「きつい事を言うようだけど、あなたの為を思って言っている」
「大人になったらこんなこと言ってくれる人は少ないのだから、いやかもしれないけど受け止めてほしい」
逃れられない人間関係の中で、「心配」という言葉を謳いながら、私の弱いところを責めたてる。
言い放った人間は気持ちよくなり、己は思慮深く優しい人間だと思え、その満足感に気持ち良さは絶頂に達するのだろうか。
ただただ私でオナらないでほしい。
年甲斐もなく怒り、この濁った感情を落ち着かせるために1人ファミレスでアイスを食べた。
その姿は滑稽だったろうと思うと更に惨めになる。
人を癒せると、自分は誰かの為に何かを出来ると、そう思うことは悪い事ではない。
ただ、自分が慈悲深く優しい人間であると自己肯定するために「貴方を心配しているのだ」というのはエゴだ。
そのエゴの押し付けだけなら耐えられても「せっかく心配してあげているのに」なとど言葉をつづけられた時にはもう心が息絶え絶えになる。
私は他人の優しさを汲めない独りよがりの人間なのかもしれない。
陳腐な呪いでダメージ受けるとたいへんだな
そう考えると青二才くんってすごいよな。 途中で言及はやめますとか振ってたくせに未だにときどきストーカー続けるキチガイじみた人に何年間も粘着されてるにも関わらず、辞めると...