はてなキーワード: ショップとは
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(※たくさんのブックマークありがとうございます。初めてのかたは、上のURLからどうぞ「ホストの弟子、1限目」)
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あれから、1週間が経った。僕はと言えば、基本は厨房、カウンターを回しながら時々緊急でホストのヘルプで呼ばれるようになっていた。女性に話しかける抵抗は少なくなったものの、話し始めるとすぐに会話がとぎれ、先輩ホストに助けてもらう毎日だった。50人ナンパ(といっても、話しかけて無視される作業)でつけた自信はとうにすり切れていた。
頼みの綱の翔さんも、出勤時に挨拶するぐらい。弟子にしてくれた話も忘れてしまったのかなと思い始めていた。
そんな、僕の考えを読むかのように、翔さんは、また僕を誘い出した。その日は渋谷で待ち合わせだった。今度はハチ公前でナンパでもさせられるのかと、僕が不安な気持ちでいっぱいになっていると、30分くらい遅れて翔さんがやってきた。
「よー。お前汗だくじゃないか。確かに今日は暑いわなぁ。外ナンパはやめて涼しい所行くか」と言うと、センター街へ向かって歩き出した。道々歩きながら、ここのラーメン屋は旨いとか、アダルトグッズはこのビルの地下とか、渋谷の情報をいろいろと教えてくれた。
そんな話をしているうちに、僕らはスペイン坂にある1軒のお店に入った。甘ったるい花のような香りが店内に立ちこめていた。そこは香水専門店だった。
(閑話休題)
かつて高校時代、男子高校生だった僕は友達に借りたスカルプチュアを山のように振りかけ、文化祭に挑んだ事がある。当時、男子高校生にとっては文化祭は唯一と言っても過言ではない重要イベント。気合を入れまくった僕は、香水をつけて挑むという暴挙に出た。結果は、明らかなつけ過ぎ。女子だけでなく、男子も当日は僕の回りをあるくと眉をしかめた。僕は歩く異臭騒動としばらく呼ばれた。
そんなことを思い出し惚けていると、「よし、ぼーっとしてないでやるぞ?」という翔さんの声で現実に戻された。
「これから俺は2時間ぶらついてるから、ここの香水を嗅いで、全部覚えるんだ。まず、あそこに飾ってあるベスト20みたいなのは、香りだけでなくショップカードに書いてある内容も覚えるように。あとで聞くからなー。」それだけ言い残すと、本当にお店から出て行ってしまった。
僕は1人、ポツンと香水屋に残された。
回りはほぼ女性。時々いる男性は、彼女と一緒に来ているカップルだった。店員さんの視線も猛烈に痛い。回りの客は、きっと僕をキモイと思ってに違いない。しかし、モテたいという気持ちと、翔さんが戻って来て質問された時、何も答えられないのが怖さで、仕方なく匂いを覚える事にした。30分も経たない内に吐き気をもよおした。それでも、なんとか2時間頑張った。
翔さんは、やっぱり30分きっかり遅刻してきた。「大体おぼえたか?今からテストするから、目を潰れよ。これ、なんて香水だ?」翔さんはそんな調子でクイズを出してきた。結果は5問中4問正解。自分でもまあまあの出来。すごいとか言ってもらえるかなとワクワクしていると、翔さんは「じゃ、次いくぞー」とさっさと店を出て行った。僕はあわてて追いかけた。
2軒目は、本屋だった。
店の中に入ると、急に翔さんは僕の財布を取りあげた。「お、3万か。学生にしちゃ入ってるじゃないか。本を買うから、これ使うぞ」と、財布から3万を抜き取った。僕が唖然としていると、雑誌コーナーに向かった。いきなり、女性誌をかたっぱしからカゴに入れ始めた。10冊くらい入れた所で、次はタウングルメ雑誌。これも棚に陳列されているものを全部カゴに放り込んだ。それから女性向けエッセー。血液型占いの本、料理のレシピ本、カクテルの本などなど、次々と本は増えて行った。
翔さんは、お会計2万7400円を(ぼくの3万から)払い終えると、5キロはあると思われる紙袋2つを渡した。
「お前、明日休みだろ?この本、明後日までに全部読んどいてな。じゃあ俺、帰るわ。」
そう言い残し、翔さんは手をひらひらさせながら去って行った。香水の嗅ぎ過ぎで気持ち悪い身体に、まったく興味のないほんの山。僕は駅のホームで、声もでない程ぐったりとしていた。
翌日、翔さんに押し付けられた本の山を読み始めた。女性誌のファッション部分はタイトルだけでほとんど読み飛ばし、読者の恋愛相談ページだけを読んだ。リキュールの本は普段使っているカクテルベースの由来がわかって楽しかった。タウン情報誌は、最近流行りのお店特集なのを見ていたらお腹がすいて来た。女性向けの恋愛エッセーは意外と読みふけってしまった。
最初は苦行でしかないと思っていた読書だったが、気付けば楽しんでいた。いつの間にか深夜2時をまわっていた。
翌日、夜10時半に僕の最初のお客さんが付いた。相手はいつもは午前3時頃に来てくれているプロのお姉さん。今日は早番だったらしい。僕は、隣に座った瞬間に、彼女が付けている香水がアナスイ製であることが解った。「これ、アナスイですよね。」そういうと「え、良く知ってるね。」と驚いてくれた。それから、しばらくショップカードに書いてあった、アナスイの話をした。それから10分間、ひとしきり香水の話で盛り上がった。
次のお客さんとは最近のファッション。その次のお客さんとは最近流行の立ち飲み洋食屋の話で盛り上がった。その日、僕はお客さんに次々とウンチクを披露した。昨日、本で見たまんまの受け売りだった。が、僕は今まで話せなかったことが嘘のように、楽しくてお客さんにいろいろ話していると、翔さんに呼ばれた。
「おい。お前そこ座れ」翔さんは苛立っているようだった。僕はなにが起こったのか理解できなかった。
「なんか、昨日連れ回した事で勘違いしてるようだけど、お前に本を読ませて香水屋に連れてったのは、別にお客に嬉々としてウンチク語れるようにするためじゃないんだよ。」と翔さんは、言った。僕はびっくりした。思わず、
「え?違うんですか??女の子と話せるように、そういう雑誌や場所に連れてってくれたんじゃないんですか??」と聞くと
「違う。女の子との会話に詰まった時、新しい話題を見つけられるように知識を身につけさせたんだ。女の子は男よりも無言の間を嫌う。
かといって、なにを話しても良いわけじゃない。その子が興味ありそうな、喜びそうな、話してくれそうな話題をふるんだ。香水付けてる子には香水。ブランドものもってる子にはブランド。ご飯食べるの好きな子には、美味しいお店。何にも拾える所なかった子には、恋バナ。とかな。その場、その場に応じた知識を身につけなきゃいけないんだ。決して、ぺらぺらとツマラナイ雑学を披露させるためじゃない。ほら、よく見てみろよ。さっきまで居たあの子、お前が楽しく話してる間、目が泳いでたぞ?今のほうが100倍楽しそうに話してるだろ?」
翔さんに言われて客席に目を向けると、先輩と楽しげに笑っているお客さんが見えた。
「お前、今日は厨房で良いよ」翔さんはそう言い残すと、すっとホールへ戻って行った。
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【英語】AとTHEを使い分けるたった1つの考え方と5つの条件 | 英語勉強法を伝えるブログ
http://eigobenkyouhou.com/archives/68#tb
英語にせよ日本語にせよ、言葉は基本的に相手とのコミュニケーションを図るものである。すなわち、ひとりよがりの規則ではなく、それを理解する他者との共通性が問題となる。
今回のTHEに関して言えば、「呼びかけたい人、集団、社会に対して“ただ1つに決まる”共通認識があるかどうか」だけが問題になる。これだけ理解していれば十分。後続の5つの条件なんて覚える必要はない。ただし、“ただ1つに決まる”と言っても、それが一個体なのか、ある特定集団をひとつとみなすかは文脈に依存する(一番ややこしいところ)
こういう例で月や太陽などを例に挙げられるのは、それらが私達人類にとって普遍の真理だから。普遍の真理だからTHEが付くのであって、太陽や月だからTHEが付くわけではない。これは人類というもっとも広い範囲の集団で共通性が担保されているものだから無条件にTHEを付けて構わない。
しかし、物語などにおいてはその普遍の真理が通用しないこともままあるわけで、そういう場合、THEはいきなり使われることはない。その作品を理解する上で最低限の定義なりを共有した後、物語の常識としてTHEが使われると思えばいい。ただし、物語は見せ方が問題なので、登場人物間の常識と読者の常識のズレを活かしたやり方がないわけでもない。
元記事の2.以下は、1.における限定的な条件と理解してよい。いずれにしても大事なのは、「相手が自分と同じ認識を共有しているか」だけだ。
例えば、元の記事にある「そのボールを取ってください」という文章を考えてみよう。
もし野球のボールが2つ以上あったら、あなたはどうするか。全部持ってくるのか、ひとつだけもってくればいいのか、相手に尋ねるだろう。
私達はかなり制約の厳しい英語を学んでいる。日常この条件に立ち会ったとき、相手は「Please , bring me a ball.」とも「Please , bring me the balls.」とも「Please , bring me a balls.」とも尋ねられる可能性がある。それほどに柔軟というか、自由すぎるのだ。間違った言葉遣いを平気で使う人ばかりだし、そんなのにダメ出ししたところで徒労でしかない。
しかし、それでも「そのボールを取ってください」という意味は揺るがない。なぜなら、そこにボールがあって、問題なのはそのボールの「数」だからだ。
だから、ボールひとまとまりを一つに限定してTHEとつける場合もあれば、そこからひとつを抜き取ってTHEとする場合もある。
それは「そこにあるボール全て」なのか「そこにあるボールの中からいくつか」なのか「たった今エラーで飛んでいってしまったひとつのボール」なのか、他の要因によって左右されるので、確定的なことは言えない。どれであってもTHEがつくんだから。
もし、バスケットボールとバレーボールとテニスボールがあったらどうするだろう?ボール全部持っていけばいいのか、相手に尋ねるだろう。
相手の服装がバスケット選手のような服装だったら、バスケットボールを取ればいいか?場所がテニスコートだったら?テニスラケットを持っていても、ふざけ半分でテニスボールの代わりにバレーボールを使っているかもしれない。
しかし、いずれにしても「そのボールを取ってください」という意味は揺るがないし、いずれの条件でもTHEは付く可能性がある。問題なのは、「どの」ボールか、ということだ。
馴染み同士でコーヒーショップに行くにせよ、複数候補があってもTHEを使う。今いるところから一番近いコーヒーショップに行くのか、目的地に近いところにあるコーヒーショップに行くのか、その文章では確定しないが、使えるし、しょっちゅう使う。どっちに決まるかは、雰囲気のようなものだ。
結論はこれだけ。日本語にしたって「映画見に行こう」とか「今日飲みませんか?」とか「ちょっとそれ取って」とかほっぽり出したかのようなコミュニケーション取るだろう。それらは全部英語に直せばTHEが付いてもおかしくない。馴染みでないところにいくならaがつくだろうが、たいてい候補は絞られてあって、その中からどこに行くかという話だ。
ただ難しいのは、こうやってTHEばっかり使ってると、日本語で言えば「そんなの常識でしょ」とか「普通こうするよね」みたいな押し付けがましいニュアンスが産まれてしまうケースもあるので、そこはまあコミュニケーションとって慣れてください。というか、コミュニケーション取らないで英語を使えるようになりたいなどと思わないでください。
http://anond.hatelabo.jp/20120809123158
こんな滑稽なバンドつけなきゃいけないくらい、たった一言、見てるだけなので、とかカウンセリングして下さいって言うのは難しいのか?そんなに?!
ショップの店員てのは入店した全ての客の動きを見ながら
「この人には行ったほうがいいのかな」「ほっといてあげた方がいいのかな」
なんて逡巡しながら観察して、ジワジワ近寄って行ったり声をかけたりするわけ。
化粧品なんてものは一見社交的アイテムだけどパーソナルなものだから
同性の店員の接近を歓迎するかすごく嫌がるかは個々人や状況で千差万別なわけ。
最終的に話しかけてきた店員に一言「いいです」って声を発するのが困難なんじゃなくて、
そこまで全部の、その客と店員との間の変な風に張り詰めた神経戦が、
自分はむしろコミュニケーション能力が発達してるぐらいのつもりっぽいけど、
声が大きいのとコミュニケーション能力が発達してるってのは全然別のことだ。
化粧品ショップなんか入ったことない俺でも容易に想像して理解できる、
「バンドが必要になった経緯」について全然わからないのが君だよ。
これは脳の神経が発達してないってことだぜ。
シナプスの細やかさが足りてない。
コミュニケーション能力って言うのは
君がコミュニケーション能力だと思い込んでるのはもっとずっとレベルの低い、
神経のがさつさみたいなことだろう。
例えば物怖じせず・店の空気も考慮せずにいつでもどこでも大声で店員を呼びつける能力みたいな。
俺だってあんまり細やかな神経の使いあいってのはだるく思う方なんだけど
増田みたいなシナプスツルペタのやつが「コミュニケーション能力アリマス」みたいにふんぞり返ってるのは悪い冗談だと思う。
どうも日本の自称:コミュニケーション能力が高い奴には
「嫌なら断るだろう」とか思って迷惑撒き散らしてるような馬鹿が紛れ込んでる。
こういうのはやっぱり特に男に多い。
女でそのタイプの馬鹿だと学生時代の女社会で抹殺されるから成人できないんだろう。
「その社会における神経のちょうどいい細かさ」なんていう難問に一生立ち向かうのが人間社会だ。
結論が脱線した。
西暦2037年、俺は退職金を切り崩しながら、細々と年金でひとり暮らしをしていた。妻には6年前に先立たれた。平均寿命が90年にも届こうという時代であってみれば、ずいぶんと早くに死んだものだ。不摂生の極みのような生活を送っていた俺が生き残り、日々きちんとした生活をしていた妻のほうが召されていくのだから、人生というのもなかなか理不尽なものだ。
そんな俺の日々の慰めといえば、エロゲしかない。もともとオタの第二世代くらいにあたる俺の世代は、二十代で鍵ゲーの洗礼を受け、その後も世代が持ち上がるのにあわせて「我々の世代」向けのメディアが常に存在していた。俺のように貯えらしきものもあまりなく、かつかつの生活を送っているものもいるだろうが、その一方で、日本が名実ともに先進国だったころの最後の余慶があったのも俺たちの世代で、うまいこと逃げ切って余裕のある生活をしているものもいる。
なにより俺の世代は、趣味に金をかけることをさほど厭わない。これが俺の下の世代になると、すでに日本に未来がないという前提のもとで十代、二十代を送っているし、それに、あれはニコ動だったか、ああしたものが登場してから、娯楽は無料であり互恵の精神で相互に提供しあうもの、という意識が育ちつつある。2010年から今年で25年、「素人の時代」ともてはやされた時期を通過して、いまやエンターテイメントは、無料のコンテンツに収益を載せる構造が完全に成立している。
そんな状況のなかで、いまでも「金を払って」たとえばエロゲのようなコンテンツを買う俺の世代は、上客には違いないわけだ。ただ、雰囲気としては商売というよりも、かつて俺が十代を過ごした「同人誌」の世界の雰囲気と、いまのエロゲ業界は似てきているようにも思う。よくも悪くもサロン的な空気がただよっている、というわけだ。
還暦を迎えた俺たちの世代は、エロゲを通販で買うことはあまりしないようだ。これはおもしろい逆行現象だと思う。ソーシャルメディア全盛の時代を経て、俺たちの世代では「ネット経由の知人」を持つ人間が多い。にもかかわらず、こんな業態が細々とでも続いている理由は――決して認めたくはないが――さびしいのだろう。
見かけるようになったのはここ10年くらいのことだろうか。最初は古本屋からの発展形だったと思う。滞在時間が長く、現金払いで直接儲けにつながる客に、休憩スペースを作ったり、茶のサービスを始めた、というのが原初的な形態なのだろう。いつしかそれは、初老のオタ世代の溜まり場的なものとなっていった。
オンラインで呼吸をしていたような俺らの世代が、最終的にオフラインに慰めを見出すようになったのは、この年になってくると、コミュニケーションというものは、やはり顔と顔をあわせなければ通じない、というつまらない真実がひしひしと感じられるようになってくるからだろう。
あれほど夜型の生活をしていた俺も、朝5時となると目が覚めるようになった。軽く散歩をして、朝食を取り、朝7時となると近くのショップに顔を出す。
目が覚めるんじゃない。単に眠りが浅くなっただけか。
俺は自嘲的に思いながら、家を出た。
「よう」
木のテーブルとコーヒーの香り。流れるBGMは、この季節だ、夏影に決まっている。もう40年も変わらない、俺たちのテーマ曲だ。ただ感じかたは昔とは違う。最近の俺は、この曲にどことなく「お迎え」の影を感じるようになっていた。
「俺らの生きてるうちには出るさ」
定番の挨拶を経て、新作の話などをする。
エロゲ業界もクラス化が激しくなった。若年層においては、すでに「テキスト+ボイス+立ち絵」の形式のADVは死滅しているに近い。ここ四半世紀のあいだに画期的なアニメーション作成ツールがいくつも出て、敷居が大幅に下がったためだ。
しかし俺らの世代にとっては、やはり昔ながらのADVがしっくり来る。
ジャンルもずいぶん変わったと思う。いまでも思い出したように学園ものは出るが「こんな学園どこにもねえよwww」は、より切実な響きを持つようになってしまった。いまや学制自体が違うからあたりまえだ。
かつて、そう、俺らが三十代だったころ、冗談半分によく言っていたものだ。将来は孫ゲーが来る、と。その予測は当たったかといえば「なんとなく当たった」というのが実情だろう。結局還暦を越えても「そういう部分」での精神的な構造はあまり変わらない。むしろ老いには直面したくないのが実際で、いちばん多い設定はといえば、やはり若返りもの、ということになる。典型的なテンプレは、癌の告知から始まって、主人公がタイムスリップ、「あの夏」を体験したうえで現実に戻り、幸せな死を迎えるものだ。孫ルートのあるゲームは全体の3分の1くらいだろうか。
特養老人ホームを舞台にした介護ゲー、なんていうのも昔はよくネタとしてあったが、これはむしろ陵辱ものに多い。現状の自分のルサンチマンを反映したような設定が陵辱ものに多いのは、いまも昔も変わらない。最近だと、恵まれない家庭環境にある女の子ばかりを集めて決死の肉体看護をさせるも、それらの女の子にひどいことばかりしているうちに、だんだん精神的におかしくなってきて、瞳の光が失われていき、最後は性奴隷になる描写が秀逸だった「奴隷介護―地獄のエデンで少女たちは何を見たか―」がヒット作だ。
そう、当時予測しておらず、現在隆盛になっているジャンルがある。ロリババアものだ。当時、なんでこれに気づかなかったのか、自分でもわからない。かつては純愛系のゲームならば、たいていは妹ルートがあるのがふつうだったが、いまではそれがロリババアに取って代わられている状況だ。
エロゲ業態全体が同人的な雰囲気になって、大ヒット作というのは生まれづらくなっているわけだが、そんな中で気を吐いた例の作品における、あの名セリフに殺された人は多いだろう。
「時間を止めて、待っていましたよ」
そんなわけで、考えようによっては25年前となんら変わらない生活をしている俺らだったが、最近は俳句がちょっとしたブームだ。俺たちが若いころから俳句なんていうのはジジイくさい趣味だったわけだが、この年になってみて、なぜ年寄りが俳句を嗜むのかわかったような気がする。
この年になると「言葉を紡ぐ」のが億劫になってくる。表現欲がなくなるわけではない。それ相応に人に認められたいという気分もないわけではない。しかしそのために多くの言葉を紡いで「人に伝える」ということに価値を見出せなくなるだけだ。しかし溜まっていく日々の鬱屈を言葉にしたいと思ったときに、俳句のような形式はとても都合がよい。
「それじゃまあ、新作の披露といきますか」
3人のなじみのじーさんを前に俺は言った。そしてそのじーさんたちは、俺の姿でもある。
では一句。俺はのどに絡む痰を切ってから読み上げた。
「コンドームかぶせてむなし秋茜」
「ほぉ……」
「確かにむなしい……」
「もう勃起しねえしな……」
場を、いい感じに絶望的な空気が支配した。ちなみに「秋茜」は人生の黄昏を迎えた俺たちの心境を、秋の夕暮れのイメージに重ねたものだ。
「では次はオイラが」
オイラ。またなつかしい一人称が出たものだ。映画監督としても有名だった某芸能人が他界してから、この一人称を使う人は滅多にいなくなった。
「我慢汁 集めて臭し俺の川」
「川になるほど出ねえだろ……」
「てゆうか我慢汁自体もう出ないよね」
「つーか最近さぁ、オナニーの途中でめんどくさくなるんだよね……」
「あんたまだ現役だったんだ……精液だけに、原液、か……」
「もうだめだ」
「だめだなぁ……」
俺たちがそうやって淀んだ空気の中で薄ら笑いを浮かべていると、店主の孫娘が姿をあらわした。夏休み中で家にいたものらしい。健康的な肉付きの太ももが眩しい。
「あんたらまた来てんの? いい年としてくっだらねえシモネタばっかしゃべって、店内がイカ臭くなるからやめてくんない?」
ああ、罵倒が心地いい。あの太ももに挟まれながら罵倒されたら、そのまま昇天できるのではなかろうか。
「ってうっとりした表情浮かべてんなよ! 歯槽膿漏くせえ口あけてぼんやりすんなよ……」
店主、あんたは勝ち組だ。
人生において、後悔なんぞは役に立たない。そんなあたりまえの事実を笑って受け入れられるこの年になってなお、妄執は残るのだ。
予約しておいたソフトを受け取って、家に帰った。PCの電源を入れてインストールする。
全エンディングが腹上死ということで、発売前から話題になっていたソフトだ。もっともそれだけでは俺は買わない。エンディングのひとつに、顔面騎乗による窒息死があったのが俺の直接の購入理由だ。
ゲームを起動する。
「登場する女優さんは、すべて60歳以上だからね、まちがえないでね、おじーちゃん♪」
老眼の進んだ俺にもやさしい極大フォントとともに、ボイスが流れる。
さあ、残り少ない日々を謳歌しよう。
ディスプレーの中には「あの夏」が詰まっている。
安物の定義って何?たとえば100円ショップの商品だって、発展途上国で電気もなく手回しで電気起こしていたり、灯油で明かりを灯して部屋中煤だらけという生活をしている国から比べればぜいたく品だと思うんだが?
という話。
安物というのが、日本という裕福な国の贅沢品の中で安物という世界であって、世界から見れば贅沢品だろという話。
簡単に言えば金銭感覚狂ってるんじゃない?と
水を汲むためだけに何kmも毎日歩く人達もいるのに、水はただみたいな、贅沢な土地に住んでいて文句言ってるんだが・・・と
つまり、日本で言う貧乏は 世界で言う裕福なんだがと?よくそういうグラフ見るだろ。日本人は底辺でも世界の20%に入るくらいのリッチマンだと。
日本で水道代も払えないとなったら、そら生活保護受けろという話だろ。
月収2万の人たちから見えれば100円て、おれらでいう1000円のことだぞと。
つまり、そういう金銭感覚においては、どんだけやったって、年収が2倍になったって、 貧乏だ貧乏だ言い続けるんだから 無駄ってはなし。
年収500万超えていても、 上には上がいる 貧乏だ 貧乏だって叫ぶ奴 やまほどいるじゃん。 そんななかで、金を配っても仕方がない。物価を下げれば十分。
長年自営業をしている人から見た、会社員や公務員(給与所得者)の利点。
「花見」「飲み会」「親睦会」「忘年会」なども、「福利厚生費」と言って、会社のお金で遊ぶことが出来る。
"研修""視察""出張"とかいう言葉を使ってますが、遊びに行っているようなもの。
たまに「○○さんは平日に休んで遊びに行けていいですねぇ」とか言われますが、そのお金は全て自己負担です。
出社したら、立っていても、座っていても、喋っていても、黙っていてもお金がもらえる。
200,000÷26日 = 日給7,692円
7,692÷7時間 = 時給にすると1,098円
1,098÷6 = 183
10分ぼーっとしていても183円必ずもらえるんです。
個人経営者は草むしりをして、お金がもらえることはありません。
サラリーマンの場合は、横領や犯罪を犯すなど、余程のことがない限り
それが例え相手がクレーマーであっても、ヤクザであっても、全責任を負わなければなりません。
サラリーマンの場合、謝罪会見で頭を下げるとお金がもらえます。
「もうしわけありませんでした」この13文字を言って頭を下げると、はい10万円。
「ふかくおわびもうしあげます」この13文字を言って頭を下げるとまたまたお金が入ってきます。
謝罪してお金がもらえるんだったら、喜んで頭を下げます。東京電力社長然り。
でも自営業者は、どれだけ謝っても、1銭も入ってきません。
ところで、「社員は悪くありません」と言った人、その後別の証券会社の高級取りになったみたいですね。
サラリーマンは、仕事の方法・技・技術・ノウハウなど色々教えてもらって、それだけでお金がもらえる。
これらの受講料は、一部とはいえ会社が出してもらえるし、なんと国から資格取得の費用が出る場合もある。
でも個人事業主の場合は受講料・テキスト代・受験料・交通費その他もろもろ費用は100%自己負担。
…しかし、折角会社から多額の研究費を出したというのに、何か発明したら
「その発明は会社のものじゃない!俺のものだ!訴えてやる」という青色発光ダイオード訴訟。
ああいうのがあると、会社を興して従業員を雇うのが実に馬鹿馬鹿しくなってきます。
近所の家から電話がかかってきて「○○の操作方法が分からん、教えてくれ」
(無論タダで。しかもウチで買ったことのない人ばかり。)
田舎なので最初は近所付き合いの関係上電話口で操作方法を教えていたのですが
また別の人から「○○が動かん」という電話。これも近所だったので色々教えてたのですが、専門的になってきたので
「ここからは料金をいただきますけどよろしいでしょうか」「ガチャ、ツーツー」
その相手に「ジャパネットで買ったんなら無料電話相談やってる筈だからそこに電話したら」と訊くと「いくらかけても話し中」
そりゃ大手は繋がらないでしょう。だからウチに問い合わせるのか。うちは無料電話相談じゃないっての。
やっぱりサラリーマンは「教えてもらって当然」と思ってるんでしょうな。
ハンゲームの着せ替えサービス「アバターショップ」にて、コンプガチャのようなサービスを始めたようです。
http://festa.hangame.co.jp/shop2012/fashionmania.nhn
規制の始まる7月でもサービスを続けるようで、規制を逃れる方法を考えついたようです。
まぁ規制を逃れてコンプガチャのようなことをする方法はいくらでもあると思いますが、それを実際に行う企業はどうなのかと感じます。
そのシステムは、ガチャを回してもらえる決まったアイテムを持っている(着ている)人のみ、シークレットショップに入れるというもの。
あるアイテム4点(3点でした)揃えないといけないらしく、コンプガチャと同じのような・・・。
レアアイテムは含まれていないと書いてありますが、確立の操作なんて自由自在なのでレアとレアじゃないとの違いは無いかと。
数十万とかはいかない(様にしている)とは思いますが、明らかに規制逃れではないかと。
規制に引っかからなければ、ますますヒートアップしたり、他社が真似したり。。。
こっちは、アイテムを揃えて、シークレットショップに入って買い物が出来る・・・?
何が違うのだーーーーー。
辞めさせませんか?
追記:規制に引っかかると察知したようで、急遽仕様変更したようです。
http://info.hangame.co.jp/index.nhn?m=detail&infono=5975
3点の指定アイテムを揃えるを、どれでも3点となりました。
こういう規制逃れの試作は今後もつづくのでしょうか。
追記:ソーシャルゲーム6社が「コンプガチャ事例集」発表、7月から運用開始
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2012&d=0622&f=it_0622_024.shtml
ハンゲも参加するソーシャルゲームプラットフォーム連絡協議会が事例集を発表したにもかかわらず、
同日にその事例に該当するサービスを開始するとは。
私は当時そこでバイトをしていましたが、なぜあのような不可解な終焉を迎えたのか?
GMがもはや管理が苦痛でしかないという感じだったので、未完終焉へのロードマップを約1年(凍結期間を除く)としたうえで私が脚本として書き上げ、GMも了承し、実行しました。
まず未完の終焉を直前まで悟られないために、凍結前に機能追加をするという計画から書き上げました。
これはでっち上げ計画なので、実装こそしますが、経済が破たんするなどそのあとのことは一切考えずに制作しました。
これがショップ機能と一日1コインもらえるというシステムでした。
表のシナリオはバカが世界を揺るがし、プレイヤーのやる気をそぐ。
裏のシナリオはバグのような致命的事象を意図的に混入させ、システムを殺す。(正しくはシステムが死んだかのように見せる)
簡単に説明するとこのような感じです。
ただし、表のシナリオはかなり大規模に仕立て上げました。
WoodenChocoやBBSにも波及するぐらいの大きなものに仕上げました。
とりあえず、シナリオは完成し、GMもそれを了承し、今後の管理はほぼ私が行うということになりました。
さて、どのようなシナリオを書いたのか時系列に沿って説明しましょう。
ただし、今回の主役となる世界を揺るがすバカとなるヒロインを使用するという登録は、実はシステムエラーを出して登録できませんでした。
実は道化師のある罪を知っているかの発言をしていますが、あれはミステイクでした。
知っているわけがないのです。
あと戦って花と消えたというセリフもミステイクだったのではないかと。
バカな女魔術師でまわりをイラつかせながら、新システムの実装や本命というべき裏のシナリオを実行に移しました。
新システムに関しては前に述べたとおりです。
裏のシナリオの内容を説明すると、プレイヤーの行動を改竄するというすごく単純ながらも強烈な方法でした。
これによって気がつかないならば行動ミスとして処理され、戦死したらプレイ権を失うことになりますし、気がつけばシナリオ通り修復作業という名の凍結→終了です。
何人かの行動を書き換え、さらにゲーム内時間が加速する(通常比10倍)ようにプログラムを仕込んで、戦死者をだしたり、明らかに伝令が入れ替わっていたという報告が入ったりしました。
バカな女魔術師のあまりにも行き過ぎた行為に天誅(を加えたかのように振舞う)しつつ、不具合を直すための凍結を宣言しました。
これで99%終了です。
もちろん直しません。
頃合を見計らって終了宣言をだし、100%終了です。
これが真実です。
フリーゲームやネットゲーム、エロゲをやっている人は多いと思う。
多分、ものすごくいる。
一方でテレビない人も増えてる。テレビないと据置ゲーム機導入のコストにテレビ代が上乗せされるから、そういう人のゲーム機導入負担感は高い。
開発する側もPCだと開発費が安くなる。
さらには少子化で、子供はPCが使えないというデメリットが薄まってきた。
スペックの問題はオンボード性能(最近はオンボードですらないようだ)の向上で解決されつつある。
ガチガチ豪華の3Dゲームならともかく、ありがちな2Dや微妙な3Dなら、各種エフェクトのカットとフレームレートの低下でかなり対応できる。
それでもダメなのは絶対的なソフト不足と露出の少なさでスパイラルに陥ってるのかな。
これ、いつも不思議なんだけど、モバゲーもグリーもやってみると課金までのプロセスが結構手間なのに、簡単に子供を騙して金払わせてると思われるのは何故だろう。
ゲーム内ショップに行く→購入ボタンを押す→モバコイン購入画面に行く→決済手段を選んでモバコインを購入する→アイテム購入に戻る→購入
あれ?書くとこれだけだっけ?でも俺がやった時はなんかすげー面倒に感じた。途中で何度も確認や注意書も出てくる。
これで子供やよくわかってない人がうっかり課金と批判するのは無理があると感じた。よくいるネットで叩いてる人も大抵自分ではやってないし。
一日目(http://anond.hatelabo.jp/20100517171401)、二日目(http://anond.hatelabo.jp/20100518161547)と連日更新したが、正直書くべきものはあまりなかったのが実情である。
二年も経つと変化がある。
これは近隣にお住まいの方はご存じの方も多いと思うが、小手指の西友は近隣で一番大きい。かつ改装したことで中もキレイになった。改装するだけ売上もいいのだろう。所沢駅や新所沢駅隣の西友はボロくて店も小さい。近隣で唯一まともに家電を扱っているのが小手指店である。家電量販店には品数で見劣りするものの、安いものはやはり安い。どうしても高いなら期間中のチラシを持ってくれば安くなるそうだ。私はそこまでする気にはならないが。
ちなみに、ここの西友は改装前は「B館」と呼ばれる別棟があり、そちらも西友の扱いだったが、改装を機に管理会社が変わったようだ。そこにあった無印良品は現在、店の3階に移っている。さすが元西武同士。現在B館はハナプラとかいう建物に変わっており、アウトレットショップとTSUTAYAと美容室が増えた。ただし、ここのTSUTAYAは書籍の品揃えが悪すぎて、お話にならない。レンタルがずっと100円になったという価値はある。
次に、駅前のでかいマンション、すなわち「小手指タワーズ」がそろそろ完成しそうである。
一日目の記事で、なか卯とオリジン弁当がかわいそうだということを書いたが、あすこは潰れた。というか、立退きに応じたのだろう。小手指駅前にペデストリアンデッキができるということで、ちょうどそこの下に当たる店はすべて立ち退きにあった。このデッキが開通することで、マンションと駅が直通する。このマンションの一回部分には商業施設も入るということで、何が入るか楽しみであるが、ここに店が入ると駅反対側の商店街は大打撃であろうということだけは指摘しておきたい。
ここ、小手指は西武池袋線であり、今後の東横線直通で少なからず恩恵を受ける地域でもある(http://www.nikkei.com/life/gourmet/article/g=96958A9C93819499E3EAE2E38B8DE3EAE2E6E0E2E3E0E2E2E2E2E2E2;p=9694E0E4E3E0E0E2E2EBE1E3E3E7)
同僚女性は結構な割合で同業者の男が好きみたいだけど、私は絶対嫌だよ!
だって絶対仕事の話ばっかりするじゃん!休日ぐらいゆっくりしたいよ!マネタイズがどうのとかフレームワークがどうのとか聞きたくも無いよ!
いや、仕事の話は好きだよ!同僚と仕事の話で盛り上がるの好きだよ!だいたい好きだからこそこの道に入ってるんだし。
でも彼氏とはしたくない!恋人関係に持ち込みたくない!わざわざ夜景の見えるレストラン(笑)とか行って恋人気分を高めたところで、
そこで彼氏の口からCTRとかローカライズとかって単語が出たらもう終わるもん。積極的に話に乗ってしまうもん。その話しかしないもん。台無し。
で、私は「スマホを買ったはいいもののぶっちゃけ欠片も興味なくてアプリひとつもインストールしてない」みたいな人と付き合ってて、
お互いの仕事についての話も業務の中核的な話ではなく人間関係中心の話をしていて(共有しない奴ウザイ、とか)、
あとは音楽の話とか、映画の話とか、海外ドラマの話とか、どうでもいい話とか、ちんこまんこ言ったりとか、あとは風の強い日にわざわざフリスビーしたりとか、
それで私は全然満足しているんだけど、それを同僚女性陣に言うと「えー!!(ひんしゅく)」みたいになる。
彼女たちはそんなに仕事愛なのか?四六時中ITについて、それも自分がお客さんとして言いたい放題言える立場としてじゃなく、サービス提供者としての話を、
恋人と過ごすときですら考えていたいのか?週7じゃねーか!社畜すぎる!いやいや…本当にカンベンですよ。
百歩譲ってデザイナーと開発者みたいな、それぞれ別の専門領域を持ってるような間柄じゃないとプライベートまで息苦しすぎて耐えられないと思う。
仕事が嫌いってわけじゃないんだけど、切り分けはしたいという気持ち、なぜ共有できないのかなあ。
仕事で考えるべき内容や知識がカブると、恋愛の相手としては対象外になるのよ。フォルダが違うというか。
むしろこの話は男性同僚との方が通じるんだよ。仲がいい男性同僚の同棲中の彼女もショップ店員だし、上司(男)の奥さんも銀行員だし。
何人かの人と話したが、人によって言うことが違う。
・短時間で上限までいくことはありえない
・OSのアップデートやアプリのアップデートがあればいくかもしれない
などと言われた。
料金に関してはDocomoではどうにも出来ないのでショップと交渉しろの一点張り。
ドコモショップで有料で日毎の料金明細が発行できるのでそれをショップに持っていって話せと。
私が日毎の明細だと誰が使ったかわからないので交渉できないと言ったが、機種変更日にパケット料金が増えてると確認した上でショップとしてくれと。
Docomoと話しても何も出来ませんとの回答。
最後には、Galaxy Nexusはスリープ状態でも1時間に10MBほど通信するのでモバイルネットワークが有効になった状態で電源ONなら上限までいくと言われた。
ゲーマーのソーシャルゲーに対する批判は今もとどまることを知りません。
「いずれ法規制される」と言い続けてる人はいますが、ソーシャルゲー運営側も馬鹿ではないため
釘を挿しにかかった模様ですし、今後の展開が楽しみな昨今いかがお過ごしでしょうか?
ゲーマーは何故ソーシャルゲーを目の敵にして絶滅させようと喚き散らすのでしょうか?
「同じシステムのガワを変えただけの代物で金稼ぎやがって」
こんな建前を振りかざしてる方々は沢山居ますが、本質は別のところにありそうです。
単品のゲームに5000円から高い時は1万円を超える値段を払ってゲームを買ってっくれていたからです。
今となっては、ソフトに支払う額を減らそうとして早くクリアして中古に売りさばいて金を得ようとするゲーマーも沢山居ます。
中古ゲームを扱うショップの品揃えを見ればその数が多いことは一目瞭然です。
下手したら新品ゲームの発売日にはもうすでに中古ゲームとして同じタイトルが並んでいます。
要は「ゲーム体験に支払う金額を減らしたい」という気持ちの現れですね。
そういう人達の中ではもうすでにゲームはフルプライスの価値は無いわけです。
ゲームに支払う金を減らそうと躍起になるゲーマーが増える一方、全く別の市場で新たに優良顧客が生まれました。
単なるデータに大金をつぎ込んでくれる客のいるソーシャルゲーに関して、ゲーム会社は初め批判的な立場を取っていました。
しかし、自身が苦しい立場に追い込まれると、過去の批判など忘れてついにその市場に手をつけはじめてしまいました。
その結果、ソーシャルゲーのお陰でゲーム会社の決算は上向きに転じるという、なんとも面白い状況になりました。
これらの状況を見てきてゲーマーが恐れを抱くことは明らかです。
「商売人が金払いの悪くなった客を見捨てて金払いのいい客に尻尾を振り始めている」という現状を目の当たりにして
ゲーマーが自身が見放されることを恐れて喚いているわけです。
「アイツらは流行り廃りですぐに飽きるぞ!俺達を見捨てるな!」
「短期的にはアイツらのほうが金払いいいかも知れないが、俺達はアイツらが飽きてもずっとゲームに金払うぞ!」
「お前たちゲーム会社を支えてきたのは俺達だ!ちょっとシブチンになったからって見捨てるのか!」
なんとも惨めな話です。
そしてその恐れから来る怒りの矛先はゲーム会社だけではなくソーシャルゲーの金払いのいい客やソーシャルゲーの提供会社に向くわけです。
このゲーマーにとっての惨状をひっくり返すのは実に簡単なことです。
それはソーシャルゲーの法規制の必要性をネットで喚くことではなく、ソーシャルゲーに大金を請求されたネタをコピペで広めることでもありません。
ただそれだけのことです。
商売人に尊重されたいなら、もっとゲーム会社に金払えばいいんですよ。
だって彼らは商売人なんだから。食っていくためにゲーム作ってるんだから。
金払いの良い客になびくのは当たり前の話なんです。
でも中古にゲームを売り飛ばすことを覚えたゲーマーにはそれは無理な話でしょう。
だってゲームにフルプライス払いたくないから中古に売り飛ばすわけですし。
そしてDLCにも文句を垂れる。買わなければいいだけの話なのに、文句を言う。
要は自分より金払いの良い連中が自分より優遇されるのが気に食わないわけです。
自分は今以上に金を払いたくないけど商売人からは最優先で尊重されたい。おかしな話ですね。
文句だけは一人前、でも懐事情はシブチン、そんなヤツが優良顧客として扱ってもらえる市場なんて
もう何処にも存在しないんですが、ゲーマーにとっては自分自身は何時まで経っても「ゲーム市場の優良顧客」なんですよね。
その妄想から早く醒めないと、どんどん自分の居場所が無くなるとも知らずに。
「俺はちゃんとフルプライス払ってるし、中古に売ったりしないし、DLCに不満もない」という奇特な方がいたとしても
そんなのは何の意味もないんですよね。貴方以外の大多数がそうでなくなってしまっているわけですから。
そんな方は他の大多数のシブチンの巻き添えになって滅び行く市場で残り少ないゲーマーライフを謳歌するぐらいしかできることは無いでしょう。
「任天堂、3DSに「アイテム課金型ソフト」 来年中に投入」http://sankei.jp.msn.com/economy/news/111028/biz11102814210015-n1.htm
任天堂は28日、携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」向けに、ゲームで使用するアイテムを購入して遊ぶ「アイテム課金型」の自社ソフトを来年中に投入すると発表した。
岩田聡社長は同日、都内で開いたアナリスト向け説明会で、「任天堂としても来年中に少額でアイテムを買うソフトを出す。ソフトメーカーからは来年早々にも投入が始まる」と述べた。アイテム課金を採用するソフトタイトルなどは明らかにしていない。
任天堂は11月末に、インターネット経由でゲームなどを配信するニンテンドー3DS向けサービス「ニンテンドーeショップ」の機能を拡充。ゲームの追加内容やアイテムを購入できるようになる。
最初に高校生だの大学生だのレッテル貼るとか稚拙な煽りだな。ガキだろうが貧乏だろうが議論に関係ないだろ。
それはそうと、
>>携帯サイトの登録と基本料金の割引サービスが契約上関係のあるわけねーじゃん。<<
よく読んでくれ、店員は「契約頭金を割り引く」と言ったんだ。
契約頭金の支払いは端末購入に際してショップに私がするもの。キャリアに払う新規契約事務手数料3150円とは別。
キャリアからショップへのインセンティブは数年前に総務省の指導があり規制されたが、実際はオプション付加によるマージンはいまだにある。
ましてや課金サイト斡旋はサイト運営会社とショップ間の取引なのでなんでもあり、ショップの裁量でいくらでも割引の条件にできる。
(と言っても、モバゲーゲームランキングでは男性カテゴリーにギリギリ入っている程度の順位ですが。)
では実際どの程度の成果をあげているのかを、ちょっと前にソーシャルゲーム開発をかじったことのある立場として考えてみたいと思います。
なお、あくまで今までの自分の経験から勝手に想像しているため、実際の数値とはかけ離れている可能性が大いに考えられますのでご了承ください。
まずソーシャルゲーム運営では、DAUと呼ばれる値が重要視されています。(ググれば簡単な解説が出てきます。)
これは会員数とは別に、実際に1日に何人がそのゲームをプレイしたのかの値です。
ここからは推測。
直近で開催されていたバレンタインイベントにアクティブに参加していた人数を考えてみます。
順位をそれなりに気にしていた人のtwitterへの投稿を少し見かけたところ、およそ5~6万位程度まで居るようです。
下の方の数字はあまりのめりこまずマイペースに参加していた印象ですので、もう少し数を絞って30000位台の人あたりまでは毎日コツコツアクセスしていたと予想することにします。
ちなみに継続率(チュートリアル以降もちゃんとプレイし続けている)は、一般的に初日が50%前後、そこからだんだんプレイ日数が進むごとに下がっていきます。
100万人のうち、半分以上は数日のうちにプレイしなくなっているということになります。
平均金額についてはゲームによってまちまちだと思いますが、せいぜい数千円というのが一般的だと思います。
(モバマスがこの課金率や課金額の平均値に当てはまるのかは分かりませんが。)
ネットで話題になっている廃課金が、どれほど全体の平均値からかけ離れているのかが分かります。
数千人課金する中、一人で一日の売り上げの5~10%くらいをまかなっているわけですから。
そしてこの辺について意外と知られていないのかもしれませんが、アクティブユーザや課金率、金額はデイリーの値が重要視されています。
「昨日と比べて今日はこれだけ売り上げが落ちているのは何故か?」ということが毎日やりとりされ、
中期的なイベントに加え、イベントに有利なアイテムの24時間限定ショップがオープンするとか。
このような施策が事前告知も無く絶え間なく施されることになっているのです。
この先の予定について事前告知が無いため、これが射幸心を煽ることになっているのだと思います。
つまり限定ショップが現れても、近いうちにもっと少ない資金で本当に必要なものが手に入る可能性を考えて、
(実際バレンタインイベントでも、終盤に行くほどイベントを進めるのに有利なものを購入するショップが突然現れていましたし。)
色々書いてきましたが、一番注意することはごく一部の廃課金の金額につられて平均値を上回る金額をつぎこまないよう程々にしましょう。
ということです。
今日久しぶりにざっとホッテントリを見たら数字だらけだったので、
・えっこれも無料?商用利用できる画像ダウンロードサイトまとめ15選
・Dropboxの容量を無料で誰でも4.5GBも増加出来るよ!
・au iPhoneの海外パケット通信で請求76万円に陥ったワケ
・フリーランスとか大手とか言ってないで「ソニーの開発18か条」を今こそ振り返ってみよう!
・[保存版]読むだけで文章力が劇的に向上する良質記事まとめ8選+α
恥ずかしくなるくらい狙った見出しばっかで、完全に週刊誌の中吊り状態。
そのうち、まとめサイトのまとめサイトが出てきてもおかしくないような状況。
これだけステマとか騒がれててよく飽きないよな、と思う。
『まどか☆マギカ』 まどかウエハースを140枚購入してカードをコンプリートしたスレ民・・・ | やらおん!
上記の記事を見るに、どうやら25枚のカードを手に入れるためにウェハースを140個開けたスレ民がウェハースの魔女に食べられたようなんだ。というよりもはや本人が絶望してウェハースの魔女になりかねない。むしろ俺なら魔女化する。それにしてもこのシャルのやつかわいいな。
もうすぐビックリマンシール(第1弾)も復刻されるとかされないやらで、人々の蒐集欲はどの時代もとどまることを知らない。ビックリマンシールは第1弾の37種類に新キャラが3種類増えて全部で40種類。全部で40枚だったら…うん、ダブリも考慮して60枚ぐらい買えばコンプリートできそう!
さて、ここからちょっと算数の時間。苦手なひとや結果だけ知りたいひとは次の見出しまで跳躍してくれるといいよ。
この問題は「Coupon collector's problem」として有名な問題で、日本語だと「食玩問題」とか言われたりします。食玩ってあたりがなんだか日本の文化って感じ。
さて、全部で n 種類のシールがあるとして、1種類目を手に入れるために必要な購入回数を t1 、1種類目を手に入れてから2種類目を手に入れるために必要な購入回数を t2 、一般化して、k-1 種類目を手に入れてから k 種類目を手に入れるのに必要な購入回数を tk で表しましょう。するとコンプリートに必要な購入回数 T は t1 + t2 + ... + tn-1 + tn になりますね。あとはこの犠牲 T の期待値 E(T) を求めてやればいいことになります。そして期待値は足し算を分けて考えれる便利な性質があるので、それぞれの E(tk) を求めてやりましょうか。
確率 p で起きる事象が1回起きるまでの期待回数は 1/p ですね(幾何分布ってやつ)。確率0.5なら2回、確率0.1なら10回ってのは直観的にもなんとなーくわかってもらえそう。E(tk) は 全 n 種類のうち、まだもってない n-k+1 種類を引き当てるまでの期待回数なので、 (n-k+1)/n の逆数、つまり n/(n-k+1) です。
あとはこれを全部足し合わせると、次のようになります。
E(T) = E(t1) + E(t2) + ... + E(tn-1) + E(tn)
= n/n + n/(n-1) + ... + n/2 + n/1
= n ( 1/1 + 1/2 + ... + 1/(n-1) + 1/n )
これだと足し算がいっぱいあって計算しづらいのでちょこちょこっと大学数学の結果を使っちゃうと、ほぼ次のようになります。どうしてこうなるか知りたいひとは教科書でもみとけ。
E(T) = n ( log(n) + 0.5772 ) + 0.5
さて、上の式をEXCELにぶちこんで計算してみます。セル$A$1に全部で何種類かをいれて、次の算式をどこでもいいので適当なセルにコピペしてぽちっとな。
=$A$1*(ln($A$1)+0.5772)+0.5
では颯爽とセル$A$1に25と入力してみると…おっと、95.4019、え、96個…? たった25種類集めるのに…? どうしてこうなった…。
単純に考えて、ラスト1個を引き当てるためには平均して n 回の犠牲が必要。最後から2番目には平均して n/2 回、最後から3番目には平均して n/3 回。ではまどかカードの場合この3種類を集めるのに平均して 25 + 12.5 + 8.333 = 46 回必要です。裏を返すと、コンプリートまであと3種類!ってところまでは 96 - 46 = 50 回ぐらいでたどりつけるということです。なんてことでしょう。最後の3種類を集めるためだけにほぼそれまでと同じぐらいの回数をこなさなければいけないなんて。もう最後の3つは諦めてショップで買ったほうがいいんじゃね…。
ちなみに、セル$A$1にビックリマンシールの40種類を入力すると、172回という驚きの結果が返ってきます。一部界隈で非難轟々だったように復刻版は1個30円じゃなくて84円なので、およそ14500円かかるというわけですね。ひぇー…あ、いや、案外普通だった。大きいお兄さんならなんとかなるな。
ただし、ここではキラシールみたいなレア物の確率を考慮してないので、実際はもっと期待回数はあがるんじゃないかな。
計算が複雑になるのでここでは扱う気全くないですが、 x 個買った時にコンプリートできる確率ってのも当然考えることができます。こちらのサイトには導出のイメージと計算機が公開されてるので感謝しつつ計算してみましょう。冒頭のひとは140個目で揃ったということなので、
おまけの種類の数:25
これから欲しい数:25
これから買う数:139
として計算すると…0.9169とでました。つまり、139回の犠牲をはらってもコンプリートできない人は全体のおよそ 8.3% これは40人のクラスに3.3人ぐらいの計算ですね。たしかにだいぶ運が悪い方だとは思いますが、各クラスから3.3人も魔女が出てたらそれはそれは大変なこと。
知らなかったゆえに絶望して魔女化して魔法少女に倒されグリーフシードとして消費される。でもほむらちゃんにならわたし消費されてもいいかなって、ティヒヒ。
似たような話で、アイマスシンデレラガールズになぜ大きなお兄さんは大金を突っ込むのかって話が盛り上がってたのでご紹介だよ。最後の3枚を集めるのはほんと鬼畜だってばよ。
翻訳は、村上の作品を組み立てる原理だとさえ言えるかもしれない。
彼の作品は翻訳されているだけでなく、翻訳についてのものだと考えられるのである。
村上的ストーリーにおける至上の愉しみは、とても普通の状況(エレベータに乗っている、スパゲッティを茹でている、シャツをアイロンがけしている、など)が
突然非日常(不思議な電話を受ける、魔法の井戸に落ちる、羊男と会話する、など)へ変貌するのを見ることだ。
言い換えるならそれは、登場人物が存在論的に盤石な立場から完全な異世界へと投げ込まれ、
たどたどしくも二つの世界の間をとりもつことを余儀なくされる瞬間だ。
村上作品の登場人物はある意味でいつも、根底から異なるいくつかの世界のあいだで翻訳をしている。
言い換えれば、彼の全作品は翻訳の作業を劇に仕立てたものなのだ。
村上の車の後部座席に戻ろう。
多くの企業の本社や、巨大な船のかたちをしたラブホテルを通り越していく。
およそ1時間後、風景は急峻な山道になり、私たちは村上の家に到着した。
木の生い茂る丘の上、山と海の間にある、こぎれいだが平凡な外観の二階建てだ。
靴をスリッパに履き替え、村上に連れられて彼のオフィスへと入る。
自らデザインした小部屋であり、『1Q84』のほとんどはここで書かれた。
同時にそこは彼の膨大なレコードコレクションの住処でもある。
(10000枚くらいだろうが、怖くて実際に数えてはいない、と彼は言う)
オフィスの幅広い壁二つは、床から天井までアルバムで覆いつくされている。
山々に向けて突き出している窓の下、部屋の端には巨大なステレオスピーカーが君臨している。
室内のもう一つの棚には村上の人生と作品にまつわる思い出の品々がある。
彼が『海辺のカフカ』で殺人者として想像したジョニー・ウォーカーを描いたマグカップ。
はじめてマラソンを完走したときの、くたくたの彼を写した写真(1991年ニューヨーク市にて、3時間31分27秒)。
壁にはレイモンド・カーヴァーの写真、グレン・グードのポスター、ジャズの巨匠の肖像がいくつか。
村上がもっとも好きなミュージシャン、テノールサキソフォンのスタン・ゲッツの写真もある。
私はレコードをかけてもらえないかと頼んでみた。
『1Q84』の始まりを告げ、その物語のなかで繰り返し鳴り響く曲である。
それは速く、アップビートで、劇的──まるで普通の曲が5つ、ペンキの缶のなかで決闘しているかのようだ。
同時にそれは熱狂し、ねちねちとした、暴力的な『1Q84』の冒険の主題曲として、もっともふさわしい。
村上はその奇妙さを買って「シンフォニエッタ」を選んだという。
「オーケストラの後ろにトランペットが15人いた。変だった。すごく変だった……その奇妙さがこの本によく合う。この物語にこれ以上よく合う音楽は思いつかない」
彼は何度も何度もその曲を聴いて、そして開幕のシーンを書いたという。
「シンフォニエッタを選んだのはまったく人気がない音楽だったからだった。でも本を出版してから、日本では人気が出た。小澤征爾さんに感謝されたよ。彼のレコードがよく売れたからね」
「シンフォニエッタ」が終わると、私は最初に買ったレコードは何か覚えているかと尋ねてみた。
彼は立ち上がり、棚をごそごそと探して、一枚のレコードを手渡してくれた。
「The Many Sides of Gene Pitney」。
カバーを飾るのは、華やかな姿の Pitney。60年代前半のアメリカのクルーナー歌手である。はまだらのアスコットタイに艶のある赤いジャケットを着て、髪型は崩れ落ちる波を凍らせたようにみえる。
村上は13歳の時、このレコードを神戸で買ったという(当初のものは擦り切れたため、何十年か前に買い直している)。
針を下ろすと、流れ出す Pitney の最初のヒット曲「Town Without Pity」。
劇的な、ホルンの即興とともに Piteny の歌声が黙示録的な叫びを歌う。
「若者にはつらいことがある、たくさんある/分かってくれる人がほしい/助けてくれよ/土と石でできたこの星が壊れるまえに」
終わると村上は針を上げ、「バカな歌だ」と言った。
『1Q84』を書いているあいだ、『1984年』を読み直したかと尋ねてみた。
彼は読み直したといい、それは退屈だったという。
(これが悪い評価だとは限らない。野球のどこが好きかと尋ねた際、彼は「退屈だから」と答えた。)
「始まりはいつも暗く、雨で、人々が不幸せそうにしている。コルマック・マッカーシーの『The Road』は好きだし、よく書けているけれど、でも退屈だ。暗いし、人間が人間を食べるし……ジョージ・オーウェルの『1984年』は近未来小説だけど、この本は近過去小説だ」
『1Q84』について「我々は同じ年を反対側から見ている。近過去なら退屈じゃない」
「オーウェルと僕はシステムについて同じ感じを受けていると思う」と村上は言う。
「ジョージ・オーウェルは半分ジャーナリストで半分小説家だ。僕は100パーセント小説家だ……メッセージを書くことはない。よい物語を書きたい。自分は政治好きな人間だと思うけれど、政治的メッセージを誰かに向けることはない。」
とはいえ村上はここ数年、彼にしては珍しく、政治的メッセージを大々的に言明している。
2009年、批判のなか彼はイスラエルでエルサレム賞を受賞しに行き、そこでイスラエルとパレスチナについて語った。
この夏、彼はバルセロナでの受賞式典の機会を利用して日本の原子力行政を批判した。
一度目はまったくの被害者としてだったが。
バルセロナの演説について尋ねると、彼はパーセンテージを少し修正した。
「市民として言いたいことはあるし、求められればはっきりと言う。あのときまで原発について明確に反対する人はいなかった。だから自分がやるべきだと思った。自分にはその責任がある」
演説に対する日本の反応は概ね好意的だったという。
人々は津波の恐怖が改革への媒介となってくれることを、彼と同じように、期待していたのだ、と。
「これは日本にとって転機になると、日本人のほとんどが考えていると思う」
「悪夢だけれど、変化のチャンスでもある。1945年以来、僕たちは豊かになるために働いてきた。けれどそれはもう続かない。価値観を変えなければならない。どうやって幸せになるかを考えなければならない。お金でもなく、効率でもなく、それは人格と目的だ。いま言いたいことは1968年から僕がずっと言っていることなんだけれども、システムを変えなければならないということ。今は、僕たちがまた理想主義者になるべきときなんだと思っている」
その理想主義はどんなものか、アメリカ合衆国をモデルケースとして見ているのか、と尋ねた。
「いま、僕たちにはモデルケースがない。モデルケースを作り上げなければならないんだ」
地下鉄サリン事件、阪神大震災、そして今回の津波……現代日本の数々の災害は、驚くほどにまで村上的だ。
地下での暴力的な衝動、深く隠されたトラウマが大量破壊を引き起こすものとして現れ、地上の日常を襲う。
彼は深さのメタファーを多用することで知られる。
登場人物たちはカラの井戸に降りていき、東京の地下トンネルに生きる闇の生き物に出会う。
(彼は別のインタビューで、井戸のイメージをあまりに何度も使って恥ずかしくなったため、8作目以降、できるだけ使わないように心がけたと話している)。
毎日机に向かい、集中力に満たされたトランス状態の中で、村上は村上的キャラクターになる。
それは、自らの無意識の洞窟たる創造性を探検し、見つけたものを忠実に報告する、普通の人物である。
「僕は東京に住んでいる。ニューヨークやロサンジェルスやロンドンやパリのように文明的といっていい世界だ。
魔法じみた状況、魔法じみた物事に出会いたければ、自分の中に深く潜るしかない。だから僕はそうしている。
魔法的リアリズムとも呼ばれるけれども、自分の魂の深みのなかでは、それは単なるリアリズムだ。魔法ではなく。
書くときには、非常に自然で、論理的で、リアリスティックで、合理的に感じる。」
執筆しないとき、自分はどこまでも普通の人だと村上は強調する。
彼の創造性は「ブラックボックス」であり、意識的にアクセスすることはできないという。
彼はシャイであり、メディアにあまり登場したがらない。道端で読者から握手を求められた時にはいつも驚く。
人が話すのを聞くほうが好みだと彼は言う。
実際に、Studs Terkel の日本版のようなものとして彼は知られている。
1995年サリンガス事件があったとき、村上は被害者65人と被疑者らを1年かけてインタビューし、
その結果を分厚い2冊組の本として出版した。
のちにそれは『Underground』として、大幅な簡略化をしたうえで英語に翻訳された。
この会話が終わったとき、村上はランニングに誘ってくれた。(「僕が書くことについて知っていることのほとんどは、毎日のランニングを通して学んだ」と彼は書いている)
身軽で、安定していて、実践的だ。
たがいの走り幅がつかめて1、2分たつと、村上は自分が単に「丘」と呼ぶところに行ってみないかと尋ねてきた。
それは試合の申し込みか警告のように聞こえた。
そんな言い方をした理由はすぐに分かった。
というのもまもなく「丘」を登り始めることになったからだ。
もはや走るというよりは、急な坂にさしかかって足をとられているというほうが近く、
地面が傾いたランニングマシーンのように感じられた。
道の終わりに向けて一足踏み込むと同時に私は村上に向けて「大きい丘でしたね」と言った。
そこで彼は指をさして、先にジグザグ道が続いており、私たちはまだほんのひと曲がり目を終えたにすぎないということを教えてくれた。しばらくして、二人の息が切れ切れになってくると、このジグザグ道には終わりがないのではないかと心配になってきた。
上へ、上へ、上へ。
しかし、やっとのことで、私たちは頂上に着いた。
海ははるか下に見えた。
それは秘められた巨大な水世界、日本とアメリカのあいだの、人が住まない世界だ。
その日見たかぎり、水面は静かだった。
そして私たちは下りを走り始めた。村上は村を通る道に誘ってくれた。
大通りのサーフショップ、漁師の家がならぶ界隈を通り過ぎた(彼はそのあたりの庭に古くからの「漁師神社」があるのを指差して教えてくれた)。
空気は湿っていて塩のにおいがした。
私たちは並んで浜まで走った。
村上がかつて名もない翻訳者だったころセントラルパークでジョギングをともにしたジョン・アーヴィングについて話をした。
セミについても話をした。
何年も土のなかで生き、地表にぽっと出て、わめき、最後の数ヶ月を木の上で過ごすのは、どんなに変だろうかと。
走り終えて家にもどると、私は村上の来客用バスルームで着替えた。階下で彼を待つ間、食堂のエアコンの風を受けて立ち、大きな窓からハーブと低い木のある小さな裏庭を見ていた。
最初それは鳥 – おそらくはその飛び方からして変な毛をしたハチドリのようにみえた。
が、すぐに2羽の鳥がくっついているようにみえだした。
飛ぶというよりはふらついているといった感じで、体の一部がそこかしこから垂れ下がっているようだった。
最終的に、それは大きな黒い蝶だと私は結論づけた。
見たことがないほど変な蝶だった。
浮かびながら、異星の魚のようにひらひらしつづけるその姿に幻惑させられ、
私はそれを既知の何かに分類したくなりかけたが、成功することはなかった。
それはひらひらと、およそ村上と私が走った道を引き返す形で、山から海に向けて飛び去った。
蝶が去ってまもなく、村上は階段を降りてきて、食堂のテーブルに静かに腰を下ろした。
見たこともない奇妙な蝶に遭遇したことを伝えると、彼は自分のボトルから水を飲み、私を見上げて言った。
「日本には色々な蝶がいる。蝶に会うのは変なことじゃない」
2chやTwitterを見てると、あのブログがソニーの回し者であるかのような流れになってるんだけど、何だか違和感を覚えるんだよな。
なので、とりあえず最近のあのブログのPSVITAタグの中からネガティブっぽい記事をピックアップしてみた。
1月だけでこれだけあるわけだが。
PS3の初期もこのブログはこんな感じだったし、ほんとにこいつソニーからカネ貰ってんのか?その辺はどういう解釈でみんな納得してんの?
12月も…と思ったけど多すぎて後半だけで力尽きた。
有休消化期間に入った私は、毎日自分のの送別会で出かけていた。
家に帰ると、彼が待っていた。こんな日がずっと続いたらいいのになぁと思っていた。
同時に、続くわけないとも思っていた。終わらせないといけない。
私から別れを告げるつもりはなかった。別れなければいけないとは思っていたけど、別れたいとは思っていなかったから。
彼は見事に誘導に乗り、「無理なんでしょ?」わかった。荷物は近いうちに取りに行く」というメールを送ってきた。
これで終わる、と少しほっとしたが、最後にどうしてもあの疑惑を確認したかった。
私に隠れて元カノと会っていたことについて、本当のことを言って欲しかった。
別に、会っていたこと自体をどうこう言うつもりは全くなかった。
ただ、嘘をつかれている事が嫌だった。
でも彼の答えは、「隠れて会ったりなんてしていない」だった。
そして「こんな誤解で終わるなんて嫌だ」「お願いだからもう一度信じて欲しい」「必ずもう一度信じさせる」
そんな言葉を続けた。でも、私はもう信じられなかった。
どうして嘘をつき続けるのか、分からなかった。
付き合って間もない恋人が浮気した、とかならまだよかったかもしれない。
でも私にとって彼は恋人というよりも、ものすごく大事な友達だった。入社してから5年間、ずっと仲が良かった友達。
そして、一生一緒に生きていこうと思った人だった。この人となら絶対大丈夫だと思っていた。
そんな人に裏切られた。
私はそれまでの人生で、色んな人に助けられてきた。
本当に、周りに恵まれているなぁと実感することが多かった。
病気で大学に通えなくなった時、仕事を始めたばかりで何も分からず辛かった時、元彼を亡くした時。。。
一人ではどうすることもできない辛い状況に陥った時、周りの人が支えてくれた。彼も、その中の一人だった。
だから、どんな時でも自分の周りの人を裏切る事はしなかったし、逆に、裏切られる事なんて考えた事もなかった。
でも、彼に裏切られた。
大事な大事な友達の一人で、一生一緒に生きていこうと思った彼に。
もう、誰も信じたくなかった。誰とも関わりたくなかった。何も考えたくなかった。
そして同時に、元彼のところに行きたい、という気持ちが溢れてきた。
彼が亡くなって2年1ヶ月、一度も考えたこともなかった事だった。
ずっと抑えてきた気持ちは一度あふれ出したらもう、とめることはできなかった。
もしかしたら、会社を辞めて彼の名前を見る事ができなくなってしまったことで、
コップの水がすれすれまで入っていて、彼の裏切りが、最後の一滴だったのかもしれない。
生まれて初めて「死にたい」と思った。
その日1日、死ぬ事しか考えられなかった。
そしてその日の夜私は、これから死ぬつもりであるというメールを彼に送った。
もちろん、わざとだった。
私が死んだ後、彼に私と同じ思いをさせるのだけは嫌だった。
だから自分が嫌われるためには、わざと自殺を仄めかす発言をすればいいと思った。
それに、私が死ぬなんて言ったところで、彼は絶対に相手にしないだろうと確信していた。
そういうことを簡単に言うやつは嫌い、と言われるのを期待していた。
しばらくメールをやりとりを続け、最後にするつもりのメールを送信しようとした時、玄関ですごい音がした。
彼が合鍵を使って部屋に入ろうとしていた。私の目論見は、見事に外れた。
内側からロックをかけていたので入ってこられずに済んだものの、彼は開けろと玄関先で叫んでいた。
しまいには、開けなかったら窓ガラス割ってでも入ると言い出した。
これは脅迫だろう。。。と思いつつ、仕方なく部屋に入れた。
部屋には入れたものの、彼の話を聞く気は全くなかった。
一通り自分の言いたい事を言えば気が済んで帰るだろうと思っていた。
が、何時間経っても帰る気配はなく、そのうち言いたいことがなくなったのか、無言になった。
この時点で私の当初の計画は失敗だった。
この人は、私が死んだら悲しむ事になるのかな。。。
彼に私と同じ思いをさせるのだけは、どうしても嫌だった。
だからといって、「後を追いたい」という気持ちも、どうにもならなかった。
なんとなく思いつきで、彼に「生きているのが嫌なほど辛かったことってある?」と聞いてみた。
彼は「ある」と答えた。予想通りだった。
彼は自分が辛かった時期の事を話し始めた。
気付いたら私は、「これからも一緒にいて欲しい」と言っていた。
嫌われるためにした行動で、全く逆の結果になってしまった。
でもその時私は、この人となら一緒に生きていけると思っていた。
私はこの人の事が、男としてではなく、“一人の人間として”好きなんだなぁと思った。
そんな事件があってからしばらく経った日曜日、彼と浴衣を着てどこかに行こうという話になった。
候補にあがったのは、エプソン品川アクアスタジアム。浴衣を着ていくと、割引が受けられた。
でも私は3年前に、亡くなった元彼と一緒に行ったことがあった。
結果、悲しい気持ちには全くならなかったし、以前のように元彼の事を思い出して
私は自分の変化を感じていた。
元彼は体のラインが出る服が好きで、私は服を買うときいつも自分の好みよりも
元彼が喜んでくれそうな服を選んでいた。
ピンクと白がよく似合うと言ってくれていたので、買う服はピンクと白が増えた。
でも今シーズン、ピンクと白の服は1着も買っていなかった。
元彼と付き合っていた3年前、私はヒールのある靴が苦手だった。
でも元彼が高いヒールのある靴の方が綺麗だというので、どうにか努力して
6cm程度のヒールの靴で歩けるようになっていた。
ある時、たまたま通りがかったショップの店先に、ロングブーツがディスプレイしてあった。
ちょうど欲しいと思っていたニーハイブーツ。でも、ヒールがなくてぺったんこ。あー、だめだー。
そう思って通り過ぎようとした時、もう無理してヒールのある靴を履かなくていいんだ
ということを思い出した。
私は昔、パーカーが好きでよく着ていたが、元彼がパーカーがあんまり好きじゃないというので
全く着なくなってしまいこんだままになっていた。
久し振りに出して着てみると、彼は「パーカー好きなんだよねー」と喜んだ。
ゆったりした服も、ヒールのない靴も、パーカーも、慣れてしまえばそれが普通になった。
私が着たい服を着て彼が喜んでくれるのが嬉しかった。
でも、元彼が好きだった私が消えてしまうような気がしていた。
彼を確実に好きになっていたが、好きになってはいけないという気持ちもあって悩み続けた。