はてなキーワード: javaとは
16歳 はじめてのエロサイト このときPCの壁紙が金髪お姉さんのオ○ンコ画像になって戻せなくなり、情報セキュリティに興味をもつ
16歳 はじめてのCプログラミング 学割でVC++を買うがまったくわからず挫折
16歳 はじめてのVBプログラミング 学割でVBを買い、メモ帳をつくったところで、それ以上のことができなくなり飽きた
18歳 HSPという言語を知り、ゲームをつくったり、エロ画像をEXEのバイナリに含めて隠したりした
20歳 Javaを触っているうちにポリモーフィズムの概念がわかってきた、ここからプログラミングが急速に伸びた
21歳 IE6があまりにもアレなので、Javaでタブブラウザを作り、エロサイト巡りをはかどらせる
〜24歳 なんやかんやで Java, PHP, C++, Python, VB6, VB.NET, C#, Oracle, MySQL, PosgreSQLを覚える (このあたりでOracle Silver,応用情報をとる)
〜30歳 なんやかんやで Go, Obj-C, Swiftを覚える 機械学習に興味を持つ
31歳 エロ画像収集AIが完成したが、風俗にはまったため活用されず
32歳 Reactで爆速エロサイトをつくったところ、なぜか東南アジアで人気になる。AWS教では月間1200万PVを月4000円でさばける。
PHPの世界は知らんけど、Python界隈は割としっかりしてるみたいだが。
Javaはチームプロジェクトでのプログラミングを強く意識した設計なんじゃないだろか。キッチリしている分、かえって何かと面倒。あれもこれもイチイチ宣言せんといかんし。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 45 | 9694 | 215.4 | 58 |
01 | 36 | 9777 | 271.6 | 52.5 |
02 | 37 | 2485 | 67.2 | 29 |
03 | 20 | 2803 | 140.2 | 56.5 |
04 | 25 | 3027 | 121.1 | 35 |
05 | 49 | 2319 | 47.3 | 28 |
06 | 18 | 15221 | 845.6 | 45 |
07 | 30 | 2168 | 72.3 | 32 |
08 | 46 | 3165 | 68.8 | 36 |
09 | 52 | 4017 | 77.3 | 64.5 |
10 | 90 | 5432 | 60.4 | 28 |
11 | 62 | 10375 | 167.3 | 48.5 |
12 | 68 | 6920 | 101.8 | 60.5 |
13 | 85 | 8442 | 99.3 | 39 |
14 | 105 | 7596 | 72.3 | 35 |
15 | 111 | 14414 | 129.9 | 41 |
16 | 62 | 7332 | 118.3 | 36.5 |
17 | 94 | 9888 | 105.2 | 26 |
18 | 78 | 10428 | 133.7 | 51 |
19 | 106 | 10406 | 98.2 | 34.5 |
20 | 116 | 7873 | 67.9 | 36.5 |
21 | 114 | 9445 | 82.9 | 41 |
22 | 128 | 13571 | 106.0 | 39 |
23 | 104 | 10915 | 105.0 | 58 |
1日 | 1681 | 187713 | 111.7 | 41 |
PHP(3), 本田未央(5), 加蓮(3), むに(8), むが(7), シンギュラリティ(8), 悠仁(4), シンデレラガール(10), ホモビ(5), やむ(4), 嵌め(5), 池袋(12), 非表示(11), 上級国民(14), 中間(9), 連休(11), 起業(22), PHP(9), 詰ん(9), 夢見(11), Python(9), P(15), Java(8), 革命(7), 出会い系(6), ウソ(11), 悪魔(8), 忖度(7), AI(20), 令和(12), 運転(11), ソシャゲ(10), 投票(12), 座っ(12), 天皇(10), 穴(15), 課金(9), 島(8)
■40で独身の人は人間性がおかしい /20190425105407(21), ■もう人生詰んでいるんだなぁと実感して悲しくなった。 /20190427150421(17), ■皆が百合に目覚めた作品を知りたい /20190427065547(9), ■なんでもいいから職業訓練がしたい /20190427005837(8), ■はてなエンジニアの技術力の低さ /20190427071722(8), ■19歳なんだけど /20190425131107(7), ■電車やバスの優先席さあ!!!!!! /20190426165028(7), ■男より女のほうが保守的で遅れてる /20190427141212(6), ■おっす、ツイッターのフォロワー15万人の神絵師だよ! /20190427145440(6), ■ZOZO前澤を叩く理由がわからない /20190427075413(6), ■シンデレラの魔法は夢見りあむが無効化した /20190427110431(6), ■非表示にしてるブクマカを教えて /20190426001052(6), ■和式トイレが消えていくのがつらい(下品注意) /20190427172208(5), ■俺の好きなキャラの周辺は荒れる /20190427102343(4), ■ヘイト漫画家に囲まれてしまった話 /20190427160809(4), ■今の時代ってワクワクするものが全然ねえよな /20190427155136(4), ■俺ってミサンドリーかもしれない。 /20190427143102(4), ■眞子さんにはアメリカのお騒がせセレブになって欲しい /20190426195412(4), ■猫虐待の41歳無職の気持ちがわかる /20190426054729(4), ■お前ら /20190427184251(4), ■引退するとネット耐性なくなんのかな? /20190427051134(4), ■たまご40個と牛乳6本の消費法。 /20190427023153(4), ■自分の好きな映画をGW中に彼女に見せようとしてるそこの君、女が『ダークナイト』にそっぽを向くわけを合理的に説明する /20190425215201(4)
地域バレだけど下2つならどっちですか
「AIプログラマー実践科」http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/532/00317524/c19_cur0702.pdf
これPythonて書いてるんだけど入り口としてはこれなのかな?
「実践Webプログラミング」https://sozosha-rs.jp/flyer/sanomiya6wp.pdf
PHPがこれかな
私は短大卒で
・日商簿記2級
・ビジネス検定
の資格を取ったけど、事務系正社員の仕事はほとんど落とされた。
派遣で事務をやったあとにjavaを独学でやって、未経験からシステムエンジニアになった。
システムエンジニアやデザイナーは細かい打ち合わせや会議、取引先とのコミュニケーションもあるし、チームワークが大事な仕事。
ひとりで黙々やりたいなら絶対に向いてない。
弥生とかの会計ソフトか税理士をいれてる事業所ではほとんど意味がないが、会計ソフトを入れても全然つかえない中小だの自営(飲食とか農家とか家内制手工業っぽいとこ)だと嫁にきてくれまでいわれることもあるかも
資格につながる、不動産は総じてバカでも給料高いイメージある。
ガチ理系寄りだけどコンピューター使えるなら実務よりいいんじゃないの
「ゼロから5カ月でできるのか」っていうと多分無理だけど適性あったら化ける
「AIとかPHPプログラムとか中身が違うものがそれなりにあるけどどれがどうなのかがわからない」
PHPが一番ホームページデザイナーとかウェブ製作者向きだとは思う javaよりは将来性ありそう
AIは教えてどうにかなるもんじゃないだろ・・国策だから入れてるだけで食えるかは別だと思う
・WEBデザイナー(4カ月)
フォトショとイラレとHTML? ←これがスペックにかいてあるならそうなんだろうけど
趣味でできる人もたくさんいる。
仕事にするとなると漫画家やイラストレーターみたいに「下請けからの下積みがながい」「センスが必要」と大変そう
人当たりがいい女性ならいいんじゃないかな お金持ちのおばさんの愚痴聞く仕事かもね
理系度は高い順に AI・PHP・java・建築CAD・経理・ウェブデザイナー・宅建・ビューティ だと思う
数学壊滅だった人は右から試せ 高校数学得意だった人は左からどうぞ
電気工事士はエアコンつける時期とか儲かるやつじゃね? 屋内派遣も多いけど、男性一人暮らし宅に女性が派遣されるのはおすすめできない、日中女性のみ家庭が多いから需要はあるんだけど男性性犯罪者の存在がここでも社会の便利化を阻害してる
意外と運転免許もち(営業二種)とかならすぐにでも職がある場合もあるらしいよ
あとよさそうだとおもったのは夫婦で工務店やってる人で職場でもいつも一緒でツーカーってやつ
女性ひとりだとやりたくないけど男性が一人付きそうだけで安定する職業いっぱいあるよね・・
同じように男性一人だとまかせたくないけど奥さんがいるだけで安定してまかせられる職業もあるし
溶接ってト○タとかだと全部工場のロボットにやらせてる(スポット溶接1台あたり1000点やらせても間違いが出ないから)って聞いた
これから残るのって工場のロボットや溶接済部材をもちはこべない大きめのものつくる現場なのかなっておもってたけど
意外に屋内の溶接も残るのかね、そこは全然知らないのでサイダーコンドーさんとかその下の人のほうが詳しそう
女性で、できることなら刀鍛冶がやりたい人とかも多そうなんだけど宗教とか慣習に埋め込まれた生物的限界というハードルがね・・
研ぎ師までは女性がいると聞いた
資格も欲しい。
なんでもいいと言ったが楽しいor就職の役に立つのどちらかで訓練したい。
これは楽しかったとか教えて。
高卒アラサー女、飲食接客系と介護系というどうにもならない職歴しかない。管理職はしてない。
小中高とパソコンの授業はあったのでofficeソフトの基本操作はおそらくできるがパソコンを使う仕事をしたことが無い。机に座る仕事に憧れている。
ぼんやり事務やってみたい(OLと名乗りたい)とハローワークで言ったら訓練予定の一覧表をもらったがデスクワークをしている友人知人がガチでいないので判断が難しい。
積極的になりたいものもやりたいことも無いがなんか新しいことやってみたいんだよ。
勉強内容おもしろそうだけど「不動産でしか働けないから…」とハロワの人はあまりオススメではないようだった
これは「建築に限られるけど」とは言わないんだな?いいの?おもしろい?
別の講座でAIとかPHPプログラムとか中身が違うものがそれなりにあるけどどれがどうなのかがわからない
ネイルや着付けとか楽しそう&中身とゴールの想定がつくけど絶対一人暮らしできるほどの収入は得られない
溶接とか電気工事とかは受講期間7カ月を通いきる自信が無いんだけど「もくもく仕事ができてオススメ!」とかなら前向きに検討したい。
夏の開校少なくて辞める時期調整して辞めればよかったなーってちょっと後悔してる。
思い返せば学校生活から、人とうまくやるのが苦手だった。育った環境は特に劣悪でもなく、23区のあまり裕福ではないほうで、いじめを受けながらも、それなりに義務教育を終えた。ただし、いじめを受けると、それなりに人付き合いが苦手になるが、現在そのことが影響を深く与えているとは考えにくい。
その後勉強のできる都立高校に進んだ。校則が一つもない学校で、当然服装やら髪型の規則もない。しいて言えば、ちゃんと学校にある程度来ることと、補導されないこと、それと校内では下履きに履き替えることくらい。友達とさぼって映画を見に行ったり、年齢制限をゆるく見てくれるお好み焼き屋に行ったり、近所の公園で浪人生に逆ナンパされたりと、人生初のリフレッシュができた。図書館で山ほど本を読んで、週3回剣道をして、ようやく人生が軌道に乗り始めた。
それほど頭は悪くなかったようで、そこそこの大学の英文科に入ることができた。映画サークルに入り、何本か映画を撮ったり出演したり、地味だったがそれなりに楽しく生活できていた。
兄弟が4人もいたので、アルバイトも高校生のころからちょくちょくしていた。多少を家計の足しに、それと自分の物欲のために。高校生のころコンビニで2年弱、大学生からはファミレスで1年、塾講師で3年。
多分、今に至るきっかけはファミレスのころにうまくいかなかったことに起因している。そして大学生活にも一因がある。
ファミレスでは、厨房でドリンクやデザートを出す仕事をしていた。厨房内では仲良く働いていたが、何となくウエイター/ウエイトレスの人とうまく話ができないまま1年が経ち、そこから人と話すのが苦手になっていた。同じくらいの女性とどんな話題を共有すればよいのか、向こうも話しかけてはくれないし、こちらも話すきっかけがない。
厨房の人がとても優しかったのは今でもいい思い出だ。一緒にワカサギ釣りに旅行に行ったのが懐かしい。釣ったワカサギを持って、お店で揚げて食べたのもいい思い出。
大学1年生の性欲やらが多感な時期に、自分の口下手と話題のなさが鬱屈を与えたのだろうか。
カート・ヴォネガットの短編小説やチャールズ・ブコウスキー、初めて英語で読めた小説の「クール・ミリオン」、高校生から好きで読み漁っていたアメリカ文学、自分やサークルで作った映画、鉄男や小沢健二やNumber Girlやマイケルジャクソン、クラブでかかっていたNirvanaやStrokes、軽自動車で行ったフジロック、そんなものは誰の興味にもならないと決め込んでしまった自分がよくなかったのだろう。
1年経って結局そのファミレスが潰れてしまったが、「あの人の日とか失敗、つまんないし」といったようなことをぼそっと聞こえるように言われたのが今でもフラッシュバックする。
その後、3年弱塾講師のアルバイトをした。個人指導塾で、入って3日目に、「この研修に行くと5000円がもらえる」と言われて行った研修。一言も発言できなかったことを思い出す。
自分が抱える生徒の多くは、本指名から外れてきた子が多かった。成績もみんなそれほど良くなく、自分にも人を教えるスキルが足りなかった。結局浪人させてしまった生徒のことを時々思い出す。本当に悪いことをした。一人で赤本を解いて、わからないことを聞きに来るというスタンスを取らせればよかったのに、自分が無駄に介入してしまったことが悔やまれる。
そのバイト先で覚えたのが、お酒に頼ることだった。安い居酒屋で終電まで飲んで、げらげら時間を共有できる。それが社会人になってもコミュニケーションの核となってしまう。
文学部ながらも、BBSや簡単なアプリを作ることができたので、ソフトハウスに就職できた。2年半いたが、デスマーチで体調を崩してうつになり、結局辞める。
新人研修のころやその後の付き合いもお酒が基本だった。キックオフ、とりあえずリリース、最終FIX、とかのタイミングでようやっと胸襟を開いた話ができる。それまでは、ほうれんそう以外の会話もなく、とにかくメールに頼るようになっていた。
時々生意気な意見を言ったり、人のプログラムを勝手にリファクタリングしたこともあった。
記憶がないなか、帰巣本能で家に帰るのもよくあった。タクシー代を貯めていれば相当の金額になっていたのではないかと思う。
少し休んで、プログラマとして別会社に復帰した。総務と経理以外はほぼ男性の会社で、よく飲んだ。
その会社でようやっとまともな生活を取り戻すことができ、結婚もできた。
3年ほどプログラマをしていたが、目の前に座っているおじさんプログラマの1/10しか生産性がないことがわかり、社内異動で説明書のライターに転職する。
車好きやキャンプ好き、バイク好き、元ミュージシャンが異様に多い会社で、よく泊まりで出かけていた。自分よりも年上が多いから、みんな自分の事を話してくれる。お酒どうこうもなくその人を知ることができる、いい機会だった。ある人が定期購読していた、日経ソフトウェア数年分を借りてJava以外のスクリプト言語(自分はPython)を学ぶBoot Strapとして使わせてもらったり、ほんとうに幸せな日々を送ることができた。
その会社は、株式公開に伴う人員削減で、半数以上人がいなくなった。自分も窮屈なライターを続けるのが辛くなって辞めて、割増の退職金をもらった。以降半年近く、妻以外の人と話すことなく、引きこもりながら割増退職金に付随する給料をもらっていた。働かずに給料をもらえるのがこんなに苦痛だったのか。
いい加減引きこもりにも飽きて大会社に転職するチャンスをもらった。その間に障碍者手帳をもらい、障碍者枠での就職活動をすることにした。
大会社は大会社だった。エリートはエリートで、二級以下の低級労働者の自分は、その程度の扱いしか受けない。大学のランキングを引きずる社内で、
自分はまず
・学歴劣る
・それまでの成果は劣る
・白髪ばっかり目立つ
・とにかくあいつは劣る
という状態になった。
新卒の指導をしても、まるで彼が改善しない。自分を責め続け、ぎっくり腰になった。みんなが、「彼はそうだから」と言ったが、彼をある程度に育てることができず、結局リリースした。リリースしたらとたんにぎっくり腰がよくなった自分の無責任さにびっくりした。
あと、それほど多く飲み会がない。飲んでも自分のような飲み方は誰もしない。場をわきまえ、何となく優しくやっている。
なんで、しらふで天気の話ができないんだろうとか、自分の好きなことを少しでも話せないんだろうとか、毎日悲しくなる。
行動をしないと、周囲も変わらない。一か月以上、挨拶と仕事の最低限のやりとり以外はしていない。たかだか席替えでこんなに弱ってしまうとは。派遣の期限がきてしまう子がいなくなってしまうことにこんなに心が揺さぶられてしまうとは。
ごめん。こんな人間は、やまゆり園の加害者の気持ちでは必要のない人間だったんだろうね。でも、家族と過ごす時々の時間を過ごしてもいいのかな。
★スペック
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・文系卒。
・SE(手も動かしていた)
---------------------------
昨年の12月頃からQiitaやはてなブックマークを見てweb系に興味が湧いた。
3年ほどSEの経験を積んだのでWeb系もいけるだろと思い転職を決意。
そして面接へ挑んだのだが……クソ野郎どもにコテンパンにされてしまった。
「それってうちじゃ一か月で出来るんですが三ヶ月かかったのですか?」
例3 : 即戦力を求められる
「~~の部分は実務経験がない?それは困るねぇ~w」
★思ったこと
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・フルスタックを求められる
・まともな人生を送りたい人はやめとけ
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キモオタは人生の全てを趣味や仕事に捧げることがデフォルトですが一般人はそうではありません。
恐らくTwitterやQiitaにはそういう思考のオタクが溢れているためWeb系が天国に見えるのでしょう。
それらのサイトではよくSIerが批判されていますが普通の人生を送りたい人にはそれで十分なのです。
今SIerに居る方でWeb系のオタクに騙されそうになっている方はもう一度考え直してみてください。
無神経でタフな人だと思っていたけど、半年ほどであれよあれよと無職になった。
で、私が働きだした。
暇な時期は、社外。
言語はその時によってPHP、java、python、.NET。
現場のエンジニアとしての業務だけではなく、SEとして客の前にも立つ。
でも本当はパソコンの前でぱちぱちやってるのが性に合っている。
電話が鳴るたびにビクビクしてる。
ストレスすごい。
社外は楽。
できればずっと社外にいたい。
これで年収は450万くらい。
月6万くらい。
あとは主夫業。
ハッキリ言ってプレッシャーを感じている。
これが予想以上に重いのだ…。
パソコンの前でぱちぱちやるだけならまだいい。
でも経験を積めば積むほど、客の前に出される。
嫌だ…。
むりぃ…。
たすけてぇ…。
でも私が働けなくなったら家庭は崩壊する。
辞めたくても、辞められない。
逃げたくても、逃げられない。
すげー絶望感…。
だけどその裏で旦那は、このプレッシャーに耐えていたんだなよな…。
男は外で働くだけ。気楽でいいよな。
なんて思ってた。
もちろん独身なら、気楽だと思う。
どんなに嫌なことがあっても逃げ出せない。
レールの上から振り落とされないよう耐えて、耐えて、耐え忍ぶしかない。
耐えきれなくなった時は、家族が路頭に迷う時。
重すぎだろ…_| ̄|○
でも世のサラリーマンは、みんなこの重さに耐えているんだよね…?
すげーよ
でも狂ってるよこんな世の中。
■追記
実は3人目が生まれてから、マイホームの購入を検討したことがある。
私は買う気満々。
どうするの?買うの?やめるの?
2人目ができた時。
あの時も旦那は煮え切らなかった。
産むのか、おろすのか。
3人目はどうしても作りたがらなかったが、旦那が酔った隙にできた。
何か1つ持つたびに、責任は重くなり、逃げ道が無くなっていく。
旦那はそんな地獄にたどり着くのを分かったうえで、淡々と受け入れてくれてたんだなと。
たった一人で、この重さと戦ってくれてたんだなと。
それが巡り巡って、今自分に回ってきたんだなと。
正直、3人も産んだのを後悔している。
親として最低だと思う。
考えちゃダメなこと。
でも考えれば考えるほど、後悔という結論に行きつく。
https://twitter.com/MAEZIMAS/status/1113114798672113665
一流の老害は「君たちこそが真のニュータイプだ」とか言って、若者を自分の既得権益確保のための鉄砲玉にする。
…いやマジ本当に、若い人気をつけてね。若者説教おじさんは、せいぜいまだ極限の不愉快ですむけど、若者応援おじさんに乗せられると最悪人生詰むので…
というツイートが流行っているので、私が遭遇した若者応援おじさんについて書こうと思う。
当時の私は親との折り合いがつかず、学力もそこそこあったし、勉強もしていたのにも関わらず大学に進学せずにフリーターをしていた。実家を出たかったし、大学にも進学したかったから金の工面が当面の目標だった。そんなときに出会ったのが若者応援おじさんのAさんである。Aさんはバブルの頃に就活をしていて、まだインターネットやパーソナル・コンピュータというのが流行る前から電子工作やプログラミングをやっていた人だった。実際、経歴を聞いてみると10回以上転職を繰り返しているものの、有名企業(今にして思えば、カビ臭いSIerだが)で部長をしていたことがあって、年収が1700万ぐらい稼いでいたこともある人だった。
最初に出会ったときは自分が如何にすごいかということを熱心に語っていた。80年台後半ぐらいのコンピュータ開発の大型プロジェクトに関わっていたとか、セキュリティの専門家とか、今までに触ったことのあるプログラミング言語が300個を超えるとか。でも、当時の技術的なトレンド(MongoDB、Ruby on Rails、AngularJSとか)についての知識が限りなく少なく、「フレームワークなんてその場で覚えればいい」みたいなタイプだった。中学生の頃にラジオ工作したとか、はんだごてで電子回路を設計したとか、そういう話は熱心にするのに、Bram Moolenaarの名前を知らなかったりした。要は、最近のプログラマがどういう関心やインセンティブでプログラミングやってるかを知らずに、過去の栄光を語ってるようなタイプだったと思う。
まぁ、それでも、その人のコネで中規模程度のSIerに入社して、そこそこいい感じの待遇だったように思う。当時の私の技術力は『わかりやすいJava入門』『たのしいRuby』を一通り終わらせて簡単な言語仕様を把握したぐらいでろくにコードも書いたことのないような人間だったから、定時で帰れて手取り二十万もらえるのは甘い汁を吸えたとは思うんだ。
でも入社を決めた一番の理由が、そのAさんが私の関心に理解があると思っていたからだ。というのも、当時の私は「人工知能や人工生命に興味があります。三年後に大学に入学するまでにプログラミングスキルを磨きつつ生活費と学費を稼ぎたい」ということを明言した上で、それを叶えてくれる会社を探していた。技術力はないものの、「自頭がいいから入社してからプログラミングを覚えればすぐに戦力になるよ」と複数の人間から言われていて、それぞれ就職先を紹介してもらえるような状況になっていた。今から思えば、そんなコードを書けない人間を自頭なんて胡散臭いもので褒めるような人間は信用してはいけないと思うし、口車に乗せられたと思うのだけど。そこは自分にも甘いところがあったように思う。あ、あと、補足しておくと、当時はDeep Learningなんていうのは全く人口に膾炙してなかった時期で、スチュアート・カウフマンや金子邦彦に憧れてたような、周回遅れの複雑系に魅せられた若者が私だった。
①親との折り合いが悪く、大学に進学したいが、金が足りない
②実家を出るために生活費を稼ぐ必要があったが、飲食のバイトとかではスキルが身につかない状態で、価値の高い若い時間を無駄にしてしまう
③そんなところに現れたのが過去の栄光を話す若者応援おじさんのA
④自分は殆どコードを書いたことのない業務未経験で、21世紀になっても複雑系の話に興味をそそられるような斜に構えたスノッブ
では、入社後の話をしよう。私が配属されたプロジェクトは80万行程度のJavaのコードで動いてるBtoB向けの製品を保守開発してるプロジェクトだった。やってることはGoogleやAmazonやMicrosoftみたいな大手ならやってるようなサービスの完全下位互換みたいなソフトウェアを、情弱だけど社員数は多いみたいな企業に売りつけるような仕事だ。国産とか、セキュリティとか、そういうよくわからない言葉を並べ立てて、海外のUIも洗練されていて、優秀なエンジニアが管理してるものをセキュリティ的に怪しいと不安を煽り立てて売りつけるようなやつだ。そんなクソみたいな製品でも年間5億円ぐらいの売上になるのだから、IT系って糞だなって思う。ネット上では優秀な人間ばかりがアウトプットしてるし、NDAの名の下に詐欺まがいのソフトウェア(今回の例なら無料でUIも洗練されていて、使いやすいサービス)が明るみにならないのだから、こんな国はさっさとスクラップ・アンド・ビルドすればいいのにって思うよ。IT化されてないのが時代錯誤で〜みたいな記事はネット上でもバズるけど、実際には10年前のスパゲッティコードを惰性と不安につけ込んで売りつけるようなSIerがたくさんある。そんで、そんな意味不明なソフトウェアを導入すれば、どこに何があるのか分からないUIの操作に大切な業務時間を奪われて、日本全体の生産性が落ちてしまう。ユーザーの時間と生産性を奪い、開発者にとっても技術的負債にしかならないようなソフトウェアを売りつけてる悪性腫瘍みたいなSIerはさっさと滅んでしまえばいいと思うよ。
まぁ、私が配属されたプロジェクトはそんな感じだ。まるで意義を感じないが金にはなってるプロジェクトに配属された。そのプロジェクトの根幹部分は一人のエンジニアが設計開発しており、そのエンジニアは既に退職して、どこに何が書いてあるのかわかってない人間が後任として保守を行っている。盲腸みたいに全く有難みのない機能を増やすことでより高く売りつけるようなプロジェクトだった。
そのプロジェクトの中にいる人について話そう。プロジェクトマネージャーは仕事漬けで毎月350時間ぐらい働いている60連勤とか当たり前で、常に酔っ払ったような、眠そうな目をしてる人だった。にも関わらず、同じプロジェクトの人間は仕事がなさすぎて業務時間中に関係ない談笑をしたりしていた。プログラマやテスターや文書作成をするスタッフが40人ぐらいいるところで、閑散期(機能追加のサーバーリリース前以外)は暇そうにしてる人が多かった。プロジェクトマネージャーを除いて。要は、PMは一生懸命働いているが、その一生懸命さは惰性で行われており、無能なのに業務時間が長いPMがいて、その人が全部仕事をやってしまう。他人に頼めない性格らしくて、存在意義が分からない業務を他人に頼んでは「なぜこんなこともできないんだ?」って怒鳴るのが生きがいみたいな人だった。頑張ってることがアイデンティティになってて、その頑張りに意味があるのか、必要なのかという吟味ができず、タスクを他人に振ることもできず、情報もそのPM一人だけが握っているから、周りの人も「私が仕事を請け負いましょうか」ということもできない。それで新入社員をイビるような存在意義のわからない仕事を振って、できなかったら人格否定をするような感じの。
私が受けた仕事ととしては、週に1回ベンダーのところに会議をしに行くんだけど、そのときの社内の資料を全部紙でプリントアウトして持っていくというのがあった。文書作成スタッフが製品の仕様をWordでまとめて、600ページぐらいのpdfにしたものが1500万円ぐらいで売れるらしく、その増えた言語仕様をプリントアウトしてベンダーのところまで持っていく。追加された仕様以外にも、今週やったテスト内容をExcelで纏めたものをプリントアウトしたりしていた。紙の量で言うと、一回の会議で2500枚ぐらいで、それをキャリーケースに詰めて客先であるベンダーまで持っていくらしい。聞いた話では、その2500枚の会議資料は殆ど読まれずに捨てられるのに、そのPMはベンダーにその慣習を廃止しようとは提案しない。ベンダーとの週一の会議の他にも、進捗報告を主とする社内会議があって、PM以外の人はあのプリントアウトする悪習は廃止すべきという話が上がっているのにPMが首を縦に振らないから一向に改善されない。まぁ、そのプリントアウトするのをやるのが私の仕事だったわけですよ。毎週4時間ぐらい掛けてWordやExcelの文書サイズとか調整してさ。元の文書のサイズや余白が狂ってるのに、客先に失礼だと言われて、手直しして、プリントアウされたコロコロコミック何冊分だよ? みたいな紙の束をホチキスで止めていくんだけど、ホチキスの止め方が汚いとやり直し。
じゃあ、なぜPMは頑なに意味のない業務をし続けて、それによって新入社員を使い潰そうとするのかと言えば、弊社の業績が悪くて倒産しそうだったときにそのベンダーが手を貸してくれたからそのときの恩義があるとかなんとか言っていた。だから、靴を舐めるようなことをするし、他人の生産性を奪うようなクソ製品を世の中に出して何も感じないらしい。読みもしない産業廃棄物を作り出して、それを無碍にされて喜んでいるような業務が、今の日本の何割を占めているのだろう? そのPMの口癖は「俺はプログラミングは全くわからないが、こんなプリントアウトの段取りもできないようなやつはプログラミングなんてできないと思うよ」だった。FizzBuzzどころか変数や関数すら知らないような人間にこんなことを言われるのは屈辱だったし、これが高卒未経験で就職することなのだろうと思った。
他にも、私が受け持った仕事に、製品が動くかどうかを確認するテスターという仕事があった。RSpecやSeleniumで自動化しようと言っても、そんな技術を持ってる人がいなかったから、一々自分でその製品を触って仕様通りになっているかを確認しないといけなかった。画面遷移が600ページのpdfになっているから、それを見ながら正しい画面遷移ができているかを確認する業務だったが、正直人間のやる仕事ではないと思う。画面遷移だから前のページから次のページに移行したときに前にどのページだったなんてスクショを撮ったぐらいじゃわからないのに、「このテストをExcelにした内容じゃ、本当にテストしたのかわからないだろう?」と言われた。言われたとおりにExcelファイルにスクショをひたすら貼り付けていたというのに。しかも、その他にも特定のファイルをアップロードするときにどの条件だとアップロードができないかを判別するテストをどうやって行うのか考えろというのがあった。今までにテスターをやっていた人に聞いても指針なんてないと言われ、「賢い人はそういうのを考えつくものだ。俺はパソコンに詳しくないが」とPMに言われ、嫌気が差した。
まぁ、ここまで書けば、如何にブラックと言うか、理不尽で不合理な職場かというのはわかったと思うけど、いい面もあったんだ。前にも書いたように、未経験の高卒が手取り20万貰えたのは嬉しかったし、研修のない会社だったから、最初の二ヶ月ぐらいは一人で勝手に勉強しててと言われたから、実働換算で時給3000~4000円ぐらい貰える計算だったのかな。一番瞬間時給が高かった日はメールの返答に20分ぐらい使ったときだったから、日給1万、実働換算の時給が30000円ぐらいになった。それぐらい放任されていた。
最初は社長が「君にはソースコードのUMLを書いてもらおう」とか言って、クラス図を書く練習をしていたんだけど、現場の人は「今更UMLなんて必要ない」「ソースコードを読めばわかる」と言って、全く必要とされていなかった。だから、業務とは関係ないTCP/IPやRubyやGitの勉強をしていた。家のことで勉強に対してモチベーションが落ちていた私は、金を貰えるという環境では目の前の勉強に集中できるようになって、元の勉強するための生活リズムっていうのか、そういうのを取り戻せた。それは当時の私にとっては有難かったと思う。
ここまでをまとめると
⑤無料で使えるサービスの下位互換といえるような、他人の生産性と金を無駄にするような製品を開発してるプロジェクトに配属された
⑥PMだけが忙しく働いて、周りの人の割り振りができていない。
⑧社会悪のようなソフトウェアを売りつけて金を稼いでいるプロジェクトだった。
⑨仕様書やテスト内容のプリントアウトという必要ない業務をしたり、指示内容と叱責内容が矛盾する理不尽を受けなければならなかった。
⑩しかし、勉強してるだけで月20万貰える環境は有難く、当時の私にとっては願ったり叶ったりだった。
では、次に私がその会社の入社から辞めるまでの経緯について書こう。最初のうちは、自分の勉強時間を取れていたし、振られる仕事も理不尽で意義を感じられないものであるものの、すぐに終わることが多かったから問題ないと感じた。それが徐々に仕事が増えていき、勉強時間が取れなくなっていった。
ここで若者応援おじさんAの登場である。Aさんは私と会ったときは有名企業に勤めていて、そこを辞めて私を紹介してくれた中小企業で働き始め、その数カ月後に私を紹介してくれた。元々、その会社の社長とは懇意にしていたから、一緒に働こうという話が何十年も前からあって、今回ちょうどタイミングが合ったから、その友人の会社の重役として就職したらしい。私が就職したのはその数カ月後だった。
Aさんは「何か問題があったら、部下や上司という立場を気にせずに忌憚なく言ってほしい」「俺は人を見る目はある方だ。君は一本芯の通ったところがあるから、周りに流されずに新しいことをできるだろう」「君には将来性がある」「俺は新しい会社でも権力を持ってるからへんなことを言ったり、したりしてる人がいたら遠慮なく言ってほしい」とかそういうのを入社する前に言っていて、まぁ、色々とおかしいところ、FAKE野郎みたいな発言が多かったけど、そこだけは信じてたんだよね。本当に騙すんだったら、そんなすぐに辞められるようなリスクを上げるような発言はしないだろうってさ。ちなみにFAKE野郎って感じたのは、一方的に自分の話だけをして、私が質問すると煙に巻いたり、私のことを買ってるという割には私の話をすぐに中断させて自分の話をし続けるとか。その人はFラン出身だったから、ちょっとインテリなことを言うと「君は変わってるね」って言ったり、きょとんとした顔で10秒ぐらい固まった後、すぐに自分の自慢話を再開したりと、決して自分の知らないことや分からないことを認めようとしなかった点だ。他にも、「私と働きたいと言ってくれていた会社はあったけど、そこは技術的に成長できそうだけど給料は月7万程度でバイトの身分だから、迷ってるんですよね。バイトだから自由時間は多く取れるんですけど」みたいな発言をしたら、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、私が感じていた不安を取り合ってはくれなかった。Aさんは「俺は社内で影響力を持っているから、君を正社員にすることもできる」みたいな話を延々としてたのに、いざ蓋を開けてみると、「君の面接での受け答えが駄目だから、契約社員として雇用することになった」「あれから上層部に渋られてしまって、請負契約にすることになった」と話が二転三転していった。だったら、他にも選択肢があったのに、他のところに就職したのにと思ったが、自分の能力や経歴で負い目を感じていたから強く言うことはできなかった。高卒で就活するというのはそういうことだ。他にも選択肢があるのにも関わらず、どうせ労働に関する知識がないと足元を見られて、条件を徐々に下げられ、他に選択肢をなくした後で、悪い条件で働かざるを得ない状況になっていた。結局、勤務時間がタイムカードで管理されてるのにフリーランスとして請負契約を結ぶという偽装請負で契約させられ、もっと技術力を磨ける選択肢は潰されてしまっていた。
私は会社の問題点を丁寧に分析してpdfにまとめてAさんに送ったんだ。それが間違いだった。如何に会社がそのベンダーに良くしてもらったか、大変なのをわかった上で俺たちが会社を立て直してきたかということばかりを話していた。百歩譲ってそこはいいとしても、ベンダーとは関係なく職場環境を良くするための話までいい加減に聞かされてうんざりしていた。
「Aという問題があります。その背景にはBがあります。そのためにはCという解決策があります」
という話をしたときに、「Bぐらいみんな当たり前にしている。君だけ特別扱いすることはできない」みたいな返し方をされて、問題が発生してる事自体はないものとされていった。結局、職場にはびこる不合理で理不尽な業務やルールは改善することはなく、私への人格攻撃で終わってしまった。
毎日どうでもいい作業で疲れ切って勉強時間が取れなくなってしまった私は、最初に出会った頃のAさんの言葉を信じて、「私が本当にしたいことは、仕様書やテスト時のスクショをプリントアウトしたり、よくわからないテスターをやったりすることではない。このままでは、プログラマとしてのキャリアを積むための勉強時間を作ることもできないし、業務内でコードを書くこともないから業務時間を短くしてほしい」と言った。少なくとも、最初Aさんと会ったときは、「君には人工知能や Permalink | 記事への反応(1) | 23:52
某オンラインスクールでJavaを教えているけどもうやめたい。。。
プログラミングスクールの受講生が若い人からある程度年とった人まで幅広いのだが、
中には「ファイルを作成する」といったこともわからない生徒さんもいた。
基本的にSlackでのサポートがメインになるので、そこまで細かく教えてあげることが難しい。。
またSlackでのレスポンスも遅いため、ちょっとした問題に何時間もかかってしまい、お互い疲弊するのがホントしんどい・・・
Javaという言語がプログラミング初心者向けじゃないなと感じている。
なぜかというと自分の書いたプログラミングの実行結果をすぐに得ることができないから。
特にWEBアプリケーションなんかだと画面に表示するまでの、プロジェクトの作成ですら大変なので
やっていて面白くないだろうなって感じている。
だんだんモチベーションが下がってきて、ただ高い受講料を払っているので義務感を感じつつ学習を進めているので、
だんだん生徒さんの態度も厳しいものになってくる。。。つらい。。。
一番大きいのはこれかもしれない。
他のメンターが正直言って糞だと思う。
同じ時間に入っていて、まったく働かないメンター (自分が10人対応しているのに1人対応して終わるとか)がいたりとか、
生徒さんのメンタリングレポートにひどいこと書いてたりする(知能障害がおありでは? なんてお客さんに向かって書くことじゃないだろう)
メンターがいたりとか。
いまは大手SIerで小規模案件のプロマネ兼設計者をやったり、維持管理の仕事やったりしてる。大した技術力もなく、仕事につながるような趣味もなく、若くもない。既婚の女。華々しく、キラキラした、人生がガラッと変わる転職をなんとなーく思い描いてたけど、考えるうちに、今の生活がほんの少しよくなるような現実的な転職を目指していこうという気持ちになったのでメモ。
・今の職場の労働環境に不満があるだけで、SIerの仕事は基本的に好きなので、同じ業界内での転職か、もしくはSIerでの仕事経験を活かしてできる仕事をしたい。
・プロマネの仕事は好き。進捗を見つつ作戦を練るの楽しい。今の自分は、そういうの自己流でやってるし、社内ルールに則ってやるということに最適化してしまってるような気がするので、他社に行ってやっていける自信ない。設計手法とかマネジメント手法を勉強して、自分の案件に適用してっていうのを繰り返して、自分の知識や経験を、理論と紐付けて発展させていければ他社でもやっていけるかも…!
・設計の仕事も好き。どう設計するのがいいか考えること、どう書けば伝わりやすいか考えてドキュメントを書くこと、あと、どうすれば説得できるか考えて用意してお客さんと打ち合わせすることとか楽しい。これも、いろいろな手法が研究されてるだろうから、少しずつそういうものに触れていって、自分の考え方と理論とを紐づけて発展させていければいいかも…
・プロマネや設計の仕事や、それに近い仕事を目指しても良いし、COBOLとJavaは一応実装もできるので、今ある会社のアンダーに入るような会社への転職も可能かもしれない。収入は下がるけど、責任の小ささとかは魅力的。まあまあ若いけどCOBOLとかJCLとかの知識もあるのは武器になるかも。
→まとめると、プロマネや設計の仕事については自分のやり方や自分が思っているコツと理論を紐づけたり、新しい手法を勉強して使ってみたりすれば、他の会社でやっていくための武器になるのでは?と思う。それか、若いけどCobolやJCLの知識もあることを武器に転職するという選択肢もあるかも。
・24時間365日のオンコール体制。気持ちが休まらずしんどい
・車の事故に異様に厳しい。事故しないようにするのは当然だけど、事故した時の連帯責任とかが異様でなんか怖い
これぐらい。
プログラミングまったく理解してないけど某大手の下請けでSEとして5年くらい働いてた。
偏差値ギリ50くらいの大学の情報系の学科で、JavaとかC言語とかのプログラミングが必修科目だったし、基本情報も過去問丸暗記で合格したんだけど、まっっったくプログラミングが理解できないのにSEとかいう大それた名前の仕事についてしまって死ぬほど後悔した。
forっていうんは、なんか繰り返し同じことするやつで〜、i=i+1って書いてあったらiが一個ずつ増えるんだっけ?みたいなレベル。
最初の行に書いてある〜.〜みたいなやつどのプログラムでも同じだけど何?ライブラリって本借りるとこでは?ポインター?オブジェクト指向…?型?桁溢れ?何語…?全然わかんない…
いやもうほんと、社名とか書いたら「こんなのがよく働いてたな…あの会社やばいな…」って思われそう。
そんなくらいの不出来さでも、現場の人手が足りないから、1日に何度も上司に怒鳴られながら、機能追加も故障改修もやったし、顧客問い合わせの対応も本番環境のトラブル対応もした。
徹夜も休出もサビ残も代休がいつのまにか消えてるのも経験した。
流石に二年三年働けば何だかんだできることは確かに増えたし、リリース関係の社内手続きとか、一人で夜間本番監視なんかもどうにかこなせるようにはなったけど…
しかし上司もよくあれだけ怒りながら四年も面倒見てくれたなぁ…とちょっと思ったので、恨みレベルが「子供に早死にされろ」から「40手前でバーコードハゲのメタボになれ」くらいになった。
話逸れた。
今の仕事でも、既存のマクロでエラー出たときに原因箇所を調べたりするのは出来るけど、そこから何を直したら直るのかわかんない。
欲しいマクロの機能の要望とかフローチャートとかは作れるけど、それがプログラムにならない。
この先ずっと、大学から8年も触れてきたのに意味もわからないし苦手なもの、って思い続けるのが嫌すぎてこの八年分の人生を無駄にした気がして憂鬱になる。
八年あったら簿記とかFPとかTOEICとか勉強できたんじゃないか?とか、社労士とか書士とかそういう職業につながる資格の勉強できる大学にした方が良かったんじゃないか?とか。長い人生のうち八年かもしれないけど、人生80年としたら一割だし、自立して過ごせるのが18〜60くらいだとしたら二割だし、二割分出遅れたらもうフツーの人間はゴールする前に足切りされちゃうでしょ多分…
大学はよく考えて選んだ方が良いし、大学で失敗してもせめて仕事はよく選んだ方が良いよぉ…
仕事選びも失敗したなら、辞めるなら早い方が良いよぉ…
少なくとも職業プログラマでプログラミングは飯の種ぐらいで良いという人ならきっとそうなのだろう。
最先端技術にキャッチアップし続ける人も当然いるのだろうがBackborn.jsだのGulpだの流行った時に勉強したけど数年たったら時代遅れの扱いだった時にそう思った。
その癖して散々馬鹿にされた(というか現在も馬鹿にされている)JavaやらCOBOLやらjQueryは未だに飯の種になってくれている。
正直なところ飯の種になるのかも分からない最先端のライブラリやらフレームワークを追っかけるのに疲れたのだと思う。
今さら未経験の技術に挑戦するとしたら、粋がったマネージャが気まぐれで採用した場合などの必要に迫られた場合だけだろうなあ。
Web系大手とやらの案件を受けた時も数年前は最先端だったけど今は古い技術でやってたし、仕事のやり方も下請け丸投げでSIerと大して変わらんしよ。
2018年4月に入社した富士通を同年12月に退職したので、順を追って経緯を説明する。
昨今さまざまな問題が浮上している企業ではあるが、大変お世話になったことに違いはないため、最大限の敬意を払いながら語りたい。
キーワードは3つだ。①新卒採用パンフレット、②メジャー感、③人の良さ。
まず、富士通は新卒採用パンフレットの出来がよかった。大企業ながらも新しいことに取り組んでいく姿勢、ヒューマンセントリックという標語、SIerの実態とはかけ離れた煌びやかさ。(当然ではあるが)新卒者が入りたいと思うような仕上がりになっていた。いま振り返ると、自分の視野があまりに狭かったと反省するばかりだが、当時は純粋にパンフレットを読んでワクワクしていた。
また、会社のメジャー感も入社の大きな決め手となった。富士通には、大手企業ならではの採用における露出の多さや安心感があった。「最初はやっぱり大企業だよな...」社会の右も左も分からぬ中、大手企業以外の選択肢は自分にはなかった。
最後に、人の良さも入社する理由となった。老婆心で忠告しておくが、企業を「人の良さ」で判断するのは悪手だ。採用担当は「人が良い」に決まっているし、何より社内の人間は流動的で、いつ誰が辞めていくかもわからない。
とにかく、このような理由で入社することとなったが、数ヶ月後にミスマッチだと気がつくことになる。
富士通では、約4ヶ月にも渡り研修が行われる。自分にとっては、良くも悪くも学びの多い期間だった。
最初の数週間は、富士通という組織について学ぶ。会社の歴史や文化を知るだけでなく、タグラインである「shaping tomorrow with you」を、単語レベルで分解し意味を咀嚼していったりもした。この研修で、自分は富士通が大好きになった。というよりも、自分が所属する組織に誇りを持っていたかった。事実から目を背けようとしていたところもあったかもしれない。いずれにせよ、自分は至る所で「shaping tomorrow with you」と意味もなく吹聴して回った。普通に死にたい。
5月に入ると、プログラミング研修が始まった。使用する言語はJavaだった。初めてのプログラミングで不安もあったが、本当に楽しく学ぶことができた。「変数とは、配列とは」という基礎レベルから手取り足取り教えてくれる企業は富士通くらいのものだろう。文系出身の自分がプログラミングの第一歩を踏み出せたのは、他の何でもなくこの研修のおかげであり、いまでも本当にありがたく思っている。
そして7月、プログラミング研修が終わった頃、富士通に対する不安、というよりも漠然とした恐怖感を覚えた決定的な瞬間が訪れる。新入社員全員で、社内のとある講演を聞いていたときのことだ。前後の文脈は省くが、講演者の方がこのような発言をした。
「私がam I shaping tomorrow with you?と訊くので、皆さんは全員でYes! I am shaping tomorrow with you! と答えてください。am I shaping tomorrow with you?」
その後、新入社員一同が起立し、
「Yes! I am shaping tomorrow with you!」
という声が響き渡った。
場内は盛り上がっていたようだが、自分は「Yes! I am shaping tomorrow with you!」と言えず挙動不審にあたりを見回していた。「shaping tomorrow with you」というタグラインはいまでも大好きだが、あまりに画一的で、どこか宗教的な様子に一歩引いてしまったのだ。この瞬間から、「この会社は自分に合わないのかもしれない」という確信めいた気持ちが生まれていた。
8月中旬。当然のように配属は希望通りにならず、長年運用が続くレガシーシステムに携わることとなった。使われている言語は、当然のようにCOBOLとJavaアプレット。新卒パンフレットとは全然違うじゃないか!とは思わなかった。その頃にはある程度SIerの現実を知っていたからだ。だから、何とか楽しくやっていこうと思った。興味のない分野かつ、レガシーな環境だったが、自分の周りだけでもハッピーにしていくつもりだった。それに研修でも「置かれた場所で咲きなさい」と教わった。(ある種の教え込みだったのかもしれない)
業務に関して詳細を語ることは控えるが、自分のメインの仕事は「コピペ」だったのだ。EXCEL方眼紙で作られた手順書の通り、文字通り、ctrl+Cとctrl+Vを交互に押していくだけの簡単なお仕事。一日中コピペを繰り返していると、指が変になりそうだった。また、ディスプレイは貸し与えられないため、いくつものウィンドウを小さなラップトップで開き、何とかやりくりして捌いていた。
それが何週間にも渡って続き、9月の中旬には退職を決意していた。
しかし、そんなすぐには会社を辞められるはずもなく、当面は転職のための勉強を続けながら働くことになった。
念のため言っておくと、富士通での仕事は決して悪いことばかりではなかった。メインの業務は相変わらずコピペだったが、トレーナーが不憫に思ったのか、マネジメントや社内ツールの作成にも携わる裁量を与えてくれた。残業はほとんどなく、毎日定時で帰ることができた。それでも自分がたったの9ヶ月で退職をしたのは、「今のままではマズイ」という本能的な危機感だった。コピペやEXCEL方眼紙の業務では何のスキルも身につかないし、たとえ開発に携われたとしても言語はCOBOLだ。自分の未来は果たしてどうなるのか?ひたすらに頭を捻った。自分の人生について、初めて本気で真っ正面から考えた。
...可能な限り早い段階での退職。それがベストな答えだと悟った。
退職するに当たって、一切の問題は発生しなかった。退職の旨を伝えた際、引き止められることはあっても理不尽なことはなかった。手続きも大変スムーズであり、非常に感謝している。
自分はこれから、Webのエンジニアになることが決まっている。結果として、富士通での9ヶ月は「自分が本当にやりたいこと、実現したいことは何か」に気づくための期間となった。周りよりも一手遅れてしまったが、とにかく、富士通での業務は自分にとって必要なステップだったのだと思う。昨今、富士通に対するネガティブな記事が数多く出回っているが、富士通をはじめとするSIerは決して悪ではない。そこにはただ「合う合わない」があるだけだ。誰もが自分に合う職場で、ハッピーに働いていければそれでいいと思う。苦い経験ではあったが、富士通での経験無くして今の自分はいないということを忘れず、これからもハッピーに働いていきたい。