はてなキーワード: 述懐とは
西部邁は本物の保守とかよくいわれるが、思想の根本は割とシンプルだ
要は
『人間はそれほど賢くないので、進歩に見えても必ず落とし穴がある。だから変化には慎重に』
ということだ。まあ確かに保守思想の根っこを押さえているともいえるので、本物といえば本物かもしれない
その延長上に、米国を進歩的として追従する姿勢への批判があり、近代や革新への批判があるわけだが、残念ながら多くの致命的な誤算があった
まず第一に、小林よしのりと組んで保守思想を広めようとしたが、結局は浅薄なカジュアル化にしかならず、保守を権威主義とマウンティングに利用するだけのネトウヨを大量に生み出すこととなった
第二に、米国追従なりが既成事実化してしまうと、変化を嫌う「保守」は簡単に逆転してしまうことを忘れていた
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1162964
小生と旧仮名遣いには近付かないようにしてる
旧かな使ひは見かけたら二つ向こうの山まで逃げる案件
確かに「正かなクラスタ」とその周辺はいっつも論争してて、巻き込まれたら面倒臭いから近寄りがたいイメージがある。
もし本気で歴史的仮名遣(旧かな、正かな)を布教したいのなら、そんな印象を撒き散らし続けてる時点で戦略的には失敗だよなあ、と前から思ってる。
個人的には、歴史的仮名遣は現代仮名遣いより技術的にまともだと思ってるから尚更。
「正かなクラスタのことは嫌ひでも、歴史的仮名遣は嫌ひにならないでください!」とでも言っとけば良いのかな。
「本物の旧仮名遣い」って何なんだろ? 山岡士郎さんに頼んだら見せてくれるのかな?
冗談はさておき、字音仮名遣を守ってなくても和語の仮名遣がきちんとしてるなら、広義の歴史的仮名遣に入れてあげてほしい。字音仮名遣も「春」は「シユン」か「スヰン」か、「共」は「キヤウ」か「クヰヤウ」か、なんて具合に何が本物か追求しだしたらキリが無いし、いろんな流儀に寛容になっとく方がみんな気楽。
安田理央さんの「大きな胸はどう呼ばれてきたか」という文章が素晴らしい。是非読んでいただきたい。
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous01
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous02
http://blog.heart-closet.com/news/history_of_voluptuous03
安田さんの文章でも前提とされているし、知っている人も多い話だと思うけど、江戸時代の銭湯は混浴だった。昔の人はハダカを恥ずかしく感じなかったのか? 異性のハダカに欲情しなかったのか? という疑問が浮かぶが、どうもそうらしい。昔の銭湯のお湯は熱く、湯冷ましのため男女とも服を着ずにハダカで家に帰ったというから相当なものだ。また夏は道にタライをだして行水の習慣もあった。
明治時代になって、西洋人から男女がハダカで混浴したり、公共の場所にハダカでいることが破廉恥だと非難されたため、政府により街場の銭湯の混浴は禁止される。しかし田舎の温泉宿などは、いきなり浴場をもう一つ増やす財力が無いので、ロビー活動をして混浴という状況を許してもらう。その後世情により徐々に男湯女湯の区別が作られては行く。しかしガチの混浴の習慣はいつまで残っていたのか?
1961(昭和三十六)年、押田氏が栃木県の鬼怒川温泉に投宿したときのことである。同氏は同僚と飲んだ後に二度目 の入浴のため大浴場に向かう。時間も遅かったので先客は誰もいず、一人湯船につかっていると、やがて脱衣場の方から声がする。そして二十代から五十代 の女性七、八名が、浴場に入ってきたというのである。いずれも仕事がはねた 仲居さんたちである。人数的にも圧倒され、湯船から出るに出られなかったと押田氏は当時を述懐する。
1960年代まで田舎では、特に裸は恥ずかしくなかった可能性がある。観光旅館ではなく、地域の共同浴場なども混浴が残っているケースは多く、70年代のドキュメンタリー番組で「若い人は気まずい」という解説とともに紹介されていた記憶が自分にもある。
ハダカはともかく、ムネはいつから恥ずかしいのだろうか? 昔の海女さんや炭鉱で働く女性は、男性のように上半身ハダカだったらしい。これもどうやら1960年代、女性の間にブラジャーが普及するのと平行して、恥ずかしいという意識も広まっていったようだ。
しかし女性が一旦胸部にブラジャーをつけると単に美しく見せるだけではなく、それとは別の副次効果が現れる。先の井上章一氏の言葉を応用すると「ブラジャーをつけだしたその後に、女性は胸部により強い羞恥心をいだくようになった」と言える。こうして、従来は羞恥心の対象外だった女性の胸部が質的に変化する。昭和三十年代には普通に見られた、街頭で母乳をやる女性たちも、授乳室の中に隠れるようになる。
いずれにしても上記のことから、女性のハダカを見て男性が興奮するのは、決して本能などではないことは容易に推理できる。欲情する気持ちは、文化により形作られた、女性が羞恥心を感じている様子に引き出されるもの、あるいは国家権力に規定された禁忌を破ることによる興奮なのだ。そもそも男性が女性に欲情することが自然なのかどうかもわからない。橋本治さんの受け売りだけど、森鴎外の時代、男子大学生は硬派と軟派に分かれていたが、硬派とは下級生男子に欲情するもの、軟派は女性に欲情するもので、鴎外は性暴力の被害を恐れナイフを携帯して通学していたという。
https://anond.hatelabo.jp/20170626192037
こんばんは、id:sugimurasaburo さんからIDコールをいただきました。ありがとうございます。船橋海神(id:cj3029412)です。本職はねこちゃんの保護、趣味はブログで嘆くこと、在野で中世古文(特に助詞助動詞)研究を行っております。キャッチフレーズは「(´;ω;`)」「でかいです」。将棋も大の好物です。
以下は私の私淑する大野晋先生およびその決定的名著/集大成であらせられますところの(敬語の誤用)「岩波古語辞典増補版」(2016/1/12補訂版第23刷)に依ります。
よろしくお願いします。
(A)~(D)は上の引用解説を便宜的に分類した符号。【訳】は私のもの(一部、戯れ)です。
元増田氏の理解(「加藤一二三という男がいたそうだ」)(「伝聞の過去」になるんじゃないだろうか?)とは少うし違いますけれど、私も第一感、失礼…というか、そんなに遠い昔の話だっけ、という印象です。端的にいえばアホバカクズ受信料払わねえぞと申し上げています。
(ちょっと一休みしましょう)ちなみに、この日記に私が付けたタイトル「強いんだっけ」の「け」がそうです。「けり」の「り」が落ちました。
米長邦雄永世棋聖くらいでしょう。米長先生が戯れに「加藤一二三という男、ありけり」とおっしゃる、これはありえます。「君たちは知らないだろうが、私もいま思い出したのだが、加藤一二三という男がいましてね」あるいは「あら、こんなところに加藤さん、(ずっと)い(らっしゃっ)たんですね(気づきませんでした)」。しかしこれも(ジョーク以外では)無理がありますね。ありえるとしたらかなり特殊な状況ということです。
(参考) https://www.youtube.com/watch?v=pr6-Bv3RVTw
https://anond.hatelabo.jp/20170626193212
トラバの増田氏、慧眼です。古文研究をやっていてよかったなあと思う瞬間です。筋違いながら御礼を。
ネットスラングの【場合によるんだ(よ)なあ】で訳すのが一番しっくりくると思います。(過去)回想/気づきの原義は退き、(自分も気づいた)から同意/強意/念押しのニュアンスが全面に出てくる、その変化点が味わい深いですね。ちなみに、この線でお題の「加藤一二三という男、ありけり」の出るような状況を無理やり設定するとしたら、棒銀のことを話題にしているのにスレのだれも加藤先生のことを話題に出さない。そんなときに【加藤一二三という漢がいたんだよなあ】と、誰かがきっと書き込むでしょう。例えば、そんな感じです。これも、やっぱり例外的ですね。
「けり」は、幅の広い、陰影に富む助動詞です。それを、おそらく伊勢物語から(あるいは、伊勢であることすら忘れて何となく)「昔、男ありけり。」をただ引っ張ってきてNHKは使ったのではないかと想像します。ここからは物語論の範疇ですが「昔、~けり」とやると、一気に作品世界が遠い昔/架空の物語に飛ぶ。その効果を古人はよほど気に入ったのでしょう。いろんな作品が「昔、~けり」を使っています。NHKはさすがに「昔、」とやるのはおかしいということまでは感じた。ならば、もう一歩、脚を止めて考えるべきだったと思います。
お粗末さまでございました。
「けり」の思い出し(回想)効果は、いちど忘れていたことが前提になります。いま、加藤一二三先生のことを忘れてしまっている人はいませんね。ですから失礼というのは正しい直観だと僕は思います。
「けり」を使うくらいですから、7/1のNHKは「神武以来の」と形容されたデビュー当時の、みんなが直接体験過去としては忘れてしまっていたところにフォーカスするのでしょうか。あるいは第19期名人戦で大山康晴先生にこてんぱんにやられたことを加藤先生に述懐していただき、秘話を発掘するといった「気づき」があるのでしょうか。よもや、升田幸三/米長邦雄を冥土の鷺宮から召喚するのか。期待しないで待ちたいと思います。
いずれにせよ、今回、元増田氏が感じたような、現代人の古語の扱い方に対する「もやもや」は、古語研究のもっとも大切な礎の1つです。ぜひ今後とも大切になさってください。楽しかった\(^o^)/
いやまあ、20年を経て初のアニメ化*1ってことでちょっと期待しちゃって、ちょっと違うな感が残るのは分からないでもないんだよな。
でもあれ1本で原作の骨子にまで踏み込むのは普通に考えて難しいってのも皆分かってたはずなんだよな。
ちょっとでも違うと思ったらシャッターをバシャン!って閉めちゃうオタクの感想とか読んだりしてちょっと悲しかったけど、どんなオタクにも譲れないポイントってのは必ずあるので仕方ない。
でも個人的にあの劇場版はポジティブに評価したい。作品面も、Netflixを通じた海外配信というビジネス面としても。
弐瓶勉本人も語ってるように、BLAME!原作は作中での設定や世界観の説明を徹底的に排除していて、
そんな中でたとえばシボが超構造体を突破できなかったと述懐したり、ドモチェフスキーが超構造体を盾にして戦ったり、
そういう小さいエピソードの積み重ねで「超構造体とかいうやべーやつ」「それを破れる重力子放射線射出装置とかいう超やべーやつ」という謎めいた層が読者の中に形成されていって、
霧亥も霧亥で倒れては蘇り倒れては蘇り…ってのを積み重ねるうちに「霧亥とかいうやべーやつ」という分厚い謎の層ができあがるんだよな。まるで階層都市そのものみたいに。
そういう厚みがBLAME!世界の広大さを引き立てる要素だったわけで、その体験を映像で丸々再現するには同じことをするしかないんじゃないかなと思う。
翻って劇場版を観ると、電基漁師との邂逅エピソードを抜き出して整理した感じ。
東亜重工や珪素生物など原作のキー設定をばっさり切って説明的なシーンを足したという点は原作の厚み・スケール感を大きく損なったが、ストーリーは相当分かりやすくなり、
シドニアのヒットを受けて原作ファン以外も取り込まねばならなかった制作陣の判断がうかがえる。(「説明しすぎ」という感想もあり、それも分かるのだが、あれでもチンプンカンプンな人は結構いると思うのでSFは難しい…)
ただ、いわゆるダメ実写化とかダメ映像化にありがちな「物語の根幹から大きく外れた設定・キャラを出して破綻」というのが殆ど見受けられなかったのが何より良かった。安堵した。
好悪あれど、原作をしっかり軸に据えた上で、その枠内でエンタメにしようとしてくれたのが嬉しかった。サナカン侵入シーンとか原作より恐怖を感じた。
「トフボーデン(塗布防電)」とか初見じゃまず分からないガジェットもぼかさずそのまま出してくれたし。「駆除系を妨害するわ!」みたいに説明セリフで済まされてたらもうどうしようかと。
ラストについても賛否あるけど、シボやサナカンは体を乗り換えられる世界だから原作との整合性もある程度取りやすい、それ故のアレなのかもね。百合妊娠世界救済エンドはまだありますよ。ありますとも。
原作ファンにも初見客にも共通する正解ではないし、そもそもそんなもの存在しないけど、少なくとも105分という枠の映像化としてはまあほぼ最適解だったんじゃないかなって思いました。
(*1) 正直これまでに制作されてきた短編群の方が原作の雰囲気をよく伝えていると思うが、やはり商業的に難しいのだろう。今作の方向性が皮肉にもそれを示しているように見える。
サバイバル部の同好会への格下げを阻止するため、縦ロールのお嬢様は生徒会本部に乗り込んだ。
生徒会室に待ち受けていたのはディーゼル排気音に聞こえた生徒会三人衆。すなわち、
「リフトの書記!」
「そして、ユニックの副会長!!」
乗り物ごと待ちかまえていた三人に、お嬢様は肩をすくめた。
「自己紹介ご苦労様ですわ。でも、きちんとフォークリフトや高所作業車と言わないと一部でしか通用しませんわ」
「おだまり!!」
「ひだまり」スヤァ
「あと、ユニックはインシュロックさんと同じく商h」
重量級の作業機械を前にしても、つとめて優雅に縦ロールのお嬢様はかぶりを振った。
「いいえ。でも、ここでは貴方たちの乗り物にそぐいませんから、
さわりがなければ、それぞれわたくしの指定した場所に来ていただきたいですわ」
「姑息な手段を弄しても、結果は変わりありませんが……いいでしょう。
あえて受けて立つことで格の違いを見せつけてさしあげます!」
書記のフォークリフトは砂場で待ちかまえる縦ロールお嬢様に突進した直後、思いっきりスタックした。
「フォークリフトの接地圧は意外と高いのですわ。
十分に転圧していない地面での走行は要注意ですわ。おーほっほっほ」
「なぜです!ちゃんと入構申請はだしてあるはずです!!」
「すまんのう。垂直に伸び縮みするタイプの高所作業車だと思っておったもんで
副会長のユニックはコンクリート敷きのピロティに進入して先生に怒られた。
黒タイヤじゃコンクリートに跡が残るでしょう。消えるまでお掃除よ!!」
副会長「ひーん」
「ブルーシートがなければ絨毯を敷けばよろしくてよ。おーほっほっほ」
「これで残すは生徒会長のみですわね」
「壮絶な戦いだった」
「貴方、ずっと生徒会室のミニクローラークレーンに目を輝かせていただけでなくって?」
生徒会長室のドアが内側から開いた。ボーイッシュで浮き名をはせた生徒会長(アフロ+螺髪)が飛び出してくる。
「その話、まぜてもらおうか!!」
「つれない!?ならば、自慢の100トンクレーンで吊ってやる。増田だけに!!!」
「お待ちなさいっ!!戦う前にひとつ言っておくことがありますわ。
わたくしたちお嬢サバイバル部の正式名称はお嬢様DIY部のような気がしていましたけど、
「私もひとつ言っておくことがある。殴り込みを掛けてきたお嬢サバイバル部員は君たちで三組目だ!
もう勘弁してくれ!!」
「ならば格下げを撤回するヨロシ(すでに部員って言っているし)」
ポニテの提案に生徒会長(アフロ+螺髪)は身震いのように首を振り、クレーンの操縦室に飛び乗った。
「いいや、仏の顔も三度目の正直だ。
まずは私がこの10トンクレーンで100トンクレーンを組み立てるのを見守っているがいいっ!!!」
うぃいいいいいいいいい……
青ランプがくるくるくる。
「そんなの待てと言われて待っているお間抜けさんはいませんわーーっ!!!」
粘性の高いスラリーも干渉しないように同調して回転するスクリュー同士の働きで搬送されるっ!!
生徒会長は錐揉みしながら美しく上衣の破片を待ち散らし、クレーンのフロントにスタイリッシュなポーズで仰向けに倒れた。
「革命をするお嬢様とはなんであるのか。それは誰も知らない。めでたし…めでたし…たし」
本編1話
http://anond.hatelabo.jp/20160407225815
実は前回
芸術系就職浪人の鬱屈述懐がはてなでも時々高ポイント取得していて。
で、もうそっちには強い縁は無さそうだから趣味で足場固めとこうよ、というふうな意味で同人を募ったとして。
指食いちぎられたするのだろうな、と何となく疑ってしまう自分はチキンである。
っていうかね、大体人様の指を清々食いちぎりそうなほど、ギリギリの精神状態の人しか、はてなに書き捨てにこないんだもん。
こちらだって裏切りやマウンティングなどのリスクは考えていて、その上で「本物が欲しい」と思うのだし、ええ、まるっと趣味、ただの趣味、業界とのコネゼロを提示してさてどうしますかあなた、と風呂敷の結び目に手をかけてるんだから、平気なわけはないんです…が、指持ってかれるのは、流石にね。
泣き言ほざける人は、失敗した次の手をもう考えている人で、それすらもうできなくなっている人に、赤の他人は差しのべる手すらないのよ。恐ろしいから。
なんてね、そゆ意見が増田に出てこないのはなぜなのだろうと思ったりする。
なんでだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20140529173455
暇な女子大生さんが、どの程度はてなーたちの心をつかんで姫として君臨しているか…
はたして彼女は姫となるのか?
確かにブレイク初期のブコメ群には、彼女への興味・期待が熱量となって満ちていた気がします。
冷笑のコメントが多ければペールブルー。悪意が大きければパープル。賛同はオレンジ、怒りは真紅。
彼女へのブコメ群が放っていた(と私が考える)色は、マゼンタ90%。
広い意味での知的興奮と、性的な興味が入り混じっていたように思います。
あくまで私の実感にすぎませんが。
しかしながら現在では、彼女の快進撃をわりと冷ややかに眺めている人が多そうです。
なにやら怪しげなネット人脈を築き始めたことで、これは静観だ…
と、訓練されたはてなーたちは思い始めているのではないでしょうか。
とはいえ、獲得するブクマ数や注目度において、はてサーの姫の称号にふさわしい方として、暇な女子大生さんは抜きん出ておられます。
この話題をする上で外せない方が、ひきこもり女子いろいろエッチさんです。
あまり目立ちたくないというご本人の意向もあるようですが、最近ではホッテントリを賑わすこともめっきり減りましたが、根強いファンがいることも確かです。
「私のいる世界」と題するエントリは、はてな的純度100%という意味で、掛け値なしの傑作でした。
また、このエントリが話題になるやいなやネカマ説が飛び交った…という光景も実にはてならしいものでした。
彼女のデビューの少し前に引退?された「店長」との関連性も、重要なイシューではありますが、今は姫の話をしているので割愛いたします。
ただ少し思い出してみると、店長への思いや記憶がまるで残り香のように、そこはかとなくブクマ界隈に漂っているその頃、彼女は見出されたのでした。
古老は言います。
私はあまり昔のことには詳しくありません。
少し前の姫として、はしごたんさんのことを心に呼び覚ます程度です。
はてなの壁にその身を打ちつけ、生々しい鮮血を飛び散らせる、そんな情熱的で黒い姫でした。
古老の述懐に賛成するところも多いので、かつての姫君たちについて、語ってくださる方が現れれば、しかと読ませていただきたいと思っております。
姫とは、見上げる存在です。
姫とそれを見上げる者の関係は、一対一でよいのです。
みんなの姫でなくてよいのです。
心の中に自分の姫がいれば、それでよいのです。
はてなというコミュニティにおける姫…という話題で、着地点が結局己の心に戻ってきてしまいました。
今私の心には姫はいません。
まだ見ぬ姫に思いを馳せつつ。
それでは、またどこかで。
追記/2014-05-30,19:12/
トラバで指摘していただきましたように、時系列に不正確な部分がありました。
申し訳ございません。
彼女のデビューの少し前に引退?された「店長」との関連性も、重要なイシューではありますが、今は姫の話をしているので割愛いたします。
ただ少し思い出してみると、店長への思いや記憶がまるで残り香のように、そこはかとなくブクマ界隈に漂っているその頃、彼女は見出されたのでした。
以下をご覧ください。
よろしい。ならば教えて上げよう。
これの中腹辺りに、”おすすめブックマーク - 育児”という欄があるだろう。
ここに『ぶっ込む』。
400user程度のブコメがあれば掲載されるだろう。そして居座り続ける。
もちろん内容は育児だ。
育児放棄して別居して、ソロ充になった男性の話を書くといいだろう。
まず冒頭。
「育児は大変だ。とても男にはできない」的な、挫折を思わせる述懐からはじめる。
で、実際に育児に使えそうなライフハックを、(ネットで探してきて)20個くらい列挙するんだ。
読みやすいように、各項目に解説は付けない。
そのうち一個くらいを、育児ライフハックに偽装した女性叩きにしておく。
「ミルクは人肌程度に温めるのが基本だが、実の母親の体温に合わせるのが最も効果的。あらかじめ母親の乳房を触ってどのくらいの温かさなのかを確かめておく。ただし、もし無理ならそのへんの野良猫で構わない」
そう。内容は適当でいい。
ライフハックは科学じゃないんだから、コピペ、捏造、説得力があればなんでもありだ。
なお、冒頭で育児挫折を匂わせているので、ところどころを説教みたいにするといい。
「赤ちゃんの面倒を見るのははじめ億劫に思えるが、顔を合わせる時間が長いほど、こどもは自己肯定感を持つようになる。人を育てる責任を自覚しろ。それがない人間は育児に携わるべきではない。」
で、別居してソロ充になったくだりを書いたら、
「異論はあるだろうが、やはり育児は女性がすべきだ。男性と女性とでは体の作りが、そもそも異なるのだ。向き不向きがあるのは、当然だ。」
中村あきの星海社FICTIONS新人賞を受賞したデビュー作『ロジック・ロック・フェスティバル』が、古野まほろのメフィスト賞を受賞したデビュー作『天帝のはしたなき果実』と類似していると指摘され話題になっている。『ロジック・ロック・フェスティバル』は星海社のウェブサイトで無期限全文公開されている(http://sai-zen-sen.jp/works/awards/logic-lock-festival/01/01.html)ので読んでみた。その結果『天帝のはしたなき果実』だけでなく、米澤穂信の諸作品との類似点が見られたので検証したい。ちなみに現時点で私は『天帝のはしたなき果実』を未読であるが、これから読んでみる予定である。
読書メーターに12月4日に投稿されたjinさんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/33836748)。
読んだ印象としては、米澤穂信が西尾維新になったつもりで古典部シリーズを書いたらこうなるんだろうなと思った文学部員が書いた同人誌と言った感じ。
読書メーターに12月11日に投稿された×(旧らっきーからー。)さんのレビュー(http://book.akahoshitakuya.com/cmt/34001390)。
米澤穂信とかを目指した結果、残念ながらそこに至らず。そんな印象。
まず『ロジック・ロック・フェスティバル』の物語の流れを説明する。以下が『ロジック・ロック・フェスティバル』の章タイトルだ。
全部で23章で構成されている。『ロジック・ロック・フェスティバル』のメインとなる事件は文化祭開催期間中に起きた密室殺人事件だが、文化祭が始まるのは「9.そして、時は来たれり」からだ。ではそれ以前はというと小さな謎解きが2,3あるという構成になっている。具体的には「4. モバイル・コード」で携帯メールの暗号の謎解き、「6. 大脱出」で閉じ込められた蔵からの脱出、「7. 女バス班室写真消失事件 前編」「8. 女バス班室写真消失事件 前編」で写真盗難事件の謎解きが行われる。
次に米澤穂信のデビュー作『氷菓』の物語の流れを説明する。以下が『氷菓』の章タイトルだ。
この章タイトルだけではどんな物語かわからない。『氷菓』のメインの物語はヒロインである千反田えるの叔父、関谷純が関わったと思われる33年前の事件を解明することである。しかし、その謎がはっきりするのは「4. 事情ある古典部の末裔」からであり、「2. 伝統ある古典部の再生」では千反田えるが地学講義室に閉じ込められた謎解き、「3. 名誉ある古典部の活動」では、ある本が毎週借りられている「愛なき愛読者」の謎解きが行われる。
はじめに小さな謎解きがいくつかあり、中盤からメインの大きな謎解きになるという物語構成は特定の作家の専売特許ではない。であるが『ロジック・ロック・フェスティバル』と『氷菓』の物語構成が類似していると指摘するのは間違いではないだろう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」では、主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)の家をはじめて訪れるシーンが描かれる。これを『氷菓』の「6. 栄光ある古典部の昔日」で、主人公(折木奉太郎)がヒロイン(千反田える)の家をはじめて訪れるシーンと比較したい。
目に飛び込んできたのは圧巻の庭園だった。手入れの行き届いた生け垣。刈り込まれた木々。配置を整えられた岩。雨粒を受けてなお静謐を湛える池。その中を悠然と泳ぐ色とりどりの錦鯉。そしてそれらを統べるかのように鎮座する絵に描いたような日本家屋。その向こうには立派な蔵も見えた。
道なりに設置された飛び石を歩きながら息を呑む。家柄でここまで住む世界が違うものなのか。自身の境遇と比較すると、少しばかり悲しい気持ちになってしまう。
(中略)
唖然としているうちに僕は言われるがまま三和土で靴を脱ぎ、板張りの廊下を彼女に説明された通りに進んでいた。
広大な田圃の中に建つ千反田家は、なるほどお屋敷と呼ぶに相応しかった。日本家屋らしい平屋建てが、生垣に囲まれている。水音がするところを見ると庭には池があるらしいが、外からは綺麗に刈り込まれた松しか見えない。大きく開かれた門の前には、水打ちがしてあった。
(中略)
(中略)
石造りの三和土で靴を脱ぎ、千反田に先導されて板張りの廊下を進む。
太字で示したのが二つの作品で完全に一致した箇所である。いくつか単語が一致しているが、文節単位での剽窃は行われていない。単語の一致も同じ「日本家屋を初めて訪れたシーン」を描いたのだからあって当然だ。むしろ、庭園に入ってから周りを描写している『ロジック・ロック・フェスティバル』、生け垣の外から庭をうかがっている『氷菓』という点が大きく異なる。
そもそも、高校一年生のヒロインが日本家屋の豪邸に住んでいるという設定がめずらしいが、かといってこの設定が特定の作家の専売特許というわけでもない。
『氷菓』において、千反田えるが日本家屋の豪邸に住んでいるのは、千反田家が桁上がりの四名家といわれる名家だからだ。『ロジック・ロック・フェスティバル』において、鋸りり子が日本家屋の豪邸に住んでいる理由は説明されない。家柄は明らかにされていないし、両親も学者だ。一般的な学者であれば豪邸を建てるほど高給とも思えない。シリーズ化されこれからの作品で明らかにされるのかもしれないが、現時点では主人公たちが閉じ込められる蔵を登場させるためぐらいしか物語的必然性がない。背景が説明されないので、どうしても取ってつけたような印象を受けてしまう。
『ロジック・ロック・フェスティバル』の「6. 大脱出」で描かれる主人公とヒロインが閉じ込められるシーンは、〈古典部〉シリーズの4作目『遠回りする雛』に収録されている短編「あきましておめでとう」と類似点が多い。例えば、どちらも冒頭に閉じ込められている主人公の述懐を置き、時間を巻き戻す形でなぜ閉じ込められることになったのかを記述する形式をとっている。
あらすじはひとことでまとめると以下のようになる。
具体的に『ロジック・ロック・フェスティバル』では、
具体的に「あきましておめでとう」では、
となっている。
以下、『ロジック・ロック・フェスティバル』において主人公(中村あき)とヒロイン(鋸りり子)が小屋(蔵)に閉じ込められるシーンと、「あきましておめでとう」において主人公(折木奉太郎)とヒロイン(千反田える)が小屋(納屋)に閉じ込められるシーンを比較したい。
目が慣れてくると、そこは本当に本の山だった。本しかないといってもいいくらい。備え付けの本棚に、そこらに積まれたボール箱に、ぎっしりと詰められた本、本、本――今すぐ古本屋が何件だって始められそうだ。
りり子に案内され、その後ろに付いていく形で奥の方に歩いていく。中はそれほどの広さでもないようだったが、薄暗さと障害物のように設置された本棚のせいで、なんだか迷路に迷い込んだような眩暈感があった。
一応分類されているのだろうか。背表紙を見流す限りでは全く統一感がないような気がするぞ。
と、その時。
ぎぎぎ、と何か引きずるような音がして、室内の明度が明らかに落ちた。
なんだろう?
りり子も一度こっちに振り返り、異変があったことを確かめ合う。
そして二人同時に思い当たった。
扉が閉まったのだ。そんな当たり前の結論に到達するのにいやに時間がかかった。
慌てて扉の方に引き返す僕ら。見るとやはり扉はぴっちりと閉められていた。風やなんかであの重い扉が閉まるだろうか。疑問に思いながらも、とりあえず僕は扉に近づいて手を掛けてみる。
「……あれ?」
開かない。まさか。
がちゃがちゃがちゃがちゃ。
いやいや、冗談でしょ?
「鍵が……閉められてる……?」
強く揺さぶってみると扉はほんの薄くだけ開いた。その間からは無慈悲にも完全に閉じられた錠が覗けて。
闇の中に手を突き出し、摺り足で進んでいく。目が慣れればもう少しマシになるのだろうが、いまはこうしないと危ない。そろそろと奥に進み、手に酒粕が当たらないかと気をつけてみるが、どうも手ごたえがない。
「簡単なお使いかと思ったら、なんだか面倒なことになってきたな」
「あの、折木さん」
いつの間に近づいてていたのか、千反田が俺のすぐ後ろで名前を呼んだ。背後でアルミドアが風に吹かれて閉まってしまい、納屋の中はいっそう光が入らなくなった。
『遠回りする雛』角川文庫版、218~219頁
「おう、開いてるぞ」
そして、なにやら不吉な、がこんという音。
「え? いまのは……」
とピンと来ていない千反田。俺はすぐさまドアに、暗くてよくわからないので正確にはドアがあったと思しき場所に飛びついた。アルミのノブの、冷たい感触はすぐに探り当てられた。
しかし。
がたがたと揺れるだけのドア。オレは千反田を振り返る。千反田の輪郭もはっきりしないけれど、なぜか、心配そうに小首をかしげるやつの顔が見えたように思う。
「どうしました?」
どうせ見えないだろうけれど、肩をすくめてみせる。
「閉じ込められた」
『遠回りする雛』角川文庫版、221頁
まず、このドアが閉められている構造をもう一度考える。このドア自体には鍵はない。だから、強く押せば、ほんの少しだけ開く。それ以上開かないのは閂のためだ。
『遠回りする雛』角川文庫版、228頁
今度は先程と違い完全に一致する箇所ではなく、同じ事象を別の表現にしている箇所を太字にした(そもそも完全に一致する単語はほとんどない)。非常に似通ったシーンを描いているので、一致している箇所がいくつかあるが、文節単位での剽窃はおこなわれていない。
違和感があるとすれば『ロジック・ロック・フェスティバル』において、「扉はほんの薄くだけ開いた」という点だろう。「あきましておめでとう」では脱出が困難なことを示すために閂がどのようにかけられているか仔細に描写されており、「強く押せば、ほんの少しだけ開く」というのも話の流れから違和感がない。一方の『ロジック・ロック・フェスティバル』においては、どのような扉なのか、どのように錠がかけられているかは具体的に示されておらず、一般的な扉と錠であれば扉が薄く開き外の錠が覗けるというのはおかしい。
「あきましておめでとう」では、折木奉太郎が脱出するために様々な方法を試す。そこにはどうやって脱出するのかというハウダニットの愉しみがあるが、『ロジック・ロック・フェスティバル』では、早い段階で窓から脱出できることがわかっている。謎解きの興味はほとんどなく、むしろそれまで葉桜仮名先輩一筋だった主人公(中村あき)がヒロイン(鋸りり子)を女性として意識するシーンとして描かれている。
『ロジック・ロック・フェスティバル』と〈古典部〉シリーズ両方を読んでいる私としては、影響は受けていると感じた。しかし、文章の剽窃など著作権法違反に問われるような箇所はないと判断していいだろう。他にも中学時代に探偵していたが、とあることをきっかけに探偵することをやめたという鋸りり子の設定が、〈小市民〉シリーズの小鳩常悟朗の設定と類似するなど気になるところがあるが、それはまたの機会に検証したい。
126: 風吹けば名無し 2013/02/11(月) 02:23:29.69 ID:IwUk1x8y
キムタク 171 ±0
真田広之 165 -6
岡田准一 165 -6
こう見るともっと小さくても余裕で売れるくらいや
143: 風吹けば名無し 2013/02/11(月) 02:29:02.04 ID:zyJqhx3r
>>126
他にチビの二枚目オッサン俳優って見た事ないし、身長170未満は日本人の成人男性のうち4割もいるのに
170㎝未満で息の長い有名二枚目俳優が出現するのは、数十年に一度以上の長期スパンじゃねーか、
現実は170未満のチビ人口の99%以上が脚光を浴びずに誰にも相手にされず
チビの勤め人やチビの派遣工やチビのフリーターやチビのニートとして人生を終えるわけだ。
半面、日本の成人男性の一割程度しかいない180以上は、俳優だのモデルだのまあまあおいしい位置にいる奴が多い。
芸能人だけじゃなく野球などのメジャースポーツ選手とかもそうだろ。
体がデカいだけで、才能も素質も凡庸なのにプロになったりそこそこいい位置だったり長いキャリアだったり。
そもそも身長問わずほとんどの人間が一般社会で就職して生きていくわけだから
チビのリーマンとかチビのフリーターやチビの工場の派遣とか何一つ得しないわな。
チビは日本人成人男性の四割もいるのに居場所だけは限りなく狭い。
あとトムクルーズが他者との身長の比較で165㎝だと判明してる画像ってどれなんだ?
自分の身長をどう捏造しようが、周囲との比較で実寸や鯖読みが簡単にばれるのは
芸能人の実寸や鯖読みを認定したがるチビ男が一番分かってるはずなのに
それでも自分の身長はサバを読んでしまう(170未満でさばを読まない男は皆無)所に
・有名人(特にイケメン系)に対し「実はかなりサバ読んでる!実寸はこんなに低い!」認定
・日本人の成人の平均身長を171に固定(実際はここ二十年以上、171と172を左右している)
チビ仲間を少しでも増やしたいんだろうな。
最後に。
真田広之レベルの顔面(あと演技力と英語力とアクション力)じゃないと
イケメンだと認めてもらえないって、チビの人生ってすごくハードモードだよな。
ちなみにアクションに関しては十代~二十代と
千葉ちゃん直々の訓練や危険な撮影で天守閣からの飛び降りなど無理難題をこなし
常時怪我が絶えず、毎日死を覚悟していたとのちに述懐している。
高身長だと小栗や豊悦レベルでの顔でもイケメン扱いされていい思いしてるのに。
岸部一徳とか棒読みで目の細いフツメンなのに明らかに身長で得してる。
チビだと真田やハイド(化粧&フォトショがないと通用しない)レベルの顔じゃないとイケメン扱いされない。
岡田准一なんて顔面、声質、演技力、まじめで温厚で勉強熱心な性格と
どれも今の同世代の中ではずば抜けてるのに、いまだに代表作を生み出せないのは明らかに身長のせいだろ。
歌手業のついでに、たま~に俳優活動して大ヒット作をいくつも生み出した
全てにおいて可もなく不可もない凡庸な才能の福山と比べると、ますますチビのコスパの悪さが浮き彫りにされる。
整形とか植毛でもどうにもならんしな。
原発問題にしろ、在日特権の話題にしろ、東大生と意見交換をすると、島崎藤村の「破戒」の購読を勧められる等自身の意見をあまり口に出さない。
差別意識ないし選民思想を持ってはならないという考えが東大生の中に蔓延っているようだ。
相手に対して偏見を持ってはならないとしながらも他方では、その思想信条がどこかの本書からの請け売りであることを理解していない。
〇〇が言っているのだから、君も見習うべきだ!
それこそプロパガンダではないのか。
自分の意見を持たずに相手の請け売りをして、さも自身の考えであるかのように言葉を並べ立ててしまう。
東大生というのは、如何なる事情も本書が全て正しいと言わんばかりである。
例えば、島根県教委の一件で明るみとなった、はだしのゲンは政治プロパガンダが色濃く反映されているといった論であるが、
それは当然である。
被災を経験したために目の前で起こった事が何よりも真実であるとする作者の心情(思想)が本作に溢れているのである。
一方、反米思想や日帝批判を繰り返し煽動していった事もプロパガンダであるのは間違いない。
にも拘らず東大生という生き物は、作者の意見のみを反映し、あたかもはだしのゲンは被災によって悲しい想いをした、悲劇を繰り返さないためにも読まれるべきと転嫁したのである。
どうも自虐史観による戦後教育から、日本人は謙虚に生きなければならないとか近隣のアジア諸国に謝罪と賠償をしなければならない、それは本に書かれているからだという単純な理由から、そのような思想に傾倒しているように見えてならない。
いずれにしても、東大に通う奴はその思想が本の請け売りでしかない。
つまり実体を伴わない形式的な思想、プロパガンダを真に受けてそれ以外は全部虚構であるといった考えしか持ち合わせていない。
東京大学に通うと、例えば東日本震災時の地震は大した事がないとしたり津浪が起るはずがないとしたり、本に書かれていない事が実際に発生すると、謝罪より先に責任転嫁を率先して行う。しかしながら、それもこれも政府が悪い事にして、自らすべき事を政府責任として責任放棄をするのである。
偏見を持たない。
しかしそれは、本の請け売りであり自身の意見を持たない、没個性化した証明である。
未だに原発は安全であると、あるいは逆に原発は危険で廃炉すべきだとする誇大妄想をしてしまうのはそこにある。
すなわち東大に通うような奴は、(他人の政治的思想に汚染された)自身の意見が絶対的正論であり、それは本書に記されているという前提のもとに発せられたものである。
彼らは本をたくさん読むが、しかしながら、その本質を理解できていないのである。本はあくまで知恵を蓄積するためのツールである。
にも拘らずそれが理解できないのだ。
もちろん、新しい自分、なりたい自分になりたいがために、今まで培ってきたいろいろなもの、
だからといって、それらを「捨てる」必要はどこにあるだろうか?
ずっと好きだったもの、自分の中で大切にしてきた思い出、思考の一破片。
確かに、今までの人生はろくでもなかったかもしれない。ろくでもない思い出と、思い出と思えば
いつも思い浮かぶのはあいつの憎らしい顔で、思い返したくもないあんな日々で、日常で。
でも、だからといってその時間を生き抜いた間に、ひとつくらいは、ああ、あれなんだか好きだったなぁだとか、
思うだけにとどめておいたあの娘への思いだとか、その思いのせいで嫉妬に心が染まった夜だとか、
悲しくもあったけれどなんだかとても好きで、大切にしていきたいような、あんな雨の日の記憶だとか…。
きっと、何もなくっても、どんなにろくでもなくっても、どんなに死にたくっても、その時に好きだった事だとか
そういうのをさ、俺の人生はろくでもなかった、だから、ここで決別するんだ!あんなくだんない過去とは!
とかなんとか言って、そんな大切なものたちを「捨てる」必要性は、果たしてどこにあるだろうか。
いや、ないだろう。間違いなくそんな「捨てる」必要性だなんてどこにもない。
たとえ「手放す」ことはあっても、「捨てる」必要なんてどこにもない。
それに、捨てたって手放したってさ、いつでもそんな大切なものを拾い集めたっていいのさ。
無論、浸るのは感傷的なノスタルジックじゃなくて、歩んできた過去を回想して、今在るこの瞬間に
そうして、大切なものの折に触れて、温かい気持ちになるべきなんだ。
なんでかって?そりゃあ単純さ。どこまでどんなものを捨てたって、結局自分自身は捨てられない。
大槻ケンヂの踊るダメ人間の歌詞じゃないけどさ、世界を他人を全部燃やしたって結局残るのは自分だけなんだ。
だから自分の過去を捨て否定して、いくら満足のいく日常を送れていたとしても、その自分の過去を否定して捨てたツケは、
毒になって自分を蝕んでいくのさ。じわりじわりと。
慰安婦問題もそうだが、この件で橋下叩いてる連中の多くは根本的に解決する気がないんだよ。そういう相手が一番厄介。
ドラゴンボール最終巻のベジータが孫悟空の強さの秘密を述懐するシーンで、ベジータは「絶対に負けないために戦うから」と言っていた。
まさにこれ。
最近ではハンター×ハンターの主人公の父、ジン・フリークスも、パリストンについて似たようなことを言っていた。
「あいつは勝とうと思ってない 負けようとも思ってない だから強いんだ」。
問題(争いごと)が未来永劫続き、絶対に決着が付かない事に全力を注いでる。
徒然草でも、双六(現代の双六とはかなり趣の違うボードゲームだが)について、
双六の上手といひし人に、その手立を問ひ侍りしかば、「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして、一目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、またしかなり。
と書いている。
上記二作品よりちょいとマイナーだが、血界戦線のクラウスも、異界のボードゲームの賭けに臨むチェスの世界王者に「チェックメイトを考えようとするな」とアドバイスした。
クラウスの真剣なアドバイスを一笑に付した世界王者はあと一歩の所で敗北し廃人寸前までボロボロにされ、アドバイスしたクラウスは徹頭徹尾時間稼ぎに専念し制限時間ギリギリまで逃げのびた。
プライドのやたら高いあの国の連中が、格下とみなしている日本に支配され、同胞の婦女を多数慰み者にされたなんてのは本来であれば抹殺したい歴史のはずなのに、率先して世界中に喧伝しまくってる。
それが日本には一番の嫌がらせになる事を熟知しているから。この問題を解決するためには、継続すればするほど相手側が困るという状況を作り出すほかないわけ。
件の記事は以下を参照されたし
Amazon.co.jp: 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の ドリーさんのレビュー
このレビューがおもしろいことは認める。独特の切り口に歯に衣着せぬ物言いは、確かにとびっきり面白い。でも、ただ単に面白いだけで、作品の本質は何にも言い当てられていないと思う。
ネタにマジレスするなって怒られるかもかもしれないけど、好きな小説をここまでコケにされて、「これこそが正当の評価だ」みたいなブコメをたくさん読むと、何か一言言いたくなって書いた。
わざわざ嫌いな作家の作品を読んで、長々とレビューを書いたわけだから、
①俺は作品を正当な評価をすることができる
②世間では流行っているが、面白くない小説が流行っているのは許せない
③俺の読み方によると、これはつまらない作品だ
④その誤った評価を俺が正してやる!
このような思考の元、あのような前置きを書きつつ、批判を書いたのだろうか
しかし、話題になっているから読んでみて、何がいけないのだろうか?
作品を読んで元気付けられて何がいけないのだろうか?
作品をどういうきっかけで読もうと、読んでどういう気持ちになろうと、その個人の勝手だし、誰にも迷惑をかけていないのに、なぜそのような気持ちになるのか理解できない。
確かに、村上春樹の孤独は、本当の孤独を知ってる人からしたらオシャンティーなものかもしれない。
でもそれってお母さんが子供に、アフリカで貧困に苦しむ子供は飢えや病気に苦しんでいるのだから、お前も我慢しなさいって教えているのと同じで、
少なくとも僕やそのほかの人には普遍化できない場合も多いのではないかなって思う。
僕らはアフリカで貧困に苦しむ子供よりは豊かで恵まれている。とりあえず食うに困らないし、寝るところにも困らない、幸せのはず。
だけど、悩みすぎて病気になる人もいるし、自殺する人は日本にたくさんいる。
その鬱になる人や自殺する人に、お前より貧困に苦しむアフリカの子供の方が不幸なのだから、お前は幸せだ。
なんていってもその人の悩みや悲しみは消えない。
なぜなら幸せの尺度は絶対化できないから、その人の中でしか尺度は測れないから。
だからそういう意味では、飢えた子供の不幸と自殺しそうな人の不幸は、同じように不幸なんだ。
だから、多崎つくるの孤独は、たとえドリーさんを始めもっと強烈な孤独を知っている人にとっては孤独じゃないにしても、彼の中では真の孤独なのだし、その孤独に共感したっていいじゃないかって思う。
なおかつ、ドリーさんは、別に作品をしっかり読めてもいないと思う。
ドリーさんの批判の中心は、おシャンティすぎて、全然共感できない、あるいは孤独にリアリティーがない主人公、「くたびれ果てた男ども勝手に妄想」したような女性などなど、登場人物にリアリティーがなく、感情移入ができない、というところだろうけど
なんかそれって的外れな、あるいは表層的な批判だなぁと思う。
イカ臭い妄想と断じるのはたやすいけど、それって安易でもったいない考え方だなぁと
確かに、村上春樹の小説には、こういうリアリティーのない人物がよく出てくるし、批判の対象になりがちだけど、
つまり、あえて登場人物の虚構性を高めている。
それが村上春樹の小説の特徴の一つだし、面白いところの一つなんだ。
とくに本作品では、さらにその登場人物の虚構性が際だつように構成されている。
で、ここまでは従来の春樹作品によく出てくるパターンだなぁって感じなんだけど、
なんと本作品では、タイトルに「色彩を持たない」なんて言われ方をして、はじめから紹介されている。
付け加えて言うと、没個性なんて人格、正直ふつうに存在し得ない人格。病気ではない限り、だってみんななんかしらの個性があるし、もっともっと感情の動きがある。
つまり、これが虚構性の強い登場人物ですよーって、読者にはじめから提示しているというわけ。
ほかの登場人物になるとその傾向はもっと顕著になる。
つくるの4人の友達の名前は「アカ、アオ、シロ、クロ」、ほかにも灰田など、緑川だの、対照的に、多崎つくるの周りにいる人物は、わざわざ色を名前に盛り込んでいる。
これはつくると対照的になるように配置され、人物の虚構性を高めるのに十分すぎる効果を発揮する。
つまりもう、読者に登場人物の虚構性をこれでもかっていうくらい、分かりやすく説明してある。
たぶん今回村上春樹は、前回の作品「1Q84」が抽象的すぎて分かりにくかったっていう批判をいっぱい受けたから、今作品では読者のことを考え、わざとらしいくらいに分かりやすい構成にしたんだと思う。
では、虚構性を高めるとどんな効果があるかについて。
これにはいろいろな効果があるし、難しい部分なんだけど、一つの効果として物語の受け止め方が変わるんじゃないかなとにらんでいる。
多崎つくるの孤独は、確かに特殊で誰も経験したことがないようなものだけど、なんだか自分に当てはめることができるような気がする。
虚構化の強調により、無駄な情報が削がれ多崎つくるの孤独は、まるで神話や教訓話のように、自分のことに置き換えやすかったりする
そういった効果があるのに、ケミストリーだのという、そういった細かい部分で(実際この言葉を作ったのは多崎つくるは高校生の時に作ったものであり、作った当人も恥ずかしそうに述懐しているというのに)、小説自体をバカにするのは実にもったいないなぁと
ドリーさんは、ネタバレのあらすじを書いて、つまらないあらずじでしょうってレビューではコケにしているけども、そのあらすじだけで判断しないでほしい。
確かに、あらすじだけ読むとつまらなく思われてしまうかもしれないけど、
小説は、あらすじでは説明できないから、表現できないから、伝えられないから、たくさんの言葉を緻密に配置して作り上げているもの。
だから、あらすじだけを読んで、全部知った気になって、満足してしまうのだけはやめて欲しい。
以上長々と、ドリーさんのレビューの批判を書いてみた。僕は斜に構えて、誰かのことをバカにする人は嫌いです。
斜に構えてバカにするのは簡単だけど、それで見落とすこともたくさんある。そのことが伝わればと思います。
前回:http://anond.hatelabo.jp/20110906110822
17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 16:10:56.38 ID:9oY9jHaeO 暴露した者です。 聡美ちゃんここ見てる。私にしかわからないメッセージ的書き込みしてた。
24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 16:31:38.56 ID:9oY9jHaeO >>23 聡美ちゃんはやっぱり私が誰かわかってる。
39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 16:54:20.00 ID:9oY9jHaeO どのレスかは言えない。でも、少なくともここの人達は知り得ない事を書き込んでる。 ヒント:スレチ
54 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 17:39:15.85 ID:9oY9jHaeO 教えられない=私が特定されるような内容。 これでいいですか? こんな所じゃなくて直接言ってくれればいいのに…って思ったけど、私の連絡先なんてわかんないのかな。
64 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 18:06:15.54 ID:9oY9jHaeO 信じてもらえないなら結構です。 新スレを待っていたのは、仮にこの話題でスレが終了間際に賑わってしまうより、キリ良く新スレから書き込んだ方がいいと思ったからです。
69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 18:16:05.75 ID:9oY9jHaeO >>65 話しても信じてもらえないなら、画像とかの方がいいですかね? >>66 病院ならもう通ってます。
85 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 18:45:33.04 ID:9oY9jHaeO >>83 そうですね、確かにスレチなうえ意味深です。 それが聡美ちゃんの書き込みで、私は日ナレさん出身という事にしておきましょうか。
99 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 19:12:12.95 ID:9oY9jHaeO >>89 何だか海外ドラマみたいですね(笑) 確かに、私にしろ他の誰かにしろ例えば本名のような、個人情報にまで引っかかる書き込みは犯罪ですからね。 「散々暴露したお前が言うな」と思われるかもしれませんが、私は聡美ちゃんの実家情報や現在の住所も知っていますが書いていません。 聡美ちゃんが私を貶めたいのなら、こんな場所でなく裏からでしょう。
105 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 19:22:59.99 ID:9oY9jHaeO >>100 上京時から引っ越していなければの話ですが…上京時に教えてもらいました。その頃はまだ縁切られてませんでしたから。
119 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 19:59:10.48 ID:9oY9jHaeO みんな大好き聡美ちゃんです。 わかりづらいけどナース。 http://e-tomo.tv/f/*******/
131 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 20:21:15.21 ID:9oY9jHaeO >>120 なんですかね、自分でもよくわかりません。ここの皆さんの反応をうかがっているだけなのかも。 通報だ去れだの言っておきながら画像を出せば必ず保存していたりとか。 聡美ちゃんファンの方の反応をうかがっています。 通報だ特定だとなって、自分が最終的にどうなるのかも気になります。どうせ何もならないんでしょうけど。
144 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 20:32:14.72 ID:9oY9jHaeO とりあえず画像は消しますね。
155 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 20:36:56.85 ID:9oY9jHaeO 嫌儲にスレ立てられても多分行かないです。 あと、PCで見られるようになんてのは誰かがやってくれるんじゃないですか?前もそうだったし。
169 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 20:52:09.70 ID:9oY9jHaeO >>162 信者の負けですね。スレすら守れない、その程度か。残念です。
174 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 20:53:57.05 ID:9oY9jHaeO >>162 訂正。頭が黒砂糖
196 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 21:29:58.06 ID:9oY9jHaeO >>193 相当ピンボケだけど、これなんかは宮崎あおいちゃんに似てる気がする。可愛い。 http://img-up.com/f/********/ イベント楽しんで来て下さいね。報告待ってます。
200 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 21:33:22.19 ID:9oY9jHaeO 申し訳ない。 さっきのナース画像、これで見られるんじゃないですかね。 http://img-up.com/f/********/
211 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 21:43:56.92 ID:9oY9jHaeO そういえば聡美ちゃんって、辛いもの又はこってりしたものが苦手って公言してますか?
217 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 21:51:53.37 ID:9oY9jHaeO >>214 自力で探せや、過去ログすら読まないクズが ていうか、炎上させたいならある事ない事嘘書くだろ普通
232 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 21:58:44.19 ID:9oY9jHaeO 上京してからはお互い忙しかったし、聡美ちゃんは売れるのが割と早かったから、上京してからは大して連絡すらとらないままだった、よく知りません。 ただたまにホームページ見てたくらいです。 コスは晴海とか行ってたみたいですね。 会場で会ったばかりの男性カメコさんに撮影してもらったりしてたみたいなので、やっぱり基本的にちやほやされるのが好きなんでしょう。
253 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 22:10:52.85 ID:9oY9jHaeO >>235 そうですね。好きでもない人から好きと言われても(たとえそれがビジネスであっても)彼女はキモイ・ウザイとしか思わないでしょう。 そのあたりは彼女の根底にある価値観に見えましたから、今でもそれは変わっていないんじゃないかと。 普通の子なら、ちやほやされる→「そんなことないですよー(でも嬉しい)」 聡美ちゃんの場合、ちやほやされる→「当たり前じゃん何言ってんの?アンタみたいなのに言われなくてもわかってるから。そういう好きアピールキモイからやめて」
262 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 22:15:27.28 ID:9oY9jHaeO >>251 小さなプリクラを頑張って撮ってるんで我慢して下さい。データとしての画像は最初に出したもの以外無いんです。(それも低画質ですが…)
269 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 22:21:40.51 ID:9oY9jHaeO >>260 そういう人は琴乃様日記みたいに思われるだけで、他人がどう言おうが自分が可愛くて仕方ないんでしょう。 >>261 わかってますよ、最低です。 レズから告られるアピール、ナンパされるアピール凄かったけど、それだけ外面がいいんでしょうね。
281 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 22:34:08.30 ID:9oY9jHaeO >>270 ナマの話はあまり出なかったので興味無かったと思います。 ハガレン好き百合好きなので、朴さん釘宮さんのきゃっきゃうふふで喜んではいましたが。 >>271 残念ながらわかりません。
294 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 22:44:35.95 ID:9oY9jHaeO 自演だのクズだの私を叩いてる人、私を叩いても何も出ませんよ。 >>277 「駅歩いてるとしょっちゅうナンパされます」「賑わってる時とかはナンパされない時の方が少ないです」「イベント行くから荷物凄くて、エスカレーターで手伝ってくれた人も結局ナンパ目当てで。でもこっちはさっさとイベント行きたいんだからウザかった」 そんな感じです。 性格悪いとは思わなかったですね、表に出してませんでしたから。 ただ、自分が大事だからか他人への思いやりに欠ける子だなーとは思った事はあります。
302 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/09/11(日) 22:49:37.65 ID:9oY9jHaeO >>299 じゃあもう寝ます。