「悲しみは消えない」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 悲しみは消えないとは

2021-10-21

anond:20211020205034

吉野家の牛丼にこれでもか!これでもか!と、とにかく紅しょうが乗っけて食う。

紅しょうががなくなったらまた紅しょうが追加して食う。

心の痛みやささくれ、悲しみは消えないが、心の絆創膏ぐらいの役割果たしてくれる。

2015-08-26

吐露】親への怒り・悲しみ

怒り・悲しみ

終わったことっておもってんじゃねぇぞ。

存在が抑圧され、言いたいことも言えずに、親の機嫌とりに付き合わされることにどれだけ苦しんだと思うんだ。

苦しんでいることすら、気づかないふりをして、どんどん自分をすりあわせて、もろくなり続けたことを、どう取り返しがつくのか。

人とぶつかることもできず、触れ合うこともできず、孤独と寂しさにあふれる人生にしたのはなんなのか?

親も弱いだって

それを認めろ?

子供が親の弱さの犠牲にっていい理由なんてどこにある?

被害者づらすんな。

そんなら親になんてなるな。

子供をうむな。

消えてなくなれ。

自分の体のいい愛情表現で埋め合わせれる訳ないだろう。

自分が欲しかったのは安心だった。自分ありのまま表現して、それでも動じない家庭だった。

自分バランスをとる家庭なんて必要なかった。

緊張する空気を感じる家庭なんて必要なかった。

受け止めれる訳ないのに、受け止めるとか言うな。

弱さは人を傷つけることになんで気づかないのか。

被害者面すんな。

自分課題を解決していない人が、親になんてなるな。

死ね

受け止めれないなら、現れるな。

被害者づらして要求してくるな。

自分が"やりやすい"心配愛情表現押し付け。本当に子供が何を望んでいるかわかっていない。

結局、見ようともしていない。見たいものしか見ていない。自分すら見えていない。

自分の見たいものしかみない。それ以外は、認めない。攻撃的になる。あるいは被害者面して、あわれみをこう。

卑劣

子が親の承認を求める本能を利用した卑劣行為

子供人生尊厳を奪う行為

死んでくれ。消えてくれ。

ありのままで人とつながれるようにしてくれ。

ただ、フラットにいれるようにしてくれ。

それができないなら、近寄らないでくれ。

寂しさは消えない。怒りは消えない。悲しみは消えない

当時、抑圧し、気づかない振りをしてきた、小さな自分自分自身で抱えて生きるしかない。

それでも生きる。

鬱陶しい。

2013-05-07

ドリーさんのamazonレビューなんか全然すごくない

件の記事は以下を参照されたし

Amazon.co.jp: 色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年の ドリーさんのレビュー

このレビューおもしろいことは認める。独特の切り口に歯に衣着せぬ物言いは、確かにとびっきり面白い。でも、ただ単に面白いだけで、作品の本質は何にも言い当てられていないと思う。

ネタマジレスするなって怒られるかもかもしれないけど、好きな小説をここまでコケにされて、「これこそが正当の評価だ」みたいなブコメをたくさん読むと、何か一言言いたくなって書いた。

作品で元気付けられて何がいけないのだろうか?

わざわざ嫌いな作家の作品を読んで、長々とレビューを書いたわけだから

①俺は作品を正当な評価をすることができる

世間では流行っているが、面白くない小説流行っているのは許せない

③俺の読み方によると、これはつまらない作品だ

④その誤った評価を俺が正してやる!

このような思考の元、あのような前置きを書きつつ、批判を書いたのだろうか

しかし、話題になっているから読んでみて、何がいけないのだろうか?

作品を読んで元気付けられて何がいけないのだろうか?

作品をどういうきっかけで読もうと、読んでどういう気持ちになろうと、その個人の勝手だし、誰にも迷惑をかけていないのに、なぜそのような気持ちになるのか理解できない。

オシャンティー孤独共感したっていいじゃないか

確かに、村上春樹孤独は、本当の孤独を知ってる人からしたらオシャンティーものかもしれない。

もっともっと深い孤独もたくさんあるのかもしれない。

でもそれってお母さんが子供に、アフリカ貧困に苦しむ子供は飢えや病気に苦しんでいるのだから、お前も我慢しなさいって教えているのと同じで、

少なくとも僕やそのほかの人には普遍化できない場合も多いのではないかなって思う。

僕らはアフリカ貧困に苦しむ子供よりは豊かで恵まれている。とりあえず食うに困らないし、寝るところにも困らない、幸せのはず。

だけど、悩みすぎて病気になる人もいるし、自殺する人は日本にたくさんいる。

その鬱になる人や自殺する人に、お前より貧困に苦しむアフリカの子供の方が不幸なのだから、お前は幸せだ。

なんていってもその人の悩みや悲しみは消えない

なぜなら幸せ尺度は絶対化できないから、その人の中でしか尺度は測れないから。

からそういう意味では、飢えた子供の不幸と自殺しそうな人の不幸は、同じように不幸なんだ。

から、多崎つくるの孤独は、たとえドリーさんを始めもっと強烈な孤独を知っている人にとっては孤独じゃないにしても、彼の中では真の孤独なのだし、その孤独共感したっていいじゃないかって思う。

ドリーさんはしっかり読めてもいない

なおかつ、ドリーさんは、別に作品をしっかり読めてもいないと思う。

ドリーさんの批判の中心は、おシャンティすぎて、全然共感できない、あるいは孤独リアリティーがない主人公、「くたびれ果てた男ども勝手妄想」したような女性などなど、登場人物にリアリティーがなく、感情移入ができない、というところだろうけど

なんかそれって的外れな、あるいは表層的な批判だなぁと思う。

イカ臭妄想と断じるのはたやすいけど、それって安易もったいない考え方だなぁと

例えば、谷崎潤一郎小説をただの変態小説と評するようなもの

確かに、村上春樹小説には、こういうリアリティーのない人物がよく出てくるし、批判の対象になりがちだけど、

この現実感のなさはわざと演出されているものだと思う

まり、あえて登場人物の虚構性を高めている。

それが村上春樹小説の特徴の一つだし、面白いところの一つなんだ。

とくに本作品では、さらにその登場人物の虚構性が際だつように構成されている。

主人公の多崎つくるは、ストイックで没個性的な登場人物

で、ここまでは従来の春樹作品によく出てくるパターンだなぁって感じなんだけど、

なんと本作品では、タイトルに「色彩を持たない」なんて言われ方をして、はじめから紹介されている。

あえて、没個性であることを強調してあるんだ。

付け加えて言うと、没個性なんて人格、正直ふつう存在し得ない人格病気ではない限り、だってみんななんかしらの個性があるし、もっともっと感情の動きがある。

個性なんて人格は虚構でしか成り立たないもの

まり、これが虚構性の強い登場人物ですよーって、読者にはじめから提示しているというわけ。

ほかの登場人物になるとその傾向はもっと顕著になる。

つくるの4人の友達名前は「アカ、アオ、シロ、クロ」、ほかにも灰田など、緑川だの、対照的に、多崎つくるの周りにいる人物は、わざわざ色を名前に盛り込んでいる。

これはつくると対照的になるように配置され、人物の虚構性を高めるのに十分すぎる効果を発揮する。

まりもう、読者に登場人物の虚構性をこれでもかっていうくらい、分かりやすく説明してある。

たぶん今回村上春樹は、前回の作品「1Q84」が抽象的すぎて分かりにくかったっていう批判をいっぱい受けたから、今作品では読者のことを考え、わざとらしいくらいに分かりやすい構成にしたんだと思う。

虚構の強調のもたらす効果「一般化・普遍化」

では、虚構性を高めるとどんな効果があるかについて。

これにはいろいろな効果があるし、難しい部分なんだけど、一つの効果として物語の受け止め方が変わるんじゃないかなとにらんでいる。

それは例えば孤独の一般化、普遍化ということをもたらす。

多崎つくるの孤独は、確かに特殊で誰も経験したことがないようなものだけど、なんだか自分に当てはめることができるような気がする。

虚構化の強調により、無駄情報が削がれ多崎つくるの孤独は、まるで神話や教訓話のように、自分のことに置き換えやすかったりする

逆説的にリアリティーをますことができる。

そういった効果があるのに、ケミストリーだのという、そういった細かい部分で(実際この言葉を作ったのは多崎つくるは高校生の時に作ったものであり、作った当人も恥ずかしそうに述懐しているというのに)、小説自体をバカにするのは実にもったいないなぁと

ネタバレのあらすじを読んでしまった人に

ドリーさんは、ネタバレのあらすじを書いて、つまらないあらずじでしょうってレビューではコケにしているけども、そのあらすじだけで判断しないでほしい。

確かに、あらすじだけ読むとつまらなく思われてしまうかもしれないけど、

小説は、あらすじでは説明できないから、表現できないから、伝えられないから、たくさんの言葉を緻密に配置して作り上げているもの

から、あらすじだけを読んで、全部知った気になって、満足してしまうのだけはやめて欲しい。

最後

上長々と、ドリーさんのレビューの批判を書いてみた。僕は斜に構えて、誰かのことをバカにする人は嫌いです。

斜に構えてバカにするのは簡単だけど、それで見落とすこともたくさんある。そのことが伝わればと思います

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん