はてなキーワード: ぼやきとは
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からの続き
自分の本当の想いに気づいたなら、あとは現実的な算段をつけていくだけだ。
僕が主に学びたいのは経済学である。だから経済学部のある大学を目指す。それは確定として、どの大学を目指すべきだろうか。みんなどうやって志望大学を決めてるんだろう。調べても情報が多すぎて混乱してくる。旧帝とかMARCHとかってなんぞ。ゼミとか研究室とか修士とか博士とかもよくわからない。そもそも大学の仕組みがよくわからない。最初のうちは学ぶ側で、そのうち教える側だったり、最先端の研究をする側にまわる、というのはなんとなく知ってる。以前は「4年勉強して卒業」としか思ってなかったので、これでも大学に対する理解はだいぶ進んだほうだけど、やっぱり前提知識がいろいろ足りてない気がする。
いや待て、そういった知識的な問題よりも何よりも、その前にまず僕には大学受験資格がない。僕は中卒なのである。正確には高校中退だけど、数ヶ月しか通っていないので取得した単位なんてないも同然だ。どこを志望するとか、大学に通う資金はどうするとか、それ以前の問題だ。受験資格を手に入れなければ、スタートラインに立つことさえできない。まずはその問題から片づけよう。あとのことはあとで考えよう。
そういうわけで大検について調べてみる。どうもいまは名前が変わっているようで、高等学校卒業程度認定試験、略して高認という名称になっているらしい。試験は年2回、8月と11月に行われる。科目は、国語、英語、世界史A/B、日本史A/B 、地理A/B 、現代社会、政治・経済、倫理、科学と人間生活、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎、数学I。これらの中から8〜10科目を受ける。合格ラインは40点前後らしい。半分正解できればいいのだ。しかし高校で習う教科ってこんなに多いのか。けっこう大変そうだ。文科省のサイトで過去問が公開されているようなのでひとつずつ見ていく。
まずは国語。大問が4つで、現代文が2問、古文・漢文が1問ずつ。現代文のほうは普段から本を読む習慣のある人なら普通に解けそうな感じだ。僕もいちおうコンスタントに本は読んでいるし、現代文に関しては問題なさそうだった。古文と漢文に関しても文章の意味は7割以上わかるし、試しに問題を解いてみたら全問正解だった。あれ? 古文・漢文って中学でやるんだっけ? 独学でやった覚えはないから、中学でやったんだと思うけど、20年たっても意外と覚えてるものだと思った。文法とかはさっぱりわからんけど。
英語に関しても問題なさそうだった。英語は二十代のころに必死こいて勉強した時期がある。1回だけ受けたTOEICは680点だった。そのあと半年海外を放浪して日常会話くらいなら問題なく喋れるようになったし、これで合格点を取れないってことはまずあるまい。
次は世界史。これに関しても最近やったばかりだし問題なさそうだった。AとかBとかどう違うんだろ、と思ったけど、Bのほうが範囲が広く、より深い内容になっているらしい。高認の試験ではかぶっている問題が多いし、そんなに違いは感じなかったけど。ちなみにA/Bどちらを受けるかは当日に試験問題を見てから決めていいらしい。
日本史、もしくは地理。これは願書提出時に事前選択するようだ。日本史はかなり難しい。半分正解できるか、ちょっとあやしい。地理のほうが点数を取れそうだったので、こちらを選択することにした。半分は正解できそうだけど、これに関してはちょっと勉強しておいたほうがいいか。
公民は、現代社会、もしくは政治・経済+倫理から選択する。科目数は少ないほうがいいので、現社でいくことにした。毎日ちゃんとニュースを見ている社会人なら誰でも普通に合格できそうな内容だ。これは勉強する必要はないかな。
理科系科目は、化学基礎、物理基礎、生物基礎、地学基礎のうちから3科目を選択するか、もしくは科学と人間生活+どれか1科目。これも科目数が少ない後者でいこう。
科学と人間生活って聞き慣れない教科名だと思ったけど、理科総合のことのようだ。学習指導要領が改定されて、つい最近こうなったらしい。試験は基礎4科目からそれぞれ易しめの問題が出される感じ。でも半分いけるかちょっと微妙なラインだ。これは勉強必須だなあ。
あとの1科目は地学基礎にした。これも以前は地学Iとかだっけ。地学I→地学基礎、地学II→地学、みたいな感じで変わってるようだ。これも半分いけるか微妙。勉強必須。
まあでも理科系科目がちょっと不安なくらいで、全体的にはけっこう余裕かな。なあんだ、身構えて損したよ。ハハ。ああ、そういや最後に数学が残ってたっけ。まあこれも余裕かな。ハハハ。じゃあちょっと過去問を見てみようかな。
え? これあれでしょ? 東大入試問題でしょ? ちょっと文科省さんしっかりしてくださいよアップするファイル間違えてますよやだなあもうホントかんべんしてくださいよマジで。マジで……。なんぞこれ……。1ミリもわからん……。死にたい……。
マジやばい。本当に本気で1問もわからない。最初のほうのサービス問題っぽいのすらわからない。解き方がわからないとかじゃなくて問題文の意味すらわからない。なにこれマジやばい。というかいまさらだけど自分は文系だったのだとこのとき初めて気づいた。プログラミングで飯を食ってたりするんだからてっきり自分は理系なのだとばかり……。マジかよ……。
嘆いていてもしかたない。これをどうにかしないことには大学には行けないのだ。ならどうにかするしかない。
まずは本屋で数Iの参考書を立ち読みしてみる。なるほど、わからん。よし、次だ。中学数学の参考書。なるほど、わからん。よし、次だ。算数の本。なるほど、わかります。でも、最大公約数とか最小公倍数とか通分とか約分とか、けっこう難しい。小学生ってこんなのやってるのか。すげえな。
参考書とドリルを何冊か買って帰り、勉強を始めた。地獄のような日々の始まりだった。
算数ドリルをやってみると、四則演算はさすがにできるけど、九九がところどころ記憶から抜け落ちてることに気づいた。やばい。そして分数の計算がまったくできない。分数の割り算ってなんだよ。割り算で割るってどういうことよ。意味わからん。と思いつつも、算数についてはなんとかなった。問題は中学数学からである。
算数から数学になると急激に難易度が上がる。なんでマイナスとマイナス掛けたらプラスになるの。分数の割り算が今度は逆数の掛け算になるとかどういうことよ。ちょっともう本当に意味がわからない。そうしているうちに1週間、2週間が過ぎる。やばい。それでもぜんぜんわからない。中学数学の最初の段階でこれだけ時間かかってたら数Iを終えるまでに何年かかるんだ。本当にこんなので大学へ行けるのか。さすがに焦りが出てくる。心が折れそうになる。何より、やっていてまったくおもしろくない。つまらない。こんなの社会に出てから何の役に立つんだ。これを必修にするとか文科省の陰謀だろ。あ、人が陰謀論に走るのは精神的にまいってるときなのか。ひとつ勉強になった。
そんな感じでウンウン唸りながらも参考書を読み進めていると、「-xは係数に1が隠れている」という一文が目に止まった。あ、そうか、-xは、-1x、-1掛けるxってことか。なるほど。でもこれって、マイナスだけじゃなくてプラスでも同じじゃないか? つまり、xは、1掛けるxなのだ。あ、これって文字じゃなくても同じか。つまり、5は、1掛ける5だ。あれ? もしかして、どんな数にも、係数として1が掛かっている……? ああなんだか考えすぎて頭がパンクしそうだ。脳みそがギシギシと軋む音が聞こえる。でももうちょっと考えてみよう。
つまり、つまり分数も同じなのだ。1/2は、1掛ける1/2だ。算数的にいえば、ケーキ1個を半分にしたものがケーキ1/2個だ。うん、それでいい。でもよく考えたら、ケーキを半分にしたあとで他の誰かがやってきたら、その人は最初の大きさを知らないのだから、半分のサイズのケーキを1個とカウントするはずである。1/2個とカウントするには、「半分にした」という事実の認識が必要なのだ。いや待て、そもそも、1/2という数字それ自体が「半分にする」という意味なのだ。これは、「半分」という名詞ではなく、「半分にする」という動詞なのだ。1/2というのは何か実体のあるものではなく、「いまからお前を半分にしてやる」という意思、考え方、概念なのだ。
そのとき「バタン!」と音を立てて扉が開いた。それは数学の扉だった。
そうだ、数(すう)とは概念なのだ。いち、にぃ、さん、とものをかぞえるときに使う数(かず)とは違うのだ。そして前者を扱うのが数学であり、後者を扱うのが算数なのだ。僕はいままで数学をやっているようで、その実、算数をやっていたのだ。ぜんぜん違う教科をやっていたのだから、わからなくてあたりまえ、つまらなくてあたりまえだった。
数とは概念である。その前提を踏まえてみると、これまでとはまったく違う世界が見えてきた。数を感覚的に扱えるようになってきた。数式の手ざわりがわかるようになってきた。なにこれやばい。超おもしろい。いままで「数学おもしろい」っていう人のことがまったく理解できなかったけど、そうか、こういうことか。数の正体を知っている人と知らない人では、同じ数式を見ても、まったく違うものを見ているのだ。
それからはこれまでの苦悩が嘘のようにサクサクと勉強が進んだ。中学数学も予想より早く終わった。よし、ここからが本番だ。と気合いを入れて数Iに突入したけど、参考書をパラパラとめくってすぐに拍子抜けした。なにこれ中学数学をちょっと発展させただけじゃん……。気合い入れて損した……。
よし、最大の懸念だった数学はなんとかなりそうだ。次は理科系科目にいってみよう。
まずはまた本屋で参考書を何冊か購入し、読んでみる。数学のときほどまったくわからないということはないけど、なんだかいまいち頭に入ってこない。原子がどうの、位置エネルギーがどうのといわれても、なんだかいまいち実感がわかない。これはまた数学のときと同じく、勉強の仕方を間違えているのではないかと思った。こういうのを学校で習うときは、実験を行いながら、実感をともなって理解していくもののように思う。本を読むだけではその実感は得られないのは当然だ。でも個人で実験器具を揃えるなんて現実的じゃないし、わざわざこのためだけに予備校に行くのも大げさだ。そうだ、どこかの動画サイトに実験映像がアップされてるんじゃないだろうか。それを見れば多少は実感もわくだろう。
いろいろとネット上を探していると、NHKの高校講座を発見した。どうやらNHKでは放送済みの高校講座をすべてネット配信しているようだ。理系科目はもちろん、文系科目もある。こんなんあったのか。もっと早く教えてくれよ。とかぼやきつつ、さっそく科学と人間生活の講座を見てみたら、バラエティ番組っぽい雰囲気でちょっと面食らった。NHKの高校講座ってこんなんだっけ。講師が延々と解説してるだけの、いかにも教育番組って感じの、おかたい雰囲気じゃなかったっけ。いまはタレントがメインで出ていて、講師はあくまで補佐的な役割のようだ。そのぶん雰囲気はゆるくなっているけど、見ていて飽きない作りになっている。化学や物理の実験を映像で見られるのもそうだけど、習った内容が社会の中で実際にどう活かされているのか、町工場や、最先端の研究の現場のリポートもあったりして、興味をかきたてられる内容になっている。これを無料配信するとか、NHKすげえな。しかしやはりこういう講義形式はわかりやすい。本で独学だと、自分の理解が合ってるのかどうか、不安になることが多々あるし。
よし、どんどんいこう。化学基礎。いまはpHを「ペーハー」じゃなくて「ピーエイチ」って読むらしい。マジか。物理基礎。ダムの水が持つ位置エネルギーは何から与えられたエネルギーか。え、わからん。正解は太陽のエネルギー。マジか。太陽パネェな。生物基礎。呼吸と燃焼の反応式は同じ。温度と反応速度が違うだけ。え? マジで? 生まれたときから呼吸してるのに知らんかった……。ショック……。地学基礎。グリーンランド沖で沈み込んだ海水は、太平洋の表層に達するまでの5万kmを、1000年とか2000年とかかけて流れる。壮大すぎだろ。地球パネェな。地理。お、このケッペンの気候区分ってのは世界一周アプリに使えそうだ。GIS(地理情報システム)を本気で開発するなら、地理に関してはもっと突っ込んだところまで勉強しないといけないかもしれないな。
さらに日本史、世界史、数学I……NHK高校講座おもしろすぎわろた、とかやってるうちに、試験本番の日がやってきた。
試験会場に集まっていたのは、ほとんどが二十歳前後の若者だった。控え室には、参考書と格闘している人もいれば、友人同士で最終的な確認をしあう人たちもいる。そういえばこの人たちはベルリンの壁崩壊後に生まれてるんだよな。それはもはや教科書で習う「歴史」なのだ。そして逆に、僕より上の世代にとっての東西冷戦は、自分たちが生きた時代そのものだ。「あのままずっと世界は真っ二つに分かれたままだと思ってた」というような話はよく聞く。いまとなってはわからない感覚だけど、当時は誰もがそう思っていたようだ。僕はそのどちらでもない。十分に咀嚼された「歴史」でもなく、自分が生きた時代でもない。だからそれについて、誰よりも知らない。しかしだからこそ、誰よりも知りたくなったのかもしれない。そしてそのために、僕はいま、ここにいる。
高認の試験は2日間に分けて行われる。初日の1科目目は現代社会だった。まったく対策らしい対策をしなかったから、ここで初めて気づいたけど、グラフの読み取り問題がやたらと多い。間違い探しのように精査しなければならず、1問にかかる時間が長い。問題よりも時間配分の仕方がわからない。時間が足りない。もっとちゃんと過去問で練習しとくんだった……。
次は国語。問題文にちょっとおもしろい箇所があって、静まり返った試験会場で「デュフフwww」とかキモい笑いを漏らしてしまった。死にたい。しかしおかげで緊張はほぐれた。
英語はTOEICに比べたら楽勝だった。9割はいけたんじゃないだろうか。
そして数学。これがいちばん不安だったけど、落ち着いてやれば余裕だった。これも9割いけたんじゃないだろうか。あらためて問題を見てみると、捻った問題というか応用問題すらないので、基本的なことがわかっていれば確実に解けるようになっている。東大入試問題とかいってたやつ誰よ。
科学と人間生活。範囲が広いのであまり詳しく勉強してない箇所の問題もあったけど、半分はいけたはず。
1日目、無事終了。
2日目。地理。海外放浪のときにまわった国の問題が多く出ていて、なんだか常識問題のようだった。ちょっとチートっぽいけど、こうやって実地で得た知識もれっきとした学力だ。うん。
世界史。これも範囲は広いけど、さほど突っ込んだ問題はない。9割いけたはず。
地学基礎。フズリナと同時期に繁栄した生物は、1.トリゴニア、2.カヘイ石(ヌンムリテス)、3.ロボク、4.デスモスチルス、そこまで詳しくしらんがな。クイズか。そんな感じの問題もあったけど、なんとか半分はクリアできた。
2日目も無事終了。
試験が終わると一気に力が抜けて、何もやる気が起こらなかった。しばらくは勉強もせずダラダラと過ごした。
1ヶ月後、試験結果が届いた。
全科目合格だった。
それが先週の話。
だからこのお話はここで終わりだ。正確にいうなら、ここから先の展開はまだわからない。
数学の扉を開いたとき、数式が以前とはまったく違って見えたように、新しい視座を得れば、世界がまったく別物に見えてくる。世界が変わる。そしてまた、以前は気づかなかった、新しい視座の存在に気づく。
あとどれくらい、そんなことを繰り返せばいいんだろうか。
方程式、定理、法則、電気、磁気、エネルギー、素粒子、宇宙、銀河、太陽、地球、生命、遺伝子、進化、化石燃料、製錬、農耕、富、労働、権力、支配、隷従、社会、自由、イデオロギー、宗教、民族、言語、貨幣、法、国家、議会、政党、福祉、教育、研究、産業、組合、企業、グローバリゼーション、条約、為替、貿易、経済。
時間軸と空間軸を埋め尽くす、無数の点と線。それらが織りなすのは、世界という長大な書物。
そのことを考えると、なぜか胸が苦しくなってくる。無性に泣きたくなってくる。
人生のすべてを費やしても、その書物を読み解くことは決してできないと、どうしようもないほどに思い知らされるからかもしれない。
それはきっと、生まれながらに組み込まれた、僕の中の最もプリミティブなプログラム。
どんな権限をもってしても、そのプロセスを殺すことはできない。
だから僕は、今日も本のページをめくり、旅をする。
頭を抱えて、俺は床の上でうずくまっていた。
「大丈夫ですか?」
ふと女の声が聞こえた。床の上から見上げると、気遣わしげな顔で俺を見る、黒髪ロングで利発そうでしかも身持ちの固そうだが惚れるとぐいぐい来る感じの、ひたすら男にとって都合のいい女がいた。
「あの、これ、使って下さい」
彼女はすっとスカートのポケットから札束を取り出して、俺の目の前に差し出した。
「えっ、そんな、悪いですよ」
まるで彼女の心の有り様を表すように、ぴんと折り目のないピン札だった。
口座番号を教えてもらえますか?」
これが俺たちの出会いだった。その後俺は、彼女の税務署や労働監査署との戦いに巻き込まれて、我が身の不幸をぼやきながら結局彼女の力になっているうちに、なし崩し的にカップルになったのだ。
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。
ひどい田舎で便所事情も悪くバキュームカーとてくるかどうかの地。
便器で滑って死んだ子がいるような時代だった。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだうんこを、祖母は掴んで食べていた。
怖がる私をものともせず、祖母はうんこを食べまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、スカト○なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれたうんこに罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、食べられたうんこのことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
猫のうんこを食べる祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は糞便まみれ汚物まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はスカトロだったが、その祖父母もにたようなスカトロなんだって今になって思う。
猫はかわいいとか言われているが、うんこまで食べることはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母がうんこを食べてるとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんなうんこを食べたのかっていうと、おいしいってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前でうんこを食べる場面を見せることなどできはしない。
食生活が違うんだろうなって思った。
昭和の頃・・・小学校の夏休みに私だけ父の実家に滞在したことがある。
ほんの数日だ。
しかし、とても恐ろしい思い出をもった。
祖父母は和歌山の山奥に住んでいる。
熱く炊きすぎた風呂釜に滑ってやけどで死んだ子がいるような時代だった。
この地で、祖父母は農業をしているんだが、子供心に残酷な祖母の姿を見たことがあるのだ。
小屋に住みついたメス猫が生んだ子猫を、祖母は首根っこ掴んで叩き殺していた。
怖がる私をものともせず、祖母は子猫を殴打しまくってぼやきながら首をひねっていった。今だったら完全、動物愛護違反なんたら・・・。
自分は、とても恐ろしい秘密を祖母の実家で見せられた気がした。
数年後、父もこんな祖母を見て育ったのだろうかと思うとぞっとした。
それで・・・・・・・・・・・・・・あれから数年たって振り返ると、未だに不思議だった。
生まれた子に罪はないとかいう台詞をドラマで見た思春期の頃、殺された子猫のことを思い出してはトラウマになっていた。
だが、祖父母の子である父もそういう環境で育ったことの影響力を後々、両親の離婚の危機で思い知る。
生物や命を粗末に扱う祖父母たちの子である父は、パチンカスになっていた。
やがて、父は借金まみれ賭博まみれで蒸発し、家を売り払い母に借金を肩代わりさせていた。
母子家庭となった私は、嘆く母を支えながら父を恨んで貧困家庭で育った。
本当に、あの祖父母にして父有り。
そう感じてた。
父親はクズだったが、その祖父母もにたようなクズなんだって今になって思う。
猫は獣害とか言われているが、命そのものをむやみに奪うことはダメだと思うってなんとなく小学校の頃、感じてたんだ。
祖母が子猫を殺して命を痛めつけているとき、私は祖父母が残酷な支配者のようで泣くことしかできなかった。
なんで祖父母はあんな残酷に子猫を殺せたのかっていうと、家の畑を荒らすし、人間の生活を荒らす害になるものだってだけなんだろう。
でも、それでも自分は自分の孫娘の前で子猫を殺す場面を見せることなどできはしない。
倫理観が違うんだろうなって思った。
https://note.mu/yuco/n/n1fe8ee847fa6
これ見て専業主婦の人の中にはこんな風に考える人がいるんだと驚いた。
自分の友達で一番多いのは正社員女性、そのうち何割かは子持ち、次いで子持ち専業主婦、次いでパートもしてる人。
専業主婦楽そうなんて思ったことは一度もないけど、一番悲惨なのは子持ち正社員女性だと思ってる。
子どもがある程度大きくなって時短勤務とか変則的な勤務形態から外れたら、男含めた他の正社員と同じ働き方を求められる訳で。
4時まで仕事して子どものお弁当徹夜で作るとか、会社の近所にアパート借りて子ども寝かしつけてから会社戻って残業とか、
いつか過労死しそうな人たちばっかりだよ。
親の介護にお金が掛かるとか旦那の給料少ないとかシングルマザーとかそういう理由で正社員辞められないからやってる訳で。
一番つらいのは子どもに向き合えないことだって。保育園やめてシッター雇うとかの選択肢がそもそもないんだよ。
だから保育園で優先されるのも当然じゃないかと思いますよ。ちょっとくらいマスコミに注目されてもいいじゃない。
今までの日本は専業主婦とパートタイマーがロールモデルで、初めて注目されてる訳だから。
私は子がいないけどそう思うよ。
僕は専門でデザインの勉強をして、デザイン関連会社に就職したものの、流れ流れで営業をやっている。デザインをすることは好きなので、専門時代の友人や友人の知り合いから、頼まれれば数えきれないほどタダでフライヤーを作ったり名刺を作ったりしていた。
僕自身、デザインの勉強はしていたもの、それで食っているわけでもないし、専門時代は「外部の仕事は買ってでもしろ」「タダでもデザインをいっぱいさせてもらえ」と講師に口酸っぱく言われていたので、お金を請求するっていう発想がなかった。ご飯をおごってもらったり、なんかもらったりすれば満足していた。お金の話は大嫌いなので、避けてしまっていた節もある。
先日、僕が作った友人のイベントフライヤーを見たアパレルの店長さんが、今度改装するお店のフライヤーを作ってほしいと頼まれた。彼はもともと東京の人で、この地方に来てからデザインできる知り合いがいないという。少々こだわりあがるためちゃんと顔を合わせて打合せして作りたいとのこと。ちょっとした見積書をもらって、ひっくり返ってしまった。
こ、こんなもらえません、と恐縮ながらその人に話した。デザインでお金をもらったことがほとんどないことも。彼は「いやいや、ここまでちゃんと商業的にデザインが出来るのに、お金をもらってないことがおかしいよ」と諭された。
フライヤーは無事出来上がり、お金をいただいた。店長さん曰く評判もいいとのこと。また頼むよ、なんかあったら紹介するからと肩を叩かれとてもうれしかった。
と、同時に、なんだかうまく言えない虚しさも感じている。多少手間がかるところもあったものの、製作期間・手間は友人らに頼まれて作るものと何ら変わりなかった。今の血肉になってるとはいえ、仕事の合間を縫って作っていた数々の制作物、ちゃんとお金をもらっていたらいくらになったんだろうと思う。こんなこと友人に思いたくないけど、搾取されていたんだよなあ。いや、お金に目がくらんでるとかじゃなくて。
好きでしている事って、お金に代えがたい。すきを換金するようでなんか嫌だった。でもちゃんとした技術で、お金を得ることは全然変じゃない。ちゃんとお金のはなしできるよう、ニーズがあるのならいくら趣味でもちゃんと相場と単価を考えておくべきだなと思った。
150203_追記
ぼやきで書いたのでコメントついてびっくりしています。ありがとうございました。
ちょっと補足です。店長さんのお店は本社があって、フライヤーの製作費は本社から出たようです。お金に関して全くとんちんかんな僕の代わりに店長さんが見積書を作って本社に出してくれました。
町には1つしか中学校がなかったため、式には見たことのある顔しか集まってこない。
留学していたり遠方に住んでいる人たちは流石に来れなかったようだけれども、彼らと仲の良い人たちから近況を聞けたのは有意義であった。
他の市のように新しく見る顔がないから、当然のごとく、式後の会食は中学校で形成されていたグループに分かれてた。
あまり盛り上がりはしなかったが、気心の知れた友人たちと会えたのは嬉しかったし、友人を通じて母校以外の小学校を卒業した人たち(彼らは私立中に入ったり引っ越したりしていた)と会えて単純に嬉しかった。
会場を閉める時間が近づくと、それぞれのグループがどこの居酒屋へ行こうか相談しだした。
私がいたグループのそうだった。
どこのグループも華を欲していたのは読者の想像にも難くないであろう。
「男女の均衡が釣り合わない。」
「グループ全員で行ってしまえば居酒屋の席は別々になってしまう。」
私は除け者を買って出た。
後ろ手に十字を組みたかったが、我慢した。
するともう一人でてきた。
彼はドライバーだったから、居酒屋グループを降ろしたあと、二人でボウリングをしにいった。
どうやらボウリング部員だったらしく、私に手取り足取り投球方法を教えてくれた。
5ゲーム投げて、自己新記録を出したところで迎えに来てくれという旨の電話がかかってきたため、居酒屋へ移動した。
一応声をかけるため二人で中へ入ってみると、他のグループも混ざって、席を行ったり来たりしながら皆で飲んでいた。
車に戻って彼らを待っていたが、一向に帰ってこない。
ずっと煙草を吸っていたら、ボウリングの彼も吸いたいと言い出したから、一緒に吸った。
彼は初めて吸うのだと言いながら嬉しそうに咳をしていた。
今度こそ後ろ手に十字を組もうかと思ったけれども、組めなかった。
はてなブックマーク - 財務省 35人学級を40人に戻すべき NHKニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20141023/k10015624931000.html
常勤講師時代を含め、全日制・下の上レベル40人、夜間定時制20人、全日制底辺校35人と授業経験がある。教科は数学。
もっと細かく言うと40人クラスから進学希望者の抜けた学習意欲の少ない30人とか、定時制の30人にTTで授業とか、底辺校35人のさらに習熟度下位の15人とか、内容は様々だ。学級自体の人数編成が違うのは都道府県をまたいでいるからだろう。
あなたは「いま勤務時間じゃねーのか」と突っ込むかもしれないが、年休である。
先に断っておくが、ここに書くのは上記のような比較的学力の低く様々な事情を抱えた生徒のいる高校についてである。小中学校や中堅以上の進学校ではまた別の問題があるのかもしれない。自分はまだ経験不足なので見たままのことしか話せない。
記事に対し「5人くらい変わらないだろう」ってコメントもあるけどまったくそんなことない。
まず環境説明だけど、だいたい教室の中には数人ほど、集中できていない様子の生徒や、机の下で携帯を触ろうとする生徒がちらほらいて、そんな彼らにすぐに注意・指導ができるように気を配りながら授業を行っている。そんな中には授業どころではない問題を抱える生徒も少なくない。なんというか高校生とはいえ中学校4年生みたいな幼さの子もたくさんいて、友達同士でのいざこざで情緒不安定になり机に突っ伏し、起こすと泣き出して教室を出て行くなんてこともままある。
はてなの高学歴諸氏にはイメージできないかもしれない。自分も高校教員になって面食らったものだった。高校ってこんなに幼い集団で、教員がそこに介入していたかなと。
そしてそんな学校では授業時間であれ、教科の指導内容以上に生徒掌握が大事だ。まず勉強しようという姿勢がなければ授業はただの音声でしかないし、そういった部分からどんどん授業はほつれていく。
そんな中で授業をする上で、5人の違いというのは本当に大きい。そこには色々論点はあるだろうがシンプルな2点から言いたい。
まず教員側として、数人の違いで生徒へのケアの可動域ががらっと変わる。5人少ないだけでこちらの目はかなり行き届くようになるし生徒の反応もこちらに届きやすい。これは人数なんかで変わらんだろうとは言わせない。なら教壇に立ってみろ。
もう一つは生徒の様子の変化だ。特に持続的な集中力に欠ける生徒、情緒の安定しない生徒は、教室内の環境に大きな影響を受ける。
今なんてまさにその時期だが、例えば文化祭の準備でもめてクラス内に少し不穏な空気が流れると、関係のない授業中にも教室にいるのが辛くなって保健室に行く生徒がいたりする。それでもその生徒も習熟度別科目で教室内の人数が減ると教室に戻れたりするのである。他にも生活全般に問題がありよく教員と問題を起こす生徒も、35人の教室では授業を受けられなくても30人の教室では筆記用具を持って授業に取り組んでいたりするのだ。
そんな変化が、特に低学力な生徒や、家庭環境に不和を抱える生徒の多く集まるような学校では顕著に現れるのである。
もちろん、だからといって人数が少ない方が生徒が受ける負担が減るとは限らないかもしれない。けれどそこに対しケアが行き届きやすくなるのならそちらの方がいいだろう。
以上。これはただのぼやきだが異動したい。ずっと学力の低い高校で中学校数学から数学Ⅰ、就職試験対策の算数をやってきたけど、そろそろもっと数学の話をしたい。
追伸
今更ながら、どうでしょうアフリカ編を最後まで見た。一応最新作ということでいいのかな。もー、これはどうしようもない駄作。全盛期に比べて近年の企画がまぁそんな面白くないというのは感じてたんだけど、今回はそういうレベルじゃなく、もうケタ違いに面白くない。もしかすると信者たちはどうでしょうはゆるさがいいんだからこれはこれでいいんだなんて言うのかもしれないが、ダメだよクソはクソだって言わなきゃ。これはどう考えても普通の、どこの地方局でもある、普通につまらない番組でしょう。初期からずっと見てきた大好きな番組なのに残念すぎる。あまりにつまらなかったんで途中で見るのをやめたかったんだけど、一応最後まで見ないで結論づけるのもどうかなとおもって、何度も興味を失いながらもなんとか最後まで見た。
どうでしょうの面白さの重要な要素の一つにディレクションが素人な点にある。むちゃな企画、スケジュールの詰めの甘さ、普通のスタッフなら行う事前調査やロケハンなどをしないスタイルが行く先々で想定外のトラブルをうみ、それが大泉のぼやきのねたになったり、ケンカのくだりに発展したり、視聴者の予想を超える展開が起こってきた。
ところが今回は、企画やコーディネートをプロが担当した、というか丸投げしたと番組の中で語られている。その理由は不明確だったが、これが本っ当に大失敗だったと思う。プロがしっかり企画しちゃってるんだから当然動物も絶景も見れるし、それによるトラブルやケンカも起こらない。出演陣も見慣れない絶景を見せられてただすげーすげーと連呼するしかない。絶景を前に出演者は感動するものの、相変わらず撮影のテクニックや機材はないもんだから、視聴者にはいつものホームビデオなみの映像をみせていて、これがものすごい温度差。正直言ってアフリカの動物っていうのは生で見るから感動的なんであって、視聴者にとっては他の番組でもっと鮮明な映像たくさん見てるんで散々見飽きてるわけ。この温度差はほんと致命的で、見ていてどんどんしらけていく一方でした。こういうところは2秒くらい使ってばっさり切る、とかさ。そのくらいの初期の編集やってほしい。アフリカ行ったのに動物の映像全くないとかさ。そういうくらいじゃないと。
コーディネータがついた企画は今までもあったと思うんだけど、企画の部分はちゃんと自分たちで考えないと、こういうことになる、ということをご本人たちにわかってほしい。最近のあの4人は、とにかく4人が集まれば、企画が何であろうとなんか面白い方向にころがっていく、と思っているように感じるんだけど、そういうことじゃないということに今回で気づいて欲しい。企画から丸投げするならロビンソンみたいな人にお願いするとかじゃないと。
そんなわけでもー今回は1回1回の30分が本当に長く感じた。これまでのどうでしょうなら「え、もう終わっちゃうの?」「早く続きがみたい!」って思ったものだけど、今回はまだやるの?みたいな感じ。感覚としては友人が作ったホームビデオを延々見せられているような退屈さに近い。ただのアフリカ旅行記。本の宣伝のくだりとか1,2回やれば十分じゃないの。床屋に行くっていう冒頭の展開も意味分かんないままだしさ。こういうのも使うのは2秒だけでいいよ。あーもう細かいこと言うときりがないのでやめる。全編通して俺がちょっとクスッとしたのはミスターがカメレオンを頭にのせたシーンのみでした。
番組内でもう40や50にもなって無茶できない的なことを藤村が何度も言ってたけどさー、はっきりいってそのくらいの年齢でむちゃやって挑戦して面白いもの作り続けてる人はたっくさんいるっつーの。アホか。勝手に老けこんでないで、もう一度面白いもの見せてくださいよ。次つまらなかったら俺はもう見るのやめるよ。
facebookとlineはやっていないがtwitterはやっている。
職場関係の人間と関係性は恐らく普通であるがプライベートでの付き合いはほぼないし、
リアルにおいて自分の趣味が漫画アニメゲーム歴史と同人創作及びフィギュア収集だなんて言えるわけが無い。
(ジャブをかまして同類を見つけソイツと友達になるなんて芸当が出来る術を身につけていたらリア充になれたろうに!)
つまり自分にとってのリアルで趣味に没頭できるのは自室のみのオンリーワンということになる。
でもやっぱり趣味について話をしたい!・・・うん、結局それに尽きる。
かといってお互いの人格を把握した上で語るとなるとどうしても相手を意識して言論を控える。
となるとfacebookとlineはほぼリアルでの人間関係になってしまうから自分みたいな人間には端から論外のツールで
ある程度匿名性が保たれるとはいえ、twitterも会話は@を飛ばす一対一になりがちで
所謂学級会のように不特定多数が一箇所に集まってガヤガヤ一つのテーマを語り、色んな相手と無節操に会話できるのは
まとめ民はまとめとそのコメント欄で自分の意見を肯定されたと満足を得るのだろうけども
まとめでは熱気をはらんだまま語れないし。
專スレだとノイズもさほどないし、気になるなら專ブラや2chmateであぼんすればすっきりする。
そんな訳で自分にとって唯一自分の立場を気にせずに多数と語れる場は2chしかないので2chを使ってる。
(話はそれるが)
自分はネラーだが世間でザ・2ch!の代名詞に掲げられるようなケンモだのvipだのニュー即だの使ったことがない。
あそこはネラーでも自己顕示欲が強い人間ばかりにしか見えないし、あんなところより専門板專スレの方が情報集約されてる。
無断転載問題といわれても他のサイトソースをそのまんま持ってくるってのは上で上げたザ・2ch!代名詞の話であって
自分の常駐場所だとうpった写真が転載されて・・・ってのが酷かった。
スレまとめwikiがあるだけに、それがアフィに使われる事への不満たるや。
jimとひろゆきの騒動はひろゆきの訴訟回避故に会社を売って~から起因しての金銭トラブルっぽいけど
旧運営のようにアフィブログ経由して利潤をホウボウに提供する土台になる「転載元ソース2ch」ってのはいやだな。
2ch運営のまとめブログなりwikiで2chスレをまとめて2ch内で帰結し
風邪を引いた旦那に病院に行けといったら感情的過ぎる人にモノを頼む態度じゃないお願いするならどこそこの病院がいつなら開いていて診察券が要るか要らないかを伝え、などという。
何で感情的になるかって、小さな子供も居るっていうのに二週間も咳は所構わずする、注意するとお前は馬鹿か、見てんのかとキレるし病院に行って早く治してと云っても忙しいからいけるわけないと行かない。寒いのに家ではシャツと年中おんなじ綿の半そでの肌着でだらだらしてて寒いから上に羽織れとやさしく言ったり強く言ったりして何とか着たり着なかったり。挙句に自分のためにそういう事云ってるんだろと。
幼稚園児か。
今日は何も予定がなくいけると思って云ったらキレて俺を隔離したいんだろうなどと云う挙句には実家に帰るとか言う・・・
お前こそ馬鹿だよね~と思うが云わなかった。
きれい好きじゃないし仕事用のスーツも替えなんかいらないカネの無駄だとか云ってよれよれの着てるし一緒に住むまで気がつかなかったけどシャツの襟を下洗いする習慣もない家の人でそれでもきれいなほうを気に入ってこの習慣をいいと思ってくれればいいけどどうも余計なことしてると思ってる節がある。義母は普通に見えるのになぁ・・・でも実家では洗濯は義母だったらしいから・・・義実家訪問をすっごい拒否されるのは汚屋敷なのか????
何でこんな人を選んだのかというと一緒になることを選んだとき、ずっと鬱っぽくなってて自分に絶望してて自分を罰するような気持ちでいたからだ。
まあ、付き合ってたときからこんなこと全開ではないしいいところももちろんいろいろあるけどね・・・
後悔していないとは云わない。
体が弱いだけかと思ったら薬を飲むとか食事に気をつけるとか着るものに気を遣って悪化しないようにするという養生もしないする気もない言われてそんなことはしないといって延々げほげほずるずるとうっとおしい。
壁の先、隣の部屋から女の人の声が聞こえた。
よくよく聞いてみると「あっ……ダメっ……!」とか「あぁっ!」とか
「イッちゃう!」とか聞こえる。
まあお盛んな状況なんだろうが、このアパート、
防音性はかなり高いはずなんだよなあ。
その防音壁を貫いて声が聞こえてくるくらいなんだから、
きっと激しいプレイでもなさってるんだろうなあ、と。
言いたいことは3つ。
この手のぼやきを呟く場ってあんま多くないよね。
Twitterは登録しなきゃいけないし、
あと、隣の部屋から喘ぎ声が聞こえるとか都市伝説かと思ってた。
あんなもんエロゲかエロマンガでしかお目にかかれない光景かと思ってた。
そして、最後。
とても気持ちよさそうで羨ましいれす^q^
オチはない。
こんなところに書くネタでもないだろうけど、
今朝のホッテントリでまた久しぶりに見かけてイラっとしたので。
結局、1年半ほどで別れてしまった。つらかったしかなり引きずったけど、良い経験したよ。性格変わったし、少しはマシな人間になったよ。
なんかいい話風にまとめようとしてるけどさー、読んでる側としては結局振ったのか振られたのかが気になるわけよ。
もし振った後で「いい経験したよ」とか言ってたらぶっとばしたくなるくらい自分に酔ってると思うけど、まあこの書き方と文脈からして振られたんだろうね。
とかもあったし。
でもそうじゃない場合がかなり多いだろ。
どうしても振られたってなると情けないカッコ悪いって思われるからっていうところからくる自己防衛なんだろうけどさ。
2年前、年齢=喪女の私にはじめて彼氏ができた。えらい視力が悪かったのか、なんと告白されてのおつきあいだった。
が、、束縛が激しくモラハラ気味の男なことが次第に分かり、それに私の中身のクズっぷりが噴出し、(人と付き合ったことがないから、譲歩することや相手に合わせること、時には意見をぶつからせること、がマジキチレベルに出来なかった)ドンドン相手が冷めていくのが分かった。
結局、1年半ほどで別れてしまった。つらかったしかなり引きずったけど、良い経験したよ。性格変わったし、少しはマシな人間になったよ。
半年ほどゆっくりひとりで暮らし、はじめは束縛がないー!と喜んでいたけど、どうも寂しい。喪女だったときには知らなかった、想像を絶する焦燥感が身に迫る。二次元では満たされなかった心の柔らかい部分というか…別れたけど人を思いやることは素敵なことだとはじめて思えた経験だった。
しかし。。。ちょっといい人が現れても、やっぱブスが積極的に行くことにものすごい抵抗がある。リア充女子にアドバイスを受け、勇気をふりしぼってメールをしてみたりデートを誘ったりしてみても、そもそもアピールの仕方が分からないから、距離感がつかめずだいたい引かれる。
女子から誘われて嬉しいとか都市伝説だろ…だいたいみんな「アア…その日…予定が…ゴメンナサイ」って苦虫かみつぶし顔してる。「まいったなあ…好かれたかな…ホントやめて困ります僕そういうの君とは無理」って顔にありありと書いてある。
苦虫くん達はまじで可愛い子とブスの態度の差エグイし冷酷だから…そのほうが傷つくんだ…男女置き換えてみれば男の人も分かるはず…ブスから誘われたらキツイの分かるけど、なんちゅうかもうちょっと演技とか大人の対応してくれよ…涙
なまじ努力しなくても彼氏ができるという宝くじ級の奇跡を一度経験してしまい、元々のクズに拍車が掛かっている。ああ、ブスってハードモード過ぎ。女が売り手市場だった時代はとうに終わったって記事を読んだことあるけど、まさにその通りだと思う。なんとか勇気を振り絞って自ら行動しているのに振り向いてもらず「そういう積極的な女無理ッス…」みたいに引かれる現象なんなの…ちっとも積極的じゃないよ…。
可愛い子は思わせぶりな態度とれば男の人から誘ったりアプローチがあるんでしょうけど、ブスが思わせぶりな態度とっても「なんなのこいつ…(サーっと引く)」だからね…。うーん、ブスなりに身なりには気を使ってて不潔ではないと思うんだ…急に告白とかしゃべってもないのにデート誘うとかしてないんだ…距離をだんだん詰めれば磁石のように相手がだんだん遠ざかるんだ…。
ああ…恋愛って科目早く必修にしてくれ…リア充女子もこんな苦悩を乗り越えて充実生活を手に入れてるの?精神力強すぎる…修行僧かよ…心折れすぎで振り向かせたいって思えない。努力が足りないのかなあ。弱いのかなあ。気にしすぎなのかなあ。続けていけばスマートに男の人と恋愛できるようになるのかなあ。ただすきな人と出会い、付き合うことだけなのに、とっても超えられそうにない高い壁があるように感じてしまうのは私だけかな…。
あーあ。クズな発言するけど、誰かまた惚れてくれないかなあ…もう疲れたよ…もはや私の好みのタイプは「楽しく私とおしゃべりしてくれる, 誘っても引かない男」です。。。
*****追記*****
元増田です。
たくさんのブコメ、トラバ本当にありがとうございました。全部読みました。こんなにリアクションもらったの人生初で思わずただただ驚いています…!
本当にぼやき程度で書いていたので、思いやりあるコメント達に思わず泣きました、、、ありがとうございます。あ、改行は気をつけますね。
ぼんやりとですが、皆さんのコメントを読んで、自分で暗中模索してこっちが正解だろうと目指していた出口とは、全く別の方向に突破口があるような気がしています。こんな恥ずかしいこと周りには言えないけど、整理して言語化して、第三者の意見もらうことって本当に勉強になるなと実感しています。ともかく、見た目、中身ともにブスなのなんとかしなきゃ。
本当にありがとうございました。なんか、すごいすっきりしたーー!
http://anond.hatelabo.jp/20131005185221
だれかに文句を言って笑いをとること全てを批判するつもりはないんだけど、
本当に批判したくて喋ってないんですよ。
テレビで喋ってる事は全てネタの一部だから、当然事実関係は再構成してるし、話を盛ってる。
僕らの関心はそのエピソードが目の前のお客さんにウケるかどうかって事だけです。
例えば乙武さんのイタリアン炎上事件を、知名度を使った暴力だっていうなら分かります。
相手の店名を晒して、フォロワー使って懲らしめてやろうという意図が見えるから。
でも芸人がテレビで居酒屋の店名やタクシー会社の名前出したりする事は100%無い。
タクシー連盟から抗議が来たって話も一度も聞いたことないです。
これは全くの嘘です。
「この間入った店でこんな店員おってん、責任者出てこい!」言ってますよ。
笑いの本質は正義の武器じゃないです。むしろその対極で、卑俗で汚い感情にこそ面白さがあるもんです。
立川談志のいうところの「業の肯定」というやつ。
多分、元増の根底にある感情は「お前(芸人)が偉そうに批判してるんじゃねえ、つまんねんだよ」って事でしょう。
ただそれを「芸人が知名度と権力を使って弱いものイジメをしている」って言って、
テレビは完璧に視聴率の奴隷ですから、画面に映る物は全て視聴者の意志の反映です。
たかだか数十件のクレームで番組潰れますし、クソみたいなクイズ番組がゴールデンでやってるのも視聴率が取れるから。
テレビは視聴者の下にあるメディアで、そのテレビの遥か下にいるのが芸人です。
実際こんな感じです。
例として猫に関するブログを書いてるとすると、猫動画や猫グッズの紹介、猫カフェに行ってきた、猫に会えるスポット…などの猫好きな人が欲しそうな情報を発信するようにしている。
ある日、とあるエリアで猫に会えるスポットを散歩コースとして紹介したとする。そしたらそれが「猫好きなら絶対に行っておきたい猫スポット5つ」というタイトルとかにされてNAVERにほぼ同じものが載る。
問題にしたいのは、自分が1記事内で紹介した要点をそっくりそのまままとめられる、という事であって、複数の猫ブログから集めてきた情報の中に2個3個入るって事じゃない。
あるいは、法律が変わった時にどんな影響があるのか?というのを調べて書いた事がある。
それも要約されてまとめにされた。しかもNAVERには1次出典を明記されてて自分のブログがほぼ抜かされてた。
でも切り口、サブタイトル、話の流れから比喩まで全部一緒。絶対パクリ。特に比喩はパクリ。
なのに写真も記事も持って行かれてSEOでも負けてブクマもリツイートもいいね!も向こうのほうが圧倒的に多く、おまけにまとめた奴には金が入る。
見つけた時は頭に血が上ったり血の気が引いたりするね。
ただ一方で、情報が欲しい人にとってNAVERまとめは便利だってのは分かる。
個人ブログはどこを見に行けばいいかわからないけど、とりあえずNAVERに行けば欲しい記事がまとまってるんだから。
あと、誰かが求めてる記事を書くってことはパクリ以外でも辛い。
読者から、情報を知りたいから「人柱になれ」って平気で言われるからね。
言い方はオブラートに包まれてるけど、新商品試してとかあの店行ってきて感想教えてとか
だったら試してほしい商品送れ金はらえ!って思う事も正直ある。
じゃあ情報提供をやめて、ぼやきブログやればいいじゃん?といきたいところだけど、
残念ながら大半の人間は自分にとって有益な情報を求めていて他人のボヤキなんて暇つぶしにしか見てくれない。
近所でも立派な作りだと評判の、とある一軒家の二階南側にある、部屋の片隅に屑籠がありました。
屑籠の中には、まだ液体の残っている、温く炭酸の抜けたコーラのボトルが、ムスッと顔を強ばらせて転がっておりました。
「毎度毎度飲み残しやがって、この家の坊主は」
コーラがいつものようにブツブツと愚痴をこぼしていると新入りが頭上から落ちてきました。
「やあ、コーラくんじゃないか。久しぶり、この家の前にある自動販売機以来だね、それにしても君はなぜそんなにふて腐れているのかい?」
新入りの空になったボトルが微笑みながらも心配そうな顔色で尋ねました。
「おお、アクエリアス。なぜ不機嫌かって?俺を見ればわかるだろう。お前たち非炭酸飲料はいいよな、俺たちなんて炭酸が抜ければ飲み残っていようがそのまま屑籠行きさ」
コーラはアクエリアスを恨めしそうに見ながらぶっきらぼうに答えました。
「けれど、僕らの中で一番人気があるのは君だろ?それで十分じゃないか。君が自動販売機から出ていって一週間、僕が君と再開するのにかかった時間だよ」
「確かに一番売れてはいる、でもな、裏返せば一番捨てられているんだよ」