はてなキーワード: あやふやとは
卵が先か鶏が先かなどはどうでもいい。
鶏は美味いし卵も美味い。
そんなことよりも明星一平ちゃんにおいてついてくる小袋、ソース、ふりかけ、マヨネーズ。
この順番が問題だ。
どっちが正解なのかいつも悩むので毎回あやふやになってしまう。
このほうが見栄えとしてはいい。インスタに撮るときはそうする。
ただし、ソースとマヨネーズをかけたあとによく混ぜてからふりかけをかけたほうがマヨネーズの混ざり具合が良くなる気がする。
全部混ぜるってのはちょっといただけない。ふりかけに関してはまだらにかかっていたほうが味に変化があって美味しいからだ。
味変を優先するならふりかけだけかけて普通に食べはじめてから後半にマヨネーズを投入するという技もあるがそれだとマヨネーズがトゥーマッチだ。
とても悩ましい。
今更ながらゾンビランドサガをみました。
今回は当たり回とハズレ回を見比べて話作りのお手本とやってはいけないことを考えたいと思います。
比べるのは
8話を当たり回、9話をハズレ回として考えます。
なぜこの2つなのかというと、内容が近かったからです。
だいたいこんな内容になっています。
※ここでいう「話作り」というのは「短編」
アニメなら20分程度、漫画なら32ページ読み切り、くらいで考えています。
○登場人物
この2つの話ではメンバーの他に、リリィとサキの生前の関係者が登場します。
8話
・リリィのお父さん
8話では主に絡んでくるのはリリィのお父さんだけです。
話自体がお父さんを救う話で、お父さんの心情を掘り下げることが話を進展させることになります。
短い話の中余計な人物を出さず一人に絞るのはお手本になりますね。
9話
・親友の娘
と、絡んでくるのは三人となります。
短い話で主役以外に三人は多い、そのせいで一人一人の心情を表現しきれていません。
8話
「リリィが死んだことで不幸になったお父さんを救う」
話となっています。
これは
お父さん→リリィと接触するにも、リリィ→お父さんと接触するにも、自然にストーリーが進められます。
9話
「仲が悪くなった母子を救う」
話となっています。
このストーリーでは、
母子→サキと絡んでも、ストーリーは進展しません、「サキと母子の接触」→「仲が悪くなった母子を救う」と二段階必要となります。これでは短編としてまとめるのは難しくなります。
この違いによって
8話はじっくりライブシーンをいれて、しっかりまとまった話
9話はまとまりきらず、後ろに無理にライブシーンを入れた話になったと思います。
○死因
8話
リリィの死因は
これを重い話にしないでギャグとして済ませたのはすごいと思いました。
たとえばこれが「仕事をさせすぎて過労死」とかにしてたら話がブレブレになってました。
「リリィを過労死させた父親を救う必要がるのか?」といった疑問が出てきたと思います。
これでは話がブレてしまうのでギャグとして済ませたのだと思いました。
9話
「度胸試しで止まるず死亡」
今思い出しながら書いていてあやふやなのですが、止まらなかった理由ってとくになかったですよね?
「度胸試しで突っ込んで死亡」は一見かっこいいのですが、よく考えると「止まれよ」と思ってしまいます。
これが「命より大切な物のため」とかならかっこいいのですが、理由がないのはどうなんだろう。
これをゾンビになった終盤でもやるのですが、これを特に理由がなかった気がする。
死因を繰り返して乗り越えるのは愛がやっていましたが、それとは話が全く違います。
愛は雷が原因で死にました。
そのせいで全てをかけて上り詰めたステージを完遂できずに死んでしまいます。
そのステージをゾンビならではの方法で乗り越え、最高のライブを成し遂げました。
サキは同じことやって死ななかっただけ、特になにかを乗り越えたなどはなかったと思います。
○土台とストーリー
ゾンビアイドルアニメなのでゾンビアイドルを生かしたストーリーを作る必要があります。
8話は
お父さんはリリィが死んだことが原因でテレビをみなくなります。
みなくなったテレビではゾンビアイドルとなったリリィが活躍しています。
お父さんが会いに行った場所はチェキ回です。アイドルが活躍する場所です。
お父さんを元気付けたのはライブです。
リリィと仲間がたくさんを思いを込めて曲を完成させ、お父さんに聴いてもらい、お父さんは前を向きます。
それによってお父さんはテレビをみるようになり、活躍するリリィの姿をみます。
9話は
こういう回があってもいいのかなとは思いますけど、やはり土台と絡んだ話の方が綺麗になりますよね。
まとめると
○登場人物は適切な人数にする
あとまとめられるとこはまとめる。
9話が散らかってまとまりきってないのは、
母親と仲直りする話なら、敵は母親に絞って、そこにサキが絡むって方がわかりやすかったと思います。
9話はサキが関係ないところに首を突っ込んだように見えました。
例えば、死因の度胸試しが娘を救う為とかなら、ゾンビになってからも首を突っ込んで当たり前になるのかなと思いました。
キャラができてないからストーリーが不自然になったのだと感じました。
たぶんもっと書きたいことがあったのですが、とりあえずここまでにします。
まえがき
今回、このような長文を書くのが久々である為、
0.はじめに
読者の皆様方、私はアイドルマスターシンデレラガールズ(以降デレマス)にて、
今回の総選挙(人気投票)の中間発表を含め、過去一度も圏内入りをしてないアイドルだ。
一部の声有りアイドルの担当から苦行や修行僧と思われているであろう立場の者である。
その私がこのような文を執筆したのは、
昨今話題になっている「夢見りあむお気持ち表明」の流行が理由だ。
今回「お気持ち表明」が流行した事に対し、私は「今更なのか、」と感じているのだ。
よって、本文では私が本当にお気持ち表明をしたかったタイミングから現在までの流れを
読者と共に追って行きたい。
1.黒白の実装
当時私はデレマスの新アイドル7人実装予告に対し、肯定派であった。
新しいアイドルによってデレマスに新しい風を起こすこと自体は悪いことと思わなかったからだ。
新しいアイドル達は皆ボイス無しであり、一年以上の活躍を重ね、多くのファンの評価を得て、
そんな悠長なことを考えている筈がなかったのだ。
私達に突き付けられたのは恐ろしい情報の波だった。
これは数々のアイドルが多かれ少なかれ辿ってきた
地道な努力、地道な評価獲得、その報酬としての声、その報酬としての歌、
それら全てを否定する行いだった。
私はすぐさま気持ちが怒りに塗れた。
当然だ、
お前達はピエロの役割を良く演じてくれた、と言われたような物だ。
距離を置くと言っても、完全に離れるには全てが遅く、
深みから浅瀬に移動する程度ではあったが。
さて、このタイミングが私にとっては
事実、炎上は中規模に発生し、デレマスを知らない外野にも情報が流れたと言われていたらしい。
炎上は運営担当P(運営擁護派)と呼ばれる者達に押しつぶされてしまった。
私達はその段階で墓の下に潜るべきだったのだ。
墓の下でゆっくりと茶をすすり、
余生を満喫していた私に突き付けられたのは
私は口に含んでた茶を吐き出すかのように驚いた。
オーディションのタイミング等を考えれば当然と言えば当然なのだが、
それでもまさか4人も声付き歌付きになるとは想像だにしていなかったのだ。
しかし、そこに待っていたのは「黒白よりはマシ」という
マシだと?声付き歌付きという要素が問題なのに
その時私は怒りすら沸かなくなっている自分に気が付いた。
その時私はデレマス及びそれを取り巻く環境に「呆れ」を覚えていた。
私はデレマスプロデューサーから、デレマスを知る人間に変わっていた。
運営の無茶な行動は更に続いた。
ピックアップアイドルvs非ピックアップアイドルの戦いの場所でもあった。
ガチャブーストとは、総選挙券の入手条件の一つにガチャの購入に近い要素があり、
しかも初の恒常SSR二つ同時ピックアップでだ、しかも新スキルを装備してだ。
ガチャブースト、及び新スキルの性能によりセールスランキングが大きく伸びたと聞いている。
墓の下にいた私はもはやギャグか何かにしか見えない露骨な行動に
笑いさえ起きていた。
一応炎上は起きていたらしいが、
黒白予告の時期よりはマシだったらしい。
許せない人が去っただけなのだ。
さて、時系列を順番に追ったところで、
本題である夢見りあむについて触れていこう。
私は夢見りあむに対し、悪い印象はあまり多く持っていなかった。
むしろ、りんご・鮫・りあむ(新キャラ七人のうちの声無し3人)
の絡みは好きな方である。
しかし、今にして思えば、りあむに比べてりんごと鮫はもう少し流行って欲しかった
という寂しさは当時から感じていたと思う。
ともあれ、ここで話すべきは私を含め、
お気持ち表明者の数割は夢見りあむに大きな憎悪を抱いていたわけではないのだ。
そんなあやふやな状態が次のような出来事を引き起こしてしまった。
私は画面の前で「呆れ」「滑稽」「怒り」「悲しみ」の4つの感情に支配された。
りあむが3位に行くことはおかしくなかった。
しかし、そういったバズった者勝ちを私は認めたくなかった。
その時の私はその結果に納得してしまった、自分の努力を笑ってしまった。
そらそうなる、私は結果を追いながらつぶやいた。
そしたらどうだろう、どこからともなく、りあむに怒りを向ける者達が現れ始めた。
「りあむは実装して日がたっていないのに」
その流れに呆れを通り越して笑っていた私はまた呆れた。
「なぜ今更、黒白の実装タイミングで怒るべきだっただろうそれならば」と。
おそらく、この言葉を聞いたお気持ち表明者は言うだろう、それとこれとは話が違うと。
そんなわけがない、新参者に歌うべきだったアイドルの席を取られたという事実は何も変わらない。
これは黒白で怒らなかった君らが平和ボケしてただけだ。
デレマスは黒白の予告の日に壊れていたのだ、夢は終わっていたのだ。
まとめ
長々と話してしまったが、要点は以下の通りだ。
・黒白の予告時点でデレマスを離れなかった時点で全てが遅い
・黒白の時点で夢は終わっていた
以上を持って、私のお気持ち表明を終了させて頂く。
つたない文章で申し訳ないが、これで怒っている者達の怒りが覚め、
私の居る墓の下に来てくれることを願うばかりである。
最後に
ミスには目を瞑って欲しい、
内容に触れないということだけは避けてほしい為である
何もないところから何かを生み出すのが苦手。新しいことを考えろと言われるのが苦手。言語の機能を詳しく知るのが苦手。ライブラリの隅々まで体得するのが苦手。登壇してしゃべったり、本書いたりする人って本当にすごいな。俺の知ってることなんて3行で終わるレベル。
既存コードがある状態で、それをまねしながら書いていくので一向にメソッド名とか覚えない。〇〇というライブラリを使ったことがありますといっても、既存コードで使っている以上の機能は使わないので全然深まらない。基本的にVSを便りに書いているので、言語の文法すらあやふや。
既存のコードを読んで動きを理解するのは得意。既存のコードのバグ報告から原因を特定するのが得意。とくにレースコンディション関係の地道なデバッグが得意。好きではないけど。
今まで面接ではできる風を装って突破したが、それもつらくなってきた。これからも周囲を、そして自分をだましながら生きていかなければならないのか。
絶望した
命よりも尊厳の方が重いんだなって実感した
妻とうまくいってなかった
ひどいことを言われて、かなり前に処方されたリーゼ5mgを2シート食べた
そこから記憶があやふやで、コンビニで梱包用の紐を買って人気のないところを探して一駅分くらい歩いたらしい。ビデオ撮ってた。
首に巻いて柵に括り付けた。割と念入りに角度とか確認した。座った状態から降りたら吊れるようにしてた。
やっぱり怖くて、何度かためらった。
人気のないところだと思ってたけど、駅のホーム?喫煙所?から見えるところだったらしく助けてくれた人がいた。
次の記録は救急車でセルフィー撮ってた。隊員さんは優しかった。怒られなかった。
首すじに傷がついてた。
弟が泣いてた
母は冷静だったように思う。
助けてくれた人ありがとう。カッコいい。
でも俺にとってよかったのかはまだ分からない。
不思議と死の恐怖はない。尊厳が回復するまではまたやるかもしれない。命を守るのよりも尊厳を守る方が大切なんだぞ。
けっこう前なんだけど
テレビのチャンネル回してたらやってた時代劇(たぶんNHKのその時の新作ドラマ 再放送とかじゃない)、
ちょうど回想場面になったところだったんだけど、そしたらそれが白黒映像なのよ!
馬っっっっっっっ鹿じゃないの!って思ってけっこう怒ってチャンネルかえた
だって江戸時代なんだから「昔は白黒」なんて認識も何もない! ので
で、毎週楽しみに見てる「いだてん」なのだけど!
これもやっぱり明治大正なので、今も昔も同じく写真/映像は白黒なんだから、「昔は白黒」なんて認識はない!
杉本哲太演じる生真面目なおじさんが昔はテニスボーイだったんだぞってことで流れたんで、
杉本哲太がサラサラヘアのカツラかぶっただけで若者演じてるのおもしろかったし、
そうやってちょっとふざけてたので、場面として浮き立たせるために白黒になってたのは明らかに効果あった
けど、そんなんで良しとはならない、許さん
いや、冒頭からしてスヤさんとの思い出がフィルム調で映されてて、そこでもうちょっとがっかりきてた
これを人に言ってみたら全然気にならないって言うので、仲間が欲しい・・・
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追補
「分かりやすい」「よくある」「ありふれてる」のは分かり切ったことですけど、だから何だっていうんだ!
あれセピア調で、80年代なのに変だぞって言ってる人もいたはずです
その人たち来て仲間になって
しみとか縦の線がちゃかちゃか入るやつ
本当だったらせいぜい60年代初頭あたりまでの映像にしか無いと思われるんだけど、
同じことですよ!
四三さんとスヤさんの思い出がああやってカラーフィルム映像で残ってるはずないわけでね
だからあれは劇中の実際物でもなく登場人物の思念でもなく、映像制作者が視聴者に向けた作為なわけでしょう
でも「カラーフィルムで撮られた思い出」ってものすごく時代性を帯びてて、
カラーフィルムが普及して廃れるまでの期間を回想するって場合にしか使うべき表現じゃないと思うのね
もうこれ誰も読まないでしょう
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いやさぁ、杉本哲太theテニスボーイはさぁ、その説明を聞いた、四三と可児くんだっけ、その脳裏に浮かんだイメージっていう扱いで出てきたのかもしれないじゃん。劇中の理として、って言ったらいいのか何ていうか
いや、ふたりが浮かべたイメージを映像制作者が混ぜ合わせたってことかもしれないし、まるっきり映像制作者の作為として視聴者に提示されたものかもしれない。ていうかあやふやっていうかまぜこぜですね。
でもとにかく一要素として、劇中人物の脳裏に浮かんだ映像って感じがあるし、その感じが強い、とする!
で、あの時代に、「昔=白黒」っていう共通認識があるかよ!? ってんだよ!
若かりし杉本哲太theテニスボーイはあの時点から30年は前のことでしょう。1880年代とかですぜ。
写真館とかできっちり撮った写真ぐらいしかなくない? いや勉強不足で知らないんだけどね。
だからあのドラマの時代に身近な人の昔の写真を見る機会とかある? あるかもしんないんだけどね。無いってことにする! 特に庶民は!
そしたら、あくまでそしたらだけど、四三さんたちが白黒で思い浮かべるのはおかしいじゃないですか!
でもちなみにだけどもしもあれモノクロでも白黒じゃなくてなんか赤とかと白のモノクロだったら映像の遊びとして受け入れてぜんぜん怒ってないんですよ!
仲間来て!!!
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フィルム調も白黒も、スマホの縦型動画と同じぐらいに、特定の時代らしさを帯びてしまう表現と思ってた
でも白黒については、記憶とか回想に際して色を勘案しない人が若い人でもまあまあいるのかもってわかったので、ひとまずあきらめよう
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命にかかわる危機のとき、視界が白黒になったりスローモーションになったりするって聞きますから、
おそらく、それなりに、そういう人間の生理における実際に即してる、準じてる、って感じがするので、受け入れられる気がする
階段転げ落ちの危機だけじゃなく男女入れ替わりの衝撃を表現するのにまで白黒映像が用いられてるとしても、そりゃあ驚天動地の一大事だからそうもなるだろう、って感じだ
納得だ
見たらわからないが
「犬神家の一族」も白黒の回想場面あるとのことで、
これは最近見たのに、あったかどうか覚えてないぐらい気になってないですが、
だとしたらなんだけど、これも人の命の危機だし、下手すりゃ自分の危機なので、白黒になるの納得いきます
なんか、現実に即してなければだめだ! って言ってるみたいですけど、ちがう!
でも現実に即してるっていうのは、腑に落ちやすくするためにかなりかなり有効な手段なんだから、やるべきところでやればいいでしょ! やるべきところはここだ! 俺が掟だ! って話だ!
もう白黒についてはほとんどあきらめたんだけど、やっぱり「いだてん」冒頭のフィルム調だよ! 15話だよ
本っっっっっっっっっっっっっっ当に同じことだと思うよ
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「仲間来てって何様なんだろう」っていうの、ほぼ意味わからない
同じように思う人いたら味方して、というつもりで書きました
あのなあ。
その基礎代謝は筋肉を何キロつけると何カロリー増えるんですか?
お前は具体的な数字出せないだろ?俺は出せるの。
そしてそれだけの筋肉をつけるトレーニングにお前ら怠惰な雑魚は耐えられますか?
俺は耐えて筋肉つけたけど、お前らは無理だよ。
だってそのためのトレーニングは無駄食いを我慢することよりはるかに苦しいんだもん。
人からはっきりデブって言われるレベルのデブは圧倒的に食い過ぎだから、そこ改めずに運動とか言ってるなよと、そういう論理的な話をしてるの。
なんだよ「基礎代謝増えるらしい」って。知識としてすらあやふやで。それで何故実践者に対して講釈を垂れる?
俺はレベル40ぐらいはあるの。お前らは0なの。だってお前らはちゃんと努力した経験がゼロだから。
元増田のようなデブにサーキットジョギングなんて高度なこと要らないだろ。なんの競技もしねえのに。
それ以前のことができてないだろ。がばがばがばがば入ってくる余剰カロリー止めろよまず。
1をやる根性もねえ奴に2や3は無理だし、1さえやれば体重は落ちます。間食やめただけで減るし、昼をサラダにすりゃもっと減る。やれよ。そんだけだろ。それができないならなにしても無駄だから半端なジョギングで頑張ってる感出さなくていいよ。
まともな会社なら揉めてる建物をショベルカーでいきなりぶっ壊したりしません。それは置いておきます。
さて,山崎氏の所有権取得原因が遺贈であるから,借地権の譲渡について,地主の承諾またはこれに代わる裁判所の許可があったかどうかは問題となりうる。
もっとも,本件では遺贈の登記からも10年以上が経過しており,(仮に地上権の取得時効が成立しないとしても)地代の支払い等の事実から黙示の承諾があったといえるであろう。
しかし、地代は払っておらず、遺贈について地主の承諾もこれに代わる裁判所の許可ももらってない様子であるのが下記ブログから分かる。
借地権には賃借権と地上権の2つがあるが、地上権ならば地主の承諾なく遺贈で権利を承継できる。
(賃借権と地上権については母ブログでも説明している。http://keisui.com/20190227-architect-28915-keisui/)
売り主のおじいさんに再度確認に行ったら、記憶がどうもあやふやで心もとない。ただ地上権は成立していたことだけは断言してくれたが、証拠はない。
昭和50年代だと、今とはかなり事情が違っていたらしい。それでも、地主と建物の所有者が違う場合、いくら28年間も売り主が住んでいたとはいえ建物だけを黙って売ることは出来ないので地主の許諾を取りに行ったそうである。建物だけの売買のこの場合、建物には地上権が付いていたという事であると契約書を作って売買に立ち会った司法書士は保証してくれた。
売主も司法書士も地上権があると証言しているが、借地権の間違いではないのだろうか。(証言者の勘違いなのかブログ主の勘違いなのかは不明)
論点整理増田にある通り、建物の登記があれば当然に借地権は認められる。
そして賃借権の借地権だからこそ建物売買について地主の承諾をもらいに行ったように思えるのだが。
私は未だに地上権の概念がよくわかっていない。やっと息子から借地権と地上権のよく分かるサイトを見せられて納得したのである。
Gigazine編集長は賃借権ではなく地上権を承継したと認識している様子である。
それでやっと父があんな小さな建物にかなりの金額を払ったことがよくわかったのである。地上権の登記は地主側にその義務があるが、買い主側は自分では出来ない。それで父は怒っていたのだということがわかった。
そこで父は、20年計画を立てて、20年後に登記してもらうことを地主と約束したようである。確信はないが、父の愚痴を聞かされていた限りではそうなるのかなあと思う。その後20年間、父は税金を払い火災保険をかけ続けたのである。地代も払えと地主から言われ、地上権を確保するためにそれも実行していたのである。そして、がんに侵されていたた父は、やっと20年目に言われるまま再びお金を払ったらしい。
これでやっとこの土地の地上権を確実に手に入れたと思ったが父ではあったが、やはり地主は地上権の登録を無視したようである。ガンの末期にまで進んでいた父は、裁判をする気力もなく、その後まもなく他界してしまったのである。
父は最後に、その問題の不動産を寿命の長い私の息子に託したのである。あちらこちらに「この家は壊すな。この家は地主に返すな。」と書いたものが出てきて、実際にも私や息子に「この土地は永遠に俺のものだ。」と言いながらこの世を去っていったのである。
借地権が地上権なのか賃借権なのかで編集長祖父と先代地主は揉めていた?(地上権云々の記載は推測であり確信は無いと書いてあるが)
20年目に言われるまま支払ったお金というのは借地契約が20年だったので更新料を支払ったのではないかとも思えるが。
地主の女性は、地元でも評判の悪い方で、1例をあげると、何十年も自分で建てた家に住んでいて土地も買いたいと言ってきた借地人に対し、地主は自分の言い値で1円も負けずに現金で買わせた挙げ句、領収書を書いてほしいと頼まれても「なんでそんなもん書かなあかんねん。」と言って絶対書かなかったという伝説の持ち主である。
(母ブログ2019.4.3 より。あくまで伝聞であり本当のことか分からないけどね。http://keisui.com/20190403-architect-29358-keisui/)
そもそも編集長祖父は建物購入時に“借地権付”建物を購入したと認識していなかったのではないか。
父のこの建物に関しての取引は、私が結婚して家を出てからのことであるので立ち会ったことがない。しかし、実家に帰るたびに父は晩酌をしながら地主に関しての愚痴をくどくど話していたのをよく覚えている。
その内容は、「あの家は全部俺が金を払ったのに、地主は違うといって地代を払えと仕事場へやってきては客や従業員の前で言い続けた。それで根負けして地主にお金を払い会社の商品の倉庫として使っていた。弁護士に相談して話し合いをつけるつもりだ。」というものから、少し経つと「あの土地はやっと俺のものになる。正義は勝つ。」などと言って泣いていたのをよく覚えている。ガンで亡くなる直前には、「あの建物を使うときだけ地主の婆さんがうるさいから金を払ってやれ。使わないなら払う必要はない。」と言っていたのである。その時は何かよくわからないままに、いやいや愚痴に付き合っていたというのが事実であった。今にして思えば。もっと詳しく聴くべきだったと悔やまれる。後悔先に立たず。
借地人が地主に地代を払うのは普通のことであるが、編集長祖父は当初土地ごと買ったと勘違いしていたのではなかろうか。
地代とかいう筋の通らんものを長年支払わされた!という祖父の愚痴を聞かされていた娘・孫と、借地人が地代を払おうとしない!という地主の愚痴を聞かされていた娘が今になってこんなに揉めているものと思われる。
地代も払わなかったという地主の言い分に対する反論としては、あの土地を父が地主の彼女から買っていたということである。その証拠も出てきた。
次の展開がとても楽しみでゲスね。
やっぱり途中で切れたので続きから
違います。
そうです。
はい。Stadia Games and Entertainmentの組織を発表しました。これは我々の1stパーティのスタジオです。
はい。
Googleは開発者に対し全てのツールを支援しています。Stadia向けの開発は彼らにとって別のターゲットにしか過ぎません。Visual Studioを用いる既存のツールや彼らが用いるツールの全てと共に、彼らのワークフローに統合されます。従ってStadia向けの開発はPlayStationやXbox向けの開発と同じくらい簡単です。
我々はUnrealもサポートします。UnityがStadiaをサポートします。予想される多種多用な業界標準のツールとミドルウェアが準備されます。
とても良い質問です。我々はユーザに対し彼等のインフラの中で何が起こっているかをできる限り理解できるよう支援する必要があります。また我々はゲーマーに対し最適な体験を得られるようなチューニングを行うことが可能な情報に対し投資を行うだけでなく、我々自身の技術を用いて最良のパフォーマンスを実現するつもりです。Googleの技術の多くがインターネット網の基盤であることを思い出して下さい。我々はDCからの情報がどのようにユーザに届くかを良く理解しております。できる限りの最適化を行うつもりです。
その通りです。それこそが我々のプラットフォームの根本的な差別化ポイントです。既存のゲームカタログを持つデベロッパにとってStadiaは簡単で親しみ易いものです。我々はできる限り摩擦なくゲームの移植を行えるようにします。なぜならゲーマーは好きなゲームを遊びたいですし、彼らの愛するキャラクター、ストーリー、世界を楽しみたいのです。しかし我々はまた開発者に未来を描く新しいキャンバスをも提供します。ゲームを高速に配布し、プレーヤーと新しい手段で、特にYoutubeにて繋げます。そして開発者が持つアイデアを実現するための前例の無い技術を提供します。
解決されたと同時に緩和されています。まずデータセンターに対しより多くの人々がより良い経験を得られるようにするための投資が行われました。また圧縮アルゴリズムについては我々に抜本的な先進性が存在します。Googleは圧縮アルゴリズム標準仕様の先駆者でありこの点がストリーミングの将来をより確実にします。残念なことですがGoogleでも制御できない点が光の速さです。そのためこの点が常に要因となります。しかし常に理解しなければならないこととして、我々は常にエッジ(終端)にもインフラを構築していることが挙げられます。Googleの中心にある巨大なデータセンタだけではありません。我々はできる限りエンドユーザの側にインフラを構築しています。それによって歴史上の幾つかの問題は回避することが可能です。さらにまだ率直な、あまり洗練されていないProject Streamのストリーマーでも信じられない結果を出しています。さらに我々はサービスリリース時に1080p60を超える品質を実現できるだけの根本的な改善を行いました。我々は8Kに至るでしょう。
圧縮にネットワークです。我々はGoogleがインフラに投入した数々の改善点に依っています。BBR、QUIC、WebRTCを基盤としてその上に構築がなされました。だからIPパケットの低レイテンシでの配信だけでなく、送信元へのフィードバックも行うことが可能です。ですのであなたが仰るZenimaxが使用した技術なら、彼らはここでも利用することが可能です。彼らは彼らのゲームの最適化を行うことができるでしょう。我々はフレーム毎のレイテンシを予測が可能で彼らにそれに合わせて調整を行わせることができます。
我々は改善を続けます。Streamは最初のバージョンです。我々は性能向上のために調査を行っており、レイテンシに適応していきます。リリース時にはより良くなっているでしょう。
確かにそのとおりです。そしてそれこそがGoogleが何年もかけて開発してきたスキルであり、抜本的なスケールする能力です。我々がどうやって実現しているのか、何をしてきたかについては今日は詳細にはお話ししません。しかしGMailやMap、Youtubeが同時に利用可能であるためと同じ基本的な技術のいくつかが我々が依るものです。
我々は競合他社が何をしているかは存じておりません。
我々の第一世代システムに導入されるGPUは10Tflops以上の性能があり、さらにスケールアップします
AMDです。
情報を公開したくない訳ではないのですが、このプラットフォームが進化することのほうがより重要です。そしてこの進化がユーザと開発者の双方に対しシームレスに行われることを確認して頂きたいのです。そして進化は常に継続し、誰もが常に最新で最高の物を手に入れます。
開発者にもこのように考えて欲しいのです。もちろん完全には抽象化されていません。特にゲームの開発者にとっては。しかし我々はそれでもこのプラットフォームが常に進化していると考えて欲しいのです。速さや容量、リソースには制限されていないのだと。
シェーダコンパイラのツールをいくつか開発しました。これらは開発を楽にするでしょう。しかし現在のGPUはとても優れており開発者が既にVulkanに親しんでいれば、例えばid Softwareさんは既に全てVulkanに移行していますが、そのような開発者の方々には既存のゲームをStadiaに移植するのはとても簡単です。Doom Eternalが4K、60フレームで動いでいるのは既にご覧になったと思います。非常に素晴しい状態です。これこそが我々にとって重要な証明ポイントです。FPSはグラフィックとプレイアビリティの双方で要求が高いゲームです。 従ってこれは我々のプラットフォームの強力な証拠であり、idさんにも講演して頂きます。
x86で2.7GHzで動作しています。開発者にとり慣れのあるものです。開発全体を通して、CPUは制約となる要因ではありません。我々は全てのタイトルを動作するに十分なCPUを提供します。
沢山です。
しかしサーバ級のCPUです。Stadiaはこれまでのコンソールと違いパッケージングに制約を受けません。熱対策の問題も異なります。コンソールとはサイズやパッケージングの動機が異なります。データセンタの中でそれはとても汚なく見えるかもしれません。一方でとても帯域幅が高いメモリが使用可能で、とても高速なペタバイト級のローカルストレージも使用可能です。ご家庭のコンシューマデバイスよりも数百倍は速い物です。
パートナーには彼らが話せる時点で彼らの計画を教えてくれるよう伝えています。Stadiaをこの世界で最も偉大なゲームの開発者達に説明することにはとても興奮します。Stadiaは、開発コードではYetiと呼ばれていましたが、Stadiaのビジョンを説明すると、開発者のリアクションは「これは私が期待したものそのものだ。これはまさに我々の次のゲームのためのビジョンそのものだ。elastic computingの考え、次世代レベルのマルチプレーヤー環境、ゲームを観ることと遊ぶことの境をあやふやにし1つの体験にすること」と話されます。
イノベーションの1つの領域として、最初のほうで述べましたが、マルチプレーヤー環境において、単純にパケットを複数のプレーヤーにリダイレクすることから、原子時計レベルでのコンシステンシーを全ての状態遷移において定期的にクライアント間で更新する真のシミュレーションへの移行が挙げられます。これにより開発者はこれまでには不可能だった分散された物理シミュレーションを得ることができます。これだけでもゲーム設計のイノベーションに対し大きく寄与します。このため多くの開発者が、大袈裟でなしに、実際にとても感動的なリアクションを我々のプレゼンに対して返して下さっています。
これこそがゲーム業界の素晴しい点です。技術が常に創造性を刺激し、ゲームに対しより大きな聴衆を作り、そのことがプレーヤーと開発者に対しより大きな機会を作ってきました。エコシステムが進化し、正の方向に回り続けるなら、それはゲームを遊ぶことにとって良いことです。
3台のGPSが一緒に実行されるデモを行っています。私は上限が無いとは申しません。しかし我々は技術上の限界を上げています。そしてStadiaは静的なプラットフォームではありません。このプラットフォームは5年や6年の間、レベルが変わらない訳ではありません。開発者とプレーヤーの要求に従い、成長し、進化するプラットフォームです。なぜならStadiaはデータセンタの中に構築されています。進化させるのは我々にとって簡単なことです。
CPU/GPU/メモリ帯域幅の変更にはいくつかの自然な段階があります。これは家庭の物理な小売の端末よりももっとスムースでより継続的な進化です。しかし、より重要なことは基盤データセンタ網とそれに含まれるネットワーク技術への投資です。この2つが一致して行われることが重要でどちらか1つではダメなのです。
それは我々も既に行っています。Googleが既に20年以上、行っていることです。我々が依って立つまた別の巨人の肩です。
我々はStreamをさらに強化させています。従ってユーザはこの制約が全体のスタックに対する改善と最適化、また特に時間によって緩和されることを期待するでしょう。我々はその期待の上を行きます。
私は具体的な数値についてはコメントしません。しかし当然低くなります。
インターネットの接続環境はStadiaをリリースする市場では全体的に上昇機運が見られます。つまりこのパフォーマンス特性はますます多くのユーザが利用可能になります。
さらに繰り返しになりますが、BBRを初めとする我々の技術があります。さらに覚えておいて頂きたいのは我々のネットワークに対する理解はそのままではありません。それらもまた時と共に改善されていきます。Youtubeはマクロと
Eurogamerにより独占配信されたStadia開発者二人に対するインタビュー記事。
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タイミングの問題です。20年間の蓄積によりGoogleにはデータセンタ内のパフォーマンスに優位性が存在します。Googleはデータセンタ内ではHWメーカーです。我々はデータセンタ内で何年もの間、高い性能で端末間を接続する基盤を構築してきました。Youtubeでの経験からプレーヤーサイドの観点からだけでなくデータセンタ内部からの技術的観点からの技術統合を行ってきました。他社でもその視点は存在していますがGoogleにはその点に固有のアドバンテージが存在します。
その通りです。我々にはレガシーがありません。全てが21世紀のために設計されています。開発者は制限の無い計算資源が利用でき、何よりもマルチプレーヤーをサポートできます。これまでのマルチプレーヤー環境は一番遅い通信に影響を受け開発者は最も遅い接続に対し最適化が必要でした。我々のプラットフォームではクライアントもサーバも同じアーキテクチャの下にあります。これまではクライアントとサーバの間のpingに支配されていましたが我々の環境なら最速でマイクロ秒で済みます。だからプレーヤーの数は単一のインスタンスにて動的にスケールアップが可能です。バトルロイヤルなら数百から数千、数万のプレーヤーが集まることも可能です。それが実際に楽しいかどうかは置いておくとしても、新聞のヘッドラインを飾ることが可能な技術です。
両方です。
ユーザが我々のプライベートLANからはみ出さないだけでもその効果は大きいものです。Googleは45万kmに及ぶ光ケーブルにより世界中のデータセンタ間を接続しています。米国の西海岸から東海岸まででも20ms、フランクフルトからマドリッドでも20ms。これにより開発者は最も極端な場合においてもレイテンシが予測可能でそれに従い設計を行うことができます。
StadiaはYoutubeの技術と深く結びついていますが、実際には一歩引いています。今日のゲーム業界を考えてみて下さい。2つの世界が共存しています。1つはゲームをプレイする人々で、もう1つはゲームを見る人達です。2億人の人々がYoutubeでゲームを毎日見ています。2018年には述べで500億時間がゲームを視聴するのに費されています。時間と人口の双方で信じられない程の視聴が存在します。我々のビジョンはこの2つの世界を1つにすることでゲームを見ることができ、かつ、プレイもできる、双方向に楽しめることです。
つまり重要なのはゲームシステムでもなくコンソールでもありません。噂とは異なり我々はコンソールビジネスには参入しません。我々のプラットフォームの要点はコンソールでは無いことで、皆が集まる場所を作ることです。我々は箱でなく場所を作る。今までと異なる体験を得られる場所です。ゲームを見るなり、遊ぶなり、参加する場所であり、かつユーザが楽しむ場所であり、ユーザが他人を楽しませる場所です。
だから我々のブランドはStadiaといいます。これはスタジアムの複数形です。スタジアムはスポーツを行う場所ですが同時に誰もがエンターテイメントを楽しむ場所でもあります。だから我々はそれをブランドにしたかったのです。皆が遊んで、観て、参加して、さらにはゲームをする場所。一歩下がって見ることもできる場所。常にどのボタンを押したかを意識しないでも良い場所。他のアーキテクチャでは実現できない場所です。
その通りです。そして単純に技術的に深い点を求めて、我々は第一世代でも4K60fps、HDRとサラウンドをサポートしました。さらに開発者が必要なインフラに従ってスケールします。それだけでなく、同時にYoutubeに常に4K60fpsHDRで画像を送信することが可能です。だからあなたのゲーム体験の思い出は常に最高の状態になります。
プレーヤー次第です。Googleは全てを記録はしません。もしプレーヤーが望むならGoogleは4Kでストリームします
共有が友達だけか、世界中に公開かも自由に選択可能です。Googleはユーザに制御を明け渡します。もしユーザがYoutubeで公開すれば誰でもリンクをクリックすることでそのゲームを遊ぶことができます。
そう。そしてこれはマルチプレーヤーゲームのロビーの新しい形となります。Youtubeのクリエイターなら誰でもがファンやチャンネルのsubscriberを自分のゲームへと誘うことができます。生主として、Youtubeのクリエイターとして私は視聴者を私のゲームに瞬間的に招待できます。それが私と10人の友達でも、(訳注: セレブの)Matpatと彼の数百万の購読者でも、技術は同じです。
Googleアカウントの一部です。従ってGMailアカウントがStadiaへのログインに利用できます。他の基盤についても説明させて下さい。最初のサービス立ち上げから全ての画面への対応を行います。TV、PC、ラップトップ、タブレットに携帯です。我々のプラットフォームの基本は画面に依存しないことです。これまで40年間、ゲーム開発は端末依存でした。開発者として私は制約の範囲内で、私の創造性を開発対象の端末に合わせてスケールダウンする必要がありました。
我々はStadiaでそれを逆にしたいのです。我々は開発者に対し彼らの考えをスケールさせ、どの端末の縛りからも解放したいのです。パフォーマンスに優れ、リンクをクリックすればゲームは5秒以内に開始されます。ダウンロードもなく、パッチもなく、インストールも必要なく、アップデートもありません。多くの場合、専用のHWも必要がありません。従って古いラップトップでChromeブラウザを使用する場合にでも皆さんが既に持っているだろうHID仕様に準ずるUSBコントローラが動作します。そして、もちろん、我々自身のコントローラも開発中です。
コントローラを自作する理由にはいくつかあります。1つはTVへの接続です。我々はChromecastをストリーミング技術に採用します。Stadiaコントローラの最も優れた機能の1つはそれがWiFi接続でDC内のゲームに直接接続することです。ローカルのデバイスとは接続しません。
その通りです。これこそが我々のブランドの実現であり、具現化です。そして独自コントローラにより最高のパフォーマンスが実現します。ゲームに直接接続するためにプレーヤーは画面を移動することが可能です。プレーヤーはどの画面でも自由に遊び、停止し、他の画面でゲームに復帰することが可能です。
そしてコントローラには2つの追加されたボタンがあります。1つはGoogle Assistantの技術とマイクを用います。ユーザの選択により、ユーザはプラットフォームとゲームの双方に対し、自然言語を用いて会話が可能です。例えば「Hey, Google。MadjとPatrickと一緒にGame Xをやりたいな」と言えばStadiaがマルチプレーヤーゲームを指定した友人と共に直ぐに開始します。
我々はゲーマーを可能な限り素早くゲームに辿り着かせるよう考えています。数多くの研究を行いましたが、多くのゲーマーがゲームを起動したら直ぐに友人とゲームを開始したいと考えています。ゲーマーはUIに時間を費したくは無いのです。
誰かが言ったことですが、現在のコンソールは起動した時にまるで仕事のように感じると言うのです。ゲーム機自体の更新や、ゲームの更新があります。我々はそれらを完全に取り除きたいと考えています。もう1つのボタンは、ちょっと趣が異なるのですが、Youtubeにシェアできます。
Youtubeが観られるならどこでもStadiaは動きます。
Chromecastはスマホからストリームを受取はしません。Chromecastはスマホから命令のみ受けます。画像はNetflixやYoutubeから直接受け取ります。Stadiaの場合、StadiaコントローラからChromecastへとこのゲームのインスタンスへと接続せよと命令がなされ、Chromecastはゲームインスタンスから動画のストリームを受け取ります。クライアントはとてもシンプルです。行うのはネットワーク接続、ビデオと音声のデコードのみです。Chromecastは入力を処理しません。全て入力はコントローラが扱います。ビデオと音声とネットワーク接続はChromecastの基本動作で全て既に組込まれています。
そうです。とても良く出来ています。WiFiに繋ぐだけです。コントローラにはWiFiのIDとPWを入れるだけです。それだけです。ホームボタンを押すと勝手にChromecastを探し直ぐにChromecast上でクライアントを起動します。UIが表示され直ぐにゲームを遊ぶことができます。デジタルパッドでUIを操作することも可能です。これが重い処理を全てクラウドへと移行する点の美しさです。Chromecastのような低消費電力の端末で説得力のある体験ができます。Chromecastは5W位下です。Micro-USBで給電可能です。典型的なコンソールは100から150Wもします。またこれまで説明しませんでしたが、例えスマホでも行うことは動画の再生だけです。従ってAssassin's CreedやDoomや他の重いゲームがあなたのスマホの上でモバイルゲームよりも低消費電力で動作します。だからスマホで10時間でも遊べます。
今の所、我々はChromecastのみに集中しています。でも技術的、機能的な観点からはYoutubeがある場所ならどこでも動きます。我々はまだStadiaをどのようにユーザに届けるかは検討中です。
サービス開始時から提供されるサードパーティによる解決手段をサポートしています。他にもアイデアがあります。しかし今は話せません。
良い質問です。私がこのプロジェクトに参加する前からチームは既に何社かと提携しここ何年かの間に技術を提供していました。StadiaはLinuxベースです。グラフィックAPIはVulkanです。開発企業はクラウドにインスタンスを作成しますので、開発キットも今ではクラウドにあります。しかしクラウドだけでなく、開発社のプライベートなDCでも、机上のPCでも可能です。
もしそうしたいなら。でも我々は今後のトレンドが開発でも配布でもますますクラウドへと移行していくと考えています。従って今後数年で開発者にとってクラウド中心、クラウドネイティブがゲーム開発での標準となるでしょう。
デベロッパーやパブリッシャーはとても賢くクラウドネイティブとなる新しいゲーム体験を達成するために必要なツールや技術について考えていると思います。しかしそれは世界中で何千ものアクセスポイントを持つデータセンターを運営することや、それらの運営に必要な莫大な投資資本とは異なるものです。Googleは今年単年でも$13Bの資本を投下しています。
米国では全ての必要な場所に展開が終わっています。Project Streamの試験に必要な環境は2018年末には整いました。我々はGoogle社内で、Google社員を対象に2017年の始めから2年間の間、プライベートなテストを行ってきました。2019年には米、加、西欧、英にて Permalink | 記事への反応(1) | 06:10
筋萎縮性側索硬化症 通称ALSという病気がある。全身の運動神経が壊れ、徐々に筋肉が痩せて動けなくなる病気だ。最終的には食事が飲み込めなくなって呼吸筋を動かすことができなくなって死ぬ。100万人に1人発症するといわれている難病だが、それを専門に見ていると、毎月のように新しい患者に出会う。
この病気は基本的には動けなくなるだけである。なので胃瘻を作り、口から管を入れる挿管という処置を行い、人工呼吸器を装着すれば生きることはできる。しかし最終的には全身を動かせなくなり完全に意思疎通ができなくなる。感覚は正常で、認知症を合併する例もあるが半分程度は意識がしっかりしたままである。
診断がついて説明する際に、現場では挿管人工呼吸器を導入しないように持っていくことが多い。多くの人は一生寝たきりで閉じ込められたままになると言うことに対し恐怖を覚えるので、その恐怖によりそう。さらに日本で一度挿管人工呼吸を行えば、外すことは殺人になるので外せないという。選択する人は少ないという統計学的事実を話す。このようにして「自主的に」選択させてしまう。
私自身がもしALSになったときに挿管人工呼吸器の状態になりたくないので本音を持って勧めていない。これは閉じ込められたままでいること自体の不幸だけではなく、家族の負担のことを考えたり、家族が介護できず長期間入院可能な病院に死ぬまでいることになってしまうことを知っているということもある。もちろん幸福は人それぞれで、外から評価することなどしてはいけない。ただやはり挿管しても家族に囲まれ幸せというような例は極めて稀だと考えている(患者会やワークショップなどでそのような症例が示されることもあるが、稀なので示されている)。患者自身と家族に相当な覚悟が必要となり、それはかなりの負担となると考えている。
ALSに関しての人工呼吸器非導入については厚労省からの指針もあるがあやふやな部分も大きく、現場では倫理委員会などはほぼ通さずに医者と家族との話し合いだけで決定することがほとんどである。
今回、透析導入を行わずに死に至った腎不全の患者が多数いることが世間を騒がせている。日本と海外の死生観の違いや保険診療、移植へのアクセスなどの差がありどちらが優れているなどという話ではないが、海外では透析を行わなかったり途中で中止することも可能だとも聞く。
そして、ALSに対しての人工呼吸器導入は海外では殆ど行われないが、学会によると日本では30%ほどの患者で行われているという。
ALSは今回の透析の件とは全く異なる話であり、両者を比べる事自体が意味のないことである。ただ、ふと報道をみて、卑近な例であるALSについてどうなのだろうと思うところがあったため増田に吐き出した。
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補足
※挿管人工呼吸を選んだ患者を批判したり責めたりする気持ちなど全く無く、愚かな選択肢だと思っているわけではない。
※ここで記載した説明のやり方が完全に間違えているということは認識している。本来ICにおいて、医療者側は患者が必要としている十分な情報提供を行い、患者が”誤解なく”理解し判断できるように支え、専門的知識や経験を通して患者にとって何が最善となるのかを共に考えていくべきである。医療者は情報提供を恣意的に行うべきではないが、患者は殆どの場合自分からは決めきれない。決めて欲しいと丸投げされることも多い。このような形になってしまう。
※挿管までは至らないNPPVというマスク型呼吸器もある。最後は呼吸不全で死ぬが、一時しのぎにはなり呼吸苦の緩和もできる。緩和ケアの一部として推奨されているが、結局は動けないまま苦しむ時間が長引く。私はこれに対しても否定的ではあるが、導入することは多い。導入しなくても罪には問われないはずではあるが、罪に問われる可能性がないわけではない。使わなければ呼吸苦や不安が強くなり、夜間に自宅で突然死している可能性も高く、また患者も医者も何もしないという選択肢を躊躇するということ多いのだ。
とにかく目標と目的が立てられなくてさ。やりたいことなんて、無くて。ずっと。なりたいものも無くて。
おかねをかせぐ!が目的だったとき楽だった。すごく明確で、わりと最適解がすぐでてくるし。お金さえあれば楽園にいけると思ったんだよ。でもお金稼ぐの、わたしのような無能には結構きびしいんだよね。すごいもん、プレッシャー。普通の人が軽々超えていくハードルを必死で超えてさ。超えちゃったもんだから分相応でない仕事もらえてさ。でも、貧乏でもそれなりに楽しいの知っちゃったら、あえて、必死で稼ぐ意味わかんなくて。仕事は失敗がおそろしくて、苦痛で面倒な、責任と外面のためにあるものになった。
ここは地獄だけど、やり続ければ楽園に近づくんだ!って思ってた。なんとかキャリアは少しつけたからこのまま同じ職種でホッピングしてけば、ちょつとは上がるはずなのよ。おかねは。でも、やり続けたって地獄が地続きに続くだけのようにしか見えない、何年か前から。
やらないよりはマシ!きっとやった先には楽園がある!って思いでとにかくやってきたけど、目標も目的もないと判断基準がゼロだから、なんか、どこにいるのかわからない。先を見据えてってよく言われた。先ってどっちなの?
楽園ってなんだろう。とにかく苦しくないところって答えが出た。あやふや。苦しくないことを色んなパターンを想像したけど、生きてたらきっとずっと苦しいだろうな。そこからもう次の答えが見つからない。
こんなプレッシャーでボロボロになりながら仕事して、金稼いだって、楽しくないんだよ。だって、使い道ないんだもの。ああ、両親の介護費用くらいかな。金があれば金で困りはしなくなるだろうけれど、金があっても人間をやんなきゃならんじゃないですか。
なんでだっけ。なんでやってんだっけ。やりたいことなんか、なんもねぇや。ずっとなんもなかったけど、一時そんなこといったって仕方ないから、見えないフリしてなりふり構わず厚顔無恥と知りながらとにかくやってみたんだけど、やっぱり苦痛だった。ここは地獄だ。どこにいっても、きっと地獄だ。世界を楽しむには私は無能すぎた。