はてなキーワード: ゼロベースとは
色々と多すぎるんですが、分かる範囲で。
尚、ソースは全て市のホームページから。(市HP及び市議会記録)
例えば http://www.city.komaki.aichi.jp/shogaigakushu/library/010859.html
あとは http://komaki.gijiroku.com/voices/g08v_search.asp
氏と同業、同種の仕事(といっても、箸にも棒にもかからない業界底辺の腐れディレクター)の
なので自分は、同業の人間から見た、意識的な所と言うか、そういう所でちょっと意見を書きたいと。
まず最初に言っておくと、
→2−1)意図的に盗用
→2−2)認識を持たずに盗用
という感じで、問題になってる事を分類出来るのかと思うんだけど。。。オリンピックのロゴは、1)かなって思っています。
もっとも、最近になって出て来た初期デザインがあまりにもアレで、ちょっとゆらいできましたが(笑)
で最近出て来た、ロゴの使用イメージに描かれていた街の様子の画像のパクリ。あれは3)かな・・・
あれは、この業界、あの手の提案する際にイメージを作る為に企画書内では日常茶飯事的にやっている。
正直世に出るものではなくクローズドなダミーイメージとしてつくったのだからあれは見逃してやって欲しい(汗
で、氏の場合は過去にデザインしたものを見ると、2−2の意識の無い盗用、というのがちょっと多い気がする。
あまりにも安易に、モチーフとなったデザインを流用し過ぎてるかなと。
もちろんデザインする時にはゼロベースのものっていうのは存在しないと思う。
多かれ少なかれベースとなるものや体験があってのデザインなので。
「ああ、格好いいデザインだ、自分もこんなテイストのもの作りたいな!」
ってのは自分も日常茶飯事的に持ってる訳で。問題はそのやり方と言うか程度と言うか。
氏について言えば、(氏なのか氏のスタッフなのか)
「おまえそれでクリエイティブ名のって恥ずかしくないの?」みたいな。
実はこの手の問題は、業界最大手あたりでは10年ぐらい前から深刻な問題になっていて
社内的に勉強会や、外注先のデザイン事務所を呼んでの勉強会とか、
コンプライアンスに関わる所なのでかなりナーバスになってます。
氏の場合、業界自体が好き勝手にやってた最も意識が低かった時にバリバリやって、
問題視される頃に会社を辞めて「花形クリエーター」として独立してるもんだから、余計にその意識が低いんでしょうか。
そんな人の下に、ネットで検索して出てくるものはタダ、みたな考えが蔓延してる
今時の若手の「デザイナー」(あえてかぎかっこしてますよ)が付いてれば、そりゃ安易にみんな流用するよねって。
なんとなく流しちゃう様なところが社内的に出来ちゃうんでしょうね。
なんというか、一時期の広告代理店の有名クリエーターの皆さん。
個人的には佐藤雅彦さんや大貫卓也さんとか、ああいう人達が輝いてた頃と違って
今時の代理店出身のクリエイティブの皆さん、自身のセルフブランディングばかりに長けていて、
名前でデザンしてるという感じが結構ありますよね。本当にそれクリエイティブなの?って思う人が多いですよね。
本来はもっと職人の世界であるべきものなのに、そのプロセス含めてセルフブランディングの材料にして。
某コンビニのコーヒーメーカーとか。何の為のデザインかっていう本文を忘れたいい見本でしょう。
失礼ながら最近はその「胡散臭さ」を感じてる人がやはり多くいて、それが今回の一件で一気に批判や叩きに
加速をかけてるのかなぁと、そう思うところも少しあります。
私的には、作品的や実績的には比べるべくもない「クソ」な底辺クリエイティブですが、残念なのは、氏と氏のスタッフの
ちょっと見え隠れする意識の低さと言うか、そういうとろが非常に気になったりもする訳です。
ただ、氏の作品や、出来上がったもの、それに対する批判は色々あるでしょうし、それは個人の感じ方ではありますが。
ちょっと全否定な所まで加速してるのがちょっと怖いなぁと言う気がします。
一つだけちょっと擁護しますと、あの事務所。私ら世代の人間にとっては、原稿用紙やヤレ紙が
文学って何なんだろうって。
ふと思ったんですよ。
そして、頭の中はすぐに、
今、そこで立ち止まってここに書いています。
何か疑問が浮かんだ時、
誰かに聞くよりはもとより、
パワフルです。
しかし、
問いに対する、なぜを解決する力はつきません。
世の中で濾された何某かの成果物を自身の思考の要素として得ることができたとしても、
得られることは知識と時間の短縮です。
たとい、知識に触れた後、
そこには何か垢に触れた後の思考が待っているだけで、
何よりずるいです。
大きな違いはないではないか、と。
何か疑問に思ったものについて、
答えの無い中(あるいは答えが無いと感じている中)での思考は、
明らかにその本質が異なると思うのです。
ググるが習慣化されて日々生きることと、
ここにはきっと大きな差があるし、
それはすなわち社会性にまで繋がると。
文学とは何でしょうか。
いい機会だから、
ちょっとググらずに考えてみたい。
新しい案ではなく、ゼロベースの見直しだったけど、毎日新聞と切込隊長が事後的に私と同じように安保法案との関連を言っているので、まあ当たったということにしよう。
安倍晋三首相が17日、総工費膨張で世論の猛反発を浴びた新国立競技場建設計画の「ゼロベースでの見直し」に踏み切った。秘密保持を徹底し、入念に選んだ「決断」のタイミングは、世論調査で内閣支持率を押し下げている安全保障関連法案の衆院通過翌日。不支持が支持を上回り、採決強行でさらなる支持率低下も見込まれる中、反転を狙い局面打開を図ったようだ。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150718ddm003050023000c.html
安倍政権がついに新国立競技場の計画見直しを発表しました。安保法案の問題とバーターにしているあたり、時期を待っていた節はあります
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150717-00047605/
人から学ぶといえば聞こえは良いが、あまり意味が無いと感じることがある。
同じ業界でそれなりに長く働いていれば、仕事にも慣れてきてまあ無難にこなせるようになる。
あまり明示的に言われるわけではないが、人と組んで仕事をする場合にはタスクを遂行するだけではなく、チームになった人にノウハウを渡すことを期待されていると感じることがある。
それ自体嫌なわけではないが、おれは教育に関する何らかのメソッドを体系立てて学んだわけではないので、具体的な手法ややり口を渡すことは出来ても、本当に重要な"何か"を渡せていないと感じる。
だが、上やチームの人たちは具体的な手法ややり口が伝われば、それでよいと考えて満足しているようだ。
おれの感覚としては本当に重要な要素を渡せていないという気持ち悪さが付きまとう。
具体的な手法ややり口というのは、基本的におれに最適化されており、他人にはそのまま適用は出来ない。
他人がそれらを再利用しようとした場合、その人が「この抽象度なら自分の状況にあてはめて再利用できる」と思うところまで抽象化していく必要がある。ところが、その過程で多くの人が誤った抽象化/再利用を行っているように見える。「そこまで抽象化したらゼロベースと変わんないよね」とか「そこは抽象度を上げないと適切に当てはまらないのにムリクリあてはめてる」といった状況が目について、非常に気持ちが悪い。
そもそも抽象化できない程に荒い粒度でしか物事をとらえられていない人もいるが、それは論外として。
じゃあ、適切な抽象度で伝えれば良いじゃなーい。って話だが、残念なことにおれにそんな能力は無い。
その人が今後遭遇するであろう状況を予想して最も適切な抽象度で伝える。コアな要素は何かを伝える。それをどのように当てはめるか、どのように再利用するかを、その人が受け入れやすい例を挙げて伝える。
そんなことが出来るならおれは本を書いて一発当ててると思う。
自身の市長報酬4割カット 退職金は8割カット(市議会は維新が提出した議員歳費3割カットの条例案を自民・公明・民主・共産の反対で否決)
人件費を15%、年間360億円削減
事業をゼロベースで見直す‘市政改革プラン’により歳出を380億円削減(当初プラン見込み額のうち96%達成)
天下りポストだった外郭団体を府と統合・民営化を含め70団体から7団体へ最大9割削減予定(7割削減済み)
2013年改選だったポストで公募の無い天下りを29団体37人から10団体11人へ7割削減
前市長が領収書の不要な交付金へと不透明化し、4億円以上ばら撒いていた地域振興活動への補助金を透明化し、全て100%だった補助率を上限75%に引き下げ。
記者会見を記者クラブだけでなく、ネットメディアやフリージャーナリストにも開放
子育て・教育関連予算を前市長時代の67億円から336億円へ大幅アップ
塾代バウチャー制で組織への補助金から個人の選択権を重視した教育支援へ 市長「現金はパチンコに使っちゃう人がいるからICカードでw」
市バス事業が31年ぶりに黒字に
重点的医療扶助(生活保護者医療適正化)、不正受給取締り、就労支援で生活保護費が22年ぶりに減少(政令市で唯一)
朝鮮総連の関連施設について前市長が実施していた税の優遇措置を廃止
重度心身障害児の情報を一元管理する全国初の医療コーディネート事業 (重症心身障害者らが通う施設を視察した際、家族からの「医療機関への受け入れが円滑になるよう支援してほしい」との要望を受けて)
倍以上の差があった市立と私立幼稚園の保育料を同額にして、助成はあくまで所得に応じて行う
保育所入所枠3340人増(前市長の1.5倍ペース)、一方で自民党木下市議は市政に介入して保育所定員を減らすように指示。
訪問型病児保育モデル事業(7800円/日、一人親世帯2400円、生活保護世帯・市民税非課税世帯600円)
結婚の経歴が無くても一人親世帯には寡婦控除と同じ保育料控除を適用
校務支援・学校教育ICT活用事業開始 現在はモデル校に、15年度から全生徒にタブレット端末配布(モデル校では教員1人あたり年間130時間以上の効率化効果が見られた)
学校選択制導入
教育振興基本計画により、程度に応じていじめ加害者への対応を更生施設活用も含めて明確化
市営地下鉄売店の運営を天下り団体からファミリーマートとポプラに
市営地下鉄の薄暗いだけだった通路が駅ナカ商業施設「ekimo(エキモ)」に
芸術文化分野での補助金配分の審査を行う「大阪アーツカウンシル」設置
ふるさと納税制度を利用して、市に納税する代わりに文楽など文化への寄付が可能に (単に補助金を待つだけの文化団体ではなくなる)
体罰が横行していた桜宮高校に先進的なスポーツ教育を取り入れた改革プランを実行、さらに総合型スポーツクラブ設立を中心としたS-プロジェクトを推進
特別予算を組み、街頭犯罪多発地域における重点パトロールを実施
通行人にとって大迷惑だった繁華街キタ・ミナミでの客引き行為を禁止
建て替える予定だった市立住吉市民病院を民間に売却し、府立急性期・総合医療センターに統合
御堂筋の高さ規制を緩和で次々と新ビルが誕生(それに伴い企業が地下街の整備も)
鶴浜に関西発出店の東京インテリア家具を誘致(年間賃料1.5億円)
住民が行政に頼らず自らの負担で自ら街づくりを行える日本初のBID制度
大阪市情報化基本指針により、市営地下鉄に公衆無線LAN・WiMAXを設置
市営地下鉄の運賃を史上初めて値下げ
大阪北小学校・曾根崎幼稚園跡地、売却予定額68億円を145億円で売却し周辺地域活性化も目的にした52階建ての物販・飲食、文化交流施設、900世帯タワーマンションなどの複合施設へ
5カ国との競合を勝ち抜き「第3回インターナショナルジャズデイ」を誘致、開催は大阪城西の丸庭園
税金で管理運営していた大阪城公園を委託料ゼロで民間委託し、逆に年間2億円以上の納付金と収益の一部を受け取る。
税金で管理運営していた天王寺公園エントランスエリアを委託料ゼロで民間委託し、逆に使用料を受け取る。
ほとんど使用されずに7000万円の税金で維持管理していた元大阪市公館の維持管理費用を2000万円に縮小、さらに民間への貸与で由緒ある美しい建物でレストラン・ウェディング・パーティ・庭園の常時公開などに活用された上、1億円以上の賃料収入に。
ごみの収集を効率化し、森之宮・大正の2焼却場の建替え計画を停止。
企業と求職者のマッチングサイト「ジョブアタック チャレンジ!」
市有地を無償レンタルするイベント特別優遇エリア『イベント得区(とっく)』
なんでも道徳が科目として扱われ、成績として評価されるようになるらしい。
TBSニュース23「変わりゆく日本」というコーナーで、試験的に行われた道徳授業の様子が放映された。
以下のシチュエーションについて生徒たちの意見を募り、先生と議論する。
「図工の時間。男の子が、となりの女の子に「赤い絵の具を忘れたから貸して」と言っている」
「女の子は(貸してって頼まれるの、今日で3回目だ……)と思っている」
「あなたが女の子の立場なら絵の具を貸しますか、貸しませんか」
むしろ相手のことを思いやることができるか、より多面的な見方ができるかどうかで判断する。
たとえば「もう2回も貸しているのに、今回貸したらきっと次も忘れちゃう。それはあなたのためにならないから、貸さない」というのは、相手のことを考えているので三段階評価のAが与えられる。
これを見て私は「何かちがうな」と感じた。
まず「あなたのためにならないから」というのは(もちろん回答例にすぎないのだが)、どうにも押し付けがましい。まるでおかんの言い草ではないか。友達どうしでそんな断り方、どんな年代でも普通はしない。
また、絵の具はもちろん一人一人の所有物なのだから、気分任せで「3回目だからもうイヤ」と断って、何が悪いのだろう。これでC評価じゃ、世の中のたいていの大人は道徳的に落第ってことになる。
この違和感の正体をつかむために思考実験を試みた。「もしも私に娘がいたとして、高校生になったとき、どんな対応ができるようになってもらいたいか?」
これをゼロベースで、すなわち「道徳」からは一旦切り離して、考えてみる。正直に。
1.ひと呼吸置く
とにもかくにも、何でもOKする人間にはなってほしくない。頼まれれば、人はついイエスと言いたくなる。でも衝動に流されてほしくはない。なぜなら(もう三回目なのに)という気持ちがたしかにあることを無視してほしくはないからだ。この気持ちは本音として是非とも伝える必要がある。そのためには「いいよ」と簡単に言ってしまわないこと。
2.相手の話を聴く
こちらとしては(3回目なのに)という気持ちを伝えてほしいのだが、その下準備として、相手の話を聴く必要がある。理由は、対話の技術として、としか言いようがない。「言いたいことがあるときは、まず聴く。そのほうがうまく行くことが多い」ということは多くの人が経験的に知っていることだと思います。
ただしこのとき、「貸して」と言われて「どうして?」と答えてほしくはない。なぜなら「どうして貸さなきゃならないの?」という文は反語として解釈されかねない。つまり「貸す理由なんてないでしょう」という意味に。私としては娘に男の子との対話をうながしてもらいたい。「どうして?」という言い方だと、むしろ対話を拒絶するニュアンスに近づいてしまう。
だから、やはり対話の技術として、相手の言うことをオウム返しにするのがいい。この場合、「貸して」に対して「忘れちゃったの?」と言っておくのがスマートだと思う。こうすれば、発言自体に新しい意味はないけれど、「私はこの件についてあなたと対話する準備ができていますよ」という態度を伝えることができる。
それにもしかすると、こちらが想像していなかった理由が潜んでいるのかもしれない。たとえば「きのう買いに行ったんだけど文房具屋が臨時休業だった」とか。聞かないことには、そういう事情も分からない。
3.自分の気持ちを伝える
「忘れちゃったの?」に対して「いやー買おうと思ってたんだけどさ」とか返事があったとしよう。
この二言三言を挟むだけで「えー、もう三回目でしょ」と言いやすくなる。「三回目だから貸したくないよ」とずばり言い切らないまでも、その気持ちは伝えられる。
4.成り行きに任せる
相手の話をうながし、自分の主張を伝えたなら、貸すか貸さないかはそれこそどっちでもいい。気分任せで構わない。まぁこの場合、頼まれれば貸してあげていいと思う。たかが絵の具なんだから。
「いやー悪い。頼むよ。次は絶対用意するから」「しようがないなあ。今回だけだよ」みたいな会話は自然だと思う。お互いに不満も残らない。
以上の手続きは、私にもし娘がいたらこうできるようになってもらいたいし、また私自身がかくありたいと望む姿でもある。
なぜ高校生の娘を想定したかというと、私は教員のみなさんのようなスペシャリストではないからだ。一介の素人にすぎない。だから小学生が何を考えているのか、小学生に何ができるのか分からない。でも高校生なら想像しやすい。
そこで次にこう考えてみよう。「ひと呼吸置く」「相手の話を聴く」「自分の気持ちを伝える」「成り行きに任せる」この四段階のすべてを小学生に教えるのは難しい。ならば、最低でもどれができれば、道徳の入り口として満足できるだろうか?
まず「ひと呼吸置く」のは小学生には難しいと思う。衝動的な反応を自制するのは、ある程度大きくなってからでないとできない。
「相手の話を聴く」。これはぜひできるようになってほしい。「誰かに何かを頼まれたら、『○○して欲しいの?』といちど聞き返してごらん」と一般化して教えるのは難しくない。
「自分の気持ちを伝える」「成り行きに任せる」はできてもできなくてもいい。前提条件として「相手の話を聴く」のが先だ。
というわけで「あなたが女の子の立場だったら絵の具を貸しますか、貸しませんか」というディスカッションテーマに対する私の回答は次のようになる。
「『絵の具を貸してほしいの?』と聞き返して、反応を待つ」
さて、この回答。みなさんはどう思うだろうか。教員はどう評価するか? 「自分勝手ではないけど、消極的すぎるな」という判断でB評価。こんなところか。
あるいは「貸すか貸さないかで尋ねてるんだから、どっちかで答えろや」と杓子定規に考える人もいるかもしれない。(道徳の授業なのに……)
また、みなさんはこう思われるかもしれない。「いまお前が並べたのは《コミュニケーション術》ではないか。議題に挙がっているのは《道徳》である。問題がすり替わっている」と。
たしかにそうだ。しかし果たして本当に道徳を教えることができるのか。どうだろう。大きすぎて扱いかねる論題だ。それに対して、コミュニケーション術なら教えることができる。少なくとも《技術》として。
思いやりは理屈で教えられるようなものではないと思う。相手がどう考えるか、自分ならどう感じるか、想像したり体験したりするなかで学ぶものじゃないか。対話をうながす姿勢をまず技術として身につけることは、その経験を豊かにする入り口となる。
だから私は、もし自分の娘が私と同じ回答をしたら、A評価を与えてあげたい。なぜなら、このようなオープンな姿勢こそ、思いやりを本当の意味で育むための第一歩であると考えるから。
仮に《道徳科目を考えるシンポジウム》みたいな場があったとして、もしもくじ引きで一般人代表として選ばれたなら、私はこう意見を申し上げる。
「先生方は道徳という言葉に引きずられて、やや教条主義的になってしまっているのではないでしょうか。つまり『道徳とはかくあるべきものだ』という定義から始めようとしておられる。だけどそのことが不自然な会話・違和感のある評価基準に結びついているように見えます」
「道徳を直接に教えるのではなく、間口を広くとって考えてみてはどうでしょう。『いま道徳を実らせなくてもいい。将来の芽を植えられればよい』といったように。そうすれば自然な対話・評価可能な《技術》に焦点を当てられまず。一例として、私が述べたような会話モデルが考えられます」
高浜寛の「蝶のみちゆき」がkindle化されていたので読んだ。
素晴らしい作品だと思ったので、感じたことを書いておきたい。
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こんなにダイレクトに"悲しい"という感情をもったのは久しぶりだ。
最近のマンガは良くできていて、いろいろな形で読者の心にリーチできる作家がとても多いと感じている。素晴らしい。
でも、"悲しい"という感情は久しぶりに味わった気がする。
物語の中に選択的な場面や、想像可能な分岐的な要素が無く、やたら自然で固定的に話が流れていくように見える。
運命とかいう話とも違う。物語における運命は外部からの予想外のバイアスであることが多いと思う。この作品にもそうした要素がなくはないが、サプライズ的に扱われてはいない。不幸な出来事や過酷な環境も、読者が自然に受け入れられるよう細心の注意と一体感で描かれている。作家の表現手法の"美しさ"と、丸山という場所が持つ一面の"美しさ"がそれを大いに助けていると思う。
そして、あらゆる要素が物語の中にかっちり収まっていることに驚く。舞台装置も登場人物も無駄なく重要な役割を担っている。
これが完成されているということなのかと改めて認識させられた。
多くの場合、完成された物語は長い年月をかけて多くの制作者達の努力によって積み上げられたものであり、悪く言えばありきたりだったりするものだが、「蝶のみちゆき」はそうした退屈さは見当たらない。完成された物語は見せ方で面白い作品にできる?。いや、この作品は逆ではないか?。完成された物語を見せ方で面白くしているのではなく、各種の要素をゼロベースで組み上げたら完成された物語になったのではないのか?。と思わせる力強さすら感じる(いまどきゼロベースで作品ができるなんてことはありえないので、先行する多くの作品から要素を得ているんだろうけど、比喩として)。マンガ、小説、映画などに類似の作品があるハズなのだが、それらを霞ませている。
主人公である几帳(人の名前)は多方向に要素の線を伸ばしており、その線の先にいる(ある)要素同士が有機的に絡み合う。と書くと珍しくもない構図なのだが、その関係性が高密度かつ自然に描かれている。そして何より几帳は多くの要素を持ちつつもフリーダムな人にならずに統一されたキャラクターを強く保っている。そうした丁寧な描き方から感じるダイナミクスは、線と点のそれではなく面のダイナミクスだ。
読者は、無駄なく高密度に流れていく物語に自然に飲み込まれ(怒涛の!とかじゃなくてあくまで自然に)、気が付くと悲しい終着点に立ち会っている。何の議論も寄せ付けない、ゆるぎなく悲しい終着点だ。
最初に書いたように、最近のマンガは表現が高度になってきており、多くの作家が読者の心にリーチする手法を確立していると思う。
にもかかわらず「蝶のみちゆき」がユニークなのは、ダイレクトな悲しさで読者にリーチしているところではないかと思う。
ストレートな悲しさの表現型は昔の小説や漫画、映画にはよくあったかもしれない。ただ、最近はあまり取り上げられない表現型ではないかと思う。高浜寛はそれを現代的な感覚と、高浜寛自身の持つ細やかさと高度な表現手法によって類のない完成度でリメイクしたといえると思う。
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面白い作品なので紹介したいと思ったのですが、訳の分からないことを吐き出しただけでした。
とりあえず、高浜寛を読んでる人はこれもすぐ読んでー。知らない人は上の感想などは気にせず、検索するなどして興味あればどうぞ。
その1。
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以前お伝えした通り、写真については、当てはめるデザインに応じた光源(左上から)での撮影をお願いします。
とりあえず切り抜いて当ててみましたが、光源も色味も違うため、全く馴染んでいません。
そして残り2つのデザインですが、送っていただいたデザイン見本はもっと高解像度のものはないのでしょうか。
こちらでも探してみましたが、そもそもフリー素材ではないようです。
「同じようなものを」ということであれば、結局ゼロベースで作り直すことになるので、以前言っていた料金ではとても不可能になってしまいます。
指定されたデザインを印刷するだけの仕事と、ゼロから作ることは全く別次元の手間がかかります。
そもそも頼まれていたのは1種類、指定されたデザインの中に顔をはめ込むだけということだったはずです。
私の提示した金額はそれに掛かる時間と労力を計算した上でのものです。
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その2。
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私が提案して納入した画面サイズ10.1インチのWindowsタブレットが高齢者には使いづらかったであろうことは認めます。
デスクトップPC・ノートPC・Windowsタブレット・Androidタブレット。
どれを購入した場合にどんなメリットとデメリットがあるのかを示した比較表を私側で作成して、
じっくり考えていただいたわけですが、最終的に私に判断を任せられた以上は確かにある程度の責任はあるでしょう。
だからこそ無償サポート限度の3回ギリギリまで徹底的に使い方をレクチャーしたり、予定になかったBluetoothマウスをサービスしたり、
外付けの中古モニタを用意して繋がるようにしたり、それでも難しいと思ったからこそ中古の15インチノートPCまで今回持って行って、1からセッティングしたわけです。
技術と時間をお金に変える仕事をしている私としては、この段階ですでに赤字と言っても言い過ぎではありません。
それでも、責任を感じたから、別の引き取り手を探した上で、その人の購入金額をそのまま渡すという提案をしたわけです。
今回の訪問で無償サポートの限度回数を超えたために、私は散々悩んだ末に、サポート代を請求しました。
今教えたことは年賀状ソフトの使い方の問題であり、ソフトそのものは以前使っていたものとバージョン含め何も変わっていないわけで、
操作の変化はありません。はっきり言えば「あなたが1年の間に忘れてしまっていた」というだけのことです。
あの時「もう少し値段を下げられませんか」と言われて、私は怒るというより、絶望しました。
言いづらいからこそ、あの時私は(手間から考えたら大赤字なのに)サポート代を半額で請求したわけです。
ここまで胃がキリキリ痛むまで頑張って、私がやれることをすべてやって、これですか。
境遇を言うのもなんですが、あなたは都会の企業の重役を引退して田舎で悠々自適に暮らしている立場なのではないのですか。
私みたいな年収250万のワーキングプアよりよっぽど余裕はあるでしょう。
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最近、いくらのんきな自分でも、いい加減「いいように使われている」ことに嫌気がさしてます。
報われない仕事ほど悲しいものはない。こうして私は貧乏になっていく。
それでも、貧乏な事自体はいいんです。お金が重要なんじゃない。
せめて仕事への誇りは持たせて欲しい。
皆それなりに自分のルックスに自信を持ってる。そしてそのルックスである程度人とのコミュニケーションがなんとかなると思い込んでるからちょっとした気遣いに関して手を抜いてしまう。
いわゆる開き直った経験が無い。痛い目を見ても鏡を見て自分のルックスに逃げ込むナルシストタイプになれば現実逃避が出来る。これは男女関係無い。
アメトークの好感度低い芸人を見てるとみんなそのタイプ。そこそこ自分のルックスにある程度自信を持っていて、嫌われても開き直ってゼロベースで考えることができないのでいつまでもどこかでプライドを維持し変わることができない。
客観的に見ていわゆるブサイクであろうがボディバランスや髪型、ファッション、特技を駆使して自分なりにナルシズムを感じようとするので簡単には価値観が覆らない。
開き直ったブサイク、または下積みでクソミソにされた経験の上で前に進もうとする人間は必ず開き直ってゼロベースで思考するクセがつくので性格は謙虚で飾らない。故に人に好かれる。
今30代中盤で社内SEとして事業会社に勤務しており、転職は考えてませんが、
Web系の企業でネイティブアプリの開発をやるか、元請けSIerで業務系SEをやるか、迷ってみました。
迷っている理由はこうです。
・Web系
プロダクトマネージャーとして面白いB2Cサービスを開発できるという点は魅力的です。
自分の才覚次第で大金を手にすることが可能な点も魅かれるものがあります。
ただし、40代、50代になって体力や成長速度が落ちたときに、エンジニアを続けられるか、という不安が拭えません。
一生、最新技術の学習とアウトプットを続けていく覚悟が必要ですが、正直言って
10年後も続けられる自信はありません。
市場の変化が激しく、数年後に会社の業績が悪化し、職を失うリスクもあります。
自社の深い業務知識を身につけて、社内コンサルを目指すことになります。
ゼロベースでシステムの構想を練ることが出来るのは最高にエキサイティングで、
社内SEにしか出来ない特権ですが、社内の調整仕事は面倒ですし、
・業務系SE
20代の頃はSIerで働いていたので、モノつくりへのこだわりや誇りがあり、
ベンダーが質の低いコードでシステムを作ると、自分で作り直したくなります。
また、30代になってくると、元請けSIerの給料の良さを感じます。
ただし、今あるフルスクラッチorアドオン必須のSIerの世界は確実に崩壊し、
クラウドの向こう側にある半製品を業務にどうフィットさせるか、という
正直、モノつくり出来ないなら社内SEやってた方が楽しいだろうなと思います。
負の影響があるか正の影響があるか」で考えようぜ。
俺は正の影響があると思うんだわ。
十分に市場が開拓された上で、その市場の占有者が消滅したらそりゃウマいだろうよ、ってだけのお話。
んで、アマゾンをゼロベースから作り出す腕力は日本企業にはなかったけど、空いたニッチを埋める程度のパワーはあるよ、と。
更に、もし仮にアマゾンに劣るデキの企業しかなくて市場が縮小したとしても、より乗数のかかる小売に需要は回帰するからより問題ねーよ、と。
それだけ。あんたみたいな、クソを投げるようなのもういいや。
729 :ソーゾー君:2013/12/07(土) 01:05:08 ID:ayx8jkQ6
民主党「浜岡原発は停止となりましたが他の原発も老朽化が酷いので安全性の再検査の為全基停止と
原発エネルギー推進政策(国策)の白紙にして原発ゼロベースの経済政策を推進します!」
自民党「浜岡原発停止を認めたら辞めて総選挙と約束したじゃない!嘘吐き!」
民主党「浜岡原発だけで良いと思ってたんですけど・・調べたら他の原発も老朽化が酷く管理もズサン
なので原発エネルギー推進政策は白紙=全基停止が必要と判断しました!」
自民党「エネルギー政策白紙と全基停止は無理だって・・それ認めたら欧州の銀行家が怒るだろ・・」
民主党「大丈夫ですよw消費税増税法案には賛成しますw消費税増税法案を可決させたら
欧州の銀行家も許してくれますよw認めないなら消費税増税法案も白紙にしますよ?」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
597 :ソーゾー君:2013/11/24(日) 15:08:00 ID:z/5g9iJg
http://blog.goo.ne.jp/oribeizum/e/948612eb80d04b3d298ac60023e00b03
↑小泉がサバタイで単なる政治パフォーマンスなのはアホでも分かってるんだよ。
このアホのblogに散々質問したが一切答えず書き込み禁止にしやがった。
工作員の特徴は支持理由も批判理由も明確な理由がない。
「管の原発全基停止は単なるパフォーマンスだ!」と根拠のない批判をする。
管は実際に停めたんだぞ?そして総理大臣を辞めさせられた。
そして野田は民主党の政策である原発ゼロベースでの経済政策を閣僚にやらせてたんだぞ?
民主党がやれば全てパフォーマンスと批判して山本のようななにも出来ないなにも力もないアホを称賛する。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
自分は今まで何回逃げてきたんだろう。
逃げてばっかりの人生だったような気がする。
やることがすべて中途半端な感じがして、
結局「また人生のある一定期間を無駄にしてしまった」と嘆いて終わるんだ。
今までやってきたテーマが難しそうに感じて、思い切った方向転換をしようとしているのだ。
「思い切った方向転換」や「ゼロベース」とか称して、また逃げようとしている。
「そっちにはもっときれいな世界があるだろう」そんな甘い期待を持って。
まさにそんなことを先生に指摘されて、「さてこれからどうしよう」と途方にくれる午後。
眠い。寝たい。帰りたい。そんな気持ちが渦巻いている。
でも、僕は知っている。寝ても頭は思ったよりスッキリしないし、新しいアイデアが浮かぶことなんて無い。
なんの解決策にもならない。
っていうか寝るのも「逃げ」なんじゃないか。
なんか頑張ってるけど成果につながらない奴。
僕は結局そんな評価を周りから受けているのだろう。
なんか頑張ってきたのかな俺。
よくわからないので、この一年間取り組んできたことを紙に思いつく限り書き出してみた。
思ったよりたくさんある。こんなこともやってたな、そういえばあの時はこんなことをして過ごしていたな。
そんなことを思いながら、書き出していた。眠い。ひどい姿勢だ。
気づくと、僕はこんなことを書いていた。
「逃げる」というのは、これらのような、今までやってきたことを全く踏まえずに、何か新しいことをやり始めようとすることなのかもしれない。
今までやってきたことを無にすることを恐れているのなら、「なんとしても結びつけよう」としなさい。
→こういうことを anonymous diary に書いていってはどうか。
Unknown (ソーゾー君) 2013-10-02 11:19:03
http://blog.goo.ne.jp/banbiblog/e/24fae3cd0f8482c11043090d5a95fc01
「従わないと下ろされるんだぞ?」
状況理解してるの?原発の停止をやった管が何故叩かれたか理解したか?
中央の政治家ってのはな福島だけ見て政策してる訳じゃねーんだぞ?
究極の選択と言うのが有るんだぜ?管がブチキレて東電の幹部達を怒鳴り付けたよな?
そりゃ怒鳴り付けたくもなるぜ?保安員も経済産業省も東電も無責任な嘘ばっか吐き散らかさすんだからな・・
マスコミは菅の行動を批判しまくってたよな?そして菅は原発停止を決断した為に下ろされた。
そして後任の野田も原発再稼働に反対して原発ゼロベースでの政策早期立案を閣僚に命令した為に不正選挙で民主党ごと下ろされた。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1378650618/l50
描いた漫画。
http://bincube.co/casea/sigen_fb/index.html
1993年(小6)の頃から漫画を描こうとしはじめて、1997年ごろまで頑張ったけど、画力以前に、リリースや配信の問題で断念した。
原本をコピーするお金はなかったし、ノートに書いても自由に配付できない。
ペン入れするほど余力もなかった。
そんな自分だけど、WEBの仕事でイラストレーターやフォトショップを学び、プログラマ経験で進捗管理や困難な手順を作業手順を確立し容易にすることを学び、DTPの仕事で縦書き文字のテクニックを知った。
そこで、昨年秋、コミックスタジオ買ったらCLIP STUDIO PAINTが開発中でこれに移行するというのを知り、いける!と思った。
まだ漫画のデジタル技術は過渡期でこれからも進化する余地があるからこそ、ソフトが一新するんだと思ったから。
そこでペンタブレットを中古で4千円でかい、プリントスキャナを中古で6千円で買い、17,5インチの大型ディスプレイの64ビット8GBの持ち歩けないノート(6万)を揃え、環境を整備した。
だから、登場人物を一人にしてしまい、1人称にし、四コマのように起承転結も考えなくていい、だらだら話が続くWEB漫画形式にした。
公開先はとにかくレスポンスが欲しかったから、カップラーメン上げても3いいね!がつくFacebookにした。
Facebookの写真アルバム機能で1話というアルバム作ってガーッとアップした。
Facebookの友人たちは何をはじめたんだ?と驚いてくれたのがモチベーションアップになった。
pixivで横顔の描き方を学び、2chでペンタブレットにはケント紙を引くとペンの走りがツルツルしなくていいことを教わり、図書館の「漫画の描き方」の本でコマは細かくし過ぎなくていいことを知った。
デジタルなので文字もすぐに直せる。配付はタダ。勢いがついて、完結まで漫画を描くことができた。
それから半年、Facebook以外の友達も読みたいといってくれて友達の個人サーバー借りて、漫画サイトを今日ローンチできた。
ビューワーは突貫で自前で作った。スマホでもタブレットでもPCでも見れる上にFacebookやってない人でも読める!!
個人漫画、二次創作漫画は既に盛況だけど、全くゼロベースに近い自分でもいきなり挑戦して漫画が描ける時代にまでなったんだなあとしみじみ思った。
漫画は作るのにすごく手間がかかる。
正攻法でネームからキャラから舞台からオチからなんやかんややると恐ろしい作業量だ。
でも、プログラムの知識が大半の自分でも、プログラム組む時と同じように、手順の再構築と最適化を繰り返してデジタル化にこだわって工数削減で執筆速度は3日で1ページから1日で1話まで短縮できた。
すごい時代になったんだなあと思う。
一昔前ならアップロードもヒーヒー言ってたのにお手軽になった。
今は、先週Galaxy Note2を手に入れたので、ネーム段階の完全デジタル化に挑戦し始めたところ。
複雑な手順、大規模な工程が驚くほど短縮できるというのは、プログラムの世界だけじゃないんだなと改めて勉強になった。
もし、漫画描いてみたいなーと思っている人は是非挑戦してみたらいいと思う。
漫画を描くのも楽しいけど、効率化を追求するのもすごく楽しいから。
ビジョンすらない。
何も考えていなかった、モノが作りたいという漠然とした想いと、とにかく安定した職に就きたい、という気持ちだけで、一発目に内定くれたところに入った。地元企業だった。
二年目に入って、炎上していたプロジェクトに入れられた。地方から、わざわざ都内の大きなビルの開発室に、長期の常駐。スルガ銀行や、特許庁みたいな、クソ巨大なプロジェクトで、全然前に進まない泥沼タイプの炎上だった。
三ヶ月の研修と、九ヶ月のゆるーいプロジェクトの、その程度の知識で放り込まれた先に待っていたのは、こんなんで動くわけがないアバウトなんてもんじゃない曖昧模糊とした設計書作成(将来的には中国に丸投げ)とエクセル方眼紙の枠を直すお仕事、あとは意味不明な指標で作り上げられた工数管理のこれまたぐちゃぐちゃになった数字をなんとか合わせなきゃいけない仕事だった。
多分、ひどい、仕事だった。
砂遊びの方がまだ生産性あるんじゃないか、そう思っていた。穴掘って埋める仕事だな、と思っていた。
高度で繊細すぎるエクセルを用いた、意味不明な指標で工程を管理する表を作成していたときは、「お前もどうせすぐ捨てられるのにな」なんて呟きながら作っていた。
長期出張+常駐だったが、同じ会社の先輩たちも同じように何人もそこに軟禁させられていた。みんな疲れた顔をしていた。頼れそうな人はいなかった。
もともと精神の強くない私が、壊れるまで三ヶ月かからなかった。壊れたといっても、毎日会社に行く前と会社をでた後と寝る前とたまに就業時間中に涙が止まらなくなったこと、多少の起死念慮、若干の不眠程度ではあったが。それでも、すごく、辛かったし、現にこれを書いている今もつい涙を流してしまっている程度にはトラウマだ。
プロジェクトについてから半年でドロップアウトし、半年の休職を経て、前職を辞めた。
それからすぐに今の職に着いた。今の職は金融系の一般事務だ。定時あがりで楽で、ただし給料は安い。
総合職につくのが、怖かった。ただそれだけではあった。
今は毎日、名前とか一部の数字が違うだけの書類の同じ場所に蛍光ペンで印をつける、簡単なお仕事しかしていない。割と誇張ではない。本当にそんな仕事だ。
IT部門が頑張ってペーパーレス化進めれば、すぐになくなるであろう仕事だな、と思いながら仕事をしている。
毎日私の上を書類が素通りしていく感じ。半年前の私よりかは少しその書類の捌き方がはやくなったよ、とは言えるけれど、それ以外は何もない。貯まって行くものがない。そんな感覚を受け、悲しくなる。
何かものを作りたい。同じ平日八時間+α時間使うなら、何か、作る仕事がしたい。
誰かが喜んだり楽しんだりするものを作りたい。
でも、こんな、新人に毛すら生えていないのに無駄に年をくった状態で、誰が雇うんだろうか?こんな御時世に?技術なんて皆無だぜ?
そもそもIT業界入りたいって、お前何したいの?少なくともSIerで常駐はしたくねーだろ、でもそんなこといってらんなくね?少なくとも現時点で能力とか皆無なんだし。
プログラミングも素人程度、デザインもできるわけがなく、企画もなんもできないじゃん!やったことないじゃん!
今年で26、カビの生えたクリスマスケーキ状態じゃね?誰が食べたいと思うの?
新卒ならともかく、もう社会人経験今年で一応四年目だよ?教えて教えては甘えじゃない?未経験からって他の経験もろくにしてないでしょ?
まぁ未経験でもとってくれるところあるけれども、きっとブラックなんだろうなぁ。
そんな言葉が頭を回る。
でも、今後ずっと今の職を続けるの?と考えると、背筋が凍る。
確かに私は運が悪かった、それ以上に私はあまりにも自分のことを考えてなさすぎる部分はあったんだろう。
一社目を選ばなければ、もっとこういうことがやりたいってちゃんと考えておけば、二社目選んだ時も楽だからって選ばなければ。
後悔は尽きない。けれど一社目を辞めたことに後悔はないことだけは、唯一の救いかなと思っている。
もう新人の扱いは終わっている時期だ。第二新卒すら今の職につくのに使ってしまった。
今から新しいキャリアを描きたい、だなんて、とても、甘えているような気がする。
というか、今までいろいろなものに甘えすぎた結果がこれな気がする。
きっと、何かをあきらめて、何かを獲得しに必死にならなければいけないのだ。
まだ、その覚悟が、きっと、足りていない。
これから、私はどうしよう。
どんな風に、生きていこう。
最後に、新社会人の皆さん、後悔しないように、ポジショニングとスキルアップがんばってね。
追記。
ちょっと狙って書いてはいたけどあっさりホッテントリ入ってびっくりした。
幸い、余暇はあるのでそこでまずは何か一つ作るところからだよな。