はてなキーワード: 創作物とは
これ読んで思ったことを書く。
まず、なんで私がこの文章を書こうと思ったか。それは、主のお気持ち表明を読んだ腐女子がTwitterで「もう感想書かないほうがいいのかな」と呟いているのを何回か目にしたから。
主も分かってると思うし元ブログのコメント欄でも言われてるけど、この件に関して感想屋はまったく悪くない。というか推しカプ界全体に影響与えてる時点でもはやその感想屋、ニュータイプの創作者と言えるのでは。
だから感想書く人が変に萎縮する必要はない。人の心を動かす感想を書けるのもひとつの才能だから。
私は、私の周囲の穏やかな腐女子たちを傷付けた(そのくせ「Twitterですごいことになってる」などと喜んでる)主に、正直むかついてる。けど同時に、主みたいな不満を抱えてる人もいるんだな、と初めて気付いた。だから同じ腐女子として、その不満を解消する方法はないかと自分なりに考えてみた。それを以下に記す。
とりあえず、元の文では主の感情が少しごちゃごちゃしてるので一旦整理したい。
①クラスタ内のカプ解釈が変わったことで、求めてるものと違う方向性の作品が増えて辛い
②神たちが感想屋の言うことにばっかり耳を傾けて辛い。オーダーメイド同人クラブになってて辛い
まぁ①②③は所々入り交じってるというか、本質的には繋がってるんだけど、ここではそれぞれ別の問題として扱う。
①について。そもそも解釈というのは流動的なものであり、弁が立つ人や影響力のある人によって変わるのは自然なこと。
②について。感想屋の話が魅力的なんだから、神たちが食い付くのは当たり前。感想屋のカプ話が創作物だと考えれば腹も立たないのでは。
③問題はこれ。感想屋への嫉妬心。私は今回、この嫉妬心をどう昇華するか、に重きを置いて話をしたい。なぜなら、これは主自身の問題であり、主にとって一番コントロールしやすい問題だから。
まず、嫉妬が起こるまでの流れについて。
感想屋が現れるまでの主は、少人数のクラスタ内で、神絵師・神作家たちとそこそこ仲良く推しカプトークができていた。しかしそこに感想屋が現れてから、クラスタ内のパワーバランスが変わってしまった。
感想屋は、主と同じ読み専であるにもかかわらず、長文感想を送ることで急速に神との距離を縮めていった。同時に、自分の好きなカプ解釈を布教することにも成功したので、クラスタ内のカプ解釈が自然と変わっていった。
一方、主は感想屋と同じように自分の好きな解釈を布教したくても、感想屋のようなハイクオリティーな文章を書けないから、神たちにアピールすることができない。
感想屋は絵を描くわけでもない。小説を書くわけでもない。なのに、ハイクオリティーな感想を書けるというだけで、クラスタ内でどんどん影響力を持っていく。
で、これをどう昇華するか。簡単です。主も感想を書けばいい。作品への愛を語りまくった長文感想を神絵師・神作家に送り付けろ。
そして感想屋のしていることがどれだけハイレベルなことか、身をもって思い知ったらいい。
これは決して意地悪で言ってるわけじゃない。書いて送り付けた結果、神の琴線に触れて好みの作品が増えるならもうけもの。もしそうならなかったとしても、自分自身が満足のいく文章が書けたのなら、それはそれでひとつの達成感になるはず。
もし本気でやって満足のいく文章が書けなかったら?その時こそ主は、感想屋も楽じゃないんだな、ということが分かり、嫉妬心が多少は和らぐ(たぶん)。
いずれにせよ、書けば書くほど文章力は上がるのだから「書く」という行為は決して無駄にはならない。
それにこれは最初に述べた①求めてるものと違う方向性の作品が増えて辛い、という問題への解決策にもなる。自分はこういうのが読みたいんじゃー!という願いを込めた文章を生み出して、新しい価値観として市場に放り込めば、すぐには無理でもバタフライエフェクト的に波紋がひろがって、それに共鳴した誰かがいつか主好みの作品をかいてくれるかもしれない。あなたにできるのはそれを信じてぼくのかんがえたさいきょうの自カプ論を市場に送り続けることだけだ。増田でフェイク入れてお気持ち表明したって「わかる」と言ってくれる人はいるかもしれないが、根本的な解決策にはならないよ。
確かに、感想屋の感想の方が影響力はあるのかもしれない。でもあなたにしか表現できないことだってきっとある。だからあれこれ考えず、一回書いてみたらいい。
とはいえ、長文感想は相当気を使う表現方法だというのは私にも分かる。何と言っても送る相手が特定の個人だし、どんなに気を使って書いても受け取り手によって受け取り方は様々。
だからもし誰にも気を使わず影響力のある人になりたいのなら、自分で創作するのがおすすめ。対象が不特定多数だから、主の作品が肌に合わない人がいたとしても、そういう人たちは主の作品を見なければいいだけの話だから誰も傷付かない。主の文章見る限り小説を書けるだけの語彙力と読解力はあると思う(絵は知らんけど)。あとはどれだけ創作に注ぎ込める熱量があるか。
色々書いたけど、要するに私が言いたいのは、現状が不満ならなんでもいいから変えるためのアクションを起こそうよってこと。
主はさ、結局感想屋みたいに本気で文章を書いたことがないんだよね。だから文章を書くという行為を心のどっかでなめてる。本気で書いたことあるなら「感想屋」なんて上から目線な単語は出て来ないもんな。
私は神に長文感想を送った経験はないが、長文を書くことがどれだけエネルギーいるかは分かるぞ。何たってこの二~三千字程度の文章の推敲に十時間以上費やしてるからな。小説なんて一日で千字進んだら調子いい方だからな。神が一日で五万字書いたとかTLで呟いてるの見て涙目になってるからな。
売れない字書きからは以上です。
推敲もなにもしないで書きなぐっていくので読みづらい部分はご愛敬。
わたしは元々pixivにアップされていた彼女の作品を何作か読んだ。
キャラ崩壊したラインのやりとりや、小説においての新しい切り口等が、それまでアップされていた作品とは一風違っていたから、目を惹いた。イベントや通販もされていたが、特に購入しようとは思わなかった。その程度のファンだった。
両手を挙げて「大ファンです!」という程ではないが、「この人は本をたくさん読むんだなぁすごいなぁ」とは思っていた。
6月初旬頃に、彼女がアップしたプライベッターを読んだ。以前より彼女が二次創作においてルールを守っていないことについて意見を述べているひとがいるのは知っていた。
正直わたしは二次創作のルールはよくわからない。グレーゾーンだからとか、売り上げで利益が云々とか、彼女の現在のジャンルがDなのでルールに厳しくて…等、奥が深すぎて全容を掴めていない。
なので、その部分について、裁判官でも弁護士でもないわたしが、著作権云々のことに述べるのはやめておく。専門分野は専門家に任せるのみ。
わたしが心に引っかかっているのは、彼女のプライベッターにもある<ツイッター上での暴言>の部分に関してだ。
わたしは、彼女の作品のゆるいファンであると共に、ここに描かれているネイルデザインの絵師さん、ヒプマイ絵師さんのこともフォローしている。
TLに流れてくる彼女らのイラストを見て、時には引用で、時にはマシュマロで感想を送ったこともある。インドの大運動会さんと同じ(もしくは絵師さんに対してのほうが少しだけ熱心な)ファンなのだ。
純粋な疑問として、まずなぜ2年間もの間放置していたこの内容を今になって認め、謝罪しようと思ったのか。それが疑問の始まりだった。
このプライベッターをアップする理由はやはり、炎上の沈下なのだと思う。そもそもが「騒動に対しての謝罪」なのだ。
騒動に対しての謝罪…騒動に対しての謝罪???この<ツイッター上での暴言>に関しては、謝るべきは暴言を吐いた相手にである。わたしたちにではない。
彼女は「作者様と連絡を取る手段がなく、直接の謝罪はできておりません」と述べているが、相手からブロックされているということなのだろうか。それとも作者のアカウントがわからないということなのだろうか。
いや、そもそも。直接謝罪をしようと、アクションを起こしたのだろうか。
「連絡が取れれば直接謝罪する」とあるが、それは「こちらからは連絡できないので、相手からコンタクトがあれば直接謝る」という、条件付きの謝罪ではないのか?
正直、第三者からでもその絵師さんが誰なのか特定することは簡単だし、「謝意を伝えたいので取り次いでほしい」と誰かに頼むこともできると思う。
「相手が直接連絡を取りたくないということであれば、弁護士を通して伝えます」という部分にも、疑問符だらけだ。
弁護士とは、本来「加害者Aさんが、被害者Bさんに謝罪を伝えたい。しかしBさんはAさんと直接話をしたくない。だから間にワンクッション挟むために雇う」ものだと認識している(違う?)
今回に当てはめると、インドの大運動会さんが、絵師さんに謝罪を伝えたい。しかし絵師さんは直接話をしたくない…から…絵師さんが…?弁護士を…雇う…?
本来、彼女自身が精神誠意に謝意を伝えるべきで、そこに第三者を挟むかどうかという選択は相手が選ぶべきだと思う。
ではなぜ弁護士が出てくるんだろう…。
正直、2年も経ってしまった今更、相手の絵師さんたちが怒るのには「遅すぎる」とも思う。そういうことをされて嫌だった、怒った、謝ってほしいという気持ちは、2年前に伝えるべきことだと思う。
リアルタイムでならインドの大運動会さんに対して「このジャンルから出ていってほしい」などという要求が、もしかしたら通ったかもしれない。わからないけど。もしかしたら。絵師さんたちが同じジャンルに居たくないからってことでね。多分。わたしの勝手な想像。
ただ、2年後の今「わたしも同じジャンルに居て、当時のことを思い出すのでこのジャンルで活動してほしい」という要求をしても、年月を考えたらもしかしたらその要求は不当かもしれない。これもわたしの勝手な想像。
そして、その相手からの要求が不当か否かをジャッジする為に、弁護士がいるのではないか、とわたしは思った。
「2年も放置してきたくせに今更何!?人の創作物にケチつけたペナルティとして今のジャンルで活動しないで!」と怒った相手が同等以上の要求をしてきたときに「そこまでは飲めません」とジャッジするために、弁護士がいるんじゃないか…?
自分が相手に対して、本当に申し訳なく思っているから、謝意を伝えたい…と思うことに対して、何がどうなって「弁護士用意します」になるんだろう…?
今回のインドの大運動会さんのプライベッターは絵師さんたちに対してではなく「騒動に対して」の謝罪をしているように見えた。本人たちに謝意を伝える為にできる限りのアクションを起こそうとしていない時点で心の底から申し訳ないと思っているわけではない、と思った。
わたしはネイルデザインの絵師さんの作品も好きだ。ヒプマイイラストの絵師さんも好きだ。もう一方の絵師さんは存じないがきっと素敵な絵を描かれるのだろう。そして、インドの大運動会さんの作品も好きだ。
だからこそ、インドの大運動会さんは、絵師さんへの謝意が本物ならば、相手から連絡がくることを待つのではなく、自発的に相手へ謝意を伝える為にアクションを起こしてほしいと思う。それが誠実だとわたしは思うから。
絵師さんたちのことを考えると、どうしても手放しでインドの大運動会さんの新作に、沸けないのだ。
だってわたしなら。わたしの作品に引用で暴言吐いて、2年も音沙汰ない人が、炎上のついでに突然わたし宛ではなく「関係者、ファンの皆様、ごめんなさい」なんて言ってるのを見たら、「そのごめんなさいはまずわたしにちゃうんかい!」って思うもん。相手からコンタクトがないのに「連絡があれば謝罪したい」なんて言っているのを見たら、「お前から出向くべきだろうが!」って思うもん。
わたしは、作品と作者は別物と割り切れるタイプなので、インドの大運動会さんの作品を読んで、素直に面白いと思う。
だが、その気持ちをツイッターで表面化したときに、絵師さんたちがどう思うだろうかと考えると、ポジティブな感想をツイートする手が止まってしまう。
「彼女は人の作品に暴言吐いて、2年も知らない顔をして、炎上のついでに謝罪のポーズを見せてるけど、わたしのとこに直接謝りにきたわけじゃないですからね!」っていうのは…絵師さんは悪くないのにあまりにも孤独なのではないかと思った。
だけど、どうかインドの大運動会さんの謝意が本音であるということ、本当に申し訳ないと思っていること、炎上を沈下させる為ではなく、傷付けてしまった相手に対して誠心誠意誠実であってほしいと、わたしは勝手に願っている。
わたしは絵師さん本人ではないので、絵師さんは意外と「え、もうどうでもいい」って思ってるかもしれないし「一切かかわりたくない」って思ってるかもしれないし、わからないけれども。
一体いつまで我慢すりゃいいんだよ。
ライブは中止、イベントも中止、何もかもが中止、集まったらやれ密だ、もう嫌だよこんな生活。
5月になったら収束するだろう6月になったら収束するだろうとかもう聞き飽きたよ。今日も100人感染したってニュース流れたし、どうせ今月も来月も再来月も収束しないんだろ?もううんざりだよ。
「新しい日常」ってなんだよ。お前ら集まったら文句言うじゃん。入場制限?列作るのに2m確保しろ?馬鹿馬鹿しい、非現実的すぎる。
アーティストのライブとかさ、無観客でやります!って言うけどさ、家でどう楽しめってんだよ。お前らライブって行ったことあるか?電車に揺られて、でっけえ会場目の前にして興奮して、物販に並んでグッズ買って、開場までオタク達と駄弁ったり飯食ったりしながら待って、ようやく中入ったと思ったらまた会場の大きさに感動して、ステージ遠いな~とかよっしゃ近い!とか思ってさ、早く始まらないかって時計とにらめっこしてさ、いざ始まったら全身でアーティストのライブを感じるんだよ。体の芯まで響く音、周りのどデカいコール、空気感、アーティストのパフォーマンス、舞台演出、全部がかけがえの無いものなんだよ。終わったら規制退場に揺られてオタクと打ち上げして終電で帰る、この一連の行為が”ライブ”なんだよ。家で楽しめなんて片腹痛いわ。VRの技術が進歩したって現実にゃ適いっこないね。
コミッ〇マーケットとかさ、もうアレ二度と開催出来ないと思ってるわ。だって無理でしょ。もう終わりなんだよこの世界。
同人誌即売会だって同じだよ。「通販でいいじゃん」とか言ってる奴絶対現地に来たことないだろ。分かった顔して「オンラインでよくね?」とか言ってんじゃねえよ。サークル側は現地で売ることを目標に創作物を作って、会場で自分の目の前で本を手に取ってもらって500円玉を受け取るのが何よりも嬉しいことなんだよ。誰しもが通販を出来る環境じゃないから、結局5月に新刊を出したサークル数なんてたかが知れてる。
俺たち買う側だってそうだ、無数の机の海を彷徨って「これだ!」と思った表紙を見つけ中を見せてもらってサークルに直接金を手渡して新たな出会いが生まれる、これをインターネットで出来るか?出来るわけねえだろ。並ばずに買えるとか後からでも買えるとかそういうのは”現地開催ありき”の話だ。最初からオンラインで完結しているものに何の価値もない。
話は逸れたが俺はもうこんな生活御免だ。何も自粛を無理やり破って開催強行を要求しているわけじゃない。俺はもう疲れたんだ。自粛を無視して遊んだり飲みに行ってる奴らを憎む気はない。俺だってそうしたい。しかし俺の場合「遊びに行く先」がない。休日の娯楽は全部取り上げられそれがいつ返ってくるかも分からない、そして「もう二度とあの日常が帰ってこない」のが何よりも精神的にキツイ。ワクチンができるまで待ちましょうとか言ってる間にあらゆるイベント主催団体や舞台、劇団は死ぬしアーティストだって食っていけるのか分からない。
確かに彼らだって死なないように代替案を出してる。代替案で我慢しろっていうのも分かる。分かるよ。でもさ・・・
マジでどうしてこうなっちゃんだろうな。半年前はこうなるとは誰も思ってなかったじゃん。今頃オリンピックの開会式まであと20日!とか盛り上がってたんだろうな。
こんなことならいっそのこと死んで来世ではこんな趣味を持たない人間に生まれ変わるのを祈るしかないのかもな。
本当にどうしてこうなっちゃんだよ・・・こんな生活いつまで続くんだよ・・・んで二度と日常が帰ってこないとかみんなよく耐えてんな・・・俺はもう疲れたわ・・・
米黒人男性暴行死 コロナ再燃、デモと関連薄く 屋外でマスク着用、リスク低下か
https://mainichi.jp/articles/20200630/dde/007/030/029000c
米黒人差別抗議デモ、コロナ拡大との関連見えず 参加者の陽性率低く 保健当局など分析
https://mainichi.jp/articles/20200625/k00/00m/030/136000c
他のニュースが黒人デモとコロナとの関係性を指摘する中、毎日新聞が少し前にも同じ知事の発言を根拠にしたコロナ再燃と黒人デモの関係性を否定する同じ様な内容の記事を2度も必死で出している時点でそう言う事なんだろうなと思う。
今回の黒人デモとコロナの関係自体、実際増加している事実があり、指摘されているからこそ、同じ様な記事を2度も書いたのは事実であろう。
そもそも毎日新聞自体当時の児童ポルノ禁止法で創作物規制に熱心だったのとそれ以後も山田太郎議員に指摘されていたにも関わらず、創作物と児童ポルノを結び付ける様な悪質な記事を書く程度にはあの界隈に親和性が高いのは事実だしね。
最もその山田太郎議員や漫画家も増長したのかは知らないけど、寄りにもよってこの時期に著作権改正拡大でダウンロード違法化を行い、一般人に対して理不尽な規制を行うと言う暴挙に出たけども。
何にしてもフェミニストにしてもこの手の反差別界隈の人達がこの時期にも関わらず、自らの主張を優先し、空気を読めない行動ばかりしていたのは事実。
日本のフェミニストにしてもこの時期にも関わらず、JR叩きや宇崎ちゃんの献血ポスターの救急医の苦言に逆に噛みついて職場にクレームをつけたり、挙句岡村氏の件で騒ぎを起こしたりする等の空気の読めない活動ばかりしていたし、海外においてもフェミニストがスペインでデモを起こした挙句コロナを拡散させたと言う今回の黒人デモと同じ様な行動をもしでかしていたからね
そしてこの黒人デモの一件についても案の定、このコロナ拡散以外にも黒人の権利を盾にディズニーやNetflix、MTG、アニメに噛みついて、削除等の表現や言論の抑圧のツールに使っていたり、白人声優の起用を止めさせる等の職業選択の自由への侵害の行為まであの人達はしでかしている訳で。
要は自分達がされていたと言う事を他者に対し、自身の権利を使いしでかしている訳。
何にしても黒人にしろ反差別にしろこの時期に空気を読めない行動をし過ぎて自滅していっているのは事実。
恐らくこれ以降反差別界隈に対して世間の目は冷たくなるのは確実だし、実際それらは反社集団と言う認識が今回で急速に広まりつつあるのは事実。
どちらにしろこの手の反差別に限らず、自身の身勝手な権利を盾に好き勝手出来る時代は終わりが来るだろうし、この時期にやらかした連中はそれこそ官民問わず皆世間から敵対認定されるのは確実だろうね。
しかし反差別もチビクロサンボに始まり、黒人デモにて終わると言うのはある意味においてうまい事できているなとは思う。
はっきり言ってコロナ拡散なんて最悪の行為で世間から見ればある種のバイオテロと捉えられても仕方がない行為そのものでしかないからね。
こんな人が集まる事すら懸念される時期にデモなんてしでかしたらそりゃこう捉えられるのは当たり前。
しかしこのコロナ禍からの一連の動きを見ていると本当の意味で空気の読めない人達や集団が多く、そんな人達こそ我欲を優先するあまり、自身の権利を盾にして、一般人を殴りつけ、順調に世間から嫌われていっているよなと思う。
推敲もなにもしないで書きなぐっていくので読みづらい部分はご愛敬。
わたしは元々pixivにアップされていた彼女の作品を何作か読んだ。
キャラ崩壊したラインのやりとりや、小説においての新しい切り口等が、それまでアップされていた作品とは一風違っていたから、目を惹いた。イベントや通販もされていたが、特に購入しようとは思わなかった。その程度のファンだった。
両手を挙げて「大ファンです!」という程ではないが、「この人は本をたくさん読むんだなぁすごいなぁ」とは思っていた。
6月初旬頃に、彼女がアップしたプライベッターを読んだ。以前より彼女が二次創作においてルールを守っていないことについて意見を述べているひとがいるのは知っていた。
正直わたしは二次創作のルールはよくわからない。グレーゾーンだからとか、売り上げで利益が云々とか、彼女の現在のジャンルがDなのでルールに厳しくて…等、奥が深すぎて全容を掴めていない。
なので、その部分について、裁判官でも弁護士でもないわたしが、著作権云々のことに述べるのはやめておく。専門分野は専門家に任せるのみ。
わたしが心に引っかかっているのは、彼女のプライベッターにもある<ツイッター上での暴言>の部分に関してだ。
わたしは、彼女の作品のゆるいファンであると共に、ここに描かれているネイルデザインの絵師さん、ヒプマイ絵師さんのこともフォローしている。
TLに流れてくる彼女らのイラストを見て、時には引用で、時にはマシュマロで感想を送ったこともある。インドの大運動会さんと同じ(もしくは絵師さんに対してのほうが少しだけ熱心な)ファンなのだ。
純粋な疑問として、まずなぜ2年間もの間放置していたこの内容を今になって認め、謝罪しようと思ったのか。それが疑問の始まりだった。
このプライベッターをアップする理由はやはり、炎上の沈下なのだと思う。そもそもが「騒動に対しての謝罪」なのだ。
騒動に対しての謝罪…騒動に対しての謝罪???この<ツイッター上での暴言>に関しては、謝るべきは暴言を吐いた相手にである。わたしたちにではない。
彼女は「作者様と連絡を取る手段がなく、直接の謝罪はできておりません」と述べているが、相手からブロックされているということなのだろうか。それとも作者のアカウントがわからないということなのだろうか。
いや、そもそも。直接謝罪をしようと、アクションを起こしたのだろうか。
「連絡が取れれば直接謝罪する」とあるが、それは「こちらからは連絡できないので、相手からコンタクトがあれば直接謝る」という、条件付きの謝罪ではないのか?
正直、第三者からでもその絵師さんが誰なのか特定することは簡単だし、「謝意を伝えたいので取り次いでほしい」と誰かに頼むこともできると思う。
「相手が直接連絡を取りたくないということであれば、弁護士を通して伝えます」という部分にも、疑問符だらけだ。
弁護士とは、本来「加害者Aさんが、被害者Bさんに謝罪を伝えたい。しかしBさんはAさんと直接話をしたくない。だから間にワンクッション挟むために雇う」ものだと認識している(違う?)
今回に当てはめると、インドの大運動会さんが、絵師さんに謝罪を伝えたい。しかし絵師さんは直接話をしたくない…から…絵師さんが…?弁護士を…雇う…?
本来、彼女自身が精神誠意に謝意を伝えるべきで、そこに第三者を挟むかどうかという選択は相手が選ぶべきだと思う。
ではなぜ弁護士が出てくるんだろう…。
正直、2年も経ってしまった今更、相手の絵師さんたちが怒るのには「遅すぎる」とも思う。そういうことをされて嫌だった、怒った、謝ってほしいという気持ちは、2年前に伝えるべきことだと思う。
リアルタイムでならインドの大運動会さんに対して「このジャンルから出ていってほしい」などという要求が、もしかしたら通ったかもしれない。わからないけど。もしかしたら。絵師さんたちが同じジャンルに居たくないからってことでね。多分。わたしの勝手な想像。
ただ、2年後の今「わたしも同じジャンルに居て、当時のことを思い出すのでこのジャンルで活動してほしい」という要求をしても、年月を考えたらもしかしたらその要求は不当かもしれない。これもわたしの勝手な想像。
そして、その相手からの要求が不当か否かをジャッジする為に、弁護士がいるのではないか、とわたしは思った。
「2年も放置してきたくせに今更何!?人の創作物にケチつけたペナルティとして今のジャンルで活動しないで!」と怒った相手が同等以上の要求をしてきたときに「そこまでは飲めません」とジャッジするために、弁護士がいるんじゃないか…?
自分が相手に対して、本当に申し訳なく思っているから、謝意を伝えたい…と思うことに対して、何がどうなって「弁護士用意します」になるんだろう…?
今回のインドの大運動会さんのプライベッターは絵師さんたちに対してではなく「騒動に対して」の謝罪をしているように見えた。本人たちに謝意を伝える為にできる限りのアクションを起こそうとしていない時点で心の底から申し訳ないと思っているわけではない、と思った。
わたしはネイルデザインの絵師さんの作品も好きだ。ヒプマイイラストの絵師さんも好きだ。もう一方の絵師さんは存じないがきっと素敵な絵を描かれるのだろう。そして、インドの大運動会さんの作品も好きだ。
だからこそ、インドの大運動会さんは、絵師さんへの謝意が本物ならば、相手から連絡がくることを待つのではなく、自発的に相手へ謝意を伝える為にアクションを起こしてほしいと思う。それが誠実だとわたしは思うから。
絵師さんたちのことを考えると、どうしても手放しでインドの大運動会さんの新作に、沸けないのだ。
だってわたしなら。わたしの作品に引用で暴言吐いて、2年も音沙汰ない人が、炎上のついでに突然わたし宛ではなく「関係者、ファンの皆様、ごめんなさい」なんて言ってるのを見たら、「そのごめんなさいはまずわたしにちゃうんかい!」って思うもん。相手からコンタクトがないのに「連絡があれば謝罪したい」なんて言っているのを見たら、「お前から出向くべきだろうが!」って思うもん。
わたしは、作品と作者は別物と割り切れるタイプなので、インドの大運動会さんの作品を読んで、素直に面白いと思う。
だが、その気持ちをツイッターで表面化したときに、絵師さんたちがどう思うだろうかと考えると、ポジティブな感想をツイートする手が止まってしまう。
「彼女は人の作品に暴言吐いて、2年も知らない顔をして、炎上のついでに謝罪のポーズを見せてるけど、わたしのとこに直接謝りにきたわけじゃないですからね!」っていうのは…絵師さんは悪くないのにあまりにも孤独なのではないかと思った。
だけど、どうかインドの大運動会さんの謝意が本音であるということ、本当に申し訳ないと思っていること、炎上を沈下させる為ではなく、傷付けてしまった相手に対して誠心誠意誠実であってほしいと、わたしは勝手に願っている。
わたしは絵師さん本人ではないので、絵師さんは意外と「え、もうどうでもいい」って思ってるかもしれないし「一切かかわりたくない」って思ってるかもしれないし、わからないけれども。
なんかごめん、書き殴りすぎて本意が全然伝わってないけどほんとその通りです
自分はたまに感想も小説も書くけどずっと弱小で自解釈と違うカプ観が主流なの嫌いででも実力がないから自解釈に覇権を取らせられない、実力があればよかったのに、まあこんなこと書いてる暇あったら駄文であれ支部の件数一件でも増やせばええんやろなという自戒のつもりでの「手を動かせ」でした
感想が誰でも書けるっていうのはほんとに質の高い感想が誰にでも書けると思ってるわけじゃなくて、感想一般については絵とか小説よりハードルの低いもの(受け手側、施される側が出すもので神の創作物より下に位置する物)として自分は見ていて、でも弱小の書く誰にも読まれない小説より感想屋の書く感想が強かったら羨ましいし妬ましいし悔しいしアーーーってなるだろうなということ
「創作物」と「感想」を比べたら創作物の方が上だと思ってるのに、弱小創作物より感想屋の感想が上だったら死にたくなるなって勝手に自己投影した結果(自ジャンルには感想屋みたいな存在はまだ見られないのでただの想像)
きっと50年くらい前の人ならそれも「みっともない」と思っていたかもしれんが、感覚は変化していくし、各種媒体における創作物それ自体も、時代とともに洗練されて立派な娯楽へと成長していくものなんだよ。
その潮流を、君が掴めていないだけ。
わかる~!
創作物や個人が楽しんでいる内容にまで正義振りかざしてぶっ叩いてきてるの見るときつい
最近女性向け内でもフェミが口出ししてきて燃えてたりするよね…
生きづらい
『孤島部長』っていう漫画が好きすぎて、いろいろと廃人状態になっているっていうものです。
八海つむ先生という漫画家さんが描いていて、pixivやtwitterで最初の1話が読めるのでよかったらどうぞ。
ざっとしたあらすじは、ゆるい天然系の新卒・小松ちゃんと、小松ちゃんの会社(そこそこの商社らしい)の第一営業部の古藤部長(若くして部長にのぼりつめた昇り竜と呼ばれている男)が2人で遭難して無人島に流されるというところからはじまる、お仕事&サバイバル要素こみこみのラブコメです。今のところ、コミックは3巻まで出ていて、最近マンガワンというアプリで連載が完結し、8月くらいに最終の4巻が出る予定です。
もう…ほんと…好きすぎてしんどい…。
主人公が小松ちゃんという名前なのですが、最近はスーパーで小松菜を見ても目頭が熱くって、なんかすかさずかごに放り込んじゃうし、ストーリーの流れ(伏線回収?)上とても重要なある気候条件(?)があるのですが、そんな空を見るたびに(なかなかはっきり観測はできませんが)、あああああああーーーーーーー尊い!!あの作品の尊さに比べたら私とかまじゴミだけど、それでもこの空を見て少しでも前を向いて生きていくのよっていう気持ちになるし、なんていうか、病気を通り越して、もはや私ったら解脱してるな~って面持ちの澄み切ったまなざしで即身成仏を果たしています。
どのくらいになるんだろう、コミックを狂ったように読み返す日々をそれなりの長さすごしているんだけど、毎日の生活の中で、ある意味コミックが不要になってきたっていうか、皿を洗いながらでも脳内再生余裕みたいな状態になってきて、最近、きづいたら家事が終わっていて、「ん?タイムリープでもしたかな?」ていうことが多いです。いやー、家事ならまだいいんだけど、仕事とか何かとんでもない見落としとかしてないかな?ミスして部長に詰められたいっていう願望はありますが。しかしまあ、好きすぎて脳内に漫画がインストール完了みたいな便利な状態になってしまって、たぶん、私が今世での命を終えるとき、フランダースの犬のネロにおけるルーベンスの絵的な立ち位置で、小松ちゃんと部長が私の枕もとに現れて、私を天の御国へといざなってくれる気がする。
私はもうコミックもマンガワンのほうも、合計5000兆回くらい読み返しているのですが、その5000兆回のうち、1,2回くらいは「はー、結局男は、かわいくて、スキンケアしなくてもお肌ぷりぷりで、ムダ毛がはえなくて、パイオツカイデーで、びっくりするくらい華奢で、ゆるい天然だけど一生懸命な顔がかわいい、若い処女が好きだよな~」って思って、スン…って顔になったこともありますが(当方、人生に疲れた既婚経産婦)、いや、男だけじゃない!私も好き!!私もそういう子好き!!!っていうか小松ちゃん好き!!!!!大好き!!!!!!!!!!!って感じです。
私の解釈だと、部長はもう就活の面接の時点で小松ちゃんのことが好きで、できる男かつ悪い男だから「社会人として使い物になるよう、私のところで研修させてもらいます」(めがねスチャッ)みたいな流れで第一営業部にひっぱってきたと確信しているんですわ。コミック4冊分のストーリーの中で、部長がきびしめの顔やら、変顔してたりするのは、全部、小松ちゃんかわいさからくるニヤけをおさえているという目線で読んでしまっているので、全てのコマが愛おしいんですわ…。「(ネクタイ)キュッキュしすぎだったもんね!」(←本田山社長談)って、部長、どんだけリビドー自制してるんですか…がんばったね!!
そうそう、島の住人は、2人の他は、古藤部長の上客のパラレル不動産・本田山社長と社長秘書のセイコさん、そして、以前、古藤部長の部下だった染谷くん、という、なんで全員知り合いだよ、確率えぐいな、みたいなメンバーで、これもまた全員に対して私の愛が爆発してるわけなんだけど、特に本田山社長が好きすぎて、私もパラレル不動産に入社したい。初登場の時「ビジュアルきっつ…」と思ったこと、社長、ごめんなさい。社長はね、ほんと、大人物よ。社長の絶妙なアシストとひょうひょうとした感じで放つ核心を突いたセリフがもう最高です。社長の「人を動かすのにたけてらっしゃる」そのお力のおかげです、尊さの成就の相当な部分は社長のお力添えによるものと、私は思っております。
私、今まで、二次創作とか同人誌みたいな文化には一切触れてこなくて、そういう、ある作品への愛が募ったが故の創作物みたいなものが存在する意味が分からなかったんです(失礼な言い方にお気を悪くされる方がいらしたらごめんなさい)。でも、私、今ならわかるわ。ほんとに、ほんとに、続きが読みたい。これからの2人の生活のどんな断片でもいいから見せてほしい…。つむ先生にも描いてほしいと切に願ってるし、つむ先生が次回作に集中されるなら、誰か描いて!!!って感じ。とりあえず、なんらかの後日談がリリースされるのを心待ちにしつつ、日々、自分の脳内でこの珠玉の物語を反芻していこうかな。エブリデイ走馬灯。
非難する意見が多いみたいだけど、RTも感想も、欲しがるならまず自分がやんなよ、と思ってるので、増田の苛立ちには共感するところがある。
なんでみんな「同人作家は感想がほしい!」「同人活動において感想は大事!」って言いながら、自分は感想を送らないんだ?って話だよね。
感想来なくて心折れた、とか
感想来るととっても嬉しくてやる気でちゃうから頂戴ね!、みたいな
ツイートが頻繁に数千RTされて創作者垢からTLに流れてくるわりに、創作物を発信している人間が頻繁に他人の作品をRTしたり、感想を送ったりしているかというと、そうは見えない。(もちろんそうしている人もいるけど自分の見ている限りあまり優勢には見えない)
「ボス」が実際そういう人なのかはわからないので(他人には見えない方法で感想を送っているかもしれないし)この個別の件についてはなんとも言えないけど「感想ほしい!」ってよく言っているアカウントが、ちゃんと感想を伝えているかっていうとあまりそうは感じない。(繰り返すけどもちろんみんなじゃない。やってる人もいっぱいいる)
TLに流れてくる「感想は大事!」をまともに受けて実行してきた人がそれを感じたら、そりゃ「ちぇっ」ってなるのもそうだなと思う。
「感想を書くことも能力が必要な大変なことなんだよ」というのはわかるし、実感もあるけど、だったらなんでみんなそんな「感想ほしい」系のツイートを頻繁にRTしてバズらせてしまうんだ…とも思う。
どこかで「金もかからないし一文綴るくらいの感情労働と、それによって発生しうるリスクは、私のやる気のために負ってくれませんかね?」ってなってない?
自分はまぁ、やれる範囲で送るけど、そのそこそこの範囲でしか感想も当然来ないよな、と思いながらやってる。
逆に仮にめいっぱい感想が来たとしても、自分の求める感想ばかりが来るとも限らないし
私の中で感想とは、言葉にすることでより萌えを味わう行為なんだと思う。
創作物によって存在を肯定されていると感じるタイプの人が一定数いて、そういう人はちょっと面倒くさい。
感想をもらえないと攻撃的になるし、たくさん感想もらってても全然足りない!って怒る人も見た。
たぶん数じゃないんだろうな…。
いろいろと嫌なこともあったけど、嬉しかったり楽しかったりすることのほうが圧倒的に多い。
でも返事をくれる人もいて、萌えを共有できたり、屈託なく喜んでもらえたり、原稿時のエピソードを聞けたりするとすごく楽しい。
たまにお返事の内容を見て、もしかして私はこの人にとって特別…?!などと馬鹿なことを考えたりする。
そういう時は舞い上がりに舞い上がって二ヶ月ぐらい浮かれてる。
(一読者がそんなこと思ってるのはこわすぎなので、距離を保つ努力をしているけど)
あのハッピー感は何だろう。
友達になりたくて感想を送ったことはないけど、その後やり取りが続いて今も良い関係を続けてくれている方もいる。
感想の目的は最初に書いた通り萌えを言葉にすることなので、書いた時点でほぼ達成しているし返事がなくても気にならない。
(あと感想ほしいですって言っている人にしか送らないけど、返信不要なら私の感想が嫌な場合も返事せずにいてくれるし)
取り留めのない話になった。
もし、(Twitterでたまに話題になる)「反応がなくて心が折れて創作やめた」系の話で危機感を持ち
好きな人に書き続けてもらいたくて多少無理して送ってるのなら、そんな必要はないですよ。
私は感想を言葉にすることで自分の気持ちがより明確になるのが楽しいし素敵な体験だと思っているので、
「地雷」は「安心して踏み入っていったら思わぬ被害にあった」という一点を喩えているにすぎないので
それ以外の要素を挙げて「地雷とは違うじゃん」とか言い出すのは筋が悪い。
「地雷踏んだ」←まぁまだわかる
そもそも人の創作物を勝手に「地雷」と呼んで被害者ヅラされていますか、その上踏み抜かれた is 何。
地雷踏み抜かれた……って地雷の定義に従うと、踏んだ側がダメージ受けてて、踏み抜かれた側はダメージ0じゃん。もはや何の話をしてるの。
二十代後半の女だがこれまで恋愛というものが上手くいったためしがない。そもそも人を好きになる感情がよくわからない。
女ゆえに恋愛の話にぶつかる機会は多い。親からは心配され久しぶりに再会した友人には話すネタがないためいつも聞き役に徹する。みんななぜ自然に恋愛ができているんだろう。できなくてもいいと割り切れたら楽だが、できるならしてみたいと思うから困る。小説や漫画や歌など恋愛の素晴らしさを教えてくれる創作物はたくさんあってそれらを見聞きしていると恋愛がとても良いものに思えるし、自分もしてみたくなるのは仕方ない。
見た目は普通なので人と付き合おうと思えば付き合えるが好きではないため続かない。付き合ってから好きになることもあると聞いたがそうなったこともまだない。
本当に好きだと思う人が出来るまでは気楽でいいのではないかと言われるが、そうしている間に肉体の盛りが過ぎていく。もし50歳とかで「本当に好きだと思う人」ができてしまった場合はおそらく望むことがほぼできないだろう。
あとセックスも気持ちいいと感じたことがない。友人から最初は気持ちよくなかったけどだんだんなじんできて最近はとても気持ちいいなどと聞く。個人差があるのは承知だが、なじんで快感を覚えられるまでどれくらい回数をこなせばよいのか、その間関係性を保ち続けなければならないのかと考える時点で詰んでる気しかしない。その点スカッと気持ちよくなれる男性が羨ましいと少し思う。
いつか解決するだろうと思ってのんびり過ごしてきたけど二十代後半になって焦りが生まれてきた。でもやっぱり好きな人はできない。いいかもなと思った人と付き合ってみても結局好きになれないから一人の方がよくなって続かない。セックスするとなんとなく情がわくと言うのか、好きかもしれないと思うときがあって、でも次の瞬間にははやく帰ってくれんかなと思っていたりする。残酷だな。
「好きな人」ができないために「付き合う」ができない。だったらひとまず割り切ったセフレを作って気持ちいいセックスの方だけでも二十代のうちに体験できるよう努力してみるか?などと思うこのごろである。