はてなキーワード: ヴァイオリンとは
演奏不可能の作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏が不可能、あるいは困難な音楽作品のことである。
クラシック音楽の世界では、演奏が不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能な作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易に無視できない存在となっている。巨大編成の作品や演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。
現代のポピュラー音楽の場合には、作曲家、作詞家、編曲家といった独立した職能も存在するものの、作品は演奏との一体性が強く、コンサート、ライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体(CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品が演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏が積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品をコンサートやライブにおいて生演奏する際には、自動演奏やテープなどを用いてレコーディングされた作品を再現するか、生演奏が可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。
歴史は長く、J.S.バッハの諸作品、モーツァルトのオペラフィガロの結婚や魔笛、ベートーヴェンのピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。
ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルトの魔王や交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニのヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86、リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に演奏不可能と宣告されたブルックナーの交響曲第2番、ブラームスのピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品、マーラーの交響曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム」第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。
近代ではストラヴィンスキーの春の祭典、シェーンベルクのピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲、モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的に作曲された例としてアイヴズの歌曲「義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオで演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオで演奏する者もいる。ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージは身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストやテクニックに不自由したピアニストは左手の音をずらして演奏することが慣例化している。
演奏不可能の作品という概念は現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能な音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能の概念は、今日例えばパソコンのシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から、人間が演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食を強要していると言う点で事実上の演奏不可能の作品である。
今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモス・アルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏が重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例である。クセナキス自身はテレビのインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。
しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単な作品も人間が演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である。
前述の通りポピュラー音楽はクラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。
特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞・作曲 桑田佳祐。アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏は事実上不可能となっている。ソフトウェア用マスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である。
作曲家が演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさらに作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのものは今日では演奏やレコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。
指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力が要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である。演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽の大家の作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストがベートーヴェンの交響曲をピアノの為に編曲したものが存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタは比較的易しい。
超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニが作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏が不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題が引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。
タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲である。ピアノのパガニーニを目指したリストの代表曲である。一般の演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リストが超絶技巧の極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーとレスリー・ハワードが録音を残している。
演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品。しかし現在では、早熟なヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。
は第一楽章がオクターヴの速い動きで事実上の演奏不可能の作品である。解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。
パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家の生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である。菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフの最高傑作だ」と称え、ピアノと吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。
十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲の構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイス・クラスナー独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲者自身は生演奏を聴いていないとされる。
1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエの作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会で一般公開され、色々な同僚作曲家の意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。
チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキーと意見が対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディッティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディッティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。
平均年齢高めのはてな諸兄なら、なんとなく覚えている人も結構いると思うが、今ほどシンセサイザーが発達する前の昭和の歌番組は、伴奏やジングルのためにお抱えのミュージシャンが多数出演するという、現在では考えられないほど贅沢な造りだった。
なおかつ演奏者の調達の都合(まとめて声掛けできる)からか、それが歌番独特のサウンドを生んでいた。
そのサウンドを自分の耳で聴いた感じや、当時の関係者が昔どこかのサイトに書き残していた情報によると、どうやら楽器編成は以下の通りのようである。
さて、「自分の耳で」と書いたが、これは別にyoutubeに上がっている昭和の歌番組のアーカイブだけが頼りではない。
というのも、このサウンドは平成を通じて令和の現在に至るまで、着実にアップデートしつつ受け継がれているからだ。
個人的には主にアニメやゲームとかの2次元コンテンツ関係で見る機会が多いので、以下全てそっち系から、古い順に曲紹介である。
昔と違って予算の関係もあるのか、曲によっては弦やリズムセクションが打ち込みだったり、更にはブラス隊まで打ち込みになってそうなのもあるにはある。
ただ最近のシンセ音源はかなり高品質なようで、そこそこ「生っぽい」感じ。
ともかく、いずれの曲も華やかなトランペット、印象的な旋律を奏でるヴァイオリンがとても魅力で、上手いアレンジだとピアノの立体感、サックスの艶、トロンボーンの直線的で力強い咆哮、ヴィオラ・チェロの全体を包み込むような響きも楽しめる。
聴き慣れてくると癖になるサウンドだし、何よりバンドやユニット以上に「プロミュージシャンが集まって奏でている」迫力がひしひし伝わってくるのも良い。
なので、今は色々厳しい話も多いと思うけど、細々でもいいから無くなってほしくないサウンドだ。
あと、個人的に当時の昭和の歌番のサウンドが途方もなかったと思うのは、予算や人の都合からか、レコード(CDすらない時代)の原曲と同じかそれに近い楽器編成を実現できない場合でも、番組ではレコードと同じに聞こえた点。
少なくとも素人の視聴者には違和感ない程度に一緒に聞こえるというのは、個々のミュージシャンがちゃんと歌手の個性とか歌の性質を理解し、音に仕上げていたことを意味するわけで、これこそプロの技だよなあと感心してしまう。
ひとまずストーリーをクリアしたという段階なので、絆会話をすべて見たわけでもない段階の感想です。
キャラゲーとして、以上にすごいものを摂取したなという感想です。
リソースの振り方が最高。素晴らしい。
キャラクター造詣(ストーリーやセリフという意味でも、モーションという意味でも、グラ……はもうちょっと頑張ってほしかった気もするけどまあこんなもんかなあ個人的には)にリソース全振りしたのは間違ってないと思います。
戦闘が楽しい無双ゲームとしては物足りないだろうと思います。正直。ただ、ファンが求めているのはそこではなくて、永遠に眺めていたくなる各刀剣男子の戦いっぷり、みたいな部分なんだろうなと思うと……そして戦闘中の掛け合いが解釈一致of解釈一致だし、戦闘中のBGMがものっそいうつくしいし、リソースの振り方として最適解だったなとしみじみと思いました。
それはそれとしていまどきのゲームで常に8秒前後のロード時間はひたすらにテンポが悪かった。
あまり気にしている人を見かけなかったので、ソシャゲのロード時間で皆慣れてるとかそういう……?コンシューマーゲームで毎回あれくらいのロード時間はさすがに苦痛でした。私だけかもしれませんが。
回復アイテムがない、アイテムの使用がない、その難易度のバランスとしてあらゆるところで回避ができる、というのもシンプルで私は結構好きでした。アイテム拾おうとしてA押して必殺技誤爆したのはみんなが通る道だと思いたい。
セルフ縛り?プレイとしてボーナスが出ている刀剣男子のみで難易度「難しい」でやる!って決めれば適度に私にちょうど良い難易度になったので、簡単すぎて困るという心配もまあ杞憂でしたし。さすがに戦闘で負けて失敗はしませんでしたが、適度に苦戦はしたので難易度としてはちょうどよくプレイできたかと。スニーキングは苦手すぎて何度か失敗しました。
そういう意味ではDLCでも何でも良いのでハイエンドな戦闘がしたいかもしれない……戦闘モーション無限に見ていられるので、エグイ強さの裏ボス的なものを追加してほしいアクションゲー好きとしてのいち要望もなくはないです。
蟲の攻撃パターン、ラスボス以外は大抵、避けて殴ってダウンさせる、という感じでもうちょっと芸というか驚きが欲しい気もしなくはなかったです。
一方で、最終章まで能力開放をしなかったので各キャラの魅力を味わえる強撃くらいは最初から開放してても良かったんじゃないか(最初から通常攻撃1,2,3回押せば出せると言えば出せるけれども)と少し思いました。
面影の沼が深いです。助けて。
面影さんが発表された時点で来派?とか特定していた審神者の皆様怖すぎる。合ってます。
面影と呼ばれる刀が複数あり、ゲーム内で描写されていた「刀身に人の顔が映る」という逸話を持った太刀もいれば、豊臣秀次の刀だった大太刀もいるようです。他にも同名の刀はいくつか……。プロトタイプ、そして「失敗作」として最適すぎる人選。刃選?まあいいや。
キャラ造詣が最高すぎる。逸話をもとに顕現する刀剣男子として、という意味では恐らく来派の秀次に伝わった刀である側面が一番大きく出ているからこそのカラーリングというかなんというか……なんでしょうけれど、「刀身に人の顔が映る」という逸話を持った太刀とはまた別物(かどうかすらわからない。逸話というのは混ざるものなので)っぽいし、複数の『面影』と呼ばれる刀剣の逸話をごちゃまぜにして顕現されたプロトタイプならばまあ失敗作になるのもうなずける、というか、確固たるものではない複数の逸話、複数の人格によって成り立っている刀剣男子ってそりゃあ本人しんどいでしょうよ無理好き尊いさいっこうに滾りますね今めっちゃにこにこしています。
面影が本家に逆輸入されるか、ですが、まあないと思います。なくて良いようにプロトタイプの失敗作として複数の刀剣が呼ばれていた「面影」という名前にしたんでしょうし。面影の主人格っぽかった来派の彼のみ違う名前で似たようなキャラデザで実装ならありうるかもしれませんが、私は刀剣乱舞無双の面影、が好きなので正直本家で見たいとは、あまり……。複数の逸話、複数の刀剣が当てはまる刀剣男子を励起してはまずい、というプロトタイプとしての面影さんがあったからこそ、本家で実装されている刀たちは、同田貫とか巴さんとかの「確固たる逸話がないものの寄せ集め」か、「確固たる逸話を持ったひと振り」かの二択になったんじゃないかな、と思うと、その尊い犠牲枠(だからこそさいっこうに面影さん無理好き尊い滾るって話なんですけど、)は本家には来ないんじゃないかな、来ないでほしいな、という気持ちも少しあります。それはそれとして面影さんの供給はもっと欲しい。ほしい。それはそれ、これはこれなオタク心。
日本史詳しくないのでわからないんですが、結構ちゃんと日本史調べてたのかなあ、と思いました。出陣前の文章思ったより中身詳細でびっくりしました。その割に伊達政宗とか真田幸村とかライト層に知名度の高い武将ぶっこんで来てたけど。日本史オタクに見せたら卒倒もの、というほどではなさそうというか、ある程度頑張っていた感。だからこそ、途中からファンタジー極振りに舵を切っても妙な置いてけぼり感もなく、良かったと思います。
そう、日向君なんで日向君?と思ってましたけど、石田三成関連はストーリー作りやすいでしょうね!!!!!と思いました。「惜しかったよ」っていう日向君さいっこうに良かったですねにこにこしますね。
絆会話、中身があるんだかないんだか、キャラの解釈は一致するしにこにこできるしとても良かった、ものの、ときおりものたりなさというか中身のなさというか、例えば山姥切国広と大倶利伽羅の絆会話の中身のなさに少し寂しく思うもこの二振りのキャラ的にはまあそうだよねと思わなくもないというか……マジで伽羅ちゃん慣れ合わないな。これは本家もそうなんですけど、解釈違いを起こさないのって供給の少なさもあるんじゃないかなと思いかけて背筋がぞっとしたというか、刀剣乱舞って解釈違いが無いよ!だって供給がないもの!って少し切なくないですか冷静になってしまうと。いやまあ最近頑張っているのも知っていますし、重傷進軍ボイスが好きすぎて本当にありがとう!!!!!!!!!ってなった審神者でもあるので何も言えないのですが。
戦闘中の掛け合いはとても良かったです。それで思い出したんですが、ある意味、本家のキャラの多さって、キャラの役割みたいなものが、細く鋭くなっていたんじゃないかな、としみじみと思いました。ええと、何の話かというと、15(+1)振りしかいないと、キャラの役割の範囲が少し広くなって、結果重なるんじゃないかな、と。(本来であれば蜻蛉切さんと一期一振ってあんまりキャラ被りしないけど今回少し、主に部隊内での立ち位置的なものでキャラ被りしたよね、と思うのはキャラ数が少ないからこそなんだろうな、みたいな。個人の主観ですしうまく言えないんですけど伝わっているでしょうか)個人的には、燭台切さんってそんなに政宗公のことにこだわるタイプではないと思っているんですけど、(もちろんかっこよくいきたいだろうし独眼竜憧れているだろうし燭台切という名前をくれた人という思い入れもあるでしょうけど、そこまで引きずっている印象がなくて)大俱利伽羅が慣れあったり気に掛けるわけがないし、鶴さんはいろんなところ転々として伊達家にいたこともあるというポジションだし、となると政宗公を気にかけるのが燭台切さんしかいない、から結果燭台切さんそんなに政宗公政宗公言うキャラだっけ?と少し首をかしげる、みたいなこともあったんじゃないかな、と思いまして、ある意味本家のキャラの多さ、はすなわち、キャラの役割が狭く鋭くなっていくんだなあ、という発見のようなものがありました。伊達組の例でいうなら、太鼓鐘と燭台切がわりと政宗公を気にかける方だよね、伽羅ちゃんも表には出さないけど内心少し気にしてるよね、鶴さんもなんやかんや伽羅ちゃんと同じくらいの温度感かな?みたいなグラデーションはキャラが多いからできる技なんだろうな、みたいな話。
まあ無双ゲーなので戦闘というか、戦闘モーションの話に戻るんですが、面影さんの固有刀技がかっこよすぎて、え、全員分こんなかっこいいのあるの??????って言いながら山姥切国広のを開けたときのわたしの、きもち、はい、……はい。鶴さんの固有刀技はめちゃめちゃ滾りました。ドンフワッてマジで鶴だったなにあれ尊い無理好きあの、あの、シュタッフワッ感舞い降りる感じ高下駄立ち方無理好き尊い(鶴さん推しです)となりました。燭台切さんはまあこんなもんかな、という感想。固有刀技は面影、鶴丸、山姥切国広、燭台切しかまだ開放していないので他はわかりませんが。
燭台切さんの居合かっこ良い!前方攻撃だったかな、刀を収めた瞬間にダメージはいるやつ!あれで強敵に止めさすとむちゃんこかっこいいんですよ!ひゅう伊達男!かっこいいよ燭台切さん!!!!!伊達組結構好きというのはありますが、伽羅ちゃんの足が出るのも結構好きです。ガッて蹴るの高校生みがあっていい。好き。
あと、蜻蛉切さんかっこいいね!薙ぎ払う槍マジで無双してるね!!動きダイナミックだし範囲広いしかっこいいしかっこいい!(そろそろ語彙力がない)槍ってかっこいいんだなあ、って思いました本当に。前方の突進していく感じもいいし、頭の上で回して構えるその美しくかっこいい所作が百点満点だし武人!って感じがあって良かったです。
クリア後に、ここであげた面影、山姥切国広、鶴丸、燭台切、大俱利伽羅、蜻蛉切、それから、一期一振、三日月宗近の戦闘モーションをかっこいいんだ見てくれ!!!!と言いながら友人に見せていました。
友人は刀剣乱舞みりしら……というには私がねえ聞いて!!!!!!をやっているのでなんとなくはわかる、くらいの温度感なのですが、一期一振が発表されたタイミングで「れいぴあ!!!!!!!!刀じゃなくてれいぴあだよこれ!!!!!!!!!」とキャラ紹介動画を見せたところ、「レイピアさんどうだったの?」と聞かれたので見せた形です。一期一振キャラとして普通に好きだしいいお兄ちゃんしてるしロイヤルだしかなり好きなんですが、それとレイピアな攻撃方法に耐えられるかは別なんよ!!!!!!!と思いつつ、ロイヤル好きだしなあという気持ちと、ボーナスもったいないの気持ちで頑張って使っていました。雑魚3000体、まあやりやすい前方攻撃ではありました。レイピアだけど。
それからおじいちゃんの強キャラ感なにあれ。かっこいいというかもう舞だしお美しいんよ。なにあれ。最高か?そう、友人曰く、「刀剣乱舞の顔なんでしょ?さすがに3Dモデル美しいしモーションもきれいだねー、三日月さんがモーション美しすぎるからエフェクトで頑張ることになって面影さんがああなったんじゃないの?」とのことで妙に納得しました。山姥切国広の固有刀技は「乙」とだけ言われました。余談ですが山姥切国広初期刀だし最推しなんですよ。通常のモーションかっこいいからいいんですけどね。強撃の弾きあげるのいい感じだし、軽やかな打刀あんまりいないので(歌仙も長谷部も一撃重めですしね)ああ好きだなあと思いました。長義も軽やかな打刀枠ではあるけれども。長義と言えば長船つながりで燭台切さんに絡むんですね(燭台切さんの3000体の特殊任務中に気づいて、はえぇってなってました)、そういう部隊を超えたつながりいいですよね、いいですね。好きです。
3Dモデルと言えば、特典版付属の画集に表情パターンが「喜」「怒」「哀」「驚」が載っているんですが、山姥切国広と大俱利伽羅だけ「喜」が「困」で口元むいって下がっててお前ら笑う気ないのか!!!!と思ったんですが、ミニゲームのお茶入れで成功したお茶を飲むときだけにこっとしててうわああああああああ守りたいこの笑顔を見るためにはお茶入れに成功するしかないのか!!!???と頭を抱えるなどしました。
鶴さんや薬研の猫みたいな笑い方良いですよね。かわいい。
ミニゲームのこのなんか一昔前のパワポケになかったっけみたいな感じ……一週回ってこれを令和にやるの愛おしく思えてくるし面白いからいいけど!絵合わせって何!?スロット!!????娯楽室だからスロットするの!!?????というかこんのすけって分裂するのなんなのカービィがステージクリアした時みたいに考えるな感じろてきな分裂するの君たち!!!??????
「歌」の掘り下げがあまりなかった気もしましたが、はなうたに出てくるメロディがもう聞いてわかる志方節でああいいなあと思いました。和風ファンタジーと志方あきこさんが合わないわけがないだろう!好きだよ!!俺を殺しに来ているだろう!!!!!
BGMも本当に良くて好きでした。個人的には大神とポケモンレジェンズアルセウスの間くらいなんだろうな、という感じ。大神ほど雅楽雅楽していないし、アルセウスほどシノワズリ(西洋の中華趣味のことを指す言葉ですが、今回は和楽器の使用によって和っぽさを強調しているイメージで使っています)偏重でもないというか。刀剣だけど洋装の男子もいるし、という意味でこの温度感ちょうど良いと思います。本家も割とそんな感じですしね。本家に関して言えばイベント系BGMだともうちょっと和楽器要素を強くしているのかな?という感じ。
これは完全な私個人の印象の話であり、本当の本当に偏見による感想なんですが、もしかして作曲したスタッフ、キングダムハーツの音楽意識したんだろうか、と思う、雰囲気が似ている気がしました。
あと、ただの空耳なんですが、「竜虎相搏」の冒頭が「依存スル弱者」の冒頭に、「背水の陣」の1:18あたりからの「レ、レ、レ、レミ♭レ、……」がポケモンのライバル戦の曲に一瞬聞こえてしまって罪悪感がありました。
BGMでは「悪戦苦闘」が好きです。オーケストラを使ったヴァイオリンとピアノがきらきらしている系の和風、良いですよね。こういうピアノに私は弱い……。「一気呵成」の弦がずるい。なんだよこれかっこいいよ!低音なのがもう刀剣男子みがあっていいし、フルートもずるいしなんかもう本当に戦闘曲としてずっと聞いていられる、普遍的な戦闘曲が良いゲームは良いゲームだと思います(暴論)
それぞれの戦闘曲はゆっくり聞いてみようと思います(各キャラの曲なのか戦闘のBGMなのかいまいちわからなかったので、後でまとめて聞こうと思ってたんですよね。あ、でもおじいちゃんの神々しいコーラスは解釈一致すぎて泣くかと思いました。なにこれ好き)
いろいろ言ってますけどものすごく好きなゲームだし満足している!故の!長文!!なので!!!というかあくまで個人の主観による感想でありひとりごとです。言及されているすべてのものについて、誹謗中傷の意図は一切ありません。
まだ絆会話全開放していないし、特殊任務も全達成していないし、特典版のドラマCDもまだ聞いていないので、そこらへん見てまた何かあったら追記(やりかたわからないけど)します。
だとすれば
「だったらもっと管の短い、高音が得意な楽器を作ればええやん」
となりそうだが、そうするとフルートを半分の長さにしたピッコロよろしく、音質が大きく変わってしまってNGなのだろう。
実際チェロでト音記号の音域を弾いたときの美音を、ヴァイオリンやヴィオラでは絶対に出せないのと同様、
ホルンの美点である「甘く柔らかい音」は恐らく「管の長い楽器でハイトーンを吹く」ことでしか実現できないみたいな事情がありそう。
ということで、そんな無茶振りに等しい演奏が常態化していることも踏まえ、改めて「世界一難しい金管楽器」というのも納得である。
さて、そうなると金管楽器でホルンに次いで不満があるのがトロンボーン。
なんつーか
と言わんばかりの、騒音に等しい、潰れたような汚い音を平然と吹く人が多すぎな件。
欲しいのは力強く立体的な音なのに、そんな音に少しもかすらないのは、なんか勘違いしてんのか?と感じてしまう。
原理的には「長くて太いトランペット」である以上、そこまでノイジーな音なんて出ようがないと思ってるんだけど、なんでそうなるの?
この2つがなければ何もできないだろうという意見を見かけたので反例を並べたくなった。教えてくれれば追記する。
まずは個人が自宅で生配信でできるもの。スタジオで3Dを使うものはひとまず除く(と書いておいても読まないやつは書いてくる)。
・雑談
・お絵かき
・ASMR
・楽器演奏(ギター・ピアノ・ウクレレ・ヴァイオリン・オタマトーンなど。弾き語りもある)
・落語
・マシュマロ読み
・TRPG
・人狼
・買ってよかった物()
・クソコラ閲覧
・サイト閲覧(非公式wiki、アキネーター、通販サイト、グーグルアースなど)
・商品レビュー(サントリーの飲み物、ヘッドマッサージャーなど)
・共通点探し対談
・ボイチェン遊び
他には?
以下は転載
・TVバラエティのパクリ(スタジオじゃないと厳しいの多くね?:できるらしい)
・食わず嫌い王
・同時視聴(アニメ、映画、自分の切り抜きや初回配信、ライブカメラ等)
・ヘリウムガス
・体験レポ
・スーパーソング(店内BGM)レビュー(チャイニーズチェッカーやりながら)
・VRChat
・トークバラエティ系企画(クイズ、テーマトーク、バチェラー系など)
・声劇
・結婚式
・授業
・映画などの同時視聴
・DJ
・競馬
・天気予報
・足つぼマットに乗る
・サムネ作り
・婚活
・同僚のコーディネート考えるやつ
明らかに、ぽこぴー
・ゆるキャラグランプリ出場
・サウナレポ
・鹿狩り
・滝行
・なわとび、ローションカーリング、ローション相撲(スタジオ)
・細かすぎる物まね
>うーん、でも、やっぱり割合としては大部分コンピューターゲームなんじゃない?
違法でもなんでもないんだから現状でゲームに流れるのはしょうがなかろう。でも雑談やASMRメインで続けている人もいる。もし、仮にゲームが不可能になってもVTuber自体がなくなることはない。上のようなものに切り替えることは十分に可能。やりたいゲームができなくて一時引退した人もいるので全員が続けるわけじゃないが。
>Vと生主の違いあんまりないんだな 顔出しが現物かイラストかって感じの差?
自宅生配信縛りしたから機材に差がない以上は、Vにできることはほとんど生主にできるはず(生主にできることでVにできないことはあるが)。できないのは入れ替わり企画くらいか。
>大部分はゲーム(しながらの雑談でゲームメインじゃない)とカラオケだしやっぱ取り上げられたら普通に死ぬんちゃうかな。お絵かきとかASMRとかは個人に紐ついてるのでVって言われてもしっくりこない。ぽこピーも別格。
こんな仮定で言われたら反論のしようがないわ。ゲームとカラオケがなくなったら、このブクマカにとってのVTuberのイメージ自体が変わるってことかな。
野外コンサートだったのかぁ。歌詞で言ってるのね。うんもうちょっとがんばってほしいぞ。いや素人っぽさがよいのか。
ベートーヴェン野外コンサートなんてしてたのかな。チラッと調べた限りでは見つけられず。
できましたか(1808)。かっこよいアレンジ。冒頭ヴェルディの《運命の力》かと思った。あ、運命つながり?
ルドルフ大公(歌)「奇跡のスピード 次々生み出す 交響曲 協奏曲 未知の大きさ 新しい音 今こそ 目覚めた かく めい かー」
モーツァルト「どれも傑作だぁー」
ハイリゲンシュタットの遺書を書いた後10年間ほど(1802-12)はベートーヴェン中間の充実期とされている(傑作の森)。実際は交響曲第3番《英雄》が皮切り。《運命》は"傑作の森"期の後半に入るころの作品で、ここまでにヴァイオリンソナタ《クロイツェル》、ヴァイオリン協奏曲、ピアノソナタ第23番《熱情》、交響曲は第5番《運命》と同時に作られた第6番《田園》までかな。
かわいすぎる。
あらま!改訂中?それともまだ完成前だった?あらま!望海氏弾いてる!生観劇時も配信も同じところでミスタッチ?わざと?
げー、無声口唇破裂音(p)ってあんなに速く出せるものなの?そして望海氏はダブルタンギング要らずの人か(t)。うーむ、滑舌の訓練のたまものなのかな。管楽器かじった人間として恐れ入る。
ヴェーゲラー夫妻は1807年からコブレンツに移り住んでたようだけど、まあボンとそれほど離れてないか。
「もし対位法と同じぐらい戦術に精通していたら、目に物を見せてくれように」
ナポレオンウィーン侵攻中、謎の女が《運命》を献呈されつつ家政婦としてがんばっててかわいい。
ナポレオンとゲーテの場面きた。史実では1808年の諸侯会議の場で、日を接して3度会っているとのこと。ちょっと遡ってるのか。ナポレオンはウェルテルの愛読者で、エジプト遠征中(1798-9)に7回読み返ししたという。
「これこそ人間だ」「ここに人有り!」ナポレオンがゲーテを見るなり言った。
ゲーテはナポレオンに傾倒していたとのことで、ほんとはこんなこと言ってないと思われるけど、なるほど。
ナポレオンの理想を認めつつあくまでその達成手段には否定的な本作のゲーテ。主人公ベートーヴェンとの現実の関わり度合いからしてなぜゲーテが2番ではなく3番なのかと思っていたけど、ゲーテがナポレオンの心の代弁者の役割か。まあゲーテとは年齢も開きすぎか。
ナポレオン「余を毎夜さいなむ問いは、進むべきか、否か」
ベートーヴェン「否ー!」
再び盆が回っての見事な場面転換。あれ部屋きれいだ。
かいがいしく世話してる笑。家事からきしダメだったけどがんばったのか、掃除も食事も。なんでがんばってんだ笑。
ベートーヴェンの部屋はずっと汚かったっぽいけどな。ごはんも食べずに、とかはどうだったかなあ。食事に招いても現れずに作曲に夢中になっていたというのはNHKのプロファイラーでやってたか。
ベートーヴェン「なんだその格好は」
ツッコんでくれてありがとう気になってた気になってた!
謎の女「これ?すてきでしょう?あたしを見てどう感じる?」
なんかここ、市原悦子みがあった笑。家政婦だけに?
ほう!
ベートーヴェン「お前は、俺の才能なのでは⁈ もしそうだとしたら、まさにお前という才能こそが、俺の、恋人ということになる」
配役になかったしベッティーナは飛ばしますわね。そしてゲーテとベートーヴェンがテプリッツで会ったのはまあ一応偶然だった模様。
1812年きてる!
《悲愴》1798が今きた。難聴に苦しみ出したころの作品、と思うと、エレオノーレの語ることばとシンクロする。
ナポレオンのウィーン侵攻から3年経ってるから、エレオノーレは2人目の懐妊?
なお3楽章はショーで使われるのでした。
エレオノーレ「耳のことを隠して」
ベートーヴェンっていつまで難聴を秘密にしてたんだっけか、少なくともハイリゲンシュタットの遺書まではそうだとして。
謎の女「いいの?帰らなくて」
・どういう人?
フランス生まれ(1835-1921。七月王政~第一次大戦後)。小さいころは神童で、ピアノもオルガンも超一流で教養もあったすごい人。旅行も好きだった。オペラ、バレエ、合唱曲、あとは超絶技巧ものみたいな総合芸術が流行ってたフランスで、交響曲とかソナタみたいな堅苦しいジャンルをフランス人が書くならどうすればいいか模範を見せた。意識的に「フランス音楽」を作り上げた功績は大きいけど、長生きしすぎた(あと口が悪かった)せいで晩年は時代遅れ扱いを受けた。
・普通に有名な5曲
ザ代表作。交響曲とかいうドイツ語圏名産の重苦しい形式を、華、明快、節度が大事なフランス流の美学で仕立て直した金字塔。近いコンセプトのピアノ協奏曲第4番、ヴァイオリンソナタ第1番を聴いてみると、編成に合わせてどう曲想を変えてるかも楽しめる。
www.youtube.com/watch?v=eTsbgDBC4_k
サン=サーンスといえば協奏曲。ヴァイオリン協奏曲第3番とかチェロ協奏曲第1番も名作だけど、この曲は重厚な第1楽章、軽くて無邪気な第2楽章、情熱的な第3楽章とそれぞれ対照的な雰囲気が一度に楽しめる。
https://www.youtube.com/watch?v=tk_eqKUjDXE&list=OLAK5uy_kFlhz7yMPIyXhc1pQ-5NDDtQL0XezyFz8
若いころのサン=サーンスは「現代音楽家」で、古典を大事にもするけれど、形式の堅苦しさからは脱出しようとした。交響詩は当時最新鋭のジャンルで、死神のヴァイオリンとか、ガイコツを描写する木琴とか、ちょっと品のない表現もたくさん使って悪夢的な情景を表現しようとした意欲作。「オンファールの糸車」「アルジェリア組曲」もおすすめ。
www.youtube.com/watch?v=k1s28gmLicc
本人は発表を嫌がったっていうのもわかるけど、言いたいことを短く言い切る発想力と技術、やっぱりサン=サーンスだからこそ書けた作品だと思う。神秘的な「水族館」と馬鹿騒ぎの「化石」が個人的ハイライト。
www.youtube.com/watch?v=7SjagpXeNhM
サン=サーンスの堅いところと砕けたところが両方いい感じに出たオペラ。全部聴くと長い(でもオペラとしては短め)から、オリエントっぽさ満点の「バッカナール」が入ってて最後も派手な第3幕をとりあえず聴くといいと思う。異国趣味だとピアノ協奏曲第5番「エジプト風」の第2楽章とか、本人なりになんとか日本っぽさを出そうとがんばった「黄色の王女」も面白い。
www.youtube.com/watch?v=GNa8HOMcDvk
・そんなに有名じゃない(好きな人はたぶん知ってる)5曲
20代半ば、1860年ぐらいはサン=サーンスが最初に輝きはじめた時期だと思う。自分はこの曲が一番好きだけど、序奏とロンド・カプリチオーソ、ピアノ協奏曲第1番、交響曲第2番、チェロとピアノのための組曲 作品16、冒険心と若々しい覇気を感じる秀作ばかり。
https://www.youtube.com/watch?v=J34_SiyzsUw&list=OLAK5uy_nfoGOwtSlxkICv6SpIOPGmTsLh7soAVnU
ドイツっぽいド根性(ベートーヴェンとかブラームスとかワーグナーとかそういうやつ)はサン=サーンスの持ち味とは違うけど、この曲は珍しくベートーヴェンっぽい激しさ、硬質なかっこよさが味わえる。普仏戦争でドイツに負けて、自分たちのとこでも交響曲とかソナタとか作ってやろうと奮起した時期の曲だからだろうか。いわゆる「精神性」「深み」みたいなのは、「糸杉」作品156とかクラリネットソナタの第3楽章とかにある。
https://www.youtube.com/watch?v=AU2Eq1jKJGE&list=OLAK5uy_najeRAiKZJwnS2_n9wzLaYdgzMiOZ1RtY
ピアノの名人だったからピアノソロの曲もたくさんあるけど、楽器が身近すぎたからか良くも悪くも一瞬のひらめきで書いてて、波長が合わないといまいちアガらない。むしろ2台ピアノのほうが頭を悩ませながら作ったみたいな感じがあって工夫を楽しめる曲が揃ってる。この曲は優雅なワルツが軸なんだけど、ちょっと気を抜くと不穏な世界があるみたいな前衛的なシュールさもあって面白い。
www.youtube.com/watch?v=wNc7UNFcPMA
「オルガン付」で一度総決算して一息ついたあとの60代(20世紀に入る前後)は完成した作曲技術をつぎこんだ、地味だけど傑作の森だと思う。ヴァイオリンソナタ第2番、チェロ協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第1番とかを経てこの曲はヴァイオリンとチェロの二重協奏曲。どこをとってもいい音楽を聴いてるなあと思う。
www.youtube.com/watch?v=wDT21gGt9FQ
そして死んだその年の曲。年をとって無邪気になるというか、どっか遠いとこを見るようになる作曲家はいろいろいるけど、86の爺さんはやっぱり格が違う。もう思い残すことはなさそうな感じ。クラリネットソナタとファゴットソナタと合わせて三部作だからそっちもぜひ聴いてほしい。
anond:20210210062305 (クラシック曲ガイド) を見やすくしたよ。
§1600年代前半
§1600年代後半
§1700年代前半
§1700年代後半
§1800年代後半
§1800年代終盤から1900年代初頭 (後期ロマン派・印象派音楽)
§1900年代中盤以降 (第一次大戦終了によってロマン主義と印象主義が古くなった時代に真価を発揮した作曲家たち)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1664833
↑このブコメで賞賛されている表がかなりデタラメなので修正してみた。
とりあえず同じように1600年代から始めます。「オケゲム、マショー、パレストリーナ、ジョスカン・デ・プレがないぞ」とかいう意見もあるようですが、それはもっと以前だから書いていないだけです。
作曲家の「生まれた年」ではなく「主に活躍した時代」で書きます。これに文句を言っている方もおられるようですが、何故かと言うと例えば生まれは1600年代終盤だけれど音楽家として活躍し世に認められたのは1700年代になってから、といったような例があるからです。
「あれは記憶だけで描いてるから素晴らしい」とおっしゃる方もいらっしゃいますが、これも資料などは参照せず、ほぼ脳内の情報だけで書いております。
モンテヴェルディ(みんな知ってる「私を死なせて」)、カッチーニ(「アヴェ・マリア」が有名だが実はソ連の音楽学者ヴァヴィロフの贋作。真作で有名なのは「アマリッリ」)
シュッツ(「ドイツ音楽の父」として有名)、シャイン、シャイト(以上3名は「ドイツ三大S」として有名)
コレッリ(「ラ・フォリア」が有名)
ヴィヴァルディ(「四季」の人)、アルビノーニ(「アルビノーニのアダージョ」が有名だが贋作。真作で一般に有名な曲は無い)、ペルゴレージ(「スターバト・マーテル」が有名)
クープラン(チェンバロ曲で有名)、ラモー(音楽理論とオペラ)
バッハ(名曲多数)、ヘンデル(日本では「音楽の母」などと呼ばれたが女性ではない。「メサイア」「オンブラ・マイ・フ」「水上の音楽」など)、テレマン(「食卓の音楽」で有名)
以上1600~1750年が「バロック音楽」の時代。欧州における「絶対王政」の時代とほぼ重なるという見解があります。
「古典派音楽」の時代。啓蒙思想によって理性が重視され、それが音楽に影響を及ぼした時代です。
チマローザ(オペラ「秘密の結婚」)、パイジェッロ(「うつろな心」)、ボッケリーニ(「女ハイドン」の異名を持つが男性)、サリエリ(オペラの巨匠)
音楽における「ロマン主義」は文学や絵画よりも遅れて1800年代になってから現れます。この時期は古典派音楽からロマン派音楽への過渡期です。
ロッシーニ(オペラ「ウィリアム・テル」「セビリアの理髪師」など)、ベッリーニ(オペラ「ノルマ」など)、ドニゼッティ(オペラ「愛の妙薬」など)
シューベルト(未完成交響曲 D 579、歌曲集「冬の旅」など)
メンデルスゾーン、シューマン、世代的にはワーグナーもここに入る(この時期はオペラ「リエンツィ」「タンホイザー」「ローエングリン」など)
リスト(本人はハンガリー人を自認したが実際はドイツ系オーストリア人で本来のハンガリーの民族要素は無いのでドイツ・オーストリア音楽として捉えるのが正しい)
グリンカ(オペラ「ルスランとリュドミラ」)、ダルゴムイシスキー(オペラ「石の客」)
1848年革命の失敗により、ヨーロッパ音楽の雰囲気も暗くなって参ります。
ヴェルディ後期(オペラ「椿姫」「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」など)
ブルックナー(交響曲では4番と7番、8番が有名だが初心者に聞きやすいのはむしろ1番と6番だと思う)
ブラームス、ブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番が有名)、ワーグナー後期(楽劇「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」「ニュルンベルクのマイスタージンガー」)
オッフェンバック(オペレッタ「天国と地獄」など。実はドイツ人)、グノー(オペラ「ファウスト」)マスネ(オペラ「タイス」など。「タイスの瞑想曲」)、サン=サーンス(長生きしたので今年没後100年)、フランク(バッハの対位法、ベートーヴェンの劇的構成、ワーグナーの和声を融合した究極の交響曲を作曲したが実はベルギー人)、フォーレ(「レクイエム」「幻想の水平線」)
スメタナ(連作交響詩「我が祖国」その中の一曲が「モルダウ」)、ドヴォジャーク(「新世界交響曲」e-moll op.95 など)
ボロディン(オペラ「イーゴリ公」、交響詩「中央アジアの草原にて」、交響曲第2番など)、バラキレフ(東洋幻想曲「イスラメイ」)、ムソルグスキー(オペラ「ボリス・ゴドノフ」、ピアノ組曲「展覧会の絵」)、リムスキー=コルサコフ(交響組曲「シェヘラザード」など)、チーコフスキー(バレエ「白鳥の湖」、交響曲第6番「悲愴」など)
グリーグ(ピアノ協奏曲、劇判音楽「ペール・ギュント」、ピアノ曲「抒情小品集」、歌曲「最後の春」など)
プッチーニ(オペラ「トスカ(星は光りぬ)」「蝶々夫人(ある晴れた日に)」「トゥーランドット(誰も寝てはいかん)」など)、マスカーニ(オペラ「カヴァレリア・ルスティカーナ」映画「ゴッドファーザー PART III」のあれ)、レスピーギ(交響詩「ローマの松」などローマ三部作)
マーラー(11曲の交響曲と歌曲)、ヴォルフ(ドイツ語歌曲の頂点として非常に有名)
リヒャルト・シュトラウス(交響詩「ツァラトストラはかく語りき」〈映画「2001年宇宙の旅」のあれ〉オペラ「サロメ」〈裸踊りで有名〉「薔薇の騎士」〈少女漫画オペラ〉)、レーガー(変奏曲と室内楽の達人。歌曲も秀逸)
ダンディ(「フランスの山人の歌による交響曲」は初音ミクが歌った冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」の元ネタ)、ショーソン(「詩曲」、フランクの影響を受けた1曲だけの交響曲など)、ドビュッシー(オペラ「ペレアスとメリザンド」、交響詩「海」など)、ラヴェル(バレエ音楽「ダフニスとクロエ」、ピアノ協奏曲ト長調など)
フェルステル、ヤナーチェク(オペラ「利口な女狐の物語」、村上春樹のせいで何故か有名になった「シンフォニエッタ」)、スーク(アスラエル交響曲などが有名)
シマノフスキ(「スターバト・マーテル」など)
グラズノフ(ロシア浪漫派交響曲を集大成した作曲家として有名)、ラフマニノフ(無伴奏合唱曲「晩祷」で非常に有名)、スクリャービン(神智学に陶酔した交響曲第4番「エクスタシー」と、「神秘和音」を駆使した妄想ピアノソナタで非常に有名)
エルガー(「威風堂々」が有名だが真の傑作は交響曲第2番)、ディーリアス(「春始めての郭公を聴いて」は英語圏では誰もが知る名曲)、ヴォーン・ウィリアムズ(「田園交響曲(3番)」と「南極交響曲(7番)」が有名だが5番も捨て難い)
ヒンデミット(オペラ「画家マティス」と、その音楽をまとめた交響曲が有名)
シェーンベルク(無調音楽、12音音楽の創始者。彼が最初に12音音楽による楽曲を完成したのが1921年なので今年はシェーンベルク式12音音楽の100周年。まず聴くばきは「ピアノ協奏曲」「ヴァイオリン協奏曲」「弦楽四重奏曲第3番、第4番」)、ベルク(無調音楽、12音音楽に調性音楽的要素を取り入れて聴きやすくした人。オペラ「ヴォツェック」「ルル」、器楽曲では「ヴァイオリン協奏曲」が有名)、ヴェーベルン(12音音楽の究極として有名)。以上の3人は「シン・ヴィーン楽派」として20世紀音楽を語る上で非常に重要です。
いわゆる「6人組」の時代。現在でも有名なのはプーランク、ミヨー、オネゲル(交響曲第2番と第3番はカラヤン盤もあるので聴いて下さい。このほかオラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」も泣けます。実はスイス人)。現代音楽史的により重要なのはメシアン(「トゥーランガリラ交響曲」「世の終わりのための四重奏曲」「彼方の閃光」オペラ「アッシジの聖フランチェスコ」などが非常に有名)。
プロコフィエフ(大人は「ピーターと狼」みたいなガキ向けの曲は聴かず「交響曲第2番」の暴力的激しさにヒャッハーしましょう)、ハチャトリアン(「剣の舞」とかいう曲は子供の頃運動会で聴いたでしょうから、そんなものより「交響曲第2番」でファシストとの激しい戦いを体感しましょう)、ショスタコーヴィチ(世間一般では交響曲第5番が知られていますが、高く評価されているのは4番、8番、10番、14番など偶数番号の交響曲です。真髄はオペラと弦楽四重奏曲です)
20世紀後半以降は省略。
私の行ったコンサートの中で今でも強く印象に残ってるものを 10 個挙げてみる。