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はてなキーワード: 1964年とは

2018-02-24

安倍首相に感じる不信感

今年現役で受験を終えた。

そんなに裕福ではないので予備校はいかなかったが、バイトもしながら志望校には受かった。

はてなに書いたらバカにされそうだが、安倍首相出身である成蹊よりは上位に位置する大学だ。いわゆるマーチ上位学部

安倍首相学歴

成蹊小学校成蹊中学校成蹊高等学校を経て、成蹊大学法学部政治学科卒業

1964年から2年間は平沢勝栄東大卒)が家庭教師

南カリフォルニア大学中退

単にエスカレーター方式から受験という選択肢がなかっただけなのかもしれないことと、当時のほうが受験は難しかったであろうことを差し引いても、あんな恵まれ環境下で成蹊って……って思ってしまうんだけど

これは俺が若くてバカから感じるだけの不信感?

2017-12-08

https://anond.hatelabo.jp/20171208073959

読めない人っていうより、そそっかしくて勝手脳内変換ちゃう人が通ります

出だしはまさに「今」ありがちな話で違和感無し。「平成の終わり」のところは「昭和の終わり」と自動変換していたし「東京オリンピック」は1964年のを想像して「なんでそんな昔の話が今ごろ」と思った所で「2020年」が出てきてやっと「あれ?ちょっと待てよ?」となった。

2017-11-27

マスコミに非ずんば人に非ず」という事が分かった東京オリンピック

2020年就活、説明会の会場不足…五輪で利用 (読売新聞) - Yahoo!ニュース

東京ビッグサイト2020年東京オリンピックのIBC・MPC使用されるためイベント会場として使用不可能になり、その影響で就活イベントも開催不可能になってしまう事が記事になった。

そもそも、この問題は何で起こったか

IBCは国際放送センターの略で、

MPCはメインプレスセンターの略である

前者は文字通りオリンピック放送を全世界に中継するための放送設備が集まった施設で、1964年東京五輪ではNHK渋谷放送センターが使われた。

後者文字通り大会公式プレス発表を行うための設備が集まる施設で、1964年東京五輪では日本青年館が用いられ当時最新のコンピュータが置かれ今で言うリアルタイムな迅速な処理で大会記録がまとめられ世に送り出されていった。

その2つを今回は統合日本最大の展示会場であるビッグサイトに置こう、というのが東京都の開催計画だ。

ビッグサイト日本最大の「ハコ」であるため、「そんな事までやってたの?」というくらい日々色々なイベントが行われている。

全国から企業が集まって最新技術製品サービス宣伝する展示会・見本市イベントはもちろんの事、

全国から作者が集まって本やCD、グッズを売るコミックマーケットジャンルオンリー同人即売会

そして記事タイトルにある通り大手就活サービスイベントビッグサイトで行われるため、ビッグサイトと一切関係しない人というのはほぼ存在しないのでは?と思わせる程だ。

そんなビッグサイトだが、2020年オリンピック時にIBC・MPCとして使われるため、全てのイベントビッグサイトで開催不能になる。

「(イベントを)他の会場でやれば?」と思うかも知れないが、2020年オリンピックでは幕張メッセ競技会場として用いられるため、これも無理な話である

東京ビッグサイト日本最大級のハコであり、第2位の幕張メッセ使用不可能なので、実質的に全国規模のイベントは開催の中止か、もしくは関東脱出しての大幅縮小開催を迫られる二択となる。

これは日本企業主催イベント場合で、海外企業主催主体国際的イベント場合韓国中国の展示場で代替開催が行われてそのまま日本に帰って来ない可能だって大いに有り得る。(例えば東京コミコンなど)

そうなると日本経済文化に大きくブレーキがかかり、ほぼ全ての日本人被害を蒙る事になる。

そのため、ビッグサイトをIBC・MPCにする事自体が非常に深刻な問題であり、

2020年会場問題|署名特設サイト

のような署名運動も以前から行われているが、残念ながらコミケの3日間延べ参加者よりも少ない署名人数しか集まっておらず、具体的な効果のほどは見られない。

この問題当事者マスコミ自身であるため、最初記事のようにそもそも他人事のような書かれ方の記事しか表に出ず、

普段「マス●ミ」と口汚く罵っている人達ですらこの問題には傍観そもそも問題に気付いていない)というのが現在の状況である

オリンピック使用するための準備工事期間もあるため、フルキャパティビッグサイト幕張メッセが使える期間は2020年東京オリンピック期間よりも遥かに長い(2019年後半から始まる棟もある)

2020年まであと2年と少し。何が出来るだろうか。

2017-11-11

新設大学での大学院設置時期はいつか

前川喜平・前文部科学事務次官加計学園獣医学部博士課程が設置されていないかけしからん!と怒っているので、
近年の新設された大学において大学院はいつ設置されたか調べてみた。

「認可すべきではない」前川氏が疑問呈す(毎日新聞)

博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」と加計学園教育体制に疑問を投げかけた。

新設が非常に多いので結論から言うと、非常に数が多いため一部しか調べられなかったが、
調べた限りでは大学新設と同時に大学院が設置されているところはなかった。

新設された4年後に設置されるかといったら、そうでもない大学もあるし、そもも未設置の大学も多い。
また『短期大学』が『4年生大学』に転換したところが多いため、新設大学が多いように感じる。

【参考情報新設大学等の情報:文部科学省

■21年度開設

千葉県立保健医療大学 ⇒ 未設置

新潟県立大学 ⇒ 平成27年度設置(6年後)

愛知県立大学統合学部学科の再編による新設

弘前医療福祉大学 ⇒ 未設置

日本赤十字秋田看護大学 ⇒ 平成23年度設置 ※大学院設置基準第14条特例の実施 (短大卒業者向け?)

東都医療大学 ⇒ 未設置

こども教育宝仙大学 ⇒ 未設置

東京有明医療大学 ⇒ 平成25年度設置

びわこ学院大学 ⇒ 未設置

大阪保健医大学 ⇒ 平成25年度設置

広島都市学園大学 ⇒ 平成30年度設置予定(9年後)

■22年度開設

新見公立大学 ⇒ 平成26年度設置

東北文教大学 ⇒ 未設置

日本保健医大学 ⇒ 未設置

ヤマザキ学園大学 ⇒ 平成28年度設置(6年後)

横浜美術大学 ⇒ 未設置

23年度開設

福山市立大学 ⇒ 平成27年度設置

日本映画大学 ⇒ 未設置

京都華頂大学 ⇒ 未設置

大阪物療大学 ⇒ 未設置

宝塚医療大学 ⇒ 未設置

純真学園大学 ⇒ 平成30年度設置予定(7年後)

新設時と同時に大学院設置された大学があれば教えてください。


<追記>
指摘を受けて追記。
北海道医療大学 ⇒同時に設置
 2013年 リハビリテーション科学部理学療法学科/作業療法学科)開設
 2013年 大学院リハビリテーション科学研究科リハビリテーション科学専攻修士課程開設

私立獣医学部に関しての大学院設置状況
同条件である私立大学獣医学部確認した所、基本的大学と院は同時設置されておらず、
博士課程に関しても後年に設置されている。
同時設置しなければならないと言う法律規則が無い以上、後年に大学院が設置されても問題いかと思われる

大学は届出設置制度である以上、大学設置時に大学院(修士博士)もまた設置しなければならない、
という規定が無い以上、前川氏の「博士課程もないのに先端研究ができるわけがない」という発言には
認可してはいけないという根拠は薄いと思われる


酪農学園大学11年後設置
 http://www.rakuno.ac.jp/outline/about/development.html
 学部 1964年(昭和39年)設置
 大学院 1975年(昭和50年)設置
 ※博士課程 1981年(昭和56年)設置

北里大学 ⇒4年後設置
 https://www.kitasato-u.ac.jp/jp/about/overview/history.html
 学部 1966年(昭和41年)設置
 大学院 1970年(昭和45年)設置
 ※博士課程 1972年(昭和47年)設置

麻布大学 ⇒7年後設置
 https://www.azabu-u.ac.jp/about/history.html
 学部 1950年(昭和25年)設置
 大学院 1957年(昭和32年)設置 (院設置のみ?)
 ※修士課程 1960年(昭和35年)設置
 ※博士課程 1962年(昭和37年)設置

日本獣医生命科学大学 ⇒歴史が古すぎるため参考。修士/博士同時設置
 http://www.nvlu.ac.jp/universityguidance/002.html/
 1881年(明治14年)設置 (日本最初私立獣医学校・獣医学校)
 大学 1949年(昭和24年) 設立  大学院 1962年(昭和37年)設置
 ※博士課程 1962年(昭和37年)設置

日本大学 ⇒設置時期不明
 院設置時期の記載が見当たらない

2017-09-05

anond:20100904052850

日本の歴史には奴隷差別もなかったよ。世界と比べたら殆どないと言い切っていい。

から国際連盟人種差別撤廃を幾度と訴えた。アメリカ奴隷差別歴史だよ。

黒人人権を与えたのは1964年日本のエタと呼ばれる人は人権がなかったことはないよ。

アメリカ戦争に勝って、いくら日本を悪く歴史改ざんをしても、この奴隷差別だけは圧倒的に国家の品格の差が消せなかった。

から戦後日本を徹底的に人種差別して蛮行の数々をしてきた国家だと教育メディアまで利用して洗脳した。戦後朝鮮民族戦勝国民と流布して日本統治に利用したのは、白人歴史他民族を使って植民地支配してきたやりかたとまったく同じ。戦勝国と並んで朝鮮人の名があるプレスコードが全ての応え。なぜ朝鮮人の名があるの?

アメリカの第31代大統領が、アメリカ真実暴露してるよ。他にもたくさんいるよ。

2017-07-31

オリンピック都市開催だぞ

オリンピックは国ではなく、都市主催する行事だ。そこを勘違いしている人が多すぎる。

そういう点で、東京都というのは微妙だ。

1940年に開催されるはずだった東京大会は、東京府東京市開催都市だったが、

1964年大会ではすでに東京市消滅していたので、東京都が開催「都市」扱いだったが本来趣旨からは外れているだろう。

それに対して、ワールドカップは国単位で行われる。サッカーロシア大会がまもなく開かれる。

しかし、1980年オリンピックソビエト連邦大会ではなく、モスクワ大会だし、1972年ミュンヘン大会西ドイツ大会ではない。

そう、ミュンヘン大会では選手村テロ集団に襲撃されるという悲劇があった。

念のため付け加えておくが、1968年メキシコ大会メキシコシティーメキシコ市で行われたか国名ではない。

最近オールジャパンで」という紋切り型常套句を耳にするが、一都市行事勝手国家レベル行事格上げするのは勘違いもはなはだしい。

たかだかオールウキョウで」くらいの遠慮が必要だ。

ちなみに、ワールドカップではなぜかイギリスイングランドウェールズスコットランド北アイルランドが別々に出場するが、

オリンピックでは「グレートブリテン」として出場する。

あと入場式直前になって国名表記問題ボイコットする例が何度もあった。

2017-04-26

朝ドラ主人公学歴

高校進学率(総務省統計局

     男子    女子

1960年 59.6%   55.9%

1964年 70.6%  67.9%

1965年  71.7%   69.6%

朝ドラ主人公は、3人中の2人に入っている

2017-04-06

http://anond.hatelabo.jp/20170406190108

いやな事件だったね。

高島忠夫長男殺害事件たかしまただおちょうなんさつがいじけん)は、1964年昭和39年8月に発生した殺人事件である

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%BF%A0%E5%A4%AB%E9%95%B7%E7%94%B7%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6

1964年8月24日未明東京都世田谷区上野毛に在住の俳優高島忠夫方より警察及び消防へ「息子が風呂に沈められ、部屋が荒らされている」との通報があった。

…中略…

この時に「この赤ん坊さえいなければ高島夫妻の愛情は私に戻るのではないか」と考え、気がついたら長男を湯船に沈めていたという。

2016-12-19

他人の生まれた年を覚えてる人っていないの?

最近友達数人と「そういえばあの人って今何歳になるのかな?」という話をしていて、「確か1985年まれから、今年31歳かな」と答えたら、

「何その覚え方!周りの人の年齢を生まれ西暦で覚えてるの!?」とびっくりされた。

当然の話だけど、その人の生まれた年を覚えておけば、毎年、西暦から引き算をすることで年齢が分かる。自分の両親や親戚のように歳の離れた人の年齢も暗算すればすぐにわかるし、有名人プロフィールとかを見ても同じようにできる。それに、例えば相手1960年まれだとしたら「じゃあ東京オリンピック1964年)はまだ小さいころですね」みたいに返すこともできる。

ただ、西暦ではなく年号で言う人が多いので、自分の両親の生まれである昭和35年(=1960年)あるいは姉の生まれ年の昭和63年(=1988年)を基準にして西暦に変換してから考えないといけない。

逆にみんなはどうやって他人の年齢を記憶しているの?と聞いたら、自分より何歳上だとか、そうやって自分の年齢を基準にして覚えてるらしい。

自分にはどう考えてもそのほうが大変に感じるんだけど、もしかして自分みたいな考え方をする人のほうが少ないのかな?

2016-11-13

オケ老人!』は駄目だろ

公開が始まった小説原作映画タイトル

このタイトルはどうなの?

最近流行言葉で言えばボンゴレ?的に?

ボケ老人のもじりでしょ?

ボケ老人はけしからん痴呆と呼ぶことに。

痴呆けしからん認知症と呼ぶことに。

てな経緯のある不謹慎ワードなのに。

原作者が老人で自虐も込めてならまだセーフかもとググったら、作者の荒木源は1964年まれ

ボンゴレ警察の皆さん、出番ですよ!

2016-09-10

ライバル1964年』ってCM気持ち悪い

2016年度全国キャンペーン:ライバルは、1964年|ACジャパン

ACジャパンが今年7月1日より開始した『ライバル1964年』というCM

自分がよく聴く民放ラジオ基本的TBSラジオ)では結構な頻度でこのCMが流れている。

自分はこのCMを耳にする度に、得も言われぬ不快感に襲われる。

何故不快感を催すのか、自分なりに少し考えてみることにする。

はいえ単なる根拠に乏しい繰り言でしかないので、そこは留意してほしい。

 

その1.いたずらな過去の美化

あの頃の日本人に、笑顔で負けるな。

見る夢の大きさで、人を思いやる気持ちで、心の豊かさで、絶対負けるな。

ライバル1964年テレビCMより

このCMにおいては、「笑顔」「夢」、「思いやり」といった根拠の不確かな理由過去を美化している。

加えてこのCMには「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢、思いやり、心の豊かさで負けているのではないか」という言外の意味も込められていると考えられる。

そうでなければ、律儀にあの頃の日本人と今の日本人を比べる必要なんてないはずだ。

まり居酒屋談義としての「昔はよかった」の変奏でしかない。

また、この10年ぐらい俗流の「昔はよかった」に対するカウンター的な言説も勃興している。

これらのカウンター的な言説の場合、だいたいは統計などのデータを用いた上で「昔はよかった」的言説の欺瞞を浮き彫りにしている。

ライバル1964年』で提示される「昔はよかった」を構成する要素のうち、「思いやり」は犯罪件数の推移をもとに論駁が可能であるかもしれない。

しか「笑顔」「夢」場合犯罪統計のような定量データ存在しない。そのため、「笑顔」や「夢(の大きさ)」を昔と今とで比較するのは至難の業である

結果「あの頃の日本人と比べて笑顔や夢で負けているのではないか」というCMメッセージに論駁することすら叶わなくなる。

論駁不可能概念を持ちだすということは、それだけ「昔はよかった」ことをゴリ押ししたいのだろう。そこにはある種の狡猾さすらも感じさせる。

 

その2.政治的意味合いが強いCMを流すACジャパンへの違和感

このCMにおいては、東京五輪が行われた1964年東京五輪が再度行われる予定の2020年とが対比されている。

2020年に向けて日本を考えようというのは、東京五輪に向けた行動をとれというメッセージを婉曲して表現しているということは容易に推測できる。

また、ACジャパン公式サイト記載より、「日本を考える」ことは具体的に「(東京五輪に向けた)ポジティブモチベーションと、日本人の活力を高める」を指すようだ。

今の日本において、五輪政治的意味合いが強いイベントとして意識されているようである

例えば、2012年に取りまとめられた「スポーツ基本計画策定について」には以下のような文言がある。

4.国際競技力の向上に向けた人材養成スポーツ環境の整備

(中略)

国際競技大会等における我が国アスリート活躍は、国民日本人としての誇りと喜び、夢と希望をもたらし、国民意識を高揚させるとともに、社会全体に活力を生み出し、国際社会における我が国存在感を高めるものである我が国アスリートによるメダル獲得は、その一つのあらわれである

4.国際競技力の向上に向けた人材の養成やスポーツ環境の整備:文部科学省

また、2009年には塩谷立文部科学大臣(当時)が以下のような発言を行っている。

2016年オリンピック招致については、立候補ファイル2月12日までに国際オリンピック委員会に提出することになっていまして、そのために今準備を進めているところですが(中略)やはり、国威発揚ということも含めて、ぜひ、招致を実現したいと思っています

大臣会見概要(1月27日):文部科学省

これらのことを踏まえると、今の日本において五輪政治的意味合いが非常に強いイベント位置付けられているようだ。

特に国威発揚」や「日本人の誇り」といったナショナリスティックな意識の醸成のための手段として強く意識されているようである

これは、IOCの掲げる「政治的商業的利用がなされない五輪」という理想とは大きくかい離したものである

さて、ACジャパンの行うCMの特徴として、政治的宗教的事柄は一切扱わないということがある。

実際にACジャパンの会則の中にも、以下のような文言がある。

<その4 団体活動について>

(中略)

4.特定政治的党派的、宗教的主張を標榜する団体支援しない。

支援キャンペーン実施諸規則|広告キャンペーン|ACジャパン

一方『ライバル1964年』においては、政治的意味合いが強いイベントである五輪に向けた行動をとれというメッセージ提示されている。

解釈によっては、「日本人の活力を高める」ということもナショナリズムと連関したかたちで捉えられる可能性もある。

このことから、『ライバル1964年』は政治的宗教的事柄は一切扱わないというAC方針とは大きくかい離したCMであるといえる。

このようなかい離が何故発生したかについては分からない。

可能性として一番高いのは、制作者サイドがIOC提示した「政治利用されない五輪」という理念を無邪気に信じ込んだということである

一方、五輪の持つ「国威発揚」や「日本人の誇り」といった事柄政治的事柄ではないと誤認している可能性も完全には捨てきれない。

愛国心の醸成といったイデオロギー丸出しの教育が「偏向ではない」と見做される時代である

 

なお、2002年にも公共広告機構(当時)は『ニッポン人には、日本が足りない』というCMを放映していた。

しかしこれは国際交流の推進を目的とするものであり、『ライバル1964年』とは似て非なるものである

 

その3.新聞広告

ACジャパン公式サイト新聞広告画像データ掲載されている。

小学生が作ったような(プロとしては)粗雑なコラージュに、テレビCMナレーション文章としてこれみよがしに綴られている。

そのくせ「昔はよかった」オーラ瘴気?)はびんびん流れ出てくるからまらない。

2016-08-23

閉会式を観た感想

「ちょーうまい

「すごい!」

「最高」

 私のタイムラインがそんな絶賛でうめつくされた。

 あるフォロワーさんのひとりなどは「ぜひ味わってほしいのでネタバレ厳禁です!」と事実上オススメコメントまで。

 ほーーーー、これは味わわねばなるまい。

 いったいどんな味かな、どんな料理かな……? 

 アツアツのカツ丼や脂のしたたるステーキ想像しながら、私はレストランのれんをくぐった。

「こちらが本日ランチでございます」 

 ウェイターであろう、むさくるしいヒゲを生やした中年男性料理を運んできて、わくわくをつのらせる私の前でクロッシュを取った。

 そして、現れたのは……


 まるごとのりんごである


 いや、能く見れば生ではない。

 ところどころシミのような紋が浮き出ており、全体的にしなびている。

 印象としては、リンゴ飴の飴部分を取り去ったものに近い。

 これは……


青森県五所川原市名物りんごの丸っこ漬け!!! 


 丸っこ漬けは9月下旬から行われる除袋時の落ちたふじりんご(まだ生食は無理)を活用して、翌年の田植え時のおやつ用として漬けたあおもり食の文化伝承である!!!

 生りんごを食べるようにそのままかじったり、皮をむいて切って食べる。昔は物が無く、特に田植え時の5月は収穫物の無い時なので、漬けたりんごは大切なおやつだったといわれる!(以上 http://www.umai-aomori.jp/cook/kyodoryori/densyo/104.phtml より引用

 しかも、不朽のブランドふじ」の最高級品を贅沢に使用している!!!!

 なんちゅうことや……これに比べたら山岡はんの大森靖k、もとい「大林」は天カスや……


 私が驚愕に打たれていると、ひげのウェイター(衛生のためか「M」と書かれた帽子を着用している)が気遣うようにそっと脇から付け合せのうめぼしを置いてくれた。

 客人にたいする奥ゆかしいOMOTENASHIの心、これこそCOOL JAPANの精髄である


 で、丸っこ漬けを実際食べてみると、モソモソしてるようなシャリシャリしてるような、しょっぱいような甘いような味である

 お弁当箱に入れて他の食材コンタミされたあのしなびたりんごを思い出す。

 ……こんなもんか?

 周囲を見渡してみると、右翼っぽいあんちゃんからライト左翼っぽい感じの人間まで「うめーうめー」と叫び声をあげている。

 一緒に来ていた私の夫も「いやーうまいなー、ぜひツイートしてこの感動をひろめなきゃ!」と丸っこ漬けと過疎の街五所川原市を讃えまくった。


 一方の私はといえば……

 いやまあ? 

 普通に美味しかったですけど?

 みんな二十世紀梨とか紅玉しか喰ったことないの???


 まあ個人の好みの問題でさーね。好きだと言ってる人を責めるつもりはありません。


 ちなみに参考。:

 「1964年東京オリンピック」→さくらんぼパン

 「1936年ベルリンオリンピック」→大トロ

 「1972年ミュンヘンオリンピック」→ベーグル

 「1980年モスクワオリンピック」→パピコの右半分

 「1984年ロサンゼルスオリンピック」→パピコの左半分

 「1940年東京オリンピック」→ネッシーの刺し身

   

2016-08-22

安倍よ、そこはオメガじゃなくてセイコーだろ!

オリンピック閉会式プレゼンテーション

安倍トヨタ・センチュリーの中で時間を気にするシーンがあって、腕時計大写しになってるんだけど、

あれ、オメガだよね?

なにやってんだよ!

そこは、世界に誇る日本ブランドセイコーだろ!

いや、フォーマルからGショックじゃだめなのは分かる。

だったら、グランドセイコーだろ!

(ごめんよ、シチズン


オリンピックセイコー因縁から関係なんだぞ。

世界で初めてオリンピック機械計時を導入したのは1964年東京におけるセイコーだ。

このとき開発した電子プリンター(Electric Printer) の子供(Son)が、現在のEPSONの技術なんだぞ!

組織委員会にだれか、気づく人いなかったんか!

2015-09-08

東京五輪を境に日本人の汚らしい食事マナー改善されるのでしょうか。

様々な国の人から言われてるように、日本人の食事マナー先進国の中では最低の水準です。

酷いと言われてる振る舞いは多々あるのですが今回は特に下品な「音」に焦点を当てましょう。

言うまでもなく日本人は食事(特に麺類)の際に汚らしく音を立てます

それを指摘すると決まって逆上して、これは日本文化から、だとか、空気を一緒に吸えば風味が、だとか意味をなさな理屈を並べます

重ねて、それは国際マナーに反していると指摘すると、レイシスト丸出しの排外主義発言で相手を攻撃するのが日本人です。

日本の皆さん、マナーというのは相対的価値観です。

世界の人が下品だと感じているのなら、それは下品行為なのです。

1964年東京五輪の際に国際的マナーが徹底されなければ、日本人は今でも、列に並ばない、ポイ捨てをする、所構わず痰を吐き捨てる、といった蛮行を続けていたでしょう。

あなたは胸を丸出しで歩く女性をみたらどう思いますか?

前をほんの半端なボロで隠しただけの姿で歩き、猥談で盛り上がる男性を見てどう思いますか?

これはあなた方が誇る日本でほんの少し前まで一般的だった光景です。

愛国ポルノに侵された日本人には、西洋に汚された現代にはない理想的日本に映るのでしょうか。

あえて、言います

汚らしく音を立てて食事を摂る日本人の習慣は、野蛮です。

稚拙理屈を並べて正当化するのは、さぞかし気持ちがいいのでしょうが、周りの気分を害するようなブンカは今すぐやめるべきです。

以上です。

2015-09-03

オリンピックエンブレム、あれ、言うほどダサくはないと思うし、パクリだとも思わないけど。

あの展開例やらトートバッグはとにかくとして、デザイン自体はまずまずの出来。

しろカッコいいし、オリジナリティもあっていいんじゃないかな。

まあ、でもオリンピックエンブレムとしてはどうなんだろって思うところはある。

オリンピックロゴである必要がない

オリンピックって、スポーツの祭典じゃんか。

泥臭くて、汗臭くて、躍動する筋肉の祭典じゃんか。

から、歴代のって、躍動する人とか、聖火とか、五色の輪やらをモチーフにしたエンブレムにしてるわけじゃん。

で、今回のあれ、Tだからウキョウ?日の丸から日本

まあ、わからんでもないけど。

でも、オリンピックエンブレムである必要なくね?

五輪の上に東京都シンボルマーク載せたって一緒だろ。

JapanのJの文字に日の丸を付けたJリーグエンブレムみたいでさ、あれよりはまだ時代に合わせたスタイリッシュさはあるけどさ。

Jリーグエンブレムはまだサッカーボール想像させるところがあるけどさ、例のエンブレムオリンピックを思わせる要素どこよ?

日の丸1964年東京オリンピックエンブレムを想起させる」

アホかよ。

日の丸から日本を想起するまではあっても、64年の東京五輪を思い出すって、関係者だけだろ。

正直、方向違うんじゃないかなと。

誰がみても「オリンピック」のシンボルであることがわかること、それが第一に優先すべきじゃんか。

5色使うか、輪を5つ使うか、躍動する人間を使うかしてだな、とりあえずオリンピックとわかるものであってほしい。

それでもって、次が開催地と開催年度がわかるもの

Tだから東京バカじゃねーの。

おまえ、Bの一文字から北京を思い浮かぶの?Lの一文字からロンドン思い浮かぶの?

とかなんとかいいつつ、また似たり寄ったりな方向間違えたエンブレムになるんだろうな。

森喜朗はじめ、ジジイども品格とか格式とか好きそうじゃん。

赤とか黒とか金とか好きそう。

デザイナーたちも、スタイリッシュなのが好きで泥臭いの嫌いだろうしな。

そもそも、日本人って肉体軽視だしな。

歴代のを並べてやると、前の東京オリンピックも、札幌長野も浮いてるよね。

小兵がデカブツを倒すのが好きそうで、言ってみれば筋肉が足りない。

長野みたいに、フジヤマゲイシャハラキリ、スシ!な開会式で、挨拶では「絆」とか的はずれなこと言っちゃうんだろ。

機械科学の力を使わず、己の肉体だけを武器に、この星の一等賞を決める泥臭くて汗臭くて人間賛歌の大会ってことを忘れちゃいまいか。

あいい。

もともとがサクラロゴでオモテナシだしな、世界だって日本がこういう国ってのはわかってるから、改めてのツッコミはこまい。

AKBでもエグザイルでも初音ミクでも出して、クールジャパン宣伝するがいいさ。

2015-09-01

http://anond.hatelabo.jp/20150901185718

>>他の五輪では?って返されたら

おれは、文字だけにクレームをつけているわけではない、よく俺の主張は2行だけど自分の頭で考えるんだ↓

>一体誰が、あのロゴから"近未来2020"の"日本東京"の"オリンピック"を想起できるのか?

>2年前の昔のタイポグラフィと類似で、素材も"ローマ"字。"2013 fashion Show in Tokyo"のロゴでも作りたかったのかな?

まり、あのロゴは「東京オリンピック」即ち、「日本東京で行う陸上競技」の構成要素を素材にしてない時点で

ロゴ失格だと言いたいんだよ。

 

ロゴ英語logoだけど、その意味英英辞典で調べると

"a small design that is the official sign of a company or organization"

そして、signは禁煙マークとか駐車禁止とかの標識という意味があるんだよ。

 

"標識"なんだから、そのロゴを見たら、その意味するところが大多数の人々に理解できる

というわかりやすさが重要なんだよ。

そういう図案でなければロゴとして意味が無いんだよ。

 

その上でこのブログに載せられた歴代ロゴを見て欲しい。

http://utsunomiyasoh.blog.fc2.com/blog-entry-259.html

 

1964年東京オリンピック以降のロゴでは、

27個中少なくとも21個は、オリンピックやその競技、ご当地観光名所、季節の象徴(雪)などを素材にしてる

のであって、まさにsignの役目を果たす図案が採用されているんだ。

しかし、一方で、アルファベットたった1文字を素材にした何を象徴してるのかわからない、説明出来ない

ロゴが歴代ロゴの中にいくつあっただろうか?

1個もないだろう。(かろうじて国のスペル自体ロゴにしたメキシコの例が1例有るだけ)

 

以上から、今までののオリンピックロゴデザインの素材選びは、やっぱり

多数の人が理解できるというロゴ理屈に基いて行われてたんだよ。

それが、今回はどうだい、日本オリンピックなのに、使用した素材がラテン文字の"T"だよ。

いったい、日本東京文化歴史どこに、ラテン要素があるのか逆に説明して欲しいぐらいだよ。

それともTsukubaとかTottoriの"T"なのか?

 

佐野さんのデザイン審査員もがダメな点はまさにココなんだ。

素材の選び方がそもそも間違ってるから、今回のデザインロゴですら無い

よって上記理屈理解してない審査員デザイナー教養のなさが

これが、佐野デザイン問題の一番の本質だよ。

2015-08-31

東京オリンピックエンブレム

食傷気味ではあると思いますが、佐野問題について自分の考えをまとめるために文章を書きました。

もうこの話題うんざりという方はそっとスルーして頂けると幸いです。

■前書き

デザイナーではないけれど、クリエイティブ職に携わっています

私の立場としては、

オリンピックエンブレムはそんなに好きではないけど

オリンピックエンブレムは(ほぼ)問題なし

トートバッグはアウト

・このような炎上懸念しています

というものです。

以下、目次です。

デザインとは

- 編集レイアウト、選択というデザイン

- デザイントレンド

佐野エンブレム

- このエンブレムは一体何なのか

- 似ているのか

- 著作権見地から

- 商標権見地から

- 原案は似てる

トートバッグコネ問題

- お粗末なマネージメント

- そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

- コネ悪用なのか

個人的には

デザインとは

編集レイアウト、選択というデザイン

デザインは、社会に受け入れられることを目的の一つとしています

受け入れられるということは抵抗がない方がいいですから、あまりに新しすぎて意味理解されないようなものはよくありません。

しかし多くのデザインにおいては、新しさや独創性を伝えたいという想いもありますからデザイナーにとって受け入れやすさとオリジナリティというのは永遠課題であると言えます

多くのデザイナーにとって、ロゴオリジナリティについて語りにくいのはこれが非常に繊細な問題であることが理由だと思います

ところで、デザインは「計画」「設計」「応用美術」という言い方もされることがあります

あるいは例えば、◯◯デザイナーという肩書きなどについて、プランナー(計画者)、マネージャー(管理者)という言葉を入れ替えても近いニュアンスがあるということについて考えてもいいかもしれません。

これらの言い方からも分かる通り、デザインとは一から全てを新しく作り出すという行為ではなく、適切に設計する、配置する、選択するという行為であるとも言えます

では果たして佐野氏のデザインは適切なものだったのでしょうか。

デザイントレンド

その前に、デザインにおけるトレンドというものについて簡単に考えたいと思います

参考に、近年のロゴトレンドと言われているものをご覧ください。

http://photoshopvip.net/archives/78102

http://www.radflaggallery-design.com/blog/2015-logo-trend

ちなみに以下は、2008年トレンドと言われたものです。

http://coliss.com/articles/build-websites/operation/design/788.html

すでに2008年トレンドが古く感じてしまうのが分かるかと思いますトレンドというのは、新しく感じられ、それでいて受け入れられている、という一つのラインです。トレンドを押さえる(上手く選択する)ことで瑞々しい印象を与えることができますが、トレンドが去った後には古さを感じるようになるものです。

新しさがありつつ、普遍性のあるデザイン、というものが如何に難しいかが分かります

佐野エンブレム

・このエンブレムは一体何なのか

それでは本題のオリンピックエンブレムについて考えたいと思います

図像的には非常にシンプルものになっています。また、恐らくは1964年東京オリンピック亀倉雄策イメージオマージュしており、色彩は日本的トラディショナルもので、あまり目新しさは感じられません。そういう意味でこのエンブレムはあまりトレンドに乗っていないと言えると思います

なぜこのような選択・デザインになったのでしょうか。

トレンドに乗らず、非常にシンプルものにしたのは、普遍的エンブレムになることを狙ったものだと思います

亀倉雄策1964年オリンピックは今でも素晴らしいデザインと語られるもので、古さは多少感じさせても未だに迫力が伝わってきます

佐野氏のデザイナー仕事にはシンプルで洗練されたものが多くあります。また、近年世界アピールできている日本デザインシンプルものや余白を活かしたもの自然融合的なものが多く見られます

このように、佐野氏、あるいは日本の強みであるシンプルデザインであり、また一時的トレンドではなく普遍性をもつもの、として単純な図像になっているのだと思います

もちろんこれにより、トレンドに乗っていない、古めかしく見える、単純すぎる、単純すぎるために似たデザインが挙げられる、といったことについて意見が出てくることについては想定していると思われます

・似ているのか

さて、よく問題として挙げられているベルギーロゴ比較してみます

前述の通り、単純な図像なので、近いロゴがあることは避けられないと思いますしかプレゼンテーション動画などを見ると、このエンブレムアピールは以下のようなものです。

東京の頭文字T

地球や繋がりといったもの連想させる円

トラディショナルカラー

日の丸

正方形タイルデザイン

パラリンピックエンブレムとの対称性

このうち、ベルギー劇場ロゴと共通するのは円のモチーフくらいではないでしょうか。

以上のような点を踏まえると、佐野氏のエンブレム図像的にはベルギー劇場ロゴと近く見えるところもあるが、その他の点で大きく異なっている、と言えると思います

著作権見地から

著作権は、思想感情創作的表現した著作物保護するものです。

佐野氏のエンブレムベルギー劇場ロゴ思想感情的表現とは違う発想で出来たものであることは明らかだと思われます

著作権侵害しているという指摘は間違いでしょう。

商標権見地から

Wikipediaによると、リエージュ劇場公共性が高いためロゴ商標登録がなく、商標権については問題にしていないとあります

商標権侵害ということはなさそうです。

原案は似てる

エンブレム原案が公開されました。

色彩、配置的なアレンジはありますが、これはヤン・チヒョルト展のタイポグラフィ結構似てると思います

しか原案として過去デザインを参考にすることは問題ないのではないでしょうか。個人的には、なぜ公開したのだろう、と思いますが…。

これがこのまま採用されるとしたら大変ですが、最終案ではかなり変化しているので、これはある意味で事前チェックが上手く機能したと言えるのではないでしょうか。

トートバッグコネ問題

・お粗末なマネージメント

佐野氏ほどのデザイナーですと、事務所を構え、他のスタッフデザインをさせるというのは勿論あることです。しかし本人の名前で発表する以上、その監督責任は本人に求められます

トートバッグに関しては、明らかに佐野氏の失態です。佐野氏もそれを認め謝罪し、社会的な罰は十分受けていると思います

・そんなデザイナーに任せてはいけないのでは?

私が冒頭に書いた「(ほぼ)問題なし」という括弧はここが理由です。

本来なら大きな仕事は少し控えた方がいいと思いますが、今回はエンブレムの後に発覚したものですし、取り下げる程ではない、と思っています

コネ悪用なのか

そもそもこのコンペは、一定以上のクオリティを信用されているデザイナーへの指名コンペです。

日本有数のデザイナーであれば、色々な人間との関係性ができるのは当然ではないでしょうか。

コネ悪用された時に問題になるものですが、今回のコンペがコネ悪用したものかどうかについては判断できないと思います

個人的には

個人的には、もう少しトレンドを押さえたデザインが好きだなぁ、と思っていますしかしそれと、ダサいかカッコイイか、良いか悪いか、善か悪かといったことは無関係です。

個人としてはそこまで好きになれなくても、表面的な華やかさを控えて理念としての重要性を選択したということは驚きでしたし、思い切った決断だと思っています

ところで、オリンピックエンブレムはどれほど重要なのでしょうか。

私はもう北京オリンピックロゴを思い出せません。

東京オリンピック世界に向けて恥ずかしくない誇れるものにするために、私たちは何を大切にしなければいけないのか選ばなくてはいけません。

インターネットのお陰でどこまでも検索することが可能になり、どんな事象でもどこまでも批判できるようになりました。

無限選択肢のある世界で、どれだけ冷静に選択できるかがこれからインターネット課題だと個人的には思っています

なんだか自己陶酔的な文章になってしまいました。気持ち悪くてすみませんありがとうございました。

2015-08-22

http://anond.hatelabo.jp/20150821111821

社会人経験していない学生はやっぱり甘いなあと。

デザインと言っても結局は出来あがりの良し悪しが全て。

佐野という名前とかブランドはどうでもいいし、パクリ疑惑とかも法的に適当にやってくれと。

そもそも、TokyoのTに読めない。

左下のエレメントはなんだ?どうしてそれつけた?日本中???が渦巻くデザインなわけ。

1964年エンブレムインスパイアされてるとも到底思えない。

力強さ?ああ、元ネタと比べたら比較的、力強くはなってる。元ネタのほうは劇場なんだからそりゃそうだわな。

一般人の「デザインの力とそこから受ける印象」を舐めてると思う。

2015-08-21

多摩美統合デザイン学科の学生として思うこと

佐野研二郎盗作疑惑について(学生個人の意見です/2015年8月23日時点)。

彼はご存知の通り多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業し、現在アートディレクターをやりながら多摩美術大学統合デザイン学科の教授も務めています

実際には、まだこの学科自体設立から2年目で、佐野教授自身講義を行うことは今までにほとんどありませんでした(というか、私はまだ彼の講義を一回しか受けていません)

統合デザイン学

統合デザイン学科は、多摩美の本キャンパスとは別の上野毛キャンパス世田谷区)にあります

学科長はプロダクトデザイナー深澤直人教授で、そのほかに、ウェブデザイナーインターフェイスデザイナー中村勇吾教授HAKUHODO DESIGNの永井一史教授、そしてアートディレクター佐野研二郎教授の4人と統合デザイン学専任講師先生構成されています

現状、学校によくいらっしゃるのは深澤直人教授統合デザイン論)と中村勇吾教授メディア技術概論)で、あとのお二人は統合デザイン論に前期で一度講義をしたぐらいです。3,4年から講義が「プロジェクト」という形態に変わり、そこで教授別にクラスが再度編成され、たぶんそこからお二人もがっつり学校にいらっしゃるようになるはず。

世間的に言えば「つぶしのきく」学科だと思われがちなのですが、実際には「デザインベーシック」つまりデザインの基礎を最初の2年間で徹底的に教わり、そのベースを生かして次の2年間で社会的ローンチできるプロジェクトデザインを学んでいきます。具体的には現在グラフィックプロダクト・インターフェイス描写などの必修と、そのほか選択を受けています教授の顔ぶれをみてわかる通り、細分化されたデザインあらためて"統合"することで、「これからデザイン」に特化した人材を育成する学科です。現在デザインのものが非常に広い意味をもつようになり、そんな時代において「グラフィック」や「プロダクト」などに特化しているだけでなく広い知識と経験を持った人材必要とされています一見デザインとは直接関係のないようなこと(たとえば佐々木正人さんによる『アフォーダンス』の講義)や、表面的なグラフィックの造形技法からCADを利用した立体物、Webやメディアアート作品などに応用されるプログラミングなどいろいろな技術を学ぶことと同時に、それに付随する感覚みたいなもの学習しているように感じます。実際、そういった感覚みたいなぼわっとしたもの現場で役立つこともあり、領域の垣根を越えることでみえてくることや繋がることもたくさんあります

武蔵美の基礎デザインとどう違うのか、と聞かれることがあるのですが、基礎デとは根本的に近いはずです。学科長は原研哉さんで、そもそも深澤教授は基礎デザイン学科の教授だった)

(とにかくやることが多いので、課題の量は半端ないです。たまに自分がなにやってるのかわからなくなります。あと先生たちもまだどのくらいの量の課題を出したら学生達の生存に関わるのかをよくわかってないっぽい。勘弁して欲しい。)

先ほども言った通り、まだ学科が生まれから2年しか経っていないので、3,4年を経験した学生はいませんし、卒業生もいません。だから就職先のデータもなく、倍率はそこまで高くないのですが、統合デザイン学科特有のコンセプトに魅力を感じて、たとえば多摩グラ受かったのに蹴ってこっちに入学したり、試験内容が東京藝大のデザイン学科に似ているところがあるので(平面構成)そこを目指す人たちが受けたりすることもあるみたいです。

〜〜

ざっと学科についてはこんな感じです。詳しくは学科サイトをみたり、各教授のNHKプロフェッショナルとか本をみたりしてみてください。デザインに興味のない人でも、おもしろいと感じる点はきっとあると思います

さて、たぶんこれを読んでるみなさんが一番興味があるのは佐野研二郎さんについてだと思うので彼の話題に。

オリンピックエンブレムについて

 関係ない話ですがエンブレム発表の前日に佐野教授現場の手伝いに行った視デの友人曰く、めちゃくちゃ笑顔だったようです。彼自身亀倉雄策さんのオリンピックエンブレムがかなり好きで、それを(いい意味で)引用して新しいエンブレムを作り出し、それが選考で選ばれたんだから、嬉しくない理由がわかりません。

 最初自分があのエンブレムをみたとき直感的にかっこいいと思いました。シックで、いままでのオリンピックエンブレムとは一線を画すような新しいデザイン、新しい東京イメージを担ってくれるような力強いものに感じました。そしてそれと同時に、あ、きっとこれ佐野さんのデザインだ!と思いました。たぶんそう思った要因の一つに、中央の「黒」の棒の部分があります。完全な黒ではありませんが、こういったエンブレムで無彩色の黒を使うのは一般的にはわりと暴力的結構批判もきそうだなと思ったのですが、そもそも佐野教授自身黒色を多く用いることで有名なので納得がいきます。たとえば、「統合デザイン学科」のロゴやその周辺のデザインはすべて白と黒形成され、学科の、現状では異端であるもののそれがこれからベーシックになっていくはず、という考えや、力強い勢いを感じられ、学科学生の多くはこのデザインを気に入っています。他にも東京国際映画祭ロゴをはじめ黒を多用したものは多く、今回のエンブレムに関して喪章だなんだと言われていますが、まあそういうネガティブイメージで彼がデザインしたということはないかと思います

 造形的にベルギーデザイナーエンブレムと似ているということで炎上していますが、擁護派の皆さんが言っている通り、ああいった幾何学図形を利用したロゴマークである限り、なにか他のデザインと似てしまうのはしょうがないことです。というか、そもそもロゴの本とかをみると似ているもので種類分けされているぐらいです。造形的に似ているからといって、そのなかにあるコンセプトは異なります。造形的な点のみで「パクリ」だと決めつけてしまうのは、あまりにも強引なのではないでしょうか。今回のエンブレムは、エンブレムとしてのオリジナリティよりもその拡張性や普遍性を追求した、シンプルで力強いものだと感じています

 さらに、ベルギーデザイナーはそのロゴ商標登録していないとのことです。となると、エンブレム側にまったく問題がないと言っても大丈夫なのではないでしょうか。

 記者会見佐野教授感情的だったという話がありますが、もともと彼は自分自身でも「おれはキレキャラだ」とおっしゃっていたり、講義中に実際にキレてくれたりするので、まあ無理はないかなと思います。余談ですが彼は最近藤子・F・不二雄関係仕事が多く(映画TOYOTA広告成功から)、ドラえもんミュージアムにあるレストラン新聞広告用の写真を撮りに行った際「ジャイ子の“ハット”シュッドビーフ」がもう販売中止ということを聞いて、レストランの方に無理を言ってその場で作ってもらい、その写真新聞広告に載せメニューを復活させたという逸話があります。好きなものに対してのオシは誰よりも強く、普段から感情的にはなりやすいような人なのだと思いますhttp://fujiko-museum.com/blog/?p=18605/

 このエンブレムに唯一問題があるとすれば、なんとなく「高揚感」が感じられないところです。ただ、それは佐野教授問題があるのではなく、それはこのデザインをたくさんの候補の中から選んだ選考委員問題があるのです。他に、もっとオリンピックらしさ」があって、高揚感の感じられるデザイン案なんていくらでもあったはずです。

 その選考一般的選考会の方式をとっているのであれば、いまいわれている佐野さんのデザインから特別に選んだということ憶測もありえないのではないでしょうか。基本的選考名前を伏せるはずだし、原研哉さんや葛西薫さんをはじめ他にも応募した有名デザイナーはたくさんいらっしゃいます(応募基準も厳しい http://www.fashionsnap.com/news/2014-09-19/olympic-tokyo-emblem/)。

トートバックについて

 これについては、一人のデザイナーとしても、いち仕事人としてもありえない行為だと私は思います。まったく擁護できません。佐野教授下の人がやったとしても、「佐野研二郎デザイン」と書いてしまたからにはそれなりに彼にも大きな責任が生じるし、そもそも画像からまるごとトレース(というよりコピペ)するのはまさに「パクリ」で間違いないと思います。いかに制作環境が劣悪だったかがわかります一般的デザイナーであれば、なにかをトレースする際、そういう素材の揃ったサイトに月額とかでお金を払って利用したりしていることがほとんどかと。こんなやっつけ仕事お金がもらえるなんて、純粋に「いいなー」と思いました。バレてよかったですね(今後のMR_DESIGNのためにも)。

デザイン業界は"腐っている"?

 ネット上では佐野教授周辺の関係図みたいなもの話題となっています審査委員が同じだとか、広告代理店が牛耳っているだとか、いろんな話があります。つまりデザイン業界は身内のなかで行われているということです。残念ながら、それは確かにあると思います業界内で評価するシステムというのは確かにあるし、長嶋りかこは彼の直属の後輩です。

 自分の話になりますが、私は実はまったくデザイナーになりたいと思っていませんでした。多摩美の、統合デザインに入りたいと思ったのは、まさにそのコンセプトに魅力を感じたからです。深澤教授のおっしゃっていた「いいものを触った時、『これがほしかったんだよね』と人は言う。本当に欲しい物のかたちは、すでに決まっている。」この言葉が、デザインのみならず広い意味で今後の「デザイン」に応用できると思ったのです。だからいまでもグラフィックプロダクトをやりつつもそれが最終地点ではなく、デザインという思想や考え方をあらゆる事柄に応用していきたいと考えています。そういうことを学ぶには、ぴったりな学科です。そして受験勉強をするために、予備校に通い始めました。そこの授業ではあらゆる有名デザイナー作品が取りあえげられるのですが、その中にはどうしても理解できないものもありとても悩んだこともありました。もしかしたら、そういったものなかに現在問題視されているような業界評価システムの土壌でうまれものもあるのかもしれません。

 一般人に受け入れられにくいデザインは、果たして優れたデザインと言えるのでしょうか。なにをもって、ただのデザインは優れたデザインになりうるのでしょうか。その答えはまだ私にはわかりません。

そのほかのデザインについて

 いま、どんどん新しい「パクリ疑惑」のデザインネットユーザーによって見つけられてきていますが、デザインの歴史が深くなり文脈形成されていくと、そこには明らかな引用模倣も増えていきます。それはどんな文化でも同じで、音楽なんかもそうです。デザインスタイルであり、継承されていくものなのです。だから、造形的な面でなんでもかんでも「パクリ」と決めつけられてしまうと、デザインの歴史が続いていくことそれ自体否定することと同じになってしまます。なにかから影響を受け、文脈形成されていくことを「パクリ」の一言否定しないでください。

 今回の件で佐野教授問題があったことも明確になりましたが、一方で、彼の講義を受けていたからかもしれませんが、とてもじゃないけどオリンピックエンブレムにおいて彼は雑な仕事をするとは思えません。

亀倉雄策仕事で一番好きなのは1964年東京オリンピックエンブレムだ。シンプルで力強く、唯一無二のデザイン。いつの日かこのようなシンプル骨太仕事がしてみてみたい、と思うようになった。ニッポンを、世界を、あっといわせる仕事。一生に一度でいいからそういうデザインをしてみたい。シンプルであること。明快であること。太くあること。Simple. Clear. Bold. ある日から僕のデザインの指針となった。デザインとはなんだ。デザインにはなにができる。そういう自問自答を繰り返した。(中略)目の前の画面は世界に確実につながっている。デザインシンプルで深い。考え、それを超えるべく手を動かし、また考え、また手を動かす。邪念はいらない。デザイン思想だ。簡単に。深く。明快に。太く。でも簡単に。ストレスはある。でもいつも朗らかである。そういうデザイナーでありたい。デザインの道はまだまだ続くのだ。負けない。僕には亀がついている。亀はゆっくり、確実にやってくる。

佐野研二郎

 エンブレム問題トートバックの問題根本的にまったく異なるものです。そこを一緒にしてしまうことが、今後のデザインを殺すことにつながりかねません。

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(追記1) より主観的意見です

エンブレムについて、おそらく審査員も彼の作品だと見ただけで分かる人もいたかと。黒を使用したこと、そしてあのTOKYO 2020のフォント。あれは東京国際映画祭ロゴでもおそらく使用していましたし、彼のデザインだと一目でわかる点でもあります。正直、あのフォント幾何学図形を用いたあのデザインにとって最も理想的フォントであったとは思いません。

学生じゃないだろみたいな意見をみて「いや学生ですけど・・・」と匿名なりに思ったりしたしそれを証明できないのもなかなか悔しいのですが、多摩美術大学統合デザイン学科の学生です。「業界の端っこにいるみたいな気分になってる時点でこの界隈の闇を感じた」美大って、セミプロみたいな人が集まるんだと思います。それは、一般大学とは別の特殊試験内容が課せられるからで、それをクリアするために誰しもある程度のレベルの状態で入学してきます。そういった意味で、業界の端っこみたいな感覚私自身拭えない点です。生意気だと思われてしまったら、申し訳ないですが・・・

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(追記2)

ベルギー側が商標登録していないためエンブレム盗用疑惑について私は「まったく」問題がないと書きました。著作権がある、ということだけでエンブレムとの類似性を訴えられるのであれば、本当にどんなデザインでも訴えられてしまます商標というシステムは、そういう意味でも機能している。ただ、自分自身勉強不足でもあるのでもっと調べてみますhttp://ipfbiz.com/archives/olympiclogo.html たださっき調べたら、東京オリンピックエンブレムもまだ商標登録が済んでいないとのことで・・・w

佐野教授への評価は、私自身、下がりました。学生とき評価とかなにを偉そうにと言われるかもしれませんが。こんな仕事をするひとにはなりたくないな、と純粋に思いました。トートバックのような小さな仕事でも、しっかりと制作しなければ、大きな仕事、つまりオリンピックエンブレムのような仕事ダメになるというか、結局ものをつくるとき姿勢ってそのひとの評価デザインにもちゃんと反映されるんですね。この一件はデザイナー関係者、それを学ぶ学生、もしくはいままでデザインの外部にいたとされていた人たちにとって、デザインとはなんなのか、パクリ模倣とはなんなのか、そういったことを知り考えるきっかけとしては良い機会になったと思うのです。だからこそ、そこで歪んだ考え方や間違った見解が社会に浸透していくことは、できるだけあってはならないことだと思います。なにが正しくて、なにが間違っているのかすらよくわからない時代ではありますが。

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(追記3)

多摩美情デに関する批判は完全に話題から脱線している内容であり、改めて読んでも全く的を得ていないものです。訂正しお詫びします。大変申し訳ありませんでした。

・ご指摘の通り「在日」や「売国」などに関しては一部のネットユーザー根拠のない事実拡散しているだけだと認識しています。この一件を複雑化させるだけだと感じたので訂正しました。

2015-08-15

http://anond.hatelabo.jp/20150815100820

1964年三丁目の夕日世界への郷愁だったり「昔はよかった」的に「亀倉エンブレム」は良かったと言いたい人がいるのは分かるけどな

そういう人しかいないと思ってたけど(あと日本すごいと言いたいだけのネトウヨ

あれが純粋デザインとして圧倒的に優れている、なんて主張する人もいるのか。

ほんとどこが?と言う感じ。むしろ今の感覚だとダサいと思うんだけどあれ。

今「日本的もの」をデザインするとして、日の丸デーンなんて誰もやらないよね。

つーか日本国自体ダサいと思うんだわ。政治云々抜きでね。白地に赤丸ってのが壊滅的にダサい

亀倉雄策デザインも身内褒めとしか思えない

http://anond.hatelabo.jp/20150814172406

前作の亀倉雄策デザインが圧倒的

東京五輪話題マスメディアでもネットでも必ず「前の大会エンブレムは最高だった」って一言が登場するのだけど、いやそこまで褒め称えるようなデザインじゃないっしょ。

単に日の丸デーンとアピールするだけのデザインシンプルでいいけど国旗描いただけじゃん。他の大会のほうが良いのたくさんあるよ

感性問題でもあるから「最高だった」「圧倒的だった」って人がいてもいいけど、今や「最高」「圧倒的」と必ず言わなきゃいけないメディアの状況は身内褒めとしか思えない

1964年三丁目の夕日世界への郷愁だったり「昔はよかった」的に「亀倉エンブレム」は良かったと言いたい人がいるのは分かるけどな

2015-08-05

東京五輪エンブレム問題についてのよくある質問への回答


Q.「T」がかぶるのは分かるけど「L」に見える右下配置の△は何なん?

A.デザイナー佐野氏は、ベルギー劇場ロゴが表す「TとL」ではなく「Tと円」をモチーフデザインしたと発表してます。Tの背後に巨大な円のシルエットを表すために右下に銀色の△が必要となりました。この巨大な円は1964年東京五輪エンブレムあやかったものです。

Q.会見で「A」~「Z」まであると発表してたけど、ますます「T」の右下がおかしくない?

A.会見で公表された「A」~「Z」のデザインは、あくまエンブレム拡張性を示したものであり、最初に「Tと円」のエンブレムありきのものなので何もおかしくないです。この拡張性は最初からデザインの一貫として含まれていたので、今回公表された「A」~「Z」や数字デザイン盗作疑惑以後に後出し作成されたものでもありません。

Q.「Tと円」がモチーフだとしても「TとL」のベルギー劇場とやっぱりかぶってるしオリジナリティ何もないんじゃない?

A.今回のエンブレムオリジナリティは、単に見た目だけではなく、エンブレムを分解して「A」~「Z」としても使えるといったデザイン拡張性にあります。この展開の分かりやすさが評価されるところです。一方ベルギー劇場ロゴはそれができません。

2015-08-02

ブルマー栄枯盛衰に関するWikipediaの項目が充実しすぎていた

女性解放運動象徴であり窮屈な衣服しかなかった時代画期的運動着だった『ブルマー』が、後に「ブルセラ」として性消費の象徴になったことからも、「これはこれでアリ」順応力の高さを舐めちゃだめ

マジで!?

マジだ!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC

19世紀中頃、コルセットで腹を締めるような当時の下着に反発した女性解放運動家によって、自由度が高くゆとりのある下着として考案された。これは旧弊な拘束型衣服から女性衣服の転換という革新的ものであった。

ショーツ型ブルマーオリンピック最初採用した国は旧ソビエト連邦

大国化と近代化を目指していた戦前日本で、ブルマーが普及するまでは教育現場学校体操時に女性が着用した運動着は従来からもんぺぐらいであったため、新しいウェアは非常に斬新に映り、全国の学校の標準運動着として採用された。


ずり落ちたり引きつったりせず軽量で、動きに対しても体に密着したショーツ型のブルマーが、オリンピックや国際競技の場で公式に使用されたことで、女子体操服の代名詞としてブルマー認識が広まり小学校中学校高校日本人学校などで、指定体操着として採用されるようになった。


化学繊維ニット素材の発達により、ブルマーは臀部にぴったりフィットしたショーツ型へと進化した。このタイプブルマー日本で普及していくのは、1964年東京オリンピック以降の1960年代後半からである


ブルマーは下着のショーツに対し、概ね以下の相違点がみられる。素材はナイロンポリエステル等の厚地で伸縮性がある。色が濃紺やえんじ色等の濃い色調の色が用いられる。腰のゴムが太く、裾にゴムが入っている。内側にショーツを穿いた上から重ねて穿く。クロッチ必要ないため、二枚布を股間で縫製する。股上が下着に比べて深い。

スポーティーで格好いいと好意的に受け止められる向きがあった反面、性的羞恥心が強くなる思春期女子にとっては潜在的な抵抗感もあったという。軽量で動きに対する追従性が良く、各種スポーツに好適であった。しかし、初経を挟む前後1年からヒップが大きくなり始めて、初経の1年後以降になるとヒップから殿溝にかけてボリュームが生じ、ブルマーの裾からヒップ露出したり、ヒップ露出しなくても臀部のラインが目立ったり、女子生徒・児童向けのジュニアショーツがフルバックタイプで、ブルマーの裾からショーツが露出するいわゆる「ハミパン」が生じやすいという問題もあった。そして、座るさらには座って開脚する際、下半身で股間周辺以外の部分が露出される問題もあった


1993年広島県井口高校東京都立F中学校体育祭ビデオ市場に隆注していることが判明する。1990年代に入ると、それまでは一部のマニアのものであったブルセラ趣味商業的に展開され、女子生徒から着用済みのブルマーセーラー服などを買取り販売するブルセラショップ誕生した。ブルマー性的好奇心対象として一般に認知されるようになると、運動会などの学校行事においてブルマー姿の女子生徒を盗撮したり、校舎に侵入してブルマー窃盗をはたらいて逮捕されるといった事件が、社会問題として取り上げられるようになっていった。


ジェンダーフリー教育論者の中からは、通常体育の授業時は男女別服装である合理的理由はなく、男女平等教育観点に照らして男子女子とも同じ運動着を着るべきであると主張する人々も現れた。


公立校2004年私立校でも2005年最後に、女子体操着としてブルマー指定する学校日本から消滅した。2000年代後半あたりまで9割以上が生産を打ち切っており、現在店頭をはじめネット通販でさえ入手困難な状態となっている。しかオーバーパンツ(見せパン)としての用途や保温性の高さにより、現在でも生産され、利用されている

https://www.youtube.com/watch?v=f2JiJ3OXWOw

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