idiosyncrasy worth spreading
同じ楽しみを共有できる仲間を作ることに生き甲斐を感じるものなのだ
だから私財をはたいてでも「観賞用、保存用、布教用」などと同じものを3つ買うような思考が生まれる
あるいは、物理的な遺伝子、geneを残すことに自分が向かないと理解しているからこそ――
なんらかの文化的遺伝子、memeを残す一助となることに執着するのかもしれない
どんな形であれ……人間は社会性の檻に囚われたまま生き続けることから逃れられない
増田の例でいうと、パッと見てわかるハーレムや巨乳のような常識的に見れば賛否ありそうな属性があってもなお
そんな懸念は些細なことだと思えるくらい、あるいは懸念を逆手に取って合理性を付与するような、想像を超えたすばらしい筆致があるからその作品を勧めてくれたのだろう
偏見をもたずに触れてみれば、世に出ているほぼすべての作品は確かに見るべきところがあるものだと分かるだろう
もちろん見るべきところがあったとして楽しめるかどうかは「好みによる」としか言えないが
それでも歴戦のヲタクは、自分の既存の好みに頑固になりすぎては嗜好は広がって行かないことを熟知している
それゆえ他者に対しても、相手の推定ストライクゾーンから若干ズレたものでも果敢に挑むことを勧めてくるものなのだ
彼ら自身は、その雑食とも言える進歩的気質ゆえに、合いそうにないものに触れる際に普通の人よりもストレスを感じにくくなっている可能性がある
だからレコメンドの際も、相手が負担に感じるポイントに関して鈍感になりがちという側面もあるかもしれない
これが嗜好に関して保守的な人が感じるストレスの種となることは想像に難くないのだが、思考回路が少しでも分かれば受け流す余地も生まれるのではないだろうか