はてなキーワード: グラフとは
○朝食:サンドイッチ
○昼食:担々麺(冷食)
○夕食:塩ちゃんこ鍋(豚肉、白菜、人参、きのこ(しめじと、びらびらしたの)、うどん、卵)
○調子
はややー。
熱っぽいんだけど、ずーっと微熱(36度9分〜37度丁度)でいまいち風邪ウイルスと戦ってる感じがしない。
昼間はじーっと寝てたんだけど、日が落ちてからこれじゃあいかん、と思い立ち、また鍋の具材を買って来て鍋ってた。
最近気づいた風邪の治し方、というか悪化させない方法なんだけど、
「風邪っぽいときは射精しない」ってのが有効だと思うんですよ。
いや、僕、日課なので寝る前にほぼ必ず自慰行為をするんですが、熱が36度8分以上ある時はしない方が、早く良くなる気がするんですよね。
(単に半裸でいる時間が長いと体が冷えて風邪を悪化させるだけなような気がしなくもないが)
●3DS
八章までクリア。
『ポケモン「と」人間』がいる世界、をここまで魅力的にかつグラフィカルに描かれると、なんかこう、この世界に行って見たい欲みたいなのがすごく刺激されて、いい意味で現実逃避できた。
それにしても、やっぱり僕の好きな悪タイプのポケモンは、あまり社会的にいい位置にはいられないみたいだなあ。
Day.4
上晝
香港で最後の夜は、一度夜中に目がさめるという自分にとっては日本でもお馴染みの睡眠だった。
昨日の広州行で程よく疲れたせいなのか、香港に慣れてきたからなのか。
チェックアウトまで時間があるのでネイザンロード沿いの便利店でお土産いくつか買う。
「唔収◯×・・・」
あ、使えないのか。今のはすぐにわかったぞ。
しめた。本が買える。住所を検索して向かった。
晏晝
海岸沿いにある香港の誠品書店は、台湾と同じく綺麗でセンスのいい内装だった。
いくつか物色していると、グラフと表が描かれた本があった。
当然内容はわからない。でも妙に気になったので、買うことにした。
レジに持っていく。
「◯×◯×・・・」
「a,我係日本人」
「oh, do you have shop card?」
「none」
初めてストレートに意思疎通できた広東語が「私は日本人です」だとは。
別のレジではショップバックの要無用についてジェスチャーで聞かれ、料理本も一緒に包んでもらった。
ホテルの部屋に戻ると、あれ、鍵が開かない。
「I can’t open dore at my room.」
「Check out time passed, you over time. check out time 12.」
鍵を開けてもらって、急いで荷物をまとめる。
ベッドにはメモを置いておいた。
「Thank you. I had a great time! 再見」
笑顔。
エレベーターに駆け込んだ。
「Please keep my baggege.」
と言いながらメモを見せる。
「幫我在放我嘅行李到我去機場、可唔可以呀?」
あれ、怪しい広東語書いたかな?と思ったが、どうやら彼は広東語がわからないようだった。
「When are you coming back?」
「7 O,clock. take care.」
途中、腹が減ると具合が悪くなりそうなので、飲茶する事に。
「一位、唔該」
拭いているテーブルを指さされ
「乜嘢茶?」
「普洱、唔該」
注文シートを書いて
「落單、唔該」
シートを渡す。
想定していた問答なのでスムーズにできた。
出てきたのは、
1.油で揚げたクレープのようなもの。オイリーでつけダレが美味い。
2.ガチョウが乗ったビーフン、スウィートチリソースつき。香港のガチョウは表面を甘いタレでコーティングしてカリッとローストする。
それと普洱茶。
「理單、唔該」
「ツァッサップツァッ」
「?」
メモを見せられる。
あ、$77か。
お釣りは投げるように寄越されるが、気にしない。
下晝
飛行場に向かうにはまだ早い。
まだ行っていないところに行こう。MTRで深水埗へ。
香港人による日本紹介動画によれば、日暮里は日本の深水埗なのだという。
深水埗につくと、そこはたしかに今まで見ていたきれいなばかりの香港とちがって、露天などが立ち並ぶ下町風情だった。
日本人の印象である、カオスな看板風景の「古き良き香港」はここじゃないかな。
それにしても疲れてきた。
喫茶店で一息つこう。
「理單、唔該」
気にせず注文を聞く先生。
「coffe, ice」
ドンッ!!しばらく待っていると景気良い音とともにコーヒーが現れた。
甘さが心地い。
寒いしもう出るか。
「理單、唔該」
ただし実際に払ったのは1回。
「洗手間邊度㗎?」
店の奥を指差される。
みんな、香港に行く時にはこの言葉は覚えておくんだ、絶対使うし、発音が簡単だ。
トイレで用をたし、次の目的地、銅鑼湾(コーズウェイベイ)に向かった。
MTRで向かおうと思ったけど、ちょっと街を行き交うトラム、2階建の路面電車に乗ってみる事にした。
トラムに乗り2階に座る。
都合のいい事に、行き先は銅鑼湾らしい。
ここままトラムで向かおう。
「唔該晒」
いいのか。
上げ掛けた腰を下ろす。
広東語では「おねがいします」も「どうも」も「いいですよ」も「きにしないで」も「すいません」も「唔該」なんで、ちょっとややこしい。
「Guy’s, I’m Foreigner. Can i take your photo?」
「Of course.」
「3,2,1, Shoot!」
「have a goot time ;)」
「Thank you!」
挨晩
ホテルに戻り「Mr,I want pick up my baggege.」
すぐに出てきた。
あれ、超重い。
というわけでタクシーを使う事にした。
「的士!」
「我想去機場」
通じない。
タクシーは滑り出し、人が歩いている小道を縫って走る。
おい怖いな。
単純にスピードが速い。
お釣りを渡される。
「For you.」
小銭を返した。
夜晩
チェックインまで時間があったので、この日誌を書いていると、携帯の電池が心もとない。
カウンターで尋ねる。
「Phone?」
うなづく。
カウンターの裏側を指差された。
香港に来るまでは英語なんて全然ダメだと思っていたが、必要に迫られると喋れるものだ。
そうこうしているうちに帰りの便のチェックインが始まったので、済ませておこう。
チェックインを済ませたが、よくよく考えると、荷物重すぎないか?
重量チェックの前でキャッキャウフフしているGirlsに困った顔で「Pleeease ><」
「I want store my baggege.」
香港ドルからの再両替をどうしようかと思っていたが、タクシーが結構でかく、手元には$55弱しか残っていなかった。
綺麗に使ったもんだ。
チョコレートブラウニーの甘さで結構喉が渇いたが、オクトパスカードがまだ残っている。
セブンイレブンで水を買う。
カードを見せようとするやいなや、レジの小太りのお兄ちゃんが読み取り機をバンバンと叩いて示した。
どこの国にも手際が良すぎてちょっとコミカルな人というのはいるものだ。
時刻は22:30。
ずいぶん早くチェックインをすませたために、ほとんど列に並ばなかった帰りの便のチェックインカウンターにも、人が集まって列をなしていた。
幼い時代の優しさとノスタルジーを追体験したような昨年の台湾旅行と違い、今回の香港・深圳・広州旅行はちょっとした冒険感のある、エキサイティングなものだった。
特に、南洋華人の明るさと激しさには、自分の中のエネルギーを叩き起こされたような気がした。
この4日でイミグレーションの通過は4度目、もう慣れたものだ。
検査員の男性にパスポートと出国カードを出し、検査は何のトラブルもなく完了した。
「Ser, i had a great time.我好鐘意香港。」
年配の検査員は一瞬ぽかんとした顔をしたが、まあ付け焼き刃の広東語が通じなかったのは仕方ないか。
深く気にせず手荷物検査に向かおうとすると、後ろから明るい声が響いた。
「Hey! Also hong kong into come back!」
親指をあげて答える。
「再見!」
「実物を見せてくれないとわからない」
四角いかたち、といわれたら四角いものをみせてくれないと何が四角だかわからない
優しい人間になれ、と言われたらどう優しくするべきかわからない
小学生のとき「いじめはダメ」と言われたからいじめられている子と仲良くした
いじめられたことがあったから「いじめ」とはなにかが分かっていた
「無視する」「悪口を言う」が「いじめ」だというのは親が教えてくれたように思う
恨めないかわりに、ただひたすらに人間に対する「◯◯」が植え付けられたように思う
最近、その「◯◯」に「恐怖」という言葉をつけられることがわかった
私は誰も彼もを怖いと思っていたようだ
確かに震えていたし、人と会いたくなかった
ある時、先輩に「あなた、怒られていたね」と言われたことがある
私はそれが「怒られていた」と認識できていなかったので驚いた
怒鳴られたら「怒られた」とわかる
だけど「それは違います、こうしてください」という普通の言葉は
実のところ、小さい頃から、怒られたことが一度しか無いと思い込んでいた
本当のところはめちゃくちゃ怒られてたんじゃないだろうか
今となってはよくわからない
こうして、他の人より十年から十五年遅れくらいで、感情や現象に言葉をつける作業をしていた
人間関係で無理をしていた時期に幻聴や幻臭、被害妄想、倦怠感が出た
統合失調症かと思ったが躁鬱だった。薬が効いているので多分あたり(お医者さんはすごいな)
単に病院の方針で診断名をつけないだけで、つけようと思えばいつでも診断名をつけてくれる感じだった
WAIS-IIIの検査結果を見たとき、あまりにもグラフがガタガタで「ウケる」と言ってしまった
あとはもう、色々ブンブンと高低差があった
見て落ち込む人もいるらしいが、私は不整脈の心電図みたいなグラフに爆笑してしまった
「こりゃないわ〜」と思った
これは普通じゃないなと、明らかに目で見てわかったから、面白かった
「ちょっと変わった子だけどいい子だな」と思ってもらえたらいいですね、と主治医に言われた
大学生になってまでひたすらいじめられるのも、無視されるのも、「アスペ」だからなんだろうなと思えた
でも、正直もう疲れた
自分すらさっぱり理解できていないのに、他の人間の「わからない」行動に振り回されるの、しんどい
私、どうやって生きていったらいいんだろう
NHK-BSで、朝ドラ再放送~最新朝ドラ早版を30分連続でやってる朝の枠があって、出かける準備をしながら斜め見するのにちょうど良くて見ている。今は再放送の花子とアンとわろてんかが、どちらもちょうど太平洋戦争中というタイミングである。
朝ドラにおけるお約束として、当時の世相は「軍国化する体制側」と「軍国化に追随する常識的な市井」と「不本意ながらも追随せざるを得ない主人公界隈」という構図で書かれがちである。ドラマなので美化しているところも現実とは違うところも沢山あるだろうが。
まぁ、言論弾圧に反骨し投獄され獄死した人も実際にはいたわけだが、朝ドラで取りあげるには明らかにカロリー過多だし、結果的にぼろ負けした戦争を指揮したボンクラどもの尻馬に乗っかって踊った「善意の市井」を主人公にしてヒロイックに描くほどさすがに無知性に極右化するわけにもいかないだろうし、「善意の市井の恐ろしさ」を皮肉として描くには、獄中死を取りあげる以上に高カロリーすぎて朝から胃もたれ必至なので無理だろう。
増田は若いころから、「こんなに分かりきって馬鹿げたことをやっているのに、なぜ当時の「善意の市井」たちはそれをどんどん受け入れていったのだろう」というのが不思議で、戦時中もののルポやら文学作品やら日記やらを読むのが好きである。
朝ドラはフィクションである、とはいえ、歴史資料(あまり正確なものが残っていない。当時も今と同じように時間がたつと自動的に消える仕組みになっていたのだろう)や日記(文学者が残した戦時中の日記はとても興味深い)などを読んでみても、朝ドラと同様の「アホな指導層/それに踊らされる自称常識人/不本意ながら付き合わされる主人公」的な構図を見つけることはできる。
こういう趣味があるどちらかというとリベラル寄りの増田なので、ついそう読んでしまう面もあるが、太平洋戦争ではそれでまんまと、長期人口グラフでもあっここだよね!と分かるレベルでかくんと人口が減った戦争を、戦後は「ぼくら踊らされたんですー」みたいな顔した「善意の市井」の多大な協力で成し遂げたわけで、「善意の市井」の暴力性というか、大義(お国のために)と生活(逆らうと生きていかれない)が直結したときの怖さというか、そういうものがもうちょっと、朝ドラで書かれたらええのにないっそ、と思ったりもする。こういうご時世ですし、なおさら。
まぁそれはそれとして黒木華と藤井隆はほんと良い俳優だな、以前から両者とも好きだったが、どちらも難しい立ちどころの役をこなしている。藤井隆はマシューズベストヒットTVがベストアクトだと思っていたが、万丈目はんも相当良い。ドラマはまぁ、ちょっと吉本配慮が過ぎまへんか?とは思うが。
昨今は、民放局が良いドラマを作る体力がすっかり無くなっているせいか、NHKのドラマが相対的に良く見えるということもある。昨晩は録画しておいた弟の夫を見て号泣したところだ。あれは、演出演技脚本含めほぼ100点。
Excelを持っているならはてブのJSONデータをそのまま取り込めるそうだからそのデータを使ってブクマが付いた時間のグラフが描けそう。
例えばこんな感じでJSONデータが取れる。 http://b.hatena.ne.jp/entry/jsonlite/https://anond.hatelabo.jp/20180315232737
Excel持ってないならスクリプトでCSVにしてしまえばいい。
rubyスクリプトだとこんな感じ。(Mechanize無し版に差し替え。なぜMechanizeを使っていたかと言うとはてブがUser-Agentが空だと値を返してくれないから。ちょっと長くなるが自前でUAを渡すようにした。)
#!/usr/bin/ruby
site = ARGV[0]
json_uri = URI.parse("http://b.hatena.ne.jp/entry/jsonlite/%s" % [site])
response = Net::HTTP.start(json_uri.host, json_uri.port) do |http|
http.get(json_uri.path, "User-Agent" => "Mozilla/5.0")
end
json_data = JSON.parse(response.body)
json_data['bookmarks'].each do |bookmark|
puts [bookmark['user'], bookmark['timestamp'], bookmark['comment'], bookmark['tags'].to_s].to_csv
end
引数に取得したいページのURLを入れる。hatebuapi-csv.rbという名前で保存したとしたらこんな感じで実行。
% hatebuapi-csv.rb https://anond.hatelabo.jp/20180315######## > 結果.csv
そんな中、Krzysztof Zabłockiの発表は耳新しい話こそ無かったがなかなか良かった。
彼はiOS黎明期から数々の有用なツールやライブラリを公開してるすごいオッサンだ。
https://github.com/krzysztofzablocki
どういうことだ?
プログラマなんてものはどうしようもなくプログラミングが好きで、
常に頭の中ではまだ見ぬ設計思想を基に、まだ知らぬプログラムを作っているものだろうが。
それなのにコイツは何だ?
いやコイツだけじゃない。
一部の成果あるプログラマは土日ほぼコーディングをしていない。
業務時間中だけで内外ともにすばらしい成果を残し、土日は完全に楽しんでいるんだ。
それに比べ俺は何なんだ。
時間ばかり使い、大した成果も出せず、大勢を前に発表できるネタもなければ、誰も見向きもしない。
完全に負け組だ。
あのオッサンと俺、どちらが人生を楽しんでるかなんて聞くまでもない。
俺も彼らのようになりたい。
なれるのだろうか。
キレポイントって人それぞれだし、それって自分が何を守りたいと思うかってところから来てると思うから、自分が守りたいと思うものを守ろうとするのは全然おかしくない事だと思う。
怒るのは自由だし、クロちゃんのドッキリに対しても同じように怒れとは言わないけどでも、水曜日のダウンタウンを毎週楽しみに見ているっていう時点でまともじゃないっていう自覚だけは持っていて欲しいんだよね。
ガキの使いもそう。年末に紅白じゃなくてガキの使い見ておっさんが尻たたかれるのを見て笑ってる時点で性根が腐ってるという自覚をもってほしい。異常者だって事に気づいて。
自分をグラフの原点だと思わないで、第三象限にいるって事をちゃんと理解してほしい。
以上。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20180221/k10011338141000.html
id:taruhachi こういう記事で末端価格って出るけど、安定した価格の市場があるのだろうかと思ってしまう。 7 clicks
このスター集めまくってるコメントみて、俺思わず笑っちゃったよ。
口数ばかり多い、ウラナリ坊やのはてブ民には、遠い遥か彼方の銀河系の話なんだろう。
アフィのノウハウや英語の勉強記事をシコシコ無言でブクマしてる暇があったら、ちっとは街へ出て見聞を広めた方がいい。年間1万人以上、つまり毎日30人以上が覚せい剤で逮捕されるこの国のリアルだ。
暖かいウールに包まれたまま大学を出て社会で働く、お前らに教えてやる。
消費者物価指数のグラフが心肺停止したこの国で、覚せい剤の価格は0.2g=1万円がもう長いことベース。これは自然にできた示し合わせみたいなもんで、1万円から乖離していくほど高いなあ(質がイイんだろうなあ)というイメージ。もちろん、このイメージを逆手に取ってボッタくってくるヤツもいれば、お買い得と見せかけて塩を販売してくるヤツもいる。
町中からイラン人が排除された今、購入場所は流行りのダークウェブというやつ。ここで売人と連絡取って待ち合わせるのが今のトレンドだ。だけど、Tor経由でアクセスしなきゃたどり着けないってわけでもなくて、特定の隠語と組み合わせてググれば、簡単に出てくる。仮想通貨の取引所なんかと違って、単なる数字のやり取りじゃないぞ。売人と客が最終的には直接顔と顔を突き合わせるんだ。礼儀は欠かせない。でも、ナメられたら最後さ。笑顔で塩を売りつけられちまう。ストリートじゃいつだって、ビー・ポライト、ビー・プロフェッショナルなんだ。
で、だ。
どうせお前らは「覚せい剤」なんてシロモノは、芸能人が逮捕されたニュースでしか知らないんだろう。シャブピーだのアスカだの、田代だの、清原だの、あのあたりだ。ヤクザや芸能人、コンビニのイートインスペースで大五郎飲んで気絶してるドロップアウターだけの、壁の向こう側の人間の話だと思ってるんだろう。
これだから、ノマド生活に憧れる脳内お花畑シティーボーイはダメなんだ。現実を見ろ。年間1万人以上が覚せい剤で逮捕される国だぞ。発覚しているだけでその数だ。まず、そう遠くない距離の人間が手を染めている。お前らには全く気づかれず。突然C型肝炎になりました、なんてヤツが周りにいたら、要注意。そいつは俺の知り合いの知り合いかもだ。
じゃあ、彼らは何のために覚せい剤に手を出してるんだ?
覚せい剤最大の利点は「眠らなくていい」「疲れが飛ぶ」「やる気が出る」ところにある。通常では体験できない快楽が云々・性欲増大とか言ってるヤツは耳学問の青二才だから気にしなくていい。それはヘロインやMDMAだ。確かに覚せい剤でも、感覚過敏にはなるが、そんなもんは副次的だ。男にとっちゃ、単に集中力が増すから、セックスをやり続けられるってだけだ。
いいか。覚せい剤ってのはな、仕事で疲れた時、ちょいと会社のトイレで粉にして鼻から吸うだけで、次の24時間バリバリ戦えるんだ。0.2g=1万円とした場合、1回の目安が0.02gだから、1回1000円。ここぞという時にキメれば、1000円で24時間は戦士になれるんだから、安すぎる。下手すりゃロクに薬効のない栄養ドリンクより安上がり。もちろん、逮捕されるリスクはあるが、そんなもんにビビってちゃ資本主義社会では戦えない。ヒップがスクエアのふりをし続けるにはコストも甘受せにゃならんのさ。
だがな。この「眠らなくていい」ってのが最大の利点でもあり副作用でもある。
アドレナリン過多で飯も食わなくていい&眠らなくていい魔法の薬効が切れた時、人間はどうなると思う?だから俺たちは畏敬を込めて「元気の前借り」と呼んでいる。
この薬効切れ状態(いわゆる「ヨレ」)をどうにかするために、もう1発決めよう…となりゃもうオシマイ。ジャンキーまっしぐら。そう遠くない日に、12時間パックで入った個室ビデオの机に注射器(通称:道具、ポンプ、ペン)をズラリと並べている自分と出会うことになるだろう。だけど、栄養ドリンクと同じで、ここぞという時の武器にしてるヤツはそこらじゅうにいる。ジャンキーにもならずに。なぜなら、用法用量を正しく守ってさえいれば、大して危険なクスリじゃないからだ。法を無謬のものと固く信じ、日々ポリティカリーに生きてるお前らピューリタンには分からないかもだがね。
まあ、はてブ民はヨッピーの言う通り、素直に温泉で交互浴でも試しときゃ疲れを取るには十分だろう。でも、一般知識としては知っておくように。
タイトルとリンク先のグラフしか見ていないけれど、いろいろと疑問が。
博士取得者と十把一絡げにされているけれど、工学など産業に直結している分野の博士取得はどのくらいなんだろうか。
博士取得者は新卒、途中とどっちで採用している事例が多いんだろうか。
博士取得者、修士取得者、学士取得者の5年後の職域・職級はどう違うんだろうか。
日本の企業が高学歴人材を有効活用できていないのか、高学歴人材を作ることそのものが無駄なことなのか、丁寧に議論しないといけないと思うけれど。
実のところ、有効活用できない日本企業に嫌気がさした人たちが外資にほとんど持って行かれているから結果が出てないとかだったりして。
日本企業が博士号取得者の採用を増やすと、逆に生産性が下がるとする分析を日本経済研究センターがまとめている。
一人前の研究者とされる博士人材は日本では、企業が終身雇用制などに縛られて人材を使いこなせていない可能性や、大学で企業の研究現場で役立つ人材が十分に育っていないことが考えられるといっているが根拠となるグラフがいくらなんでも以下のものだった。
https://www.jcer.or.jp/policy/policy-proposal/detail5316.html
どうみても疑似相関です。ありがとうございます。これで相関や関係を論じられるわけななんてないだろう。もっと丁寧に変数の関係性を立証したうえで、議論するべきでは?
使っている変数の根拠となっているのが、博士号取得者・労働生産性・鉄鋼業生産でのみ相関を見ているがいくらなんでも中間変数やらの議論が抜けすぎているのではないか?
この研究で組み立てるとすれば、博士号取得者が増えたことでどういった影響あったかを総論的にまず見ていく必要があるのではないか?
そして比率で博士号取得者をやっているが、これから労働生産性全体まで波及して影響を及ぼすなんて無理だろう。
注1 匿名はてなで画像乗っけるやり方がわからなかったのリンクのみ
注2 匿名で卑怯だというのならば、是非ともこの件はデータ分析関わる博士として身分を公開して議論を行いたいため著者らと話をしたいところである。
注3 関わっている研究者を見たところそれっぽい人はいるのだが、本当にこれちゃんと読んだうえで議論しているのだろうか。主執筆者と思われる主任研究員、福主任研究員の方は博士号を持っていないようだ。まぁ無くても研究論文は出せるから良いとは思うが流石にちょっとなぁ・・・
なるべく多くの人に見てもらって情報、反応、反論等欲しかったので煽り気味に書いてるところはある。そこが気に障ったのならすまん。
まあ私の文章に煽りや売り言葉に買い言葉がないとは言わないのでそこはお互い様ということで。仲良くマサカリ投げあいましょう。
あくまで自分の見方を紹介しているだけで理系のやることが全て正しいとも思ってない。ただ理系では日本が一流研究をしていると誇る分野が数多くある一方で、文系の多くの分野で全体としては日本の学会は二流という嘆きが聞かれるのも確かだ(もちろんどんな分野にも日本人の一流研究者はいるだろうが)。
これ[要出典]ってタグ貼るべきところ? 私は最初の増田(anond:20180217012945)で(1つだけだけど)実例挙げたし、体験談ベースの話でよければ私の見た限りでは日本の外国研究ってけっこうレベル高いと思うんだけど。外国語に訳されても遜色ないモノグラフがたくさん出てる。
理系では著書でオリジナルな発見や研究成果を発表する奴はまずいない。いるとしたらほぼトンデモだと思って間違いない。文系増田が挙げてる怪しい医学博士とか。
文系では違うのか。正直文系のガチの研究書は見たことがない。三浦瑠麗の著書も調べてみたが、タイトルや値段を見る限り一般向けだろう。大学書籍部や図書館を探せばあったんだろうか。ただ(博士論文の出版等は除いて)著書で最新の研究を発表するというやり方は、どの部分に新規性があるのかの表明や議論の双方向性等に問題がないのだろうか?新規の研究成果なら第三者の査読を経て論文にするのが正統なように思えるが。数学の証明のように検証可能性が極めて高ければホームページで発表とかでもいいんだろうけど。
そこからか。何のために研究雑誌にBook Review欄があると思ってるんだ……(和文だろうが欧文だろうがたいていのメジャーな学術雑誌にはBook Review欄はあるし、場合によっては書評に査読がつくよ)。ていうか普通、序章とか第1章とかで先行研究の整理をするし(一般向けも混在するレーベルだと編集に嫌がられることもあるらしいけど)、そこで自分のオリジナリティについても言及するよな。
あくまで一例だけど、先日出た研究書の目次はこんな感じ→http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0871-6.html(適当なUniversity PressのHPを開いて適当な新刊をチョイスしただけなので、内容については何も言わないし、言えない。なぜなら私は読んでないからだ。あくまで「ちゃんと章立てに先行研究って入ってるでしょ」というサンプルとして受け取ってほしい。目次で明示されてないだけでちゃんと先行研究の整理をしている本もあるので気をつけて。それはそれとして面白そうな研究だと思うんで余裕があったら読んでみたい)。
駄目な研究は本として出版したってロクに引用されずにアカデミアから消えていくだろうし(もちろんあまりにマニアックすぎて引用するひとがいないという悲しい状況も有り得るのだがそういう場合は学術雑誌の書評でちゃんと良い研究ですよって言われてるからな。おべっか書評がないとは言わないけど、むっちゃ辛辣な書評も見かける)、まともな研究書なら議論の典拠は明示してあるんだから議論の双方向性に問題はないでしょ。
三浦瑠麗の著書、内容(https://www.iwanami.co.jp/book/b261983.html)を見る限りでは研究書ということでいいと思うけど。文系は割と凝ったタイトルつけるひと多いからタイトルだけで研究書じゃないと即断することはできないし(『想像の共同体――ナショナリズムの起源と流行』も『〈日本人〉の境界――沖縄・アイヌ・台湾・朝鮮 植民地支配から復帰運動まで』も立派な研究書です)、値段についても、うちの分野の研究書の半額くらいの値段で売れて羨ましい限りと思うけど、それが研究書であることを否定する材料にはならない(ていうか一般書だとしたら3000円以上ってクソ高では)。国際政治学の一般理論みたいに需要がある分野ならそれなりに廉価でも採算取れるよね。研究書は別に専業研究者だけが読むものではないので、政治学者以外の教養人にも売れそうだと判断したらこのお値段になるのは別に不思議じゃない(逆にマイナー分野では……お察し下さい。売れない→高い→売れない→高いの悪循環でございます。学術成果刊行助成でなんとか刊行できてる研究がたくさんあるんだよなぁ)。気が向いたら図書館で実物見てみるわ。
何度も言うけど、中身は知らない。ひょっとしたらダメダメな内容かもしれない。でもそれは、査読通ったちゃんとした学術論文でも中身がショボかったりオリジナリティが希薄だったりすることがありうるのと同じで、ダメダメだから研究業績にカウントされないということにはならない。たとえそれがサラミ論文であったとしても、英語で書かれた査読つき論文だったらそれは業績としてカウントされるべきだよね。公募で採用されたり学術界で優れた研究者として認知されるためには内容が優れてないといけないし、こんなサラミ論文しか書いてないやつがなんで○○大の講師なんだ! という批判はされていいと思うけど、それはあくまで内容を見た上での話であって、形式だけを見て業績じゃないと言うことはできないはず。今回の元増田の批判が内容を見た上での話なら『シビリアンの戦争』を未読の私は何も言ってないし言う資格がないけど、理系増田も読んでなくて、ここではあくまで形式の話をしてるんだよね。形式の話をするなら彼女は学術業績としてカウントされるべき本を書いていますとしか言いようがない。
一般論からすると著書はオリジナルな研究業績であり得るが、逆も然りで著書は必ずしもオリジナル研究業績とはみなされないというべきなのでは。門外漢は著書数もオリジナル業績数とみなせという主張は言い過ぎだろう。
「著書はオリジナルな研究業績(でありうる)」「研究書は立派なオリジナルの研究成果」と私は書いてるよね? それで前段へのアンサーになってると思うし(そのうしろでちゃんと「一般向けの本」と「研究書」を分けて記述してるよな)、そもそも私は最初の増田(anond:20180217012945)で「新書2冊はおいといて」って書いてるので、“すべての著書”がオリジナルの研究業績なんて端から主張してないってことは読めばわかってもらえると思ってたんだけど(オリジナルな研究を書籍化したものを「研究書」と呼ぶわけだから、“すべての研究書”はもちろんオリジナルな研究業績です。一方で著書のすべてが研究書というわけではないので、“すべての著書”が研究業績というわけではありません。こう書けばわかるかな?)。
後段、著書はオリジナルの学術業績とはみなされないという理系のローカルルール持ち出して他人を業績が少ないと批判する方が言い過ぎでは。いやもちろん他分野の常識に詳しくあらねばならない必然性はないけど、他人を「業績が少ない」と批判する以上は他分野の「業績」の基準も知っておくべき、って、そんな無茶な主張? 文学でも歴史学でも政治学でも社会学でも教育学でも文化人類学でも哲学でも法学でも、おおよそメジャーな文系の研究分野ではだいたい研究書はオリジナルな研究業績としてカウントされるんだから(これは英語圏でも変わらないと思うよ。少なくとも私の専門分野や隣接分野では英語だろうがフランス語だろうがドイツ語だろうが韓国語だろうが研究書はオリジナルな研究業績です)、文系からするとその常識が通用しない方が非常識ですよ。理系のローカルルールを勝手に学術界の一般ルールに敷衍するのやめてもらえます?
院生だろうが単著で論文を発表するのがふつうの分野の人間からすると、理系では指導教授が論文の著者に名前を連ねるのか、変わった慣行だなぁ、って思うけど、それは理系の慣行なんだなとして受け止めてるし、この研究者は自分の学生の論文に名前を連ねて論文数稼ぎしてる! なんて主張しないよ(もちろんギフトオーサーシップは批判されるべきだけど、理系では自分が指導してる学生の論文の共著者になるのはギフトオーサーシップではないんだよね? このへん詳しくないので間違ってたらごめん)。分野が違うと業績のカウントの仕方も違うんだなぁ、って受け取っておけばいいじゃない。
その上で現在日本語の地位が低い分野や日本語でやる意義がまるでない分野まで、日本語で最新の論文を書いてもよい、あるいは日本語の地位を高めていこうなんていう理由がよくわからない。例えば挙げてくれた西洋古代史の最新論文を日本語で書くことに何の意味がある?日本全然関係ないのに?解説書や教科書は別だ。日本語で多くの人が学べることには意味がある。でも論文なのだとしたら欧米の研究者が読まなければ学問の進歩に乗らないんだからただの自己満足だろう。アマチュアの研究者だとしたらそれでもいいんだが、大学の研究者はプロだろう。国から研究費貰って英語が中心の分野で日本語しか書かないのは国民が納得しないだろうから税金泥棒としか言えない。
将来英語が中心じゃなくなることもありうるだろうという論を挙げているがそれは詭弁だ。理系だってラテン語から現代語への変化やドイツ語、フランス語の凋落を経ているが、最新の論文を主流の言語で書かない理由はない。(欧米の科学力を中国が圧倒的に上回ることは考えにくいが)将来中国語になるんだとしたらそれもいいだろう。もし仮に日本がその学問分野で覇権国家になるプランがあってそのためのリソースを投じているっていうなら別だけど、そうじゃないなら英語に圧倒的に負けてる分野はさっさと降伏して英語ベースにしたほうが世界中の学者のためになるし日本人が世界に認められる学問的成果をあげるためにも効率的だと思うんだけど。国際政治学についていえば英語圏の研究が中心だという知識は増田にもあって、反米主義だったり日本の世界覇権を夢見ていたりといった特殊な思想的背景があるわけでもない研究者が英語論文を書かないのだとしたら、怠慢あるいは研究の先進性の不足の誹りを免れないであろう。
これ最初にも書いたけど、主要国のアカデミアでは文系の研究の多くの部分を自分の国の言語でやってます。たとえそれが自分たちとは縁遠い地域のことだとしてもね。日本語と英語以外の言語で書かれた日本学の論文なんて日本人研究者はあまり読まないんじゃないかと思うけど、たとえばポーランド人はポーランド語で日本学の論文書いてるし(https://ci.nii.ac.jp/naid/120006355425。ちなみに、このポーランド人みたいに、日本人の外国研究者がその国の言葉で日本での研究状況を紹介するっていうのは既にあちこちでやられてます)、それは日本のアカデミアで読まれていないとしても日本学の発展に寄与しポーランドのアカデミアを豊かにしていて、仮にポーランドで極めてオリジナリティが高い研究が出てきたら日本人の日本学者も何らかの方法でそれを読まないといけないだろうと思うわけですよ(別に自分で読む必要はない。他人に読んでもらえばいいんだから。翻訳ってそういうことだよね)。ポーランドのアカデミアは当然ポーランド固有の問題意識を持っているし、その土壌から日本にはない新鮮な日本観が生まれてくるかもしれない、という点で、色々な国のアカデミアがそれなりに独自の発達を遂げていることは重要だと思うけれども。
当たり前だけど西洋古代史の論文が日本語で書いてあっても最新の研究動向は反映されているわけ。書いてるひとは西洋諸言語読めるわけだしね。向こうがそれを読めない、または読もうとしないからといって先進性がないわけではない。読まれる/読まれないという尺度と研究が先進的である/先進的でないという尺度は別だよね? 混同すべきじゃない。そこにはちゃんと研究蓄積というものが存在しているんだよ。明治期以来、主要文系分野では日本語の分厚い研究蓄積がある。もちろんそこには西洋の猿真似だったり「横のものを縦にした」だけの研究もたくさんあるかもしれないけど、それらは日本のアカデミアを間違いなく豊かで質の高いものにしてきたと思う。
で、哲学の本場はドイツとかフランスとかイギリスとかだと思うけど(イメージが貧困すぎたらごめん。正直哲学のことはよくわからないんだ……)、日本人哲学者が優れた哲学書を発表すればそれはちゃんと英訳されてオックスフォード大学出版会から出版されていたりするのね(https://en.wikipedia.org/wiki/Kojin_Karatani)。これは日本語圏で外国人に読まれない研究を積み上げていても、良いものを書けば「日本の研究者面白いことやってんじゃん。翻訳して読んでみようぜ」ってなる実例なんじゃないかと。
根本的な話をするなら、「国際政治学」という分野の標準言語が英語である必然性はどこにもないわけだよね。それは英語圏で優れた研究が積み上げられてきた帰結であって、英語圏の人が自分たちの言語で研究成果を積み上げた結果それが参照されるべき言語になっているだけの話。要するに彼らは先行者利益を得ているわけ。現代思想の分野でフランス語が大手を振って歩いているのも、フーコーやその他の人たちがフランス語で優れた成果を書いてきて、それが受け入れられてきたから英語や日本語にフランス語の文献が訳されまくっているという現状がある。日本語がこの高みを目指してはいけない理由はないよね。
私はここまで書いてきたような理由で日本語で論文を書くのも重要な営為だと思う(加えて、執筆言語が自国語であることは東アジアや欧米の主要国の文系アカデミアとしての標準に則っているので、ことさら日本のアカデミアだけが批判される謂れはないよな、とも思う)。ただ理系増田がそれにどうしても同意できないなら、それを説得する言葉を私は持たないなぁ、とも思う。私の論拠はだいたい言い尽くしたので、執筆言語の問題についてこれ以上理系増田に答えようとは思わない。なんと言って終わらせればいいかわからないけど、とりあえず、お互い研究頑張りましょう。
https://doda.jp/careercompass/hitome/daigaku.html
30代 平均707万円に対して最高3000万ってのが印象的
グラフも400〜700万円という割と普通の会社員の帯域がボリュームゾーンなんだけど
5億年後に太陽が赤色巨星となり、地球のすべての生命が絶滅すると語った
地球の生命、高温化で28億年後に死滅? | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
今後の40億年間、太陽の光度は絶えず増加を続け、地球にとどく太陽放射の増大をもたらす。太陽放射の増大はケイ酸塩鉱物の風化を加速させ、大気中の二酸化炭素濃度を低下させる。今から6億年後には、地球の二酸化炭素濃度はC3型光合成を継続するための水準を下回り、樹木の生存は不可能になる。一方で、一部の植物はC4型光合成を利用しており、10ppmという低い二酸化炭素濃度でも存続することができる。しかしながら、長期的な傾向は陸上の植物をすべて死滅させることになる。地球の食物連鎖の基礎である植物の絶滅は、ほとんどすべての動物の死も意味する[11]。
正しい目盛りで描かれた大気中のCO2濃度の経年変化グラフ - 宇宙船地球丸
原発温廃水が海を壊す
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4896602080/
8〜12世紀にかけて起きた地球規模の海水面の上昇が、日本の平安海進である。1100年頃には海水面は現在より約60㎝上昇
ttps://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/1-2-2-27-2.html
今日ネットで見つけた記事がひどかったので思わず書いてしまった。
とある「医療ジャーナリスト」なる人が書いている記事で、アメリカの大学が行ったという実験結果のグラフをみせて「ほーら、○○にはこんな効果があるといわれているよ」と言っているのだが、実際その結果は有意性が無いものだった。
この人自身は英語ができないわけではなさそうなのに、なぜあのグラフを使ったのか。ちゃんと読んでいないだけならただの給料泥棒。内容は知っているけれど、自分の説をサポートするためにわざと真実をぼかしてグラフだけ使ってるのならクソジャーナリスト。
奨学金が充実してるというけど一流大学は基本私立だし学費は年間500万円、公立でも200万円する
奨学金のこと言う人はなぜかもらえる前提だけど、みんなもらえるなら学生ローンで苦しんでるアメリカの学生の事情がニュースにならないわけで
ちょっと都合よすぎる話だと思うんだよね、知らないならアメリカ 学生ローンで検索してみたらいいと思う
参考:http://toyokeizai.net/articles/-/167691
参考:https://cdn.statista.com/chart/15235/outstanding-student-loans-in-the-us/
あと、奨学金じゃなく学生ローンに名前変えろっていう小細工系の意見もアメリカを例に考えれば意味がないってのが分かるよね
ドイツの国立大学は学費が無料だ!と思うかもしれないがその犠牲が進路選択に出る。
なんとドイツは小4で進路が決まるんだよ!小4!ドイツも義務教育は9年なんだけど、小学校は4年までで、その時の成績で進路が決まる
成績の悪い人が行く職業訓練校みたいなMittelschule(昔はHauptschuleと言われてた)
中くらいの成績の人がいく専門学校みたいなRealschule
そして大学へ行く人向けの予備校みたいなGymnasiumに振り分けられる
最近は多少緩和はされてMittelschuleやRealschuleから大学行くこともできなくもないけど、基本は小4で決まるんだよ
たしかに学費は無料かもしれないけど、言ってみれば実りが小さそうなやつを選定するという結構きついことやってるわけ。ほぼ優生学だよ
日本の奨学金の話だけど、いってみればグラミン銀行みたいなもんだよ
グラミン銀行ってしってる?はてなの人は知ってるかもしれんが、ノーベル平和賞をとるくらい世界的な評価されたバングラディッシュの銀行
この銀行が面白いのは金利の低い銀行では借りられない人に、高利で貸してあげたのよ
なんで高利貸しなのに評価されたのかというと、そもそも普通の銀行で低金利で借りれる条件は信用できる肩書でなければいけない
だから本当にお金に困ってる貧しい人はお金を借りる立場にすらなれなかった。
それを金利は高いかもしれないけど審査基準を下げる高利貸しなマイクロファイナンスを作ったら、お金に困ってる人が助かるんじゃないかってことだった。それが評価されたわけよ
女性の自立にもつながったりとか、その辺が評価されたからノーベル賞を受賞したんだと思うよ。高利貸しが弱者を救った面白い話だよねこれ
給付型の奨学金は聞こえはいいけど、それがもらえるのは限られた人で成績上位な優秀な人に集中するのが目に見えている
そりゃそうだよね、給付の奨学金なんて成績優秀な人以外にもあげたらパンクしちゃうもん
本当に助けなければいけないのはそこから漏れる、微妙なラインの人たちじゃないのかって話なのよ
だって給付型にして奨学金もらえそうな頭のいい子って、裕福な家庭だったりするんじゃないの?
たとえば東大生の親の年収は1000万超えてるのが普通だったりするわけで
たとえばそもそも働いて返せないっておかしいじゃんとか、そもそも大学多すぎない?とか、そういう方向で議論するべきだよね
ドイツの小4は極端だけど、高卒でも食っていける国造りのほうがまっとうな気がしますよ僕は
学歴別の給与差のグラフをバーンと張り付けて、大卒と高卒でこんなに違います!とか煽って、大学進学させようって躍起になるけどさ
なのにはてなは学歴エリートが多いからさ、もっと大学行けって思ってる連中の巣窟なわけで、そういう発想はできないよね。
給与格差って学歴じゃなくてある程度は相対的なもんだから、みんなが大学行ったら大学いっても食えない人出てくるよねそりゃ