2019-08-29

anond:20190828230239

うちの話をすると、

癌で闘病中だった父親に対して、私も「頑張れ、まだまだ長生きしてよ」と励ましていたが、

「いや、もうしんどい」という父の言葉を聞いて、父の死を受け入れるようになった。

父はまだ元気な時から延命治療はしないでほしいと言っていたので、

それからは、家族が交代して、父と共にお迎えが来るのを待つようになった。

特に会話で盛り上がることもなく、ただひたすら待った。

近くを走る電車の音を聞きながら、ひたすら待った。

こうして、ただひたすら待つしかないのは、出産にも似ているなと思った。

ようやくお迎えが来た時は、心の底から

お疲れ様。今までありがとう

と思えたね。

人一人が生きていること自体社会的意味はないが、その人がどう生きるかはその人にとって意味がある。

家族であれば、それに付き合う義理はあるし、価値もある。

私も、父のように、時が来たら延命治療はせずに死を受け入れたい。

家族にも、早めにそう伝えるつもりだ。

父は最後にそうすることを教えてくれた。

記事への反応 -
  • 2年ほど前に父親が認知症を発症した(ボケた) ボケる前から親父と話していたが「ボケた際には老人ホームへ入れてくれ」という希望通り、サービス付き高齢者向け住宅へ入居。 現在は...

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      • 言及、ありがとうございます。母をがんで亡くしているので、治る見込みの無い抗癌剤治療を行って「ただ、亡くなるのを待つ」辛さも体験しました。 今回は、父がボケてしまっている...

        • ボケはストレスが大いに影響するのだとか 余裕がある形で親を看取りたい まぁ介護士の従兄弟曰く、 余裕があっても介護施設に放りっぱなし、 面会にきたと思えばギスギスした様子の...

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