はてなキーワード: 事故とは
たぶんはてなの人達は、相手の人のことを擁護しそうな、そんなお仕事の愚痴の話。
たぶん、どこの職場にも一人くらいはこういう人いると思う、ありふれた愚痴の話。
増田は楽しく書く場所なので、楽しく書いて流させてちょーだい。
新年早々から新プロジェクトが始動し、それに加えて従来の仕事も並行して進めていたんだけど、新年度の人事異動で他の部署で事故が起き、玉突き事故が起こって我が部署も結構なダメージを受けた。
残業をしてもしても果てがないし、みんな限界に近く、実際倒れた同僚もいた。
このままじゃ本当にいけないねーってことで、また別なところから応援の人を寄越してもらうことになった。
たぶん上からは遣り手って思われていて、このまま行けば恐らく管理職になるんだろうなあっていう人。公務員でいうなら主査みたいな立場の方である。
先月からこの応援の人が来ているんだけど、開口一番こんなことを仰せになった。
「この部署はとにかく非効率なので、私がすべての仕事を効率化して差し上げます。
効率が悪いせいで、これだけの人数がいても回っていないんです。
大変忙しい皆さんの残業をゼロにしてあげるのが、私がここに来た意味です」
同僚みんなでぽかーんとしてしまった。
他部署に頭を下げて応援を呼んだのは、既に私たちが取りかかっている仕事を手伝ってもらうという意味が大きかったんだけど(あくまでもこの方は応援でいらっしゃる方なので)、
なぜか今取りかかっている仕事のやり方の確認と見直しが始まり、そして「これは非効率だからやるな」というお達しがいくつか下された。
彼女は立場的には上司ではないので、私や同僚が従わなければならない理由はあまりない。
しかし、口調こそひたすらに丁寧語であるが、妙な威圧感があり、それから口がよく回るので、生半可に反論しようものなら言いくるめられる。
ここら辺は文章だけでは上手く伝えられず、それが非常に残念である。
あとナチュラルにこちらを見下した言動を取るので、ぜひ増田の諸氏にも聞いて頂きたかった。
あまりにも自然に見下すので、呆気にとられて反論ができないのだ。
私がやっている仕事は、効率だけ求めてもあんまりいいことがない、と私は捉えている。
確かにやるべきことだけやれば、すぐ終わるんだろうと思う。
ただ、やるべきことに加えて多少は気を回すことも求められる仕事がほとんどだ。
例えば、仕事のひとつに、週に一度データを吸い上げて所定のフォルダにアップして共有するって作業があるんだけど、どうして定期的にデータを吸い上げるかというと、そりゃ経過を確認したり、異常が見つかったらアクションを起こすためだ。
もしも異常に気付かず放置したら、結構な損害も出るし、他人の人生にそれなりの打撃がある(大袈裟な言い方だけど、金銭的な意味でも時間的な意味でも打撃を与えることになる)。
なので、データを吸い上げたら、最新のデータをアップしたことや簡単な注意点を加えて連絡のメールをしていたんだけど、
「毎週同じ場所にアップしているってみんな分かってるんだから、そんなメールは送るだけ無駄だよ、やめなさい」って言われてしまった。
(この件に関しては上司が不在のときに言われた。後日上司に相談したところ、従来のやり方でいいと言われたので元に戻った)
メールひとつ送るとか送らないにしても、こういうやり取りがあって、それ自体がひどく煩わしい。
と同時に、こちらでは今まで必要だと思ってやってきたことに対して、この効率厨さんは特に考慮することなく、手数を減らすことだけを求められて、辟易している。
そして大変ありがたいことに、彼女は効率的に仕事をしているかの監視もしてくださっているのだ。
我々の一挙手一投足、メールのひとつひとつにまでを確認してくださる。
果てには、こんなメールには部署全員にCC入れる必要ないよねとか言われた。
効率のためなら共有は要らないらしい、なるほど、大変参考になります。
メール以外の、例えば作成した書類のダブルチェックなどをお願いしてみても、その書類の作り方がいかに非効率かを説明されてやってくれない、というような状況である。
そんなに色々言うならばあなたがやってくれるんですか? と聞くと、それは私の仕事じゃない、とのたまう。
仕事に感情は不要かもしれないけれど、人間にはどうしても感情がある。
これまで大量の仕事をこなしてきて、肉体的にも精神的にも疲弊していた同僚の一人は、我々のこれまでの仕事を否定し、私たちを全く慮ってくれない発言の数々を受けて、また寝込んだ。
私自身も1ヶ月はなんとかやれたけれど、もしこの効率厨の彼女が正式に異動ということになったら、耐えられるかどうか正直分からない。
効率うんぬんよりも、まず否定から入ることが何よりつらくてしんどいんです……。
書きながらこの1ヶ月のことを色々考えたけれど、まずはこれである。全く寄り添ってくれないことが、思っているよりつらかった。
効率云々は置いておいて、彼女にはズルいしひどいなーって思うところがある。
・自分で「これはいいアイデアだ」と思ったら確認取らずにすぐに行動する。
上長の許可とか取らず、上長の目を盗んで独断でガンガン進めてしまう。
ひどいときは上長が在席していても勝手に進めちゃう。さすがにこれには上長氏も怒ったけど「私は正しく効率的なことをしている」と考えているらしく、まったく悪びれない。
実際、彼女が勝手に片づけてくれたけれど、彼女以外置き場所を知らない(我々に共有されていない)書類がいくつかある……。
上長は結構会議で不在の場合が多く、そうなると雑談と称してこの演説が始まる。
最初にいらしたときも、上長は紹介もそこそこに会議に行ってしまったので、自己紹介代わりに演説をされてしまった。これが本当によくなったと思う。結果論なんだけれど。
最近はあまりよく眠れなかったが、今日は長文を書いたしなんとか眠れそうな気がします。
元母へ。
面と向かって伝えなかったのであなたは知らないかもしれませんが、この度わたしはあなたと家族の縁を切ることにしました。
あなたはプライドが高いので、このことを知ったら怒り狂うでしょうが、あなたは父に似たわたしを嫌っていたので丁度いいでしょう。娘兼サンドバッグ兼粗大ゴミを捨てる手間が省けたと思ってください。
絶縁に踏み切るのに葛藤なんてありませんでした。あなたと縁を切ることは中学の頃から決めていたことでした。
あなたはわたしが中学の時、ひどいいじめを受けた時、泣きながら助けてほしいと頼むわたしを見ようともせずTVドラマを見ながら「がんばれ〜」と言いましたね。
その後いじめは収まらず、首を吊ろうとして失敗して、あなたはそのことを1週間後には忘れていましたね。
ロープを首に括って椅子から飛び降りたものの、わたしの体重を支えきれず天井に開いた穴を見てどうしてこんな穴を開けたのだ、とわたしを酷く叱りつけましたね。
そのことを1年後に冷静な口調で責めると、「私だって、忙しかったから忘れちゃうだでねー!」と幼い口調で言って謝りもしませんでしたね。
その後何かを誤魔化すように、パートで働き始めた保育所で習った「みっくすじゅーす」の歌を「みっくちゅじゅーちゅ」とわざと舌足らずな口調で歌っていましたね。
その時のあなたの汚い口元があまりに醜くて、わたしは今でもアデノイド相貌の人間が大嫌いです。
あなたに似た太い足を「象の足」と笑い、あなたに似た一重まぶたの小さな目を「目ぇちっさいね!」と笑い、ビューラーで上げてマスカラをして何とか大きく見せようとするわたしを「短いまつ毛を必死に上げて」と大口を上げて笑いましたね。
その代わりわたしと似た目をした元弟のことは「男前」と誉めそやし、グレてタバコを吸ったせいで低身長のまま止まった体とブツブツに荒れた肌、緑に髪を染めた弟をかっこいいと毎日褒めていましたね。
この度ようやく準備が終わりました。
あなたに似た口元を200万掛けて矯正し、あなたが笑った小さな目に覆い被さっていた皮膚を切り取り、わたしが生まれた時流行っていたドラマのタイトルをそのまま使った名前の読み仮名を変えました。
駅であなたと何度かすれ違いましたが、あなたはわたしだと気付きませんでしたね。
ところで、家族としての縁を切るということはどういうことだと思いますか?
決して絶縁ではありません。わたしはあなたと二度と関わらないつもりはありません。
ですが例えば、自分の家族が階段から落ちたら心配して助け起こすでしょう?
家族ならば。
風の噂で聞きましたが、あなたが可愛がっていた息子さんはバイク事故で足を引きずるようになり、今では些細なことで怒鳴り声を上げるニートになったようですね。
プライドだけは肥大して自分のミスを認められず指摘されれば逆ギレする息子さんを自分のパート代で養うのはさぞ大変でしょう。
そんな中、あなたは右手がリウマチに冒されコップを持つのすら辛いそうですね。
更には不運にも駅の階段で足を滑らせたとか。
階段に折り畳み傘が落ちていて、しかも踏み出した先にあったなんて運が悪いですね。一体誰の落とし物でしょうか。
骨折した足で怒鳴るニートの身の回りの世話をするのは大変でしょうが、愛する息子の為ならきっとそれもあなたには幸せなんでしょう。よかったですね。他者に尽くすことは幸福への第一歩です。
そういえば、あなたの息子さん、先輩と一緒に英語教室をやるそうですね。
そのために資金を集めているとか。
毎日給料を手渡ししてくれる焼肉屋さんでせっせとお金を稼いで、とっても頑張っていますね。
もし上手くいかなくても、あなたがもっとパートを頑張ればいい話ですもんね。みっくちゅじゅーちゅ!って気持ち悪い顔で歌っていればお金がもらえて羨ましいです。
本当に、そうまでして助けたいと思える家族がいるってとっても羨ましいです。
中田敦彦のYoutube大学というYoutubeチャンネルが叩かれている。
まず結論を言うと、おれはこのYoutubeチャンネルは消えてほしいと思っているし、 もはや中田敦彦には自殺なり事故なりで死んでいただきたいなと思っている。 こいつが、おれがこの社会をおれのような人間にとって生きにくくしてる元凶だと思うからだ。 こいつは、適合人間の権化だ。害悪である。
中田敦彦のYoutubeの大学について、おれはもともと良いと思っていなかった。
誤っていることが多いからだ。 また、文学を紹介する時にも、著者に対するリスペクトが欠けているなと感じることがあった。
ということでおれは無視していた のだが、中東史のビデオが、それに詳しい人に酷評され、そこから中田敦彦批判が広まっていった。
おれも、彼の新選組のビデオは登場人物の名前はじめあまりに誤りが多く、 おれ自身は以前に話したとおり、麻布学園の自由論文テーマで土方歳三を選ぶほど新選組のことが好きであり、 本来ならば、中田敦彦のような著名人に新選組を広く紹介してもらうことは本意であるべきなのだが、 そのビデオを見た瞬間にチャンネルも登録解除したし、レコメンドも停止した。 気づけば、ディスプレイの中にいる中田敦彦に対して中指を突き立てていた。
それ以外のビデオに関しても、見る人が見れば誤ってるとわかるものが多いようなので、 彼のビデオは結構いい加減ということは言えると思う。
おれが中田敦彦のように、 お金を稼ぐためならば、多くの人に見てもらうためならば何をしてもよいと 考える人間が嫌いだ。
また、それに対して群がる人間も嫌いだ。
ツイッターなどで、何も面白くない、知能指数3くらいの白痴ツイートが 1000Likeを得ていたりすることがあるが、 こういうものにLikeするやつは全員ガス室に送るべきだと考えているし、 当然、ツイートした本人も死刑になるべきだと考えている。
なぜか。
それが、適合するということだからだ。
適合人間にとって真実はどうでもよい。 多くの人が正しいと信じていることであれば、それは正しいということになる。 間違っていることであっても、みんなが正しいと思っているから正しいという人間がこの世には結構いる。
中田敦彦にとって正しさの優先度は低い
中田敦彦にとって、ビデオが正しいことを言ってようが何であろうと関係ないのだ。 ただ小説や歴史をてきとうにおもしろおかしく紹介出来て、それによって自分のチャンネルが肥大して、 多くの視聴数が得られ、高額な報酬が得られればそれが正しいことなのだ。
Youtuberは多くの場合、虚業である。 彼らが提供しているのはエンターテイメントであり、 現代の価値基準でいうと、本来なくても良いものだからだ。
しかし、百歩譲って単なるエンターテイメントであれば問題がない。 それどころかおれは、人間が経済的に豊かになった時代においては、人の心を豊かにする エンターテイメントこそが必要なものになると考えている。
では、中田敦彦のYoutube大学はエンターテイメントなのか? 彼はそのつもりかも知れない。 しかし、見ている人間からするとそうではないのだ。 不愉快に思うこともある。
もちろん、不愉快に思う人がいるからやめろというつもりはない。 なぜならばそれはまさに適合サイドの論理だからだ。 全員が不愉快に思っても、正しいことならばやればよい。
しかし、これを「大学」と名乗るのはやめろ。 大学と銘打つのであれば、提供する内容に専門家のレビューを通すのを最善とした何らかの検査をしろ。 正しいことを伝える最低限の努力はしろ。さもなくば、「大学」と名乗るのはやめろ。
なぜ彼が、正しくないことを言ってるにも関わらずそれを大学を呼んでしまうかというと、 そういうものを大学と呼ぶことに罪悪感がないからに他ならない。 なぜかというと、彼にとって大学ないしは学問というのがその程度のものだからだ。
これは恥ずかしいことだと思っていただきたい。 まともに教育を受けた人間で、中田敦彦のYoutube大学を真剣に見てる人は 誰一人いないと断言出来る。 メンタリストDaiGoなんかも似たようなものだ。
中田敦彦がこのチャンネルを「大学」と呼ぶ背景には、 彼が本当に知識を多くの人に届けていることに正義を感じているかというのもあるだろう。
学校でいじめられて引きこもってしまった子などが、自分のビデオを見て学ぶことに喜びを感じているのかも知れない。 経済的に大学にいけない人に学ぶチャンスを与えたいとか思ってる可能性もある。 というか誓ってもいいが、きっとそういうことを言うのだ。なぜならばそれが適合人間だからだ。
しかしおれはそうは思わない。
歴史上の人物について何かしらの真実を捻じ曲げたりすることは、 生きている人間にとって嘘の情報を流してその人間の社会的地位を貶めることとなんら変わりない。
なぜならば、第一にその人の子孫は今の世の中に存在しているからだ。 これは、不愉快に思う人がいるから正しくないと言ってるのとは違う。 単に、犯罪行為をやめろと言ってるに過ぎない。 しかも悪いことに、登録者は100万人を超え、何万何十万というオーダー の人間に見られてしまっているのだ。
また、歴史というのは生きている人間の共通認識でもあり誇り・財産でもある。 これらを穢すことは当然許されない。 歴史は、空気中に浮かんでいる何かではないのだ。
おれは、中東の歴史については詳しくないので上で挙げたツイートについて それが真実かどうか判断する目を持たないが、 もし真実でないとして、それを中東の人が見たらどう思うのだろうか?
理由その2は、一度誤った知識を身に着けてしまうと、 それをあとで修正することが難しくなるからだ。
小学生中学生の子供が、中田敦彦のYoutube大学を見て 何かを学んだ(?)とする。 そしてのちに学校で同じテーマについて正しい知識を学ぼうとした時に、 正しい知識の方が定着しない可能性がある。
理由は、
1.動画で学ぶことは、退屈な教科書で学ぶことより記憶に定着しやすいから
3.多くの人が見ている動画だから正しいと思い込んでしまうから(適合人間の悲しさ)
「人間だから間違うこともある」というのが適合人間の論理だ。 しかも間違うことを許さないと社会が進んでいかないとか言い出したりもする。 というか中田敦彦はきっとそう言うはずだ。
しかしすでに述べたように、 間違ってると思うのであれば、それを大学と銘打って垂れ流すのはやめろというのが一点だが、 その間違いが単にケアレスミスとかそういうレベルではなく 「そもそも正しいことを広める気がない」という点を問題視していることから 自分に対する批判が始まっていることを認識していただきたい。
渡良瀬遊水地で逃げ出した犬(アメリカン・ピット・ブル・テリア)が怖いなと思って。
うちは犬の行動範囲に入っていると思われるし、子供もいるから心配。
調べてみると、国によっては所有が禁止されているし、日本でも死亡事故もある。
どうか、事故が起こりませんように。
責任転嫁の恐れの脅威
バイト雑誌で10名ぐらい募集があり工場内の新車を運転してプールまで移動するのだが、公道を走ることもあった
普通はそんな高級車はトラックで運ぶであろうし、事故を見たわけでもないので詳しい事情は知らないが、保険が1000万円降りたと聞いた
ドライバー男性(バイト頭みたいな人)はピンピンしていたのでおそらく物損事故で、車はどうなったか知らない
公道事故だから警察は事故証明書を作ったかもしれないしそうでないかもしれない
しかし、その事故は女性ドライバーが事故ったことにしたのではなかろうか?ということを女性は警戒しておかなければならない(女性担当への責任転嫁は金融不祥事関係でしばしば聞かれること)
もし事故が嘘で警察ぐるみの保険金詐欺で、運転者は女性バイトだったことになっていたら、知らんうちに犯罪加担してたりして(もし自分の名前で証明書が出てても分からないだろ…)
警察が事故報告する制度が運用されているのだから詐欺も絶対不可能とはいえないのだ
私は今ちょうど別の事故の交通事故証明のことで東京都の警察と揉めていて不信感高まっている
同人とSNSと口は災いの元って話。余談はマジでただの個人的な愚痴。
日も経ったのでチラ裏こと増田で雑まとめ。ROMワイはヲチ気質があるのでAのきたねえ花火待ち。
前提条件:主人公のキャラメイクが出来るゲームの二次。規模はたぶん小さい。
先日、わざわざ「嫌い」シチュを公言+多方面に微喧嘩売った人(以下A)がいた。
界隈小さいのでこのシチュ作ってるって時点で数名しかいない。微喧嘩の方はみんなやんわりスルー。生きてる相互結構いそうなんだけど無風。
「嫌い」シチュで作ってて、直撃というか狙って言われたとしか見えない人(以下B)が色々あっておこに進化。ROMワイ的にも、怒るよなーの所感。
なお、Aの発言時AとBは相互。AからBをフォローしに行った(見てた)。
Aはフォローする前からBの作品に文句言ってたらしい。この辺りは追えてない。
「嫌い」は構わないけど、家族とか全然被らないコミュニティで言えば事故んないのにね?
そんな家族いない?友達もいない?職場も愚痴すら聞いてくれない労役砂漠?
じゃあ金払ってカウンターつきの飲み屋で管巻いt、それも迷惑だな。増田で吐きな。
ほんとはこんな注意を親にも周りにもされてこなかったカワイソAたそでうまい酒飲みたいからもっと花火あげて、が本音。
結構デカい範囲の嫌いも言ってたんでこの事故は起こるべくして起きた。記憶と合わせても、その都度界隈にやんわり空リプ反対運動起きてたはず。
インプレ回ってるのに一切誰も反応してなくて草。元々フォロワー数の割に反応少ないし自分から行かなきゃ交流もなさそう。
なんで?ヲチ的には嬉しいけど訳分からん。一切無風なのに火種になりかねないもの残してどうすんだろ。
無風なうちに早く消した方がいいと思うんだけど、もしかしてきたねえ花火飛ばしたい?お空飛びたいの?
・Bにロング謝罪文送付したらしい。
謝罪文は普通そこまでロングにならないので、自己弁護でかさ増しするという謝罪の意味がないうましかムーブが考えられる。
読みてえwwけどBが晒す気配なし。うまい酒飲めそうなのにな。Bそういうとこまともなんだよね。
なんでだよ。これほんと訳分からん。垢分けとかしないの…?もしかしてこれからもドンドン揉めて花火飛ばしたいのカナ?!
他人に向けてない発言と他人が読むかもしれないって配慮した発言は両立すると思うし、愚痴垢じゃねえんだから両立させないか?
・BにブロられてるはずなのにBの発言引っ張ってきて被害者ムーブするA。
「見に行った自分が悪いケド…」って、当たり屋が何言ってんだ?新手のMなのか??
わざわざブロック掻い潜って被害者ぶったのにこっちも無風。草。
余談:Bが筆折んなくて良かったね
Aはイラストhtr(htr=ヲタ語で下手くそ、の意味)。小学生の落書きをPCに取り込んでバケツ塗りした的なの想像しといて。
なんか周りにおだてられたのかこの前SS書いてたけど下手すぎてそっ閉じした。htrのエロって日本語書いてあるのに脳が理解を拒絶すんのな…。
(ROM的に嬉しい)作品がないという意味ではほぼROMと同じだが、本人の名誉のためにhtrと呼ぼう。
Bは、ジャンル小さすぎてよく分からんけどROMからすれば普通の短編書き。少なくともhtrではない。
今回Bが筆折んなかったし、界隈が年齢層高めだからか焼けてないけど、前ジャンルだったら同じ小規模ジャンルでも裏でDMもくり回りまくってたかもなー。
htrイラストもhtrSSも無いのと一緒だからhtrなんていてもいなくてもROMと変わんねーくらいの感覚だけど、生産者減るとROMとしちゃ困るんだよね。
htrは折るほどの筆もねえから居座りがちだし、早いとこきたねえ花火になって実害出す前に消えるかジャンル移るかしてほしいけど無理だよなー。
愚痴垢作ればいいのに作んないのは、無駄に10年選手のアカウントで生死不明の3桁フォロワーがいるから反応期待してなのかね。ってゲスパー。
実際嫌いをわざわざ言っちゃあ現実無風なんだから痰壺に隔離したって同じだろ。と思えない客観性のなさがうましかだから仕方ないね。ちゃんちゃん。
当時、現場では浜松市中央区の男子小学生(9)が溺れていて、御前崎市合戸に住むブラジル国籍の無職男性(41)が助けようとしましたが、男性が何らかの原因で溺れたということです。男性は、意識不明の重体で病院に運ばれましたが、死亡が確認されました。
男子小学生は別の人に救助されて無事でした。男性は現場に居合わせただけで、小学生とは顔見知りではないということです。警察が事故の詳しい原因を調べています。
https://anond.hatelabo.jp/20240609080313
https://web.archive.org/web/20170710062324/http://ashihara-hina.jugem.jp/?month=201203
「僕等がいた」観てきましたよ~。
うっかりレディースデーに行っちゃって、すごい人。
すごいなー。大ヒットだな!
主演お二人の組み合わせが、自然でとても良かった。
この仕事してる限り、いくつになっても必需品だよなあ。
予告で、「テルマエ・ロマエ」流れて、笑っちゃった。
漫画原作多いなあ~~。
開花楽しみだな
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本・映画---
美味しく飲めるんですけど(苦くないから。)、
自分好みに淹れようと。。。
早速物欲に負けとるがな。
ジョージ・クルーニーがCMしとるやつね。
試しに全種類飲み比べて、酸味が少なくてあんま苦く感じない物を厳選。
子供舌で雑に厳選。おいしい
がんばってみた痕跡。(これでも)
どうにもなってない。不器用なんか。私。
挑戦は、続く続く。
たくらんでるんですけど、
読み切りネタ2本と、「Piece」の次号プロットを同時進行させてたら
動いてないのに消耗するって、なんか割に合わないです。
来月、旅に出るので、今がんばらないと!
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日記---
「取りに伺いますよ~」と言ってくださるのだけれど、
引き籠りに飽きてるので、自分で持ってく。
今度、誰かのごはんにそっとしのばせてみる。
あと、「僕等がいた」のタダ券(また、タダで貰うのか!)
冷静に客観的に冷静に冷静に、、、とか言いながら
徐々にフェードアウト、結果思考停止に陥る人も多いんじゃないかな。
たぶん、私なんかはそのタイプ。
「頭良くないし。」を言い訳に。
だからすごいお方なんだなあ、、と改めて思った。
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本・映画---
完成間近の原稿
今回、背景少なかったので、予定より早めにアシスタントさんに
あがってもらう。いつもどうもありがとう!
つまりまだ終わってないわけですが。。。
天気も良いし、春めいてきたし、土日の人混みは避けたいし、
〆切まだだしね~!とかなんとか言い訳しながら、新宿に買い物に出てしまう。
最近物欲減ったな~とか思ってたのに、久々伊勢丹に行ったら、欲しいモノが溢れてた。
春物可愛いな~♡
新宿伊勢丹に行く度、平日でも人が溢れてて、「不景気ってほんとう。。?」
とか疑いたくなるよ。
出版業界も、例にもれず「不況だ!不況だ!」言われ続けてますけども、、
全体的には、勿論そうなんでしょうけども。
私の周りには、不況?ナニソレ?的に右肩上がりに売れ続けてる作家さんも
結構いるので、どんな時代であっても、作品次第なんだろうな。きっと。
私もがんばろー。
さっき、テレビで「第9地区」やってましたね。映画観に行ったなー。
良い意味でB級感たっぷりで、皮肉めいてて、深読みし甲斐があって、
可笑しいのに笑えなくって面白い。これ好き。
フィクション様様。人vs人で描いたら目を背けたくなるけど、
それも勝手な話だなあ。
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日記---
神戸に親戚や友人が沢山住んでいて。
「住み慣れた家も思い出の品も何もかも失って、逆にすっきりして
腹が据わった。がんばるよ。」と淡々と語る知人に、
当時、かける言葉がなかった。
あっという間に限界にぶつかるし、
励ましも同情も違う気がして困惑するばかり。
少しは大人になってるはずなので、
関わっていけたらいいなと、思います。
黙祷。
1
日記---
堂々とサボってやるぜ!!とか思ってたら、
すんごい寝すぎてびっくりです。何時間寝てんの、アンタ。。。
我ながら、凄まじい有言実行ぶり。
冷蔵庫で1カ月くらい余裕で持つので、暫く寝かせてちょっとづつ食べる。
とか言いつつ、一切れだけ味見。
ふかふかで心許ない。。やっぱ寝かす寝かす。
90ページもあると、「ペン入れ、あと何枚!!」とか数えてたら
気が遠くなっちゃうんですよ。
なので敢えて数えない、、!!そこは男らしく(?)気分で描き進む、、!!
ペース配分なんて知らねえよ、、、!!!
仕事しよっと。
1
おやつ---
引きこもってるのに、カロリー高いもん食べちゃった。
今更ながらWii を買ってみたよ。
運動してるつもりになってみるつもり。
1
日記---
屋上に。少し。
ちょっくら家に遊びに来てくれる予定だったので、
遅れてる下絵をそっと見て見ぬふりしつつ待機してたんですが。。
が、うっかり(?)家まで辿り着いてしまったアシちゃん約一名と、
「アシパラ邸に行く日に、ピンポイントで大雪。アシパラの雨女ぶり
神になれるんじゃない?』って言ってた。」ってメールを読んで、
都合よく忘れてた!
あ、アシパラってのは、彬さんがつけた私のあだ名です。
どうかと思うよ。。?
がんばるぞー!
(下絵終わったら、いきなり元気)
事故にならなくて良かったね
テレ東の警察24時が遂に終了との事だが、これ系の番組の初期はまぁ本当に酷かった。
1990年代の後半あたりに始まったのだが、なにぶんにも報道の訓練も体制もない部署の下請けが撮るので問題だらけの映像をそのまま流してしまうというトンデモ状態。
番組終了の理由に撮影に時間が掛かる事、時間掛けても空振りのことも多くてそれで無理をして捏造的な場面を作ってしまうなどが挙げられていたが、まぁそうだろうね。
最初期の番組は兎に角「撮影側が警官と一体になりナレーターで悪を断罪」というモチーフで撮られていた。
このモチーフの元はズバリ時代劇だろう。「この紋どころが目に入らぬか!」「余の顔を見忘れたか?」「おぅ、この桜吹雪が全てお見通しなんだよ!」と悪を断罪!悪人は「へへぇ!」と平伏して視聴者はカタルシスを得る。
だが警察24時で映しているのは近代法が支配する現代の日本である。
もう一つの問題はそんなに判り易い事件は起きないという事だ。フィクションの遠山の金さんや将軍様も数日~数週間に亘る地道な取材や潜入捜査の末に処断してるのに、複雑な現代社会で偶然舞い込んだ事件をその場で処断できるわきゃない。
そこでやはりというか、一番多い交通事故処理を撮影するのが専らとなる。そしてその交通事故をナレーションで「断罪!」してしまうのであった。
例えば首都高で3台ほど絡んでしまった事故処理であれば、「スピード違反が招いた悲劇である!」という風に。
地方の人や免許がない人には判りずらいだろうから説明すると、首都高というのは大部分が60キロ制限になっている。だがこの速度を守って走っている車というのは皆無なのだ。制限速度が遅いのは高度成長期に低い規格で作ったためで仕方がない。道路規格によって制限速度の縛りがあるので自動的に60キロとなってしまうのだ。
それで直線区間では全部の車が速度違反して走っているという状態になっている。路線バスでさえ守っていない。
そこで事故が起きたら警察は原因の一端に速度違反を挙げるのは当然で、それが主原因とは言えないわけだ。
これ以外の事故でも「確認の不注意が招いた事故であった!」とナレーションが次々に断罪していくのだが、事故の原因なんて複合的で、事故処理の警官の確認遺漏で後からひっくり返る事もあるし、その為に当事者はかなりの労力と時間を使う。それをその場のノリだけで断罪しまくっていた。当事者が見たら憤怒間違いなしだ。
当時、日産がスカイラインGT-R(BNR32型)という車種を出していて、これはアウトバーンでも300キロ出る、ガチで早いスポーツカーだった。
そこで交通機動隊や各県警の高速道路交通警察隊がGT-Rのパトカーを導入した、というのが車好き向け媒体のみならず一般ニュースでも取り上げられていた。「GT-R」からは逃げられない、という威嚇効果も大きい。
そこで当然のように24時のカメラマンは高速隊のGT-Rの後部座席に乗り込む。すると通報が入り、現状へと急行するGT-R! 景色は飛ぶように流れ、速度計は190キロを指している。国産車ECU(エンジン制御コンピュータ)のリミッターカットだ!
…という映像を流した。
ところで道交法上の緊急自動車の最高速度というのはご存じだろうか?一般道では80キロ、高速道路では120キロである。但し例外があり、速度違反者を追尾計測するパトカーはそれ以上出しても良い。そうじゃないと速度違反検挙できないからね。
この高速隊GT-Rは追尾計測中ではなくて臨場する為の緊急走行であるから190-120キロで、70キロ超過となり、赤切符+一発免停で、刑罰も6ヵ月以下の懲役又は10万円以下の罰金となる。現行犯人だ。
別に増田はパトカーや消防が速度違反して緊急走行していても構わんのだが、証拠映像を電波に乗せて流してそのままで済むわけがないな。
報道畑じゃ無い奴がカメラ持って取材の真似するといこういう事をやるというリスクの典型例だし、後ろでカメラまわしてるのにマッドマックス1のインターセプターみたいだろー的にアクセル踏んでRB26DETTをぶん回してる警官もアレだし両者色々アホすぎるとしか言いようがない。
ドキュメンタリというのは今では真面目なものだが、昔はいい加減で捏造まみれのものだった。ディズニーが『白い荒野 』というインチキ動物ドキュメンタリ映画で、レミングスは増えすぎると入水自殺する、というインチキ映像を撮る為に崖の上からレミングをポイポイ放り投げて殺していたというのが有名だ。
60年代に『世界残酷物語』という、エログロインチキドキュメンタリ映画がヒットすると、次々に同じような映画が作られ、エスカレートしていった。世界残酷物語の原題は『Mondo Cane』なので、この手の下世話なインチキ映画はモンド映画と呼ばれるようになった。
最初は世界の習俗と題して未開部族の残酷処刑や残酷儀式をでっち上げたものを繋げていたのだが、やがて観客の「リアルな死や本物の死体が見たい」という欲求に応えて、事故や暴動で実際に人が死ぬ映像を繋げたショッキング系映画が作られるようになった。因みに実際の映像だけでは尺が足りないのででっち上げたインチキ処刑シーンとかも紛れ込ませているのが多い。
やがてモンド系もショッキング系もTVが番組化するようになる。モンド系のインチキ成分だけを掬ったのが『川口浩探検隊』などだ。ショッキング系は苦情が来る事を恐れ、人体が千切れる場面や脳が飛び出すシーン等はカットして直前で映像を途切れさせたり、人体破壊の瞬間だけカットして死体を映すなどの手法が取られた。番組名はそのまま「ショッキング映像!100連発」等。
またこれら番組には顕著な特徴があり、必ず番組最後は消防隊や救急隊の訓練シーンで終わる。基本的に下世話な欲求に答える番組であって、その後ろめたさを誤魔化す為に取ってつけた映像を入れるのだな。
警察24時系も必ず最後に交機の訓練映像で終わるであろう。つまりはモンド~ショッキング系の系譜に則ったフォーマットなのである。正義の行使のカタルシスは時代劇から、番組ターゲットが野卑な欲求ではないかとの疑問はモンド系の〆映像のフォーマットで誤魔化し。それが警察24時系の構造だった。
因みにこんな取ってつけたような訓練映像付加手法だが、それを見て正義だと考えるリテラシーの人間もちゃんと居るのだ。今ニコ動が全部落ちていてURLを貼れないが、ニコ動には例えばアメリカで精神に問題がある人間が刃物を手放さず警官隊に射殺される、というようなショッキング映像があるのだが、それには映像最後に州警察の訓練風景を入れてある。単に事件現場で殺人映像が撮れただけなのだが、モンド系フォーマットで最後に訓練風景を取ってつけると正しさが保証されると考えているのだ。あれを本気にする者もいるというのがモンド系ドキュメンタリ的でありますな。アメリカに赴任してて厨房の心根は侵されずと言ったところか。
警察24時系は結局モンド番組なのだが、元のモンド系が虚実入り交じりのインチキ映画だったのは製作費と製作日数の問題でもあった。真面目なドキュメンタリは撮るのに時間が掛かりすぎて一部の意識高い人しかみてくれないからペイしない。だから人目を惹くエログロインチキ映像を撮る。
警察24時も最初期にかなり問題になった筈だ。同乗させてもらった警官が免停とか色々だ。すると地道に長時間警察に同行するしかない。歩留まりが悪くなる。しかも映像にパンチが無い。
ヤクザ事務所ガサ入れとか映像的にパンチがある事件はある。でもそういうのはマジな方の報道部門が呼ばれてモンド系バラエティの取材班は呼んでもらえない。カメラ持ってても素人なんだから。報道マンの暴力性に負けてゴミ扱いされて追い出されてしまう。
そんな状態で視聴率上げようとしたら数多のワイドショーがやらかしたように捏造っぽい方向に行っちゃうのは仕方ないね。
んでもこの手の番組が培養してしまった視聴者は「報道番組がモンド系と違う」ので報道を信用しなくなり、「川口市でクルド人が傍若無人で治安崩壊!」とか「安芸高田市の市長が論破!」というショート動画をクリックしてモンド系の毒に身をうずめるのでした。なんつーかペニシリンが必要だな。
電車に轢かれそうな元気のないおじいさん助けたんだけど彼は轢かれそうという自覚がなかった
漕ぐ体力がもうなかったのか自転車を押してゆっくり歩いていてる途中に踏切のバー降りて閉じ込められてたら自転車ごとバーを押す力も無いようで「ここ開かん」っていう目でこっち見てきた
代わりに押してあげて「はよはよ」っていってゲートの外に出してあげたんだけど何も言わずゆっくり歩きのまま素通りで車道の真ん中を自転車をおしたまま歩いていった
青信号だってわかってて(音などで)前に危険がないのがわかってたら(杖などで)良いよ
前方に何があるかわからないのに突っ込んでったら視覚障害とか関係なしに事故になるのは当たり前
もう物理的な話
(前半からの続きです。)
https://anond.hatelabo.jp/20240608093126
もっとも、現代アートは手放しで褒められるものでもないでしょう。多くの批判者が火のないところに煙を立てているとは言えないと思います。作品の出来が悪いものも混じっていることは否めません。
大方の批判にもかかわらず、私は今回のトリエンナーレではそのような「的外れ」感のある作品はほとんどないか、かなり少なかったと感じています。これもキュレーションのよさでしょう。
思い返せば2020年のトリエンナーレにあった「エビにSEXをさせる方法を考える」という一連の展示はひどかった。テーマはとてもよかったのですが、日本(だったと思います)のクリエイターたちの作品はふざけているとしか言いようのないものでした。その課題は、「エコスフィア」(エビと水草の入っている閉じた水槽)の中でエビは酸素を吸って二酸化炭素を出し、水草は二酸化炭素を吸って酸素を出す。この循環のバランスはうまく保たれているが、一つ問題があって、エビは生殖をしなくなる。そこでエビに生殖をさせる方法を考える、というものでした。多くの作品はエビにセクシーな格好をさせるとか、エビの秘宝館のようなものを作るとか、そういうものだったと記憶しています。しかし、クリエイターたちはこの「エコスフィア」が地球の生態系の比喩であると気づかなかったのでしょうか? だとしたら愚かに過ぎるとしか言えません。それとも、気づいていてこのような作品を作ったのでしょうか? だとしたら二倍悪い。エビとは「私たち」に外ならないのだから、つまりクリエイターたちは女がセクシーな格好をして男を誘えばよいと言いたいのでしょうか? それはあまりにも「男尊女卑」に終始していると言わざるをえません。そこには問題意識が欠如しています。「教授の課題テーマはよかったが、学生たちのレポートがだめだったという感じだ。」私は友人とそう語りあったことを覚えています。
2020年といえば壁にブレインストーミングのように年号と出来事を書いてゆく展示もありました。そこには作家のメモも展示してあり、『荘子』の「胡蝶の夢」の故事が引用してありましたが、「與」を「興」と書き誤っていたことを覚えています。自分のことは棚に上げつつ、非本質的でささいな事をあげつらうようですが、「どうかわからないことで見栄をはらないでほしい」と思われてなりませんでした。
現代芸術の作家たちの一部が「見栄をはろう」としていることは薄々感じられます。人文学、哲学、歴史学、経済学などに議論の蓄積がありとっくに通過してきた知見について、芸術家たちが何周も遅れて的外れなことを言っている光景は、あまりみっともいいものではありません。なぜそのようなことになっているかといえば、芸術家が「作品」だけではなく、その「意味」で評価されるようになっているからでしょうか。
かつて芸術家は貴族の注文にこたえて絵を描いていたそうです。今の作家は自由に作品を作れるはずなのに、ただ社会の要請にこたえて作品を作ろうとして、中身のないステートメントを打ち出しているのは、痛々しくさえあります。
しかし、これは決して「アーティストはよけいなことを考えるな」と言いたいわけではなく、むしろその逆で「もっと学問をしてほしい」ということです。しかもそれは「芸術家」としての意識以前に、「市民」として当たり前にもつべき意識であると思うのです。芸術家は作品だけで力のある面白い作品を作って、そしてそれとは別に最低限、当たり前に市民として的外れでない発言もしてほしいのです。
トリエンナーレと同時開催の展覧会Bank ART Life7「UrbanNesting: 再び都市に棲む」に足を運ぶと、新高島駅地下1階の会場の入口には巨大な土のダンゴがありました。これはかなり面白かったのですが、説明を見ると福島の土で作ったとありました。もちろん福島の原発事故はまだ収束したと言えませんし、提示された問題は深刻です。しかし、その場では私も友人も何となく興が醒めてしまったのです。それはなぜでしょう? 何となく、「作品の面白さにテーマが負けている」と感じました。私も「キラキラ」なアートを好む一員であり、私の中で「無意味」のもつ破壊的な力に「意味」が負けてしまったのかもしれません。あるいはその逆で、テーマの重さのために、作品が軽く見えてしまったのかもしれません。いずれにしても、私は作品のよい受け手になることができませんでした。
しかし問題は受け手だけにあるのではないと思います。「作品」と「意味」のバランスは難しいことであり、作り手の側でもうまく調整しなければならないものです。先程述べた通り、今回の展覧会にはピンボケな作品が少ないと感じました。しかし、今回の出品作のうち、どれくらいが「意味」(言葉による解説)なしに「作品」だけの魅力で勝負できるものだったかは疑問も残ります。
今回の展示にあったBゼミの試みはよかった。「意味のないものを作る」とか「新しい楽器を作る」とか、芸術を意味から解き放つような試みは今でも頼もしく思われます。どうもいまのアートは、意味を付与された瞬間に弱くなってしまうような気がしています。作品と意味との関係性については、まだまだ考える余地がありそうに思います。
私の身近に YOASOBI のアニソンが好きでないという人がいます。「アニソンというのはアニメの解釈であり、アニメへの讃歌であり、しかしアニメ本編とはズレているから面白い。YOASOBI の歌はアニメのストーリーをそのまま歌っている。だから面白くない」と言うのです。何となくわかる気もします。偉そうに勝手なことを言うならば、現代芸術も世界にあるモノをそのまま出すのでなく、世界をアートの形で表現するとどうなるのか、「意味」に傾きすぎず「作品」の力で見せてほしいと思います。
しかし、芸術に「意味」をこめるなというつもりではありません。批判者の中には、芸術家は被災地を創作で消費するのではなく、実際に活動をすることで被災地に貢献すべきだというような意見を言う人があったような気がします。もちろんそのような活動はしないよりもしたほうがよいのですが、それはあくまで「市民」としてのはたらきであって、「芸術家」としてのはたらきではないでしょう。芸術家には芸術家にできることがあり、それは創作であるということを否定するつもりはありません。しかし、だからこそ「作品」と「意味」にはもっとよい関係があるのではないかと思います。その答えが何かということは、残念ながら即座に提示できないので、偉そうに勝手なことを言うだけになってしまうのですが……。
批判めいたことのついでに言えば、今回のトリエンナーレを批判する意見の中には、電気を使ったインスタレーションと環境問題を訴える作品を同じ空間に並べることの違和感を語る人がいたように記憶しています。その違和感も理解できますが、それとは別に、芸術と資本の関係という問題も感じました。入り口の協賛企業の一覧を見たとき、たいへん違和感がありました。資本主義への警鐘をならす作品(全てではないにしろ)が、大資本の資金で展示できるとは! 大企業はそのようなお金を出すほうがよいと思いますけれど、その一方で企業がそれを「みかじめ料」として批判されなくなるべきではもちろんないでしょう。作品が意味をもつときには、その作品のおかれる「場」までもが、自らの意味を暴露するようになるのかもしれない。初っ端からそんなことを考えさせられるなかなか面白い「展示」でした。
咎め立てばかりしてしまったようですが、最後によかったところをいくつか述べたいと思います。友人は、今回のキュレーターの解説文(紹介文)がよかったと言っていました。友人によると今や「この作品はこう見るべきだ、ここが素晴らしいのだと天から決めつけて、自分に酔ったような解説」を見ることも多いなかで、今回の解説文は「キュレーター自身が作品をどう見るか、真摯に考えて書かれていたので好感が持てる」というのです。また、「キュレーションにも工夫が多かったような気がする。例えば商業主義のマルボロの広告の下にインドの貧しい生活を描いた版画を配置するなど、『対比』を意識したものがいくつかあったように感じた」とも言っていました。キュレーターの仕掛けた「作品」と「意味」の関係性のバランスは果たして十分達成されたかどうか、それはよくわかりませんが、キュレーターが真剣に構成しており、私たちに問いかけるものがあったのは確かだと思います。
要するに、初めに述べた通り「批判者の言うことにもわかる点はある。でもキュレーターはそれなりによくやっていたと思うし、今回が最悪だとか、他の回に比べてどんどん悪くなっているとか、そんな気はしない」ということです。言いたいことはこれに尽きます。
魅力のある作品も少なくありませんでした。友人は勅使河原蒼風のファンになり、富山妙子の画集を買いました。私は土肥美穂の buttaiが気に入りました。同時開催のBankART Life7では、みなとみらい駅の腕木信号のオブジェや、Bank ART Stationにあった送風機で立ち上がる足などの機械仕掛けの作品が好きでした。
つらつらと思いつくまま書くうちに、思いがけなく長文になってしまいました。次回のトリエンナーレにも期待しつつ、このあたりで終わりにします。
10分前に夢の中で、ゴゴモンズ!と言ってしまったが、なんか事故の夢だった。 遺跡を探求しそこの熊谷医師が住居があるだろうといいながら、そこにはないだろうというような。
久しぶりにましな夢を見た。 おとといは、佳代子のシェアハウスから都心部のシェアハウスに移動すると、ベッドの下に、菊池正太郎がいて、ナイフで切られる夢とかが陸続していたので。
それより相当前の夢はもうほとんど覚えていない。起きたら消えるし、どうやって見せているかも分からないしな。
一番多い夢は、もう40代だぞという趣旨のものが最後に入っているとか、超絶なバカな女の子がこっちをみているとか、最盛期の激臭の美女とかそんな人はもう存在しない
あり得ない事故だと思うけど過去にそういう事故があったんですかね?
6歳未満までくらいはずっとどちらかが子を視界に入れてるから勝手に風呂に入るような事故は想定できない
夜寝てる時くらいは目を離すけど子が起きたら気づくでしょ
親が気づかないまま子が起きて一目散に風呂場へ行って溺れるとか予想外過ぎるよ
子供に恨まれる覚悟で離婚するなり、夫婦を続けるなら辛くても現状を少しでもマシにする努力をするなり、「なにもしたくない」「なにもマイナスを負いたくない」以外の行動をとれって感じかな。
あぁ、そういうことね。
確かに事故ってしまえって表現は「何もしたくない何もマイナス追いたくない」ってクソなとこだわな。
もちろん綺麗なままで終われるものなんてないのは分かってるよ。
でも恨まれる覚悟とか、養育費アレコレの義務責任ってのはなんとでもするつもりだけど、現状をマシかあ、、まったく想像つかないなぁ。。