はてなキーワード: 創作物とは
「『最高でした』の一言でも感想もらえたら嬉しい」という主張をTwitterなどでたまに見かける。
「感想ほしい」系の話題になったとき、「シンプルに『読みました、良かったです』だけでもめちゃくちゃありがたい」とツイートしているフォロワーもいた。
私はそう思わない。
「最高でした」とか「良かったです」とか、ほんの一言しかコメントがこなかったら、がっかりする。
2015年から2017年ごろ、私はpixivで小説を書いていた。漫画もたまに描いた。
覇権というほどではないけど、その時期放映していたアニメの中ではかなり人気のあるジャンルだった。
流行のさなか、投稿した小説は最高5,000、漫画は4,000程度のブックマークがついた。
もちろん流行ジャンルの力があってこそだけど、それにしても、かなり読んでもらえていた方だと思う。
目にとめてもらえるだけでもありがたいのに、気に入ってブックマークまでしてもらえるなんて、書き手冥利に尽きる。
ただその多くが
「最高でした」
「良かった…」
「尊い…」
いやぁ……
これがねぇ、驚くほど嬉しくない。
オタクならわかってくれると思うけど、アニメで好きなキャラ達が動いて喋っているのを見ると、うおああああ…と悶絶してしまう。
愛しさとか憧憬とかいじらしさとか切なさとか、ありていに言えば萌えとか、いろんな感情が胸にきて、どうしようもなくなる。
うんうん頭をひねって、自分の中のあらゆる引き出しを開けて、ぴったりくる表現を探しながら書く。
ああでもない、こうでもないと試行錯誤する。思うように表現できずに苦しい時もある。
「なんで私、苦しんでまでこんなことしてるんだろ…」と冷静になりそうな自分を「好きだからだろ!」と激励して書く。
書いているうちに「死ぬほどつまんないな」と思って、ダーーーッと文章を消して、また1から書き直したりする。
時には3万文字だったり5万文字だったり7万文字だったり、本が出せるほどの長文になった(本も出した)。
「最高でした」
「良かった…」
「尊い…」
…………。
なんていうのかな、肩透かしって言ったらいいのかな?
ワクワクしながら確認したら、安っぽいコメントが、たった一言しか書き込まれてない。
えっ?それだけ??? と思う。
もっとこう…あったでしょ? って。
何も400字詰め原稿用紙3枚以上の感想文をよこせって言ってるんじゃない。
長文感想以外認めない!ってわけでもない。
ただ、もう少し具体的に
「あのシーンの〇〇のセリフにこれまでのすべてが詰まっていて最高でした」とか。
「ハッピーエンドで良かった…最後に2人が結ばれて本当に良かった…」とか。
「読み終わった今、胸がいっぱいで言葉にならないです…。尊い…」とか。
せめてそれくらいほしい。
マジの一言しかないと、「あんなに必死で書いたのにそれだけかい」と思う。
(さらにひどい場合pixivのコメント欄で使えるスタンプだけポンと送って来られたりする。
一時期本当にスタンプしか送ってもらえない時があって、ゾウが鼻血出してる絵を見ると未だにげんなりする)
「神」「最高オブ最高」「てえてえ(尊いを崩した言い方らしい)」など、オタクが使いがちなネットスラングが便利なのはわかる。
あちこちで使われすぎて手垢まみれだし、薄っぺらくて陳腐だし。
オタク各位、創作物を読んで抱いたご自身のお気持ちは、もっと大切にされた方が良いかと思います。
感想を送ろうと思い立った際には、そのお気持ちを、もう少しだけ丁寧に言語化していただけないでしょうか。
「気持ちを言語化するのが苦手」という人もたくさんいるだろう。
「言語化はできるけど、情熱込めた感想送って、気持ち悪いと思われたら嫌」って人もいるはずだ。
でも、使い古された脳死コメントや、pixiv運営が万人向けに用意したスタンプを送られるくらいなら、
Twitterに作品リンク張って「これ最高だった!読んで!」って宣伝してもらえる方が、私はずっとずっと嬉しい。
「感想もらえるだけありがたいと思え」と言われればその通り。
世の中、一言のコメントどころかスタンプさえもらえない創作者がいるのはわかってる。
だけどやっぱり、
1万文字まで送信できるメッセージ欄からビッシリ長文で感想を送ってもらったり、
イベント会場で感想がつづられた手書きのお手紙を対面で渡してもらったりして、贅沢を覚えた身としては、
一言コメントを送られると「それだけかよ…」と思ってしまうわけだ。
しかし「一言しか感想もらえないとがっかりする」なんて発言したら普通に引かれるだろう。
こいつ性格悪っ!誰が感想なんて送ってやるかよ!となって、一言コメントさえもらえなくなるだろう。
あまつさえ「陳腐なコメントよりしっかりした感想送ってくれ」「スタンプ送るくらいならTwitterで宣伝してくれ」なんて言おうもんなら学級会案件になってしまう。
拡散力のある人が拡散してつるし上げられたら大炎上して、ジャンルにいられなくなるかもしれない。
インターネットを使い慣れたオタクの皆さんなら承知の上と思いますが、念のために言っておきますと、この記事に記した内容はすべて個人的な意見です。
冒頭に書いたとおり、たった一言のコメントでも嬉しいという創作者さんの方が多数派だと思われます。
こんな贅沢でワガママなヤツもいるんだな~くらいの気持ちで受け取ってください。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
~以下余談~
そのジャンルでの二次創作には区切りをつけて、2018年~現在、別のジャンルで活動している。
2010~2013年ごろ流行していたけれど、今はピークを過ぎており、公式からの情報が途切れて久しい。
ストレートにいうと斜陽ジャンル(そのためか年齢層もやや高めに感じる)。
このジャンルで小説を投稿すると、驚くほど濃密な感想文が送られてくる。
「〇〇の場面で××が△△したのは伏線だったんですね」とか
「この行動には□□に対する作者の皮肉が込められていると思う」とか
「ラストシーンを安易に〇〇にしなかったのが逆に感動的だった」とか。
感想だけじゃなく、考察や評論がコメント欄で交わされていて、とても面白い。
ブックマークは多くても300~400程度だけど、コメント率がとても高い。こうなると書き甲斐が段違いだ。
自分は特に有名人でも人気者でもない。だらだらと日常のことを呟き、たまに自分の創作物をTwitterにアップする、そんなよくいる人間だ。
正直友人が増えるのは嬉しい。これがフォロワーからのリプライやDMだったら「ありがとうございます!よかったら今度ご飯行きましょう!」とか「もうお前の事友達だと思ってたのに!悲しいこと言うなよ!」とか返せる。コロナ渦でなかったらオフ会だって企画していた。だが送り主は顔も名前も趣味も性格も何もかもわからない匿名の人間だった。
「本当に友達になりたいなら匿名サービスなんて使わずに連絡してください」そう言いたかったが、その言葉こそ彼または彼女の気持ちを踏みにじる気がして何も返せなかった。そもそも送り主は匿名という「傷つかずに済む立場」から送ってきた。時には互いに傷つけ合い、それでも許し合えるのが友情というものではないか。果たして送り主は本気で自分と友達になりたかったのだろうか。
ってことは作家個人が作中にそういうキャラクターを何人か出すことには問題がないよね
男を襲う事しか考えてない男は当然いるだろうけど
最初は好きな創作してる方をリストに入れているだけだった。その内、身内ネタであろう空リプが気になって空リプの内容を把握するために特に創作物が好きという訳ではない方もどんどんリストに追加した。
空リプはかなり多かった。空リプ先を知ってからは内容が理解できて面白かった。そう、面白かった。中には創作をしてない方もいたが空リプ先によく出てくるのでリストに追加していた。
みんな仲が良さそうで楽しそうに好きなジャンルの話をしてたりしてるのを見て勝手に楽しんでいた。そのリストは最早フォローしているTLとは違う私のいない楽しいTLになっていた。
仲良さそうに出かけたり、通話したりゲームしたりしてるのを微笑みながら見てた。マイナージャンルにいる、自分がそのような相手がいない。ということもあり、本当にただ楽しく見ていた。
そんな楽しみを壊したのは、鍵RTがきっかけだった。ある日、自分の軽いくだけた自己紹介のような固定ツイートを鍵RTされたことに気づいた。普段は鍵をかけていたが、キャンペーンのために外していた。私はメンタルがとても弱く過敏だったので、なんでRTされたんだろう、なにか不快にさせてしまったのだろうか、晒されているのだろうかと不安がぐるぐるよぎった。不安になって急いで鍵をかけた。
パニックになった私は何故だか急に今まで非公開リストで楽しんでいた擬似TLの方々を一気にフォローしてしまった。
多分それはリストに入れている創作をしてない方の「キャンペーンが終わったら鍵をかける」というツイートも引き金になっていたのだと思う。その方は創作はしてないものの趣味が似ていてツイートも面白く、なんというか、最早ファンだったのだ。
パニックになった私は勿論その方も一緒にフォローした。が、TLを更新してもツイートが出てこない。おかしいなと思いもう一つのアカウントで見てみると(同じようなリストを作っていた)、普通にツイートされていた。……私はブロックされていることに気づいた。そこで目が覚めた。違う方向にパニックになった。
ブロックされたということは少なくともアイコンや名前は認知されてしまったということだ。恥ずかしさや申し訳なさ、後悔が募った。どうしていいかわからなくなった。
外から見ているだけで楽しんでいたのに外から見ていたから楽しかったのに、パニックになって踏み込んで壊してしまったのだ。
その後しばらくしてその方は「FF外の人はブロックします」というような旨のツイートをされた。自分のことだとすぐにわかった。馬鹿なことをしたと思った。
自分は鍵RTであんなにパニックになるんだから、鍵垢から無言でフォローがきたら気持ち悪くてブロックするなんて少し考えればわかることだった。ツイートが見れなくなるのがいやで焦ってしまった。
自分が悪いくせにブロックされて恥ずかしくて、傷ついて悔しくて擬似TLを楽しめなくなった。勢いで行動するのは良くないと思い知った。
本当はどこかで仲良くなりたい、混ざりたいという気持ちがあったのかもしれない。わからない。ただ楽しい擬似TLを壊したのはもう取り返しがつかなかった。
こんな気持ち悪いことをしてるなんて誰にも言えないけど誰かに吐き出したかった。こんな夜中に登録してどこかに吐き出したかった。それだけ。
創作界隈(一次二次限らず)において、創作者の承認欲求を何か不純なものとして扱ったり、それを持つ創作者を下位のものとして扱う雰囲気があるがそれが附に落ちない。
色々なテーマを混ぜこぜにして、「創作者は創作欲のみを持つべきで、承認欲求を持たないべき(小さい方が好ましい)」になってしまっている気がするので、何故こうなっているのかを考えたい:
「承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分を価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬・自尊の欲求」とも呼ばれる。」
詳しくはWikipediaを読んでもらえればわかるが(投げ)、確かに承認欲求があまりに大きいとお金や地位ばかりを追いかけて幸せになれないが、そもそも承認欲求自体はマズローの基本的欲求でも出てくる、人間として当たり前の欲求である。
また一般的に認知度の高い欲求である一方、その厳密な分類は多岐に渡る。(詳しくはwikiへ)
ここで、オタクの文脈で語られる"承認欲求"とは、大体以下に挙げられるものだと思われる:
これらがどのような承認欲求に当たるかというと、
にあたると考えられる。
よって本ログで以降"承認欲求"と記載した場合は、主に他者承認、対等・上位承認を示すと思ってほしい。
創作欲について、weblio辞書では以下のように定義されている:
文芸作品や絵画などの芸術作品などを創作しようという意欲や情熱を意味する表現。
つまり、なんの利害も考えず、ただ何となく創作者が自分の想いや想像を形にしてみたいと思う、その最初のシンプルな欲求を意味するのだろう。
今回のオタク言説(アンチ承認欲求)でよく出てくる、"純粋な創作欲"とは概ねこれを意味するのだろうと思う。
人が絵や小説、またその他の創作物を作り始める時は、最初はこの欲に突き動かされて作るのかもしれない。
しかし、その作品を何らかの形(SNSへの投稿など)で発表しポジティブなフィードバックが返ってくると、またそれを報酬(目的)とした創作の欲求がでてくることは、人間として至極当たり前なことではないだろうか。
これは"純粋な創作欲"からは外れて承認欲求の域に入ってしまうわけだが、創作者にとって何の問題もないし、健全な欲求として創作を推進させると思う。
これが問題になってくるとすればこの承認欲求が肥大化し、創作者の活動や心身に害を及ぼし始めた時だろう。
実際、色んな創作者(男性向け・女性向け問わず)の増田が承認欲求により破滅した旨のログを書いているし、それらを目にしたこともある。
ただそれはあくまで承認欲求(やその他の欲求、感情)がいきすぎてしまった一部の例であって、これらの例を掲げて「創作者に不純な承認欲求は不要」とまで言ってしまうと、それは本質から"ズレた"言説だなあと感じる。
ここで、創作者にとって承認欲求そのものが害かどうかという問題に加えて、「外部から求められる"創作者"の像の問題」が絡んできてもっとめちゃくちゃになる。
つまり、読み手が書き手に承認欲求の所持を認めたがらないという問題である。
こうなる原因はいくつかあると思っていて、例えば以下が挙げられる:
これらの要素が混ざり合って、「(読み手にとって)創作者は承認欲求を持ってない方が好ましいナァ」という気持ちや言葉が生まれるのだろう。
それらの読み手側の気持ちは否定しない(支持もしない)が、問題は、創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題では、承認欲求とはそもそも何か、そしてそれが誰の為に好ましくないのかという部分が曖昧なまま、なんとなく承認欲求は良くないし汚い、といった雰囲気が醸成されているところにあるのではないだろうか。
なんとなく"承認欲求"というワード自体が含蓄する否定的なニュアンスを分解しないまま、なんとなく創作者にとって承認欲求はない方が良い的な雰囲気になっているのが嫌で解体してみた。
結論としては
というありきたりなものに落ち着いたが、「創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題の解体」という目的は達成できたので、ここまでにする。
特大ブーメランだがあえて書かせてもらう。
自身の創作物で読者らに幻想を見せることが出来ないものが、人口に膾炙している他人の創作物を踏みにじって、勝手な文脈を付け加えているに過ぎない。
二次創作を行っている時点で誇れるようことはないし、解釈違いだなどといって論争やそれにも満たない喧嘩、はてはお気持ち表明をするなどとどこかおかしな人が多い。
自身の言葉だけで語れていない時点で惨めであるし恥じるべきであると私は思う。
それでもあえて二次創作に意味を見い出すとすれば、一次創作をいきなり始めるのは難しいので、その前段階としての二次創作だろう。
まず、私は死ネタが嫌いではない。
むしろ好んで読むことすらある。
人によって作品の確信や結末にあたる【ネタ】部分は心に刺さることが多い。死ネタは地雷として表現されることが多いと考えてタイトルに表記した。人それぞれ、地雷とされる【ネタ】は様々だと思う。取捨選択して、素晴らしい二次創作ライフを楽しんで欲しい。
もしも、作品に注意書きがなく、自分の思う内容ではなかったとしても、目くじらを立てずスルースキルを発揮する力を養うべきだ、と。そこそこ長くオタクも腐女子も経験した身としては、蚊帳の外からそっと思っていた。
今回、どうしても、どうしても、言葉を綴りたくなってしまった。
私だけが?と思う推しキャラクターを巡る世の流れや趣向の違いを飲み込めない意固地なオタクだとわかっているのだが、やるせない孤立感が大きい。
私の推しキャラクターは、唯我独尊タイプだが信念のある支配者然とした男性キャラクターである。知性も理性も備えている。また、彼自身遊び心も持ち合わせており、絶え間なく変わる姿に心の底から引き込まれてしまう。正直、作品の中で、1・2を争う完璧な生物であり、私の語彙程度では正しく表現できないことが悔しいが男前なキャラクターに分類されると思っている。
当然のように、支えている部下たちも一流の男たちである。完璧な仕事ぶり、所作・言葉使いまで、各人員が要所に個性や気品があると思う。
かなりこの方々は人気がある。
私は推しキャラクターには多大なる恩義があるので、もう一生推す・この人で最後、と本気と書いてマジで思っている。盲目的であることを許してほしい。
ここから少し推しを巡るカップリングの話をしたい。私の推しキャラクターとその側近のような部下がいる。人により捉え方は変わると思うが、複数人いる部下の中で、この2人だけ作中で別次元の描かれ方をしていたように感じた。ここにストンとおさまってしまった腐思考の方々も多いのではないだろうか。実は、私もその口だ…
そんなあっさり、おまえ。と思うかもしれないが、視覚と音の効果は絶大で逃れようがないんだ。世界中に見せたい、これできてるよな?と、10億人思うはず。
私はその推しキャラクターを単体で推して長いが、今までカップリングで考えることは、稀にある、程度の頻度であった。
推しキャラクターをとにかく彼らしく描いていて欲しいという願いを持っていたので、二次創作よりも公式に傾倒していた事もある。ここで書く彼らしいは、公式を逸脱しない設定でという意味で捉えて欲しい。それも、わたし個人の主観によるものなので、人により解釈は変わるだろう。簡単に考えれば二次創作に重きを置いていなかった、公式最重視型オタクだったのだ。
でも、拗らせ方がひどい時期は
と、ここまでは流石に思っていなかったかもしれないが、人間活動としてのリアルな事象はなるべく想像したくなかった。神様レベルの信仰対象に限りなく近かったのではなかろうか。また、夢女子的な思考はなかったが推しキャラクターへ心酔に近い考えを持っていたために、ドリーム思想の方々とは相入れないとわかっていた。住む畑が違うならば耕さなければいい、ノータッチを貫いた。
そして当時から最近まで、確信的な推しのえっちなシーンを想像するのはギリギリのラインに留めたいという気持ちがあった。やってもいいけど直接的には見たくない。暗転希望、事後描写にしてくれ。反して、支配者タイプの成人男性なのだから、女は抱いてていいと思っていた。
みたいものが少ないと判断していたためか、二次創作を進んで読むことは少なかった。
そして、
2020年7月現在、これは全く当てはまらない。公式からの新しい情報投下により私の世界は一変した。
部下(攻め)×推しキャラクター(受け)がめちゃくちゃ読みたい。毎日読みたい。沢山読みたい。朝起きてからおやすみまで読みたい。作中まだ幸せそうに見えない推しキャラクターを幸せにしてくれ、部下!と願いながら広大なネットの海で神々の作品に溺れさせてくれ。
そして根っ子には腐った女を飼っているので求めるところは以下である。
メタクソ読みたい。
洗浄からきちんと見させていただきたいですし、わたし、上に乗るのが好みです。
できたらステイさせられるのは攻めがいいし、女王然としていて欲しい。
貴方の優位は揺るがない。で、お願いしたい。
これ。
今回、自分の認識が変わり、二次創作を楽しめるようになった。ブームにのり溢れてくる作品群、雲が晴れたように私の世界は明るかった。とても喜ばしい日々が続いていた、自分も作品をかきたいという気持ちもあった。少し前まで創作意欲も創作物にも触れる事が怖かった時期があったので本当に感謝の気持ちで、推しに五体投地して過ごしている気持ちだ。
意識的に、自分が読み飛ばしているシーンが、だんだんと、だんだんと、増えていくことに。
その頻度が増えていることに。
これだ。
あまりにも唐突に、コーヒーいれたよー!みたいな感覚で呼び捨てにされる推しキャラクターと、唐突に呼び捨てにする部下という図に思考回路が追いついていなかった。
頭の中のシナプス伝達が出来てない、言語中枢が真っ黒に塗りつぶされたのか、拒否してるとしか思えない。視覚からも受け付けてはくれない、意図して目を滑らせる。これは、これはダメかもしれない…のみこめないのだ。素直にびっくりしてしまった。
私は、オタクとして自覚をもつ頃には、読めないものが少なかった。漫画も小説もとりあえず読んでから考えるスタンスで生きてきた。そして、殆どが多様性をもった【ネタ】として別時空のキャラクター達として読み進めることができた。ハッピーエンドもバッドエンドもそれぞれの解釈を楽しむことが作者の世界観を知り楽しめる、そこに幸せを感じていた。
勿論、記憶に残らないものや、私には難しいかもしれないという世界観もあったがそれほど気にせず受け流していたのだと思う。
わたしの二次履修背景からしてこんなことになるとは思わなかった。しかしながら今回に限り頭の中を占めるのは、
推しキャラクターを呼び捨てにするという身に余る行為を軽率にしている部下。
なぜか?という疑問が拭えない。なんでなんだ部下…なぜ敬意を払わない。お前にとって、唯一無二のお方ぞ。
(わたしは冷静ではないので、細かな前後描写や文脈から作者の意図を汲み取ることができない、また読み返してもできる自信がない。)
補足をしておきたいが、全ての部下→推しキャラクター(上司)への呼び捨て行為が受け入れがたい訳ではなかった。
ストーリーの流れで呼び捨てる行為がスムーズまたは、必要とされれば受け入れられた。
そこに至る設定というのはとても大切で、呼び捨てる行為にスイッチや理屈があることが重要な鍵となっているようだった。
人によって、なんとないことかもしれない。名前の先に付ける敬称が無いだけだ。
推しの事を呼び捨てる行為について、部下は許しを得ているのか。
不敬であろう、なんて、不敬なのだろうか。
そもそも部下はこんなことをするだろうか。そんな信念でお仕えしているのか、望むだろうか。
推しはあっさりと呼び捨てることをさせるだろうか、高貴なあなたが!?
いや、無理だなぁ涙涙涙
しかしながら、界隈の流行があるようで、ポンポンポーンとお名前を呼んでいる部下。
呼ぶにしても、推しからの許可や切羽詰まった懇願をしてからにと切望してしまう。推しキャラクターは受けだが完全生物なんだ。オメガバ○スならαだろうし、セクヒ○スなら重種だ。マーメイドかも。メタくそ美しいんだ世界が傾く美貌なんだ。
ひとり四面楚歌に立たされている中、追い討ちをかけるように、客観的な作品への同意マークが増えていくことが不可思議でならない…みんな呼び捨て呼称は気にならないのか、この方をあっさりと名前で呼んでいいの…様つけないの…
自らの中に警備員を飼っていたことにも驚愕し、同時に作品を創作してくださった方への罪悪感や裏切られた気持ち、受け入れられない自分への失望が一気に流れ込んできていた。相反する感情で潰れそう、きつすぎる。
ただ、推しキャラクターが好きでたまらなくて、カップリング趣向を楽しめるようになったのに、このような感情を持っている自分への悲しみ呆れ。でも、やはり受け入れられない真理。
萎えるのだ、受け止められない。呼び捨てるという行為を見た瞬間に、サッと血の気がひく、どんな行為の最中だろうと冷静さを取り戻してしまう。その後には、怒りすら覚えてしまう。どうしようもない…
そして、恐ろしいのがこれは記載される可能性が低い、無いだろう地雷なのだ。
私自身は作品を読むうえで地雷を気にしたことが殆どない、読んでから考えるタイプだった。対して、過去自身の創作に関しては慎重で注意記載は多すぎる方だった。だからわかる。
という至極丁寧な記載をしていただけるだろうかと言えば、私にはそこまで求められない。小説ならば数千数万の作品を書いてくださる偉人たちにそこまでさせるか、と言えばできない。自身も攻めが受けの呼称を変えますと、表記したことはない。もしかしたら、私も誰かの脳にダイレクトアタックをキメていた可能性もある。なんてことだ。
自営したいのに、とても回避が難しいことに頭を抱えている。
つらいつらいつらいつらい。
読みたい!!!なんでこんなに面倒なことになった
素直に推しのえっちシーン読めよおおおお!拗らせないでくれマイブレイン!
でもやっぱり呼び捨ておがじぃ!
冷静では無い。
素晴らしい作品に出会い読み進め、いざこれから本番です。きたきたきたあああああ盛り上がってまいりましたっ!という時に突如として推しが呼び捨てされる行為、いともたやすく行われるえげつない行為。
すべてが止まる、静寂が訪れる。
これは分かる部分が多い
こうなってくるとよしんば物を作り上げて誰かに褒められたとしても、嬉しくないor嬉しさがすぐにより強い不安感に変わるので「創作する→嬉しくない、不安感が増す」という負の学習だけが蓄積される
そして「なぜ自分は筆を取れないのか」「なぜ自分は上手くできないのか」「なぜ自分は上手くなさに耐えて修業を続けることができないのか」という不毛な自問自答にとらわれる
果てには「自分が創作活動をする→上手く行かない」という連想によるフラストレーションが、他人の創作物を見るたびに心に湧き上がる
そのリンクが私のTwitterのTLに現れてから、私の世界は変わった。
気軽に通話やテキストで会話が出来、共通の嗜好の方と創作や想像の共有が出来る、素晴らしいアプリだ。
いても立ってもいられず、早速登録した。
私は、最近新しいジャンルにハマったいわゆる腐女子である。とにかくこの身の内から溢れだす物を人と共有したかったし、二次創作をされている方の妄想も色々聞きたかった。
結果、mocriを利用して様々な方とやり取りが出来た。こんなに気軽にたくさんの方と直接のやり取りが出来るなんて、凄いアプリだ。良い。
そんなある日、TL上にあのリンクが現れた。
私は、そのツイートをした主催の方と数回話したりやり取りをしたりしたことがあったので、この日もそのスペースにお邪魔しようと思った。
リンクを開くと、数人が既に参加していた。その数人は私のフォロー・フォロワー外だったのだが、創作物を通じて知っている方たちばかりだった。相手の方は私の事を知らないかも知れないが…とはもちろん思いつつも、その時の私は交流に積極的だった。
「これをきっかけに仲良くなれたらいいな」
そういう下心も確かにあった。下心ではあるが、とにかく好意的な気持ちで入室したのだ。
入室すると、何らかの話をしているところだった。
「初めまして、○○です」
私から挨拶をして、挨拶を返される。よくあるやつである。そうしていると、
「じゃ、初めましての挨拶はそのくらいで」
少し「ん?」と感じた。が、話している中で突然入って来て、遮る形になってしまったし仕方ないなと思い、何も言わずに黙った。
そして今までの会話の流れがどんなものだったのか、皆の話を暫く聞いていた。
聞きつつ、私は声での参加だったのでその会話に添った内容で発言してみる。
と。
「…えっ?は、はぁ…?」
あれ、的外れなこと言ってしまっただろうか、というような言葉が返ってくる。
もしかしたら私の声があまり声がよく聞こえなかったのかも…とも思い、その後はハキハキめに、ちゃんと内容を聞いて会話の中で何度か発言した。
「あ、はい…」
私の発言には反応がすこぶる悪い。
最終的に私の言葉は聞こえなかったように返事もされない事もあった。
他の人たちは楽しそうに話しているのに。
私は、焦りと同時にだんだん怖くなった。
だがその時点でも能天気な私は、「声が聞き取りにくかったのかも…」や「面白い話が出来なかったのかも…」とまだ微かに思っていた。
そんな中で、私の発言した内容に関わるような流れになった時に、相手が動揺して話題を逸らしたのがしっかりと分かって、ちゃんと聞こえてたんだなぁ、と確信した。
私だけ、この場の異物だ。
どうしてそういう対応をされたのか想像が出来なかったのだが、私は多分、もう既にグループが出来ているところに飛び込んでしまったのだ。
『来週の○曜日○時から、mocriで○○します。気軽に参加して下さい!』
その日から、そんな予告ツイートを見る度に、mocriに登録しているのに、あの日のことを思い出して怖くて行けず、参加する時間があるのに参加しない自分が駄目なように思えた。
辞めてしまえばいいんだ、と気付いて辞めた。
参加したいけど登録してないから仕方ない、と思えば気が楽になった。
多少余談ではあるが。
その通話に参加だった方たちの同人誌を、私は好きで購入していた。楽しく読んだ内容であったが、どうしても相手の存在がちらついて読めなくなり、処分してしまった。その方たちのネット掲載の二次創作も、あの日のことを思い出すので今は避けている。
深く考え込んでしまい、ジャンル自体も撤退しそうになってしまったが、好きの気持ちは自分の中だけで大事にしようと思い直し、今もひっそりと片隅で生きている。
私は腐女子である。過去には自らイベントに参加し本を頒布するなどもしたが今はただの出戻りROM専である。
私が二次界隈から去っている間に、この創作世界にも様々な変化があったように思う。
主に夢だ。
こんなにも市民権?をとっているとは過去の腐女子には想像もつかなかった世界である。
彼女らは大変に気遣って住み分けし、支部ではタグを入れて事前注意をしてくれるし、別に避けているわけではないが彼女らの主張をSNSなどで見たことがない。少なくとも私は。
女体化。
別に嫌いではない。支部でジャンルに女体化を描く人はいく人もいる。しかし大勢いるそのうちの一人にもやっと来る。
その人はいわゆるツイ廃で、心を病んでいる。よく死にたいツイートをしている。自らメンヘラを自称している。
私は過去の経験から、8割くらいの二次同人女は過去未来現在のどこかで心を病んだことがあると思っているので別にそれは気にならない。
TwitterというのはSNSの中でも危険度の高いツールだと思う。呟きツールというだけあって、脳と指先が直結している。
気軽に自分自身についてツイートする。そして自分の好きなキャラについて考察したりする。
しかしこちらは同時に同じような意見を見ることになるので、彼女のキャラ考察というのはキャラでなくてご自身のセルフ考察であるなあというのが分かってしまうのだ。
何しろそのキャラは某人気王道バトル少年漫画の主人公であるので、間違ってもフロイト的な、全ての心の問題は性問題であるみたいな、そういう考察にはなり得ないのだ。
女体化作品でも作者が透けて見えなければよかった。たとえキャラ崩壊してだれおま状態でも気にならない。
しかしこんな明確に自分の問題をキャラに投影して、このキャラの考察はこうでこうで、などと大真面目に語られるともはや二次というより彼女が彼女自身を描いたエッセイ?を見せられているような気になってしまうのだ。
エッセイも好きだ。しかし、それは自分を客観的に見れていたらの話ではないか?
明らかに美化?した理想の悲劇の主人公。女体化。もはやなり変わり夢と化している男性キャラ。
絶世の美人(元はフツメンの男性キャラである)登場人物全員このキャラを愛している。総受け固定、などと語られると
(自分ではなく好きなキャラを語っているというつもりなので)、こちらとしてはヲチ目線で見るしか無くなってしまうではないか。
男体のままならまだ自分をごまかすことができたかもしれないが女体化。
もちろんこちらは見なきゃいいだけの話なのだが、こんな彼女のリアルな友人も見ているだろう垢で、欲求不満です通りすがりの誰でもいいみたいな作品をその女体化キャラでリアルチックに描かれられると、そんな赤裸々で大丈夫かとハラハラしてしまう。
なんだかひと昔前の携帯小説の援助交際女子高生みたいなこと言っている。
援助交際ってお金が目的なんだと思ってたけど、あれ、普通に欲求不満なだけの人もいたのだろうか?
BLという隠れ蓑を纏っているなら他人にその願望をバレたくはないと思っているんじゃ無いだろうか。多分だけども。
きっと未来に死ぬほど後悔しそうな気がするのだけど、ひと事ながら大丈夫なのだろうか。
それとも恥ずかしいと思うのは私がオババだからで今の若い人は平気なのかな。
なんかこう書くとエラソーだなと思ったんで付け加えますが、正直BLの性的表現というのは私も含め全て自己の投影だと思ってます。
自分の性についておおらかに表現するのに抵抗がある女性が、男性同士です、私とは無関係ですよ、という名目の元に性的なものを創作物として昇華させていると思ってます。
個人的には「実態に即してないから」ポリコレ的でないみたいな論調だったのでそれは違うよなあと。
実態に即しているのがポリコレならまだまだ家事は女性が主体で育児はワンオペだらけなのでそういう描写をするのが「正しい」ことになるのでは?っていう。
ポリコレってもっと人権的なものとか平等だとかそういうものだと認識していたので、ポリコレ的観念からリバが主体であるべきと主張するなら受け攻めの固定が役割の押し付けであるからとか人格の否定であるからとかそういう方向で語るべきじゃないのかなーと。
あと男女で家事を両性が分担しているのが基本、っていうのもそもそもそれポリコレって言えるの?という疑問は感じました。
自分にとってのポリコレ的に正しい家事の描写は「互いに相談の上でどちらが何を負担するか納得した状態で運営する」であって、分担した家事をしてても不満があってそれを相手に伝えられないなら正しくはないと思います。
同じようにポリコレ的に正しい同性の性行為の表現は互いにどちらが攻めてどちらが受けるか納得の上で同意して性行為をすることであって、例え統計的に現状いわゆるタチもネコもやるリバの方が多数派であるのが実情だったとしても、それを根拠に本来希望している役割とは逆の役割をやらされるようであれば正しくはないんじゃないでしょうか。
女でも男でもかわいくなっていい、女でも男でもかっこよくなっていい、っていうのがポリコレじゃないんです?自分のあり方を自分で決められるのがポリコレだと思っていたけど違うんでしょうか。ポリコレ的にはステロタイプの押し付けって一番ダメなやつでは?
だからと言っていちいちBLで互いの役割決定シーンを必ず挟むべきとは思わないし、家事の描写がある作品では役割分担の相談をして互いに合意する場面が必要であるとは思いませんけどね。
偏った情報しか周囲にないせいで認識が歪んでしまう問題や役割を押し付けられてしまう問題そのものはよくないことであり、改善のために何ができるか考えていくべきだと思うし、当事者の声は素直に聞くべきだと思います。
でもその問題を考えるために現実に即してないから、とか実際の割合はこうだから、ってのを持ち出してそれを根拠にすると、それは必ずしも倫理的な正しさや公平さに繋がらないんじゃないかと思います。
問題のアンケの人は【追記:自分の志向と合わないジェンダーロールを押し付けられたことを、実際の因果関係は不明ですが当時溢れていたBL的表現のある創作物が原因だという想定のもとで】「若い性的マイノリティーの手に取る物に自身のロールモデルになるキャラがある程度の割合でいてほしい」って言ってるんですよね。その気持ちは特に悪いとは思わないです。
でもそれ【追記:=ジェンダーロールの押し付けをなくすという目的】を満たすためのものが「受け攻め表記を撤廃して、創作物のタチネコ固定とリバの割合を現実に即した割合にする」になるとは思えないんですね。
ご本人がその辺の割合がこれくらいになってほしいとかそういう話をされてます。
それって海外で問題になってるような一つの作品内のキャラの割合を現実に即した物にするとか黒人キャラを黒人が演じるとか(個人的にはこのあたりにも色々思うことはあるし必ずしもそれがポリコレとして本当に正しいとは思えないとかあったりしますけど)ともまた違うんですよ。
世の創作物全体の割合を現実に即した物にすることをポリコレとは言わないでしょう。言いませんよね?
表現の自由的な問題からしても「あなたの書いた受け攻め固定BLは既に世に規定数出回っているのでアウトです。リバBLを書いてください」とか言われたらふざけんなってなるでしょうそれは。
そしてそれは「あなたは受け攻めを固定しているけれど現実の同性愛ではむしろリバが主流であり表現として正しくありません」って話は(その主張を受け入れるべきかどうかは別として)別の話であって混ぜて語るべきじゃないんじゃないんですか?
ジェンダーロールを押し付けられない世の中にするために創作物内での表現に配慮するなら、そこに出てくる人がどんなジェンダーロールを持っているかよりもキャラが主体性を持って己の求めるジェンダーロールを勝ち取るシーンを入れるべきというのがあるべき主張では?(その主張が正しいかどうかは別の話)って思うんですけどどうですか、という話です。
あと、例えば実際の現実の割合に基づいた結果性的マイノリティーの人の前に自分と同じ属性のキャラが登場する作品としてお情けのようにほんの数冊の漫画をお出しされたとしたらどんな気分になるかを考えると、自分としてはそんな世の中が性的マイノリティーを救うとは思えないなーとは。
そのジャンルはたぶん今が1番盛り上がってるんじゃないかと思う。これからも続いてほしいとは思うけど、たぶん今が最高潮。
他のジャンルから流れ込んできた絵がうまい人も増えて賑わっている。
でも私は変わらずに、1人の絵を描く人だけが特別に好きだ。(神絵師という言葉はなんとなく使いたくないので「人」と書きますがこれも気持ち悪いですね)
イラストや漫画が好きだというのはもちろんだし始まりだけど、その他のちょっとした日常ツイートとか、焼きマロとも思えるメッセージへの返答などに表れる人間性の節々が好きだ。
同じジャンルで同じようなメッセージを貰ってたびたび燃えている人も見ているから余計にいろいろと上手な人だなと思うし、気を付けているのだと思う(個人的には燃やされている人はかわいそうだし、思うこともあるがここでは特に書かない)。
そのジャンルとは別に、私は見知らぬ他人の書いた文章を読むのが好きだ。全然知らない世界に連れて行ってもらえるから。
大人になるにしたがって、周囲には似たような思考をする人間や同じくらいのレベルの人間が集まるようになると思う。自分が手を伸ばして掴める範囲のものしか触ることはできない。
インターネットでは気軽に外の世界を見せてもらうことができる。触ることはできないけど目にいれることはできるのだ。
私は本を人並みに読んできたと思うし、くだらないことを言えば高校時代の国語の成績はとてもよかった。現代文単語帳を読んで、日常ではそう出会わない言葉や表現にも親しんだ方だと思う。
しかし他人の文章を読んでいると知らない言葉や表現がどんどん出てくる。あなたはそれをどこでいつ覚えたの?と知りたくなる。
私の好きな人はツイッターではない場で、他のジャンルについての長文を綴っている。それを読んで好きだと思った。
どうしたらそんな考え方ができるようになるんだろうと思う。気になるからその人の文章やツイッターはしっかりと目を通している。
ここからは最近のトレンドの話から考えたことを書く。少し飛躍しているかもしれないけど自戒をこめている。
神絵師視点からのダイアリーを読んだ感想として、人間を勝手に神にするなというものが少なからずみられた。その通りだと思う。そして考える。
「二次創作できない・しないオタク」は「自分好みの創作をしてくれる人間」を「神」というキャラクターに仕立て上げていないだろうか。
そしてその「神」を創作の題材にしていないだろうか、自分の頭の中の。
「神」はこうあるべきだという自分の解釈があるから中島さんとの仲良さげな様子が解釈違いで許せないんじゃないだろうか。少しジャンルやCPを変えただけで動揺してしまうんじゃないだろうか。
そしてその憤りや悲しみの気持ちを抑えきれずに、自分の脳内創作物を作者として「神」やそのまわりに送り付けているのではないか。
このように考えるのは、私が自分好みの文章を書く人のバックグラウンドを知りたいと思ってしまうからだ。
私はメッセージを送ることはしないけど、その人がインターネット上にアップしているものから何かしらわかると嬉しくなる。
この「知りたい」という感情は行き先や方法を間違えると面倒くさいことになると思う。
情報が多いと二次創作はより具体的になるだろう。情報が少ないとよりぶっ飛んだものになるだろう。
これが対「人間(神絵師)」になるのだから、矢印を向けられた方はたまったものではないだろう。
これはこの同人界隈に限った話ではなくて、日常生活でも生じる話だと思う。
自分が勝手に好感をもっていた人がいたけど、何か些細なことをきっかけに幻滅した。
よくある話だと思う。でも、焼きマロを送ったりしないだろう。送る場所もない。
ツイッターやマロによる手軽さが勘違いや創作を加速させていくのだろうなと思う。
頭の中で何を描こうと勝手だ。しかし人にぶつけてはいけない。マシュマロでも痛い。
ここまでにします。もしも最後まで読んでいただけたなら嬉しいです。ありがとうございます。
33歳になった近況報告→https://anond.hatelabo.jp/20201226180141
昨年にあった話。
学生の頃から10年以上の付き合いのある同じくオタクで腐女子の友人が3人いるが、久しぶりにみんなと会って自分がとても32歳とは思えない子供っぽさであることを思い知って恥ずかしくなった。
●私のオタ活
ずっとオタクだったが数年前に過去最高にどっぷりハマるジャンルに出会った。ゲーム原作でアニメや2.5次元など様々な展開のあるジャンルで、そのどれにもお金を使いまくった。ゲームへの課金、アニメ視聴、グッズを買い漁る、2.5次元に何公演も参戦する、2.5次元のグッズも買い漁る、2.5次元俳優自体にもハマる、様々なコラボ商品を買う等した。
二次創作も大好きで同人誌の大量買い、キャライメージアクセの大量買い、即売会参加もしていた。同人誌作家、同人アクセサリー作家、コスプレーヤーともツイッターで仲良くなり、オフ会をしたりそれはそれはオタクとして充実して楽しく過ごしていた。
その頃から友人達は子育てや仕事で忙しくなかなか全員で会うことができなかったが、昨年久しぶりに全員の予定が合い会うことになった。ここで私は自分の子供っぽさに気づいて恥ずかしくなったのだ。恥ずかしいと思ったのは主にファッションやメイクに関すること、お金の使い方、落ち着きのなさの3つだ。
一番に待ち合わせ場所に着いた私はみんなを待った。最初に現れたのはBちゃん。そこであれ?なんか綺麗というか大人っぽいなと思った。次にCちゃん、Dちゃんが来たが、その時も同じようなことを感じた。
みんな容姿はごくごく普通という感じで特別可愛いとか美人てわけじゃないんだけど、雰囲気がとても綺麗になっていた。
その日のみんなのコーデは細かい色や柄は忘れたけど多分こんな感じ。何でそんなこと覚えているのかというとこの日が恥ずかしさの気づきの日で忘れられないからである。
Bちゃんはコート、ドルマンスリーブのカットソーにミモレ丈のスカート、黒タイツにブーティ、ハンドバッグ。ケバすぎないばっちりメイク、薄いピンクのネイル、小ぶりでシンプルなネックレスとブレスレット。
Cちゃんはジャケット、白シャツにストレートパンツ、ヒールパンプス、肩かけバッグ。濃いめかっこいいメイク、がっつり濃いネイル、大振りだけどデザインはシンプルなネックレスとバングル。
Dちゃんは唯一既婚子持ちだけど、ママって感じがしつつもオシャレだった。コート、膝下丈ニットワンピ、黒タイツにショートブーツ、大きめなオシャレなトートバッグ。ナチュラルメイク、トップコートのみっぽいピカピカネイル、結婚指輪と小ぶりでシンプルなイヤリング。
そして私Aはこうだ。
ダウンジャケット、ボーダーTシャツに着古したジーンズ、はきつぶしたスニーカー、サコッシュ。
薄すぎメイク(下地とフェイスパウダーのみ)、ボロボロの爪、、推しキャライメージのアクセサリー(イヤリング、ネックレス、ブレスレット、リングフル装備・同人グッズ含む)
三人の友人と比べるととんでもなくダサくてやばい32歳だ。なのにずっと自分はオタクなのにファッションに気を遣うしメイクもするオシャレさんだと思っていた。(やばすぎ)
服が適当なのにアクセサリーは着けられるもの全部着けてて、しかも推しキャラ二人分のイメージアクセだから色もデザインもバラバラで悪い意味で派手。うるさい。同人アクセとプチプラアクセしかないから子供のおもちゃみたいに見える。(同人アクセは本当にキャラのイメージを大事にして丁寧に作られた素晴らしい作品です。私の使い方が悪い)
服だって近所のコンビニスーパーやアウトドアを楽しむくらいならいいと思うけど今日は予めオシャレなカフェやレストランにも行くと分かっていたのにこれはいけないだろう。
メイクに関しては厚塗りすると毛穴の開きが分かるからナチュラルにするとか言ってほんとに薄くしか下地もフェイスパウダーも着けてなくて毛穴の開きも黒ずみも丸わかり。
眉毛は自眉がしっかり生えてるから描く必要ないと思ってた。でもみんなみたいに綺麗な眉じゃなかった。眉毛薄い子はしっかり綺麗に自然に描けてるし、私と同じく自眉がしっかり生えてる子でも、形を整えて長さを調整して、足りないとこは描いて、私みたいなゲジゲジじゃなかった。
リップは元の唇の色が赤いからリップクリームでツヤ出すだけでいいと思ってたけどそんな綺麗な赤でもなかった。くすんでる。
どんどんあれ?私超ダサい?子供っぽい?あれ?という気持ちが大きくなって恥ずかしくなってきた。みんな優しいからダサいとかそういうこと全然言われないけど勝手に恥ずかしくなってた。
●第2の気付き~お金の使い方~
その時にみんなの今好きなジャンルやオタ活の話をした。上記で書いたようなオタ活の話をすると、みんなはすごいね~と反応してくれる。
同じくグッズやゲームに課金しまくってたBちゃんは「Aちゃんすごいね~私はもうそんなにできないかな。通院してるし親も歳だし何があるかわかんないから程々にしてる。他にもお金使いたいことあるしね」と言った。
Cちゃんも「分かる~何か前は出されるグッズは全部買わなきゃ、イベントは全部参加しなきゃって必死になってたけど将来のこと考えて貯蓄するために程々にしてみたら案外苦じゃなかった」と言った。
Dちゃんは「私も今は子供優先だから気になるアニメを見るくらいかな~」と言った。
BちゃんCちゃんは未だにゲームに課金もするけど推しにだけだし、推しを手に入れられなくても最初に設定した金額で出なかったら撤退するし、グッズはよく考えて本当に欲しいと思うものだけを、イベントは無理しない程度で行けなかったら円盤を買うとか、とても落ち着いたオタ活だった。
それに対して私は「へ~ちゃんと考えてるんだね。私なんかもう推しに夢中すぎてさっき言ったみたいなのがやめらんなくて貯蓄なんてないよwwwカードあるから未来の自分に頑張ってもらってる!wカードの締め日が来たらまた新しいの買うんだ~!^^」と言った。ウケ狙いで、みんな笑ってくれるだろうなと思って。
だがみんなちょっと引いたみたいな苦笑いをした。「すごいね…」と。そこでやっともしかして私のお金の使い方やばいのか?と気づいて、それを笑い話として嬉々として話した自分に恥ずかしくなった。でもみんな優しいから、好きなことに全力でいきいきしてるねとか言ってくれる。泣きそうになった。(優しさと恥ずかしさで)
でも少し考えて、もしかして馬鹿にされてんのかなと思った。私はオタ活にお金使うから服も化粧品もイベントやオフ会の時くらいしか買わないしどれもプチプラばかり、みんなは服や化粧品にもお金かけてそうでオタクにお金使わなくてもそっちに使ってんじゃんとちょっとムッとした。(最悪)
みんなにそれとなく今日のメイクとファッションいいねって言ったら使ってる化粧品や着てる服の話になった。みんな別に全身ブランド物とか全身高額品てわけではなくて、プチプラと高額品をバランスよく使っていた。プチプラの服でもきちんと手入れしてきちんとアイロンかければよく見えるし、化粧品もスキンケアやベースメイクはデパコスでアイメイクやリップはプチプラとか考えられてた。どうせ金かけてんだろ、金かけりゃそんくらいにはなるよねとか嫌味なこと考えた自分が更に恥ずかしい。
Cちゃんは一時期毛穴の開きと黒ずみに悩んでいると言って、一緒に悩んでいた。(会えない間もツイッターやラインでは話してた)Cちゃんはとあるデパコスのカウンターで肌を見てもらい、いいスキンケアに出会えたのだと言った。
ツイッターで嬉々としてこれいいよ!(ドヤ)とプチプラ化粧水を投稿していた自分が恥ずかしくなった。ツイッターでバズったプチプラのものだけを試しまくってちょっとしか改善されなかったのをドヤ顔で投稿していたのだ。そのプチプラのものだって悪い商品じゃないし合う人には合うのだろうけど、私は自分がどういう肌かもよく理解してなくて、とにかくバズった色んなプチプラのものを試してどれも効果は出なかった。
Cちゃんは20代の頃はとあるプチプラのものが肌にすごく合っていて大好きだったけどだんだん合わなくなって、本当に肌を綺麗にしたいと思ってお金をかけた。なのに私は毛穴消えない消えないとうだうだ言いながら、若い頃と同じことの繰り返しでお金も使わなかった。使うお金がなかった。とても情けなかった。
Bちゃんも同じような感じだったし、Dちゃんは今は昔ほどお金使えないし子育て忙しいからオールインワンになっちゃってると言いながらもデパコスまでとはいかないがそれなりのものを使っていたし綺麗な肌をしていた。
この話題がだんだん辛くなった頃(自分からふったくせに)、レストランを出て買い物に向かった。アニメショップで私は大量買い、みんなは1つだけ買うか買わないかだった。
その後みんなは化粧品や雑貨をいくつか買っていたけど私は何も買わなかった。欲しいものがなかった。というのは強がりで、本当はお金がなかった。アニメショップで使ってしまっていた。
最後にカフェに行くことは決まっていたので、そこで使うドリンク1杯分くらいは絶対に残しておかなければならない。また情けなさと恥ずかしさに襲われた。ATMで下ろすのもなんだか恥ずかしかった。
●第3の気付き~落ち着きのなさ~
そして最後に予定していたカフェに来た。私はコーヒー1杯くらいしか頼めないけどみんなはケーキも頼むだろうか、みんなケーキを頼むのに一人だけ頼まなかったら感じ悪いかなとビクビクしていた。みんなそんなの気にするような子じゃないのに。結局みんなドリンクだけでホッとした。
今度はファッションや金銭感覚のことで恥ずかしさを感じたくなかったので推しを語ることを自ら提案した。
私「推しがね~もう最高で!かっこいいし可愛いし!もう推しのことしか考えられないw夢も腐も好きだからもう大変w推しは普段は超可愛くてやばいんだけど、シリアスではっこよくて頼もしくて~wギャップがもうたまんないの!エッチだし~!シリアスのときの色気がはんぱなくて素敵なのwキャッキャキャッキャ!」(小声ではある)
Bちゃん「推しは一見性格悪そうに見えるけどほんとは優しくてそれが隠しきれない子なんだ。その優しさが好きなの」
Cちゃん「推しは天然なんだけど自分のことキレものだと思っててそこが可愛いんだよね」
Dちゃん「私は最近推しって感じの人はいないけど最近みたアニメのあの人がかっこいいなって気になってるかな」
お分かり頂けただろうか。
私の落ち着きのなさ、テンションの高さ、子供っぽさ。私は本当に「!」とか「w」とか着いてるみたいなテンションで喋る。この文章もなんとかぶっきらぼうな感じでテンションを抑えようと必死で書いてる。本当は「w」いっぱい着けたい。
みんなも学生時代とか20代前半くらいまではこんな感じ…だったと思うけどすっかり落ち着いている。誰か一人としか会えなかったときは、相手が落ち着いていても気にならなかったのに、4人で集まったら私だけ若い頃のテンションのままで急に気になり始めた。
ツイッターやラインでもみんな「!」とか「w」とか絵文字やスタンプが減っていっていたけどそれはあくまでSNS上でのことだったので全く気にしてなかった。
ジャンルで仲良くなったフォロワーの方がリア友より圧倒的に人数が多かったし、その人たちとはハイテンションで話していたからというのもあったと思う。
ジャンルで仲良くなった人たちは20代前半~半ばの人が多くて、みんなテンションが高くて自然と私もそうなっていったというか、そういう人に囲まれていてみんなが自然に落ち着いていく過程を歩まなかった。
若い子とキャッキャキャッキャハイテンションで推しの尊さとエッチさを語り、鍵垢なのをいいことにおちん〇ん!お〇んちん!と叫びまくっていた。他にも色んな下ネタ沢山。
実際会って遊んだフォロワーには「Aちゃん全然32歳に見えない若くて可愛いよ。小さい子みたい」とか言われて、私まだまだ若いんだ~!と喜んでいたし、「もう、私小さい子なんかじゃないよぅ(o`з’*)32ちゃいの大人のお姉さんなんだからね!みんなよりとちうえなの٩(๑òωó๑)۶あたちセクシーボインな大人のお姉さん!(๑ơ ₃ ơ)♥」とリプを送っていた。
フォロワーは本当に若いと思って褒めてくれたのかもしれないけど、言動が幼稚なところと、薄すぎる化粧と手入れされてない髪や爪、チープな服や持ち物が垢ぬけてなくて年齢不詳の子供おばさんぽくてそう感じたのかもしれないと震えた。
フォロワーと空リプで会話してよちよちぎゅっぎゅしたり、さっきみたいな私大人のお姉さん♥みたいなことを沢山言ってたし、昔若い頃ツイッターではよく見られたような、フォロワーと仲良しなアテクシアピールみたいなやり取りを未だに続けていたのだ。
久しぶりに同い年の友人と会って本当に本当に恥ずかしくなった。
考えなしに推しにお金を使いまくることも、ファッションのことも、テンションのことも、決して悪じゃないし、それが楽しくてずっとやり続けるんだって強く思ってる人はそれでいいと思う。でも私は自分の現状がとても32歳には思えなくて恥ずかしくなってしまった。どうにかしたいと思った。
どうにかしたいと思ったのに私はまた推しにジャブジャブお金を使い、着古した服ばかりを着て、フォロワーとハイテンションで話している。その時は楽しいのに、夜一日の行動等を思い返すと恥ずかしくて死にたくなる。
今度友人に相談してみようか。そしたら変われるだろうか。
~追記~
読んでくれた人たちから様々な意見が出ていたけど、これは『変わりたいと思った自分』の話にすぎない。
もう話題に上げる人も少なくなったみたいだけど、ちょっと進展があったので追記する。
進展というより変わろうと決めた段階だが。
長くなりそうなのでまずは簡潔に。
これを書いたのは自分だと友人にバレた。正確には自分からバラした。
そして相談したりみんなの話を聞いて変わろうと決めた。
詳しくは下記
●投稿後
バズるなんて思ってなかったから、フェイクは入れてたけどバレるんじゃないかと思った。勝手に色々書いて友人を誤解されるような書き方もあったかもしれないから申し訳なくなった。(前にも書いたが友人は自分のファッションや振る舞いについて言ってきたことはない)
友人がこれを読んだのかどうか分からなかったが、自分が書いたと言うか言うまいか悩んだ。
悩んだ結果、謝罪をしたいしやっぱり変わりたいという気持ちもあったので友人たちに声をかけてスカイプをすることになった。
フェイクの為に存在を消してしまっていた友人Eちゃんも呼んで。
32歳腐女子って知ってるかと聞くと、知ってたり知らなかったりだったので知らない人には読んでもらった。そして書いたのは自分だと打ち明けた。
みんなはよく聞くような話だしフェイクも入ってるから分からない、そもそもこんなバズる記事を友人が書いてるとは想像もしなかったそう。そういうものか。
で、勝手に書いたことを謝罪すると、個人が特定できるようなものじゃないし悪口を書かれたわけでもないし怒ってないと言ってくれた。
Bちゃんはミモレ丈が何したっていうんだと笑ってくれたし、Eちゃんも抹消するなんて酷いじゃん~と笑ってくれた。
●変わりたいのか
Dちゃんは子供さんが起きてしまったので離脱したがそのままスカイプは続いた。
合わせたいだけなのか本当に変わりたいのかと問われて、よく分からないけどあの日すごく恥ずかしく感じたしそれと同時に素敵だな、いいな、ああなれたらなとは思ったことを伝えた。
●具体的にどうするか
色々話して、テンションや下ネタ発言は鍵垢だしいいんじゃないかと言われた。みんなツイートする気力がないだけで頭の中では常に推しと推しがおちん〇んフィーバーしているらしい。
ただお店なんかで小声で話してるつもりでも案外隣のテーブルには聞こえてたりするからもう少しボリューム下げた方がいいかもとアドバイスをもらった。
あと小声でも身振り手振りがけっこう激しいらしい。これは全く気付いてなかったから聞けて良かった。
カラオケとか個室、こうしたスカイプなんかではテンション上げて語ろうと言ってくれた。ツイッターではしゃいでるの楽しそうで微笑ましいとまで。
ファッションを変えたりメイクももっとしてみたいとなったが、何せ金銭的に厳しいのでまずはそこを解決するといいかもという話になった。
前はここまで派手にお金使ってなかったのにどうしたのかと聞かれ、確かにと思った。
ただ運命のジャンルに出会ってしまっただけかもしれないが、ハマってしばらくして急にお金を使いだした印象だと言われた。
今は仕事が減ったりしてないみたいだけどこのご時世だし災害もあるしどうなるか分からないから本当に貯蓄0だったら今後困ることもあるかもと心配してくれた。確かに少し怖かったが気付かないふりをしていたところはある……
よくよく考えてみると、フォロワーが言ったのかRTで見たのか忘れたが、「課金してジャンルを支えなきゃ」「課金してこそ愛」「推しは無限回収するもの」といった趣旨のツイートを見て、そうかそうだよねもっとお金使わなきゃとお金を使い出したような気がする。
勿論そういう考えも大事だしできる人はどんどんやったらいいと思うが、自分はいるいらないとかよく考えず反射的にグッズ買うし、何個も同じ物を買ってる。既に何個も持ってるグッズをアニメショップで見かけたら「自分に買われるのを待っていたんだ」と思うし、それがブラインド商品なら「これで推しが引けたら運命」等と言ってとにかく買っている。(運命とは)推し以外のガチャにもじゃぶじゃぶ突っ込んだりするし。
買っただけで満足してダン箱に入ったままで積み上げられた物も沢山ある。(倉庫かな)
一番付き合いの長いBちゃんは「Aちゃんは良くも悪くも素直というか流されやすいとこあるしね」と言った。そうかもしれない。
本当に自分が納得してお金を使っているのならいいけど、少しでも負担に感じたり、周りがそうだから自分もという気持ちで使ってるなら一度よ
美人を主人公にするなやら黒人役は黒人にやらせろやら身勝手な人たちが少数派だと思ってるのをいいことに創作物にケチつけて改悪されていく光景は胸糞悪い。
ブスを広告にしても買う気失せるし、白人のキャラクターを黒人に改変したりしたんだからいい加減我慢すること覚えろよって
黄色人種のブスは思うよ。
二次創作してる人にとっての創作物って、創作者同士のコミュニケーションツールだったのか~!
新しい知見を得たし、ただ二次創作を消費するだけのロム専としての申し訳なさが軽減された?っていうか?罪悪感が軽くなった。書いてくれてありがとう!
ツイッターとかでは絶対に言えないことについてここを借りて懺悔するけど、
私は正直どちらかというと創作者とは友達にはなりたくないなという気持ちが強くて、っていうのはぬるい友達になっちゃうと全然良いと思えない作品まで褒めなきゃいけない感じになりそうなのが面倒くさくて嫌だったからなんだけど、
でもそれって絵師さんや文字書きさんのこと、「二次創作を産み出してくれる便利な存在」として見てるようなものでは…?それって作品を見せて貰ってる立場としてどうなん…?っていう罪悪感が常について回ってたんですよ。
でも増田の文章読んでそんな罪悪感感じなくて良かったんだなって気づいた。
「同じ作品が好きな人達に向けて二次創作を公開してくれている」のではなくて
「たまたま全世界に公開されてる創作者同士のコミュニケーションを覗いてる」って考えればいいんだなって気付いたし、
外野から送られてくる感想はコミュニケーションの副産物程度の価値しかないのであれば、今まで匿名で送ってきた感想も創作者にとってはあんまり意味のあるものではなかったんだなって気づけました。
作品を純粋に褒めたい気持ち+作品を産み出してくれた感謝+何も産み出さずフリーライドしてる罪悪感が感想を送る原動力になっていたけれど、これからは感想も特に送らなくて良さそうで、枷が外れたような気持ちです…ありがとう!
誹謗中傷やヘイトスピーチ、犯罪補助等にあたらなければTwitterは好きな事を好きなように発言する場所であるのは大前提。
二次創作界隈で定期的に起こる学級会の発端や炎上ツイートの多くに見られる共通点として主語の大きい発言がある。
その一言さえなければただのお気持ち表明で終わったのにね、というタイプの。
それはまあいい。
創作界隈にいると高頻度で出て来る「創作者は感想が欲しい」という話題については、どれだけ主語が大きくても賛同者しか出て来ない(ように見える)。
感想が欲しい人はちゃんと公言した方が受け取り側も送りやすくなるだろうし、どんどん主張していった方が良いと思う。
でもそれを「当たり前の事」と同意を求めてこないでほしい。
もし私と同じ気持ちの人がいるとしたら、という仮定になってしまうけど、表立って言えない気持ちは分かる。とても。自分だってここにこっそりお気持ち表明しに来てるんだから。
だから「そんな事はない」という意見が出て来ないのも仕方ないと思う。
「欲しいと思わない人もいるんだ!送るのやめよう!」なんて知られたら、他の創作者に大迷惑をかけるのは確実だし。
私は感想を貰うと「嬉しい」という気持ちよりも「困ったな」という気持ちの方が大きく出てくる。嫌ではないから、困ったなが一番近いんだと思う。
いただいた感想に対して、自分がどうリアクションするのが正解なのかが分からない。その「困ったな」を抱えるくらいなら直接感想を貰わない方が楽だなーと思ってしまう。
褒めてもらったら、例え社交辞令だったとしても「そんな事ないです」は絶対に言いたくない。だったら「ありがとう」と言えば良いんだろうけど、褒められるのは感想を貰うよりも怖い。
「××が素敵でした!」と言われたら××に関しては今のクオリティを維持しなきゃいけないと、自分が勝手に思い込んでるのが理由なのも分かってる。
pixivやTwitterの「いいね」機能は、今のところ私にとって一番受け取りやすい好意表現だと思う。
この前○○さんと会った時に貴方の本の話で盛り上がった、とかも具体的に内容に触れられていないから受け止めやすい。
直接よりも空リプの方が、私の方から反応しなきゃいけないという義務感が少し薄まる。
いただいた感想も、返信不要と一言あるとかなり安心してしまう。
でもやっぱり読んでくれたお礼をした方がいいんじゃないか、と思うと何もしない自分はとても酷い事をしているんじゃないかと不安になる。
なんて言いつつも素敵な作品に出会ってしまえば、自分は感想を送ってしまう。もちろんその人が、感想を受け付けている状態なのかは確認してから。
なので「感想は送ってこないでください」と自分から発信してしまうのも、何かが違うような気がしてできない。この何かが何なのか言葉にできないからもやもやしてるのかも。
ぐだぐだ言ったけど要約しちゃえば
「創作者全員が感想を求めてる訳じゃないからその主語の中に私を含めるな」
ってだけなんです。
こんな公の場でこんな事書いた私が言う事ではないけど、もしこの愚痴のような物を読んでしまっても感想を送るという行為は止めないでください。求めている人は大勢いるし、確実に私は圧倒的少数派です。
もしかしたら私は今ここで、誰にも何一つ理解できない事を書いているのかもしれない。
でも、もし同じような考えを持っている人がここに辿り着いて、やっぱり私のように本音は誰にも言えないからその話題には触れないようにしている。という人がいたら、なんとなく仲間を見つけたような気持ちになってください。
おけパ中島というか、別ジャンルに移動した絵師に並々ならぬ思いを持つ方々の増田を読んで思った話。
まず第一に私は二次創作の畑にはいない。一時期はいたけれど、どうにもハマれずすぐに撤退してしまった。
じゃあ何のオタクかというと、所謂Twitter企画とか、うちよそとか、そういったもののオタクだ。
昔から何故か版権よりも誰かもしくは自分の創作物にしかハマれないタイプで、時たま流れてくる学級会なるものも対岸の火事とばかりに思っている。そういう人間。
だから流れてくる増田も、版権は大変だなあなんて思いながら流し見をしていたわけだけれど、よくよく読んでみると私も同じじゃん。となり今に至る。
《うちよそにハマると長いんだこれが》
Twitter企画、これが分からないひとには申し訳ないけどもTwitter企画の話。
大体無期限企画なんかは半年持てばいい方、もって3か月なんて認識をしているが、私は大変なことにハマると平気で年単位引きずる。
グッズも作るし最悪本も出す。
そしてそれは大抵の場合、うちよそ相手の方と釣り合わない熱量で、本当のことを言うと段々と相手が冷めていくのを感じながら創作をするのは寂しい。
かといって例の増田の方も言っていたように「別ジャンル(この場合はうちよそ)に熱量が移ること」は責められることでもなければ仕方のないことなのだ。なんだか、例の増田を読んでいるとあながち笑えない感情だな一緒だななんて思ってしまって辛かった。
相手の日常を追う程ではないし、毒マシュマロなんてしようと思ったこともないんだけど、それでもおそらく一番そのジャンルを楽しんでいた相手が離れていくのはどうしても悲しくて。自分の気持ちを振り返ると、一連の匿名日記を見過ごすことが出来なかった。
これはそういう日記。
《ただ迷惑をかけたくないだけ》
そんなの重々承知の上で楽しんでいるが、版権とはまた違った問題がうちよそにはある。
いくら自分が楽しんでいるだけで相手が書かなくなるのは構わないと思っても、「自分が楽しんでいるだけで相手に精神的負担をかけてしまう」ことだ。
版権ならキャラは相手のものではないのだし、沢山描いたところで……という話だと思う。違ったらゴメン。
うちよそは相手がいるのだ。キャラは誰かの創作物で、誰かの創作物を借りて描いているのだ。
「あんなに沢山描いてもらってるのにお返しが出来なくて申し訳ない」だなんて思わせてしまうのだ。ただ一人で楽しんでいるだけでも。ていうか作品書かなくてもツイートで語っているだけで負担だと思う。私だってそうだ。全然大丈夫です!!なんて嘘になる。
ほんとにつらい。これにしかハマれないのに好きなものを好きでいるだけで、自分の好きなものを生み出してくれた大好きなお相手様に迷惑をかける。あ~あもうやめたい。なんと軽く十年ほど止められずにいる。もうヤダ。
どなたか、上手い気持ちの処理方法をご存知の方が居たら教えてください。「うちよそにおけるおけパ中島案件」で毎日エゴサするから。ほんとお願いします。
コメ欄をみると創作論なんかをぶち上げてる方も多々見られたので、
ただの疑問だったことが2点あったので聞いてみる。
①モチベの維持
よく創作物に触れると創作意欲がわくんだけど、そのモチベーションってどうやったら維持できるんですか?
自分はこのモチベーションの維持が加齢とともに難しくなったので興味深いかぎり。
(1p大体白黒でも4時間くらいかかるんですけど、どうやって20pとか描けるの?)
話が途中で空中分解したりするのと、途中でなんで私この話を書こうとしたんだろう?
自分の好きってこの創作物のどこにあるんだろう?って禅問答みたいになっちゃうんだけど、
そういうときってどうしてるの?
もしよかったら教えてください。
https://anond.hatelabo.jp/20200629213448
おけパ中島がバズリ
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176
https://anond.hatelabo.jp/20200706042509(感想屋そのものには誘導したくない)
要約すると、
『とても文章力のある感想書きが界隈を席巻してしまった』という内容の愚痴増田が話題になる
↓
神字書きと字書きを題材にした創作漫画の登場人物『おけけパワー中島』に注目が集まる
↓
有償でポジティブな感想を書きますと言いだした『感想屋さん』を名乗る人物が、サービス内容の不備や文章の稚拙さおよび返金対応への不誠実さなど千々に炎上
ここ一週間ほどの間で、以上のような文脈が発生した。
この結果、感想屋という文言に幾つかの意味合いが発生してしまい混乱を招いたり、炎上したものと似た屋号のサービスへの悪影響が心配されたり、純粋な長文感想書きが誤解から心を痛めたりしている。このあたりは個々に注意されたし。また、有償の『感想屋さん』の問題点については羅列していったらきりがないので、特別に記述はしない。
前置きが長い。
私はオタクである。特に創作はしていない。時折、特に萌えを感じた時に短文を書く程度の人間である。昔長文を書こうとしたが冒頭三千字を書いたあたりで挫折し放置している。その上特に交流もしていないし、感想も書かない。一言で言えば、ROM専である。
それなのに、私には妙な自信があった。それは言葉にするならば、「俺だって本気出せば書ける」。小説はそれなりに読むオタクだから、ちょっとした文章ならば書ける。商業のような文章は無理でも、なろう程度なら。書評は無理でも、紹介文くらいなら。また嫌なことに、学生時分は図書委員会だの新聞委員会だので短文を書いて「本を読む人だから文章がうまい」と言ってもらって有頂天になったりしていた(今自分で思い出して、あれはお世辞だったのだろうと恥じ入っている)。
そんな私が、ここ一週間の流れを追って、何を思ったか。
まず増田を読んで、二次創作するオタクは大変だなあ、と他人事のように思った。
二次を書き、二次を読み、交流し、その動向に一喜一憂する。どうも大変そうだ。ROM専はその点気楽でいい。だが、まあ、感想というのは良くも悪くも人に影響を与えるものなのだな。時には感想を書くのも、善行かもしれない。そのように思った。
次におけパ中島に触れた。
最初は創作物として面白く読み、リツイートした。その後おけパ中島が話題になっていることを知り、もう一度、我が身我が事として考えてみた。私にとっての神とは誰だろう、おけパは誰に当たるだろう。実際に当てはめてみると、ツイッターでつぶやかれている感想は、なるほどもっともと思えるものも多々あった。私の悪いところは、ツイッターにすぐ感化されるところだ。オタクの嘆きに共感し、すぐに自分で考えついたように錯覚する。私は、まるで自分が主人公になったかのように(馬鹿げたことだ)酔いしれ、おけパ中島への薄っぺらい恨み節をツイートしてみたりした。
感想屋が出してきたものは、かなりひどいものだった。界隈のオタクの気持ちを踏みにじるものだったし、何より悪文だった。それは野次馬である私にさえわかるものだった。下手くそで、金を取るような文章ではなかったし、そも人に見せられるような文章ですらなかった。
その程度の文章に、私はひどく動揺した。
何が私に衝撃を与えたかって、それは、その悪文が、私の書くものに途方もなく似通っていたことだ。
いや、あそこまでの悪文ではない。ない、と信じたい。下ネタを好まないゆえにあそこまでの下劣さではない、はずだ。
だが、似ている。文章の構成が、筆の運びが、何より配慮の欠けた思考回路が。私もかつてこういう文を書いて、自信満々に教師に提出したことがなかったか。こういう感想を、臆面もなくファンレターとして出しやしなかっただろうか。その稚拙な文章が他人を傷つけていたかもしれないことを、否定できない。
それは、他人よりも本が好きだという自負だ。小説を読むのが好きなことと、文章を書くのが得意なことを、取り違えて混同した、おぞましい勘違いだ。その上、私が読むのは『他人に比べて』多い程度であって、誇れる程ではない。何一つ、誇れることなどなかったはずだ。眼高手低とはこういう事を言う。
私は自分の文章に向き合ったことがあっただろうか。何度も推敲し、多面的に読み直し、練り上げた文章を書き上げたことなど、一度でもあっただろうか? そう問うてみれば、一度もなかった。この文章だって、ほとんど読み返さず、激情のままに綴っているだけだ。プロットも、描写力も、考えて作ったことなど、一度もない。
私自身が、物事を考えたことはあっただろうか。物語を読んで、薄っぺらい表面的な理解をしてすべてを分かった気になったことは。まるで自分で考えたかのような顔をして、他人の考察を口にしたことは。私は、私自身の無能と向き合った事が、これまでに一回でもあったのか?
これは恐ろしい事だ。誰かにとって恐ろしいのではない。タイムラインのオタクにとって恐ろしいのではなく、創造上の誰かにとって恐ろしいのではなく、私にとって恐ろしい。誰かではない。私の恐怖だ。私の足元が崩れ、私の心が崩れている。他人事ではない。それが、こんなにも恐ろしい。
私は今、パソコンでエディタを開いて、この文を書いている。隣にはもうひとつウインドウが開いていて、そこはまだ新規ファイルのままで、まっさらだ。そこに、小説を書いてみようと、思っている。
私は感想屋にすらなれない。
『なれなかった』と、過去形にしたい。今、切実にそう思う。せめて自分に誇れる自分でありたい。
そして、今度こそ。
自分で読み返してひどいな、これ。
どうしても我慢できなかったので書いていいか!?どうやったら記事への反応にできるかもわからんから調べたけど失敗してる可能性高いけど書いていいか!?!?勝手に書きます
増田(というのが多分書いた人を指すので合ってるはず…違ったらごめん)ね、追記でね、「対岸の火事ですか?(笑)」って言ったじゃん。
なんで笑ってるん…他の界隈が火事になってるかは不明だけど増田は火事真っ最中な訳じゃん…笑ってる場合ではないじゃん…?
増田がウワ!私んとこ燃えとる!と思ってるのが傍から見たらただ増田が村の焚き火の上に立って「やばい!燃えとる!」って叫んでるのかもしれんし、本当に村全焼みたいなのかもしれんけど、増田がアッッツ!って苦しんでるのは事実じゃん?笑ってる場合ではないじゃん?火傷の重症度今も上がってる訳じゃん…?
で、増田の火傷がこれ以上進まないためにはどうしたらいいのかなってあれからずっと考えてて。実際これが最適解!とは言い切れないから話半分で流し読みしてくれたら嬉しいな~ぐらいの感覚で書いてます。
①増田が感想を書いて書き手達が「そういやイチャラブもかくか!」の気持ちにさせる
③増田が暫くジャンルに身を置くのを休止する(一旦、永久は問わず)
この三つを考えました。
①は個人的に一番いいんじゃないかなと思ってる。その次が僅差で②かな。③は最終手段…。
増田の話的に、界隈の作家さんは感想に良くも悪くも影響されやすいのだろうと思う。カプの主体が変わるってすごいことだ。その人の作品テーマの方向性が変わるってことだから。感想屋は本当にすごい。そこまでの文章を書く感想屋も是非創作をしてほしいしなんなら感想そのものが作品に近しいものになりつつあるんだろうなとも思う。
その感想に媚びずにいい解釈だな、で書いてる人は増田が感想を書いても動かないかもしれない。でも、感想に媚びてる人は引っ張られやすいんじゃないかな…。元からイチャラブが嫌い!という人たちじゃなかったなら、種はあるはずなんだよね。今はスズランがブームだな~でもバラも綺麗だったよな~の記憶を呼び起こすきっかけを作れたら一番いいんじゃないかな…。
私は読みと書きどっちもするんだけど、感想貰えると本当嬉しいよ。勿論感想屋みたいなものを貰えたら転げ回るくらい嬉しいかもしれないけど、好き、の二文字だけでもにこにこしちゃうよ。文中にあるように、実際喜んでくれる人もいたみたいだし。あと、あんまり言葉が上手じゃなくても一生懸命書いた文章は伝わるよ。それに解釈の余地がある文章なら書き手の意図しなかった解釈は斬新な切り口のひとつで、必ずしもNGじゃないんじゃないかなって思うよ…!
②は①とどっちがいいかな…と天秤に乗せてめちゃくちゃ迷った。だって増田感想送れないよこわいよ!って言ってるのにウルセ~~~感想を書くんだよ!って殴りつけるのって多分めちゃくちゃ増田しんどいじゃん。だから出来ねえっつってんだろ話ちゃんと読んだかテメー???になるじゃん。ごめんな。多分読んだつもり。多分。
でも書いた作品って、「イチャラブ書きました!良さを思い出せ!オラッ!」って人に送り付けることは基本しない(と私は思う。やられたら嫌な人多いと思うし。私は単純なので推しカプの新作だ!ってテンション上がって読むけど)じゃん。そしたら大前提の書き手さんにイチャラブのよさを思い出してもらうための火種を目に留めてもらう、が確実ではないんだよね。だからこの順序付けにしました。
ただマイナーカプで作品の母数が少ないみたいだから、新作が目に止まる可能性は高い。ので、増田が書き手になるのもありかな、と思う。で、増田多分はこれもイラッとするかもしれない。そんなん自分でやれてりゃもうやってんだよとか、私は私のじゃなく神が書くA×Bが見てぇんだよとか。ごめん。でも、個人的に増田全然文章下手くそだとは思わないんだよね…。
少なくともここまで複雑な感情をちゃんと文字にして最後まで読ませるだけの表現力があるんだよ。特に追記の杏仁と麻婆の例えは分かりやすかった。それを見るまで二割好きならゼロよりええやんけって思っちゃったのにすとんと腑に落ちた。理解されづらいものを人に理解させるって本当難しいことで。極論だけど幸福な壺の話って、大体の人は壺=幸福って理解できないじゃん。でも身近な食事をすぐ比喩に持って来ることでパッと理解できるワードチョイスができてるわけじゃん。多分、そういう言葉の使い方は得意なんじゃないかな~と思う。
綺麗に飾り立てて耳触りのいい文章が必ず上手いわけじゃないんだよ。人にわかりやすい文章を、適切な言葉で表せる。これってすごい技量がいることで大変なことなんだよ…。そんなわけで、私は増田の書いた作品も読んでみたいです。今いるジャンルかは分からないから読めるかは分からないけど…。
③はね…増田が感想も作品も書きたくない、でもこの苦しみから逃れたい場合の最終手段かと思ってます。おそらく、イチャラブ作品が戻ってくるのは新しい火種が生まれる、もしくはブームが過ぎ去るまで難しいと思う。だから待つ姿勢を取りたいならその界隈からちょっと離れておやすみするのがいいかなって思います。他の人が新しくきっかけを作ってくれるのを待つ手もあるけれど、更新頻度が上がったのならそのきっかけが来るのと友人前提の新作が上がるのは後者の方が早いかもしれないしね…。
めちゃくちゃ上から目線の文章だし長くなっちゃってごめん。本当そこは申し訳ないと思ってる。今後増田が創作を楽しめたらいいなと思ってます。
まず、相手を「好みの創作物を供給してくれる神様」などとは思わない。
事実相手は一個人であるし、ジャンルの切れ目が縁の切れ目であっても仕方のない関係性の希薄な相手だ。
考えが違う事もあって当たり前。
だからこそ、相手が気持ちよく創作できるように気を使おうと思っている。
自分の性癖にぶっ刺さったり、素直に良いと感じた表現方法を拙かろうがひたすら伝える。
分からない部分はいいねだけで済ませる事もある。でも、知らないキャラを描いている時は(興味を持った時に限るが)調べに行ったり聞いてみたりする。大体歓迎される。
また、相手が実生活で悩んでいる時は、励ましたり、言葉だけにはなるが力になろうとする。早く元気になってまた楽しく創作してほしいからだ。
人によっては上記の事を快く思わない人もいるだろうから、最悪ブロックされても仕方がないとの心持ちで、すべて勇気を持って行動している。
(前途の通り、本来関係性の薄い相手なのだから、失敗しても気にすることはない)
こうやって会話を重ねていくと、波長の合う相手ならばそこそこ仲良くなれ、お互いに布教しあったりする事もある。
それには今現在のジャンルを蔑ろにする意図は全くなく、ただ友人同士で同じ物で盛り上がりたいという動機があるだけだ。
例の漫画を読み、このような私の行動はおけけパワー中島でしかないと知った。
しかし、創作者の助けになろうとしたり、仲良くなったりする努力をしていない人から負の感情を向けられていたとしても、だったらお前は何かしたのかよ?としか思えない。
私がしている事はそんなに罪深い事か?
二次創作者は一生誰にも影響を受けず、気の合う友も作らず、ストイックに同じノリの同じカップリングの作品だけを発表していく機械と化さなければいけないって事なのか?
そんな決まりがあるのだとしたら、ただの一趣味でしかない割には苦痛が大きすぎるので、さっさと筆を折ってバイクで放浪旅でもしに行こうと思う。
※ちなみに私は現実社会ではうまく喋れないコミュ障で、数年前まで交流怖さにサイトヒキをしていた二次創作腐女子だ。熟考を重ねた文章ならばギリギリ人に受け入れられるネット弁慶じみた人間なので、別にフッ軽コミュ強ではない。