2015-05-22

から学ぶ

から学ぶといえば聞こえは良いが、あまり意味が無いと感じることがある。

同じ業界でそれなりに長く働いていれば、仕事にも慣れてきてまあ無難にこなせるようになる。

まり明示的に言われるわけではないが、人と組んで仕事をする場合にはタスク遂行するだけではなく、チームになった人にノウハウを渡すことを期待されていると感じることがある。

それ自体嫌なわけではないが、おれは教育に関する何らかのメソッドを体系立てて学んだわけではないので、具体的な手法ややり口を渡すことは出来ても、本当に重要な"何か"を渡せていないと感じる。

だが、上やチームの人たちは具体的な手法ややり口が伝われば、それでよいと考えて満足しているようだ。

おれの感覚としては本当に重要な要素を渡せていないという気持ち悪さが付きまとう。


具体的な手法ややり口というのは、基本的におれに最適化されており、他人にはそのまま適用は出来ない。

他人がそれらを再利用しようとした場合、その人が「この抽象度なら自分の状況にあてはめて再利用できる」と思うところまで抽象化していく必要がある。ところが、その過程で多くの人が誤った抽象化/再利用を行っているように見える。「そこまで抽象化したらゼロベースと変わんないよね」とか「そこは抽象度を上げないと適切に当てはまらないのにムリクリあてはめてる」といった状況が目について、非常に気持ちが悪い。

そもそも抽象化できない程に荒い粒度しか物事をとらえられていない人もいるが、それは論外として。


じゃあ、適切な抽象度で伝えれば良いじゃなーい。って話だが、残念なことにおれにそんな能力は無い。

その人が今後遭遇するであろう状況を予想して最も適切な抽象度で伝える。コアな要素は何かを伝える。それをどのように当てはめるか、どのように再利用するかを、その人が受け入れやすい例を挙げて伝える。

そんなことが出来るならおれは本を書いて一発当ててると思う。


まり、何が言いたいかというと、身近な人に何か期待する前に、デマルコ/リスターを読んで。ということ。

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