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2022-02-21

anond:20220220153320

楽器の方でなんとかしてくれよ

  ← できるものならとっくにやってるよ。フルートベームが実現したおかげで今のベームフルート音程が安定している上に音量は出るし音質も割と均質だ。(そこがつまらない点だとも言えるが)  

この点ではオーボエクラリネット結構頑張ってるけど、ファゴットでは同じアプローチが全く上手くいかなかったそうだ。ベームファゴットを作ってはみたものの、音色が貧弱で全く使い物にならなかったとか。ファゴットの最大の魅力はあの複雑な響きのする音色なのにそれが殺されちゃったら如何にフィンガリングが合理的であろうと音程が安定していようと意味が無いもんね。ホルンもこっちなんじゃないの? (対照的なのがトロンボーンかな)

2022-01-13

増田ノベルベームサークル主逃亡」No.3

【最初に戻る】

カヲル「もう少しがんばってみようよ」

ノブ「がんばってみたよ! でも、もう限界

カヲル「私も一緒に謝りに行くから、あともうちょっとから

ノブ「もうあれから全然眠れなくて、SNSメンバーから何かメッセージが来るたびに心臓バクバクいって息が苦しくて……」

カヲル「なるほど、そんなに定例会議に参加したくないなら、勝手にすればいい。でも、作業がきりの悪いところで終わっている。シノブさんの仕事を私が引き継いで、私が代わりに決めてもいいけど、それでいい?」

ノブ「それで頼む。本当に申し訳ない」

そのすぐ後、シノブさんはサークルSNSアカウントで「サークルの皆様、1月13日定例会議を開催します。今後は私に代わって、カヲルさんが進行します」と書き込んだ。そしてこのアカウントは、この書き込み最後に一切の更新が停止した。

     *

1月13日

とあるSNSでの、メンバーのみのチャットルームにて。

カヲル「こんばんは。今日よろしくお願いします。いろいろご迷惑をお掛けしていて申し訳ありません」

?「で、シノブさんは来るの? 来ないの?」

カヲル「シノブさんは今日は来ないそうです」

?「何それ? 私たちの事を馬鹿にしてるの?」

?「カヲルさん、あなたノブさんの親友でしょ。今すぐシノブさんをここに連れてきてよ」

?「カヲルさん、シノブさんの代わりにリーダーになったからって、ちょっと調子に乗ってない?」

     *

もう少し背景を説明しなければなりません。時は1月11日に戻ります……

【進む】(※未完成。次回更新をお楽しみに)

2022-01-11

増田ノベルベームサークル主逃亡」No.2

【最初に戻る】

「一緒に逃げよう」。私はシノブにそう返事すると、SNSでシノブ以外の同人サークルメンバーをみんなブロックした。シノブも同じだった。

それからしばらくが大変だった。

「どうして約束を守れないんですか!」

大人としてきちんと責任果たして下さい!」

「これまで何か問題があっても、みんなで話し合って解決してきましたよね」

「とにかく定例会議に来てください。逃げないできちんと相談して下さい」

同人サークルメンバーサブアカウントを作って毎日代わる代わるメッセージを送ってくるのだった。

「何があったのですか? 大変だとは思いますが、みんなできちんと相談して、早く問題解決する事を願っています

再版通販を待っていたファンからも、どこから噂が流れたのか、こんな励ましのメッセージが次々に届いた。

私も本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、無視するよりほかなかった。

傷口が浅いうちに逃げた方がいい。ここで余計なことをすると、余計に傷口が広がる。

しばらく後、同人サークルメンバーの何人かは「シノブカヲルとは今後縁を切らせていただきます」と宣言した後、シノブと私のSNSアカウントブロックした。

その後は穏やかな毎日が続くはずだった……が、どうやらシノブの様子がおかしかった。

【進む】(※未完成。今後の更新をお楽しみに)

2021-07-22

マルクス資本論』は何を間違えた?~商品価値を決めるのは労働

 この2018年は、共産主義の父といわれる哲学者経済学者カール・マルクスの生誕200年にあたります。出生地であるドイツトリーアで記念式典が開かれ、青年時代を描いた映画が各国で公開されるなど、話題を集めています

 先月創刊した、古典・名著をマンガ化する新シリーズ講談社まんが学術文庫」の初回刊行分にも、マルクスの主著『資本論』が入りました。近代資本主義興隆する19世紀英国舞台物語が展開し、『資本論』のエッセンス解説します。若い登場人物たちのドラマは楽しめます

 けれども、原作である資本論』が不朽の古典として扱われることには抵抗を感じます。今からみれば、経済について完全に誤った考えに基づいているからです。

 たとえば「等価交換」という考えです。マンガ版ではパン屋八百屋が売れ残ったパン野菜を交換し、その交換が成り立つのは互いの商品が同等の価値を持つからだと解説されます

 何となく納得してしまうかもしれません。しかし人が物を交換するのは、相手の物が自分の物と同じ価値を持つからではありません。もしそうなら、多くの買い物客がスーパーコンビニを出たとたん店に引き返し、不良品でもないのに、買ったばかりの商品を返し、お金を取り戻そうとするはずです。同等の価値を持つことが交換の理由なら、商品お金の交換を何度繰り返しても、人は満足するはずだからです。

 しか現実にはそんなことをする人はいません。買い物客は、払ったお金よりも買った商品価値が大きいと思うからです。一方、店の主が商品を手放すのは、逆に商品よりもお金価値が大きいと思うからです。

 つまり交換が成り立つのは、同じ物(お金も物の一種です)でも人によって価値の大小が違って見えるからなのです。

 ここからわかるのは、物の価値とは、それを作るためにかかった労働量などの客観的基準で決まるのではなく、人それぞれの主観によって決まるということです。この事実1870年代、オーストリア経済学者メンガーらによって明らかにされました。経済学の歴史上、革命的な発見といわれます

 しかし、それ以前の世代に属するマルクスは旧来の考えにとらわれたままでした。1867年に全3巻のうち第1巻が出版された『資本論』は誤った古い考えによって書かれたため、つじつまの合わないおかしな主張が多いのです。「等価交換」はその一つです。

もっとおかしな主張は「剰余価値」です。マルクスは『資本論』第1巻でこう述べます商品価値はすべて労働によって生み出され、その価値どおりに市場で売買される。ところが資本家商品を売って得た代金のうち、労働者には一部を賃金として支払うだけで、原材料費などを除いた残りは利潤として自分の懐に入れてしまう。いいかえれば、労働者が生んだ価値の一部には対価を払うが、残りの価値剰余価値)には払わない。これは実質的な不払い労働であり、不当な搾取である、と。

 これは商品価値労働によって決まるという、誤った考えから出発しています。実際には、商品市場価値を決めるのは労働者の働いた量ではありません。消費者の心に基づく選択です。私たちは買い物をするとき商品製造にかかった労働量を調べたりしません。

 もしマルクスのいうように商品価値労働量で決まるなら、大規模な設備を使い人手を省く資本集約産業よりも、サービス業など人手を要する労働集約型産業のほうが利益率は高くなるはずです。しかし実際にはそのようなことはなく、長期ではあらゆる産業利益率は均一化に向かいます。ある産業利益率が他より高ければ、その産業に参入する企業が増え、価格競争が広がって利益率が低下するからです。

 マルクス自身、『資本論』第1巻でこの矛盾を認め、あとの巻で解決を示すと約束しました。ところが第1巻を出版した後、なかなか続きを出さないまま、16年後の1883年に死んでしまます

 あとを引き継いだのは盟友フリードリヒ・エンゲルスです。エンゲルスマルクスの遺した草稿をもとに、第2巻を1885年出版します。しか矛盾解決は示されませんでした。読者が不審に感じることを警戒してか、エンゲルス序文で、解決は次の第3巻で示されると予告し、経済学者たちにこんな「挑戦状」を叩きつけます。この矛盾をどう解決するかわかる者がいたら、第3巻が出版されるまでに見せてもらいたい、と。

 そこから9年後の1894年、残りの草稿やメモを取りまとめ、ついに第3巻が出版されますエンゲルスはまた序文を書き、前巻での「挑戦状」に応えて多数の論者が矛盾について論考を発表したが、どれも的外れだった――と勝ち誇ります。それでは第1巻の刊行から27年もたってようやく出版された最終巻で、マルクス矛盾をどのように解決したのでしょうか。実は、解決できなかったのです。

 第3巻でマルクスは、商品価値は投じられた労働で決まるという理論と、異なる産業利益率は均一化するという現実は「一致しないかのように見える」と改めて述べますが、その矛盾解決は示しません。その代わり、資本主義が発達した国ほど利益率の均等化が迅速に進むという現実を認めるだけです。これは結局、商品価値労働で決まるという第1巻の理論放棄したものです。

 メンガーと同じオーストリア経済学者ベームバベルクは1896年出版した著書『マルクス体系の終結』で「マルクスの第3巻は、その第1巻を否認している」と指摘し、マルクス解決でなくごまかしを示したという他の経済学者の厳しい意見同意します。第1巻で述べた剰余価値理論が間違っているなら、それに基づき展開された、資本家労働者を搾取するという主張は根拠を失いますベームバベルクは『資本論』を「カルタ札で組み立てられた家」、すなわち砂上の楼閣だと切り捨てました。

 マルクスが第2巻以降を生前出版しなかったのは、この破綻が修復不能だと気づいたからともいわれます。そうだとすれば、学者としてかろうじて誠実だったといえるでしょう。

 今の世界ではこうした経緯を無視し、マルクスを見直そうと無責任な声が高まっています欧州連合EU)のユンケル欧州委員長は記念式典に出席し「平等の実現のために力を尽くした」と功績をたたえました。

 しか20世紀社会主義諸国崩壊が示すように、破綻した論理を土台に未来を築くことはできません。マルクス話題となる今、それこそがかみしめるべき教訓のはずです。

https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO3064412017052018000000

すばらしいまとめ。エンゲルス隠蔽手法は百家争鳴論を思い出す。矛盾ばかりで骨格ができていない思想だったから、虐殺国家が生まれしまったのだろう。

 
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