はてなキーワード: 自伝とは
じゃ、反論しとくわ。
Wikipedia:信頼できる情報源 - Wikipedia
ある事柄の状態について直接の証拠となる記録物です。言いかえれば、書こうとしている対象の状況に非常に近い情報源です。この語は多くの場合、出来事の参加者やその出来事の目撃者によって作られたドキュメントを指します。公式な報告書、手紙の原本、実際に出来事を目撃したジャーナリストによる報道記事、あるいは自伝などになるでしょう。権威ある機関によってまとめられた統計も一次資料と考えられます。一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべきです。
ぼくのこと天才肌だと思ってる人がたま〜におるけど、逆に【興味ないことしか勉強できない人間】なだけです。
「オリックスの監督は生え抜きの人少ないなぁ〜福良さんの前は誰かな?」
結果、「変なこと知ってる」人間になるわけですが、疑問を発見するスタートが凡庸だとポンコツな答えしか出ない反面、疑問やしたいことがマニアックだと…【他の人が知らないけどずっと使える知識】を見つけられたりします。
…詰め込み教育すると詰め込んでる途中に疑問を覚えて脱線するタイプの子
ぼくのこと「人の話聞いてないでしょ?」って言う人が一定数いるんだけども…聞いてはいるけど、自分の中でパーツが揃わないと活用できないんですよね。
ぼくのやってることって表面的には変わっとるかもしらんけど、人から得た知識やコツを自分の形で表現するとああなるだけです…はい
僕の変わった部分というのは、「疑問や好奇心がないと勉強しない」って部分にあるかと思うんだけども…僕の口から出てくるのはすごく凡庸なビジネス用語やコツなんですよ。
そりゃそうだ。
独特過ぎる部分を扱いやすいサイズにする「小さくする」ためのテクニックの方が無理して勉強したことだもん
疑問を覚えないと勉強しない、自分で課題を見つけないとやりこまない…って言うのは、世の中の役に立つとか人を感動させるとは限らんのですよ。
人が興味を持つ話や商品に落とし込もうとする方にぼくは苦労することが多いからそれを語るけど…他の人は逆なだけ。テクは学べるが、独特の切り口に悩む
「あなたの何がすごいのかよくわかんない」
みたいな声ももらうんだけども…一応、わかることやできあがるまでの過程は丁寧すぎるほど説明してんだぜ?
たださぁ…俺が知ってる理論使っても、俺と同じようになる人はすごく少ないからねぇ…
学校で社会科の授業中ずっと地図帳眺めてたタイプの子供だから中学校の時にずっと地図眺めてたせいで、世界史を覚え始めると結構早かったです。
逆に英語で前のめりになれた授業は大学の授業の条文やニュースを読む授業とかなんです。
ぼくとは逆に理論を素直に実践できる人や、「必要だから勉強します」って人のほうが絶対社会で成功すると思います。
まぁ、そういう人が面白いとか有能とかそういうことはわかんないですけど…評価はしやすいと思います。
やってほしいことをやるし、やってることを周りが理解できるから
「好奇心から入る人」に向けた入り口ってすっごい大事で、それがしたい事もあって、ぼくは野球の話書く時に
みたいな切り口から攻めてる。
それ以外では田舎でしかできないような趣味があり自然が好きだったからで、もし田舎の人間がキチガイが少なければ別になんの問題もなく都会に出ることはなかっただろう
考えて欲しい、増田みたいな自己認識が完全に狂ったエコーチャンバー気狂いな奴らが職場にいる恐怖を、マトモな社長でさえ業務を任せる以上キチガイに忖度せざるを得ない、どんなに首にしたがってもだ
というか、故 矢口高雄先生の自伝でこの辺の描写あるから是非見て欲しい
東京ならキチガイなんか自分から関わりにいかなきゃ警察呼ぶかサッと逃げれば終わる話
粘着質な基地外でも追ってこれないし、そんな専門技能持ってる諜報員みたいな奴なら無能故に暇を持て余しキチガイになんてならないからだ
だが関わっただけで人生に致命傷なレベルの基地外なんて歌舞伎町か六本木か神奈川の川崎市とか八王子の貧困地帯にでも行かない限りは会うことはない、逆にいえば、田舎にいっぱいいるキチガイは、東京でいえばこの辺に住んでるDQNクラスなのだ
究極的な話、交通インフラを超高速&安価化させて、九州や青森くらいからでも土曜日の朝出れば2時間位で東京に3000円くらいで行けて遊んで帰れるようになれば、こんな問題は解決されるだろうと思う
それができないから難しいんだが
人ってある程度同じような感情の動きをするから、架空のキャラクターに自分を重ねちゃうわけだし、「これ私だ!」って思うキャラがいても、作者が知り合いだと知らなければ、スルーするわけで。
作者が知り合いで、学生時代を舞台にした自伝的な漫画ってバイアスが強めにかかると、自分がモデル?!と他者から見たらそうでもない一致具合でも、そう思っちゃいそうだと思った
でもその関係性の終焉を喧嘩別れにしてまたどこかで元増田と出会うと考えるより、いっそお葬式にして二度と会わないという描写にしたのか
元増田が言ってるようにもう一人の友人か、もしくは作者が別のところで作った友人かが亡くなってしまって、その時の描写も混ぜ込んだのか
現実では生きているけど、創作では死んでしまった時点で現実との剥離を作り出してるのかもしれない
だからまぁ、なんもかんもフワフワしとる。
元増田がちゃんと証拠を揃えても、しらばっくれられる要因も残ってるし、そして元増田自身も確たる証拠を掴めておらんまま、ただただ死なされたことに対して怒っとる。
その後の長文は「これはこういう描写じゃない?でも元増田の主張が脆いままだと多分この件はそういう描写ですらなくて全く他人だとして躱され続けるよね。だったらそれで余計にイライラするよりもう作者ごと目にしない方がいいんじゃない?」ってダラダラ書いたのよね
訴えるつもりなら「これは私を描いたんだ!私が殺されたんだ!」を強く主張し続けないとね
柳美里の時なんかは本人からの連絡を柳美里が取っちゃってモデル確定にまで繋げちゃったし
まだその作者が逃げられる部分が多すぎるのよ
うーん、漫画家って、あまり高尚な立ち位置にないように扱われる気がするのはなんでかな
いまどき結構なベテラン勢も元同人だったりするので、そのYさんがさらに人気が出たら
元同人というのもあるだろうけど、アマチュア時代を知っていると何故か親しみを超えて、
いろいろ気になってしまうのでしょうか。
あっさりと訊いてみては。自分にとって自分は唯一無二だけど、似たような他の方が実は元ネタやモデルかも。
小説家だって、自伝とか書くし、モデルになったような身近な人がいるって話はありますし
編集済みです。
私にも今の生活があるし、過去の話とどちらを大事にしたいかと言えば今の生活です。(ちなみに彼女との関係は私の中で終焉していました。あの作品を読むまでは)
しばらく様子見はしますが、
正直言えばここで憂さ晴らししてさっさと忘れたいです。善人ぶってる人の裏側も大体こんなもんだなと勉強になりました。
私は彼女の該当作を一度読んでからショックで、読み返すことをしていませんでした。
皆さんの言葉を読んで、冷静になって読み返してみました。過去の私である要素はどのくらいあるのかと。
初めて読んだ時とは印象が違い、はっきり言って訴えるとかそんなことを言えるようなたいしたレベルのモデルではないと思いました。おそらく、別の他人の要素がもっと強く入っています。そしてフィクションもかなり含まれています。私の要素もちょっとはそこに混入させてみた、程度の話かもしれません。また、話としてかなり美化されているのでこれをどうこう言っても仕方ないなと思いました。
この件ではずっとモヤモヤしていたし、他の他人が重要なモデルであったとしても、存命であってもなくても、自伝的な作中でこういったことを描く姿勢には賛成できないなとは思います。(ご遺族に許可など取ってらっしゃるのかもしれませんが、その場合は別として)
ですが、ここに書き込んだことでモヤモヤが昇華されたことは確かです。冷静なコメントで目が覚めた部分もたくさんあります。みなさんありがとうございました。
この件については深追いすることを、私はもうやめにします。私がモデルの中に含まれていたとしても、そうでなくても、それこそ、過去の忘却の彼方へ葬ろうと思います。
(これ以上なにもない限りは)最初に書いた通り、訴えたり、苦情を申し立てたりするつもりもありません。
名前が挙げられているどの作家さんにも、この件に関して言及するのはどうかやめてください。
ありがとうございました。
※再投稿について
自分で再投稿した覚えがないのですが、なぜコピペ再投稿されていたのか謎です。
いたずらでやっている方がいるならばやめてください。
元増田ですが、N医師は、多分本気で今も「ホロコーストはなかった」と信じてます。実際にネット上でやりとりしたので、私にはそうとしか思えません。
いまだに延々と自身のブログで、もはやとっくに腐ってるとしか思えない主張を披露し続けています。
その彼の主張は細かいものがたくさんありますが、代表的なものはアウシュビッツ司令官だったルドルフ・ヘスが戦後に逃亡して逮捕され、逮捕したイギリス軍人に暴行を受けて自白するのですが、実はルドルフ・ヘス自身が死刑を受ける前に自分で回想録にそれを書いているのです。1950年代後半にその自伝は出版されるのですが、その時点で世間には周知されているのです。
で、暴行を受けて自白はしたが、自分が主張した事は嘘ではないと、ヘスは自伝にそうはっきりと書いているのです。
ところが、N医師は、それよりもずっと後になって出版された、暴行をした軍人の回想録の記述を持ち出し、「ヘスが暴行を受けたのは事実であるから、主張は信用できない」とおかしなことを言うわけです。そんなの知ってるっつーのw 暴行を受けた事実など事情を知っている人は誰も疑ってねーw
他にも本当にたくさんあるのですが、2000年頃に散々論破されてるのに、本人は論破されたとすら自覚してないのです。
せいぜいがアウシュウィッツをアウシュヴィッツに直した程度です。
私は今回、元増田に書いた「防空壕」を認めさせましたが、そんなの欧米の否定論者だってとっくに知ってる話なんです。あの人、よほど頭が悪いとしか思えません。
こんなところで質問してもほぼ意味はないような気がするんだけど、他でも誰も答えてくれず困っている。協力があればなと。
これはパズルなのです。
ホロコースト否認者たちは、ガス室だけは絶対に認めません。ガス室を認めると大量虐殺を肯定してしまうからです。ですから、一番目立つアウシュヴィッツを狙ってきます。問題は、アウシュビッツには正確にいうと、ソ連が近づいてきたのでナチス親衛隊は撤退するのですが、証拠隠滅のために、ガス室だったところをダイナマイトで破壊してしまいます。
ナチス親衛隊は、全国指導者のハインリヒ・ヒムラーや1942年に暗殺されてしまったヒムラーの側近中の側近ラインハルト・ハイドリヒSD長官の指導により、徹底的にユダヤ人殺害を隠蔽したので、文書資料にすらほとんど「ガス室」や「処刑」などの用語もなく、ユダヤ人虐殺を「再定住」、処刑を「特別処理」などと言い換えたりしていましたので、これが戦後ずっと続くホロコースト否認者の格好の餌のようなものになってしまい、奴らは平然と「証拠はない!」とほざくわけです。確かに、ガス殺死体はアウシュビッツには一体もありませんでした。なぜなら焼却して骨は砕いて川に捨ててしまったからです。
実は結構あるのです。文書資料として残ってしまう図面にこそ「ガス室」とは書きませんでしたが、報告文書にうっかり書いてしまった記録などはあるのです。それ以外にも沢山あります。当然ですけど、証言記録は滅茶苦茶あります。アウシュビッツ司令官ですら戦後裁判で証言し、死刑になって処刑されるまでに詳しい殺害方法を書いた自伝まで残しています。
ところが、当然といえば当然ですが、否認者たちは証拠資料は解釈で捻じ曲げて歪曲しまくり、証拠ではないと言い張り、流石に否定できない文書資料などがあると捏造だと一切認めず、当たり前のごとくに膨大な証言は適当に難癖的にあそこがおかしいここがおかしいと文句をつけて全否定するのです。証言者が言ってることが多少誇張が入っていたり変だったりすることはよくある話なのに、一切認めません。ガス室の周りの地面に当時のユダヤ人作業員はメモを証拠として埋めたのが戦後発見されていますが、戦後の捏造だと言って絶対に認めようとしません。頭おかしいと思うレベルですが、これマジなのです。
しかし、いくら否認論者でも、当時の文書記録として、加害者側の親衛隊の人物が業務内容として残した資料の中に、ユダヤ人のガス殺の様子を記録した文書があれば、流石に否定しようがないはずです。実はあったのです。
1970年代後半に、グリクシュ報告というのが見つかります。グリクシュ少佐というのは親衛隊人事本庁の職員で、1943年5月にアウシュビッツの視察に訪れ、司令官ヘス同行の上、ガス室を見回って報告書を書いたのです。言葉は選びながらも、どう読んでもユダヤ人をガス殺する手順としか読めない内容がきっちり書いてあるのです。流石にこれは否定できないだろうということになったのでしょうか、10年以上、否認論者はこれを「まぁ偽造だろう」とほったらかしました。何故ならば、その報告書は原本ではなく、戦後に裁判資料を整理していた米軍将校がタイプライターで打ち直したものだったからです。おそらく原本保管のためでしょう。だから、原本じゃないので証拠にならず、米軍により偽造されたものだと言い張ったのです。
で、1991年に、アメリカ人のリビジョニストのある人が、このタイプコピー版を徹底的に内容批判して、偽造だと断定します(実際には根拠は薄弱であり、捏造それ自体の事実は一切証明しておらず、断定は無理です)。それがこちらです→フランケ・グリクシュ「再定住報告」:偽造の分析(レンク)
で、一旦これで否認論者もほくそ笑んだでしょう。原本などないんだから嘘に決まってる、と。ところが・・・
2019年、つまり去年です。ある反否認論者がふと、「もしかしたら?」と思ってドイツ連邦公文書館を検索したのです。すると、その原本(報告書製作時に同時にタイプされたカーボンコピーだった一枚)があったのです。ニュルンベルク裁判等戦後裁判関係資料は膨大な量があり、昔は探すのが大変だったのですが、インターネットと文書のデジタル化が進んで、いつの間にか外部から検索をかければ見つかる状態になっていたのです。まさか探せるとは誰も気づいていなかったわけです。
発見者は、様々な検証を行い(と言ってもデジタル化された写真なので物理的には調べられない)、当時の他の文書とのタイプフォントの照合まで行い、フォントの一部に欠けがあった文字を数文字発見し、他の文書とそれが一致することから、おそらくは原本で間違いないだろうと。他にも色々特徴を調べていますが、疑問点は今の所ありません。
それがこちらです→Holocaust Controversies: Nazi Document on Mass Extermination of Jews in Auschwitz-Birkenau: The Franke-Gricksch Report
詳しく詳細な解説もされていますが、ともかく間違いないだろうと。内容も、否認論者は批判していましたが、それらおかしいと思われる箇所も十分問題なく解釈できる範囲です。何れにせよ、原本です。
否認論者としては、絶対に認められない資料証拠ですからこれを「捏造」と言わなければならないはずです。しかし、「捏造」と仮定した途端に辻褄があわなくなるのです。捏造でなければすんなり理解できます。普通に原本はあった、そしてドイツ連邦公文書館で整理保管・デジタル化されていた、それだけです。
しかし、「捏造」だとおかしなことになります。先ず時期が問題です。
戦後のその米軍将校がタイピングした時点で原本も捏造されていたと仮定すると、ではどうして裁判に提出されなかったのでしょう? タイプ版も結局は裁判に出ていません。それは別に良いのです、証言証拠は沢山あり、グリクシュ報告は特に必要ありません。しかし、捏造だとすると、他の文書とタイプフォントが合っているということから、それらの他のタイプのフォント形式を間違いなく再現するためには、例えば同じタイプライターを探し出してこなければなりません。そんなめんどくさいことするでしょうか? しかもです、そうやって非常に面倒な精巧な偽造をするのであれば、何故タイプコピー版が存在するのでしょうか? カーボンコピー用紙を使えば、カーボンコピー三枚分用意できます。その一枚を裁判で使えるように回せばいいだけです。「捏造」と仮定すると極めて不自然なのです。かなり精巧なのに(調べてもわからないくらい)、裁判に使われていない事自体が不自然です。なおかつ、そんな手間隙かけた捏造が証明された文書資料などただの一つとして存在しません(そもそも戦後裁判資料で捏造が疑われたヴァンゼー会議議事録ですらも、リビジョニストが捏造だと言い張っていただけです)。
あと、この原本は1980年代にイギリスの著名な歴史家デヴィッド・アーヴィングが連邦公文書館で見たことがあると言っており(アーヴィングは異常なほどの資料収集家です)、2005年くらいのこの資料を議論する会でそのインデックスを述べていて、そのインデックスナンバーが原本発見時にほぼ合っていたのです。とすると、1980年代に原本は存在したことになります。では、タイプコピー版が1976年に発見されて以降、アーヴィングが連邦公文書館で見るまでの間に、何者かがグリクシュ報告の原本を捏造し、連邦公文書館に潜ませた、なんてことはあり得るのでしょうか?
今の時代ならばPhotoshopもありデジタル化された資料など簡単に捏造できるのかもしれませんが、1980年頃にそれが出来たとは到底考えられません。ネットすらないので、ハッキングでファイルを混入させることも出来ません(1980年代頃にデジタル化があったとも思えない)。いろいろ考えても、1980年代頃の捏造というのはあまりにも荒唐無稽です。タイプ文字の形を合わせるために、その他の文書すらも探し出してくる必要すらあります。すると、どうやったって当時ならば、連邦公文書館に物理的に侵入しなければなりません。あまりにもハイレベル過ぎます。
はっきり言って、グリクシュ報告の価値は「否認論者が困る」だけのものであり、偽造された「ヒトラーの日記」のように1円の価値があるわけでもなく、書かれた内容についてはなんら未発見内容はないので、通常の歴史家も特に反応を示すわけではない資料です。普通の歴史家はホロコーストやガス室があったことなど一ミリだって疑いやしません。
というわけで、グリクシュ報告原本を「捏造」と仮定することは、どう考えても辻褄が合いません。というわけで、非常にグリクシュ報告原本発見は否認論者にとって困ったものであるはずなのですが・・・
ネット上の一般否認論者は、どうも意味が全くわかっていないようなのです。「そんなもん捏造だろ」と頭から決めつけてかかっているだけで、捏造と仮定するとおかしなことになるとまで考えが及ばないようなのです。ていうか、そもそも「証拠は絶対にない」とすら思い込んでいるようです。信じ切っていると言っていい。ですから、こちらがいくら言っても、否認論者は「捏造とすると辻褄が合わなくなる」ことまで考えは全く及びません。
聞きたいのは、私が変なのでしょうか? 私自身は「ホロコースト否認信者はアホばっかり」と思うようにはしてはいるのですが、だーれも理解しません。一体どうなっているのでしょうか?
id:anmin7相手の人がどうなったら増田は満足なの? 賢さを讃えてほしいの? ただ考えを改めたらいいの? 土下座して許しを乞うならいいの? 愚かさを恥じて以後増田の奴隷になるべきなの?
違う違うそうじゃないのです。私一人で考えているだけなので、単に自信がないだけなのです。日本人でホロコースト否認論に反論しようなんて物好きな人はなかなかいません。これで合ってるかどうか、感想でもいいから聞きたいのです。日本人否認論の集まるところへ行くとほとんど孤軍奮闘になってしまうのです。私以外の反否認論側の人がいてもただ、「ホロコーストを否認するなんておかしい」みたいにいう人がいる程度です。ほとんどの人は知識がないのです。
id:rmntc55211精巧に捏造したけど使わなかった、その後、捏造したそれが何かの手違いで文書保管されてしまったなんてありそうだけどね。何もかもが自然にはできていない
そんなこと言い始めたら、あらゆる文書資料は全て捏造になりますよ。本当にそう言ったホロ否認者はいましたが、あまりに非現実的です。グリクシュ報告の一致性は、タイプライターのフォントの欠損が4文字も当時の同時期の文書と一致する、という時点で、捏造なら度を超えて精巧すぎます。むしろ、この欠損フォントで捏造が発覚すべきです。それを捏造でやろうとすると、当時ならば虫眼鏡必須です。今の時代なら、パソコンで画像拡大すれば簡単かもですが(というか、単に画像から同じフォントを使えばいい)、当時はそういうわけにはいきません。また仮に同一のタイプライターを探し当ててきたとしても、戦後ですから、同時期の文書とは2年も差があります。すると、その2年間にタイプライターの他のフォントまで劣化している可能性があります。あるいはその比較された他の文書資料も含めて偽造した、……などと言い出したら結局、ナチスから押収された文書は全て偽造とまで言いええしまい、暴論としか言えなくなるでしょう。何れにせよ、捏造が証明された文書など一枚たりとて存在しませんので、妄想という他はないでしょう。
起業家の自伝なんてよんでもしゃーないやろって思う。ああゆうのありがたがる方々がようわからん
https://anond.hatelabo.jp/20200928211140
全てコメント見てます。中には泣かされてしまったものも。アドバイスもありがとう。同じような状況の渦中(もしくは過去に経験)の方々、さぞ苦しかっただろうにわざわざ言葉をかけてくれて本当頭が下がります。理解してくれる人がいて泣けてくる一方で、想像以上に俺はショックを受けていたんだなぁと改めて思いました。そして苦しさから目を反らして自分の心を麻痺させてたのも認めるわ。
もちろん嫁は自分のしてしまったことに毎回酷く後悔してるし、変わりたい一心で過去に自ら比較的大きな病院の神経科にも通院済です。
抗精神病薬を処方されたものの、何か精神疾患があるわけではない(診断書を見せてもらいました)。アンガーマネジメントも数ヶ月通って受けたんだぜ。嫁は頭がいいから理解も早かった。でもやっぱり切れちゃうと、暴走した自我が勝っちゃう感じなんだよなぁ。見ててつらい。何よりこわい。
最近は一緒に散歩しているときに、調子が良さそうだったから「少し話し合いたい」と言ったら、急にしゃがみこんで顔を真っ青にして考えたくない、今は話せない、増田くんごめん、と言われてそれっきり。家に戻るといつもどおりの嫁で、テレビを見て笑ったり、楽しそうに料理を作ったり、音楽を聞いて鼻歌を歌ったり。
そして何人かの言う通り、詳しくは言えないけど彼女も機能不全家族の中で育ってます。自己肯定感がとてつもなく低い。仕事も出来るし社交性も高く、外から見ると色々と恵まれているけど、出来れば増田君以外の人と関わりたくないし友人もいらないなー、と暗い顔をして言うときがあります。
彼女とは地元が一緒だったこともあり、比較的若い頃に知り合い、縁があってこうして結婚するまで10年くらい仲の良い友人のひとりだった。恋人になってから2年ほど遠距離だったけど、一緒に仕事をしたこともあったり、朝までお互いのことを話したりで、この人のことなら比較的何でも知っていると思っていた。もちろん毒親のことも知っていたから、何年経っても必要以上にベタベタしてくるのはそのせいかと思ってた。でも、この症状は知らなかったんだから笑えるだろ。良くも悪くも俺たちは表面的なつながりだったんだと思う。いざ縁があって夫婦という形になって、俺はやっとで彼女の本当の姿を見れたのかもしれない。かなしいけどな。
症状なんだけど、前に増田に投稿した激昂に加えて、2〜3日ほとんど寝なくても平気な時が周期的にくるので(寝なくても疲れないの!とややテンション高め)、様子が変なので最初は躁鬱を疑って色々と本を読み漁ったが、少し症状が違う。で、今はみんなが言ってたように境界性パーソナリティ障害の本を読み漁ってる。「複雑性PTSD」と教えてくれた方もありがとう。これも気になるので調べようと思う。DVって言葉はもちろん知ってる。でも俺が知りたいのはそういうことじゃないんだよ。すまん。
・絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服(岡田尊司)
・どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している。(水谷 さるころ)
田房永子さんの自伝「キレる私をやめたい」はリビングに飾ってる。嫁が買ってきた。夫婦で何度も読んでるし、冷静なときは「この部分はこういう感じだったのかって今更だけど腑に落ちたよ」とか言ってくる。だが、だからって変わらないけどな。ただ分かりやすく自己分析が言語化されていて良い本だと思う。
あと思いの外よかったのがこれ。「精神疾患をもつ人を、病院でない所で支援するときにまず読む本 "横綱級"困難ケースにしないための技と型(小瀬古 伸幸)」俺自身気付かされることが多かったし、嫁と対峙するときに、ただ単にDVだ!被害者だ、という思考にならなくて済む。冷静にさせてくれた一冊。俺はプロじゃないから、あくまでも自分を守る知恵のひとつだけどな。
逃げたら楽なんだろうけど、俺がこんなに苦しいってことは嫁もやっぱり苦しいし、明るい未来は待ってないのは明白なので、追い詰めないように、でもちゃんとお互いに前に進めるように話し合いたいと思う。セカンドオピニオンや夫婦カウンセリングも視野にいれる。もちろん獣じゃないときに。そして獣になったら、人間に戻るまで諭したり応酬するのでなく一旦距離を置く。物を壊す、大声を上げて仮に俺以外の誰かに迷惑がかかったとしても、俺は今までのように黙って片付けたり助けたりはせず、自分で自分のしたことの責任を取ってもらおうと思う。(じゃないと俺がもたないし、みんなの言う通り彼女は何度でも許される助けてくれると思ってしまうだろうから。)
彼女には何年かかっても自己探求をしてほしいし、俺に手伝えることは勿論何でもするつもり。人生一回きりしかないから、婆さんになっても、最後は自分で自分を救ってあげてほしい。いつか楽になってほしい。俺自身に不安とか恐怖がないと言ったら嘘だけど、今の俺が思うことは、その顔が見れたら爺さんの俺はきっと幸せなんだろうなーと思うから。
俺が爺になって増田やってるとは思えないけど、よい報告ができるように少しずつがんばってみます。
(あくまでもこれは嫁も治りたいと思っている俺のケースなので、理不尽な一方的暴力などで困っている場合はしかるべき医療機関・専門機関を頼ってください。)
https://anond.hatelabo.jp/20200928211140#tb
全てコメント見てます。中には泣かされてしまったものも。アドバイスもありがとう。同じような状況の渦中(もしくは過去に経験)の方々、さぞ苦しかっただろうにわざわざ言葉をかけてくれて本当頭が下がります。理解してくれる人がいて泣けてくる一方で、想像以上に俺はショックを受けていたんだなぁと改めて思いました。そして苦しさから目を反らして自分の心を麻痺させてたのも認めるわ。
もちろん嫁は自分のしてしまったことに毎回酷く後悔してるし、変わりたい一心で過去に自ら比較的大きな病院の神経科にも通院済です。
抗精神病薬を処方されたものの、何か精神疾患があるわけではない(診断書を見せてもらいました)。アンガーマネジメントも数ヶ月通って受けたんだぜ。嫁は頭がいいから理解も早かった。でもやっぱり切れちゃうと、暴走した自我が勝っちゃう感じなんだよなぁ。見ててつらい。何よりこわい。
最近は一緒に散歩しているときに、調子が良さそうだったから「少し話し合いたい」と言ったら、急にしゃがみこんで顔を真っ青にして考えたくない、今は話せない、増田くんごめん、と言われてそれっきり。家に戻るといつもどおりの嫁で、テレビを見て笑ったり、楽しそうに料理を作ったり、音楽を聞いて鼻歌を歌ったり。
そして何人かの言う通り、詳しくは言えないけど彼女も機能不全家族の中で育ってます。自己肯定感がとてつもなく低い。仕事も出来るし社交性も高く、外から見ると色々と恵まれているけど、出来れば増田君以外の人と関わりたくないし友人もいらないなー、と暗い顔をして言うときがあります。
彼女とは地元が一緒だったこともあり、比較的若い頃に知り合い、縁があってこうして結婚するまで10年くらい仲の良い友人のひとりだった。恋人になってから2年ほど遠距離だったけど、一緒に仕事をしたこともあったり、朝までお互いのことを話したりで、この人のことなら比較的何でも知っていると思っていた。もちろん毒親のことも知っていたから、何年経っても必要以上にベタベタしてくるのはそのせいかと思ってた。でも、この症状は知らなかったんだから笑えるだろ。良くも悪くも俺たちは表面的なつながりだったんだと思う。いざ縁があって夫婦という形になって、俺はやっとで彼女の本当の姿を見れたのかもしれない。かなしいけどな。
症状なんだけど、前に増田に投稿した激昂に加えて、2〜3日ほとんど寝なくても平気な時が周期的にくるので(寝なくても疲れないの!とややテンション高め)、様子が変なので最初は躁鬱を疑って色々と本を読み漁ったが、少し症状が違う。で、今はみんなが言ってたように境界性パーソナリティ障害の本を読み漁ってる。「複雑性PTSD」と教えてくれた方もありがとう。これも気になるので調べようと思う。DVって言葉はもちろん知ってる。でも俺が知りたいのはそういうことじゃないんだ。
・絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服(岡田尊司)
・どんどん仲良くなる夫婦は、家事をうまく分担している。(水谷 さるころ)
田房永子さんの自伝「キレる私をやめたい」はリビングに飾ってる。嫁が買ってきた。夫婦で何度も読んでるし、冷静なときは「この部分はこういう感じだったのかって今更だけど腑に落ちたよ」とか言ってくる。だが、だからって変わらないけどな。ただ分かりやすく自己分析が言語化されていて良い本だと思う。
あと思いの外よかったのがこれ。「精神疾患をもつ人を、病院でない所で支援するときにまず読む本 "横綱級"困難ケースにしないための技と型(小瀬古 伸幸)」俺自身気付かされることが多かったし、嫁と対峙するときに、ただ単にDVだ!俺は被害者だ、という思考にならなくて済む。冷静にさせてくれた一冊。俺はプロじゃないから、あくまでも自分を守る知恵のひとつだけどな。
逃げたら楽なんだろうけど、俺がこんなに苦しいってことは嫁もやっぱり苦しいし、明るい未来は待ってないのは明白なので、追い詰めないように、でもちゃんとお互いに前に進めるように話し合いたいと思う。もちろん獣じゃないときに。そして獣になったら、人間に戻るまで諭したり応酬するのでなく一旦距離を置く。物を壊す、大声を上げて仮に俺以外の誰かに迷惑がかかったとしても、俺は今までのように黙って片付けたり助けたりはせず、自分で自分のしたことの責任を取ってもらおうと思う。(じゃないと俺がもたないし、みんなの言う通り彼女は何度でも許される助けてくれると思ってしまうだろうから。)
彼女には何年かかっても自己探求をしてほしいし(俺に手伝えることは勿論何でもするつもり)、人生一回きりしかないから、婆さんになっても、最後は自分で自分を救ってあげてほしい。いつか楽になってほしい。俺自身に不安とか恐怖がないと言ったら嘘だけど、今の俺が思うことは、その顔が見れたら爺さんの俺はきっと幸せなんだろうなーと思う。
どっかのエセ関西弁パリコレうんち野郎がポジティブ方面のうざったさなら、こいつはネガティブ方面のうざったさを持つ輩で、意図不明の☯陰陽☯である
特徴は「文体にひらがなが多い事」、「俺」を「おれ」、「特徴」を「とくちょう」など、いろんな単語をひらがなで書いている
れいとして、彼のかきかたをまねればこういう感じだ、ひらがなでかく事で言いしれぬぶきみさをかもし出している
行動パターンは「凶暴性が下がった字下げがパリコレ並みにトラバをつけるようになった感じ」と見ていい、ジャンルを問わずにトラバを飛ばすのもポイント
トラバを他人に付けてる際には言ってること自体はマトモでも、ひらがな混じりなので不気味だしよく読めば噛み合ってない
そしてこいつが独り言を口にしてるときはなんというか…うん、アレだ、話しちゃいけないタイプってやつ
彼の自伝(?)とも言える独り言トラバを見た感じ、過去にイジメとかパワハラとかそういうのを受けてから何か歪んでしまったようで、ネジがどこか緩んだ文体で過去の恨みや未来への悲観を書き続けている
まあアレだ、意図がわからないと述べたが本当にこいつはわかんねぇ、字下げ殺人予備軍は「警察死ね」「女死ね」「この世の生きとし生ける全て死ね」、パリコレファッキンエセ関西弁ネットリウンチマンは「俺は神」「お前らに嫌がらせしたくてたまらねえ」「パリコレ」という明確な意図があるが、こいつは本当に意図が読めない
私はかつて元KAT-TUNの田口淳之介ファンだった人間だ。(釈放時に派手に土下座して法廷で公開プロポーズしたあいつだ)現在も別の男性アイドルを応援しているので、Twitterでいわゆるオタ垢を動かしている。そのオタ垢のTLで今年私をざわつかせた一連の流れがある。
手越祐也のジャニーズ事務所退所と、そこからのファンの動きだ。
何がざわつくかって、かつての田口のファン層の変化と共通する点が多いからだ。
先にトピックを列挙しておく。
・私生活の切り売り
当初たまたま目にしたファン...というより降りたくても降りられない人たちのつぶやきがあまりにも既視感があって、愚痴垢界隈からしばらく目が離せなくなってしまった。自分でもはちゃめちゃに気持ち悪いと思うけれど、自分のトラウマと向き合って過去を冷静に振り返りたい自分がそこにいたのだと思う。
はじめに書いておくけれど、これはアイドルファンに対して「こうあるべき」と言いたいのではなく、手越くんをはじめとするアイドルたちに「残ったファンがこういう状況になったら危険」とどこかにメッセージを吐き出したくなったそこらの限界オタクの呻きです。オタクたちに石を投げるつもりは一切ございません。
また、「逮捕されたアイドルと一緒にするな」というご意見もあるかと思いますが、正直逮捕の有無に関わらず、逮捕前の田口の状況はいわゆる下降線をたどっていて、あまり芳しくなかったと思います。メジャーとの契約が切れたりして。(現在はリセットされて少し良くなったと思う。この辺りは末尾にて。)知名度も人気の規模も手越くんとは差がありますが、あくまで「アイドルとファンの関係」が悪化すると活動が衰退する可能性があるぞという個人の意見ですのでご了承ください。
田口といえば世間一般的にオラついていたKAT-TUNの中でもマイルド担当で、育ちとスタイルの良さ、ダンスの美しさからクラシカルな王子様的ポジションとして愛されていた。(寒いギャグも言う三枚目キャラでもあったけど。)
ジャニーズ時代は比較的需要をまっとうしていたけれど、退所してソロ活動を始めてからは、本人のリアルな嗜好が垣間見れるようになってきた。
今でも「田口淳之介 ロゴ」と画像検索すると一部ヒットするが、ゴリゴリのワルなストリート系のロゴなのである(語彙力、、)。
インディーズで発表した1stシングル「HERO」のジャケも完全にらしからぬワルでマッチョなフォントでタイトルが描かれていたし、続いてリリースされたメジャー1stシングルのロゴもストリートアート風で、本人のファッションもとてもカジュアルなものだった。
活動のかなり初期から、熱心だったファンからも「これじゃない」「田口くんに似合う服はもっとこういうの(画像つきTweet)」といった類の意見が頻出していた。
音楽性に関してもちょいちょいジャパレゲテイストを出してきたり、ウェイ度の高いラップにチャレンジしたり、イカついテイストの楽曲が目立った。(全てではないが)
はっきり言って、目指している方向が「理想とちょっと違う」というよりファン達が「なんなら苦手」と感じるジャンルだった印象だ。地雷を踏んでいたのだ。
アー写も「強い自分」を打ち出したい意図がわかりやすいものを長らく使っていて、「もっと穏やかな空気感の写真の方が田口くんの良さが出ていいのに」なんて言うファンの数は決して少なくはなかった。あれだけ言われていたのだから、ファンレター等で直接進言した人だっていたに違いない。
逮捕前の田口は、ファンの需要を理解していながらも「自分が表現したい自分」との大きなギャップに苦しんでいたのではないか。
(ライブの衣装しかり、写真集の衣装のチョイスしかり、需要に応える場面もそれなりにあった。けれど、本人が持たれたい印象と差があることがあまりにも明確だったので正直見ていて苦しかった)
独立して個人で活動していくのだから、アイドルが自分のやりたい表現をやる権利を行使して当然だ。それは美しく言えば信念とも言える。だけど、ファンのツボを押さえていないとファンが減るのは当たり前の結果なのだ。
かつてのファンが一番切望しているであろう音楽活動が手薄なまま、YouTubeにボランティアに脱毛サロンにと活動範囲を広げている手越くんを見て、そんなことを思い出した。
ただここまでは本人がリスクを覚悟してどこまで天秤にかけるのか次第の話だからまだいい。ここまでなら未来に期待して残るファンはそこそこいる。
芸能人の実名をあげまくった手越くんの自伝とは影響力にだいぶ差があるが、田口もしばしば私生活の切り売りと称されても仕方のない活動があった。
いくつかの媒体で、退所から現在までを振り返るインタビューで結婚をいずれ考えている主旨の発言をしたり、吉本芸人がたくさん集まる関西ローカルの番組でも同様のことを語ったりしていた。
長年交際を続けている恋人がいるのはファンなら周知の事実だったし、退所理由を濁された時点で結婚を見据えての退所なのだろうと多くのファンが推察していたせいなのか、ソロ活動の開始当初から田口のファンには恋愛に寛容な人が多かった。
だが、週刊誌から情報が流れてくるのと本人の口から語られるのとではダメージ全く異なるのだ。くだりの関西ローカルから一気にファン離れが進んだ印象が強い。
「アイドルだって恋愛は自由だ」という考えは正論だし、どちらかといえば私もその主張に近いが、一方で「恋愛して欲しくないというより、アイドルの生々しさに触れたくない」というファンの気持ちはわからなくもない。そういうファンが良い悪いというより、アイドルが実生活の恋愛の話をすと、一定の耐性がある人でないと応援しづらくなるのが実情なのだ。
また、生々しい恋愛を語りファンに耐性を求めることで、”とあるリスク”が生じるのだ。
現在手越くんを純粋に応援するファンの方も、どちらかというと高齢の方が目立つ。
田口はジャニーズ時代から元々マダムキラーの傾向があったが、1stアルバムを出したときに池袋のサンシャインで行われた特典握手会には本当に若いファンがたくさんいたし、握手して感激して目をはらして会場を後にする人で溢れていた。
それが、いつからか会場には自分の親世代のファンの割合がどんどん増えていって(つまり若い子が減った)、スタンディングの密集した現場なんかでは誇張ではなく本当に加齢臭が漂うようになってしまった。
アイドルの恋愛に耐性がある人とはどういう人なのか。全員ではないが、自身が結婚を経験している人ほど、その傾向は高まるように思う。
また、アイドルの親目線で「幸せになって欲しい」と願うファンもこの傾向が強い。(言わずもがな親世代の人たちに親目線のファンが多い)
「自分が結婚しているのに、アイドルの恋愛や結婚を咎めるのは後ろめたい」と思う人、「アイドルの恋愛を許容する心の広い自分が好き」と思う人たちが生き残る。
高齢なファンが全て悪いとは言いません。年齢を重ねて穏やかに応援していて、マナーを大切にする素敵なファンの方もたくさんいました。
・SNSが苦手
SNSが苦手。これが単に「拡散力が低い」だとか「他界隈を沼に落とすのが下手」といった特徴であれば、単にプラスの影響が少ないだけで、害はありません。
SNS慣れしてない、SNSしてない世代の特徴は、<自分のSNS上での振る舞いで他者からどう見られるか>という視点が欠如した行動全般を指すのです。
わかりやすい例でいうと、愚痴をつぶやくときに検索避けが出来ていなかったり。アイコンやプロフィールがダサかったり。使っている絵文字や顔文字など表現全般が古かったり。内容を垢分けせずに無駄に日常を垂れ流したり。
高齢な女性ってなんですぐ「○○ちゃん〜❗️」とか言ってすぐリプライで絡むんでしょうね。あとすぐ「○○同盟」とか「見守り隊」とか言い出したり。
きっと若い世代以上に良くも悪くも<いかに標準的であるか>に気を遣う世代だからすぐに群れたがるのでしょうか。
アイドルのディープなオタクになるための2大行動として「ファンクラブに入る」と「SNSで専用垢を作る」だと思うのですが、後者の専用垢を作る前段階で、新規の若いファンは大手垢を中心に、界隈のファンがどんな発信をするかをチェックします。そして、安心できるコミュニティーだと判断してようやく壁打ち垢からスタートするものです。
SNSが下手なファンばかり増えてしまうと、残念ながら新規のファンはどんどんつきにくくなります。
あとこれは田口のファンだけかもしれないけれど、高齢のファン、気持ちが昂ってても遠慮してなのかライブ会場であんまり声出さないから、パフォーマンスの素晴らしさの割に現場の熱狂が薄くて悲しくなることが多かったな。。。
よく愚痴垢界隈や降りかけのファン、ひいては批判を投げかけるファンに対して投げかけられる意見として、「嫌なら見なければいい」という言葉があります。
特に逮捕直後は当然ながら田口ファン界隈のSNSも荒れに荒れ、結果として擁護派からこの言葉が発せられました。
少し前にAKB48の柏木由紀ちゃん(この人選で傷つく手越くんファンいたらごめん)も自身のYoutubeチャンネルで、「全肯定してとは言わなけれど、アイドルを自分の理想に変えさせるのは違う。見ていて自然と応援したくなる人を応援すべき」という主旨のことを話していた。全肯定まではいかないけれど、比較的近いスタンスの発言だと思う。
こうした類の意見は、ファン自身が精神を病まずに応援するという観点では大正解だ。
だけどアイドルから見て、本当にこのスタンスは望ましいのだろうか。
アイドルに限らず、認知度がものを言う世界では、無関心こそが最大の脅威だ。愚痴を言われながらフォローを続けられているならまだマシで、チャンネル登録やフォローを一度外されてしまったら、そのファンが戻ってくる望みはほぼゼロに等しい。
だいたいアイドルが何をやっても許すならば、そもそもなぜそのアイドルを推しているのかという根拠が揺らいでしまう。だんだん応援するのが習慣になってしまったとしても、元はといえば応援したくなる決定的な要素があったからファンになったはずだ。本当に全肯定になってしまったら、それはただの宗教か依存か自己陶酔だ。
今私が推しているアイドルの界隈は、ことによっては批判も行われ(批判はアイドルだけでなく運営に向けられることもある)、少なくともファンの間では正当に議論が交わされることが多い。批判も決して押しつけではなく「次は気をつけられるといいね」「反省できる○○くんは素敵」といった具合に幸いにもポジティブに着地するのをよく見かける。こういう意見が見られる場所で応援してこそ、自分の推しているアイドルを好きだと日々自信を持って実感しながら応援出来るのではないか。
そして現在の手越くんの愚痴界隈は、見切る勇気がなかったり、まだ期待しているというだけでなく、ファンが減ってしまう恐ろしさを察知しているからこそ、健気に意見を言い続けているのではないでしょうか。
かつての田口担から見ても、彼女たちがいなくなってからが本当に切ない事態を招いてしまう予感がします。Twitterを見た感じ、若いファンが多いし。
少し前に現在応援しているアイドルグループのメンバーの一人が、新しいレギュラー番組を始めるにあたって、「今まで見せたことがない一面を見せるかもしれない」と事前にブログで発信していてとても感心しました。ファンが離れる恐れのある新しい挑戦の際に、先回りしてファンをケアしたり、活動の幅を広げるにしても、ファンが理解できるような筋を通すことでいかに安心感が得られるか、と実感した体験でした。手越くんもよかったら参考にしてみてください。
最後にこのブログで散々貶めてしまった元自担の田口淳之介さんに関して補足。
私は逮捕が原因でファンをやめたというより、逮捕後、ファンクラブの会員だけが見られるブログでは「法廷で語ったことが全て」と言っていたくせに、そのブログの後で家族との仲が原因で小嶺家に助けられて絆を深めた、などなど余計なことをベラベラと週刊誌に語ったのに呆れ果てて応援する気をなくしてしまいました。
ですが、私がファンをやめる前より、現在の方が状況が良いように思います。
逮捕されたことで以前よりプライドがなくなったのか、自身のオリジナル曲だけでなく「踊ってみた」に積極的に挑戦して動画を投稿したり、逮捕前からラジオ番組を通じて交流があったボカロ界隈の方と楽曲を作ることで、クリエイターを押し上げつつハイペースに作品を出すことに成功しています。
正直、逮捕された後にここまでアクティブに活動してくれると思っていませんでした。
ボカロ曲が私の音楽的嗜好に合わないので、応援はしていませんが、SNSのフォローは続けています。
たくさん傷つけられましたが、今でも幸せになって欲しいという気持ちには変わりはありません。
何より、「歌って踊ることが好き」であるということにしっかり軸を置いて活動しているのが見て取れるのが嬉しいし、どうかこのまま続けて欲しい。田口氏に関しては、いつの日かまたファンに戻る日がくるかもしれません。
勝手に比較して勝手に書き散らしましたが、どうか手越くんのファンやかつて手越くんファンだった人たちが幸せに心穏やかに暮らせますように。
小学生のころ読んだ本に出てくる大学で名前を覚えられたものといえば、東京大学と早稲○大学くらいのものだった。なぜか慶應義塾大学の話が出てきた印象はない。
そのころ東京大学に抱いていた印象はとにかく頭がいいという印象とテレビで宣伝された変人奇人が多いという2つの印象で、後者はともかくとして前者は正しかった。
一方、親の蔵書から適当に取り出した書籍に出てくる早稲田大学の話はだいたい退廃的な営みの話であり、それはつまり麻雀とタバコをどれだけやったかみたいな話が数ページ書かれているだけというもので、ほかには野球選手の自伝で回想に出てくるやたら人数の多い名門で、こちらもやはり麻雀とタバコの話が主だったので、よいイメージがなく、小学生の自分にとってはとても頭が悪いところなのだろうと勘違いするには十分だった。
高校1年生になり、授業で大学を調べる際に偏差値ランキングの上に存在する○稲田大学におどろいた。なんとあの名古屋大学と同じくらいではないか。名城大学はまだしも、まさか名工大の遥か上だとは……
しかし大人になって○○○の卒業生と話してみると、やはり彼らは麻雀とタバコを主にしていたし、社会に出てからは金融犯罪をしていたりするので、一周回ってやっぱり頭悪いんじゃないかと思ったりした。
話題のブログが釣りや創作ではないと仮定して感想を書こうと思う。釣りだった場合はまな板の上で素晴らしいと褒めたたえるつもりだ。こういう反応をしてしまった時点で釣り人の養分になったあとかな?
私は別に釣りではないので公開Twitterアカウントで分かるようにこの記事を投稿しているだろう。つまり釣られたのがわかったときは逃げられないということだ。ぴちぴち。
はてな匿名ブログでやる必要ある?という話だが昔のブログがどこかにいってしまって、はてなのアカウントが生きていたということだ。
ということで。
(リスペクト)
私の年齢はブログ主の方とガチガチに同年代ではあるのだけどさすがにそこまで細かく言うのには抵抗があるのでふんわりとした表記にしている。
私についての話はあくまで30歳腐女子さんの比較として用いるもの、また私がどの立場から物を言っているのかということを示すことが必要な部分だけを書こうと思っている。これは感想記事であって私の自伝ではないからである。
本文の前に説明しておくことがある。
まず、この記事では主題とする彼女のことを「30歳さん」と呼ぶ。彼女はブログのタイトルからお借りした。30歳腐女子の方の固有名詞がなく、だからといって頻発する人を指し示す言葉を毎回「32歳腐女子の友人側と自称する30歳腐女子」と記載するのは私が疲れてしまうからだ。これに合わせて後述する32歳の方を「32歳さん」と表記する。
次に経緯だ。こんな場末の感想を読んでる人には十分に分かっていることだろうとは思うが時間経過によって経緯が分からなくなることもあるだろう。少し長くなるが知っている人はたくさん空いた改行部分までスクロールしてほしい。
ことの発端は「32歳の腐女子」と名乗る人物が匿名のブログで自身が世間的に求められている振る舞いが出来ていないことへの反省と諦めと希望と前進について書いたことである。30代の女性としての世間的に標準とされるファッションやメイクに疎く同世代からの乖離を感じる女性の、言ってしまうと悪いのだが実はありきたりなお話である。
腐女子であることやオタクであることと年齢相応の振る舞いが出来ないというのは一切関係がない。現代においてアニメやマンガが好きで腐女子であるということは若者の特権ではないからだ。とっくに我らオッサンオバサンがメイン層である。(ちなみにメイン層とターゲット層は違う物だ。例えばポケモンのメイン層は20代30代だがターゲット層は小学生である。ターゲット層をメイン層と取り違える人はよくいる)
「年齢相応の振る舞いができない」のはただ「年齢相応の振る舞いができない」からである。速く走れないのは速く走れないからだ。AはAである。普段運動しないから速く走れないんだというのは正論ではあるが解ではない。速く走ろうという価値観がないから運動しないのであって足の速さに価値観を見出してないからこそ足を速くしないのである。
立ち振る舞いは本人の勉強と訓練で修得することが可能だ。それは「年齢相応の振る舞いをしなければいけないと思う価値観」を強化して再学習することを含める。世間の型に嵌るのは苦しいが生きていくために無理にやらなくてはいけない人もいるだろう。
………。うっかりダラダラと書いてしまったが32歳さんは今回の話の主題ではない。
それから数日後の話だ。
「32歳腐女子」の友人側の話
という前述の記事に影響をうけて書かれた記事がこちらも匿名としてブログに掲載された。はてなブログをわざわざ新規で開設したあたり匿名性にも少し疑問があるのだが隅をつついても仕方がない。
今回の記事において感想の対象となるのがこのブログを書いた30歳の腐女子と名乗る方である。つまり彼女が私の言う30歳さんである。
30歳さんは幼稚園の時からの付き合いになる近所に住む同い年の友人、みんな30歳の幼なじみが3人いたという。その友人のうちの一人(以下、Aさん)は「32歳の腐女子」と同じように幼く、その振る舞いに呆れて親切に(?)助言したにもかかわらずAさんからみな絶交されてしまった、という話だ。
初歩的なことを言っていいですか?
あまりにブログ記事が邪悪すぎてうっかり忘れそうになる。読んでしまえば頭に浮かぶのはAさんのことだろう。だけど少し待って欲しい。
(※他人のふんどしで自己顕示欲を果たすことは現在進行形で私が同じ穴の狢なので知らないふりをする)
そもそも32歳さんと同類とみなしたAさんについての記事である。それはAさんがどんなに悪いことをしているか、Aさんがどんなにみっともないかを蛇のように事細かに綴った内容である。
そしてその記事の〆は「32歳さんが私たちみたいにならないことを祈ります」だ。
「32歳さんみたいな子が友達だったんだけど、すっごい幼稚で~、すっごい迷惑だった~、人の話も聞かないし~、32歳さんはそうならないといいね!」
要約するとこうである。
32歳さんのことも殴っているわけだ。
共通点は確かにある。だけど32歳さんの記事だけで「同類」と見なすのはあまりに乱暴だ。30歳さんは昔からの付き合いでAさんのことをすべて知っているつもりになっているかもしれないが、32歳さんはあなたの幼なじみではないのである。
少しでも他人に配慮できる心持ちがあるならあんな酷い記事の〆方はするものじゃないと思う。すっかりわれわれの頭の中がAさんのことでいっぱいになって32歳さんのことを忘れたときにわざわざ「同類だから気をつけてね」と終わらせるのは言ってしまうと悪いがあまりに性格が悪い。
現実世界の交友関係における悪口を匿名の特権で放つのは仕方ないこともある。公には言えないからこそ地面に掘った穴に王様の耳はロバの耳と叫ぶ訳だが、残念ながらインターネットは公共空間である。
記事全文を読んで次に思ったのが30歳さんには文才があるなということだ。褒めている。
ジャックナイフをはじめとした比喩がダサいという指摘もたくさん見ているとは思うのだが私はそうは思わない。そこは読み手の好き嫌いだと思っている。過去にあったことを多少の脚色はあるだろうが表現力豊かに書けているなと思った。うまく順序だてて分かりやすくかける人は少ない。
なので文字書きだと思っていたのだが追記によると300部売る島中の大手漫画サークルらしい。……嘘やろ? このあたりを読むとリアリティラインが下がる。創作実話と私が疑ってしまう所以だ。これは私個人がオタクでありながら同人誌頒布というイベントにサークル参加したことがないのが原因だ。購入側としても片手より少ない数しか行ったことがない。
ブログを信じるならば、夏コミ冬コミ夏インテ冬インテの年4回参加し、だけど島中で、毎回新刊を出し、イベント後の通販を含めて300冊売り切ると自己紹介をしている30歳さんは私にとって天上の人である。
部数を盛っているのでは?という疑いがムクムク沸いてくるのだが私には常識が分からない。
世間的に求められる振る舞いに「常識」があるように、オタクのイベントにおける「常識」もあるだろう。しかし前者は当事者としてわかる事があっても、後者に対しては無知なので分からない。大手ジャンルだとそういうこともあるのかな~とぼんやりしてしまう。調べる意欲はとくにない。
30歳さんは自分をちゃんと客観視できるようになったらその文章力を発揮してドロドロのBL小説を書いて欲しい。死ネタ以外のしんどい小説にこちらは餓えている。二度と読み返したくないくらいしんどい話を読みたい。いらない自己紹介をすると私は小説派である。
文章力については以上にして、そろそろブログの内容についての感想に進もう。これじゃいつまでも終わらないので手早く。
ブログ本文のAさんについての記述の部分は散々他の方から突っ込まれているだろうが私もなるべく簡易的に思うところを書こうと思う。書いている未来の自分に託しているが長文になっていたら笑う。
まずAさんは正社員ではなく派遣先にもなじめず職場を転々としている。
これに対してあまりにも30歳さんを含めた幼なじみ3人組が過干渉である。長い付き合いだから心配するのは分かるが、友達同士で集まる度に3人に寄ってたかって将来はどうするのと数時間詰められるのは嫌だ。私は2回やられたら参加をやめる。
派遣先や派遣先の人間関係になじめずに数週間で転々とするのを繰り返している人間は当然だが正社員としても馴染めない。何週間もかけて何回も面接してようやく正社員になって1ヶ月で辞めるのなら非正規で1ヶ月で辞めた方が迷惑にならない。
しかも辞める度に友人から説教されるわけだ。うーん、地獄かな?
Aさんが年齢相応の振る舞いが出来れば解決すると思っているのが間違いである。見た目と違って言動や性格の部分は本人が意識しても変えるのが非常に難しい。Aさんだって自覚してない訳もないだろう。
必要だったのは正社員になれと詰め寄ることだったのか、30歳さんと友人たちにはよく考えて欲しい。
30歳さんは新しい財布を買ってAさんを含めた友達に見せびらかした。買ったものを見せびらかす行為自体が子供っぽい振る舞いとされるものではあるのだが30歳さんは気づいていない。30歳さんから財布の話題を出したことでAさんも新しい財布を易く買えたと財布を見せたのである。それは子供っぽい財布だったので30歳さんはAさんに呆れてしまったという。
トラップかよ。Aさんからすると新しい財布の話が出たから話を合わせて自分の財布を出したら変な目で見られる訳である。他人の財布につべこべ言うなというのは当たり前の話として、人間関係として正しい振る舞いは「Aちゃんも財布買ったんだ! いいね!」である。よりお互いがフランクな間柄なら「私の方が可愛い財布だもんね!」もアリだろう。野球ボールを投げられたからキャッチボールだと思って投げ返したら「何をしてるの?」と言われたようなものである。
Aさんは次第に友人三人と話をすることを疎うようになり友達グループに隠した別のTwitterアカウントで活動するようになったらしい。そのアカウントを見つけてしまい30歳さん達は監視するようになる。
10歳以上年下の子供とは仲良くなれないし若い子供がメイン層であるジャンルを好むことを理解できないと30歳さんと友人たちは思っている。価値観の亀裂である。人間関係の破綻はすでに目に見えていた。
長年の友人である自分たちには嘘をついて、隠れたTwitterアカウントで本当のことを書いていることが腹立たしく思ってしまったそうだ。あきらかに原因は真実を言う度に説教する30歳さんたちであるのだが。
Aさんの行動を監視しLINEで悪口を言い合うという行為自体良くないことなのだが、人間は悪口を言う生き物である。いってしまえばバレなければ大丈夫なのだが、30歳さんとその友人たちは脇が甘い。結局態度や行動に出ているのだ。そもそも過干渉を悪いと思っていないのだから当たり前か。
普通、非公開の個人間のLINEで話した悪口をわざわざブログに持ってきて「私たちはこのように悪口を言い合った」と書く必要はない。あくまで公で言えない内々の話だから言えたことではなかったのかと首を捻ってしまう。私ならよりオブラートに包んで悪口大会であったとしても「みんなで心配だと相談しあった」と記載するに留めるだろう。
以上のように酷い過干渉をした結果、Aさんにみんな縁を切られておしまいという話だ。
30歳さんは負け惜しみを言う。Aさんが悪いのだ。私はAさんと幼なじみだから親戚だから付き合っていただけでAさんみたいな人とは合わなかったんだ。
30歳さんはAさんを手放す気がなくずっと庇護下、監視下においておくつもりだったことが記事から分かるのだ。過干渉する側は過干渉される側を手放そうとしないものだ。そもそもそのブログ記事自体が過干渉の行為そのもので、関係性を切られても諦めきれずに記事を書いているのがすべての証左である。
おそらく30歳さんはAさんが反省して戻ってくることを期待している。期待しているからこそ書かずにいられなかったのだろう。
本文については以上だ。
以下はその追記についての話をしたい。
ブログ記事が拡散されて多くの反響を得たことで新しい続編となる記事を複数30歳さんは投稿した。
そこには30歳さんの事情が書かれていた………
そもそもお前の話を聞いているわけじゃねぇよ。
そんなに自己を開けっぴろげにする必要性があるのかと思ってしまう。ブログに寄せられるコメントやTwitterの感想に反論しようとして次から次へと自身やその周囲について暴露をしているのだが別に聞かれているわけではない。30歳さんは自身を正当化しようとして間違えた答えを出し続けている。
「Aさんに過干渉しすぎ」という意見の反論が、「Aさんと私は親戚で家庭環境も知っているから心配になった」である。
聞いてないです。
「雀の涙の貯金額を自称する30歳さんがAさんのお金の状況を言えるのか」の反論が「そんなに私は貯金少なくないし乗用車が買える現金がある(笑)(マウント)」である。
「Aさんにも事情がある。就職については色々な悩みがあるのだ」の反論が「私も昔は責任感のない非正規だったが色々な事情があって一念発起し正社員になった」である。
だから何なんだ。
すべての情報の開示はすべての反論への自身の正当化である。こういう事情があるから私は悪くない、と言われても困る。あなたは悪い。そして言い訳をしているせいでより悪い。Aさんという個人に対して30歳さんがしている行動や発言が悪いことを責められているのであって30歳さんの事情は聞かれていない。
そして読んでいて感じるのは『自分はAさんより優れている』という主張である。自分はオタクではあるし恋愛面など至らないところもあるけれどこういう仕方ない事情があってAさんとは違って社会的に求められる振る舞いがきちんと出来ている、と。
自分に対して至らなくて仕方なくて大変だと言うのが分かっていて、その言い訳ができるのなら、それはAさんだって同じだろう。
おそらく私の感想が本人に届いたとしても30歳さんが改めることはないだろう。他人の思考や行動をより他人が言ったとして従う必要はないからだ。
世の中は怖いなぁ………