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2023-03-11

NHKによる言葉狩りが許せない

ジェンダーニュートラルの風潮に乗って様々なジェンダー語が言い換えられている。

中でも男性配偶者意味する「旦那」「亭主」「主人」はもう絶滅種と言っていい。

アナウンサーは、インタビュー婦人に「旦那様はどんなお仕事を?」とは訊かない。

今やNHKアナウンサーでも「夫さんはどんなお仕事を?」と訊く。

「夫さん」なんて呼び方、聞いたこともない。

 

今日東日本大震災のあった日なので、震災関連の報道が多かった。

老齢のご婦人インタビューに答えて「津波で亡くなった主人の遺志を継いでいきたい」というようなことを語った。

しか字幕スーパーは「の遺志を~」に書き換えられていた。

当事者自分自身配偶者を主人と呼ぶことすらNHKは許さないのだ。

この老婦人にとって夫は主人と呼ぶべき人物だったのであろうし、この世代の人々にとって「人前で自身男性配偶者を呼ぶ場合自分がへりくだる」というのは当たり前の価値観である

たとえ家庭内ではカカア天下であったとしても、ともあれ人前では、自分は夫を立てる身だというポーズをとることが彼らには自然であるはずだ。

 

世の中が家父長制を否定しつつあるという風潮と、ある一個人が家父長制を受け入れているかどうかは、まったく別次元の話である

耳の聞こえない人がこの報道を見たとき、「ああ、このご婦人は主人とは呼ばず夫と呼んだ」と思うだろう。

夫という言葉には、主人という言葉に込められていた思慕や崇敬の念が抜け落ちている。

主人と呼んだか夫と呼んだかで、在りし日の夫婦関係性のニュアンスの受け取られ方が変わってきてしまうはずだ。

主人って呼んだのに。

 

世の趨勢に合わせてNHKが言い換えを進めるのは別にかまわないと思う。それを迎合とは思わない。

だが、現実市民が発した言葉を、ニュアンスを捻じ曲げてまで編集してしま権利はないと思う。

個人生き方価値観踏み込むような狼藉は許せない。

anond:20230311085306

以下のくだりが、とても印象的だった。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。


ひとの災害経験というのは、ほんと様々で、一概にかわいそうな被害者としてのっぺらぼうな面をみるわけにはいかないよね。

自分けが被害者面していたかも、という気づき。こういうちょっとワンクッションおいて、時間が経って考えること、こういうのが大切なんだと思う。

ただ、被害者という言葉共通項を見出したとしても、阪神淡路大震災経験したひとと、東日本大震災経験した増田がこうして、何かのきっかけでお互いの体験共通部分に触れようとしたときでさえ、お互いが経験したものの奥行や背景は全く違う。でもそれは、もっと言葉を交わさなければみえてこないもの

多分、増田上記言葉を交わしたとき、その手前でふと立ち止まって考えたんだと思う。

ひるがえって自分の親戚の話。自分語りをトラバに混ぜるのはなんだかな、と思うところもあるが、テーマ性質上書かせてもらう。津波から数日後、東北もっとも大きな漁港ひとつで、親戚が経営していた漁業関連会社生産工場が全滅したとの一報を受けた。一方、杜の都に住む息子娘世代は全員無事だったという朗報にほっとしたことを思い出す。

しかし、それよりも震災から半年くらい経って、父が一言つぶやいた言葉のほうが忘れられなかった。

父は東北我が家家系からすると、よそから婿養子だった。

その父が他界した親戚をふりかえってぽつりとこうつぶやいた。

「あれは天罰のようなものだったんだろうね 」と。

期待していない予想外の冷徹つぶやきに私は動揺した。

他界した親戚一家は、さかのぼると、昭和8年津波の前から漁港生計を営んでいた。1933年津波で多くの財産を失った親戚は一から再建する際に、同じ場所でやり直すのはやめるべきだと再三にわたって、周囲から助言されていたという。しかし、結局、同じ場所人生をやり直し、次世代が引き継ぎ、そして次第に事業規模が大きくなり、津波記憶が遠ざかっていくなかで、そのまた次世代の方々が財を成し、地元の名士として羽振りよく、親族のなかで存在感を持つに至る。そんななかで、半世紀以上前東京に出て行った東北の令嬢が結婚前の父と出会う。

大切な令嬢(大地主の長女)をどこの馬の骨ともわからないよその県の小作人末っ子風情に嫁がせるわけにはいかない、という大反対の嵐。本家からなにから親戚中の冷たい目線。結局、結婚は許されて、父は母の家系に婿として入ることになるのだが、その時に受けた屈辱を忘れられないらしく、東日本大震災で全滅した親戚に対して、天罰、という言葉自身のつらみを含ませて表現したのだった。

父にとっては、かわいそうだね、では決して片づけられない感情

個人的には、なにより、貧しい者も栄華を誇った者も等しくなぎ倒した大津波の、客観的な、物理的な力に圧倒せざるを得なかった。

たとえ、誰と震災経験の話をするとしても、このようなパーソナルヒストリーの違いによる温度差は避けることができない。そう思っている。

震災経験していようがいまいが、あるいは同じく焼け出された隣人でも同じではない。大地震大津波破壊力を前には、あの家は無事だった、無事でなかった、そういうさまざまな経験がそれぞれにあるにすぎない。

こうしたファミリーヒストリー視点でそれぞれの思いがある一方で、

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

という上司言葉。そして、「やっと気づいた」という言葉。このつながり方は、大変興味深い。「あの年は~」というのは個々の経験の違いを超えた、歴史を振り返った俯瞰的な総括を含んでいるからだ。1995年という時代、そういったマクロ視点での気づきをもたらすのも災害だ。

そして、それが何かの理由で、自分自身ファミリーヒストリー神戸出身者とのちょっとした会話と結びついたのだとすれば、それは自分ある意味「かわいそうな」私的な思いを、歴史の一コマなかに着地させようとする、そういう覚醒だったのかもしれない。

実をいうと、よりマクロ視点で、それぞれの災害にはそれぞれの社会的な背景があり、その脆弱性被害を増幅させている、という視点最初に提起したのは、阪神淡路大震災だった。

1990年代以前は、災害被害者というのは、災害管理文脈で救援対象として、比較ステレオタイプに捉えられていた。しかし、その認識を大きく変え、都市社会構造脆弱性に関心が高まったきっかけが1995年震災だった。こう書くとなにやら上から目線風だけど、阪神淡路大震災自分仕事として防災世界に入るきっかけを作った。

ざくっとまとめると以下のような歴史神戸にはある。

神戸都市としての成り立ちは、明治の初め、神戸港が開港された時から始まる。以降、港湾労働者が多く流入低所得層脆弱埋め立て地や条件の悪い内陸部へ集住するようになる。他方で、20世紀鉄道時代に入ると、阪神間交通網が充実し、六甲山ろくに高級住宅地が開発されるようになる。高度経済成長期には六甲の開発で切り崩した丘陵地住宅地建設、その残土で海岸が埋め立てられ、工場用地や港湾建設が進められていく。おりしも公害問題が深刻化した時代都市生活環境はますます深刻化していった。そんななか、オイルショックを契機に産業構造の転換という時代の変わり目を迎え、神戸産業シンボルであった造船、鉄鋼は停滞してゆく。それは関連する神戸の零細地場産業を苦境に陥らせ、今度は人口流出が起こり都市部の空洞化が始まった。都市部に残っているのは、流動性の低い層つまり高齢者低所得者ばかりとなった(インナーティ形成)。

これに対して1980年代神戸市の政策的な対応としては、財政問題の打開が先行した。バブル前の当時の考え方では、大規模開発こそが地域経済再生をもたらすと信じられていた。埋立地の利用による、ポートラインラド、六甲アイランド建設物流機能強化のための明石大橋建設最先端技術産業の誘致、ニュータウン建設など、新たな付加価値の創出が事態打開の切り札だった。

その一方、社会脆弱層への支援行政による市街地再生は後手に回っていた。

オイルショック後の産業構造の転換で取り残された低賃金労働者の町、老朽化の進んだ木造住宅密集地域長屋建ての住宅の占める割合の多い市街地長田区スラムのようなオールドタウン)は新陳代謝が進められなかった。地震対策の上でも洪水対策の面でも取り残された街となった。どのような地域であったか番町地区検索をしてほしい。

このような経済格差脆弱性が生み出された、マクロ構造変動のなかで襲ったのが1995年大地震であり、被害社会経済的脆弱な人々に集中した。暴力団員が懸命に救助活動していたエピソードを覚えている人もいるだろう。そういう街だった。

社会学的な視点でみれば、この地震の教訓として、被害高齢者低所得者に集中したのは、ある意味歴史的必然だ。格差が生み出された背景などのマクロ政治的経済的な動向と切り離せないということだ。

そして、このような格差脆弱性という切り口でみる構造分析は先月発生したトルコシリア大地震でも、当てはめることができる。

このように、可哀そうな存在というのを社会学的に脆弱性として構造的にとらえる、ひとつきっかけは、やはり他の災害を知るということであるし、昔の災害を知るということだと思う。

パーソナルヒストリーとしてお互いに触れあうことで、お互いに違うバックグラウンドにあることがうすうすわかってくる、それもまた、大切な気づきなのだと思う。

また、パーソナルなコミュニケーションが、例えばまさに「通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね」みたいな会話、これが実はマクロ特性を知るうえでも、その人のパーソナルヒストリーをしるうえでに、もっと重要エントリーポイントだったりする。仕事上、ひとから話を聞くときにいつも気に留めていることでもある。

からトルコシリア現在進行形震災について全体状況を大きな視点理解している国際機関よりも、よりミクロ視点で、特定家族地域の人たちにコンタクトがとれる小規模のNGO支援団体に私自身は微力ながら支援金を送付している。たまたまシリア難民支援をしている人と知り合いの知り合いくらいの関係SNSでつながっていたのがきっかけだ。アサド政権物資を止めてしまう現状も現地の声としてより関心を持つようになった。そのほうが確実に、受け取った人の顔がみえ、困っている状況がミクロにもマクロにもわかってくる。自分支援したお金支援先の一家族あたりの支援額(しか第一バッチ)の1/4にも満たないことを知る。こういうことも大切だと思う。

そのように、何かをきっかけに、他の災害に対して接点を持つ機会を大切にしたい。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

というのは、居酒屋トイレ洗面所とかで何気なくかわす会話、とか想像していたのだけど、そういうのが大切だよね。そういうのが心の残って覚えている、ということがさ。もちろん完全にひとのことを理解するなんてことはどんなに会話を交わしてもない。でも覚えてさえいれば、そのなぜか覚えていた思いを何かにつなげることができる。その「きっかけ」というのはとても大切に思う。

災害を忘れない、というのはそういうことだと思うので。

野球熱狂で忘れ去られた震災

3月11日東日本大震災が起きた日だから日本人にとっては特別な日の筈だが

テレビは先日開催されたWBC話題だらけで殆どその事に触れてない

番組表を見ても中身は野球の事ばっかりだ

以前は3月11日だけでなく、その前後にも特集や最低でもニュースで触れる程度の事はしていたんだがな

結局こうやって震災記憶とか教訓はどんどん忘れ去られていくんだろうな

今でも復興費の使われ方とか除染や処理水の問題とか被災地問題とか原発問題があるのに

大半のテレビメディアにとってはそれよりも野球の方が大事らしい

東京五輪の時も思ったけど、スポーツっていうのはこうやって問題を覆い隠す効果があるんだろうな

こんな国じゃ色んな問題が何年経っても解決しないわけだ

anond:20230310010828

震災忘れないムードで思い出したけど

震災ちょっと前にデパート女子トイレ侵入した男が女の子殺害した事件あったよね

凶悪事件なのに日本がそれどころじゃなくなって報道されなくなったけど

研修生」の件だってここでも話題になったし動画は今でも残り続けてるのに日本トイレでの犯罪なんて起きてない、気のせいだ、冤罪だとか言っちゃう人はどうかと思うわ

311に寄せて

忘れちゃならん災害だけど、今日あえて書きたい。

311地震があった当時、まだ子どもだった私は兄と父方の祖父母を亡くした。友達も亡くなった。

親戚や母方の祖父母の協力もあって大学まで進学でき、就職もしたが、あの地震津波子どもの私のアイデンティティに影響を与えた。

大学関東に行ったが出身地について話すと(ああ、津波の…)みたいな反応があったし、これからもそういう印象を持たれ続けるんだろうなと思っていたし、311のことを忘れてほしくないからそれで良いと思っていた。

今でも思い出さない日はないし、地震津波に対する意識が低いというか、当事者意識のない人に苛つくこともあった。自分だって被災するまで当事者意識の欠片もなかったのに良いご身分だとは思っている。

関東就職した。

就職して半年くらいの頃に出張関西の支社に行った。上司に連れられて関西支社の人たちと話して、軽い自己紹介の折、出身地とかを聞かれて答えると、

「ああ、地震とか津波があったとこ…」と言った人がいた。ちょっとデリカシーがないぞ、みたいなことを誰かが嗜めるように言ってくれてた気がする。

その時にわたし出身地名産が好きで、通販でたまに買って食べてるんだけど美味しいよね、とさりげなく話題をそらしてくれた年配の男性がいた。

その人が後から「あの人、悪い人じゃないんだけどごめんね、自分神戸出身でさ」と言われた。

恥ずかしい話、「神戸出身から」と言われて私は何も分からなかった。

私は自分地震津波被災者で、東北で育った私たちが一番の被災者で、今後数十年はわたしたちが一番のかわいそうな立場だという感覚を持っていた。

「なぜ急に神戸?」とポカンとして「はぁそうなんですか…」と雑に返した気がする。

その後、関東に戻ってしばらくしてから、何がきっかけか覚えていないがオウム真理教の話になったとき

上司が「あの年は神戸で大震災もあって、オウム事件もあって日本は終わりだと思った」と言ってて

やっと気づいた。

あのとき声をかけてくれた人は自分神戸震災被災者でデリカシーのない人に出くわしたとき気持ち分からんでもないよ、と気を使ってくれていたのだ。

なのに私は自分被災者だという自意識から抜け出せず、東北震災は忘れてほしくないと考えてるくせに、他の被災者のことは簡単に忘れていた。

すごく恥ずかしく申し訳なくなった。

今はもう簡単他人東北震災を忘れてほしくない、とは言えない。

どんなに限局的な災害でも、被災した人にとっては、たぶん東北阪神震災より大きな出来事なのだ

私は規模が大きい災害に遭遇したから大変ではあったが今でも色んな人が気を使ってくれたり、たぶん限局的な災害では受けられなかった支援を受けられたところもあった。(被災したもの自分努力保険でなんとかするしかなかった人の話を聞いた)

忘れないということも大事だし、そのための活動必要だけど忘れた人を責めたくない。忘れていても教訓が生きていればもうそれで良いと思っている。

忘れないでと言う人には、災害の多い国で自分も忘れてる災害被災者がごまんといることだけは心の片隅で感じていてほしい。

被災地じゃない私の震災の記録

当時高校生だった私は、とある理由で全校生徒が体育館に集まっていました。

ある時、携帯電話からいたことのない音が鳴り響きました。校内持ち歩き不可のはずの携帯電話男子生徒の制服の内ポケットからスマートフォン女子生徒のカーディガンポケットから、そして渡り廊下の奥の教室から、けたたましく鳴る不快な音。

そしてズズズというこれまた聞いたことのない大きな低い地響きの後に、突き上げるような揺れが起こりました。体育館という建物はバネが効いているので、観測された震度の何倍もの揺れを身体に感じていました。

女子生徒の悲鳴、頭を覆えという教師の怒号、ギシギシと動く体育館の壁、そして見たこともないくらい左右にぶらんぶらんと揺れる天井の照明、何が起こったかからないと口を開けたままの友人の顔。

大きな揺れは収まりましたが、集会は中止になり即座に帰宅指導がありました。地元が同じ人間は一緒に帰って欲しいと先生が言っていました。電車は動いていなかったので、電車で通っている人たちは親の車を待つことになり、しばらく校内に残っていたといいます

この時、電波はなく、また不幸なことにこの地域だけ停電と断水が起こっていました。私たちは大きな地震が近くで起こったのだということしかわかりませんでした。

私は比較学校の近所だったので、歩いて帰りました。雪が残る道を必死に帰りました。家に帰ると、祖母が外で近所の人たちと話をしていました。咄嗟に外に出たと言います。着の身着のままで、寒さからなのか、揺れの怖さなのか、身体が少し震えていました。それは私も同じでした。あの体育館で感じた恐怖がまだ残っていました。

家の中はぐちゃぐちゃでした。食器棚が全て開き、割れた皿はなかったものの、倒れたものが床に散乱していました。

祖母病気後遺症で目が悪く、なにも触らなかったと言います。私はそれを片付け、両親が帰るのを待ちました。父も母も小学校教諭でしたので、我が家にすぐ帰ることは出来ませんでした。2人とも、自分学校の生徒をすべて家に帰し、家まで送り、その後に家に帰ってきました。

私の住んでいた県は断水が少なかったと、後から言われましたが、私の家のある地域は断水しました。そして停電も続きました。

雪国3月上旬オール電化だった我が家は非常に冷たく、静かで、怖かったことを覚えています。家がこんなに寒かったのだと、靴下を履いて眠ったことは初めてでした。

それまで肌が乾燥することはありませんでしたが、寒さにより乾燥し、頬が粉を吹きました。クリームを塗りなさいと親に言われたのは人生で初めてで、そこで寒いと肌は乾燥するのだと知りました。

全く暖房がないわけではありませんでした。石油ストーブがありましたが、この後どうなるかが分からないので、居間ひとつだけ点火し、大事に使おうと決めました。

父が帰宅して、仏壇用の蝋燭の火を囲み、家族4人でスープを飲みました。

その時に、宮城県が揺れたらしいと教えてくれました。父も母も私も、携帯電話電池が惜しくてネットを見ていませんでした。電波はかろうじて復活していたようでした。

明日になれば電気は戻るだろうと、その日は早くに寝ました。何もすることができず、寝るしかなかったのです。

眠る前、ストーブ灯油を入れるために外に出ました。その時、見上げた空を一生忘れないでしょう。私の住んでいた土地田舎で、普段でも晴れた夜は星が綺麗に見えていました。何度か旅行に行った東京の何倍も星が綺麗だなと思ったものでしたが、その日だけは違いました。星しか見えないのです。大きな星が爛々と瞬き、小さな星たちが埋め尽くし、いつもの星空とは全く違うものでした。

あんなに暗い田舎でも、明るかったのです。真に光がない夜はこんなにも星空を輝かせるのだと、心が震えました。そして、とても怖くなりました。知りたくなかったのです。こんなに星が美しいことを、災害で知りたくなかった。冷えた空気が鼻腔を凍てつかせたので、早く家に戻りました。

家に戻ると、父と母が携帯電話を見つめていました。母は手で目を覆っていました。ほら見ろ、と見せられたのはワンセグ放送でした。そこに映し出された映像を見て、足がすくみました。津波映像でした。仙台空港が波に飲まれていく、その映像でした。私は仙台空港自体には行ったことはありませんでしたし、仙台市にもあまり行ったことはありませんでしたが、石巻名取市閖上地区気仙沼には何度も行っていました。仙台空港がこのような状況なら、私たち旅行に行っていたあの場所はどうなっているのか、これはどんな被害なのか、何が起こったのか、全ては分かりませんでした。父の充電はギリギリで、それ以上は見ることができず、その日は諦めて横になりました。私はしばらく寝られませんでした。

閖上のサイクルセンターのどでかい合宿所みたいな部屋に家族4人で泊まり、その施設飲食店晩ご飯を食べたことが昨日のことのように思い出され、その建物は、そこの人たちは、どうなってしまったのか、怖くて怖くて堪りませんでした。

人が死んでしまうような災害だったのだろうかと、それすら曖昧でした。

情報がないというのがこんなにも不自由なのだと思ったのもこの日でした。

翌日電気が復活し、テレビ報道津波被害を目の当たりにしました。

あとはもう、ご存知の通りです。

断水復活までは少し時間がかかりましたが、私の地域はそんなに被害がありませんでした。建物に大きなヒビが入ったり、道路割れたり、といったところでした。余震は続きました。

ただ、普段明るくおちゃらけ雰囲気の友人が、宮城県単身赴任をしている父親と連絡が取れないと瞳と口の端をぶるぶる震わせて話す姿が目に焼き付いています彼女父親津波で亡くなったと聞きました。

私は大学生を経て、社会人になり仙台に転勤してきました。もっと生々しい震災の話を聞くことが多くなりました。

南三陸女川出身の子達は皆、口を揃えて言います。家は流されて実家はないのだと。仕事がなくなって仙台の街中に出てきたのだと。避難中に津波に巻き込まれて、電柱にしがみついて生きながらえたという人もいました。

私の仕事スーパーゼネコン施工管理でしたので、震災復興事業が主の時期でした。真新しいコンクリートの壁が海を阻みます防波堤は高く高く、そびえ立っていました。ひび割れだらけの建物が、そこらかしこらにありました。そして、本丸と呼ばれたあの地にも行きました。人の住まなくなった家は、あんなにも朽ちるのが早いのかと今も恐ろしく思います

なにより、この地域はよく写真展を開きます震災前の写真、直後の写真、今の写真、それらを並べて展示するのです。私はその写真を見て泣いてしまますイオン一角で、震災を知らない子供たちが走り回るイオンの中で行われていた写真展を見て、泣いていました。

今でも、その地に行くと、津波最高到達点という線が刻まれ建物があります。ここまで津波が来たぞという標識があります

どうか忘れないで。風化しないで。思い出して。

今日だけでいいです。

被災地じゃなくても、地震被害はありました。

お願いです。

忘れないでください。

2023-03-10

小池都知事定例記者会見(令和5年3月10日)

https://www.youtube.com/live/OAOemIUK08M

■新型コロナの最新状況について。マスクは状況にあわせて外しましょう。

■「震災とき無理して帰宅しないでね」CM作りました

ふるさと納税について。

 

以上です。

 

充実した会見だった。

2023-03-09

美味しいよね。ここ食材ほぼ全部福島産使ってて東日本震災から復興支援のためにやってるから一風堂復興支援のために東北コメを使ってる。食べて応援って良いよね。

いや本当に福島のこと応援してるなら移住しろ

2023-03-08

anond:20230307194008

まず、NPO等の位置づけについて少々私見を述べる。

民間非営利団体による社会的課題に対する(時には発見するところからの)アクションはいろいろ細かい種類がある。管轄官庁の違いであったり。ボランティア活動イコールではないが連続していたり。そのへんをひっくるめたズバリの一語がないので、ここではざっくり「非営利団体(の活動)」と呼んでおく。

日本で「NGO」と言うとなんか国際的活動してるニュアンスつくし

非営利団体役割は、行政による社会福祉の補完であるという。近い所で、官民パートナーシップとか新しい公共といった枠組みも近年提示されているな。

行政の補完的存在というのは勿論それはその通りなのだが、枠組みとしてはごもっともでも、補完という言葉イメージから「安上がりな下請け」と捉えられかねない危うさについては注意喚起しておきたい。

ボランティア団体やってる人で「行政のしりぬぐいをしてやってる」みたいなことを言う人がよくいる。これは「下請け」の裏返しみたいなものだ。行政がやるべきことを自分善意で肩代わりしてやってるという意識活動可能性・想像力をあらかじめ縛ってしまう。

行政従属的でも対立的でもなく、必要連携をとりつつ自由に動いた結果が相補的相乗的効果を生むというのが一番理想ではある。

もともとの出自として地縁による互助システムの後継的存在というのも無論誤りではないのだが、非営利団体活動って別に助け合い」的なことに限るものではない。それもまたイメージによる桎梏の一つではある。

自分としては、非営利団体活動とは単純に社会の中の余力的なリソースをかたちにする手段の一つであると捉えている。政治行動(投票とか)、経済活動起業とか)に並列的な位置づけのものだ。

たとえばオープンソースソフト開発、リナックスコミュニティみたいなのがまさにその代表例と言っていいだろう。政治論理商売論理とはちょっと違うルールで、人々の持つリソース結集させて社会に役立つ形にすること。

地域助け合いとか「顔の見える活動」「心に寄り添う活動」とか、「非営利団体活動シーン」でよく言われるそういうものばかりが非営利団体のあるべき姿ではない。

さて、あなた非営利団体が活きるフィールドの例として災害ボランティアを挙げている。

ある意味ではほんとうにそう。民間有志の力がうまく使われれば災ボラくらい非営利活動に「向いてる」分野はないだろう。でも実際のところ、言うほどうまくは行ってない。

めちゃくちゃもったいないことになっている。

現にあれやこれややってるじゃないか、みんなの骨折りを全否定するのかと言われればもちろんそういうことではない。リソースを活かすシステム(の不在)の話だ。神戸震災時が本邦災ボラ黎明期だとしたらいまはせいぜいが中世暗黒時代というところだ。

まあこのことについて具体的に詳論しだしたらキリがないので…。

非営利団体情報公開のありかたについて、ネットの鵜の目鷹の目でやいのやいの監視するのがアホらしいのは全くその通り。

DX的なことだとかの、テクニカルフォーマット作りの議論必要というのも全く同意

そういう具体的方策以前のちょっと理念的な話として、以前増田に書いた記事中で「情報公開非営利団体活動命綱」「コンプライアンスは足かせでなく指針とすべき」といったことを述べた。

https://anond.hatelabo.jp/20221206001603

例えば、ウクライナロシアの「情報戦」「宣伝戦」の巧拙格差を見よと言いたい。

ウクライナはまさに「情報公開」を命綱として支援を呼び込んで戦い続けている。

(もちろん後々色々と醜いものも明るみに出てくるだろうが)

一方でロシアは内向きの情報統制に終始している。

ウクライナはお涙頂戴で各国の慈悲にすがっているのではない。率直に要求を述べているし、率直さによって一定の信用を得ている。

ものすごく不謹慎な言い方になるが、ウクライナコンテンツを生んでいるのだ。命を引き換えに、だけど。ウクライナが公開する情報は、我々にとって価値あるものだ。そこで我々は納得して支援の金を出す。

非営利団体監視されていやいやながらに情報小出しにするんじゃなくて、攻めの姿勢情報しまくってそれを「売り」にするべきだ。

社会貢献的な活動に興味はあってもそれに割く時間や労力は捻出しにくいという人は多くいる。直接参加できない人が、実際の支援現場でどういうことが行われているのかという情報を受け取った上で、活動に対する投資意味寄付をする。

そういう経路を作り出すことができたら「どうやって見張るのか」なんていう問題問題ではなくなる。

個人の直接の寄付と公の補助金とはイコールではないけど、間にワンクッション入るだけで出どころはみんなの懐なんだし話の骨子はかわらない。

ブコメ指摘「ロシアデマ攻勢仕掛けてるだろうが!」あ、それはほんまにその通り。例え話として、持論を述べる上で都合がいい部分だけのつまみ食いになってる。ツッコミアザス

追記

いわゆるソーシャルグッド活動資金調達方法としてクラファンがある。

そこで問題になるのがマスの「情」の力学である

エモいストーリーがくっついてたりしてバズったものにだけ支援が集中するのではないか、そのせいで俗受け狙いのアピール合戦になり、活動のものも歪んでいくのではないか。同情の集まりやすい「ウケる弱者」の取り合いやウソつき合戦になるのではないか。あるいは分断を煽ることである陣営からの集金を狙う、邪悪なハックが行われるのではないか

そういう危惧は当然にあるし、実際そういう状況は生じている。

でも、マスの生理としてそういう(エモいもの殺到する)傾向があるからと言って、世の全員がそうなわけではない。

世間的にそこまで話題でなくても、自分の興味あるニッチな分野で、何をどうしようとしてるのか具体的によくわかる(情報公開がしっかりなされている)活動支援したいという需要だってある。

情報にはそういう堅実な支援者を掘り起こす力もある。

ミーハー的な寄付と、堅実な長期的投資のような寄付とは並立・共存可能であると思う。

かわいそうな人を見てがんばろうと思う風潮

震災などで家を失った人が「かわいそうに」なんて他人に見下されるのが嫌だと言っていたが

実際は世の中の障害にあった、家族に不幸があった、病気になった人達ががんばっている姿を見て、「自分達はこういう人たちに比べたらまだマシだからがんばろう。健康からだがある当たり前の生活があることに感謝しよう」という風潮がある

障害がある、難病をかかえている、不幸な目にあった人たち自身が「私たちはこんなにがんばってるんだからあなたたちだってがんばれる」と言ってるならともかく

他人勝手に見下されて「あいつより自分の方がマシだ。あいつより自分は恵まれてるんだからがんばらなくちゃ」って思われたらいやじゃない??

別に五体満足でも、帰る家があっても、金持ちでも、容姿端麗でもそれぞれの人の地獄があるんだから、それぞれの地獄にひたって「自分はなんて不幸なんだ」とネガティブにひたってもいいと思う

他人迷惑をかけなければ、ネガティブメンヘラになっていいと思う

自分より不幸な人の姿を見て「この人に比べたら私は幸せから、あたりまえの日常感謝しなきゃ」なんて思わなくてもいいと思う

それぞれの地獄があるんだから、私はなんて不幸なんだ!!ウワァァァ!!ってかわいそうな自分に酔いしれていいと思う

SNSブログわたしはこんなに不幸なんです。と痛々しい文章をのせたり

自分の親に愚痴を言ったりしたらいいと思う

赤の他人時間を拘束して「わたしはこんなに不幸なんです」というエピソードトークをするのはやめよう。迷惑から

それから親が子供愚痴をいうのはやめよう。子供は親の都合の良いサンドバッグじゃないから。子供が親にすきなだけ愚痴をいうのはいいと思う

親とかお悩み相談をきく仕事をしている人や占い師キャバ嬢ホストには好きなだけ自分はかわいそうポルノをぶちまけたらいいと思う

自分よりかわいそうな人を探して、無理やり「あの人より自分はマシなんだ」と思う必要はない

しょうもない悩みでもむちゃくちゃ当人にとってはストレスなんだってしょうがないんだって

2023-02-28

日本の出生数80万人割り込むwwwwww

自民党脳死で支持してたアホども喜べよ。お前の嫌いなジャップランド滅亡しそうじゃんw

えっもしかしておまえらって愛国者のつもりないよね?天皇土下座させるべしっていってる韓国カルト統一教会とべったりの壺自民支持しといて愛国者面しないよね?

自民ジャップ民族脳死で支持した結果こうなりました、と。

途中民主政権が起こったが、その3年だけで少子高齢化になったわけじゃないのでね。ずっと前から叫ばれてたことだよね

民主所得制限のない子ども手当を主張していたけど、自民は恥を知れ(笑)とか言って反対していたよね?

結果ジャップは貧しくなって産み控えが進み順調に人口は減っていきましたあ~後になって岸田が民主パクリ政策しようとしてきたけどあの時反対してたやつらって売国奴だよね?ん?

恥を知れよ、恥を

野党はだらしない!←いや関係ないよね?

実際に投票しているのはジャップ民族だよね?鼻をつまんで野党に入れるということをしなかったのはお前だよね?政治に興味を持たずにスルーしてきたのはお前だよね?

DD論振りかざして最後自民選んでるんだからジャップ自業自得なんだよなあ

あっ俺は自民少子化対策はクソだと思って(ほかにもクソなところあるけどね消費増税とかここでは割愛自民には入れてこなかったんだけど

自民に入れてきた奴ら、謝罪は?ん?

統一教会とべったりの自民党日本人のための政治をしてくれるとでも思ってた?

あっちなみに俺は民主政権誕生したときには共産党に入れてたんでwだから民主政権の時の責任(俺はそんなに悪い政権じゃなかったと思ってるね。リーマンショック震災が重なっちまっただけ。安倍政治は結果だと言っていたけど、ならウクライナ戦争とかい言い訳は使わず物価高どうにかしてみろよ岸田www結果出せよwwリーマンの時より市民生活に影響出てるよね?)なんてもんは俺はかぶる必要はないのでw

まあ、なんか、ジャップにお似合いの末路だよね

ゆでガエルになってんのに近視眼的というか、もはや感情だけで野党投票から排除した結果こうなってるっていうね

インパールみたいだよね、一事が万事東京五輪(笑)とかもさ

このまま滅びればあw

あっ俺の一票はジャップ方針寄与してないのでwおおよそ政権に対してはNOを突きつけていたんでw

なので未来若者たち!後世の歴史家!当時のジャップバカばっかだなあって思うかもしれないけど、俺はそうじゃないんで(笑)そこんとこよろしく(笑)

2023-02-24

anond:20230224191311

地味に戦争体験学習限界が来ているのよね。

90年代2001年ごろまではギリギリ成立していたものの、今では難しくなってきたテーマが少なくない。

祖父母戦争体験を聞く平和学習宿題もその一つ。

先生本人の祖父母戦争体験しただろうけど、今の小学生祖父母なんてもう青春時代バブル絶頂期だったりして、戦争エピソードを捻り出すにもかなり無理しなくちゃいけない。

そういうわけで先生妥協するしかなく、しょうがいか津波でも震災でも地下鉄サリン事件でも良いから、何か平和関係ありそうな体験をしゃべってもらってきて、となる。

というか平和学習以前に、晩婚化が進み、パパが既に定年迎えたりするもんだから祖父母自体が滅びていて体験聞き取りができない子もいる。

それどころか先生のなり手が不足して授業自体が成り立たない学校もある。

さら少子化しすぎて小学生がいなくなって学校自体が成り立たないエリアもある。

平和とは何か。

家に帰ったら父ちゃんがいて、母ちゃんがいて、じいちゃんもばあちゃんもいて、みんなでご飯を頬張りながら平和について語り合う時間

2023-02-20

anond:20230220141121

ちなみにワイは東北震災のあと「大家だけど地震探知機を取り付けないといけなくなったから5000円払え」っていう電話がかかってきて受け取りに来た知らんおっさんに5000円払ったやで。

詐欺やったやで。

一番濃い体験をした世代は何歳あたり?

寿命を80歳とする

 

昭和8年まれ2013年

戦争体験して、高度経済成長体験し、スマホ登場も体験して、大震災体験する

 

1960年まれ2040年

テレビの登場前あたりからまれて、高度経済成長バブル崩壊体験し、スマホの登場、大震災を経て、AI全盛期、ワンチャン宇宙旅行まで見ることができる

2023-02-16

ガンダム世界観

結局あれってなんで今の俺達にとって不自然に感じるかっつうと破壊の規模が意外に小さいことなんだよな。

富野も安彦も最大の破壊広島長崎でそれ以上の本当の人類滅亡破壊に関してはフィクション世界だった。

馬鹿かい質量をおとして主要国の首都を消し飛ばしても所詮他人事だろと。

911とかウクライナを経てそれはある意味真実だったということもそうでもないこともあきらかになったわけで、これからフィクション作家はそれを踏まえて作らないといけないことになった。

シン・エヴァンゲリオン劇場版とかすずめの戸締まりとかで東日本震災をやっとなんとか消化できたわけだけど、これからはそれプラスこれなわけだ。

超一流はやりがいがあるっておもうのかな。

2023-02-10

MisskeyがTwitter代替として結構面白いっていう話

Twitterくんがバタバタしているので、万が一に備えてどこかにアカウント持っておこうと思い色々探してみた。

最終的に misskey.io が色々使いやすくて居心地も良かったので、しばらくはここに落ち着こうと思っている。

同じ感じで移住先や保険アカウント確保先を探している人がいるかもしれないので、備忘録的に残しておく。

 

2023年2月現在Misskeyについて調べるとどうしてもエンジニアなどIT勢向けの記事が多いため、意識的に非IT勢が読めるように書いてみた。

用語などを意図的公式の物から変えて、わかりやすさ重視で記載していくのでその点はご容赦頂きたい。

 

Misskeyが向いてそうな人、向いてなさそうな人

 

向いてそうな人

 

向いてなさそうな人

 

向いてそうな人に当てはまるなら、この先を読んでみて欲しい。

 

Misskeyとは?

 

Misskeyは日本人エンジニアのsyuiloさんが開発したSNS構築ソフトウェアのこと。

Webサイト簡単に構築できるソフトウェアとしてWordpressがあるように、それのSNS版だと思って貰えれば良い。(超ざっくり

Twitter移住先として数年前や最近話題になっていMastodonも同様にSNS構築ソフトウェアのお仲間だ。

 

Wordpressと言って特定サイトを指すわけではないように、MisskeyやMastodonとだけ言う場合特定サイトではなくソフトウェア自体を指す。

これを使って、いろんな人が自分SNSを作っている。これが「インスタンス」と呼ばれる。

Discordで言うサーバーみたいな物と思って貰えればだいたい良いと思う。

それぞれのインスタンスサーバ)にはそれぞれのユーザがいて、それぞれが別々のSNSとして成り立っている。

 

そしてここからがMisskeyやMastodonの特徴的な所なんだが、各インスタンスは別々のSNSとして成立しているがお互いが連携しあっている。

サーバ同士でフォロー/フォロワー関係が作られているようなイメージだ。

なので"Aさんが作ったSNS A"と"Bさんが作ったSNS B"がそれぞれ連携している(F/F内にある関係)なら、SNS AのユーザSNS Bのユーザフォローしたりすることもできる。

独立した各サーバそれぞれにアカウントを作らないといけないわけではなく、どこか一箇所住処を決めて、他のサーバユーザさんをフォローしに行くという使い方も可能だ。

MisskeyやMastodonは同じActivityPubっていう連携ルール採用しているので、MastodonサーバとMisskeyのサーバの間でも上記のようなことができる。

少し前のニュースだと、いずれTumblrがこの仲間に入るらしい。

 

Misskeyの特徴

 

基本的にはTwitterライクな時系列順に投稿が流れていくタイプSNSと思ってもらえれば良い。

その中で今のTwitter特に異なる点をいくつかご紹介したい。

 

ローカルTL/連合TLの存在

これはMisskey/Mastodon共通仕様ではあるが。

前述の通り、これらのソフトウェアを使ったサイトはそれぞれが独立したSNSとして成り立っている。

その各SNSサービス内の全ツイート(とあえて書く)が見れるのがローカルTL(LTL)だ。

おそらくMisskey/Mastodonユーザの大半はここを見ていることが多いのではないだろうか。

登録したてでテストツイートをしたら、フォロワー0なのに速攻で反応が来てびびった…みたいな話があるが、理由ローカルTLに流れてきてみんなそれを見ているかである

 

連合TL(またはグローバルTL)は、前述の連携しあっているサーバツイートが全て流れ込んでくるTLだ。

凄まじい濁流なのでおそらく追いきれないことが多いと思うが、他所サーバユーザやそのツイートも見ることができる。

 

Slackライクな大量のスタンプ

Misskeyではこれをカスタム絵文字と言う。

通常の各種絵文字に加えて、[いいね]とか[おはようございます]とか[偉業]みたいな組み文字スタンプ、果ては[レターパック現金送れ][はすべて詐欺です][官営八幡製鉄所]みたいななんだこれっていうものまで。

misskey.ioでは風呂に入った報告をすると何故か[偉業]スタンプが大量につくのだが、なんかこの感じに初期のTwitterみを感じて楽しい

 

公開範囲を柔軟に設定できる

Misskeyではフォロー申請制にすることができる。

同時に、ツイートの公開範囲フォロワーのみ、ローカルTLまで、グローバルTLまで と毎回設定することが可能だ。

まりTwitterでいう鍵垢とオープン垢を1つのアカウントで両立させることができる。(もちろん誤爆注意だけど)

 

オープンツイートでも、投稿の本文を隠す(CWというらしい)機能存在している。

ふせったーとか使って配慮するタイプのものも、ネタバレ配慮しながらツイートできる。

 

柔軟な添付機能

Twitterでは画像は4枚までだが、Misskeyだともっと沢山添付できる。

そして音声ファイルやその他形式の物も、単体で(動画などの形にせずに)添付が可能だ。

さら添付ファイルは1つ1つ個別に閲覧注意の設定ができるので、えっちイラストとそうじゃない物を一緒にツイートしても片方は見せたまま・・・みたいなことができる。

 

さらに添付したファイルユーザそれぞれに与えられた数GBストレージスペースで管理される。

フォルダを作って整理したり、ギャラリーとして公開したりもできるので絵師さんなど創作をされている方には便利かもしれない。

 

その他にも便利な/愉快な機能が色々

選択肢が大量に設定できるアンケートや、Markupでいじれる文字装飾、そしてプロフィール設定からネコチャンになれるなどなど、おもしろ機能が盛り沢山。

Mastodon開発者Twitterがだいっきらいだという話だけど、Misskeyの開発者shuiloさんはツイ廃らしいので、その辺がソフトウェアの色の違いなんだろう。

あと流石に限界まで使う人は見かけないけど、一応文字限界は3,000文字に設定されている。

 

注意すべきこと

繰り返しになるがMisskey本体あくまでもソフトウェアなので、SNSとしての運営サーバ管理者それぞれが行っている。

だいたいは個人運営なので企業運営サービスのような手厚いサポートは受けられないし、私財の持ち出しで運営されているところが多いと思うのでスペック挙動にはあまり大きな期待はしないほうが良い。

ええんやでの心で応援しつつ見守るくらいの気持ちで利用すると穏やかに過ごせると思う。

 

また連携している他所サーバユーザフォローはできるが、アカウントを知っていないと見つけることは難しい。

(前述の通りグローバルTLは超濁流なので、そこから見つけるのは至難の業だ)

基本的にどこかのサーバに入って新しいコミュニティで知らない人たちとワイワイする感じになるので、Twitterで仲の良かった特定の人と話したい場合は一斉に移住するか相手アカウントサーバを把握しておく必要がある。

 

最後

 

よっぽど壊滅的なことが起きない限りは、おそらく自分Twitterと両方を運用する形になると思う。

ただmisskey.ioのTwitter初期的な緩い感じや、Slackライクな絵文字リアクションガンガンくる感じをとても楽しんでいる。

もしこの増田で興味が湧いたら、ぜひどこかのインスタンスアカウントを作って体験してみてはいかがだろうか。

他に行き先の選択肢ができると、Twitterくんの色々への憤りも少し収まるんじゃないかな。

 

Misskeyのインスタンス一覧はこち

https://join.misskey.page/ja-JP/instances

2023-02-09

anond:20230209192334

俺は元々糞田舎農村暮らしているアラフォーである

おれの死んだ爺さんはウクライナ強制労働させられていた。あの世代は同年代は全員幼馴染で、同業者で、一生ご近所さんから

全員が全員を下の名前ちゃん付けで呼んでたしプライベートのどんな些細なことも筒抜けだった。

今のジジババは戦後まれ団塊で、個人的に親しい同士はベタベタに親しいが、そうでない同士は関わりなしに暮らしている。

で、現おっさんの俺世代になると二軒隣の家族構成は正確にはわからない。

田舎は良くも悪くも人間関係が濃いから」みたいなの、どこの世界の話かなと思っていつも聞いている。

もちろんそういうムラもどっかにはまだあるんだろうよ。

ただ、移住者の方から田舎はそういうとこだから頑張って溶け込まなくちゃ」って必要以上に関わって行って、めんどくせえジジイかに自分から関係持っちゃってる面もあるんじゃないかと思う。

うちの近所に福島から震災を機に移住してきて一人で細々と有機農法やってるあんちゃんがいる。俺はたまたま会えば会釈くらいするが親しくなる気もなければ邪魔する気もない。

他のジジババとかもみんなそんな感じだ。

限界集落のジジババども、そんな今更他人干渉したりする力もない。

2023-02-08

ウクライナはかわいそうだったけど

トルコ震災で死にまくってるのはかわいそうとは思えんのだよな

別にまあみろと喜んでるわけでもないが

知らん人の訃報を見るような感じ

anond:20230208151941

ふむふむ。5回読んでなんとなくわかってきた。

朴は朝鮮人無政府主義団体である黒濤会を結成して中心となっていたが、大正天皇写真を壁に張り、ナイフで刺したのを尾行刑事に見られたこから関東大震災後の1923年9月3日金子とともに検挙され、上海から爆弾を入手し天皇暗殺計画したとして1925年10月20日起訴された。

1923年9月1日に起きた関東大震災の2日後、戒厳令下に朝鮮人民衆によって私刑を受けた

震災後の混乱期に、朝鮮人無政府主義者・朴烈愛人の文子が治安警察法に基づく「予防検束」の名目検挙され、東京淀橋警察署連行された。

当時の警察司法当局は、かねてから朝鮮民族主義反日運動主催してきた

朴烈が「朝鮮人暴動」を画策し、爆弾テロを企図していたとして、

朝鮮人殺害に対する国際的非難を浴びた場合の弁明や私刑に参加した日本人起訴に至った場合情状酌量を与える大義名分とすることで事態を収拾する

ことを計画していた。

anond:20230207222420

お笑いとかそういうもの全然理解がないんで、面白いブラックジョークてのがわからないんだよな。

元増田がつまらないってのはわかるんだけど、それはなんというかこの増田が指摘するようなガチ度っぽい話じゃなくて単純に作りが甘い所ではないかと思う。

まあ作りが甘い方が特に増田とかではバズりやすいってのはあるんだろうけど。

なんか10代って設定をもちだしてきたからこんなこというようになったのは幼年期に震災やらをってことにする予定なんかね?

2023-02-07

anond:20230207133917

不謹慎増田タッチしてないやつをリストするとおもしろそうね。

主に1990年代以降って感じだけど、阪神東日本のふたつの震災ノータッチ

ウクライナ侵攻も基本ノータッチ

「ゼレンスキーです、よろしく」の沖縄県知事を見習えよ。

anond:20230207123046

懐かしの阪神大震災コピペ

阪神大震災は笑えた!

死者1000人ごとカウントしてたのってオレだけ?(よっしゃー2000人突破!よーし次は3000人突破しろーって)

でも結局は6000人しか死んでねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。

阪神大震災は笑えた。まじで

ニュースで知って、手を叩いてわらったなぁ。

おまえら震災にあってる間、家でみかん食ってた

アホだなーこいつらって思いながら

わざわざ神戸まで行って記念撮影しようかと思ったよ。

でも阪神大震災のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし結果的には良かったんじゃないかな。

しか知事市長自衛隊の救援要請を渋っていたけどさ、あそこらへんって部落が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。

今でも仮設住宅に住んでるやつがいるらしいけど、せこいんだよ!俺らの税金なんだよね。むかつく。

ところで震災直後はあいつらってトイレどうしてたの?もしかして野グソ?汚ねぇなぁー。

どちらにしろヘリから映像はまさに温泉町のようで壮観だった!

気持ちの良い夕刻でした

2023-02-03

anond:20230203183703

震災時に「津波イメージが間違っていた」っていう声は沢山上がってただろ

anond:20230203183528

津波イメージなどというもの震災前に存在したんか?

ただ無知だっただけでは?

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