2013-10-24

過去自分と決別する必要性

もちろん、新しい自分、なりたい自分になりたいがために、今まで培ってきたいろいろなもの

大切なものを「手放す」必要はあるだろう。

からといって、それらを「捨てる」必要はどこにあるだろうか?

ずっと好きだったもの自分の中で大切にしてきた思い出、思考の一破片。

確かに、今までの人生はろくでもなかったかもしれない。ろくでもない思い出と、思い出と思えば

いつも思い浮かぶのはあいつの憎らしい顔で、思い返したくもないあんな日々で、日常で。

でも、だからといってその時間を生き抜いた間に、ひとつくらいは、ああ、あれなんだか好きだったなぁだとか、

思うだけにとどめておいたあの娘への思いだとか、その思いのせいで嫉妬に心が染まった夜だとか、

悲しくもあったけれどなんだかとても好きで、大切にしていきたいような、あんな雨の日の記憶だとか…。

きっと、何もなくっても、どんなにろくでもなくっても、どんなに死にたくっても、その時に好きだった事だとか

大切にしたいささやかな思い出は誰にだってあるでしょう?

そういうのをさ、俺の人生はろくでもなかった、だから、ここで決別するんだ!あんなくだんない過去とは!

とかなんとか言って、そんな大切なものたちを「捨てる」必要性は、果たしてどこにあるだろうか。

いや、ないだろう。間違いなくそんな「捨てる」必要性だなんてどこにもない。

たとえ「手放す」ことはあっても、「捨てる」必要なんてどこにもない。

それに、捨てたって手放したってさ、いつでもそんな大切なものを拾い集めたっていいのさ。

そうだよ、僕たちはもっとノスタルジックに浸るべきなんだ。

無論、浸るのは感傷的なノスタルジックじゃなくて、歩んできた過去を回想して、今在るこの瞬間に

過去と今を全て紡ぐような、そんなノスタルジー

郷愁にふけよ。述懐せよ。

そうして、大切なものの折に触れて、温かい気持ちになるべきなんだ。

から過去を捨てるような人生は歩むべきじゃないんだ。

なんでかって?そりゃあ単純さ。どこまでどんなものを捨てたって、結局自分自身は捨てられない。

大槻ケンヂの踊るダメ人間歌詞じゃないけどさ、世界を他人を全部燃やしたって結局残るのは自分だけなんだ。

から自分過去を捨て否定して、いくら満足のいく日常を送れていたとしても、その自分過去を否定して捨てたツケは、

毒になって自分を蝕んでいくのさ。じわりじわりと。

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