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2021-07-25

人生同窓会の気配がない

大人になって、中学高校同窓会の誘いが来て、行くか行かないか迷う

そういうのがあると思ってた

全然ねえ

成人式ときに一回やってたらしいが、移動がめんどくさくてスルーしてしまった、っていうのだけあるが、ほかには何も聞かない

というか、卒業の時点で、マトモに幹事とか決めてなかったし、いつごろやろうみたいな話もなかったし、連絡先を取りまとめられる人もいなかったし、そもそも仲もそんなに良くなかった

中学高校もそうだった

どんなクラスだったかすら覚えてない

我等友情永久不滅、みたいなノリすらなかった ノリですら友情を誇れなかった

同窓会って実在するんですか?

20歳最後に開催されないのが普通ってことでいいのか?

あるけど行けない・行かない、っていう状況を想像していたので、そもそも存在しないっていうのはちょっと意外な感じがしま

俺がハブられてるだけ?

2021-07-23

東京五輪開会式にキレた

タイトルのとおりなんだけどさ。

Twitterで盛り上がってるような反オリンピック派ではないんだけどね、あの開会式でキレちまったよ。

こちとら一浪の末、去年単身で上京してきて諸々のイベントぶっ潰されたんですわ。

入学式も憧れのキャンパスライフ夏休み学校祭も成人式帰省もなにもかもよ。

それでも誰のせいでもないと思って我慢してたわけよ。

周りの人間自粛疲れ(←は???)で遊びまわってても一人で知らない土地で誰とも会わずしゃべらず生活してきたんだよ。

クッソ難しいレポートも一人で苦しみながら考えたのよ。

行けるかどうかもわからない留学のために勉強したんだよ。

あの開会式はなんだよ。

NHKでみてたけどさ。

あの開会式なんだよ。

なんで諸々美談にしようとしてるんだよ。

何が選手の苦労だよ。

何が未来への希望だよ。

そんなもんねぇよ。

クソくらえよ。

選手特別みたいに言ってんじゃねぇよ。

選手もそんな風に思ってんじゃねぇよ。

だって必死に生きてるよ、努力してるよ。

ストレスで髪抜けて蕁麻疹出て体かきむしりながら生きてるよ。

毎日必死に生きてるよ。

なんでお前らの運動会だけ特別扱いされてんだよ。

何が選手葛藤を表してるだよ。

だって葛藤してるよ。

何が乗り越えなきゃいけない壁だよ。

こっちは壁どころか八方塞がりだよ。

人生賭けてるから~とか

一生に一度だから~とか

こっちだってそうだよ。

あるはずだった俺の思い出はもうできないんだよ。

知った風にみんなの思いが~とか

キズナが~とか

感動が~とか

薄っぺら言葉でまとめんなよ。

クソくらえよ。

きれいごとぬかしてんじゃねぇ。

五輪なんてクソくらえ。

anond:20210722011009

20才の頃に振袖作ったときは何十万~何百万してたものが数万でいろいろ買えるようになったか

ネットが普及する前は、中古市場ほとんどなかったし、あっても着物屋相場コントロールしてた

成人式振袖は、今はレンタル全然恥ずかしくないけど、バブル崩壊までは振袖買えない家の娘とみなされて肩身が狭かった

2021-07-20

不動産屋って勝手個人情報を使ってるよね?

相続とかで家の持ち主が変わると、すぐにダイレクトメール宛名が新しい持ち主のものになったりしてさ

あんたのとこにそんな連絡した覚えありませんが?

まあたぶん、登記簿?とか何か合法範囲でそういう情報を得る方法が彼等にはあるんだろう

でもさ、その情報使ってダイレクトメールを送るのはアリなの?

他人アクセスできる個人情報がある程度あるのは仕方ないとして、それを一方的な自社利益のために使うのは法の理念の認めるところなの?

子供の年齢に合わせて送られてくる成人式着物広告とかも腹立つ

どこでそんな情報掴んでくるんだよ

2021-07-18

社会的制裁目的ってなんなの

炎上はいじめでも荒らしでもなく社会的制裁、っていうけどさ。

社会的制裁目的って、何なの?

圧倒的多数で、反省している人間を、みんなで寄ってたかってボコボコにするのは、何がねらいなの?

いじめについて、その被害を上手く説明してる人がいた。

被害者のメンタルに大きなダメージを与え、 その後の人生に多大な悪影響を及ぼす。

多くの被害者は対人恐怖症となり、 社会生活に支障をきたすし、 運良く社会復帰した被害者もささいな切っ掛けでフラッシュバックを起こし苦しんでいる。

https://anond.hatelabo.jp/20210717144651

社会的制裁は、まさにこれを目指してるのではないかターゲットメンタルに大きなダメージを与えて対人恐怖症にさせ、社会生活に支障をきたさせ、万が一復帰してきたとしても小さなきっかけで事件記憶フラッシュバックする、強制的反省ループに落ち入らせる。

小学生のころの、俺自身いじめ被害を思い出す。

「かんだあとのティッシュポケットに入れてるのが気に入らなかった」

成人式で顔を合わせたいじめっ子本人が謝罪言葉と共にそう語った。鼻声で喋るのがイライラした、らしい。幼いころはアレルギー性鼻炎がひどくて、ポケットティッシュを常に持ち歩いていた。校庭を走りまわるのにランドセルを背負うわけにもいかいから、ゴミポケットに入れるしかなかった。いじめは、ガキ大将ポジション取り巻きの2、3人から始まって、年度の終わりには教師を含めてクラス全員にみんなで一緒に笑えるエンターテイメントをもたらした。

いま思うと、彼らも俺を「更生」させようとしていたのかもしれない。俺の気色悪さの「被害」を受けてるクラス全員が「当事者」だ。部外者じゃないので「批判する」権利がある。だからみんなで寄ってたかってプレッシャーをかけたんだ。

“おまえ、キモいよ”

何度でも、同時に何人でも、同じ言葉が繰り返された。人間を追い込むのには、効率がいい方法だ。

俺が俺自身醜態を、いつでも思い出せるように。いつでも強制的反省ループに入れるように。

このたびの社会的制裁は、一向に終わる気配を見せない。

反省を本人が表明しろ → (謝罪) → 謝罪被害者じゃなく自分のためだろ → 当時炎上して謝罪してればよかった…

謝罪記事は注目を集め、事件を知らなかった層にもリーチし、様々な場所炎上は続いていく。ゴールポストは後退し続ける。擁護した人はことごとく工作員扱いされた。それどころか最新の人気コメントによると、社会的制裁に参加しなければ「いじめに加担してる」ことになるそうだ。ひどく憂鬱な気分だよ。だってさ、あの時クラスに流れていた空気と、何ひとつ変わらないじゃないか

謝罪したら許さないといけない風潮が嫌い

話題になっている件を見て思ったことを書く。

私は小〜中学生の4年間、見た目のことでいじめられた。

特に酷かったのはそのうち2年間。私はブサイクなのだが、廊下を歩くだけで男子は私の方を見て笑い、すれ違えば見た目がブサイクという意味あだ名を大声で叫んだ。どうやらある部活の生徒の間で私がブサイクで蔑んでも良い存在だということが共通認識であるらしく、クラスメイトや顔見知りの男の子以外にも、私の知らない子も私を見ては笑って私を呼んだ。席替えをすれば常に隣の席とは数センチ机を離された。必要な連絡も全て無視されるか、「ブスがうつるからしかけるな」と言われた。休み時間を終えて教室に戻ると、私の机の上にあったをノート教科書、筆箱等はすべて床に落とされ、給食で使う道具(箸やランチョンマットなど)が入った巾着袋には靴の跡がついていた。掃除時間では私の机は誰も運ぶことなく、最前席の時は私の机に触りたくないからか、その列の机は全て残っていた。ロッカーに入れておいた私のスクールバッグか絵の具バッグか習字セットは床に投げられているか、箒で掃いたゴミと共に隅に集められていた。そんなことが毎日続いた。

当時は華やかな子が多い運動部所属していたため、女の子たちは仲良くしてくれた。そのため、学校で悔しい思いをしてもその場で泣くことはなかったが、休日駅前デパートに出かけた際、親の前で大声でその不名誉あだ名を叫ばれた時と、親が手作りで作ってくれた巾着袋や手提げバッグがゴミと共にまとめられていた時は悲しくて親に申し訳なくて家に帰ってから泣いた。

それから私は、毎日毎日顔を隠して歩くようになった。休日出かけたり放課後塾に行く際は、顔を見られぬように一年中フードをかぶりマスクをして歩いた。同い年くらいの男の子を見たらすぐに俯き、その子たちが通り過ぎるまで静かに息を潜めた。

中学卒業する頃には男子たちは飽きたのか、他のブサイクを見つけて標的を変えたのか(おそらく両方だと思う)、私のことを気にする人はいなくなった。ある程度高い偏差値学校に進んだためか、高校ではブサイク扱いされることなった。それから大学に進学し、私は今20代の立派な社会人になった。女は化粧やファッションで化けると言うのは本当で、学年中の男子からブスと言われていた私でも見た目を褒められるようになった。その見た目を使ってお金も稼いだ。もう誰も私を見てあのあだ名では呼ばないし、私物を雑に扱われることもない。

それでも未だに地元を歩く際は顔を隠している。地元で同い年くらいの男の子を見ると、あの頃の思い出がフラッシュバックする。あの頃のトラウマで、高校から醜形恐怖症やうつ病などいくつかの精神疾患発症し、現在でも完治していない。

もし私が今、あの頃のあの人たちに謝罪されたら、それは許すべきなのだろうか。わたし11年間ずっとあの頃の記憶に苦しめられている。忘れようと思っても忘れられず、地元を歩くとパニックになる。夜中に急にフラッシュバックして涙が止まらなくなる。今も人前でマスクが外せない。話す時もコンプレックスの口元を隠して話す癖が治らない。

幼馴染と親に懇願されて参加した成人式で、当時私の顔を笑ったクラスメイトに初めて名前を呼ばれて話しかけられた。飲みの誘いだった。あの頃私のことをあだ名で呼び、ブスがうつるからと蔑んだのと同じ口で、私を誘い、連絡先を要求した。私はその後、家に帰って泣いた。あのひとたちが私に与えた傷すら忘れていたことが気持ち悪かった。それでも、当時の彼らが「若気の至りだった」「反省している」「申し訳ない」と言うのなら、わたしはそれを受け入れ、あの時苦しんだ私もその後の11年も全てチャラにして許さなければならないのだろう。何事もなかったかのように笑うべきなのだ

謝罪なんて自己満足だと思う。謝罪を受け入れなければこちらが悪人になってしまうのに。受け入れられなかった私は、いつまでも過去に執着するキモいメンヘラ女になってしまった。子供のしたことすら許せなくてごめんなさい。それでもあの頃泣いていた私のために、そんな些細なことを忘れられない粘着質な私のために、私だけは彼らを一生許すことはできない。

2021-07-16

初恋が終わった話

好きだと気づいたのはクラス替えの後だった。

小学5年生でクラス替えをした時、アヤトくんとクラスが離れ離れになってひどく落ち込んだ。

そこでわたしはアヤトくんのことが好きだったんだと自覚した。

特にかかわりのないまま夏を迎え、校外学習に行く準備が始まった。もう10年以上も前のことなので記憶曖昧だが、なぜかご飯時間に私の班だけがアヤトくんのクラスと合同でグループを組むことになって、たまたまアヤトくんと同じグループになれた。

一緒にカレーを作ってる写真卒アルに載っているので卒業後もたまに見返したりしてた。

放課後に通っていた書道教室が一緒だったので、たまに書道教室で会うことが密かな楽しみだった。

5年生の時はそれくらいしか思い出はなく、ひっそりと思いを抱えたまま6年生になった。

6年生になると、またアヤトくんと同じクラスになれた。毎日楽しくて、勉強なんか身に入らずアヤトくんだけをみていたし、2日間会えなくなるから金曜日が大嫌いだった。

告白も何も出来ないまま時間けが過ぎていった。

そもそも、付き合うことの意味も分かっていなかったわたしは、気持ちをどこに向ければいいのかもよく分かっていなかった。

それでもアヤトくんの優しさに触れる度に好きでどうしようもなくなっていた。

私は漢字ドリル計算ドリルを進めるのが好きだったのでみんなより早く1周して、勝手に2周目を進めていた。そんな時、アヤトくんも同じく2周目に進んでいることが分かって、なんとなく、どっちが先に2周目終わるか勝負ね!なんて言って幼いながらも接点を増やしていった。

ほとんど同じくらいのペースで2周目がおわって、私たちドリル3周目を迎えた。もはやドリルへの執着ではなくアヤトくんへの執着だった。

3周目がおわるころに、担任が私とアヤトくんの異常なスピードに気づいて、クラスメイトの前で褒めてくれた。どっちが先に3週目終わるかな?と先生が言ってくれて、先に終わったら金ピカのシールをくれると言った。金ピカのシールなんて別に興味がなかったけど私とアヤトくんだけの特別勝負が公になって嬉し恥ずかしの気分だった。

もうすぐ3周目がおわるころ、アヤトくんはなぜかスピードを落としてしまった。そして私は先に3周目を終えて金ピカのシールをもらった。

何も言ってなかったけどアヤトくんはわざと負けてくれたんだと思う。その優しさでまた心がぎゅっとなった。

アヤトくんはこんなに優しいから、結構人気な男の子だった。クラスメイトの中には他にもアヤトくんのことを好きな子がいた。

の子は、3年生の時に理科でアヤトくんが作ったモーターカーを間違えて踏んで壊してしまったらしい。小学生にとって、自分作品を壊されたら阿鼻叫喚してもおかしくないが、彼は笑って許してくれたらしい。それで好きになってしまったと話を聞いた時、私もまた好きが大きくなってしまった。

そうこうして卒業の時期を迎えた。中学も同じなので特別寂しさはなかったが、アヤトくんと1番近くで話せたのはこの時期が最後だった。

3月11日卒業式が間近に迫った寒い日だった。

帰る準備をしてる頃、視界が揺れた。

人生で初めて経験した大地震だった。

花瓶も、窓ガラスもわれ、ガタガタと物音が落ちる音とみんなの叫び声が響いてこわくてこわくて仕方なかった。

揺れが落ち着いてグラウンド避難する時、怖くて立ち上がれなかった私に、アヤトくんは手を差し伸べてくれて一緒に歩いてくれた。

この日がアヤトくんの一番近くに居れた日だった。

卒業して、中学生になった。

サッカー少年だったアヤトくんはなぜか帰宅部になっていた。帰宅部の怖そうな友達とつるむようになったアヤトくんをみてなぜか寂しくなった。

ほんとはアヤトくんめちゃくちゃサッカー上手いのに、なんでってずっと思ってたけど聞く勇気はなかった。

クラスも遠くて接点もなかった。しばらくして放課後にアヤトくんのクラスに用があって行ったら、アヤトくんは髪を伸ばしてチャラくなっていた。そしてリュックにはピンクのよく分からないキャラクターキーホルダーを着けていた。その隣に全く同じキーホルダーを着けている女の子がいて心臓がばくばくした。

一瞬で彼女だと悟った。

中学から一緒になった、出会ってそんなに時間もたってない子にいとも簡単に取られてしまうことを初めて学んだ。思いの長さは強さじゃないんだと知ってどん底に落ちた。

この彼女は私とアヤトくんがドリル競争を繰り広げてたことなんてなんも知らないのに、もう彼女になれてるんだ、ってよく分からない嫉妬をした。

結局アヤトくんへの気持ちを諦められないまま中2になった。アヤトくんは彼女と別れたらしい。

それでも自分から告白する勇気はなかった。

ずっと好きだと思いながら何も言えず、冬になった。

バレンタインを渡そうとして渡せなくてゴミ箱に捨てたのも確か中2の冬だった気がする。

同じ頃、修学旅行で隣の部屋で恋バナしてるからおいでと言われてるんるんで向かうと、ギャル女の子がベッドの上で楽しそうに話をしていた。

「それでー、ちゅープリ撮ったの!」

そう言ってギャルは顔を赤くしていた。

キスなんてしたことない私は、ギャル大人に見えて仕方なかった。その後まもなくしてちゅープリを見せてもらうとアヤトくんが映っていた。

その後の記憶はほぼない。帰りのバスは心が虚無だった。もうあの頃のアヤトくんはいないんだとわかって、それなのに自分はあの頃で止まっているのが悲しかった。

中3になると塾が忙しくなって、次第にアヤトくんのことを考える時間はほぼ無くなっていった。

アヤトくんの志望校すらも知らなかった。

でも、6年生の時にあれだけドリル一生懸命やってたんだから勉強は嫌いじゃないだろうしそれなりの高校に行くんだろうなあと思っていた。

卒業間近に、アヤトくんが市内のバカ高に進むと知って、ああそうか、と思った。

もう何もかも変わってしまったんだと思った。

高校に入って、私は別の人を好きになった。

アヤトくんのことはもう頭の片隅にもなかった。

時は経って、

18歳になるころ、アヤトくんはデキ婚した。

大学には行かず、就職して養っていくらしい。

もうずっと別の世界人間になっていた。

アヤトくんがパパか。そう思ったものの羨ましいの感情特になかった。

私は都内大学に通い、それなりに自分生活を楽しんでいた。成人式でアヤトくんに再会すると「俺の事覚えてないよね〜?」と声をかけられた。いや、覚えてるよ!と話して、今私は大学に行ってるよ、と話したら別の世界にいる人を見るような目で「すげ〜な!しっかりしてるんだな」と言われた。

それからまた時が経った。

アヤトくんは離婚したらしい。

ふーんくらいにしか思っていなかったが、意外なところでまた再開する。

出会いがなくマッチングアプリインストールして適当スワイプしていると、アヤトくんがいた。

同い年なはずなのにすっかりおじさんになったアヤトくんの姿があった。

子供もいるし結婚歴もあるのに、結婚歴も子供がいることも隠したプロフィールになっていて心底引いた。

わたしはこんなおじさんが好きだったんだと思うとどうしようも無い気持ちにおいやられた。

2021-07-15

仲良かった友だちの話

私が中学生の頃、一緒にオタクしてた仲良しの同級生がいた。彼女とは一緒にイベントに行ったし、毎日一緒に帰ったりとにかく仲が良かった。

でも、中3時に私が学校に行くのが辛くなって休みがちになり、進学先も同じ中学の人がいないところに行くことにした。あまりに辛くて中学最後らへんは記憶も残ってない。

中学卒業する時ら辺になると、彼女は好きだったアイドルには飽きて新たに読モの界隈に移ったので、卒業の後には完全に疎遠になった。私はその後も緩くであるオタクを続けた。彼女結構飽き性だったし、界隈を移動しながらオタクをしていたんだろうなと思っていた。

20歳になった時、私は成人式に出なかった。祖母振袖姿を見せたかったが、中学時代にいい思い出はなかったから出るのはやめた。インスタで地元成人式投稿を見ると、仲良しだった彼女の姿はなかった。私と同じく成人式には出なかったそうだ。

ふと、彼女現在生活が気になったので、インスタのアカウント特定し、鍵がかかっていなかったので覗いてみた。

彼女のインスタには「お客さんがボーナスくれた♡(総額70万くらいの札束写真)」「私の担当は優しい♡(高そうな酒)」「今日メイク上手くいった♡(明らかに地雷系の目元)」のような内容が投稿されていた。疎遠になった5年間のことは深くは知らないけど、ホストにハマって昼職を辞めて夜職を始めて暮らしていることが容易に想像できた。

彼女気質オタクからオタク自体は辞められないと思っていたけれど、「そっちに行っちゃったか〜」と悲しい気持ちになった。

その後も観察しようと思ったんだけど、捨て垢(私)にインスタを監視されていることに気づいたのかアカウントは消えてしまい、彼女現在生活を知る術はない。

これは私のエゴだけど、彼女が真っ当な幸せを手にしてくれていたらいいな。

2021-07-14

anond:20210714153931

4分の1成人式と2倍成人式、4倍成人式もやっていこう

還暦になったタイミングで集まれイベントがあるのは悪くない

2021-07-11

anond:20210711105509

そこで幼稚園保育園がでてくる

母の日父の日お絵かきとか生涯に一度くらいはやってくれるやで

小学校でもハーフ成人式もやってたりする

それで元はとれてるんやで

2021-07-09

anond:20210709074204

別に死者は他国に比べて多くないし

言うとしたら、「日本若者が、ライブ成人式卒業旅行楽しい学生生活犠牲にして作った金メダル」ってとこ

鼻で笑われると思うけどね

2021-06-27

同級生何人死んでるのかな

1人知ってる。

成人式で知った。

名前聞けばわかるのが300人ちょっと

まだまだ生きてるよね

2021-06-16

人生ルート分岐してた

俺は2年前に結婚して、子どもはいないけど可愛くて支えてくれる奥さん幸せ暮らしている。

 

それで満足。何の問題もないんだけど、結婚する前に「これ人生ルート分岐してたな~」って思うことがあった。

 

俺は高校とき写真部に入っていた。ただ、俺以外の部員が全員女子だった。

周りのやつらは気にもとめないで俺と仲良くしてくれたし、俺は半分女子になった気分で過ごしてたので、特に問題なかった。

俺はその後、部員の1人と結婚することになる(それが今の奥さん)んだが、実はもう一人、何かが違えば結婚してたかもってやつがいた(浮気はしてないよ)。

 

そのもう一人の部員を仮にAと呼ぶ。

俺は奥さんと一緒にイベントに出掛けたりしてたが、Aとも映画を見たりして遊びに行ってた。

高校3年のとき、Aが俺に「私もあんたも、30歳になって結婚してなかったら結婚しようよ」と言ってきた。

俺は、なんだその保険みたいな扱いは!と怒りつつ、内心まんざらでもなかったので、いいよと答えた。

 

俺が高校卒業して、一人暮らしをしていたとき、Aから泣きながら電話がかかってきた。

理由は大したことじゃなかった。大学のやつらとモメたみたいな話だったと思う。案の定すぐに解決した。

ただ、その電話相手は俺じゃなくてもいいんじゃ?という感じだった。Aには男友達もいるし、女子友達だって何人もいる。

それに、Aとは高校卒業後、何回か会ったきりだった。

 

成人式の日、俺は奥さんとAを探して回った。奥さんは式典だけ出席してすぐに帰ったため会えなかった。

Aとは会えた。ばっちり晴れ着姿のAはすごく綺麗だった。取り留めのない話をして、一緒に写真を撮った。Aは撮った写真を綺麗に加工して俺に送ってくれた。

 

奥さん交際してすぐ、部活メンバーに、奥さんと付き合っていることを飲み会の席で告白した。

奥さんはすごく照れてた。Aは俺の話し方が男らしくないといちゃもんをつけてきた。

飲み会の後、俺は1人帰る方向が違うのでみんなとは別で帰った。

帰りの電車の中、奥さんから「Aがあなたのことをすごく褒めているよ。私があなたのことを、実はかっこいいと話したら、Aはとても共感してくれたよ。よかったね。」というLINEが届いた。

その時俺は、奥さんと付き合いたてだったので、あんまり気に止めなかった。

 

俺が結婚する前、Aから「今付き合っている彼氏はとてもいい人だけど、本当にこの人でいいのかわからない」と相談された。話を聞く限り、Aの彼氏は滅茶苦茶いいやつだったので、俺はAに「完璧人間はいないし、彼氏さんはいいやつだと思うよ」と答えた。

Aはうんと答えたあと、特に何も話さなかった。

 

Aとはその後、部活飲み会でたまに会うくらいの関係になった。彼氏ともうまくやってるらしい。

 

正直、Aのことは結構好きだった。でも、奥さんの方がもっと好きだった。

奥さんとは死ぬまで添い遂げるつもりだ。

ただ、30歳に近づいてきた今、ちょっとそわそわしてる自分がいる。

2021-06-11

学生に一刻も早くワクチンを接種させろ

 この増田を書く人は現在大学生という身分であり、自分ワクチン接種を一刻も早く受けたいという気持ちを完全に殺して書いているわけではないという点をまず初めに断っておく。もしかしたら自分リサーチ不足や誤った認識に基づいて文章を書いてしまっているかも知れないので、もしそういった事があればコメントで指摘していただけるとありがたい。

 高齢者ワクチン接種を優先するのはコロナ重症化・死亡リスクが高いから。一般的にはそう言われている。国民の大半はそれにたいして疑問を持っていないかも知れないが、1周も2周も捻くれている自覚のある私はそうは思えない。

 厚生労働省が2021/1/6に出した、[新型コロナウイルス感染症国内発生動向(速報値)](https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000716059.pdf) を見ると、男性の方が女性より死亡率が高いことが読み取れる。私は統計学明るい人間ではないので、交絡・バイアスが紛れ込んでいる可能性を完全に否定することは出来ないし、これが有意であるかどうかも分からない。ただ、高齢者ワクチン接種を優先するのも具体的に何%重症化・死亡リスクが高いからで、高齢者ワクチン接種をn日早めるとどれだけの人命が守られるからだ、といった数字ベースの話はしていない。(と、少なくとも報道を見る限りそう捉えられる。)つまり男性に優先接種等の措置を行わないのに、高齢者に優先接種を行うことは、なにか違う意図(例えば、高齢者の票を確保したい政治家の魂胆)があるのではないかと私は疑ってしまう。もちろんこのご時世に性別差異を設ければ世間批判を浴びることは疑いようがないし、そういったことを避ける意図として性別による優先接種を行わないのだという反論も一理ある。では何故年齢による優先接種は差別に当たらないのだろうか。そもそも差別とはなにかという話からしなくてはならない気がするが、「自分では変えようがない要素によって理不尽な扱いを受ける」というのが(あくまでも私の中での)差別定義である。その定義に従えば、生年月日(年齢)は自分では変えようのない属性であることは明らかであるし、その要素によって不遇な扱い(ワクチンを早く接種出来ない)を受けていることは間違いない。これが差別だとなされないのは、若者がそれを差別だと認識させないような社会を、そういった社会を望む者たちに構築されてきたからではないのかと思うのだが、社会を捉える目が穿ちすぎだろうか。差別する側はそれを差別だと気づかないのは当たり前の話として存在するとは思うが、差別されている側もそういった年上優遇社会を「儒教の教えだから」、「年功序列から」といったような浅い理由で受け入れてしまっているのではないか

 コロナ禍の日本において、世代間の分断はさらに広まったと思う。もともと医療費年金といった負担が現役世代に重くのしかかっている上に、高齢者運転者事故を起こしたりしていた。それでも政治家投票率が高く母数の多い高齢者優遇政策を辞めない(と、少なくとも私にはそう見えてしまう)。コロナ禍では、「若者は外出を控えて」だの「卒業旅行はナシ」だの言われ続けた。ただでさえ卒業式入学式成人式など「一生に一度」の機会が失われ続けた人が多い。それにも関わらず、議員が会食したり公務員飲み会を開いたりしていた。確かに入学式とか形式だけの挨拶が行われるだけだし、行っても行かなくても人生に大きく影響を与えるものではない。しかしながら、逃がした魚は大きいとあるように、我々にはその失われた入学式重要ものであったと思えてしまうのだ。

 若者の貴重な日々が奪われ続けていると言ったのは、このような非日常イベントのみを差しているわけではない。ただの日常だって中学高校は3年間しかないし、大学も4年間しかない。そのうちほぼ2年が失われようとしているわけで、うん十年と社会人生活を続けるうちのたった2年を失われるのとは訳が違う。ジャネーの法則と呼ばれる法則をご存知だろうか。生涯のある時期における時間心理的長さは年齢に反比例するというものだ。(Wiki調べ) それによれば、15歳にとっての1ヶ月は45歳にとっての3ヶ月と(少なくとも心理的時間間隔においては)等価値なのである。だからこそ若者に対しては一刻も早くワクチン接種を受けさせるべきだと私は思っているし、中学から集団接種をバンバン始めるべきだと思っている。

 だからこそ[京都 伊根町 中学生の集団接種 抗議殺到で変更へ 被害届検討](https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210609/k10013075961000.html) みたいな記事は胸クソ悪いし、萩生田光一の「基本的に、小中学生集団接種を前提には考えていない。12歳以上の接種が可能だという通知が出ているが65歳まで終わったら、その次の年代や、基礎疾患のある方を優先的にやるべきで、ある自治体が『すべて終わったから、子どもたちにも打つ』というのは、やや順番が違うのではないか」という発言に対してはクソ反感を覚える。(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210607/k10013072451000.html) 彼、若者の敵になるような発言しかしない印象がある。本当に文部科学大臣か?

 何がオリンピックだよ、なんで小中学生オリパラ観戦させるんだよ、希望者接種完了11月?ふざけるなよ。15歳の中学生がこれから更に半年待たないと打てないということは、75歳の高齢者が2年半ワクチン待たされているのと同義なんだよ。そもそも短い学生生活ワクチンを打てない不安の中過ごさせる日々を少しでも短くしてほしいのはもちろんだし、ワクチン接種が打ち終わらないのにオリンピックをやることにも納得出来るわけがない。オリンピックで感動を届ける、別にそれ自体を悪く言うつもりはないけれど、なんでそんなものに命賭けなくちゃいけないんですか。大半の政治家高齢者オリンピックの時期にはワクチン接種が完了しているから高みの見物なんだろうけれど、希望者にすらワクチンが行き渡っていない状態オリンピックを開催することに賛成できるわけないでしょう。そもそも水際対策すらまともに出来ていなかったせいでアルファ株もベータ株も日本に来ちまってるじゃねーか。ほとんどの学生不安を抱えながら夏休みを迎えることになる。流行期には悪者扱いして、ワクチン接種では後回しにするんじゃ若者の苛立ちは募る一方なんだよ。せめて最後くらいはいい思いをさせてやってくれや。ワクチン接種が夏休みまでに受けられなかったら安心して海やプールに行けねえんだよ私たちは。学生夏休みなんて数えられるくらいしかないのに、政府対応のせいで1回ならず2回も奪う気なのかよ。

 地方自治体によっては若い世代に早めに接種するらしいけど、うちはそうじゃねぇ。成人式適当だったこんな市長には次投票するつもりはないけれど、どうせまた再選するのだろうという絶望感がある。どうせなら国に早く学生ワクチンを打たせるような指針を打ち出して欲しかった。

 東京大阪の大規模接種会場が全国対応?ふざけるなよ。そんなの各地から首都圏ウイルスを集結させるようなもんじゃねぇか。次の世代に接種させろや。

 何も私だって今更65歳以上の優遇を止めろとまでは言うつもりはない。そんなことをしたらまず混乱が生じるし、政治家だって選挙で勝てないようなことをわざわざ進んでするようなことはしないだろう。私のささやかな願いとしては、余りでいいから、キャンセル分でいいから、いち早く年齢を問わず希望者に接種出来るような体制にしてほしい。

2021-06-06

俺の性癖ねじ曲げた、とあるキスの話

7年前の成人式の夜、俺を嫌っている同級生キスをした。俺は、彼女を好きでも、嫌いでもなかった。でも、恋人が途切れると、あの夜のことを思い出す。

彼女と俺は、同じ苗字だった。世間的にはそうそう多くはないが地元にはままある、といった苗字だ。1学年1クラス小学校で、たまたま俺の学年には彼女と俺のふたりだけだったせいで、「お前ら夫婦じゃ〜ん」だなんだとよくからかわれた。

どうやら彼女は俺を嫌っているらしいと気が付いたのは、小学3年生の秋のことだ。運動会練習中、俺は組体操逆立ちができない彼女を笑ってしまった。言い訳をするならば、子どもらしい、ささやかちょっかいだったはず。しかし、彼女はふーっとため息をつき「そうだね、できないよ」と答えた。それは「強がり」というには冷たすぎて、俺は少し狼狽えた。

勉強のよくできた彼女は、からかいやふざけたノリを快く思ってはいないようだった。俺や俺の悪友たちがちょっかいを出しても、ほとんど気のない返事しか返ってこなかった。頭のいい男子とは、楽しそうに話している姿をよく見かけた。

中2の終わり頃、彼女が1つ上の生徒会会長と付き合っているという噂を聞くようになった。彼女とよく話していた生徒会ガリ勉が、あからさまにショックを受けていた。俺は、なるほど、順当だな、と思ったくらいだった。要するに、そのくらい、彼女と俺との間には壁のようなものがあったのだ。

本題は成人式の夜、どうして彼女キスを交わしたか、だ。

優等生だった彼女が成人代表挨拶をしている間、俺は市営ホール座席パズドラをやりながら、隣のやつとこそこそ話していた。集合写真を撮るとき彼女挨拶までしたくせにささっと端に立ち、控えめに微笑んでいた。俺は、ばあちゃんに買ってもらったポールスミススーツを着て、真ん中でふざけたポーズ写真に写った。

成人式当日の夜、小学校クラス会があった。任意参加だから初めから気心の知れた友達と飲んでもよかったのだが、俺は何となく成人式特有空気に流されるようにしてお仕着せのクラス会に行った。

彼女と何年ぶりかに話をしたのはそのときだ。俺にだけ冷たいと思っていた彼女は、酒を飲んで上機嫌に笑っていて、なんとなく寂しいような気がした。大人になってもツンケンされるほど、気を許されているわけでもないような気がして。

ぶっちゃけ、俺のこと嫌いだったっしょ?」

酒の勢いで、聞いてみた。「実は好きだった」とか、「素直になれなくて」的な答えを期待していなかったといえば嘘になる。

ところが、彼女から返ってきたのは、「……わかる?ごめんね、私ほんと子どもだったから」という肯定言葉だった。彼女は当時の心情をオブラートに包み、ていねいな言葉謝罪してくれた。早熟だった彼女からかいちょっかいといった面倒なやり取りが嫌いで、うるさくてやかまし男子に、嫌気がさしていたという。そこに「同じ苗字」で「やかましい」俺が、ぴったり合致していたのだと。

俺は、「ほんとごめん、俺うるさかったよな」と答えるしかなかった。

有り体に言えば、俺にとって彼女は「好みの女」ではなかった。「うるさくてやかまし小学男子A」から、「うるさくてやかましい中堅グループのA」になった俺は、それ相応の相手と付き合いたいと思っていた。だから、それまで付き合った相手スカートを2,3回折り、前髪をカラフルなピンで留めるタイプ女子だった。その点彼女はどこまでいっても「品行方正な優等生女子」で、制服スカートは膝丈、髪を巻いているところを想像できるようなタイプではなかった。

大人しくて華やかなグループに属しているわけではない彼女から、うまくやっている俺のことを憎からず思っているとしてもおかしくない、そんな驕りがあったのだ。蓋を開けたら、満更でもないと思っていたどころか、嫌っていたという。俺が幼い頃感じた衝撃は、何も間違っていなかった。

俺が不相応なショックに打ちひしがれているあいだ、彼女は俺をフォローしてくれていた。テニスで県大会に出たんでしょとか、そのスーツおしゃれだねとか、穏やかな口調の褒め言葉で。俺はものすごく恥ずかしくて、酒をがんがん飲んだ。すると、必然的トイレに行く機会が多くなる。彼女はその度に「大丈夫?飲みすぎてない?」なんて声をかけてくれて、俺は自分の小ささを自覚させられた。

そのうち俺は彼女に嫌われていた自分が嫌になってきて、彼女の話を聞きたくなった。酔っているふりをして彼女大学の専攻のこととか趣味の話とかを聞いているうちに、彼女は「ふつう」に笑ってくれるようになった。

一人の人間として見た彼女聡明で、話も面白かった。俺もそれなりには大人になっているわけだし、無闇に彼女からかおうと思わなければ「ふつう」の会話ができる。彼女は俺が持ち出せる精一杯のゴシップ下ネタにもくすくす笑ってくれて、まるで「ふつう」の友達みたいだった。俺が何の気無しにかけていたちょっかいがなければ、もう少しいい関係があったのかもしれない、そんなふうに思ったりもした。

2時間くらい、飲んでいただろうか。もう一軒行こうか、という話が出始めると、彼女のところにはわっと人が集まった。優等生タイプの男女以外にも、陽キャグループの奴もいた。俺はといえば、携帯に同じテニス部のメンツで飲もうという誘いと高校同級生で集まろうというメッセージが届いていて、彼女と同じ店に行く流れは微塵もなかった。

友達会計にもたついていたせいで、彼女はもう店の前にはいなかった。駅の方に少し離れて、はしゃぎながら歩く集団の端を歩く彼女が見えた。店の前で騒いでいる友達を置いて走って、彼女を呼び止めた。「忘れ物が」とかなんとか、適当理由をつけたと思う。

「なあ、ホテル、行かない?」

冗談めかして尋ねると、彼女あははと笑って「いいよ?」と言った。もちろん、それも冗談だ。「じゃあさ、思い出にキスしていい?」ふざけた口調で続けたら、彼女は笑って一歩俺に近づいた。

どこまでやっていいのかまごつきながら肩に手をかけると、彼女は俺の頭に手を回して唇を押し付けてきた。学生時代ちょっとぽっちゃりしていた彼女大人になっても胸と尻がデカく、思わず抱きしめたら胸がむにゅと潰れるのがわかった。街灯に照らされた首筋が真っ白に見えた。唇は柔らかく、ほのかビール匂いと、りんごのような香水匂いが混ざって、酔っ払っている頭がぐらっと煮えたぎるような感覚がした。思わず口を開けると、ぬるりと熱い舌が俺の舌を絡めとった。

長いのか一瞬だったのかもわからないキス彼女意思彼女の行動によってのみ行われ、俺は「される側」でしかなかった。唇を離した彼女は俺の背中を軽く叩いて、「またいつかね」と言い残し、友達を追いかけて戻っていった。

やっぱり、彼女は「好みの女」ではない。だから、このキスを思い出すのは、数ヶ月から数年に一回、女に振られた時だけだ。「またいつか」はくるのだろうか。そのときがくるとしたら、どこまで許されるんだろうか、とか。

今でも付き合うのはスレンダーな女ばかりだけど、動画を探すときは「ぽっちゃり」だの「むっちり」だの検索してしまう。別に彼女の夜の顔を想像しているわけではない、そう言い訳しながら。

下手くそなのに強気価格

メルカリハンドメイド作品がうざすぎる。

検索結果にゴミを混ぜないでほしい。

ハンドメイド作品説明欄かタグにその旨の記載必須にしてくれ。

目障り。

検索避けを回避するためか「ハ ンドメイド」とか書いてやがるゴミ出品者がいた。

目についたところで誰も買わねーから

下手くそなのを自覚しろ

あえて手作りなのを書かない奴とかも消えてくれ。

見りゃわかるから潔く書け。

どうしてあんゴミを千円近い価格で売ろうとするのか。

千円くれるなら引き取るレベル

分別してゴミに出す手間賃として受け取ろう。

かわいいです!」だの「お得です」だの、感覚おかしいやつの売り文句お笑いにもならない。

原価の半額だ?

あんたのセンスのせいで価値マイナスだよ。

頭が悪くてもセンス悪くても生きる権利はある。あるけど、せめて自覚して生きてくれや。

ただしフォーマルになんて到底使えないゴミを「成人式にどうぞ」と書いたクソ、てめーは死ね

2021-05-30

もうやめてよ

高齢者のために成人式卒業旅行運動会我慢した

ワクチンの順番は最後

日本若者ってなんなんだろうな

2021-05-11

いじめ問題になった学校出身です

旭川事件を知って思い出した。

自分、一時期世間を賑わせたいじめ問題になった学校出身のものです。

前提として荒れてる学校だった。

近くに国立の附属中があって、こだわりある子供はまずそっちに行ってた。

私たち学校に来る子は家が近かったり、こだわりがなかったり、附属中なんか悪い意味で眼中に無い子達も多かった。

そんな学校から、成績ももちろん低くて私たち学校価値観で言うと県で50くらいの高校に入る子はそれなりに頭がいい子、偏差値43.4が普通、55-は神様みたいな領域ぐらいには低かった。

クラスメートも1人2人は授業に参加しない子がいたり、30歳と付き合っていることを大っぴらに話す子やタバコ酒自慢も結構あった。

授業もできないか先生たちは口うるさいヤンキーグループを抑えながら授業するしかなくて、刺激しないように接してたらそれを馬鹿中学生の頭では「自分たちは先生に認められた」と勘違いする奴らがあまり喋っていない俗に言う陰キャを構ってあげてる、という名目でのいじめをした。

それがいつの間にかおもちゃになっていじめに発展するのが決まりコース

いじめたヤツらにとって「自分たちは先生に認められた特権階級」って思っているし、先生たちも正直他の生徒が万引き喧嘩やらで外部に迷惑をかけているから内の問題に構う暇なんてなかったと思う。

というか真面目そうに見えて万引きする奴らよりも分かりやす問題を起こして馴れ馴れしく先生に話しかける彼らを先生可愛い生徒と思っていたかもしれない

結果、兄弟の学年で問題になってしまってマスコミに大々的に報じられた。

元々あった先生負担が倍増し何人かの先生が来なくなったし、ストレスや親が通わせたくないという意味での不登校児童も多発した。

マスコミ過熱してて、休日私服の私に「あの中学出身だよね?」と話しかけてきたりしていた。

いじめたヤツらは守られたりもして、さらに結束を強めたように見えたけど、親含む内部で罪の押しつけあいで最終的には分解した。

というか周りの生徒が孤立させてていじめグループ内でいるしかない状態だった。

教師に持ち上げられたか勘違いするいじめなんてするバカだったから、ほとんど高校も低い偏差値しか行ってなかった。

勉強してちゃんとした高校行っても同じ中学の人たちからリークでばれたりするから孤立して退学したりもしたらしい

自分中学を忘れようと高校は私しか進学していない高校に行ったけど、「あの中学出身」と言われていて、友達は出来たけどいじめ事件の事を興味本位で聞かれたりした。

地元には悪い思い出がほとんどで、同級生も帰っていない人達が多い。成人式も半分しか来なかった。

故郷の思い出は息が詰まる思い出と自分いじめターゲットにならないかとビクビクした記憶だったり、高校の時の「あの中学出身」っていうヒソヒソ話と人を死なせる要因をつくったという罪悪感でぐちゃぐちゃになる。

多分旭川の子達も同じようになるんだろうな。

強く生きて欲しい。

旭川ニュース見ないようにしていたけど偶然見ちゃって思い出したので整理つける為に書いておく。

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追記

身バレ防止の為に兄弟いじめ問題になった学年って言ったけど文章的に合わないところ多すぎた。

自分いじめ問題になった学年と同じ学年です。

いじめ問題になったクラスは別クラスだけど、噂には聞いていて正直他のクラスよりまとまっていたクラスだった。

亡くなっていた子がスケープゴートになっていたのは外から見てもわかってたけど、皆自分が助かるためなら仕方ない、って感じだった。

よくいじめがあるクラスはまとまるって言うけどあれは自分がそのターゲットにならないように無理矢理合わせているだけ。見せしめと変わらないよね。

あと強く覚えているのはいじめた子の親がうちの家に電話してきて、うちの親に「マスコミに子を売ったのはお宅か?」と質問してきたりしたことかな。

近くに附属中があったからって書いたけど、うちの学校以外はみんな普通に過ごしていたし、成績も附属中よりも少し下だったけど、普通に過ごしていたから、本当にうちの学校のみの問題だったと思っている

今思えば小学校の時、附属中にいく生徒が皆一斉にやっていた習い事をやめて塾行き始めて、何となく附属中組と公立組に別れ始めた所から公立組は劣等感を感じ始めたし、そこから荒れる生徒もポツポツ出始めたな

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追記2

近くに国立私立があるからみんなそうって訳ではないと思う。

私の書き方が悪いから附属中ある公立校がみんな荒れてるって感じになってしまったけど。

現に1番その附属中に近い公立中学平和で全体の成績も良かった。

私の学校が荒れたのは周りの中学生からみて「荒れている」というイメージ中学で、成績も低くてバカ中って言われていたからそれの劣等感もあった。

先生の質も良くなかった。

荒れている→成績が下がる→質の悪い教師が赴任→さらに荒れる

という流れ

体罰もどうだろう。

そういう先生もいたけど荒れてたままだったから生徒たちの根本劣等感が消えないと意味ないと思う

ーーーー

秋田いじめ事件があったらしいね

久しぶりに思い出したことあったから書いてみる

最近秋田学校いじめを苦に自殺未遂があった学校記事を見て思い出したことあった。

秋田いじめた子達、被害者の子逆ギレしたんだってね。

あれと似たようなことあったよ。

事件があったあと、問題になったクラス人達教室別になっていた時があった。(理由は分からないけど調査とかマスコミ対策のためとかだと思う)

部活動もそのクラス人達は全員不参加で登下校は親が送り迎えしていて、問題クラスでそこそこ話していた子と会った時、「なんで私たちだけ」って切れていたんだよ

彼女は直接いじめには加担していなかったし、マスコミのために外にも満足に出れない日々だったし、親も親で彼女いじめに加担していないかとか聞かれたりしたりしていたから、つい言っちゃったんだと思う。

彼女というか、そのクラスからすればいじめで亡くなった子は必要存在で、求めてやっていたのに亡くなりながってって思ったんだと思うし、いじめ主犯たちは全員学校来ていなかったから「お前らのせいで」っていう悪意を向ける先もなかったと思う

あと学校内でも物凄いスピード事件は広まったか学校全体で問題になったクラス人達には話さない、顔を見ない、隔離されたクラス場所には行かないなどの学校中総シカトみたいな雰囲気があって、学校というか地域全体で無視されるっていう気分で、それを言いたくなちゃったのも正直わかる。

話を戻すと秋田の子達もきっと学校からいじめをした人」っていう針のむしろ状態になっているんじゃないか

それで自分被害者と思ってしまっているんだと思う

自分加害者って思えるのも強さが必要だし、いじめをして結束するメンタリティの子達にそんな強さがないかいじめた子を加害者だと思って攻撃したんだと思う

自分を守るために必要な事だとは思うけど、ただ繰り返すと本人たちにとっても良くないから、親とか周りが彼女たちをケアして早く自分たちが加害者だと思えるようになって欲しい

2021-05-09

惣流・アスカ・ラングレーに送る、毒親持ち女子(23)からラブレター

※シンエヴァネタバレあり

これは毒親持ちのオタク女子(23)から惣流・アスカ・ラングレー(式波・アスカ・ラングレー)に送る、一方的ラブレターである



14歳の時に、DVDエヴァを見た。画面の中で、私と同じ年の少女が「エヴァパイロットではない自分には価値などない」と、心から真っ赤な血を流しながら叫んでいた。その姿を見て私は泣いた。彼女の機体にかけられた虹色の光に、そしてその身を裂くような苦痛に、私も一緒に襲われていた。


それが私と惣流・アスカ・ラングレー出会いだった。


アニメ版、旧劇場版でのアスカ母親存在否定されたという過去があり、自分自身の存在エヴァパイロットであることに依存している14歳少女だ。とても愛らしく美しい見た目をしており、自分の培ってきた能力他者を圧倒することを厭わない高飛車なその性格と内側に抱えた闇は、一瞬で私を虜にした。


アスカが私を虜にしたのは、私の状況が彼女酷似していたからだ。もちろん私はアスカのような美少女ではないし、大学飛び級出来るほど頭が良かったわけでもない。しかし一応、県のトップ高校に行ける程度には勉強はできた。父というモラハラ上司に四六時中監視され自尊心を根こそぎ奪われていた私にとって、勉強プライドの拠り所だったのだ。それだけが、私の誇りだった。


からエヴァパイロットであることを拠り所にしているアスカ気持ちは痛い程よく分かった。そしてそれを取り上げられる苦痛も、それがなければ他者と関わることができないという辛さも、何もかも。


それ故、高校から大学にかけて私は彼女を愛した。彼女出会う前は派手だと遠慮していた赤も、彼女の色だと思えば愛おしかった。私のような地味な女には似合わない赤の小物がいつしか部屋の中に増えていった。

ランダムラバーリストバンドの箱を開けて、彼女の機体をモチーフにしたカラーではないものが出てきた時は心底がっかりした。

あんバカァ?」という嘲りを含んだ声色も、その内側に抱えているものを知る私には愛らしく響いた。

『心よ原始に戻れ』を歌うときには、いつだって彼女のことを思い浮かべていた。


彼女高慢な態度も、その華奢な身体内包した闇の深さも、海風に髪がなびいたとききらめきも、心が壊れて廃墟バスタブに横たわっていたときの姿も、頑なに心を開かないところも、最後シンジ君に対して「気持ち悪い」と吐き捨てたところも、惣流・アスカ・ラングレー構成するすべてを、私は愛していた。




しか新劇場版では、アスカ母親因縁から解き放たれていた。加地リョウジを愛することもなかった。それどころか何のきっかけもなくシンジを愛し、レイに碇親子の会食を勧めるようお膳立てしさえした。

そんな彼女は私の目にはまるで安っぽいギャルゲーの物分かりの良いサブヒロインのように映った。アスカシンジを好きになるきっかけが埋まったエピソード(瞬間、心、重ねてとマグマダイバー)は、新劇では全てカットされていたからだ。

好きになる理由がないのにどうして?やっぱりシンジ君を上げたいだけの話なの?最近流行りの異世界転生のように?くだらない、くだらない、くだらない!


アスカの扱いの粗雑さに腹が立った。


私は新劇アスカを愛することはできなかった。私の愛するアスカは惣流の名を冠する彼女だけだ。胸を貫くような痛みを共有できる彼女けが、真のアスカラングレー。そう、思っていた。


が、シンエヴァ彼女が救済されたことを知ったとき、素直に涙が零れた。心の底から良かったと思えた。彼女首にはもう、DSSチョーカーはないのだ。置いて行かれたという気持ちがなかったわけではなかったが、いつか私もそうなれるのだというエールのようにも思えて、映画館で静かに泣いた。




私もいつか、父の呪縛から解き放たれ、自分自身の人生を生きることができるだろうか?

私にはエヴァはない。手を取り助けてくれるケンスケもいない。


遠くから、私を嘲笑う声が聞こえる。お前は必要ないと叫んでいる。お前など産まなければよかったと、感情的に叫ぶ声が聞こえる。女の癖にと嘲る声が聞こえる。雪の日に裸足で外を歩かされた記憶も、八歳の時に殺されかけて失禁した記憶も、寄生虫と呼ばれたことも、女のお前など中流公立高校で十分だと言われたことも、受験した大学が一つしかからず受からなかった分の受験料をどうするのだと土下座をさせられたことも、弟が父に刺されそうになり慌てて止めたことも、十八の時に父の頭をフライパンで殴ろうとするも喧嘩慣れしていなかったせいで肩に当ててしまい殺しきれなかったことも、成人式の時に着物代を一銭も出さなかった父に私の用意した貯金額があまりに少ないと文句をつけられたことも、なかなか消えはしない。それはどうしようもなく、私の一部だ。


でもそれもやがて遠い記憶の中に埋もれ消えていく。

私が、未来を見て歩き続けるのなら。

傷つくことを恐れず、他人と関わっていこうとするのなら。



父の呪縛を一気に解いてくれる何かなんて、ありはしない世界で私は生きている。でも私はそれでいいと思う。確かにそんなものがあったらいくら金を積んだっていいけれど、ありもしないものを求めたって仕方がない。


アスカ。私がいつか父の呪縛から解き放たれたら、一緒に日比谷無印カフェに行ってくれないか。そこでお茶をしよう。ケンスケくんの話をしよう。呪縛から解き放たれたきみと、一緒に笑いたい。

そんなことを言ったら、きっときみは「気持ち悪い」と言う。でも構わない。「気持ち悪い」と言われるのを恐れずにきみに話しかけられるようになること自体が、私が呪縛から解き放たれた証なのだから



アスカいつまでもきみを愛しているよ。ケンスケくんとお幸せに。


2021-05-06

寄付したい

もう成人式終わったからいつでも切れるんだけど何センチくらいがいいんだろうか

少なくとも31センチはある。仙骨中央まであと5センチくらい

夏休み冬休みに合わせて切ろうかなーとは思ってるけど喜ばれるのって何センチから

2021-05-05

年齢差同学年カプのすすめ

こういうカプかわいいな〜と思うんですが、私の探し方がよくないのか全然見つかりません。

攻受の性別容姿わず、ぜひ創作にお使いください。

攻が21 受が19

ともに大学2年生だが、攻が浪人、受が早生まれ

このため、年齢差2つ、本来の学年差1つ、実際の学年差0という3つの年の差ができる。

付き合っていてもいなくてもかわいい

高校生留年×現役でもかわいいけど、高校も別の、全くの他人状態から出会いロマンがあると思うので…。

学年が同じため、普段タメ口で笑いあっているが、受が未成年お酒が飲めない、学生証の生年が2年違うなど、節々に本来の年齢差が見え隠れするのが萌える

また、先輩に憧れる受に対し、自分も年齢では上なのに、とモヤモヤしたり、逆に同学年ということでより親密になれたりと、年齢差ありの同学年ならではの関係性がかわいい

自分予備校にこもって勉強している間、この子制服を着て友達と笑いあってたのか…と、自分浪人時代の受けに思いを馳せてしまう攻め、良い。

受け側も、攻めが成人式に行っているのに複雑な感情を抱いたり、攻めの高校時代の友人が大人っぽく見えたりして少し悩んでしまう。

高校生のころ出会っていたら先輩呼びで敬語だったのか…と考えたり。

受験方式とか、選挙年齢の変更で、同学年なのに微妙ジェネレーションギャップができたりする。

受け攻めの性格はなんでもかわいい

個人的には攻めがデレデレだったりツンデレだったりがかわいいと思う。

年上からの愛が大きいのが性癖なので…。

受けはその好意に気づいていても、気づいていなくてもかわいい

同い年なのに年上もしくは年下、年上もしくは年下なのに同い年という絶妙距離感が最高なのです。

また、本来なら1個差のカプには、2人の誕生日によっては同い年期間があったりするのですが、受けが早生まれなことにより、永遠にまらない年齢差、なんなら2歳差にまでなってしまうというプラスアルファ絶妙さ…。

出会い方が違えば全く違う関係性になっていた、という運命性が魅力の年齢差同学年カプをぜひよろしくお願いします。

流行れ〜

2021-05-01

友達との極細の糸が切れた

たった今、中学からの数少ない友達との糸が切れてめちゃくちゃ動揺しているからこうやって文章を書いて気持ちを落ち着かせている

「糸が切れた」というのは、分かると思うが「連絡手段が無くなった」という意味

そもそも連絡が取れなくなるってなんなん?そんなヤツ友達と言える人なのか?自問しながら泣きそう

タイトル通り彼女との糸は極細だった。それには理由がある。至ってシンプル

彼女が異常に連絡先を変更する人だった

まらいくらシンプル。そりゃ切れるわな

中学の時に教えてもらったアドレスはもちろん電話番号卒業して早々にゴミと化した

まぁ連絡取れないにはどうしようも無いわけだから私は諦めて彼女中学の思い出に成り下げた

あの日までは

大学生とき休日地元図書館勉強することが多かった

彼女とばったり再会した

本当にうれしかった。彼女たまたま来ただけだったからあれは間違いなく奇跡だった

もう一度連絡先を教えてもらった。すぐ変えたでしょと聞くと彼女はゴメンゴメンと言った。あなたはなんとも思ってなかったのかな〜

成人式に一緒に行く約束をした。この頃にはLINEが普及していたけれど彼女はやっていないと言っていた。変わってるよね本当

もちろんアドレス(Gmail)は早々にゴミになり、電話番号ショートメールでのやり取りが続いた

連絡する頻度は低かったけれど何度か会えたしさすがに関係は磐石なものになったと思っていた

しか事件が起きた。もちろん……

彼女電話番号を変えた

終わったと思った。けれど私は最後の極細の糸を見つけた

Facebookメッセージ機能

流石に泣きついた。切れたくないと送ったら彼女からはゴメンと送られてきた。あなたはなんとも思ってなかったのかな〜(2回目)

新しい電話番号を教えてもらった。ここから再放送

最後にやり取りしてから半年経った今日彼女電話番号ゴミになった

Facebookアカウントは消えていた

これで正真正銘おしまい

自分でもここまで読み返して、

あれ?今思えば向こうは私のことなんとも思ってなかった説??

中学出てお別れしたのが私たちの終わりだった?私が執念深いだけだった??

向こうは鬱陶しいと思ってた??

という疑念が出てきそうになったがそうじゃないと思いたい

本当に、本当にどうしようもなくふわふわした友達でした。実家の住所でも聞いておけばよかったな

2021-04-19

不登校対処メモ(ADS)

今回はなんとかしたのはどうやったかの話を伝えたいとおもいます

以前も投稿したのでカブるかもしれません。再投稿じゃないから甘えじゃないけど。

 

・1つめ、まずは登校しない子を否定しないようにしました。

とくに、体調が悪いということを、本当に体調が悪いとしてうけとめます

発達障害のせいかわかりませんが、体の調子や心の調子にとても鈍いところがあるんで、聞いても伝わりません。

「どこがいたいの」「どういうふうにつらいの」というのが詰問になってしまうので、とりあえずは「じゃあ今日は休もうか」とせかさずに言えるようにして、家を味方のいるシェルターにしてあげないとまず話になりませんでした。まあ高校2年半それがほぼ毎日つづいてしまったわけですが。

の子父親はずっとこの子といろんなとりひきをしてなだめすかそうとしていました。

今日休んだらテストの日は学校にいけるのなら今日休んでいい」。

「いい成績をとったら希望通り○○してあげる」。

学校いかないのなら小遣いなんか、旅行なんか、動画なんか、オフ会なんか全部いらんだろう。」

でも体調が悪いのは本人のせいじゃないんですよね。

人間とは病気とは取引できないんです。

なので全部基本的人権としてかんがえ、娘が(思い切って)何か希望したらそれは生きるのに必要なんだと考えてなんでもOKにするよう少しずつでも説得しました。

今も留年就職活動ができないとつたえるたびに父親は渋い顔をしますが、子供が怯えていたよ!嫌われるよ!病状が余計悪化するよ!と伝えています

・次に、この子はなんとか病院につれていって適応障害によるうつ病発達障害と診断されました(それも1・2件目の精神科では門前払いされたので、3件目のメンタルクリニックで。精神科はすごいお年寄医者でその後すぐに廃業したところと、重症しかみていない大学病院でした)。

発達障害といっても薬を飲むほどではないので、うつ病の薬をのみました。でも未成年のうちはつかえる量が少なすぎて全然効かないのですが、

うつ病・発達診断の診断書がもらえたことはものすごく助かりました。いろんなところに提出しました。

まずは父親にこれは医者のいうとおりの病気からうるさくいっても治らないということをいってガミガミをやめさせました。

そして学校先生学年主任)には診断書といっしょに、「発達障害(ADS)ってなぁに?」という絵本も買ってわたし先生はその診断を出した医者面談してうちの子発達障害理解してくれ(ウルサイのが本当に死ぬほどダメだということ)卒業までの特別な利便をはかってもらいました。

また父親お金のことをうるさくいわれたため、娘は「余計なお金がかかるのなら疲れる病院になどいかない」といいはって家で泣くか寝るかしていたので、市から自立支援医療補助というのをもらいました。これでメンタルの薬も医者無料になりました。骨折治療とき受診料は払っていません。

また大学受験ときも、センター一次については診断書をそえることで発達障害配慮というのをもうしこんでうけてもらいました。静かな部屋で個人うけられ、親がつきそいでき、テスト中は別室だが、休憩時間飲食物や薬をあたえてよい。本人の手足が動かないほどぐったりしている場合車椅子ではこびこみができるし、車も校舎にじかづけしていい。(ただ、やっぱり志望校には一次でさえ点数がたりなかったので二次はうけていないのですけどね。)

さら最近ではn級障害者手帳をとったので電車などの市内移動に交通費がかからず、障害者年金を月にm万もらって小遣いがわりにしています動画にでてくる人のグッズ(同人誌かばんなど非常にひかえめに)買って、あとは貯金すればといっています若いだけにいろいろ欲しくてネットでしっかり検索して安いところで買うように工夫してもギリギリみたいです。アルバイトができない大学生活、リップクリーム一本も、新しいかばん1つも買えないなんて辛いにちがいありません。

旅行代金や服をちゃんと親にねだってくれるようになりました。水商売犯罪に1回も手を出さないでいてくれてありがたいとおもっています

話がそれましたが、うつ病の薬は今かんがえれば最初から対象外未成年でも怖がらずにもうすこし飲んでおいたほうがよかったのかな?とはおもいます

・3つめ。人とのつながりが大事なのでそこは切らさないようにしました。

本人には高校時代にも何度も「転校しようか」「退学して大学検定にしようか」という話をしました。でも本人にとって命より大事なのが中学出会った気の合う友達カラオケにいく時間でした。ですので、無理をして同じ高校卒業させて、大学でも友達をさがさせました。

ちなみに、成人式にも出場させました。2次会もでられればでたいといっていましたが、やはり体力的に無理でしたが、親としては子供が成人したと一緒にみとめられてうれしかったです。

・4つめ 薬に頼る

20歳までは少なめのうつ病薬+貧血の鉄剤(生理が重いとき生理を止める低用量ピルも)+39種類のビタミン剤ディアナチュラストロング」でだましだましやっていました。鉄剤、ビタミン剤は自腹です。20歳をすぎてうつ病の薬を増やしてから目に見えて心の調子がよくなってますとはいえ筋力を超えるほどの肥満があるので体の疲れはどうしようもないとおもっていたのですが、それもメンタル医者からすすめられて動かなくてもやせるGLP-1という食欲をなくすホルモン糖尿病専門のクリニックで受けています。これはどうしても自家診療なのでかなりお金が高いのですがうちの場合はよくきいていて必要経費とおもっています。(骨折血液検査による脂肪肝などですぐ処方してくれた)

でもこれは息子さんの場合肥満への対処ではなく痩せへの対処必要だとおもいますが、ずっと寝ているとどうしても体の不調はでがちなので、プロテインザバスのだとビタミン剤も兼ねられます。うちの子チョコシェイク味が好きです)を足すなどしてあげてほしいです。

・5つめ

なにか得意なことをみつけてほめる。

うちの場合は車の運転です。色々習い事をしたいといいだしてはやはりやめることの繰り返しもありましたが、友達も通っているということで普通免許をなんとかとらせたところ、自動車運転だけは疲れが少ないようです。薬をのんでいて反応もやや鈍いはずなのですが、慎重さは運転にはとても向いていたようです。

 

実はこれはママ友へのメールから抜粋です。

私と仲良くしてくれるママ友はたいていが真面目かつ正直すぎてお子さんの対処もいい加減にできなくてひたすらに困ってる人が多いので世の中の私と仲良くできるタイプママさんんのお役にたてばいいなとおもいます

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