7年前の成人式の夜、俺を嫌っている同級生とキスをした。俺は、彼女を好きでも、嫌いでもなかった。でも、恋人が途切れると、あの夜のことを思い出す。
彼女と俺は、同じ苗字だった。世間的にはそうそう多くはないが地元にはままある、といった苗字だ。1学年1クラスの小学校で、たまたま俺の学年には彼女と俺のふたりだけだったせいで、「お前ら夫婦じゃ〜ん」だなんだとよくからかわれた。
どうやら彼女は俺を嫌っているらしいと気が付いたのは、小学3年生の秋のことだ。運動会の練習中、俺は組体操の逆立ちができない彼女を笑ってしまった。言い訳をするならば、子どもらしい、ささやかなちょっかいだったはず。しかし、彼女はふーっとため息をつき「そうだね、できないよ」と答えた。それは「強がり」というには冷たすぎて、俺は少し狼狽えた。
勉強のよくできた彼女は、からかいやふざけたノリを快く思ってはいないようだった。俺や俺の悪友たちがちょっかいを出しても、ほとんど気のない返事しか返ってこなかった。頭のいい男子とは、楽しそうに話している姿をよく見かけた。
中2の終わり頃、彼女が1つ上の生徒会会長と付き合っているという噂を聞くようになった。彼女とよく話していた生徒会のガリ勉が、あからさまにショックを受けていた。俺は、なるほど、順当だな、と思ったくらいだった。要するに、そのくらい、彼女と俺との間には壁のようなものがあったのだ。
優等生だった彼女が成人代表の挨拶をしている間、俺は市営ホールの座席でパズドラをやりながら、隣のやつとこそこそ話していた。集合写真を撮るとき、彼女は挨拶までしたくせにささっと端に立ち、控えめに微笑んでいた。俺は、ばあちゃんに買ってもらったポールスミスのスーツを着て、真ん中でふざけたポーズで写真に写った。
成人式当日の夜、小学校のクラス会があった。任意参加だから初めから気心の知れた友達と飲んでもよかったのだが、俺は何となく成人式特有の空気に流されるようにしてお仕着せのクラス会に行った。
彼女と何年ぶりかに話をしたのはそのときだ。俺にだけ冷たいと思っていた彼女は、酒を飲んで上機嫌に笑っていて、なんとなく寂しいような気がした。大人になってもツンケンされるほど、気を許されているわけでもないような気がして。
「ぶっちゃけ、俺のこと嫌いだったっしょ?」
酒の勢いで、聞いてみた。「実は好きだった」とか、「素直になれなくて」的な答えを期待していなかったといえば嘘になる。
ところが、彼女から返ってきたのは、「……わかる?ごめんね、私ほんと子どもだったから」という肯定の言葉だった。彼女は当時の心情をオブラートに包み、ていねいな言葉で謝罪してくれた。早熟だった彼女はからかいやちょっかいといった面倒なやり取りが嫌いで、うるさくてやかましい男子に、嫌気がさしていたという。そこに「同じ苗字」で「やかましい」俺が、ぴったり合致していたのだと。
俺は、「ほんとごめん、俺うるさかったよな」と答えるしかなかった。
有り体に言えば、俺にとって彼女は「好みの女」ではなかった。「うるさくてやかましい小学生男子A」から、「うるさくてやかましい中堅グループのA」になった俺は、それ相応の相手と付き合いたいと思っていた。だから、それまで付き合った相手はスカートを2,3回折り、前髪をカラフルなピンで留めるタイプの女子だった。その点彼女はどこまでいっても「品行方正な優等生女子」で、制服のスカートは膝丈、髪を巻いているところを想像できるようなタイプではなかった。
大人しくて華やかなグループに属しているわけではない彼女だから、うまくやっている俺のことを憎からず思っているとしてもおかしくない、そんな驕りがあったのだ。蓋を開けたら、満更でもないと思っていたどころか、嫌っていたという。俺が幼い頃感じた衝撃は、何も間違っていなかった。
俺が不相応なショックに打ちひしがれているあいだ、彼女は俺をフォローしてくれていた。テニスで県大会に出たんでしょとか、そのスーツおしゃれだねとか、穏やかな口調の褒め言葉で。俺はものすごく恥ずかしくて、酒をがんがん飲んだ。すると、必然的にトイレに行く機会が多くなる。彼女はその度に「大丈夫?飲みすぎてない?」なんて声をかけてくれて、俺は自分の小ささを自覚させられた。
そのうち俺は彼女に嫌われていた自分が嫌になってきて、彼女の話を聞きたくなった。酔っているふりをして彼女の大学の専攻のこととか趣味の話とかを聞いているうちに、彼女は「ふつう」に笑ってくれるようになった。
一人の人間として見た彼女は聡明で、話も面白かった。俺もそれなりには大人になっているわけだし、無闇に彼女をからかおうと思わなければ「ふつう」の会話ができる。彼女は俺が持ち出せる精一杯のゴシップや下ネタにもくすくす笑ってくれて、まるで「ふつう」の友達みたいだった。俺が何の気無しにかけていたちょっかいがなければ、もう少しいい関係があったのかもしれない、そんなふうに思ったりもした。
2時間くらい、飲んでいただろうか。もう一軒行こうか、という話が出始めると、彼女のところにはわっと人が集まった。優等生タイプの男女以外にも、陽キャグループの奴もいた。俺はといえば、携帯に同じテニス部のメンツで飲もうという誘いと高校の同級生で集まろうというメッセージが届いていて、彼女と同じ店に行く流れは微塵もなかった。
友達が会計にもたついていたせいで、彼女はもう店の前にはいなかった。駅の方に少し離れて、はしゃぎながら歩く集団の端を歩く彼女が見えた。店の前で騒いでいる友達を置いて走って、彼女を呼び止めた。「忘れ物が」とかなんとか、適当な理由をつけたと思う。
「なあ、ホテル、行かない?」
冗談めかして尋ねると、彼女はあははと笑って「いいよ?」と言った。もちろん、それも冗談だ。「じゃあさ、思い出にキスしていい?」ふざけた口調で続けたら、彼女は笑って一歩俺に近づいた。
どこまでやっていいのかまごつきながら肩に手をかけると、彼女は俺の頭に手を回して唇を押し付けてきた。学生時代、ちょっとぽっちゃりしていた彼女は大人になっても胸と尻がデカく、思わず抱きしめたら胸がむにゅと潰れるのがわかった。街灯に照らされた首筋が真っ白に見えた。唇は柔らかく、ほのかにビールの匂いと、りんごのような香水の匂いが混ざって、酔っ払っている頭がぐらっと煮えたぎるような感覚がした。思わず口を開けると、ぬるりと熱い舌が俺の舌を絡めとった。
長いのか一瞬だったのかもわからないキスは彼女の意思と彼女の行動によってのみ行われ、俺は「される側」でしかなかった。唇を離した彼女は俺の背中を軽く叩いて、「またいつかね」と言い残し、友達を追いかけて戻っていった。
やっぱり、彼女は「好みの女」ではない。だから、このキスを思い出すのは、数ヶ月から数年に一回、女に振られた時だけだ。「またいつか」はくるのだろうか。そのときがくるとしたら、どこまで許されるんだろうか、とか。
今でも付き合うのはスレンダーな女ばかりだけど、動画を探すときは「ぽっちゃり」だの「むっちり」だの検索してしまう。別に、彼女の夜の顔を想像しているわけではない、そう言い訳しながら。
長い ちょっとエロい漫画みたいな話