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2018-02-04

anond:20180204002910

近代以前の原・理系タイプ伝統工芸職人とか)の真面目な男って、そんな感じだったのかもしれない。で、昔はそれで充分、立派な男として通用してたのかもしれない。

2018-01-09

漫画アシスタントブラック待遇問題で叩かれるべきなのは誰か。

なんか、カクイシ氏の発言って、完全にプロアシスタント目線なのがモヤモヤするところ。

独立した漫画家を目指す夢追い人の目線じゃないのですねと。

良し悪しは置いておいて、「半人前の素人が、丁稚奉公しながら一人前の職人を目指す」システムってどこの業界にも当たり前のようにありますね。

伝統工芸はもちろん、芸能関係養成所とかもそうだろうし、広く捉えればこないだ問題になってた「インターン大歓迎!」とかも根っこは同じでしょ。

当然、こういうシステムが成り立つのは、「無給でもいいか技術を学ばせてほしい!」とか、「苦しい下積みを乗り越えて有名になりたい!」とか、「未経験だけど〇〇業界に入りたい!」って若者が絶えないからなわけで、実際、目指す人のいなくなった伝統工芸はどんどん衰退してるものもありますよね。

で、彼らは、とても狭き門だということをうっすらと認識した上で、それでも極々一握りの人間になろうと躍起になって努力するわけですよ。

一発逆転大成功を収めたいから。

でも当然、全員が成功を収められるはずはなく、幾多の屍の上に、ほんの一握りの目指すべき人が出来上がるんですね。

一人のスーパースターの背後には、蹴落とされていった万人の脱落者がいるんですよね。


カクイシ氏の言い分の微妙な所って、ここら辺の認識がズルい感じがするんです。

プロアシスタントで俺は食っていくんや!」ってモチベーションの人なら、労働組合みたいな言い分が合致するけど、

他者を蹴落としてでも、万人に一人の漫画家先生になりたかったんちゃうかい!」と感じちゃうんです。

2017-11-21

anond:20171121105407

たっけえ寿司屋なんかはエラそうだなんだとか言ってボコボコにされてるよな。

あと伝統工芸品とかその辺の類。

2017-10-23

中学から友達フレネミーだった話

 「フレネミー」という言葉をご存知だろうか。

アメリカ大人TVシリーズセックスアンドザティ」などにも登場し、「フレンド(友達)」と「エネミー(敵)」から作られた造語で、いわば友達の顔をしながらも実は敵である人を指す言葉だ。

かげながら悪口を言ったり、マウンティングしてくる人などを思い浮かべる人もいるだろうが、フレネミーのなかでも厄介なのが「居場所をとる」「対象と成り代わる」人たちだ。

 私は最近中学時代からの友人Aをこれを理由音信不通にした。

Aと友達であった時は、得体の知れないモヤモヤを感じながらも「私の心が狭いのかも」とあまり考えないようにしていた。

ある日「フレネミー」とい言葉を知りぐぐると、ネットにかかれた説明はまさにAそのものだった。

そして多くの人、とくに女性で悩んでいる人が多いこともビックリした。

私のように長年「なにかおかしい、でもなにがおかしいんだろう?」とモヤモヤストレスをためながら、でもどうしていいかからない人たちの少しでも助けになればと思って書こうと思う。

 初めに結論を述べるとフレネミーへの対処法は「距離をとる」というのが一番効果的だ。

穏便に済ませたい人には申し訳ないが、フレネミー普通関係を築くのはほぼ無理だと思ったほうが良い。

 Aとの付き合いは長い。中学高校と一緒で、よく遊んでいたし連絡も取り合っていた。

大学は私は東京、Aは地元大学へいき少し間疎遠になった。

ある日、中学同窓会があった。そこでAと2年ぶりに再会しまた連絡を取り合うようになった。

専攻が近いためレポート前などはお互いスカイプしながら徹夜したり、彼女東京へ遊びに来ることもあった。この頃のAは私にとって何でも話せる気の合う友人だった。

 大学卒業後、Aは地元社会人になり、私は地元にはもどらず東京フリーターをしながら資格勉強をしていた。

Aは志望していた業界が人気だからと諦め、近いけど違う業界就職した。お互い新生活に追われながらも時々連絡をとりあっていた。

私が資格をとってやっと社会人になれたのがそれから3年後の春、ある日Aから東京で改めて学生をすることにした、初上京から色々よろしくー!不安がいっぱいだー!」とラインがきた。

私は嬉しかった。中学からの友人が近くに住むぞ!と意気揚々東京で仲良くなった友人達にAを紹介しようと飲み会などをセッティングした。

 夏にAが上京しまカフェで会うことにした。

私の電車人身事故で遅延し走ってカフェへいくとAが店前で待っていた。そのとき「あれ?」と思った。

彼女が着ているスカートが私がお気に入りのものだとSNSに何回かあげているものと全く一緒だった。

でもブランド品だしかぶることだってあるかな、とその時は何も言わずそのスカートについても触れなかった。

 諦めた業界へ30歳までにもう一度挑戦したい、と専門学校へ入りなおすことを決めたA。

夢を語る彼女の姿に私も嬉しくなったが、Aがふとカフェ内のすみの方で手を握り合っているカップルに対して「あんな顔でよく人前でいちゃつけるよねー気持ち悪くない?年齢考えてって感じ!」と周りに聞こえる声で言った。

私は突然のことにビックリしたし隣の席にいたおじさんたちは怪訝な顔をしていた。

 この頃はAのこういう行動に対して「東京生活ストレスが溜まっているのかも」「環境がかわって神経がたっているのかな」と思っていた。

これは私に非があるが、あまり深く考えないようにしていた。同級生の悪い方向への変化を認められるほど私自大人になっていなかった。正直このとき違和感を信じていれば、と今でも思う。

 私はAをよく遊ぶグループ趣味グループ習い事や同僚など様々な自分が属するコミュニティの人たちに紹介した。

Aは少しシャイだが、私の長くからの友人ということもあり私をネタにしつつ徐々に皆と仲良くなった。

18歳で上京したとき友達ができるか、親元を離れて生活できるか不安だった自分を思い出し、なるべく彼女孤独を感じないよう色々なイベントにも呼んだ。

春はお花見、夏はバーベキュー、秋はおうちパーティー、冬はスキークリスマスパーティー忘年会などなど、私が今まで毎年していたことにAが加わった。

 冬のある日、お台場イベント大人数で遊びにいくことになった。

駅で合流し、Aもそこにいた。私と全く同じコートを着て、同じカバンをもってそこにいた。

周りは「おおおーさすが中学からの仲だね!」「おそろい可愛い!」と盛り上がり、Aは「私このブランド大好きだからなあ~」と何食わぬ顔で話している。

このときもしかして真似されてる?」と、前のスカートの件とあわせて疑うようになった。

その日はあまりAと話さないようにした、なんだか話す内容から次なにか真似されたら嫌だな、となんとなく思った。

 そのあとも真似は続いた。一度違う友達に「真似されるのってちょっと辛い」と漏らしたときに「あなたのことは大好きなのよ」「そんな真似とかなんとか中学生みたいな悩みもつなんて」と笑われた。

なんだか自分の心が狭く子供っぽいことで愚痴ってるように感じてその後、このことは誰にも言わないようにした。

新しい服やアクセサリーをつけて次にあったら彼女が同じものを持っている、それについて特に触れるわけでもなく、周りも「おそろいだ~」と笑うのみ。そのたびにちょっともやっとしてる自分人間として未熟なんだと落ち込んだ。

 その後、Aの真似はファッションだけでなく趣味や考え・意見にも及んだ。

私が軽い気持ちで参加したボランティアで関わったスウェーデン伝統工芸に惚れ込み、実際にスウェーデンへいったり友人にも「本当に好きなんだね、いつかスウェーデン人結婚したりして」と笑われるレベルにその話をしていた。

Aは最初興味がなさそうにしていたが、「最近スウェーデンに興味がある」に始まりあたか自分はずっと前からスウェーデンが好きというような態度をとるようになった。

私が参加しているボランティアにも来て「私の友人なんです~」と色々な人たちと仲良くなっていった。

この頃になるとAの髪型服装は後ろからみれば私と区別つかないレベルに一緒になっていた。

 私はこの頃には彼女のまるで私の居場所というかコミュニティ内のポジションに居座るかのような、私の成り代わりになるかのような態度にかなりイライラしていた。

しかし、最初に色々な自分コミュニティにAを紹介したこからどのコミュニティで遊んでも彼女がいる状態になっていた。

どのコミュニティでも私が誰かと話していたらAが寄ってきて、いつのまにか私が話していた人とAが話し、私が傍観者のような立ち位置になることが繰り返された。

 Aの他者に対する暴言ますますひどくなり道端で「あんデブでよくあんな服着れるね」「ババアのくせにあの髪型痛い!」と言ったりしていた。

私はそういう言葉をきくたびに疲れるようになっていった。

 この頃一度ネットで「友達に居場所を奪われる」「友達コミュニティを乗っ取られる」と検索たことがあった。

ヒットしたのはほぼほぼ中高生の悩みで、それに対して「人をとるとかとらないとかものじゃないんだから」「まねしたっていうけど自意識過剰では?」という意見を読み、自分モヤモヤしていること自体が間違っているように感じた。自分性格が悪い心の狭い人間だといわれてるような気持ちだった。

 段々私はAに限らず友人たちと会うのが億劫になっていった。

何か買ってもそれを着たり使ったりするのが怖くなり、何か新しいことに興味がわいてもそれを人に話すのが嫌いなった。集めたスウェーデン工芸品も全部売り払った。

不思議なことに私が中々イベントなどに顔をださなくあると毎日あったAからラインはパッタリと途切れた。

 Aに真似されるというのが、大げさだが自分アイデンティティをどんどん奪われていくような感覚だった。

同じ趣味教室に通う同僚が心配して声をかけてくれた時、いっそぶちまけてラクになろうと思ったときに「Aも心配してたよー!」と言われ何ともいえない脱力感に襲われた。

 Aはその後も私の友人達遊んだ様子などをSNSにアップしていた。

最初は同郷の長い付き合いの友人が自分の友人達と仲良くなっていくのが楽しかったし嬉しかった。

なのに私はなぜか友人達と会いにくくなり、孤独を感じるようになっていた。

28歳にして人間関係を丸ごとAにもっていかれたような感覚だった。

 春先に会社帰りにバーへ立ち寄った。

久々にお酒が飲みたくなったけど誰かを誘うのも面倒だし、誘って「Aも呼ぼう」ってなるのが怖かったので一人だった。

しばらくぼんやり飲んでると隣に40代くらいの女性が座った。とても身なりが綺麗な人、仮にBとする。

マスターを介してBさんが話しかけてきた、彼女大手アパレル企画をしている人でいわゆるキャリウーマンだ。

しばらく他愛もない話をしてたが、私はふとAのこと、今の自分の現状を話したくなった。

バーで会った私のことを今日知った人、私の属しているコミュニティのどこにも属していない「他人」だから話せると思った。

 ポツポツと話し出しBさんは真剣な顔で聞いていた。

私は「子供ぽいんですが」「本当こんな悩み馬鹿馬鹿しいんですけど」「自分の心が狭いのはわかっているんですが」「女子中学生みたいですよね、ほんとしょうもないんですが」とそういう前置きを何度も使った。

話している最中に、自分が寂しいと思っていることをやっと受け入れられるような不思議感覚だった。

 18歳で初めてきた東京最初友達も知り合いもいなかった。

大学でできた友達大学の外でできた友達フリーター時代にであった人たち、就職してから一緒に働いている同僚、ボランティアで一緒に一生懸命になった仲間…それまで考えたこともなかったけど、人間関係というのは自分が築き上げてきた財産だ。

それが、その財産が急に人の手に渡ってしまったような感覚、Aに対する不信感とそれを誰にも相談できない孤独さ、私がいた場所に私と同じ服やアクセサリーカバンをもっているAがいる違和感

 話しながら涙と鼻水がでていた。Bさんがティッシュをくれたけどたりなくてマスターが箱ティッシュをくれた。

Aとの楽しかった思い出がいっぱい頭をかけめぐった。でもAが東京にきてからは辛い思い出の方が多くなった。

Bさんは「それってフレネミーってやつよ、辛かったね」といってお酒を一杯奢ってくれた。

 「年齢の話はしたくないんだけど」と前置きしてBさんが話してくれた。

人間は年齢と共に人格が少しずつ変わること、それがいい方向に変わる人もいれば悪い方向に変わる人もいる。私はながいAとの付き合いのなかで無意識にAの味方をして自分直感違和感を信じずそれでストレスが溜まっていること。

子供っぽいというが誰だって自分が見つけたものや持っているものを真似されたら気分が悪いこと。自分テリトリー必要以上に入ってくる人間には注意しなきゃいけないこと。

そして、Aは私がいたポジションにおさまることで優越感や承認欲求を満たしているのだから、それはもう友人とはいえない、と。人との関係には寿命があるということ。

 決定的だったのは「あなたはAさんを色んなコミュニティに紹介したけど、Aさんはあなを彼女コミュニティに紹介はしてくれた?」という質問だった。

私はハッとした。Aは学校での友人の話やイベントの話をしてくれるが私をその人たちにあわせたり、イベントに呼んでくれたことは一度としてなかった。

 Aは他の友人たちに悪口を吹き込んだりはしてない(と思う)が、なんというか私と他の友人達遮断する影のようだった。

私の前にAがいて私は彼女の影のなかにいるような、段々彼女が私のオリジナルで、私がコピーのような感覚というか、成り代わられるというのは自分を消されるような恐怖感があった。

今でも何でAがそういうことをしだしたのかはわからない。私は真似されるような魅力のある人間ではない、もしかしたらAはAで寂しくて必死だったのかもしれない。

決定的なことをしたわけじゃないが徐々に食い込んでくるあの不気味さから、私はもうAに会うのはやめようと決意した。

 Bさんは別れ際少しこわばった顔で「彼氏旦那ができたときに、彼女に紹介しちゃダメよ」と言った。

私は帰って「フレネミー」で検索をかけた。冒頭にのべた通り、多くの人々がこの厄介な存在に悩んでいることを知って、不謹慎ながら少しホッとしてしまった。

 Aとの関係は綺麗には切れない。

自分所属しているコミュニティ彼女もまたしっかり根を下ろしているか共通の友人が多い。

でも、Aとは今では全く会っていない。何度か会う機会はあったが私がそういう場には絶対に行かないようにしている。

友達結婚式などどうしても会わざるえない事で今後会う可能性はあるが…。

そういう制限のなかでなかなか会えない人もできてしまったが、前より心が平穏だ。

周りは不思議がっている人もいるし、友人伝手にAの話も聞くことがあるが、それはもうあまり気にしないようにしている。

 夏になって私は新しい趣味に手を出しそのつながりで新しい友人ができた。

前に比べ人に警戒心を抱くようになったけど、やはり人との繋がりから得るものは大きい。

自分が着たい服、身につけたいもので遊びに行き、好きな話をしても真似される心配がないのが嬉しい。

ずっと付きまとっていた違和感がなくなって、孤独感が消えた。

 「フレネミー」は十人十色、Aのように真似をしてポジションをとろうとする人や、マウンティングしてくる人、心配するふりして不安を煽ってくる人…色々いるみたいだ。

今もし、友達のことでしんどい思いをしている人がいたら、一旦冷静になって考えて欲しい。その人は本当に友達なのかどうかを。

「そんなことぐらいで」と他人が言う事でも自分しんどいのなら、それは「そんなことぐらい」じゃないのだ。

 時々Aと過ごす時間が多かった十代を思い出し少し悲しくなったりもする。

しかしたらずっと先の将来でまた友達になっているかもしれないし、もうこのまま会わずに終わるかもしれない。

 長文&駄文失礼しました。

2017-06-08

アニメーター効率化しないのが悪いってのはその通りでしょ

クロ現に対してそんな結論になってておかしいっていうツイートを見たけどさ。

結局金が出ないってんなら枚数減らせばいいし、線だって繋がってればいいだろくらいの気持ちで描いときゃいいのよ。

それでアニメの人気が下がったところで、売れても関係ないのと同じように、制作現場には関係ないんだから

まして新たな技術があるってんなら積極的に取り込んでけばいい。

真っ当な業界ってそういうものでしょ。

俺らが作ってるのはエンターテイメントであって、伝統工芸じゃないんだからさ。

それを金も出ないのに限界までいいものを作ろうとリテイクを重ねるような、その姿勢こそがやりがい搾取だって何故気づかないの?

それで徹夜して変則的な働き方して進行さんに迷惑かけてさ。

アニメーター低賃金はともかく、過剰労働の原因の大半は現場問題だよ。

そこをなんとかしないと「普通ブラック企業」程度にもなれないよ。

2017-03-27

「好きなことで食っていけるか」みたいな話

ネットでちょくちょく見るけど、お笑い芸人なって成功したいとか、漫画家になりたいとか、ラーメン屋になって自分の店をもちたいとか、伝統工芸職人になりたいとか、難易度とか方法論とか全然違うよね。

「好きなこと」とかあいまいなくくりで「食っていけるか」とか論じても意味ないんじゃないかっていつも思うわ。

2016-12-18

伝統工芸品”に成っちゃうと大多数は滅んで極一部しか残らんからやばい

2016-12-08

結局は何もかも、それぞれの事情により、機械化・工業化自動化していく宿命か。

せざるを得なくなる。さもなくば消えるか、極一部が伝統工芸的に生き残るぐらい。

2016-11-17

http://anond.hatelabo.jp/20161116152814

本人って噂を見たのでマジレス


これさ、CAM使ってNCデータ木材加工の技術論をプレゼンしてる奴がいて、それを見た伝統工芸彫刻家が「お前の木彫りには魂がこもってない!」って言っただけなんだよ。


他にも違う話だって書いてる人がたくさんいるけど、例えとしてはそれでよくね?

 良いの悪いのって全く意味のないやり取りにしか思えないんだよね、俺には。

植物も生きてるしそれを大切にする感性は好きだけど、技術者が気にしてたらモックアップなんかできないでしょうがよ。(笑)

2016-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20161106133841

勘違いしないでほしいんですが、アニメ業界全体がブラックなわけではありません。

原画作画監督、コンテ、演出監督になればお金を稼げるようになります

1000万超えも珍しくないと言います

今回問題になっているのは動画ですね。大変な仕事ではありますが、技術が高くなくでもできる仕事ではあります

上手い人だと手が早いのでそこまで苦労はしません。

枚数が勝負仕事なので時給制にすると、上手い人が損をすることになります

個人的には会社採用した以上は最低賃金くらいは保証してもいいんじゃないかと思いますけど、基本的に歩合制なのはしょうがないでしょう。

バズってる机代ですが、言い方が悪いだけで、いつまでも原画に上がれない人は戦力外なので時給下げますってことです。実力社会ですからね。

動画は育てないというのが会社方針で、インタビューでも言っているくらいなので、働いてる人たちも知ってるはずです。

もともとの給料が低いのは問題ですけど、職人研修みたいなものですからしょうがないですよね。

伝統工芸料理人研修は今でも給料が低い所が多いです。

もちろん是正すべきではありますが、アニメダメなら伝統工芸料理人等の職人系の見習いも潰しましょうよって話になります

もしコレがダメなら即戦力だけ取りますということになるでしょうね。

即戦力になるために40万円の入学費と年100万円の学費を払って専門学校に通って勉強するお金のある人しかアニメーターになれなくなるでしょう。

会社としてはそれでもいいわけです。そのほうがリスクがないですからね。

専門学校ビジネスはすごくおいしいですよ。

声優専門学校なんてボロ儲けです。

そっちのほうが正しいですか?

金持ちしか夢を追えないほうがいいですか?

2016-10-20

シン・ゴジラ日本北米の盛り上がりのギャップについて

やったぜ! シン・ゴジラ 北米好調

http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20161020/1476918294

NYに住んでる者だが、日本話題だったので先週末日曜日タイムズスクエアAMCで観てきた。

別に会場は終始いたってずっと静かだった。ゴジラが下に火を吐いたシーンは迫力があったが、それ以外はだれも興奮していなかった。アメリカ人普通ちょっとでもアガるシーンがあればオーディエンスがすぐに反応する。手を叩いたり、大笑いしたり、Hooo!と叫んだり。特に公開初週の週末ではなおさらだ。それがほとんどなかった。最後申し訳程度に拍手がパチパチあったくらいだ。

後ろに座っていたアメリカ人二人組は明らかに終始失笑していたし、トイレに立った際に出会ったアメリカ人は「ゴジラ第一形態)がなんだかweirdだね」くらいの感想だった。子供は「ママゴジラ全然出てこなかったね」と言っていた。

個人的感想としては「よくこんな3流の映画日本全体盛り上がれるな」ということだった。まあ日本にしてはマシな作品を作ったということなんだろうが、それでもあの盛り上がり、持ち上げは異常だ。

まず演技が下手すぎる。最初のだらだら続いた閣僚内の会議のシーンは学芸会かと思った。あの防衛大臣みたいな女性間抜けなしゃべり方や、菅直人チックな首相役のおっさんの過剰な決断力のなさの演出、こういうキャラがいた方が面白いんだろと言わんばかりの半沢直樹に出てたへこへこするおじさんのキャラ作り。ギャグ映画としてみていいのかシリアスな展開を表現したいのかさっぱりわからなかった。アニメキャラにしゃべらせらば違和感はないのだろうが、「そんなこと普通言わねーだろ」というセリフと大げさな演技オンパレードで、小難しい単語連呼すれば緊迫感がでると思っている演出と相まって、チープさがすごかった。なんか映画観た後で批評を調べたらあのあたりの前半の会議のシーンを「リアリティのあるポリティカルサスペンス」などと形容しているようだが、失笑ものだ。。24House of Cards政府内のやりとりなどと比べて欲しい。

そもそも、「国にとって重大事が起きた時の政治決定力のなさ」を描きたいのかもしれないが、そんなの東日本大震災の時に見たばかりなのでなんの新しいメッセージもないし、見ていてちっとも面白くない。あれだけ前半時間を使って視聴者ストレスをためさせたくせに、全然それを映画後半のシナリオ解決させていない。閣僚たちが死ぬシーンももっとちゃんと描くべきだし、いっそ国会を木っ端微塵にすべきだった。主人公矢口立ち位置中途半端で、これまでの決断力のない日本の政治システムを変えていく毅然とした態度があったかというとそうでもない。むしろ矢口チームがギリギリまで粘ったが結局国連核爆弾を落とされてしまった、東京は再び焼け野原になった、これを機に本当に日本は変わらなければいけない、という展開の方が、中途半端ゴジラを停止させてしまうよりメッセージ性が際立って良かっただろう。

あとCGがひどかった。第一形態ゴジラは敵の雑魚キャラかと思ったし、笑えた。街が壊されていくシーンのCGも、ボートとかCG感丸出しでチープさがすごかった。予算がないのだろうが、それならもっと夜のシーンを増やすとか、工夫できる余地があったはずだ。最終形態になって夜に大暴れするシーンは格好良かったから、もっとあいうシーンを増やすべきだった。血液凝固剤を使ってゴジラを止めるシーンでは、絶対ゴジラがまた振り切って動き出すと思ったが、なぜか米軍ミサイルなんかよりよっぽど威力のないであろう電車爆弾で都合よく倒れ、倒れたところに都合よく潰されず待ち構えていたポンプ車で放水開始し、それを都合よく口を開けたゴジラが都合よくチューチュー吸い続けて、結果止まってしまった。劇場全体が「えっ止まっちゃったよ」感でいっぱいだった。

あとなにより全体的なプロット未完成感がすごかった。例えば今年DisneyのZootopiaを見たが、最初から最後までの1シーンも無駄がない。最初に出てきたなんでもないシーンも、実は伏線で、映画最後の方にきちんと回収され、いささか伝統工芸品かのような緻密な構成美を感じさせてくれる。対してシン・ゴジラは、「今のやり取り必要あった?」と思う部分だらけだ。教授調査記者みたいな人に依頼するシーンとか、必要か?そもそも教授動機や背景など最後までよくわからずじまいだし、石原さとみ役の人物の背景の説明が弱いか感情移入できず、最初から最後まで終始全ての言動が突飛で違和感しかなかった。

以上、まとまりがないが、とにかく日本シンゴジラマンセー一色の雰囲気一言物申したかっただけです。終わり。

2016-09-14

http://anond.hatelabo.jp/20160911212226

安野モヨコ浮世絵がまあまあよかったと書いた。

他の浮世絵はたいていダメとも書いた。

どうしてアニメ浮世絵とかがだいたいクズかの理由を述べていく。

いくつかパターンはあるけれど、一番多いパターンは、単純に見れたものじゃないというレベルのものだ。

そんなものが売れるのは

江戸時代から続く浮世絵の彫師摺師が作っています

っていう前書きがあるからだ。

こういっちゃなんだが、伝統工芸品というもの全般的に嫌いだ。

手で作ったからといって、伝統技術で作ったからといって、機械印刷したほうが綺麗なら、そんなもの価値はない。

元来、木版はどんな印刷よりも綺麗なものだった。

から価値があった。

おそらく、ここ数十年まではカラー印刷技術の中で最強の座を誇ってたと思う。

2枚の版木、赤、青で摺るとする。

1枚目で摺る。

1枚目の赤の版木が当たる部分、当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、つまり2色の世界

2枚目の青の版木が当たる部分、一枚目の版木も二枚目の版木も当たった部分は赤と青が重なり紫に、二枚目の版木だけ当たった部分は青に、一枚目の版木だけ当たった部分は赤になり、当たらない部分は紙の地の白のまま、4色の世界

3枚の版を使えば、8色、4枚の版を使えば16色、理屈の上では指数関数的に色数が増える。

雑誌なんかで、表紙のすぐ下や、誌面の中頃に、一枚だけカラーページでグラビアイラストカラーページがあったりするのはわかるだろうか?

昭和の初期までは、あれを木版でやっていた。

しかも、浮世絵時代と遜色ないどころか、それ以上に15度20度と摺って色を重ねて印刷していた。板を彫って。ばれんで摺って。

しかもそれを、何千部発行したかしらないが、毎月作ってた。

キチガイ仕事しか思えない。

中でも、最もキチガイじみた雑誌はというと、毎号50度摺以上の手間暇をかけて、日本画の複製を誌面に挟んでいたある美術雑誌だ。

号によっては100度近い摺りを重ねたらしい。

色数の問題だけではない。

ほとんどの印刷技術は、オフセット印刷シルクスクリーンレーザープリントインクジェットプリントも、色の濃淡を色の粒の"密度"で表現している。

木版で使うグラデーションをつける技法は、粒ではなく無段階のグラデーションをつけることが可能である

人間が視認できる限界を超えたRetina Displayがでるまでは、真のグラデーションは木版の中にしかなかった。

そして発色である

から燃えるように強く出る色だ。

浮世絵技術で摺られた絵は、直後に触っても、手に絵の具は移らない。表面には絵の具は残ってない。

紙の繊維の奥から、輝くのだ。

いつものように、能書きが長くなったが、

江戸時代から続く浮世絵の彫師摺師が作っています

っていうことを強く打ち出した売り方だと、極端な話、出来のいい悪いに関係なく売れる。

普通印刷よりも汚くても、「それが木版の味です」として売れる。

たぶん、下絵もどんな絵なら工数ケチっても綺麗に仕上がるかなんてことも考えていないし、職方に高いレベル要求しないし、職方もそれを見抜いてそれなりの手間しかかけない。

企画元「安く版権が手に入ったから、斜陽産業職人を安く買いたたいて作らせて、オタクに高く売ろう」

職人「どうせわかりゃしないから、材料と手間をケチろう。どうせ工賃も半額に値切ってくるんだろう」

っていう思惑が誰でもわかる。

みれたもんじゃない0点の浮世絵、これがアニメ浮世絵の約8割。

実は、丁寧過ぎるのも嫌いなので、それについてもややこしいんだが、それについてはまた後日。

2016-08-27

君の名は。見た。薄気味悪い感動系の駄作

すごいめちゃくちゃで、ふわふわとした話を圧縮して(いるかのように騙されながら)、勢いで見せられたという感じである

思いつくまま適当文句を言います。誤字脱字はスルーしてください。読みやすさは保証できません。

単純に、これ、この二人の恋愛物語が、なんでこういう話でないといけなかったんだろうって思ってしまった。現実世界写実的アニメビジュアルで美しい世界でやっていればいるほど、プロットが進めば進むほど、リアリティがなくなって、ふわふわしてくる。秒速5センチとかは、ファンタジー要素は、クズ主人公理由もなくモテること以外は別段、物語に存在しないから、ああいクズナルシシズムの物語として説得力があったが、君の名は。みたいに大きな舞台設定をコントロールする力量がないからもうひたすらめちゃくちゃで、あきれる。なんか最後の方とかエヴァもどき精神世界みたいな描写とかもあったし。2016年あん描写見て、何を説得したいのか謎だった。もっと普通ドラマ描写を作って言いたいこと言えよ。

もし、これがテレビアニメ1クールだったら、予算時間も潤沢でなく、画面にオーラもなくお得意の映像美もろくすっぽ使えないだろうから、物語面が強調されて、みんながアレコレと粗を突っつくので「すごいきれいな映像映画を見た!」っていう勢いがなくなり、凡作認定されていただろう。元々新海誠みたいなのって、エヴァンゲリオン村上春樹創作のよりどころにしているような、たいして才能のない作家であって、自意識過剰独りよがりな恥ずかしい妄想で物語を構築しようとする奴が一人で短編アニメをそういう感性で作ってそれが玄人筋セカイ系だのと変な刺さり方をしたせいで、なまじポエムとかキラキラした画面作りがうまかったせいで長編アニメ映画作家としてのレールに乗ってしまったのが間違い。このあたりの、「アニメーション映画の作家」のブランド化を擁立する回路と発想の貧しさってかなり根本的にどうしようもないことになってると思う。漫画みたいにさ何十人何百人と作家がいるんならいいんだけど、新海誠って、ただ異様に夢見がちで異様にロマンチストなだけでしょ? それがこのひとの作家性でしょう? 東宝が大衆向けに成立させるためにいろいろテコ入れ指導しただけで、悪いところは何にも治ってないよ。寝取られ趣味を指導されてセルフパロディで両想いハッピーエンドなんてところは作家の力量の場所じゃないだろう。

君の名は。にしたって文芸的な発想として、基本的にやってることは、ぶっちゃけ今やってるアニメだとリゼロあたりとほとんど変わらない。何か一つか二つ、使い古された仕掛けを元ネタとして、そこに自分の価値観人生観恋愛観青春家族観女性男性観などを展開していく土台にするわけだけど、この映画雰囲気しかない。ひたすら美しい彗星を見上げるキミとボク、っていう。あそこから恋愛物語を出発させていくんだけど、それが、あの映画。40過ぎた男が「オリジナルで」やるのが、あれ。背景美術の美麗さ、超豪華アニメーター陣の画面の力をとっぱらえば、何がある? 単なる借り物の想像力自分語りしているだけでしょ? その自分があまりに貧相なんでもうつらいつらい。

 

ポスト宮崎? つまり20年後国民的な映画作家? 本当にこの人でいいの? まあジャニーズ帝国みたいにジブリ帝国だった時期があるせいでこういうことになってしまったんだろうけど、画面作りに非凡な才能があるというだけで、大した教養もない奴を神棚に飾らなければならないカリスマ祭り上げる発想が薄気味悪いし居心地悪いしもう最悪。

コイツ一度でもテレビアニメの平均的な予算時間やらせたほうがいいわ。君の名は。ではこれまでついてきてくれたアニメーターたちを切り捨てて東宝マネーであてがわれた超豪華なメンツアニメーター引き連れて興行収入はこれまでの最高が1,5億を初日だけで軽々と塗り替えるくらいの大宣伝攻勢。プロデューサーたちは頑張ったよねえ。シン・ゴジラより興行収入あげちゃうかもしれないんだから。宣伝はうまくいったよね。口コミはどうなんだろうなあ。シンゴジラみたいになるのかなあ。どう考えても駄作だけどなあ。

本編のうざったさは、まず、入れ替わりの際の決まりごとの曖昧さ、具体的なルール法則性の明示のされなさ。これにいらつく。元に戻れば記憶が薄れるとか、バカにしてるだろ。

他人と入れ替わったのに学校に行きバイトに行き、お互いの素性を知っても連絡を取ろうとしない。そんな日常を代行するくらい打ち解けても自分が生きている時間や日付に気付かないという脚本がわざと主人公たちをバカにしていて、もう序盤で冷めていた。写実的アニメのくせしてこのラインリアリティの話なんだなと。思春期の男女が入れ替わって? 家族や友人がそれまでと変わらずに? 陰口叩いてくる同級生の威嚇のために机を蹴っ飛ばすの? ホント大丈夫? そのレベルリアリティでやってくの? 女子力が高い男子高校生女子大生が仲良くなる過程ディテールもろくにかけないからランチして笑ってればいいの? 

前半のガバガバリアリティ死ぬほど退屈で、アホらしかったわ。憧れの年上のお姉さんのマネキンっぷり、生々しさの演出タバコって失笑でしかない女性観。もう一段階読み込むと、バカな男たちが惹かれる顔と身体だけの女として、あの先輩を描いているかもしれない。青春の幻影的な? まあ嘘だけどね。魅力的な現代的な女性像なんて新海誠に誰も期待してないでしょう。もう単純に、長澤まさみばりにいい女っていう記号しかない。

主人公をめぐる人間関係にしたって、後半の探索を円滑に進めるメンツの確保のためでしかなくて、ハリボテ感がすごいんだよね。まあこういう部分はオリンピック見ても分かるように日本中スクールガールスクールボーイコンプレックスで単に学園物っていう牢獄にいるようなもんだから、ガキっぽい世界観になるのは国民病なんだけど、ただの事実として、選択した物語のギミックにふさわしい舞台設定の調整と情報量コントロールがド下手。何か原作をつけてアニメを作ったこともない、TV放送で1話20分で回したこともないんじゃそうなって当然だよ。

まあこういう勢いで迫力を出している、野生のバカであるがゆえの新海誠という作家性があるのも事実とはいえ、君の名は。を名作として崇めようとするのはやめたほうがいい。新海誠は文芸的にはリゼロと同レベルなんだから。あのバイト先のレストラン、高級シャレオツぶってるけど、客の民度から察するに最低ランクでしょ? パンケーキのお店のほうがランクはるかに上なんでしょ?  物語の動かし方がつまようじドキュン活用することでしか分からないんでしょ? やばいよ、あれは。つうか長澤まさみがなんか機転を利かすのかと思ったら謝るだけだったし、ガチ思春期男子が顔と身体だけであこがれてる女性っていうイメージなのかもしれないなあ。まあどうでもいいが。

最初から最後まで、子供っぽいふわふわした基準リアリティ物事が進んでいく。入れ替わりギミックぼんやりした設定だけじゃなくて、人間関係とかもヒロインにおいてすら、投げっぱなし。思わせぶりなセリフで色々匂わせるんだけど、それだけ。冒頭で、ヒロインとおばあちゃんが父親とうまくいっていないという物語的な課題提示しているのにほっぽりだす。ヒロイン家系巫女能力があることだけほのめかして、クライマックスの筋に絡まない。ものすごい空虚な存在でしょ、父親が。碇ゲンドウ的ですらない。母親なんて排除しちゃってるもん。


後半の畳みかけるような展開は、正確に把握できたかどうか自信がないけど、もしかしたら、きっちりつじつまが合うように作られているのかもしれないけど、仮にそうだとしても、見ている側との意思疎通がほとんど感じられない。何がどうなれば物語としてオーケーなのか、ゴールが正確に提示されないでしょ? 酒を飲んだら入れ替わりが発生するとか、そんなん言われても、法則性はないのでどうとでもなる展開でさ。

んで助けに来て、おばあちゃんは入れ替わりに気付いても、彗星の話は信じないとか意味不明だろ。父親を説得にも失敗して声を荒げたら「お前は誰だ?」というところでやっぱりあの家系は死んだ母親ふくめて代々そういうことがあったんだと示唆されるわけだけど、なぜか場面転換して逃げ出すように「俺じゃ説得できないのか」って好きな女性父親とのコミュニケーションを放棄して、なんか展開おかしいなあと思ったけど、彼女バトンタッチで世代を超えて組糸の家族和解テーマかと思ったらそっちも何もない。わだかまりを解消するとっかかりが示されるわけでもない。

土建屋放送部とか、人間関係と設定がご都合主義なのはまだ許せても、カタルシスが用意できてない。子供大人が揉めて、対立して、そこで何かしらのきっかけでうまくいきはじめて、カタルシスが生まれるはずなのに、あれ、なに? 避難訓練て。リゼロみたいに、自分が頑張ってますってアピールするためだけにあの状況があったの? 大人たちは? 

現実なのかよくわからない「たそがれ」の場所で幻想的な背景の中でマジックで「好きだ」ださいわ~、普通書かれたらその場で見るだろ。ださいわ~。

何もかもが薄っぺらい夢見がちなファンタジー

そのへんのラノベアニメにないもんっつったら時間メタファ~()であるあの伝統工芸とかなんだろうけど、物語の中のアリバイ作りとかになっちゃってない? 組糸にしたって、ただのドラマティックな恋愛の盛り上げ役っていうかさ、あのアニメの中の世界であの伝統芸能がどういう存在でこれからどうなっていくのか、とか故郷災害で失い、跡形もなく消し飛ばされた人々は、東京でつつましく暮らして結婚とかしちゃいますよ? 憧れの先輩も結婚とかしちゃいますよ 君たちも幸せになろう? 頑張っていこう?

は?

震災記憶自意識過剰文学青年出会って作品にしちゃう最悪のケースの一つ。自分たちを彩る美しい壮大な光景君の名は。の描く震災は、ロマンティックで残酷な恋愛が体験できるアトラクションなんだよ。BGMはRADWIMPSでさ。

要するに、子供の幼稚な恋愛の話しか興味がないし、子供の幼稚な恋愛の話しかできないの。この人は。庵野が言うコピー世代っていうのよりもう一段階ひどい。子供世界観しか物を語れないうえに、何か題材を選んだとしても、それを自分の自意識ファッションみたいに扱ってしまう。

なんか、今回の新海誠とりまメディアとかアニメファンの状況が、裸の王様誕生した瞬間を目撃したような気分になる。



追記

トラックバックで白状がどうとか頭のおかしいこと言っている人がいますがなりすまし変人です。書いてることも奇妙でどういう意図があるのかよく分かりませんが。

2016-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20160807152807

さすが議事録担当者といった感じの文章だな。

言外の伝承が多いであろう伝統工芸世界日本語表現技能の息吹を加えることができるのだから、10余年間決して無駄ではなかろうて。

伝統工芸カミサマ貴殿スカウトしたのかもね。

2016-08-07

議事録を作る仕事をしていました<その2>

http://anond.hatelabo.jp/20160807152807

こちらの続きです。

12年目に気付いたこ

11年目に久々の新人が入ってきました。中途入社でしたが20代半ばでしたので年下になります。彼は隣の課でしたが私から引き継いで議事録作成仕事がメインとなりました。私も初めての後輩ということで優しく説明をしてあげていました。もちろん人間関係だとか業務知識は追いつきませんから彼が覚えることができたのはわずかだったと思います。ただ彼は半年後に別の仕事を与えられて、議事録作成はまた私の専属担当になりました。最初は彼が議事録作成が嫌になってしまったのかと思いました。でも実は違いました。部長がいっていたのを耳にしたところでは将来の幹部候補としていろいろな経験を積ませたいとのことでした。そのときに、あれ?自分は12年近く同じ仕事をしてきたんだけど、なんでかなと思いました。これはおかしい、誰かに聞いてみようと思いました。

 課長など複数上司から言葉を選びながらでしたが話を聞くことができました。君は議事録係としてとても優秀だし、良い大学を出ている。会社業務をよく知っている。でも実際には会社はお客さんがいてのもので、細かいところで色々配慮して複雑な人間関係と戦っていく必要がある。仕事というのは難しいし、才能も要求されるところがある、その一定の水準に君は達していないのかもしれない。というニュアンスのことをいわれました。別の課長からは次のように言われました。君は業務の知識はぴか一だと思う。誰もが君を頼りにしている。ただそれは表側の知識だ。実際には裏側の知識のほうが何十倍重要だし、それを把握して学習する候補に君はいない。たとえばこういう案件のことを知っているか?知らないだろう。そういうことだ。

 それは確かに私が知らないことでした。確かにおっしゃられたことはわかります。私は知らない。でもそれは今から1年ほど前に君は理解していなくても十分だと言われたことです。公式会議以外での会合に私が入ろうとしても入らせてもらえなかったではありませんか。意見を言わせてもらう機会を私には与えられなかったではありませんか。そのようなことを遠まわしに丁寧な言葉お話しましたが、納得のいく返答をもらうことはできませんでした。そして別の人から聞いたところでは私は陰でアスペと呼ばれていて、人の上に立ったりきちんとしたお話

まとめたりすることはできない、させない、やらせないことになっていることを知りました。ここまできて私は辛い仕事をこのまま続けていくよりも転職したほうがいいということを意識しました。

 そして1年後、私はとある伝統工芸の分野に転職することができました。33歳というのは本当にぎりぎりのスタートでした。前の会社をやめたこと、年齢の割に扱いが良くなかったことを今では悔いには思っていませんが、ひとつだけ悔いるとすれば、もう少し早めにせめて5年で気が付きたかった。12年は居過ぎました。今まで私がやっていた作業を誰もやらなくなるわけですから慰留されました。本部長自ら休日に呼び出して転職を思いとどまるようにいってきました。しかし私はこれ以上使い走りにされたくないということをいうと、13年目にして「ほぼ初めて」本気で怒られました。

 このような雑文を誰が読んでくれるか分かりませんが、私から言いたいことは、人には向き不向きがあって、会社を利用して成長したり自己実現ができればいいし、仕事が好きならいいのですが、そうでない場合は、できるだけ早く、別の道を考えたほうがいいということです。転職して3年目になります。厳しい世界ですが、ものを作る喜びに目覚めて毎日楽しいです。

2016-03-26

保育園受かるにはたくさん死ぬ

保育園が足りない理由住宅地保育園を建てようとすると、少なから住民の反対があるという。

その理由は「園児の声がうるさい」だそうだ。

保育園の不足は憂慮しているが、お隣にできるのは「まっぴらごめんだ」という甚だ自分本位がいるということ。

行政保育園を建てようにも建てられない。「地域住民死ね」だね。

_

もうひとつ保育所が足りない理由は、行政保育所を建てないから運営しないから

建てるにはお金がかかるが、子供のために使う予算は考えていない。

国会の前でデモすればテレビで取り上げられるかもしれない、でもそれが目的ではない。

そもそも国会にいる人たち、行政の長たちを選んだのは国民だね我々だね。「有権者死ね」だね。

_

保育士の人たちには頭が下がる。安い給料、長い拘束時間、大きすぎる責任

大きすぎる責任に耐えられず離職する。その責任押し付けてくるのが「親」。

保育園受かるまでは悲劇主人公だが、保育園受かったら暴君に一変する。

子供心配なのだろう、なんせちょっとした病気で死んでしまう。かといって他人責任

押し付け理不尽要求をしていいわけが無い。

いい生活をさせていい教育を受けさせてあげたいのは、どの親も共通した願い、

から子供幸せになってもらうために稼ぎに出る。子供心配だったら会社休んで

子育てに専念するとなると、これって結局は負の連鎖だね。

保護者意識を改める必要があるね。「モンスターペアレント死ね」だね。

_

日本の文化を守りたい」とは何の文化なのだろう。伝統工芸芸能のことかな。

伝統工芸芸能後継者を確保しなければ芸は廃る。なぜ後継者がいないのか、その職業

魅力が無いから、それで食べていけないから結婚して子供を育てて家を建てるとなると、

子供保育園に預けて働かなければならない。しか伝統文化仕事としていると、共働きでも無理。

我々は伝統工芸芸能お金を出しているだろうか。義務教育卒業して師匠弟子入りし、

数年、あるいは十数年、修行と称して学びながら無給、あるいは低賃金で働く、

それは巷で言われるブラックではないか。それで大成すればいいのだが、そんな保証はない。

職人にはなりたくない、伝統文化には興味がないからお金は払わない、こういった考えを

持つ人間は国の文化を守りたいなど抜かす資格は無い。そういう私も無資格者の一人だ、

から伝統文化は無くなっても仕方がないと思っている。「伝統文化死ね」だね。

2015-12-19

おすすめNHK25分番組 4選

1.サラメシ

働く大人の昼ごはんテーマ番組

営業マン、社長駅弁の売り子、自動車工場社員空港職員人形浄瑠璃演者農家伝統工芸職人撮影スタジオカメラマン楽団員等々、様々な職業の人の働く様子とともにその人のランチ風景を紹介する。

全く知らなかった職業、各人の仕事への取り組み方や職場雰囲気を知れる面白さと、日本各地の美味しそうなランチが魅力的。

その家独特のおにぎりを紹介する「おにぎり百景」や、お昼どきのオフィス街で道行く人に声をかけスタッフと一対一でランチをさせてもらう「サシメシ」、視聴者投稿したお弁当写真を紹介する「みんなのサラメシ」等、毎回3〜4つのコーナーに分かれている。

印象に残っているのはおにぎり百景で紹介された桜おにぎり。桜農家が収穫時期に1日だけ満開の桜の木の下に集まり、桜の塩漬けを混ぜ込んだピンク色のおにぎりを食べている様子は素敵だった。

中井貴一ナレーションが良い。

何の気なしに見れるので録画しておいて見たいものが無い時に見ている。

2.100分de名著

「おくのほそ道」、「風姿花伝」、「般若心経」、「アラビアンナイト」、「遠野物語」等、大抵の人が題名くらいは知っている名著を、25分×4回の計100分で月に1冊ずつ、その分野を専門とするゲスト基本的大学教授、たまに僧侶詩人)が分かりやす解説してくれる番組

司会は伊集院光竹内陶子アナウンサー

本の内容はもちろんのこと、毎月登場するゲストの人となりも楽しみの一つ。いかにもその分野っぽい人が登場することが多いのだ。

毎回伊集院光面白い着眼点質問したり感想を述べたりしていて感心する。

「いい質問ですね!さすがです!」なんて派手なリアクション先生もいれば、興味無さそうに受け流しちゃう先生もいたりして掛け合いも面白い

印象的だったのは「種の起源」の回で紹介されたダーウィンの生い立ちで、ダーウィン医者の息子だったので医者になることを望まれていたが、当時は麻酔がなかったので子供の手術なんかに耐えられないタイプ医者になれず研究者になったというエピソード。昔って麻酔無しで手術してたの?!という衝撃が…。全然本の内容関係無いけど。

録画して100分まとめて見ている。

3.助けて!きわめびと

視聴者のお悩みを専門家の手を借りて解決するという極めてシンプルな内容の番組。司会の松嶋尚美三宅裕司のおかげで重たい悩みでも番組雰囲気は明るい。

強烈だったお悩み1「キレイと言われたい」

容姿に自信のない相談者(女性48歳・既婚子持ち)は過去経験でがんじがらめになって自分に本当に似合う服を受け入れることが出来なくなっていた。解決策としてスタイリスト提示した方法は、町や駅で見ず知らずの人に「今日の私の服、似合っていると思いますか?」と聞いて回ること(!)。見ていてほんとに居たたまれなくなったけど、みなさん案外フレンドリーに答えてくれていてホッとした。

最終的には結構いい感じに解決していた。

強烈だったお悩み2「マニュアル人間卒業したい」

家には大量のマニュアル本を揃える婚活中の相談者(男性)。「女性には寒くないですか?と声をかけよう」とのマニュアルに基づき、人混みで熱気ムンムンの婚活会場で「寒くないですか?」と声をかける相談者。みんなから「むしろ暑いです」と答えられていた。

お悩みを解決してくれるきわめびとは冒険家、解決方法としてグループ山登りをするというよく分からない展開になるのだが、山登りのために買ったマニュアル本を山に持ってくる相談者。コントか?!

山登り自分の殻を一枚破れた様子の相談者だったが、まだまだ道のりは遠そうであった。

4.課外授業ようこそ先輩

タレントクリエイターが母校の小学校に出向いて6年生の1クラスに2日に渡って授業をする番組

最近見始めたんだけど1998年から続く長寿番組らしい。

テレビで見たことある人が先生からなのか子供達が素直に授業を楽しんでいる様子が好ましい。

面白かった授業1 デーモン閣下魔物に変身してみよう」

詳しく紹介しているブログがあったので貼っておく。てかすごいブコメ付いてるから今更感が…

http://d.hatena.ne.jp/yyamaguchi/touch/20140516/p1

子供達が今までと違う視点を身につけて少し自由になれたように思えるいい授業だった。

面白かった授業2 水道橋博士 「見つけた!意外な自分

子供達に自分史の年表作りをしてもらう授業。

まず自分で思い出せるだけのことを詳しく年表に書き出し、次に家に帰って親に書き足してもらう。ここで「お母さんこんな話知らなかったよ」と親が子の事を知る事が出来たり、子が自分の覚えていない小さい頃の事を親に教えてもらう事が出来たりと、家族にもよいきっかけになっていた。

次の日はクラスメイトがそれぞれの相手に持つ思い出を一つずつ書き加えていって年表は完成。体育館に全員分を貼ってみんなで読んで回って授業終了。「クラス替えの後初めて話しかけてくれた」なんて思い出を書き加えてもらい「そうだっけ?全然覚えてない!」とまた新たな自分発見中学校に上がる前に一つのいい区切りとなる授業だった。これは水道橋博士がいなくてもどこでも出来ていいと思った。

2015-10-04

ある伝統工芸に興味をもった。

職人になるには、一人前になるまで約10年、ほぼ無給の内弟子生活を強いられるそうな。

最近若い人は我慢が出来ない」

と嘆くけど、いや、それ無理じゃんかと思う。

仕事が出来ない、1円の価値もない素人10給料を払い続けるシステムの構築が急務と、俺なら考える。

しかし、その原資は、というと難しい。

そもそも、その伝統工芸品そのものが売れてない。

良さを理解する人が少ない。

数少ない顧客に訴求するために、高付加価値商品限定商品シフトする。

コンサルの答えとしては正解なんだろう。

「競合品の多いレッドオーシャンから抜け出せ!」

さら廉価商品を開発したって、機械大量生産できるようなものだと大手にゃ敵わないし、素人でも作れる品質なら人海戦術が使える途上国に敵わない。

技術のものはいきなりそう上げることは出来ない。

というか、技術のものをアップ出来るんなら、限定生産なんかしなくても、全部の既存商品品質レベルを上げられる。

安易な解決は、材料に凝ることだ。

オーバースペック材料に、技術は並、製品としての品質は並かそれ以下になる。

酷い例だと、屋久杉を使った蕎麦打ち台とかだ。

(馬鹿な)客は喜ぶし、生産者も儲かる。

そうやって、WinWinかと思い続けて数十年。

売り上げが右肩下がりなことに気付く。

一般人からの購入が減るからだ。

入門モデルより高付加価値商品シフトしたツケを払うことになる。

さら、入門モデルを作っても、たいしたものは作れない。

大量生産ノウハウは消えてる。

廉価モデルマーケットでは、同じ値段で倍の性能を持つ海外勢にボロ負けする。

後継者問題に話を戻そう。

技術者の減少が甚だしい。

技術者の数が減ると、技術の平均レベルも落ちる。

技術者が使う専門の道具もまた、専門の職人の手によるものだが、その職人もっとから後継者不足だ。

もう詰んでる。

ある伝統工芸に興味をもった。

職人になるには、一人前になるまで約10年、ほぼ無給の内弟子生活を強いられるそうな。

最近若い人は我慢が出来ない」

と嘆くけど、いや、それ無理じゃんかと思う。

仕事が出来ない、1円の価値もない素人10給料を払い続けるシステムの構築が急務と、俺なら考える。

しかし、その原資は、というと難しい。

そもそも、その伝統工芸品そのものが売れてない。

良さを理解する人が少ない。

数少ない顧客に訴求するために、高付加価値商品限定商品シフトする。

コンサルの答えとしては正解なんだろう。

「競合品の多いレッドオーシャンから抜け出せ!」

さら廉価商品を開発したって、機械大量生産できるようなものだと大手にゃ敵わないし、素人でも作れる品質なら人海戦術が使える途上国に敵わない。

技術のものはいきなりそう上げることは出来ない。

というか、技術のものをアップ出来るんなら、限定生産なんかしなくても、全部の既存商品品質レベルを上げられる。

安易な解決は、材料に凝ることだ。

オーバースペック材料に、技術は並、製品としての品質は並かそれ以下になる。

酷い例だと、屋久杉を使った蕎麦打ち台とかだ。

(馬鹿な)客は喜ぶし、生産者も儲かる。

そうやって、WinWinかと思い続けて数十年。

売り上げが右肩下がりなことに気付く。

一般人からの購入が減るからだ。

入門モデルより高付加価値商品シフトしたツケを払うことになる。

さら、入門モデルを作っても、たいしたものは作れない。

大量生産ノウハウは消えてる。

廉価モデルマーケットでは、同じ値段で倍の性能を持つ海外勢にボロ負けする。

後継者問題に話を戻そう。

技術者の減少が甚だしい。

技術者の数が減ると、技術の平均レベルも落ちる。

技術者が使う専門の道具もまた、専門の職人の手によるものだが、その職人もっとから後継者不足だ。

もう詰んでる。

ある伝統工芸に興味をもった。

職人になるには、一人前になるまで約10年、ほぼ無給の内弟子生活を強いられるそうな。

最近若い人は我慢が出来ない」

と嘆くけど、いや、それ無理じゃんかと思う。

仕事が出来ない、1円の価値もない素人10給料を払い続けるシステムの構築が急務と、俺なら考える。

しかし、その原資は、というと難しい。

そもそも、その伝統工芸品そのものが売れてない。

良さを理解する人が少ない。

数少ない顧客に訴求するために、高付加価値商品限定商品シフトする。

コンサルの答えとしては正解なんだろう。

「競合品の多いレッドオーシャンから抜け出せ!」

さら廉価商品を開発したって、機械大量生産できるようなものだと大手にゃ敵わないし、素人でも作れる品質なら人海戦術が使える途上国に敵わない。

技術のものはいきなりそう上げることは出来ない。

というか、技術のものをアップ出来るんなら、限定生産なんかしなくても、全部の既存商品品質レベルを上げられる。

安易な解決は、材料に凝ることだ。

オーバースペック材料に、技術は並、製品としての品質は並かそれ以下になる。

酷い例だと、屋久杉を使った蕎麦打ち台とかだ。

(馬鹿な)客は喜ぶし、生産者も儲かる。

そうやって、WinWinかと思い続けて数十年。

売り上げが右肩下がりなことに気付く。

一般人からの購入が減るからだ。

入門モデルより高付加価値商品シフトしたツケを払うことになる。

さら、入門モデルを作っても、たいしたものは作れない。

大量生産ノウハウは消えてる。

廉価モデルマーケットでは、同じ値段で倍の性能を持つ海外勢にボロ負けする。

後継者問題に話を戻そう。

技術者の減少が甚だしい。

技術者の数が減ると、技術の平均レベルも落ちる。

技術者が使う専門の道具もまた、専門の職人の手によるものだが、その職人もっとから後継者不足だ。

もう詰んでる。

ある伝統工芸に興味をもった。

職人になるには、一人前になるまで約10年、ほぼ無給の内弟子生活を強いられるそうな。

最近若い人は我慢が出来ない」

と嘆くけど、いや、それ無理じゃんかと思う。

仕事が出来ない、1円の価値もない素人10給料を払い続けるシステムの構築が急務と、俺なら考える。

しかし、その原資は、というと難しい。

そもそも、その伝統工芸品そのものが売れてない。

良さを理解する人が少ない。

数少ない顧客に訴求するために、高付加価値商品限定商品シフトする。

コンサルの答えとしては正解なんだろう。

「競合品の多いレッドオーシャンから抜け出せ!」

さら廉価商品を開発したって、機械大量生産できるようなものだと大手にゃ敵わないし、素人でも作れる品質なら人海戦術が使える途上国に敵わない。

技術のものはいきなりそう上げることは出来ない。

というか、技術のものをアップ出来るんなら、限定生産なんかしなくても、全部の既存商品品質レベルを上げられる。

安易な解決は、材料に凝ることだ。

オーバースペック材料に、技術は並、製品としての品質は並かそれ以下になる。

酷い例だと、屋久杉を使った蕎麦打ち台とかだ。

(馬鹿な)客は喜ぶし、生産者も儲かる。

そうやって、WinWinかと思い続けて数十年。

売り上げが右肩下がりなことに気付く。

一般人からの購入が減るからだ。

入門モデルより高付加価値商品シフトしたツケを払うことになる。

さら、入門モデルを作っても、たいしたものは作れない。

大量生産ノウハウは消えてる。

廉価モデルマーケットでは、同じ値段で倍の性能を持つ海外勢にボロ負けする。

後継者問題に話を戻そう。

技術者の減少が甚だしい。

技術者の数が減ると、技術の平均レベルも落ちる。

技術者が使う専門の道具もまた、専門の職人の手によるものだが、その職人もっとから後継者不足だ。

もう詰んでる。

2015-09-09

移民難民も受け入れてしま

本文は後で書く予定。

一応概要だけ。


1.メリット

文化的交流の促進……エイズが入ってくるなら鎖国の方がよかったのか。

国際貢献……世界的に、出兵に変わるカードにはなる。

富の集積……有資産層も政変を逃れて移民することがある。

将来の国際的縁故……日本教育を受けた難民帰国して首班に座ることもある。

安価労働力提供……最低賃金サービス業単純労働につく人が増える。人手不足の解消。特に林業伝統工芸

2.デメリット

集積された資産の使途……払った人と使われる人が違う、どころか無関係負担不公平感。

教育道徳等の低下……平均値が下がると社会は全体的に負担が大きくなる。

労働ダンピング……移民難民で受け持てる仕事日本人がつきにくくなる。


3.総括

僕らは宇宙船地球号の乗組員です。

他にメリットデメリットが思いついたら教えてください。

文書とき言及します。

2015-06-09

訳のわからない伝統工芸品より保護するべきものがあるでしょ

私はそう思う。

例えばある焼き物が隆盛を極めたのは、材料となる良質な土が採れたり、様々な文化を受容できる、そんな背景があったからだ。

しか現代においては環境は全く異なっている。

伝統工芸品が廃れているのは人材不足だけじゃなく、それはもう色々な原因が重なりあった、末期がんなわけ。

それだったらきちんと、人が集まるものに集中して投資していこうよ。

数人で成り立っている文化保護のために莫大な税金が使われている、この事実に目を向けてほしい。

結局日本人しか受けていない、しか日本人といってもその一部にしか受けていないものを金かけて保護する意味があるのか。

もっと商業的に物事見ていったほうが良いんじゃないの。

競争を勝ち抜いた工芸品についてはさらに大きな市場を見据えて金をかければいい。

2015-05-27

個人的な印象だが

ニッポンのモノづくり」の「モノ」って、要するに伝統工芸品だよね

価格は据え置きのままで、手間をかけること自体価値を見いだす、そんな価値観

から歩留まり向上とかコストダウンが常に求められる分野では全く通用しない

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