2015-08-31

例えばググる前に頭を働かしてみた方が良いんじゃないか。

文学って何なんだろうって。

ふと思ったんですよ。

そして、頭の中はすぐに、

文学とは」で検索しようという指令が走って、

ブラウザを開こうとします。

今、そこで立ち止まってここに書いています

何か疑問が浮かんだ時、

昨今ダイレクトググれカス指令が出て、

誰かに聞くよりはもとより、

自身で一度考えるより先にググる習慣が身についています

一定量の知識を仕入れたいときに、

このフローは非常に便利で有効です。

パワフルです。

しかし、

問いに対する、なぜを解決する力はつきません。

世の中で濾された何某かの成果物自身思考の要素として得ることができたとしても、

自身オリジナルの何かを想像する力は尽きません。

得られることは知識と時間の短縮です。

たとい、知識に触れた後、

改めて「文学とは」を振り返って思考をしたとしても、

そこには何か垢に触れた後の思考が待っているだけで、

オリジナル創造とは異なる発想となってしまます

何よりずるいです。

無論人は思考をする場合

何某かの前提知識を必要します。

からググった後に該当の思考をすることも、

ググる前に思考することも、

大きな違いはないではないか、と。

そういう議論もありえます

しかし、思考過程として、

何か疑問に思ったものについて、

誰かからの答えを提示されてから思考と、

答えの無い中(あるいは答えが無いと感じている中)での思考は、

明らかにその本質が異なると思うのです。

基礎科学研究するか、

加工貿易しこしこするかの違いくらいある。

ググるが習慣化されて日々生きることと、

ググらずに問題ゼロベースで常に向き合って生きること。

ここにはきっと大きな差があるし、

生き様人格にまで、きっと大きな影響がある。

それはすなわち社会性にまで繋がると。


文学とは何でしょうか。

いい機会だから

ちょっとググらずに考えてみたい。

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