はてなキーワード: 1999年とは
氷河期世代です。これまでの政策でゲットできたものを書いてみたよ。
地域振興券 1999年 対象外の年齢でもらえなかった (公明党発案)
エコポイント 2009年 買い替える金がなかったからもらなかった (鳩山由紀夫内閣)
子ども手当 2010年 子供がいないからもらえなかった (鳩山由紀夫内閣)
援助してくれたの自民党だけやん。
ディズニー映画に埋もれた名作などというものは存在せず、有名なやつは出来がよく、無名なやつは出来が悪い。
以下、備忘録をかねてウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ制作の長編アニメ映画史を概観したい。
『メイク・マイン・ミュージック』以外はディズニープラスで全部見れる。
おすすめの作品:『白雪姫』『ファンタジア』(ミッキーのやつだけ)『ダンボ』
ディズニー長編アニメの歴史はアニメ史に残る傑作『白雪姫』とともに幕を開ける。この作品はとにかく作画が凄まじく、戦後の日本人が衝撃を受けたという逸話も納得の出来である。著作権が切れているのでYoutube等でも見れるが、できるだけきれいな画質で見たほうがいい。7人の小人たちの非モテ自助コミュニティ描写もピカイチで、増田を見ているような人々は目を通しておいて損はないと思う。
ディズニー映画はこの頃から一貫して「教育的で」「社会的にただしいとされる」物語を描こうというはっきりとした意思を見て取ることができる。そのため、作品の背景には常に制作された時代の価値観が垣間見える。
例えば『白雪姫』の3年後に公開された『ピノキオ』では、主人公ピノキオを導く良心の象徴としてジミニー・クリケットという名前のコオロギが登場する。この「ジミニー・クリケット」という名前はジーザス・クライストの言い換え語らしく、つまりここでは創造主の似姿として作られた人形が様々な誘惑と戦いながらも最終的にはイエス・キリストに導かれ、ただしい人間性を獲得するという物語が展開されるわけだ。
『ピノキオ』自体は退屈な作品ではあるものの、歴史や時代背景を含めて見ていくと別の発見があり、それはそれで豊かな体験である。ちなみに当時のディズニー自身はむしろできるだけ宗教色を薄めたいと思っていたらしく、この辺は社会に要請されてやむなくという側面が強いのかもしれない。
ほか『ファンタジア』中の「魔法使いの弟子」と『ダンボ』は見ていて単純にたのしい良作。『ダンボ』のお母さんの健気さは泣ける。
『バンビ』のあと『シンデレラ』まで長編の物語映画はなく、とくにおもしろい作品はない。とはいえ日本人としては、バリバリに総力戦をやりながらアニメを量産していたアメリカの国力にむしろ驚くべきかもしれない。
この頃の作品群には「丁寧な植民地主義」とでも呼ぶべき傾向があり、具体的にはアメリカ開拓時代の美化とラテンアメリカへの観光的関心、キリスト教的な価値観が三位一体となった教育映画が制作されている。この辺はおそらく当時のアメリカの外交・安全保障戦略と密接に結びついており、いわばアメリカ流の国策映画だったのではないだろうか。
丁寧な植民地主義的な傾向はこの後も非常に根強く、形を変え品を変え、ディズニーらしさの1つの要素として受け継がれていくことになる。
『シンデレラ』は物語の大半を出来の悪いトムとジェリー風ドタバタ展開が占め、あまりおもしろくはないものの興行的には大成功を収め、低迷期の脱出に成功する。
『眠れる森の美女』は『白雪姫』以来の超絶作画であり、これ以降の作品と見比べてもダントツでクオリティが高い。一方で興行的には制作費の回収すらできず、総じて失敗作と見なされたようだ。ディズニー作品の作画技法は『眠れる森の美女』でひとつの頂点に達し、以降はべつの方法論を模索していくことになる。
ほか『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫や芋虫の悪夢的な描写は見たものに強いインパクトを与える。一方で登場人物にだれ1人としてまともに会話の通じるキャラがおらず、集中力の維持が非常にむずかしい作品でもある。
『ピーター・パン』では全能感と成熟の拒絶というYoutuberの原型のようなヒーロー像が描かれる。ピーター・パン症候群とはよく言ったもので、本家ピーター・パンも未成年淫行で炎上する未来を強く予感させるキャラクターだった。
『わんわん物語』では都市的自由を謳歌していた野良犬がペットとして不自由な幸福を手に入れて物語が終わる。ここで描かれるペットたちのむき出しの奴隷根性は、前述の植民地主義と無関係ではない。『ピーター・パン』『わんわん物語』ともにおもしろくはないが、それぞれ見どころのある作品となっている。
おすすめの作品:『101匹わんちゃん』『くまのプーさん 完全保存版』
『眠れる森の美女』のアーティスティックで洗練された描線から一転、『101匹わんちゃん』以降はえんぴつで描かれたかのようなラフな描線で作品が構成されていく。『眠れる森の美女』以上のものを作り出すことが現実的に不可能であり、見劣りを避けるという意図があるのか、あるいは端的に制作資金が枯渇しただけかもしれない。
技法的にはやはり『くまのプーさん 完全保存版』でひとつの完結を迎え、以降ディズニー映画は再び模索と低迷の季節を迎えることになる。
『おしゃれキャット』は金持ちのペットが使用人をブチのめす話で、一方『ロビン・フッド』は貧乏人が金持ちをブチ殺す話だ。この時期のディズニーは節操のなさがすごい。
この時期の作品群の特徴を一言で言い表すならば、「リアリティへの接近」ということばになるだろう。それは一方では作画技法への3DCGの導入というかたちで現れ、他方で物語上では善と悪の単純な二項対立の脱却が図られることになる。
前者は『コルドロン』の奥行きのある大胆なカメラワークや作画法、『オリビアちゃんの大冒険』『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』での部分的な3DCGの導入に見られる。後者は『きつねと猟犬』での人種対立のメタファーとして描かれた動物間の争いや、多人種が共生する複雑な現実を猫の姿を借りて描いた『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』に象徴的である。
『きつねと猟犬』はこれまでのディズニー作品に見られた家畜たちの奴隷根性を初めて批判的に描いた作品であり、『オリバー ニューヨーク子猫ものがたり』と合わせて「社会的にただしいとされる」物語像の変容を見て取ることができるだろう。ただしこの時期の作品群は総じて地味で魅力がない。どうやら創業者ウォルト・ディズニーの死や主要スタッフの大量離脱の影響があったようだ。『コルドロン』は興行的にも大コケし、ディズニーの低迷を象徴する作品となった。
シャーロック・ホームズの翻案である『オリビアちゃんの大冒険』がかろうじて見ていられるという程度で、単品の映画作品としておもしろいものは少ない。『オリビアちゃんの大冒険』では、冒頭からネズミ女児のパンチラという一体どこに需要があるのかわからない謎サービスカットがあり、視聴者の集中力が乱される。
おすすめの作品:『リトル・マーメイド』『美女と野獣』『アラジン』
この時期ディズニーは批評的評価・興行収入の両面で復活を遂げ、一般に「ディズニー・ルネサンス」と呼ばれているらしい。本稿でもその表現に従う。
たしかに作品のクオリティは過去10年とは比べものにならないほど高く、ルネサンスと呼ばれるのも納得の時期である。一方で技術革新や価値観の変容は停滞気味で、歴史の流れとしてはさほどおもしろくないというのが正直なところ。ルネサンスの言葉通り、ある種の保守回帰の時代に当たる。
おそらくこの時期、真に革新的だったのは、作品の表層に現れる技術やテーマ設定ではなく、安定して高品質な作品を量産する社内の体制や組織づくりの技術にあったのではないか。
個別の作品として語れる部分は非常に多く、『リトル・マーメイド』は作画がよく、『アラジン』は見ていてたのしい。
『美女と野獣』でははっきりと他者理解をテーマに打ち出し、また女性主人公が男性からの求婚を拒絶する主体性を獲得するなどプリンセスものとして出色の出来栄え。他者を尊重することを覚えた野獣が救われ、他者の存在を最後まで容認できなかった村のヤンキーは破滅する。主人公が読書好きでヤンキーと話が合わないインテリとして描かれる点も珍しい。ただしこの他者理解はプリンセス側に一方的な負担を強いるかたちとなっている側面が強くあり、なかなかむずかしい部分もある。
『ポカホンタス』は白人によるアメリカ侵略・植民地化を矮小化し美化するかなり最悪のお話で、案の定ネイティブアメリカンの民族系団体にかなり怒られたようだ。引き続き怒られてほしい。
『ターザン』もインディアンをゴリラに変えただけで『ポカホンタス』とほぼ同類型のお話ではあるが、最後に白人研究者たちがゴリラの部落に居残ることでギリギリのバランスを取っている。ここにはターザンとポカホンタスの男女差が絡んでおり、単純にターザンのほうがいいとも言いがたい。
『ノートルダムの鐘』は強引にハッピーエンド化されているという不満はあるものの、子供向けの大作映画で障害者の活躍を描いた点は積極的に評価されてよいだろう。そもそもディズニー作品には『ノートルダムの鐘』以外にも障害者がやたらとよく出てくる。アメリカ社会には障害者を積極的に受け入れる土壌があるからできるのだとは思うのだが、日本のコンテンツおよび社会全体でも頑張ってほしいポイントである。東京ディズニーランドでもべつに障害者見かけないし。
そのほか『ムーラン』『ターザン』ではそれぞれ3D技術の進歩を見て取ることができる。
みたび低迷期である。『ダイナソー』に代表されるように3D映画への本格的な移行が始まり、2D映画最後の全盛期に当たる。
作品としては『リロ・アンド・スティッチ』がずば抜けてすばらしい仕上がりで、商業的にも大成功を収めた。『リロ・アンド・スティッチ』は王子様に救われるというプリンセスものの物語類型とは異なる、弱者同士が助け合う疑似家族モデルを明確に示した重要な作品である。
自分の欲求をうまくコントロールできない少女リロと、破壊衝動を植え付けられ誕生した人工生命体スティッチが、貧困家庭のネグレクト問題とSFアクションを背景に成長していく姿が描かれる。キャラクターデザインはかわいらしく、作画から細かい小ネタに至るまで非常に丁寧に作られており、娯楽作品としてもすばらしい。リロの姉・ナニの恋人もいいヤツで好感が持てる。
残念ながらディズニー映画ではこのあと疑似家族的な想像力は発展せず、プリンセスものという旧来の枠組みのなかで無理やり「価値観のアップデート」を図ることになっていく。
『アトランティス 失われた帝国』はディズニー映画には珍しく人がバンバン死ぬ作品で、ふしぎの海のナディアや宮崎作品みたいなものをアメリカ人が真似して作るとこうなるのかといった印象。ガバガバ設定とご都合主義が目につき、リアル路線なのかファンタジー路線なのかどっちつかずの失敗作だった。ただし主人公にオタク青年が採用されている点は注目が必要で、これ以降ディズニー主人公はイケメン・マッチョではなく非モテ・オタクが主体となっていく。
『白雪姫』で人間扱いされていなかった非モテの小人たちが「社会的にただしいとされる」物語の主人公となる時代を迎え、しかもそれが日本のアニメの強い影響化で発生しているわけで、価値観の大きな変化を感じ取ることができる。ただし、『白雪姫』の王子様はあれはあれで人間味のかけらもない平板なキャラクターではあるので、モテ非モテという面ではそこまで単純明快な話ではない。
『ブラザー・ベア』は殺した相手の子を育てるというなかなか攻めたお話ではあるのだが、最終的にファンタジーに着地するせいでどうも軸がブレる。
続く
G.L.O.ホンポ大宮店
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4月27日は店休日です
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合計¥11,390
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サービス券 48枚 \4,650
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預 \7,000 釣 ¥260
扱者:014694
レシートNo:4475948
女子高生の私が大好きな家庭科の先生に裏切られた話|潮井エムコ|note
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/mmmemko/n/n89c936a7d56c
どっかで見てもやもやする~
ある企業ってどこだ~
https://ameblo.jp/t2u0ch/entry-10820187768.html
3、5分間テストとしても出回ってる
思わず「やられた!」と唸ってしまう 完成度が高すぎる「集中力テスト」が話題(2019年8月2日)|BIGLOBEニュース
tsutsumi154 中学校の技術・家庭に消費関係のカリキュラム追加されたのは2008年か 高校はよくわからないけど導入されてるとしたら同時期か
NO.8-9 悪質商法 2021.6 | 家庭科授業レポート
このひとはわりと毎年してるようだ
まあそんなに興味もないな
KICK THE CAN CREWってグループを1990年代後半から2000年代前半にかけて組んでいて
2002年には紅白にも出ているので知っている人もいるかと思う。
KREVAは元々MCバトルに出ていて、当時MCバトルの最高峰だった「B-BOY PARK」で1999年から2001年にかけて史上初の3連覇を達成している。その後、殿堂入り。
今でもいくつかの当時の闇映像をYoutubeで見ることができるが、はっきり言ってレベルは低い。
現在現役でやっているラッパーからも当時のKREVAなら負けるわけないと言われるくらいにはレベルが低い。
だが今から20年前はまだまだ「フリースタイル」、その中でも「トップオブザヘッド(完全即興)」で長い韻を踏める、ということ自体がほとんど特殊能力だった時代だった。KREVAは相手が言ったことを受け取って韻を踏むという対話が強く、慶應義塾大学入学までのお勉強で培った豊富な語彙で意外性のある韻を踏んだ。
ここでちょっと余談なのだけど、最近ではフリースタイルバトルなんて言われているけど、元々フリースタイルは「音源で発表していないトラック(演奏)とリリック(歌詞)の組み合わせで演る」ことを指す。アメリカでフリースタイルが生まれた当時は音源発表したリリックを別のDJが作ったトラックにいかにうまく乗せるかで勝敗を競っていた。
そしてKREVAの対話式の押韻(ライミング)重視のバトルスタイルに対するアンチテーゼとして、歌いまわし(フロウ)重視のスタイルや迫力(パッション)重視のスタイルなど様々なスタイルが生まれ、ぶつかり統合し分裂していく過程で、KREVAは『最先端』から『基準』、最低限のスタートラインになった。
だから当時のKREVAのバトルが今見るとどれだけショボくても多くのMCはKREVAに対してリスペクトを払っている。KREVAが対話式押韻主義で怒涛の三連覇を果たしたからこそ、MCバトルの進化のスピードは飛躍的に上がったといって間違いない。
若い「今」しか見てない子にはわからない積み重ねというものがあるのだ。
じゃあ今のKREVAがMCバトルをやったらどうなのかというと中々難しい。
KREVAは今でも精力的に作品をリリースし続けており、デカい箱でライブもバンバンやるバチバチの現役ラッパーだ。作品内では相変わらずクソカッコいい韻をバンバン踏んでいるし、最近は控えめだけどオシャレに喧嘩を売るテクニックも持ち合わせている。
今から本気でMCバトルをやると決めて数か月練習してきたら、とわからないんじゃないか……
王貞治も今の練習理論と道具を最初から持って生まれてきたなら今でもHR王を獲れると言ったとか言わないとかいう話もあるし、こういうもしも話はいつになってもわくわくさせてくれるものだ。
「Dr.STONE」といえば科学監修の名目で毎回名前がクレジットされている「くられ」氏ですが、この「くられ」氏も90年代は鬼畜系カルチャーでならした人物です。
しかしこの「くられ」氏はいじめや差別ネタなんてレベルじゃございませんでした。
実際にこの人が作った本で本物の爆弾テロリストを生んでるんですよ。
「くられ」氏が編集長を務めた「危ない28号」という雑誌に爆弾の製造方法を詳細に書き記され、それをテキストに実際に爆弾を作って街中で爆発させた事件がありました。
以下、ここ参考
https://ameblo.jp/7ninblog/entry-11047336229.html
JCO臨界事故に怒りを感じた男が,JCOを爆破しようとして,爆発物を作成,JCO近くの住宅街にそれを放置した事件.
2000.1.6 07:00頃,東海村のJR東海駅から北へ300mほどの住宅街の,踏み切り脇,東海駅東口タクシー乗り場のベンチ前に,赤い液体が入った,清涼飲料水のペットボトルや,金属製と思われる銀色のボンベなどの不審物が,黒いバッグに入れられて放置されているのを,通行人が見つけて茨城県警ひたちなか西署に通報した.
同県警は,爆発物の可能性もあると見て,重装備の機動隊爆発物処理班を派遣.
処理班がバッグをX線で調べたところ,中には塩化ビニール管が2本,鉄パイプが1本入っており,これらはリード線で乾電池などとつながっていた.
また,真鍮管,タイマー,アルミ缶,百円ライターなども見つかった.
鑑定の結果,これが殺傷能力のある爆発物であること,爆発物の一部は,安全装置を解除して,タイマーをセットすれば,すぐに爆発させられる状態だったことが判明した.[1][2]
塩化ビニル管や鉄パイプ、アルミ缶などに、アセトン系の爆薬が詰められ、起爆装置の雷管に鉛筆のキャップを使用。「グロープラグ」と呼ばれる模型の飛行機などのエンジン用点火プラグが装着されていた。[2]
この爆発物は,前年末に発生した,2件の爆弾事件の遺留品などと似ていた.
1件目は1999.12.24,大阪府摂津市のJR東海・新幹線車輌基地「大阪第1車輌所」にて,新幹線から回収したばかりのゴミ袋が爆発.
大阪府警摂津署の調べによれば,爆発物のアルミ缶の中に,有機溶剤をしみ込ませた粉末が詰められていた.
爆発した後の現場には、乾電池4個と充電池、小型のアルミ缶、リード線のついたふたのようなものが落ちていた。[2]
2件目は,その3日後,JR浦和駅のコインロッカーで,その点検中,ロッカー内にあったアルミ製の箱が爆発,管理会社従業員(当時53)が指に1カ月のけがを負った.
埼玉県警浦和署の調べによれば,箱は持ち上げた途端に爆発する仕掛けになっていた.
アルミケースから外にひもが出ており、その先端がロッカーの内壁にテープで固定されていた。
また,発泡スチロール製の球状の不審物は、直径約6センチの半球状のものを2つ重ね合わせて作られていた。
これら2件の事件について,大柴は
「ロッカーの管理がずさんで、警告のために仕掛けた。爆発で死者が出てもいいと思った」[2]
などと供述した.
警察によれば,大柴は同年11月から12月までの間、東京や埼玉などのホテルを泊まり歩きながら、アルミニウム容器に火薬を詰めた上で導火線をつないだ爆発物を製造。
同月20日に,浦和駅西口にあるコインロッカーに仕掛けたという.[2]
「東京駅で新幹線に乗り、小田原駅で下車する際に爆弾を置いた。1時間以内に爆発するようタイマーを仕掛けていた」
と供述した.[3]
大柴が、爆弾づくりのテキストにしたとされる雑誌は,データハウス社(東京都新宿区)発行の雑誌「危ない28号第三巻」(99年3月発行、定価1400円).
特集「危険物!」と題して、爆発原料の入手方法、市販材料や身近な家庭用品を使った爆薬、火薬の作り方などを図解入りで詳細に解説している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%B1%E3%81%AA%E3%81%8428%E5%8F%B7
『危ない28号』(あぶない28ごう)は、データハウスから1998年から1999年まで季刊誌として発刊されたアングラ雑誌である。不定期刊誌『危ない1号』の実質休刊後、インターネット系のアングラ・ライターを中心に編集され、第5号まで発行された。現在(2021年7月)では全5巻ともに絶版となっている。
日本がまだコンピュータやインターネットの黎明期だった1998年、KuRaReを編集長にサブカルチャー、アングラ本として発刊される。ハッキングや兵器、ドラッグなど、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載の雑誌であったため、全国18都道府県で有害図書指定されることとなった[1]。
2000年1月に浦和駅、東海村、大阪で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため[2]、刊行済みだった第5巻を最後に廃刊を余儀なくされた。
こっちはくられ氏の本でガチの爆発物テロが発生し、負傷者も出し、下手をすれば死者もでていたかもしれないんですよ。
そんな人間に集英社の週刊少年ジャンプ編集部は漫画の監修をさせ、毎週のように名前を載せ、特集記事に写真付きで掲載してるんですけど、その事をジャンプ編集部や集英社の人達は理解してるんでしょうか?
こっちは本当の死者が出ている可能性があったんですよ??
くられ氏は「実際に作るとは思わなかった」「真似してもらうために書いたものじゃない」とか言い訳してたみたいですが、「どのご家庭にもあるものでカ~ンタンに爆弾が作れちゃいマス♪」なんて事細かに実用性のある爆弾の製造方法を記しておいてそれは無いんじゃないすかね。
真似してもらいたかったんでしょ?実際に爆弾作ってもらいたかったんでしょ?だから書いたんでしょ?
そんで本当に作ってテロ起こっちゃったから慌てて保身に走ったんでしょ???
つうかさ、くられに限らずこの辺の鬼畜系ライターが心底みっともないのって、鬼畜ブームが去った途端みんな言い訳を始めたところなんだよね
「ある種のジョークでやってました、まさか真に受ける奴が出てくるとは思いもしませんでした」ってさ
根本敬も唐沢俊一も自殺した青山正明も殺害された村崎百郎もみ~んな同じような苦しい言い訳をしていた。
村崎百郎なんて殺された時まわりの連中「まさかこんな恐ろしい事になるとは・・・!」って悲しむフリしてみせてたけどさ、ほとんど自然の摂理のようなもんだろ。キチガイ煽ってキチガイに殺されたってさ
そんで追悼本なんか出したりして、ダッセエの。
話は逸れましたけど、最近の小山田圭吾を発端とする90年代鬼畜ブームを断罪する流れでいうならくられ氏も当事者であり、こっちはいじめ差別どころか死者も出てたかもしれない爆発物テロ事件が実際に起きましたから。
その流れで言えばくられ氏が関与している週刊少年ジャンプ連載漫画「Dr.STONE」は即刻連載中止、絶版回収にするべき
良くてもくられ氏が監修した部分は全面的に削除するべきです。
巷では小山田圭吾のイジメ問題で大炎上している。……どんな時代でもイジメはなくならないというが、イジメのスタイルや感性は時代とともに変わってきたようにおもう。
70年代は、ゴリゴリの暴力やカツアゲという"利益目的のイジメ"だった。社会全体が貧しく、不良はイカつげで、弱者や障碍者はカモだった。だが大多数の層は「見て見ぬ振り」か、せめて白い目では見ていた。
80年代は、お笑いブームと金余りもはじまり、不良はヤンキー臭があってもお笑いもイケる奴が「モテ」になった。暴力や貧しさという負の側面はイジることで笑い飛ばす風潮になった。ヤクザはヤッちゃんと呼ばれ、貧乏長屋はパロディになり、弱者や障碍者はイジりの対象になった。暴力的な不良でなくとも、弱者のみっともなさや不自然さを笑えば勝ち組に回れる。暴力より笑いのほうが平和じゃん?と。弱者をマジ顔で擁護する正義漢なんてアナクロだしダサい。強きを助け弱きをくじくタケちゃんマンは笑いにくるんだ本音としてウケた。そんなライト感覚で従来の一般層も弱者を笑うほうに回った。
90年代は、社会が隠蔽する負の側面を見世物小屋的に取り上げるサブカル民の一部……つまり従来のモテの条件だった暴力も金も顔も微妙だが面白いことは言えるし弁は立つ……が、80年代モテ系のイジメ作法を真似し始める。知的階級は弱者や障碍者を擁護すべしという戦後リベラル的な不文律を、「だーってそんなんじゃモテないし、助けてもいいことないし、素直に見たら笑えるじゃん?」と開き直った感じでもある。つまりはビザール系な知的興味の"対象物"扱いである。
かくて不良系のみならず知的とされる階層までが、「ジョークだよジョーク」、「悪ふざけが過ぎたけど一緒に遊んでただけ」、「社会参加しさせろというから仲間に入れて遊んでるんじゃん」とうそぶく、そういう笑いにくるんだ「道化イジメ」に精を出す時代ともなった。
小山田圭吾が「俺はアイデア出してただけよ?」と言い募るのは当然だ。彼はサブカル民だから、「あたまのわるい不良みたいに直接暴力に訴えるなんてダサイ真似は、この俺がするわけないよ?」と言いたかったわけだ。
前フリが長かった。
この時代のEテレに、児童向け特別支援教育番組の"グルグルパックン"というものがあった(1994~1999年放送)。かの有名な"ストレッチマン"が最初に登場した番組である。当時の生活リズムとちょうど合う時間に放送されていたのと、自閉症や知的障害の児童たちのゆるさとストレッチマンのハイテンションの不思議な空気感に、何となく習慣的に見るようになっていた。番組内容はゆるくて差別感や悪意も感じず、むしろ怪人に扮した支援学級の先生たちの奮闘や障害児童の頑張らない日常……チャリティ番組的なお涙頂戴ではない……は穏やかでいい感じであった。
ある日、寝ぼけまなこでテレビをつけた時、そこには隅に小さく番組のロゴが映っていた。自分は目を疑った。
https://pbs.twimg.com/media/EubSIAtVIAEI9Rp.jpg
寝ぼけた目に小さなロゴは、"クルクルパークン"……"くるくるパー君"と読み取れたのだ。(画像を縮小して、目を細めてぼやっと見てほしい。) ものすごい悪意を感じて、たじろいだ。
もちろん。「自分の目がボケてた見間違いでしかないじゃん」、「差別意識や被害意識のある奴はどこにでも差別を見出すんだよな」、「障害児童を画面に出すのも微妙なのにそんなヤバいことしないでしょ?」と、矢のような反論が飛んでくるのはわかっている。ただの見間違いから因縁をつけているだけと言われるだろう。ただあの、「弱者や障碍者に親切顔で接近しながら裏では小馬鹿にして嘲笑うことは、知的でイケてる層のウィットに富んだ身振り」とされていた90年代の雰囲気を踏まえると、何とも奥歯に物がはさまったような釈然としない気持ちにもなる。ましてや、「NHKでは知性や学歴を鼻にかける高慢で反抗的な奴はEテレに回される」という風説を耳にしていると、陰でイジメをする優等生が「見間違いで妄想して何を言っているんだ。邪推でみんなの善意と努力を否定する気なのか?」とうそぶくような、抜け道確保済みの確信犯的な振る舞いじゃないかとも思えてくる。いや、出てくるみんないい人だよ。それら全部を身内ごとひっくるめて嘲笑うような"見間違い"だから、知識人特有の底意地の悪い見下しを感じたのだが。
そういえば、このあたりから日本の成長は失われていったな。二枚舌が使えない者が"発達障害者"としてあぶり出されはじめた時期でもあった気もする。
真偽は謎の上に、四半世紀前のことを持ち出して因縁つける気もないが、世間の話題にのっかって「90年代はそういう風潮だった」と確認し、「だれか同じようにロゴに気づいてた人いなかったのかな」と書きおいてみたかっただけだ。読み捨てていただきたい。
最近ではもはや年配の人以外にはほとんど知られていないようであるが、1999年7月までは本気で信じていた日本人がかなりいた。
アンゴラのうさぎ様だか、アングラ演劇界の王様がその時期になると世界中で暴れ回って、人類を笑い死にさせるとか、狂わせるとか言われていた。え? 違う? 似たようなものだと思うけど。
きっかけは、とあるベストセラー本で、思いっきり売れたので天皇陛下だって信じ込んでしまったとか、してないとか。
でも、すぐにそんなバカなことがあるわけねぇ、と思った。
一年が365日であるのも一日が24時間であるのもイエス・キリストの生誕が約2000年前であるのも、単なる偶然である。
火星や金星に行けば、単位は変わってしまうし、「世紀」を地球の一年を元にした100年単位で考えるのも、人様が勝手に考えたものである。
その暦自体だって、半グレ歴だとかなんだとか、何回か変わってるというじゃねーか。
なーにが世紀末だ、西暦だけで世の中回ってるわけではないぞ。うちの家系は、地球にタンパク質が生まれた時からずっと続いているんだぞ。
などと、屁理屈をぶつぶつ言ってたら怪しく思われるので、表面上はあの血液型の話題に加わるようにして、
「だよねー、あと一ヶ月経ったら人類滅亡かー、どうなるんだろうね? 政府は何か対策を打ってるのかなあ?」
私が間違っていた。
絶対に何も起こらないと確信していたのに、確かに世界は終わりを告げたのだ、忘れもしない1999年7月11日。
アンゴラのうさぎでもアングラ演劇でもなく、いやそれは表れたのではなく、消えたのであった。私の親父様。
色々事情があって、破産は無理だと判断した残された家族は、利息をチャラにしてもらって、元金を長期にわたって分割支払い返済することになった。
それが払い終えたのが2年前だった。
本当にあのとき、それまでのゼータクな暮らしは突然消え去り、私は翌月から深夜2時に起きて新聞配達していたほどだった。
ねーちゃんは大学を辞めて、水商売を始めて、一年位経った頃に行方不明になった。それでも毎月何処かから振り込みだけはずっとあった。10年ほど前に帰ってきてねえちゃんと再会したときには、どうやって作ったのか一切言わなかったが、ねえちゃんは二千万も一気に返済してくれた。
かーちゃんは破綻した会社を再建し、従業員の全員を首にせざるを得なかったけど、小さな会社だけど必死で頑張って支店まで持つようになった。
昨年には、かーちゃんは社長業を引退して、私が引き継いでいる。
昭和の昔はロリAVが普通に買えた・レンタル出来たって事実なの?(anond:20210701143038)
いくら昔が男社会だったと言えども限度があるだろ?と嘘松臭いんだけど
アダルトビデオのWikipediaを読むと家庭用AVって1980年代以降の文化らしい。
宮沢りえのSanta Feは被写体が18歳として販売したらしい。
児ポ法を読むと援交を問題視して1999年に製造を違法にしたらしい。
セックスさえしていなければ、13歳未満でもエロ出演野放しだったし
ロリAVが「普通に買えた」ということはないが、流通はあったので買えるところでは買えた(裏ビデオって言ってわかる?)
ロリ写真集やロリエロ写真雑誌は書店流通があったので「普通に買えた」
ひょっとしたらWikipediaとかにも書いてあるかもしれないが、陰毛が発禁確定なことがわかっていたので無毛の小中学生が重宝された
なお具はアウト。びらびらしてる子は駄目。あと盗撮も多かった
そんなわけでまあたぶんかなりひどい時代が平成の1桁くらいまでかな、結構あったのだ
テレビでもちんこ映ったりまんこ映ったり小中学生のおっぱい映ったりしたので今の感覚で写真集だけ止めても無駄だったんだけども
単純に悲惨だったので、なくなってよかったとは思うわ
桃鉄のさくまあきらのゲンジ通信あげだまんは小学生巨乳が際どい格好してなおかつ乳首晒してたし
男女平等と言わんばかりに少年キャラの変身バングではしっかり全裸になってチンコ出てた
ほかはらんま1/2とか上げたらキリがないぞ
セルシオ、それに続くレクサスが登場するまで国産のショーファードリブン(運転手付き高級車)はセンチュリー(トヨタ)とプレジデント(日産)の2強による寡占状況が続いたのよね。そんな中デボネアという車が存続できたのは三菱グループの役員車としての需要も大きかったと思う。
三菱グループにはたくさんのグループ会社があって、多くの会社で社用車(役員車)にデボネアを使う慣例があった。
デボネアは2回フルモデルチェンジしてるけど一般向けの販売がまったくふるわず1999年にモデル廃止。
後継車としてプラウディアがデビューするがこれもまったくふるわず一瞬で生産終了、その後10年ほど三菱製高級セダン不在の時代が続く。
役員車として買われた初代プラウディアの老朽化が進む中、2012年に日産のOEMでプラウディアが復活(中身は日産フーガ)。しかしこれも2016年に生産中止となり、ふたたび三菱製高級車不在のまま現在にいたる。
三菱はむかしの車名を思い出したように復活させることがよくあるので(GTO、FTO、コルト、ミラージュ、エクリプスなどがリサイクルされている)、デボネアもいつか復活しないかとちょっとだけ期待してる。
おおむねその定義で合ってると思うよ。ただその中には性別を問わず、男女ともが平等に
シャドウワーク/アンペイドワークに従事しつつ、賃労働するパートナーとともに家計を共有しつつ
生活をする自由も含まれているはずで、女性のアンペイドワーク従事者が現にそうしていることによって
女性差別や男女格差を再生産してる、だから良くない、というのは、議論の理路がどこかで
狂ってしまっていると思う。
1999年に出た『くたばれ!専業主婦』という本をきっかけにした専業主婦論争というのがあってさ、
フェミニズムの業界でも論争が展開されたんだけど、このとき多くのフェミニストやジェンダー研究者は
著者の石原里紗を強く批判したんだよね。まあ半分釣りみたいな口汚い難癖メインだったから
そうそう擁護もできんよなと思うけど。だからフェミニズムは専業主婦批判自体はあんまりしないんだけど
一方で「理論的に専業主婦をどう位置づけるか」という点はちゃんとできてなかった気がする。
今日街中でBOYZONEなんか流れてきてびっくりしてyoutubeで見てしまった。やたらちょくちょく再結成してるBSBとか嫌われながらも存在感を発揮してるJustin のせいで思い出すNSYNCにくらべてすっかり存在を忘れていた。ローナンはテレビの番組ホストをやっているらしい。そうなのか。
デビュー当時のTOTPと、1999年のPrince’s Trust Party のと18年のthe Late Late showを見た。
TOTPの頃はローナンは居心地の悪そうさがすごい。ゆるふわニットを着せられて、いかにも大人に歌わされてますという風情がなんとも言えず90年代のボーイズバンド感ある。それに比べてStephenのこれが素だといわんばかりの夢見る表情はすごい。Stephenは99年の映像でも同じような非現実的なトロンとした目をしていて、まあ当時のボーイズバンドは大体1グループに一人はゲイがいたけどこの時代のStephenはプリンセスみたいに堂々としていてめちゃくちゃに輝いている。楽しそうでいい。
ローナンは99年も18年も正統派の圧の強いイケメンで、99年は尖った感じがあるが18年は枯れてリラックスして、自分のイケすぎてる顔面で生きていくことに折り合いをつけてる感じがとてもいい。
Shaneはなんかボンクラ感が増した。日曜大工やってそう。Keithは18年が一番いいまである。昔の顔は濃すぎて胸焼けがする。Mikey、なんかテノール歌手みたいになってるな。
あと18年の映像で何がいいって、昔ファンだった少女ファンがすっかり大人の女性になって同じように客席でシンガロングしてる姿だ。99年の映像でキャーキャーしてた女の子たちがいまはいい感じのおばさんお姉さんになってニコニコでシンガロングしている。当時お母さんだったんだろうおばあちゃんを連れてきてる人もいて楽しそうだ。
それにしてもStephen死んでしまったの残念だ。同じ男と二回も結婚して、ドラマチックな人生だったな。夢見る目で歌う中年の姿を見たかった。