はてなキーワード: 自己肯定感とは
君らのおかげでまた西野なんてアホにひっかかる子が食いやすくなります。
―いや、自己評価通りなのかな?ほとんどが、学歴しかない能なしか、学歴もない能なしだしな。まあ本筋じゃないからどうでもいいや―
そのくせ誰かに評価されたいって子が多いから、ちょっともてはやして自己肯定感をくすぐり、「大人」として扱ってあげるだけで食えます。
自分は6人食いました。
(本当は7人なのだけど、1人だけ初めての子がいて、ドン引きして何もせずに帰したので。幻想といえばそれまでだが、最初はもっときちんとお互い好きになった人同士でしてほしいんだよね)。
予言しておくけれど、西野はもう少しアンチが騒動を広め、批判が高まったら、
そうすることが一番株を上げると知っているから。
で、また、西野さんすごい! 西野さんは本物です!ってアホ信者が増えてきて、
西野ももうかるし、周辺にいる自分も食える。アホ信者は抱かれて自己肯定感が高まる。
あ、まああり得ないけれど、仮に大炎上して西野が潰れても自分は何も困りません。そもそも西野のこと嫌いだし。
後腐れなくコミュニティから離れられるし、願ったりかなったりです。
というか、このごろあの薄っぺらい言葉でも、信者と語り合って、一応それっぽく振る舞っていると、だんだん自分も本気にしてしまいそうで怖いんだよね。
極端に自分に自信がない虐待を受けて育った人が相手ならありえるかもね
自己肯定感が0で、自分という価値のない存在を好き=それぐらい価値のない男って思ってしまう、蛙化現象が起きちゃう人をわざと選ぶ
不倫する前に別に好きでもないけど付き合ってやるよぐらいのスタンスでの交際で蛙化現象を避けつつ結婚に持ち込み、そのあと不倫をする
仕事辞めて時間あるけど金がない状態でできるエンタメを求めてたからなんとなく思い立って、食事制限とかウォーキングとかジョギングとか初めたけど、コミュ障デブスがコミュ障ブスになっただけ
痩せてよかったことが何も思いつかない
自己肯定感高めなのか知らんけど、ぶっちゃけ痩せる前の自分で十分満足してた
むしろなんとなくの思いつきで手間暇かけて痩せたのに得られた物がなさすぎることで徒労感の方が強い
美味しくもない健康に配慮された食事と楽しくもない運動を今後も未来永劫続ける人生ってまじで苦痛しかないじゃん
早く死にたい
お前は「正しい」存在になりたいんじゃなくて、「美しく優れた」存在になりたいだけだ。
『善悪(正誤)』の評価軸と『優劣』もしくは『美醜』の評価軸をごちゃごちゃにして語るな。
お前は自分の経験から「醜く劣る」存在 ≒ 「悪いこと(誤っている)」だと思い込んでいるようだが、かなり危険な思想に陥りやすい思考の癖がついてるから今すぐ自覚しろ。
話を読む限り想像を絶するブサイクなんだろうが(逞しい思い込み力が産んだ被害妄想のような気もするが)、極めて劣った容姿というカードが配られたというだけだ。
お前は悪ではない。「ただ醜く劣る」だけだ。本質をすり替えて逃げようとするな。
では悪くないのであればなぜこれまで散々苦しい目に遭わされてきたのか。
理由は2つある。
お前を絶対的な弱者たらしめる主な原因は社会の持つ性質だ。そしてこの性質に合わせて人間の持つ本能的な部分が少なからず関係している。
端的にいうと、この世の中が容姿に優れた人間が比較的評価されやすい傾向があり(社会的性質)、それを知ってる我々大衆は容姿の優れた人間こそが経済的恩恵を受けるとともに、社会的に成功しやすいと思い込んで「優れた」存在だと認識し、彼らに迎合することを生存戦略の一つとしているからだ(本能的な部分)。
これらは社会的地位に明確な差異がない学生時代に特に顕著に見られる。
お前は想像を絶するブサイク故に「優れた」存在から最も離れた絶対的な弱者と認識されているからいじめられたのだ。
しかし何度も言う。お前は悪くない。
仕事や勉強で真っ当に結果を残して正当に評価され、家庭でも問題を抱えていない人間は自己肯定感が十分に満たされており、そもそも自分より「劣る」存在を揶揄する必要性がないのだ。(サイコパスなど一部例外はあるが)
お前をいじめていじめてぬいてきた奴らは、お前から見れば他人が苦しむ様を眺め愉悦に浸ってるように見えたかもしれないが、彼らは学校をはじめとするあらゆる場面(家庭、部活、理想の自分像との乖離など)で自分が認められている感覚を得られずと不満を募らせていた。だから手近にいる絶対的弱者であるお前を自分の下に据えることで空いた穴を満たしていたのだ。
(例えばこれはお前がフェミニストなどと安易に一括りにしてる存在の中の一部の奴らにもそれは見られる。そいつらは自分たちを正当化するための活動を通しても一向に獲得することのできない自己肯定感の穴を埋めるために、自分よりも社会的に劣ると決めつけている存在にフォーカスして(目指す活動とは一切関係ないにも関わらず)こき下ろしているのだ。でなければアニメの絵だけをボコボコに叩くなんて非合理的なことはしない。)
もう一度言う。お前は悪くない。
『まだ』誤ってない。
お前は絶対的弱者で、周囲の自己肯定感を埋めるためだけの立場に甘んじていただけだ。
だから「正しい」存在なんて意味不明な造語を作って、ルサンチマン全開にして、これ見よがしにリベラルだのフェミニストだのどっかで聞き齧った言葉クッソ適当に並べてそいつらを下げるようなこと言って自分を正当化し、精神的安定を獲得しようとするなよ。
問題の本質から目を逸らしてレイシストに片足突っ込んでるようじゃ、お前をいじめぬいてきた奴らにも劣る「精神的に醜い」存在に成り下がるぞ。
自分の文章をもう一度読み返してみろ。どれだけ女を侮蔑すれば気が済むんだ? 女に対するその異常なまでの固執の原因は何だ?
もちろん「正しい女性像」なんてこの世のどこにも無いぞ。
いい加減気づけよ。
想像を絶するブサイクで、絶対的弱者で、かつレイシストで女性蔑視の傾向が強いとか、いよいよ終わりが見えてるぞ。
お前は今のところマジで性犯罪者の素質しかねぇから、ちゃんと自制心をもって行動しろよ。
そのマジ危険な癖が治らないうちは生活保護もらってでも自分に無期限外出制限をかけろ。
想像を絶するブサイクなら心の診断書持って役所で『働げな゛い゛よ゛ぉ゛〜〜!』って泣き喚き続ければたぶん通るから。
何度でも言う。お前は悪くない。
「正しい」存在なんて無い。
「女子をキモがらせる奴を懲らしめる」名目で男子は暴力を振るってきた。
正直こちらが反撃しても名分が立つ男子のストレートな暴力よりも
反撃することが許されない女子からの嫌がらせの方が辛かったし、
何より苦痛だったのは「女子から男子に」だったことでいじめが正当化されることだった。
実際先生に被害を訴えても、せいぜい男子の暴力行為や暴言が処罰された程度で
こちらがより深く傷つけられたのはむしろ女子からの流言飛語や言葉の暴力だったのに。
ひどく傷ついたけど、そのころは「女子を不快にさせるなら良くないよな」と無理やり自分を納得させるしかなかった。
元々女子と話すことなんてなかったけど、極力女子から距離を置くようになった。
女子を不快にさせず、また攻撃を受けないようにするにはそうするしかないと思った。
でも、それでもキモイ、キモいと悪口は絶えなかった。身に覚えのない悪評も流された。
そんな忌むべき性犯罪とも同列に並べられる。
何も悪いことなんてしていない、ただそこにいると言うだけでも。
どれだけ自己肯定感を傷つけられ、生きていくのに必要な自信を失ったか。
いつの間にか「人格が劣るから相応の扱いをしてやっている」ということにされていたのも傷ついた。
曰く、「キモいって言われてるのにキモいまま改善しないのは向上心がない、周りへの配慮がない」とか。
なんでお前らの好みに合わせないだけで嫌がらせされなきゃならなかったの、
って今だったら思えるけど、当時の俺は真に受けてしまって、
俺は性格が駄目なんだ、嫌われる人格なんだ、とすごく落ち込んだものだった。
イジメの原因だったろう脂漏性皮膚炎の薬を塗るのを見られたらキモいと笑われ盗まれた。
美容院に行ったり服を買い揃えてみたりしても、似合ってないとバカにされて。
街でクラスメートの男女グループに遭遇したら大声でバカにされたのは
自分が街に繰り出しちゃいけない存在みたいに思えて、ある意味学校でのいじめ以上に辛かったな。
目的のはずの買い物もしないまま、逃げるように家に帰ったあの気分は今でも思い出してしまう。
学校をやめて引きこもった。
電車内でやむなく隣り合ったとき、エレベーターで同乗したとき、
それでも精神科に通ううち、どうやら俺は何も悪くなくて、
自分は被害者だったのだとようやく、本当にようやく思えるようになった。
ただ、どうしても腑に落ちなかったのはなぜあの頃イジメが、
とりわけ女子の言動が咎められずあまつさえ正当化されていたのか。
(俺は当初信じられなかったが)性格の良い娘だと評判される女子もいた。
そんな人たちを平然と加害へと導くなにかがこの社会にあると考えて、
その正体が知りたくて色々調べるようになった。
そうしたら、なんとなくわかってしまった。
そんな「正しい」リベラルな概念は、もはや俺のような男の傍には存在してくれないのだと。
総じてリベラルを標榜する人たちには俺のような男はまったく視界に入っていない。
そんな彼女らに攻撃される男は悪に違いない、という決めつけが蔓延っていてそれを糾す様子もない。
要するに女性の持つ加害性について何も批判できないし省みることもない。
そして今の世の中はそんな人達によって価値観や規範を先導されている。
とりわけフェミニストと呼ばれる人たちは明確に俺の敵なのだろう。
彼女らはキモいという言葉で異性を傷つけることになんの躊躇もない。
(一部の悪質な男に対して使っているだけだなんて、俺の体験を通してみれば欺瞞でしかない)
そして女性の加害性というものに対する自省もまったくしない。あっても同性への加害に対するものばかり。
女性の社会的自立を謳うなら、女性の加害を批判し自己を律するように要求することは不可欠なはずで
実際に男性に対しては「有害な男らしさ」とやらを自省するよう求めているのに。
男性が女性から受けた被害体験を吐露すれば「男社会」という言葉を使って、
さも世の中の女性の持つ価値観には悪い部分はないかのように吹聴し、
「男社会」で起きたことだから女は何も省みなくて良いということだろうか。
現実の世の中は、男社会どころか女性が不在の場面のほうが珍しいんじゃないのか。
そして、残念なことに「自分より下」と見なした男性に加害的に振る舞う女性は相当多い。
そいうときは決まって、有無を言わさず「人格面がクズ」ということにされるのだ。
俺がなんとか鬱から抜け出して働くようになってから目の当たりにした社内イジメもそうだったし、
ネットで交流した、女性からイジメを受けた男性もほとんどがそうだった。
少なくとも、リベラルな人たちが考えている以上にこの手のケースはずっと多い。
そして周囲は彼女たちの味方をする。対象の男性がそのコミュニティを追放されるまで。
女性の加害が加害とみなされず放置され、女性は自らの加害性に無頓着であり続ける。
自分の加害を加害とも思えないなら、セクハラを繰り返す醜悪なジジイと同じ。
・・・と、そう思っていたが、最近になって納得するようになった。
女性の加害性も男性の被害も無視するのが「正しい」、そんな世の中なのだ。
なぜそんな順番が設けられているのか全くわからないが、
価値観のアップデートとやらの内容に「女性の男性に対する加害は許されない」が含まれることはないだろう。
男性が生きづらさを吐露すれば「男も辛いんだ論」などと揶揄される。
「男の辛さなんて大したことない」と断定しては世の中の言説を先導していく。
気に入らない男性に対して粗暴に振る舞い、傷つけるような言動を取り嘲笑し
それをネット上で誇示するような女性が「強い」と持て囃され共感を集める。
女性の価値観は絶対で、女性が不快と感じればその存在そのものが罪悪。
女性に承認されるか否かでその男性の人格面までジャッジできる。
俺をいじめていた女子も男子も、彼らは「正しかった」からロクに罰されなかった。
女子は不快な俺を存在自体が罪悪と見なし排斥対象のマークを付け、
生まれつき正しくないのだろう。
もう疲れてしまった。
俺はもう、女性が怖くて嫌で、人間らしく家族を営んだりはできない。
親も死に、何を生きがいにすれば良いのかわからない。
趣味もあったけど、それも女性からクレームを付けられるようなコンテンツを楽しむ「正しくない」趣味だった。
ずっと社会から排除されないよう女性を不快にさせないように近づかないようにと気をつけていたけど、
女性と世間話の一つもできないような男は社会に溶け込めるどころかどんどん社会から疎外されていった。
ただ、同じ人間として扱ってほしいというだけのことがどうしてこんなにも辛くなってしまうのだろう。
この世の中で生きていく自信がなくなってしまった。
(追記)
やはりというか、「性別関係ない」とか「女も男からいじめられる」とかそういう話になってしまうのか。
俺はあくまで「女性による男性への加害」の話をしているつもりだったのだが、
正直言って、この話を性別関係ないなんて言われても女性の加害性についての追求を
仮に男性からいじめを受けた女性が、男性の加害性の話をしているのに対して
「男性も女性からいじめられているがそれについてはどうなんだ?男女関係ないよ」なんて言われてたらどう思うか。
そういうのはどっちもどっち論だとかWhatAboutismなどと呼ばれて批判されてたはずなのだけど。
もうこういうダブルスタンダードにも、それが当然のようにリベラルな人達の間でまかり通っている状況に疲れ果ててしまった。
「お前は正義の対象外だ」とネットを覗くたび、テレビを見るたび日々突きつけられる気持ちは
リベラルとして正義を謳歌してる人たちにはわからないんだろう。
もう疲れた。楽になりたいよ。
毎日、ネットサーフィン、5ch、youtube、ゲームで時間を潰している。
ろくでもない毎日だな、と思いながら毎日ダラダラ暮らしているのだから、やはり俺はクズなのだろう。
まあでも「クズ」などと口では言いつつも、心の底では一向に変わるつもりは無いのだから、やはり俺は終わってるwwwwwwwwwww
書きながら、自分のクズさとアホさに涙が止まらないねwwwwwwwwww
1つめ、睡眠不足。
そのまま。俺は高校に入るまで「インターネット」というものにまるで興味がなく、携帯も持っていなかった。ところが、高校に入ってから携帯を持つようになり、それまで存在を知らなかった「5ch」「youtube」などをみたり、ネットサーフィンなどをして夜更かしをするようになった。そのため睡眠不足になり、正常な判断ができないようになったのだ。
2つめ、対人スキルの低さ。
10代にも関わらず、「youtube」を知らなかった事からも分かるように、俺は人と話すのが苦手だ。対人スキルの低さの為、結果的に孤立してしまい、高校に行くのが苦痛になったのだ。
3つめ、自己肯定感の低さ
俺は不細工でチビだ。俺は不細工でチビな男に性的な需要など存在しない事を知っているし、不細工でチビで、無口で無愛想な男を友達にしたいと思う人間など、ほとんどいないことを知っている。
この自己肯定感の低さが、俺を萎縮させ、かつ俺のメンタルをズタズタにしたんだと思う。
4つめ、成績の悪さ
これまでの文章で分かったかもしれないが、俺は自分の事を頭が良いと思っている。
数年間無職をしている癖に未だに思っている。もう病気だよなwwwwwwwwwwwwwwwwwww
そんな俺のくだらないプライドを引き裂いたのが、入学直後のテストだった。
ほぼ全ての教科でほぼ学年最下位だったのだ。別に進学校では無い。偏差値55くらいの高校での話だ。
理由は明白で全く勉強していなかったからだ。中学三年生で、授業以外で椅子に座ったのは宿題の答えを写す時くらい。あとは読書するか、両親から買ってもらった家庭用ゲーム機で遊んでいた。
勉強しなければ成績が下がるのは当たり前なのに、中二病の俺は「俺様なら、本気になれば最低でも有名大学に入学できる」って思ってた。
定期テストの点数、どんどん悪くなってくばかりなのに、よくそんな勘違い出来たよな、昔の自分、マジでアホ。まあ今もアホだけど。
上記の様な感じで、なんだかんだで俺は引きこもり、しばらくして出席日数が足りなくなり、留年が確定し、留年するよりはと、高校を中退した。
あれから数年、一番上に書いた通り、毎日くだらない日々を過ごしている。最後に家から出たのはいつだろう?最後に散髪屋に行ったのはいうだろう?ぶっちゃけ覚えてないwwwwwwwwwwwwww
そして今でも「俺は頭が良い」「俺が本気になれば、明日から変われる」と信じている。そして自分が大成功しているという非現実的な妄想をする。
妄想の中での俺は、イケメンで長身で雄弁で頭の回転が速く金を持っている。黙っていても大量の女が寄ってきて誰もかれもが俺に抱かれたがっている。
でも次の瞬間、ハッと気づく。俺は不細工でチビで無職でアホで自分の事を客観視出来なくて、他人とまともにコミュニケーションが取れない、糞みたいな人間であるということを。
本当に虚しい。つらい気分だ。誰でも良いから慰めて欲しい。
P.S
推敲してみて思ったんだが、俺ってキモイよなwwwwwwwwwwwwww
ウジウジ悩んで、センチメンタルな気分に浸っている暇があったら、とっとと行動すれば良いのにな
まあそれができたら苦労しないんだが
後、自分でも思ったんだが、自分の事を悲劇の主人公扱いしてる感もマジでキモイよな
だいだい俺の性格と能力の問題何だよなwwwwwwwwwwwwwwwwww、マジでアホ
環境とか親によって自己肯定感を形成する機会がないと、そもそもそれが難しいと思うんよね。
自己肯定できるくらい何かが出来るようになれば、自信がついて女も付いてくると思う。
しかもその告白も告白待ちの受け身じゃねーか。それじゃいつまで経っても彼氏なんてできねーよ
そもそもオナニーしてんのかお前ら。自分でちゃんと気持ち良くもなれないのにセックスが気持ち良いわけないだろ
そりゃ毛嫌いも恐怖もするわとしか言いようがない
ちゃんと気持ち良くなるように訓練しろ。とりあえずここを見て勉強しろ。
そしてここのサイトをいろいろ見て少しでも性に興味を持て。
BL見てるから性に興味あるじゃねぇ。自分自身の性に興味を持て!持って!!
開発頑張ったけど結局気持ちよくならなかった…とか気持ち良くなれたけどやっぱりそこまで興味持てなかったなぁ…だったら全然良いよ!!ちゃんと良いか悪いのかを試したから全然良いよ!
何もせずに性的なことに対する忌避感だけでセックスはクソ、全然楽しくない、あんなの男を喜ばすだけの行為で私は消費されるだけ…とか言うのを止めろと言っている!!
だが…性的な忌避感を持ってしまったのはぶっちゃけ貴方達のせいではない!!
痴漢はシンプルに死ね!!本当に死ね!!!この社会のゴミクズどもめ…
そして性教育もちゃんと自分の身体(器官)に自己肯定感をもたらすようなものじゃないとダメ!!マジで。
セックスを楽しめ。
遊ばれたとか、この人は私自信を見ていないとか言い出すのではない。
好みじゃなかったら断るだけだ
1月に入ってから1週間以上が過ぎもう成人の日の連休中だが昨年自分が書いた増田の中で気になったものをまとめておきたい。
僕は他人に自分の話を聞いてもらいたくて増田を書くことが多い。
聞いてもらいたいといっても大層な主張ではなくてくだらない話が常だ。
しかしくだらない話題であっても小難しく単純明快とはいかなかったり重箱の隅をつつくような珍妙な話題だったりで、雑談の中に織り込むのは憚られるような自論や疑問である。
そういう特定の人間には面白いかもしれないが一般的な感覚ではつまらない話を増田に投下している。そして何らかの反応があることを期待している。
ブクマカやトラバ増田は玉石混淆だが、たまに自分では思いつかない気づきがあってそういうことは強く印象に残る。
そして傲慢といえばそうかもしれないが期待したものの全く箸にも棒にもかからないことも当然多い。
印象深い増田も惜しい気持ちがある増田も毎年溢れるほどあるが、読み返して募った気持ちを供養したいので、この場を借りて列挙し読み返して思ったことを書き連ねておく。
いわゆる腐女子長文にぶらさげたトラバ。当時はけっこうウケると思った。その気持ちが寒い。
"前田建設ファンタジー営業部という映画がオススメ "(https://anond.hatelabo.jp/20200213214854)という増田に下げたトラバ。
まごうことなきクソリプ。のちのち有名になるがあの豪邸の大部分はCGという事実を省みるとアイロニカルな気持ちになる。
いまでも何してんだって思うよ。
ものすごーく湾曲的に現在連載中の作品Mを揶揄してるんだけど、書いてあることが馬鹿すぎて誰にも相手にされなかった。
「筋トレで自己肯定感が上がる」とかいうの、結局自己満足じゃないですか。ある程度絞れた体見て主観で「オレスゴイ」って言ってるわけで、それができる奴はもともと自己肯定感高いはずなんですよね。
俺からすれば漫画のキャラになりきって周りにお構いなく生活してるのと変わらない気がする。自分がそうだと信じて憚らない人いるでしょ?右手に邪神が宿った奴とかヒーローとか魔法少女とか猫の化身とか…
そういう痛い奴、中二病、精神病者たちとどう違うんだってどうしても考えちゃう。
多分、自分のフィジカルを客観的に評価する視点があればトレーニングも尊敬できるんだと思う。明確な数値目標があったり試合とか大会とか結果が問われる環境に身を置いたり。
実際に俺はボディビルダーとかすげえなって思ってるし、オリンピックとかも存在意義はあると思うタイプ。
でも筋トレで精神面がー生活の質がーとか言い出す人ってだいたいはちょっとランニングしたりストレッチしたりって程度でしょ?個人でやる分にはいいけどそれをアピールしたり人に勧めたりされると鬱陶しい限りで、それでお前より人間が出来てるって調子でマウント取り始めたときなんてもう耐えられないね。
暇つぶしで体動かしてるって次元じゃなくて、意義のあって何らかを生み出すレベルに達してる筋トレって絶対何かが犠牲になってると思うんだよね。
それに費やした金銭や時間を別に回せばあり得た未来を惜しんだり、鍛えすぎて却って体に負荷がかかったり精神的に追い詰められたり。
そんなこと考えずお気楽にやってる程度なら、ラーメン味わったりゲームしてケタケタ笑ってんのと何が違うんだろう。
やってほしくないとかやるのはおかしいとか思わないけど所詮個人の趣味なんだから、正義面したり他人からの賛美や協調を無理強いしたりは辞めてほしい。だまって粛々とやっててほしい。
今のアイコンになってからちょっと苦手になったのって俺だけかな。
純粋にWikipedia見てて気になった。和泉元彌ってみんなにとってどういう人だったの?
あらすじ紹介系Youtuber
語り口調がなんかやらかしてるな。2か月くらいまえにネットニュースとかでこの話題ちょっとバズってて、やっぱりみんなそう思ってたんだってちょっとホッとした。
言いたいことが元増田の内容と少しずれてたり、ブクマカ受けを意識して変に煽り口調や極端な断言をしたせいでやや支離滅裂になってしまった。
要は「カラオケの精密採点で競い合うバラエティ番組みたいな評価軸が海外の文化にはなくて、それよりもアドリブで尺を埋めたり即座にハモったりする様な表現力が評価される」
「これがオリジナリティでもあるけどJ-popはコード進行に対する拘りが強すぎて曲に拡張性がない。今は二次創作的なリミックスでヒットを広げる時代で、その都合上全世界的にポップスがアレンジしやすいループミュージック主体に変わってきてて日本もいずれそういう流れになるかも」
「『メロディを考えること=作曲』『メロディを考えてからアレンジャーが細部を考える』という認識が変わってきてて、ビート(バックトラック)ありきでメロディを考えるというヒップホップのやり方で他ジャンルの歌ものも制作されるようになってきてる」
ってことが書きたかった。
反対にお洒落のつもりでMegan thee stallionの下ネタな曲流してる服屋とか見かけるとちょっと笑っちゃう。
Megan thee stallionはヒロアカのミルコっぽくて好き。
無駄に長いし書くのが遅い。
吹き替え版TENET観たいなー。
これも煽ってやらかしてるやつ。なんとなくあの時ノイタミナと幾原作品についてちょっと書きたくなったんだと思う。
当たり前だが三文ゴシップ誌に書いてあるような、作風がどうだとかそんなんで企画が通ったり製作に関わったりが決まるほどテレビ局の事情は単純な話ではない。
はてなの、それも増田でジャニーズアイドルの話をしてもせせら笑われるのがいいほうで、「カイト」にしても増田では米津玄師に幻滅したというファンのエモい心情が何回か吐露されただけだった。
俺は「カイト」という曲が好きで、それはオリンピックやアイドルの活動休止といった一市民の生活に直接は関係のないことを意識的に取り扱いながらも、あらゆる人にとって共感できる曲として昇華されているからだ。
そしてあの「パプリカ」と通底するポイントがありこの二曲を同一世界だと捉えることでイマジネーションが広がる壮大なストーリーに一人感動した。
男性の低身長と聞いて増田たちはどれぐらいをイメージするだろうか?
170cm以下?165cm以下?
自分の身長は160cm以下。もっと言えば成人女性の平均身長よりも低い。
中学1年の時分、130cmに満たなかった身長がようやく大きな伸びを見せたが、健闘むなしく高校生になる頃には今の身長で止まった。
小柄だと思っていた母親と同じぐらいの身長で止まってしまった。
好き嫌いせずなんでも食べる子だったし、適度な運動も欠かさなかった。
いつだったか、体調が悪いわけでもないのに入院して何かの点滴?注射?を受けていた記憶がある。
今思えば成長ホルモンの注射であるとか、そういった類の治療だったのだろう。
それでも、あらゆる手を尽くしても、今の身長に甘んじる結果となってしまった。
だが30歳を過ぎた今、1人でいるのがしんどくなり始めている。
原因は自己肯定感の低下、キラキラした学生時代を過ごした者たちへの羨望。
コロナ禍で内省する時間が増えた結果、克服していたはずのコンプレックスが牙を剥いてきたのだ。
しかし、この半年のうちに自己肯定感が金で買えることもまた学んだ。
安い自己肯定感だが、風俗でもなんでも、心から可愛いと思える女性と会話して、肌を合わせているだけで爆上がりだ。
だがすぐに揮発する。短い夢から覚めれば低身長という現実が、先ほどの女性は自分のものではないという現実が、一瞬で自己肯定感を奪い去る。
あんまりな言い方だが、異性とまともな接触のある学生のうちに、定期的に自己肯定感を与えてくれる相手を、伴侶を獲得するべきだったのかもしれない。
伴侶を得る機会は与えられていたように思う。
たとえば、異性と意識していなかった幼馴染から告白される、みたいなベタなイベントはいくらかあった。
今思い返せばまるで人生の分岐点として事前に設定されていたかのようにも感じられるが、自分はそのどれも手にすることはなかった。
恋人を作るという行為に意味を見出せなかったのもあるが、何より自己肯定感の低さから来る、滑稽なだけ、いずれ相手から離れていく、といった意識に苛まれ、踏み出すことが叶わなかった。
自信家の仮面を被っていても、心の奥底に根を張るコンプレックスに行動を制限されていたのだ。
自分を好いてくれる異性と何かに興じたり、時間を忘れて1日中セックスに励んだり、ともに青春を謳歌し生涯の伴侶としておくべきだった。
自分のように平均を大きく逸脱する低身長であるとか、劣悪な容姿であるとか、低い知能であるとか、障害者ではないけれど障害者よりも生活の質の低い者というのは存在する。
自称毒親育ちで親と縁切る!!!!と喚いてる(現在進行系)の友人が今日振り袖をバッチリ決めて成人式に行く。私は行きませんコロナ怖いんで。
前撮りもしっかり済ませててまじで笑う。振り袖って二十歳まで育ててくれてありがとう!二十歳まですくすく育ってくれてありがとう!みたいな相互の感情から成り立つものだと思ってるのでもやもやします。
だってあれ安くないじゃん。
何事においても自己中心的、察してほしいとすぐ喚き自分は悲劇のヒロインだと疑わないやべー女が彼女。もちろん性格もヘドロ。
もちろん毒親育ちを自称し自己肯定感が低いと言い続けております。そもそも自己肯定感低いって自称してる時点で自己肯定感あると思うんだけどなあ。だって肯定する要素はあるけどそれに自信が持てませんって言ってるようなもんじゃね?自分にいいところないから…っていうならまだしも。
まあ偏見だけど自称毒親育ちは最終的に男に股開いて依存して人生変わりました!ってほざくような人種だからな。
まあその子と縁切ったんだけど。振り袖の件で愛想尽きたわさすがに。
なぜなら反発した若者は優越感に浸るから。我慢した若者相手に優越感を示すわけではないけど、社会に反発し、問題無く過ごした若者は自身の決定に間違いは無かったと自己肯定感を高め優越感を得るでしょう。
そしたら自粛した若者は自分は間違った選択をしたと劣等感にまみれる。これが分断の第一歩。勝者と敗者が別れる瞬間。この瞬間を作り出すのは大人たちだ。とても罪深いが「子供たちのため」と御旗を掲げて悦に浸ているので責任はとらない。
自己肯定感が低い原因として、親の育て方に問題があるみたいな話を聞くけれど、果たして本当にそうなのか。
私は、自分で言うのも何だが、とても甘やかされて育った。待望の子供だった上に、下の子は死産でそれが原因でもう子供が望めないというのもあって、それはそれは可愛がられた。
好きなもの、欲しい物、何でもとは言わないけれどたくさん買ってもらったし、我慢をあまりした覚えがない。わがままも大体は通った。そしてよく褒められた。とても過保護だったと思う。
いつからか、その褒め言葉は「親の贔屓目だな」と子供ながらに感じていた。自分は大したことは何もできていなくて、すぐ嫌なことから逃げるし、失敗が怖くて避けてばかり。
褒められるようなことや、明らかに正しいと思われる行動をし、意見を言うようにしていたので、フリーダムな状況に陥ると何をしていいのか、どう答えていいのかわからなくて途方に暮れる。
いつだって、自分は人より劣っているし、自分が一番になることなんて一生ないと思っていた。その他大勢の一人で、誰にも気づかれないちっぽけな人間だと。でも、一番になるための努力なんてしないので、ますます自分って屑だなあと負のループをぐるぐるして、そんなぬるま湯につかっていた。
大人と言われる年になって随分経って、色々経験もしたが、根本的な性格はあまり変わっていない。自己肯定感が高かったことなんてない。
ただ、自分はなぜかついていて、幸運でいろいろなことを乗り切ってきたとは、根拠もないのに信じている。何もできない自分がなんとかやっていけているのは、運のおかげだと。
見ていない方のためにざっくりストーリーを説明させていただこう。
ドラえもんがまだ帰っていないことを伝えると「野球に誘うつもりだったのに」と憤慨し帰っていく。
のび太が裏山の掃除をしているのを見て感激したドラえもんが心の土という道具を貸すと、感情を得た山とのび太はみるみるうちに仲良くなる。
のび太は山にばかり行くようになり、学校ではぼんやりとしていて帰りも遅い。
「のび太くんのためにのび太くんをこれ以上山にこさせないでくれ。」
山はのび太を突き放す。
ドラえもん「山は本当にのび太くんが好きだったんだね」と微笑む。
感動ストーリーとして書かれたものだと思うし、私も感動しそうになった。
でもこのストーリー、これを児童アニメが軽率に感動として扱うにはあまりにも危うくないだろうか。
のび太は野球が得意ではないし、ジャイアンはのび太をいじめている。
のび太にとっての野球に行くというのはいじめられに行くというのと同義だ。
頭ごなしに叱られ、笑い者にされるだけで適切なケアは受けられない。
勉強ができるようになるためのフォローは受けられず、のび太のなかで“自分は出来ない”という考えだけが積み重なっていく。
学校も野球ものび太にとってただただ自己肯定感と尊厳を剥奪される場所だ。
この話のなかでのび太は逃げ出し、“逃げ出し先”を奪われることでまた元の場所へと戻る。
結局のび太を逃げ出させた原因はなにも変わっていない。
追いやられたから出ていかざるを得なかっただけで何も根本的には解決してない。
あやとりも射撃も得意だ。それが評価される世界で生きられていないだけだ。
それだけなら良い。ドラえもんはそれでも面白いから、一作品としてならそれでも構わないのかもしれない。
でもドラえもんが児童アニメであるならば私たちは“のび太のような子供”について考えなくてはいけない。
運動も出来ない勉強も出来ない。馬鹿にされるばかりで得意が評価されない。自分は何も出来ない。
児童アニメはそういう子供に「君は何も出来なくなんかない」「仮に何もできなくても君には価値がある」と伝えるものでなくてはならないのではないか。
いじめられるような笑われるような理不尽な環境からは逃げたって良いと教えるべきものだ。
ようやく見つけた居場所を問答無用で取り上げて、辛い環境に向かわざるを得なくすることを美談として流してはいけないのだ。
私はドラえもんが好きだ。
ドラえもんは凄い。ずっと昔に描かれた漫画なのに今の価値観を先読みしてるような話さえある。
藤子F不二夫先生は、常にその時の最新の価値観を追って、噛み砕いて考えて自分の価値観として落とし込んで漫画を描いていたんだろうと思う。
ドラえもんは紛れもない傑作だ。
でも、だから、やはり言わなくてはならない。
児童アニメとして、子供に“これが当たり前だよ”と伝えるものとしてはあまりにも厳しい。
作品としての良し悪しの外の話だ。
なまじ子供向けとしての立場を確立しているからこその危うさだ。あからさまにエログロのあるアニメは見せないか、見せるにしてもある程度気を使うがドラえもんは皆が無警戒で流してしまう。そういう土壌がある。
テストで0点をとり続ける息子にするべきは、頭ごなしに叱らず話を聞くことだ。
のび太はけして駄目な奴じゃないし、辛いときは逃げたって良い。
ドラえもんがそのまま放映されているということは、私たちがそのままだということだ。
停滞してはいけない。与えられるものをぼんやりと当たり前として享受し続けるのは愚か者のすることだ。
すごく大事にされてて、めちゃくちゃ惚れられてるっていうの
ときどき、理想とかいってても、ぜんぜん言ってたタイプと真逆と結婚しちゃう子って、
男性に猛プッシュされたって人はやっぱりいるもんね。
学生時代は周りに年上なんていないし、出来がどんなによくても自己肯定感があまりそだたないのかな、
良い家庭なら猶更、みんな賢いとかエリートなら、出来て当然、甘やかしてもらえてないのかも。
大人ぶりたいのかもね。
しかもその告白も告白待ちの受け身じゃねーか。それじゃいつまで経っても彼氏なんてできねーよ
そもそもオナニーしてんのかお前ら。自分でちゃんと気持ち良くもなれないのにセックスが気持ち良いわけないだろ
そりゃ毛嫌いも恐怖もするわとしか言いようがない
ちゃんと気持ち良くなるように訓練しろ。とりあえずここを見て勉強しろ。
そしてここのサイトをいろいろ見て少しでも性に興味を持て。
BL見てるから性に興味あるじゃねぇ。自分自身の性に興味を持て!持って!!
開発頑張ったけど結局気持ちよくならなかった…とか気持ち良くなれたけどやっぱりそこまで興味持てなかったなぁ…だったら全然良いよ!!ちゃんと良いか悪いのかを試したから全然良いよ!
何もせずに性的なことに対する忌避感だけでセックスはクソ、全然楽しくない、あんなの男を喜ばすだけの行為で私は消費されるだけ…とか言うのを止めろと言っている!!
だが…性的な忌避感を持ってしまったのはぶっちゃけ貴方達のせいではない!!
痴漢はシンプルに死ね!!本当に死ね!!!この社会のゴミクズどもめ…
そして性教育もちゃんと自分の身体(器官)に自己肯定感をもたらすようなものじゃないとダメ!!マジで。
セックスを楽しめ。
遊ばれたとか、この人は私自信を見ていないとか言い出すのではない。
好みじゃなかったら断るだけだ
他人を頼れなくて、でも他人を頼る必要性もなんとなくわかってるから頼りたくて。
頼れない理由を考えてみた。
今の所考える頼れない理由は
③信用してないから
あたりかなと思うんだけど②③に関しては現状に対してそこまででもないな…と思ったので原因じゃなさそう。
だって評価って人によって変わるしこの歳になってどう思われようと気にしちゃられんし。
信用してないのかっていうと信用してるし。
じゃあ①か?ってなって、迷惑ってなんで迷惑って思うんだ?って考えたんだよね。
そもそも今まで他人に頼らずにきた訳ではないし親族にはそこそこ頼れるし…
原因になりそうな所で10代でイジメにあってたことかなぁと思い至った。
イジメの内容はそんなでもなかったんだけど。
クラスメイト全員に1〜2年くらい無視・陰口・避けの3点セットくらいで、物理攻撃はされなかったし。
ただ存在を積極的に避けられると、基本的に自分は他人にとって介入するのは迷惑で関わっちゃだめなんだ、って認識になるんだよね。
元々遠慮がちで人見知りな性格もあって、他人にとって自分は迷惑って認識が強化されちゃったんだよね。多分。
そのまま大人になって、対人関係の築き方がさっぱりわからず社会人になりたては苦労したけど、最近はまぁ一般人くらいにはなれた気がする。
理屈では理解してても、やっぱ好意がわからん状態で話しかけて「は?」って言われる恐怖ってあるな〜と思って。
大人だからさ、そんな理不尽なわがままをする人もそういないんだけどさ、なんか怖いよね。
だから迷惑な存在になりたくないな〜と頼る選択肢を積極的に排除してるな〜と気がついた。
私(A)が3日で辞めた人生初のアルバイト先では、従業員の洗脳が行われていました。
だいぶ時間が経ったため、そのとき見たことを日記にしてみたいと思います。
1x 歳のある日、家から遠くなく初心者歓迎とあったカフェの求人を見かけて応募しました。
翌日早速連絡が来て面接を受けることになり、そのカフェで 30 分ほど話をしました。
前回の面接時に「x 日 x 時にまた来てください」と言われたので、てっきり事務的な手続きを行うと思ってカフェに来ると、いきなり勤務が開始しました。
学生のバイトは、少し怖くて気だるげな女性の先輩たちと、優しそうだけど生気を失った男性の先輩が一人。
先輩に店内を案内してもらっていると、背後から「おい、挨拶しろ!!」と声が。
もちろん初めて見る人でした。
偉そうなその人がオーナーであると先輩に伝えられ、仕方なしに愛想よく挨拶しましたが、無視。隣にはクスクス意地悪く笑う妻らしき女性。
旦那が煽り運転したときに被害者をガラケーで撮影するおばさんが脳裏をよぎりました。
思ったほど歓迎されていない雰囲気に緊張が絶えないでいると、明るい声が聞こえました。
「君は新人の A さん?僕は B って言います!新しいバイト大変だと思うけど、よろしくねっ!😁」
笑顔が素敵でかっこいい、親しみやすそうな男性社員 B でした。
この人がマインドコントロールの主です。
その日は初日ということで、配膳のみ担当することになりました。
退勤時間を知らされていなかったので、いつまで働くのかと不安になりながら働いていると、半日ほど経ったときに社員 B に声をかけられました。
私服に着替えて空いた客席につき、社員 B と面談することになりました。
最初は給料の振込先などを聞かれたため事務的な手続きが目的かと思いきや、話はどんどん精神論のような説教に逸れてゆきました。
「まだできることが少なくて悔しいだろ?"あの先輩を超えたい" って思うだろ?」
あまりぴんと来ていませんでしたが勢いに押されてハ、ハイと答えました。
「その言葉が聞きたかった。A さんなら本当にできる。超えられるよ、先輩全員を」
あまり成果を出せた感覚がなかったので、出会って数時間である上基本的に厨房にしかいない社員 B は、無根拠に私を信頼すると言っているように感じられました。
しかしながら、やる気を引き出すための軽いお世辞という感じでもなく、じっとこちらを見つめる妙に真剣な眼差しがまるでマルチの勧誘のようでした。
次回以降の勤務日程について何も知らされていないためひょっとしてバイトの話はナシになったのだろうかと考えていると、数日後の 22 時頃、初日に LINE を交換した社員 C からメッセージが届きました。
来てくださいって、たまたま大丈夫だけどさ、用事あったらどうするんだ。
その日も初日と同様退勤時間は知らされていませんでした。先輩や社員に尋ねてもたらい回しにされるだけで、結局何時まで働くことになるのかわからないまま勤務を始めました。
初めてのバイトだったので、当時はこんなものかなとなんとなく納得していました。
その日は、先輩にハンディ(スマホ)を使った注文のとり方を教わり、お客さんからの注文をとることになりました。
しかし、使い慣れない機器と記憶していないメニューで注文をとる際操作に失敗してしまいました。
「A にオーダーやらせんなっつっただろうが!A はなーーんにもできねぇんだからさ!!A の失敗はお前の責任だからな!!」
もちろん私に聞こえるように言っています。
ふてくされた先輩は私に「もうオーダーはやらなくていいから」と冷たく言い放ちました。社員 Bは、「A さぁーん、オーダーはやらなくて大丈夫だからねぇー😊」と、猫なで声で言いました。
その後も社員 B が「A がさぁ……」と女性の先輩に何かを話し、直後先輩が何かを注意しに来る、ということが何度かありました。
社員 B は、私に対する威嚇は間接的に行うのみで直接強い態度で出ることは一切なく、必ず部下を使って "指導" を行わせました。
また、こうして笑顔で "フォロー" を行いました。そして、先輩の苛立ちの視線が自分に向けられ始めたことに気がつきました。
その日も唐突に退勤を促され、今度は若い男性社員 C と面談を行うことになりました。
気弱で声が小さく、誰の前でもおどおどしているタイプでした。
経験上こういったおとなしいタイプの人は意外と豊かな世界を持っていることが多く、今までよく仲良くできてきたので、社員 C とは打ち解けられるかもしれないと期待しました。
しかし、社員 C は初めて出会った瞬間から警戒とも異なる、敵意のような態度を向けてきました。
ことあるごとに近寄ってきてはぼそぼそと小さな声で小言を言うのですが、内容は抽象的な言葉ばかりで、小言の目的が後輩の教育ではなく上に立つための嫌味であることはすぐに分かりました。
C「…… x 月 x 日は出勤できますか」
私「その日は難しいです」
C「……それはさぁ……なんでですか……!」
C「……それって何時から何時まで……なんですか……!」
C「……実験の内容って……何なんですか……!」(本当に知りたいのか?)
以下続く。これを 31 日分行います。一言一言に棘を演出しようとしている努力は伝わりましたが、すべて聞き取るのに苦労するほどの音量でした。
正直社員 C にあまり怖さを感じていなかったので、途中から理由はすべて「私用です」と答えるようにしました。
C「……私用って内容は何ですか……!」
私「だから、私用です!」
苛立って語気を強めてしまい顔をあげると、社員 C は目を腫らしてうつむいていました。
新人バイトが強めに言い返しただけで泣くとは思わなかったため動揺しましたが、この尋問は社員 C が誰かにやらされているものであると気づきました。
やらせている人間は間違いなく社員 B であると勘づきました。
社員 B は、勤務中常にネチネチと社員 C をいじめていました。
人間性を否定するような言葉はもちろん、社員 C が作った料理を調理器具ごとガシャーン!と目の前でゴミ箱に捨てたり、執拗に小突いたりしていました。
社員 C はやらされているとはいえ私に強く当たることがあったため味方をする道理はありませんが、同情せざるをえない部分がありました。
もはや退勤時間が知らされていないのは当然です。
一応尋ねましたがやはりたらい回しで結局わかりませんでした。
その日は先輩からレストランフロアの床を雑巾で水拭きするよう言い渡されました。
(出勤初日に知りましたが、併設の喫煙や飲酒ができる薄暗いレストランもなぜか仕事の範囲に含まれていました)
今ならレストランの土足スペースの掃除は普通モップでやるものだとわかりますし、あの言いつけは嫌がらせだったと思います。
お客さんからの視線も痛かったですが、当時の私はたとえそんな仕事であっても一人で作業できる分ほっと嬉しく思うくらい、他の従業員と関わる仕事が嫌になっていました。
そしてこの日も退勤後に社員 B との面談タイムがありました。
「C 君に聞いたよ、全然出勤してくれないんだって?だめじゃないか!😊」
面接時に「土日も出勤できますか?」との問いにハイと答えていました。
社員 B はこれを「土日はすべて出勤できる」と曲解し、土日に出勤できない日が 1 日でも存在することを責めているのです。
B「都合とか仕事内容とか、バイトでどうしてもうまくいかないときがあるよね。そういうとき、どうすべきだと思う?」
私の返答は社員 B にとって想定外だったようで、笑顔が一瞬引きつったように見えました。
しかし、笑顔を保ったまま「ううん、違うよ。がむしゃらにやるしかないんだよ」と言いました。
私の退職オーラを感じ取ってか、その日の社員 B は終始にっこり笑顔でした。
最後に何か困ったことはないかと聞かれたので、出勤日と退勤時間を出勤数日前には知りたいと伝えると、「わかった。これから気をつけるね!」とあっさり前向きな返事をもらいました。
初のアルバイトなので最初こそ我慢が足りないかと思いましたが、他で働く友達が面倒くさがりながらもそこそこ楽しそうにバイトの話をするのを見て、勤務 1 回 1 回が嫌でしょうがないことに疑問を感じ始めました。
前回面談後もご想像通り次回のシフトの連絡は来ないわけですが、いっそシフトが決まらない(っていうか連絡が来ない)うちに退職の意を示しそのまま辞めてしまおうと思いました。
勤務分約 1 万 5000 円はもしかしたら振り込まれないかもしれない。
でも、たとえ 1 万 5000 円損しても構わないからとにかく辞めたいと感じていました。
B「おう、A さん!どした?^^」
B「……てめェふざけんなよ!!辞めたいじゃねえよボケ!!そういうのは直接来て言うもんだろうがよ!!いいか、次絶対来いよ、絶対だぞ、わかったな」
突如豹変し、映画で見るヤ●ザのような巻き舌でまくしたてる社員 B。
初めて社員 B が直接私を威嚇した瞬間でした。
私は衝動的にバイト先からの電話の着信拒否設定と社員 C の LINE のブロックを行い、借りていた制服を郵送しました。
もちろんバイト先にはこの後 1 度も行きませんでした。
(だいたい、「次」がいつなのか教えてくれなかったのは向こうです!)
1 万 5000 円は振り込まれていました。👏
社員 C から涙の尋問を受けたとき、社員 B のやり口に気が付きました。
部下を吹聴して新人をいびらせ、自分はその新人をなだめる親切な上司のポジションに立つ。
しかし自分が恐い人間であることは間接的にしっかりアピールする。
最終的に従業員は新人時代に孤立し、従業員同士は疑心暗鬼になり、全従業員にとって信頼できる人間が社員 B のみになっていました。
また、社員 B は相手の性別によって態度を少し変えているようでした。
女性に対してはアメとムチで巧みに操る。たまにキレるとき以外はお世辞や冗談で喜ばせていることが多かったです。
男性に対してはとにかく自己肯定感を下げる言動をとっていました。お前は一人では何もできないと常に言い聞かせていました。
女性従業員が皆社員 B を慕い、男性従業員が皆生気を失っていたのはこのためでした。
ちなみにこの日、一瞬だけ店長に会う機会がありましたが(なぜか最初で最後)、店長も実質的な立場が社員 B より低く口出しできないようで、他の男性従業員同様に生気を失っていました。
社員 B は、競争心、恐怖心、猜疑心を煽って人を操ることや、アメとムチの使い分けがとても上手でした。
本物のサイコパスは、明るくユーモアがあり、笑顔が素敵で魅力的であることを知りました。
退職後は新たに飲食店でのバイトを始め、数年間お世話になりました。
苦労もありましたが洗脳もなく楽しく働けたので、本当に辞めてよかったと思います。
1 年ほど経ったある日、風の噂でカフェが閉店したと聞きました。
最近近くを通る機会がありましたが、更地になっておりなんとも複雑な気持ちになりました。
同時に自分の体験は完全に過去の出来事になったと感じたので日記にしてみた次第でした。
おわり。