はてなキーワード: 小学校とは
まあ食べ物ですからわかりますが、梅干しづくりのために大規模な投資が必要となったらそれは農家などにはできず、
大規模な工場などをもつ企業に卸すだけになって、農家はもうけがなくなりますがな。
ぶっちゃけ働きたくないもんね
育児理由にして家にいて、乳児〜幼児のうちだけ会話通じねえけど頑張って耐えればあと小学校あがるともうちょい指示通るレベルになるし、そしたら自分の時間もうちょい確保できる
旦那の金だけで生きてたいし、ありがたいことに旦那の金だけでいま生活できてるし(子ども一人だし)、積極的に私が働く理由ないし〜って思ってるけど
働いてる独身の友人とか会話するときめちゃ気使ってるの感じる。
ご飯にしろ遊びに行くにしろ旦那の金だろうからあんま高いとこ提案できないよなぁ、急に誘っても日帝融通させるの難しいだろうなあって気を使ってるのとか、部下や後輩との関係とか言っても無駄だろうなみたいな……一瞬仕事の愚痴吐いても、あ、増田ちゃん無職だからあんま仕事の話すると悪いか、言ってもわからんか、みたいな空気感じる。
(ごめんね〜自分の話ばっかしちゃって…って言われる、謝られる…)
実際わからん、28で結婚したとき、みんな社会人としてのレベル同じくらいだった気がするのに、午後休取ったからランチ行けるよ〜って午前仕事してそのまま着た友人の身なり?とか、雰囲気とか、なんか、あ〜あの頃の社会人ではないんだな…とか感じた…
具体的に何がどうとは上手くいえないけど…
自分が仕事してないのは働きたくねえからなのに、コンプレックス持ってしまってんだろうな
独身の友人、あんまインスタとかSNS更新しないけど、月1くらいで最近行った場所〜みたいな感じで写真だけアップしてんの見るとさ、いろいろ感じることあるわけ。
人生選択なんて人それぞれだって頭で理解してるけど、私の人生の選択が昔で言ういわゆる『勝ち組』というか、社会に受け入れられる選択をしてて、間違いのない選択であって、独身貫いてるあの子たちは表立って揶揄されることは減っても後ろめたさがあるから自分たちの選択が正しいと必死にアピールしてるんだ!とか、私は友人たちと同程度、もしくはそれ以上に幸福なんだということをアピールしないと!的ななんかこう必死になるメンタルがガーーーーッてやってきていかれそうになる。
フワちゃんみたいな過ちは犯したくないな……
まず構成が問題だ。冒頭から突然小学校の思い出に飛んでいるが、具体的な導入がなく、読者は何を期待していいのか分からない。ストーリーの軸をもっと明確にして、読み手を導く努力をしろ。例えば、「小学校の夏休みの読書感想文で、思わぬ展開に翻弄された話をしよう」といった前置きがあると分かりやすいだろう。
次に、文章が冗長だ。余計な描写が多すぎて、読み手が疲れる。一つのエピソードを要点だけで伝えれば良い。例えば、「小学校2年生の夏、カブトムシの本で感想文を書いた。しかし、その感想文は嘘だらけだった」という風に、簡潔にまとめてからエピソードに進め。
それに加え、感情の流れも唐突すぎる。賞を取った喜びから絶望に至るまでの心の動きをもう少し丁寧に描け。喜びと絶望が急に切り替わると、読者もついていけない。例えば、「賞を取ったとき、最初は嬉しかったが、放送で読むと聞いて一気に不安が押し寄せた」という風に段階を踏んで描写を進めろ。
次に、母親に叱られるシーンだが、感情の描写が薄い。嘘がばれた瞬間の緊張感や母親の反応をもう少し詳細に描いてほしい。これが物語のクライマックスとなるので、リアルに感じられないと読者は共感しにくい。
また、結末での教訓があまりにも抽象的だ。嘘をつかないという教訓は一般的すぎる。このエピソードを通して、読者にもっと具体的な学びを提供するべきだ。例えば、「嘘をつくと、短期的には良いかもしれないが、長期的には必ずばれる」という具体的な教訓にフォーカスしろ。
夏になるとこのタイトルで書いた宿題のことを思い出す。小学校2年生のことだった。その年に『上手な読書感想文の書き方』を知った私はじゃあ実践しよう、と当時好きだったカブトムシが出てくる本を選んで原稿用紙を広げた。
実体験と紐付けると良いというアドバイスがあったが、感想文に合うような実体験などそう転がっているものではない。気が付けば私は連想ゲームのように膨らませた嘘八百を書き綴っていた。お盆に帰省する祖父の家にカブトムシの幼虫がいたのは本当だが、それに関する祖父との思い出はすべて感動的に盛った嘘、という具合だ。
そうして指定の文字数を埋めた読書感想文を提出したことで、ある問題が発生した。
賞と言っても小さな町の小さなものだ。しかし子どもにとっては大きなことだった。喜んで親に報告した翌日、先生から「じゃあお昼の放送で読んでもらうからね」と告げられた。その瞬間舞い上がっていた気持ちが地に落ち、血の気が引くとはこのことかという感覚を味わった。
昼の放送で読むということは、学校中が知るということだ。その中にはもちろん私の兄もいた。兄が聞けば当然読書感想文の嘘など丸分かりである。
子どもながらに絶望し、絶対嫌だと泣きわめいて読む練習を放棄していたが、とうとう母親にその問題行動が伝わりしこたま叱られた。その時になって私はようやく嘘ばかり書いたことを泣きながら白状した。母親はまた叱り、反省を促し、最後は「文章書くのが上手なのね」と呆れ混じりに言った。
結局私は嘘ばかりの感想文を馬鹿みたいに読み上げ、二度とこんな嘘はつかないことを誓ったのだった。
嘘をつくとそれを誤魔化そうとしてより大変なことになるのは本当。あと子どもの頃の経験は本当に大きいってことも。大人になった今も夏になると思い出しては気持ちが引き締まる。嘘をついてはいけません。
1ヶ月半でリタイヤwwwwアホやwwww
毎月14300円が不要になった、大儲け
そもそも公文など行かせたくなかったのだが本人がどうしても通いたいというので通わせた。
「勉強なんて小学校でやらされるんだから数ヶ月早くやっても意味はない、勉強なんて楽しいものではない、嫌な事など先送りすればいいじゃないか、今は好きなことして日々過ごせば良かろうゲームでもしてなさい、公園で走り回ってりゃいいのだ」と説得したが。
どーしてもと押し切られた
一つだけ注文をつけた、宿題を一度でも落としたら退会
しゅーりょーwwwwwはやっwwww
連日、「宿題したら?」「毎日ちょっとずつやりな」とアドバイスはした
何度も警告したがゲームを辞めない
16時になりようやく始めた
「こんなもの、ちゃちゃちゃーと終わらすでぇ」言うてる
だがお喋りと脱線ばかりで進まない
「集中してやりな」とアドバイスしても聞かない、むふふふふ、時間は刻一刻過ぎていく
まぁすでに間に合わないことは確定している
17時10分、ようやく国語が終わる
「パパ次は算数、出して」
「いいけど、やっても無駄だよ、もう時間過ぎたから公文は退会だから」
唖然とする息子
「え?今日は行かないって事?」
数秒考えて、大泣きし始めた、絶叫
「行きたい、まだ間に合うでしょ!お願い!」
うっせぇバカwしらんがな
「毎日少しずつやるようにアドバイスしたよね?今日もずっと注意してあげたよね?聞かなかったの誰?間に合わなかったら退会するのも最初から言ってたよね?
んで、忘れてもらっちゃ困るんだけど、あなたの希望する教育機会、チャンスは与えた
だけどやらなかった、チャンスを捨てたのは自分な、これはだけは覚えといて
先々、勉強したかったのに親がやらせてくれなかった、とは思わないでね、これ重要
パパは無理やりやりたくないことをやらせるつもりはない、自分が望む事をやりゃいい
ゲームしたけりゃゲームしてなさい、だけど目も頭も悪くなることは教えてやるが
それをどう判断するかは自分の問題、強制はしない、自分で考えて選択してくれ
公文に行きたいと言えば行かせてやる、だけど金をドブに捨てたら自動的に頭が良くなるわけではない、それも何度も教えた、頭良くなりたけりゃコツコツ学習しなきゃ身につかない、
それができないならやっても無駄だ、終わり、チャンスはやった、キミがそれを棒にした、それだけ覚えといて、人のせいにしないでね」
6歳の知能では言い返せまいw
諦めて泣き止んだ
公文やる前から足し算引き算は勝手に習得していたし、掛け算、割り算の概念もすぐに理解した
外遊びでも器用だし異常に体力がある
結果、万能感、自信過剰、ナメてる
小学校入学し、周りが先に進んでおり世界が広い現実を目の当たりにして挫折するが良い
その方がキミのためだ
時間や約束は守る、守れなかったら自分に大きな不利益を被る、わかったか?そういうことだ。
28600円で学べたと考えりゃ安いものだ
ひまわり畑を背に佇む麦わら帽子と白いワンピースの少女との思い出はないけれど、自分の「夏」くらいは持っておきたい。
山梨の田舎に帰省したり、部活の合宿で琵琶湖周辺行って川遊びしてたのも夏っぽくはある。
それよりは小学校の夏休みに友達と学校のプール行って、ビート板でトンボ叩き落として腹抱えてゲラゲラ笑い転げてた方がなぜか鮮明に覚えてる。
小学生のおれ達にとって、そういう動物虐待は見つかったら叱られる結構な罪だったかもしれない。
水面上をブンブン飛び回るトンボを見て、どちらが始めるともなくビート板で襲い始めた。
高速で動くトンボにはよもや当たらんだろうと思っていたから、クリーンヒットした時には妙におかしくてたまらなかった。監視員の目線を気にかけつつ、「不良体験」の喜びにはしゃいでた。
高校の頃、真夏のど真ん中のクソ暑い日に友達と本牧へ釣りに行ったのもよく覚えてる。釣れねえなあとかボヤきながら他愛のない会話をしたりしなかったりして。
休憩スペースにあったカップ麺の自販機の物珍しさにはしゃいで、ズルズル啜りながら窓の外に広がる海を見てた。
遠くに浮かぶ客船を見て、あれはクイーンエリザベスか、いやぱしふぃっくびいなすかさんふらわあか、とか知ってる名前を適当に挙げながらバカ話してた。ググって答え合わせをしようとする間に水平線から見切れてしまった。
結局借り物の夏の心象風景を追い求めるよりも、自分の意志で動いていたのが大事なのかもしれない。
親の同行を振り切って、非日常へ飛び込む。つまらん事でガタガタ抜かす教員もいなければ、ちょっとした「失態」にも気を払わなければいけない学校空間の雰囲気もない。そんな場所で友達と一緒に少しハメを外してみたり。
父親に連れて行かれるものだった釣りに、初めて友達を誘って自分らで行ってみたり。くだらない話も尽きて、昼休みにはしないようなマジな話にまで及ぶまで並んで腰を据えてみたり。
まあ夏って冒険したくなるし。
最高の夏、更新していきたいぜ。
(本文です)
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どうしても書き留めておきたいと思った。昔の私のことを。
今は大学生だから何もできないけど、いつか受け入れて消化できたらいいなって。
私にとっての父は、経済的な支えであり、飼い主であり、服従すべき存在だった。
私が初めてキスをした人で、初めてセックスをした人で、初めて妊娠した相手で、「性」に関するすべての始まり。そんな存在だった。
父は、私が小学校1年生の時に家にやってきた血の繋がりのない人だった。私は実の父を知らない。
最初は子供好きな良い人だと思っていた。しばらくすると私に性的なアプローチをするようになり、小4で母が亡くなると同時に、「同情」「母の代理」「妹の盾」といった役割を私に課して、少しずつ私を性玩具に作り替えていった。
父の命令には従順に従うことが求められた。朝は父に犯された後学校へ行き、夜は私を凌辱する父のために夕食を作り、妹が眠った後、父の相手をしてから私は床に就く日々を送った。
※毎日というわけではありません
中3で私が他の男性の子を妊娠してしまったあとは、殴る蹴るの暴行を受けた。まるで自分の所有物が汚されたみたいに、すごく怒っていた。
それからは、私がどんな男性の相手もできると思ったのだろうか、父はときどき自分のお仕事の仲間を連れてきて私に相手をさせ、小銭を稼いでいた。
それ以外にも、アルバイト先の先輩から暴行を受けた。幸い妊娠はしなかったけど、もう限界だと思った。私は高3の夏休みに、貯めたお金を持って、妹を連れて家を出た。
今は、普通の大学生はしないであろう仕事(風俗嬢)をして、妹を養っている。自立、は一応できているとは思う。
それでもまだ、私の心は父への服従心で満ちている。なぜこんな気持ちになるのだろう。自分でもわからないところがある。
思い出す必要はないのかもしれない。でも、思い出さずにいることもまた難しいので、心の整理のために書き留めておきたい。
お話の順序とか、私の気持ちとか、これからどうしたいとか、いろいろ混ざってしまうと思う。わかりにくかったらごめんなさい。
さっき、「父に性的虐待を受けていた」と書いてるけど、実を言うと、虐待だと私自身が認めたというか、受け入れたのは、父と関係を持ってしばらく経ってからのこと。
ハッキリ認識したのは、やっぱり身体的な暴力を受けた中3の冬頃から。その年の夏に先輩からレイプされて、妊娠したことに気付いた父が身体的な暴力をふるったあの日からだ。
それまでは、いけないことなのはわかっていたけど、それでもどこか仕方のないことだと思っていた。
経験のない人には理解できないかもしれないし、そもそもこの話自体が「嘘臭い」と言われそうだ。今書いていることもきっと、非現実的というか、理解できないことかもしれない。
私は実のところ、父を憎んでいない。これは結果ではなくて、現状「憎めない状態」といったほうが正解かもしれない。
もともと実父の存在すら全く不明で、本当のことを言うと、「父親」という存在の感覚がわからない。見たこともないから。両親が仲良くしている家庭を見ると、とても不思議な感覚になってしまう。
私がこうして「父」と書いてはいても、それは、それ以外に呼べる称号がないからだ。性的な意味でいえば、25歳年上の愛人だったのかもしれない。
性的関係を条件に、生活費を出して養ってもらう。それだけの存在。つまるところ、私は7歳くらいからパパ活をしていたのかもしれない。
私と妹と母で生活していた時は、とても極貧だった。
母は身寄りもなく頼れる友達とかもいない感じ。元風俗嬢だったのは確かだ。
ちゃんとしたお店に勤めていたのか、それとももっとアングラな感じだったのかはわからない。
少なくとも、お金をたくさん稼いで貯金していたとかではない。本当に貧乏なお家だった。
なぜお金がなかったのかもよくわからない。けど、とにかくその日の食べ物も苦労していた。
子どもの頃って、どうしてこんなに苦しい生活なのか、なにもわからない。意識しようがないよね。
確かなのは、父が来てから、普通の暮らしができるようになったこと。
私は欲しいものもたくさん買ってもらえるようになり、行ったことのない場所にも連れていってもらえたので、父は楽しいことをたくさんくれる人だった。
もしかすると、子どもながらにその対価を要求されたなら、応えないといけないと思ったのかもしれない。
それこそ、父親なら家族サービスをして当然かもしれないけど、私にとって父は本当の父ではなく、なにかを買ってもらったり、どこかへ連れていってもらったりしても、どこか「していただいている」感があった。そういう関係だった。交換しあう関係。
そういう意味では、最初から最後まで、ずっと本当の”父親”としては受け入れてなかったのかも。
母が亡くなった後も、父はサービス精神旺盛な人であり続けた。私と妹と父の3人でいるときは、面倒見がよく、優しい父だった。外でもそうで、ご近所さんとのお付き合いもよく、「いいお父さんね」とよく言われた。
私や妹が体調を崩せば、しっかり看病をしたり、病院にも連れていってくれた。本当にお手本のような父だった。
思い返せば、母が存命の頃から、私の体を触ったり、舐めたりはあった。
それが性的虐待の兆候だと言われればそうなのかもしれない。ただ、私はそう認識してなかった。
今思えば、血の繋がっていない低学年のあそこをじっくり見たり触ったりするのは異常だとわかるけど、当時は悪意の可能性すら頭に思い浮かばなかったし、優しい言葉を掛けながらそうしてきたので、父親というのはそういうものなのかと認識していた。
「小4のころから虐待」と書けるのは、母が亡くなった後の父の要求を「嫌だ」と感じ始めたのがそれからだったから。もちろん、もう少し前から「本当はダメなことなんだ」という意識はあった。
いろいろ勉強もするし、心も成長するし、男女の違いも意識が芽生えてくるので。
でも、上記のとおり、父親と娘とはそういうものなのかと思っていた。誰かに話すこともしなかったし、話す必要があるとも思わなかったし、訂正してくれる人はいなかった。
私には疑問がある。
父は、一緒に暮らし始めて、「そういう気」を起こしたのか、元々私を狙っていたのか。
きっと、増田の人たちからすると、「そんなことはどうでもいい」と言われると思う。私のことなんて他人なんだし、父にされたことに変わりはなく、私が被害者なのも変わらないので。
ただ、私は父を憎めていないので、きっとこういう疑問が頭をよぎるんだと思う。
つまり、一緒に暮らし始めてそういう気になってしまったのなら、私は心のどこかで父を許してしまいそうで、元々そういう気なら、父を悪者に定義しやすいのかも。
「いや、ただのレイプだよ」と言われるかもしれない。第三者から見ればそうだと思うし、実際そうなんだと思う。
でも、10年間も一緒にいた私にとって。人生の半分、一緒に生活して、子どもから大人になる時期に一番近くにいた男性は、私にとってなんなのか。どうしても浮かんでしまう。
母が亡くなってから最初の1年くらいは、手や口を使った行為で、さらに半年も経つと、私は父の精液を飲むまでになっていた。
嫌だったかというと、嫌だった。でも、やらないといけないことだと思ってた。それが大人になることだと思ってた。
単にその行為がというのではなくて、「嫌だと思うことでもやらないといけないことがある」ということ。
具体的には、亡くなった母親の代わりに、私は嫌な事でもたいへんなことでも、家庭の平和のためにやらいないといけないって思ってた。
「誰かに相談すればよかったんじゃない?」って思う人もいるかもしれない。
でも、私は父と娘はそういうものだと思ってた。
「おかしくない?」って感じるかもしれない。そう、おかしいよね。でも私は「父親とはなにか?」を知らなかった。生まれてずっといなかったので。「父から見て娘とはなにか」を知らなかった。
そういう意味では、冒頭で書いたように、私は彼を本当の意味で「父親」とは認識していなかったんだと思う。本当は性的関係を持つ男性でしかなくて、でもそれを一緒に住んでいるという理由で「父親」だと定義していた。
いま私は、風俗の世界で働いている。一応、自立してると言えるのかもしれない。
精液って、人それぞれに味が違う。体臭も違うし。私は父の味と匂いを今もはっきり覚えている。
そんな私でも、不意に処女を奪われたのはショックだった。
身体的な苦痛もあったけど、本能的に大切なものを壊されたと感じたし、あの日、あの夜は、もう普通の女の子ではいらなくなったと
いう実感が体中に広がった。
でも。そう感じるのは自分がわがままだからと思っていた。大切な妹がいたので。守ってあげないといけない。
私がイヤだと思うこと=私のワガママ。そうだと思った。私がイヤだという理由で、父のしてほしいことを拒絶するのは無責任だと思った。
今これを読んでる人からすると、意味不明だと思う。狂ってるか、下手な官能小説みたい思われるんだと思う。
処女ではなくなったその日から、7年間。父と関係を持たない週はなかった。
計算したら330週くらい。毎週毎週毎週毎週。何日も連続。朝晩繰り返し。そんな日もあった。
一番多いのは、夜寝る前。妹が寝てから。そういう日は、父からいろいろなサインがある。私たちは言葉にしなくても通じ合っていた。
妹が寝てから、父の部屋に行って。たいていは人形・オナホ扱い。でも、ときに恋人のように扱われることもあった。愛しい娘として扱われることもあった。父のその日の気分次第で。
私は、どんな扱いを受ける日も、不満は言わず、父が人形を求めるならお人形になり、恋人を求めるなら恋人になり、お父さんが大好きな娘を求めるなら愛しい娘になった。
それが母がいない、この家族での私の役割で、誰にも言ってはいけないことで、私はそうやって父を愛すべきだとも思っていた。
学校に行く前にされることもあった。
妹には絵本を読んでてもらったり、タブレットで動画を見てもらっていたり。行為のあと、何食わぬ顔で妹と一緒に集団登校の場所に行き、みんなと一緒に笑顔で学校へ行く。
口の中で受け止めた日は、臭いが残っているので、マスクを付けた。中で受け止めた日は生理じゃないのにナプキンをつけて学校に行った。
父が仕事でいない日は、学校から帰ってすぐなんてこともあった。私の日常だった。
嫌だと感じないわけじゃないけど、学校でも普通に嫌な事や嬉しいことがあって。
心のエネルギーはそっちに使うので、ちゃんと応えさえすれば特に害のない父との行為は、なにかを感じるだけムダだという感覚になっていった。
同時にそれは、自尊心が壊れていたんだと思う。
そんな父も、私が学校で不当な扱いを受けたときとかは、味方になってくれる。
思春期だから、友達ともいろいろある。小学校高学年のときも、ちょっと数人を巻き込んだトラブルがあって、一方的に私が悪いってことにされてた(担任にも嫌われていたし)。
私が父に相談すると、父はかなり積極的に担任と話をして、私の気持ちを代弁してくれたり、味方になってくれた。
正直言って、心強かった。私は父がいないと困る。生活面でもそうだけど、どこかで心強い存在でもあって。
これだけしてもらえるなら、私は私にできることで父を喜ばせないといけないとも思ってた。
ただ、中学に入ってからは、イジメられていることは打ち明けられずにいた。
それはきっと、主に性的なイジメを受けていたからで、父に話すと父はイヤがるだろうと感じた。
中学生なんてまだ子どもだけど、男と女がどういうものか分かってきていた。
正直言って、学校でされていたことを打ち明けたら、父は私を汚物のように捨てると思った。
実際、中3で妊娠がバレたときは、殴る蹴るをされたわけだし……妊娠発覚後は、明らかに父の態度が変わった。
表向きは変わらない。妹と3人でいるときは、優しい楽しい面白い父だった。
でも、夜、私が相手をするとき。髪の毛を掴んでひっぱったり、お尻を強くたたいたり、頬を叩いたり、そういう感じになっていって。
回数も減った。その代わり、父の仕事の仲間の相手をさせられることが多くなった。最初は抵抗していた。そうしたら、無理やりされて結局、行為の時間が長くなる。痛いことだってあった。
でも、そのうちに抵抗しなくなると、今度は行為が早く終わるようになった。相手の思い通りにすると本当にすぐだった。
でも、そのうちに気が付いた。自分から相手を気持ちよくしたり、かわいい子だと思えるような仕草をすると、早く終わるうえに、あの人たちが私にお小遣いをくれるようになった。それで、私や妹にとって必要なものを買えるようになった。
子どものうちから、そういうことに気が付けるようになったのは、いいことだったのか、悪いことだったのか今でもわからない。
その時、感じたことは2つ。
父が私を見なくなったことへの寂しさと、妹に矛先が向くことへの不安。
後者はわかるけど、前者は自分でも意味の分からない感情だった。
でも、今思えば、今まで自分の役割だって必死に応えてきた、そんな自分が否定されるのがいやだったのかもしれない。
ただ、自尊心はすでに壊れていたんだろうし、なにかを正常に感じられていなかったのかも。まだよくわからない。
でも、この家にはいられないと思ったのは確かだ。
父はなんだったんだろう。
小さい子供だった私にとって、母を亡くした私たちにとっては、生きるために必要な存在だった。
いびつではあったけど、愛情を感じることもたくさんあった。でもそれって、私が感じさせられていただけなんだろうか。
ただ、未だに元気でいて欲しいと思っている自分もいる。そして、それを気持ち悪く感じて、ものすごい力で否定しようとする自分もいる。
どっちが本当の自分か、どう感じるのが正しいのかも、未だわからない。
ただ一つ、私の「これは揺るぎない正解だ」と思えるのが、妹の幸せ。これだけだ。
もう私自身は、何をどう感じるのが正解なのかはわからないけど、妹が幸せなら全部それでいいんだと思える。
それでも。
繰り返し再生される父との濃厚な7年間の性生活は、私に「定義」を求めてくる。
「あれはなんだったの?」
って。
「私はこうだった」というのがふわふわしていて、それがいまだに自尊心を回復できない原因なのかもしれないし。定義をしたらしたで、もっと自尊心はボロボロになるかもしれないし。
ただ、時期がきたら妹にはすべて話してみようと思う。真剣に考えている。
最後にまた、父について思い返してみる。
改めて父について思い返すと、「自分の思い通りになることが第一の人」だった。
そして、外面が良く、口が上手く、口数が少なく、合理主義で、神経質で、顔が広く、用意周到で、倒錯的だった。
家庭内の性的虐待というと、どこか乱暴なイメージがあるかもしれないけど、私の場合は基本的に「自分からする」ことを求められた。「しても・しなくてもいいけど、しなかったらどんなデメリットがあるか」をほのめかして、私が自分で「する」ことと選択するように仕向ける人だった。
いきなり、ハードなことは求めなかった。「本当はしたくないけど○○のためなら我慢してできる」を丁寧に積み重ねていき、気が付けば処女を奪われていた。
父がどんな仕事をしていたのか、詳しくは知らない。知りたいとも思わなかったので、尋ねたこともない。
ただ、月に何度か現金を渡され、それで3人分の食材を買ったり、トイレットペーパーや洗剤なんかも買っていた。
父は家事をほとんどしなかったし、母が亡くなったとき妹は5歳だったし、私が家事をやるしかなかった。
生前、母がいくつか基本的な家事は教えてくれていたけど、やり方がわからないときはスマホで検索したり、学校で先生に聞いたりした。
とにかく、父の機嫌を損ねないよう、やるべきことをしっかりやり、なるべく嫌な思いをせずに、父を喜ばせる。そうすれば、妹にも私にも優しい父をキープできた。意外に思われるかもしれないけど、日常生活中は、いたって普通の会話をしていた。
端から見れば、「お母さんが亡くなったけど、仲良く頑張っている親子」だったはずだ。こんな父だけど、割と欲しいものは買い与えてもらった。でも、それも「飼い慣らし」の手段だったのかもしれない。あるいはパパ活の一種として。
すでに屈服状態だった私が家出を決意できたのは、思春期に入った妹を守りたい気持ちと、身体的虐待による命の危険を感じたから。これが、私の父への関わり方。
もしいなかったら、私と妹は孤児になっていたし、母ももっと早く亡くなっていたかもしれない。まがりなりにも、経済的な支えではあったので、いなかったほうが幸せだったのか、いたから不幸だったのか。それはわからない。私はこの人生しか歩んだことがない。
「お母さんさえいてくれたら」と何度も思った。世の中が良い母親ばかりでないのを見ていると、そう単純な話ではないのかもしれないけど。
正直、「血の繋がりのある優しいお父さん」はファンタジーでしかなく、理解できない存在だ。だからきっと、そうしたお父さんがいる人にとって、私の話は、逆にファンタジーに見えてしまうと思う。
ひとつ確かなことは、私は父を憎んではいないということ。私にとって父は対等な存在ではなく、憎しみの対象にすらならないほど、不可侵の存在だ。刺激したら爆発する爆弾を、憎んで叩き壊そうする人はいない。慎重に処理をすべき対象だ。
今は、私たちに関わることがないよう対策をして、遠く離れた場所に住んでいる。大学生の私と、高校生の妹の二人暮らしだ。
私が務めを果たし続ける限り、金輪際、父に会うこともないだろう。このことは、合理主義の父をよく知っているので、妙な信頼がある。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/dailyportalz.jp/kiji/Mayday-study
このエントリのブコメ見て初めてはっきり認識したんだけど、自分って航空機事故遺族なんだよなあ
なんか、あ、そうだったなって
今初めて腑に落ちた感じになってる
当時小学校低学年だったからはっきり覚えてなくてすべてが大人の伝聞で、事故の連絡が来てからの大人たちの慌ただしさと情報のなさと、夜中にきょうだいと二人で家で待ちながら不安になったことと、「重体」ってだってまだ生きてるってことだから助かる可能性あるんでしょ?って一人だけ勘違いしてて楽観的で場違いなことを言っちゃったことと、たびたび、ついこの間もかっこいい車でマックに連れて行ってくれた人が死ぬのかもしれないという不思議さとどこか詰め所に移動してからやっぱりきょうだいと身を寄せ合って読んだ「燃える!お兄さん」がこんなときでも面白くて二人で同じとこで噴き出しちゃって気まずくなったこととか、そんなことだけ覚えている
結局亡くなったあとのお葬式で、その人のお母さんがほら目を開けた!開けた!って棺の中の人に縋りついて泣いててお葬式って本当にこうなんだなって思った
しかしこれらの記憶ももう正確かどうかわからないくらいの時間が経った
自分は喪主になった人の家族でその苦しんだ人も突然の病で数年前に看取って、あのときのことを話したり泣いたりはっきり覚えている人もだんだんこの世に少なくなってきた
遺族同士で連絡を取り合うでもない、誰かに実は自分の家族は…と積極的に話したいことでもない
みんな多分意識的に黙っていたのだ
しかし航空事故なので詳細な事故調報告も裁判記録も今でもネット上にはっきりこと細かに残っている
数年前初めて意識して検索してそれを見つけたとき、やっとなにがあったのか初めてわかった気がした
本当に大変な事故だったんだよな、その後のことも
その後あの人もあの人もあの人も自分も本当によく生きてきたものだ
こんなの大人になってからしかわからないよ本当には、そして大人だって決して体験したくなかったに違いない、という類の重たいもので自分の体験は意識的に上書きされた
かつての実際上の体験としては風化しているものがテキストではつまびらかに入ってきてあのときより生々しく感じられた
それでも自分が遺族って気分じゃなかったけど、なんか昨日なぜかストンと納得した
嫌だなあという気持ちも悲しいなという気持ちもない、他人ごとではないけど、ただそうなんだったなって把握があった
あくまで自分にとってはだけど、こういう体験ってごく個人的なものになってしまっているということだろう
もちろん個別のその事故を面白おかしく扱われれば腹も立ったり困惑したりもするのだろうけど
なんていうか、遺族って結構そこらじゅうにいて珍しくない人たちだと思う
不謹慎かそうでないか論戦もきっと茫洋としながら黙って見ているだけだ
なんとなくそのことだけわかっていてはほしいとは思った
ごめん、あまり詳しくは書けない
書きたかったことは最後の何行かの部分で事故の詳細そのものじゃないから
かなりぼんやりさせたつもりだけど、このお葬式や詰め所の書き方でもその場にいた人や自分のきょうだいが覚えていればあああの事故だな、書いたのはあの子かなってわかってしまうと思う
(自分にとっては書いておく必要があった)個人の雑感だとしてもこうして書き残すことを快く思わない関係者の人もいるだろうし、そういう人たちに悲しい思いをさせたいわけじゃない
なら書くなって話だけどさ……
少子化の世間で嬉しい話。おめでとう。しかし張り切るのは判るがマジレスすると、
「お嫁さんを昼寝させて、その間にミルクをあげて、哺乳瓶を消毒して、オムツ替えまでした状態で返せたらかなり格好いいかなと思うんだが、どうだろう。」
奇跡的にお嫁さんと相性が良ければ1%位可能性があるかもしれないが、疎まれる可能性が99%...先方から頼まれる時が来るまで、黙って見守ろう。
複数の子供がいれば、これから10年間、小学校高学年くらいまでは母親は忙しい。なので、間違っても義理の父の介護など無い様に自身の健康維持が第一。
(どうしてもかかわりたいなら出産祝いをたっぷり出せ。嫁さんとしても義理の父に頼むより、そのお金でプロのサポートに頼む方が100倍気が楽。)
小学校・中学校の頃は納豆の苦みをメチャクチャ感じてしまい、食えなかった
大人になった後も数回試してみたが、まったく克服の兆しは見えなかった
しかし、もうすぐアラフィフと言わなきゃならない程度のジジイだ
舌の感覚が鈍くなってるはずだし、そろそろ食えるようになってんじゃねと思い、意を決して食ってみた
ほーん・・・?
まださほどの美味さは分からんが、健康のためならいいかと思えるまでになってた
少なくとも偏桃体には「これは大して不味くはない食い物だ」と記憶が刻まれたはずだ
克服とみなしてよろしいか
妻が麦茶を冷やしていた
妻はボウルに熱いヤカン、氷、水道水をチョロチョロ流しながら冷やしていた。
なるほど無学なアホはそうやって冷やすのか、と思ったが口には出さない。
俺が冷やすときはボウルに氷を入れてそのままヤカンを乗せるだけ、流水は無駄
息子を見るとアホみたいな動画を観ている
タブレットとスマホを与えYoutubeだろうがゲームだろうが好きに使わせているのだが
タブレットで「ひみつのおるすばん」をやりながらピクチャーインピクチャーで攻略動画を見つつ、横のスマホでちろぴのを観ていた。最悪だ
パーソナライズドされたレコメンドの連続だから大人の目には触れにくいが
なんの意味も無い、いいねボタン、チャンネル登録を誘導するだけの詐欺動画。
「息子よ、キミが観ている動画は実にさもしい人生になんの意味も無い、教えも気づきも与えてくれない、ただ脳に刺激と快楽を与え小銭を稼ごうとする悪い大人が作った詐欺動画だ。6歳の分別、弁識能力ではわからんだろうが、父として教え諭す義務があるので一応は言うておく、観るのは構わんが愚かな時間であることを頭の片隅において、早期に卒業してほしい」
と言うたら
「パパ、ボク子供だからよくわからないけどスマホでたまご寿司の簡単な取り方を検索して」
だってよ。最悪だ
それにしても、育児において電子デバイスを一切許さず、絵本だの、せいぜい教条的テレビ番組、一日何時間まで、テレビゲーム?ありえなーい的伝統的環境を是とした方針の親御さんもいる。今日はピアノ、明日は体操教室、昨日の絵画教室の宿題を早くしなさい、公文は終わったの?的な
ウチと真逆なわけだが、どっちが正しいんだろね?
一応ウチも友達に負けるの悔しいと言い出し公文をねだられて通わせているが
ひらがなカタカナなんぞ小学校に入ればタダで教えてくれるのになぜ毎月1万4000円をドブに捨てて数ヶ月早く習得する必要があるのだ。ゆえに一度でも宿題が間に合わなかった即座に退会な、とは申し伝えている。いつも宿題が完成するのは5分前。
はぁ情けない。
パパなんて小学校4年生以降夏休みの宿題は一度も出したことが無いぞ
二学期始まって未提出だと叱られるが、なぁに1週間ものらりくらいしのげば向こうも諦める
両親、教師、誰一人無理やり最後までやらせようと指導する敵は現れなかった
ありがたや
息子にもそういう処世術を身につけて欲しい
ガイジパンやガイジクッキーを作らせる事業所が税金の無駄と言われることは多い。
確かに、あんなことさせても全然儲からないしかえって金がかかっているとは思う。
でもああやって社会参加させないとガイジがモンスターになってしまうんだ。
家族以外の集団と一緒に働かせることによってガイジは初めて人間になる。
ひまわり学級にちゃんと通っていたガイジならともかく、一般学級にいたガイジなんかは自分を特別だと思いすぎている。
そんなガイジがクッキーを焼くために10人20人と同じ職場に詰め込まれる。
職場の中でガイジ達は最初自分を特別扱いしろとガイジムーブを互いに繰り返す。
他人のガイジ行為によって迷惑を被るうちに、ガイジ達も段々と自分のやってきたガイジムーブの害悪性に気づくわけだ。
こうしてガイジ達は生まれて始めて、自分だけが特別ではなく、ガイジムーブは迷惑だと知る機会を得るのだ。
火や刃物を使う。
ガイジ達の知能スパイクの中には幼稚園児レベルの部分も多様にあるのでそれらを扱わせるのは危険だ。
親が幼少期から危険を遠ざけ続けたせいで火は危ないということさえ知らないガイジもいるだろう。
そんなガイジ達にクッキーを作らせるというのはそれ自体が危険極まる。
だが、その体験を積ませることで、ガイジたちに自分の身は自分で回ることを教える事ができる。
職場のルールを破ることにどんな危険が潜んでいるのか、自分達は常にどんな危険に囲まれているのかを学ぶのだ。
危険に囲まれた環境で調教を続けることで、ガイジ達も少しずつ常識を弁えたおとなしいガイジになっていくわけである。
幼稚園児は少し味が気に食わないだけで野菜を投げ捨てるが、これは園児が作る側に回ったことがないからだ。
小学校に入って調理実習をやらせると、料理を作ることの面倒くささを理解し、簡単に料理を粗末にしなくなっていく。
食育。情操教育。それらの経験をガイジにも積ませなければ、彼らは人間から遠ざかっていくままだ。
また、作ったものに値段をつけて売らせると、お金や商品に対しての意識が全く変わる。
お金を稼ぐ大変さを知れば子どものようなおねだりも減っていく。
自分の作った大して美味くもないクッキーを売ることで、市場に出回る商品のクオリティにも気づけるだろう。
ガイジ達を働かせるのは表面だけ見れば労多くして益少しである。
だが、労働から遠く離れたガイジは自意識をブクブクと太らせて怪物になっていくのだ。
不幸な身の上からくる反動で世の中に対して変な意識を持ちやすいし、ガイジ特有のストレスも多い。
そこに特別扱いが加わることで意識はみるみるうちに歪んでいく。
ガイジに生まれ、ガイジと育てられ、そして歪んだ自意識のまま死ぬというのはあまりにも不憫だ。
ガイジであっても、社会の中で常識を身に着け、人間として死ぬ機会が与えられるべきだろう。
小学校の頃に俺の目の前で万引きで店の奥連れて行かれた子とか、小学校で名字が変わったと思ったらある日急に引っ越して中学の卒業式来なかった子とか、大学入って初めての同級会でバンギャのキャバ嬢になってた子とか、今どうしてんだろう
ひとりは学年一小柄で泣き虫で父親が単身赴任でたまにしか家にいなくて、そういえば滑り止めの高校行ってたような気がする
ひとりはスポーツ大好き少女ですらっと背が高くて目がくりくりの美人、正直、上の泣き虫がこの子を引き込んだのではないかと思っている
選定基準
・ハーレムなし
・強敵だらけ
https://ncode.syosetu.com/n9407fu/
連載中
編集者の口出しとイラスト化による読者のイメージ固定を避ける為、ある程度ストーリーが進むまで書籍化・コミカライズを断り続けた作品。
特に「魔術祭編」はこれまでに読んだなろう作品の中ではトップクラス。
半年間も更新がないのは残念だが、アルマークとウエンディの過酷な運命の旅に同行してほしい。
https://ncode.syosetu.com/n3930eh/
完結済
「辺境の老騎士 バルド・ローエン」でおなじみの作者による作品。
骨太の世界観、武器や魔法、アイテムや薬の細かい設定が楽しい。
ヒロインの成長が楽しみ。
https://kakuyomu.jp/works/16817330651238395614
連載中
なぜ異世界で呼吸できるのか、なぜ異世界の温度が適温なのか。なぜ異世界の魔法名や人名が地球っぽいのか、そもそもなぜ転移するのか。
登場人物が非常に多く、しかも名字、下の名前、あだ名で呼んだりするので最初は苦労するが、ハマれば間違いなくおすすめ。
作者は元小学校教諭なので学校に関する専門用語に詳しくて面白い。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888930318
連載中
通常、なろうカクヨムで評価ポイントを狙うには少ない文章量で更新頻度を増やすのが基本。
それを無視した多い文章量で更新頻度も安定しないがカクヨムで10,000点突破した作品。
チートも無いし、強敵だらけだし、普通に敗走するけど、ダークファンタジーの中では超おすすめ。
https://ncode.syosetu.com/n6680gq/
連載中
モブは死ぬが主要人物は間一髪助かる、なんてことはない。いっぱい死ぬ。
ラノベの表紙は可愛い女の子(ヒロイン)が必須だが、あまりにも死にすぎるのでモブ女子が表紙に大抜擢。
もちろんすぐ死ぬ。(いっぱい死ぬのでネタバレになってないので安心してください)
戦場で少しづつ強くなる(でもいっぱい死ぬ)作品が読みたいならおすすめ。
https://ncode.syosetu.com/n7246cy/
完結済
作者は「自動販売機に生まれ変わった俺は迷宮を彷徨う」「村づくりゲームのNPCが生身の人間としか思えない」で絶好調の昼熊氏。
氏はシリアスとコメディの差が激しいが、これはもっともシリアス寄り。
会社員がたった一人で何回も死に戻りしながら試行錯誤する作品、そりゃあコミカライズも打ち切りになりますわ……。
https://kakuyomu.jp/works/16816700427057496202
完結済
作者のこたろう文庫氏はこれに限らずプロットを良く練った上で書いているので、序盤の展開に違和感を持ったまま脱落する読者が多いのが残念。
(感想欄に「この主人公にはついていけない。もう読むのやめます」とか書かれる)
その分、後半のカタルシスが気持ちいいのだけど、web小説では難しいのだろうか。
2年前に閉校した埼玉県鴻巣市の市立小学校の旧校舎で、民間事業者が13~15日、女性タレントら延べ120人余りが参加する制服・浴衣の撮影イベントを開く。
近隣住民らは「少し前まで子供たちが学んでいた校舎での性的な興行と言え、ふさわしくない」と反対しているが、旧校舎を貸し出す市は「法令上、貸し出しを拒否する理由がない」と説明している。
会場になるのは2021年度末に閉校した市立笠原小学校。主催する事業者は旧校舎を有償で市から借りた。
この事業者は昨年、埼玉県営公園のプールで水着撮影会を企画し、過度な露出の水着撮影をしていると指摘された事業者のうちの1社。
主催者のサイトによると、今回のイベントで水着撮影はないという。
市は旧校舎の有効活用のため、一般の法人・団体・個人に有償で貸し出している。貸し出しにあたっては「公序良俗に反しない」「宗教的・政治的な利用はできない」などの規定がある。
市によると、5月に貸し出しの申請を受けた時点で、県営公園のプールでの撮影会を企画した事業者であると認識していた。
そのうえで貸し出しの是非を検討し、今回は水着撮影はないことなどから「表現の自由」の範囲内と判断した。
東京都立川市でも1月に旧校舎を会場とした制服撮影会を実施し、その際にトラブルはなかったとの前例も踏まえたと説明している。
https://news.yahoo.co.jp/articles/548d18f7e92abfcd937b7027e93f3e68bf4e4738
近代麻雀の撮影会は18禁のはずが中学生の参加許可してたり本音と建前が激しいのだがAV女優揃えてるので健全な撮影会では今回も終わらないだろう
小学校のころから数えて20年以上の交流がある友人が音信不通になった。
俺は男で、友人も男。小中高と同じ学校に通い、大学からは流石に離れたが、それでも連絡は取りあい、年に数度は二人で飲みに行ったり旅行に行ったりと仲の良い付き合いを続けてきた。
その彼が今年初めにぷっつりと連絡を絶った。
と、こう書くとなんか重大そうな話に見えなくもないが、実際そんなに気に病んだり心配しているわけではない。もし死んでたら墓参りには行かなきゃな、とは思っている。
それでもわざわざこんな文章を書いているのは、やっぱり多少なりもやもやした気持ちがあり、それを吐き出したいと思っているからだ。
なぜここに吐き出すのかというと、他に適切な場所がないし言える人もいないから。
ここなら何を書いても匿名だし読むのもコメントするのも全員匿名の無責任なカス共なので気楽だ。吐き出すにはちょうどいい。
実は友人が(死んだのでなければ)音信不通になった理由には心当たりがある。
俺は彼に金を貸していた。
300万円ほど。
40万円くらいは返ってきたので残金は260万円くらいだ。
ここまで読んだ増田たちの言いたいことは分かる。「自業自得」」 「お前のせい」 「お前がアホ」 「常識がない」 「お前もその友人とやらもバカ」あたりのシンプル罵倒かそれを長ったらしく言い換えた同義語だろう。
俺も他人の話なら同じ感想を抱いたかもしれないので否定はしない。
他に吐き出し場所も無ければ言える人もいないと書いた理由も少しは分かるだろう。「アイツに260万くらい貸してるんだけどアイツ返さないまま音信不通になったんだよね」とか言えんわ。知り合いには底抜けのアホ扱いされるだろうし家族からはアホ扱いに加えて「何としてでも取り返してこい」みたいに激詰めされるに決まっている。
金は惜しくない。これは俺が桁外れの高収入勝ち組男だからではなく、そもそもあげるつもりで貸したからだ。
苦境とそれに伴う金銭の不足を訴える彼の話を俺は信じたし、今も信じている。貸したことを後悔はしてない。これは本当。
じゃあ何がもやもやしてるのかというと、やっぱり連絡を絶たれたことだろう。
金の事なんて気にせず友人を続けてほしかった。「俺に貸すのが悪いわ。諦めな」とか何とか言って今年も一緒に酒を飲んでほしかった。まあそこまで無神経にはなれないにしても、死ぬまでずっと「悪い、今度返すから」とか繰り返してくれればよかった。
何も音信不通にならんでも。気まずくなったのかも知らんけど俺が気にしてないんだからそっちも気にしないでいいのに。
友人の職場は分かっている。友人の本名でググると現在勤めている(であろう)会社のページが出てくる。
きっとこれを読んだ多くの人は「なら押しかけて行って無事を確認するなり金を毟り取るなりしろよ」と考えると思う。
死んでたらもう手遅れで線香をあげるくらいしかしてやれることがないし、生きてたら生きてたで俺に会いたくないであろう友人を更に追い詰めることになるのではと思うと。
というわけでこんな文章を書いている。
「チラシの裏にでも書いてろ」と思うだろうがここも似たようなもんだろ。気取んな。それにチラシの裏とか秘密の日記帳とか100%誰も見ないとこに書いてても吐き出した感じが無くて消化不良なんだよ。ここまで読むような奴はどうせヒマだろ。ヒマつぶしついでに俺のゲロ袋になれ。
読んでくれてどうもありがとう。少しはすっきりした。
最後に、Nくん。
他の直接顔を合わせない形での連絡手段は全て試したので、間抜けな行為だと知りつつここに書く。
絶対あり得ないとは思うが、もし万が一にもこれを読んでいたら、既に言った通り金のことは俺は気にしてない。君は「いずれ必ず返す。埋め合わせをする」と言ってたけど、何なら返さなくてもいい。君が変わらず友達でいてくれるだけで十分だ。……今「友達でいてくれるだけで十分」と書いたけど、その気持ちに嘘はないけど、それはそれとして金が返ってきたら嬉しいということも分かってほしい。これは俺が金を欲しているというよりも(その気持ちがあることを否定はしないけど)、金を返すことで君自身の重荷を取り去ってほしいからだ。俺が「借金はチャラにする」と言っても君は気にするだろうから。
君のことだから、いろいろ気に病んで、俺に申し訳なくて、情けなくなって、連絡するにできなくなったのではと思う。そういう不安とか申し訳なさとかの鬱屈した負の感情は無用なのでとっとと捨てて、また連絡してきてくれると嬉しい。一言でいい。
まだ大学生なりたての頃、二人で箱根に旅行に行ったことを覚えているだろうか? 俺は覚えている。旅館の部屋食で出た白米がめちゃくちゃ美味くて二人で山盛り食べて何度もおひつをおかわりした。あんまり食うので、最後には旅館の人が気を利かせてご飯をおひつにパンパンに詰めてくれた。炊いた米におひつの蓋の跡がつくほど詰まっていて、一緒に吐き戻しそうなほど笑った。あんな旅行をまたできればと思う。
Mより。
夢でも救われた
救われた夢というか、自分が一番見たかった夢というか、これが現実であればと空想していた夢
子供時代、転校を繰り返してていたのだが、どこいってもいじめられていた
ただ、転校後にもらった手紙に
「いじめらていた君がいなくなったから、代わりにいじめられるようになった」とか書いてあって
振り返ると、普通の遊びと、いじめとかからかいとかの区別を感じれないくらい、
小学校はまあそんな感じだったのだが、中学は完全にいじめられていた
教室の中で自分だけがからかいの対象になり、はたかれ殴られ、泣きながら家に帰ったシーンを今でも思い出す。
まあそれでも何故か不登校になるようなことはなく、中高大となんだかんだいじめとからかいを繰り返しながら卒業したのだが、
自尊心がぼろぼろなのに気づかず社会にでてしまったので、会社入ってから全くコミュニケーションがとれず完全に病んでしまった
あ、なんか自分はおかしいんだと思って、色んな本読んだり、いろんな精神科や心療内科に通った
自信なさげに周りの目を気にしてキョドってるから、会社の人にバカにされるし、
時に「生きてて楽しい?」とか言われても、侮辱されたとか怒りとか感じることができず、
当時は話のネタができたくらいにしか感じれないくらい心が病んでたと思う
それからいろいろあって、今は心は落ち着いている。
ただ、友達がいない
ドラマや漫画で学生時代の友達と会い、昔話に花を咲かせるみたいなことは、全然できない
とはいっても中高大のときの級友は友達だったか?と言われるとたぶん友達じゃない気がする
対等な関係じゃなく、たた自分を卑下して無理にくっついてた感じがあるし特に会いたいとも思わない
中高大では感じなかった、楽しいとか一緒にいて安心するとかの感情は当時確かにあった
ただ転校後のいじめやコミュ不足から自分から連絡を断ってしまった
会いたいなとか空想しても、もう一生会うことはないんだろうなと思っていたら
今日、夢に出てきた
結構な年月がたって同窓会?的なところに自分が参加してる感があった
夢の中でも、自分の事覚えてるかな?みたいな不安を覚えながら皆のところへ足を運んでいた
声を交わしたは覚えてないが、
「転校してから辛かったよな」
「いじめられて辛かったんだよ」
みたいな心のやりとりがあったと思う
一応現実は安定しているから、自分では過去のいじめとか病とかは振り切ってたつもりだったのに、
夢から覚めて
ああ、これが一番待ち望んでいたことだったんだと思ったことに、
驚いたとのもあるし安心したのもあるし、なんか救われた感じがした
小学校に勤めている者です。
まだまだヒヨっ子だけど、100人以上を担任してきました。まあ、います。フワちゃんみたいな子も、やす子みたいな子も。そして、フワちゃんみたいな子を庇う子も、やす子の味方になる子も、全部傍観している子も。どこにでもいます。
そんで、今回みたいなトラブルもまあまあよく起きます。たぶん、これだけ炎上している一員も、みんなこういう図に少なからず見覚えがあるからでしょう。自分がどの立場だったかはともかく。
こうなってしまったからには、もう今まで通りにはいかないのは確かだけれども。やす子さんが本当に、本心からフワちゃんを許したのかは、許していいのかは外野の我々には分からないけれども。
これ以上フワちゃんの非を咎める匿名の書き込みは、誰にとっても幸せを生まないと思う。経験則で。同じような状況を何度も教室で見てきたけど、こうなってしまった後に必要なのは加害者への非難を続けて懲らしめることではなく、被害者の立場を強固にすることだと思う。
そのほうが、みんながこの件を忘れてきた頃に被害者が生きやすくなると思う。
やす子の立場だった人も、やす子の立場の子を守れなかった人も、フワちゃんの立場だった人も、単純に二人のどっちかが嫌いな人も、もう自分のためにもこの件で騒ぐのやめといた方がいいよ。それより、フワちゃんのことはノータッチでいいから、やす子の味方でいてあげてほしい。やす子のこれからを長く応援してあげてほしい。
そのほうが絶対やす子のためになると思うし、可能性が少しでもあるのならだけどフワちゃんが改心してどこかでやり直すことにも繋がるから。
夏休みにも、フワちゃんみたいな子ややす子みたいな子のお家の人に、たくさん電話をかけないといけなかった、どこかの若手教員より。
『ズッコケ山賊修業中』の別れの部分と、『うわさのズッコケ株式会社』の商売の仕組みの説明だけ妙に覚えている
地味に街の地図の部分が好きだった
徒歩と自転車で行ける生活範囲から始まるリアリティが小学生には自分にも起こりえるかも感があったからだと思う
90年代後期はホラーブームがあり、児童書でも恐怖をあおるものが多かった中、
ホラーの怪物たる吸血鬼と友達になる展開に面食らった覚えがある
そのため、味付けや内容の異なる『花子さん」を小学生時代は過剰摂取していたと思う
子供向けホラー作品の中で、子供自身が怪奇現象と戦うのが目新しかった気がする
ぬ~べ~とか霊能力者の大人でなくても、呪符や巻物や数珠みたいなアイテムを使って小学生が怪奇現象に立ち向かえるんだ!と夢中になって読んだ
大学のときに、腐女子の先輩に「地獄堂霊界通信と言えばミッタンだろうが!」と言われ、子供に振り回される元ヤン警官に目をつけるとはこの人早熟だったんだろうなと思ったのを覚えている
■リング
車の移動図書館が小学校高学年ごろに地元ではじまり、今まで図書室になかったライトノベルや大人向け娯楽小説などに触れることとなった
何となく借りたら、精子を媒介として増殖する零体という概念が怖すぎて、2日間くらい寝れなかった
初めて触れたアンチヒーローでかつ、ファンタジー的な世界観のパロディ的な作品
これと魔法陣グルグルやドラゴンクエストの四コマ漫画などで、ファンタジーはパロデイして遊ぶものだと意識づけられすぎた
そのせいで、中学生のときに指輪物語を読んで、みんなこんな濃厚な世界観を知ったうえでパロディしていたんだと自分の無知に若干の反省をした
この作品の生でクールであればクールであるほど格好いいし、弱い能力であればあるほど格好いいと思うようになってしまった
ペパーミントの「大衆に売るためのコツはちょっとだけ不味く作ることだよ」みたいな台詞がいまだに印象に残っている
中学生のときに実家の近くに古本屋ができて、100円で買って読み漁った
怪奇現象や登場人物だけでなく、文章での細部描写自体が怖いことがあると知った
スタンド・バイ・ミーの死体に集まるカブトムシという描写が怖かった
私が生まれ育った家庭は両親が家庭内別居していることもあり、かなりの個人主義。
小学校高学年ぐらいから洗濯も掃除も各自で行う、平日は朝食や夕食が出てくるが、毎週金曜日から日曜日の夜まで両親共に不在でどこかへ出かける(仲悪いので別々にどこかへ出かけている)ため、冷蔵庫にあるものやカップ麺などを適当に食べる。
対して、うちの旦那の家庭。
カップ麺などは一切食べない。
家族仲が良く、誰かが出かける際はどこへ行くかなども把握。
はじめは旦那の家庭の仲の良さに感動したが、今ではどうかと思うところがある。
義父は夕飯時にまずは晩酌、お酒を飲み終わったらお米を食べるのだが
義父がビール飲み終わるタイミングで義母が必ずお米をよそいにいく。
たまにそれが出来ないと、義父がご飯。といい、義母が失礼しましたとお米をよそいにいく。
これ、まじお手伝いさんじゃない?
そして義母は時々うちに来るのだが。
約束の30分前に到着される。。
30分前に人の家に来るとか非常識極まりないことを出来るのは、義母が当たり前に義父のお手伝いさんにされているのと同じニュアンスの闇を感じる。。。