もちろん、新しい自分、なりたい自分になりたいがために、今まで培ってきたいろいろなもの、
だからといって、それらを「捨てる」必要はどこにあるだろうか?
ずっと好きだったもの、自分の中で大切にしてきた思い出、思考の一破片。
確かに、今までの人生はろくでもなかったかもしれない。ろくでもない思い出と、思い出と思えば
いつも思い浮かぶのはあいつの憎らしい顔で、思い返したくもないあんな日々で、日常で。
でも、だからといってその時間を生き抜いた間に、ひとつくらいは、ああ、あれなんだか好きだったなぁだとか、
思うだけにとどめておいたあの娘への思いだとか、その思いのせいで嫉妬に心が染まった夜だとか、
悲しくもあったけれどなんだかとても好きで、大切にしていきたいような、あんな雨の日の記憶だとか…。
きっと、何もなくっても、どんなにろくでもなくっても、どんなに死にたくっても、その時に好きだった事だとか
そういうのをさ、俺の人生はろくでもなかった、だから、ここで決別するんだ!あんなくだんない過去とは!
とかなんとか言って、そんな大切なものたちを「捨てる」必要性は、果たしてどこにあるだろうか。
いや、ないだろう。間違いなくそんな「捨てる」必要性だなんてどこにもない。
たとえ「手放す」ことはあっても、「捨てる」必要なんてどこにもない。
それに、捨てたって手放したってさ、いつでもそんな大切なものを拾い集めたっていいのさ。
無論、浸るのは感傷的なノスタルジックじゃなくて、歩んできた過去を回想して、今在るこの瞬間に
そうして、大切なものの折に触れて、温かい気持ちになるべきなんだ。
なんでかって?そりゃあ単純さ。どこまでどんなものを捨てたって、結局自分自身は捨てられない。
大槻ケンヂの踊るダメ人間の歌詞じゃないけどさ、世界を他人を全部燃やしたって結局残るのは自分だけなんだ。
だから自分の過去を捨て否定して、いくら満足のいく日常を送れていたとしても、その自分の過去を否定して捨てたツケは、
毒になって自分を蝕んでいくのさ。じわりじわりと。