昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。
熱く炊きすぎた風呂釜に滑ってやけどで死んだ子がいるような時代だった。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだ子猫を、祖母は首根っこ掴んで叩き殺していた。
怖がる私をものともせず、祖母は子猫を殴打しまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、動物愛護違反なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれた子に罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、殺された子猫のことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
生物や命を粗末に扱う祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は借金まみれ賭博まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はクズだったが、その祖父母もにたようなクズなんだって今になって思う。
猫は獣害とか言われているが、命そのものをむやみに奪うことはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母が子猫を殺して命を痛めつけているとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんな残酷に子猫を殺せたのかっていうと、家の畑を荒らすし、人間の生活を荒らす害になるものだってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前で子猫を殺す場面を見せることなどできはしない。
倫理観が違うんだろうなって思った。
保健所に持っていって他人に殺させるのはオッケーな都会っ子はこれだから
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。 ほんの数日だ。 しかし、とても恐ろしい思い出をもった。 祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。 ひどい田舎で...
便所に持っていって他人に食わせるのはオッケーなウンっ子はこれだから