はてなキーワード: 土地とは
コロナの動向について、厚労省からのいくつかの発表や、識者のコラムなどを読んでわかってきたことがある。
日本のやり方は奇跡的に最適解に近い道を選ぶことができたが、その奇跡は何人かの天才のひらめきによって得られたものであって、奇跡は奇跡だが完全な偶然ではないということだ。ただしあくまでも奇跡であるので、場合によってはヨーロッパ諸国のようなパンデミックを起こす可能性は十分にあったように思える。
野党の動きについてはかなりわかりやすい事案もあったように思う。
緊急を要するあの場面で、桜がどうだのと声を荒げ、あらゆる審議を止めていたのは非常に印象深い。まともな人間であればもともと異常者の集まりであることを理解していただろうが、今この状況になってようやくわかった人も多いのではないかと思う。
彼らが二度と国政に関わるようなことがないように願わずにはいられない。
デマを拡散し、国民の不安をあおろうとしたのは到底真摯とは言えないが、これまでの流れも鑑みるにわからなくもない。いや、これは別に彼らの行いを肯定するわけではなく、誰もがやるだろうなと思っていたところ案の定やらかしたというだけの話だ。
それによって風評被害を受けた企業が番組名すら名指しで謝罪を求めるに至ったのは、彼らの認識が世間と大きく乖離していること、甘すぎたことを示している。
民間企業だけでなく、行政ですらマスメディアに対して苦言を呈している。
新型コロナに関する発表に関する文書の末尾には必ずマスメディアに言及する文章が載っている。これはかなり異常というか、進歩というか、ついに世の中が彼らの悪行に我慢しきれなくなったことの現れであろう。ある意味において、これまで行政が放置してきたことのツケではあるが。
個人的に興味深いのは、厚労省の発表の多くが文書のみになっている点だ。
記者会見のようなものはほとんどない。これはわざわざ会見を開いてマスメディアのしょーもない質問に受け答えしている余裕がないということもあるだろうが、それ以上に悪意を持って映像や音声を切り貼りし、事実と異なる情報を流そうとするメディアに対する自衛策でもあるのではないだろうか。
つまり、メディアは既に国民だけでなく行政の信用も失っている、ということだ。
しかし人知れず文書で発表しただけでは周知されることがない。何せメディアは自分たちがのけ者にされているわけだから、拡散することは期待できない。故に理解ある人によって拡散されるべき、という意見すら出ている。
https://note.com/kyoshimine/n/n6bf078a369f9
既に自粛要請から一か月になろうとしており、中だるみというか、もういいんじゃないかといった雰囲気があるように思う。
先日にK-1の件も、金銭的な事情はもちろんだが、当初危ぶまれたほど拡散しておらず、緊張が解けつつあることの証左であろう。
沖縄の家族についてはもう本当に愚かで救いようがない。また沖縄の知事には北海道の知事のような賢明は判断は期待できない。下手をすれば内閣から要請があれば逆張りするような人間だ。かなり絶望的な状況にあると思う。のんきにスペインなどに行って、なおかつ止められたにも関わらず飛行機に乗り込んでしまうような愚行を平気で行ってしまうのは大変残念であるが、あの程度の知事を出す土地ならば仕方がないというような諦念もある。
賢い諸氏には全うな行動を選択する能力があると信じたいし、多くの人が声を上げることによって正しい(とされる)行動を強制できるような環境を作りたい、とも思う。
現状、テレビの情報は本当に信じるに値しない。積極的にシャットアウトして情報収集するのが正しい道のように思える。しかし残念ながら多くの人はテレビしか情報源を持たないし、スマホも似たような情報源しか持たないだろう。
真に正しいかどうかはともかくとして、正しいものとして扱われるべき情報にリーチさせるのが今するべき活動ではないだろうか。正しいものとして扱われるべき情報というのは言うまでもなく行政発表の情報であり、その文書のURLを貼るとか、とにかく情報を見てもらいやすいようにすることだ。
ただし、文書をスクショしているようなのはダメだ。これはメディアのやり口と変わりがない。その情報の信用度を行政のものと誤認させるが、実際は発信者の信用度しかない。なぜならば改ざんが可能だからだ。
このような匿名を主とした空間の情報など鵜呑みにするべきではない。
故に私は最後に必要な情報へのリンクを貼ってこの文を終わろうと思う。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
例えば、東京
大部分が更地になったとしてもおそらく蘇るだろう
また何度でも蘇る街になるか、今回で最後の復活になるかは知らぬが
とりあえずは蘇る
東京以外の街はどうだろう
おそらく、蘇るところ・蘇らないところがあるだろう
街に寿命はあるのだと思う
人の組織は目に見えないし触れないので役割を終えても何とも思わないが
街は目に見えるし触れるので非常に居た堪れない気持ちになる
どんな思いで土地を切り開き、維持してきたのかなぁと思うと、とてもやりきれない
公文書改竄で自殺した近畿財務局職員の「手記」を手に、私は石破茂に会いに行った - 佐藤章|論座 - 朝日新聞社の言論サイト https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020032000004.html
改ざん問題を石破に問うインタビューとしては極めて真っ当な記事で、石破のブレなさがよく出ている。
財務省近畿財務局が森友学園に破格の値段で国有地払い下げに動き始めたのは、この写真を近畿財務局の担当者に見せたことと、翌2015年の秋になった。
これ、端的に嘘でしょ。
https://anond.hatelabo.jp/20180526114327
きちんと読んでほしいのだが、谷氏の照会は「先方がなかなか納得しないので、確認をさせてくれ」というもので、照会の内容も土地払い下げに関するものではない。
籠池氏が近畿財務局に対して土地払い下げに動くのは、2016年2月11日以降である(https://anond.hatelabo.jp/20180526130059)。
その後の展開を知る人には明白であろうが、この照会のあった2015年11月以降、翌2016年3月になり、籠池氏が酒井弁護士を引き連れてゴミ埋め戻しに関する近畿財務局の瑕疵を突っ込むまで(https://anond.hatelabo.jp/20181219233119)、近畿財務局には何の動きもないのである。
「昭恵付の政府職員が財務省に問い合わせたことが大きな契機に」なっていない、のである。
森友学園問題、改ざん問題については官邸の関与が濃厚で擁護の余地はないのだが、土地払い下げに関する報道は朝日新聞を中心に、首相夫妻主犯説から踏み出せない主観的なものが多い。
摂津(西部)・播磨・但馬・淡路・丹波(氷上郡・多紀郡)の5か国が置かれた。
神戸港が貿易で栄え、武器を収める倉ができ、兵庫という呼び名が広がり、いつの間にか合併されてしまったこの5か国。
兵庫県となった今も、この5か国の分断は続いている。
まず地形を見てほしい。日本海から瀬戸内海があるのが兵庫県だ。山も海もある。
隣県は大阪、京都、岡山、鳥取。どれも微妙に毛色の違う県である。
しかし、やはり県境というのは日本人にとって重大なもの。隣県に、いつも仲間に入れてもらえないのだ。
尼崎なんてそこらの大阪より大阪の中心部に近い。なのに、大阪ではない扱いだ。市外局番06なのに。ほとんどの市民が大阪に通って仕事しているのに、だ。
結果的に、地域性や自分がどこの出身かということを強く意識し、そして愛する人が多くなっていった。
自らを「〇〇市民」「阪神沿線」「阪急」「JR」「伊丹空港」「自然学校」などと称する人ばかりになった。
ゆえにケンミンショーという番組が始まるまで、兵庫県民という使い方は一般的ではなかった。
ケンミンの焼きビーフンは神戸の食べ物であり、別に兵庫県民に特別なじみがあるわけではない。
正直兵庫の真ん中、秘境の地(何もないので大河の撮影をしている場所)あたりの方言は、もはや関西弁ではない。何を言っているのかわからない。
淡路島という場所も兵庫県にある。ここもまた、独自の文化で発展した。
「神が生まれた島」ともされている。
それゆえか、いたるところにタコが干されている。タコの印象しかない。
しかし淡路島の玉ねぎが無ければ、日本に淡路島の玉ねぎが無いということになる。淡路島は大切だ。
姫路の人は神戸人のふりをする。姫路はド田舎だ。神戸は三宮以外わりとなんもない。
宝塚なんか松岡修造の祖先が作ったような地域だ。阪急の支配下である。ウィルキンソン炭酸水がとれるくらいしか土地的には面白みがない。
思うに、兵庫県と呼ばれる場所は、戦乱をくぐりぬけ、平和こそが大事だと悟り、大切に、尊重しあった結果、
自国(摂津播磨但馬淡路丹波)の概念は残り続けたのではないか。
それに伴い、兵庫県知事は住民票に基づく兵庫県民に対して「外出を控えるように」と宣言した。
海の、山の、六甲おろしを超えた、また海の、兵庫県民たちがざわついた。
決して、交わることのない兵庫県民が、はじめて一くくりにされた。
はばタン、空を飛ぶ。
日本で農地集積が進まない理由は、農家が土地を手放さないためです。
地価の高騰を経験した彼らにとって、土地は個人の持ち物で売買可能という認識が備わっているはずです。
そうした認識を生み出し、温存しているのは不動産業の存在によるところが多いのではないでしょうか。
統一規制の必要性については理解しているつもりです。しかしここでは不動産業が現在の枠組みでしか機能していないと言いたいのです。
しかし、現在の経済学では数値化できていないものの、彼らの生産活動は社会的な損失を生み出しているのではないか。
そして、そうした企業は今後非合理的な企業として淘汰されるべきではないのか。温存されておるのには政治圧力などが働いているのではないかという話です。
ここからは関係ありませんが、あなたは自分が認識しやすい部分を中心に、自分に都合のいいように話を解釈している節があるのではないでしょうか?
私が未熟であることは否定できませんが、相手がなにを話したいのかを理解する姿勢が欠けているように思えました。
自分の知っている範囲でしか物事を捉えないのは頭を使わなくてラクですが、自分自身のためにはなってないように思います。言うなれば非効率的です。
// 文春の記事の要約
こうして昌子さんの中で「真相を知るには裁判しかない」という気持ちが芽生えていった。
夫の死には佐川氏も相当の責任があるだろう。だから裁判を起こすとしたら佐川氏も訴えたい。そうすれば法廷で佐川氏に問い質すことができるかもしれない。
通常、この手の事件では「国家公務員の行為は国が責任を負う」という国家賠償法の規定に基づき、国だけを相手に裁判を起こす。
だがこのケースは、到底通常の公務とは言えない違法な改ざん行為をさせた責任を問うのだ。公務と言えないなら個人の責任だろう。
しかも佐川氏は当然、謝罪と説明を行うべきだが、遺族の求めに全く応じていない。これはまさに佐川氏個人の責任だ。
昌子さんは弁護士と相談を重ね、佐川氏個人も被告に加えることにした。
昌子さんとしては、お金のためではなく真相究明のための裁判だから、賠償金額はいくらでもいいと考えていた。
しかし弁護士によると、安い金額では国が「認諾」と言ってこちらの主張を丸呑みして認めてしまう。
請求額を支払うことで裁判をすぐに終わらせ、それによって遺族側に原因追及をさせないことが狙いだ。
そうさせないためには、丸呑みできない金額で訴えるしかない。佐川氏と国に対し、総額一億一千万円余の賠償を求めるつもりだ。
裁判はあくまで佐川氏を法廷に呼び出し、謝罪を求め、真相を追究するのが目的だ。
訴状の冒頭にも「本件訴訟の目的は、第一に、なぜ亡俊夫が本件自殺に追い込まれなければならなかったのか、その原因と経過を明らかにする点にある」と明記されている。
だから勝訴して得られた賠償金は、何らかの形で世のため人のために役立てたいと考えている。特に、二度と公文書改ざんなどという不正が起きないようにするために。
なに書けばいいかわかんないから思いつくまま書く(まだ1回しか見てないから記憶があやふや)(アニメ見たのもかなり前なのでそっちの記憶もあやふや)(5000字ちょっとある)
まだ見てない人は見に行こう!
TV版を見てない人は、見よう!
d-アニメストア、ネットフリックス、バンダイチャンネル、U-NEXT,huluで配信中!
でも1話は無料で見れるのでとりあえず1話は見よう!
https://www.nicovideo.jp/watch/so24658035
・話はTV版が好きなら好きだと思う!でもTV版と比べるともっとおもしろくなる余地があると思った!
・TV版の終わり方が台無しになるっていう感じの話ではなかったから安心してほしい!最終回みたときと同じように、映画見たあとも宮森たちはこれからも毎日を一生懸命生きていくんだろうなと感じれる感じでした!(頭の悪い文章だ…)
・一人でも思い入れのあるキャラクターがいるなら見たらぐっとくると思う。映画というより、あ~~こんなに立派になっちゃって~~っていう感じで見れる。
4年前のことを思うと遠くまで来たなあ、私もこいつもさ…って気持ちになれる。
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1話のオマージュ。4年前と同じ時間、同じ車、同じラジオ…だからこそ違いが目立つ。車が傷だらけになっていたり、カーチェイスができなかったり、かかる曲がスローテンポなものだったり(限界過疎土地娘回収されましたね…サクラクエストのことじゃなかったかあ)。全体的に黄昏時という感じ。
ムサニもね…。この始まり方だからぞくぞくと悪い予感はしてるわけで(ポスターも含め)、ムサニは!?ムサニは今どうなってるの!?と思ったらいつもの部屋でいつも通りにやってんじゃ~~んと思いきや…っていう…。あそこほんと最高でしたね。あそこで宮森があの幻覚を見たのはもう二度と戻れない過去への憧憬なんじゃないかと思うと切ない。
活気もなくうらぶれて、でも昔のように返り咲く気力もない(そして昔みたいにイケイケなムサニになっても元のメンバーが戻ってくることはないだろう)。少しずつ衰退していくのを見ていることしかできない。悲しい…つらい…でもそれがいい!!!最高!!
ここのシーンの3Dの人(下柳さん?)の「こんな感じのアニメなんだったらもっと違う感じでやるべきだったな~」っていうまじめな台詞がすごい好きで、何故かというとなんかこの状況を受け入れ切ってるな~って感じがするんです。こんな状況いやだからあがこう!じゃなくて目の前の仕事を一生懸命やってる感じ。全然悪いことじゃないし、たぶん下柳さん(仮)にはそもそも会社の方向性を決める権限とかもないのかもしれないけど、でも今の状況を諦めを通り越して受け入れている、衰退していくのを見守る覚悟みたいなのも感じて好きです。自分にやれることは全力でやるけどそれで会社が衰えていくのを止められないのも知っているみたいな。このへん全部妄想なんですが。
推しなんですけど(1週目特典この二人が出て最高でした神様サンキュ!)、今回本筋には関わらないもののめちゃくちゃ良かったです。ていうかそういうキャラ沢山います。shirobakoはキャラ数めちゃくちゃいるのに映画では全員「あー今こう生きてるんだ」って知れてほんとよかったです。
この二人は特に!!その最終回のその後が気になってました。ほかの人たちは道のりの途中だったけれど、この二人は最終回でやっと一歩を踏み出し始めたところだったので。太郎の語るアニメ制作の夢も最終回までは知らされず、なんか萌えキャラとか声優とかが好きだからアニメ業界来てるんだなーぐらいの認識だったのにあんなパッションを秘めているとは。
今の状況をどう打開したらいいのかわからない宮森と違い、太郎と平岡はがむしゃらに前に進む努力をしています。努力って言い方も違和感あるな。太郎も平岡も、それを楽しんでる。どんなに没られても沢山企画案を出して持ち込みに行く太郎も、そのアドバイス役?スケジューリング役?をしてる平岡もやれやれって感じを出しつつもすごく楽しそう。そんな二人を見れてよかった。今後どうなるかわからないけど(実は太郎には全然才能がなくてまじで全く作家としての芽が出ない未来があるかもしれないけど)、でも今楽しそうに前に進んでいる二人が見れてほんとうにうれしかった!!
できればまた4年後どうなってるのかが見たい。この二人がどんな現実にもへこたれずに夢を追ってる姿が見たい。最終回で語った夢を実現させているところが見たい。
4年間ニートしてたってまじですか!?読み取り方間違ってるかな?でも少なくとも監督は4年ずっと仕事してなさそう…どうやって生きていってるんだろう…
そうなったきっかけの事件のときの二人の反応最高でしたよね!!気丈に振る舞う監督と悔しそうにキレる遠藤さん。多分この二人が一番おじゃんになったアニメに情熱傾けていたから、だから説得のシーンもこの二人が長めだったんだろうなあ。説得のシーンといえば遠藤さんが下柳さんと水族館行くくらい仲良くなってるの最高でしたね…。4年という年月を感じる!!
長かった…もっと短くてよかった…でもミュージカルはこのアニメの狂気的な部分を感じてよかった。洗脳っぽかったけど。
お絵かき教室のシーンはあれ見て宮森達がやる気出してたけどそもそもやる気なくすような出来事あったっけ?となってしまった。TVシリーズとしてやってたなら多分普通に受け止めれてたシーンだと思う。
忍者屋敷はよかったけど長かった!でも和服見れたのでよかった!妄想(?)シーンのあと一瞬で現実に戻るの「あ~なるほどこういうことを比喩的に表現してたのね」と理解できてよい。
ナベP社長かよ~~~~~似合わね~~~~~~~!!!と思ったけど社長っぽいこと(カレー作り)もせず前と同じ仕事内容っぽい。
ケーキ屋さんのシーンぐっときましたね。普段結構ひょうひょうとしてて表情読めない人なのにあんな深刻に…言いづらそうに…。あのシーン一番わくわくしました。嵐の前の静けさ的な。これから何かでっけーことが起こるぞ!!!という感じがして。
いやーでも今や宮森がプロデューサーだからね。ミヤPって呼ばなきゃ!
売れてんじゃん!!おいおい!!!順調じゃん!!と思ったものの居酒屋での反応であーとなる。ああいうの友達に見られるの恥ずかしいよね…。あんまやりたくないことなのに…。でも事務所じゃもう先輩で感慨深かったなあ。ずかちゃんにあこがれてる後輩なんかもいたりして。先輩っぽいお話してたりしてて。すごいなー。声優業界厳しそうだけどさらに4年後はどう生きてるんだろう。
先生との会話でいきなりエチュード始まるの観客信頼されてるなーと思った。TV版でもあったから即興劇ね!ってわかったけど初見だと厳しそう。
広くてきれいな部屋に住めててほんとうによかった!!久乃木さん結構ちゃんとしてるな~ごはんもおいしそ~うらやまし~…とほのぼのしてたら作監ですかあ…!!めちゃくちゃ出世してるじゃん…。作監頼んだあとの「こういうのやめてね」っていうのも迫力出てて経験値積んでるぅ~たくましくなってるぅ!TV版のときから思ってたけどえまちゃんって案外気が強いというか主張はしっかりしてるよね。外見と声から受ける印象とギャップがあるからそう思うのかもしれないけど。今回作監やったときに「(えまちゃんが絵を直すと)線(絵?)が固くなる」って言われたときに反論してんのすげーなーと思った。私なら自分の絵に文句つけられたら「がんばります、直します」としか言えない…。
えまちゃんに限らないけどムサニ出て上手くやっていってるんだなあと思うと宮森の取り残されてる感あって悲しいなあ。
よかった!!!
先輩に見せてって言われてるけど自分の実力不足でなんもできてない~~いつ終わるのかも能力不足過ぎてなにもわからない!!っていうのめっちゃ共感できるから後半の秘めたる力を開放するシーン自分の中で盛り上がりがあった…。あとかわいかった。
台詞ちょっとしかないキャラにも愛着が持ててこのアニメはほんとすげえなあ。
クールビューティーお仕事できます系と見せかけてTV版でも方向音痴というギャップを見せてくれてたけど映画でも安藤さんがお手伝いに来てくれたときにきゃっきゃしててかわいかった。なんか後輩の女の子感あるな〜。
いや~~~~みんな言いたいことは一緒だと思うんですけど…………。唯一ここだけはまじでなんとかしたほうがよかったんじゃないの?っていうのがこれなんですけど…。
やばくないですか?
まじでつまんなさそうでやばいですよね。この映画がヒットしてる未来が見えない…。SIVAは負けて終わりのバッドエンド(でも終わり方は明るい)なんだけどこれムサニにも当てはまるよなあ。昔のメンバーが集まって総力戦でいいもん作った!でハッピーエンドっぽいけど映画の売り上げは…ムサニの経営は…みたいな。売上はムサニには関係ないのかなあ…?いやでもこの映画の出来がよければもっと感動してたのは間違いないんですよ。作画的な意味だけじゃなくて、ストーリーとか、題材とか…。えくそだすの泣き顔修正のところ泣けたもん。よかったねえ、確かによくなったねえ…!って!あのシーンは監督がキャラ愛語って熱量で押してたし。それに比べると今回はなんか制作シーンが全体的にドライというか、特に監督はパッションあんまないし、制作現場のシーンもほぼ無かったのでなんかそういう熱さみたいなのはあんまり感じませんでした。時代かなあ?いい作品作るために深夜までがんばってます!!って今どきの受け悪そうだもんね…ブラック現場だ!!って言われそう。
あーでも今回「作り直しましょう」って言ったのは宮森なんだよね。それは成長…かなあ?昔の宮森なら言わなかった…かなあ?えくそだすのときは「ええ!?スケジュールどうなっちゃうんですか!?」みたいなパニックみたいな感じだったよね?
ポスターにででん!と書いてあるほどには出番はなかった。私はこの子の存在を一番不安に思ってたんだけど杞憂だった!!特別な扱いをされることもなく、でも新女の子キャラとして大事なポジションに収まってました。初登場時化粧濃いな~心読めないな~と思った次のシーンで全開で心開いてて好感度上がった。
かわいかった~~口調が固すぎるのはオタクだからかまだ緊張してるからなのか…
名前も出ない(出てないよね?)ほどのキャラなのに噂好き特性つけてそれをストーリーに組み込んでるのすげえなあ
太ったじゃん!!!え?TV版やせたままだったよね?あれ???わたしたちの本田さんが返ってきてくれた!!!ありがとう!!!
ムサニ努めてた時と違ってすっげ~幸せそうで(若干うざがらみで)よかったね~~~となった。ケーキおいしそうだった…。どこでそのスキル手に入れたんだ?すげえよ。コラボカフェで本田さんのケーキ屋さんのモンブラン出して。
社長…。それでよかったんすか?私経営のことはなんにもわかんないけど…社長が退いてムサニはよくなるんすか…?社長はいいんですか?ムサニやめちゃっても…!
描かれてない4年間が重たすぎて、2019年現在の状況から察するには「どうしてその状況になっちゃったんだ!」とか「それを判断したときどういう気持ちだったのかを見せてよ!」みたいなのがほんとに多いんですが(たとえばえまちゃんがムサニ辞めるときとかさ…アニメーターの方々はどういう順番で辞めて誰が見送ってそのたびどんな雰囲気になったのかとかさ…)他のメンバーはムサニやめても同業行ってるなかで社長だけは異業種だから特にさあ…。なんかTV版であったっけ?「社長のカレーマジうまくて店出せますよ!」みたいなの…。でもにしてもさあ…。こじゃれた店出しちゃって…。社長も昔は熱意を持ってアニメ制作の最前線にいたわけじゃん。どういう気持ちで辞めたんだろうなあ…。今TV版見返したら死んじゃいそうだよ私。社長のアニメ人生がこんな形で終わっちゃうなんて…でも人生って案外こんなものなのかもなあ。
またお父さんが何かあったの!?それともアニメ業界やめちゃったの…?TV版に比べるとかなり出番少なかったなあ…。
今回舞茸さんがストーリーかなり苦しんでましたね。アニメでは監督に助言したり先生的な役割しか見えてこなかったからすっごい人間らしくてよかったです。「師匠じゃなくて、商売敵だ」っていうセリフ今回苦しんでたのを助けてもらったからこその台詞でよかった。
宮森は今後どうなってくんだろうなあ…。なんかTVのときから感じていたんだけど5人の中で唯一創作でアニメに関わってないキャラなので、当然「人集めが好きだから制作やってます!」ってわけじゃないじゃないですか。映画でもアニメが好き、アニメを作る人が好き!って言っていて、その理由でその仕事するのよくわかんないなあとずっと思ってたんですが、映画のラストを3週間で変更するってなったときに宮森が一番熱意あったのを見てアニメーターの人たちの頭の中にある一番いい状態のアニメをこの世に生み出したい、そのための環境作り(人集めとか)を一生懸命やりたい!って感じなのかなと思った。
ラストのホワイトボードにいろいろ書いてあったの見ると(一瞬すぎて全然わからんかったけど多分作品名が4個くらい)、今までは使いっぱしりみたいな感じだったけどこれからは宮森手動で企画を動かしたりしていくのかなあ。
アニメから4年経っての劇場版だったわけですが、また4年後にみんながどうなってるのか会ってみたいなと思いました。無理かな~無理だよな~でもこれでお別れだなんてさみしいよ!!!!
アニメ最終回のときもさみしかったけどあのときはまあまだ劇場版とかもできるかもだしな~って思えてたけど劇場版2回目とか2クール目とかはなんかもうなさそうなかんじがするじゃん…かなしい…さみしい…
昔は女性器のことをホトと呼んだそうです。古事記では秀処という漢字を当てています。くぼんだ土地にホトとついているのは、それが語源だとされることもあるそうです。東海道の保土ヶ谷も、そうした説があります。
それはそれで構わないのですが、仏ということばは「ホト」に「ケ」で陰毛という意味になってしまうのではないでしょうか。大変罰当たりで申し訳がないのですが、仏教を受容した飛鳥時代の日本人は、どうして「ブッダ」を「ほとけ」と訳したのでしょうか。
「ブッダ」と「ほとけ」は音が似ていなくもない気がするのですが、当時の日本人は、「ほとけ」という言葉を聞いて、淫猥な意味に聞こえなかったのでしょうか。上代特殊仮名遣いか何かで、別の音だったのでしょうか。
たいそう罰当たりで恐縮なのですが、仏教や古代日本語に詳しい方に、お尋ねしたく思います。
本当に下品で罰当たりでごめんなさい。でも気になっているんです。
いや、わりとそう思ってます。
建築会社に存在意義があるには明らかだと思います。サービス業なども同様です。
ただ、そのための土地を提供するのは企業や仲介業者じゃないといけないのでしょうか?
国有化された土地であれば、地代によって損得が発生することも、貧富の差もここまで拡大していなかったのではないかと考えてしまいます。
少なくとも今の段階で不動産業界に身を置く、そしてコレから志望する人の気がしれない。
彼らの経済性ってものすごく曖昧で、自分たち社会的意義を信じ込んでる部分の方が大きくね?
土地転がし頑張っても国力の底上げには繋がらないじゃんって思っちゃう。
都市開発なんかも、地主が自分の土地って認識のもとで進めてた戦前の方が、景観に配慮されていただろうし、少なくとも今の看板広告だらけの国道なんかは存在しなかったと思う。
再開発するにしても企業主導じゃヨーロッパみたいな統一感のある街なんかにはきっとならないじゃん。
こんなにごちゃごちゃした街並みも、田んぼの中にポツンと佇む高層マンションも、不動産業界に身をおく人間のせいじゃんと思う。
いくらカネ払がよくても、そんなケチのついたカネをもらって嬉しい人間は心を持ってないよ、目を覚ましてくれ。
言いたいことはコレだけ。
そして有識者は頼むからぼくに不動産業界の存在意義を教えてくれ。
追記:
反応が貰えて驚いてます。
理想、目指す先が分からないとのブコメがありましたが、辿っていくと農地利用の話に繋がります。
日本の農地集約が進まない理由、一部を除き景観を全く無視した農村が存在する理由などを大手デベロッパーと行政との思惑のすれ違いに擦りつけた形です。
日本は国が税金を徴収して各都道府県に配分すると云いますが、欧州なんかは税金を都道府県が徴収して余剰を国に収めていると聞きます。
国だけでなく各自治体が発言力を取り戻すことが、統率の取れた都市開発や、国政や官僚の質の維持には必要なんじゃないかなんて思います。
そのためにも行政とデベロッパーとの歪んだ力関係が存在するなら、どうにかしなきゃいけないんじゃないのか。
なんでこんな関係が温存されているのか。
そう考えたら業界への不満が募って、愚痴を吐きに来た次第です。
ひょっとして自治体が情けないのか...?
でも国が不動産問題を温存してる限り自治体が力を取り戻すのはとっても難しい気がします...。
追記②
業界の問題でなく、統一規制を設けない行政の問題って指摘があったけど、なんでもかんでも権力が介入して解決すればいいのか?
企業は利潤最大化が第一だから問題ないって、経済学を引き合いに出す奴もいるけど、そんな経済学おかしいだろ。
経済学が価格が存在しないものを考慮できてないだけで、自分がどう思うとかは全くなくて、既存の尺度でしか物事を見れてない貧しい人間じゃないかと勘繰ってしまう。
個人的には、これは女サイド、というよりも、最初の発言者を批判してるサイドの言い分に筋が通ってないと思うんだよな。
男は、というと主語大きすぎて語弊があるけど、最初の発言者の人は、どうも女には男とは違うプロトコルがあり、気を遣うことが大事とされるらしいから、男同士でいるときよりは気を遣おう、というのを前提としてきた……っていうのはさすがに読み取れるよね?
俺もそうだよ。どうも女の付き合いというのは気遣いとかそういうのが大事らしい、と薄々知ってはいるので、男の付き合いとは違ってなるべく気を遣って異文化交流しようとしていた。
で、そこに女の側から「『女扱い』してほしいんじゃない! 普通に対等な人間として扱って! 具体的には同性の友達を扱うように!」って言ってきたわけ。
とすると「え? ほんとうに同性の友達と同じように扱ったらこうなるけど?」って言うほかないじゃん? 本当にそれを望んでいるんですか? って。
そしたら「男同士には他人を尊重する文化がないのか! 礼節を重んじる女同士と違ってなんて野蛮なんだ!」とお怒りになっている。
先進国民向けにお客様待遇してあげてたら「こんな侮辱的な扱いは信じられない! ちゃんと自国民並に扱って!」と言われた発展途上国の人みたいなすれ違いはあるな。
え? お客様待遇やめてほしいの? ほんとに自国民並でいいのね? って確認しただけなのに怒られる発展途上国の人かわいそう。
そして問題は我々は発展途上国で満足しているのであり、むしろ先進国のようには振る舞えないし振る舞いたくもないから発展途上国サイコー! と思っていたりするということだ。
相手を尊重しているし自分を大事にしているからこそ、「細やかな気配りなんてするのめんどくさいし、相手もそれは同じだろうから、俺とお前のあいだでは最低限の気配りしかしないってことにしといた方がお互い楽。なんか追加で気配りしてほしいこと(疲れたから歩く速度を緩めてほしいとか、ソファ席に座りたいとか、えらいことしたから褒めてほしいとか、そういう)があったら自分から言えよ、俺も自分で言うから」って態度になるんだよな。
「相手が不愉快にならないようにお互い細やかに気配りしよう」とは真逆の理屈だが、それでもこれは配慮のひとつの形なのだ……ということはさすがに理解してもらいたいわけだが。
それなりに配慮の上に成り立っているプロトコルを一方的に野蛮だの他人を尊重してないだの言われる筋合いはないだろ。多様性とかどこいったんだよ。
少なくとも日頃多様性だの何だのと言っていた女の論客のかなりの割合が一方的に男のプロトコルを野蛮だのと決めつけて「あなたにはもっと友達から尊重される権利がある」とか的外れなこと言ってるのは失望しかなかったよ。
いやだから相手を尊重してるから相手に余計な気遣いを要求しないし自分を可愛がってるから相手に余計な気遣いをしないってだけです……俺は友達を尊重してるし俺は友達から尊重されてます……
相手を尊重してるから丁重に扱うし自分を可愛がってるので相手から丁重に扱われることを望む、という論理とはまるっきり逆だというだけ。これはどちらが良い悪いでもない。単に同じ前提(相手を尊重したいし自分を大事にしたい)から真逆の結論が出てくる典型的な事例。相手を尊重しなくていいとは誰も思ってない。ただ尊重のありかたが違う。
南の島で裸に腰蓑で気楽に暮らしていたらヨーロッパ人の宣教師が現れて「裸に腰蓑なんて! もっと自分を大事にしてスーツとかの文明的な装いをしなさい!」って言われてる気分。そりゃあんたらの国は寒いだろうからスーツが快適なんだろうけど、こっちだと蒸して暑いだけだから嫌なんだよ、裸に腰蓑がいちばん快適なんだよ、みたいな。
いやある意味宣教師よりも悪質だな。ヨーロッパ人は整った衣服を重視してると聞くからちゃんと長ズボンを穿いていったのに、「我々を侮辱しているのか? 同胞といるときと同じ装いをしろ!」と言われたので「それって裸に腰蓑で行ってもいいってこと?」と確認を取ったらなぜか怒りだした。マジで理解不能。同胞といるときと同じ服を着ろと言ったのは自分なのに裸に腰蓑姿を見て怒りだすとか何なんだよ。
(こちら側に問題があるとすれば異文化理解の解像度が足りなかったことか。要するに長いズボンを穿いておればいいのだなと理解していたら首に細い布を巻き上掛けを羽織る必要があるとは思ってもみなかった、みたいな。それを知らずにユニクロの長袖シャツとジーンズで行ったのはまあ悪かったよ。我々裸族としては、なるべく着衣族の習慣に合わせた衣服のつもりだったのだが……)
でもって、これがホンモノの宣教師なら「まあシューキョーやってる連中は頭固いから土地ごとに違う文化があるってわかんないんだね」って諦めモードにもなれるんだけど、日頃多様性とか言ってる人たちが急速に自文化age他文化sageを始めたのは絶句するほかない。びっくりするほど自文化中心主義!
こっちは少なくともあいつらは違う文化を持ってるんだなぁという程度の知識はあったのに、なんであいつらは我々がぜんぜん異なる文化の持ち主だって気づかず今頃になって驚いてんの?
「南国人にも腰蓑は嫌だから長ズボン穿きたいって人がいるよね」という話なら、「そうだね。スーツは窮屈だから南国人みたいにラフな格好したいヨーロッパ人もいるよね」ってだけの話だから異論はないです。
「南国人と言っても色々いるだろ! 一緒にするな!」そうですね。腰蓑族である我々の村でペニスケース一丁の人を見かけたら流石にギョッとしますし、逆にお隣の村に行ったらアロハシャツを着るのは最低限だろという怒られが発生することもあるので、南国人といっても色々ですね。きっとヨーロッパ人の間でも「スーツ着るのめんどい」とか色々なグラデーションがあるんでしょうね。そこにも異論はない。
「私たちの文化ではスーツを着ている人が重んじられるんです」そうなんですね、ところ変われば色々な文化がありますね。多様性ですね。別にそこに文句はないですよ。そちらの文化ではそうなっているんですか、勉強になります。
でも「裸に腰蓑なのはおかしい」とか「スーツもまともに着ないなんて人間として尊重されてない」とか言ってきたら「余計なお世話だうるせえよ」って言わざるを得ないってだけ。だってスーツってパリッと着こなせばかっこいいことは認めるけど暑くて窮屈で着るのめんどくさいじゃん。蒸れるし。裸に腰蓑のほうがよっぽど快適だよ。
で、下手な比喩はこれくらいにしておいて、お互いのプロトコルがこうまで真逆だと、異文化交流のやり方がわからない、っていう人が一定数出てくるのは当然だと思うんですよね。
男女共通のプロトコルを新しく作りましょう、という話なら、まあ話を聞く用意はありますよ。男女双方がちょっとずつ快適さを捨てれば成り立つプロトコルってことですよね(男は他人に配慮しなくともよい快適さを諦め、女は他人から配慮される快適さを諦める)。
でもどっちかのプロトコルに統一なんて無理でしょう? 無理なことを要求するのやめよう?
どっちかに統一すべきだって主張するなら俺は女のプロトコルはおかしいから男側に統一すべきだって言うよ? 本気で言うよ? だって雑で鈍感な人間でも気楽に生きていける社会の方がいいもの。他人に配慮できない人間は針のむしろになる世界よりも、配慮してほしいことがあるなら口に出して言えよそうじゃねえとわかんねえんだからよ、っていう世界の方が絶対にいいよ。楽だよ。俺にとっては生きやすいよ。雑で適当な鈍感人間の自分が生きやすいプロトコルはこっちだよ。気遣ってほしいやつもこれで別に困らないだろ。気遣ってほしいことがあるなら言えばいいんだから。
自分が客として気持ちよく過ごすために店員にスマイル0円を強要する社会よりも、自分が労働者として快適に過ごすために無愛想な店員を我慢する社会の方がどう考えても健全だろ。
今俺はすっごい女側のプロトコルを悪し様に言ってるわけだけど、このくらいは言っていいよね? 男のプロトコルにはあれだけ雑な批判を投げつけてもポリティカリーにコレクトな界隈では許されてるみたいだし、多少雑に女のプロトコルを叩いても問題ないって理解でいいわけだよね?
女側が「それでも私たちは配慮しあってお互いに快適な環境を維持するプロトコルの方がいい」というなら、別にそれは止めません。色んなプロトコルがあっていいよね。多様性ってやつだよ。
でもそうすると、何度も言うけど、どうしたって異文化交流のやり方がわからんとか、異文化の人たちが理解不能でこわい、みたいな人たちは一定数出てくるわけ。これは双方にね(もちろん、自文化が嫌だ、あっちの文化が羨ましい、みたいな人も双方に出てくる)。
そこは受け入れよう? 「人間扱いすればいいだけ」みたいな思考停止はやめよう? 「同性と同じように扱ってほしいだけ」がトンチキな要求だって自覚しよう?
友達の前でスーツ着てネクタイ締めてナイフとフォークでフレンチ食うのが「対等で親密な付き合い」の文化圏と、友達と一緒に裸に腰蓑の格好して手掴みで肉食うのが「対等で親密な付き合い」の文化圏があって、お互いに価値基準がぜんぜん違ってるときに、「人間扱い」なんて言われたってわかるわけないじゃないですか。
スーツ民と会うためにわざわざジーンズ穿いてきた腰蓑民に「そんな格好で来るなんて我々を侮辱しているのか! 同胞と過ごすときのような格好をしろ!」って言うのがめちゃくちゃトンチンカンなのはわかるよね? むしろ異文化を尊重しようとしているのは腰蓑民の方じゃん?(失敗してるけど……)
共通のプロトコルに統一しよう、我々も手掴みで肉を食うことにする、というならまあ上半身に服を着るのもやぶさかではないけど、自分たちはスーツもナイフもフレンチも捨てないけどお前らは腰蓑も手掴みも捨ててスーツを着ろ、それが「人間扱い」だ、なんて馬鹿な理屈がありますか。異文化蔑視の自文化中心主義にもほどがある。相手を対等な人間と見做してないのはお前らの側だろ……
自分たちの快適なプロトコルを維持したいなら「人間扱い」なんてフレーズが他者には通じないことを理解してください。「人間扱い」に共通の見解を見出したいなら自分たちのプロトコルを(快適さを多少犠牲にしてでも)変える覚悟を持ってください。
異文化交流はどうしたって理解不能で不愉快なものなわけです。私も何年間か外国に住んで、現地人の友達や親しい人はたくさんできたけど、それでもやっぱりあの雰囲気には違和感がある、ていうか現地人の距離感おかしくね、みたいな感覚は残って、そこが残るってのは結局どれだけ言葉やら習慣やらを勉強したって人類共通のプロトコルなんて成立させるのはめちゃくちゃ困難だということじゃないですか。
私が行きたくて行き住みたくて住んだ国でも「やっぱりあいつらの文化にはどうも馴染めないところがある……」となるんだから、たまたま同じ社会で隣り合って生きてるだけの人たちがお互いの文化をちっとも理解できないのは仕方ないですよ。だって別に住みたくて同じ社会に住んでるんじゃなくてたまたま隣人として生まれついただけだもの。
まあその文化に馴染めないってのはお互いに仕方ないとして、異文化がそこにあることを認識しそういうものなのだと尊重する、が結局のところ第一歩なんじゃないかなぁと思いますね。
異性の文化を野蛮だの尊厳がないだのと侮蔑し「人間扱いしろ」なんて思考停止ワードをわめいてる内はそもそもスタートラインにも立ててないというか、ポリティカル・コレクトネスって知ってる? 多様性の尊重について考えてみよう! みたいな啓発講座を受講してから議論に参入してほしいとしか言いようがないですけど……
ていうかこれアレだよな、研究テーマにいちいち口出してきて自由なテーマ設定はさせないけど親身に進捗状況を尋ねてくれたり執筆を手助けしてくれたりする教授と、自由に研究テーマを選ばせてくれるけど基本放置(会いたいと言えば時間作ってはくれるし指導してくれと言えば論文添削はしてくれるんだが自分からはやらない)な教授とどっちがいいかという話だよな……ウッ頭が……
(ちゃぶ台返しすると、そら社会に出て社会人として、つまり同僚やら何やらとして知り合った相手にいきなり「仲良しの男同士のコミュニケーション」は適用しないですよ。そういう男のホモソは親しい間柄に限り、仕事上の付き合いしかない男や女には適用せず、一般社会でそれなりに丁寧な無難な扱いをしておく。それは女も同じでしょ? ただの職場の同僚にそんな細やかな察してコミュニケーション満載の女のホモソは適用しないじゃん? だからまあそれなりの相手には男女双方のホモソから離れた中立的な取り扱いをしておけばよろしいのでは……それを「人間扱い」と呼ぶのは友達を人間だと思っていないことになるのでまったく賛同しないけれども……)
なくて悲しい
賃貸は持ってのほか、私有地持ってても固定資産税とか取られるしどうしても「本当は国の土地なのを金払って借りてる感」が出てしまう
金とか一切払わず、その中ならマジで何をやってもいいような完全な意味でのホームがない
悲しい
民主党政権下で新築マンション購入を決め、引っ越し作業中に自民党の第二次安倍内閣が誕生した。
その一帯は関東圏ではだいぶ土地が安いので、最も坪単価の高いクラスのハウスメーカーで注文住宅を新築することに。
農地転用手続きを自力で行い、Uターン補助金の申請も行い、支出減を積み上げたものの、
手続き削減のため、住宅の売却金ではなく自己資金で全額繰上返済するべく、
自分は資金不足を補うため、NISAで持っていた株を売却した。
配偶者にも今月(引っ越し前後)は、信用取引による優待タダ取りはやめろ、
利益の出ている株は全部売れ、とにかく新居の融資実行→自宅売却(入金)の順で現金がない、
転園する子どもの制服代も現金払いで、入れすぎたスマホ決済で凌ぐしかない、と訴え、
3月に一度には決めきれないと頼み込み、洗濯機も電動アシスト自転車も2月上旬までに購入。
着工と同時に発注するハウスメーカーだったので設備の遅れもない。
iDeCoを除き、今回の株安の直撃をほとんど受けていない。ヘッジのために保有していた分は逆に値が上がった。
不況を見越して、今回はフルローン予定だった住宅ローンも頭金を少々入れた。
転園する子どもの制服はコロナ関連かどうかは不明だが入荷が遅れているそうで、
本来は必要だった現金払いは猶予された。そのおかげで何とかやりくりできた。
将来的に独立したいと思い、イメージとは離れたが、新居にはSOHO用のスペースを設けた。
癒やしのパウダールームも用意し、キッチンは最高級ランクを選んだ。
ライブやイベンドなど「コト消費」はなし? 「イエナカ消費」がブーム?
揺れ戻しは必ず発生すると思われるが、庭付き一戸建てまたは
大規模共有施設があるマンションブームが再燃しそうな勢いである。
ただ、少し心理的ストレスを感じる家に、含み益があるなら利益を得たかっただけだった。
代償は気に入った街を離れざるを得なくなった。
しかし、在宅勤務がメインになると、交通費の高い路線の人気は下がる。
まさに売り時だった。マンションの定番間取りは住みやすい反面、家で仕事ができない。
IOCやら組織委員会やら中止・延期の反対派は、ほぼお金の話しかしない
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkansports.com/olympic/tokyo2020/news/202003140000989.html
「景気が悪い」とは「お金がない」ではなく「お金が動かない」である
AがBから商品を買い、Bがその収入でまた別のCから商品を買う
たとえ買っても使わない商品を買っても
お金が使われずに燃やされたり、ひたすら死蔵されることだ
今、東京オリンピックを中止したとしても、すでに
相応の仕事をして相応の代価を受け取っている
「1の仕事に1の代価」という点では何一つ損は発生していない!!
を期待していたのだろうが、それが得られなかったとしても
「リターンを期待して投資した分のリターンが入らなくなった」は
未来における予定のプラスがなくなったのであってマイナスではない
祝祭は最初から壊すために建物を作るような消費それ自体が目的だ
文化人類学でいうところのポトラッチ(蕩尽)みたいなものではないか
という意味においては
まあまあの田舎。小学校は学年ごとに2クラスあって、中学校も同じ。ほとんど代わり映えしない顔ぶれで9年間を過ごした。
中学生のころ私たちはクラスで地味ーズなんて呼ばれていたらしい。息苦しい田舎に暮らすおたくで、クラスに馴染めなかった6人組だった。
交換日記をして、当時流行っていたFF7のイラストを描いていた。
それが救いで、何よりも楽しかった。
彼女は仲間内でいちばん絵が上手だった。飲まれるような、背景と世界観のある絵を描く子だった。
当時は田舎の中学生はパソコンどころか携帯さえ持っていなかったけれど、彼女の水彩は色鮮やかに、画用紙の上に世界を描き出した。
みんな彼女の絵が好きだった。
高校はみんな別々のところに行って、携帯を買い与えられて、そしてわたしはインターネットの広さに救われた。
東京に暮らす高校生と仲良くなった。学校帰りにサイゼリアやマックに行く生活に憧れた。彼女のようにもっと自由に生きられるかもしれないと思った。
進学校という環境の良さもあったおかげか、びくびく周りの顔色を伺って生きていた中学時代と比べて、高校を卒業するころには毎日が楽しくなっていた。
わたしは大学に進学して地元を出て、残りのみんなは地元で就職した。
その頃にはもう6人全員が集まることは少なくなっていて、たまの機会に顔を合わせてはその時に好きな作品の話をする仲だった。数年に一度会うだけだったとしても、昨日までも会っていて、明日も会うみたいな顔で話した。アラサーと呼ばれる歳になっても誰ひとり結婚しなかったし、人生の話なんてろくにしなかった。あの頃と同じようにアニメやゲームの話だけしていた。
だからずっと付き合いが続いていたわけではない、実際のところわたしは彼女とはもう数年会っていなかった。
東京で就職したわたしが地元に戻るのは盆と正月の2回だけで、その時期、田舎の家庭はなにかと忙しい。彼女とタイミングが会うことは少なく、たまに絵を描いては展示会に出していたこと、仕事で悩んでときおり転職や退職をしていたことくらいしか知らない。
まだ気持ちの整理がついていない。
彼女の訃報は、地元に残ったうちの一人から、電話で聞いた。亡くなったのだと。
どうして、と聞いた。聞いたけれど、まだ自分で言葉にするのが怖い。ただ、悩んでいたことは知っていたから、そうか、と、思った。
明後日が通夜だけど、急に来れないよね、って言ってくれた。平日。地元まで飛行機の距離。行くと言えない自分が情けなかった。
その電話を受けたときにもわたしは会社にいて、その日も23時まで働いた。親族の不幸でもない、いま抜けたら多大な迷惑がかかるのはわかっていた。
最後に一目会うことすらできない自分が情けなくて仕方なかった。そんなもんじゃないのに。
ご家族の気持ちを思うと、もし次に地元に帰ったとして、彼女に手を合わせることができるのかわからないのに。
写真で見せてもらった油絵、展示会に出した彼女の絵。彼女自身の顔よりもそちらのほうが記憶に濃い。
実家に電話して、代わりに通夜に行ってもらうことにした。母親も泣いていた。
地元の話をたくさんしたのは、あの田舎で生きるのは苦しかったのかな、って思ったから。
近所のスーパーに行けば誰かしらのお母さんに会う、名前さえ忘れかけていたような同級生の○○ちゃんが結婚したらしいよ、を親から聞かされるような土地。
あのときゲームと絵とインターネットに救われて、いまもなお生かされている。世界が広がって、ようやく呼吸ができるようになった。
彼女だってあの絵があればどこへでも行けたはずなのにと思ってしまう。こんなところで閉じてしまう必要なんかなかった。
誰かに聞いてほしいけれど、親以外にはまだ口に出して相談することができずにいる。
ネットをあまり使わなかった彼女だけど、わたしは本当は、もっとたくさんの人にあなたの絵を見てもらいたかった。
あなたがいたことをせめて書き残しておきたくて、さみしくてまだぐちゃぐちゃで何もできないけど。こうして文章にすることをどうか許してほしい。