はてなキーワード: 講談社とは
【図解】イスラム世界における女性の服装 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3365556
本邦ではー
中国「ボーイズラブ」などを不良文化として排除要請|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000228418.html
自民党はー
中国で「反日ネット炎上」が続発している事情…いま中国人に起きている大変化(高口 康太) | マネー現代 | 講談社(1/6)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gendai.ismedia.jp/articles/-/87068
日本にはー
タリバン「勧善懲悪省」を復活 かつて女性の権利抑圧した機関 | アフガニスタン | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210908/k10013250501000.html
日本ほどー
結論から言ってしまうと、アンタ自身はつまんないオッサンなんだから無理すんなと言いたい。
漫画ハンチョウを知らん人に一応内容を説明しておくと、土方御用達雑誌事ことヤンマガに「カイジ」っていう賭博クズ漫画があんだけど、
その漫画に出てくるクズから金を巻き上げるオニギリ頭のやられ役クズが班長。
その班長が主役で、男のクズ仲間達と面白おかしく趣味ライフを送る姿に哀れなオッサン達の共感の声が続々……って漫画が「ハンチョウ」だ。
まあ4人グループくらいの成人男性はこう遊ぶよねって日常漫画だな。
福本エッセンスと日常の相性の良さは、元々福本が人情漫画出身なのを考えると当然で新鮮味など皆無なのだが、
世の中ドラゴボやジョジョのキャラでパロ描くだけで面白いと感じちゃうような、頭朝目新聞レベルの救えぬグズしかいないからしゃーない。そこは置いておく。
でも、漫画を読んでSNSとかで「わかる~!」「俺じゃ~ん」みたいな、JKみたいな反応をしてるオッサン達がキモすぎる。まるで白痴。
まずさあ、オッサン達が遊んでいるから面白いんじゃねえよ。面白い語りと面白い絵があるから面白いんだよ、あの漫画は。
でもお前らオッサンが1人で飯食うの見て、心の声が聞こえたとして、面白いと思うか?面白くねえんだよ。
「孤独のグルメ」見て「俺じゃ~ん」「わかる~」とかほざいてる馬鹿か?ハンチョウ読者は。
作品が面白いのであって、作品で行われている行為そのものが面白いわけじゃねえんだよ。
なのにさ~~~~、はあ、もう、馬鹿かと、アホかと。
てか核心突いちゃうとさあ、お前ら頭悪いから、普段からそんなに情緒豊かに娯楽を楽しんでねえだろうが。
ゲームだろうが、行楽だろうが何だろうがそうだよ。
「ハンチョウ」読んで「ああ、俺もこう思ってた!確かにこう思ってた!」って感情を借りてるだけだろ。
馬鹿かよ。
俺なら切腹するね。
で、それに飽き足らず、SNSでハンチョウを通じて、「共通の楽しかった思い出(笑)」のようなものを共有して、社会的欲求を満たそうってわけだ。人生空虚すぎる。
そりゃ共有できるわけだよ。
白痴と白痴が、ハンチョウ使って「俺もこう思ってたに違いない!」って感情を交換してるんだからな。食い違わなくて当然だ。
あの漫画自体、どう見ても金を持ってる上に文化人である福本のアシだとかその辺が描いてるわけじゃん。
で、脇を固めるのは年収2000万↑の、有名大卒揃いの講談社の担当編集編集数名だろ?
もうさ、にじみ出てるよね。人生の豊かさが。
班長の貧乏学生時代の話とかで誤魔化してるけど、基本的に宿泊先だとか行く飯屋とか貴族みてえなことばっかりしてる漫画じゃん、アレ。
悲しくなってくるよね。マリーアントワネットが庭先で農業体験して、農夫の苦しみわかりましたわ!ってのたまわってるの見て感動してる農奴かよ読者は。
文化資本の無い人間達が、文化人が優雅に経費で楽しんで取材して作った漫画を読んで、「俺かよ~」だよ。哀れすぎるわ。構図が。
どーでもいい日常を豊かに楽しむなんてのはね、教養とセンスのなせる業なの。お前らじゃ無理なの。
わかるか?この文章はお前ら可哀想な人間への忠告であり同情の文章なんだよ。
「ウザすぎる」なんてタイトルで書いてごめんな。そっちの方がフックがあるなって思ったのと本音を書いただけだから許してくれ。
要するにハンチョウ読んで感想言うのをやめろ。悲しくなるから。
お前らは面白いおじさんではないし、お前の友人は面白いおじさんでもないし、お前らが集まって娯楽を楽しむことはただ人を不快にさせるだけの迷惑行為なの。
いいか?オッサンが会話してると不快なの。オッサンってのは嫌われ者なの。
糞みてえな学生とか、糞みてえなガキとか、糞みてえな老人の集まりレベルで不快なんだよ。
例えば主婦が行楽地でキャーキャー言ってたらどう思う?不快だろ?同じだよ。オッサン共が集まるんじゃねえよって話。
何でこんなこと言うのかっていうと、近頃は娯楽を楽しむことがあまりにも純粋な善行みたいな風潮が蔓延してて、誰かが水を差してやらねえとお前ら話聞かないからだよ。
下手したら真似すんだろ?「ハンチョウ」の。まかり間違って俺達もああいう感じで遊ぼうぜ!なんて迷惑行為に及ばないように、事前に釘刺してやってんの。感謝してくれ。
面白いのは「ハンチョウ」であって、お前らが遊んでも面白くもなんともないし、お前らは面白い人間ではないし、お前の友人も面白い人間じゃない。
外に出るな。迷惑だから。仕事だけして、ヤンマガ読んでろ。ヤンマガは面白いぞ。そして感想を言うな。不快だから。
二度と行楽を楽しもうなんて思いあがるんじゃねえ。
西浦博教授が考える「ワクチン接種が進む日本」でこれから先に見込まれる“展開”(西浦 博) | 現代ビジネス | 講談社
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/86584
少なくとも現在の希望者の予防接種で得られる集団免疫だけでは、パッタリと伝播が止むような予防を期待できない蓋然性が高いことがこれまでにわかった(ただし、後述するように、もちろん予防接種率が高くなると感染頻度は極端に低くなると期待される)。
マスクを外した暮らしができて、普段会わない方と飲食が楽しめて、元の世界に近い接触が返ってくる、というイメージを抱く方も多いと思う。しかし、(…)現時点で見込まれる接種希望者がほぼ接種済みになるだろう今年11月後半の日本でそのようなリスク状態になることは、残念ながらほぼ期待できない。
陸軍中佐の難波三十四は、著書『現時局下の防空』(1941年)で、1回の空襲による死傷者は東京の人口700万人のうち「1700分の1」程度だから恐れなくてよいと言い切る。だが計算すると4100人になるから決して小さい被害ではないはずだ。
トンデモ書籍と言うなかれ。発行元は講談社(当時は大日本雄弁会講談社)である。こうした文章が当然のように幅広く読まれた時代だった。
政府広報誌「週報」(1941年9月3日号)も、「爆弾は恐ろしいものではない」と断言し、「弾が落ちたら二度は落ちぬから、すぐに飛び出して防火にあたれ」と指示している。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52580
平壌うんてん
この2018年は、共産主義の父といわれる哲学者・経済学者、カール・マルクスの生誕200年にあたります。出生地であるドイツのトリーアで記念式典が開かれ、青年時代を描いた映画が各国で公開されるなど、話題を集めています。
先月創刊した、古典・名著をマンガ化する新シリーズ「講談社まんが学術文庫」の初回刊行分にも、マルクスの主著『資本論』が入りました。近代資本主義が興隆する19世紀英国を舞台に物語が展開し、『資本論』のエッセンスを解説します。若い登場人物たちのドラマは楽しめます。
けれども、原作である『資本論』が不朽の古典として扱われることには抵抗を感じます。今からみれば、経済について完全に誤った考えに基づいているからです。
たとえば「等価交換」という考えです。マンガ版ではパン屋と八百屋が売れ残ったパンと野菜を交換し、その交換が成り立つのは互いの商品が同等の価値を持つからだと解説されます。
何となく納得してしまうかもしれません。しかし人が物を交換するのは、相手の物が自分の物と同じ価値を持つからではありません。もしそうなら、多くの買い物客がスーパーやコンビニを出たとたん店に引き返し、不良品でもないのに、買ったばかりの商品を返し、お金を取り戻そうとするはずです。同等の価値を持つことが交換の理由なら、商品とお金の交換を何度繰り返しても、人は満足するはずだからです。
しかし現実にはそんなことをする人はいません。買い物客は、払ったお金よりも買った商品の価値が大きいと思うからです。一方、店の主が商品を手放すのは、逆に商品よりもお金の価値が大きいと思うからです。
つまり交換が成り立つのは、同じ物(お金も物の一種です)でも人によって価値の大小が違って見えるからなのです。
ここからわかるのは、物の価値とは、それを作るためにかかった労働量などの客観的な基準で決まるのではなく、人それぞれの主観によって決まるということです。この事実は1870年代、オーストリアの経済学者メンガーらによって明らかにされました。経済学の歴史上、革命的な発見といわれます。
しかし、それ以前の世代に属するマルクスは旧来の考えにとらわれたままでした。1867年に全3巻のうち第1巻が出版された『資本論』は誤った古い考えによって書かれたため、つじつまの合わないおかしな主張が多いのです。「等価交換」はその一つです。
もっとおかしな主張は「剰余価値」です。マルクスは『資本論』第1巻でこう述べます。商品の価値はすべて労働によって生み出され、その価値どおりに市場で売買される。ところが資本家は商品を売って得た代金のうち、労働者には一部を賃金として支払うだけで、原材料費などを除いた残りは利潤として自分の懐に入れてしまう。いいかえれば、労働者が生んだ価値の一部には対価を払うが、残りの価値(剰余価値)には払わない。これは実質的な不払い労働であり、不当な搾取である、と。
これは商品の価値は労働によって決まるという、誤った考えから出発しています。実際には、商品の市場価値を決めるのは労働者の働いた量ではありません。消費者の心に基づく選択です。私たちは買い物をするとき、商品の製造にかかった労働量を調べたりしません。
もしマルクスのいうように商品の価値が労働量で決まるなら、大規模な設備を使い人手を省く資本集約型産業よりも、サービス業など人手を要する労働集約型産業のほうが利益率は高くなるはずです。しかし実際にはそのようなことはなく、長期ではあらゆる産業の利益率は均一化に向かいます。ある産業の利益率が他より高ければ、その産業に参入する企業が増え、価格競争が広がって利益率が低下するからです。
マルクス自身、『資本論』第1巻でこの矛盾を認め、あとの巻で解決を示すと約束しました。ところが第1巻を出版した後、なかなか続きを出さないまま、16年後の1883年に死んでしまいます。
あとを引き継いだのは盟友フリードリヒ・エンゲルスです。エンゲルスはマルクスの遺した草稿をもとに、第2巻を1885年に出版します。しかし矛盾の解決は示されませんでした。読者が不審に感じることを警戒してか、エンゲルスは序文で、解決は次の第3巻で示されると予告し、経済学者たちにこんな「挑戦状」を叩きつけます。この矛盾をどう解決するかわかる者がいたら、第3巻が出版されるまでに見せてもらいたい、と。
そこから9年後の1894年、残りの草稿やメモを取りまとめ、ついに第3巻が出版されます。エンゲルスはまた序文を書き、前巻での「挑戦状」に応えて多数の論者が矛盾について論考を発表したが、どれも的外れだった――と勝ち誇ります。それでは第1巻の刊行から27年もたってようやく出版された最終巻で、マルクスは矛盾をどのように解決したのでしょうか。実は、解決できなかったのです。
第3巻でマルクスは、商品の価値は投じられた労働で決まるという理論と、異なる産業で利益率は均一化するという現実は「一致しないかのように見える」と改めて述べますが、その矛盾の解決は示しません。その代わり、資本主義が発達した国ほど利益率の均等化が迅速に進むという現実を認めるだけです。これは結局、商品の価値は労働で決まるという第1巻の理論を放棄したものです。
メンガーと同じオーストリアの経済学者、ベームバベルクは1896年に出版した著書『マルクス体系の終結』で「マルクスの第3巻は、その第1巻を否認している」と指摘し、マルクスは解決でなくごまかしを示したという他の経済学者の厳しい意見に同意します。第1巻で述べた剰余価値の理論が間違っているなら、それに基づき展開された、資本家は労働者を搾取するという主張は根拠を失います。ベームバベルクは『資本論』を「カルタ札で組み立てられた家」、すなわち砂上の楼閣だと切り捨てました。
マルクスが第2巻以降を生前出版しなかったのは、この破綻が修復不能だと気づいたからともいわれます。そうだとすれば、学者としてかろうじて誠実だったといえるでしょう。
今の世界ではこうした経緯を無視し、マルクスを見直そうと無責任な声が高まっています。欧州連合(EU)のユンケル欧州委員長は記念式典に出席し「平等の実現のために力を尽くした」と功績をたたえました。
しかし20世紀の社会主義諸国崩壊が示すように、破綻した論理を土台に未来を築くことはできません。マルクスが話題となる今、それこそがかみしめるべき教訓のはずです。
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3064412017052018000000
すばらしいまとめ。エンゲルスの隠蔽手法は百家争鳴論を思い出す。矛盾ばかりで骨格ができていない思想だったから、虐殺国家が生まれてしまったのだろう。
フランスメディアってこんな感じの切り口がエスプリなんかと思っていたら、フランス関係なかった。てっきりロシアのVOR改めスプートニクのフランス版みたいなものかと思ってたんだけど。
本家はアメリカの週刊誌。日本版はTBSのグループ会社⇒阪急のグループ会社を経て2014年以降CCCのグループ会社。
てっきり朝日新聞系かと思ってた。
ある種の「また日経か」と思うような記事でも「フィナンシャルタイムズによると~」だと信憑性が増すような気がするのは気のせいか?
SBグループ企業のインシデントを隠匿するようなことはしてない印象だけど、比較的穏便に事実関係をそのまま載せるだけのことも多いような気も?
通信系の製品・サービスに対する記事はそのまま鵜呑みにしないで、impressとか他メディアの内容とダブルチェックしたほうがいいと思ってる。
Harbor bussinessって名乗るんだから港湾・船舶関係に強いのかと思ったら全くそんなことは無く、ハーバードとの混同を狙っただけ?
フジサンケイグループ傘下の扶桑社が運営してたけど今年5月に終了。
他にもこういうのある?
採用サービスのメンテサボってるっぽいけど6月時点で12社14サービスで採用されてるってさ
はてなはC2Cメインになったって言われてるけど、たしかにブクマなんかよりよっぽど儲けてるな
https://hatenacorp.jp/press/release/entry/2021/06/11/153000
「少年ジャンプ+」「となりのヤングジャンプ」(株式会社集英社)/「マガジンポケット」「コミックDAYS」(株式会社講談社)/「くらげバンチ」(株式会社新潮社)/「コミプレ」(株式会社ヒーローズ)/「コミックボーダー」(株式会社リイド社)/「コミックガルド」(株式会社オーバーラップ)/「ゼノン編集部」(株式会社コアミックス)/「MAGCOMI」(株式会社マッグガーデン)/「webアクション」(株式会社双葉社)/「コミックトレイル」(株式会社芳文社)/「コミックブシロードWEB」(株式会社ブシロードメディア)
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9468/ir_material2/158791/00.pdf
そんなわけで日付変わって6月22日はKADOKAWA社の株主総会である。
KADOKAWAといえば小学館・集英社・講談社などとならぶ業界大手であるが、ほか3社と違って上場している分、株主総会であれこれ一般の株主さんが発言・質問する余地がわりとある。
だが「株をもってるので株主総会には行くけれど、といって何を聞けばいいのかわからない」という諸兄もおられるであろう。
ということで、ここでは上記のIR情報なんかを眺めながら、このへんを聞いてみると面白いかもしれないですね、というポイントをまとめてみる。
むろん、IR情報そのほかの情報からわかる程度のことでしかないので、この増田はなんの内部情報でも機密情報でもありません。あしからず。
よく見るとわかるのだが、WEBサービス事業については事業投資がない。
ポータルでは、「niconico」における“選択と集中”の加速による収益構造の改善と、「ニコニコチャンネル」におけるコンテンツの拡充によるチャンネル有料会員数の増加を図ってまいります。
とあるのだが、つまり特に新規の開発だったりアップデートとかもしていなくて、損してる事業をカットして利益を出している、というだけである。
それゆえに、
という質問が、実は今回の資料でもっともクリティカルなところかもしれない。
普通に考えると、そうですよ未来においてはクローズするんですよお察しくださいよという意味なのかなと思うが、実際聞かれたらどうこたえるのか、というのはある。
今のプレミアムのお客さんに「今後はクローズしていくのですが、引き続きよろしくお願いします」ということは言えないだろうし。
IP事業といえばメディアコングロマリットたる同社の中核でもある…のだが、意外とつかみにくいところもある。
全体としては成績がよく、それはあっぱれなことじゃないですか、という風に一見するとなるのだけれど、詳しく見ていくとそう簡単ではなかったりする。
IP創出においては、新人作家の育成を行うとともに、投稿数とユーザー数の伸長が続く小説投稿サイト「カクヨム」や「魔法のiらんど」等を通じたネット投稿原作の創作支援を加速し、原作発掘の強化に取り組んでおります。
とあるのだが、ここでライトノベル系でかつて隆盛していた「小説新人賞」が特筆されていないのがポイントである。
三崎尚人 @nmisaki
KADOKAWAの株主総会。「文芸でヒット作もなくカクヨム等で新人発掘するのは無駄では?」という質問が出版社の株主総会で出るのは衝撃。もちろん、「新しい作家さんを育てていくのは役目なのでチャレンジは続けて行く」と青柳さんがちゃんと答えていましたが。
というツイートがあったが、質問にしろ回答にしろちょっと惜しいと感じる。質問もズレているのだが、じゃあこの回答がそのまま真か?と考えるとちょっとアヤシイよね、という話をする。
実際のところ、たとえばこんな感じで質問されるとKADOKAWAのライトノベル系の事業としては非常に痛いはずだ。
このあたりの質問をされると、たぶん結構痛い、はずだ、と思う。どういうことか。
たしかに『聖女の魔力は万能です』とか『ひげを剃る。そして女子高生を拾う。』とか、たとえば今クールを見ても「小説家になろう」や「カクヨム」発の作品は続々アニメ化されている…のだが。
たとえば『ソードアート・オンライン』『この素晴らしい世界に祝福を!』『Re:ゼロから始める異世界生活』『魔法科高校の劣等生』『オーバーロード』『幼女戦記』といった大ヒット作はいずれも遠ざかっている、というのが実情かと思われる。
特にA6文庫版のライトノベルでは、今もってここに挙げたような作品(このすばはもう完結したけれども)が各レーベルを背負っているという状態で、「次のリゼロ」「次のSAO」が長いこと出ていない(ファミ通文庫は「次の孫」がおらず、どうなったか…は公式サイトを見てください)。
これに拍車をかけるのが2番目の質問で、上記のような「次の超大作が出ない」状態ではあるのだけれど、しかし同社のライトノベル事業の中心は確実に「ネット投稿原作」に主軸を移している…というか「それしかない」という状態になっている。
たとえば角川スニーカー文庫の公式サイト https://sneakerbunko.jp/ で当月の新作なんかを見てみると、
こんなラインナップなわけだが、どの程度が「ネット投稿原作」かといえば(なんだか間違い探しみたいだけど)『魔眼で始める下剋上 魔女とつくる眷属ハーレム』以外は全部ネット投稿原作である。
ていうか残るこのひとつも、GA文庫で『ハンドレッド』を書いていた箕崎准先生がなろうっぽく書いたファンタジーで、つまり「なろうかカクヨムに原作があった作品」か「メディアミックスしたラノベ作家がなろうっぽく書いた作品」しかないという状態である。地獄…。
「またまたー、この月だけでしょ、大げさな~」と思われる諸兄においては、スニーカー文庫の近刊を1年くらい遡ってみるとよい。オリジナルありません。スニーカー大賞を受賞した作家さんたち、みんなどこ行ってしまったん…?
で、これは別にスニーカー文庫だけがそうというわけではなく、富士見ファンタジア文庫、ファミ通文庫あたりも同じ状態である。
そしてライト文芸では富士見L文庫などもかなりネット投稿原作小説に軸足を移しつつあって、ここまでの流れを理解すれば
というのが実際かなりアヤシイことが把握できるはずだ。
ライトノベルの定義論とかやってる場合ではないのであって、実は特にKADOKAWAのライトノベルは「=WEB小説」になるかどうかの曲がり角にある、と言ってよい。もしかするとここで「いや、『探偵はもう、死んでいる』と『スパイ教室』がある」と思われた諸兄におかれましては、KADOKAWAさんの新人賞で毎年何作品が受賞して何冊が刊行されているのかを確認されたい。
「ごくわずかな当たった作品以外は、受賞作家の2作目も出せない」というのが、2021年のKADOKAWAのライトノベル事業の傾向である(電撃/MFは多少抗っているくさいが、そんなMF文庫Jでも売れているのはYouTubeマンガのノベライズだったりする)。
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9468/ir_material_for_fiscal_ym1/99258/00.pdf
なんかを見てみても「Webでの新人発掘を強化」とは書かれていても新人賞についてはまったく書かれていなかったりするので、これはもうKADOKAWAは新人発掘の手段としては新人賞を諦めた、とみるべきだとは(資料だけを見ていると)思うが、それを確かめることは必要…というか、ラノベファンの諸兄はぜひ直接聞いて、確かめてみるとよい。
コミック事業についても似たようなところがあって、こちらもかろうじて『ダンジョン飯』がIR資料には記載されているが、これはかれこれ2014年開始の作品だったりする。
じゃあそのほかは?というと、アニメ化が発表された『異世界おじさん』はTwitter/Pixiv発だったり、おけけパワー中島でおなじみ『私のジャンルに「神」がいます』もTwitter発だったり…と、つまり自前のプラットフォームから屋台骨を支えられるヒット作がなかなか出せていない…のが現状で(『異種族レビュアーズ』はあるけどね)、主軸としてはWEB発の作品への声掛けだったり、あるいはなろう小説のコミカライズや、ピッコマあたりで連載されている縦読みコミックの書籍化作品だったりする(『外科医エリーゼ』など)
これを「原作発掘の強化がされている」と肯定的に見るのか「自主開発能力が弱体化してネット原作に頼っている」と否定的に見るかは難しい。
集英社などが自前のプラットフォームである「ジャンプ+」で『SPY×FAMILY』『怪獣8号』など次々新規のヒット作を出していることと比較すると、あまり楽観的には見られないか…というところ。
で。コミックでいうともう少し面白いのは、ピッコマことKAKAOとの関係性についてである。
KAKAOといえば、2020年8月タイミングでKADOKAWA株を5パーセント以上取得したことが報じられた。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL21HLU_R20C20A8000000/
実はこのあともちまちま買い進められており、もうちょっと増えている。資料にある
ってやつである。意外と持ち株比率第1位だったりする(2位はカワンゴ)。
ので、何気に馬鹿にならない比率で韓国勢に買い進められたのが2020年のKADOKAWA株だった。
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9468/ir_material_for_fiscal_ym1/99258/00.pdf
なぜかといえばカカオのサービスであるところの「ピッコマ」がいま一押ししているのがこの縦読みコミック…ピッコマ的には「SMARTOON」というやつであり、KADOKAWAの縦読みコミック振興策が「ピッコマとの協業」のための施策なのか「ピッコマとの競合」のための施策なのかが、非常に気になるところなのだった。
ちょっと話が戻るのだが、先ほど触れていた出版事業については、IPの開発に加えてこんなことが書いてある。
同時に、営業力を活かしたきめ細かなマーケティングにより、生産部数の最適化とそれによる返品部数の最少化を進め、収益の最大化を目指してまいります。2022年3月期より順次稼働予定の製造・物流一体の最新鋭工場につきましては、小ロット適時製造と適時配送を実現することで、製造コストの削減や更なる返品率の改善を行い、業界が直面している物流問題にも対処しながら、中長期的に収益力を向上させてまいります。
この工場は、ちょうど株主総会も開かれるところざわサクラタウンにある例のアレだが、ここで注目するのは「適時配送」の方である。
https://www.kadokawa.co.jp/houjindirect/
というのを持っている。上記の適時配送についてもこうした独自のシステムが活用されるのか――というところで出たのが、下記の報道である。
https://www.watch.impress.co.jp/docs/news/1324469.html
講談社・集英社・小学館と丸紅、出版流通改革で新会社、というこれである。もちろんKADOKAWAにおける流通改革・DXというのはかなり前から企図されていて、こうした動きよりも先にシステムを整えていると考えられる。
そこで気になるのが、KADOKAWAはこの新会社のシステムを使うのか(参画するのか)、あるいは対抗するのか、というところである。
というのは、実はこの適宜製造の計画においてもけっこう難しい問題として立ちはだかる(ので、聞かれると面倒くさい質問である)と思われる。
なぜかといえば、仮にこの新会社による流通がデファクトスタンダードになった場合に、KADOKAWAは「流通のデファクトスタンダードをとるのか、あるいはガラパゴス化した自社独自の流通戦略を維持するのか」という選択を迫られる可能性があるから(そして、その可能性はそう低くもない、と思われる)。前者はせっかく作ったシステムの破棄や修正を意味しているし、後者にはデファクトから外れることによるリスクがある(特に、大手三社が多くの割合を占めているコミック流通などにおいて…)
というか適宜製造と適時配送のシステムを自社でもっていたのなら、上記みたいな会社が出現する前に一ツ橋や音羽に呼びかけて自社のシステムが業界スタンダードになるようにふるまえばよかったのに…とも思うが、後知恵ではある。
誰か聞いておいてほしいことをまとめてみました。なんかバランス悪いなあ…。
基本的に各種の公開情報の組み合わせでしかないので既知の事項かと思いますが、株主総会にご出席の皆様の参考になれば幸いです。
ジャンプ+
ttps://shonenjumpplus.com/
ttps://tonarinoyj.jp/
ふんわりジャンプ(終了)
ttps://youngjump.jp/funwarijump/
ttps://jumpbookstore.com/
ttps://urasunday.com/
ttps://manga-one.com/
クラブサンデー(終了)
ttps://web.archive.org/web/20160823100114/http://club.shogakukan.co.jp/
ttps://yawaspi.com/
ttps://csbs.shogakukan.co.jp/mf
ベツフラ
ttps://csbs.shogakukan.co.jp/bf
&フラワー
ttps://andflower.shogakukan.co.jp/
ttps://comic-days.com/
マガポケ
ttps://pocket.shonenmagazine.com/
palcy
ttps://palcy.jp/
eヤングマガジン(終了)
ttps://magazine.yanmaga.jp/eym/
ttps://yanmaga.jp/
ttps://www.mangabox.me/
ttps://seiga.nicovideo.jp/manga/official/w_sirius/
抜けがあると思うが、なんでこんなに多いのか
大量にURL貼り付けるとスパム扱いになるらしく書き込めなかったので
h抜きした
自ら愚行する権利はあるが、他人に自覚のない愚行をさせて金儲けをする権利などない - id:magefee
ブコメページ - がん研究者が心の底から「標準治療を選んで!」と訴える理由(大須賀 覚) | ブルーバックス | 講談社(1/3)
普通のリンゴを思い浮かべてください。虫食いもなく、色ムラもなく、形も整っているでしょう。私は普通の「定義」はそれで良いと思います。普通な人間なんて一人もいない。定義を変えず、そっちを受容しましょうよ! - id:sangping
全然わかってない。こういう奴が自殺者数を増やすのだろう。自殺はメンヘルの一症状。風邪をひいた時に咳をするのと一緒。「咳する奴はアホ」と言って咳が減る訳ねーだろボケが。必要なのは投薬とカウンセリング - id:xevra
うつ病は脳の異常なので投薬が効きます。風邪とか脳腫瘍とか皮膚病と一緒です。風邪で困ってる奴は風邪治らない決心をしているんですか?違います。 - id:brightsoda
依存症を始めとする良くない生活習慣を改善する上で最も役に立たないのが、本人の強い気持ち。それで辞められるなら苦労はないのよ。/病院始め他者の助けを借りた方が良いと思います。 - id:yujimi-daifuku-2222
患者が望む最後と、家族が望む最後は違う。 患者は苦しみたくないが、家族は悲しみたくないのだ、意見が一致するわけない。 そして医師が尊重するのは、家族が望む最後なのだ。 - id:elsdac
純文学とは制度的には文芸誌に載っている小説作品のこと。芥川賞はこの文芸誌掲載作から選ばれることがほとんど。
まれに早稲田文学やその他のインディーズ雑誌から芥川賞候補に選ばれることはある。
最終候補に残ると編集部から電話がかかってくる。いつその電話があるのか、公式には明らかになっていないが、過去の経験者がブログやTwitterでほのめかしており、5chの文芸創作板を見れば、だいたいの情報が集まっている。
9月末締め切り。最終候補の連絡は1月? 選考会は3月。受賞作は4月発売の文學界5月号。
10月末締め切り。最終候補の連絡は2月? 選考会は4月。受賞作は5月発売の群像6月号。
3月末締め切り。最終候補の連絡は7月? 選考会は9月。受賞作は10月発売の新潮11月号。
3月末締め切り。最終候補の連絡は7月? 選考会は9月。受賞作は10月発売のすばる11月号。
3月末締め切り。最終候補の連絡は7月? 選考会は8月。受賞作は10月発売の文藝冬号。
七年ラノベの賞に一次落ちし続けてたんだけど、やけになって純文学の賞に応募したらなぜか最終選考まで行った
https://anond.hatelabo.jp/20200519161343
この増田を読んだが、私はワナビとして、過去数年分の最終選考に残った作品の選評を読んでいるが、「書きたいことや日頃の鬱憤をごちゃ混ぜにして書き殴った」作品はひとつもなかったように思う。
あと5月の段階で、最終に残っているが、選考会がまだだという新人賞はない。
https://prizesworld.com/prizes/
プロの純文学作家とは、出版社から仕事を依頼され、原稿料の出る仕事をする物書きのこと。必ずしも物書き仕事だけで生活できるとは限らず(いやほとんどの作家はできず)会社員をしながら作品を発表しつづける人もいる。
ただ芥川賞を取って10年くらい生き残れば、どこかの私立大学の創作学科の教員になれたりすることが多い。
小説の新人賞は、出版社が主催する新人賞以外にも、地方の自治体や新聞社が主催する、「地方文学賞」というのものがある。
地方文学賞は受賞しても、賞金がもらえるだけで(ただし上記の5大新人賞より賞金が高かったりする)、本も刊行されない。それはデビューとは言えないし、たぶん受賞した人もデビューだとは思っていない。当然、仕事の依頼とかは来ない。
純文学界隈のヤバいところってお友達だけでショボくて少ない貧相な仕事回してるのもそうなんだけど、危機感のなさが一番ヤバい点だと思う。
編集者も作家も口では売れない売れない言って「現状把握できてますよ~」アピールするんだけど、「単純に作品がつまらないから売れてない」って現実を絶対に見ないようにしてる。
普通に考えて、文藝春秋や講談社や新潮社という圧倒的存在の後押しで出した単行本が、芥川受賞作でもない限り実売2千部も多分いってないのはヤバいでしょ。つまらないんだよ。
あのつまらないものを売りたいなら、それこそ現代アートや大昔のチューリップの球根みたいに値段をでっちあげなきゃ。特に現代アートのやり口は参考になると思うよ。小説って品物に馴染む。
90年代前半、講談社から出版されていた『Mr.マガジン』という漫画雑誌で『ピカイチ』(原作・木内一雅、作画・三山のぼる)という作品が連載されていた。ストーリーの細部は忘れてしまったが、以下のようなエピソードが有った。
= ここから粗筋 =
主人公は中間材となる工業部品を製造する工場に勤務しているが、工場の従業員たちは「自分たちの仕事は取るに足りない、価値の無い仕事」と考えて意欲を失っていた。それを見かねた主人公は、彼らを大人の見学旅行へ連れ出す。
主人公が労働者たちを連れて行った先は、彼らが製造した中間材部品が、新幹線を始めとする鉄道車両に使用されて組み立てられる工場であった。
彼らが従事する工業部品製造の仕事は、華々しさとは無縁で地味な仕事かもしれないが、もしも部品の性能に問題が有れば、事故の発生などにも繋がりかねない。
彼らの部品が使われている鉄道だけでなく、我々の社会が滞りなく機能するのには、彼らのような工場労働者の真面目な仕事ぶりと、それによって生み出される信頼性の高い工業部品が有ればこそなのである。
こうして、主人公が見学旅行に連れ出した労働者たちは「自分たち工場労働者の仕事は、決して無価値ではない」と、人間としての誇りを取り戻し、仕事に前向きになる。
= 粗筋ここまで =
「フィクションにすぎない。そんな簡単に労働者が誇りを獲得できるものか」と言ってしまえばそれまでかもしれないが、それでも、リアルタイムで読んだ時に私は、日本の労働者の琴線に触れるものが有る話だと思った。このエピソードに心を動かされたのは、私自身が非都市部の低所得者層・労働者階級層に生まれ育ったからだ。この漫画で出てくる工場労働者の姿は、私が生まれ育った社会を思い起こさせたのだ。
私の両親は、経済的理由から高校進学を断念して中卒だったが、真面目な労働者だった。子供時代の私が馬鹿なことを仕出かしたのを叱るのに、時々手が出ることはあった(昭和の時代には当たり前のことだった)ものの、癇癪を起こして物に当たるようなこと、物を壊すようなことは決して無かった。私が生まれ育った地域社会は、どちらかと言えば粗野な部類だったと思うし、隣近所や学校では、一時的な感情の爆発で物に当たり散らして、物を破壊する人間など珍しくもなかった。学校では週に一回ぐらい、授業中に何処かのクラスの窓ガラスが割れていた。隣近所の家々でも似たようなものだった。しかし私の両親は、そういう粗暴な行為には走らなかった。裕福な暮らしではなかったが、乱暴な地域社会の中で節度を保って紳士的に生きてきた両親のことを、今でも私は誇りに思っている。
物を故意に破壊しないようにするというのは、貧しい家庭の多くが贅沢を敵とし、節約生活を美徳としているのだから何ら珍しくないと、世の人は思うことだろう。物を壊したら修理や買換で出費を招くのだから。
しかし、それ以上に、私の父は物作りの人間だったから、我が家では「人が作った物を故意に破壊する」という行為は「それを作る仕事に実際に従事した労働者の誇りを踏みにじる、恥ずべき悪徳。卑しい振る舞い」と両親から教育された。「人間として、卑しい真似をするな」というのは、両親が口を酸っぱくして常々私に言い聞かせてきた言葉だ。
私はテニスをしたことは無いが、聞いたところによれば、テニスラケットの価格は一般人が使用するものでも数万円以上はするものらしい。それを叩きつけて破壊するというのだから、何とも豪勢で贅沢な話である。金は天下の回りものと言うが、その順回路に今も昔も含まれていない我が家からすれば、数万円もする物を自分の手で故意に叩き壊すことなど、夢のまた夢である。
それとも、こんな私でも、何かの弾みで大金持ちになったとしたら、ひょっとしたら数万円のものを簡単に壊すようになるのだろうか。その物の向こう側に存在する、それを作った労働者の存在を忘れて。
私は、彼女がテニスラケットを平気で叩き壊す姿を見ると「ひょっとしたら彼女は、物を作る労働者階級の人間のことを、自分と同じ『人間』と思っていないのではないか?」という思いを拭えない。
おそらく彼女も、最初から何億円もの賞金を稼ぐトップアスリートではなかったはずである。人生のどの時点で、彼女は何万円もするテニスラケットを心置き無く壊すようになったのだろうか?それを壊せるようになった時、彼女は「こんな贅沢もできるぐらい、自分は金持ちになったのだ」と誇りに思ったのだろうか?
たとえ何億円もの賞金を稼ごうとも、物を作る労働者の誇りなど知らぬと言わんばかりにテニスラケットを破壊する彼女の姿は、私の目には非常に卑しく見える。
そのなかで、ベンガル株とも呼ばれる今のインド株の影響をもっとも直撃している可能性の高いバングラデシュの動向はやはり興味深い。
3月から4月上旬にかけ、インドの感染拡大に連動するように、バングラデシュの第2波での新規感染者数は過去最高を簡単に塗り替えた。
バングラデシュとインドの関係は深い。バングラデシュにとってインドは独立を支援してくれた恩からの50年来の付き合い。
陸続きであり、政治経済的な関係が強い地域。3月のバングラデシュ独立記念日の行事にはインドのモディ首相が来訪し、さらなるワクチン供給を約束したほどだ。
もっともインドの感染拡大に伴い、現在、バングラデシュのワクチン接種は停滞してしまっている(それでも日本の7倍は接種済みだが)。
しかし、にもかかわらずバングラデシュの感染状況は4月中旬を境に、現在にいたるまで新規感染者数は減少を続けている。
お酒を飲まない文化が効いているのか?とか、南アジアのなかでは肥満が少ないからか?エッセンシャルワーカーに率先してワクチンを打った戦略か?
それとも、実はまだインド株の影響を受けていない?
昨年の第1波のとき、よくささやかれたのは平均的なバングラデシュ人が持つ自然免疫の力。だからり患するのは富裕層が多いのだとか。
いろいろと考えるなかで、カースト(社会階層の分断)も大きな要因なのかなと思い始めた。
そう思ったきっかけは、8割おじさん、西浦先生が集団免疫の落とし穴として3月に書いた以下の文章
マスコミが伝えない「集団免疫」の“本当の意味”…ワクチン接種で流行は収まるのか?(西浦 博) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)
現実の予防接種では、接種が行き渡りにくい層の方が固まって接触しつつ暮らしていることが多い。例えば、行政が決めた接種ルール上で予防接種が行き渡りにくい人(一例として在外邦人の一時帰国者や不法滞在者など)へのケアができるかどうかは未だハッキリとはわからない。
また、何らかの理由で接種に反対する方が空間的に近しい地域に固まって住んで暮らす、という状態が起こる、という可能性もなくはない。
すると、地域レベルで接種が行き渡らない人たちが固まって残ることになり、その人たちの間で集団発生が続くことになる。様々な他の感染症の予防接種を見ていてもこれだけは避けがたいのである。こういった流行は、国全体で75%の接種をしても起こり続けることは忘れてはならない。
バングラデシュの人の流動性の高さが案外、重要なのかも。イスラム社会であるバングラデシュにはカーストは存在しない。
バングラデシュ政府公認の風俗産業にいち早くワクチン接種が進められたくらいだ。これにはさすがに驚いたが。
バングラデシュ風俗はそれはそれで闇が深いのだが、感染症対策に関する限り、政府は合理的に物事を考えていることがわかる。
バングラデシュは、近年、もはや最貧国とはとてもいえない経済的な急成長を遂げている国。
その成長の原動力になっているのは、超過密都市ダッカやコックスバザールだ。
労働集約的な縫製産業が都市に集中した人口1500万のダッカでは、徒歩で何千人もの工員が工場に通える人口密集度。
工場は違法建て増しが横行し、6階建てを13階建てに増築を画策している途上で崩壊し、数千人の工場労働者が犠牲になった事故は記憶に新しい。
そんな3密どころではない急速な都市化の進んだ、超過密状態の都市で、コロナが蔓延しないわけがない。
そう思っていたら、案外そうでもなかったというのが昨年の第1波だった。
新規感染者数のピークは4千人足らず。人口1.6億の国。日本と比較しても少ないといえる。
しかし、3月に訪れた第2波では、4月初旬、7千人を超える数字に一気に急上昇。インドの拡大と同時期。
バングラデシュ政府もロックダウンなどの措置を講じたが、コントロールがもう効かなくなったかもしれないと思った矢先、
少しずつ減少に転じ始めて1日平均(7日間移動平均)2100人程度まで下がっている。
なぜなんだろう?
感染者が都市であぶり出されやすく、補足しやすい。都市の保健衛生は割と整備されている。
案外、ちょっと心にとめて考え続けていい視点かも、と思っている。
もっとも、感染者数が減ったといってもまだ2千人(1日平均)。
もうちょっと様子を見ようと思う。
(追記)ブコメへの反応(それにしても皆さんのコメントはとても参考になった。どうも)
ブコメで、人口ピラミッドに言及しているので、調べてみたところ
バングラデシュはインドと似た構造だった。平均年齢でみると24歳(バングラデシュ)、25歳(インド)つまり若年層が多い。
https://www.populationpyramid.net/ja/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89/2020/
何か大きな違いがあるだろうか。
逆にいうと、じゃあ高齢化が進んだ国の罹患率が高いかというとそうでもないのでよくわからない。
イスラムのワクチン接種への忌避はひょっとするとあるのかもしれない。
でも、情報ソースとして参照したロイター(英語版のみワクチン接種状況の分析がある)
を見る限り、5月初旬時点、
Bangladesh has administered at least 8,625,350 doses of COVID vaccines so far. Assuming every person needs 2 doses, that’s enough to have vaccinated about 2.6% of the country’s population.
860万回は少ないとは言えないと思う。
仕事上知りえたことからいうと、ホテルの従業員はすでにワクチン接種済み(アストラゼネカ)、定期的なPCR検査という体制。
ロックダウン中のラマダンというのは想像できないが、昼間は水も飲めず免疫力低下に寄与し、
かつロックダウンで夜の活動停止。とても可哀そうなことになっていると思う。
平素のラマダンは、日が暮れれば爆食い。茶で夜な夜な語り合う。ロックダウン中は集うことができずと思われる。
もちろん、これが運命を分けているのかも、というのは直感の域を出ないが、気に留めておきたい。
バングラデシュの場合、なんといっても金融を巻き込んだ組織力を持つNGOの存在がでかい。古くは結核対策から住民へのエントリーポイントを熟知。もうちょっと調べてみたい。アフリカはわからない。
(5月10日)
https://anond.hatelabo.jp/20210510133514
へつづく
まずジャンプで未完のうちに打ち切りになり、その後完全版で描き下ろしが追加されて完結したというところまではご存知の方も多いかと。
その後、メインキャラの前日譚である読切連作『シャーマンキング0-ZERO-』の発表、さらにシャーマンファイト(S.F)から14年後の新たな戦い「フラワー・オブ・メイズ(F.O.M)」を描く、麻倉葉の息子・花が主人公の続編『シャーマンキングFLOWERS』が連載開始。
ここで集英社との関係は終了し、講談社へ移籍。少年マガジンエッジで新章(つまりFLOWERSの続編)『SHAMAN KING THE SUPER STAR』が連載開始。
さらに同誌で道潤が主役の『SHAMAN KING レッドクリムゾン』が開始し、それの完結後にX-LAWSを主役とした『SHAMAN KING マルコス』がスタート、さらに『なかよし』で花組を主役とした『SHAMAN KING & a garden』が始まるなど、怒涛の勢いである。
そしてこれらのスピンオフは全て『THE SUPER STAR』に収束するようになっており、そこでは読切『デスゼロ』『ヤハべえ』のキャラや『機巧童子ULTIMO』と思しきキャラの登場、既にシャーマンキングから登場していた『仏ゾーン』のキャラ、サティが登場する「ダイ仏ゾーン」編への突入など、風呂敷を広げまくりの状態になっている。
ということで今繰り広げられているシャーマンキングユニバースがこんな感じである。
S.F以前 | ・シャーマンキング0-ZERO-(前日譚) ・& a garden(花組過去編) ・仏ゾーン(西岸サチ(サティ・サイガン)、初代イタコのアンナ) ・ITAKOのANNA(イタコのアンナ原型) |
---|---|
S.F本戦 | ・シャーマンキング(麻倉葉、2代目イタコのアンナ) |
F.O.M | ・FLOWERS(シャーマンキング続編、麻倉花、3代目イタコのアンナ) ・レッドクリムゾン(道潤スピンオフ) ・マルコス(X-LAWSスピンオフ) ・デスゼロ(花の持霊・桜井) ・ヤハべえ(ヤービス) ・機巧童子ULTIMO(東一族) |
・THE SUPER STAR(FLOWERS続編+全作品包括) |
何不自由なく甘ったれた環境でぬくぬくと育ってきた。いわゆる親ガチャには成功したほうだと思う。幼い頃から小説ならいくらでも買ってもらえたから、どこかに出かけるたびに本屋に寄るようねだり、1冊ずつ買ってもらっては読みほした。当然本好きに育った。中高生の頃ぼんやりと、自分はきっと本と関係する業界に就くのだろうと思った。大学生になってもその想いは変わらないまま、最近就活を迎えた。
愕然とした。
好きな雑誌?ほとんど本か漫画しか読んだことがない。やりたい企画?企画ってそもそもなんなんだよ。どうやって作ればいいんだよ。会いたい人?そもそも本以外の趣味なんてなく、TVもほとんど見ないのに芸能人のナニガシなんてわかるわけがない。
そして気づく。そもそも私より本をたくさん読んでいて、それ以外の趣味もたくさん持っていて、コミュニケーション能力があって、弁舌の立つ人間が、おそらくこの世界には五万といること。
正確に言うと、ずっとずっと昔からぼんやりと気づいてはいたのだ。編集者になるには多様な興味関心が必要だと、なんとなく察していたのだ。でも見ないふりを続けてきた。だって今まで苦労したことない甘ったれなのだ。最後にはなんとか帳尻を合わせられるだろうと踏んでいた。とうとうここにきて露見した。最早取り返しのつかない状況で、取り返しのつかない人生を送ってきたことをはっきりと自覚したのだ。
もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい
──岡野大嗣
やっと自分の愛が、こんなにもちっぽけでつまらないものであったことに気づく。
集英社も講談社もポプラ社もそもそもESすら出せなかった。今日なんとか新潮社を出したけど、書いている最中には小説を一番好きだと宣いながら好きな作家にはあまりにも有名な作家ばかりをあげる自分の情けなさにほとほと嫌気がさしていた。ねえ、俺は今まで文芸誌ひとつまともに読まずによく平気な顔で本好きを名乗ってこれたね?
文藝春秋を出したいけれど出せる自信がない。小学館を出したいけど受かるわけがない。
でも、ああ。
今自分が何も持っていないことに気づけてよかった。本当に何もかも手遅れになる前に自分がこんなにもくだらない存在であることに気づけてよかった。とにかく頑張ろう。内定を貰っている友人もいるけど、貰っていない友人もいるから。今切り替えればきっとどこかには繋がるはずだから。自分は一生本に携わって生きると確信していたから、今どうすればいいのかさっぱりわからないけど。でも何とかなるって信じたい。私の未来はまだ全部台無しになったわけじゃないんだって。今から、……新しい未来が開けるはずだって。
来週の合説を予約した。とりあえず小学館のESを書く。3時間ほど泣いたら何かの諦めがついたから今この文章を綴っている。1年後の自分が、10年後の自分が、これを見て笑ってくれますように。
そしてここまで読んでくれた君にどうか一つお願いがあるんだけど、こんな情けない実情は恋人にも友人にも言えやしないから、ここまで読んだよしみで罵倒なり励ましなり残していってくれやしないだろうか。私に人との繋がりを感じさせてくれないかな。