーケティング書ななめ読みしすぎだろw
http://liginc.co.jp/company/message/
2000年初頭に起こった枠組みの変化により様々な溝が取り払われ、各社の中核事業の経済価値が同質化された結果、先の見えない不況が我々の眼前に覆いかぶさってきています。
LIGは自社の強みでもある競争のない未開拓市場での事業展開、
顧客にとっての障害を取り除くことによって利益を創出する事業に集中する事で、安定的な成長を続けています。
『ソーシャル・ネットワーキングの人気者』
我々の資産でもある、知識として蓄積されたSNSにおける情報マーケティング戦略は、継続することで世の中に多様な影響を与えられると信じています。
さらに社員ひとりひとりが複数のポジションをこなすことのできる選手として活躍する事により確立されたリスク分散の手法は、
他業種との提携を積極的に結ぶ事で効率化を図り、いずれ社会における標準規格となっていくと確信しています。
(そんな社員を便利に使うことや外注することをリスクヘッジマネージメントって言っていいんかいw)
現実に必要なものは、自由な発想、機敏さ、そして創造性だと考えています。
縮小される(クライアントのWeb)予算をどのような企画で獲得していくのか、
挑戦を続ける気持ちを持ち続けながら「計画を立てる」「実行する」「行動を評価する」「改善する」という流れで仕事をまわしていくこと、
常に主体性をもって物事を考えて仕事に公平な評価を付与していく。
しばらくしたらポスドクになる予定の者だけど、ちょっとぼやきたい。
少し前にどうしてもやる気が出なくて、一日中「サービス残業」とか「労働ダンピング」とか、その他類似するキーワードで、はてブを検索して、記事とかコメントとかを読んでいるだけの日があった。はてブコメントでは、サービス残業に対して批判的な内容が多く、中には、サービス残業をする人は犯罪者というようなコメントもあって、それにも星が沢山ついて人気コメントに上がってきていた。
そんなのを読みながら、ある出来事のことを思い出していた。二年ほど前に、ある日本人研究者が新しい多能性幹細胞の作り方を発見したというニュースがあった。最初の記者会見の中で、確か、彼女は休日も含めて毎日12時間研究室に居るというようなことを語っていたと記憶している。そのことについて否定的なコメントは、自分の観測範囲内では見当たらなかった。当時、彼女は主任研究員の地位に居たが、恐らくそれ以前のポスドクの時代からそのような働き方をしていたと思うし、どのような雇用契約であっても同じであったろうと思う。
私がこれからなろうとしているポスドクはパートタイム職員で、時給いくらで一日7時間勤務という雇用条件である。うちの大学にいるポスドクは皆同じような契約で働いているはずだ。しかし、周りを見回しても、定時に帰っているポスドクは皆無であり、だいたい彼女と同じくらいの時間研究室で仕事をしている。定時で働いたら、研究室にいる時間は8時間なので、土日含めて毎日12時間研究室にいたら、月の残業時間は150時間を超える。そして、その時間外勤務について、給料をもらっているポスドクもいない。つまりすべてサービス残業である。これは労働力のダンピングではないのか。しかし、そのダンピングの末に何らかの大きな研究成果を発表したら、あの発表の時にそうであったように称賛のコメントばかり寄せられるだろうと予想される。休日も無く毎日12時間働いたという話すら美談として扱われるだろう(もし自分の研究がメディアで扱われたら称賛のコメントばかり寄せられて欲しいと思っていることは念のために書いておく)。自ら進んでサービス残業をする会社員が犯罪者とまで言われるのに対して、この違いは何なのか。
そもそも、仕事の内容的に時間給で雇おうとするのが間違いなのだとは思う。しかし、現状そういう契約で雇われている人が沢山いて、彼らはその契約など無視してサービス残業を常態化させている。そこに後から入って競争するには同じことをするしかないだろうし、自分も当然のようにそうするだろうと思う。
ただ、大学や研究所の外の人から見てどう思われているのかについては気になるところである。サービス残業は悪であると考える人達はこの状況についてどう考えているのか。研究は特殊な業務であるから、このような形での長時間労働も許容されると考えているのかどうか。
http://anond.hatelabo.jp/20150910215231
からの続き
自分の本当の想いに気づいたなら、あとは現実的な算段をつけていくだけだ。
僕が主に学びたいのは経済学である。だから経済学部のある大学を目指す。それは確定として、どの大学を目指すべきだろうか。みんなどうやって志望大学を決めてるんだろう。調べても情報が多すぎて混乱してくる。旧帝とかMARCHとかってなんぞ。ゼミとか研究室とか修士とか博士とかもよくわからない。そもそも大学の仕組みがよくわからない。最初のうちは学ぶ側で、そのうち教える側だったり、最先端の研究をする側にまわる、というのはなんとなく知ってる。以前は「4年勉強して卒業」としか思ってなかったので、これでも大学に対する理解はだいぶ進んだほうだけど、やっぱり前提知識がいろいろ足りてない気がする。
いや待て、そういった知識的な問題よりも何よりも、その前にまず僕には大学受験資格がない。僕は中卒なのである。正確には高校中退だけど、数ヶ月しか通っていないので取得した単位なんてないも同然だ。どこを志望するとか、大学に通う資金はどうするとか、それ以前の問題だ。受験資格を手に入れなければ、スタートラインに立つことさえできない。まずはその問題から片づけよう。あとのことはあとで考えよう。
そういうわけで大検について調べてみる。どうもいまは名前が変わっているようで、高等学校卒業程度認定試験、略して高認という名称になっているらしい。試験は年2回、8月と11月に行われる。科目は、国語、英語、世界史A/B、日本史A/B 、地理A/B 、現代社会、政治・経済、倫理、科学と人間生活、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎、数学I。これらの中から8〜10科目を受ける。合格ラインは40点前後らしい。半分正解できればいいのだ。しかし高校で習う教科ってこんなに多いのか。けっこう大変そうだ。文科省のサイトで過去問が公開されているようなのでひとつずつ見ていく。
まずは国語。大問が4つで、現代文が2問、古文・漢文が1問ずつ。現代文のほうは普段から本を読む習慣のある人なら普通に解けそうな感じだ。僕もいちおうコンスタントに本は読んでいるし、現代文に関しては問題なさそうだった。古文と漢文に関しても文章の意味は7割以上わかるし、試しに問題を解いてみたら全問正解だった。あれ? 古文・漢文って中学でやるんだっけ? 独学でやった覚えはないから、中学でやったんだと思うけど、20年たっても意外と覚えてるものだと思った。文法とかはさっぱりわからんけど。
英語に関しても問題なさそうだった。英語は二十代のころに必死こいて勉強した時期がある。1回だけ受けたTOEICは680点だった。そのあと半年海外を放浪して日常会話くらいなら問題なく喋れるようになったし、これで合格点を取れないってことはまずあるまい。
次は世界史。これに関しても最近やったばかりだし問題なさそうだった。AとかBとかどう違うんだろ、と思ったけど、Bのほうが範囲が広く、より深い内容になっているらしい。高認の試験ではかぶっている問題が多いし、そんなに違いは感じなかったけど。ちなみにA/Bどちらを受けるかは当日に試験問題を見てから決めていいらしい。
日本史、もしくは地理。これは願書提出時に事前選択するようだ。日本史はかなり難しい。半分正解できるか、ちょっとあやしい。地理のほうが点数を取れそうだったので、こちらを選択することにした。半分は正解できそうだけど、これに関してはちょっと勉強しておいたほうがいいか。
公民は、現代社会、もしくは政治・経済+倫理から選択する。科目数は少ないほうがいいので、現社でいくことにした。毎日ちゃんとニュースを見ている社会人なら誰でも普通に合格できそうな内容だ。これは勉強する必要はないかな。
理科系科目は、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎のうちから3科目を選択するか、もしくは科学と人間生活+どれか1科目。これも科目数が少ない後者でいこう。
科学と人間生活って聞き慣れない教科名だと思ったけど、理科総合のことのようだ。学習指導要領が改定されて、つい最近こうなったらしい。試験は基礎4科目からそれぞれ易しめの問題が出される感じ。でも半分いけるかちょっと微妙なラインだ。これは勉強必須だなあ。
あとの1科目は地学基礎にした。これも以前は地学Iとかだっけ。地学I→地学基礎、地学II→地学、みたいな感じで変わってるようだ。これも半分いけるか微妙。勉強必須。
まあでも理科系科目がちょっと不安なくらいで、全体的にはけっこう余裕かな。なあんだ、身構えて損したよ。ハハ。ああ、そういや最後に数学が残ってたっけ。まあこれも余裕かな。ハハハ。じゃあちょっと過去問を見てみようかな。
え? これあれでしょ? 東大入試問題でしょ? ちょっと文科省さんしっかりしてくださいよアップするファイル間違えてますよやだなあもうホントかんべんしてくださいよマジで。マジで……。なんぞこれ……。1ミリもわからん……。死にたい……。
マジやばい。本当に本気で1問もわからない。最初のほうのサービス問題っぽいのすらわからない。解き方がわからないとかじゃなくて問題文の意味すらわからない。なにこれマジやばい。というかいまさらだけど自分は文系だったのだとこのとき初めて気づいた。プログラミングで飯を食ってたりするんだからてっきり自分は理系なのだとばかり……。マジかよ……。
嘆いていてもしかたない。これをどうにかしないことには大学には行けないのだ。ならどうにかするしかない。
まずは本屋で数Iの参考書を立ち読みしてみる。なるほど、わからん。よし、次だ。中学数学の参考書。なるほど、わからん。よし、次だ。算数の本。なるほど、わかります。でも、最大公約数とか最小公倍数とか通分とか約分とか、けっこう難しい。小学生ってこんなのやってるのか。すげえな。
参考書とドリルを何冊か買って帰り、勉強を始めた。地獄のような日々の始まりだった。
算数ドリルをやってみると、四則演算はさすがにできるけど、九九がところどころ記憶から抜け落ちてることに気づいた。やばい。そして分数の計算がまったくできない。分数の割り算ってなんだよ。割り算で割るってどういうことよ。意味わからん。と思いつつも、算数についてはなんとかなった。問題は中学数学からである。
算数から数学になると急激に難易度が上がる。なんでマイナスとマイナス掛けたらプラスになるの。分数の割り算が今度は逆数の掛け算になるとかどういうことよ。ちょっともう本当に意味がわからない。そうしているうちに1週間、2週間が過ぎる。やばい。それでもぜんぜんわからない。中学数学の最初の段階でこれだけ時間かかってたら数Iを終えるまでに何年かかるんだ。本当にこんなので大学へ行けるのか。さすがに焦りが出てくる。心が折れそうになる。何より、やっていてまったくおもしろくない。つまらない。こんなの社会に出てから何の役に立つんだ。これを必修にするとか文科省の陰謀だろ。あ、人が陰謀論に走るのは精神的にまいってるときなのか。ひとつ勉強になった。
そんな感じでウンウン唸りながらも参考書を読み進めていると、「-xは係数に1が隠れている」という一文が目に止まった。あ、そうか、-xは、-1x、-1掛けるxってことか。なるほど。でもこれって、マイナスだけじゃなくてプラスでも同じじゃないか? つまり、xは、1掛けるxなのだ。あ、これって文字じゃなくても同じか。つまり、5は、1掛ける5だ。あれ? もしかして、どんな数にも、係数として1が掛かっている……? ああなんだか考えすぎて頭がパンクしそうだ。脳みそがギシギシと軋む音が聞こえる。でももうちょっと考えてみよう。
つまり、つまり分数も同じなのだ。1/2は、1掛ける1/2だ。算数的にいえば、ケーキ1個を半分にしたものがケーキ1/2個だ。うん、それでいい。でもよく考えたら、ケーキを半分にしたあとで他の誰かがやってきたら、その人は最初の大きさを知らないのだから、半分のサイズのケーキを1個とカウントするはずである。1/2個とカウントするには、「半分にした」という事実の認識が必要なのだ。いや待て、そもそも、1/2という数字それ自体が「半分にする」という意味なのだ。これは、「半分」という名詞ではなく、「半分にする」という動詞なのだ。1/2というのは何か実体のあるものではなく、「いまからお前を半分にしてやる」という意思、考え方、概念なのだ。
そのとき「バタン!」と音を立てて扉が開いた。それは数学の扉だった。
そうだ、数(すう)とは概念なのだ。いち、にぃ、さん、とものをかぞえるときに使う数(かず)とは違うのだ。そして前者を扱うのが数学であり、後者を扱うのが算数なのだ。僕はいままで数学をやっているようで、その実、算数をやっていたのだ。ぜんぜん違う教科をやっていたのだから、わからなくてあたりまえ、つまらなくてあたりまえだった。
数とは概念である。その前提を踏まえてみると、これまでとはまったく違う世界が見えてきた。数を感覚的に扱えるようになってきた。数式の手ざわりがわかるようになってきた。なにこれやばい。超おもしろい。いままで「数学おもしろい」っていう人のことがまったく理解できなかったけど、そうか、こういうことか。数の正体を知っている人と知らない人では、同じ数式を見ても、まったく違うものを見ているのだ。
それからはこれまでの苦悩が嘘のようにサクサクと勉強が進んだ。中学数学も予想より早く終わった。よし、ここからが本番だ。と気合いを入れて数Iに突入したけど、参考書をパラパラとめくってすぐに拍子抜けした。なにこれ中学数学をちょっと発展させただけじゃん……。気合い入れて損した……。
よし、最大の懸念だった数学はなんとかなりそうだ。次は理科系科目にいってみよう。
まずはまた本屋で参考書を何冊か購入し、読んでみる。数学のときほどまったくわからないということはないけど、なんだかいまいち頭に入ってこない。原子がどうの、位置エネルギーがどうのといわれても、なんだかいまいち実感がわかない。これはまた数学のときと同じく、勉強の仕方を間違えているのではないかと思った。こういうのを学校で習うときは、実験を行いながら、実感をともなって理解していくもののように思う。本を読むだけではその実感は得られないのは当然だ。でも個人で実験器具を揃えるなんて現実的じゃないし、わざわざこのためだけに予備校に行くのも大げさだ。そうだ、どこかの動画サイトに実験映像がアップされてるんじゃないだろうか。それを見れば多少は実感もわくだろう。
いろいろとネット上を探していると、NHKの高校講座を発見した。どうやらNHKでは放送済みの高校講座をすべてネット配信しているようだ。理系科目はもちろん、文系科目もある。こんなんあったのか。もっと早く教えてくれよ。とかぼやきつつ、さっそく科学と人間生活の講座を見てみたら、バラエティ番組っぽい雰囲気でちょっと面食らった。NHKの高校講座ってこんなんだっけ。講師が延々と解説してるだけの、いかにも教育番組って感じの、おかたい雰囲気じゃなかったっけ。いまはタレントがメインで出ていて、講師はあくまで補佐的な役割のようだ。そのぶん雰囲気はゆるくなっているけど、見ていて飽きない作りになっている。化学や物理の実験を映像で見られるのもそうだけど、習った内容が社会の中で実際にどう活かされているのか、町工場や、最先端の研究の現場のリポートもあったりして、興味をかきたてられる内容になっている。これを無料配信するとか、NHKすげえな。しかしやはりこういう講義形式はわかりやすい。本で独学だと、自分の理解が合ってるのかどうか、不安になることが多々あるし。
よし、どんどんいこう。化学基礎。いまはpHを「ペーハー」じゃなくて「ピーエイチ」って読むらしい。マジか。物理基礎。ダムの水が持つ位置エネルギーは何から与えられたエネルギーか。え、わからん。正解は太陽のエネルギー。マジか。太陽パネェな。生物基礎。呼吸と燃焼の反応式は同じ。温度と反応速度が違うだけ。え? マジで? 生まれたときから呼吸してるのに知らんかった……。ショック……。地学基礎。グリーンランド沖で沈み込んだ海水は、太平洋の表層に達するまでの5万kmを、1000年とか2000年とかかけて流れる。壮大すぎだろ。地球パネェな。地理。お、このケッペンの気候区分ってのは世界一周アプリに使えそうだ。GIS(地理情報システム)を本気で開発するなら、地理に関してはもっと突っ込んだところまで勉強しないといけないかもしれないな。
さらに日本史、世界史、数学I……NHK高校講座おもしろすぎわろた、とかやってるうちに、試験本番の日がやってきた。
試験会場に集まっていたのは、ほとんどが二十歳前後の若者だった。控え室には、参考書と格闘している人もいれば、友人同士で最終的な確認をしあう人たちもいる。そういえばこの人たちはベルリンの壁崩壊後に生まれてるんだよな。それはもはや教科書で習う「歴史」なのだ。そして逆に、僕より上の世代にとっての東西冷戦は、自分たちが生きた時代そのものだ。「あのままずっと世界は真っ二つに分かれたままだと思ってた」というような話はよく聞く。いまとなってはわからない感覚だけど、当時は誰もがそう思っていたようだ。僕はそのどちらでもない。十分に咀嚼された「歴史」でもなく、自分が生きた時代でもない。だからそれについて、誰よりも知らない。しかしだからこそ、誰よりも知りたくなったのかもしれない。そしてそのために、僕はいま、ここにいる。
高認の試験は2日間に分けて行われる。初日の1科目目は現代社会だった。まったく対策らしい対策をしなかったから、ここで初めて気づいたけど、グラフの読み取り問題がやたらと多い。間違い探しのように精査しなければならず、1問にかかる時間が長い。問題よりも時間配分の仕方がわからない。時間が足りない。もっとちゃんと過去問で練習しとくんだった……。
次は国語。問題文にちょっとおもしろい箇所があって、静まり返った試験会場で「デュフフwww」とかキモい笑いを漏らしてしまった。死にたい。しかしおかげで緊張はほぐれた。
英語はTOEICに比べたら楽勝だった。9割はいけたんじゃないだろうか。
そして数学。これがいちばん不安だったけど、落ち着いてやれば余裕だった。これも9割いけたんじゃないだろうか。あらためて問題を見てみると、捻った問題というか応用問題すらないので、基本的なことがわかっていれば確実に解けるようになっている。東大入試問題とかいってたやつ誰よ。
科学と人間生活。範囲が広いのであまり詳しく勉強してない箇所の問題もあったけど、半分はいけたはず。
1日目、無事終了。
2日目。地理。海外放浪のときにまわった国の問題が多く出ていて、なんだか常識問題のようだった。ちょっとチートっぽいけど、こうやって実地で得た知識もれっきとした学力だ。うん。
世界史。これも範囲は広いけど、さほど突っ込んだ問題はない。9割いけたはず。
地学基礎。フズリナと同時期に繁栄した生物は、1.トリゴニア、2.カヘイ石(ヌンムリテス)、3.ロボク、4.デスモスチルス、そこまで詳しくしらんがな。クイズか。そんな感じの問題もあったけど、なんとか半分はクリアできた。
2日目も無事終了。
試験が終わると一気に力が抜けて、何もやる気が起こらなかった。しばらくは勉強もせずダラダラと過ごした。
1ヶ月後、試験結果が届いた。
全科目合格だった。
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確にいうなら、ここから先の展開はまだわからない。
数学の扉を開いたとき、数式が以前とはまったく違って見えたように、新しい視座を得れば、世界がまったく別物に見えてくる。世界が変わる。そしてまた、以前は気づかなかった、新しい視座の存在に気づく。
あとどれくらい、そんなことを繰り返せばいいんだろうか。
方程式、定理、法則、電気、磁気、エネルギー、素粒子、宇宙、銀河、太陽、地球、生命、遺伝子、進化、化石燃料、製錬、農耕、富、労働、権力、支配、隷従、社会、自由、イデオロギー、宗教、民族、言語、貨幣、法、国家、議会、政党、福祉、教育、研究、産業、組合、企業、グローバリゼーション、条約、為替、貿易、経済。
時間軸と空間軸を埋め尽くす、無数の点と線。それらが織りなすのは、世界という長大な書物。
そのことを考えると、なぜか胸が苦しくなってくる。無性に泣きたくなってくる。
人生のすべてを費やしても、その書物を読み解くことは決してできないと、どうしようもないほどに思い知らされるからかもしれない。
それはきっと、生まれながらに組み込まれた、僕の中の最もプリミティブなプログラム。
どんな権限をもってしても、そのプロセスを殺すことはできない。
だから僕は、今日も本のページをめくり、旅をする。
頭を抱えて、俺は床の上でうずくまっていた。
「大丈夫ですか?」
ふと女の声が聞こえた。床の上から見上げると、気遣わしげな顔で俺を見る、黒髪ロングで利発そうでしかも身持ちの固そうだが惚れるとぐいぐい来る感じの、ひたすら男にとって都合のいい女がいた。
「あの、これ、使って下さい」
彼女はすっとスカートのポケットから札束を取り出して、俺の目の前に差し出した。
「えっ、そんな、悪いですよ」
まるで彼女の心の有り様を表すように、ぴんと折り目のないピン札だった。
口座番号を教えてもらえますか?」
これが俺たちの出会いだった。その後俺は、彼女の税務署や労働監査署との戦いに巻き込まれて、我が身の不幸をぼやきながら結局彼女の力になっているうちに、なし崩し的にカップルになったのだ。
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。
ひどい田舎で便所事情も悪くバキュームカーとてくるかどうかの地。
便器で滑って死んだ子がいるような時代だった。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだうんこを、祖母は掴んで食べていた。
怖がる私をものともせず、祖母はうんこを食べまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、スカト○なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれたうんこに罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、食べられたうんこのことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
猫のうんこを食べる祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は糞便まみれ汚物まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はスカトロだったが、その祖父母もにたようなスカトロなんだって今になって思う。
猫はかわいいとか言われているが、うんこまで食べることはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母がうんこを食べてるとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんなうんこを食べたのかっていうと、おいしいってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前でうんこを食べる場面を見せることなどできはしない。
食生活が違うんだろうなって思った。
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。
熱く炊きすぎた風呂釜に滑ってやけどで死んだ子がいるような時代だった。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだ子猫を、祖母は首根っこ掴んで叩き殺していた。
怖がる私をものともせず、祖母は子猫を殴打しまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、動物愛護違反なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれた子に罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、殺された子猫のことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
生物や命を粗末に扱う祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は借金まみれ賭博まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はクズだったが、その祖父母もにたようなクズなんだって今になって思う。
猫は獣害とか言われているが、命そのものをむやみに奪うことはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母が子猫を殺して命を痛めつけているとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんな残酷に子猫を殺せたのかっていうと、家の畑を荒らすし、人間の生活を荒らす害になるものだってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前で子猫を殺す場面を見せることなどできはしない。
倫理観が違うんだろうなって思った。
https://note.mu/yuco/n/n1fe8ee847fa6
これ見て専業主婦の人の中にはこんな風に考える人がいるんだと驚いた。
自分の友達で一番多いのは正社員女性、そのうち何割かは子持ち、次いで子持ち専業主婦、次いでパートもしてる人。
専業主婦楽そうなんて思ったことは一度もないけど、一番悲惨なのは子持ち正社員女性だと思ってる。
子どもがある程度大きくなって時短勤務とか変則的な勤務形態から外れたら、男含めた他の正社員と同じ働き方を求められる訳で。
4時まで仕事して子どものお弁当徹夜で作るとか、会社の近所にアパート借りて子ども寝かしつけてから会社戻って残業とか、
いつか過労死しそうな人たちばっかりだよ。
親の介護にお金が掛かるとか旦那の給料少ないとかシングルマザーとかそういう理由で正社員辞められないからやってる訳で。
一番つらいのは子どもに向き合えないことだって。保育園やめてシッター雇うとかの選択肢がそもそもないんだよ。
だから保育園で優先されるのも当然じゃないかと思いますよ。ちょっとくらいマスコミに注目されてもいいじゃない。
今までの日本は専業主婦とパートタイマーがロールモデルで、初めて注目されてる訳だから。
私は子がいないけどそう思うよ。
僕は専門でデザインの勉強をして、デザイン関連会社に就職したものの、流れ流れで営業をやっている。デザインをすることは好きなので、専門時代の友人や友人の知り合いから、頼まれれば数えきれないほどタダでフライヤーを作ったり名刺を作ったりしていた。
僕自身、デザインの勉強はしていたもの、それで食っているわけでもないし、専門時代は「外部の仕事は買ってでもしろ」「タダでもデザインをいっぱいさせてもらえ」と講師に口酸っぱく言われていたので、お金を請求するっていう発想がなかった。ご飯をおごってもらったり、なんかもらったりすれば満足していた。お金の話は大嫌いなので、避けてしまっていた節もある。
先日、僕が作った友人のイベントフライヤーを見たアパレルの店長さんが、今度改装するお店のフライヤーを作ってほしいと頼まれた。彼はもともと東京の人で、この地方に来てからデザインできる知り合いがいないという。少々こだわりあがるためちゃんと顔を合わせて打合せして作りたいとのこと。ちょっとした見積書をもらって、ひっくり返ってしまった。
こ、こんなもらえません、と恐縮ながらその人に話した。デザインでお金をもらったことがほとんどないことも。彼は「いやいや、ここまでちゃんと商業的にデザインが出来るのに、お金をもらってないことがおかしいよ」と諭された。
フライヤーは無事出来上がり、お金をいただいた。店長さん曰く評判もいいとのこと。また頼むよ、なんかあったら紹介するからと肩を叩かれとてもうれしかった。
と、同時に、なんだかうまく言えない虚しさも感じている。多少手間がかるところもあったものの、製作期間・手間は友人らに頼まれて作るものと何ら変わりなかった。今の血肉になってるとはいえ、仕事の合間を縫って作っていた数々の制作物、ちゃんとお金をもらっていたらいくらになったんだろうと思う。こんなこと友人に思いたくないけど、搾取されていたんだよなあ。いや、お金に目がくらんでるとかじゃなくて。
好きでしている事って、お金に代えがたい。すきを換金するようでなんか嫌だった。でもちゃんとした技術で、お金を得ることは全然変じゃない。ちゃんとお金のはなしできるよう、ニーズがあるのならいくら趣味でもちゃんと相場と単価を考えておくべきだなと思った。
150203_追記
ぼやきで書いたのでコメントついてびっくりしています。ありがとうございました。
ちょっと補足です。店長さんのお店は本社があって、フライヤーの製作費は本社から出たようです。お金に関して全くとんちんかんな僕の代わりに店長さんが見積書を作って本社に出してくれました。
町には1つしか中学校がなかったため、式には見たことのある顔しか集まってこない。
留学していたり遠方に住んでいる人たちは流石に来れなかったようだけれども、彼らと仲の良い人たちから近況を聞けたのは有意義であった。
他の市のように新しく見る顔がないから、当然のごとく、式後の会食は中学校で形成されていたグループに分かれてた。
あまり盛り上がりはしなかったが、気心の知れた友人たちと会えたのは嬉しかったし、友人を通じて母校以外の小学校を卒業した人たち(彼らは私立中に入ったり引っ越したりしていた)と会えて単純に嬉しかった。
会場を閉める時間が近づくと、それぞれのグループがどこの居酒屋へ行こうか相談しだした。
私がいたグループのそうだった。
どこのグループも華を欲していたのは読者の想像にも難くないであろう。
「男女の均衡が釣り合わない。」
「グループ全員で行ってしまえば居酒屋の席は別々になってしまう。」
私は除け者を買って出た。
後ろ手に十字を組みたかったが、我慢した。
するともう一人でてきた。
彼はドライバーだったから、居酒屋グループを降ろしたあと、二人でボウリングをしにいった。
どうやらボウリング部員だったらしく、私に手取り足取り投球方法を教えてくれた。
5ゲーム投げて、自己新記録を出したところで迎えに来てくれという旨の電話がかかってきたため、居酒屋へ移動した。
一応声をかけるため二人で中へ入ってみると、他のグループも混ざって、席を行ったり来たりしながら皆で飲んでいた。
車に戻って彼らを待っていたが、一向に帰ってこない。
ずっと煙草を吸っていたら、ボウリングの彼も吸いたいと言い出したから、一緒に吸った。
彼は初めて吸うのだと言いながら嬉しそうに咳をしていた。
今度こそ後ろ手に十字を組もうかと思ったけれども、組めなかった。
はてなブックマーク - 財務省 35人学級を40人に戻すべき NHKニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20141023/k10015624931000.html
常勤講師時代を含め、全日制・下の上レベル40人、夜間定時制20人、全日制底辺校35人と授業経験がある。教科は数学。
もっと細かく言うと40人クラスから進学希望者の抜けた学習意欲の少ない30人とか、定時制の30人にTTで授業とか、底辺校35人のさらに習熟度下位の15人とか、内容は様々だ。学級自体の人数編成が違うのは都道府県をまたいでいるからだろう。
あなたは「いま勤務時間じゃねーのか」と突っ込むかもしれないが、年休である。
先に断っておくが、ここに書くのは上記のような比較的学力の低く様々な事情を抱えた生徒のいる高校についてである。小中学校や中堅以上の進学校ではまた別の問題があるのかもしれない。自分はまだ経験不足なので見たままのことしか話せない。
記事に対し「5人くらい変わらないだろう」ってコメントもあるけどまったくそんなことない。
まず環境説明だけど、だいたい教室の中には数人ほど、集中できていない様子の生徒や、机の下で携帯を触ろうとする生徒がちらほらいて、そんな彼らにすぐに注意・指導ができるように気を配りながら授業を行っている。そんな中には授業どころではない問題を抱える生徒も少なくない。なんというか高校生とはいえ中学校4年生みたいな幼さの子もたくさんいて、友達同士でのいざこざで情緒不安定になり机に突っ伏し、起こすと泣き出して教室を出て行くなんてこともままある。
はてなの高学歴諸氏にはイメージできないかもしれない。自分も高校教員になって面食らったものだった。高校ってこんなに幼い集団で、教員がそこに介入していたかなと。
そしてそんな学校では授業時間であれ、教科の指導内容以上に生徒掌握が大事だ。まず勉強しようという姿勢がなければ授業はただの音声でしかないし、そういった部分からどんどん授業はほつれていく。
そんな中で授業をする上で、5人の違いというのは本当に大きい。そこには色々論点はあるだろうがシンプルな2点から言いたい。
まず教員側として、数人の違いで生徒へのケアの可動域ががらっと変わる。5人少ないだけでこちらの目はかなり行き届くようになるし生徒の反応もこちらに届きやすい。これは人数なんかで変わらんだろうとは言わせない。なら教壇に立ってみろ。
もう一つは生徒の様子の変化だ。特に持続的な集中力に欠ける生徒、情緒の安定しない生徒は、教室内の環境に大きな影響を受ける。
今なんてまさにその時期だが、例えば文化祭の準備でもめてクラス内に少し不穏な空気が流れると、関係のない授業中にも教室にいるのが辛くなって保健室に行く生徒がいたりする。それでもその生徒も習熟度別科目で教室内の人数が減ると教室に戻れたりするのである。他にも生活全般に問題がありよく教員と問題を起こす生徒も、35人の教室では授業を受けられなくても30人の教室では筆記用具を持って授業に取り組んでいたりするのだ。
そんな変化が、特に低学力な生徒や、家庭環境に不和を抱える生徒の多く集まるような学校では顕著に現れるのである。
もちろん、だからといって人数が少ない方が生徒が受ける負担が減るとは限らないかもしれない。けれどそこに対しケアが行き届きやすくなるのならそちらの方がいいだろう。
以上。これはただのぼやきだが異動したい。ずっと学力の低い高校で中学校数学から数学Ⅰ、就職試験対策の算数をやってきたけど、そろそろもっと数学の話をしたい。
追伸
今更ながら、どうでしょうアフリカ編を最後まで見た。一応最新作ということでいいのかな。もー、これはどうしようもない駄作。全盛期に比べて近年の企画がまぁそんな面白くないというのは感じてたんだけど、今回はそういうレベルじゃなく、もうケタ違いに面白くない。もしかすると信者たちはどうでしょうはゆるさがいいんだからこれはこれでいいんだなんて言うのかもしれないが、ダメだよクソはクソだって言わなきゃ。これはどう考えても普通の、どこの地方局でもある、普通につまらない番組でしょう。初期からずっと見てきた大好きな番組なのに残念すぎる。あまりにつまらなかったんで途中で見るのをやめたかったんだけど、一応最後まで見ないで結論づけるのもどうかなとおもって、何度も興味を失いながらもなんとか最後まで見た。
どうでしょうの面白さの重要な要素の一つにディレクションが素人な点にある。むちゃな企画、スケジュールの詰めの甘さ、普通のスタッフなら行う事前調査やロケハンなどをしないスタイルが行く先々で想定外のトラブルをうみ、それが大泉のぼやきのねたになったり、ケンカのくだりに発展したり、視聴者の予想を超える展開が起こってきた。
ところが今回は、企画やコーディネートをプロが担当した、というか丸投げしたと番組の中で語られている。その理由は不明確だったが、これが本っ当に大失敗だったと思う。プロがしっかり企画しちゃってるんだから当然動物も絶景も見れるし、それによるトラブルやケンカも起こらない。出演陣も見慣れない絶景を見せられてただすげーすげーと連呼するしかない。絶景を前に出演者は感動するものの、相変わらず撮影のテクニックや機材はないもんだから、視聴者にはいつものホームビデオなみの映像をみせていて、これがものすごい温度差。正直言ってアフリカの動物っていうのは生で見るから感動的なんであって、視聴者にとっては他の番組でもっと鮮明な映像たくさん見てるんで散々見飽きてるわけ。この温度差はほんと致命的で、見ていてどんどんしらけていく一方でした。こういうところは2秒くらい使ってばっさり切る、とかさ。そのくらいの初期の編集やってほしい。アフリカ行ったのに動物の映像全くないとかさ。そういうくらいじゃないと。
コーディネータがついた企画は今までもあったと思うんだけど、企画の部分はちゃんと自分たちで考えないと、こういうことになる、ということをご本人たちにわかってほしい。最近のあの4人は、とにかく4人が集まれば、企画が何であろうとなんか面白い方向にころがっていく、と思っているように感じるんだけど、そういうことじゃないということに今回で気づいて欲しい。企画から丸投げするならロビンソンみたいな人にお願いするとかじゃないと。
そんなわけでもー今回は1回1回の30分が本当に長く感じた。これまでのどうでしょうなら「え、もう終わっちゃうの?」「早く続きがみたい!」って思ったものだけど、今回はまだやるの?みたいな感じ。感覚としては友人が作ったホームビデオを延々見せられているような退屈さに近い。ただのアフリカ旅行記。本の宣伝のくだりとか1,2回やれば十分じゃないの。床屋に行くっていう冒頭の展開も意味分かんないままだしさ。こういうのも使うのは2秒だけでいいよ。あーもう細かいこと言うときりがないのでやめる。全編通して俺がちょっとクスッとしたのはミスターがカメレオンを頭にのせたシーンのみでした。
番組内でもう40や50にもなって無茶できない的なことを藤村が何度も言ってたけどさー、はっきりいってそのくらいの年齢でむちゃやって挑戦して面白いもの作り続けてる人はたっくさんいるっつーの。アホか。勝手に老けこんでないで、もう一度面白いもの見せてくださいよ。次つまらなかったら俺はもう見るのやめるよ。
facebookとlineはやっていないがtwitterはやっている。
職場関係の人間と関係性は恐らく普通であるがプライベートでの付き合いはほぼないし、
リアルにおいて自分の趣味が漫画アニメゲーム歴史と同人創作及びフィギュア収集だなんて言えるわけが無い。
(ジャブをかまして同類を見つけソイツと友達になるなんて芸当が出来る術を身につけていたらリア充になれたろうに!)
つまり自分にとってのリアルで趣味に没頭できるのは自室のみのオンリーワンということになる。
でもやっぱり趣味について話をしたい!・・・うん、結局それに尽きる。
かといってお互いの人格を把握した上で語るとなるとどうしても相手を意識して言論を控える。
となるとfacebookとlineはほぼリアルでの人間関係になってしまうから自分みたいな人間には端から論外のツールで
ある程度匿名性が保たれるとはいえ、twitterも会話は@を飛ばす一対一になりがちで
所謂学級会のように不特定多数が一箇所に集まってガヤガヤ一つのテーマを語り、色んな相手と無節操に会話できるのは
まとめ民はまとめとそのコメント欄で自分の意見を肯定されたと満足を得るのだろうけども
まとめでは熱気をはらんだまま語れないし。
專スレだとノイズもさほどないし、気になるなら專ブラや2chmateであぼんすればすっきりする。
そんな訳で自分にとって唯一自分の立場を気にせずに多数と語れる場は2chしかないので2chを使ってる。
(話はそれるが)
自分はネラーだが世間でザ・2ch!の代名詞に掲げられるようなケンモだのvipだのニュー即だの使ったことがない。
あそこはネラーでも自己顕示欲が強い人間ばかりにしか見えないし、あんなところより専門板專スレの方が情報集約されてる。
無断転載問題といわれても他のサイトソースをそのまんま持ってくるってのは上で上げたザ・2ch!代名詞の話であって
自分の常駐場所だとうpった写真が転載されて・・・ってのが酷かった。
スレまとめwikiがあるだけに、それがアフィに使われる事への不満たるや。
jimとひろゆきの騒動はひろゆきの訴訟回避故に会社を売って~から起因しての金銭トラブルっぽいけど
旧運営のようにアフィブログ経由して利潤をホウボウに提供する土台になる「転載元ソース2ch」ってのはいやだな。
2ch運営のまとめブログなりwikiで2chスレをまとめて2ch内で帰結し