はてなキーワード: ロバートとは
おかず
おかず
と交互に、そしてご飯はなるべく少なめにちびちび食べる。そうしないとすぐにご飯がなくなってしまうからだ。ご飯の無くなった幕の内弁当は想像しただけで無残だ。秋山のいないロバートのようなものだ。気をつけなければいけない。
メインを張れそうなおかずは最後のほうに残しておく。お新香があればお新香+ご飯を最後に、なければメイン+ご飯を最後に食べる。もしお新香がなく、かつメインの味がご飯で中和できない、口の中に残るものだったらそのときはお浸しかなんか、野菜っぽいものを最後に食べるようにする。
飲み物はお~いお茶なくてはいけない。これは遺伝子に刻み込まれている。幕の内に限らず、弁当の飲み物は冷たいお~いお茶でなければならないと。あくまで冷たいお~いお茶だ。冬であろうとあったかいお~いお茶を選択してはならない。決して甘えてはいけない。
ロバート・デ・ニーロとロバートデニ色の違いって何?
ソース(星条旗新聞): https://www.stripes.com/news/protests-on-okinawa-aren-t-always-what-they-appear-to-be-1.222240
沖縄では反基地運動の人々のふりをした右翼活動家が「カーブボール活動」をしている。これは、過激な反基地活動を装うことで、反基地運動から人々を遠ざける戦術となっている。これは、中国に対してスキを見せる行動かもしれないし、そうでないかもしれない。分断はさけるべきであろう。
との内容。
中国の軍服をまとった沖縄の2人の抗議者。彼らの小型車には北朝鮮の創設者金日成(キム・イルソン)現職の金正日(キム・ジョンウン)夫人と中国共産党の毛沢東が貼られている。
街宣車に乗っていたKiyotaka Itayaは、沖縄での最近の過激派の中国と過激派の北朝鮮のデモを「カーブボール」戦術と呼んでいる。
この65歳の退職者は、「新しい憲法をつくる国民会議」と呼ばれる右翼のグループに所属している。
彼と他の20人のグループメンバーは、実際のデモンストレーションの中で偽の反左派抗議を繰り広げ、島の反米軍事運動を弱体化させ、野党を中国と北朝鮮と結び付けることによってより穏当な沖縄の活動家を撃退することを望んでいると、ItayaはStars and Stripesに語った。
ここでは両国(訳注: 中国と北朝鮮)が広く嫌われている。 怒った沖縄人が、グループの乗り物に岩を投げ、中国と北朝鮮の旗を屋根から壊そうとした、と彼は言った。
偽装抗議に出向き、マスクとサングラスを身にまとったItayaは言う。「反米集会に参加している人々は、「私たちはここにいることで北朝鮮や中国を支援しているのか」と言う」。
沖縄の海兵隊員と米軍団は、沖縄の地元の反軍事感情はそれほど広がっていないと主張し、抗議行動についてスター・ストライプスやその他のジャーナリストに警告した。
ロバート・エルドリッジ(G5計画・Liaison Office for Marine Corps Bases Japan)アシスタントチーフは、大規模な抗議行動は、東京から飛び込んだ教員組合や労働者団体などの外部団体や専門家グループによって組織されていると言う。
彼は、普天間飛行場での反基地活動家に偽装している右翼を知らなかったが、Itayaが偽の抗議活動を行っていることも聞いたとのことだ。
新しい憲法をつくる国民会議は、「カーブボール」戦略によって反米抗議を脅やかしているのかもしれない。
しかし、右翼グループは実際に沖縄に対する米軍の利益をさらに進めることを望んでいると語った。長年にわたる国民の反発とデモで停滞してきたが、日米の長年の合意に沿って、 普天間は移設するべきだとItayaは言った。
沖縄平和運動センター事務局長のHiroji Yamashiro氏は、木曜日から始まる予定の米軍基地周辺の一連の抗議行進を主導している。毎年、1972年の米国の占領から沖縄が日本の統治に復帰したことを記念して、沖縄人達は記念日の間に拠点を行進する。
Yamashiro氏は、中国の偽名の中国の抗議行動を「汚いトリック」と呼んだ。
「沖縄に反米と反日を装う抗議集会をイメージした写真や画像が放映されたとき、間違ったメッセージが本土に伝えられることが懸念されている」とYamashiro氏は述べた。
長期的な沖縄抗議運動の低下は、海外からの新たな脅威によるものと思われる。
Itayaのグループは、米国のプレゼンスに対する揺るぎない支持を、中国の領土的野心によって正当化していると考えている。
中国の学者と中国の最高級軍人は、無人の尖閣諸島に対する何年もの緊張と暴動の後、今月、約140万人の住む沖縄の所有権を問うことで紛争を激化させた。
Itayaなどの右翼は、米軍が島から撤退された場合には、中国の土地奪取や侵攻の恐れがあると主張する。
「力のバランスが落ちれば、それは起こりうる」と彼は語った。
最近の日本の世論調査では、沖縄の90%近くが中国の領土野望に懸念を示している。
しかし、中国のセンセーショナルな公式声明は、煙と鏡の戦術かもしれない。
「中国は沖縄の反応を今や耳にしている」と軍の役員が訓練されている防衛大学校の国際関係教授であるTomohide Muraiは語った。
胡錦濤国家主席は、このコメントが、東京に不満を持ち、米軍基地のホストとしての役割に長い間不満を抱いてきた沖縄の国民の支持と誇りの高まりを引き起こすことを期待していると語った。
沖縄での中国の活動は、さらに本土から日本を分離し、尖閣の支配などの領土紛争で中国の地位を強化する可能性がある、とMuraiは言った。
水曜日、活動家の小グループが、沖縄が日本から分離して独立国家になることができるかどうかを研究すると発表した。これは沖縄と日本のメディアによって報告された。
中国の指導部が真に「沖縄を所有していると信じている」、あるいは「日本の領土を占領しようとしている」とは思わないとMurai氏は述べた。 「彼らは主張を信じているわけではなく、日本を分裂できるかどうかを見守っている」
Itayaの偽装デモがこのような中国の目的を助けるか妨げるかどうかは不明である。 Itaya氏は、今週の那覇での反中国行進でも彼のグループが参加したと語った。
Muraiは、中国本土との関係に影響を与える国民の反発がなければ、中国は沖縄に対する、日本の主権への挑戦を放棄する可能性が高いと述べた。
「日本が今やるべきことは、結束することで、国家を分裂させることは避けるべきだ」と述べた。
tritten.travis[ a t ]stripes.com
sumida.chiyomi[ a t ]stripes.com
誰が本当に沖縄、ないしは「日本」を愛しているのだろうか。日本人同士が仮面をかぶって石を投げ合い、意見は分断され続けている。基地の是非は議題にあげる価値のある問題だが、議論をせずに石を投げ合っているだけの人々がおり、ちゃぶ台自体が破壊されつつあるのもまた事実である。
1803年、イギリスはロンドンに生まれる。政治家であり小説家。
政治家としては1858年から1859年までダービー内閣において植民地大臣を担い、コロンビアの統治などで成果を挙げて男爵位を授与された。
息子のロバートはインド総督となって伯爵となり、孫のヴィクターは「リットン調査団」の団長として知られる。
一方、小説家としては1834年に発表された歴史小説『ポンペイ最後の日』が名高い。
1839年に発表された戯曲『リシュリュー』での「ペンは剣よりも強し」という台詞もまたよく知られている。
彼はケンブリッジ大学在籍時からオカルトに傾倒し、フランシス・バレットの魔術教室で教えを学んだとされる。
秘密結社・薔薇十字団に入団したか、あるいはパトロンとしてその活動を支えた。
魔術師エリファス・レヴィとも親交があり、その降霊実験を手引きしたとも。
オカルト思想をふんだんに盛り込んだ『ザノーニ』『不思議な物語』といった小説も執筆している。
これに影響を受けてドイツでヴリル協会という秘密結社が設立されたという。
この作品で描かれる地底人たちは、自らの文明の優位を確信し、地上の劣等民族を統治することを当然としていた。
その思想が、ヴリル協会を通して、のちにナチスの人種差別政策やオカルト趣味に多大な影響を与えたとも言われている。
1873年に死去。
例えば、2006年、ロバート・ブランクストン・ジュニアは、付き合っている女性の3か月の子どもの肋骨と足を骨折させたため、2年間の刑務所行きとなった。ところがこの母親のほうは、ロバートから暴力を受けていた証拠があったにもかかわらず、「きちんと暴力に介入しなかった」罪で、なんと30年もの懲役刑を言い渡されている。
また同年、アロンゾ・ターナーは、付き合っている女性の3歳の息子を殺害した。やはり母親も暴力を受けていて、息子の虐待の邪魔をすると殺すと脅されていたにもかかわらず、怠慢によって子どもを負傷させたと、45年の懲役刑をくらっている。
出典:Moms Are Going to Jail When Abusive Partners Hurt the Kids
先日ジュラシックパークの最新作が全国公開された。
クリス=プラット演じる主人公が活躍する新生ジュラシックパーク第二弾とも言える作品だ。
前作よりもよりホラー寄りに回帰したりラプトルとの交流が見られたりとにかく面白いので是非見て欲しい。
ちなみに僕はまだ見ていない。
前置きはさておき、ジュラシックパークの恐竜たちは一体何者かという僕独自の考察をここに記しておこうと思う。
結論からいうと彼らは恐竜ではなく恐竜のようにデザインされた何かである
ジュラシックパークファンなら勿論知っている情報だと思うがおさらいをしてみよう。
蚊が木で休んだ際に樹液に絡め取られ、恐竜の血を体内に含んだまま長い時間をかけ「琥珀」になった。
現代になり琥珀の中に閉じ込められた恐竜の血から取り出されたDNAを元に恐竜たちが生まれた。
これが定説というかジュラシックパーク第1作目で作中アニメで語られている内容だ。
確かに説得力があり、当時子供だった僕はそのサイエンティックな内容に釘付けになり、よりストーリーに惹きつけられた。
このような記事がある。
恐竜をDNAから復元することは不可能?(オーストラリア研究)
http://karapaia.com/archives/52104981.html
つまり、物質は必ず劣化するものであり、恐竜のDNAも例に漏れてはいないということだ。
ただし、作中ではそれを予見してか、「不足しているDNAはカエルのもので補っている」とも語られている。
これにより、一見して最新の学説へのアンサーとしては成り立っているように見える。
どうしてだか、僕はここに違和感を感じている。
なぜカエルなのか。なぜ進化の経路上として爬虫類や鳥類よりも遠い両生類のDNAを使うのか。
パークの恐竜たちを語る上でこの人は外せない。
氏は新旧パーク双方に勤務し、実際に作中にも登場している。
いわば恐竜たちの生みの親であるパーク研究所の遺伝学主任である。
作中で語れられている氏の実績を大雑把に下記の通りまとめてみた。
先に仮説を述べておくと、
インドミナスに限らず、パークの恐竜たちは全て「リデザイン」されたのではないのだろうか。
つまり、形状的に模倣はされているが、必ずしも遺伝子として合致あるいは類似しているものではない。
作中のヴェロキラプトルは実際の世界のヴェロキラプトルとは違うというのは割と有名な話だとは思う。
実際のヴェロキラプトルは鶏ほどの大きさで主に小動物や昆虫を餌にし、大きくてもせいぜい小型の角竜を襲うことができていたのではないかと言われる。
実際にはデイノニクスと呼ばれる馬ほどの大きさの肉食恐竜がヴェロキラプトルの名前と足についている「大きな鉤爪」だけ借りて登場している。
演出のためだと言われればそれまでだが、
これは「リデザインされた恐竜に名付けた結果」と想像している。
あれだけ一作目から科学的考察が作中でされているのに、そこだけ演出のために実際の世界と違えるというのは個人的には違和感だ。
一緒にモニターに現れるスケールが確認できると思う。スケールには単位が表示されていないので正確には分からないが
あの同時に現れたスケールは「実際のラプトルと同じスケール」だと示唆する製作陣からのメッセージなのではないかと考えている。
また、博士が持っているラプトルの爪は「デイノニクス」の爪としては小さすぎる気がする。
つまり、アラン博士はパークのラプトルをラプトルとしては認識していない
少なくとも作中に出てきたパーク監視員のロバートに確認するまでは認識していなかったと思う。
学者全般に言えることだと思うが、学者は全てが解明されているという前提で研究をしているものはいない。
常に新しい情報で自らをアップデートしていくため、パークでラプトルそのものを見せつけられたら
パーク内で生まれたラプトルは大きな個体のものが存在すると捉えるのは自然なことだと感じる。
ましてや、欠損部分をカバーしていると事前に聞いているので多少の差異は覚悟しているとは思う。
アランはきっと「我々が思っているよりラプトルの整体はずっと大きかった」と思ったのではないか。
ジュラシックパーク一作目が公開された当初から、羽毛恐竜の存在はほぼ定説となっていた。
それらを作中に取り入れなかった理由として単に「一般の恐竜イメージが損なわれる」というものではない気がする。
どちらかというと、パークの経営的な判断として、よりイメージに近い「恐竜」を生み出して欲しいというオーダーがウー博士にされた結果、
羽毛のない恐竜になったというのが個人的にスッキリ腑に落ちるところである。
その極たる例としては、前述した「インドミナス・レックス」が当てはまる。
あれは作中でも経営層から「より恐ろしい恐竜」を依頼されたため、その通り作ったと氏自身が語っている。
(まあこれは恐竜ではないが)
作中のモササウルスだが、ものすごく巨大な生き物として描かれている。
少なく見積もっても30m以上はある。
実際に発掘されたモササウルスは18mが最大だそうだ。
水中に生息しているモササウルスの血を吸えるのか?
これも非常に疑問に思う。
原生のクジラなどと同じく極度に海中に特化した外形のため、モササウルスはその巨体故に陸上が近いと座礁してしまう。
そのため、陸に近い、蚊が発生する真水のある環境近くに接近し、蚊に吸血されてしまうとは考えづらい。
仮にされたとしてもその頻度は非常にレアなのではないだろうか。
捕食者について、初めて読んだのはずいぶん前のことだ。十数年になるか。当時はへぇ面白いなとは思ったが、そのまま流した。まともに受け取らなかった。SFチックな話だといった程度の受け止め方だった。
そしてそれなりにいい歳となった今、改めてカスタネダ「無限の本質」を読み返してみると、今もなお私の心に響いてくる何かがある。突拍子もないフィクションだとは流せずにいる自分がいる。
今これを書いていて思ったのだが、成功者のいないマネーゲーム(シャインフェルド)を思い起こさせる。
ドン ミゲル ルイス、ロバート モンロー、EOも同様のことを書いているのだという。
これを認識することが捕食者から脱するための大きな一歩だというのはたしかのその通りだ。
もしこれが本当のことなのだとしたら、私はすさまじいことを教わったことになる。たとえフィクションでも実際に私の人生に大きな影響を与えたことに変わりはないというReviewerがいたが、全くその通りだ。
ハンロンの剃刀(ハンロンのかみそり、英: Hanlon's razor)とは、次の文で表現される考え方のことである。
Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.
例えば、ある製品に欠陥が見つかった場合、(大抵の場合、一般論としては)それは製造した企業が無能であるか愚かである
ということを示しているのであって、消費者を困らせるために企業が悪意を持って欠陥を忍ばせたわけではない、という考え方を
示すのに用いられる。
上記の文言それ自体は、20世紀のペンシルベニア州に住むロバート・J・ハンロン (Robert J. Hanlon) という人の発言に
由来するもの、とその友人などによって主張されたが、こうした考え方や類似の警句は、それよりはるか以前から
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%89%83%E5%88%80
By Lick Watermelon May 25, 2018 588 米国で驚愕の法案が下院を通過した。その名も「国民皆死刑制度」だ。これは相次ぐ銃犯罪への対抗策として提出された一連の法案の一部で、この法案は国民は誰でも任意の相手を死刑にできるという衝撃の内容だ。法案を提出した野党連合代表のロバート・エリクソン議員は「アメリカは潜在的に世界中の銃犯罪の温床になってきました。国民は銃社会を脱却するときに来ています。銃に代わって国民を守るのがこの法案です」と語る。同制度では各州政府に設置される投票箱にアメリカ人の氏名・年齢・住所・職業などを記入して投函すると、アイデンティティが確認された人物を無条件に死刑にできる。在職中のアメリカ大統領および議会議員など任期中の執行を猶予されるというが、例外は一切認められていない。エリクソン議員によれば「現在では読み書きができれば銃を手に入れ、任意の人物を射殺することができますが、実際には銃撃によって国民が半減するには至っていません。この制度でも同様の難しさであらゆる人物を排除できますが、相互の信頼と隣人愛が正しく機能していれば乱用される事例は起こらないはずです」とのこと。また、執行は事務処理などを経て早くて1週間程度を要すると見積もられている。
昨日(4/27)アベンジャーズを観て、あまりの衝撃的な内容にずっとアベンジャーズのことを考えてた。
で、なんとなく今後の展開を予測したので、書いてみる。
なお、書いてる人はアイアンマンからずっと10年間18作を劇場で観続け、かつ翻訳でだけどマーベルの諸作をそこそこ読み込んでるのでそれなりに知識はある。
ラストシーン、ニック・フューリーが操作していた通信機らしきものに映し出されたのは、キャプテン・マーベルのマーク。
キャプテン・マーベルと言ってもこれまでMCUで言及されてないし、正直誰? となるだろうけど、90年代にX-MENを追っかけてた人なら、「ローグにパワーを吸い取られたキャロル・ダンバース(ミズ・マーベル)」と言えばあるいは通じるかな。
で、当然出てくる疑問が「MCUの世界にキャロルがいるなら、なぜこれまで招集されなかったの?」という疑問が湧く。
ところで、wikipediaのキャロル・ダンバースの記述によれば
となると、
というところまでは容易に想像がつく。
が、例によってフューリーだけはずっと繋がりを維持していて、今回の未曾有の危機に連絡したということになるのだろう。
原作である『インフィニティ・ガントレット』で重要な役割を果たすアダム・ウォーロックがなぜ今回の映画に登場しないのかについては、様々に取り沙汰されていたようだ。
が、キャプテン・マーベルがアダム・ウォーロックの役どころを果たすとすれば、これは解決する。
おそらく、原作において対サノス用のキャラクターという感の強いアダム・ウォーロックよりも、今後別のドラマ展開が期待できるキャロルを持ってきて、切り札とする方が都合が良かったのだろう。
シビル・ウォーにも参戦した以上、今回もどこかで顔を出すと思われたスコット・ラングのアントマンは、結局登場しなかった。
MCUの次回作は『アントマン&ワスプ』なので、前作同様、世界的な危機を横目に別のことをしていたという展開になるのだろうか。
だが、実はインフィニティ・ウォーにも参戦していて、次のアベンジャーズでその活躍が明かされる(小さいので映ってなかっただけ)という展開があったら面白い。
ポスターに姿がないことから世界中のファンをやきもきさせていたホークアイことクリント・バートン。
結局、「クリントは自宅謹慎中」の一言で片付けられてのけぞった。
今回もロバート(・ダウニー Jr)がよくトレーラーにみんなを呼んでくれてランチしたりしたんだ。たいていはオリジナルの6人でね。
(パンフレットのクリス・ヘムズワースのインタビューより引用)
オリジナルの6人? ここで「オリジナルの」と言えば当然「アベンジャーズ」1作目のことを言うのだろうけど、映画に出たのはキャップ・社長・ソー・ハルク・ウィドウしかいないはず(ロキがいるけど今回の映画ではワンシーンしか出ないので、集まるほど現場にいなかったのでは?)
とすると、実はホークアイのジェレミー・レナーも現場にいたのでは? という予想が導かれる。
なぜ今作に登場しないホークアイがそこにいたのかと言えば、考えられるのは「次のアベンジャーズも一緒に撮影していたから」と考えても不自然ではなさそう。話としては完全に繋がる(元々前後編の予定だった)ので、2本撮りをしていてもおかしくはないのだ。
試写会にて視聴
事前情報は3つ
・そこまで期待してない
貧乏な出で仕事も首になったけど、機転と発想で成功を目指して見世物小屋をやる
予想以上だった
歌がすげーよかった
見終わった後すげーテンションあがった
映画始まる前に主役のヒュージャックマンの特別な映像で「これはサクセスストーリーです。特別試写会をぜひ楽しんでください」みたいなビデオメッセージがあった
ストーリーがよく言えば王道でわかりやすく、難しいことを考えなくてもいい
この時期の試写会だってのに途中でトイレに立つ人が数人いたくらいで咳もくしゃみも1回も聞こえなかったくらい見てる人を入り込ませる力があった
それがすごく日本的なセンスのシーンで、個人的にものすごく面白くてほんと大好きだった
さりげない・何気ないシーンだけど、ものすごくいとおしいラストシーンの一つだった
歌がすごくいい
思ってたよりもかなりよかった
どこがよかったか
メロディが印象的で見ながら口ずさめるくらいの気持ちよさがあった
歌って踊ってるシーンを静かに見てる自分たちがなんかすごくあほなことしてるように思えるくらいだった
ガルパンの絶叫上映じゃないけど、これも同じような上映やってほしいなと思う
ハーモリーと名付けよう
声質とかもろもろあってる必要があると思うんだけどマジでぴったりだった
どちらもめちゃくちゃきれいで歌単体ですごく心地よかった
キャラはよかった
ヒュージャックマンってやっぱりロバートダウニージュニアに似てる・・・
新聞の批評家は最初いやみキャラかなと思ったらそれだけじゃなかった
むしろそれがあったから最後らへんの展開で生きたキャラになってた
あと歌はサントラ欲しくなった
ストーリーが悪く言えばありがち
作中で結構時間たってるように見えるのにみんな全然見た目が変わらない(特にヒュージャックマンの子供たち)のが違和感
ミュージカルだから字幕だったけど映像がめまぐるしいのと字幕追うのとで目が回った
ただでさえめまぐるしくて目がすべるのに字幕で見る映画じゃないなと
ミュージカルだからそこを吹き替えってのは難しいし吹き替えたら声も意味も変わっちゃうからやらないほうがいいのはわかるけど
セリフと歌はところどころ聞き取れたけど、歌が盛り上がってるとなんていってるかはほぼ聞き取れない
試写会限定だと思うけど、スタッフロールの後、いきなり日本の女子高生が映画の歌で踊りだす動画が流れたこと
結局映画の宣伝ってことらしいけど、映画の直後に見せられると本編とのギャップがありすぎていろいろとひどすぎる出来にしか思えなかった
余韻が台無しにされた感じがして残念だった
試写会前の宣伝PVで、銃夢っぽいけどタイトル違う?と思ったけど後で調べたら銃夢原作の映画だった
https://twitter.com/shinkai35/status/945771033696509952 へのリプライです。書くところが無いので、ここに書きます。この話は全てフィクションで、実在の人物や組織には一切関係ありません。
その日、文筆家しんかいはPCから出るピピピ・・・と言う異音で目を覚ました。翌日が休日である事に安心しきって、ついついツイッターでリツイートされてきたポストモダニストの著作がいかにおかしい話であるかを語っていたはずなのだが、顔にキーボードの模様をつける結果となっている。実感は沸かないが寄る年瀬には勝てない。相対主義が何を主張しようが、ヒトにはその限界がある。そんな事を思いながら、テレビのスイッチを入れようとしたとき、しんかいは異変に気づいた。
部屋に置いてあるそれは、平面的で画面が大きな液晶テレビではなく、画面は小さいが奥行きのある立方体、昔懐かしいブラウン管のもので、ダイアル式のスイッチでチャンネルを選択するそれだ。電源のオン/オフに金属のトグルスイッチがついており、もしかしたら産まれてから実際に目にしたテレビの中でもっとも古いものかも知れない。背面から出て壁につながっているテレビ線のコードは同軸ケーブルではなく、平たいプラスチックの両端に二本の細い線があるものだ。もう平成も終わろうとしているのに昭和過ぎる。が、昭和であってもテレビの裏の埃は変わらない。くしゃみが出てきた。
パチンと電源を入れる。ヴォンと音を立てた後、数秒の間を置いて粗い絵が映し出された。4Kや8Kのテレビの宣伝をみるたびに、もう走査線の本数を向上させてもと思うが、いやおう無しにでもその重要性を認識せざるを得ない絵だ。北朝鮮のテレビよりひどい。2017年12月27日、朝7時のニュースが始まった。アナウンサーの「おはようございます」は、普段通りの番組だが、他は普段通りとは言い難いものであった。見慣れたコンピュータ・グラフィックスの今日の見出しが、アナウンサーの横の黒板に置き換えられている。ボードですらない。何より、国家放送第一と言っている。
しんかいはチャンネルを回してみた。チャンネルはかくんと90度づつ回転し、四つしかチャンネルが無いことがわかる。ぐるっと一回転させる。四つあるチャンネルのうち、一つは白黒の画素が激しく入れ替わるノイズが流れていたが、三つは使われていた。国家放送第二、国家放送第三、ノイズ、最初の国家放送第一。どうやら、国家放送しかないようだ。第二はこの時間帯なのに正しい文学について解説し、第三は老人が正しい体操を実践している。しんかいは、この時点でテレビの登場人物全員が、カーキ色の上着を着ており、一列に並んだ大きめのボタンをきっちり留めていることに気づいた。
チャンネルを国家放送第一に戻す。国民服のようなものを着たアナウンサーが読み上げるのは交通事故や気象情報と言うところは、公共放送のニュース番組と同じだ。しかし、一つ一つについて解説を丁寧に与えていく。しばらく唖然としながら番組を見つめ、思わず「何だ?」とツイートした。ニュースに解説があるだけであったら、驚かなかったかも知れない。しかし、先々月の災害の被災者の感情を、微分可能多様体と言う単語を持ち出して説明しようとしている。そう、ポストモダンだ。ポストモダンについては日本有数の知識を有すると自認しているが、寒気についてのポストモダン的解釈は初めて聞く。
はっきり認識はできているが、全く理解ができない状況。自らの視覚や聴覚を信じることができない。思わず、「テレビがポストモダンになっている」となっているとツイッターに書き込む。「え、愛知だけでは?」「柄谷行人が死んだりでもした?」「ポストモダンに“なる”はおかしいだろう」とリプライが返って来る。誰もこのポモな国家放送を観てはいないようだ。ブラウザーでポータルサイトのニュースを見ても、特段、テレビ放送に関するものはない。ツイッターやフェイスブックの検索でも、しんかいと同じものを見ている人はいないようだ。
このブラウン管のテレビだけが、ポモな国家放送を流しているのであろうか。アンテナ線は壁につながっているが、これはモックなのであろうか。手の込んだ悪戯としか考えられない状況ではあるのだが、手の込みすぎたところが気になった。目の疲れを感じる。気づくと一時間は国家放送を観ているのだが、同じ内容が繰り返し放送されているわけではない。チャンネルは三つ。ブラウン管のテレビも昭和風ではあるが、チャンネルのスイッチは特製だ。粗雑な出来とは言え、かなりの労力だ。現実とも夢とも断言できない。
しんかいは電器店にいって、他のテレビを観ることに決めた。冷静に考えればテレビを摩り替えられたとしか思えないわけで、窃盗で警察に届出を行なうべきだが、この国家放送が持つリアリティがそれを躊躇わせた。無理な体勢で寝てしまったので二度寝の誘惑もあるが、“ブラウン”管からの一つの連想が心をざわめかしていた。ブラウン管の発明者はフェルディナントだが、ポストモダン思想の批判者にも有名なブラウン、ジェームズ・ロバート・ブラウンがいる。
著作「なぜ科学を語ってすれ違うのか」でブラウンは、国家などの社会的構築物が必然ではなく、人々の考えの偶発的な結果によるものと考えると、社会が人々の考えを統制しだしてファシスト国家に陥る危険性を指摘していた。また、ポストモダンの科学的方法への懐疑は、科学の進展を阻害し、技術的進歩を阻害する事になる。つまり、ブラウン管に映し出される世界は徹頭徹尾、ポストモダンに支配された世界と言える。
ポモの危険性を指摘してきたしんかいにとっては悪夢としか言いようが無いのだが、しんかいは心踊っている自分を自覚していた。日常からにじみ出る不穏な世界の兆候。アニメでは親しんだ別世界がそこにある。「けものフレンズ」は好物だ。このときしんかいは、柄谷行人の『日本近代文学の起源』の結核の話をすっかり忘却していた。ポストモダン思想に支配された世界であれば、繁華街の電器店がいかに危険な場所であるかは、最もしんかいが理解しているはずであるのにである。
テレビに見入っていたので気づかなかったが、家を出る前に、アパートの部屋が狭くなっている事に気づいた。振り返れば玄関が見える狭さなので迷子にはならないが、間取りも見覚えが無い。六畳一間と台所、バス・トイレ付きではあるが、便器は和式である。昨夜、帰宅する家を間違えたのであろうか。しんかいは映画「パトレイバー the Movie」の帆場のアパートでしか、似たような物件を見たことが無い。
机の上のPCの下には、書きかけの原稿用紙が散らばっていた。題は「科学のためのポストモダン思想からの脱却」とある。見覚えのある字ではあるが、自分のものを含めて久しく手書きの文字を読んでいないので、誰のものかは思い出せない。大判の封筒も置いてある。宛名は、自分であった。送り主は「鈴木幸子」とある。中はゲラ刷りで、赤が入っていた。出先で原稿を読もうと封筒を手に取る。
ポストが大きい金属製の重い扉をあけると、アパートの外側の廊下に出た。二階だ。表札は確かに自分の名前が書かれている。鍵がないので施錠できないがやむを得ない。ところでここは一体どこなのか。スマートホンを出して地図アプリで位置検索をかける。すぐに「こんな所でスマホが使えるわけが・・・」と思うが、現在位置はあっさり示された。GPSの電波は届いている。インターネットも使えた。自分の場所が異世界なのか、そうでないのか、明らかになってきた状況を元にしても判断が出来ない。
かなりの資力が必要になるが、古いアパートの部屋に自分を押し込む事は可能だ。しかし、衛星測位システムの電波までは防ぐ事ができなかったのであろう。聖戦士ダンバイン以来、主人公が異世界に飛ばされる娯楽作品に親しんできたしんかいは、密かに期待した状況が否定されて落胆する。まだ十分な確信が持てないが、これは壮大な仕掛けの悪戯だ。街の中心部に向かえばはっきりするであろう。しんかいは、金属の音を響かせながら階段を降りていった。
5分後、しんかいは自分が異世界にいる事を確信した。悪戯とすれば、神の仕業であろう。スマホの地図アプリの位置情報は機能していたが、道路の舗装が汚く、空気が汚れていて、高いビルが無いので空が見上げやすい。そして、旅行先でしか見たことが無い路面電車が走っていた。しんかいの知る名古屋市には市電が無い。しかし、ベージュと赤と緑のカラーリングの路面電車が走っている。地図アプリの位置情報は、間違いなく名古屋だ。
道を歩く人々の服装は、男性は国家放送局のアナウンサーが着ていた国民服、女性はもんぺ姿である。しんかいは人々が自分を凝視するのが気になって仕方が無かった。しんかいの格好はPコートにチノパンである。この世界では明らかに浮いている。この恥ずかしさをツイートして紛らわせたい衝動に駆られたが、文章だけでは何を書いても気がおかしくなったと思われるであろう。国民服ともんぺ女性と市電が映った写真を撮って、「ここはどこ?」とつけてアップロードをした。「戦時中の名古屋市」とリプライがつく。
戦時中なのであろうか。朝のニュースではそのような事は一切言っていなかったし、テレビは戦後で、カラー化は高度成長期の最中だ。昭和40年代ぐらいが相場に思える。状況を把握するために、一日中テレビを観ていた方が良かったかも知れない。古くて小さな家電店が目に付く。中に入ると、期待通りテレビが置いてあり、放送を見ることが出来た。店主は商売っ気の無い老人で、都合が良いことに客に関心がないようであった。テレビの出演者は全員、国民服ともんぺであり、ドラマですらそうであった。アパートの部屋のテレビだけがおかしいと言うのは否定された。
しばらくテレビに見入っていたが、空腹を感じてきた。何かを食べたいと思うが、この世界で食事をとる方法が思いつかない。飲食店はあるようだが、市電で使われている硬貨は見かけないものだった。この世界で使える金を持ち合わせていない。このままでは行き倒れ、帰宅をしても孤独死になってしまう。途方に暮れたところで、家電店に若い痩せた男が入ってきた。肌が白い。「単一の電池を・・・」と言ったところで、ゴホゴホと口を押さえて倒れこむ。指の隙間から見える、鮮血。小説の中でしか知らないが、即座に結核と言う単語が思いつく。店主は男の様子を気にせず、「ろうがいかい。向かいの店のホメオパシーが効くよ」と電池を出してくる。これは、不味い。
しんかいは、危機を感じて慌てて電器店の外に出た。ドンと人とぶつかる。「ごらぁ、前を見て歩け!」と旭日章のついた帽子をかぶってサーベルをつけたおっさん、明らかに警官に怒鳴られる。反射的に「すいません」と謝るが、警官はしんかいを上から下まで舐めるように見ると、「おまいさん、なんちゅー格好をしている。ちょっと署まで来い。三日はぶち込んでやる」と言い出した。その瞬間、中で物が落ちて割れる音がした。「お客さん、ちょっと、しっかり」と言う店主の声がする。警官はそちらが気になったのか、店の中に入った。
しんかいは、その隙を見逃さず走り出した。一瞬「逮捕されれば食事は出るかも知れない」とも思ったが、この体制国家的な異世界では逮捕されれば拷問を受ける可能性もある。どこにも行く宛てが無いと言うわけでもない。持って来た封筒の裏側には、住所が書いてあった。何者かは分からないが、「鈴木幸子」を頼る事にしよう。少なくとも、この世界のしんかいを知っている人物である事は確かだ。