都はいつから「ト」なのか。
江戸時代は、京都はキョウノミヤコ。
そのあとの「江戸ヲ称シテ東京ト為スノ詔書」には首都という言葉はない。
でも首都という言葉は、1895年頃には印刷されている。
ともあれ首都、中国語ではショウドゥーが、シュトと読まれた。
シュトは、イタリア語「私」、ロシア語「何」、ドイツ語「争・シュトライト」。
シュトイベンと言えば、米国独立戦争の参謀のプロシア人。
当時の活動団体と言えば、伊藤博文のドイツ学協会。ドイツ法学の帝大。
帝国憲法草案はドイツ人が書いた。
中国の漢語をドイツ語風に読んでドヤ顔したかったのか。
日清戦争のあとには、ドイツが山東省を租借してた。
シュトは「主と」にも聞こえる。東京は主と?
ドイツからの賄賂で失脚した日本の軍閥内閣もある。怪しい。
日本会議にもドイツ法団体の影響があるんだろうな。
北朝鮮の在ドイツ大使館とミサイルの話もあったし。
米国はドイツ系移民が多すぎてナチス問題に介入できなかったことがあるし。
Permalink | 記事への反応(2) | 06:31
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海援隊は作られた、ロバート・プルインとヴォールクンバーグがいた
とっとりはとが2つもついていてややこしいのはドイツのせいか