はてなキーワード: あやふやとは
とにかく目標と目的が立てられなくてさ。やりたいことなんて、無くて。ずっと。なりたいものも無くて。
おかねをかせぐ!が目的だったとき楽だった。すごく明確で、わりと最適解がすぐでてくるし。お金さえあれば楽園にいけると思ったんだよ。でもお金稼ぐの、わたしのような無能には結構きびしいんだよね。すごいもん、プレッシャー。普通の人が軽々超えていくハードルを必死で超えてさ。超えちゃったもんだから分相応でない仕事もらえてさ。でも、貧乏でもそれなりに楽しいの知っちゃったら、あえて、必死で稼ぐ意味わかんなくて。仕事は失敗がおそろしくて、苦痛で面倒な、責任と外面のためにあるものになった。
ここは地獄だけど、やり続ければ楽園に近づくんだ!って思ってた。なんとかキャリアは少しつけたからこのまま同じ職種でホッピングしてけば、ちょつとは上がるはずなのよ。おかねは。でも、やり続けたって地獄が地続きに続くだけのようにしか見えない、何年か前から。
やらないよりはマシ!きっとやった先には楽園がある!って思いでとにかくやってきたけど、目標も目的もないと判断基準がゼロだから、なんか、どこにいるのかわからない。先を見据えてってよく言われた。先ってどっちなの?
楽園ってなんだろう。とにかく苦しくないところって答えが出た。あやふや。苦しくないことを色んなパターンを想像したけど、生きてたらきっとずっと苦しいだろうな。そこからもう次の答えが見つからない。
こんなプレッシャーでボロボロになりながら仕事して、金稼いだって、楽しくないんだよ。だって、使い道ないんだもの。ああ、両親の介護費用くらいかな。金があれば金で困りはしなくなるだろうけれど、金があっても人間をやんなきゃならんじゃないですか。
なんでだっけ。なんでやってんだっけ。やりたいことなんか、なんもねぇや。ずっとなんもなかったけど、一時そんなこといったって仕方ないから、見えないフリしてなりふり構わず厚顔無恥と知りながらとにかくやってみたんだけど、やっぱり苦痛だった。ここは地獄だ。どこにいっても、きっと地獄だ。世界を楽しむには私は無能すぎた。
なるほど、君は「世論の同意」と言う言葉を使えばオタクの人権を踏み躙っていいと思ってる奴なんだね?
最初に言ってたこととかなり立場が変わってるが、まぁいいだろう
でさ、聞きたいんだけど。
「世論」とか言うあやふやで確たる根拠もないもんのために、一方的に権利を奪われ続けるオタクが君らに従属する理由ってなんかあるの?
あと、高校野球だの野球だのゴルフだの、オタクにとっては厄介極まり無い代物だが、それを止めろと運動しないのは「それを好きな奴が居ると分かってるから」だぞ。つまり節操がある。
君ら規制派の節度のなさ、身勝手さは君らが蔑むオタクのはるか下だといえよう
さらに言うなら、世論の合意なんかなくても集団でぶっ叩けばやめさせる事ができる。フェミ達がやってるのはコレ。
そして辞めざるを得なくなって辞めると「世論の合意」と言っちゃう訳だ。
ヤクザだよ。コレ。
エビデンスもなしに、一部のカルチャーを「社会的常識に反する」と弾圧することが、どういう結果をもたらすか君は歴史に学ばなかったのか?
その現行法を超える規制を求める以上は、「妥当な社会的重要性の現状認識」に背いてるということになるが?
新たな現状認識を作ろうとする癖に、根拠もなく他者の人権を踏みにじるのか?
そして何度も聞いてるが、いつフェミやポリコレの価値観が民主主義的手続きを得た社会的合意になったんだ?
そもそも具体的ボーダーラインもないものについて何を言ってるんだ?
もちろん異論は多々あるのでしょうけども、
あやふやな根拠で他人を黙らせる権利。そんなものがあるのか。誰に!?
「児童が保護対象」「性交は加害」こういうのってただの「価値観」であって「真理」ではないよ?
そして児童性愛が気に入らないなら、ナチに弾圧された共産主義者やユダヤ人を例にとってもいい。
あの時代あの国の「民主主義的正解」「社会的常識」はナチとともにあったわけだ。
そのナチが、エビデンスなく「劣等」と決めつけた者に何をしたか知らないわけじゃないだろう?
今またエビデンスなく、「社会的常識」だの「悪影響」だのと一部のカルチャーにレッテルをはり、ゲットーに追い詰めるのか?
答えろよ。
2月末の今ぐらいの時期に、新作ゲーム(というかポケモン)が「今年冬発売」とか言われるとモヤモヤする。
まあ大方、年度をまたいで2019年11月(恒例の21日)か12月なんだろうけど。
12月頭前後~3月の半ばくらいまでは冬と思う人も多いのでは?
ぐーぐる先生に「冬 いつまで」って聞くと「2019年3月21日木曜日」って言うし。論拠不明だけど。
12~2月が冬、と定められている。まだギリギリ2月だから今も「今年冬」の範囲内。
だから「もう数日で出るよ」という意味で受け取る・発する人もいないとは言えない。
10~12月が冬になる。あるいは立冬~立春までが冬、といった区分のどちらか。
今回は偶然「今年冬発売」の意図するところに合致しているようだが、体感とかけ離れた暦ベースの表現を告知で使っているとは考えづらい。
こんな感じでゆらぎがある表現なので、これ言うのが1月とかだったら、もっと事態はあやふやになってくる。
さらにその頃に「今冬」と言えば、その場合は大方2019年3月中までには、って事になるだろう。
「今年冬」と「今冬」には微妙な違いがあるが、混同される可能性もあることも考え合わせておかなければならない。
ややこしいんじゃ。
よくあるのが第3四半期、Q3みたいな表現もありえるが、それは会計年度を表す表現で、会計年度の開始月は国や組織によって違ったりする。
プレスリリースのような文章ならいいが、一般向けに理解されるとは思えない。さらに多国展開してる商品だと混乱する。
最近は良くアプリの8 ball pool(ビリヤードのこと)をプレイしてる。なんだか頭の中がとても乱雑になっていて、考えることにに嫌気がさした時、ただボールを見つめて、どうすれば全ての玉が上手くポケットに滑り込んでくれるのか、バンクショットの角度をどうするか、どのくらいの強さで玉を弾くか、分析と試行を繰り返していると、混乱状態の頭や感情が、少しは落ち着くような気がする。
ゲームをしていて、Azad君というインド人と友人になった。ある日ただただ黙々とゲームに勤しんでいたら、ゲーム中にやたらとわたしのプレイを褒めてくる人ががいた。私は特別なことは何もしていなかったし、その人の方がゲームの実績は明らかに上だったので、なんだか不思議な気持ちだった。
あげく、その人は私のために勝ちを譲り、友人になりたいと言った。その日から、異常といえるまでの私への執着を見せ、毎日私と一緒にプレイしたがった。2人でクラブを作り、適当に思いついた"pool of thron"というのが名前になった。最後のthroneのスペルが間違っているのを、その時からずっと彼には言えないでいる。バンクショットを打てるようになったのは、彼が教えてくれたからだ。しばらく一緒にプレイしていたが、彼の様子はどうもおかしく、ただゲームを一緒にプレイしているだけなのに、私のことを女性として好きになったといいだす。この時、お互いに顔も見たことがなく、私のゲームアイコンはpool bossという色気のかけらもないやたらと偉そうな熊だった。Azad君の連日の愛の告白と執着心にはとても困った。彼は賢くて、無邪気なところがあり、私に対しては非常に優しくしてくれた。彼との時間はとても楽しく、これからも友人としてずっと一緒に遊んでいたいと思っていた。何故彼が姿も見えない、私に対して恋愛感情を抱くのかは、不思議でしょうがなかった。
聞くところによると彼はまだ大学院生で、後から交換したLineの誕生日欄を見て、20歳であることを知った。彼女がいたこともなく、女友達もいないそう。私に対しては異常なまでに積極的であったのに現実では女の子に話しかけることが出来ないようだ。それなら、行き場のない恋心や性欲やらが画面の向こうの私という唯一の女性らしき存在に向かっても、しょうがないのか、ともう28を過ぎてそれなりの経験を経て、少しばかり擦れてしまった恋愛観を会得してきた私は思う。
彼は本当に私を愛しているといい、一緒に遊んでいない時もずっと私のことが頭から離れず、私が愛しく、恋しく、抑えきれない感情をどうコントロールしていいか分からないのだという。私も、そんな風に誰かを愛した気になっていたことがあったなぁ、とそんなに昔のことでもない、日々がその人の為にあり、その人とほんの少し関われるだけこの世界が輝き、最後はお互いに身を削るように痛く終わった恋愛のことを思い出す。
恋心というのは、つまりは性欲であり、相手の事が頭から離れないのは、脳の動物的な本能と人を生殖に促すホルモンのせいなのである。それを私たちは燃え上がるような恋だとか、熱い愛情だとか呼んでいるのであるが、
この種の保存の、本能には争うことは難しい。
そもそも私たちはなんとなく自分のやることやしたいことを、自分で決めているように考えているが、その実、この世界を司る巨大なシステムのような何かに踊らされているだけなのかもしれない。"人"あるいは"動物、もっと言えば"生物"として。この巨大なシステムは、全体最適を常に複雑に計算し、"個"はお互いに僅かに影響しあいながら、それぞれに与えられた役割を全うしていく。我々はあたかも自分がそれを選び取ったかのように信じ込んでいるが、全ては予めプログラムされた故の行動に過ぎない。のかもしれない。
なんだか話がずれてしまった。Azad君の話に戻そう。先日、いつものようにプレイをしていたら、おもむろに私の名前を呼び、自分と真剣勝負をしてくれと言う。買ったら、彼が新しく作ったもう一つのゲームのアカウントを私にくれると言う。彼はただただ私の為に、アカウントを使い分けて、ここ2週間程かけて100millionのコインが溜まったアカウントを作ってくれたのだ。その為にface bookのアカウントも新規で作成して。これには驚いた。正直、戸惑いもあったが、彼の気持ちに感謝しありがたく受け取ることにした。因みに勝負には負けた。もともと勝負はあまり関係無かったようだ。
100Mのコインがあると、何ができるかと言うとバンクショットで黒球を入れないと勝てないという、特別なステージで遊ぶことができる。私と彼は日々バンクショットの練習をひたすらやっていたから、私もこの難しいショットをそれなり決めることが出来るようになっていた。彼から上達を褒められ、驚かれるのが嬉しく、一人で地道に練習したりもした。今ではおよそ70%くらいの精度で決めることができる。これは、8 ball poolの全プレイヤーの中でいうと上位0.001%くらいには入るのではないだろうか。そう考えると、結構すごい。新しいことを始めて数週間、または数ヶ月でコツを掴み、本質の理論を理解し、先駆者を追い抜いていく。これは割と得意な作業だ。日頃から自己の輪郭があやふやになりがちで、自分とはどう言う存在なのか未だに答えは見つけられていないが、これはひとつ、確固たる私の信念であると言える。
"智は力"ということ。学ぶこと、知ること、集めたピースを並べて関連性や裏にかくれた理論や本質を思考すること、こういった一連のプロセスを非常に楽しくワクワクとしながら取り組むことができる。理論がわかれば、上達まで最短距離のシードを得たようなもので、先人達の同じ轍を踏まず、車輪の再発明もしなくてすむ。ただただ闇雲に取り組む人よりも物事がスムーズに進むから、より多くのことを成し遂げられるのだと思っている。世界は謎に満ちているが、我々には4000年以上の人類の試行錯誤を重ねてきた歴史があり、今ある事象の多くのことは既に起こっており、実はほとんどが解明もされている。まずはそれを学ばずしてどうして新しいものが生み出せようか。
思いつくままに思考を巡らせていたら、自分でも思わぬ方向に進んでしまった。
ENTP、もしくはINTPらしい、性質だなぁ。
真実と、本質を愛し、世界を司るシステムの理論を解き明かしたい、というのが私の根源的な欲求である。これによって富、愛、豊かな人間関係が得られ、更に問題を抱えている社会を、少しは良くすることができるかもしれない、と期待を抱いている。
そんな事をぼんやりと考えたところで、今は特別に何か行動へ移すことはなく、また私の興味はこの黒球をどうやってバウンドさせるか、どうやってAzad君をもっと驚かせてやろうか、という風なことに移り変わっていくのである。
タンパク質のコンホメーションとかやっぱりなんのこっちゃだ
一瞬分かり合えそうな気がしたけれど
なんかやっぱ難しいな
後、どうしてコンフォメーションじゃなくてコンホメーションなのかどうでもいいことが気になる。
あーーーーーーーーー
アミノ酸配列のことを一次構造という。アミノ酸はペプチド結合でつながってるからペプチド鎖という
Cα炭素とO、N間の接続は若干ねじれてて、このねじれの角度がΦとΨ
2次構造とはたしかαヘリックス、βシート、みたいなので、ペプチド鎖が複数つながった構造のこと‥‥
なんだかあやふやだな、
3次構造、、は確か2次構造が疎水性とかで折りたたまれた状態?=サブユニット?
はぁあ
勉強しよ
こんばんは、猫です。本当にその鳴き方は「アオ」と聞き取れるのか、あなたと私達の聴力差に対する懸念が春霞のように漂うものの、仮に本当に「アオ」だった際の意味をお伝えしましょう。その前に夢の話が必要です。
私たちは二歳にもなれば落ち着き、世界のことを一通り分かったような心持ちになります。生活パターンも覚え、いつどのように振る舞えば衣食住が足りるか学び、それ以外は眠ることを好みます。眠ると夢を見、そこでは真に自由になれるからです。体は軽く飛ぶことすらでき、かろうじて生命である自覚はあるももの、それが見知った姿をしているかあやふやなほど存在は曖昧になります。
やがて夢から覚め、しばしボウとしてしまいます。私は何だったのか。何が私であるのか。尻尾の先を動かし、片耳を動かし、あくびをして、この世に占める自分の範囲を思い出します。大人しく温かな私は撫で甲斐があるのでしょう。飼い主の手が背骨に沿って往復しています。私が内側から感じる範囲と、外側で動く飼い主の手が示す範囲が一致し、ようやく輪郭が明確になります。そう、今しばらく私はこの範囲の舵取りをせねばなりません。
けれど、さきほどまでの解放された感覚が忘れがたいのです。私とあなたの境界は曖昧で、あなたは私の一部であり、その逆でもありました。万物はお互いに作用し、ゆえに全てが愛おしい。また、私と共にあるのは物質ばかりではありませんでした。巡る季節や、存在が変化していくくこと、例えば息を吹きかけたロウソクの炎が消えること、けれど何が失われたわけでもなく姿を変えただけのこと、それらの道理全ても私であり、つまり世界が私でありました。自分の輪郭など存在せず、ただ、私もあなたも穏やかな混沌の一部なのです。
「アオ」、それは「新しい世界が始まりそうだ」の意です。もしくは「やがて行きつく世界でもあなたと共にあった」の意です。あなたと共に暮らす猫は、目が覚め、しばらくボウとし、あなたを見つめてゆっくり瞬きをしながら「アオ」と鳴きやしませんか。ご飯やおもちゃは刺激的で暮らしに執着をさせる要因になりますが、年を重ねると命とはそれだけではないことに気がつくのです。私もあなたもやがてロウソクの炎のように見えなくなるでしょう。けれど大切なことは、今、目覚めたら世界が違って見えたということです。アオ、あなたにそれを伝えたい。
次に彼or彼女が鳴いたら、背中を撫でて輪郭を伝え、けれどお互いが溶け合うことを願うように、しばらく優しく抱いて下さったらと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20190114233836
これを読んで思い出したのでちょっと書いてみる
K君はスポーツがよくできて、明るい子だった。その割に冷静な一言を突然放つような妙に大人びた面を見せることもあって、男子だけではなく女の子にも人気があった。自分は同じクラスになってからK君とよく遊んだ。休み時間はいつも一緒だったし帰り道も途中で分かれるがいつも数人で一緒に帰りながら色々な遊びを発明していた。自分は球技が苦手でチームスポーツが得意なK君に密かに憧れもしていた。
そんなK君がある時期から急激に変わった。
ある日突然学校にスーツを着て来たり、体育の時間を毎回見学するようになったり、色々な変化があった。
一番大きな変化は休み時間にみんなと遊ばなくなったのと一緒に帰らなくなった事だった。
親経由で聞いた話によると体育も休み時間に校庭で遊ぶのも帰り道に遊ぶのも全部ケガをしたらマズいからという事だった。正確には血が出るようなケガをしたらマズいという事らしかった。
K君と遊ばなくなってしばらくしたある日家に突然K君が来た。来たと行っても親と一緒だった。自分はその時一人で留守番していて、K君のお母さんは玄関でエホバの事をずっと話していた。僕はK君のお母さんの話を聞き流しながらK君の様子を見ていた。
K君は笑っているように見えた。だからK君のお母さんが「じゃあね」と言って去ろうとする時に、K君に「また遊ぼうね」と言った。その瞬間K君の目からポロポロ涙が落ちた。K君が急に泣いたのでこちらは少しパニックになった。ドアを閉じてしばらく考えてみたけど頭の中の整理がつかず、とにかく気味が悪かった。
遠い昔で記憶があやふやなところも多いけど、その時の顔はよく覚えてる。泣いてるとこではなくてじっと互いを見てる時、わかりあってるという感じがした。でもなんにもわかってなかったんだと思う。
メールの下書きを読んでいたら途中まで書いていたものがあったので上げてみる。
『名前変換至上主義の人は、キャラ×名前やネームレスなどの現状夢ラベルが貼られているものが夢ではないことになるのでは?』という主旨のツイートがあったので、なんとか言語化してみます。
(鍵付アカウントのものなので上記のは本文ママではなく意訳。)
名前変換って言うのは『概念や存在の"名前という極小範囲"を個々人の好きなようにする隙間をつくることにより、読み手側が物語に入り込む大きな余地を残す』ことを可能にしている手法だと、個人的に考えている。
だから、名前変換のない【名前固定】の作品は『夢創作ではない』と私の定義上ではなってしまう。
私は夢を読むときは夢主に感情や思考を合わせていく、潜るように読んでいくタイプで、つまり作中の自分だと何も疑わずに認識出来る名前が作品中に出てくることで、物語の中に容易に入り込むことを可能にしているのだと思う。「これは誰だ」という思考が無いことが重要。
けれど【ネームレス】は、そういった「これは誰だ」思考が発生することが極端に少ない手法だろうので、個人的には夢だと思っている。余地がないがゆえに、余地が発生する。それに何でもかんでも名前を呼ばれたらいいわけじゃないしね。名前呼ばない人もいるし。
また、【キャラ×わたし(生身の人間)】については、小説などの作品を発表しているうえで名前変換という余地がなければ夢ではないのだろうと思う。それは私にとっては【キャラ×その人】なので、夢創作ではなく、その人の恋愛事情といって差し支えないんじゃないかなと。
たまに夢CPと呼ばれたりするけれど、個人的にはその人の恋愛模様なので夢CPというのもなんか違和感ある。
【キャラ×わたし】で、ツイッター上で関係性を匂わせたり日記を書いているのみで、小説などの所謂『創作とされる形態』での発表がない場合は、やはり夢創作ではないと思う。日記型夢創作とかもあるんだろうけど、個人的にはこの場合すこし横に置く。語るなら何を夢創作とするかの定義から開始するべき。
だから、議題とした呟きに対する結論としてはつまらない回答だけれど『物による』。
あとそもそも『名前変換至上主義から考えると、ネームレスは名前がないからラベルが外れる』というのはさすがに暴論じゃないかなー。ラベルが外れる理由がこういう意味じゃなかったらすみません。
以上はあくまで個人的な定義と考えです。変換主義の人の総意では(当たり前だけど)ない。
夢創作として発表する際に、名前変換があった方が自分はその作品を夢創作として読むことが容易になるなぁ、と言うだけの話です。他の方のラベルづけの定義は知らないです。夢創作と夢思考は別の話だと私は考えているので、ここでは一緒にしません。
これで回答になってるのかなってないのかわかんないや。というか自分が質問に該当する人間かどうかもあやふやだし語るべきではなかったかもしれない。おなかすいた。
https://anond.hatelabo.jp/20190202201220
こんなの見かけたけど、PCがあっても手書きをする理由を述べる。
PCに保存してあるからいいやって感じだと、記憶に残りづらい。
むしろ新しい事をまたPCに保存する度に、「あの内容どこだっけ?」となりやすい。
手書きだと「どこだっけ?」の前に「そういやこんなのだったな」と思い出しやすい。
これは、手書きという体を動かしたという記憶と頭で「手書きした」という記憶が残るから。
当然、PCもタイピングしてんだから同じだろって思う人は居ると思うが、
手書きとタイピングで違うのは、自分が学んだ字を記憶から呼び起こして手書きをするので
結果【学んだ文字を記憶から呼び起こして、手書きをした事実を記憶する】という事から
PCの場合だと、文字を書くのではなく打つので意識せずしても簡単に打ち込むことができる。
いちいち漢字も書かずに手間がかからないが、漢字自体を自分で考えないので記憶に残らない。
【打ち込んだ】という事実は身体と記憶に刻まれているが、内容までは思い出せない。
PCに残すというのは、確かに手間がかからないが作業の短縮化が出来るかっていうと、そうでもない。
だからといって、別にPCを否定するつもりもないがPCが楽っていうのは、
「話したっけな?」とあやふやな記憶ばかり残す人は、手書きでメモをする方が逆に効率が良い。
なので、手書きがアナログなのではなく、【自分にあったやり方が一番最新の方法】だったりする。
男性声優×ラップのヒプノシスマイクが女性キャラクターの立ち絵を公開した件でまた炎上している。私調べで1週間ぶり5回目の炎上。燃えすぎ。もはや燃えカスになっているのではないかと思いきや、まだ燃えてる。すっごい。
かくいう私も1週間くらい前、新しいドラマトラックの公開を機にヒプノシスマイクを降りた。コミカライズ1話を読んだ時から降りるか降りないかウジウジ悩んでたんだけど新しいドラマトラックが酷すぎて秒で降りることを決意した。ちなみにヨコハマ推しだった。
降りた後は、一応かなり思い入れのあるジャンルだったので、RADWIMPSの「もしも」の「もしも時が戻るならば純粋そのものだった君にまた出会いたい もしも時が戻らぬなら素晴らしかった君に恋してた僕のままで」という歌詞に自分とヒプマイを重ねてシクシク泣いたりした。完全に彼氏と別れた後みたいな感じだった。
だって過去のヒプマイは本当に素晴らしかったのだ。こう言うと何だか古参面してるみたいでイヤらしいが本当に割と古参だったので許してほしい。
そもそもが2017年の秋に始まったプロジェクトなので古参も新参もクソもない気もするけど。でもヒプノシスマイクというジャンルを新と旧の大きく二つにわけると、その分かれ目はあのめちゃくちゃバズったバトルアンセム(全員が歌ってるやつの二曲目)が公開された頃ということにはなると思う。むちゃくちゃかっこいい曲だったよね。かっこよすぎて、初めて聴いたとき「こんな幸せでいいの?」って泣いたし。
あの曲のおかげでヒプノシスマイクというジャンルが本格的に世間に認知されるようになったのかなと思う。し、同じように思ってる人も多いはず。
さてそのようにして2018年夏頃人気を爆発させたヒプノシスマイクだったが、この後から雲行きが怪しくなり始める。仕上がっていない声優のいるライブ。まったく出ない円盤(でも映像はあるらしい)。音ゲー化決定。歩数計バトル(これは面白かったけど)。バトルの勝者に贈られる賞品(これは賛否両論あるけど、物議は醸した)。
そしてCDについているドラマトラックの、脚本。これに関してはかなり早い段階からおかしくなり始めてはいたのだ。というかそもそも最初からおかしくはあった。でもそのおかしさがなんか面白かったしウケていた。ように思う。
声だけで展開されるので、多少キャラクターがブレていてもトンチキな言動をしていても私たちはそれをスルーというか、見て見ぬ振りをしていた。もしくはなんかいい感じの妄想で補って脳内でいい感じの方に持っていっていた。
私は入間銃兎推しだったけど、ドラマトラックで彼が中高生に喧嘩を売り始めた時点で「ん?」とはなっていた。でもそんな気にしてなかった。
もう一回言う。そんな気にしてなかった。というか気にしないようにしていた。なぜならヒプノシスマイクにおいて最重要なのは楽曲であり、ラップバトルだったから。曲とラップがむちゃくちゃ楽しかったのでストーリーはまあそんなに気にしなくていいかな、て感じだった。
しかしそのようなスタンスだった私のような者に致命傷を与える事件が起こる。
これに関しても、最初は「へー!コミカライズ?立ち絵数枚の推しがついに……」みたいな感じだった。だってコミカライズって、"スピンオフ"でしょ?って感じだったからである。
インターネットの奥地でこんな愚痴を読んでいる人は全員知っていると思うけど、知らない人もいるかもしれないので説明する。ヒプノシスマイクはキングレコード内のレーベルが手がける「男性声優×ラップソング」のプロジェクトである。
その言葉の通りオタクコンテンツでヒップホップのガチ曲を男性声優が正々堂々と歌う。そしてファンが得られる情報は公式HPの立ち絵とキャラ紹介と楽曲とCDに収録されているドラマトラックのみ。完全に"音"がメインで展開されていくジャンル。
一体誰が、そういった音楽がメインのジャンルで、突然コミカライズがストーリーの本筋を描き始めると思うだろうか?
誰も思わん。私も思わなかった。周りのみんなも思ってなかった。不意打ちだった。
別にドラマトラックをなぞるだけならいい。それならあくまでメインは、ドラマトラックであり、耳から入る情報だから。けれど三つある(なんで三つもあんの?)コミカライズのうち一つは、作中で伝説とされているグループTDDの結成から解散までを描く前日譚だった。それだけならまだいいよ。本編の補完って感じなら、別にいいよ。
でも、世界観の重要な設定とか、今後のストーリーに絡んでいく新キャラとかをコミカライズで出すのは流石に違う。
違うでしょ。違うよな?私の感覚がおかしいのかな?そんなわけないよね?だって実際かなり燃えたし。
今まで"音"がメインだったわけですよ。楽曲とドラマトラックのみでストーリーが展開されていくっていうワクワク感が私は好きだったわけ。わかるか?わかってくれるよね この気持ち
それにドラマトラックをなぞるだけならまだいいってさっき言ったけど、音声だけならスルーできていたキャラのトンチキな言動とか、ちょっと現実離れした設定とか、視覚化されたら、もう見て見ぬ振りできんのですわ。もう見逃してあげられない。嫌でも目に入ってくる。圧倒的違和感。
と、いうわけで冒頭に書いたみたいにコミカライズ1話を読んだ私はかなり悩んだ。理由は上に記したことと、もう一つ。ストーリーがすんごいつまんなかったから。もう話が矛盾してるとか破綻してるとか世界観があやふやすぎるとかこのご時世にジェンダーに関わる話にするならもっと考えなよとか色々全部ひっくるめて、「つまんなかった」で表現してもいいか?いいよ
それでも過去のヒプノシスマイクがむちゃくちゃ楽しいジャンルだった(お正月remixとか)ということや、仲の良いフォロワーがいることなどを考えるとなかなか離れる踏ん切りがつかなかった。
もしかしたらコミカライズはこれから先面白くなるのかも。話も辻褄があうのかも。もしくは、コミカライズは読まないでCDだけ聴けばいいんじゃないか?今までだってCDとドラマトラックだけでこのジャンルは成立していたんだし。ね?
コミカライズ読まなければいいんじゃない?楽曲を楽しんで、ドラマトラックだけ聴けば話がわかるんじゃない?ね?
だってCDが、楽曲が、ドラマトラックがメインの原作でしょ?だよね?ね?ね?そうだよね?ね?
違った。1週間くらい前にyoutubeで先行公開された、次のCDに収録予定のドラマトラック(てか30分全部公開とか、CD売らん気か?)。コミカライズに登場した新キャラたちの名前が当然のように出てきた。
つーか名前がキラキラネームすぎて目で受け取った情報と耳で聞いた音とがイマイチ合致しないけど、当然のように名前出てきた。あとキャラクターの1人の口調が変わってた。そんなのありかよ
コミカライズを読んでいない人は、確実に話についていけないだろう。
というか読んだ私も話についていけなかった。
全員別の人みたいだった。
そこで私はようやく、私の知っているヒプノシスマイクが全く別の、私の知らないヒプノシスマイクにいつのまにかすり替わっていることに気がついたのだ。
こうして私はもうこのジャンルについていくことは無理で、私とヒプノシスマイクは完全に志を違えてしまったのだという実感を得てRADWIMPSを聴いて泣くことになる。
以上、ジャンルから離れて微妙に日数経ってるのに、オトメイトが関わっているジャンルで既存キャラのイラストも数枚しかない状態で女性キャラの新規絵を出したヒプノシスマイクが面白すぎて我慢できなくてこんなん書いてしまいました。
コミカライズが無理で、ストーリーが無理で、新しいドラマトラックが無理で、と言うと必ず「脚本家はずっと一緒の人なのになんで急に無理になったの?」という疑問をぶつけられますが、それはつまり、こういうことなのです。
見て見ぬ振りしてきたところを、見て見ぬ振りできなくなったから。
そして見て見ぬ振りできなくなるような売り方に変えたのは公式です。いやまじで公式に恨み言とか言いたくないし、私ヒプノシスマイクのこと大好きだったから、本当に、別れるのは辛い。横浜とかなんかもう元カレとの思い出の場所みたいになった。
私だって出来ることならずっとヒプノシスマイクを応援したかったし推しのことを好きでいたかった。でも無理になった。公式の売り方のせいで。
変わったのは私じゃない。ヒプノシスマイクだ。そしてそれに怒るのは絶対に悪いことじゃない(すごく攻撃的になるのは違うけど)。私は自分勝手なので、これだけは言いたかったんです
http://b.hatena.ne.jp/entry/4663854101234885697/comment/ruinous
残念、都美は博物館法の範疇じゃないです。博物館相当施設だから。http://www.bunka.go.jp/seisaku/bijutsukan_hakubutsukan/kenshu/museum_educator_04/pdf/besshi_1.pdf博物館は全体の2割もないんすhttp://www.bunka.go.jp/seisaku/bijutsukan_hakubutsukan/shinko/gaiyo/
博物館法23条の言う「博物館」とは登録博物館を指しているから、実は「入館料無料」の決まりに縛られない。
私は条文の「公立博物館」という文言ばかりを見ていて、「公立博物館」が一般的にいわれる「公立」の「博物館」(登録博物館、博物館相当施設、博物館類似施設を含む)と読んでしまった。
論旨に関わるところで過ちを犯してしまいました。本当にすみません。
金山喜昭「公立博物館の入館料は無料か有料か」(『法政大学資格過程年報」7号、2018)
「博物館法上は、博物館の入館料は原則無料扱いにすることとなっている。この場合の博物館とは、登録博物館のことを指すが、実際には博物館相当施設や類似施設も含めて呼ぶことが多い。」
このあたりの記述を最近読んで、博物館法に示される「博物館」の限定性に目が行ってませんでした。本当にすみません。
ただ、相当施設も博物館に相当の施設なんだから、大本の方針である原則無料の方針と全く無関係ではないとも思います。
色んな論文や調査・統計資料を見ると、「無料であるべきか」を論じた文章は、第23条を基点に、登録博物館・博物館相当施設・博物館類似施設すべてに話が亘ることが多く、勘違いをしておりました。
以上「言い訳」です……。
問題点は2点あって、法制上の登録博物館と博物館相当施設との差異が、特に利用者にとってはそんなに際立って感ぜられない点。すなわち分類があやふやな点。
諸論文も、登録か否かを争点にせず、入館料を語ることが多いのはそのせいだろう。
もう一つは、そもそも無料の原則が、特にもともと割と空文化して今に至っている点。
今回の投稿のねらいは2点目にあり、博物館は元来無料を謳っているので、社会的な立場や属性で料金に偏差を取るのはそもそも間違いではないか、という点をまず指摘したかったのです。
そちらばかりに目が行き、他方博物館の分類の方が大変脇の甘い話になってしまっていたと言う話です。都美を議題に挙げている関係上論旨がガタガタにしまいました。
初めて匿名を書く。私はフェミニズムの基本理念には賛同するがフェミニストではない、のでフェミニストじゃないやつの文章なんかまず読みたくねーよ!という方々はブラウザバックをお願いします。
そもそも私はツイッターでフェミ界隈を見ているだけの一般人なので、年末年始から騒がしい「MtFが女湯・女性用更衣室・女性用トイレetcに入っても良いか」論争についてイマイチ良く分かってない。
全部を話すことは難しいため、トイレ論争にのみ絞って書こうと思う。温泉は入らなきゃ死ぬってものでもないので、生理的なやつから。
1-1.my idea
私の考えは「今まで通りでいいのでは?誰でも入れるトイレを増やすのは急務だと思うけど」という考えである。今まで通りというのは、それぞれの良心に任せる、というやつ。シス女性(この呼び方が正しいか正しくないかは置いといて、議論しやすいのでこう呼ぶ)、パス度が高いと自分で思うMtFくらいが女性用トイレのメインの利用者になるのではなかろうか。パス度の問題を外野から言われるのは嫌だろうと重々承知だが、MtFの方が「私は女性用トイレに入れるだろう・入っていこう」と決めたとしたらその時点でかなりのパス度なのではないかと思う。パス度が高くないと女性用トイレに入るなという話ではなく、自分がどう見えるか特段に気にしている人が、女性用トイレを使おうと思えるならもうその時点でパス度は高いと思うのである。(私も人からの目線でとても悩んだ時期があるので、多分その辺当事者の方は慎重だと推測する。)
良心に任せたトイレの使い方(分け方?)のメリットとデメリットについて書く。
メリット:良心で成り立っているため、「良心でない、即ち盗撮犯や性犯罪者」を排除する名目になる。
デメリット:明確でない。個人の物差しで測ることになってしまう。「私は女性用トイレに入っても良いのか」とMtFの方が悩む原因となり得る。
性自認による分け方でトイレを分ける;つまり、MtFならばホルモン治療やオペをしなくとも自認が女だと言えば女性用トイレに入ってよいという案がある。果たしてそう明文化して、実際未ホル・未オペの方が入ってくるかは「うーーーーーん?」というところだ。理由は1-1で書いた、人目を気にする方が「許可されたから〜!」とノリノリで入ってくるとは思えないし…入ってきてもらっても全然いいですけどね。
デメリット:「心は女だから〜」と言ってシス男性が入ってくる可能性(詳しくは後で記述する)
セルフIDによる分け方のメリットはあるだろうか。勿論ある、トランスの尊厳だ。何人たりと踏み付けることはできない尊厳。
しかし、メリットを書こうとして、「MtFの方が安心して使える」ー果たしてそうなのか。私はトランスではないので分からないし、トランスの知り合いがいない、確かめる術がない。だが私はこう思う:本当にトランスの方が「安心して」トイレを使えるか?MtFの方なら「男に見えないだろうか」などと思わなくなるのだろうか?分からない、分からないのでメリットには書かなかった。ただ、尊厳は踏みつける意図はない、トランスの方でセルフIDによる分け方のメリットデメリットを教えてくれる方がいたら教えてほしい。
1-3.争い
ツイッターのフェミ垢はちょっと覗くといった程度なので、誰と誰がこの考えで、それに対立してるのが〜とかさっぱりワケワカメなので(ネタが古い)、私の観測内の話。
が大まかな争いだと思う。
まず言っておかねばならないと思うが、②に関しては普通に「そりゃそうよ」という話なのだ。①の論争のどちら側に居ようと、ヘイトはいかんのですよ。「トランス女性は女じゃない」「男体」とか言うのはいかんわけ。それは①のどちら側とか関係ないのよね。ただ、②の論争が収束していかない原因として
・ヘイトとは思えない文脈に対してもヘイトだと言い、話し合いが出来ない
・「セルフIDによりトイレを使えるべきだ」派の人のうち、「セルフIDによる分類はどうかと思う」派はトランス差別から言っているのだと勘違いしている人がいる
①と②を分けて話さないと、議論は収束しない。何でもかんでも「ヘイトだ」と言われれば、口を塞がれていると感じる人も多く出てくるはずだ。
さて本題の①の話。
私が今まで通りの良心によるトイレ利用を推す理由としては、やはり「良心でないもの」の存在が大きい。後述すると言った「自認が女だと言い張るシス男性の存在」である。
これが、シス女だろうとトランス女だろうと関係なく脅威なのは共通認識でいいだろうか?盗撮なんかされたらひとたまりもないだろうよ、これはシスもトランスも関係ないはず。
現実にあり得るのか?という話だが、更衣室やトイレ、温泉やらの盗撮被害というのはもう聞き慣れてしまうほどある。某国で「女性トイレの壁に沢山の穴があった、幼い頃から工事などの跡だろうと思っていた、それは盗撮のためのものだったー男性用トイレに穴はなかった」という話がある。
もしセルフIDによる分け方でトイレに入っていいとなれば、盗撮犯が堂々と女性用トイレに入り込み、ギョッとされても「心が女なので〜」と言えば誰も通報することができず、その男(女装しているのかもしれない)が入っていったのを見た女性は「なんか嫌だからこのトイレ使わないでおこう」が出来るが、数分後その男が個室に隠れるなりカメラを仕掛けるなりした後のトイレに入った女はまんまとその盗撮の餌食になるのでは?????というのを私は危惧している。
盗撮は今もあるし、当たり前に許されない犯罪なのだが、不安なのは「通報ができない」というこの一点なのだ。
勘違いが多いのもこの点のような気がしているので念入りに言う、「トランス女性が怖いんじゃない。ギョッとした時に、犯罪が起きるかもしれない時に、『差別だ』と言われるのを恐れて周りに言えないことが恐怖なんだ」と。
この文章はトイレ問題をメインにすると言ったが、これは温泉にしろ更衣室にしろ同じことだと私は思う。犯罪が起きるかもしれない時に周りに言えないこと が恐怖なのだ、ということが最も伝わって欲しくて、かつ最も伝わっていないことだと思う。
1-4.Trans women are women.
これを和訳すると「トランス女性は女性です」となり、この文章の題にもなる。ふむ。そうなんだけどそうじゃない感がすごい。この文章の違和感を書いていく。
まずこの和訳が暴力的すぎる。その通りなんだけどそうじゃねえよ…と、この文面を見る度に呟いてしまう。うん、トランス女性(即ちMtF)はwomenだよ、でも「女性」は暴力的でしょ、ちゃんと英語に謝って。
検診の尿検査の時、あのスポイトみたいなやつにFかMかチェックをつけるじゃないですか?female or maleって意味。femaleは女性、maleは男性。ではwomenとmenは??womenは女性、menは男性。そう、英語では折角区別される単語が日本語では区別されていないのだ。
female/maleは生物学的なものに、women/menは人間に対して使う、という分け方かな。sexとgenderと言えば分かりやすいかもしれない。genderは社会的性別というやつだ。
つまり、"Trans women are women."という文の本意は「トランス女性に対して『体が男』と言ったり、故意に性別を間違うようなことを言ったり、差別的な行為を許さない」というところではなかろうか。最近のツイッター界で使われる「トランス女性は未ホル・未オペでも女性専用スペースを使える」という文脈はかなり疑問に感じる。それだと"Trans women are females."となってしまうのだ。
あと、「トランス女性に性器を確認させろというのか?!」という話についてだが、誰がそんなこと言ったんだ。タックしてたら分からんだろ、それこそち○こ股に挟んでちっすだわ(暴言)。「トランス女性は女性です」の「女性」という定義があまりにあやふやだからどうするの、femaleなら生物学的な分け方だから性器になるんじゃない?というやつじゃないのか?知らんけど。
1-5.まとめ
トランスの尊厳を守らねばならない、と思う。言い砕くと、ビクビクしながらトイレに入らねばならないような状況はいかんと思うのだ。しかしそれが、セルフIDによるトイレ許可で達成されるのか?本当に?倫理的な教育が必要なんじゃない?セルフIDがあかんという話ではない。達成目標を「自認によるトイレ・温泉・更衣室の利用」に置くのは大切だが、それは先に推し進めることではないはずだ、同時に他のこともせなあかんはず。
あまり長く語るつもりはない。
ええと思う。この国の歴史で強い差別が解消される時、法改正・法制定が大きなターニングポイントとなっているから。雇用や教育機関での不当な差別を許さないと、法律で決めさえすればそれはマイノリティにとっての武器になる。正しく使われていくことを願うばかり。
3.フェミニズム
私がフェミニストではないと最初に言った理由は、ただ単純に日本のフェミニズムに疑問があるからである。そもそも、日本ってフェミニズムを受け入れる段階ですらない気がしてる。男女不平等を甘んじて受けろという意味ではなく、男女差が大きすぎるからフェミニズムは早すぎない?と思うのだ。
海外諸国のように有名人が社会的発言ができないこの国で、リーダー・フラッグシップ的な役割がいないこの状況で。一人一派なんてやってたらそりゃバラバラになるじゃんって。
大体男女差別だけじゃない、この国には差別が残りすぎている。精神疾患差別、障害者差別、外国人差別、職業差別、、、女で精神疾患もちの私は今までしなくていい苦労をたくさんしてきた。マイノリティであるが故の、マイノリティを理解しようとしない社会にいるが故の苦労を、もう他の人にしてほしくない。
トランスの方は遠くの精神科に通っている、大変だ、という文を見つけて悲しい気持ちに浸る。私だって。私だって、未成年のうちから精神科だけで年間10万を超える出費、高速道路で行かねばならない距離の精神科まで2週間に1回通ってるわ、県外まで行ってるわ。精神科に通わないとまともな生活が送れない私は、簡単に保険にも入れない(持病の人でも入れるやつなら入れるけどさ)。
踏まれるのは慣れている、踏まれた時に感情的になるのはすごく分かる、でも何でもかんでもヘイトだと叫ぶのは…
本当か嘘かという野暮な議論はするつもりがない。もし誰も亡くなってなかったのだとしても、亡くなったという文章を書かせるほど精神的に追い詰められたということだから。
その上で、「こちらでは死者が出た、お前らのヘイトのせいだ!」と各方面に言うのは違うということを言いたい。まず、どの陣営に居ようがどの思想だろうが、ヘイトはあかんよという大前提を思い出して欲しい。そしてそのヘイトを、ある主張の全員がしていたわけではないことも。
違う話題の時にヘイトをしたくせにと詰るのも違う、詰りたかったら@をつけるなと言いたい。議論が追いにくいのだ。
4-1.人の死をもって、生きる人の口を塞ぐな
人の死をもって一貫した文脈で人の口を塞ぐのは良い。でも違う、今ツイッターで見るのは「人の死をもって、話し合いを拒絶する」だと思う。
「友人のトランス女性が亡くなった」のブログを理由に怒るフェミニスト達、彼女たちは素晴らしいと思う。実際に私はツイッターでトランス女性へのヘイトを見ていないため(何度も言うがあまりツイッターを見ていない)、どれ程のものだったのか私には分からない。怒れる彼女達はそのヘイトを見ていたのだと思う。
私がその怒れる彼女たちを見て思ったことは一つ;「私が死んだら私の意見は通るの?」
私が死んだら、私がもし「セルフIDで分けるなんて、怖くて生きていけない!」と言って死んだら、どうなるのだろう。
※そんなことは全く思いもしていないが例えである※
冷酷なことを言うが人は死ぬ。10年以上自殺未遂と自傷とODを繰り返してきた私が断言する、人間は死ぬ。いとも簡単に。
ヘイトで亡くなってしまった女性がいるように。口を塞がれて死ぬ女性もいる。
もし私がツイッターランドでそこそこ有名なアカウントで、「ヘイトだ」「お前のせいでトランス女性が死んだ」だなんて言われ続けたら、あと半年前なら、多分死んでたと思う。自死を選ぶ。半年前までの私ならいとも簡単に死んでいた。
死ぬ死ぬ発言は脅迫だからしたくないけど、そちらも同じことをしていないか?少しゆっくりと考えてみてほしい。
4-2.どれがヘイトに値したのか
genderという意味でMtFの方に男だと言ったのならばそれはヘイトだと思う。それはいけないこと。
だが、sexとgenderを分けていない(ように見える)ツイッターランドで、なんかもうその議論まだ続けるの?って呆れてしまっている自分がいるのも確かだ。
折角英語使えるんだから使ってこーよ!male, female,men,womenってさ。sex, genderとかさ。
Trans women are women.だよ。male, femaleという面での議論を差別だというなら、議論が成り立たない。世の中には差別だと感じても議論をしなければ永久に平行線なことがある。
お互いに自分の方が弱者で、相手が強者だと思い込んではいないか。本当にそうなのか。どっちがどれだけ傷付いた、というのは議論になり得ない。ということをここに記しておく。
5.最後に
思っていた100倍量書いた。自分が驚いている。こんなとこまで読む人はまあいねーな。いいんだ自己満だから。
アメリカ国籍の友人とこの間話したことを最後に書く、「日本のフェミニストは感情的すぎだよ、伝わらない」
そうかもしれない。踏まれすぎて、怒ることを抑圧されすぎて、怒り方を知らないのかもしれない。
まともなジャーナリズムが機能しない国で、差別が蔓延り誰に踏まれたのか 何回踏まれたのかわからないこの国で、フェミニズムが否定されるこの国で、私は生きていく。弱者として生きていく。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E8%A6%B3%E7%A0%B4%E5%A3%8A
景観破壊(けいかんはかい)とは、木原啓吉(朝日新聞編集委員)によると、風景や外観などの景観の美しさや調和が破壊される等により、環境の質が損なわれること[1][出典無効]。
景観の定義そのものが様々な利益や要素を含み、広汎で不明確な概念である。景観破壊という概念にも定まった定義がない。景観の破壊、すなわち景観利益の侵害を巡り、複数の訴訟や問題が起こっている[2]。
項目としては色々書かれているが少しあやふやな記事だな。広汎で不明確な概念であるのに項目建てとは。
セクハラは恐ろしい。社会生活を営む男にとってこれ以上恐ろしいものは「痴漢」くらいのモノだろう。
その恐ろしさ故、セクハラに関しては全く女性に同情できないし、
そもそも回避するために「近寄らない」という選択をせざるを得ない。その恐ろしさを簡単にまとめる。
「セクハラ」には具体的な言動に紐づいた定義が存在しない。これは誰しも知ってることである。
何気ない誉め言葉すらセクハラ。話のとっかかりに家族構成を聞いてもセクハラ。
受け手が「セクハラ」ととったらなんでもセクハラというのは全く過言ではない。
しかも恐ろしいことに行動者が誰か、ということで恐ろしくボーダーラインが変わるのである。
増田にもはてブにも「まっとうな人間はセクハラの基準なんか分かる」と書いてるが、ここを念頭に置いてない。
君らが知ってるのは「君らのセクハラ基準」であり、万人に適用できるものではない。
「人間扱いすれば大丈夫」?それって万人の「人間扱い」が統一されてないと無意味だよね。
昨日だか一昨日かのホットエントリ入りした増田にも書いてあったが、「自覚のないセクハラ」というものが存在するようだ。
大変、恐ろしい。上記の変動ボーダーと合わせるとまさに縦横斜め予測不可能なセクハラ定義が完成するだろう。
例えば詐欺罪などでは「犯罪を行う意図」が問われるが、セクハラは問われない。
客観的具体的なボーダーもない為、本当に「受け手がどうとったか」しか判定基準がないのだ。
犯罪を告発するにあたって、告発者にはその犯罪を実証する責任があり、被告にはない。
しかし、セクハラ(というか性犯罪全般)についてはどういう訳か「被害者を疑うのはセカンドレイプ」という風潮がある。
「セカンドレイプ」。恐ろしく強い言葉だ。「レイプ」。自分が他人を犯罪者だと告発するその時、根拠を求められたら「レイプ」。
言うまでもなくレイプは刑法犯であり、許されざるものだ。ゆえに重い刑があり、ゆえに慎重に裁かねばならないはずだ。
なのに、その告発を疑ったら「レイプ」。これでは発言者の発言をうのみにする以外は許されないではないか。
皆さんもご存知のことと思うが、世間を騒がせたmetooなどもこのルールが適用された。
もとTBSの某ジャーナリストの件など、二度にわたって不起訴の事件を疑ることすら「セカンドレイプ」とされている。
さて、metooの話が出たところでセクハラの恐ろしさの本質、私刑について語りたい。
本来、犯罪は告発があって司法の裁きがあって初めて刑が下されるものである。
SNS、メディアも誰も彼もが全く何一つ物証のない、本人の証言のみの告発をあたかも事実であるかのように報道する。
被告発者の名誉も、社会的地位も、経済的損失も一切お構いなし。
ひとたびmetooを受けたものは社会的に殺されるといっても過言ではない。
そもそも、「セクハラ罪」というモノが存在しない以上、加害者が受けうる刑は「企業等の規則で定められたもの」「法の線を踏み越えた分の刑」だけのはずである。
にも拘らず、かくのごとき印象論による社会的制裁が下されるのは本当に正しいのか?
ここまでセクハラの恐ろしさをつづってきた。
読んでる被害者がいればこう思ったかもしれない。「どうすればいいのか?」
私からいえることはシンプルである。ここまでに書かれた恐ろしさ、それを払拭し公正な裁きに訴えればいいのだ。
具体的には以下。
・自分に対する「セクハラ」の定義を定め、具体的なブラックリストを周囲に配布する。その際、属人的な分け隔てをしない。
・ブラックリスト外の言動で法に触れていないものは何であってもセクハラ扱いしない。
・公開せず、順に上位者に相談する。組織内でもみつぶされたら司法に訴える。
・被害者の証言のみで成立する司法に賛同しない意思を明確にする。
・「セクハラ」の具体的かつ最大公約数的な定義をブラックリストとして作成し、それを基に「セクハラ罪」の法制化を目指す
痴漢冤罪の恐れを抱く男性にさんざん掛けられた言葉に「だったらまず男が痴漢をなくせよ。非難しろよ」という言葉があるが、それと同じである。
男性は恐れている。属人的であやふやでしかも覚えのない「セクハラ」で社会的リンチを受ける現状を恐れている。
その恐れを払しょくしない、する気もないならもうこちらとしては取りうる道は一つだけだ。
「ハラミ会」「MGTOW」はそれぞれ違う理由ではあるが、根本的には「もう嫌気がさしてる」ということに尽きるだろう。
君らだって自分を殺しうる恐ろしい存在と一緒にいるのは嫌だろう?
だったら男性がそう思ったってそう行動したって非難できる筋合いはあるまい。それを強制するのは「セクハラ」じゃないのか?
楽天とヤフーは、商品の保証を各ショップに直接行わせてるから、さほど問題はないんだけど、
AmazonはPrimeがあるので返品などの処理をAmazonで行うから、管理が大変そう。
そんなAmazonだけど、あまりにも膨れ上がったショップの管理ができなくなってきている感じ。
一品だけに存在するダミーショップみたいなのが、あちこちに散乱してる。
Prime表記がないものは、基本的にショップの保証のみしかないわけでAmazonを常日頃から使っている人は
まず海外商品は購入しないんじゃないかなと思うんだけど、最近はこの散乱してるショップがPrimeに入り込んでる感じ。
明らかに登録住所が同じなショップがちらほらあるのに、一店舗だけPrimeに入っているショップがあったりする。
その一店舗で購入すれば、Primeとしての保証はあるんだけど、それ以外のショップはPrime外なので自己責任での購入が必要。
これに関してAmazonに問い合わせるも、なんかもうあちらも管理があやふやでわからないっぽい。
実際、なんとも濁んで答えになってない回答をされた。
どうにも管理がもうできないっぽいくらいに増えすぎて膨らんでるよう。
最近では、日本に窓口事務所を置く中華系ショップもPrime入りしてきたりしているけど(これも複数ショップが同じ住所だったりする)
どれもこれも同じ写真・同じ説明・同じ住所・問い合わせると同じ文面での回答がされる。
こんなわかりやすいダミーショップばかりなのにAmazonは管理できていない。
完全に放置しているのかっていうと、そうでもないんだけど
例えば、商品が最初から開封されていたまま届いて「これはおかしいですよね」とAmazonへ問い合わせると
Amazon側からそのショップへ問い合わせてくれて、結果ユーザーから連絡するよりも確実に交換したり返金してくれる。
ユーザーからダミーショップへ問い合わせると、意味不明なメッセージが飛んできて、交換に応じてくれない。返金も当然応じない。
かなり記憶違いが激しかったですが、いただいた情報からすると「世にも不思議なアメージング・ストーリー」の「感謝祭の御馳走(井戸の恩返し)」だと思います!ありがとうございます!
当時の自分は恐らく低学年以下の年齢だったので、夫婦や硬貨など肝心な部分を勘違いして記憶していたみたいです。
何度か家族にこのドラマの話を聞いているうちに記憶がごちゃ混ぜになってました。
話自体はうろ覚えだったのですが、こういう質問をするときはあやふやな断片情報を並べるより間違っていてもストーリーにする方が正解が出やすいっぽいので、無理やり整合性をつけてストーリーを書いてみました。
ありがとうございます!すごくスッキリしました!今度借りてみます!
というか、スピルバーグ自身の監督エピソードもあり、イーストウッドやスコセッシも監督してるなどかなり豪華っぽいですねこのドラマ。普通に面白そう。
90年代の日曜の午後くらいに放送されていて、内容的に恐らく30分か長くても一時間くらいだったと思います。
周囲にはほとんど家もないような土地に住む夫婦の、主に奥さんの話です。
ある日奥さんは、家の近くにある掘削用の地下トンネルの中に、ホームレスか誰かが住んでいることを知る。
(詳しい設定や経緯は忘れたけど、トンネルは炭鉱か何かの名残?で、有毒ガスの発生か何かで廃止されていたのだと思う)
ホームレスを可哀想に思った奥さんは掘削用のエレベーターを使って、トンネルの地下に食事を届けてあげる。
メモには感激したホームレスから、「こんなに美味しい物は食べたことがない、これは鶏肉ですか、心から感謝します」
というお礼と共に、汚れた硬貨が一枚添えられていた。
短いながらも丁寧な文章と、わずかでも代金を支払おうとするホームレスの姿勢に、心を打たれる奥さん。
田舎での寂しい生活に飽きていた奥さんは、顔も知らないホームレスとのこの些細な交流が楽しくなり、
何度も食事を提供して、お礼のメッセージと硬貨がたまっていく。
だが、二人のやり取りが旦那さんにばれてしまい、頑固で短気な旦那さんは激怒し、奥さんを怒鳴り散らす。
ホームレスを懲らしめてやるといって、地下のガス対策のために防毒マスクを着けて、銃を手に取り、完全武装で地下のトンネルに降りていってしまう。
怒り狂う旦那さんにおびえ、悲しむ奥さんだが、もうどうすることもできない。
エレベーターの前でへたり込んでしまい、ただ事が済むのを待つしかない。
しばらくして、エレベーターでトンネルから地上へと帰ってきた旦那さん。
だが、ただ突っ立っているだけで、あれほど怒っていたのに何も言わず、微動だにしない。
防毒マスクのせいで表情もわからず、奥さんはただならぬ様子におびえながらも、何があったかを問いただす。
しかし、依然として旦那さんは突っ立ったまま口を開こうとせず、不気味な防毒マスクがアップで映される。
ついに焦れた奥さんが肩をゆすって話しかける、と、旦那さんの体はぐらりと崩れて倒れてしまう。
旦那さんだと思っていたものは服だけを残した抜け殻で、服のなか一杯にぱんぱんに詰まっていた硬貨が、
上着の隙間や防毒マスクから溢れ出し、あたり一面に洪水のようになだれ落ちる。
その膝元に紙切れが一枚。「こんなに美味しい物は初めて食べました!これはいったい何の肉ですか?」
乾いた青空と赤い土、周囲に誰もいない中で襲い掛かる恐怖が印象に残っています。
何かご存知の方がいたら教えていただけると幸いです。