はてなキーワード: 安息とは
上司に誘われて2人で飲んだ酒が抜けないので、このまま匿名をいいことに思いのまま書いてみたい。酒が入ってる。フェイクだ。これは作り話だ。創作だ。
昔から人の顔色を伺う癖が抜けない。私は頭は悪いが愛想だけは良い人間だ。いつもニコニコしている。人の顔色を伺うくせにワーキングメモリが人より小さいので器用に立ち回ることも出来ず、私にとって人間関係とは精神の磨耗でしかなかったと振り返って思う。
小学生の頃から粗暴な同級生に囲まれ、空気を読みとってイジメもした。他人が傷つくのを同級生と一緒に指差して笑った。周りに気を使いすぎた私が不登校気味になるのは極めて早く、親には無理やり学校に行かされていた。が、何かに対して逃げることが唯一の安息を得る方法だと悟ったのは小学生の頃で、この悟りは今に続く。
何かを得ることや知ることは楽しかったが、学校が嫌いになってしまった私は学校に関わるもの全てが嫌いになってしまい、勉強を微塵もする気が沸かなくなっていた。そもそも頭が悪いせいもあるが、中学生の頃、偏差値は30も無かったとおもう。
中学生の頃の記憶といえば、家で布団に篭りながら教育テレビを見ていたこと、学校にいるときは体が重く、常に眠かったことだ。私の髪質は剛毛で重度の縮れ毛で、私のようなエネルギーの無い人間は呼吸をしているだけで同級生から軽視されているのが手に取るようにわかった。コンプレックスがあちこちで肥大していった。もうどうしていいのかわからず、中学生ながら人生をすでに手放していた。パートに行く母が悲しそうな顔をしながら私を怒鳴り、申し訳なさそうに学校に電話をするのを布団の中で聞いていたっけな。
週に1度は休むような散々な成績だったが、近所の公立高校に進学した。
遊びに出歩かなかったので、祖母からもらえた毎月1000円のおこづがいはそこそこ溜まっていて、その金で縮毛強制をした。高校デビューというより、解決の一歩を踏み出した。しかし同級生に「それ縮毛?」といわれ、奈落に落ちた。縮毛強制ひとつで何かも解決したと思ったが、伸びてくる髪は縮れ毛でアフロのようになるし、抜本的な解決方法が無いことを知った私が気づいたときには、酷く内向的な人間になっていた。
高校生の頃の思い出も、やはり毎日が眠かった。頭の中が霞んでいた。体が重かった。ただ、晴れ渡る天気の良い日に仮病を使って早退して、住宅街を歩きながら抜けるような青い空を眺めてるときだけ、爽やかな風を浴びているときだけ、心の中にぽっかりと空いた穴の中に暖かく心地よい風が通るような、そんな気分になれた。遠い空に自分の居場所があるんじゃないか、どこか遠くにいけばそんな場所があるんじゃないか。そう思えた。そしてそう思い込むことでしか心が救われなったんだと思う。
そんなこんなでボーっと行き、ボーっと就職浪人し、ボーっと就職した。地方公務員になった。市職員である。同期たちはノビノビと学生時代を精力的に楽しんでいる上に私よりはるかに頭の良い人種だった。人間は急に変われるものじゃないみたいで、適応障害を起こし、バックレて退職した。家族からは顰蹙を買ったが、怒りの声ももはやノイズにしか聞こえなかった。社会人として最低なのはわかるが、バックレた時だけは救われる気持ちになれた。唯一生きてて気持ちよかった瞬間だった。乱暴にもぎ取ったモラトリアムの獲得に刹那的な希望を持てた。
その後も職については絶望的な気持ちになり、バックレることを繰り返した。私の履歴書と職務経歴書は、虚偽と虚栄と余所行きの顔で塗り固めてある。この話は創作である。
私はあらゆる能力が劣っている人間なので、どうしても周りの人間に軽視されやすい。そしてそのことが肌感覚でわかると、酷く逃げ出したくなってしまう。逃げることへの安息に逃げてしまう。
そんな私も今仕事が半年続いてる。奇跡的に周りの人間に恵まれた。本当に良い人たちだ。私のことを何かと気にかけてくれるし、同じような質問をしても嫌な顔をせず教えてくれる。
そして新たな感情がわいた。「私はこの優しい人たちの役に全く立てず、期待にも沿えず、片っ端からガッカリさせてしまうのではないだろうか」
今日飲みに誘ってくれた上司と会話していて、その杞憂がだんだんと形あるものに感じてきた。
皆とても優しいのだ、その優しい人たちと接していると罪悪感に苛まれてくる。自分がこの人たちに何も応えられる自信がどうしてもわかないのだ。
また息が詰まりだしてきた。逃げたくなってきた。安息が恋しくなってきた。
軽視されて強く当たられるのが辛いとばかり思ってきたが、優しくされることすら辛く感じてしまう事をこの時気づいてしまった。
生きているのが苦しい。この世に居場所はどこにも無かった。高校生の頃に思いを馳せた遠い場所にいけても、きっとこんな気持ちになるんだろう。
ホームで電車を待っているとき、ホームドアの向こうに初めて誘惑を感じた。人目も憚らず帰りの電車の中で涙が止まらなかった。そして体が重くなってきて、酷く頭の中に霞がかかってきた。グチャグチャな汚い顔のまま寝た。
昔、増田で兄弟2人とも自殺した人の書き込みをみたことがある。その人も自殺を考えていて、「いつも眠かった」という記述があったと記憶している。
それを思い出したとき、きっと私はもう取り返しがつかない所まで着たんだと思った。
私の話なんて「こんな奴みたいにならなくてよかった」という優越感しか与えることしか出来ないと思うが、そう思ってくれるなら冥利に尽きる。役に立てるのはそんなことぐらいだろう。
「泣き止まなかったら」を「1回でも泣いたら」と勘違いされているのでしょう。
どうしても泣き止まなかったら、そこで切り上げて、可能ならお持ち帰りした方がよいという話です。
泣き続けるか帰るかの選択を子供にさせる、と言えば分りますか?
帰るのがいやなら、少しおとなしくなるでしょう。そうでないなら、ファミレスデビューが早すぎたのでしょう。
食事ができない? 大人なら帰るのが決まってから詰め込んでも食べられるでしょう。
(帰るのがいやで泣き出す事もあるでしょうが、そこはあきらめましょう。そのうちに、泣く=帰るという図式ができあがるはずです。)
出入り口の近くまで連れて行くだけでも、察しのいい子は「帰るの?」と感じます。
外に出なくったっていいんです。大抵、入口は2重扉になっていたり、広めのスペースがあるので、
そこまで歩くだけでも、雰囲気は変わると思います。扉を1枚はさむだけでも、伝わる音は大分小さくなります。
混んでいて入店待ちの人が多い場合は難しいですが、落ち着くまでの避難スペースとして十分使えます。
そういう目的で来られる方だけではないはずです。
それに、子供の泣き声から解放されたくて、子供を誰かに預けて、手ごろな場所を求めて来ている方だっているかもしれません。
そして、そのような場で、子供が泣いててもいいと堂々と主張する事の怖さを自覚した方がいいと思います。
なぜ多くの人が騒ぐことに反対するのか。(実際は、騒いでいるのを「放置してもよいと思っていること」に対してでしょうが)
簡単な話です。公共の場ではおとなしくしましょうと言われて育って来たからです。
子供連れの人なら反対しないだろう、というのも間違いです。
子供を騒いだままにしておく人が増えてしまうと、子供連れは入店禁止などになって困るので反対という人もいるでしょう。
泣き止まない子を見ていると、親がストレスをそのままぶつけるように怒っていたり、大丈夫かな?と思ってしまう場合もあります。
おじいちゃん、おばあちゃんが近くにいれば、時々頼るというのが一番かと思いますが、
ブログに書き込んできたのがAであろうがなかろうが、縁の切れた人間の戯言は無視するのが一般的には健康だ。
もっとも、ブログに書き込んだのがAであることはまずないと思うが。
考えすぎて自分を追い込む癖のある人は、毎日おまんじゅうとかを食べなければブログを続けていくことは無理だ。
俺の話で恐縮だが、背の低いアジア人が、ヨーロッパ人の中で生活するのは苦痛だった。
カフェテリアで飯食っているだけで目立つ。噂話されているような気がする。されているかどうかもわからない。
新しく会う人には天才少年だと思われる。凡中年で悪かったねって英語でなんていうのかな。
本屋では会計の時には你好と言われる。悪意はないのかもしれない。でも彼らの社交辞令の笑顔が恐ろしかった。絶対バカにされている。
書いてみたらちょっと増田さんの文章の趣旨とは違っていたけど、言いたいことはこうだ。
この度は男性の一人が無礼をした。申し訳なかった。でも男性だから死ねと短絡的にどうかは思わないでいただきたい。
男性の中にも属性で扱われて困惑した経験のある人間はいる。ムカつくやつを弾いて行けば、まともなやつに会えるはずなんだ理論上は。
俺の安息の地は日本でした。俺の場合は簡単でしたが、増田さんの場合もどっかにはあると思います。
リンク先のことは増田さんに直接関係しているかどうかよくわからなかったので、コメントしやすいところにしやすいコメントをしてみました。
どうぞお元気で。
これ「https://note.mu/amakara_no_tare/n/na4eb53fb6768」を受けて書きたいと思ったこと記事。
自分は今回に関してはテレビ局に慎重に取り扱ってほしい旨をメールで送った、ドラマ実写化に関してのみ規制賛成派。
該当作品はツイッター投稿をリアルタイムで見てて、その後ピクシブのぶんだけ読んだ。
ここまで前提。
■幸色のワンルームは少女にとって魅力的なのは「性」の扱い方にもあるんじゃないか
■クロスメディア展開がへたくそなのと制作側が色々甘く見てそうで怖い
■実写ドラマ反対したい理由は色々だけど、私個人に関しては”自分のため”だったと思う
の3本です。長い。一番最後に3行でまとめたから忙しい人はそれ読んでくれたら嬉しい。
幸色のワンルームは単なる誘拐の話ではなく、ただの男女の逃避行でもなく、
・理不尽にただ蹲って耐えるしかなかった少女が守るべきもの(=居たいと思える居場所、人)をはじめて得て戦うことで少女から大人へと羽化する話であり、
・リアルの男女の性に絶望した読者に対して「男と女ではなく、大人と子供でもなく、ひとりとひとりの人間として関係性を結ぶ」という夢を与える物語。
と捉えることができる。できるんですよ。傍から見たら犯罪だけど。
(問題は誘拐ストーカー設定なくてもこれを描けたことだけど、その設定のおかげで(いろんな意味で)バズってるから うん…)
「男とか女とか性とか支配被支配とかラベルだけの話ではなく、ぜんぶひっくるめて、私という人間とあなたという人間の話であり、救いの話」というふうに見たとき、
正直、読み口としては2000年代の商業BLやブロマンスに近いなと私は思った。
実際幸色のワンルームの幸とお兄さんの関係は決して恋愛感情だけにはとどまらないという風に描かれています。
加害者と被害者であり、無自覚的な搾取する側とされる側であり、姫と従僕であり、ナウシカと王蟲の幼生であり、友情であり、慈愛や同情であり、恋愛感情もうっすらあり、依存であり、共闘関係であり、勘違いであり、共犯者であり、そして全てを肯定し合う関係である。
だから人気が出た。
恋も愛もべたべたラベルが付いてひと山いくらで売られていることを、十代の少女たちはとっくに気づいている。そんなふうに安っぽくない、けれど十代少女たちに門戸を開いているフィクション作品をもとめている。それがどれだけ過去の文学や映画や漫画でありふれてやりつくされてきたものだとしても、「いま」「ここ」で「私たちに対して」向けられている作品に惹かれて何がおかしいのだ。
またこれは重大なポイントだが、お兄さんは性のにおいがしない。
デフォルメされた世界で成人男性の記号をほとんど持たない、いってしまえば無性の存在。メンタル的にもそう。
その上、精神年齢は少女とほぼ変わらないため、罪の意識を持った姿は読者にはどこか可哀想にうつる。過去の傷があるらしく年下の幸が守らねばと思うほどいたいけでたよりない。幸に都合の悪いこともしない。
けど、男。
「そんなやついねえよ」だ。だからこれはファンタジーだし理想たりえる。リアルと切り離せる免罪符でもある。
ひと山いくらのラノベに出てくる都合のよいヒロインから性の匂いをひっぺがしたようなものだ。少女にとって男の性は不要なもの、というか幼いころから自分を脅かしてきたものでしかないから、無い方がいい。幸の安心できる居住空間を提供する為にも。
だから、ストーカー、誘拐犯の男、というショッキングでスキャンダラスな設定はあるものの、それは今やおにいさんと幸が法を犯したことをしても問題ないというハードル下げのための設定になり下がっており、基本「ある日突然(可愛くて自分が居ないと生きていけない(A))女の子が空から降ってきた」と同義なのだ。ぺらっぺらだが、それこそが求められている。「怖くないから」だ。
(A)には「やんごとない身分の」「血のつながらない妹/姉である」とか、あと「大量殺戮生体兵器の」とか「妖怪の」とか「暗殺者の」とか「殺人鬼の」とか「サイコパスの」とか入ったりする。よくあるやろ。そういうのを①男女逆にして②リアル現代の③クライムフィクションにチューニングすると
ついこないだあった事件にそっくりで笑えなくなる、みたいなの超あるあるなんすわ…
とはいえフィクションだし少女漫画だし、問題ねーじゃんと思うだろ?私も思う。お兄さんは捕まるか虐待親に突撃して共倒れして死んで美しい思い出になって欲しいけど(どうせやるなら徹底的に幸に都合よく退場して欲しい)。
ツイッターへの最初の投稿とか現実の事件に対してタイミングが最悪すぎる件に関してわざとかどうかはもう「関係ありません」で貫き通すだろうし実際分かんねえからいいわ…。マジでインスピレーションさえ受けてないとしてももう運が悪かったと思ってほしい。というか当時あれだけのトップニュースすらチェックしてなかったなら作者はうかつだし、チェックしてても特に何も考えず出したならそれはそれで大変アレなのでそれは怒られても仕方ないんじゃねーかと思う。
特に問題に思うのは、クロスメディアするとしたら慎重にやるべき題材だったということだ。
「先生!」「PとJK」の実写化の時も同じこと思ったけど(あれも「少女漫画なら素敵だがリアルに考えるとわりとやばい」案件)今回は格が違う。なんせ誘拐犯でストーカーだ。どれだけ気を使っても使いすぎるということは無いだろうに…と思う。
後ろめたさも、退廃的なことも、この作品の魅力と分かちがたく結びついている。伝え方を一つ間違えたら倫理観を疑われる作品なのは変わらないのだ。
このへんは制作側の、なかでもプロモーションの腕が必要な作品だろうなと思う。
たとえば、この作品がギリギリまで性のにおいを消臭できているのは、絵柄の影響が大きい。デフォルメが強く、リアルさは無いティーン向けの絵。虐めのシーンにも性的なものは見受けられず変態教師とのバトルでさえ匂わせる程度だ。
性も犯罪も、それが主題ではないのだと、なによりも絵が主張している。
また、この作品は家族で見てやいやい言いながら見るより、一人で集中して見たいものじゃないだろうか?ターゲットは現在テレビを良く見る層と被っているか?いないんじゃないか?ティーンの原作ファンがこの作品を見て語り合うなら、家族よりも、同性で趣味の合う友達とではないか?
だから、メディア展開を思い切り間違えてる気がしてならないのだ。
テレビでやるならアニメ作品にすべきだったと思う。その人気に火を付けた一端でもあるキャッチーな絵柄を生かし、フィクションであることを最大限利用すればよかった。あくまでこれは夢物語で、リアルとは違うのだとアピールすればよかった。それでも非難は受けただろうが実写化よりはましだったはずだ。「誤解されやすいけど本来こういう話ですよ」と12話でも24話でもかけてやればよかった。
実写化したいなら、この退廃的な作品は映画の方が合うだろうと思った。それに映画館でしか見れない、というフィルタリングは大きい。実写化することでどうしても露悪的に、生々しい匂いになる画面をテレビから無作為にまき散らすのではなく、納得して料金を払い席に着いた観客にだけ誠心誠意向き合う形をとれば良かった。観客を巻き込んで二人の世界に浸れる場所を作ればよかった。
広告展開で規制派の火に油を注ぐ可能性は大いにあっただろうが、中止よりはマシな結果になったんじゃないか。
なんで再現が難しい絵柄を実写で、なんでナイーブかつ視聴者を選ぶであろう題材を全国放送の誰でも見れる割にメインターゲットを逃しまくるであろうテレビで、やろうとしたのだろう。やはりコストの問題だろうか。
いや本が売れたらいいなと思ってたんだろうけど炎上商法やった割にリターンがアレ過ぎない?そうでもない?わからんけど
正直、ドラマ制作側も作者の方も編集部も、「現実にある犯罪を扱った現代劇である」という認識が甘すぎたのではないかと思う。
それも、未成年の被害者がいる事件を、「犯罪としてではなく救済として描く」というひねりを売りにした作品でだ。
「カリオストロの城」でも撮っている感覚だったのかもしれない。モニタの解像度低いわ。
もしくは、とてもリアルだと思ったから実写にしよう!と思ったのかもしれない。
そのリアルさは虚構で夢でしかなく、それでいてとてもありふれた現実だ。
だって、実際の誘拐や幼児への事案はひっきりなしに起こっていて(マジでひっきりなしに起こっている)。
ストーカーや誘拐犯の脳内で、自分は被害者と愛し合っていたという美しい物語が展開されているのは決して珍しくないのだから。
その恐ろしさを無視して、リアルに寄せる実写化をするのは賛成できなかった。
苦言を呈す派に対して作者からのコメントは「実際の事件とは切り離してみてください」これだけだ。たったこの一言で全て免罪されるなら表現の自由とはなんとも気楽で無責任なものではないですか。いや作品内で色々ファンタジー要素盛って免罪符切ってるしあれこれ言及するより作品に集中するのは良い手だと思うけど無責任だとは思うぞ。
だって「世の中いろんな人もいる」と、これが現実でもありえるかもね、とでも捉えられるコメントを付けて世に送り出したのは、他ならぬ作者自身なのだ。
ドラマにしても、女優に「実際にこういうこともあるかもと思う」というコメントを、編集もせず流してしまった。(これで規制派の使命感に火を付けたようなものだと思っている)。制作側止めろよ…
現代のクライムフィクション作品でこのコメントが出るときは「だから怖いなって思いました」くらいのことが続くはずが、「実際あったら素敵」と続いてしまうような。
作品そのものというよりもその周りの倫理観がガバガバなのだ。現実がガバガバ。
そうでなくても今現在、長年沈黙されてきたハリウッドやら世界的に女優の性的搾取の告発が起きてて転換期で、それでも搾取する側の擁護をやめない(「いや、でも女性側も望んでたんじゃないか」みたいなのワイドショーで沢山見ましたね!)、日本のテレビ業界をつい最近私たちは見せつけられているのだ。そもそもの信頼感が地に落ちている時に「地獄の真ん中で搾取されてるけど女の子はハッピーです」みたいな作品作ってもそりゃ倫理観が疑われるだろという話だ。
お兄さんと幸の間にある感情はとても純粋なもののように描かれる。
それは憂いを帯びて美しい。破滅に向かっているからだ。地獄の上にある安息だからだ。あかるい太陽ではなく、暗闇の中の星。
薄汚く、ふたりを虐めるものばかりの世界でここだけは綺麗であるように感じる。実際そうだからなのだろう。未来なんて考えたくもないし過去の事は忘れたい。いまここにある、おにいさんと幸のあいだにある、形容しがたいなにか、それだけが全ての世界でいたい。
この作品のメディア展開が一つ潰れることで、悲しく思うファンもいるだろうなと思う。恨まれるだろうなとも。
つーか私も十代の時に、リアルで起きた殺人事件(娘が父を鎌かなんかで…)をうけて「ひぐらしのなく頃に」のメインキャラが義父を鉈で殺す回の放送が見送られた時「いやリアルとの区別くらいついてますけども~~~~~????」って怒ってたよ。
でも今(アラサーだよ)、もし「新幹線で鉈をふるう殺人事件が起きたけど、犯人は実は悪い人ではなかった」みたいなフィクション作品がテレビで予定されてるとしたら…今の私は、「それは見送った方が良いのではないか」と思う。
大人になるにつれて、想像力は広がりだけではなくリアルさを増していった。経験と知識が増えたからだ。
「これのせいでちいさい子供や、少年少女が酷い目にあうかもしれない」と思うと、耐えられなくなってくる。大人になれば強くなると思っていたのに、陰惨なフィクションも年々見れなくなっている。それは、年を重ねた分現実に起きる陰惨な事件を、それに対する酷い言説を、これまで見過ぎて、現実を見過ぎて、どうしても思い出すから、なんだか嫌になっちゃうからだと思う。大人になるにつれて、後から生まれてくる子たちが傷つかない世界になればいいと、祈るようになってきたからだと思う。
フィクションなのに、現実で被害に遭って泣いていた子や、かつて嫌な思いをしたときの自分を、思い出す。被害者の絞り出す様な言葉や、それに向けられた酷い言葉の数々を、理不尽を、やたらと思い出して、想像してしまって、苦しいときがある。
子供の時はフィクション作品やメディアの力を舐めてたし、大人になればもっと区別がつくようになる、
なんならフィクションを見てリアルを思い出すなんてオタク失格だとすら思っていた。
でもそうじゃなかった。
倫理観スイッチ切って倫理観ゼロの作品を楽しむには、TPOがある程度大事だと知った。自分の家族を亡くした直後に、家族を殺す話を楽しく読めないように。
倫理観ゼロの作品は、倫理観ゼロの現実世界では楽しめないと分かった。楽しめるならそれは娯楽である以上に、麻酔や薬であり、治療なのかもしれないと思った。生きるための救済。
作品の影響力を舐めたらダメだと思った。面倒なオタクである自分は偶像やフィクションに命を救われてなんとか生きてきた。
ならば人の命を奪う作品が無いなどとどうして言えるのか。
だから今回の幸色のワンルームへの規制は、わたしは(あくまで私はな)、
これを見た「大人」がリアルに起きた事件や今までの経験のフラッシュバックに耐えきれなくて「やめろ、せめて少女漫画のカテゴリのなかにいてくれ。そうでないなら無作為にまき散らす前に対策してくれ無作為にまき散らされて何が起こるか分かってんだおれはくわしいんだ(※嫌なことを沢山思い出しながら)」
って言ったんだと思う。
そういう側面は大いにあると思ってる。
「それでも僕はやってない。」が公開された以降から痴漢被害者への二次加害が酷くなったって話聞いてワァーってなった。
そんな変遷を見てきたら「こういう作品が公開されたら、また…」というフラバもそりゃ起きるよと思った。
直前に現実の誘拐事件があり被害者バッシングを見てるんだから余計に「あれが、また…」ってなるよ。(だから本当にタイミングが悪すぎたんだよ…)
というかそれはダメだ。現実がこうだから配慮して作品自体消そうみたいなのは私が一番やりたくないことだった。だからゾーニングとフィルタリング推進派なんだけどさ。
そしてゾーニング・フィルタリングはメディアの差でも実施できると思う。その作品に触れるまでのハードルの差があると考えているから。テレビは特にハードルが低い。例えば映画館での上映や本屋で棚が分けられパッキングされた単行本等とはそれだけでも違う。同列に語れないと思う。
だからってガチガチにこの本は誰向け!この本はこの性別この年齢このカテゴリ!とかマジ誰もやりたくねーよ。なにそのディストピアだよ。
ネックは「現実の事件に対する二次加害が野放しなこと」だから、ここがマシになれば結果的に表現の自由も守られるんじゃねーかなと思うけどどうですかそのへん。
ほんとね現実クソだったよ。現実の誘拐事件おこす犯人もマジでクソだったし被害者に向ける目も相当クソ。二次加害を大量に見過ぎて本当にメンタル削れたし、なによりオタクのリアル事件に対する大喜利に慣れ過ぎて、被害者がいるっつーのに自分も一瞬「あっそんなひどいことされてなかったのかも?」とか思ってしまったのがめちゃくちゃ自己嫌悪で死にたくなった(自分ネットのアイドルと二次元オタクカルチャーに10数年どっぷりなんですよ)。「そんなわけねーだろ」と思った。被害者の苦しみをも加害者のやったことも軽視出来るもんじゃない。絶対。
この感覚のままでいるのはやばいと思った。でもこれは曲りなりにも女体持ちで嫌な思いも散々してきたから「そんなわけねーだろ」と思えた部分はあるだろうなってのもあるし、「そんなわけねー話」をいくらでも茶化せる人がいるのも知っていた。
誘拐もストーカーも盗撮も被害者叩きも遠い世界の人にとってはそれはファンタジーだろうしな。
でもファンタジーじゃねえんだよな。
私が生きていく現実に影響があるんなら、私は私のために戦わないといけないと思ったんだよ。
嗚呼この世に寿命の移転システムがないことを本当に恨めしく思う
日々要介護の病状が悪化していく親と、介護離職で貧困の中その世話に勤しむ中年の未婚の子
いよいよ救いがたくなり、このままだと親子共倒れは避けられない境遇であるならば、
親御さんに安息をもたらし、せめてお子さんだけでも寿命の移転を経て再起させてあげることができるようになればいいのに
これは姥捨て山の発想ではなく、年齢だけを基準にする必要はない
たとえばクライシスの世代の中で、望むような結婚も就職もできず、ボロボロで疲れ果てた人には、希望があれば永遠の休息を与えるのもやむなしと思う
一方の高齢者の中には、例えば作家や漫画家、研究者など、創作意欲の炎を燃やし続けるも、ただ肉体のみが物理的に朽ち果てようとする人がいる
毎晩のように脳裏に去来するから書き捨てておく。脳のメモリの節約になるだろう。
当方スペックは30代男。年上の妻と子供が1人いる。数年前、子供の手がかからなくなってきた頃、ネズミ講みたいなのにハマりだしたけど、自己実現の機会は必要だろうと思って静観してたら、結局ネズミ講システムで成り上がれないことがわかってきて荒れ始めた。そうこうするうちに証券の営業をしたいとか言い始めた。なんぼなんでも主婦上がりには務まらんやろと賛成も反対もせず静観してたら、採用までトントン拍子だった。挙げ句のうちに日本の証券営業は私が変えるとか凄いことを言い始めた。こういのって、反対しちゃダメなんだよね。かといって、聞き役に徹するのは中々キツいなぁ、と思っていたら、段々外出勝ちになって帰宅も遅くなり、着るもの、特に下着とかが派手になり始めた。幾ら鈍感な俺でも色々疑ってしまう。ただ、その時は悪気無かったんだが、妻がよく携帯を無くすのでその対策にGPS追跡をOnにしてた。ある晩、翌日になっても帰ってこなくなった。嫌な予感がしてGPSを確認するとラブホ街ど真ん中だった。現場に急行してホテル出入りの現場を押さえた。ただ、これ、ホントに情事の現場を押さえないと証拠にならないらしいね。
妻はヤッてないの一点張りだった。こっちとしてはまぁそこを追求しても埒があかないから「どっちでもいいよ。」と言っておいた。キツかったのは家族のために働いてるつもりだったのが、モチベが瓦解してしまったことかな。最初は、妻をそんな状態に追い込んだ自分が悪いんだろう、と考えた。あまり家事をしない方だったが、この日を境にまぁまぁやるようになった。というか後述の理由でせざるを得なくなったのだが。一方で妻には「もう朝帰りはするな。」と約束させたが、その約束は再三破られた。証券会社からはノルマが課され、営業のためにむしろ連日深夜帰宅となった。約束を守らない妻を詰ることが増え、家の雰囲気は険悪になった。ここで、けじめをつけるために離婚するかどうかをかなり真剣に考えたが子供から母親を奪うことに踏み切れなかった。しかし、子供は敏感だ。荒れ始めた。
ただ、妻の浮気はその一晩だけで継続的なものではおそらく無かったのだろう、新しい職場で死ぬほど働いたお陰で頭角を現し、同性顧客を多く獲得して営業成績トップを争うようになった。仕事が落ち着くにつれて帰宅時間が常識的な時間になってきた。それは結構なことだが、家で自分の金融商品が如何に素晴らしいかを営業してくるのには閉口した。正直なところ、惚れた女房だから妻にも未練があったし、子供には尚更未練があった。離婚となればこのような場合でも子供は妻に持っていかれて養育費を払わねばならない可能性が高い。今戦うのは損だ。自分にそう言い聞かせた。だが、10年後、20年後になればこの女も若さを失い、ただの金に汚い人になる。子供達も善悪の区別がつくようになるだろう。だが、妻の不義は墓場に持っていって、将来は性格の不一致で決着をつけよう。短期戦から長期戦に切り替え、将来の安息ではなく将来の戦いのために現在も仕事で戦うという変なモチベを自分に湧かせて生きる気力を維持した。
しかし、こんなモチベが長続きするわけ無い。何もかも馬鹿らしくなってきて、仕事に対する熱意が冷めてきた。こんなに闘争心のない俺、将来戦えるのと自問自答する毎日だった。妻はそろそろ家を買おうよとか言ってきたが、信じられない奴と共同名義で大きな買い物をするなんて馬鹿げてるので生返事ばかりしてた。
こういうクソみたいな状況に異変が生じた。妻が大病を患い、余命数ヶ月と宣告された。この時生じたのはザマミロという感情よりも子供のためにも今死なれるのは困るという打算だった。そのころには感情が摩滅してたので悲しいとかいう感情はほぼなかった。数ヶ月、治療と看病を頑張った結果、5年後の生存率4割というところまで状態が持ち直した。
この間、妻の私に対する態度は大きく変わった。頭というか勘は元々いいから、私との間に未来がない、ということも薄々察してたようで、病気する前は家族写真から私を除外するとか、嫌がらせがひどかった。それが、気持ち悪いぐらい私に対して甲斐甲斐しくなった。
私の方は、貯蓄の何割かは離婚の係争費用にあてるつもりだったのが多少拍子抜けした。将来こんな半病人相手に俺は全力で闘えるのか? というか、妻は戦意ゼロ。ただ、勝ち負けというよりも完全に人間不信に陥ってるから、それを拭えない。例えば、私が病気して妻より弱ったら逆に見捨てられるんじゃね? とか。ごくごく客観的に見ると妻は地頭はいいが、信じられるかどうかで言うと信用できない人間だ。将来私が病気したりして強弱関係が再逆転するとどう出るかわからない。
そういうわけで将来設計は和戦両方を考えねばならない状況があんまり変わったように思えない。世間の人の多くはもうちょっと配偶者を信じることができてるんだろうと考えると、自分の人を見る目の無さには笑うしかない。別に今すぐ死のうとは思わないけど、とにかく生きるモチベが上がらないのはどうしたらいいのかな。
キャラ名 | 必殺技の台詞 | 必殺技を決めた後の台詞 |
---|---|---|
ヴァルキリー | その身に刻め 神技「ニーベルン・ヴァレスティ」 | 貴様に救いの道などない |
アリューゼ | てめえの顔も見飽きたぜ 奥義「ファイナリティ・ブラスト」 | わりと楽しかったぜ |
ジェラード | 我焦がれ、誘うは焦熱への儀式、其に捧げるは炎帝の抱擁「イフリートキャレス」 | これは神罰じゃ |
ベリナス | 心の痛みを知らぬ者め奥義「ボイドエクストリーム」 | 神の裁きを受けよ |
ラウリィ | 神の名のもとに 奥義「レイヤーストーム」 | やったぞ、あはは |
ロウファ | この一撃で全てを断つ奥義「ジャストストリーム」 | 僕は自分で道を切り開いて見せる |
ジェイクリーナス | これが俺の最強の技だ 奥義「ギルティブレイク」 | 別れの言葉でも言っておこう |
那々美(ナナミ) | 奉霊の時来たりて此へ集う、鴆の眷族幾千が放つ漆黒の炎「カラミティブラスト」 | 那由他の果てにお還りなさい |
洵(ジュン) | 無限の剣閃、貴様に見えるか 神宮流剣技「千光刃」 | 浄化など生易しいことは言わない、消えろ |
カシェル | ここは俺が決めるぜ 奥義「ファンネリアブレード」 | はっははー、こりゃあご機嫌だぜ |
夢瑠(ユメル) | 汝は知るだろう、幾何なりし封縛が如何なる訃音を告げるものか「デルタストライク」 | 魔物さん、穴があったら入りたいですか |
エイミ | 身体が熱い、力が目覚める 奥義「ドラゴンドレッド」 | あっははは、快感 |
ロレンタ | 汝、美の祝福賜らば我その至宝、紫苑の鎖に繋ぎ止めん「アブソリュートゼロ」 | この場には静寂こそが相応しい |
メルティーナ | 天の風琴が奏で流れ落ちるその旋律、凄惨にして蒼古なる雷「ブルーティッシュボルト」 | あんたらに存在価値なんてないのよ |
ルシオ | ヴァルキリー! 今一度俺に力を!奥義「ラウンドリップセイバー」 | どうだ、思い知ったか! |
バドラック | 悪いがとっとと死んでくれや 一撃必殺「スフィアデサイド」 | 必殺とか言いたくねぇんだけどな、オトナの事情でよ |
グレイ | 冷厳なる氷剣の儀式 奥義「アイシクルディザスター」 | 貴様たちに未来など必要ない |
ジェイル | これが我が師直伝の技 奥義「エターナルレイド」 | この技の前に立ってられる者などいないさ |
詩帆(シホ) | 汝、その諷意なる封印の中で安息を得るだろう永遠に儚く「セレスティアルスター」 | 魔は消え去るが道理 |
蘇芳(スオウ) | 肉体、魂、精神の全てを討つ! 奥義「氷葬方陣」 | これぞ天意 |
ガノッサ | 我は命ず、汝、悠久の時妖教の惨禍を混濁たる瞳で見続けよ「ペトロデストラクション」 | 我が魔力は神をも屠るのだ |
リセリア | 我、招く無音の衝裂に慈悲はなく、汝に普く厄を逃れる術もなし「メテオスウォーム」 | さらなる犠牲者を出すわけにはいかないから |
フレイ | 浄化してあげるわ 神技「エーテルストライク」 | 何も残らないだけ、ゴミよりマシよね |
レザード・ヴァレス | 其は汝が為の道標なり、我は頌歌を以て汝を狂宴の贄と捧げよう「カルネージアンセム」 | このような感じでよろしいのでしょうか!?ヴァルキュリア様……ふっははは |
ブラムス | 轟然たる我が魔力の胎動奥義「ブラッディカリス」 | さらばだ、脆弱なる者よ |
なぜハタから見て神や宗教にハマる人々が狂っているように見えるのか?
それら重圧が生まれたての人間の「こころ」を蝕むのに時間はかからなかった。
何一つわからない。どこに行けばいいのかも、何をすればいいのかもわからない中で、ただただ世界と自分が対決し続ける。
その寂しさ、恐ろしさにとうとう耐えられなかった人間たちが作り出したのがいわゆる「神」、すなわち抽象的な保護者やねん。
抽象的な保護者が見守ってくれて、自分たちが「いる」ことには意味がある。行くべき何かが、するべき何かがこの世界にある。
まがい物の安息感で存在しないものを信じることを選択した結果が神や宗教の誕生や。
なんでそんなことを知ってるかって?
個性豊かなキャラクター達と,喫茶スティーノで繰り広げられるドタバタ喫茶店コメディ。
ブレンド・Sは安定と安寧を求めるきらら難民達の次の安息の地となるかに思われた。
目つきの悪さに悩む少女,桜ノ宮苺香はひょんなことから金髪の外国人ディーノと出会う。
海外留学を目指しバイトを探していた苺香は,彼の経営する喫茶スティーノで雇ってもらうことになる。
しかし喫茶スティーノはツンデレ,妹など「属性」を演じて男性客相手に接客するコスプレ喫茶だった。
ディーノに一目惚れされた苺香は,彼のリクエストでドSキャラを演じながら働くことになる。
大多数のきらら難民は男キャラディーノの存在に戸惑いを隠せなかったことだろう。
きらら作品という絶対不可侵の領域に男キャラが登場し,主人公に一目惚れする。
あまつさえそうしたキャラに主人公が淡い恋愛感情を抱き,あろうことか,第一話のラストでは彼の頬にキスをする。
男キャラの存在は恋愛耐性のないきらら難民に恐怖を植え付けた。
もしもごちうさやきんモザのようなきらら世界に男が現れたら,というシミュレーションに他ならない。
こうした思考実験は今までも心無い一部の過激派により同人活動を通じて行われてきた。
個人の妄想であり,本来のきらら世界に影響を及ぼすことはない。
しかしブレンド・Sの世界においてはそれこそが現実であり,そんな世界がプロのクリエイター達によって緻密に描かれる。
アニメーションがハイクオリティであるがゆえにシミュレーションとしての精度は増し,我々の精神世界にリアルなきらら世界のパラレルワールドを形成する。
パラレルワールドの存在は逃れられない呪いとなって,永遠に我々を苦しめる。
「好みに合わないなら視聴を止めればいい」あなたはそう言うかも知れない。
確かに,アニメーションで描かれる世界観の好みは通常その人にとっての作品に対する評価のみにつながる。
ブレンド・Sの衝撃は自作品世界のみならず,きらら世界全体に深刻なダメージを与えた。
過去,現在,未来。ブレンド・Sの存在はすべてのきらら作品に対する疑心暗鬼と信用不安をもたらす。
もしもラビットハウスにココアたちと同世代の男キャラが入店したら。
もしもイーグルジャンプのキャラ班にやり手の男キャラが新卒入社したら。
もしも情報処理部に。もしも棗屋に。もしも。もしも。
ブレンド・Sの登場は我々の精神世界におけるきらら崇拝の消滅を意味する。
去年ぐらいから引っ越しを考えている。今年に入ってから頻繁にWeb上で賃貸を探したり実際に物件を見に行ったりしている。
だが決まらない。いや、決まらないのではなく決まってから不安な気持ちが強くなってしまってやめてしまっているのだ。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。東京都内に引っ越してきてから4年、その生活から脱却できないでいる。
引っ越しを考えるようになったキッカケはマンションでの騒音だ。実はそれが原因で既に都内で一度引っ越しを経験している。
騒音という苦痛から逃げた先で待っていたのはまた騒音だった。もう心と体が保たない。
「都内はおかしいやつとのエンカウント率が高すぎる。安息の地は都外にあるのでは…。」
ヒトが多い分トラブルも増える。以前住んでいた川崎、名古屋では出会わなかったトラブルに相次いで遭遇し、都内はもう無理だと悟った。
そう思って都外で探し始めるとなんといい物件の多いことか。最上階角部屋という騒音エンカウント率を下げられる位置で探しても賃料は今と同等かそれ以下。
しかも今のワンルームと違って1DK,1LDK,2DKまで選択肢が広がる。
ワクワクしながら内見を申し込み、また別の物件も併せて検討して実際に契約の直前までいく。
いくのだが…。
直前になって途端に不安が押し寄せる。ずっとドキドキしてしまって仕事も手に付かなくなる。なんだこれは。
結局いいと思って決めた物件にキャンセルを入れる。申し訳なさそうにキャンセルの理由を話すと渋々了承され…。自分でもひどいと思うのだが、今年に入ってからこれを4回繰り返した。
意味がわからない。自分がこれはいいと思って、今のストレスから開放されると思って契約を進めているのになぜ反故にしてしまうのか?
今の生活が変わってしまうことを恐れているのか?いやそれはおかしい。だって今の生活が嫌だから引っ越しをするのに…。
もちろん繰り返すうちにこの不安が押し寄せることも分かって「今回こそは大丈夫」と思うのだが、「大丈夫」と思っている時は不安に思っていないときで、不安が押し寄せると大丈夫じゃなくなるのだ。
意味が分からないとは言うけど、実は不安の原因は分かってる。分からないのはその不安を払拭したと思ったのに再来するその現象だ。
都内を離れることによるデメリットはもちろんいくつかあるのだけど、それはトレードオフだと思ってメリットに活路を見出すのだけど、一旦は許容できたデメリットが契約を目前にして許容できなくなる。
「今のほうがいいじゃん」
そんなはずはないのだけど…。この不安に押しつぶされて4度の失敗。家にいるときも時間があれば賃貸を漁る生活。失っている時間があまりにももったいない。
精神的に参ってきていると感じる。絶対に引っ越すべきときなのに。
ちなみにこの現象を他にも感じるヒトがいるのかと思って検索すると「引っ越しブルー」というキーワードが引っかかる。どうやら自分だけが陥る現象ではないらしい。
ただ、そのキーワードで出てくる事例は大体夫婦で、田舎←→都会に引っ越したときの人間関係や子育てに関する話で、一人暮らしで仕事が変わるわけでもない自分とは状況がかけ離れている。
当然出てくる精神的な対策も無意味なものが多く、共感できるものが見つからなくて途方に暮れている。やはりこれは自分だけが陥っているのではないか。精神が病んでいるのではないか…。
今まではとりあえず行動すれば不安は払拭されるだろうととにかく賃貸を探して内見して決める、ということを繰り返してきた。
4度目の失敗を繰り返して3連休を終えようとしている今日、やはりこれではダメだと思って今まで誰にも相談したことないこの話を増田にしたためてみた。
文章に書き起こせば考えがまとまるとかよく言うけど、もちろん書き終えようとしている今も整理はついていない。
無意味と思いながらも今また引っ越しのメリット・デメリットを挙げてみている。あ~、デメリット意外と多いなぁ~…。本当はメリットのほうが圧倒的に大きいはずなんだけどなぁ…。
本当は不安に思っているその時に誰でもいい、誰かから「いいじゃん!」と共感してもらいたいただそれだけなのかもしれない。
なんて脆弱な心なんだろう。たかが引っ越しなのになんでこんな苦痛なのだろう。挙句都内に引っ越すことを決めたあの頃の自分を攻め出す始末。
いっそ外部から不可抗力がかかって引っ越しを余儀なくされればいいのに。
苦悶の日々はまだ続く。