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2019-05-07

なろうの乙女ゲーム設定の悪役令嬢に思うこと

乙女ゲームの悪役令嬢設定ものアニメが近いみたいだけど、放送されたらやっぱり乙女ゲームへの偏見が強くなるんだろうなあ。

https://togetter.com/li/1309696

https://togetter.com/li/1345695

http://gakyusoku.blog.jp/archives/30575498.html

ここら辺読んでもアニメとして放送されることでやっぱり乙女ゲームにはテンプレとして断罪される悪役令嬢がいるってレッテルが貼られるんだろうなあ。乙女ゲームを高尚なものであると主張したいわけじゃないけど、その頃私産まれてないけどオタク=犯罪者イメージにされそうで嫌だなと思う。

そもそも私は全ての乙女ゲームクリアしてないし、アニメしたことで数作プレイしたタイプの超絶ライト層なんだけど、「悪役の令嬢」ポジのいるゲームに当たったことがないんだよね。例えば何度もアニメ化されて世間知名度も高そうなうたプリも途中(リピート〜先輩方を攻略できるオールスター)までしかやってないけど、親友の女キャラはいても純粋な悪役はいなかったと記憶している。学園の規則としての恋愛禁止や家の事情といったものに対し、攻略対象キャラ主人公がどう対処するかがそのルートを盛り上げる鍵になると当時思ったな。

キャラかつ悪役で個人的に忘れられないのが、某吸血鬼乙女ゲーム三つ子母親かな。うたプリでも家庭事情によるものとして親が壁となることはあれど、彼女は本当にヒロインにとっての悪役だった。それでも親であり同世代じゃない。

他にプレイ経験のある乙女ゲームだとときメモGSの1、2とかに攻略対象者によっては恋のライバルとなる女キャラ(プレイヤーが勝つと女キャラとの友情が壊れる)もいた。彼女達は特定の男キャラが好きであるとそれぞれ設定してあって、その特定の男キャラ攻略しようとしない限り親友として卒業するエンドもある。ストーリースパイスたるライバルとしてのキャラはいても、最終的には仲良くなったりとなろうテンプレ破滅状態(国外追放処刑とか)って知らない。某作画やばいクソアニメ原作ルートに出てくる攻略対象キャラ元カノとか上記の棘の中で悪役令嬢かもしれないと挙げられてるけど、あのルートクリアして過去のしがらみから解放として結果的キャラから離れていったと思った。あと別に令嬢じゃないし、離れたことで破滅から解放されたし。

なろうテンプレ乙女ゲームの悪役令嬢だと基本的にメインヒーロー婚約者であり、ルートによっては様々な結末を迎えるとされている。またそのキャラクターが悪役となるストーリーは必ずしもメインヒーロールートという訳ではない。複数人いる攻略対象者のどのルートでも悪役令嬢である位置づけられているキャラクターも多い。

正直これまでプレイしたゲームの中で元から恋人婚約者がいるにも関わらず攻略対象者に登場時から位置づけられたキャラというのを個人的には知らない。登場時に彼女がいるけど、追加攻略対象となったキャラクターは数少ない所持している乙女ゲームの中には存在はする。けれど主人公結果的に掠奪するというのに対しどうしても嫌悪感を覚え、ずっとプレイできていない。ネット感想を漁っても、いいカップル(長年交際の上関係良好かつ男キャラ退職した際も支えたなど作中で言われている)を主体的に壊すことへの忌避感は感じた。

個人的には掠奪は道徳的に許されないことであると考える。だからこそ掠奪は批難されるし、作中では瑕疵のない限り悪役が行う行為であるDVを受けている人妻を夫から掠奪するというのは批難に値しないと考える人でも、何の瑕疵もない夫から妻を掠奪することは批判するのではないだろうか。だからこそ乙女ゲームというジャンルにおいては、現在進行形恋人・妻がいるキャラ攻略対象になり得ないと考えるユーザーが多いのではないだろうか。なろう悪役令嬢は婚約者だが、「双方合意の上で円満婚約を破棄したい」と考える婚約者設定のキャラ乙女ゲームにも存在する。うたプリファンディスクではとあるキャラ婚約者がいるけれど、そうした婚約破棄に好意的だった。故に掠奪にはならなかった。

一方のなろう悪役令嬢もの主人公世間的にも瑕疵がなくとも突然婚約破棄を告げられるというもの、悪行を押し付けられて婚約破棄に至るものなど様々だ。これではただ単なる掠奪である乙女ゲームとして、ヒロインが愛されなくなってしまう。一番最初うたプリストーリーではヒロインが冒頭でただ痴漢をされるのに何もできないだったかプレイヤーにとって受け入れづらさがあった。その後復刻版として出たリピートではその要素は確かなくなっている。乙女ゲームにおいて攻略対象者が魅力的であるのは当然のこと、ヒロインにも魅力がなければストーリーとして面白さが出ない。乙女ゲームヒロイン=天然はわわ女子というイメージがある人は乙女ゲームプレイの中にはいると思う。それでもアニメ化するほど人気の出た作品ヒロインにも魅力があるのだ。なろうテンプレ乙女ゲーム有象無象アニメ化など程遠い乙女ゲーム位置づけているとしても、主人公(悪役令嬢)に知識がある以上少なからコンテンツとして面白ものだった筈だ。声優イラストで釣った糞ゲーという設定にしても、ストーリーを覚えられるのだ。少なからヒロイン感情は揺れ動いただろう。攻略対象者の暴走としても主人公に掠奪をさせるように制作側はストーリーを練っていないだろう。いくら攻略対象者の魅力で補おうとしても、ヒロイン(フィルター)が糞であれば攻略対象者の魅力などわかりようがない。

からこそ婚約→(場合によっては無実の罪で)婚約破棄→破滅というなろうテンプレ乙女ゲームはともかく、「よくあるテンプレ乙女ゲームです」「作者は乙女ゲームしたことがありません」という言葉免罪符に使うのは個人的には好きではない。原作アニメなどといった原点を知らずに二次創作することと同じように思ってしまう。本当に好きなもの勝手に雑なラベリングをされて、貶される経験のある方なら多少は理解してもらえるだろうか。

なろうテンプレ悪役令嬢は概要だけだと只の嫌われ夢という意見を見て、個人的には目から鱗だった。嫌われ夢を好まず、悪役令嬢ものを好む人がいたとすれば、そっちだって勝手ラベリングしていると言われるかもしれない。世にある全ての乙女ゲームを全クリするより、悪役令嬢もの小説を読む方が金銭負担も含めた労力は少ないだろう。だから強く主張はできない。悪役だからって救われてはならない道理はないとの理念に基づいたアナ雪が大ヒットした以上、現代社会では一般的感情なのだろう。

よく知らない分野では、本当のことよりも世間イメージに基づいたイメージになる経験はあるだろう。なろうテンプレ乙女ゲーム悪役令嬢を好む人にとっての実際の乙女ゲームへの関心度は高くなく、なろうテンプレとしても渦巻く謎の概念としての乙女ゲームへのイメージによるものしかないのかもしれない。なろう=俺TUEEE、強くてニューゲームといったなろう小説への偏見は実情と違わず偏在することからしてもたぶんどうにもならないことなのかもしれない。なろう系と称されるストーリーはあれど、概念であってそのなろう系テンプレしかないストーリーはないだろう。おそらく。

から長々と書いたけれどこれは乙女ゲームが単なるテンプレとされ食い荒らされていくことへの個人的な嘆きなのです。ボルテージさんとか一応スマホ用の無料乙女ゲームはあるので、そこら辺からでもほんのちょっとプレイを考えてもらいたいななんて思うのでした。個人的にはボルテージさんみたいな完全スマホ発のだとcmみたり、課金したりしてコーディネートをなんとかしないとか一気に読めないのは怠いとせっかちな人は思ってしまうかもしれないので、そういう人はコンシューマの方がおススメかもしれない。人気あってちゃんストーリー面白いのだとアニメ化もしてるので、そういうところから乙女ゲームというジャンルに目を向けてくれると嬉しいなあ。

悪役令嬢ものアニメ化して、たぶん地上波放映されるのなら乙女ゲームへのイメージが悪役令嬢ものテンプレで固まってしまって、これ以上どうしようもなくなってしまう。誰も傷つけない創作物不可能なように、乙女ゲームテンプレちょっともやっとするかなりマイノリティ戯言だけど、斜陽産業たる乙女ゲーム勝手に踏み荒らされたくないなあなんて思うのでした。マイネリーベかいう悪役令嬢が登場する乙女ゲーム存在は当時一桁だし知らなかったけど、その一例だけで悪役令嬢が乙女ゲーム概念になるのは悲しいな。

2019-05-06

エンドゲームブラックウィドウのさ【ネタバレあり】

エンドゲームの話をさせてくれ。

今日からネタバレ解禁って公式に言われてるけど、まだの人は読まないでほしい。

なるべくネタバレしないように直接的な単語やシーンの詳細は極力出さないように頑張る。

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以下ネタバレあり

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エンドゲーム良かった。

で、エンドゲーム良かったなとインターネットを眺めてたら、

ブラックウィドウホークアイの例のシーンは、あまりに前時代的なんじゃないか」という意見をちらほら見かけた。

男性物語のために女性搾取されたのではという、いわゆるフェミニズムの人の発言だ。

前置きしておくけど、感情的だったり盲目的じゃない。あくまでそう受け取ってしまい悲しい、というような語り口だった。

しか一見するとそういう様式ではある。

でも、あれを今までの男尊女卑文脈からまれものと読むのはひどい誤読なんじゃないか

これまで、そして本作において、ブラックウィドウホークアイ関係は、友情相棒のそれとして語られてきた。

今作でも二人は対等に友人であり仲間だった。それは観たみんながそう感じてたと思う。

そして、ブラックウィドウは今までの流れの中で、自分の居場所を見つけ、そして奪われ、自分に何ができるか考えてきた人物だ。

それは今作の序盤、キャプテンアメリカのとの会話シーンからも読み取れる。

彼女はすでに、自分が何をすべきか覚悟ができていたように思う。

一方ホークアイは、自分家族を奪われ、それに絶望した人物だった。

ホークアイ自分家族に強い未練があって、それはテストトラベルのシーンで十二分に描かれている。

そうして自暴自棄になった彼が何をしていたか作品内で語られる通りだ。

二人が違うのは、家族場所と、覚悟だった。

もちろんホークアイも仲間以上のものアベンジャーズに感じてたと思うが、ブラックウィドウにとっては、アベンジャーズこそが家族だった。

どちらも家族を取り戻したかったが、彼女ヒーローとして、長い間考え、覚悟を重ねてきたのだ。

その想いの強さこそが、彼女があそこで発揮した力の源だろう。

それに……ブラックウィドウは、ホークアイのことも家族だと思っていたし、彼の家族のことも愛していた。

あの場において、目の前の人間のことを100%思っていたブラックウィドウと、その場にいない家族についての迷いを残していたホークアイ、どちらが勝つかは明白ではないだろうか。

対等な人間同士の戦いに、意志の力と想いの強さで勝利した彼女物語は、果たして時代なのだろうか?

あそこで勝敗を変えてしまったら、それこそ物語のために彼女搾取することになってしまったんじゃないだろうか。

これを「女性男性物語のために犠牲になった」とみるのは、性別の枠に人としての行動を押し込めてしまうことに他ならないのではないか

ブラックウィドウ能力だけではなく人として、とても強い人物だった。

性別関係なく、人としてブラックウィドウ物語が描かれきったことに感謝しているし、こうやって一人の人物として女性が描かれる世界になってほしいと願う。

「僕は、勇者を守る仲間になる」の感覚が分かってきたんだよ

遠い昔になんかのエロゲでずっと納得行かなかったオチがさ、最近ようやくしっくりしてきたんだよ。

なんだろうな、誰かが勇者をやるなら俺も仲間になりてえよな。って。

俺が勇者やる必要ないし、魔王になる必要もないんじゃねーかなって。

別に勇者になるのを諦めたとかじゃなくてさ、誰かが既にやろうとしてるのに自分が押しのけてまでやる必要ないし、対抗する必要もねえかなって。

立場を分割して勇者Aと勇者Bになるとかじゃなくて、勇者と仲間でいいなって。

あー違うなちょっと違う。

俺はさ、「こいつが勇者になるなら俺はこいつの仲間になりたい」って思えるような誰かに会いたいんだよな。

そんな奴がいるなら仲間になってもいいかなーじゃなくて、仲間にならせてくれ俺の前に現れてくれって状態なんだよな。

なんつーのかなあ。

それぐらい信じられる相手出会えたら幸せだろうなって思えるんだよなあ。

つうかさあ、結婚とかってもうそういうもんじゃん。

俺がこれから世界を切り開いていくから一緒に旅に出ようぜ。じゃん。

現実という魔王と戦う勇者パーティーじゃん。

子供も含めて勇者と仲間たちじゃん。

しろそうして生まれ子供こそが次世代勇者っつーかさ。

別にDQ5YOUR STORYSに影響されたわけじゃないぜ)

まああれだよ。そいつ勇者になりたいといった時、思わず「仲間になる」といえる相手なら人生の伴侶としてサイコーじゃん。

そういう話だったんだなー。

なんつうかさ、並び立つってのは対等の強さであるだけじゃないっつーあれだよな。

ダイとポップだって完全に対等じゃないけどポップがいなかったら世界は救われてないことを考えるとポップとダイの二人が必要だったんであってダイがポップよりも勇者だとかもう関係ないじゃん勇者パーティーから世界救えたんだからみんなで勇者と仲間たちっていうひとかたまりじゃん。

そういう話なんだよなー。

勇者出会う所から物語は始まるんだよなー。

子供の頃に信じていたヒーロー最後覚醒する話でさー、いうなればピンポンにおけるヒーローなんだよな。

憧れのヒーローより強くなってしまったロボが最後までヒーローを信じ続けて、最後には覚醒したヒーローが美味しいところを掻っ攫う。その横でヒーローに憧れた少年は満足そうにその姿を見守るっつーかともに並び立つっていうかさー。

そうなんだよなー。

なんで「魔王になる」じゃねーんだよと思ってたけどさ、そうじゃねーんだよなあ。

子供の頃に憧れたヒーローが今でも活躍していて、そいつ最後に真のヒーローになる話なんだよな。

感動の展開だよな。

カエルにされたお姫様キスの力で姫騎士として覚醒してエクスカリバーで戦陣を薙ぎ払うような話なんだよなー。

ちょっと違うなー。

子供の頃に憧れていた恋と友情英雄譚の全てが一度に弾ける物語だったんだな。

俺もなりてーなあ勇者の仲間になりてえ。

いっそ村人Aとしてやくそう渡すだけの役目でいいか勇者にひと目あいてえなあ。

いややっぱ仲間になりてえよ。

勇者パーティーに加わるためなら自分限界なんて越えてやるって思えるような勇者に会いてえなあ。

2019-05-05

チャレダン9 5月

攻略したのでメモ

敵は体力と攻撃力が高いけどギミックがないので最初単純に倍率の高い光ヨグで行こうとしたが失敗

敵は2/3が木属性なので火属性メインでいく

ボスが7コンボ吸収なので7x6マスの火イルミナアヌビス

1ターンスキルをサブに1体、他のサブは火イルミナ理想だが火属性悪魔タイプから火光変換を適当に選ぶ

オレはイルミナアリババヒーローニャンにした

アヌビスアシストに火光変換、1ターンキャラにスロウ付きスキル

1体目がきついのでスロウをかけて殴る。変換は2~3使ってよい

2体目は変換かければワンパン。1体目で3回変換使っていれば1ターンスキルのみでひたすら殴る

3体目は自分イルミナとフレンドのイルミナの2ターンで撃破

日本人マーベルヒーローは馴染みないから仕方ないとしてもだ

コナンっていうアニメ映画に夢中になる精神がガキな連中が沢山いることに驚きだよ

2019年アニメ1話ほぼ全部観たか感想書く その2

2019年春アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その1 からの続き )

 

ひとりぼっちの○○生活

 クソザコナメクジ中学生クラスメイト攻略シミュレーション1話にしてタイトル詐欺、というわけでもない。友達100人できるかな原作者は「三ツ星カラーズ」でお馴染みカツヲ。良い最終回だった

 制作C2C。先のアニメはるかなレシーブ」の元請け。ちなみに監督はるかなレシーブ10話の絵コンテ担当した安齋剛文。はるかなはスポ根系だったのでかなり動きのある作品だけど、本作は主人公の表情がよく動く。怒涛の感情変化で魅せるため、敢えて話のテンポゆっくりしているみたい。かわいい演出的には三ツ星よりコミカル表現が多く、この辺もはるかなレシーブっぽいかも。キャラデザは違う人だけど、両作ともキャラ雰囲気も似てる。

 脚本モノローグ定評のある花田十輝1話の半分以上主人公モノローグじゃね。てかOP曲名になってて草。主人公中の人森下千咲)は新人さんで、1話台本を読んでセリフ量の多さにびびった話すき。

 劇伴MONACA高田龍一ハナヤマタ 田中秀和WUG灼熱の卓球娘。つくづく田中美海と縁のあるMONACAである劇伴かわいいテイストはわりと三ツ星カラーズのそれに近いかも(カラーズの劇伴:美知留)。

 主人公クソザコナメクジっていうアニメは去年も結構あったのでそれらと比べると、「スロウスタート」は周囲と比べて主人公の影が薄く、あわあわしてる主人公の手を周りの優しい人達が引いてくれて、徐々に友達の輪が広がっていく話。「ちおちゃんの通学路」はもはやすべて諦めたので教室にたどり着くことすらない。全部まななのせい。登場人物がほぼ全員やべーやつ。「こみっくがーるず」は学校に居場所を見いだせない主人公漫画家寮の中で居場所を見つける話。に対して本作はクソザコナメクジながらも能動的にクラスの子達を一人ずつ頭脳プレイ攻略していくお話。ただし頭のネジが飛んでいるので、必ず視聴者の予想の斜め上を攻めてくる。必ず。

 三ツ星カラーズにもいたけど、頭のネジが飛んでるかわいい子が多い。特に2話から主人公情緒不安定さ、不器用さ、行動原理不明さがマッハで、わりと理詰めで考えがちな私からするともはやミステリー作品であるマジで、なんで縦笛持ってたの?あとなんで体操服に着替えたの・・・?何らかの意味があるはずなんだけど、丸一日考えてもわからなかった。今期最大の謎である

 あとカラーズは毎話、三人組の服装が違うっていうやばいアニメだった(キャラデザ大変だったらしい)のに対し本作はほぼ制服。でもかわいい中学1年生によくある「成長を見越して大きめのサイズになってるせいで全体的にダボッとした制服」をちゃんと絵にしてて好き。特に主人公が小さい。そういう描き方をしてる作品って、最近だと「ヒナまつり」くらいかもしれない。あれいいよね。

 

フルーツバスケット 1st season

 原作者要望によりスタッフ一新原作準拠最後まで製作予定。制作スタジオディーントムス・エンタテインメントに。(本作に限らず)仮にこのアニメ面白かったとして、それは”旧作が面白くなかった、あるいは本作が旧作より優れていることを証明した”ことにはならない、という前提で観てる。1話冒頭の「行ってきます!」だけでもう泣きそう。2話で泣いた。

 1話冒頭の「行ってきまーす!」だけでもう泣きそう。2話で泣いた。1話からノルマ達成。1話シナリオは旧1話とだいたい一緒なので見比べやすい。主人公を中心に徐々に打ち解けていって、あの家がみんなの居場所になっていくお話

 大地丙太郎監督下のアニメ(めいこい面白かった)はコミカル表現を多用し、優れたテンポ感のあるアニメだったのに対して本作はかなりリアリティ寄りに仕上がってて、コミカル表現は少なめ。朝のシーンも夕方のシーンも太陽光が射す角度までちゃん計算しててエモい仕上がりに。特に目を引くキャラデザの違いは原作者意向で今風にリブートされているため。透のキャラデザでいうと、リボンの色が青→黄色に。特に髪型に相当気合が入っている。短めの前髪ぱっつんめっちゃ好き。寝てるときの髪の毛も、三つ編みの書き込みもすごく丁寧で可愛い。あと2話の夾くん初登校シーンで咲ちゃんが透の髪をコテで縦ロールにしてるシーンすき。

 そんな透を演じるのは石見舞菜香彼女は去年の劇場版アニメさよならの朝に約束の花をかざろう」で初主演の新人さん。さよ朝の演技でいうと「一日中仕事を探して周りへとへとになって帰ってきたら、息子が仕事道具を勝手に広げて遊んでたのでついキレちゃったシーン」がめっちゃ好き。本作は日常パートギャグ)~シリアスパート(凄くしんどい)までかなり幅広い展開の話なので、もう楽しみ。あと由希くんが変声期を迎えました(CV.島崎信長)。

 学校のシーンで言えばモブ学生がみんな手書きな上に学校風景を作るための装置として機能してて、旧作との如実な違いに感じた。また遠くのモブ作画が崩れてない気合の入りよう。おまけに背景はPAWORKS作品でお馴染みスタジオ・イースターPA作品以外で見るのは結構珍しい。2話はイースターBamboo。2話は背景が遠くまで見えるような画角が多い(あんまり背景を省略してない)。家の前の階段と、両脇の木々と、遠くに広がる町並みとか。環境音も丁寧に付けられてて、この世界空気を感じる(音響効果古谷友二)。ココらへんに高い熱量を注いでいる作品みたい。要約すると「大人っぽいフルーツバスケット」。

 OPは旧OPと同様リリカルな感じ。やさしいせかい劇伴も非常にエモい音楽横山克)。同氏の劇伴でいうと「亜人ちゃんは語りたい」に近い感じ。作品としては「フルーツバスケットの諸問題がある程度解決した後の世界」=「亜人ちゃん」みたいな感じ?あの音楽がすっげー好きだったので嬉しい。

 

ぼくたちは勉強ができない

 1話あらすじ:ひょんなことから「五等分の花嫁」1話みたいなことが起きました。学校でも屈指の変わり者である女子たちと華の学業生活をするラブコメ

 制作stシルバー。元々エロゲを作っていた会社アニメ制作へと華麗に転身したみたい。話題OP絵コンテ松竹徳幸で、同氏の経歴を遡ってみたら、「はっぴ〜ぶり〜でぃんぐ」っていうアダルトゲームアニメーション演出stシルバーと繋がってたりする(Wikipedia調べ)。

 そのOPだけど、3人のヒロインが持つ個性を指の先まで丁寧に描き分けていてめちゃくちゃすごい。「ああ、この子は繊細な子なんだな」「ああ、この子は快活な子なんだな」っていうのが冒頭の、寝起きの背中を見ただけでわかる感じ。この書き分けは勉強してるとき一瞬映るノートの内容まで踏み込んでいて、文字の癖からノートのとり方まで違うし。一番好きなのが、うるかプールから顔を出してちょっと笑いながら前髪をぎゅってするカット。私が水泳部だった頃の記憶では、たいていの人は帽子とったら髪を前から後ろにかきあげてたんだけど(だって邪魔だし)、うるかが!前髪を!ちょっと気にして!!ぎゅって!!可愛すぎかよ!!!

 制作会社の遍歴的に「エロアニメかな?」って思ってたんだけど案外そうでもなくて、例えば同じ週刊少年ジャンプ連載作品ゆらぎ荘の幽奈さん」と比べてかなり控えめ(もちろんゼロではない)。今期の高校生ラブコメでいうと、なんここ>>淫青ちゃん>ぼく勉。青ちゃん比較すると、青ちゃんが作中マジで勉強出来ないのに対して本作はかなり勉強してる。ドラゴン桜ほどじゃないにしても、2話クレジットに”参考文献:「行きたい大学に行くための勉強法がわかる高校一冊目の参考書」”ってなってるくらいには気合が入ってるみたい。4人がお互いに足を引っ張り合うわけでもなく、好きな彼を陥れようとするわけでもなく、極度に性的ないたずらをするわけでもなく、仲良く勉強してる感じが凄くすき。それに対する主人公リアクションが割とリアルで好き。心の中では阿鼻叫喚だけど顔には出さない感じとか。流石に白銀会長ほどウブじゃないけど。

 監督はみんな大好き岩崎良明シリーズ構成雑破業担当してたり、かなり気合を感じる。去年の岩崎良明監督作品だと「ラストピリオド」がブラックコメディ作品だったけど、あれに恋愛要素を足した感じで結構コメディ寄り。コミカルギャグ演出可愛い面白い。特に停電のくだりが好き。でも恋愛要素はあくまで「青春の1ページ」で、多角的に描かれている思春期の一部っていう感じがある。「亜人ちゃんは語りたい」の町京子みたいな。ちなみに本作のヒロインあんまり悩まずカラッとしてる。そこらへん五等分の花嫁と比べてテンポ感重視な仕上がりみたい(あっちは「最終的に全員と和解できるのか…?」っていう縦軸になっていた。11めっちゃエモかってん)。そのため物語の導入部分もざっくり。振り幅のあるギャグパート青春パート劇伴雰囲気がガラッと変わる感じがすごく良かった。

 アイキャッチかわいいハナヤマタとかこみっくがーるずもそうだけど、漫画の一コマみたいなやつ良いよね。2話のアイキャッチうるかやばかった。本編と関係ないけど、d’アニメストアで配信されている2話のサムネうるかめっちゃ可愛かった。

 

ワンパンマン 第2期

 ヒロイズム群像劇ワンパンマン1期の13話~。ガロウ編。せっかくなので前回の最終回を観てね。見比べる理由として、1期と2期で監督夏目慎吾櫻井親良)、制作スタジオマッドハウスJ.C.STAFF)が違う点がある。夏目慎吾率いるマッドハウスは、先のクールで「ブギーポップは笑わない」を制作していたので多分その関係かと思われ。2期としておきながら配信等で13話…と表記ゆれがあるのは多分このせい。ブギーポップ面白いからね、仕方ないね

 ほんとモブが活き活きしている。作画もそうだし演技もそう。本作における魅力の一つ。そして1話(13話)はみんなのアイドルキングの話。原作ONE)→ジャンプ版(村田雄介)→アニメと見比べると、特にキングキャラクターがどんどん魅力的になっていく。彼は普段表情やセリフ感情が乏しいので、アニメ化によって情報量が増えたことで魅力が倍増した感じがある。実質主人公。そんな1話が最高だった。サイタマキングの、最強と最弱の対比マジで好き。あの二人がゲームしてるシーンが原作の頃からずっと好きなので、アレ見れるの嬉しい。対比で言えば、作中パワーアップするヒーロージェノスとキングくらいしかいない(特にキングインフレやばい)。ガロウもまたハゲマントとの対比として印象的だよね。そういう意味では一貫して群像劇としての面白さを失わない作品。余談だけど、ONE氏による原作更新再開した模様。

 ONE原作アニメモブサイコ」も大概やばかったけど、アレや1期と比べると作画力でぶん殴ってくる感じは控えめになっている。というか1期の作画どうなってんだあれ。1話の鬼サイボーグが戦ってる感じ、エフェクトもりもりでめっちゃかっこよかった。爆風や粉塵作画好き。1期と比べると群像劇としての側面が丁寧に描かれている印象で、特に2話のフブキすき。主人公のやる気ねえ感じとフブキの勝手に鬼気迫ってる感じのギャップでどうしても笑っちゃう

 

世話やきキツネの仙狐さん

 中野日常悪魔の囁き、幸福の形、見る堕落制作動画工房

 あらすじ:小林さんちのメイドラゴンみたいなことが起こりました。押しか同居人との共同生活を描く日常アニメ

 公式ラジオで千孤さんの中の人和氣あず未)が「おばあちゃん感を意識して演技してというディレクションだった」て言っていたけれど、メイドラゴン小林さんが押しか彼女(妹?妻?)に「洗濯っていうのはこうやるんだ、わかった?」と手取り足取り教えてたのに対しこっちの仙子さんは「おかえり、ご飯温めるから着替えちゃいなさい」「忙しいのはわかるけど、ちゃん朝ごはん食べなさい!」みたいな感じで完全に立場が逆。あとメイドラゴンギャグ全振りで本作は癒やし全振り。脚本中村能子だけどラブコメではなさそう。いや、ラブコメかもしれない。

 動画工房最近も割と幼女を扱った作品が多かったけど、その中でもダントツ背徳感がある。なぜに狐=のじゃロリなのか。監督は越田知明。監督を務めるのは続とうらぶに続き2作目。同氏が絵コンテ担当した「アニマエール!」7話がめっちゃ好きなので嬉しい。スーパー1000個さんタイム(以下SSST)を思いついたのは監督だろうか。SSST特に視聴者を癒やし切るまで絶対に返さない」という強い意志を感じる。これ応援上映やってくれねえかなー。キンプリのような破壊力がある。

 夜の駅前めっちゃリアルクレジットを読む限り背景は自前っぽい?「自宅などの狭い個室で話の90%を展開するコメディ作品ばっかり作ってる」でおなじみ動画工房がついに背景も描けるようになっちゃったのだろうか。

 背景に限らず、全体的にリアリティが強め。職場のやり取りとか、終電の駅のホームとか、主人公によるセリフの多くが「ハァ…(疲労困憊)」みたいな感じとか。諏訪部順一の「くたびれたおっさんの演技」めっちゃ良いよね。自室も小林さん家と比べてリアル。そんな「一般的社会人」として感情移入しやすく描かれた主人公の前に仙子さんが現れたもんだから、とてつもない幸福感に襲われる。多分、仙子さんは現代風にリブートされた幸福化身なのだろう。家に帰ると「おかえり」と言われる/何も言わずともご飯を用意してもらえる/しかもおいしい/おかわりもある/「お風呂入りなさーい」「朝ごはん食べなさい!」と諭してくれる(ときに叱ってくれる)/見返りを一切求めないメイドラゴンは「一緒にいたい」という見返りを得ている)etc。要は、かーちゃん或いはおばあちゃんリアリティラインめだからこそ強烈に刺さる。母親が一緒に居てくれた時間より隠れちゃってから経過した時間の方が長くなった身としては特に2話の耳かきヤバい。つい母親を思い出して「それ以上パーソナルスペース踏み込むな!人間に戻れなk・・・あんぎゃあああああああ!」ってなった。

2019-05-02

anond:20190502082818

セワシ問題の解答候補セワシタイムパトロール隊員説」まとめ・その2

https://anond.hatelabo.jp/20190502082818 の続き

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ドラえもんの所有するひみつ道具は「未来デパート商品」などではなく、政府機関軍隊・T・Pなど、公権力だけに製造・所有・使用許可されている非買品であるドラえもんがその所持を許されているのは、前述の通り英雄特権であり、その使用はT・Pによって絶えず監視されている。

そもそも未来デパート」というブランド名おかしい。22世紀の人間にとって、22世紀は「現代なのだから。余談だが韓国には現代グループ資本現代百貨店というのがあるそうだ。

お店で買えるのに「ひみつ道具」とはこれいかに

危険ひみつ道具民間所有、特に個人所有が許されているはずがない。特に時間犯罪可能にするタイムマシン製造・所有・使用が厳しく制限されているはずである

ドラえもんひみつ道具を「注文」をすると、T・Pによる審議を経て許可されたひみつ道具けが未来デパートから配送された」という体裁をとって送られてくるシステムだろう(許可されなかった場合在庫切れとかなんとか口実をつけて購入できない)。ドラえもんも騙されている可能性が高い。この裏舞台こそがひみつ道具「秘密」だろう。

ヒーローマシングラフィックがショボかったのも官制品だからかもしれない

そもそもセワシの家が貧しいなら、いくつもひみつ道具を持っているのはおかしい。

ドラえもん危険ひみつ道具の所有が許されているのは、前述の通り、それが歴史の安定に必要判断された故。

他の未来人がひみつ道具タイムマシンを利用しているような描写もあるが、ドラえもんたちほど無制限には使えないはずだ。

ドラえもんひみつ道具使用についても、T・Pよって24時間監視されており、深刻な影響(少数人命の被害程度は容認)があると判断された場合ひみつ道具強制機能停止か、T・Pによる被害の修復・隠蔽工作が行われているはずだ。秘密裏に。

おそらく、ドラえもんひみつ道具遠隔操作で外部から機能停止できるようなバックドアが設けられており、いざというときはT・Pのオペレータ強制的に機能停止をしているはず(壊れた・電池切れという体裁をとって)。秘密裏に。

コメントでもあったけれど、宇宙の彼方に飛ばされたバイバインまんじゅうは、タイムパトロールが密かに回収し、解除薬剤のようなものを使って無害化しているはず。秘密裏に。

時間犯罪者達の持つひみつ道具やそれに準ずるメカ違法開発・違法改造したものだろう。

気になるのは「ドラビアンナイト」で船乗りシンドバッドが助けたというタイムトラベラーだ。彼はただの旅行者ではなく、任務中に遭難したT・P隊員か政府職員、あるいは時間犯罪である可能性が高い。

もし彼がT・P隊員だったとすれば、彼がシンドバッドに多くのひみつ道具相当の"王様コレクション"を与えたのは単なる謝礼ではなく、シンドバッドもまたドラえもんのび太と同じく、歴史の安定に必要な因子と判断され、利用されているのだろう。

そうなると、絵本世界に入ったはずのしずかちゃんが、現実世界バグダードに現れたのも、怪奇現象ではなくT・Pの差し金と考えられる。四人はしずかちゃんという餌に釣られて、まんまと呼び寄せられたということになる。

その目的シンドバッド保護とアブジルの打倒。アブジルはいわゆる時間犯罪者ではないが、歴史の安定にとって危険存在なのだろう。歴代ヴィランの中でも、アブジルはずる賢く直接戦闘にも優れた強敵と評判である。倒されなければ歴史を揺るがすとんでもない事件を起こしていたのかもしれない。

地球破壊爆弾」はさすがにジョークグッズの類だろう。

追記 islecape様の情報より。なんと、ドラえもんは「気象庁専用」と書かれたひみつ道具「天気決定表」を所有していた!そんなもの民間に出回っているはずがない。やはりドラえもんひみつ道具公権力に与えられたものとみて間違いないだろう。

さら追記 コメントでご指摘。「気象庁専用」というのは「子ども銀行」みたいなジョークかも。

セワシT・P説」とは相反するが、「未来デパート」は合法的店舗などではなく、違法ひみつ道具の売買をしている闇マーケット非合法組織の類であるという説もある。「未来デパート」とは正規の店の名前ではなく、T・Pによる捜査の目から逃れるための暗号名のようなものであると考えると、ネーミングのおかしさも納得であるひみつ道具の外見が子供向けのオモチャのようで、その名前センス小林製薬のようなのも、T・Pの目を欺くためのカモフラージュだろう。そして「ひみつ道具」の「ひみつ」とは「犯罪からT・Pに見つからないように秘密にしなければならない」という意味ということになる。

当然、ドラえもん違法行為セワシが関知していないはずはないので、これは「セワシ時間犯罪者説」となる。その場合ドラえもんが堂々とT・Pと会っている理由が謎だが。ひみつ道具を買うのに必要資金時間犯罪で稼いでいるのだろう。時間犯罪で金を稼ぎつつ、その金で次の犯罪必要ひみつ道具を買うというサイクルだ。「セワシ時間犯罪者説」ではセワシの真の目的は自らの時間犯罪の協力者にのび太を仕立てることだろうか。

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ドラえもんの耳と体色と声が修理できないということになっているのは、それらの欠損がドラえもんにとっての「英雄因子」であるとT・Pに信じられており、修理すると歴史に悪影響があると判断されたから。

正史には「耳を失い、体色が変わり、声が変わってしまったネコロボット」としてのドラえもん活躍が書かれていたのだろう。そこを改変すると歴史全体に何かマイナスの影響があると判断したのだろう。

なにかしらのトラウマ体験、肉体的な欠落など、人生負債を背負っていることが英雄の条件と考える発想は古代からある(例えば英雄ヘラクレス女神ヘラに気を狂わされ我が子を自分の手で殺してしまった)。耳をかじられたトラウマこそがドラえもん英雄因子であるとT・Pや政府要人判断しても不思議はない。T・Pのトップ合田一人みたいな人なのかも。

修理工場の修理工達や製造メーカーはT・Pから工作で「修理できない」と嘘をつき、全員で口裏を合わせている。非協力的な人間には抹消(T・Pぼん参照)処分があったかもしれない。

賢いドラミちゃんは事の真相に気づいているが、T・Pの報復を恐れてドラえもん真実を話せないのだろう。悲しいね

アンチ新ドラじゃないけどやっぱり大山ドラは味があっていいよね。

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のび太ドラえもん歴史英雄であることは、トップシークレットであり、彼ら自身にも伏せられている。

ビギナーズラックという言葉もあるように、未来世界時間犯罪無知である方がかえってプロ捜査であるタイムパトロール(以下T・Pと表記)にはできない柔軟な発想ができるという考えなのだろう。

「自らが英雄であることを知らないまま世界を救う英雄」というのはトリックスター的でもある。

また、のび太ドラえもんがT・Pの協力者であることが暴露すると時間犯罪者に命を狙われる危険もある。

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◇T・Pも無制限ドラえもんたちの行為容認しているわけではなく、歴史に深刻な影響(少数人命の被害程度は容認)があると判断された行為にはストップをかけている。空想動物徴収など。

おそらく24時間ドラえもんたちの行為監視分析されているはず。

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セワシT・P隊員説が正しいとすると、「ドラえもん」は「SF(すこしふしぎ)生活ギャグ漫画」の皮をかぶった「時間旅行系ハードコアSFサイエンスフィクション漫画」ということになるだろう。

作者・藤子・F・不二雄大人向けSF短編集の内容や、彼の幅広い文学に対する造詣と関心を考えれば、そういう背景設定があったことは想像に難くない。

T・Pぼん藤子・F・不二雄先生SF短編集は面白いからみんな機会があったら読んでみてね♪

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セワシT・P隊員説というのは詰まるところ「ドラえもんギャグ漫画であって、のび太世界を救うヒーローじゃない」というのはやっぱり嘘だったという話だ。

世界を救うのはもうやめた」マリーのアトリエでも結局魔王倒してるし(任意だけど)、「俺たちは、正義の味方、なんかじゃない」リジョイスも結局魔王倒してるし、つまりそういうこと。

その点「もう勇者しない」moon有言実行である

※返答2

https://anond.hatelabo.jp/20190503093926 "「恐竜狩りはスポーツとして大人気なんだ」と「恐竜狩りは犯罪TP捕縛される」の矛盾はどうなんだ"

この説で言うと、「恐竜狩りは犯罪TP捕縛される」が真実で、「恐竜狩りがスポーツとして大人気なんだ」の方がウソだったということになりますドラえもんに与えられた「子ども騙し」設定の一種でしょう、そういう話をすればのび太が喜ぶだろうと考えての。その後都合が悪くなったので、全員の記憶改竄が行われたはずです。

id:islecape ご注意ありがとうございます。 そうですね、書いてあるから正しいとは限りませんしね。 ただ、「天気決定表」のドラえもんセリフに22世紀では気象庁が天気を決めているというような趣旨のものがあるらしいので、もしそうならそれも傍証になると思います

https://www.nikkei.com/article/DGXDZO45715160U2A900C1MM8000/ 孫引きすみません

"Web等で喧伝される極端なドラミあげドラさげって片倉設定由来みたいな気がする" なるほど。

なんというかドラミちゃん自体が、結構微妙ポジションな気はします。例えばジャイ子なんかは出番が多い文、初期の役割を脱した、キャラの深みを与えられたのに対して、ドラミちゃんは出番が少なくて、「劣等生な兄と比べられる優等生な妹」という初期に役割として与えられたキャラ付けを脱せなかったんじゃないかな~、なんて思います関係ないけど私は「ミニドラSOS」が他のドラ映画と比べてもかなり好きです。子どもだけの冒険って雰囲気がして。

https://anond.hatelabo.jp/20190506045507 すみません"真相"は不適切なので、各論に変えました。あと筆者、男です。

2019-05-01

異世界かるてっと面白い

面白いから、止まってる作品全部見てきた

きっかけをくれたことに感謝

うーん

アメリカとかでヒーローコラボとかちょいちょいあるみたいだけど、上手くハマればいいよなー

anond:20190501121716

個人的MCUは好きだしシネフィルでもないが、シネフィル映画史を把握してる人)からすれば何十万本もの内の、せいぜい20数本でしかいからね。

ぶってる人は格好付けてるだろうけど、本物のシネフィルが冷静なのは判る。

ヒーロー映画にしてもすでにすごい作品数と歴史なわけで、その中には初代スーパーマンバートンバットマンやライミ版スパイダーマンなど映画史に名を残すものがある。

そこまでは及ばない(失礼な言い方だけど大方の意見がそうだと思う)完成度のMCU作品が軽視されるのは仕方ない気もする。

逆にMCUの新しさって作品内容じゃなくて商業方法の応用の話だし、長い積み重ねを繰り返してきた映画史的には目を見張るほどのものはないんじゃないのかなあ。

商業形態の話にしても、近年ではフィルムからデジタルへ移行したり3Dが台頭したりスターウォーズ始動イベントがあったり、業界全体がひっくり返るようなことが直近で起こり続けてるからインパクトも小さいんだと思う。

それに今はみんながMCUを新しい新しいって言うけど、じゃあ例えばバートンバットマンロードオブザリングの新しさを誰か覚えてる?っていう。

バットマンみたいにダークなヒーロー映画は初めてで世界中が沸いたし、最初から三部作として製作されたトリロジーっていう商業形態ニュージーランドというロケ地など、ロードオブザリング作品もすばらしかったけど製作に関する部分でも衝撃を与えた。

でもいまじゃ当たり前で誰も話題に出さない。

まあ、そんなもんよ。

そうか!天皇ってなろう小説主人公と同じなんだよ!

たまたま

チートを持って生まれ

みんなからチヤホヤされる

完璧だ!

完璧なまでのなろう主人公だ!

現代っ子が憧れるヒーローのものじゃないか

そりゃーみんな憧れるよ。

昭和の子供がラモス・ルイやショーン・コネリーに憧れたようにだ!

みんなが崇拝して信仰するのは当然だよ!

みんなが憧れた「たまたまチートを持って生まれて・チヤホヤ人生」を体現した存在もの

現人神のようなものさ!

ヒーローもの子供向けだから見ないとか言ってるシネフィルおじさん

あれって誰に向けてのアピールなの?

MCU映画ユニバース化の潮流を作り、

その集大成であるエンドゲーム世界的な盛り上がりを見せ、

マーベルグッズがファッションアイテムとしても定着している現代において

その程度の認識の奴がなんで映画通気取れると思ってんの?

2019-04-30

平成ヒーローは誰だと思いますか?って聞かれて

コナンとかちびまることか選ぶ奴って頭おかしいでしょ

anond:20190428191850

はいはい大変だね

お前みたいな悲劇ヒーローだかヒロイン気取りを散々みてきたけど結局依頼心強すぎなんだよ

自分で負けを認めたくないから頑張ってるだけ

それで周りには愚痴ばかり

奴隷じゃないんだからやめりゃいいだけの話。それもできないのはこれまで人生周りの評価を頼りに生きてきたから周りの評価が下がることを自分決断でできなくなってるから

お前のネガティブ感情世界を汚すな

2019-04-29

ただただかっこよく戦っているシーンが8割くらいのアベンジャーズが見たい

やっぱりヒーローアクションしてるのがかっこいいんだよ。

俺はそれが見たいんだよ。

アクションに振り切ったアベンジャーズを見せてくれ。

心情?苦悩?

知らんて。

ただただかっこよく戦っているシーンが見たいんだよ。

2019-04-28

アベンジャーズ/エンドゲームを見た。スーパーソルジャーよ、ヒーローとは何だ。

※以下は、アベンジャーズ/エンドゲームに対する自分の想いをありのまま書いたものだ。

ネタバレを含み、総じて世の中の感想とは逆行している節がある。











まず、今回のアベンジャーズ/エンドゲームは最高だった。

映画は、作成の都合上、色んなことを妥協したり、すり合わせたり、あちらを立てこちらを立て、今回は約10年分の全てを凝縮し、ラストの1本を作らなければならない。

そのさまざまな事情の中で、できうるすべてを詰め込んだ最高傑作を届けてくれた。

本当に。この超大作の終わりにふさわしい映画だった。

なぜなら。最高の映画だったからだ。

笑い、息を呑み、涙し、感動し、ハラハラ、ドキドキした。あの人もこの人もこのシーンも見たかったのもが全部見れた。



そんな傑作だからこそ

キャップ理想キャップのままで終わって欲しかった。

断じてキャップ幸せを願っていなかったわけではない。

理想キャップ』とは私の中でだけにある理想だ。

今回のラストこそ最高と言う人もいるだろう。

果たせなかった約束を果たし、ひとりの人として幸せ人生を送ったに違いない。わかってる。

しかし、洗脳され敵同士だった時もあるとは言え、その後また過去を取り戻し、70年の時を経て変わらず友となり、仲間になった、同じ境遇バッキー気持ちどうなる。

あれだけ過去を変えてはいけないと言っていた話は?

これではそもそもをなかった事にした世界になって、今までのことはパラレルワールドでも良くなってしまわないか

もう一度言う。

キャップ幸せになったであろう事を否定する気持ちはない。

それにエンドゲームは最高の映画だった。

私は、おそらくガチMCUファンからみれば、まだまだニワカだろう。

原作は追いかけず、映画のみのMCU世界しか知らないし、未だに公開順は覚えられないし、登場人物名前もスッと出てこないこともある。どのタイトルでどこで戦ったのかとかも少しすればきっと記憶がおぼろげになるだろう。

そんな中でも、キャプテン・アメリカアイアンマンには思い入れが強かった。

から、トニーの事は非常に残念で、見ている時だって胸が張り裂けんばかりだった。

正直、隣の人に迷惑かもしれないぐらい泣いた。

私にとっては、スティーブいてこそのトニー、トニーいてこそのスティーブだと思っている。だからキャップだって、トニーと同じぐらい、華やかなラストをむかえて欲しかった。

わかっている。冒頭で書いたように、映画作りには色々な事情があるのだ。

これまでのキャップがずっとアベンジャーズでいる事は叶わないのもわかっている。

でも、できる事なら、(こちら側の身勝手で、重荷なのを承知で)キャップには変わらず、気高く、ヒーローとして、これから未来を生きてほしかった。

未来の為に命を燃やしたトニーやナターシャの分も、これからアベンジャーズの戦いを見守りつつ、自分人生を生きて欲しかった。

悔しい。

あのキャップが…

任務を終えたからと言って、自分人生を生きようと思うことがあるのだろうか。

命を捧げてスーパーソルジャーになり、アメリカの為に、世界の為に、平和の為に、いつだってリーダーとして、いつだって善としてそこにいてくれたじゃないか

悲しい。

MCUシリーズは好きだ。

ここ最近の新顔メンバーの今後も気になる。

スパイダーマンアントマン、Dr.ストレンジ、好きなキャラもたくさんいる。

公開予定されている作品も引き続き見ると思う。

ただ、しばらくエンドゲームは…

もらってきた子のように接し方がわからないままだろうなぁ。

アベンジャーズ END GAME は最高と最悪が同居してて辛い。

タイトルから察せる通り、以下はMCU作品群(特にエンドゲーム)の重大なネタバレを含むので、自己責任で読んでくれ。

まず始めに言っておくと、この記事通りすがり他人のクソデカ感情を吐き出すために書いたお気持ちブログであることを承知の上で読んでほしい。

暇でもなんでもいい、別に誰一人として読まれなくてもぜんぜん構わないけど、自分一人で抱えるには大きすぎる感情ジェットコースター体験した私が気持ちを整理するためのもので、読み終わった後に胸くそ悪くなったとか、そんなどうでも良いことで喚くなとかいう苦情は受け付けてない。

私が私のために書く私の気持ちを整理するお気持ちブログだ。ここまでで、なんだコイツと思ったヤツは悪いが帰ってほしい。












まず始めに言うと、このたび2019/04/26(日本公開)の「アベンジャーズ エンドゲーム」は最高の映画だった。

私は前作「インフィニティー・ウォー」を劇場で見てから「エンドゲーム」が公開されるこの日を、ずっと待ち遠しにしてきた。と同時に、死刑宣告を言い渡される日だと思ってきた。

そこについての詳しい話しは後ほどとして、弊推しキャプテン・アメリカだ。ここからは8割かれの話しになるので、それを念頭に置いて読んでほしい。


上映が始まり、私はすぐにこう思った。

最高だ。

キャプテン・アメリカカットはかなり多い方だと言って良いし、何よりその美しい顔面が際立つシーンが多くて終始動悸が止まらなかった。

登場初っぱなの髭を剃り終わったシーンなんかは大変興奮した。鏡越しに送られる目線にゾクゾクした。青い瞳が堪らなく美しかった。

過去に跳んだ先で、「アメリカの尻」と揶揄され腰からヒップラインがドアップになって私が失神しそうになったり、宿敵のフリをするために「Heil HYDRA」と言って見せたり(!)、タイミング悪く過去自分VS.現在自分の凄まじい戦闘を繰り広げたり。

最終決戦なんかムジョルニアを使って(持てたの!知ってた!!でも公式でやると思ってなかった!!)、盾とのコラボ技を披露して無双するシーンなんかもあって、私は終始死にそうだった。



公式で見られないだろうから二次創作に期待していたアレやソレがすべて公式で起こった。

何を言っているかからないだろうが私にも未だによくわからない。公式が最大手だった。

上映中、頭に過ぎるのは命日の二文字だけで、あまり怒濤の展開に呆然スクリーンを見守るしかなかった。

こんなにも美しくもたくましい推しの姿をこんな大画面で見てしまって良いんだろうか。私は明日死ぬんじゃないだろうか。

決戦が終わったとき、私は本当にそう思ってたし、うぉーがしびってあれこれの解消し切れてない部分も、これなら許せそうだと思った。

まりにも美しい終わりに涙すら出そうになった。













そう思ったこの瞬間の私をぶん殴ってやりたい。











私の地獄は、このおおよそ2時間半が終わり、あとはちょっとしたエピローグと、長い長いエンドロールだけだろうというタイミングで始まった。


彼は“キャプテン・アメリカ”の仕事として最後の後始末を受け持った。それはインフィニティー・ストーン過去へ戻す仕事だ。

なるほど、それは重要だな。

このときまだ、呑気にも私はそう思っていた。今すぐそこで見るのを辞めろ。


バナー博士が「五秒経ったら彼を時空から連れ戻す」と言った。

しかし、装置作動させても彼は戻ってこない。訝しんで、彼を見つけて。

彼は年老いて戻ってきていた。近くのベンチに座って。だから帰還に気付かなかった。

「もう自分人生を歩んでも良いんじゃないかと思った」彼がそういった。



目の前が真っ暗になった。




自分人生を歩むこと自体が悪いことではない。それは私が何処かで迎える彼のハッピーエンドだと思っていたから。

しかし、そうじゃない。そうじゃないんだ。

自分人生を歩む”と言っていいのは、戻ってきて、この先の未来を生きての話しではないのか?


なんで?

どうして?


まりの動揺に震えが止まらない。


彼が過去をやり直して戻ったと言うことは、“キャプテン・アメリカ”として行った任務を、石を返した時点で完遂したと自己判断放棄して、過去改竄して戻ってきたということだ。

MCUが何処までマルチバース採用していて、タイムトラベルによる世界分岐パラレルワールドを取り扱っているのかはわからない。

あの正規世界線の歴史が変わったわけではないのかも知れない。

それでも、だ。


吐き気すらも覚えた。

散々、タイムトラベル過去を変えるコトは禁忌であるという下地を本作で作った上での、コレ。


キャプテン・アメリカというキャラクター馬鹿にされているのかと思った。

頑固で考え方が古いかも知れないが、高潔なる精神の持ち主ではなかったのか。

自分幸せになるために歴史を書き換えるような、そんな軽率人間であったのか?


彼の信念は何処に行ってしまったんだろう? 呆然としてしまった。


私の知識はまだまだ浅い方だ。アメコミという沼はあまりに深すぎて年浅い私にはまだまだ知らないことの方が多いだろう。

それでも、複数媒体から感じ取った「キャプテン・アメリカ」の信念と、今回の彼の行動はあまりにかけ離れていたと思う。


彼は、犠牲を尊んで、彼らのためにも前を向いて歩くタイプ人間ではなかったのか?


キャラクター根本が死んだと思った。

今までのMCUでの彼の扱いは、キャラ解釈の違いで殺されるかと思ったシーンが幾度もあった。(それもすべてエンドゲーム監督作品だ)

それもコレも今日で終わりだと思った。そのはずだった。「シビル・ウォー」からずっと抱えてきたモヤモヤ解放されると思っていた。

まさか最後最後で私が彼を好きになった信念そのものをたたき折られるとは思ってなかった。



この事実認識した途端に、私は堪らなくトニー・スタークに嫉妬した。

怒りを感じたと言っても良い。但しこちらは、制作陣に対して、だが。



かにトニーの最後は、ハッピーエンドではなかったかもしれない。

それでも、彼は誰にも害のない形で己の幸せ享受した上で、自己の“ヒーローである信念”を貫き通して死んだのだ。

誰にも疑いようのない唯一無二の英雄となったのだ。




それに比べて、彼は、スティーブは?

制作陣の都合で言いように改変を繰り返されて、彼のズタズタになった信念を、きっとこの最後で修復してくれるんだと思った。

そうじゃなかった。作品を丸く収めるために良いように使われただけだった。何一つ変わらないどころか、より最悪の形で悪化した。

彼だけではない、ソーだって、前三作で作られてきた彼をすべて壊して何事もなかったように進んだ。

スティーブよりは違和感は少なかったかも知れないが、何故このタイミングで、と言う気持ちが拭えなかった。


ツイッターでは英雄一般人となって自己幸せを歩んだ作品だとか、脱マッチョイズムだとか言われてたけど。


からなんだ?


それって既存キャラクターの基盤をぶち壊しにしてまで展開してイイモノなのか? しなければいけないものなのか?

仮にやるとしてもこの集大成とも言える全員揃う映画でやるべきコトではないんじゃないだろうか。

今までの下地嘲笑っているようなものじゃないか

本当に、今も怒りで視界が赤くなる。



この映画は巨大なトニー・スターク賛美のための墓場となったのだ。


彼だけが己の正義を貫き通した。そして死んだ。

トニー・スタークを恨むモノは誰もいない。

これほどまでにキャラクター理解され、制作陣に愛されていた。

本当に本当に妬みで爆発しそうなほどだった。







それなのにトニー派の連中はスティーブを薄情者だといって責める。

スティーブの劇中での言動推しの私でもフォロー仕切れないところがある(だからといって全面的にトニーを擁護も全く出来ないが)。

からそれ自体は、特に訂正しようとか思わない。どんな思惑に巻き込まれて信念がたたき折られたとしても、それは“現実”(そと)のはなしであって、“MCU世界”(なか)には関係ないはなしだから

それはまるっと彼の罪なのだ

それでも。









心底羨ましいよ。

脳の神経がすり切れそうなほど羨ましい。






推しは美しいまま死んで、尚且つ責める相手がいるんだから


苛々モヤモヤしても作中に怒りをぶつけられる相手いるから。

自分の中でもさぞ納得がしやすかっただろう。


なんで、彼ら彼女らはこんなにも恵まれていて、私はこんなにも苦しんでいるんだろう。


私は作中に責めることの出来る人間などいない。あえて言うならキャプテン・アメリカ本人だが、自分推しを悪意的に見るほど苦痛ことなどない。

悪人悪人である所以を好きになったというなら、また話しは違うだろうが、生憎私が好きになったのはヒーローの彼なのだ

多少の欠点の他に、悪意的に捉えられるところなど、少ないはずなんだ、本来なら。

彼はヒーローだった、はずなのだ。はずなのに。








ヒーローとは、なんなのだろう。


「エンドゲーム」を見てから、一晩経った今でもずっと脳内をこの言葉が占めている。

私に過去に戻る力があるなら今からでも「ウィンター・ソルジャー」の撮影まで戻ってあの監督を始末してしまいたい。

いっそのことBIG3全員殺してほしかった。





彼の、キャプテン・アメリカのこのエンディングは、「エンドゲーム」で一区切り(実際は次作スパイダーマン区切りだが)着くMCUという作品群を丸く収め、また次のフェーズ4に繋げるためには必要で、全体的に見れば“正解”であり、納得のいくモノだったのかも知れない。他人様の感想を読んでいて、そういう気持ちに全く為らないという訳ではない。

でも、理解が出来たからといって、納得が出来るからといって、許容できる訳ではないのだ。


だって彼は、すべての人を置き去りにして、己の幸せに走ったあの男は、もはやヒーローではないのだから

それは、私の好きになった彼ではないのだ。

信念を貫くことを辞めた人間は、大体にしてこう言われる。

「昔とは別人だ」

MCU世界では彼にそうなる資格があると思っている人間が多かった。だからこそ中の世界では受け入れられたんだろうが、確かに人は変わってしまっているのだ。

別人なのだ







私はそれが受け入れられない。


ヒーローを辞めた彼には、もうムジョルニアを持つ資格はないだろう。

からこその二代目、なのかもしれないが。











今一度言うが、私の推しキャプテン・アメリカだ。

そもそもMARVEL作品を見始めた切っ掛けとして、彼の単独シリーズ第一作「キャプテン・アメリカ ザ・ファースト アベンジャー」を見て、彼に一目惚れたからだ。

そんな私の推しの彼を演じるクリスエバンスは「エンドゲーム」を最後MCUから卒業すると宣言していた。冒頭でこの日が死刑宣告の日だと言ったのは、そういう理由だ。

もう二度と推しを見ることは出来ないのだから、私は死ぬんだと思っていた。

だけど、違った。死んだのは私ではなかった。



死んだのはキャプテン・アメリカの信念だ。

巨大なトニー・スタークの墓場の奥深く下に虐げられ、無残にもうち捨てられた彼の正義が崩れ去った日となってしまったのだ。



キャプテン・アメリカの信念はすでに散々あのクソ監督兄弟に改変されまくって、ボロボロで、もう雀の涙ほどだったけど。

それでもわたしはかれらしいさいごをのぞんでいた。




一生消えないだろう傷を負った。

それなのに周りには「エンドゲーム」を賞賛する声しか聞こえてこない。

世間が信念を捨てた彼を受け入れてしまたことが苦しい。

私にとっては、それこそが何よりの“彼が死んだ証明”だった。













私の推しの新作がもう来ることはない。

この先、カメオで出演するとしても、マルチバースの信念の折れてない彼でもない限りはそれは彼ではない。

この記事投稿することによって私はキャプテン・アメリカの、スティーブ・ロジャースの死した信念への手向けとする。


二代目には彼の崇高な精神が受け継がれ、折れることのないように祈るばかりである

2019-04-27

ヒーロー映画に興味がわかない

盛り上がってて羨ましい

でも興味ない

悲しいなあ

2019-04-26

アベンジャーズ・エンドゲームを見てきた

知ってた? 映画館って大きな液晶ディスプレイがあるわけじゃなくて、白い布に光を反射させて映像を表示させてるんだって

あ、ちなみにアベンジャーズは見ていない人にはネタバレになるけど、アイアンマンマイティ・ソーアントマン? がタッグを組んで敵と戦うチームの名前なんだ。

色んな映画ヒーローが一緒になって戦うとかアツイ!

あ、ちなみにアイアンマンアイアンマンっていうヒーローがいる訳じゃなくて、アレは実は鋼鉄製のスーツであって中には人がいます。トニー・スタークって人。どうやらめっちゃお金ちらしいよ…!

あと、これもネタバレになるけどマイティ・ソーハンマー武器として持ってるんだけど、そのハンマーは敵に奪われても全然平気。何故ならソーしか使えないようにカスタマイズされてるから

もう一つネタバレアントマンとワスプっていうコンビがいるんだけど、この人たちも凄い! 実は劇中で大きくなったり小さくなったりしちゃうんです! 股間の話じゃないよ? 体全体が! 之には僕もびっくりしちゃいました。

…どう、これだけネタバレちゃう映画が楽しめなくなっちゃうかもしれないけれど、アベンジャーズ・エンドゲームを見たネタバレでした!

anond:20190426112106

かめはめ波打ってるのは沢山いたが

それは面白いから真似するんだろ

ヒーローキャラとの自己同一視」と「決めフレーズ必殺技のものまね」の区別がつかない方?

まあそれぐらい頭悪くて思考ぼんやりしてる奴が食い下がってるんだろうとは思ったが

anond:20190426111337

おらんやろ

悟空自分自己同一視するキッズなんか俺がキッズ時代の周囲にもいなかった

だって自分との共通点なんか何にもねえじゃん

子供ヒーロー自分を同一視してどうこうって分析凄い浅いし絶対違うと思うわ

2019-04-25

ちょっと胸糞どころじゃなかった

二次創作タグつけるときにCPとR-18表記しかタグつけてないで

内容に「ちょっとひどいかも」(本当にこうかいてあるだけ)くらいの注意書きで、≪ヒロインいじめレイプのあと写真撮られて、写真ネタ売春させられて、逃げようとしたらリンチされて殺される。ヒーロー最後電話を受け取って探しにきてリンチレイプビデオを見つけてみてしまうわ、狂いそうになったところに犯人集団に殺される。ラストは生まれ変わってパッピーエンド≫って想像できなくないか

最初リンチから中盤の殺されるところまでの描写が8割なので、最後ハッピーエンド全然スカッとしないし、R-18ってそれヒーローヒロイン描写じゃなくて、モブしかねーじゃねーか。

こんなん胸糞だろ!!と思って、罵詈雑言DM送りたい気持ちを抑えて、R-18Gとモブレのタグを追加してミュートした。

しばらくしてスマホの設定いじってたらミュートが外れて検索で上がってきたのみたんだけど(中身は見てない)感動のストーリータグがついてて、この作者の読者ってきちんと読んでるのかな・・・って思ってしまったよ。

不幸と幸せバランスって大事だけど個人差だし、その辺は好きな書き手を探すしかないとは理解してる。あと胸糞ものも読むけど、無理やりハッピーエンドにするくらいなら私は胸糞は胸糞のまま終わってほしいと思ってる。この辺も好みだとは思ってる。

でも、なんでこれが人気あるんだろとは思ってしまうんだよね。

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