「官民パートナーシップ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 官民パートナーシップとは

2023-03-08

anond:20230307194008

まず、NPO等の位置づけについて少々私見を述べる。

民間非営利団体による社会的課題に対する(時には発見するところからの)アクションはいろいろ細かい種類がある。管轄官庁の違いであったり。ボランティア活動イコールではないが連続していたり。そのへんをひっくるめたズバリの一語がないので、ここではざっくり「非営利団体(の活動)」と呼んでおく。

日本で「NGO」と言うとなんか国際的活動してるニュアンスつくし

非営利団体役割は、行政による社会福祉の補完であるという。近い所で、官民パートナーシップとか新しい公共といった枠組みも近年提示されているな。

行政の補完的存在というのは勿論それはその通りなのだが、枠組みとしてはごもっともでも、補完という言葉イメージから「安上がりな下請け」と捉えられかねない危うさについては注意喚起しておきたい。

ボランティア団体やってる人で「行政のしりぬぐいをしてやってる」みたいなことを言う人がよくいる。これは「下請け」の裏返しみたいなものだ。行政がやるべきことを自分善意で肩代わりしてやってるという意識活動可能性・想像力をあらかじめ縛ってしまう。

行政従属的でも対立的でもなく、必要連携をとりつつ自由に動いた結果が相補的相乗的効果を生むというのが一番理想ではある。

もともとの出自として地縁による互助システムの後継的存在というのも無論誤りではないのだが、非営利団体活動って別に助け合い」的なことに限るものではない。それもまたイメージによる桎梏の一つではある。

自分としては、非営利団体活動とは単純に社会の中の余力的なリソースをかたちにする手段の一つであると捉えている。政治行動(投票とか)、経済活動起業とか)に並列的な位置づけのものだ。

たとえばオープンソースソフト開発、リナックスコミュニティみたいなのがまさにその代表例と言っていいだろう。政治論理商売論理とはちょっと違うルールで、人々の持つリソース結集させて社会に役立つ形にすること。

地域助け合いとか「顔の見える活動」「心に寄り添う活動」とか、「非営利団体活動シーン」でよく言われるそういうものばかりが非営利団体のあるべき姿ではない。

さて、あなた非営利団体が活きるフィールドの例として災害ボランティアを挙げている。

ある意味ではほんとうにそう。民間有志の力がうまく使われれば災ボラくらい非営利活動に「向いてる」分野はないだろう。でも実際のところ、言うほどうまくは行ってない。

めちゃくちゃもったいないことになっている。

現にあれやこれややってるじゃないか、みんなの骨折りを全否定するのかと言われればもちろんそういうことではない。リソースを活かすシステム(の不在)の話だ。神戸震災時が本邦災ボラ黎明期だとしたらいまはせいぜいが中世暗黒時代というところだ。

まあこのことについて具体的に詳論しだしたらキリがないので…。

非営利団体情報公開のありかたについて、ネットの鵜の目鷹の目でやいのやいの監視するのがアホらしいのは全くその通り。

DX的なことだとかの、テクニカルフォーマット作りの議論必要というのも全く同意

そういう具体的方策以前のちょっと理念的な話として、以前増田に書いた記事中で「情報公開非営利団体活動命綱」「コンプライアンスは足かせでなく指針とすべき」といったことを述べた。

https://anond.hatelabo.jp/20221206001603

例えば、ウクライナロシアの「情報戦」「宣伝戦」の巧拙格差を見よと言いたい。

ウクライナはまさに「情報公開」を命綱として支援を呼び込んで戦い続けている。

(もちろん後々色々と醜いものも明るみに出てくるだろうが)

一方でロシアは内向きの情報統制に終始している。

ウクライナはお涙頂戴で各国の慈悲にすがっているのではない。率直に要求を述べているし、率直さによって一定の信用を得ている。

ものすごく不謹慎な言い方になるが、ウクライナコンテンツを生んでいるのだ。命を引き換えに、だけど。ウクライナが公開する情報は、我々にとって価値あるものだ。そこで我々は納得して支援の金を出す。

非営利団体監視されていやいやながらに情報小出しにするんじゃなくて、攻めの姿勢情報しまくってそれを「売り」にするべきだ。

社会貢献的な活動に興味はあってもそれに割く時間や労力は捻出しにくいという人は多くいる。直接参加できない人が、実際の支援現場でどういうことが行われているのかという情報を受け取った上で、活動に対する投資意味寄付をする。

そういう経路を作り出すことができたら「どうやって見張るのか」なんていう問題問題ではなくなる。

個人の直接の寄付と公の補助金とはイコールではないけど、間にワンクッション入るだけで出どころはみんなの懐なんだし話の骨子はかわらない。

ブコメ指摘「ロシアデマ攻勢仕掛けてるだろうが!」あ、それはほんまにその通り。例え話として、持論を述べる上で都合がいい部分だけのつまみ食いになってる。ツッコミアザス

追記

いわゆるソーシャルグッド活動資金調達方法としてクラファンがある。

そこで問題になるのがマスの「情」の力学である

エモいストーリーがくっついてたりしてバズったものにだけ支援が集中するのではないか、そのせいで俗受け狙いのアピール合戦になり、活動のものも歪んでいくのではないか。同情の集まりやすい「ウケる弱者」の取り合いやウソつき合戦になるのではないか。あるいは分断を煽ることである陣営からの集金を狙う、邪悪なハックが行われるのではないか

そういう危惧は当然にあるし、実際そういう状況は生じている。

でも、マスの生理としてそういう(エモいもの殺到する)傾向があるからと言って、世の全員がそうなわけではない。

世間的にそこまで話題でなくても、自分の興味あるニッチな分野で、何をどうしようとしてるのか具体的によくわかる(情報公開がしっかりなされている)活動支援したいという需要だってある。

情報にはそういう堅実な支援者を掘り起こす力もある。

ミーハー的な寄付と、堅実な長期的投資のような寄付とは並立・共存可能であると思う。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん