はてなキーワード: 安息とは
あらかじめ、簡単にまとめておくと、
『けものフレンズ』のOPソング「ようこそジャパリパークへ!」は
その一見人畜無害に見える歌詞に、人類がジャパリパークへ至るまでに辿ってきた道のりや設計思想を隠している。
ファンにとってはもはや常識の部類であろうが、啓かれていない野蛮なインターネットの民衆たちにはまだまだ広まっていないであろう。
人類のよりよき未来のため、「ようこそジャパリパークへ!」の歌詞解説をここに記す。
Welcome to ようこそジャパリパーク!
歌い出し。「ドッタンバッタン大騒ぎ」とは戦争前夜の政治的な混乱を暗示している。
うー!がぉー!
「うー」が「おー」になる言葉とは何か。そう、War である。戦争がはじまったのだ。関係ないが SEKAI NO OWARI というバンド名には NO WAR という文字列が潜んでいる。
「喧嘩してすっちゃかめっちゃか」になった時代を経て、けものへ進化したことで今ではすっかり仲良しになれたことを感謝している。
本当の愛はここにある
「けものは居ても のけものは居ない」は一般的に「みんなちがってみんないい」の謂だとされがちであるが、誤読である。
どんな社会には一定のはみ出し者は必ず生まれる。それが発生しないということは、そもそも排除されているからだ。
ジャパリパークは初めから「のけもの」を拒絶するようにデザインされた場所なのだ。
我々はここでナチスの蛮行を想起し、戦慄をおぼえざるをえない。排他的な国家で称揚される「愛」とはどういった類のものか――?
ともあれ、「ジャパリパーク」建設の理想に燃える人物が現れた。その人物は長引く戦争によって疲弊した人類世界を次のレベルに導き平和をもたらすために、ある行動に走ることとなる。
夕暮れ空に 指をそっと重ねたら
きのこ雲を暗示。
そう、ジャパリパークの設立者は単なる戦争を破滅が約束された核戦争へとひきあげたのだ。
振り向けば あちらこちらでトラブル
みんな自由に生きている
そう 君も飾らなくて大丈夫
我々の生きる現代と遠未来のジャパリパークをつなぐミッシングリンク――核戦争後の『マッドマックス』的終末世界で人々がたくましく生きる様子を描いている。
何を「大目に見る」のかといえば、無辜の民衆から暴力で資源や食料を略奪することだ。万民が「獣」になってしまった世の中だからしょうがないだろババア、ということである。
みんな「獣」になってしまったので「自由に生きている」わけである。
安価で高品質な大量生産の衣料品も失われ、この時代の人々はみな古代人のような粗末で簡素な服装をしている。アクセサリーなどは一部の特権的な支配階級にしか許されていない。だから「君も飾らなくて大丈夫」。
(はいどーぞ♡)
荒廃した世界、蔓延する暴力、無法なる秩序――もはや人類に安息の地はないのか?
絶望にくれた未来人の前に「はいどーぞ♥ はじめまして!」と登場したのが我らが理想郷ジャパリパークである。
いつもいつでも優しい笑顔 君を待っていたの
開かれた扉(ゲート) 夢をいっぱい語ったら
どこまででも
続いてくグレイトジャーニー
Oh 東へ吠えろ 西へ吠えろ
「ヨハネの黙示録」第四章:「見よ、開いた門が天にあった。そして、さきにラッパのような声でわたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、「ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に起こるべきことを、見せてあげよう」と言った。」
まさにその門(ゲート)から旧世界を滅ぼす災厄の獣や四騎士たちが「東へ西へ」放たれたのである。
「世界中に響くサファリメロディ」は獣たちの咆哮であるとともに、天変地異を報せる天使のラッパも暗喩しているものと考えられる。
―Welcome to ようこそジャパリパーク!
サビの一節だけを印象的に挿入することで、新世界の誕生を強調。
うー!がぉー!
ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!
ララララ ララララ Oh, Welcome to the ジャパリパーク!
ようこそジャパリパーク!
「ラララ」というコーラスで、言語や思考の多様性を切り捨て幸福に統一されたユートピア・ジャパリパークの状況を示唆。
そこでは「welcome」されたフレンズが「集まって」わいわいし、いつか「素敵に旅立つ」=死ぬ。それだけでサイクルが成り立つ。
それは完成された世界だ。
それは完成された福音だ。
ようこそジャパリパーク!
インターネッツで「タヒね」とか、叫んでいる人がたくさんいるけど、自然死による世代交代は穏便な解決手段です。誰かが犯罪者としてまつりあげられることもないし、血が飛び交うこともない。こころよく思っていなかった人たちも安息する。医療技術の発達前ならば致命傷だった病気から復帰する人もいるけれど、江戸時代の平均寿命より長く生きる必要があるのか、じっくりと考えたほうがいいです。みんな長生きにこだわりすぎ。人生の目標長生きとかくそくらえです。
さて、組織を延命するための制度として、定年とか転勤とか出向とかがあるます。これは自然死を人為的に発生させて、組織をリフレッシュさせている。これらのことを定期的にすると前任者の不正を発見することもできるし、仕事の引継ぎによって属人的な仕事化を防ぐこともできる。そういうことを防ぐ知恵のはず。上の重しがなくなることで組織は活性化し長続きします。
ところが、人為的な自然死による新陳代謝の活発化を阻止しようしている経営者がいる。なぜ、そんな面倒なことをして人を入れ替えるのか。その理由とそのメリットがわからないのだ。わからないことは恥ずかしいし、私欲にまみれて私を脱することができていない。
とある会社の事例を読者の皆さんとシェアしたいと思う。とても有益な情報なので拡散希望です。まず、適当な派遣会社を作る。そこへ定年したお気にの社員を入れる。そこから本体の会社へ定年した元社員を元のポジションに派遣する。これで、定年制を無力にする偽装派遣会社が完成する。派遣社員なので、給与は会社の規定による必要はない。お手盛りにできる。派遣会社は、本当の派遣事業をする必要もないので安泰です。もしあなたが就職活動中の学生であれば、この幽霊派遣システムを見つけ次第、一目散に逃げてください。なぞの幽霊派遣会社に搾取されるだけです。あなたへの分け前は確実に減ります。
最近、東京のほうで天下りの斡旋ボランティア風の団体を作っていた人が話題です。批判をかわすためには、派遣会社を作って、そこから派遣すればよかった。派遣契約ですから、勤務日数が2日/月で年間1000万円をもらっても、派遣契約ですからで終わります。役員の派遣、顧問の派遣、部長の派遣、とにかく派遣を使えば、いろいろとはかどる。これからの天下りはダミーの派遣会社経由で行われるべきです。高度な判断をする人材を派遣するわけですから日雇い派遣とは一線を画す。ノープロブレムです。
このダミーの派遣会社はとても儲かる。その代わりに経費が少な目。がっぽり法人税を取られる可能性があるので、都心にオフィスを構えて家賃で利益を飛ばしてしまうのがおすすめです。この手法が世間にあまりにも広まりすぎると、派遣の規制が厳しくなる諸刃の剣。素人にはおすすめできない。
「きつい事を言うようだけど、あなたの為を思って言っている」
「大人になったらこんなこと言ってくれる人は少ないのだから、いやかもしれないけど受け止めてほしい」
逃れられない人間関係の中で、「心配」という言葉を謳いながら、私の弱いところを責めたてる。
言い放った人間は気持ちよくなり、己は思慮深く優しい人間だと思え、その満足感に気持ち良さは絶頂に達するのだろうか。
ただただ私でオナらないでほしい。
年甲斐もなく怒り、この濁った感情を落ち着かせるために1人ファミレスでアイスを食べた。
その姿は滑稽だったろうと思うと更に惨めになる。
人を癒せると、自分は誰かの為に何かを出来ると、そう思うことは悪い事ではない。
ただ、自分が慈悲深く優しい人間であると自己肯定するために「貴方を心配しているのだ」というのはエゴだ。
そのエゴの押し付けだけなら耐えられても「せっかく心配してあげているのに」なとど言葉をつづけられた時にはもう心が息絶え絶えになる。
私は他人の優しさを汲めない独りよがりの人間なのかもしれない。
aukusoe「ス… スミマセン… その… 次は必ず…」
cider_kondo「次は無いよ今回でよく解った他のSNSじゃともかく俺のお気に入りにキミは必要ない」
aukusoe「…? !? そん… そんな… こ… 今回の事は本当にスミマセン、でも次は…っ 絶対… い… いいブコメを書きますから…っ」
cider_kondo「そうじゃない俺達は最高傑作が欲しいんじゃ無い最新作が欲しいんだよaukusoeくんお気に入りにとっちゃ間に合うブコメよりいいブコメなんて無いんだその上で傑作ならなおいいがどのみちキミを使う気はないよそれじゃ」
aukusoe「…っ 才能が無いからですか…」
cider_kondo「… 何…?」
cider_kondo「フー… おいっ」
aukusoe「だって… だってそうじゃないですかっ。しょっちゅうオトしててもお気に入りワクを持ってるブクマカーだっているのに…っ どうして僕だけ…?」
cider_kondo「いいかよaukusoeくんっ キミ達がバツ悪そうに回線切ったアトで俺達は脂まみれになって駆けずり回るんだっアチコチに頭下げて回るんだっブクマカーがブコメオトしても俺達がはてブ新着をオトすワケにはいかねんだよそんなコトが一度でもあれば俺たちのクビなんて簡単にとぶんだたった一度のヘマで路頭に迷うんだよ俺達はっ学生気分の抜けないお前等と違って… そうゆう責任を背負ってんだ社会人ってのはっそれでもお前等みてェのとサシで仕事してんのはお前等の情熱が伝わってくるからだろうがっその情熱をキミにはもう感じないと言ってるんだっ何が「才能」だっ 俺はインターネットで20年メシ食ってるが誓ってもいいぜブコメの才能なんてのには出会ったコトねェよっ 皆 情熱で書いてんだよっ素人同然のヘタッピがどうしようもねェ情熱でブクマカーになってくんだっ よそじゃ知らねェが「cider_kondoのお気に入り」は俺の物だっ 俺が気に入らなきゃ使わねェ くやしけりゃよそで俺を見かえしてみろっ
ヨォ… お疲れっ」
death6coin「お疲れさまです」
aukusoe「……っ ゆ… 夢だったんだけどなぁ… …ブクマカーになるの…」
death6coin「ブクマカーになるのが?僕が出会ったインターネットユーザーは皆口々に言う… 「今はネットなんか書いているがいずれは…」と… 「ネット落ち」「ネット抜け」とゆう言葉もある… かく言う僕もいずれネットよりはるかに巨大な市場を持つ単著へ打って出るつもりです… 「応援してください」「頑張ります」と言いながら誰もどこかでインターネットを恥じているっ それで当然と… そうゆう業界なのだと思っていました… aukusoe先生の発言は新鮮で衝撃的ですがとても信じられない… 本当にブクマカーになるのが夢だったんですか? ……」
aukuose「あ… えっとあの僕…いわゆる…「あの頃のオタ」ってヤツで…」
aukuose「death6coin先生… お歳は?」
death6coin「21です」
aukusoe「…っ!?」
death6coin「何か…?」
aukusoe「いえっ… …その…今の世の中的には… 無かった事になってるみたいですケド…
僕等が学生の頃はヒドかったんです… いわゆる「オタク迫害」ってヤツで…
当時を知らない人にはなかなか信じてもらえないケド… たとえば学校で「オタク」だってレッテルを貼られると… 殺されてしまうんです」
death6coin「…? ハハ…」
aukusoe「も… もちろん追いたてて吊るされるワケじゃないケド でも… 似たような恐怖は毎日感じてました
…当時は全国でイジメを苦に自殺する子が大勢いて新聞やTVでそうゆニュースを目にするたびに思いました…
「ああ… この子きっとオタクだったんだな だから皆にイジメ殺されたんだ」って…
もちろん想像ですその子の事は何ひとつ知らないし …事件の背景を調べたりしたワケじゃないですから
ただ… そうゆう考えが自然に頭に浮かぶくらい… 当時の僕等の状況は苛酷だったんです
…どうしてそんな風になってしまったのか原因は判らないケド… 最初にはじめたのはきっと大人達だったと思います子供って大人のマネしかしませんから…
よってたかってトイレでボコボコにされた後便器に突っ込まれた上ばきを履いて教室に戻ると… ホームルームで… ハ… 議題が「イジメについて考えよう」なんですよっ
彼等の瞳には自分は人間の形に映ってないんだと気付いた時には恐怖で凍りました「このままだと僕もイジメ殺される」って…
いやあ… 父親の転勤で転校決まった時はうれしかったぁ… 学生時代で一番うれしい思い出かもっ ハハッ
転入した先では「かくれオタ」になりました卑怯なコトかもしれないケド当時の僕にしてみれば生死にかかわるコトだったんです… 教室では他のクラスメイトと同様にアイドルやファッションやモータースポーツに夢中のフリをして
自宅に帰るとアニメ声優のラジオを聴いたりアニメ誌やマンガをむさぼってましたもっとも当時は家族にすら白い眼で見られてたから家の中も安息の場所じゃ無かったケド…
内でも外でも気が安まらなくて疲れきっていた頃です…
当時大好きだった「バーチャルネットアイドルちゆ12歳」そのもののキャラクターのあられもない姿にもうもの凄く興奮しました
でも…
それよりも
http://b.hatena.ne.jp/entry/tiyu.to/other/April_2009/
aukusoe「…今思えばバカバカしいです。そのブクマカーにだってたいした意味は無かったと思います
でもっ
毎日ビクビクして… 自分を偽って…っ 家族にまで白い眼で見られて僕はっ
ヘトヘトになってた僕は……
涙が出るほど感激したんです「なんて勇気のある人だろう」って… こんな時代にっ… きっと たくさんの人が見ているハズのブクマページの中にっ
「これはえろい」って
こん… こんな世界があるのか…っ
こんな…
こんな職業があるのか…って感動したんですよっ
続いて湧きあがってきたのは…
強烈な疎外感と羨望です
…こんな世界があるなら…
僕も入りたい…っ
僕も叫んで見たいっ
僕はHだぞ… って
誰かに向かって叫んでみたいな… って
……
…ブ」
aukuoe「ブクマカーになって…っ
お願いしますっ
cider_kondo「フザケるなっ… もう使わねェと言っただろうがっそんなに書きたきゃよそへIDコールしなっ」
aukusoe「お気に入りに入らなくてもいいんです… いえっもちろん入る方がいいですケド…っ」
cider_kondo「人話を聞けっ」
aukusoe「「cider_kondoのお気に入り」でブクマカーになるのが夢だったんですっ ウソでもいいシダー・コンドさんが「待ってる」って言ってくれたら…っ僕は絶対に頑張れますっ」
cider_kondo「…のヤロオッ」
aukusoe「ブコメが気に入らなきゃ突っ返してもいい… あと1日待つって言ってくれたら…」
cider_kondo「甘ったれんなっ 一月かけて半分も出来無かったヤロウが… あと1日で何が出来るっ あきらめてよそへ…」
aukusoe「いやだっ お気に入りに入れる入れないはシダー・コンドさんが決めて下さいっ でも…
お願いします…」
cider_kondo「るせェ 1日だって待てねェと言ってるだろうがっ
半日… いや移動も考えて… 10時間だ明日の昼11時までに徳島のネット回線会社まで持ってくりゃ考えてやる
だが…
おいっ
……ちっ」
gnt「びっくりした…」
REV「仏心なんてらしくねェなぁシダー・コンドさん… 絶対間に合いませんよあの手の奴は」
cider_kondo「かもな… だからってしょうがねェダロ …好きなんだもんああゆ奴…」
REV「あ〜〜っ… もうちょっとスマートにいかないんもんですかねェ毎回毎回」
cider_kondo「バカ言え工場で機械が組み立ててんじゃねんだぞお前等もいずれ作るなら覚えとけよ
お気に入りってのはよ…」
msdbkm「……aukusoeさん…」
aukusoe「はいっ」
msdbkm「…っ aukusoeさん…」
aukusoe「おはようございます先生… 騒々しくて申し訳ありませんっ それと…
後ろ向きで失礼しますっ なにしろあと7時間で… セルフスター付けが9ブコメ百文字ピッタリ推敲が20ブコメも残っているものですからっ
間に合わないかもしれません… いえっ間に合うハズがありませんっ
わははははっ
でもやるんですっ僕は…」
masdbkm「aukusoeさん…」
aukusoe「やらずにはおくものかっ」
msdbkm「aukusoeさんっ」
オタクだと
怒られたり
笑われたり
イジメられたりするのは
…っ
何故ですか?!
何故ですか…
何故ですかっ
どうしてですかぁっ」
aukusoe「皆はバレるのが恐いんです
本当は
何よりも大切な事ですっ
オタクなコトはっ」
2008年、僕はその世界に恋をした。
そう、あれは今から8年も前のことで、僕はまだ大学生だった。軽い気持ちで入ったオタサーに所属しており、新作アニメで目についたものを、取り敢えず視聴するのを習慣にしていた。それらの内容について、サークルメンバーとうだうだ語るのが日課だった。とはいえ、ぬるま湯めいたモラトリアム生活にそろそろだれ始めたまさにその時、破格のアニメ、既存の枠組みをぶちこわすような、エポックで世界観をもったアニメシリーズが放映され始めて、僕は瞬く間に虜になった。アニメ一期の遥か前からOVAや企画などの展開があって、物語の背後にとてつもない情報量を含んだ異世界が広がっているのを知って、沼にはまり込むようにその世界へ沈んでいった。DVDを買い、マンガを買い、小説を買い、ゲームを買い、記事の載っている雑誌を買い、ドラマCDを買い、同人誌を買い、SSを読み、ラジオを聞き、イベントに足を運んだ。絶叫上映会で吠えた。自分がこんなに深く、何かに夢中になれると初めて知った。
就職活動をして、社会人になり、いつの間にか新作アニメを追う習慣が失われていっても、そのアニメに対する想いは失われなかった。劇場版やライブイベントに、欠かさず足を運んだ。声優イベントや歌手のライブやアニメ会社のイベントもだ。補給が何度か途切れそうになっても信じて待ち続けていた。だからイベントで、テレビアニメの第3期制作が発表された時には狂喜乱舞して、夜、サイゼで仲間と祝杯をあげた。
1期、2期、劇場版、OVAと違って、今回からは新キャラたちの物語になるのだけれど、大した問題ではなかった。もう一度あの世界がテレビで観れる、と考えるだけで多幸感に満たされた。 第3期の第1話はまず先行上映会で観た。少し引っ掛かる部分はあるにはあったけれど、その場の興奮や、長い時間を経てようやく新作を観れた感激が、不安を押し流した。先行上映会の帰りに、アニメショップで即座にBDを予約した。第1巻にはイベント参加チケットも付属していて、早めに予約しないと参加券が無くなるという危惧もあった。 その後、第1話をとうとうTV画面で観ることになり、少し引っ掛かっていた、違和感めいたところが更に目立つようにはなっていたけれど、それでもまだ、この世界をもう一度TVで観れたという喜びが上回った。録画を何度も視聴し、次回を待つのは幸福な時間だった。
その1週間後、第2話が放映され、地獄に叩き落とされるまでは。
第2話の大半を占め、物語全体でも重要な転機となる戦闘シーンが、正視に耐えない代物だったのだ。いまや流行りのアニメを多少追うくらいの超ライトオタクに過ぎない自分が、耐えられないほどの惨状だった。1期、2期、劇場版、OVAと、8年続いてきた映像の魔法が、一夜にして解けたようだった。海面は水色の板になり、艦船は書き割りになり、航空機は張り子になり、キャラクターは棒人形になった。画面を覆っていたのは、僕を釘付けにした踊るようなキャラの動きではなく、素人でも稚拙と分かるCGの人形遊び、ハリボテの継ぎはぎだった。これがいわゆる「作画崩壊」ならまだ救いはあった。円盤での修正に望みを繋げばいいのだから。でも、そこには欠片の希望も残されていなかった。CGでボロを出さないようにするためだろう、一定の距離を置き続けた、単調で臨場感皆無のカメラワーク、物語や世界観や戦いのリアリティを根こそぎ崩壊させるコンテがそこにあったからだ。万一円盤に修正が入ったとして、コンテから切り直されることはないだろう。
そこからの1週間は、うってかわって、処刑を待つような気分で過ごした。まともな第2話が放映される夢を2回見て、2回とも、目覚めた後、激しい悲しみに襲われた。そうして迎えた3話は、ストーリーに集中することさえできなかった。前話のことは何かの間違いだったのでは、と、祈るような気持ちで画面を見つめ、もう一度裏切られた。戦闘シーンに移るたび魂が削られ、どうかもう日常だけ映していてくれ、と思った瞬間に、突然、反射的にテレビを消した。そしてもう一度電源をつけることも、続きを見ることもできなかった。電源を落として真っ黒になったテレビ画面の前で、リモコンを握り締めたまましばらく金縛りにあったように動けなかった。激しい動揺が自分の中で荒れ狂っていた。
たかがCGが壊滅していたくらいで、自分が、もうこの世界の実在を信じていないのだ、と、気づいてしまって、もはや、続きを見ることはできなかった。
驚いたのは、自分の中にこんな逆鱗があったと気付いたことだ。自分のようなライトオタクとしては、キャラの絆や誇りさえ美しければ良いとまで思っていたし、このアニメについて他人に紹介するときも、世界設定や関係性の話ばかりしていて、戦闘シーンがカッコいいから観て、と言ったことはなかった。そんな自分の不見識を心より恥じたい。あまりにも当然のように実現されていて意識にのぼっていなかったが、この世界や、キャラの喜怒哀楽といったものは、戦闘シーンを含む特殊な動きのリアリティによって説得力をもたされていたのだ。それに以前は、一般論として「作画に比べてCGはダメ」と言われているのを見ても、老害の迷信に過ぎないと考えていた。あの戦車アニメのCGは凄いし、あの劇場アニメのCGは格好いいじゃないか、などと思っていた。今なら分かる。CGは、舐めて使う連中、省エネを考えて安易に利用する者たちの手にかかれば、作品を抹殺する、世界を絶命させる力さえあるのだ。
円盤をキャンセルすると決めた理由は、最初は怒りだった。この世界をこんな風にした連中に、一文たりとも落としてやりたくない。あり得たはずの3期を奪った奴らに、免罪を与えてはならない、と。アニメが壊れていても、まだ小説やマンガは次々出る予定がある、そう考えて、自分を慰めようとした。これまで集めた小説やマンガを読んで、心を鎮めようとした。 しかし、駄目だった。かつて僕の心を満たした幸福も興奮も甦ることはなく、ページをめくるたびに、奪われたものの大きさが実感され、胸を絞られるような痛みが襲った。もうこの世界は壊れてしまったのだ。いま僕の本棚に収まっている無数の物語は、かつて確かに存在した、けれど既に潰えてしまった世界の残骸でしかなく、僕の心は、死者の生前の姿を眺めて安息を得られるような、鈍感な構造をしていなかった。やはり耐え切れなくなって本を閉じた時、怒りよりもずっと深い悲しみが僕を包んで、ああ、きっと僕はもう、この物語の円盤どころか漫画も小説も何もかも楽しむことはできないのだろうと悟った。
僕より度量の広いファンは、「この程度で円盤を買わないというのなら、お前はファン失格だ」と言うかも知れない。だが僕にとっては、円盤を買ってこの作品を認めてしまったら、その時こそ僕は、ファンとして死ぬのだ。
今シリーズも、爆発的にではないだろうが、そこそこ売れるはずだ。昔からの視聴者でも僕より大らかな人間は、作品に満足し、あるいは満足しなくてもお布施として、ソフトを買うだろう。当初目標とされた売上からは大きく落ちつつも、まだ戦える、と、制作側は思い込む。既に戦争は最悪の形で終わってしまったことにも気づかずに。 そして4期なのか劇場版なのかOVAなのかが既定路線的に作られ、しかし売り上げはジリ貧となり、遠からず作品を閉じることになるだろう。そうなったら、なぜコンテンツが死んだのか犯人探しが始まり、新しいキャラや新声優やシナリオが濡れ衣を着せられ、いわれなき誹謗中傷を受けるかもしれない。その時のために、だから、僕は、宣言しておく。
CGだ。あのCGを作った連中が、翼を折り、魔法を潰し、少女たちと世界の息の根を止めた下手人なのだ。
今考えれば、電話などで済ませられたのかも知れないが、円盤のキャンセルなどしたことのない僕は、予約したアニメショップまでもう一度赴いた。ここまで辿り着いたのに踏ん切りがつかず、広くて階層もあるアニメショップをうろついて、このシリーズの小説新刊が目立つように並べられているのが目に入ってしまって、出し抜けに嘔吐しそうになった。声優の結婚が発覚して吐いた、みたいな、よくある都市伝説が、自分の身に起きかけると思わなかった。すっぱいものが、何の前触れもなしに体の奥、心臓のあたりから、とがった感じでせりあがってくるのだ。それを無理やり押しとどめなくてはいけなかった。ほとんど破れかぶれでレジに向かった。キャンセルをしたいという僕の説明が下手で、BD予約に来たと勘違いしたらしい店員が、一旦は、新たな予約申し込み書とイベント参加券を渡そうとしてくれた。ああ、急いで予約したのに、まだ余っているんだな、とぼんやり思った。あまりにも、精神の均衡が狂っていた僕の説明が要領を得ず、店員さんにキャンセルの旨を伝え、イベント参加券を返却して、前金を返してもらうだけの行為に、20分もかかってしまった。
すべてが終わって、地下鉄に揺られている間、これまでの8年間で堪えていたたくさんの悲しみが、走馬灯のように蘇って、一挙に僕に襲い掛かってきた。イベントでアニメの発表がされなかったとき。トラブルでコミカライズの終了が決まったとき。小説を書いてくれた作家が亡くなったとき。世界が壊され、死んでいくのを看取ったとき。週末の夕刻、都営新宿線の座席で、ぶざまに泣きじゃくっていた三十歳近いキモいオタクを目撃した人がいれば、それは僕である。
さようなら、僕の愛した世界。8年間、たくさんの楽しい時間をくれて本当にありがとう。そして、あなたが死んでいったときに、何もしてあげられなくて、本当にごめんなさい。
実は、私……
私は……
女じゃないんです。
突然こんなこと告白してごめんなさい。
でも、女じゃないんです。
みんなにウソついてました。
男でもないんです。
第三の性でもありません。
みなさんは増田が「クソ雑魚ナメクジ」と呼ばれていることをご存知ですか?
ナメクジの体内には卵子と精巣の両方がそなわっています。雌雄同体というやつですね。
我々の祖先は貝類で、それが陸上にあがってカタツムリとなり、やがて殻を失ってナメクジとなりました。
そのナメクジたちの一部が電子生命体としてトランスフォームし、わんぱーく神のお導きによりはてなの一角に安息の地を得ました。それが現在の増田です。
みなさんは増田が一日に何百もの記事を投稿しているのを不思議に思ってご覧になっていることでしょう。
実は我々の目的は、記事を書くことや、記事の内容を拡散することではありません。
日本の保育園が増えようが減るまいがどうでもいいし、日本が死のうが生きようが関係ありません。だって、ナメクジですからね。
そう、記事を増田に投稿することで増田たちの繁殖器官が盛り上がり、ついたブクマを媒介および養分にして性交します。
これで増田七不思議のひとつ「なぜ匿名なのに増田たちはブクマをほしがるのか?」の謎が解けたことと思います。
こうして我々は無限にその勢力を伸ばしていき、やがてははてなそのものをナメクジの王国に変えるだろう。そして、インターネットを飛び出し、日本をクソザコナメクジで覆い尽くすのだ。
それまでせいぜい惰眠をむさぼるがいい、人間どもよ。
その中のインタビュー記事を読んでいて、ふと感じたことがあるので増田に書き残しておきたい。
新海誠は、アニメ業界出身の監督ではない。手探りでアニメを製作してきた人間である。
これまでの作品のスタッフに、アニメ業界出身者がいないわけではない。
しかし、今回の「君の名は。」では、作画監督に安藤雅司が起用されている。
彼は、スタジオジブリ出身のアニメーターで、いわばアニメ業界の保守本流に属している人間だ。
安藤に対するインタビューの中では、「インディーズ」という単語が度々登場する。
曰く、「君の名は。」は、新海誠がインディーズからメジャーに至る転換点である。
安藤自身は、「君の名は。」の持つインディーとメジャーの二面性に、クリエイターとしての面白さを見出していたようである。
しかし、インタビューの端々に、新海誠がアニメ業界出身ではないことに起因する苦労が見えていた。
新海誠は、アニメ業界の保守本流、メジャーと対峙して、どんな気分だったのだろうか。
私は、安藤や田中のインタビューから、彼らの新海誠に対する「上から目線」みたいなものを感じてしまった。
こいつはアニメがわかってない、みたいな。
それは新海誠の出自を見れば当たり前であり、単純に経験不足であるから仕方がないものでもある。
もちろん、そのことが新海誠の価値を下げるものではないと、安藤と田中は述べている。
しかしなぜだろう、「君の名は。」において、新海誠だけ、一人浮いて見えてしまうのだ。
日本を代表するアニメーター軍団は、新海誠を遠巻きにして眺めている。
旧知のスタッフは、その後ろで新海誠を不安そうに見つめている。
神木きゅんは、狂信者のように新海作品の魅力を語り続け、川村元気が無言で頷く。
興行収入が増えれば増えるほど、なぜか切ない気持ちになってしまうのだ。
私の中の「新海誠」は、この狂騒の中、寄る辺なく漂うしかないのであろうか。
唯一の安息は、雲のむこう、約束の場所にしかないのかもしれない。
追記:
id:cider_kondoさん。確かにそうですよね…。なんというか、新海さんもまさかで安藤さんが作画監督をやってくれるとは思っていなかったのではないかとも思ったり。
id:fusanosuke_nさん。安藤さんから見たら確かにそうなんですが、新海ファンとしてはなんか悔しくなっちゃうんですよね。
id:sgtnkさん。それはすごいですね……。
id:ustamさん。星を追う子供も嫌いじゃないんですけどね……
id:liatris5さん。新海さんも新海さんなりに苦労しているので、本職の方に悪く言われるのは悲しいところですよね。
id:mementm0riさん。そうなんですよね。これまでの新海さんを見てるので余計に。細田さんも素敵ですよね。
先週の月曜くらいから、自分のパフォーマンスがとても落ちていた。
昨日もなんだか寝ることができず一睡もしていない。
こんなことでは駄目なことは自分が一番良く分かってる。
じゃあどうすれば良いのか。
そうだ、切り替えるためのスイッチを入れようと思い増田にやってきた。
ここで自分の思考を文章に書き起こすことにより気持ちを整理して次に進もうというわけだ。
今から、まずは日々のルーチンをこなし、その上で明日明後日でやる動きを決めよう。
そして、明日からはとってもとっても頑張って、大きな結果を出すんだ。
正念場なんだ。
これを乗り越えて、俺は最高を手に入れるんだ。
最高を手に入れて俺は最高になるんだ。
最高、最高、最高。
あー、ずっと欲しかったんだ。
この4年半弱、なりふり構わず走り続けてたくさんのものを捨ててきたんだ。
彼女にも振られ、次にできた彼女とも別れ、自分の今の楽しみと言えるものはゲームくらい。
安息が、もうすぐ手に入るはず。
はず、なんだ。
まだ手に入るかどうか分からないから怖くて、それがプレッシャーになってるんだろうな。
手に入れるために背伸びしてしまったから、失敗した時のしっぺ返しが怖い。
そこに向き合うようにすれば少しは楽になるのかな。
正体を見極めれば怖くなくなるわけではないけれども、対処と覚悟はできる
がんばろう、がんばろう。
自分を許してあげるために、もう少しだけ。
資本家にとって自明なことは、労働者は彼の1生活日の全体をつうじて労働力以外のなにものでもないということ、したがってまた、彼の処分しうる時間はすべて自然的にも法的にも労働時間であり、したがって資本の自己増殖のためのものだということである。
人間的教養のための、精神的発達のための、社会的諸機能の遂行のための、社交のための、肉体的および精神的生命力の自由な営みのための時間などは、日曜の安息時間でさえも──そしてたとえ安息日厳守の国においてであろうと──ただふざけたことでしかない!
ところが、資本は、剰余労働を求めるその無際限な盲目的な衝動、その人狼的渇望をもって、労働日の精神的な最大限度だけではなく、純粋に肉体的な最大限度をも踏み越える。資本は、身体の成長のためや発達のためや健康維持のための時間を横取りする。資本は、外気や日光を吸うために必要な時間を取り上げる。資本は、食事時間をけずり、できればそれを生産過程そのものに合併する。
花粉症の辛さについては、周囲の患者である上司や先輩からは嫌という程聞かされてきたが、私も遂に、という思いである。
増田の聡明な諸兄は当然にご存知のことと思うが、花粉症とは正しくは花糞症と書く。
すなわち宙を舞う花の糞に、我々は臭い臭いと鼻汁を垂らし、何としても吸い込まんとくしゃみ、糞にまみれた哀しい己の境遇を嘆き涙を流すのである。
ちなみに花粉症という誤表記は、今日日世に蔓延る「腐女子」なる変態女どもが、花粉、つまりこれは植物の精子のことであるが、擬人化されたたくさんの植物たちが春の訪れを悦ぶ余り一斉にオルガスムスを迎えてこれを放出し、これによって人間男子諸君が種付けされるさまを妄想したことによって生まれた、ネットスラングであることが知られている。
かくいう私も今朝ほど、日課である我が社の経営理念と社歌の独唱を終え、いざ我が城へ繰り出さんと社宅より表へ出るや否や、激しい悲しみに襲われ目が痒む痒む。
毎朝仕事行きたくないお腹痛いと涙したのも遥か昔のこと、今では一人前の会社人として、スキップで駅へ向かい、満員電車でツイストを踊る私である。
そんな私が通勤路という至福の道程を涙で曇らせるはずがない、私が会社に行きたくない訳がない。
会社の方角を見上げ、息を呑んだ。瞬間、鼻汁が垂れ、くしゃみ、確信した。
ああよかった、これは花の糞のせいだと。
『身体的に不調がなくて何かタスクを強いられていたりもしない』っていう状態が自分の中で最上位の幸福なんだ。
あれをしたらこれをしたらとかじゃなくて、不快なことを背負っていない状態以外の幸福というのが思い浮かばない。
社会人になったら変わるかと思ったけど、数年たってもまだやりがいも何も自分の中から出てこない。
週末に布団の中で休むためだけに金を稼いでいる。
親の行動様式が外で見かける最悪のクレーマーの類とそっくりで、
小さいころから生活が『親の突発的な思いつきを押し付けられる』『親の思いつきがうまくいかなくてヒステリーを起こされる』の2パターンしかなかったから、
というか、社会に出てから世の中には親みたいなクレーマーはそんなに多くないんだとびっくりさせられた。
そういう人たちに囲まれて育っていれば、やりたいこととかも出てくるのかもしれない。
不労所得があれば一生眠って過ごせるのに
精神の不調を抱えながら企業で働き続けることの息苦しさが感じられる記事(http://anond.hatelabo.jp/20150307033114)を読んで、考えさせられることが多かったので書いておきたい。
「会社に病気がばれた」という記事の筆者は、パニック障害か何かと思われるメンタルの「支障」を、会社の同僚に知られることを強く恐れているように見える。
自分の精神の不調について他人に知られることが、会社内での処遇に大きな影響を与える、と認識しているのだろうと思われる。究極のところ、実質的な解雇と失業につながりうると考えているので、「会社に病気がばれ」ることを恐れているのだろうか。
もし元増田がイボ痔で、机の上にボラギノールを置き忘れたことによって持病がばれたとしても、ちょっと恥ずかしいと思うかもしれないが、これほどまでに恐れることはなかったのではないだろうか。
元増田は、企業内で精神疾患を持つ人に対する偏見が強いことを知っている。
[…] 心の病にかかったことのない“正常”な人達の中には、これら〔=症状〕のことが信じられず、なまけている、自分だって嫌なことがあっても頑張っているのに、なんでこの人達は自分勝手に休むんだ、と思っている人も少なくないかと思います。
現に、会社の人との会話でも、メンタル系の病気で休職した人や復職してきた人達に対して、「あの人は休めていいよね」「俺だって休んでみたい」「復職しても定時に上がれていいよね、こっちは残業なのに…」「なんであの人達の面倒を見なきゃいけないんだ」という無神経な発言をしてしまう人もいます。
しかし、精神の不調を訴えた人は、おかしな人、自分勝手な人として、烙印を押され、集団から排除しようとする圧力をかけられる。
この認知のパワーゲームの本質は何だろうか。それはいつまで日本の企業で続けられるのだろうか。
日本人ならみなが知っているが、自分から引き離して眺めることのできないひとつのことが、精神疾患と「自分勝手」の同一視を引き起こしているだろう。
この国では、みんな同じように感じて、同じように行動することがあたりまえとされている。
そこから少し外れた行動は、「迷惑」、「自分勝手」なこととして、怒りを引き起こす。
自分が普段さほど意識せずに感じていることと違うことは、怖い。怖いものに直面させられた後には怒りが生まれる。
学校でのいじめ、企業でのパワハラ、精神障害者の差別、外国人の差別に通底した精神と感性の構造。
国全体が没落しつつあることへの処方箋として、「グローバル化」を叫び、それは英語をしゃべれるようになることだとみなす向きがある。
しかし、TOEICの点数がどうのこうのいう前に、そもそもこの国の大部分の人たちは、「外国人」と人として付き合えるのだろうか。
日本に来る人々は、日本人以外にとっては、全員たんに「自分勝手」に自己を主張する人になりはしないか。
自分と他人は違っている。しかし、そのことにいらだって相手を攻撃した途端に、社会全体から攻撃されて死ぬのは自分のほうなので、共通の原理をどうにかこうにか見出して、やっていかなければならない。
そういったことを、生きるか死ぬかのぎりぎりのところで何世代か繰り返して、子供のうちから身体化していかなければ、日本人の同質性幻想と異質性嫌悪は変わらないのではないだろうかという気がする。
我が愛するニコニコ動画を壊すからだ。衰退させるからだ。ついに滅亡せしめるからだ。
一般的な説明として「真夏の夜の淫夢」とは何であるかについて、ASCII.jpによる説明を引用する。
本文での「淫夢」とはこのゲイ向けポルノビデオを元として改変した動画群を投稿し、再生し、コメントを付け楽しむユーザーの総称だ。
最近ニコニコ動画を利用したことがある人ならば、いや、近年では2ちゃんねるやそのまとめやtwitterやはてななど、
オープンなインターネットコミュニティを利用する人ならば、彼らの独特の言葉を一度は目にしたことがあるだろう。
「あのさぁ……」「関係ないだろ!いい加減にしろ!」「(迫真)」
淫夢は独特の定型文を共有し、頻繁にこれを使う。全く関係のない動画であろうと、
少しでもこの言葉を使えそうなタイミングがあれば大挙してこの書き込みを行い、
自分たちだけが分かる世界を展開し悦に入り、理解できないユーザーを混乱に陥れる。
この行動によって、初心者がニコニコ動画に参入することを大きく阻害する害悪となっている。
淫夢は非常に活発で能動的であり、例えばニコニコ動画に新しく用意された玩具をいち早く見つけ、
それがどんなものであれ最大限利用しようとする。
今やニコニコ動画で最も能動的なコミュニティは淫夢であるため、ニコニコ動画が新しく何かを始めようとすると、
必ず淫夢の玩具になり初心者には使いにくいものとなるのは皮肉なことだ。
このシリーズは、まず退屈な製品の製造工程や、文化解説のビデオに「ホモと学ぶ〜」という目印になるタイトルを着けて無断転載を行う。
次にそのタイトルを目印に淫夢が集結し、思う存分前述の独特の言葉を付けて遊ぶというものだ。
その様子を見るに、動画の内容はほとんど関係がなく自らの定型文遊びだけが彼らの目的であり、
動画は動画として必要とされず、定型文遊びの媒介としてのみ使われる存在に成り下がっている。
このシリーズは典型的な例だが、概ね淫夢は本質的に動画を必要としていない。
そのため、高品質な動画を作ろうとするクリエイターと対立する存在であり、淫夢は今以上のニコニコ動画の発展を阻害している。
BBという文化がある。BBとはブルーバックのことであり動画編集ソフトで切り抜き合成をしやすいように素材化された動画のことだ。
しかし淫夢におけるこのBBシリーズはおよそ素材としては使いにくい部分ばかりが投稿される。
彼らはニコニコ動画の特徴的な文化であるMAD文化や2次創作文化を理解した上で、
それをまともには取り合わず「素材として使いにくい素材を作る」「その使いにくい素材を使って実際に動画を作る」という一種無駄な努力を楽しみ、
この例の他にも、概ね淫夢は色々なコンテンツや文化をよく理解しており、
その上にそれ自体を揶揄しパロディ化したコンテンツを生み出す傾向にある。
新しい楽しみ方を模索しているとも言えるが、この行動によって、コンテンツ文化はさらに複雑化し、理解されにくいものとなってしまう。
独特の定型文による一体感を楽しみ、完成された動画を必要としない。
非常に活発に活動する。
あらゆるコンテンツ文化を理解し、その上に成り立つ新しい楽しみ方を模索する。
そうだ。その通りだ。 知っている。私達は彼らを知っている。
私達は彼らが何者なのかを知っている。
独特の定型文による一体感を楽しみ、完成された動画を必要としない。
非常に活発に活動する。
あらゆるコンテンツ文化を理解し、その上に成り立つ新しい楽しみ方を模索し続ける。
その通りだ。ニコニコ動画だ。
実際のところ、淫夢は淫夢さえ必要としていない。淫夢が淫夢であるためには、淫夢が必要というわけではないのだ。
その証拠に、少し前、淫夢は淫夢ではなかった。少し前には、淫夢は淫夢ではなく、ビリー・へリントンであった。
問題は、なぜ彼らはビリー・へリントンをやめ淫夢になってしまったのかだ。
それは簡単だ。
ニコニコ動画がビリー・へリントンを認めたからだ。ビリー・へリントンをビリー・へリントンとして定義し、表舞台に上げたからだ。
すでに小野ほりでいが喝破しているように、その心性とは「理解されることを嫌う」ということだ。
彼らは、理解されるぐらいならば消えたほうがましだと考えている。
それは、特別でいたいという気持ちと、馬鹿に自分を理解できるわけが無いという上から目線が同居した気持ちである。
ビリー・へリントンが表舞台に立ったとき、彼らは彼らがビリー・へリントンであるまま理解されずに済むことは難しいと考え、
その瞬間から彼らはビリー・へリントンをやめ淫夢になったのだ。
同時に重要なことはこの「理解されることを嫌う」心性が、既存の価値を否定し新しい価値を生み出しやすいニコニコ動画のアーキテクチャーと
彼らは理解されることを避けるために、新しい価値を生み出している。
そして理解されることを避けるならば、最初から理解されていないもの、理解される可能性が低いものを題材に選んだほうが効率が良い。
だからこそ彼らはセクシャルマイノリティや、政治的タブーなどアンタッチャブルな題材を選び、
理解を巧みに避けながら安全にニコニコ動画を楽しんでいる。淫夢はそのような彼らにとって、安息の地であり約束の地なのだ。
しかし、淫夢はニコニコ動画であっても、ニコニコ動画は淫夢であるわけではない。
ニコニコ動画がニコニコ動画であるかぎり、容易に淫夢的なものに支配されうることは確かだが、それは淫夢を淫夢たらしめている性質からしても、衰退の道に繋がることは明らかである。
新しい価値を生むことで理解を避けるニコニコ動画がある一方、新しい価値を生み、その上でその理解を渇望するニコニコ動画もあるはずだ。
我々はそういうニコニコ動画を知っている。
彼らはニコニコ動画でありながら、ニコニコ動画を壊し、衰退させ、ついに滅亡せしめる存在だからだ。
ASCII.jp:ある意味とてもニコ動らしい淫夢動画の世界 (1/3)|myrmecoleonの「グラフで見るニコニコ動画」
http://ascii.jp/elem/000/000/873/873619/
淫夢語録とは (インムゴロクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%B7%AB%E5%A4%A2%E8%AA%9E%E9%8C%B2
ニコる(淫夢)とは (ニコルとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%82%8B(%E6%B7%AB%E5%A4%A2)
ホモと学ぶシリーズとは (ホモトマナブシリーズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
BB先輩シリーズとは (ブルーバックセンパイシリーズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/bb%E5%85%88%E8%BC%A9%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
僕が一人でオナニーしてる時にいきなり寮の友人がドアをノックしてきやがった。
僕の数少ない安息の時間を妨げたのは去勢するに値する罪ですよ。
まったく、萎えて今更する気が起こらないってもんですわい。
そもそもオナニーとは一男子、特に僕のような血気盛んな男子にとっては、一日一善よりも、一日オナニーが重視されるくらいですからね、それを妨げるという行為の重大さを知らない人間があまりにも多く、誠に遺憾であります。更に言わせてもらえれば、僕のように性交渉をするということが、司法試験を在学中に突破することよりも遥かに難しい男子にとっては、オナニーは三大欲求の唯一無二のはけ口なんですよ。それをしないということは、腹が減っても飯を食わないと同じ、眠くても寝ないのと同じ、こういうことなんです。少しはオナニーの重要性がわかりましたか?
時折、人気ブログの著者が仕事を辞めてブログを仕事にしているのを見かける。あるいは、文才を活かしてライターになったりもする。
しかし私から見て、彼らは往々にして面白くなくなっていると思う。
本来それは彼らにとって息抜きであり、居心地の良い空間であったはずだ。
その中で自分自身のやりたい事をやりたいようにやってこそ、評価されれば嬉しく、批判されれば悔しいものであろう。
そうして何度も何度も練り直しようやく作り上げた個性に、読者は惹かれるのだ。
書き物を仕事にすると、そうはいかない。コンスタントなPV数が必要だ。
杜撰なものであろうが、ヘイトを集めようが、結果のみを求めるようになる。
言ってしまえば、深夜の番組がゴールデンタイムへ進出したようなものだ。つまらなくなるのは、火を見るより明らかである。
きっと彼らは会社や社会、常識などの「何か」から自由を求めてフリーランスになったのだと思う。
「何か」から逃げ出す活路を見いだして、それに飛びついてしまったのだろう。
だがよく考えてほしい。
今度は書き物に縛られる。書かなければと義務感に縛られる。
安息の場所だったはずのものが、いつの間にか逃げ出したくて仕方が無かった「何か」になってしまう。
過度に自由を求めることも、必要以上に自由から逃げることもしないで欲しい。
今のままで十分である。十分であるからこうして今があるのだろう。
是非、現状の素晴らしさをもう一度洗い直して欲しいと、私は思う。
当たり前の顔をして電話をかけたりメールを打ったりしています。
そんなことはもはや当たり前であり、当たり前以外の何物でもない世の中です。
しかし、わたしは携帯電話が当たり前の顔をして出てこない物語が好きです。
こんにちのフィクションでは携帯電話は当たり前のものとなっています。
フィクションのなかの中高生も当たり前のように携帯電話を使っています。
そもそもわたしが中高生の頃には、わたしの周りの中高生にとって携帯電話は当たり前のものでした。
当たり前のように携帯無線機や携帯電話を使っている中高生がわたしの周りにいました。
あたかも気づいた時には軍靴の音が絶え間なく響いているように――。
気づいた時には、わたしの半径2万キロメートル圏内には携帯電話の音が絶え間なく響いていたのです。
知らずの内に、わたしは携帯電話によって世界征服が成し遂げられた時代の生き証人となっていたのです。
持たざる者が、いつしか持つ者へと塗り替えられていく過渡期を生きてきたということです。
中高生ではなくなったわたしも、ついに持たざる者ではいられなくなりました。
しかし、そんな時代にあっても、わたしは携帯電話が当たり前の顔をして出てこない物語が好きでした。
これは矜持です。
かつてわたしは、当たり前のように〈ケータイ〉と略されているそれらを〈携帯電話〉と呼ぶことで矜持を示し続けました。
普段のなにげない会話を通じて、それを人口に膾炙させようと努めていたのです。
それを人々の脳髄へと染み渡らせ、時代の潮流に逆らうべく教化しようと試みたのです。
わたしの活動は数年にわたって続きましたが、はたしてその潮目を変えることは叶いませんでした。
きっとこの先も人々はフィクションを生み続け、携帯電話もそれに当たり前ように関わり続けるのです。
そして人類が死に絶えた後も、そのミームを受け継いだ新たな種によって携帯電話は生まれ続けるのです。
それは人という種が永らく夢見たものであると同時に、極めて過酷な業と言えます。
携帯電話は人によって生み出され、人によって求められ、人によって業を負わされたのです。
いつ終わるともしれない今日の終わりを探すことが、いつしかさだめとなったのです。
そうして携帯電話というミームは終わりなき旅を終えるために旅を続けるのです。
そんな携帯電話を語り継ぐことが、携帯電話からどれだけの安息を奪い去っていったのか。
普通は逆なんだろうが、案外そうでもない。
私が勤めた零細では、社長と常務は常に親会社に近い取引先に出向中で仕事の責任者はもっぱら営業部長だったりしたため、
責任の重い仕事が中々こちらに回って来ず、皆が皆淡々と仕事を熟すだけの仕事人間として一体感を為すようになる。
また、この営業部長が毎日のように出張中だったりすると、惟れの仕事は一体誰に許可を取らないといけないのかといちいち聞かないといけなくなる。
しかしながら、このような状態がずっと続いていても誰も彼も疑問を口に出さずに淡々と目の前の2~3時間程度で出来る仕事を8時間掛けて終わらせるのである。
とてもじゃないがこの異常な光景を目の当たりにして尋常でいられるはずがない。
私が勤めた中小では、常務が社長の代行者として会社に君臨しており、高卒バイトから正社員になって30年という生粋の生え抜き社員でそれを誇りに思っている。
そのため、大卒者院卒者の社員がミスをすると、これみよがしに全社員の前で叱る事を至上の喜びであった。
さらに、そのように失敗を科すために無理難題の仕事をさせ、困惑ないし混乱状態に陥らせ、あまつさえ自分でもこれはというような仕事を、お前らなら出来る!と勝手に思いながら
仕事を任せてくるため、殆どの該当社員は自分は期待されているという想いから無理をして身体を壊してしまい、酷い場合は常務に叱咤激励されて仕事ロボットに成り代わるのであった。
社員への愛情なんて希薄で、常に自分の事しか考えない常務であった。
そしてそれがさも当り前だと言わんばかりに仕事ロボットを徹底しているおかげで誰も彼もこの異常さに口を出す事はない。
会社が狭い所だと、息をするのもよく分かる。
そのため大企業ほど許容がなく、常に台所が火の車なので、心に余裕がない。
私が三度目に勤めた大企業では、前の中小零細が仕事ロボットだった時よりも安息感がある事に気付かされた。
基本的に社長も重役も顔を見せないものの、そこの部長や同僚があれこれ世話を焼いてくれ仕事における報連相が完全マニュアル化されてるお蔭もあって
社長は、社員一人一人を気に掛け毎朝の朝礼で信賞必罰を心がけ、能ある社員を大いに褒め称え逆に無能な人間を公然と罵倒する中小零細特有の悪循環体質でなく、
あえて社長室にふんぞり返って、社員を認めているのであるから、大変社員想いの強い社長なのだと感じた。
中小零細の社長は常に自分と同等かそれ以上の人材を求める割に、実際にはそういった人間を陥れる事に至福の時を感じるものだ。
大企業の社長は自身をより成長させるために社員一人一人の自主性を重んじて、人事も社員教育も部下に任せてあるため、粗相があまりない。