はてなキーワード: 創作物とは
昨今はLGBTへの理解が進み、同性愛者が同性のパートナーとともに生きるための社会制度も作られつつある。
とても良いことだ。いままでマイノリティとされてきた人々が差別を感じずに生きることができる社会は実現されるべきだと思う。
それを前提として、私の趣味嗜好の話をする。
愛し合っているのに周りから認められない関係性、一方は思いを寄せているのに一方からしたら恋愛対象ではない関係性、恋人になれないなら一番の親友になるという関係性、そんな関係性が好きだ。
そしてこれらの関係性が含まれている可能性が高いジャンルが、BLである。
同性愛がマイノリティとされていた時代、認められないでいた時代に作られた物語ではこれらの関係性をBLの中にすぐに見つけることができた。
さて、ここで前提の話をもう一度出すが、昨今は性や恋愛の多様性を受け入れる社会になりつつある。
つまり段々と「同性愛は認められない」という概念が無くなっている。
社会全体の思想はやがて創作物の世界観、登場人物の思想にも反映されていく。
そして、いつかBL作品も現代の恋愛作品(現代で異性愛を描いている作品)のようなテイストのものが増えていくことになるのではないか。
時代の変化が起こるのは当然のことであり、その変化に伴って創作物が変わるのも当然のことである。これは止めるべき流れではない。
ただただ、私の嗜好が世の中に置いていかれるだけ。
https://news.infoseek.co.jp/article/190726jijiX536/
本気で呆れる。
本当に選挙が終わって自民圧勝したか否やで速攻で知財の連中は大暴れして強行しようとブロッキング及びDL規制をねじ込む事に躍起になってんだな。
これツイッター等でこれに出た人の反応を見る限り、急遽会議を予定にねじ込んで押し進めようとしているみたいだし、かなり強引に進めようとしているのが見て取れる。
しかも前回の通常国会で一般人はおろか漫画家等の当事者から反対が出て、自民の部会で凍結されたのもあってか、今回、竹宮惠子さんや福井健策さん等の反対及び慎重側の人間が外されて、諸悪の根源である川上量生氏や林いずみ氏が重任とか余りにもふざけた事になってる。
マジでこの会議自体メンバーが規制を強行しようとしている人間しかいなくなってるんじゃないのか?
本当、中身や発言者の名前を知らせないルールを作ったりとかなりこいつら横暴した上で、好き勝手進めている時点で、ただでさえおかしな事になっているのに今回、カワンゴみたいな人間ばかりで固めて、いきなりねじ込んで会議で進めたとなれば、普通に国民はおろか有識者や議員からも反発出ると思うがな。
確かに国の小委員会みたいなものって出来レースでふざけたものも多いけど、昨今の知財ほどふざけているものはないと思うわ。
見所は自民がどう反応するかだろうね。
これでDL規制やブロッキングを押し進めたらやっぱり選挙対策だったと言われるし、山田太郎議員に入れた54万票は離れるのは必然だと思うし、まともな対応したら普通に自民と言う政党自体を見直す事になると思うわ。
一般人所か普通御用学者であるはずの委員会のメンバーや漫画家等の権利者からも問題点が指摘されまくって、挙句自民の議員にも指摘されて、部会で凍結された経緯があるのにこれを普通にだす知財の神経と頭マジでおかしいと思うよ。
漫画村の件から潰す事が出来て、身柄確保までされたのにブロッキング進めようとしているのはブロッキング自体が目的化していないか?って大学教授にも言われてるしな、今回。
もはや海賊版対策と言うのはお題目に過ぎないと今回知財自身の行動が証明している様なもんだ。
本当、少し前にブロッキングに酷似した規制である、総務省のアクセス警告方式だって問題点が指摘されて、否定されたばかりなのにこれって本当の意味で知財のメンバーって頭おかしいし、世間の空気すら読めず、学習能力も欠如している上、子供よりも性質の悪い駄々をこねるどうしようもない連中だと思うわ。
これ、海賊版対策とは名ばかりで本質や主目的は別の所にあると思うわ。
普通にブロッキング進めるのは利権確保の為と言う話も見受けられるくらいだしな。
寄りにもよって議員も京アニ火災でまだ遺族の支援金や法案等の整備とかする必要があるとか言ってその対応をどうしようかと言っている時期に知財の連中は今回無理やり会議ねじ込んだうえでこれだぜ?
普通、オタク界隈云々のネタを言っても京アニ火災が急務であり、京アニ火災の対策の話の方が先だろ。
本当知財の連中って単にクリエーターや創作物や著作権等を自身の思惑を押し進める為の道具としてしか考えていない節があるとこの行動を見ていても思うし、反吐が出るわ。
別に異性愛者の女でも同性愛の物語を書くことは全く問題ないだろ…同性愛者が異性愛の物語を書くのも問題ない
腐女子が『腐』であるのは、「自身の欲望を満たすため、他人の創作物を使って公式にない同性愛描写を捏造するから」だと思ってた
アニメをよく見る映画ファンなんだけど批評家が今更それ言う?ってことによく直面する。
いくら批評家が「新しい!」と言ってもそれアニメや漫画が散々やってきたことだよって思う。
あれはただのエヴァです。新しくもなんともない。同じことをしているだけ。
なんなら実写版キューティーハニーで同じことしてるけどどうせ当時「アニメ監督が…」と見てないだろう。
そしてアニメは名作と呼ばれるものがたくさん生まれていて、追いかけるのは並大抵のものではなく
もはや「佳作」レベルの過去作に関しては作品名も情報として入ってこなくなっているだろう。
確かに傑作をバンバン飛ばしているのだが、佳作も多い…というかクオリティの高さから何作っても佳作レベルにまでは持ち上げていた。
さらに時代観もあるので今ハルヒを見て面白い!新しい!と思っても現代っ子の感覚としては古い価値観のアニメである。
だから実写映画しか見てこなかった人は、最早今の感覚で何かを語ることは出来ないと昨今感じている。
君の名は。のヒットの時も「深夜アニメが映画になったもんだなぁ」という感想がアニメファンの中には多かったと思うし
なんなら「ゼロ年代エロゲ文脈」だなぁと思った人も多いかもしれない。
多分、実写しか見てこなかった批評家には新しいものとして映っているだろう。
セカイ系なんて言葉、アニメを見ていない映画評論家には理解不能だと思う。
しかし感覚としては20年前に生まれていたものがスタンダードになったと言うだけの話だ。
『天気の子』を新しいものとして捉えている批評家は、多分もう古く今の時代にはついていけてない。
白状すると、ツイッターで古いタイプの評論家リストを作って突っ込んだ。
例えば名探偵コナンが毎年爆発的ヒットをかましている中で、コナンのあらすじさえ知らない宇多丸さんとかは古いタイプの批評家なのだ。
(ただ彼はコナンで儲けようとして1年前はじめて読んで本を作った人をラジオに招くなど、ついて行こうとはしている。ニワカに教えてもらう程度には)
彼らは彼らで培った知識があるし、言葉の切れ味も良い。消えてほしいわけでは無い。
新しい文化を受け入れなくなった時点で、きっと終わっていたのだ。
さて、これから映画クラスタ、批評家を名乗る人もいるだろう(批評家自体が時代遅れかもしれないが)。
その人たちは、アニメを追ってほしい。いや、追わざるを得ないんだと思う。
その時に流行っているアニメくらいは追って見ろとしか言えない。
アニメは見ねぇんだよとか言ってる映画監督も、そんなこと言ってるから庵野の演出に超されてしまったのだと気付かないんだろうか。
サブカルがメインカルチャーになったこと。星野源が小林さんちのメイドラゴン主題歌を真っ先にかけること。
いい加減認めたほうが良い。置いて行かれているのことに気付いてほしい。
推しが幸せになると心から祝福できる反面、推せなくなる、というカルマを背負って生まれてきました。
拙宅の作品は、拙者から見れば「ハッピーエンド」。だけれども、よそ様から見ると「メリバ」「バッドエンド」らしく、確かにそういう見方もあるな、と納得している点と、あまりに周りに「ハッピーエンドではない」と言われ続けているので、闇のオタクを自称している。生きるとか死ぬとか、そういう問題じゃなくて、恋が実るとか実らないとかそういう問題でもなくて、推しが自らの意志を貫ける点に憧れと尊敬を抱いて創作活動をしているので、そこが叶えば「ハッピーエンド」だと思っている。
さて。タイトルの件。
夏コミが近くなってきてカレンダーと睨めっこをしながら原稿に打ち込んでおりますが、先日友人と作業イプ中に「結局我々はいわゆる普通のハッピーエンド、大団円を描けない」「周りを見ていると、ハッピーエンドを信じてまっすぐに描ける人は恋人がいたり既婚者が多い」「つまり……我々は……」と急に右ストレートをくらい、そこからそんな考えがぐるぐると目の前で回ってしまっている。
そうか、拙者、もう結婚できないのか……。
言われてみると、確かにその通りである。周りの仲良い友人達の創作物は、希望や夢、それから疑う事のない愛が描かれている。どんな苦境に立たされても、登場キャラクター達の心が完全に折れることはない。一度は泥水をすするような展開になっても、ちゃんと最後はハッピーエンドだ。他方、自分の創作物は。夢を追う姿を描こうとすればハプニングやケガで第一線からは外れてしまう。恋愛事になれば「自分が選ばれる筈がない」と想いを口にすることすらない。もしくは上手く交際までいきついても、自己肯定感の低さから恋人と行き違いが起こってしまい、破綻する。(相手が幸せなら、別れても仕方ない、と身を引く展開も多い)。
そして友人達の多くは既に結婚していたり、長年連れ添っている恋人がいたりする。そしてイプ相手だった友人と拙者。揃いも揃ってバツイチである。バツがついてからというものブヒブヒと推しに貢いでいるのである。貢ぎながら、推しが苦しんでいる姿を見てまたブヒブヒ言っているのである。確かにもう結婚できそうにない。
離婚してからもそれなりに交際を申し込まれたり申し込んだりとそれなりに恋愛事から遠ざかりすぎていないと思っていたけれど、よくよく考えてみれば恋人よりも趣味や仕事を優先して結局破局しているし、そうならなくても相手を面倒に感じてしまって関係の解消を申し出てしまったりしている。思い返してみれば、完全に自分の手で幸せをぶち壊しに行っている。
これは、今こうして気づけば直せるのだろうか。
恋愛の楽しさも、相手を大切にする心も、そして同じだけ大切にしてもらえることも、どれもこれも知っているつもりだ。それなのに、あの幸せな空間を自分が遠ざけてしまっている。その事実に愕然としている。金銭面で自立していて、互いに互いの趣味を認め、四六時中一緒にいなくても良いような人と結婚したいな、と思っていたのだけれど、難しいのだろうか……。つらい。
あからさまに相互になりたがってるんだろうなって感じの挙動繰り返してくる奴マジで興冷めする
フォローアンフォロー繰り返してきたりあんまりいいねついてない昔のツイートほじくり出していいねして通知にポップアップしたりしてるやつ
お前らだよお前ら、ちゃんとチェックしてるぞ、チェックした上でお前のことフォローしてねえんだよ分かれ
結構な頻度で遭遇するけどだいたいこういうやつって創作物自体は大したことないんだよな
とにかく承認欲求が異常に強いんだなということだけは分かる
そんなもん自分のお取り巻きの中だけで満たしてりゃいいのになんで他の作り手にまでここまでうざ絡みしてくるんだろうな
何でそこまで自分に自信持ってるのか本気で理解できないし、逆にめちゃくちゃ引くんだが
こういうやつらって現実の人間関係でもこんな感じで自己アピールだけは人一倍強いタイプなのかな
ほらほらちゃんと見えてますか~?私みたいなフォローする価値のある人間に片思いされてますよ?早く相互フォローしろ!っていう態度が見え見え
トラバ元記事と現実との齟齬は既に言及されつくしているので, ぼくは別の視点から意見を述べたいと思うよ.
ぼくはトラバ元記事は, ポップカルチャーのひとつとなったアニメを理解できないおじさんかおばさんによるものだと仮定するよ. もしくは日本ホルホルを生理的に受け付けない人という可能性もあるが, "幼稚なもん"と断定しアニメをこき下ろしていることから, ここではアニメという創作物を許せない立場から出てきたものであると仮定しそれについて書くよ.
ご存知の通りかつて日本には中森明夫雑誌コラムを発端とするオタクバッシングがあった. このバッシングはマスメディア, 典型的にはテレビ・雑誌・新聞等で苛烈に行われた. この時代マスメディアは現在よりも圧倒的に強かったし流行そのものだった. そして流行とマスメディアの洗脳を強烈に受けた世代がいる. 40代以上のおじさんおばさんたちだ. オタクとして蔑まれた人々にとってその時代は地獄だったし, マスメディアに洗脳されたその元若者に言葉と物理による暴力で迫害されてきたんだ.
そして彼らは今もなお, オタクとラベルされた"自分たち"とは違う, 気持ち悪い"あいつら"がいると幻想している. ここ, はてな村でも京アニ放火被害ニュースのブコメなどでオタクヘイトを撒き散らしてる人たちがいただろう. アニメのような創作物を消費する姿には無数のバリエーションがあるのはインターネットにより可視化されているし, オタクというラベリングは現実にはもはやなんの意味もなしていない. それにも関わらず, そういったおじさんおばさんたちの洗脳が解かれる事はなかったし, 自ら行ってきたバッシングの過去と向き合う気持ちはきっと生まれないだろうし, それはきっと彼らが死ぬまで続くのだろうと思う. 彼らにとって世界は固定的なものだし変化など起きるわけがないという世界観なわけだね. なんと貧しい世界観だろう. だから若い世代はこうした言説は年寄りの妄言として無視して良いかなと思うよ. (注意:おじさん・おばさん,そして若者はこれをテーマに決して戦うことをしないでね, 戦ってもいいことなどないし, 世の中にはいろんな人がいるのだから)
おじさんより
https://anond.hatelabo.jp/20190717110227
伝えたいこと(つってもただの愚痴なんだけど)が伝わってないなと思ったんで改めて書きたいんだが、
件の画集の販売を中止にしろとか、そういうことを言いたかったわけではないんだ。
なおかつ、かなりつっこまれたけど、自分は著作権だ親告罪だとか、フェアユース法()だとかに詳しくない。
それで今後その絵師が困ったことになろうが、どんどん人気を得て発展していこうがどうでもいい。
もう一個ついでに言うと、トレス元に問題がない(自分で撮った写真だったとか、フリー写真素材、購入した素材写真集の写真とかさ)写真を
絵師が写真をトレスして描いていようが、出来上がりがいいなら別にいいんじゃない?そういう手法なんでしょ。とも思ってる。
ただ、
「他人の写真作品(=今回でいう、恐らく無許諾の写真)を、ほぼそのまま丸トレスし、
被写体の顔だけキャラにした絵を「自分の作品」とし、それが悪いことだとも思わない絵師」と
「その絵師を取り囲み、「バレなければOK」「みんなやってる」なんて都合のいい法律を挙げて絵師に吹き込むファン」
の構図に悲しくなった、というだけの愚痴だったんだがな。
あとすまんが、元の内容で書かなかったことも書く。
初音ミクの二次創作は公式でガイドラインはあるもののOKとされているので一旦「そもそも二次創作なんだが?」という話は置いてくれ。
こと初音ミクって、「CGM(消費者生成メディア)の象徴」とか言われてきてさ、
だからこそ、初音ミクを作り上げる界隈全体が、1人1人のクリエイターや作品を尊重して大切にしてきてた印象だったんだよ。
作品1つ1つが初音ミクを作り上げる要素だった。(と思ってた。)
あんまり主語を広げると怒られるな。自分はそう見えていたって話な。今回で「もう違うんだな」思ったけど。
自分の言う「クリエイター」って、音楽作る人、絵を描く人、モデリングする人文章書く人、写真撮る人、コスプレする人…
件の絵師も初音ミクが好きで初音ミクを描いてるクリエイターなわけで、
それを取り囲むファンも当然初音ミクのファンたち。中には、かなり古参のファンもいた。
それが余計に悲しくてさ。
彼らにおいては、「元の写真を撮ったクリエイター」への敬意とか、何もないじゃん。
その首をミクや他のボカロキャラにすげ替えた絵が魅力的なのって、元の写真がそれで魅力的だからなんだよ。
元の写真が素敵に、魅力的に撮られているから。わからないかな。
絵師も、元の写真がいい雰囲気だったから、キャラに置き換えて描こうと思ったんでしょ?
それを放っぽり出して、
やれ「バレなければOK」「法的には問題ありませんでした!ご心配おかけしました!」って、
写真を撮る人間として、写真というものが軽視されているのも悲しいし、
初音ミクファンとして、他人の作品をこんなに軽視しているクリエイターや初音ミクのファンがいることが悲しい。
「初音ミク」を囲む創作の連鎖の中で、誰かの創作物や作品に対しての敬意みたいなものが生まれていてほしかった。
それこそ、過去にも同じような騒動はたくさん起こってきたはずだ。
長くなってしまったけど、そういうこと。
まぁ、初音ミクに関係ないところでも、やっぱり無許諾写真をそのままほぼトレスして(画像検索で元写真が引っかかるレベルのトレスだしな)
書くところが他になくて書いた。なんせカップリング規範が強すぎるので。
こういうのを書くとまたぞろミソ野郎とかが湧いて出るんだろうなと思うので先に書いておきます。これを見て「これだから女ヲタはクソ」とか言いたい人はお呼びじゃないので帰ってください。で、自分の気持ちいいコミュニティで自分の足が誰を踏んでるのか胸に手を当てて考え抜いて、その足をどけろ。
だいぶ長いことヲタクをやっている。二次創作にもかなり前から馴染みがあるし、自分で言うのもなんだがおおよそ全ての媒体(漫画アニメ・小説・ゲーム、歴史、俳優からバンドまで)の二次創作に触れてきた。地元の公民館の会議室でやっているようなイベントからビッグサイトまで、幅広く通ってきたし、なんならときどき漫画や小説を書いて自分もイベントに出たりする。二次創作同人のコミュニティは楽しい。みんな親切だし、思いやりに溢れているし、何より自分の好きなものに対して生き生きしている。
女性で二次創作をやる人は体感9割以上が「腐女子」(ほんとはあんまりこの呼び方もしたくない)だ。もちろん女性同士や異性間のCPを扱う人もいるにはいるが、圧倒的に男性同士のCPが好きでそれをかく人が多い。まあ、扱う対象の性別については私が困難を覚える最大のポイントではないので詳細は省く。とにかく、カップリングが前提になるのがしんどいのである。
私も二次創作をする。絵もSSも書く。でもカプものはほとんど書かない。エロにはあまり興味がないし、恋愛にも同じく。原作を見たり読んだりして「いいな!」と思った設定や展開や人間関係の隙間を埋められれば満足だと思う。
でも、例えばそれを支部にアップしたりしても、カップリングのタグをつける時とつけない時とでPVやブクマ数に面白いほど差が出る。これはよく書けたなと自画自賛で思うものでも笑っちゃうほど伸びない。逆に、申し訳程度にカプっぽい描写をねじ込んでそれっぽく仕立てた、自分的には微妙な作品にはびっくりするような反応があって、「良かったです」「続き待ってます」なんてコメントまでいただけたりする(それはそれですごくありがたいのだけど)。
そっかー、内容なんてどうでもいいんだな。カプでさえあればよくて、カプじゃなきゃ意味がないんだな。
って思う。極端な話。
例えば新作とか新しいシリーズが出ると、界隈がすごく盛り上がる。私も嬉しいし、一緒にそれを楽しみたい。他の腐女子のみんなと一緒に供給を喜びたい。
でもみんなカプの話しかしない。
ツイッターのタイムラインに「〇〇×△△最高」「□□まじえろい」なんて呟きが怒涛のように流れる。え?ストーリー構成の話とか、個人としての○○の心理描写の話とか、作画とか、演出とか、伏線の話とかは?カップリングが成立するかどうかだけが問題なの?
そういう空気を知っていると、ひどい時は、人より先行して供給に触れる機会があっても「これたぶん〇〇×△△でみんな盛り上がるんだろうな…」なんて思ってその新作そのものへの気持ちがすっと冷める。
できるだけカップリング色の薄い(オールキャラギャグとか)の本を探すのだけど大体うまくいかない。基本どこかにカプを匂わせるような描写がある。〇〇×△△前提ですよーとか。しかも私はシリアスな話が好きなのに、シリアスな作風や真面目なものを探せば探すほど性描写がどぎつくなる。運良くカプっぽくない本を見つけてもほとんどの場合作者さんはあとがきやペーパーに「エロが少なくてごめんなさい;時間がなくて;」とか「次回こそは18禁で!」とか書いている。
カップリング描写・性描写が露骨であればあるほど評判がいいらしい。大量の創作物の隙間をかき分けるような気持ちでカップリング以外の創作物を探している私のようなファンはたぶん存在しないことになっている。
なんならイベントのスペース申し込みの基準自体がカップリング前提だ。『「〇〇×△△」と「△△×〇〇」を間違えないように入力してください、キャラ固定の場合は受が基準、リバの場合はその旨を必ず書くこと』なんて注意書きが懇切丁寧に書いてあっても、カップリングがない場合はオールキャラか否かくらいの選択肢しかない。どうすればいいかの説明もほぼない。
カプの取り扱いがなければスペース配置もまともにしてもらえないのかな、とか被害妄想を抱く。
まあ運営に関しては一番効率のいい方法を取るしかないんだろうけど、カップリングを「一番効率のいい方法」にしているのは結局腐女子の世界の不文律だ。
こういう話を腐女子の友達に聞いてもらうことはたぶんできない。相手は腐女子だから。
この愚痴を出すことでカプ話をやめてほしいとかは思わないし、他の人がカップリングを想像するかどうかは私が踏み込んでいい領域じゃないこともよくわかっている。けど、腐女子のみんなに、そのカプ話が決して「誰にとっても当たり前」じゃないことはせめて頭の片隅に置いておいてほしいな、と思ってしまう。
だって私は私が見たいものや話したいことや創作したいものが「当たり前」じゃないことを、毎日欠かさず、ネット上やイベントや腐女子の友達との何気ないおしゃべりで二次創作や同人のコミュニティーに向き合う瞬間ごとに、嫌になるほど思い知らされているんだ。
(以下省略)
戦争を描く創作物は面白い。だからこそ世界中いたるところで、戦争を題材にした小説が、ゲームが、マンガが、アニメが、映画が今でも多く作られている。
なぜならば戦争には創作における題材が多く含まれているからだ。英雄譚があり、仲間との絆があり、裏切りがあり、決死の作戦からの生還があり、陰謀があり、救出作戦があり、戦場で生まれる愛もある。
そして何よりも死がある。
『生と死』という題材ほど人の興味を引きつける題材はなかなか無い。戦争を題材にして生と死が扱われるのは、ケータイ小説ではやたらと恋人が病死することになり、ヴァン・ダインが「長編ミステリー小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない」と『二十則』の中で述べたのと根は一緒である。
むろん、私も軍オタの端くれとして、戦争における『ロクでもない話』の十や二十は知っている。だが一方で、そのようなロクでもない部分を含めて戦争について知るのは面白いし、ロクでもない部分を知っていてもなお戦争コンテンツは面白い。
だからファンは戦争コンテンツを楽しんでいるし、創作する側も ─意識的な無意識かは別にして─ 戦争を描きたがる人は多い。
そのような作家の“業”にある程度自覚があったのか。かのスタンレー・キューブリック(※言うまでもなくフルメタル・ジャケットの監督である)は言ったという。
今23歳の童貞ニートなんだけど、もうまともな恋愛はできそうにないしそもそもあんまり恋愛したいって感情もないんだけど、つまりこのままだと恋愛の末の脱童貞は危ういと思う。
それで自分の肉体がまだ若くて性機能が充実してる内にセックスを体験してみたいって気持ちが強い。
小説でも漫画でも映画でもゲームでも創作物の中で扱われるセックスがどういった体験なのかを知らないまま創作物を消費するのが勿体ないって気持ちが年々強くなってきた。
今度バイトすることにしたのでバイトで風俗代を稼いで風俗でセックスを体験してこようと。
だから相手を知るためにSNSで風俗嬢のアカウント検索して見てたんだけど、そしたら本当は風俗やりたくないけどお金の為に仕方なくやってるって人が割合多いな、と感じた。
だから客の愚痴とか凄いし男性に対する嫌悪感がある人も相当数いると分かった。
風俗嬢を商品視しないで人間視する為に風俗嬢の人間性を知って肉付けしようと思って風俗嬢のアカウントを見始めたら、風俗嬢達の男に対する怒りや社会への不満が手にとるように伝わってきて、もしかして風俗を利用するって性加害に近いのか?みたいな感情が渦巻き出して止まらなくなった。
僕が風俗を利用することで痴漢とか強姦に値するくらいの心的ショックを風俗嬢に与えるとしたら、それは例え性産業従事者としての風俗嬢を市場経済における商品として風俗客の立場で購入するという体裁はあれど、彼女らが一身上の都合で仕方なく風俗嬢を勤めているという場合を含めて、彼女らが風俗嬢に代替する金銭獲得の選択肢を選ばなかった動機の1つに僕ら風俗客(潜在風俗客含む)の存在が多分に寄与している以上は、これは僕は性加害者としての属性を持ち得るのでは?という疑問がある。
正直セックスしたいよ。セックス体験してみたい。でも加害性のあるセックスならしたくない。
売ってあるものを買っただけで罪はないって言う人もいると思う。ぶっちゃけ僕もそう思いたいね。
でもフィリピンのバナナ農園で労働者が搾取されてて、そのバナナが日本のスーパーの店頭に並んでるって知った後でバナナ買う時に心が揺れ動かない人の方が少ないと思う。
今そんな感じの心境なんだよね。
https://twitter.com/kazuuuuuuuus/status/1144063267855142912
暇つぶしに色々見ていたら目についたので。
なんつーか、まだこいつらこの手の手法で自分の気に入らないものを潰すツールとしてこの手の権利を利用と言うか悪用しようとしているんだな。
本当に10年か20年前ほどから手口が全く変わってなくて呆れる。
児童の権利も女性の権利も性の平等性もお前らのフリーハンドのツールじゃないぞと。
こう言うのラディカルなんたらっていうんだったっけ?
もう忘れたし、正直関わり合いになりたくもないけどね。
本当、こう言うのをみているとこの手の女性や児童等の弱者の権利を悪用して、自らの気に入らないものを潰す為のツールとして利用しようとする連中のせいで、結果この手の団体が逆に世間的には余計胡散臭い団体である様な認識を受けるんだろうなと思う。
例として、今も奴らが叩き、当時叩かれていたオタクもその印象操作のおかげで徹底的に叩かれたからな。
ただ昨今は見ていて、今では偏見こそあるが、日本では世の中に浸透した結果、この手の創作物に対してのバッシングである無理筋な屁理屈に対して反論する気風もできつつあるなとは見ていて思ったけどね。
まあ、マスメディアやこの手の極端に偏った女性団体や自称児童保護団体は今も当時の認識が抜けておらず、今だ、この手の界隈は幾らでも叩いて良いものだと思い込んでいるみたいだけど。
何も奴等の女性や児童と言う弱者の権利を悪用をする行動を見ていて、不快になるのはオタク界隈の人間だけじゃないんだけどね。
しかし見ていてこの場合の女性の権利等の性別の問題の場合の話では、それこそLGBTやフェミニズム自体が胡散臭く思われるのはこの手の関係ないものまで巻き込もうと権利の悪用を行おうとする連中のせいと言うのも一因としてあると思う。
だから日本においては女性の権利やら児童の権利やら平等を謳う団体が逆に他者の権利を差別し、その権利を振り回し、横暴を利かす団体と言う認識が世間ではある程度持たれてしまっているし、世間的な一般人の方々はこの手の人や団体に関わり合いになりたくないと言う認識を持たれてしまうのだろう。
この場合、まともに女性の権利の為に行動している人からすれば、この様な行動をする人間こそそれこそ味方の振りをした敵であり、限られた有限のリソースを無駄に奪う様な悪質な寄生虫であるとしか言えんだろうよ。
ある意味では味方の振りをして後ろから銃弾を撃つ連中よりも性質が悪いかも知れない。
正直こいつらが暴れた結果、こいつらのせいで逆に女性の権利や児童の権利自体が世間的な認識として、胡散臭いものになり、逆に世間からの信用を揺らぐ結果にも繋がりかねないだろうよ。
そしてその結果、余計に女性や児童やらのその弱者の権利関係の衰退を招く可能性もあると思うんだけどね。
まあ、こいつらは自身の欲を満たすために弱者の権利をフリーハンドのツールとして使っているんだろうから、その後は知ったこっちゃないんだろうけどさ。
しかしぶっちゃけて言えば、こいつら余計な事をして、その権利に対しての妨害行動をしていると言っても良いよこれは。
まともに活動している人から見れば迷惑以外何者でもないだろうこれは。
流石にこれで実在しない代物まで規制しろと言うのはナンセンスだよ。
本当にこの手の寄生虫のせいでまともな人は泣きを見ている事だろうよ。
ぶっちゃけて言えば児童関係だと予算足りないとか普通にあるし、この手の連中が何でも規制とか喚き散らすせいで、そっちに予算を取られ、まともな児童保護の予算がまだ確立されていない等の弊害すら出ていたりするんだわ。
まあ、日本にまともな団体とやらが存在するかもはや今では怪しいもんだが。
しかしこの手の弱者の権利を悪用し、食い物にしようとする連中程本当に性質の悪いものはないと思うよ。
本当、個人的には調子に乗りまくっているネトウヨとかも嫌いだけど、この手の俗にいうプロ市民を見るとその行動自体に怒りしか感じないわ。
表現の自由で、現実と虚構の区別はつくと言ってるけど、個人的には全くつかないと言わざるを得ない。
現実と虚構は区別がつくという理由に「物語における殺人シーンを見て殺人をする人はいない」という話が出る。
しかし、人を殺したいって、ハードルが高い。物理的ハードルが高い。ヒヨコを殺すのとはわけがちがう。
人間をうっかり殺すなんてことはかなり難しい。
人を殺したいと思いながら生きている人間自体が異常だし、教育において人を殺してはいけないというのは前提条件だ。
そもそも、人を殺すには動機が必要だ。よほど憎んでいるか、殺人という行為に興味を持つか。
現実と虚構の区別が難しい、と思う理由は、創作物語における人間の反応だ。
たとえば、悪役女優を演じる方は、日本において悪役女優ばかり演じる傾向がある。
役がハマる、というのもあるだろうが、本来、いろんな役ができてこそ俳優だろう。
ある俳優がヤクザを演じれば、どの番組に出てもヤクザにしか見えないなんて言う話もある。
極めつけは、悪役女優を演じると、あなたが嫌いだという苦情の手紙や電話を受けるという話だった。
そのキャラクターが死ぬと、たくさんの人がショックを受けたり、もしくは体調を悪くしたりする。
そのキャラクターが、生きていない存在しないにもかかわらず、だ。
そして、その漫画でも、キャラクターに誕生日が設定されている。
あと、子供向けのテレビでいえば、よくクレヨンしんちゃんが挙げられた。
あれは、真似がしやすい。
きっと、あの真似をする子供に困ったお母さんも多いだろう。
だけど、すぐに注意できるし、怒ることができる。
よほどでない限り、親のほうが影響力は上だろう。
それに、学校という場所に出れば、衆目にさらされるし、いつまでもやる行為であるとは思えない。
もっともらしい嘘は、人をだませる。現実に近い虚構だって存在するのだ。
たくさんの嘘が毎日のように拡散されている中で、それが真実か嘘か、いちいち検証しないだろう。
狼少女の話を信じている人も多いが、嘘だった、という話もあった。
そう、私たちは身近でも、たくさん騙されている。
そして、いま、やり玉に挙げられているのはアダルトビデオである。
「AV見て妊婦腹パンするやつはいない」「強姦するやつはいない」と、男性はこぞっていう。
だが、AVを見て、パイずりはやるのだという。だけど加害はしない、という。
なぜなら、AV見て腹パンする、強姦するやつで名乗りを上げるバカはまずいないからだ。
暴力をふるうことは人を殺すことよりはハードルが低く、真似しやすい。
暴力をふるう人間には、暴力をふるってはいけないという規範は存在しない。
暴力が悪いことじゃない人間に、暴力はダメだというのは非常に難しい。
そう、ここで問題になるのは、暴力がダメだという規範を持っていない人間が、件のAVを見た場合である。
少なくとも、妊婦は殴ってもいい、強姦を許される世界は存在する、と勘違いしてもおかしくないと思う。
私たちの内心は自由だ。しかし、他者への加害は秩序を乱し、他者の人権や尊厳を著しく侵害する。
AV女優たちが、何を思って、どうして、その業界にいるのかわからない。
私にはひとつ気になることがある。
一度、AV女優の集まるバラエティ番組を見たことがあるのだが、ザーメンをぶっかけられる女優が、ザーメンが本気で嫌いだと、言っていたことだ。
その本気で嫌がる表情がいいので、撮り続けるのだと監督は言った。
それでも、彼女は、AV女優をやめないのだ。理由はわからないし、ここでの問題ではない。
しかし、ザーメンをぶっかけられた時の表情が虚構ではない。現実なのである。
設定すべては嘘でも、現実がそこに横たわっている。
あれらの中には盗撮されたものも混じっている。静止画も同じだ。
それは本当に、誰かの尊厳を踏みにじられずにとられた表現なのか。
そして、彼氏彼女のような間柄でも、強姦のようなセックスをされたという女性は少なくない。
男性は、意外と他人と性の話はしないと思う。セックスするときにゴムするか、なんて、たぶん聞く人のほうが少ないんじゃないか。
自分は加害しないから表現は守られるべき、なんていうのは無責任なように感じる。
知らないこと、わからないこと、断定しようのないこと。