まあまあの田舎。小学校は学年ごとに2クラスあって、中学校も同じ。ほとんど代わり映えしない顔ぶれで9年間を過ごした。
中学生のころ私たちはクラスで地味ーズなんて呼ばれていたらしい。息苦しい田舎に暮らすおたくで、クラスに馴染めなかった6人組だった。
交換日記をして、当時流行っていたFF7のイラストを描いていた。
それが救いで、何よりも楽しかった。
彼女は仲間内でいちばん絵が上手だった。飲まれるような、背景と世界観のある絵を描く子だった。
当時は田舎の中学生はパソコンどころか携帯さえ持っていなかったけれど、彼女の水彩は色鮮やかに、画用紙の上に世界を描き出した。
みんな彼女の絵が好きだった。
高校はみんな別々のところに行って、携帯を買い与えられて、そしてわたしはインターネットの広さに救われた。
東京に暮らす高校生と仲良くなった。学校帰りにサイゼリアやマックに行く生活に憧れた。彼女のようにもっと自由に生きられるかもしれないと思った。
進学校という環境の良さもあったおかげか、びくびく周りの顔色を伺って生きていた中学時代と比べて、高校を卒業するころには毎日が楽しくなっていた。
わたしは大学に進学して地元を出て、残りのみんなは地元で就職した。
その頃にはもう6人全員が集まることは少なくなっていて、たまの機会に顔を合わせてはその時に好きな作品の話をする仲だった。数年に一度会うだけだったとしても、昨日までも会っていて、明日も会うみたいな顔で話した。アラサーと呼ばれる歳になっても誰ひとり結婚しなかったし、人生の話なんてろくにしなかった。あの頃と同じようにアニメやゲームの話だけしていた。
だからずっと付き合いが続いていたわけではない、実際のところわたしは彼女とはもう数年会っていなかった。
東京で就職したわたしが地元に戻るのは盆と正月の2回だけで、その時期、田舎の家庭はなにかと忙しい。彼女とタイミングが会うことは少なく、たまに絵を描いては展示会に出していたこと、仕事で悩んでときおり転職や退職をしていたことくらいしか知らない。
まだ気持ちの整理がついていない。
彼女の訃報は、地元に残ったうちの一人から、電話で聞いた。亡くなったのだと。
どうして、と聞いた。聞いたけれど、まだ自分で言葉にするのが怖い。ただ、悩んでいたことは知っていたから、そうか、と、思った。
明後日が通夜だけど、急に来れないよね、って言ってくれた。平日。地元まで飛行機の距離。行くと言えない自分が情けなかった。
その電話を受けたときにもわたしは会社にいて、その日も23時まで働いた。親族の不幸でもない、いま抜けたら多大な迷惑がかかるのはわかっていた。
最後に一目会うことすらできない自分が情けなくて仕方なかった。そんなもんじゃないのに。
ご家族の気持ちを思うと、もし次に地元に帰ったとして、彼女に手を合わせることができるのかわからないのに。
写真で見せてもらった油絵、展示会に出した彼女の絵。彼女自身の顔よりもそちらのほうが記憶に濃い。
実家に電話して、代わりに通夜に行ってもらうことにした。母親も泣いていた。
地元の話をたくさんしたのは、あの田舎で生きるのは苦しかったのかな、って思ったから。
近所のスーパーに行けば誰かしらのお母さんに会う、名前さえ忘れかけていたような同級生の○○ちゃんが結婚したらしいよ、を親から聞かされるような土地。
あのときゲームと絵とインターネットに救われて、いまもなお生かされている。世界が広がって、ようやく呼吸ができるようになった。
彼女だってあの絵があればどこへでも行けたはずなのにと思ってしまう。こんなところで閉じてしまう必要なんかなかった。
誰かに聞いてほしいけれど、親以外にはまだ口に出して相談することができずにいる。
ネットをあまり使わなかった彼女だけど、わたしは本当は、もっとたくさんの人にあなたの絵を見てもらいたかった。
あなたがいたことをせめて書き残しておきたくて、さみしくてまだぐちゃぐちゃで何もできないけど。こうして文章にすることをどうか許してほしい。
口に出して
🙅サイゼリア 🙆サイゼリヤ
後半で急に彼女の絵は思い出せるのに顔は思い出せない、どうして? という問いから始まって、結局実在しないはずの捏造された彼女が誰なのかを探すという、虚淵玄監督作品みたいな...
クラスに馴染めないなかよし6人組ってw まあまあの勢力を誇る一大グループやんけw それ以外は、べつに
わいも田舎だからわかる