はてなキーワード: ロバートとは
駅で肩を突き飛ばされてもへなへなと笑って
ポジティブシンキングしないといけないから嘘だとわかっても前向きに取り繕って
そんなものが人生ならば今すぐやめてしまいたいのだがどう思うだろうか
我儘だ、とよく思う
当たり前に権利の主張を声高にする
傷つかないために決めた強すぎる自我の発露がたくさんあって
そのせいで疎まれたり嫌われたり距離を置かれることはいざ知らず
仲良くなるのは大得意
見限られるのも大得意
大丈夫大丈夫、来るもの拒まず去る者は追わないよ、っていうけれど
拒絶すれば寄ってくる?最初だけだよ。みんな本当は話せる僕を見てたじろいでいくんだ。
愛される真似をすればするほど、吐きそうになったのはいつからだろう。
前はうまく演技できたのにな、演技してもしなくても人が去っていくことは変わらないけど。
絵を描くことが好きだった。
でも誰一人、私の絵がほしいわけじゃなかった。
みんなそうだ。そうだけどさ。
若さ。女であること。望むコンテンツ。エロティシズム。いろんな理由から、邪に私の絵は消費される。褒めてくれるならなんだっていいよ。自暴自棄に陥ったらどんどん、空っぽになっていった。本当に好きなものを好きと言って否定されることが怖かった。
でも媚びたところで、結局何にもならなくて、私は社会の歯車として生きる一生のみを嘱託されてこの世に生れ落ちてきたのかと思うとこの上ない絶望に苛まれた。それはきっと、いい年してろくに恋愛もセックスもこなしてこなかった虚しさと、学歴すら擲った自分の愚かしさにある。その上まだ過去の虚妄に執着し美しい偶像をだれか一人に求めてはその個人を消費し、自分自身を優位化することでしか自我を保てない惨めさに打ち震える自己はなんて、なんて情けなく、醜く、地獄のような許されない存在なんであろうか。
私は私の作るものが全て大好きで、大嫌いだ。
正直、才能はないと思う。でもやりたい気持ちがあるから、ずっと下手の横好きを続けている。望まれない夢を描き続けている。「特別な何か」なんて幻想を諦めればすぐに普通に生きられるのに。でもそれはあまりにも、あまりにも苦しい選択だった。あの家に居続ける限り、家族はいつまでも優秀な私という過去の幻影に縛られ続けるだろう。私もその幻影を忘れることはできず、しかし生活を迫られるだろう。母親はこの盛大な自己矛盾を理解していながら、血縁という親が子供に振るえる最大の暴力でもって自己矛盾を正当化し続けるであろう。祖母は疲弊した私に思考停止を勧め、父は自立を促すであろう。最悪だ。本当に、最悪でしかない。
マジで何も面白くない。というか、自分の空っぽさ加減に虫唾が走る。結局言いたいことなんか何にもありやしないじゃないか。単なる幼児のわめきだろ、構ってほしいだけだ。構ってほしいと言って許されるのは一部の才能を持って生まれた人々だけだというのに。愛されるべく生まれ、生きるべくして生きている人々。素晴らしい。本当に最高のことだ。そういった人間を生かし、この世に少しでも美しいものを増やしていくことが、われわれ人間に課せられた最大の使命なのではないだろうか。これは嫉妬などではなく、本当に心の底から思っている。対して、、、、自分の無力さ加減はどうだ。もう自分自身にアイデンティティや価値を感じずに生きれるようになりたい。傷つくことに鈍感でありたい。自分自身は所詮この世を回遊するために与えられた必要最低限の肉体であり、利用されるべきコンテンツなのだ。
だれか一人に期待したり、何度も神を掲げたり、忙しすぎていやになる。
美しくなければ存在意義はゼロなので、こう考えてしまう限りは私は美しくあるための努力が足りないのだな。何でもできる人間になりたいが、未だ私にフィットした「できること」が発見できないのはどういうわけであろうか。
仕事にできるほどのことが何もないのに事務職で金銭を傍受しており、そしてまたそれがないと生命を維持できず、いつもなんだかんだ「本当にヤバイところ」には飛び込まずにのうのうと生活をしてしまっているのはどういうわけなんだろう。
インド哲学はこの世は全部幻だという、若き日のロバート・M・パーシグはそれに絶望して履修を停止したと自伝で読んだが、絶望しすぎた生活の中でその考え方に何度救われたことか。あ、これを教えてくれたのは私の随分と年上の友達です。優しくてスピッてて適度に狂ってて怖くて面白い人。近づくと逃げてくのに時々追ってくる謎なひと。でも、愛される人だ。いいなあ。私はいつになったら人に愛されるに足る人間になるのだろう。
もうちょっと学をつけて、自分を好きになれたときだろうか。母の言うように「女の子らしく」なれたときだろうか。初対面で大好きな音楽の話や、SF小説の話をしなくなったときだろうか。それはもう私ではない。
SNSに美しいモデルがビフォーアフターの写真を載せたとき、よく「前のほうがかわいい」「前のほうがよかった」とリプライを送る人間たちのことを想う。本当にそうだというのなら、その時可愛いと言ってくれれば良かったのに。きっと彼らは彼女が普通の女の子だったころは見向きもしなかったに違いない。純粋に標準体型の女子を賛美し、きちんとパートナーとして選択するだけの度量があるならばすごい。本当に尊敬する。私は考えに考えた結果この世には美醜しかないという結論に至ってしまったから。美醜というのは顔かたちの美しさに限らず、その人の持つ輝けるばかりの才能や、声、スタイル、頭脳など、あらゆるもののことを指す。パーシグに倣うなら「クオリティ」だろうか。結局唯美主義に落ち着いてしまうのだ、空しくなるほどに。
もう携帯ゲームやオタク・コンテンツで思考停止して分かり合ったふりをするのには疲れてしまったから、私は今度こそ哲学と心中しようかな。本当に無理です。さようなら。音楽が理論化された数式でしかないなら、私は多分いま理解できない時点でたいして好きではないし、漢文と英語と思想を頭に詰め込むだけで救われた気になりたい。本当に仕事なんかやめてしまいたいよ、たとえ後がなくても。出来てしまうことは最悪だ。狂っているのに気づけないから。逸脱しているのにしていないよ、ってふりして生きるから辛いんだ。はみ出してしまうのだ。あなたのことが好きだという気持ちが最大にして最悪のノイズだから、どうか勉強して勉強して一般化することで濾過しきって永遠に浮かび上がらないように細かくして細かくして細かくして葬り去ってしまいたい。限界になって君に好きと言ってしまったことが、ものすごく汚くて情けなくてどうしようもないことのように思える。君がそばにいてくれないと辛くて気が狂いそうなのに、君にはきっと僕以外のほうが相応しくて、君自身もそれを渇望していて、だがしかし私は私にできる最大限の力でもってそれを捻じ曲げ君に愛されたいのだ。もう、それがかなわないのならこんな地獄のような生活に世界、どう期待して生きろというのだろう。調べたらユニテリアン教会だけは信仰できそうなので、私も私なりに信頼できる哲学の教会に身をおけるようにもっと思考を研ぎ澄ませたい。頼むから救い出してくれよ、知性の神様よ。もうこりごりなんだ。息が苦しいんだ。
この前渋谷で新興宗教に勧誘されたとき論破してやろうと思ったらまだキリスト教知識が薄くてできなくて、本当に惨めだった。こんなことではダメなんだ。ちょうどオウムが台頭していたころに生まれたから、幼少期はサリン事件の指名手配ポスターを目にすることが多くて、新興宗教に騙されたくなくて宗教学に興味を持ったんだろう?ああもう本当に情けないよ。生きているのが、つらい。
ヒルビリー・エレジー~アメリカの繁栄から取り残された白人たち~
アメリカにおける共同体の衰退を論じた Bowling Alone. は大きな反響を巻き起こした。ソーシャル・キャピタルの概念の提唱者でもある。
「日本の売上高トップ50社に主要銀行と商社を加えた75社の取締役の血縁を調べると、その7割以上が親戚・姻戚関係にあり、更にその周りに無数の系列企業が連なって壮大な閥族支配の網を形成し…」
ttps://twitter.com/akaikebasutei/status/1435087315957784577
ttps://www.amazon.co.jp/dp/4334971539
ttps://takapapa.hatenablog.com/entry/19980121/p1
私にブルデューを教えてくれた女性は「大衆は愚かで無力」と語った - はてな村定点観測所
その投稿に対して、「両親の年収よりも両親の学歴や教養の方が子供の学歴を決定する影響が大きいですよ」というレスを書いてきた人がいた。
ttps://b.hatena.ne.jp/entry?url=http%3A%2F%2Fcyberglass.hatenablog.com%2Fentry%2F2015%2F11%2F13%2F042324
アマプラとかネトフリのサービスが始まって、つい見てしまうような感じで映画をみはじめた。
ヒーロー映画は教養になっていて、元ネタを知らないと楽しめないとか分からない事が増えた。
名探偵ピカチュウがライアン・レイノルズに決まった時も
みんな「デップ―」と騒いでいたけどデップ―って何なのか分からなかった。今でもよくわかってない。
いざ見てみようと思ったのだけど、ヒーローもの映画多すぎてどれを見ていいのか分からない。
サンサ・スタークが出てる新しいX-MENが面白そうだから、X-MENか?
スパイダーマンか?
アイアンマンか?
アクアマンは仲間?
調べれば調べるほど見る物が多くて萎える。
殺人犯の自宅からゲームや漫画、雑誌などが押収されるニュースが流れ、
「人が殺人鬼になる原因」について議論が白熱するのを見るたびに疑問に思う。
「何でとっくに答えが出ていることをいつまでも議論しているのだろう?」と
FBIプロファイリングの創始者であるロバート・K・レスラー氏の著書『FBI心理分析官』を読めば、
「シリアルキラーの全員が幼少期を機能不全家庭で過ごした」旨のことが書いてあるし、
実際に氏もがそれが人がシリアルキラーになる原因と推測している。
ところが、何故かレスラー氏の主張は捻じ曲げられて(特に動物愛護団体によって)、
レスラー氏は『動物虐待行為がエスカレートすることで人は殺人に至る』という
(もちろん、レスラー氏はそんな主張はしていない)
現在の犯罪者の精神分析の基礎となっているレスラー氏の主張をまともに取り上げておらず、
殺人のニュースのたびに卒業アルバムだの好きな漫画・ゲームだっただの、子供のころに動物虐待をしていただの、
どうでもいい要因をあげつらっている。
まあ、どうしてレスラー氏の主張を捻じ曲げなければならないのか、裏事情はよくわかる。
要するにレスラー氏は「幼少期に児童虐待やネグレクトを受けた人物はシリアルキラーになる可能性が高い」と言っているのだ。
実際にシリアルキラーを調査して、その統計的事実として『シリアルキラーには機能不全家庭出身者が多い』と述べているだけだが、
「児童虐待の被害者はシリアルキラーになる可能性の高い犯罪者予備軍です」なんて報道したら反差別の義憤に燃えた一般市民によって炎上させられてしまう。
あるいは、「殺人犯に被児童虐待の過去があったなどと同情を生むような報道をするな!!」というクレームが入るだろうか。
どちらにしても、「児童虐待被害者=殺人鬼予備軍説」は公共の電波に乗せるわけにはいかない。
だが、一般市民は「人が殺人鬼になる原因」をメディアに求める。
「殺人鬼は私たち普通の人間とは違う異常者だ」と認識して安心を得たいから。
かくして、〇〇という漫画・ゲーム・アニメが好きだった、子供のころに動物虐待をしていた、など
どうでもいい的外れな要素が『殺人鬼ファクター』として延々と議論されることになる。
おいロバート、こんなところで何やってるんだ
実家でやることもないので、なんとなく死んだ親父が設定したfire tvをつけて、たまたまトップにあった映画「マイインターン」を視聴。
スマホでゲームやりながら流し見していたら家族が集まってきたのでソファでだべる。
アンハサウェイねと女性のほうはすぐに名前が合致したもののおじいちゃんの名前が家族で割れた。
リチャードギアっぽいよねと明らかにグレーへアしか見てない母の意見に兄弟で反対。
全然わからないってことになって妹がググったらロバートデニーロだった...嘘でしょと三回くらい母の声。
いやでもほらと俳優欄見て、ええーっと納得してないけどそのまま映画は浮気した旦那がアンハサウェイとよりを戻して、
おじいちゃんも席を残したまま蒸発したわけでもなく普通にいて、ハッピーエンドのまま終わった。
そして特典映像までみて、すっごく短いインタビューだけどあー!!の声。
ジョン・トラボルタが触手怪人になって、アイアンマンと戦っていた
でもアイアンマンはあっさり負けた
スーツ半脱ぎにされたアイアンマンの横に寄り添うように側位でガンガンロバートダウニーJrのケツをついてるジョン・トラボルタ
最初はアングルとかでごまかしてるのかなと思ったけど、ガチのホモ背動画だった
ロバートダウニーJrはめっちゃつらそうにしてたけどジョン・トラボルタはめっちゃ楽しそうだった
ジョン・トラボルタが一物をずるりとぬいた
にやにやしてる
ロバートダウニーJrはくっころじゃないけど、まだおれはおまえには屈してないんだという力のある目でジョン・トラボルタをにらみつけた
そしておもむろに自分のけつのあなを広げてフンッと力んで、なかだしされた精液をドバっと外に吹き出した
それをみてジョン・トラボルタは悲しそうな顔をしてた
そんな彼女の地元山口の某端っこの市に先日行ってきた、ライブも観劇もないのに
それ迄は年に1ー2度東京で会っていた
ある年に体調を崩し、東京に来られない話をされたので
同じ年の私は物凄い心配したのだ
たまたま2016年の冬に某凱旋公演が九州であり、コレで福岡に行けば良い
福岡に行った事がないからオールオッケーだ!と思い3泊4日の福岡
そして2018年春、ちょうど人気の博多座公演のチケットの良番が取れ
ちょうどモーさま(萩尾望都先生)とドジさま(木原敏江先生)の素晴らしい原画展を
開催しておりそれだけで福岡まで来た甲斐がある素晴らしい展示であった
ここまで書いていて友達山口の方なのに、山口県の話出てこないと思うけどちょっと待ってね
「私は下関側からも門司港を見る、彼女が普段見ている景色を私も見る」
海無し県の私には海峡など見た事も無かった
遂に山口県に行く事になった、山口県は宇部空港と萩石見空港がある(岩国もだが)
私は羽田から宇部空港に向かった、彼女は地元からレンタカーで迎えに来てくれた
好きな作品の二つが山口県を舞台にしているのでその聖地に行く目的もあった
<ここじゃラクダ親父にくびり殺されるとおもって逃げ出すよな、母ちゃん役立たないし
お姉ちゃんが活動的じゃなかったら弟共々あの世行くわ、例えテリブル東京でも
と思ったりしていた、しかしこれは見に行かなかったら出て来なかった発想だ
それまでは「シェルター行け」「民生委員に相談」「そもそも学校何してる?」
という思いが多かった、例の
「つけびしてー」
の方の気持ちまでわかるようであった
二泊三日で到着の朝9時から最終日の11時30分まで山口県の様々な場所を巡ったが
角島の大橋も萩明倫館も下関の日和山公園もどこも良い所であった
平家茶屋はあの値段で良いのか?1・8倍は値上げしても客来るぞ
たかせの川棚本店も値上げして良い、などあくどい事を考えていた
昨年も門司港に来たが素敵な街だと思う、関東にこんな街は他にあるのかな?
門司港から最後の目的である、萩岩睦美先生の原画展の為北九州マンガミュージアムに
萩岩先生のカラーイラストはカラーインクで描かれているので退色しやすく
展示は殆ど無かったらしいのだが、40周年記念で最初で最後との事
この為だけで旅費の元は取れる素晴らしさであった
そして思ったのだ
職場の同じ部署20人中3人しか山口県に行った事がないと話しをしていたが
・おじいちゃんの実家が山口県の光市だから子供の頃は行ってたよ
あのさー
コートのポッケにしまってたたんで入れてた鞄落っことしちゃったみたいで、
かなりショックなんですけどー。
買い物にも重宝してたのよ。
ピカピカに水洗いできちゃうポリエステルのロバートデニーロなの!
違う違うそうじゃない、
65536デニールの厚手で超丈夫なやつなのよ。
増田のお友だちが大好きな綺麗に透ける黒タイツは40デニールでしょ?
だから相当丈夫なの分かる?
20デニールとかになると逆に生々しい御御足になっちゃうわよね。
御御足とかけまして御御御付と解きます、
その心は!
どちらもおかずになるでしょう!ってやかましーわーいって
そんなことどうでも良いのよ。
でね、
よく意味分かってなかったのよね。
たぶん、
おまえ鞄落としたぜって言ってくれたんだと思う。
今になって、あっそっか!って気付いたときは
でも捨てる神あれば拾う神ありよ。
もうずっと売り切れ状態で、
お気に入りのトートバッグがリピ出来なかったのがショックだったんだけど、
サイトを見たら明日から新しい柄販売します!って言うじゃない~
可哀想なことしたなってごめんなさいなんだけど、
うふふ。
旬の筍おこわおにぎりも美味しそうだったので、
あたたたかく、とか
かたたたき、とか
おのののか、とか
搾って炭酸割りにしたなりよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
インセプションを久しぶりに見た。
インセプションには、ロバート・フィッシャーというキャラクターが登場する。
彼は初代社長である父親、モーリスとの間に、大きな問題を抱えている。
ロバートが幼少期に母(モーリスにとっての妻)を亡くしたときの言葉、
「話すことなんてなにもないな」。
やがて寝たきりになったモーリスがロバートを呼び寄せ、言ったのは
「お前には失望した」。
父親からのこういった言葉は息子であるロバートの心に大きな影を落とした。
それこそ、夢に出るほど。
私は被虐待児だ。
父親(片親だった)と死別するまでずっと、私はあれに、ありとあらゆる暴力を振るわれた。
身体、言葉、それらひとつひとつを浴びるごとに私は呪われていった。
お前はだめだ、お前には学習能力がない、お前はただのペットだ、お前なんかいらない、
お前は娘じゃない、お前は誰だ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ、死んでしまえ。
いまわの際に父が言ったのは、「こんなふうに育ててすまなかった」。
……。
は? いやいや、なんだよそれ?
こんなふう? 私のこと?
あの言葉によって、呪いは完成した。いまも私は呪われ続けている。
話がちょっと逸れるけれど、目に見えて不良になるわけでもなく
私はけして「いい子にするから家に置いて」タイプではなかった。
私は娘じゃないらしいので授業参観にも運動会にも父を呼ばなかった。
そうしたら教師が親を呼んだ。
親に「出てけ」と言われたので本当に出て行った。
そうしたら警察の世話になった。
もちろん、それができないひとを弱いと言いたいわけではない。
私が根っからの変人というだけのことだ。特に強いとも思わない。
話を戻す。
カウンセラーにそのこと、つまり「こんなふうに育ててすまなかった」と、
「それはそういう手段(虐待)を取ってしまってすまなかった、という意味ではないの?」
へー、なるほど、そういう解釈もあるな。
だが死人にくちなしだ。あの言葉の本当の意味など誰にも分からない。
できることなら父には生き返ってほしい。
生き返った父に、あれはどういう意味だったのか聞きたい。
だがそれは、ついで。
生き返ってほしい本当の理由は、私がこの手で、あれを殺したいから。
いままで受けた暴力をそのまま返す。
こんなことを考えているから、私もいつか誰かに殺されるんだと思う。
運よく殺されなかったとしても、
がんの家系であることが判明したので、肺がんか咽頭がんあたりで、
誰にも手を握ってもらえることなんかなく、ひとりでみじめったらしく死ぬんだろう。
私を殴り続けたあれみたいに。
私はロバートじゃない。
でも構わない、
私は無敵だからだ。
それにしてもディカプリオはどうして、一緒にいても幸せになれなさそうな女をヒロインにあてがわれてしまうんだろうな。
インセプションもそう。それとタイタニックとシャッターアイランドと華麗なるギャツビー。
「犬や猫を虐待をするとシリアルキラーになりやすくなる」という言説自体が信憑性が非常に怪しい
よく根拠として出るのが、
FBIプロファイリングの創始者であるロバート・K・レスラー氏が
「動物虐待とシリアルキラーには関連がある」と主張したということだが、
彼の著書(『FBI心理分析官』)を読めばわかるように、レスラー氏はシリアルキラーが生まれる原因を
一貫して『幼少期に機能不全家庭で過ごすこと』だと主張している。
それもあくまでシリアルキラーが過去に動物虐待をしていたことが多いという「傾向」について述べているだけだ。
別に「動物虐待の経験が人間をシリアルキラーに変える」などと主張しているわけではない。
さらに、根本的に、(恐らく海外ドラマなどのせいで誤解されているのだろうが)
プロファイリングというのは単にこれまでの犯罪者の統計データから、
たとえば、「死体をバラバラにして森の奥に遺棄した事件」があったとき、
プロファイラーはこの事件の犯人像について恐らく「車と自宅を所有している人物」とプロファイリングするだろう。
これはただ、
・「死体をバラバラにできるような作業場所があるということは、そうした事件の犯人は自宅を持っていることが統計上多い」
・「バラバラ死体を森の奥に遺棄できるということは、そうした事件の犯人は死体を運べる自家用車の持ち主であることが統計上多い」
というだけのことで、
何も「自家用車はバラバラ殺人の原因だ」とか「自宅持ちの人物は犯罪者予備軍だ」とか因果関係について言っているわけではない。
同じように、仮にプロファイラーが動物虐待と凶悪犯罪の関係性について言及したとしても、
ジャマイカ | 9.58 | ウサイン・ボルト |
アメリカ | 9.69 | タイソン・ゲイ |
トリニダード・トバゴ | 9.82 | リチャード・トンプソン |
カナダ | 9.84 | ドノバン・ベイリー |
カナダ | 9.84 | ブルニー・スリン |
ナイジェリア | 9.85 | オルソジ・ファスバ |
フランス | 9.86 | ジミー・ヴィコ |
イギリス | 9.87 | リンフォード・クリスティ |
南アフリカ | 9.89 | アカニ・シンビネ |
中国(公認待ち) | 9.91 | 蘇炳添 |
トルコ | 9.92 | ジャック・ハーヴェイ |
オーストラリア | 9.93 | パトリック・ジョンソン |
コートジボワール(認定待ち) | 9.94 | アーサー・シセ |
コートジボワール | 9.96 | ベン=ユスフ・メイテ |
中国(公認待ち) | 9.97 | 謝震業 |
日本 | 9.98 | 桐生祥秀 |
ガーナ | 9.98 | レオナード・マイルズ=ミルズ |
中国 | 9.99 | 蘇炳添 |
イタリア(公認待ち) | 9.99 | フィリッポ・トルトゥ |
ブラジル | 10.00 | ロブソン・ダ・シルバ |
ドイツ | 10.01 | ユリアン・ロイス |
イタリア | 10.01 | ピエトロ・メンネア |
サウジアラビア(公認待ち) | 10.03 | アブドラ・アブカル・ムハンマド |
サウジアラビア | 10.04 | アブドラ・アブカル・ムハンマド |
スペイン | 10.06 | ブルーノ・ホルテラーノ |
ロシア | 10.10 | アンドレイ・エピシン |
エジプト | 10.13 | アムル・イブラヒム・ムスタファ・サウード |
ケニア | 10.14 | マーク・オディアンボ |
カメルーン | 10.14 | イドリッサ・アダム |
ドミニカ共和国 | 10.14 | ヤンカルロス・マルティネス |
メキシコ | 10.21 | カルロス・ヴィラセニョール・ガルシア |
メキシコ | 10.21 | ホセ・カルロス・エレーラ |
アルゼンチン | 10.23 | カルロス・ガッツ |
インド | 10.26 | アミヤ・マリック |
コスタリカ | 10.32 | ボブ・コルビル |
ギニア | 10.56 | ジョセフ・ルア |
エチオピア | 10.61 | ウェテレ・ガルチャ |
ケニア | 2:01:39(認定待ち) | エリウド・キプチョゲ |
ケニア | 2:02:57 | デニス・キプルト・キメット |
エチオピア | 2:03:03 | ケネニサ・ベケレ |
イギリス(公認待ち) | 2:05:11 | モハメド・ファラー |
アメリカ | 2:05:38 | ハーリド・ハヌーシ |
日本 | 2:05:50 | 大迫傑 |
ブラジル | 2:06:05 | ロナウド・ダ・コスタ |
南アフリカ | 2:06:33 | ゲルト・タイス |
フランス | 2:06:36 | ブノワ・ズベルチェフスキー |
スペイン | 2:06:52 | フリオ・レイ |
イギリス | 2:07:13 | スティーブ・ジョーンズ |
メキシコ | 2:07:19 | アンドレス・エスピノーサ |
イタリア | 2:07:22 | ステファノ・バルディーニ |
オーストラリア | 2:07:51 | ロバート・ド・キャステラ |
中国 | 2:08:15 | 任竜雲 |
ドイツ | 2:08:33 | アルネ・ガビウス |
ロシア | 2:09:07 | アレクセイ・ソコロフ |
カナダ(公認待ち) | 2:09:25 | キャメロン・レビンス |
アルゼンチン | 2:09:57 | アントニオ・シリオ |
カナダ | 2:10:09 | ジェローム・ドレイトン |
トルコ | 2:10:25 | メフメット・テルジ |
インド | 2:12:00 | シブナス・シン |
マラソン | 2:13:03 | ロニー・ホラシー |
コスタリカ | 2:13:23 | ホセ・ルイス・モリーナ |
ナイジェリア | 2:16:06 | モハメド・アッバス |
ジャマイカ | 2:16:39 | デリック・アダムソン |
カメルーン | 2:18:35 | ポール・クエット |
ガーナ | 2:18:43 | エマニュエル・アムー |
ギニア | 2:19:05 | アラサーヌ・バングラ |
エジプト | 2:19:39 | アイサ・レザー・アブー・ディアフ |
ドミニカ | 2:20:59 | パブロ・アローヨ |
コートジボワール | 2:22:19 | バシリマ・ソロ |
1980年代のアメリカで使われはじめた言葉で、「恋愛ドラマの主役のような誰もが憧れる素晴らしいカップル」を指す。
英語では「スーパーカップル」とも呼ばれ、典型的には「セレブ同士の結婚」や「有名芸能人同士の結婚」がそうみなされることが多い。
スーパーカップルに比べるとパワーカップルのほうがやや社会的地位を評価されているかもしれない。
妻スーザンさんは夫ロバートの映画のプロデュースを4本以上手がけており、2人はビジネスでのパートナーシップと、プライベートライフを見事に両立している、数少ないハリウッド・パワーカップルだと言える。
http://japan.techinsight.jp/2012/02/07braune_robert_downey_jr_baby_bo.html
3人の養子と3人の実子を育ててきたハリウッドきっての“パワーカップル”と言われてきたブラッド・ピット(48)とアンジェリーナ・ジョリー(36)が、ついに婚約したことを今月14日に発表した。
https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20120424/enn1204240720002-n1.htm
それが日本では、2013年の新書『夫婦格差社会』によって、「高学歴・高所得で共働きの夫婦」を指す言葉として広まる。
「昔は夫が働けば妻は専業主婦となったが、今は夫が高収入でも妻は仕事をやめないので収入がますます増え、ウィークカップルとの貧富の差が広がっている」という趣旨で、
この時点では年収などに明確な基準はないし、「勝ち組カップルが羨ましい」というような論調でもない。
「高収入共働きカップル」という定義が先にあり、その後、各自がそれぞれに「自分が思う高収入とはこのあたり」と基準を示していったわけだ。
たとえば2015年の野村総研『なぜ、日本人の金融行動がこれから大きく変わるのか?』では、
「パワーカップル」は共働きで、夫の年収が600万円以上、妻が400万円以上で世帯年収が1千万円以上の夫婦を指す。(全世帯に占める割合は1%程度)
差別をする側は、「自分が差別をしている」という事実を認識しにくい。
肌の色で人を区別することが当然という風潮の中で生きてきた人間は、
それが当然の常識になっているから、過ちであることがわからない。
出身の土地や職業で差別することが当然の時代で生きてきた人間は、
「区別をつけるのは当たり前のことだ」
むしろ一部のグループを迫害することを「正義」だと考えてしまう。
今の我々は「それが差別である」という認識の社会で生きているから
だが、そもそも「これは正当な区別なのだから差別ではない」と深く思い込んでしまい
と思ったことだろう。
愛護動物をみだりに虐待したものには二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金という
罰則が定められている。
>第四十四条 愛護動物をみだりに殺し、又は傷つけた者は、二年以下の懲役又は二百万円以下の罰金に処する。
2 愛護動物に対し、みだりに、給餌若しくは給水をやめ、酷使し、又はその健康及び安全を保持することが困難な場所に拘束することにより衰弱させること、自己の飼養し、又は保管する愛護動物であつて疾病にかかり、又は負傷したものの適切な保護を行わないこと、排せつ物の堆積した施設又は他の愛護動物の死体が放置された施設であつて自己の管理するものにおいて飼養し、又は保管することその他の虐待を行つた者は、百万円以下の罰金に処する。
4 前三項において「愛護動物」とは、次の各号に掲げる動物をいう。
一 牛、馬、豚、めん羊、山羊、犬、猫、いえうさぎ、鶏、いえばと及びあひる
二 前号に掲げるものを除くほか、人が占有している動物で哺乳類、鳥類又は爬は虫類に属するもの
現在、日本では愛護動物に対する虐待は法律的にも倫理的にも「悪」とされ、
非難されて当然の行為とされている。それが社会の前提となっている。
だが、ここであえて問いたい。
「何故?」
と。
「動物虐待が悪いことなのは当たり前でしょ」では説明にならない。
それでは、理由もなく人種差別、部落差別、同性愛差別をしてきた人々と
同じ間違いをしていることになる。
基本的には、法律の第一条にはその法律が作られた目的が記されている。
>第一条 この法律は、動物の虐待及び遺棄の防止、動物の適正な取扱いその他動物の健康及び安全の保持等の動物の愛護に関する事項を定めて国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資するとともに、動物の管理に関する事項を定めて動物による人の生命、身体及び財産に対する侵害並びに生活環境の保全上の支障を防止し、もつて人と動物の共生する社会の実現を図ることを目的とする。
なるほど、「国民の間に動物を愛護する気風を招来し、生命尊重、友愛及び平和の情操の涵養に資する」。
確かに、生命や友愛、平和を尊ぶ情操が涵養されるなら、それは間違いなく社会に取って有益だ。
だが、ここで当然の疑問が生じる。
↓
という、この二つの事象の間に因果関係があるのか、という疑問だ。
・2007年大阪で発生した、男が猫被害の苦情を言いに来たアパートの隣人を刺した殺人未遂事件。
・2008年神奈川県川崎市で発生した、餌やりを注意された男がアパートの大家をサバイバルナイフで刺殺し、その義理の娘にも重傷を負わせた事件。
・2009年千葉県船橋市で発生した、70歳の男が女性から野良猫の餌やりを注意されて逆上し、包丁で刺殺した事件。
ほんの少し調べてみるだけで、「動物好き」が起こした凶悪犯罪事件は多く見つかる。
したがって、「動物を愛する人に悪い人はいない」というのはただのイメージであり、現実とは乖離している。
恐らく動物愛護法を制定した当初も、別に「動物を愛護すると人間は優しくなる」という仮説について、
そもそも条文の第4項をよく見ればわかる通り、動物愛護法で「愛護動物」に定められているのは
哺乳類、鳥類、爬虫類だけなのもこの法律の歪さをうかがわせる。
命の大切さを謳うこの法律では、魚類、両生類、無脊椎動物については何一つ保護の対象になっていないのである。
イヌやネコやウサギを殺すと「生命尊重、友愛及び平和の情操が涵養」が害されるが、
金魚やカエルやカブトムシは別に殺してもいいので無問題という、
この動物愛護法上の命の区別について、私は何らの合理的説明も見出すことはできない。
さて、動物愛護法の条文はかなり不合理で、
動物虐待行為を「悪」として迫害することの正当性を担保するものは何も無いことがわかった。
だからといって、「動物虐待者を迫害することは差別である」と言われても、
なかなか受け入れられる人はいないだろう。
冷静に考えると「○○というグループは犯罪者予備軍である」という言説であり、差別思想の典型なのだが……
実をいうと、私も以前までこの言説を信じていた。
聞くところによると、FBIの専門家が、虐待は精神に悪影響を与えると言っていたらしい。
FBIといえば犯罪捜査のプロフェッショナルだ。そんな人が主張しているからには、
きっと「動物虐待者はいずれ人間にも手を出す」という仮説は真実なのだろう……と。
自分の中で「動物虐待行為が憎まれるのは差別ではなく正当な非難である」として納得させてきた。
さて、その専門家というのは、ロバート・K・レスラーという人物である。
犯罪者と直接話すことで心理分析を行い、プロファイリングの技術を確立したFBI捜査官だ。
その手法については彼の著書である『FBI心理分析官』に詳しい。
そして、愕然とした。
実のところ、ロバート・K・レスラーは「動物虐待が殺人にエスカレートする」などとは一言も主張していなかったからだ。
彼の主張は一貫して、「シリアルキラーが生まれる原因は幼少期の家庭環境にある」というもので、
動物虐待癖についてはシリアルキラーを発見するための手法として、幼少期に動物虐待をしているパターンが多いと述べるだけにとどめている。
別に動物虐待と殺人や暴行の因果関係については一言も言及していない。
(※そもそもプロファイリングとはそういうもので、「犯罪統計上、こういった犯行をする犯人は過去に○○しているパターンが多い」と、
犯人像をいわば『逆引き』する技術であり、「〇〇という行為をした人物は犯罪者予備軍である」などと因果関係を主張するものではない)
「FBI捜査官のロバート・K・レスラーが『動物虐待は人間への暴力にエスカレートする』と言っていた」
というフェイクニュースを作り出したのだろう。
実際にはそんなことは一言も言っていないにもかかわらず。
そして、一度も原著を読んだことのないまま、私はそのデマを信じ切ってしまっていた。
『FBI心理分析官』は有名な本であり、読もうと思えばたいていの図書館にも置いてあるにもかかわらず、
一度もそれを確かめようとはしなかった。
もちろん、『FBI心理分析官』は20年以上前に出版された本であり、
だが、軽く調べただけでも
暴力段階説(動物への暴力が人間へとエスカレートするという「仮説」をこう呼ぶらしい)の旗色は悪いようだった。
ここに来て、私は動物虐待行為を「悪」として断罪することの正当性をすべて見失った。
結論を述べると、私には動物虐待行為を罰することは差別以外の何物でもないように思える。
それも、かなり悪質な差別だ。
何しろ法律まで制定して、公然と動物虐待を行う者たちに迫害を加えているのだから。
そして、「動物虐待者はいずれ人を攻撃する」とか「動物虐待者は精神異常者だ」などの
何の根拠もなく(ヘイトスピーチはそもそも根拠があればいいというものでもないが)、特定のグループへの誹謗中傷を行っているのだから。
もちろん、これを差別であると認めるのは、感情的に容易なことではない。
動物好きな人は可憐な犬や猫を殺す行為は社会悪であると思いたがってしまう。