はてなキーワード: 創作物とは
というかタイトル発表された時点でフェミニストが大騒ぎして放送中止にしそう。
私女だけど創作物に対して女性を性的に消費してるとか騒ぐフェミニストにもういい加減うんざり。
異性を性的に消費してるのなんてお互い様だし、過激な描写は子どもの目に入らないような媒体で公開しましょうってだけでいいのではないかと思う。
ゾーニングしてくれと言ってるだけだよ
はてなで「フェミ」「お気持ち」呼ばわりされてる人を鍵垢も含め何人かフォローしてるが誰も完全になくせ、規制しろ、とは言ってない
規制派で間違ってねーじゃん
あるカルチャーを「お前は一生陰に隠れてろ」というのが「規制」でなくて何なんですかね?
時代にそぐわない表現、誰かを何かに閉じ込めるステレオタイプ(例えば昨今増えている「引きこもりや障害者やキモカネは人を殺しかねない」という風潮は、例え創作物でも嫌だろ?)、公的な場での自治体などが使うキャラクターの表現はどこまでエロに寄せていいかを考えよう、とは言っている
自分と他人の区別をつけろ。「時代にそぐわない」とかもお前の主観でしかないから。
お前が「アウト」と思おうが、法が許してる時点で「セーフ」なんだよ
文句言われただけですぐ取り下げる会社や自治体も、「こういう意図がありました、続けます」で続けりゃいいのに何を叱られてるのかわからないうちに取り下げるからバカ
取り下げるまで殴り続けておいて、「取り下げるから馬鹿」とは恐れ入るわ
フェミニストはこの表現ヤバいよ、と言ってるだけで、それに対象の会社なり自治体が勝手になんも考えずに取り下げるのもおかしい
「ヤバいよ」と言ってるだけ?嘘つけ。集団攻撃、業務妨害。なんでもありじゃねーか。
知らないとでも思ってるのか?
お前等が撤回させた表現の陰で人生にダメージを受けた人間がいないとでも思ってるのか?
できねーよ。
人権の意味も知らず「人権」を振りかざして人権を奪う君たちです。
言ったが。
ゾーニングしてくれと言ってるだけだよ
はてなで「フェミ」「お気持ち」呼ばわりされてる人を鍵垢も含め何人かフォローしてるが誰も完全になくせ、規制しろ、とは言ってない
時代にそぐわない表現、誰かを何かに閉じ込めるステレオタイプ(例えば昨今増えている「引きこもりや障害者やキモカネは人を殺しかねない」という風潮は、例え創作物でも嫌だろ?)、公的な場での自治体などが使うキャラクターの表現はどこまでエロに寄せていいかを考えよう、とは言っている
オタク視点だとエロに見えないものでもそうでない人間にはアウトなゾーンとかあるし
文句言われただけですぐ取り下げる会社や自治体も、「こういう意図がありました、続けます」で続けりゃいいのに何を叱られてるのかわからないうちに取り下げるからバカ
そもそも文句言うフェミニスト(認定された人たち)が敵じゃなくて、ガチの敵は政府や出版社、流通なんだけどな
フェミニストはこの表現ヤバいよ、と言ってるだけで、それに対象の会社なり自治体が勝手になんも考えずに取り下げるのもおかしい
皆さんは『コブクロ』というデュオをご存知だろうか?「ゆず」と区別のつかない人、身長差がある方です。
今やその名をインターネットで検索すれば焼肉の部位よりも上位にヒットするようになった彼らは、2001年に『YELL〜エール〜』でメジャーデビュー。2007年に日本レコード大賞を受賞した『蕾(つぼみ)』や、卒業ソングとして知られるようになった『桜』も耳に馴染みがあるのではなかろうか。
「卒業式で歌った!」という方、羨ましい。
「ゆったりした応援ソングばかりのイメージ」という方、間違ってはいない。ロックな曲も多いがヒットするのはバラードばかりなのが歯痒い。
「ゆずと区別がつかない」という方、わかる。私も区別がつかない歌手は山ほどいる。
「自分は歌が上手いと思っているおっさんが部下を連れたカラオケで得意げに歌う歌手」という方も、まあそういう人が周りにいるのだろうから間違ってはいない。
「正直一時期流行りすぎて聞き飽きた、歌詞がサムくて胸焼けがした」と感じている人もいるかもしれない。コブクロの歌詞は綺麗事が多いから、そういうのがアレルギーな人もいるだろう。ただこれに関しては、小渕さん(小さい方。詞曲とギターを担当する)が「自分が落ち込んでる時に言われたい言葉を書いている」と言っていたので、そういう側面が大きい。ちなみに私は綺麗事や理想論を貫くタイプの創作物が大好きな人間だ。
「スキマスイッチ?」、豆知識だがコブクロとスキマスイッチはかなり仲良しだ。
「ゆず?」、違う。大先輩。
はてな語で書いているので前置きが長くなったが、本題は「コブクロの人生がほぼ漫画」という話だ。
ことわっておくと私はヤバいレベルのアニメオタクだ。ツイッター廃人で、ソシャゲに課金しまくり、dアニで毎日ホビアニを観て泣いている。同人誌も出している。家にはたくさんの漫画や小説がある。舞台も観に行く。映画もドラマも好きだ。
つまるところ「人の作った物語」が好きなのだ。人の作った物語には「テーマ」や「意図」があり、それを直接台詞で、あるいは暗喩で伝えてくれる。「これはこういう意味で描かれたんだなぁ……」と思うのが好きだし、作品を観ていて「なるほどこれがこの話のテーマだったのか、これを伝えるためにここまでの本編の全てがあったのか」と分かったときの感動は凄まじい。そういう意味でホビアニはテーマが明確なので最高だ。子供でもわかるように作ってある。
と、話がまた脱線したが、『コブクロ』という物語の持つ「テーマ」を私は「パートナーシップ」だと思っている。「パートナーシップ」というものを念頭に2人を見ているとエモくてエモくて仕方がないのだ。
小渕さん(小さい方)は宮崎県の生まれで現在42歳。18歳の時に亡くなったお母さま(有名な『蕾』の母だ)と、4年前に亡くなったお父さま(この時のことを歌った『星が綺麗な夜でした』という楽曲がある)は民謡を教えており、音楽に触れて育った。BOØWYに憧れるギター少年だった。
黒田さん(大きい方)は大阪府の生まれで同じく42歳。オトンとオカンの話はライブでも頻出するのだが、所謂ベタな"大阪人"家族だ。子供の頃から背が高く、ランドセルを背負っているとおかしいからと小学校は途中からトートバッグで登校させられていたらしい。めっちゃかわいそう。
2人が出会ったのは1998年、小渕さん(小さい方)は音楽で食べていきたいという夢をとうの昔に諦め、故郷を離れ大阪堺市でサラリーマンの仕事に精を出していた。シロアリ駆除会社の営業で主任をしていたそうだ。当時21歳で……すごいな……。そして仕事の憂さ晴らしに毎週末ストリートライブをしていた。いや元気すぎるだろ。ちなみにこのサラリーマン時代の経験から「会社はクソ!!!!」みたいな曲も幾つか作っている。強すぎる。
黒田さん(大きい方)はニートの傍ら(?)堺市の銀座通り商店街でストリートライブをしていた。「大きい方ってギターとか弾けるの?」と思った方、実はあまり弾けない。ノリで弾いていた。冬は軍手をして弾いていたらしいがそれって音とか出るのだろうか。にわかには信じ難いが歌がうますぎるので許されていたのだろう。
2人は偶然にも同じ時期に同じ商店街でストリートライブをしており、双方声がデカすぎるので徐々に周りから他のストリートミュージシャンがいなくなっていった。そして交流し、互いの歌を認め合い、「オリジナル曲を作ってくれないか」と頼んだのは黒田さん(大きい方)だった。カバーしか歌っていないのは小渕さん(小さい方)も同じだったがせっかくだからと了承し、仕事の合間を縫って少しずつ歌を考えた。そうして手探りで出来た歌が『桜』だ。テーマはうっすらわかるが、歌詞のまとまりがあまりなく、フレーズごとの繋がりがフワフワと宙に浮いているような感じがするのもそういう経緯が理由だ。
黒田さんは曲を貰うと早速ストリートで歌った。小渕さんが気になって聴きに行くと、歌はめちゃくちゃ上手いが相変わらずのめッッッッちゃくちゃなギターで珠玉の名曲『桜』は歌われていた。見かねた小渕さんが「イヤイヤイヤなんじゃその演奏は!!!!!貸せやい〜!!!!」(※イメージです)とギターを奪い取り、ノリでハモって一緒に歌い上げた。すると商店街の道を塞ぐほどの観客が集まり、その後二人はコンビを結成する。『桜』の歌詞カードに「こぶちとくろだだから、『こぶくろ』」と書いて配ったのが、コブクロ誕生の由来だ。
ここから先も時間があればあるだけ語れてしまうような長い道のりがあるのだが、あまり長すぎても読んでもらえないと思うので泣く泣くカットして「パートナーシップ」の話をしよう。
オタク的なデフォルメ説明をするなら、コブクロの二人は「夢を諦めた天才と、夢を直向きに追い続けてきた天才」のユニットだ。
夢を諦めてサラリーマンをしていた作詞曲の天才が、ガツンと頭を打たれたような衝撃と共に歌の天才に出会い、「この声を世界に届けたい、この声を一番生かせる歌を書けるのは俺しかいない」と創作意欲を刺激されて再びギターを握った(一人でストリートをしていたのでギターはずっと握っていたが、これは比喩です)物語だ。
いやもうキンプリのコウジとヒロじゃん?(オタクすぐそういうこと言う) オタクこういうの好きでしょ?うたプリ1期でもハルちゃんが言ってたじゃん、「皆さんの歌を作れるのは私しかいません!」って。まさにそれ。
1998年の夏、人生を変える出会いをしたんですよ二人は。ジョジョ4部か?
今でも小渕さんは黒田さんの歌が大好きで、ライブで黒田さんの『流星』聴いて泣くんですよ。好きすぎか?普通相方の歌聴いてステージ上で泣くか?
すごいのが、小渕さんわりと「小渕さんから見た黒田さんのことだろうな……」って歌詞を書いて黒田さんに歌わせるんですよ。黒田さんどういう気持ちで歌ってんだろうな、これ……てなる。
「夢を拾った桜の下で君に出会わなければ今ここにいない」(『STAGE』より)
「子犬のようにびしょ濡れでうずくまった rainy day 心にさす傘を探し彷徨った lonely days 君の声だけがどんな雨も避けてくれたんだ
(中略)いつでも 僕らここで一つになれる 夢だけ忘れないでいたなら」(『One Song From Two Hearts』より)
「短い針が止まれば長い針も止まる 同じ痛みを分け合えることいつしか喜びに変わるから (中略)出会えてよかった」(『時の足音』より)
イメソンだ〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!(ニコイチに弱いオタクの叫び)
これらの曲以外にもコブクロはめちゃくちゃ自分たちのことを歌ってくれてるので、私オタクはコブクロのことを「二人のパートナーシップを題材にした少年漫画」と勘違いしてしまうんですよね。音楽系コンテンツみたいな。
前述したように私はテーマや作り手の伝えたいことが見えるものが好きなので、こうもはっきりそれを伝えられてしまうと大歓喜をしてしまう。先程歌詞を挙げた『時の足音』なんかは特に顕著。
「誰もが一人 一つ 一瞬 一秒 一度きり 巻き戻せない時を躊躇わず生きていける そんな出会いを探してる」
という歌詞、まじで、コブクロのことじゃん……自分がそういう出会いをできたから、こんな歌が書けるんだ……てなって泣くんですよ。
私は常々「誰か一人に向けたたった一つの強い感情が一番多くの人の心に届く」と思っていて、まあこれも実は小渕さんに気付かされたことなんですけど。
小渕さんが以前インタビューで「千人に向けて歌っても誰も振り向いてくれない。だけどたった一人に向けて歌えば、千人が千通りの受け取り方をしてくれる」と仰っていたことがあって。全然違う場所だけど、映画『ボヘミアンラプソディ』でもQueenが『Bohemian Rhapsody』をレコード会社に「意味わからん」と言われた時に「意味は聴く人自身が受け取ってくれる。聴き手はみんな自分のことだと思ってこの歌を聴くんだ」みたいなことを言ってて、マジでそれ〜!!!!と思った。
コブクロNo. 1ヒット曲の『蕾』もそう。ただ一人、世界でたった一人しかいない自分の母親に向けて作った曲だからこそたくさんの人の心に届いた。うたプリの初期曲だって春歌のためだけに作ったラブソングがめちゃくちゃ私たちの胸に響くし、伏見弓弦の『ずっとそばで…』とかたった一人の愛しい人に向けてるからこそ強い力を持った曲になってる。大衆向けにぼんやり作られた歌は、やっぱりぼんやりとしたメッセージしか持てない。
そういうわけで、コブクロの曲っていうのはメッセージを伝えたい相手がたった一人であることが多い。小渕さんが自分自身に向けてのメッセージを書いてることも多い。ファンに向けて書いてる曲も。他人の歌じゃなく、自分たちの中にある物語を歌ってる。
だから私はコブクロが大好きだし、コブクロの歌を「胡散臭」と思っている人たちにこの『コブクロ』という物語のイメージソングとして聴いてみてほしいと思っている。
コブクロファンが 『桜』のことをやたら大切にするのは、この曲がヒロとコウジで例えた時の『pride』だからだ。あんスタで例えた時の『ONLY YOUR STARS』だからだ。うたプリで例えた時のオーディションソングだからだ。
二十代の女が40過ぎのおっさん達に2次元アイドルさながらのコンビ萌えをしているのもどうかと思うが、ここで語ったことはコブクロに強く心惹かれる要因うちの一つであって、黒田さんの歌の強さ、声のすごさ、トークの面白さなどなど複合的な理由で私は一生コブクロのオタクをやめられないと思うし爆音でコブクロを聴いては「歌がうめえ……歌詞がエモい……イメソンじゃん……歌うま……ここのしゃくりが最高……」と一生泣いてると思うし、これからもライブに行きまくると思うし、とりあえず大阪に移住したい。
何言っとんのか分からなくなってきたけど、とりあえず終わり。今年のツアーのオープニング映像を見て生きてる人間同士の映画のような奇跡の出会い、共に20年歩んできたパートナーシップへの尊さが爆発して書きなぐったオタクの長話でした。
がどうしても苦手で最後まで読めないんだけど、増田やブクマカはそういうのあまり気にしないよね。
例えば以下の記事。
『5,000円から始められる!? バーチャルYouTuberになるためのお金の話(マシーナリーとも子)』
https://hikakujoho.com/work/62874800012376
あと「おっさんだけど美少女っぽい声を出したい!」って人はボイスチェンジャーも必要ですね。これもいろいろあって(中略)手頃な選択肢も結構ある。予算や用途に応じていろいろ試してみるといいよ。
さて、上記のような方法で、あなたは晴れてバーチャルYouTuberとしての肉体を得ることができました。各々いろいろと楽しむ目的はあるだろうけど、それとは別に脳内にチラつくのは「バーチャルYouTuberって儲かるのかな!?」ってことじゃないかな。
例えば、バーチャルYouTuberになれば、自分のグッズを作って売ることもできるのよ。現に私は「BOOTH」(pixivと連携して、創作物の売買ができるサービス)で「マシーナリーとも子のキーホルダー」や「LINE STORE」で「LINEスタンプ」を作って売っています。
コロコロ変わるにしても、地の文や独り言はフランクな言葉遣い、読者に話しかける部分は丁寧語という感じで
ある程度法則にのっとって使い分けられているならまだ分かる。でも上記記事は完全に混ざっている(最後の引用箇所が顕著)。
たぶん自分は気にしすぎなのだと思う。上記記事は300以上もブクマがついているけど、
誰も文末表現の不統一について突っ込んでいない。日本語として内容が伝わればそれでよいのだ。
ただ、それまで断定形で書かれた文章が途中からですます形になると
フランクな物言いだった友人が急に「僕はこう思います」なんて言い出したら混乱しませんか。
段落単位で変化しても混乱するのに、それが2~3文単位でコロコロ変わられると読んでいてすごく引っかかるんです。
今思い出したのですが、小学校の先生が文末表現の統一に結構こだわる人でした。
その影響が少なからずあるかもしれませんね。
他に同じ人いないかな。
自分は一部の少年漫画に見られるセクハラ描写に違和感を覚えます。なぜなのか可能な限り客観的に分析してみました。
長文・乱文です。
はてな匿名ダイアリーを使うのは初めてなので、マナー違反や使い方の間違いが等あるかもしれません。
前提条件として
b 風呂を覗く・覗こうとする
男女問わず電車で痴漢に合ったことがある人はいるだろう。無理矢理体に触られたことがある人や性的ないやがらせをされた人もいると思います。そういった自分の体験を思い出す、だから嫌悪感を覚える、という流れです。
②かつ、それがギャグになっている
自分にとって一番大きいのはここだと思います。テンプレ的少年漫画のセクハラギャグの流れとしてセクハラする→殴られる→両成敗、のような流れがあります。
まず、それはギャグにしていいことなのか、と思います。相手にとって嫌だと思われる犯罪行為をして、殴られたから終わりなのか。窃盗や殺人がギャグで済まされるのだろうか?ともやもやする。いじめ・いじり的な発言やからかいについても同様。
次に、セクハラされたときに殴ることは自分には出来ない。痴漢されたときも後々面倒とか、冤罪じゃないかと言われるんじゃないか、と思い言うことが出来ない。なにより怖い。自分が少年漫画のヒロインのように滅茶苦茶に相手を殴ることが出来たならまた違ったかもしれないが、少なくとも今は無理だ。大体犯罪者だからって殴っていいのかって話だし。
いわゆる徹底した「悪」として描かれている敵が行うものならそれは魅力になりうるものかもしれません。
が、一般的に主人公や主人公サイド(読者が感情移入する側)がセクハラを行うのは違和感を持たずにはいられない。
あと、その描写がなくても作品の魅力を損ねないのでは、と感じるものも多い。もったいないなあ、と思う。
ファンになったかもしれない人やその親がセクハラ描写で読むのをやめたり、読ませないようにするのは作者にとっても損が大きいように思える。あるいは意図的に読者を選別しているのかもしれないが……。
大体これで説明できるが、思い付く反論に対しての自分の意見も合わせて述べておく。
それは読者一人一人が決めることです。あなたに命令される筋合はありません。
反論② 少年漫画は暴力で解決したり人殺ししてる、セクハラぐらいなんだ
また、セクハラはしたいと思った人間としたいと思われた人間がいたら成立するが、少年漫画の暴力は様々な力(魔法でも異能でもなんでも)や現実の世界には存在しない何かがあり、攻撃してきたり主人公サイドにとって理不尽と感じる敵が存在する、という前提のもとに暴力や殺人がある場合が多いと思います。
さらに言えば悲しいことに自分にとって性被害は身近なものですが、有り難いことに暴力や殺人は身近なものではないことも関係していると思います。
つまり、漫画世界の暴力的解決と現実世界の暴力的解決の文法には差を感じかつますが、漫画世界のセクハラと現実世界のセクハラの文法には違いをあまり感じません。だからこそギャグになることに違和感があります。
あと人を殺さないスポーツ漫画にもセクハラのシーンはあります。
また、自分は表現を規制しよう、したい、と考えてはいませんし、セクハラ描写そのものというよりはその前後の文脈があまりにもおかしいものが多いと感じています。
読む人が読者なのであって、全ての描写を楽しめる人だけが読者ではないと思います。
好きな漫画だからこそ違和感があるのです。真に勝手ながら、友人に堂々と薦められる漫画であって欲しいのです。
いくつか有名な作品を挙げさせていただきます。作品を貶めるつもりはありません。ご了承下さい。
ワールドトリガー※、七つの大罪、名探偵コナン、マギ、シティハンター
※アニメ版にて削除
勿論漫画は創作物でありフィクションです。それでも気になる点があり、それを指摘しているだけです。
急なご都合展開や設定の矛盾や引き延ばしが気になる人がいるように、自分はセクハラ描写が気になります。
反論⑦ 少女漫画にもあるよね、BL漫画にもあるよね、百合漫画にもあるよね
少女漫画にも無理矢理キスする、などの描写があります。自分は今まで無理矢理キスするようなセクハラ自体は少女漫画で見たことがあり、キャラの感性や行動に現実味を感じないことはあってもそれがギャグになっているところは見たことがありません。なので自分の感性ではそれはちょっと非現実的な描写、漫画的表現だな、で終わります。勿論流せない人もいると思いますが。
少女漫画にもセクハラをギャグとする描写があると思いますし、同じように嫌悪感を抱きますが、何分見たことがないので範囲をいたずらに広げたくなかったのです。
あなたの意見や感性を否定するつもりはありません。ご了承下さい。
多くの読者が望んでいるから描く、というのは正しいことなのかもしれません。それでもやはり自分には納得し難いものがあります。
まず、今からこれを書く自分のことについて述べると、私自身もロリコンでオタクだし、めんてい氏ほど技量はないがイラストを描いてもいるので、氏と似たような立ち位置だと言えるだろう。
似た立場といっても交流も何もなく、ただ、何冊か同人誌を持っているのと、時折5chで誹謗されているのを目にするため、私のほうが一方的に知っているという程度の関係だが。
さて、当初はこの件に関して特に何も述べるつもりもなかった。そもそも現時点でさえ騒動の実態を詳しく知っているとはいえない。詳しく、どころか、精々はてブやなんJのスレタイから判断できる内容しか知らない。
ロリ漫画家がtwitterで過去の性犯罪について自慢し、それを女性に批判され、漫画家を擁護する連中がその女性をフェミだのなんだのとレッテルを貼ってバッシングしたーそれで合っているだろうか?
言うなれば痴れ者どもが引くに引けなくなって無理を通そうとしているのだろう、それに対する反応なんて見なくとも予想がつく。必然ロリコン叩きにまで発展するだろうし、精神衛生上首を突っ込まないほうが良いーそう思っていた。
被害妄想と言われるだろうが、はてブはオタクやロリコンに対する風当たりが厳しいように感じる。いや、はてブこそ世の中と近くて、それ以外のSNSが寧ろ異常なのかもしれない。蓋し我々は加害意識を忘れないでいるべきだと思うので、それ自体は構わないのだが、些か理不尽に感じられる反応も多く、見るたびにげんなりさせられる。
今回の件に関しては例えば次のブコメ
id:Gl17 一部跳ね上がりをオタクで括るな的な※あるけど、そも直接擁護勢がこの種の変態披瀝芸をオタク側権利かの如く語ってるし、敵方をフェミだサヨだとやたら特定ジャンルに括って敵視してるのも彼等の方だよね
id:Gl17氏はなるほどと思われるブコメが多くしばしば参考にしているのだが、上のようなコメントを見ると悲しい気持ちになる。オタクの中の一部にすぎない擁護勢がオタク側権利を標榜したとして、そいつら以外にはとばっちりでしかないと思うのだが、果たしてオタクで括ることが妥当かどうかは考えていただきたいものだ。
事実オタク側が全員めんてい氏を擁護しているかというとそんなことはない。
クジラックス@quzilaxxx
めんていさんブルジャワ時代の話がキツ過ぎてブロックしてしまったな…
https://twitter.com/quzilaxxx/status/1128649388299915268
クジラックス@quzilaxxx
クジラックスがブロックするなんてみたいなツイート見かけたけどいや流石に嬉々として犯罪自慢する人とは1mmも関わりたくないでしょ…サシでだったら違ったのかな…ろりともだちみたいな…いやまぁとにかく知りたくなかった…シュレディンガーの犯罪者でいて欲しかった
https://twitter.com/quzilaxxx/status/1128741645199929345
韓国のオタク青年の方と最近メールをしています。いい人です。ラブ&ピースo(^ヮ^)o
韓国のメル友?曰く「『韓国人は自分達が一番優秀だと思っている』と嫌韓達は言いますが、韓国でそんなことを言う人は 환빠(ファンパ)と言う人たちです。この人たちが、すべては韓国で始まったと主張します。韓国でも苦手です。こんな一部のせいで韓国人全部があんな考えをすると誤解されます」
(続き) だそうですよ。僕は国際情勢に疎いので、こういう、生の意見を拠り所にしたいですね。あと、「韓国でレ○プはマンガでも嫌がる人が多い」とのことです。おい、大ニュースだぞ!
ごめんなさい。
一応ググったら全然情報出てこなかったけど、「ファンパ=환빠=歴史妄想者」みたいな意味らしいです。
クジラックス氏以外にもあかざわRED氏や、知るかぱかうどんですらめんてい氏に批判的なようだ。はっきり言ってそれらは当然の反応で、本当に表現の自由を守りたいのなら、無秩序になんでもかんでも認めろとダダをこねるのではなく、創作と現実とが別物であることを、建前でも示し続ける努力こそしなくてはならないからだ。ロリ関連の創作者がめんてい氏を批判しなくてはならない理由がそれである。(但し、現実に何かアクションを起こした人を創作活動から遠ざけろとは言っているわけではない)
このようにオタクやロリコンの中にも反めんていは居るし、私の周りを見てもこの件に反応を示した人がそもそもゼロだった。まあ後者の場合私が少しでもネトウヨ臭のする人とは距離を置いていることもあるのだろうが。
一方で、オタクをネトウヨや反フェミと結び付けようとする理由もわからなくはない。今回の件でもアニメアイコンが多いのだろう、どうせ。
ただそれは、ネット言論にネトウヨ的、反フェミ的なものが多く、オタクのほうがオタク以外よりもそうした本来アングラなものに触れる機会が多かったためで、オタク趣味が悪いというよりネットそのものに病巣がある気がする。従ってスマホで誰でも容易にまとめサイトにアクセスできる現在では、オタク以外もネトウヨじみてきているのではないだろうか。
そもそもチャングムを見て可愛いと思わずにカンコクガーNHKガーする連中が果たしてロリオタなんですか?ロリが優先順位で1番にならない連中を仲間だとは認められない。
オタクの多くは結局ノンポリでしかないと思うのだ。政治にも国際情勢にも本来そこまで興味はなく、面倒ごとは極力避けたい。そこまで凝り固まってもいないから多くの人がアズレンなど中華ゲーを受け入れたわけだし。逆に定見がないから、リツイートでデマが流れてきても、疑わずに漠然とネトウヨに染まっていくのだ。
そう、面倒ごとは避けたいんです。これは自分だけかもしれないが、SNS上で政治的発言をすると面倒な連中に絡まれる不安がある。実際リツイートする前に真偽確認ぐらいすべきとツイートしただけで絡まれたことがあるし。
更に言えば上でクジラックス氏などの例外を挙げたが、ネトウヨに毒された作家はやはり多い。交流関係を損ねないために、なんとなく気兼ねしてしまう、ということはあると思う。だからこそ百田を凍結もしないtwitterなんぞにしがみつくことがそもそもの害悪なわけです。
めんてい氏もtwitterではなくPawooだったらここまでの騒動にならなかったろうなと、思う。まあ、発言の場がどこであれ問題発言であったことは事実だろうから、逆に表面化して良かったのかもしれないが。ロリコンであることをひた隠しにし、常に世間からの糾弾の目を感じてきた私としては、あまりにあけすけに、現実とつながった形で自分の性癖を開陳できるということがそもそも理解できない。
結局SNSというのはオープンな場であるのに、普段はクローズドに見える、という勘違いが、あらゆる炎上沙汰の元凶なのでしょう。Pawooも下らない「政治」発言する連中が居るようだし、使い勝手も悪いので、ニジエあたりがエロ特化SNSを作ってくれればなあと切に思う。
とにかく、ロリ関連の創作に携わる人は、信頼の回復に努めるべきで、無理やりな擁護などすべきではない。めんてい氏はどんな性犯罪をしたのか知らないが、ちゃんと禊をしましょう。
最後に1点だけ。
創作物であっても女性や子供の人権を侵害している、という意見を時折目にする。この意見はオタク界隈では反発を以って受けとられるものだが、ただ、ヘイトが容認されるべきではないことを鑑みれば、頭ごなしに否定もできない。私の場合女児が好きだから描いているのであり、憎悪を向けるヘイト本の類とは違うと言いたいが、その描写が対象を貶めていないとはとても言えない。現時点で確実に言えることは、私はロリ絵を描くのが好きだし、優れたロリ作品をみるのも好きなので、規制されたら生きがいを失うということだ。だからゾーニングで手を打ってほしいのだが、どうだろうか
私もセクハラ描写を何が何でも是としているわけではありませんが、
この辺りに対する反論が雑すぎるんですよね。もう少し言語化してから出直せ、とは言わないけど、全く論理的ではないことは自覚して欲しい。ただし、論理的ではなくとも意見を述べる自由はあるし、その上で「この問題を一緒に考えて欲しい」と訴える意味はあると思う。私も「嫌だな」と思う描写はあるし、それについて以前から考えていますが、なんであれが嫌なのか私自身にもよくわからないんですよね。複雑なのは、表面的には同じような描写でも許せるものと許せないものがあること。個別に無理矢理理屈をつけることはできるけど、一般論としてまとめるのは本当に難しくてまだ成功してない。
なんか大勢の謎の勢力が類似した言説を繰り返すことによって(それが全く的外れでも)既成事実化していくのが怖い。エコーチェンバー現象って言うのかな。
あと、創作物を「現実に付随するもの」として享受することが特権化している、というのもあると思う。フィクションをありのままのフィクションとして楽しむ自由も保証されて欲しい。私は男性ですが、男性として受けるセクハラに日々苦しみ、性犯罪被害に遭ったこともあります。ですが、私はBLが好きで、作中で攻めからDVまがいの乱暴を受ける美男子に萌えます。萌えを楽しむ時にいちいち現実を持ち込まないで欲しいという気持ちはある。
私は二次専なのでミラーリングとして言わせてもらいますが、実在人物同士の現実の恋愛(およびそれを推奨する言説)を目にした時の方が、漫画の「セクハラ描写」なんかよりもよほど現実のセクハラを連想します。非言語コミュニケーションに頼りすぎでしょ、彼ら。
そういう目で見るならそもそもライターの記事自体がレベル低いんだよ
オモコロの記事をそういう高尚な創作物だと思ってるならお前の方がやべーよ
まーそうは思わないやつが増えたんだろうなぁ
ライターで人気商売とか最近の読者はレベル低いなーとかしか思わん
別にミュージシャンとかでもそうだけど創作物が良ければ私生活がどーだってかまわんと思わんのか?
まーそうは思わないやつが増えたんだろうなぁ
(この日記は、アパシー・シリーズ及び七転び八転がりの現在の状況をある程度知っている人向けの文章です。
全く知らない、という人のため解説を挟んではいますが、分かり辛い点もいくつかあるかと思います。申し訳ございません。)
タイトル「アパシー・シリーズ」とは、1995年に発売されたSFCのゲーム「学校であった怖い話(以下SFC版)」を軸に展開された作品群の事だ。
経緯が少々特殊なのだが、このシリーズは「七転び八転がり」というサークルから今もなおゲームが出続けている。
単純に考えて24年もの間、この「学校であった怖い話」という作品は応援され続けてきている。また来年迎える25周年に向けての動きも出始めているようだ。
尚実際には24年ずっと絶え間なく作品が出続けたかと言うとそうではなく、パンドラボックス(SFC版の制作会社)の経営不振等により2001年以降は休止状態であった。
その後メインシナリオライターである飯島多紀哉氏(旧飯島健男氏)がゲーム制作に復帰しアパシー・シリーズの制作が開始される。
同人ゲーム・小説・グッズ等を数年に渡り販売するも再び休止、数年後また復活……と大まかに言えばこのような流れだ。
また正確にはSFC版及びリメイク作品であるPSのゲーム「学校であった怖い話S(以下PS版)」はアパシー・シリーズには該当しない。
ここまで「学校であった怖い話」「アパシー・シリーズ」は長い間応援されてきたゲーム・シリーズである、という事を記してきたが、実は私自体の歴はそれほど長くはない。
学校であった怖い話を好きになったのはおよそ8年ほど前である。上記の流れで言うと2度目の休止時期に当たる。
最初にSFC版の存在を知り、恥ずかしながら実況動画から入った。その後SFC版をバーチャルコンソールで、PS版をゲームアーカイブスでプレイした。
後々になって「アパシー・シリーズ」もプレイし始めた。人によってはアパシー・シリーズを苦手とする事も多いが、私は夢中になった。二次創作も多少していた。
少なくとも1995年を舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。そうでない作品の中には触れていない物もあるため、その程度かと言われればその通りなのだが。
この頃既に休止状態に入ってた事もあり、アパシー・シリーズはもう更新されないだろうと思っていた。
それだけに、2014年小学館から小説「学校であった怖い話 月曜日」及びその作品群が発売された時には本当に驚いた。
更に2018年、他でもない七転び八転がりから同人ゲーム「学校であった怖い話 新生」が発売された時には非常に期待に満ちていた。
知ったときには遅かったと思っていたのに、「ゲームが次々と発売される」という流れをリアルタイムで実感することができるのだと。
上に「少なくとも1995年を舞台とした、SFC版と同じキャラクターが出てくるゲームは一通りプレイした。」と書いたが、厳密に言うとこれは僅かに誤りがある。
現在最新作に当たる「アパシー 学校であった怖い話 極(以下極)」は購入していない。その一つ前の作品である「アパシー 学校であった怖い話1995 月下美人の章 第一巻」も、購入はしたがプレイをしていない。
理由としては、極が発売される前のタイミングでジャンルを離れたからだ。
2019/5/13現在、七転び八転がりは「アプリ開発」を目的としたクラウドファウンディングを行っている。
このアプリ開発こそが、上記「25周年に向けた動き」の中で現在確認できるものである。
https://camp-fire.jp/projects/view/140712
支援額1000万円到達でアプリ開発に着手する他、そこに至るまでの区切りとしてもいくつもの企画が立てられている。
このクラウドファウンディング、またその前後のTwitterや製作者のブログに対し、既存のファン(ここでは暫定的に「学校であった怖い話及びアパシー・シリーズが好きである人」のことを指す)から疑念の声が次々と上がっていったのだ。
具体的にどういった事がありどういった声が上がったのか、明確に記す事はここでは控えさせていただきたい。その理由となる事態については以下に記載させていただく。
ファンの間で不信な声が上がり始めた頃、「問題まとめ」と題し不信だと感じられる事柄をまとめたプライベッターの記事が作成された。
現在は削除されており引用はできない。私も一読はしたものの、詳細には覚えておらず申し訳ない。
またTwitter等ではサークル代表である飯島氏及びクラウドファウンディングの苦言や暴言がちらほら見かけられた。支援しない事を勧める声や、高額なプランで支援した人への暴言も見られるようになった(ただしあくまでこれらは極一部のユーザーの発言であり、多くの人は疑念や不信の声に留まっていた)。
そういった動きに対し、飯島氏は最終的に以下のブログ記事を発表した。
http://plaza.rakuten.co.jp/iijimatakiya/diary/201904120000/?scid=we_blg_tw01
読めば分かるのだが、二次創作に関する記述については全く正しい事が書いてある。二次創作は違法であり、作者がそれを黙認していることが多い。
「学校であった怖い話」を全く知らない人がTwitterでこの記事について言及し、そのツイートには多くの反応があった(所謂「バズった」)。
多くは「当たり前だ」「筆者の言うとおりだ」「このジャンルのファンは何を考えているんだ」といった内容である。
そしてこのブログの内容通り、何人かが「弁護士を介して話をした」という発言をした。その中には上記プライベッターの記事の作成者も含まれている。
補足しておくが、この作成者はれっきとした学校であった怖い話のファンである。この事態の後、極を購入したという旨のツイートもしている。
どころか、苦言や暴言を吐いた人の殆どが学校であった怖い話を好きなファン達だ。
……ただし、これはあくまで上で脚注を加えた通りの意味での「ファン」、つまり作品自体のファンを指す。
この文章で具体例を明記しないのは、こういった事情があったからだ。
プライベッターの記事は、明確なネガティブキャンペーンが行われていた「極端な例」だったかもしれない。
しかし実際起こった事を列挙する際、当然ながらユーザー側の事態は把握できても、サークル側にどういった事情があったのか、どういった対策を取ったのかを全て把握することができない。
そのため「今回起こった問題」を私が書き連ねると、どうしてもユーザー側贔屓のバイアスがかかってしまい、サークル・代表批判と取られかねない文章となる。
今回はあくまで私が「アパシー・シリーズを追うのをやめた話」という個人的な内容の記事であるため、上記の理由により詳細は省かせていただく。
またそういった経緯があるため、現在はなかなか事態が分かりやすくまとめられている文章は見当たらない。
なお、私自身はTwitter等で暴言を吐いたり、クラウドファウンディングに対してネガティブキャンペーンを行ったりはしていない。
匿名ブログでこう言っても信憑性は無いだろうが、つまり「弁護士が怖くて離れた」という理由ではないことを主張しておきたい。
「二次創作がやりたくてゲームをプレイしていたから、その趣味が脅かされるため離れた」という理由でもない。
何故追うのをやめたかというと、「ブログの最後に『黙って去ればいい』と書いてあったから」である。
今回飯島氏がブログでこのような発言に至った理由は何故だろうか。
飯島氏の言う「自称ファンだがこちらはファンだと認められない人物」が増えすぎて、個々人に対処しきれなくなった、
もしくはそういった暴言に耐えきれなくなり強い語調のブログで拡散せずにはいられなくなった、等色々考えられるが、これらはあくまで憶測に過ぎない。
ただ結果として、この記事は「自称ファン」のみならず普通のファンの一部にも圧力を与えてしまったのではないだろうか。少なくとも自分はそうだ。
自分は正直、「学校であった怖い話」及び「アパシー・シリーズ」のことは好きだが、飯島氏に対してはそれほど良い印象を持っていない。
そもそもの考え方として「作者と作品は分けて考えられるべきであり、作品が素晴らしいからといって作者まで好きになる必要は無い」と思っていた。
勿論良い印象を持っていないからといって暴言は吐いていないし、素晴らしい作品の作者であるという点に置いては尊敬の念があった。
しかし、どうにも飯島氏の諸々の発言及び行動においては懐疑的な目を持ってしまっていたのだ。
上記ブログ記事を読んで、区切りがついた。「ならば自分は黙って去ろう」と思った。発表していた二次創作作品は全て取り下げた。
純粋に怖いと感じた。こういった思いを持っている以上、私も少なからず敵意を持たれているかもしれないと思った。
……そう思うと、私みたいな人間も「自称ファン」の一部であっただけなのかもしれない。
あの記事は、二次創作はしておらず、尚且飯島氏の事も悪く思っていない人にとっては、特に疑問を持たない当然の内容なのだから。
重ねて言うが、飯島氏の二次創作に関する主張は正しいだろう。私だって、自分のことを嫌いな人に自分の創作物を弄られたくはない。
そのため、私は深く反省した。作者に懐疑的な目を向けながら8年間、その作者の制作物で二次創作をしていたことを恥じた。
そうして私は学校であった怖い話やアパシー・シリーズから離れることにした。
しばらくはこの事を思い出してしまうため、SFC版含め過去のゲームをプレイする気も起きないだろう。
未練が無いとは言わない。未練が無かったらこんなお気持ち表明文は書かない。
気持ちを整理するため、このような文を書かせてもらった。
最後に、この日記は決して「作者に少しでもマイナスイメージがあるなら二次創作をやめろ」という主張をする物ではない。
私の場合は今回語った事態が一番のきっかけであったが、「飽きを感じ始めていた」等他の理由も少なからず存在する。
あくまで「そういう人間もいた」という自分本意の語りであって、他人に強要するものではない。
突然だけれども「何か創作したいなぁ」と思うことってありますわな。
このエントリでは「じゃあ何か創作しちゃいましょう!」ってのを語っていこうと考えています。
普段から創作しない人は「創作したい気持ちあるけどさぁ何か難しそうじゃん?」と考えがちではあると思うんですよね。
ていうか実際に友人知人からそんなようなことを言われることが結構あるんですが、そんな風に考えてる人に毎回「そんな難しいもんでもないよスマホでも出来るし」と答えてます。
「スマホでも出来る」と言うと「えっそうなの?」と前のめりになってくれることが多いんですが、日常へあまりにも自然に溶け込むようになって忘れがちですがスマホってメッチャ高機能じゃないっすか。
カメラが付いてるから写真を撮って、写真レタッチアプリでちょっと自分なりの調整を加えたら、それは立派な創作物であるわけです。
ちょっとググって写真の構図とかスマホでも上手く背景にボケを作るやり方を調べて、それっぽく撮るだけで誰でも出来てしまう。
写真の話ばかりになってしまっているけれど、例えばInstagramで映えるやり方の1つに「投稿内容のテーマを統一する」ってのがあったりするんですね。
花ばかりを撮るとか、背景色をずっと白にするとか、そういう工夫をするだけでアナタのInstagramアカウント自体が創作物になってしまう。
スマホで写真を撮るようになっていってパソコンを持っていたら最高ですよ、なんたってスマホよりも自由に"細工"を施せるようになるんですから。
有料のPhotoshopが定番ですけれども、無料のGIMPでもプロ並みの高度なことしようと思わない限りは機能十分で遊べます。
撮った写真からパスツールを使って対象物を囲んで切り抜く。レイヤーを駆使して自分オリジナルの壁紙を作るなんてのも非常に楽しいです。
スマホは動画だって撮れますから、パソコンで編集してInstagramへ載せるってのも面白いですよ。
小物を写真で撮るときに背景をオシャレにしたいと考えることって結構あると思うんです。
そんなときはホームセンターから木の板を買ってきて、木の板へ小物を置くだけで何だかオシャレな背景になります。
生の木じゃ雰囲気でないなと思ったらニスを塗るわけですが、ニスって結構色んな種類があって選ぶだけでもかなり楽しい。
オシャレさんは良くわかっていると思いますけれども、髪を染めるときって自分の肌の色を参考に髪の色を決めるじゃないですか。
肌を白く見せたいときはあまり髪の色を明るくせず、小麦色の肌を強調したい人は髪を明るくしますよね。
それと同じで撮影する小物の色に合わせた木目背景を用意するため、生の木の色をそのまま活かすクリアなニスや、白い小物ならば暗い色のニスを選択したりするわけです。
こういった工作が創作において優れている点は、工作風景を動画で撮影しておけばコレもまた創作物になるのが優れていますよね。一石二鳥みたいな。
つまりですよ?アナタがイラストを描く、アクセサリを作る、写真CGを加工するなんて風景もまた創作物になってしまうんですね。
何より創作って実行して楽しく、そして誰かに見てもらって楽しくなれる趣味なんですよ。
もちろん心無い人も居るかも知れないけれど、大半はそんな人じゃないし「楽しんでる自分に嫉妬してるんだな」くらいの気持ちでいれば、むしろ心無い人へ優しい視線を送れるようになれますよ。
「あの人の作るものは凄いなぁ」「この人みたいになりたいなぁ」と思ったから私は創作を始めたのです。
創作は実行して楽しく、誰かに見てもらって楽しく、誰かの創作を見て始めた人の創作を見て楽しいという一石二鳥どころか一石三鳥な趣味なのです。
大きな夢だけれども私の作品を見て憧れる人が出てきてくれて創作を始めてくれたら良いなと常々思ってます。
そんな連鎖が続けば世の中楽しいモノだらけになるんじゃないかと私は夢見ています。
創作はじめてみませんか?
国連の児童ポルノのガイドラインのパブコメが締め切りが3月31日であったにも関わらず、5月6日付で突然アメリカのパブコメが表示された事に関連した話。
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/CRC/Pages/DraftGuidelinesOPs.aspx
参考:OPSC Draft Guidelinesに対する各国コメント
https://beni-uo.hatenablog.com/entry/2019/04/20/101159
そこで
・州や裁判によって受け取り方が様々であり、それで漫画やラフであっても逮捕される事例が起こっている。
・実際に2018年に囚人が書いたラフによって逮捕された事やただ漫画を所持していただけ逮捕された様な事例もある。
大体こんな感じの事を返答してくれた。
またやはりその方も国連のパブコメの締め切りが終わった後に米国のパブコメを受け入れた事は興味深いらしい。
アメリカでは児童ポルノ禁止法が個人法益ではなく、社会法益化してしまっていると言う認識で良いのかな?これだと。
しかしこんな事すれば更に実在児童保護から観点が離れて、逆に児童の権利すら後退させる事態を招くと思うのだけどね。
漫画等の表現の自由の問題も関係するけども逆に創作物とわざと混ぜて規制なんかしたら児童の権利にも悪影響を与えるよ。
この法律自体実在児童保護を主目的をしているのにこれをわざと潰そうとしているのだから、後々その反動で逆に子供の権利自体衰退する様な事態を招きかねないと思うけどね。
真面目に児童保護を考えている人からすれば本気で迷惑なんじゃないか?これ。
でも彼等(宗教的な力が強すぎて)文句も言えない状況に追い込まれてそうなのも想像できるしなあ。
本当規制を推進している人達はわざと子供の権利を漫画等の表現規制を混合して考えているとしか思えないしね。
日本でも児童保護施設に予算ついていない事をずっと前から指摘され続けているにも関わらず、無視し続けているしね。
本当、300件中200件以上が61-63項(漫画等の創作物に関連する事)についての指摘だったみたいだし、日本だけならず、オーストリアも漫画やドローイングは児童ポルノではないと言うコメントをしていたし、バチカンですら、条約自体、国際的に決められたものだから、委員会が勝手に拡大解釈してはならない的な意見をだしていたので、余程国連のこの委員会に都合が悪い意見ばかりだったから、委員会がアメリカに出向いて自分達に都合の良い意見を取りに行ったのではないのかと邪推してしまうよ。
正直国連の委員会はこのアメリカのパブコメを使って圧力をかけそうで怖い。
本当、こっちの問題も本当に危険なのだけども漫画家やオタク界隈の人達は今はDL規制やらブロッキングやらの著作権問題ばかり熱を上げて、こっちには誰も興味もないみたいだしなあ。
見ている限り、土壇場になっていつも焦りだすのが彼らの習性なのかも知れないけども。
その時は大概手遅れなのにね。
これも本当に危険な問題なのだけども誰も関心がなさ過ぎて怖い。
正直胃が痛くなる事ばかりだよね。
嫌になるよ。
ぶっちゃけ、「負けられる戦い」の方が緊張感あるよね。
主人公の戦いより、脇役の戦いの方がハラハラするみたいなやつ。
負けられない戦いだと、言っちゃなんだが創作物なんだから、どんだけ苦戦しても『どうせ勝つやろ』って気分で読んでしまうけど、
『これ負けた場合でもストーリー的にアリだよな』と思うと、負ける可能性が現実味を帯びてくるから手に汗を握る。
多分、スポーツマンガの人気が根強いのも、同じ理由だと思うんだよね。
スポーツなら、負けても死なないし、負けてもドラマとして成立するから、読者は『どうせ勝つやろ』と見る事ができず、自然と主人公を応援できるが、
負けてもストーリー的にアリな戦いだからこそ、勝った時に熱いんだよ。
ガルパンとか、TV版は決勝戦も含めて「ここで負けるのもアリだな」って展開だったから緊張感と満足感が凄かったけど、
劇場版は「これストーリー的に絶対負けないだろ」って展開だったから緊張感もクソもなかった。
カイジのEカード編も、前半読んでた時は『これ負けるだろ』って感じで緊張感があった。だって鼓膜破れても死なないし。
でも途中で命がけになった途端に、『これ負けないだろ』になって緊張感がスーっと無くなって、案の定勝った。
今際の国のアリスなんかで、主人公が出て来ない戦いの方が人気あったりするのも、そういう事だと思うんだよね。
そんなわけで、何か殺意マンマンの敵出して主人公と戦い始めちゃったりするバトル物とか見ると、あー下手だわって作者に憐れを催す。
「おい殺すなよ」とか言ってくる敵の方が怖いんだって。
最近またよく同人を辞めた理由〜創作を辞めた理由〜みたいな記事をちらほら見る。
なんだ、また流行りか?定期的に見るよな?とか思うが、まぁ流れに乗って私からも一つ。
同人書く(描く)人間、ネット上でも創作物を載せる人間。匿名でメッセージを送れるツールを連携するな。
私も、匿名だからとツイッターHN有りでつらつら何千字もある感想とか送りたくない。
私はツイッター上でだいぶアッパラパーな感じで、真面目なことなどほぼ言わない。
だから、真面目くさった恋文と呼べるような感想とかめちゃくちゃ恥ずかしい。だから匿名で送れるツールというのは、とても助かる。
私のような、「自分」を隠してそう言ったメッセージを送りたい人間が多いのはわかる。
しかしだ、匿名性を生かして、マシュマロの悪意を弾くフィルターをかいくぐり、悪意を送る輩がいると、知らないのか?
もちろん知っているはずだ。それなのに、匿名を置き続けている人間。聞きたい。お前はもし、その匿名ツールで悪意を送られてきて、
大丈夫か?
もう既に結構前だが、ネット上でもそれなりに知名度がある創作者が創作の畑を発った。
感想などが貰えるのは、創作者にとって舞い上がるような事だろう。
事実、私も感想をもらってとても元気になる。描いてよかったと思える。
私は創作を止めることは、とても恐ろしい事だと思っている。
だから、その不安要素を排除するために、貰えるかもしれなかった感想を全てなかったことにしている。
匿名ツールを設置すれば、きっと倍以上の感想をもらえるだろう。
しかし、それに混じり、悪意ある言葉が綴られていたら、私は息を引きとってしまう。
話が私の話にそれてしまったが、話を戻そう。
絵、文字、物語、カップリング、話し言葉や地の文、あなた方が綴る全てのものを、
見ず知らずの顔の見えない他人に否定をされて、創作を辞めたりはしないだろうか?
自分は強いと思っているかもしれない。悪意など屁ではないかもしれない。
それでも、言葉の刃で傷をつけられて、あなたは立ち続けていられるか?
どんな言葉をかけられても、無傷でいられる鋼の精神と、それを維持し続けられる環境にいるか。
筆を折ることはない。そんな強固な意志があるのなら、匿名ツールを置けばいい。
むしろ、置いてほしい。
しかし、もし、傷がほんの少しでも付けられるかもしれないと思うのなら、
本当に送りたい感想なら、ツイッターのDMでもなんでも送るだろう。
もらえないと言うのなら、それまでだと言うことである。
それでも、捨て垢や突撃で悪意ある事を言ってくる猛者もいるかもしれない。
その場合は、刃を持って刃で制せ。
匿名に頼るな。
乙女ゲームの悪役令嬢設定もののアニメが近いみたいだけど、放送されたらやっぱり乙女ゲームへの偏見が強くなるんだろうなあ。
https://togetter.com/li/1309696
https://togetter.com/li/1345695
http://gakyusoku.blog.jp/archives/30575498.html
ここら辺読んでもアニメとして放送されることでやっぱり乙女ゲームにはテンプレとして断罪される悪役令嬢がいるってレッテルが貼られるんだろうなあ。乙女ゲームを高尚なものであると主張したいわけじゃないけど、その頃私産まれてないけどオタク=犯罪者的イメージにされそうで嫌だなと思う。
そもそも私は全ての乙女ゲームをクリアしてないし、アニメ化したことで数作プレイしたタイプの超絶ライト層なんだけど、「悪役の令嬢」ポジのいるゲームに当たったことがないんだよね。例えば何度もアニメ化されて世間的知名度も高そうなうたプリも途中(リピート〜先輩方を攻略できるオールスター)までしかやってないけど、親友の女キャラはいても純粋な悪役はいなかったと記憶している。学園の規則としての恋愛禁止や家の事情といったものに対し、攻略対象キャラと主人公がどう対処するかがそのルートを盛り上げる鍵になると当時思ったな。
女キャラかつ悪役で個人的に忘れられないのが、某吸血鬼乙女ゲームの三つ子の母親かな。うたプリでも家庭事情によるものとして親が壁となることはあれど、彼女は本当にヒロインにとっての悪役だった。それでも親であり同世代じゃない。
他にプレイ経験のある乙女ゲームだとときメモGSの1、2とかに攻略対象者によっては恋のライバルとなる女キャラ(プレイヤーが勝つと女キャラとの友情が壊れる)もいた。彼女達は特定の男キャラが好きであるとそれぞれ設定してあって、その特定の男キャラを攻略しようとしない限り親友として卒業するエンドもある。ストーリーのスパイスたるライバルとしてのキャラはいても、最終的には仲良くなったりとなろうテンプレの破滅状態(国外追放・処刑とか)って知らない。某作画がやばいクソアニメの原作ルートに出てくる攻略対象キャラの元カノとか上記の棘の中で悪役令嬢かもしれないと挙げられてるけど、あのルートをクリアして過去のしがらみからの解放として結果的にキャラから離れていったと思った。あと別に令嬢じゃないし、離れたことで破滅から解放されたし。
なろうテンプレの乙女ゲームの悪役令嬢だと基本的にメインヒーローの婚約者であり、ルートによっては様々な結末を迎えるとされている。またそのキャラクターが悪役となるストーリーは必ずしもメインヒーローのルートという訳ではない。複数人いる攻略対象者のどのルートでも悪役令嬢であると位置づけられているキャラクターも多い。
正直これまでプレイしたゲームの中で元から恋人・婚約者がいるにも関わらず攻略対象者に登場時から位置づけられたキャラというのを個人的には知らない。登場時に彼女がいるけど、追加攻略対象となったキャラクターは数少ない所持している乙女ゲームの中には存在はする。けれど主人公が結果的に掠奪するというのに対しどうしても嫌悪感を覚え、ずっとプレイできていない。ネットで感想を漁っても、いいカップル(長年交際の上関係良好かつ男キャラが退職した際も支えたなど作中で言われている)を主体的に壊すことへの忌避感は感じた。
個人的には掠奪は道徳的に許されないことであると考える。だからこそ掠奪は批難されるし、作中では瑕疵のない限り悪役が行う行為である。DVを受けている人妻を夫から掠奪するというのは批難に値しないと考える人でも、何の瑕疵もない夫から妻を掠奪することは批判するのではないだろうか。だからこそ乙女ゲームというジャンルにおいては、現在進行形で恋人・妻がいるキャラは攻略対象になり得ないと考えるユーザーが多いのではないだろうか。なろう悪役令嬢は婚約者だが、「双方合意の上で円満に婚約を破棄したい」と考える婚約者設定のキャラは乙女ゲームにも存在する。うたプリファンディスクではとあるキャラに婚約者がいるけれど、そうした婚約破棄に好意的だった。故に掠奪にはならなかった。
一方のなろう悪役令嬢ものは主人公に世間的にも瑕疵がなくとも突然婚約破棄を告げられるというもの、悪行を押し付けられて婚約破棄に至るものなど様々だ。これではただ単なる掠奪である。乙女ゲームとして、ヒロインが愛されなくなってしまう。一番最初のうたプリのストーリーではヒロインが冒頭でただ痴漢をされるのに何もできないだったかプレイヤーにとって受け入れづらさがあった。その後復刻版として出たリピートではその要素は確かなくなっている。乙女ゲームにおいて攻略対象者が魅力的であるのは当然のこと、ヒロインにも魅力がなければストーリーとして面白さが出ない。乙女ゲームのヒロイン=天然はわわ系女子というイメージがある人は乙女ゲーム未プレイの中にはいると思う。それでもアニメ化するほど人気の出た作品はヒロインにも魅力があるのだ。なろうテンプレ乙女ゲームが有象無象のアニメ化など程遠い乙女ゲームと位置づけているとしても、主人公(悪役令嬢)に知識がある以上少なからずコンテンツとして面白いものだった筈だ。声優・イラストで釣った糞ゲーという設定にしても、ストーリーを覚えられるのだ。少なからずヒロインに感情は揺れ動いただろう。攻略対象者の暴走としても主人公に掠奪をさせるように制作側はストーリーを練っていないだろう。いくら攻略対象者の魅力で補おうとしても、ヒロイン(フィルター)が糞であれば攻略対象者の魅力などわかりようがない。
だからこそ婚約→(場合によっては無実の罪で)婚約破棄→破滅というなろうテンプレ乙女ゲームはともかく、「よくあるテンプレ乙女ゲームです」「作者は乙女ゲームをしたことがありません」という言葉を免罪符に使うのは個人的には好きではない。原作やアニメなどといった原点を知らずに二次創作することと同じように思ってしまう。本当に好きなものに勝手に雑なラベリングをされて、貶される経験のある方なら多少は理解してもらえるだろうか。
なろうテンプレ悪役令嬢は概要だけだと只の嫌われ夢という意見を見て、個人的には目から鱗だった。嫌われ夢を好まず、悪役令嬢ものを好む人がいたとすれば、そっちだって勝手にラベリングしていると言われるかもしれない。世にある全ての乙女ゲームを全クリするより、悪役令嬢もの小説を読む方が金銭的負担も含めた労力は少ないだろう。だから強く主張はできない。悪役だからって救われてはならない道理はないとの理念に基づいたアナ雪が大ヒットした以上、現代社会では一般的な感情なのだろう。
よく知らない分野では、本当のことよりも世間のイメージに基づいたイメージになる経験はあるだろう。なろうテンプレ乙女ゲーム悪役令嬢を好む人にとっての実際の乙女ゲームへの関心度は高くなく、なろうテンプレとしても渦巻く謎の概念としての乙女ゲームへのイメージによるものしかないのかもしれない。なろう=俺TUEEE、強くてニューゲームといったなろう小説への偏見は実情と違わず偏在することからしてもたぶんどうにもならないことなのかもしれない。なろう系と称されるストーリーはあれど、概念であってそのなろう系テンプレしかないストーリーはないだろう。おそらく。
だから長々と書いたけれどこれは乙女ゲームが単なるテンプレとされ食い荒らされていくことへの個人的な嘆きなのです。ボルテージさんとか一応スマホ用の無料乙女ゲームはあるので、そこら辺からでもほんのちょっとはプレイを考えてもらいたいななんて思うのでした。個人的にはボルテージさんみたいな完全スマホ発のだとcmみたり、課金したりしてコーディネートをなんとかしないとか一気に読めないのは怠いとせっかちな人は思ってしまうかもしれないので、そういう人はコンシューマの方がおススメかもしれない。人気あってちゃんとストーリーも面白いのだとアニメ化もしてるので、そういうところから乙女ゲームというジャンルに目を向けてくれると嬉しいなあ。
悪役令嬢ものがアニメ化して、たぶん地上波放映されるのなら乙女ゲームへのイメージが悪役令嬢もののテンプレで固まってしまって、これ以上どうしようもなくなってしまう。誰も傷つけない創作物が不可能なように、乙女ゲームテンプレでちょっともやっとするかなりマイノリティの戯言だけど、斜陽産業たる乙女ゲームを勝手に踏み荒らされたくないなあなんて思うのでした。マイネリーベとかいう悪役令嬢が登場する乙女ゲームの存在は当時一桁だし知らなかったけど、その一例だけで悪役令嬢が乙女ゲームの概念になるのは悲しいな。
ポリコレって、絶対的な正義とか真善美とかそういう対象そのものの是非(つまり創作物の中身)を問うてないでしょ。むしろゾーニングやレイティングがきちんと成されている限りどんな表現も許されてるんだから(少なくとも現代日本ではね)、ポリコレは表現を守ってくれる盾に近い。
はい嘘。
自分たちの決めた「絶対正義」に沿わない表現を「レイティング」とか「ゾーニング」という名の表現規制でジワジワと殺しに来るのがポリコレ。
表現を守る?とんでもない。
「どこでどんな表現をする」も表現の自由なんだが、それをポリコレ狂信者は意図的に無視している。
壁じゃないよ。棍棒。
壁だというなら、「壁の外側」をどんどん狭くして特定の表現を殺しにかかってるのがポリコレ狂信者。
必要だと思うなら、それは自分の内に自分だけで作るものだ。他人の人権を侵害する権利を「壁」と言えば正当化できるとでも?何様のつもりだ。
最初、何言ってんだこいつ、気持ちわりいなと思ってたけど、冷静に考えてたらこいつの言うことも一理ある気がしてきたわ。
だって、こいつ現実と創作をごっちゃにして考えるアホなんだもん。
コロコロにクジラックスが載ってたら問題になるのは、まだ分別のついてないガキが読む雑誌だからだし。
抗日ドラマが問題になるのは、創作どころか現実のこともちゃんとわかってないお隣さんがやってるから問題なんだけど。
まだ、日本に大人になっても、創作と現実の区別のつかないアホちんがいるってんだったら、規制すべきだわ、うん、危ないわ。規制しよ、規制。
いや、わかるか?多くの人間は、おまえみたいに、あ、これ、現実だったらやばいな、とか考えないんだわ、2P目の裸が1年も飾られるってとこの時点でフィックションとしての読み方に切り替えるんだわ。そっから何が起きても、フィックションだしな、で、片付けるんだわ。
君みたいなアホちんが創作物と現実をちゃんと区別できるよう教育する必要はあると思ったかな。うん、それだけでも君のレビューは価値があったよ、ありがとな、じゃあもう黙ってろよ。