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2015-02-09

悲しい物語を読んだ

高浜寛の「蝶のみちゆき」がkindle化されていたので読んだ。

素晴らしい作品だと思ったので、感じたことを書いておきたい。

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こんなにダイレクトに"悲しい"という感情をもったのは久しぶりだ。

最近マンガは良くできていて、いろいろな形で読者の心にリーチできる作家がとても多いと感じている。素晴らしい。

でも、"悲しい"という感情は久しぶりに味わった気がする。

「蝶のみちゆき」にはとにかく無駄な要素が見当たらない。

物語の中に選択的な場面や、想像可能な分岐的な要素が無く、やたら自然で固定的に話が流れていくように見える。

運命かいう話とも違う。物語における運命は外部からの予想外のバイアスであることが多いと思う。この作品にもそうした要素がなくはないが、サプライズ的に扱われてはいない。不幸な出来事過酷環境も、読者が自然に受け入れられるよう細心の注意と一体感で描かれている。作家表現手法の"美しさ"と、丸山という場所が持つ一面の"美しさ"がそれを大いに助けていると思う。

そして、あらゆる要素が物語の中にかっちり収まっていることに驚く。舞台装置登場人物無駄なく重要役割を担っている。

これが完成されているということなのかと改めて認識させられた。

多くの場合、完成された物語は長い年月をかけて多くの制作者達の努力によって積み上げられたものであり、悪く言えばありきたりだったりするものだが、「蝶のみちゆき」はそうした退屈さは見当たらない。完成された物語は見せ方で面白い作品にできる?。いや、この作品は逆ではないか?。完成された物語を見せ方で面白くしているのではなく、各種の要素をゼロベースで組み上げたら完成された物語になったのではないのか?。と思わせる力強さすら感じる(いまどきゼロベース作品ができるなんてことはありえないので、先行する多くの作品から要素を得ているんだろうけど、比喩として)。マンガ小説映画などに類似の作品があるハズなのだが、それらを霞ませている。

主人公である几帳(人の名前)は多方向に要素の線を伸ばしており、その線の先にいる(ある)要素同士が有機的に絡み合う。と書くと珍しくもない構図なのだが、その関係性が高密度かつ自然に描かれている。そして何より几帳は多くの要素を持ちつつもフリーダムな人にならずに統一されたキャラクターを強く保っている。そうした丁寧な描き方から感じるダイナミクスは、線と点のそれではなく面のダイナミクスだ。

読者は、無駄なく高密度に流れていく物語自然に飲み込まれ(怒涛の!とかじゃなくてあくま自然に)、気が付くと悲しい終着点に立ち会っている。何の議論も寄せ付けない、ゆるぎなく悲しい終着点だ。

最初に書いたように、最近マンガ表現が高度になってきており、多くの作家が読者の心にリーチする手法確立していると思う。

にもかかわらず「蝶のみちゆき」がユニークなのはダイレクトな悲しさで読者にリーチしているところではないかと思う。

ストレートな悲しさの表現型は昔の小説漫画映画にはよくあったかもしれない。ただ、最近はあまり取り上げられない表現型ではないかと思う。高浜寛はそれを現代的な感覚と、高浜寛自身の持つ細やかさと高度な表現手法によって類のない完成度でリメイクしたといえると思う。

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面白い作品なので紹介したいと思ったのですが、訳の分からないことを吐き出しただけでした。

とりあえず、高浜寛を読んでる人はこれもすぐ読んでー。知らない人は上の感想などは気にせず、検索するなどして興味あればどうぞ。

一つ前の単行本四谷区花園町」がやや空振り気味だったので、本作は一層歓迎したいところ。

 
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