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2021-09-11

anond:20210911082611

増田砂場なんだよ

文章書く練習ができる

文体まねたり筋書パクっても記録が残らないか何度でもやり直せる

実力ついてきたら「あれは全部私の作品です」って追記トラバ繋げて外部サイト誘導すればいい

2021-09-10

ガチャ

在日韓国人の家に生まれた。

父親は気に入らないことがあるとすぐに手を出す性格で、幼少の頃は止めて入った母親まで殴られて一緒に泣いている記憶ばかりだった。

祖父から継いだ仕事財産を築くも、それを自分の商才と勘違いした父親は引き継いだ仕事を辞めて趣味の延長である雀荘経営を始めた。

母親夕方から深夜まで手伝いに駆り出され、学校から帰ると家には誰もいなかった。

前の仕事で築き上げた財産で、家だけは無駄に広かったが、お化け屋敷に住んでいるみたいで落ち着かなかった。

両親は決まって夜中に酔っ払って帰ってきた。

大体の場合、帰ってくるなり怒鳴り合いの喧嘩を始めた。

今日接客がどうだとか、作った料理がどうだとか、売上とか従業員給料とかそんな話ばかりだった。

とにかく布団の中で聞かないふりをした。

たまに母親が泣きながら上がってきて、化粧と酒くさい顔を近づけて頭をなでながら何かをぶつぶつと言っていた。

その時もやっぱり寝たふりをしていた。

そのうち父親は朝方まで帰ってこなくなった。雀荘営業時間を伸ばしたらしい。

家での両親の喧嘩は減ったが、夕方近くまで眠って明け方に帰ってくる父とは会話をすることがなくなった。

見栄で通わされた私立小学校は家から遠く、地元同級生たちと馴染めないままいつも一人遊びをしていた。

誕生日プレゼントも買ってもらえたし、サンタも家に来た。

何か不自由を感じたことはなかったが、何かいつも足りないものを感じていた。

ある日公園で一人で砂場遊びをしているときに、近くの小学校に通う同級生たちに囲まれ砂場に首から下まで埋められたことがある。

家に帰ると母親が忙しそうに仕事に向かう準備をしていた。

砂まみれの自分に気がついたが、怒ることもしなかった代わりに、何かを聞かれることもなかった。

一人でそのまま風呂場に向かい洋服ごとシャワーを浴びた。

びちょびちょの洋服をそのまま洗濯機に投げ入れたが、そのことについても母親から何かを聞かれることはなかった。

毎日一生懸命に働いている母親を困らせるのは悪い子供がすることだ。

自分自分を責めた。

次の日に公園に向かうと、その時の同級生たちが野球ごっこで遊んでいた。

もう一度砂場に埋められるわけには行かない。そう思って、公園で遊ぶことはその日以来やめて、誰にも会わなそうな空き地や少し離れた河川敷で遊ぶようになった。

見栄で通わされた進学塾は、毎日終わり際にタイムカードだけを切りに行って、それ以外の時間は近くのゲームセンターに入り浸った。

夕食は塾の近くにあるファーストフードで食べなさいと、毎日500円をもらった。

そのうちの大半をゲームでつかった。

志望校は当然全て落ち、受験する3日前まで名前も聞いたことのないような私立中高一貫校に文字通り滑り込んだ。

ほぼ定員割れ名前が書ければ受かるような学校だった。

小学生までは頑張って起きて朝の支度をしてくれた母親も、自分中学生に上がると昼まで起きてこなくなった。

その代わりに、一日の昼食代500円が毎日テーブルに置かれるようになった。

からバス電車を乗り継いで1時間かかった。

途中にいくつかの繁華街がある駅を通るが、制服ゲームセンターに行くには邪魔だったおかげで、遅刻常習犯ながらも、日中は流石にサボることはできなかった。

昼食は甘ったるい菓子パン1つと甘いジュースだけでしのいで、残りは放課後ゲームセンターで使った。

作りおきの夜食栄養バランスをなんとか保ちつつも、それが理由かわからないが身長は165cmで止まった。

人付き合いというものをろくにしたことがなかったが、この頃一緒にゲームセンターで遊ぶ友人が何人かできた。

なんとなく、生まれてはじめて人間らしい営みを手にれた気がしたが、それも長くは続かなかった。

中2の初め頃、親が新しく始めた飲食店の手伝いのために、放課後部活も許されず店にまっすぐ向かって日付が変わるまで無給で働かされることになった。

雇われた店長父親の前だけへこへこして、溜め込んだ憎悪ストレス自分にぶつけてきた。

裏表のある大人を間近に見てこんな大人になるくらいなら死んだほうがマシだと思った。

放課後を奪われた学校生活無味乾燥のもので、授業の大半を寝て過ごし、夜は脇目もふらずに仕事に向かう生活を繰り返した。

高校2年のときバブル経済崩壊した。

家族内緒で行っていた父の株式投資負債によって、雀荘飲食店どころか家まで失うことになった。

荷物ほとんどを捨てて、親戚が管理人をしているワンルームアパート母親引っ越した。

その時は住むところを失った悲しさよりも、店の手伝いから開放された嬉しさが勝った。

負債家族に背負わせないために両親は離婚をして、その後父はどこにいったのかも聞かされなかった。

最後父親とどんな会話をしたのかも覚えていない。

母は親戚のパチンコ屋で換金所仕事を始めた。

親族のうち、以前から換金所で働いている人間はたんまりお金をもらっているのに、自分は足元を見られて少ししかお金をもらえていないと嘆いていた。

生活できるだけでもどれだけありがたいことか。母親の欲深さにうんざりした。

それでも贅沢はせず、母親は少なくとも高卒じゃなきゃ働き口なんてないという理由で、意地でもわたし卒業させてくれた。

この頃、親戚のおじさんが相次いで自殺をした。バブル崩壊で抱えた借金で首が回らなくなったからだという。

父親は生きているのだろうか。どちらにしても、お金が原因で命を失うなんて馬鹿げていると思った。

お金様の何が偉いのか。そもそも人の幸せとは何か、そのときに眠れなくなるくらいに考えたことを覚えている。

相変わらず夜の帰りは遅いものの、交代制シフトで働くようになった母親は、朝に起きて夜に眠る生活に戻った。

この歳になって面と向かって甘えるなんてことは流石にないが、学校でのくだらない出来事や、一緒に見ているテレビの内容のことを話す機会が増えた。

小学生ときにできなかった時間を取り戻しているような気がして、毎日が楽しかった。

たまにお酒が入ると、母親は決まって過去のことと今のことをわたしに謝った。

仕事の忙しさを理由全然世話をしてやれなかったこと、それなのに全ての財産を失って辛い生活を強いていることを、何度となく謝ってきた。

母親にそんなことを言わせてしまっている自分申し訳なくなった。

今がどれだけ満たされているか、どれだけ言葉にしても母親は首を横にふるだけだった。

別にお金がなくても、今が幸せと思えるならよいではないか

しろ自分にしてみれば、お金があった時代のほうが不幸だったのではないかと思えた。

在日韓国人である自分にとって、この頃はたとえ大学卒業したとしてもまともに就職できる企業なんてものはなかった。

から、その時には当たり前のように大学進学はせずに働くものだと決めていた。

高校卒業してすぐに建築業に進んだ。

親方の送迎で一度に現場に向かうために寮生活だった。

から原付きで30分ほどの床も壁も筒抜けのボロアパート引っ越しをした。

建築現場にはフィリピン人パキスタン人で溢れていた。

言葉の通じない相手に、いい年をした職人たちが代わる代わるいじめを繰り返していた。

在日韓国人であることを隠して働いていた自分は今で言うパワハラだけで済んだが、それこそ一歩間違えれば現場死亡事故にでもなりかねないようなことも行われていた。

自分はいじめに加わることも助けることもできなかったが、できるだけ彼らの話に耳を傾けるようにした。

いじめについて聞いたこともあるが、ここで稼いだ仕送りで国で待つ家族笑顔になることを考えれば何でもないと、全員が口を揃えていた。

少なくとも、自分からは彼らは幸せそうに見えた。

外国人いじめて楽しそうにしている職人と、いじめられても家族幸せを思って幸せを感じている外国人とを見比べて、幸せとは何かを再び深く考えた。

収入は確かに良かった。

とある事故きっかけに、2年ばかりで建築会社倒産してしまったが、使う当てもないままに親に仕送りをしながらも300万円くらいの貯金をすることができた。

実家(といっても親戚が管理人アパートだが。)に戻ると、その貯金でまずはパソコンを買った。高校時代ゲーム仲間のパソコンが詳しい人間に教えてもらいつつ、当時出たばかりのインクジェットプリンターと併せて全部で100万円くらいかかったと思う。

教習所短期コースに通いながら、一緒にもらった違法ソフトで本を読みながらウェブデザインを独学して、車の免許ウェブデザインの最低限の知識を2ヶ月位で詰め込んだ。

その後、貯金を切り崩しつつ就職活動をして、ソフトウェア開発の会社アルバイトとして入社した。

もともと大手通会社で勤めてから独立した社長がなかなかのやり手で、パソコンサポートのセット販売や、当時はまだ珍しかった個人ホームページ制作代行など、次々と事業を拡大していった。

世にいう就職氷河期の頃だったが、当時、個人パソコンを持つ人間はまだ少なく、また、車の免許や力仕事職人に鍛えられた物怖じのなさが気に入られて、その会社正社員として働けるようになった。

入社して数年、立場も順調に上がっていき、社宅手当をもらえるまでになったのをきっかけに、母親をつれて小さいながらマンションに引っ越すことができた。

これで母親に少しは惨めな思いをさせないで済む。そう思っていたが、母親はそうではなかった。

一度は財産を築いて豪邸(とはいっても本物の豪邸には程遠いが)に住んだ身にとって、マンション暮らしは惨めなのだという。

まだデザイナーマンションだとか億ションだとかタワマンという言葉が生まれる前の話だ。

戸建てを買えなかった人間が、渋々住むのがマンションだという思い込みが強かったのだろう。

一度は地に落ちた生活をここまで取り返すことができたのだから喜ぶだろうと思っていたが、そうではないという母を見て、素直に可愛そうだとおもった。

社長経営手腕のおかげで、今もその会社で、気がつけば重要立場を任されるまでになった。

母親は別のマンションに住まわせ、自分結婚して二人の子宝に恵まれた。

自分の親ガチャがあたりかはずれかなんて、今になってみればわからない。

羨ましいと思える親子関係も山のように見てきたし、両親がもっとまともだったら良かったと思うことなんていくらでもあった。

だけど、こんな親だったおかげで、自分幸せとは、お金とは何かを考える切っ掛けがたくさんあったし、そのことについて世間に流されるようなこともなかった。

未だに大学進学までしておいて定職につけないままの同級生もたくさんいる中で、自分は、本当にたまたま運が良かっただけなのだろう。

そんな自分がいうのもなんだが、親ガチャなんて人生の数多くのガチャの一つでしかないし、その一部分だけ切り取って見たところで何の意味もないのだと思う。

ゲームみたく課金でやり直せるものでもないのだから問題は、そのガチャの結果とどのように向かい合っていくのかなのだろう。

気に入らない結果をすぐにリセマラするのではなく、そのまま始めてみがほうが実は楽しいこともあるかもしれない。

なんだかとりとめのない文章を書いてしまった。

ガチャの結果くらいで、人生のものに悲観する必要なんてない。多分、そんなことを言いたかったのだと思う。

2021-09-05

anond:20210904101034

適当レンタルサーバー用意して、「本番環境」って名前のお砂場作ってやって、仕事した気にさせてやるかなあ

部長増田チームを本気でハブるほど馬鹿だったら、引き継いだことにして異動なり転職なりも準備しよう

どうあがいたところで、うまくいかなくなって増田チームが悪いことにされることは間違いないのでダメージコントロールが最優先だよ

2021-07-29

日本の閉塞感強まりすぎ問題

さっき夕涼みがてらに近所の小さい公園ブランコ、滑り台、砂場、ベンチしかない)に

タバコウイスキー瓶持って行って夜風に当たろうと思ったんだが

公園に着きいざベンチに座ってタバコに火を点けようと思ったとき

「この現場を誰かに見られたら下手すりゃ通報されかねない」

直感的に感じてそのまま帰宅した

こういう閉塞感が徐々に日本を蝕み始めているんじゃないかと実感した一時だった

和と寛容

この日本人が古来から受け継いできた日本独特の精神もそろそろお終いなんだろうな

2021-07-22

五輪自転車コースアスファルトぶちまけの背景を説明したい

府中市内の五輪自転車コースアスファルトが撒かれていた廉で会社員逮捕された件で、報道警察発表の素通しな為にミスリードされてる人が多いので説明したい。

報道はこれ

https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html

ブクマ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20210722/1000067668.html

 

合材のこと

アスファルト舗装の為の建材の事を合材と呼ぶ。小石や砂とアスファルトを混ぜたもんである石油精製塔で軽い方からLPGガソリン灯油と抜いていって一番下に残ったのがドロドロのアスファルトだ。

冬にはカチカチだが真夏にはぐにゃぐにゃする、それ位のちょう度を持っている。屋根の防水には素のアスファルトを使うが、道路舗装には砂と砕石を混ぜたものを使う。これが合材。

 

合材をそのまま撒いてロードローラーで固めても一応の舗装にはなるが非常に脆く直ぐにボロボロと崩れてきてしまう。だから舗装に使う合材は150度位のアチアチな状態にして現場に持って行く。

砂や砕石などの土木用資材を扱う卸業者砂場と呼ぶが、アスファルトはこの加熱の要があるので専門の業者の扱いになる。砂場結構あちこちにあるが、アスファルト屋は数が少ない。

工事の流れ

 

道路工事の流れはざっとこんな感じになる

  1. 午後8~9時に現地集合、工事開始
  2. バリケード工事帯を作る
  3. ユンボで掘る
  4. 埋設物の交換など、工事目的作業
  5. 埋め戻し このあたりでダンプで合材を取りに行くか電話して合材班に指示
  6. 合材到着 ロードローラーで転圧
  7. 午前6時までに作業終了

 

合材は冷めたらいけないので直前まで取りに行けない。また持ってくるときカバーをかけて冷めないようにする(量が多い場合は表面積/体積比が大きくなり冷めにくいので省略することもある。)

工事が終わらず通勤時間にずれ込むと渋滞の原因になり、工事許可を出す警察署に怒られるので前倒しの計画にする。つまり工事自体は3時とか5時に終わって合材待ちの状態にすることが多い。

 

この事件場合、合材の散乱が見つかったのが明け方なのでばら撒きはその直前のやはり明け方だろう。

するとこれは通常の工事で合材を持ってくる時間である。なので意図的に撒いたとする可能性は低くなる。

合材の種類

日本生活していて雨の日に車が跳ねた水被ったという経験がある人は居ないのではないか?少なくとも20年前からは無いと思われる。

また真夏の日にアスファルトがドロドロに溶けてしまったり、バス停停車場所に出来た轍からバスが抜けられずに四苦八苦した事も見た事がないだろう。

雨の夜の運転で路面が光ってどこが車線だか全くわからんっていう経験も。

 

これは90年代の中ごろに合材の技術革新があり、浸透性舗装というのが開発され日本ではそれの採用例が増えてきた為なのである

これを開発したのはアメリカ会社で水はけを良くするのが主目的だが多くの利点がついてきた、かなり画期的ものなのである。利点はこういう感じ。

  

路面に水が溜まらないので水撥ねもしない。雨が降ると従来型舗装では路面に水膜が張られ、それが対向車線ヘッドライトを反射するので車線がどうなっているのか判らず雨の夜の運転危険だった。その危険も無くなった。

従来型舗装の上を車が走るとタイヤの水捌けの為の溝によりゴムの角が打ち付けられるのでゴーーというロードノイズが発生する。浸透性舗装では路面が穴だらけなのでそこに音が吸収され渋滞型と比べると無音に近いと言っていいほど静かだ。録音スタジオなどの吸音ボード構造が似ているからだね。

従来型舗装が熱せられるとアスファルトのちょう度が下がり、砕石から遊離して表面の方に寄ってくる。この為酷暑では路面表面がドロドロ化するのが常態化しそこに重量のある車が止まると凹んでしまう。特に停止線前での轍が酷くバイク事故の原因になっていたりした。バス停では毎度同じ場所バス車輪が止まるので4か所が凹んでしまい、出発時にバスがそこから抜け出すのにシーソーのように何度も車体を揺するユーモラスな光景が良く見られた。浸透性舗装技術評価では従来型に轍掘れ耐性は劣るとされているが、実際は酷暑アスファルト緩みに起因する事が多いので段違いに浸透性の方が良い。

夏の日光も乱反射するから照り返しが穏やかだ。しかも路面の下の水分が蒸発する時の気化熱で路面温度も下がる。

摩擦表面はつるっぺたの方が表面積が高くてブレーキ理論的には良く効くのだが、実際はほこりや水など不安定要素が多く、浸透性舗装のように引っかかる角が連続するような構造の方が安定して制動力が得られる。

 

いい事ばかりだが欠点もあって

 

普通の合材はアスファルトと砂、砕石を混ぜただけだが、それでは浸透性のような雷おこし構造にならない。

そこでポリマーに水と乳化剤を吸わせ、それをアスファルトに混ぜて砕石にまぶすという方法で雷おこし構造を実現している。石同士が柔軟性のあるアスファルトで接着されているが、石同士が噛み合っているので転圧されても潰れないって状態だ。美味しんぼの銀五郎もこの構造真似すれば良かったね。

こんな特殊構造なのでかなり高額な上にホムセンなどには卸されていない。専門の卸業者からトン単位で買わなきゃならない。

道路は上から見るとアスファルト舗装しか見えないがその下には必ず50cm位の砕石層を入れなきゃならない。

一番下は砂でそれを転圧、その上に砕石を50cm入れて転圧、最後に合材を撒いて転圧だ。浸透性舗装では水が路面の下にじゃんじゃん行くので特にこの辺りをしっかりやっておかないと砂が流れて陥没してしまう。この辺もコスト高の原因だ。

この辺の構造知ってたらこういうニュース 

https://www.asahi.com/articles/ASP7M6FXVP7MUTIL04W.html

見ると「豊島区区道路整備課アホやろ」と思ってしまう。路面の下の砂が流れちゃってるのが原因なのだよ。それが路面下の施工不良のせいなのか水道管破損のせいなのかが問題朝日記者も突っ込めよ。

 

この合材を使ってるのは日本の他限られた国だけだから外国に行った時には雨での路面水撥ねやスリップ、路面光りなんかは解消されていない事もあり注意が必要だ。雨の夜に特段の注意をしなくて済むのは日本他その合材採用した国だけなのだ

NHKさんさぁ

合材の技術革新すげぇんよって事言いたくて長くなってしまったがNHKのこの映像最後のシーンを見て欲しい。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210722/k10013153791000.html

落ちてる粒と歩道舗装の粒が同じじゃないか歩道舗装は浸透性だ。対比として従来型舗装がこれだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88#/media/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Asphalt.jpg

故に撒かれた合材も浸透性合材である。浸透性合材はホムセンとかじゃ買えずに専門卸でホカホカのを買うしかいか五輪嫌がらせの為に撒いたという可能性は低くなる。

しか道路工事で合材取りに行く時間だ。これは工事業者が誤って落としたのではないかという気しかしない。

ダンプ普通トラックと違い後ろアオリが上ヒンジになっていて、下側にロックがある。そのロックをし忘れると下側からザラザラーと流れ落ちてしまう。それで落としたんじゃないか

逮捕はやり過ぎじゃね

まず逮捕するには居場所不定で逃亡や証拠隠滅の恐れがある時(罪状が重い場合も逃げる動機が大きくなるので加重評価される)に限られる。合材を道路に落とすと言うのはかなりの迷惑行為なのだが、それにしたって逮捕はないだろう。

植物油に「コレステロール0」表記みたいな報道

この報道は「間違っている事を書いていないがミスリード」の典型だ。「アスファルトの粒が」となったら浸透性舗装合材だしそれは普通の人は買えない。そこは説明しないと視聴者の多数は判らない。未明に通行となったら道路工事で合材を取りに行く時間と重なる。これも説明なくば視聴者多数は判らない。

そこで「会社員が」と言われれば昼はスーツ着て働くリーマンが夜に撒いたってイメージになる。土木会社作業員や運転だって会社員から間違ってはいないが視聴者認識は間違いだ。

因みに植物油には植物性レストロールが含まれるがこれは体内に吸収されずに排出されるのでコレストロール0と表記しても間違いではない。しかし全ての植物油はその故にコレストロール0なのでその表示を見て買う顧客優良誤認している。

 

「間違っていないかミスリード起きててもヨシ!」みたいな報道は止めて欲しいもんである。それはまるで浸透性報道といった趣だ。浸透性舗装は優れているが浸透性報道は劣後なものだ。

 

最後トリビアだが、昔のミシン機械などは真っ黒の艶てか処理がされていたがこれにはアスファルトが使われていて「ジャパン/ジャパニング」と呼ばれていた。

チャイナ陶器ジャパン漆器だったのでその延長で言われたのだが、アスファルト日本は切っても切れない縁なのであった。そんな日本で足元のアスファルト技術革新が起きてるのに気が付かないのはよろしくない。

2021-06-22

anond:20210622191113

昔は料理に興味があまりなかったが、時間が経つにつれ面白いと思うようになった。

砂場遊びみたいで楽しい。上手く出来れば美味い料理を安く食べることができるし、それを誰かにふるまえば喜んでもらえる。料理は極小のプロジェクト

2021-05-26

anond:20210526102304

子供tiktokって親しい友達や同世代の子供と仲良くキャッキャやるものなのにそこに親でもない中年男性が潜り込んで見てるということがすでに死ぬほど気持ち悪いんだぞ

砂場に潜んで幼稚園児のパンツ見ようとしてる変質者みたいなもんだぞ

2021-05-14

anond:20210513152256

ワンパンマンは味方80~100敵150~200でわちゃわちゃ人間ドラマを積み上げてる所を

子供砂場の城を壊すように1000000で全部台無しにするための装置からちょっと違うな

2021-04-30

もし推しVTuber卒業する事になったら

ここ最近、V追ってるとは言え結構単推し気味の自分でも名前の知ってるVTuber達が、各々の理由卒業している

Youtuber特にVなんて悲しいかな消費が早い分野なので、推しは推せるときに推せ、が身に染みてくる

そこで最近考えているのは、もし自分推しが万が一億が一、今のVTuber卒業する事になったとしたら、その後自分はどうするのかなと

別に高額スパチャ投げてたりするような太客では決してないので自分1人どうしようと砂場の一粒以下でしかないけど、もし卒業後の推しが何らかの形で転生したりしたら、また再度自分は追うのかな

ガワは勿論だけど、配信上で気取れる推し性格や話し方まで好きで推しいるから、それを転生先でも変わらず表現し続けてくれていたら、やっぱりまた推すのかな

それとも今の箱飛び出したこと不義理とか感じちゃって視界に入れないようになるのかな

まあそんなそぶり今の所推しからは一切感じないか杞憂しかないのだけど

anond:20210429224659

ほんとにいい文章

ご指摘の通りだと思うし全件もれなくそのとおりだと感じる

しか申し訳ないのが、そのうえでたしかポルノ消費で第三者目線で掛け算しただけのBL二次創作ジャーナリズムと思しき誤解されそうな棚にあげておくのはよくないが

それをみてシコッてるキモい人たちのぶよぶよした肢体から流れ落ちる脂汗とそれが蒸発して壁にしみこむまでを想像するのが好きな私がいて申し訳ない

ご指摘の通りの知能ぶりでご指摘の話題喚起するその群れは

砂場で遊ぶ子供たちの姿のように

その無邪気にうごめく姿がミルワームのつまった箱を覗くように心地よい

画面越しだからこそ楽しめる危険や汚らわしさ、痛々しさなどこんなもの好きだと現実的には告白できないけれど

こうやってさらに指摘してくれることでさら気持ちがいい

最高に質の良いGrottyなコメントたちに星こそつけていないがそういった性癖醜悪な原因と結果を好んでしまって申し訳ない

2021-04-26

砂場で遊んでたけど今思えばゾッとするな

うんことか絶対混ざってるだろ

2021-04-18

エヴァンゲリオンを乗り越えて、あるいはその手前で

 お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。という言葉が、自分身体を上から下に駆け抜け、僕はそれで、頭から血が抜けていったように感じた。その言葉は、ある意味では間違っていなかった。けれど、間違っているといえば、全面的に間違っていた。

 目を凝らしても見えてくるのはパソコンの画面と荒れ果てた部屋しかない。右手の小指と薬指がその付け根にかけて少し痺れている。特にキーを叩いていたわけではない。パソコンの画面をつけて、何をしようかと思っていただけだ。すると、僕に言葉がやってきた。それは僕が望んだ言葉ではなかった。この暗い部屋は、僕が望んで生まれものだった。この荒れ果てた部屋は、僕がどうしてか生み出したものだった。あの言葉は、ただ、とても嫌いな言葉だった。

 望む、望まないなんてことを考えたことはほとんどなかった。あるといえば、望まないことばかりだ。いろんなことが嫌だ。特に、望むことは何よりも嫌だ。自分が何かを望んでいると思うだけで気分が悪くなってくる。自分が何かを望まなければ生きていけないのだとしたら、死にたくなる。何も望みたくない。何も望まれたくない。そうして僕はこの場所を作った。僕が今望んでいること? それには答えられない。ただ一本の煙草が吸えたらいいと思っているだけだ。それが望みなんて大きなものに含まれるのだとしたら、今すぐにでも僕は首を吊ってやる。セブンスターソフトは残りわずかだ。一本取り出して、口に咥えた。火を付けずにパソコンの画面を見た。

 さっきまではTwitterホームが映っていたが、僕はもう少し孤独になりたくて、ウインドウを閉じた。デスクトップ画面には、雑多なファイルが、まるでこの部屋みたいな雑駁さで並んでいる。それの後ろには描かれた美少女アニメ美少女なのかどうかはわからない。インターネットで見つけた、絵の美少女だ)が憂鬱げに体育座りをしている。彼女右手には安全剃刀が持たされている。左腕にリストカットの痕はない。安全剃刀は文字通り安全なのだ少女の足元には薬瓶が転がっていて、その転がる移動を堰き止めるように、本が置いてある。フェルナンド・ペソアの本らしい。表紙の白い部分には血痕のようなものが伸びている。

 灰を落としてみると、煙草の1/3はなくなっていた。僕は考えごとをする前に、なにかと準備運動必要みたいだ。考えるべきことというのは、僕の身体を駆け抜けて行った言葉についてだ。

 僕は「望む」なんていう大掛かりなものが嫌いだ。望むとも、望まざるとも、嫌いなものは嫌いだ。だが、そこにばかり注目していては次の文がわからない。次に進む。すると、それがあらわれているという。

 それがあらわれている。それはお前が望んだものだ。

 というのであれば、僕はわかるような気がする。まずはじめに「あらわれ」があって、その説明、あるいは定義けがされる。これは、わかる。あると思う。いや、あるべきなのだ自分がいまどうして存在しているか? こうして暗い部屋で、食事に使って洗わないままで転がっている食器や、ゴミの類いが転がっている、この雨戸が閉められた部屋で、僕の身体は、パソコンは、煙草は、まず、「ある」。そして僕がその「あらわれ」を何らかの形で受け取る。受け取ったものには、それ相応の制限がある。それが説明であり、定義でもある。こうして抽象化すれば、わかる話だ。話がわからなくなっているのは、そこに「望む」という言葉が出てきているからだ。煙草を灰皿にすりつぶした。

「こうしていても埒があかない」

 そう呟いた。こう言ったところで、あの言葉が離れていくわけでもなく、これから行動をとったところで、あの言葉が離れていくわけではないだろう。精々気晴らしにはなるだろうが、自分の中にある嫌悪感がぢくぢくと膨れていくか、いつの間にか消滅しているか、そのどちらかだ。経験的に、後者の方がよくあることだ。いつの間にか消滅するには、原理的に時間必要から

 家を出ると小雨が降っていた。庇の外に左手をかざすと、ほんとうに細やかに、少ない量の水が手のひらに当たった。深い青空全国的に深夜であることを告げていた。振り返って家に鍵をかけてから、僕は肺にあるどんよりした空気を深い青の空気と入れ替えた。まるで僕の肺が一つの世界になっているみたいに青い深夜だった。その世界は二つあった。そのうちのどちらかに、隣部屋のお風呂匂いが流れ込んできた。歩き出した。傘はいらないだろう。煙草お菓子を買ってくるだけだ。

 思った通り、雨ざらし階段はそれほど濡れていなかった。足を滑らせる心配はなさそうだし、きっと降りはじめてすぐなんだろう。階段を降っていくと、

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」

 という、声がした。言葉ではなく、声がしたのだ。階段を降りている感覚が薄れて、ゲシュタルト崩壊してしまった。階段構成する線と線の繋がり、それがなす直角と、段差、線の全てが空白もしくは混沌世界に放り込まれた。ポケットに入れていた鍵は、僕の拳から飛び出すことなく、音を立てることもなかった。目を閉じた。「うわあ」と思った、その頃にはもうすでに階段の一番下まで辿り着いていた。でも服は汚れてしまった。階段から転げ落ちたのだ。頭の裏、腕の曲がらないところ、脚の曲がるところ、何より腰が傷んだ。それから遅れて左手に妙な感覚があった。座り込んだまま、左手を開いてみると、家の鍵を強く握りすぎたからか血が出ていた。鍵に何かキーホルダーをつけていたわけではないから、純粋に鍵で傷ついたのだ。親指の付け根に小さな切り傷が付いていた。思ったより血が出てくる。なんとなく、右の人差し指中指でそれを拭い、右の頬に付けてみた。この、なんとなくの一連の動きは、シネマスコープの中に映し出されているといいな、と思った。身体中が痛かったけど、おもしろかったから、よかった。僕は立ち上がることにした。雨は本当に少しだけ降っている。

 ここからコンビニに行こうとしている。それなりに汚れてしまったが、仕方がない。自転車を見た。自転車に乗って行こうか、いや、この程度の濡れ具合で滑って転んだのだ(たとえ変な声が聞こえてしまたからといえど。またあの変な声が聞こえないとも限らない)、大事をとって、あと気晴らしのために歩いていくことにしよう。自転車を金網越しに見た。僕は歩いてコンビニに向かう。決めたからだ。ぶらぶらさせていた右手を鼻の前にかざして、匂いを嗅いだ。鉄くさく、砂っぽかった。これでコンビニに向かおうとしているのだから、笑えてくる。いや、これは気晴らしにすぎない。コンビニ店員も、適当事情を察してくれるだろう。コンビニ店員は本当に飲み込みが早いから、わかってくれるはずだ。

 そんなことを考えていると、下には列車が通る小さな橋に辿り着いた。水色の塗装ははげかけているが、子供が手すりで遊んでいて怪我をするほどではない。おしゃれみたいに朽ちている。その下では電車が通る。橋の真ん中に辿り着いて、ここから落ちたら死んじゃうだろうと思った。いや、生きちゃう? 電圧注意と書いてあるから、落下して骨が折れたり、死んじゃう前にびりびりっと身体破壊されてしまうかもしれない。それにいま僕は濡れている。電気はよく通ることだろう。でも、痛そうだ。さっきの落下でさえ痛く、血を流してしまったのだ。僕というのは風船みたいに壊れてしまときには、弾けるように壊れてしまう。そして、壊れてしまうと、びっくりするし、うるさい。毎度この橋を通るとこんなことを考える。死ぬことはないだろうとは思うが、死んでいいかもしれないと思う。そして、橋の真ん中で線路を眺めるのをやめ、先に進もうと体勢を変えると、昼間子供達がよく遊んでいる公園が見えてくる。深夜の公園だ。いやらしいことを考えないわけではない。でも、重要なのは、いやらしいことを考えたその時には、もうすでに水色の手すりから離れて、コンビニに向かって歩きはじめていることだ。

 公園に面した道路を進むとコンビニがある。だからコンビニに向かうまで、橋の上、橋の下り、道路、と少なくとも三つの視点から公園を眺めることになる。意図して見ないときもあるが、この場所から見た公園をその時に考えてしまっているから、大体いつもみているようなものだ。道路に面している側には遊具はない。公衆トイレがあって、それを二本程度の灯りが照らしている。公衆トイレほとんど立方体の形になっていて、二つの光源から伸びるそれの姿は、三つの視点、どこからみても美しい。道路から見たとき前景に公衆トイレがあると、その後景にブランコがあって、その間くらいに滑り台がある。ジャングルジム砂場公衆トイレに隠れてしまう。

 今日こうして家を出てきて、コンビニに向かっているのだけれど、いつもは見かけない、変な影が三つの視点全てにあらわれているのを見た。人影というには小さく、あまり動いていない。でも横に長いわけではないから、犬や猫の類いではないと思われる。霊でも無さそうだ。霊に影があったら、僕はその霊と仲良くできるだろう。

 よくわからないその影は少し揺れているだけで、歩いたりしている様子ではない。ブランコ周辺でただ揺れている。こういうのはあまりない。不審な影を見かけることはよくあるが、それはその人物不審から影も不審に見えるのであって、影が独立して変な雰囲気を纏っているのはなかなかない。それに、徹底して影の主が見えてこないというのも、変な話だ。影しか見えない。特に怖がることはなかったが、

「変だなあ」とは思っていた。そのまま、コンビニへ向かった。

 その前に、円柱状の灰皿に吸い寄せられていった。右ポケットには忘れずにセブンスターソフトと、ジェットライターが入っている。ジェットライターは素晴らしい。片手で着火できるというだけで、なんだかカッコいい感じがする。喫煙にかっこよさを求めたことはないけれど。客観的にそう思う。絵になるというか。

 セブンスターを咥えて、右ポケットからジェットライターを取り出して、先端に火を付ける。ゆっくり吸う。強く吸うと美味しくない。けれど今は若干の湿気があるから、どちらにしろ美味しいのかもしれない。

 煙草を吸っていると、気分がいい。家から出てすぐ深夜の空気を吸ったように、身体の中の空気を違う空気で入れ替えているように感じる。手軽に自由を手に入れてるような気がする。これが自分の望んだものなのだと言われたら、認めてしまうかもしれない。この一本の煙草が僕の自由に繋がっているなんて、ちょっと詩的だ。けれど……

 お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。

 これはどういうことだったんだろう。

 こと?

 あれははじめ、「言葉」として僕の身体に降りかかってきた。「言葉」が身体を貫くような感覚は、実はよくあることでもある。だからそれはいい。問題はその「言葉」が「声」になって聞こえてしまったということだ。「声」になって聞こえたということは、誰かがそれを喋ったのだ。あのとき、僕の近くには誰もいなかったから、僕の「言葉」が「声」に聞こえてしまった(?)ということなのかもしれない。つまり幻聴のようなものだ。幻聴ということは、幻? 幻には思えなかった。なぜなら、まずはじめに「言葉」が降りかかってきたからだ。幻にふさわしいのは、何の予兆もなく、何の脈絡もない「声」が聞こえてくるということではないのだろうか。あるいは、僕を貫いた「言葉」は「幻の声」を予知していた、とか。ファンタジーじみてきた。同時に自分精神的におかしいと思われる(思われてしまう)ことを毛嫌いしていることに気づいた。言葉に則して物事判断している。まるで、そうしないと生きていけないように。セブンスターは半分になっている。そうしないと生きていけないということは、僕は「言葉に則して物事判断することを望んでいる」のかもしれない。それのあらわれとして、部屋があんなことになっているのかもしれない。数日間シャワーの浴びていない自分がいるのかもしれない。言葉に則して物事判断することを望むというのは、ここまで代償が必要なんだな、とひとりごちて、笑った。口から煙草の煙が飛び出た。

 コンビニでは煙草お菓子を買った。煙草はいものセブンスターお菓子適当チョコ、なんだか寝付きが良くなるらしいチョコがあったからそれと、イカのゲソを買った。ゲソを買うとビールに手を伸ばしそうになる。でも僕はビールはあまり好きではないから、好きなのはゲソとビールという組み合わせだけだから、やめることにする。結構そこで戸惑う。けど、ビール自分には必要のないものだ。煙草チョコイカのゲソは、自分必要ものだ。

 帰り道、公園が見えてきた。あの影はまだ居るだろうか? 僕としてはいないほうがいい。帰りは行きと違って、目に入ってくる視点が二つなくなっているからだ。橋の下りと、橋の上では、振り返らない限り公園の姿を捉えることができない。公園の姿を素で確認できるのは、今、この公園に面した道路でだけなのだ。だからこそ、ここでしっかりと、あの影がまだ居るかどうかを確かめ必要がある。そうしないと、公園を背にしてからが怖い。

 立方体公衆トイレが二つの光源に照らされて伸びる影の先には、ジャングルジムがあり、わずかながらジャングルジムの影も砂場に広がっている。幾何学的な影は、砂場の凹凸に習って、あまりユークリッド幾何的ではない形になっている。ブランコにはあの小さな影はなく、滑り台にも影はない。灌木を含め、公園全体を見渡してもあの小さく、揺れていた影は見当たらなかった。僕は一安心して、煙草を口に咥えた。少しだけ、雨が強くなってきた。火をつける。

 とりあえずは安心てところだろう。もともと霊とかは考えていなかったから、特に恐れることはなかったのだけれど、一応だ、一応の確認必要だと思ってだ。それから公園から目を離して歩いてみた。なぜかまた右手の小指と薬指が痺れてきた。コンビニで買ったもの左手で持っている。右手煙草を吸うために放っている。それにしてもあの影はなんだったんだろう。影があるのだから、影の主はいるのだろうが、僕はそれを見ることができなかった。するとやはり、影は独立したまま存在し続けるのかもしれない。僕の中でも。世界の中でも。

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」

 という声があらわしていたものは、僕の考えていたように、ものごとの素朴な存在を認めろ、ということなのかもしれない。だからこそ、影にはその元があるとは考えなくて良いし、「声」のものも、「言葉」のように独立したツールとして、その元を探る必要はないのかもしれない。だが。

 そうしたことを伝えるのであれば、やはり「言葉」に留めておくべきではなかったのだろうか? 「声」でこのことを伝えるというのは、そのもの矛盾しているからだ。通常のものの考え方ではたどり着くことができない。「声」には人を必要とするという考えは、どれだけ複雑な回路図だったとしても、確かなものからだ。僕はそう思う。「声」独立して、僕に警鐘を鳴らしていたというのは、考えられない上に、警鐘ですらない。現状の説明を、何か「声」を使って説明する必要はどこにあったのだろう。必要? では「言葉」で表す必要はどこにあるのだろう。普遍的で、使いやすいのがキーなのだろうか。それが必然に関わっているのか。でも、こうしてみると「声」も「言葉」も大差ないように思える。すると、なぜはじめに「言葉」があり「声」が生まれたのか、が問題なのかもしれない。僕はあの言葉から逃れられていない。いまだに考え続けている。もうすぐ橋を渡り終えるというのに、家に帰ってもずっと考えてしまうのだろうか。橋の下階段に足を付けると、

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ!」

 明らかに声がした。それもあのときに感じた「声」ではなく、方角があり、ちゃんとした輪郭を持った声だった。だが、どこか浮世離れしている。それでも僕はびっくりした。何しろ深夜なのだ。僕は振り返った拍子に咥えていた煙草を落としてしまった。湿っていた地面に落ち、火が鎮む音がした。そこから煙が立ちのぼった。雨が止んでいた。

「お前がどう考えても何も変わらないが、お前はなぜか望むことができる。お前はそれを否定しているだろうが、それは、お前が望むことができてしまうことに勘づいていたからだ」

 橋を上ってくる音が聞こえる。人にしては軽い音だ。

「お前が何かを望んでいたとしても、それが叶うことはまれだ。まれということは、叶うこともある。お前はそういう能力を持っているのだ」

 橋の上に立って僕を心持ち見下してきたのは、高校一年生くらいの少女だった。それにしては身長が小さいし、逆光だからか影しかみえない。

 僕は思ったことを言った。

「でもそれって、僕以外の人にも言えることじゃないですか?」

 なぜか敬語が出た。

「そうなの?」

「たぶん」

 影の少女はため息をついた。マジで……と呟いていた。僕は聞き逃さなかった。

「お前が考えていることは、実は大切なことだ。これ以上ないくら大切なことだ。あまりそういうことを考える人はいない」

「そうなんですか。ちょっと煙草吸ってもいいですか」

わたしにもくれ」

 それにしてもこいつはなんなのだろうか。深夜に高校一年生くらいの少女と一緒にいて、通報とかされないのだろうか。僕は影の少女煙草を渡すために近づいたが、影の少女は、「少女」になることはなく、影の少女を保っていた。なんなのだろう?

ありがとう今日煙草が美味しい日だ。君が思ったことだよ」

「そうだったかもしれませんね」

「だが、お前には足りないものがある」

「なんでしょうか?」

 そこで少女は本当に長く時間をあけて、煙草を吸った。とても長い時間だったが、次に出てくる言葉がわからなかったから、僕は待っているという気分ではなかった。僕も僕で煙草を吸っていたのだ。

「お前は実は求められて、存在している」

「え?」

「お前はそれを拒絶している」

「そうかもしれませんが……」

「お前は求められているから、存在しているのだ。お前が求められなくなったら、存在しなくなる。死ぬとはまた違ったものなのだがな」

わたしはお前に求められて存在した。類を見ないほどひねくれたやり口だったがな」

 そういって影の少女は僕の手を取った。左手の血は止まっていて、傷になっていた。影の少女が、その手をぎゅっと握ると、傷はなくなった。影の少女は、影の少女にふさわしく、とても冷たい手をしていた。

「お前の考えていることは基本的に正しい。が、まずい考えでもある。それを警告しに来た。お前には知ってもらうことがひとつだけある。そのために来た」

 そう言うと、影の少女は地平線の向こう側に指を差した。何も見えない、と言うと、耳を澄ませ、と言われた。それに従って耳を澄ませていると、軽く、高いが地鳴りのような音が聞こえてきた。信じられないだろうが、線路中に列車が猛スピードで走ってきている。どの列車も見たことがない。ここは新幹線は通ってないだろうが、新幹線と同じくらいのスピードで走っている。だからか、電車にも見えない。謎の列車が猛スピードこちらに走ってきている。深夜なのに。どういうことなのだろうか。

「お前に足りないものは」

 影の少女は、橋の手すりに立った。そこで、影の少女少女になった。制服を着ていた。白いパンツが見えた。胸は小さく、確かにあった。ショートヘアだった。見覚えのある子だった。だが、会ったことはない。会ったことはないが、見覚えのある子だった。可愛い少女煙草を咥えたままだった。

 夜が静まりかえっていた。少女が決然と橋の手すりに立って僕を見下しながらも、夜空にはたくさんの星がきらめいていた。青い深夜は地平線見渡す限りに広がっていた。少女は僕を哀れむように見ていた。空間が張り詰めていた。それを揺らす列車の轟音。少女がふらっと動いた。

「圧倒的な喪失だ」

 制服少女は橋を飛び降りた。少女が地面にたどり着くころに、列車は飛び込んできた。衝突する。血が流される。さっきまで話していたあの謎の影は少女で、彼女飛び降り自殺をした。僕が手を伸ばした時点で、少女は見えなくなっていた。なにもかもわけがからない。僕は止められたかもしれなかったのに、影の少女から少女になったところで驚いて、何もできなかった。もしかしたら、なにもするべきではなかったのかもしれない。彼女は僕が求めたか存在したのだ。だが、彼女は自ら消滅することになった。ということは僕は彼女自殺を願ったのだろうか。彼女 Permalink | 記事への反応(0) | 11:49

2021-04-08

anond:20210408143221

砂場で遊んでたら子供の山が走ってきた子供に踏みつぶされたのよ。

そしたら子供保護者自分に山を指さして抗議しろって言うのよね。

いや、お前が抗議しろよ、って思うんだけど面倒なことは全部保護者仕事自分は指示するだけ、って大将気分であるわけよ。

あいのうは、三歳でもムカつくね

元増田の言いたいことは、つまり、そういうめんどくさいこと全部押し付けやがってムカつくーってことでいいよね?

2021-03-19

シンエヴァは冴えない俺たちを取り残していった

シンジが乳の大きいいい女と出来上がってしまって、俺たちみたいに40超えても冴えないどうしようもないおっさんはどうすればいいんだよ。

エヴァ世界ではシンジは不幸でないといけない。不幸なシンジこそが感情移入する器だからだ。

庵野秀明結婚して自分人生好転して、俺たち置いてけぼりの人間を忘れてしまったんだよ。俺たちに乳の大きいいい女と出会えることなんてないし、逆に俺たちにはそんな世界こそが虚構の最たるものしかないの20年前の庵野だったら分かってただろ。

なんで俺たちを置いてけぼりにしてしまったんだよ。

公園で迎えに来る人を待って、誰も来やしないで砂場にせっかく作った作品を壊すあの少年気持ちを忘れちゃったの?

もう俺たちとはさよならなの?

俺たちはどこに行けばいいのよ

2021-02-17

砂場でばあちゃん連れの幼児がうちの赤ちゃんの持ってた赤いトラックミニカーを指差して「ア。ジョジョジャダ。」と言ったときの話。

ばあちゃん幼児言葉を「そうね〜乗用車ね。」と繰り返した。しかし私はこれは"乗用車"じゃなくて"消防車"と言いたかったのではないかと思う。小さい子供にとって赤い車といえば消防車に決まってるし乗用車という難しい単語は知らないはずなので。

みなさんも幼児語を聞き取るときは耳で聞いた音からだけでなく文脈(このケースの場合幼児が指しているトミカの色や幼児が持つであろう語彙の範囲から意味を推測してみてください。

それでは今日幼児語です。

今日幼児語】

ジョジョジャ→消防車

きゅきゅちゅ→救急車

ぱと→パトカー

たク→トラック

デシャ、ガシャンゴ電車

くゥあ→車

じいじ→高齢者

プタ→ヘリコプター

次回の幼児語講座でまたお会いしましょう。さようなら。ババ〜イ。

2021-02-06

赤ちゃんとの遊びって賽の河原で鬼に石をつまされるみたいなものが多い。

「チュミキ、チュミキ(ここにある積み木全部積め)」と言うからそのようにすると「バァーンw」となぎ倒すし、「ぱーしー。クチュテクチュテ〜(トーマス貨車を連結しろ)」と言うから繋げてやると「ん!wぱーしだww(お、トーマス繋がったなw)ガチャン。アーーー!?!クチュテ〜クチュテ〜!!(ちょっと触っただけなのにもう外れた。またくっつけろ!怒)」と何度も連結させられる。

まあ要は赤ちゃん気持ちよく破壊するためのお膳立てをしてやるということだ。

今日今日とて砂場でのこと。家から持ってきた砂場セットにはバケツとザルと型抜きしか入っていなかった。スコップはどうした。仕方ないのでとりあえず型抜きで何か作ってあげることにした。「ほら赤ちゃん、ここにお魚作ったよ。見てごらん。」「アシャカナ。」秒で泥の魚が赤ちゃんの掌に押しつぶされていく。にゅうーんって感じで。全然それはいい。想定の範囲から。むしろどんどん魚を作って押し潰させてやろうという気持ちになった。

近くにちょうどよい泥山があったのでそこから泥を調達ぎゅぎゅっと型に押し込んだ。赤ちゃん破壊するスピードにお魚さんを生産するスピードが負けてはいけないので、急いで型に泥を充填しパァン!と地面に叩きつけるのを繰り返した。そうして出来上がるやいなや赤ちゃんの掌にゅーんと押し潰されていくお魚さんたち。ここで型を"バイキンマン"にチェンジさらに猛烈な勢いで型抜きしまくる。「アッ?!バイキンマーンwwwブヂュ(潰)」変わり種に赤ちゃんも嬉しそうだ。私は一心不乱に型抜きしまくり、周りには30個ほどのバイキンマンの顔ができあがっていた。しかしその頃赤ちゃんはもう型潰しに飽きていて、夫が一度家に帰って持ってきてくれたスコップで穴を放っていた。だが型抜きに魂を奪われてしまっていた私は気づけば次の型に手を出してしまっていた。砂場アンパンマンの新しい顔が整然と並んでいく。泥が苦手なアンパンマンの顔が泥で作られるなんて皮肉ではないか

後ろにいた他所の子供が「アンパンマン、なんでいっぱいあるのー?」と自分のお父さんに聞く声が聞こえた。お父さんはその声を無視していた。

結局、アンパンマン型抜きチャレンジは長女が「ママおしっこに行きたい」と言ったところでストップした。私は長女をトイレに連れていくので赤ちゃんと次女を見ていてと夫に頼み砂場から離れた。

おしっこから砂場へ帰ってくると別の家族がなだらかな美しい山を作っていて、何十個とあったアンパンマンの顔はどこにも残って無かった。だけど私は「それでいいんだ」と思った。

2021-01-23

今日ニュースアプリちょっと悲しくなる記事を読みました

砂場で遊ぶ親子、近付いて来た男性の『行動』に背筋が凍る

https://grapee.jp/912887

要約すると「公園不審男性に絡まれたことに対する注意喚起」なんですが。

この漫画の作者さんが怖い思いをされたことは事実です。

そして世の中には子供を狙った犯罪が度々起きていて、それらの脅威から子供を守らなければならない母親として、不審者に対して恐怖心や怒りを抱く気持ちもとてもよく理解できます

ただ、作中で「気持ち悪いおっさん」「不審者」と呼ばれ、作者さんのInstagramコメントで「キモイ!」「こんな奴は本当に消えてしまえと思います!」と盛大に叩かれているこの男性を、他人事のように思えませんでした。

まるで未来の息子の姿を見ているようで。



この男性、娘さんが砂をこぼさず入れられないことに激昂しているあたり、なんらかの発達障害精神疾患をお持ちの男性かな…と、漫画を一目読んですぐに思い当たりました。

うちの末の息子は赤ちゃんの時に大病をして軽度の知的障害が残ったため、いろいろな施設に通院しています

いまはまだ幼稚園児ですが、息子の通うデイや病院などの施設では、知的障害発達障害のある大人の方を見かけたりすることがあります

急に大きな声を出したり、人目を憚らず局部をいじり始めたり(性的な意味でなく本当に幼児のように)、いきなりよく分からないことを話しかけてきたり…

障害のある方が身近ではなく免疫のない人にとっては、それらの行動に対して「怖い」「気持ち悪い」と感じてしま気持ち理解できます

そう感じてしまうのはきっと本能なので、それをどうこう言うつもりは私にはありません。

様子のおかしな人から何かアクションを起こされたとき、まずは身を守ることが第一

物理的に距離を取るのが一番有効でしょう。

でも、それらの話を誰かに話すとき…ほんの少しだけでいいので、「もしかしたら悪意や害意をもってやっているわけではないかもしれない」と思考してみてほしい。

しかしたら、「意図的にやってる気持ち悪い犯罪者のおっさん」ではなく「障害病気自分言動制御できないおっさん」かもしれない。

障害病気もつ人も、自分と同じ心を持つ人間です。

障害がある人がやりがちな言動の特徴についてもっと周知されれば、お互いに悲しい思いをするような出来事は減るのではないかと思います

しかしながら、障害のせいだからといってこれらの言動が許されるわけではありません。

他人迷惑をかけているわけですし、万が一パニックを起こして暴力沙汰なんかになってしまえば大変です。

そうなったらもう警察の出番かと思うのですが、できれば「糾弾するために」通報するのではなく、「保護するために」通報してあげてほしい…

本当、細かいと思われるかもしれないですが、気持ち問題で…そう思います


この漫画の作者さんを非難する意図はありません。

恐怖を感じて当然ですし、この男性のためにも地域住民のためにも男性親族保護者がいないのであれば、行政の介入なりなんなりで監督者が必要パターンだと個人的に思います

ただ、障害病気のせいで起きてしまった男性の行動について貶めないであげてほしい。

「ムカつく」「怖かった」はわかる。

キモい!」「消えて!」「許せない!」と心で思ってしまうのも仕方ない。

でも、寄ってたかって声高に非難したりするのはやめたげて…

性犯罪を起こす一部のアレな男性と、そういう人を強烈&苛烈すぎるほどに糾弾する女性のせいで、男性というだけで警戒されたり非難されてしまうの、いずれおじさんになる息子を抱える身としては本当に胸が痛いです。

いま、末の息子は幼稚園児で、私の年齢は30半ば。

これから迎える思春期と性の目覚め、そしてただでさえ世間から警戒されがちなおじさん期、それから親亡き後の事…彼がどのように成長しているか、誰にも予想はつきません。

きっと誰かの助けを必要とするだろうし、支えてくださる方々には私が生きているうちに先取りの恩返しをたくさんしておく予定です。

毎日福祉と人の善意のありがたみを噛み締めながら生活しています

願わくば、人に害なすことのないよう、いまのおっとりした性格のまま真っ直ぐに大きくなって、そしてたくさん愛し愛されて人生を楽しんでおくれ、息子よ…

2021-01-05

anond:20210104215028

理系はまず基準を整えるべきだと思うけれども如何か。

・【教育者が考える優秀な人】:何の教育者で考えるとは何を基準化したもので、優秀とはそのうちの何割なのか。

二次試験思考力を問い、1次試験で処理能力を問うてるらしい:一次二次文字が違う意図と順序が逆な理由、その「力」とは具体的に何がどれだけ出来ることなのか、その問われている基準得点か偏差のどの部分を問うているのか。

・ぼくがネットで調~い理由個人が行ったことが個人として特有でない事を前提としないと他の人がそれを同じにできるわけがないがぼくというのはどの広義の平均を言っているのか。

教育レベル知識:他に何のレベルがあり、それらは段階としてどれだけあり、羅列していくというサンプル提示がそれらすべてなのか、結果を出して報告することなのか。

詰め込み教育~できんかったのかな?:何の話をしているのか。詰め込み否定からゆとり成果物エンタメとか意味不明。「でした」「ありました」と成果をあげることと成果物の差は、エンタメとは「人が興味をもつ事、楽しいと感じる方法」のことであればその対象付与されるべき装飾は結論について何らかの意味もつのか。

・けっこう大事観点:なにがどうどの分野において重要視されているのか。

ゴリゴリヘンタイだったり、マニアックな形で知識を使ったりしててユニーク手段特殊であっても導かれる答えは有用であり一般的なはずだが、手段について特殊性を先述のエンタメや新しいものにする必要はない。伝統的な同じ数字記号しかできていないし公式の利用も同じで充分。用途にあわせて意外性を発揮することを創作と同じ未定義空想仮定を織り込むのはそんな妙な表現でするものではないはずだが。

知識の使い方や見せ方を面白くできる人:継承には必要かもしれないが実質的知識を利用するのは結果を出すことであって、当人特殊性を評価するものではないはずだが。


他にも多く訳の分からない文章はあるけれども、最低限これらは定義していただかないと、妄想小説とかわらないのではないか

文章雰囲気から高校教育についての議題で高校教育教育者が行っている教育内容について「教育者」が登場しそれらが考えている基準かのように見えるが、試験についての意見を述べているようなので「大学受験を採点する位置にいる教育者」の話のようでもある。

それらが混在するのであれば教育者に番号を振ってどの教育者問題なのかを明確に分ける必要がある。化学物質の水溶実験をするのであればその触媒にもとから混在している物質ができるだけ少ないほうが結果を再現たかくできるし要素を明確にしていたほうがそれをまとめて情報化したとき再利用できる情報として利用できる。

試験で何を問われているのかしらないが、問うからには答えを返す受験生がなにかの解答をしているはず。能力を答えるわけではないだろうという事から能力を測定できるなんらかの結果を返しているはず。思考の力や処理の力とは何を指しているのか。

学校教育で覚えた定型公式や基本構造の骨子を変えず代入する値や求めるべき結果の状態を変えて記憶したもの再現させる数学問題などで途中式や結果の正誤を採点している現在様式についてなんらかの問題を提起しているのだと思われるが、学校教育記憶とそれを応用する1場面中の注目点以外に採点基準があるのだとしたら、思考の力や処理の力とは何なのか。

後半は導かれた結果が、いか大衆受けする身近で理解が容易く期待をさせ購入や投資などなんらかの行動を喚起するような表現方法をする必要性が書かれているようだが、人間の関心や行動が具体的にデータになっていないのではそれらがどれだけの割合で影響しているのか、人数以外では測定のしようがない。

人数で行動原理が測れるなら人に迷いはないはずで、そうなれば買い物や事故犯罪について統計から正確な予測ができるはず。人の行動が予測できないためそんなものは出来ていないのはエンタメや新しいものというのは成果物評価とは別のものだということになるが、そのいう教育とは一体なにを指しているのか。


文系ならば一旦理系のように、準備するものを紙に書いて一覧にしてほしい。

実験材料を用意するのと同じである

東浩紀氏のようにゴリゴリ文系言葉世界を創るとか、準備なしでその場で言葉にするライブ動画での音声で知がどうのといった頭のおかしい事を言うそれの様に、その場で言葉で言ったから、先に言った通り、他の誰かの言葉を借りるなら、という構成では結果は再現性も再利用性もなくその場にそれが存在したというだけの証明しかならない。

まず準備した要素を並べて合わせて、結果がでたのならそれら1要素ずつを組み合わせて得られた結果に有用性のあるものを残していった結果がどうなるのか。

理系であるならば、答えを導くための要素を準備の段階で精製し、再現率が高くなるように合成の手順を単純化し、得られた結果から従来の手段や結果にどう利用できるのかを文章にすべきだろう。

教育者免許をもたないもの幼稚園保育士も含むのか、考えるとか優秀なとは日常的な接触を含むのか具体的な試験のどれの得点を指すのか、それらをどのタイミングでどの部分を変化させれば現在に発生していない結果が得られるのか、それを示すべき。


いまの文章では砂場泥団子や砂山をつくって、自分は城が創れるのだけれどもなぜみんなこんなものができないのか、これからはこういうのが大事

と言っているのとさして変わらない。



理系として科学的に必要文章

どの成分のどんな素材をつかって、どういう経緯を経ればどんな形を形成することができるのか、それは何に応用できるのか

そういうことではないか

以上で凡そお分かりの通り、文系理系にもどちらかよりに中間の者はいると思うが、それらが大きく異なる点がある。

それは「否定で語る」か「肯定で語る」かである

理系の分野において否定をもって何かを成立させようとすると無限否定の要素を永遠に試し続けなくてはならない。

そんな不毛なことを最初からする人間などいないのだ。

できない、しない、たりない、ならば、できたことを、してみて、たしていく、をするだけだ。

理系なのであれば、各種定義肯定されるべき、いやもう要素の定義だけでもいいのですべきだと思うが。

2020-09-30

逆に、Webサービス設計する時にDBどうしようかなーって悩んだら増田投稿してDB代わりにしてもいいっていうことなんだよ

メールフォーム作ったりすんのだるかったら増田タグ付けて投稿してくださいでもいいし。

21世紀最後砂場で遊ぼう。

2020-08-27

口に入った一番汚いもの

俺は、口に汚いものが入った記憶は、意外とない。

校庭の砂場の土くらいだろうか。

2020-08-24

こどもたちの砂場においては、

こどもたちに、従うべし

だけど、もう右足と、

心臓にまで負担がかかり始めてきた

しぬかもな

みぎめも、だいぶ、だめになってきた

2020-08-21

EpicGamesのゲーム政治利用が許せない

(この日記の内容はすべて投稿者感情です。倫理法律には詳しくありません。)

ゲーム政治利用したEpicGamesへの憤りが収まらない。

 

 

AppleとEpicGamesのストア利用手数料をめぐる係争が一週間ほど前に勃発した。自分はどちらの言い分にも一理あると思って、法廷で存分に争って決着をつければいいだろうというところで意見が落ち着いていた。

 

 

しかし、今日、FortniteでAppleを腐ったりんご揶揄したイベントの開催が通知された( https://www.epicgames.com/fortnite/ja/news/freefortnite-cup-on-august-23-2020 )。私はこれが許せない。Appledisたことについてはどうでもいい。争っている相手関係ない。自分が許せないのは、多くの子供も遊んでいるゲーム政治的プロパガンダに利用したEpicGamesの、ゲームエンタメ会社としての下劣倫理観だ。

ゲーム人間感情を強く揺さぶものであり、だからこそ楽しく、多くの人をひきつけている。その感情への影響力の強さは魅力であると同時に、危険でもある。ゲームは非常に強力なプロパガンダの道具として使うこともできる。ゲームの強力な感情作用平和な遊びに留まっているからこそ尊い。そこに企業や国の政治的思惑が介入したとたんに、ゲーム卑劣感情操作プログラムに成り下がる。

 

 

TwitterApple1984年CMパロディ動画アップロードしていたのはまだ許せた。SNS政治的主張をするのは問題ない(ゲームキャラクターを使った動画だった事が引っかかってはいたが。例えば、企業係争についてマリオが主張してたら最悪だと思うけど、同じようなことをEpicGamesはやった。)。だが、ゲーム内にまで企業係争を持ち込んでプロパガンダを行うのは、ゲーム運営会社としてやってはいけない一線を完全に超えている。

 

 

EpicGamesがやったのは、子供が遊んでいる砂場に遊び道具に見せかけたピストルを持ち込んだようなもので、ゲームを遊んでいるだけのつもりの子どもたちは、EpicGamesのせいで知らず知らずのうちに政治的係争兵士にされる。

 

 

企業目的が金儲けである以上、他企業との争いは避けられないが、そういう大人の事情コンテンツ本体の中には持ち込まないのがエンタメを作る会社としての最低限の倫理観ではないのか。

 

 

将来子供ができたとしてもEpicGamesのゲーム絶対に勧められないし、自分政治介入があるゲームで遊びたいとは思わない。Fortniteは少しやったこともあるが、さっきアンインストールした。ゲーム政治利用するEpicGamesの衰退を願っている。

2020-08-20

正解などない読書感想文の、正解と言える書き方

 小学生の子供がいる増田ブクマカもいるだろ、その中に読書感想文が苦手だった奴いるだろ。8月も終わりに近づいてきて、そろそろ「かーさんとーさん、読書感想文ってどうやって書いたら良いの」が来る頃だろ。安心しろ読書感想文ナントカ賞をいくつも貰った私が書き方を伝授してやる。これは私に娘息子が生まれたら伝授する一子相伝の技にしたかったんだが、そんな予定は一切なく、今後一生ないだろうという見通しになってしまったので全国公開だ。滅びよ人類

 そもそもコロナ禍で3月4月休みだったけど夏休みちゃんとあるのか?読書感想文課題って今でもあるのか?しらねえ、書きたくなったから書くんだ。書かせろ。

本の選び方

 なんでもいい。薄ければ薄いほどいい。読みやすいからな。課題図書じゃないと駄目っていう狭量な小学校なら課題図書でいい。私くらいになると増田でも書ける。あとで実践編やるので期待せず待て。

感想の書き方

 読書感想文の「読書」は前項で満たした。次は「感想」だ。感想に正解はあるのか?そんなものはない。感想とは誰のものか?筆者のものだ。筆者が絶対王政の、何やっても良い文章感想だ。つまり、筆者が書いたことこそが唯一の正解だと心得ることだ。読書感想文の中ではな。

 読書感想文苦手パーソンは、結構割合読書感想文の主役を「本」にしがちだ。だからあらすじを書きたくなるし、この本が伝えたいことは何か、みたいな答えを探し出す。それをやるのは感想文じゃなくて紹介文。読書感想文の主役は筆者。あらすじも引用も正しい読解も不要だ。堂々と誤読曲解勘違い拡大解釈被害妄想を自信満々に書いていけ。しかし、文章を書く訓練を積んでない人が「書きたいこと書け」って言われたって難しいことくらいはわかる。読書感想文こそが文章を書く訓練だからな。必要なのは具体的な方法論だ。

自分語りをしよう

 自分語りって嫌われがち?それは公園砂場でしょんべんしたら嫌われるのと同義。しょんべんはトイレで。読書感想文トイレだ。本を適当に開いて、気になった一文について文句つけたり褒めたりしよう。正しさは不要だ。そこに自分体験をくっつければ、あっというまに400字は書ける。1ページ埋まったな?

好きなものの話をしよう

 自分語りに繋がるが、好きなものの話というのはリアリティがあって、本人にしか書けない素晴らしいお気持ちが書ける。好きなものと本との共通点こじつけろ。400字は書けるな?

嫌いなものの話をしよう

 好きなもの同様、嫌いなものへの悪口もスラスラ出てくるものだ。嫌いなもの悪口言っても怒られないのが読書感想文という場だ。好きなだけこじつけて、比較して、罵倒しよう。適当な一文をあげつらって、怒って、作者は性格が悪いと決めつけよう。400字以上余裕だな?

社会問題こじつけよう

 何でも良い。その学年の児童・生徒が興味を持ちそうな、センセーショナルではない、できれば同じ議論が繰り返されてるような社会問題こじつけよう。環境問題とか、食料廃棄問題とか、いじめ問題とか。本の感想として自分体験を書いて、それを社会問題まで広げる。国語先生の花丸と、ナントカ賞のニオイがしてきたな?

 以上が方法論。賞が不要で、とにかく終わらせたいなら、社会問題こじつけ必要はない。自分語りだけでOK。さて、実践編だ。

実際に書く

 実際に増田ピックアップして書いてみるぞ。まあ今のタイミングならこれだろ。

anond:20200819164355

タイトル:嫌なら嫌とそう言おうぜ

 自分はひねくれ者だ。いや、ひねくれ者でありたいと思っているだけの、単純な奴かもしれない。なぜそんなことを思ったかというと、兄から「お前は単純だな」と、何度もだまされてバカにされたからだ※。だから、単純であることは人として劣っていて、ひねくれているずる賢い奴のほうが優れている、という思い込みがあるのかもしれない。だから自分はひねくれ者だ、なんてことを考えている。

 今回読んだ本は「夫を松潤扱いしてみた」だ。松潤松本潤といえば、アイドルグループの嵐のメンバーであり、とてもカッコいい人だ。夫を松潤扱いするということは、つまりは夫を騙して調子に乗せて、あとからハシゴを外してバカにする、自分がよく兄にやられていることを、自らが選んだ夫にするのか、なんて性格の悪いやつだと怒りを覚えた※。他人を騙してバカにして、何が楽しいのか!いじめと同じ構造じゃないか!と怒りつつも、自分TBSの「モニタリング」という番組が好きなことを思い出した※。あれも、突然〇〇したら、人はどうするの?という、騙して反応を楽しむという構造だ。いじめと何が違うのか?そしてそれを笑って見ていられるのに、自分にふりかかったら怒ってしま自分は薄情で性格の悪い人間なのか?そんなはずはない、あの性格の腐った兄よりも、自分はずっとマシなはずだ。兄とモニタリングは違うはずだ。

 そんなことを考えて、頑張って違いを見つけた。「騙された側の反応」だ。兄はただ自分不快にして、兄だけ笑って終わる。モニタリングは、騙された側も笑顔で、騙した側も笑顔だ。騙された側も嫌じゃないのだ。騙された側もハッピーに終わるなら良いことだ。騙された側が「嫌だ!辞めろ!」と言えば辞めるのがモニタリングだろう、ただ人に嫌がらせがしたい兄とは大違いだ。相手が嫌な気持ちになったら辞める、謝る、というのが、いじめ大好きな兄と普通の人の違いだろう。

 実際に、この本も「夫」は楽しく騙されて、そして良い結果になっている。作者も、悪意が合って騙しにいっているのではなく、うまく調子にのせて良い結果を生み出している。そうだ、この「夫」は単純なのだ。そして単純で素直だからこそ、いい結果が生まれている。やはり単純であることは悪いことじゃない。悪意のあるひねくれ者の兄こそいじめっ子で、悪い奴なのだ

 しかし、自分友達に対して「嫌だ」と思われていることをしてしまっているのかもしれない、という思いが出てきた※。いじりやからかい名目で、いじめと変わらないことをしてしまっているのかも、と不安になってきた※。そこで、自分ルールを決めようと思う。「『嫌だ』と言われたら善意であっても辞めてきちんと謝る」だ。きっと、この本の作者も、「夫」が辞めてと言ったら素直に松潤扱いを辞めているだろう。嫌がらせのつもりはなく、悪意がないからだ。そして、自分も嫌だったらきっぱりと「嫌だ」と言うようにしよう。

 米津玄師のLOSERという私が大好きな曲がある※1。とてもカッコいい曲で、タイトルは「敗者」なのに、全く負けている感じがない。歌詞はひねくれ者の歌詞でも、ひねくれてちゃ何も始まらないぜ、負け犬だっていい、遠吠えだっていから、それこそ単純に「愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね」と歌っている。自分の好きな曲も、ひねくれ者でもいいから、思ったことを単純に言って伝える、そんな単純さを肯定している。やっぱりひねくれ者に憧れるのは辞めだ、単純に生きていこう。嫌なら嫌とそう言おう、悪意がない相手なら伝わってくれるはずだ。

 今後、自分は「嫌だ」「愛されたい」をはっきりと言っていこうと思う。そして願わくば、この本の夫婦のように、信頼しあい、愛し愛されて幸せに生きていけるようなパートナーに恵まれますように※1。この祈りに、「恵まれますように、なんて受け身じゃ始まらいね」なんて混ぜっ返す、心の中の兄が顔を出してきた。兄は居なくても他人嫌がらせをする。兄よ、愛されたいならそう言おうぜ。

※ 全部ウソテレビもねえ、兄もいねえ、友達いね

※1 本当

 原稿用紙5枚分である。書くのに1時間くらい。便宜上元増田のことを本と呼んでいる。賞がほしければ、ここから架空の兄への恨み節みたいなものを削って、もっといじめ問題フォーカスしていけばいい。今回は架空の兄への恨み節をメインに据えているが、やりたければ好きな曲とかゲームの話でも良いから、書けるものの話を延々すればいいし、ちゃんと本を読んだなら本の内容をメインにしてもいい。これ全部読んだ人はわかると思うが、私は元増田はそこまで読み込んでない。好き勝手自分のことを話しているだけだ。あらすじなんて微塵も引用してないし、正しいテーマなんて探していない。読書感想文なんて、本は添え物だ、好きなものと嫌いなものを書け。賞が欲しかったら社会問題トッピングだ。簡単だろ、簡単に書くんだよ。難しく考えるな。

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