「レーベル」を含む日記 RSS

はてなキーワード: レーベルとは

2016-03-09

http://anond.hatelabo.jp/20160309230611

たとえば、増田不用意に「ラノベミステリは受けない」と言うと、

MW文庫講談社ノベルスラノベに含まれるかどうかで議論になる。

増田不用意に「ラノベで女主人公は少ない」と言うと、

少女向けラノベ無視するなと怒られる。

そこでどちらかが譲らなければ会話はぜんぜん成り立たないよ。

少なくとも「ラノベレーベルで決まる」なんて全く結論にならないよね。

http://anond.hatelabo.jp/20160309225244

ラノベレーベル認識については、

などなど、といった幅があり、

「ある程度」ですら通じていないのが現状なんだが。

http://anond.hatelabo.jp/20160309225624

キミは出版社とかレーベルとか作者の意図とは関係なく「稚拙ものラノベ」と定義したんだね。

そんならそれで正しいね

稚拙ものラノベだ、とするならば、ラノベの作者は稚拙だ」

うん間違ってないね

俺がムカつく記事はぜんぶ炎上狙いということにしておこうマンたち

はてなブックマーク - ネット小説はライトノベルにしか居場所がないということを改めて知った - 蓼食う本の虫

これはひどい

カクヨムがラノベ向けな事実を指摘して、純文学の読者にリーチする場がネットには少ないよね~という指摘は至極妥当だ。

「書いてもリーチする場がない」という話をしてるときに「いいから書けよ」という反論スターをつけるバカ連中のアタマの悪さは言うまでもないのだけれど、

純文学系のサイトはコレコレがあって、ラノベ系のサイトはコレコレがあって、でもやっぱ少ないからどうしたらいいだろうね~と指摘してるブロガーに対して「炎上狙い」「釣り狙い」と平気で言えちゃうバカにもほとほと呆れる。

蛇足だけどラノベ好きってコンプ強すぎだよね。

自分でも質が悪いものをみんなが読んでるからという言い訳をしてるだけだって自覚してるんだろうな。

未来若者知能指数が上昇して、「この中学生妄想レベル小説を読んで楽しんでたってマジ?ドストエフスキーとかトルストイとか夏目漱石すらロクに読んでないのに?」とバカにされたり、

将来、生まれ子供高校生になって「オヤジこんなん読んでたの、うっわキッモ」と嘲笑されても、なんにも言い返せないでしょ?

http://anond.hatelabo.jp/20160310000931

こんな読者、純文系作家相手にしたくもないだろう。純文作家がカクヨムに出してもいちゃもんつけられてすぐ終わりそうだし出さない方が良さそう

http://anond.hatelabo.jp/20160311120400

文系作家はそんなことしなそう。

ラノベ作家はアホだから人気があればなんでもいいんだろうな。

ニコ生主と同レベルの知能。

つーか初めてトップページ見たけど、現状だと各レーベル宣伝しかなんなさそうだよね。

つまんない作品ばっかじゃん→○○レーベル宣伝かどれどれ→おもしろそう!

みたいな。

http://anond.hatelabo.jp/20160312135658

冒頭のブログ記事で他サービスまとめられてるで

2016-02-25

渋谷系っぽい」音楽イメージは如何にして形成されたか

質問「渋谷系ってどんな音楽なの?」

回答「渋谷系とはムーヴメントであり、音楽のジャンルを示したものではない」


渋谷系というワードは定義が非常に難しい言葉である

Wikipediaによれば、「東京・渋谷(渋谷区宇田川町界隈)を発信地として1990年代に流行した日本のポピュラー音楽J-POP)の一部の傾向を分類化したものである」とのこと。

代表にフリッパーズギターピチカートファイヴオリジナル・ラヴなど。流行は90年代後半には終息していったといわれている。

渋谷のCDショップを中心に発信された流行(ムーヴメント)を表す言葉として用いられたのが始まりらしいが具体的な起源はよくわかっていない。

ミスチルスピッツ渋谷系として扱われたこともあったらしい。

こんなに曖昧でよくわからない渋谷系だが、本来は流行そのものを類型化したものであり、特定の音楽ジャンルを指したものではなかったという認識は間違っていないだろう。


だがしかし、「渋谷系っぽい」音楽というものは存在する。

2016年現在、「渋谷系っぽい」という感覚は一定数の人間の共通の認識として共有されているように感じられる。

”渋谷系っぽい” - Twitter検索

しかも、渋谷系というワード好意的に使っているのは、なぜか渋谷系ムーヴメントを経験していない20代以下の若者たちが多いようなのである

あくまで自分の観測範囲での話だが、確実に若者にとっての「渋谷系音楽」というものが存在するのだ。


お笑いでいえば「エンタ芸人」「レッドカーペット芸人」「あらびき芸人」みたいなもので、そういった括りはお笑いジャンルではないのだけれども、

エンタ芸人っぽい」という感覚はなんとなくであるが存在する。

あるいはビートたけしの「ダンカンこの野郎!」のようなものかもしれない。


   *


ではなぜ、「渋谷系っぽい」音楽のイメージが形成されたのか。

あるいは、なぜムーヴメントから20年経った今でも渋谷系という言葉が使われるのか。

これは個人的な考えだが、それは「渋谷系以降の音楽が渋谷系の文脈で語られ過ぎた」ことに起因していると思う。

音楽は語られることで歴史となる。

当たり前の話だが、語られなかった音楽は音楽史に残らない。

渋谷系があまりにも語り手によって評価されたために、その後の音楽にも渋谷系の文脈が用いられてしまった。

そして、「渋谷系の文脈で語られた渋谷系以降の音楽」(≒渋谷系フォロワー)が現在影響力を持つようになり、それらを語るときに、渋谷系という言葉を使わざるを得ない状態にあるのだ。

私の考えでは「渋谷系っぽい」音楽のイメージ形成に大きく影響を与えたのは、渋谷系の人物ではなく渋谷系以降の人物なのである


さて、ここでは、広がっていった「渋谷系っぽい」という認識に対して「定義が曖昧だ」とか「間違ってるよ」といった指摘はしない。

ここでは、実際のところ若者たちはどんな音楽を「渋谷系っぽい」と思っているのかを、曖昧なワードらしく曖昧に書き連ねていく。


2012年3月、NHK-FMで「今日は一日“渋谷系”三昧」という番組が放送された。

渋谷系で10時間番組を持たすというだけでもNHKすごいなと思うのだが、この番組でのプレイリストが大変に興味深い。

フリッパーズギターピチカートファイヴなどの曲が多く流される中、ブームが終息した1990年代後半以降の曲もいくつか放送されている。

ROUND TABLECymbalsカジヒデキChocolat、Chappie、南波志帆などなど……

NHK-FM 今日は一日渋谷系三昧のプレイリストまとめ - NAVER まとめ

これらの音楽も広い意味では渋谷系と認識することができる(されている)ということなのだ。


注目したいのはカジヒデキ

彼は「最後の渋谷系」「遅れてきた渋谷系」と評されることが多いが、彼は現在の渋谷系イメージ形成においてかなり重要な位置を占めている。

なぜか。それは2008年の映画「デトロイト・メタル・シティ」に関わったことによるものである

同名漫画が原作の実写映画で、渋谷系音楽を愛し、ポップミュージシャンとしてデビューするため上京した主人公が、なぜかデスメタルバンドとしてデビューし、しかもカリスマバンドとしてブレイクしてしまうというお話。

そして、映画において、主人公・根岸の歌う「甘い恋人」を作曲したのがカジヒデキなのである

ある意味で作中における渋谷系の象徴となるこの曲は、視聴者渋谷系イメージを強く印象付けた(同時に公然猥褻カットも強く印象付けた)。

――「DMC」では、根岸君が思う渋谷系=可愛くてポップ」という、かなり表面的なイメージで描かれていますよね。

渋谷系=可愛くてポップ」という解釈はちょっと? だったりしますが、実際僕の歌詞もそう言う側面を持っているし

(中略)「可愛くてポップ」は渋谷系の要素としては小さいと思うんだけど、フォローアーにはそういう人が多いことを考えると、決して間違った解釈ではないんでしょうね(笑)。

DMC特集 カジ ヒデキ インタビュー|MUSICSHELF


さて、最近、「渋谷系」を前面に押し出した若手バンドが2つ現れた。

ひとつが「OK?NO!!」というバンドである2015年に既に解散している)。

全員平成生まれ渋谷系宅録ユニット、OK?NO!!によるフル・アルバム。ポップだけど、どこか骨太で、ビートで踊れてパーティな新感覚ビートポップ・グループOK?NO!!。Cymbalsの影響を多分に受け、"Beat Your Cymbal!! Life is a party!!"を声高に叫びながら遂に全国リリース!

OK?NO!! | 全員平成生まれの渋谷系宅録ユニット、OK?NO!!

もうひとつがPOLLYANNAだ。

最新型渋谷系ポップバンド POLLYANNA / ポリアンナ

2014年6月に結成。都内を中心に活動中。

http://www.pollyanna.me/

OK?NO!!にいたってはCymbalsの影響を公言しているし、POLLYANNAも「TAKE ME WITH OVERLAND」という曲を聴けばCymbalsの影響を受けたのだろうと推測できる。

(実際に影響を受けた旨の発言もある)

彼らにとっての渋谷系Cymbalsなのだ


Cymbals渋谷系ムーヴメントより後に出てきたバンドである

しかし、Wikipediaを見てみると「ポスト渋谷系」と表記されている。

当然、彼らは渋谷系アーティストの真似事をしていたバンドではない。

あえていえばThe Whoなどのブリティッシュロックの影響が強い。

にも拘らず彼らを表すときには「ポスト渋谷系」などといった言葉がどうしても付きまとう。

それ故に彼らを知った若い世代は彼らの音楽を渋谷系音楽だと認識するのだ。

Cymbalsの初期のバンドコンセプト「かわいくっていじわる、ただしパンク」を渋谷系を表す言葉として捉えている者もいるようだ。


Cymbalsで現TWEEDEESの沖井礼二はあるインタビューで以下の発言をしている。

TWEEDEESのライブには、高校生のお客さんも来てくれます。で、彼らが何で僕の存在を知ったかというと、ゲームミュージックだったりするんです。北川くんの場合はアニメだったかな。若い方の中には、フリッパーズ・ギターピチカート・ファイヴではなく、CymbalsROUND TABLE渋谷系だと思っている人もいるみたいで。そこは自分でもよくわからない感覚です。

沖井礼二と黒田隆憲が語る“ポップスの暴力性”とは?「気持ちいいところは過剰にした方がいい」|Real Sound|リアルサウンド

ゲームミュージックアニメに触れて渋谷系を知る若者が多いようである

Cymbalsの楽曲は「Rally」「Show Business」が版権曲として音ゲーに収録されていたし(音源は異なるが)、沖井礼二「空への扉」「Break on Through」「Runnin' away」などの曲をpop'n musicに提供している。

音ゲー渋谷系の関係については渋谷系イメージ形成において重要な部分であると思うのだが、私では手に余る。

以下のブログの方が詳しいのでそちらを参照されたい。

ポスト渋谷系にみる、音ゲー楽曲と邦楽シーンの影響関係(前半) - ダストポップ


さて、ここでKONAMIによるWeb連動型音楽配信企画「ひなビタ♪」について触れておこう。

キャラクターによる楽曲をバックストーリーなどを含めて提供していくメディアミックス企画で、

多数の楽曲が音ゲーに収録されている。

その中には渋谷系音楽が好きなキャラクターも存在し、公式サイトでは「アキシブ系って何?」というコラムも掲載されていた。

そこにおいて渋谷系とはどんな音楽かの説明がされているので引用する。

アキバ系シブヤ系は音楽のジャンルなんだけど、今だとちょっと古い言葉になるかもしれないめう。

シブヤ系ネオアコギターポップフューチャーポップとか

ちょっとシャレオツなカンジの雰囲気ポップスな音楽めう。

アキバ系キャラソンアイドル電波ソングといったキャラクター的な見せ方をする音楽めう。


めうは、もともとこの2つの文化には共通するものがあると見てるめう。

ぼーかるの声質に対するこだわり、夢見がちで妄想好きなところ、非日常を好むことなどめう。

お互い表現手法は全く違えど、感覚的には非常に近いものを持っていると思うめう。


他に2つを結ぶものに、ゲームがあるめう。

めう調査では、シブヤ系の人もアキバ系の人もゲームが大好きめう。

チップチューンという音楽はゲームのような音でシャレオツな曲を作っていたりするめう。

これも、アキバ系シブヤ系の融合めうっ!


   *


そう言えばさ、めうめう。

最近のアニメ主題歌とかって、シブヤ系の人達が曲を作っているのをよく見るよね?

もしかして!これもアキシブ系の流れなのかなっ!?


まりり、いいところに目をつけためうっ!

その風潮はアニソンキャラソンのここ最近の新しい流れめう。

その流れは今後もっとくると、めうは見てるめうっ!

あのね!第4回:「アキシブ系ってなぁに?」|「ひなビタ♪」公式サイト

アキシブ系とは一時期アニソン界隈で一部の人が用いていた言葉で、定着したとは言い難いが、Wikipediaに記事もあるため一定の影響力は持っていると考えられる。

アキシブ系 - Wikipedia


また、上記のコラムにおいてアニメ主題歌渋谷系の人たちが作っているという指摘があるが、渋谷系ムーヴメントで活躍した人物がアニメ主題歌を作った例というのはそんなに多くない

ちびまる子ちゃんOP「ハミングがきこえる」スクールランブルED「オンナのコ♡オトコのコ」など)。

ここでいう渋谷系とは、ほとんどがポスト渋谷系、つまり渋谷系以降の人物たちのことであろう。

きんいろモザイク」のEDでは、90年代後半にQYPTHONEというバンドデビューした中塚武による楽曲「Your voice」、「My Best Friends」が使用されているし、

たまこまーけっと」のOP「ドラマチックマーケットライド」では元ラヴ・タンバリンズ宮川弾が編曲で関わっている。

また、ヒャダイン前山田健一)も渋谷系音楽を好んでおり影響を受けているとされている。

さらに、アニメ主題歌において語らずにおけないのがROUND TABLE北川勝利である

Ninoをボーカルに迎えたROUND TABLE featuring Ninoとして多くのアニメ主題歌を手掛け、また坂本真綾牧野由依中島愛やなぎなぎへの楽曲提供など、枚挙に暇がない。

(ここでフライングドッグというレーベル渋谷系の関係なども語りたいところだが、とりとめもないので割愛する)参考:渋谷系と声優とレーベルの話 - AOI-CAT's diary

アキシブ系というワードが用いられるとき、必ずと言っていいほど北川勝利の手掛けた楽曲が挙げられる。

アニメ好きの中には北川勝利渋谷系の中心人物であると認識している人も少なからずいる。


昨年放送されたアニメアイドルマスター シンデレラガールズ」はMONACA田中秀和が音楽を手掛けているが、劇伴のテーマは「渋谷系」であったと明かされている。

――劇伴のテーマは「渋谷系」だそうですね

最初にそういうオーダーがありました。もともと僕は「渋谷系」の音楽が好きで、90年代渋谷系を参考にしましたが、当時の「渋谷系」は海外の古い音楽を参考にして作られていたり、Jポップに対するカウンターカルチャーのような捉え方をされていたりもしたので、そういう気持ちで作った感覚があります。

徳間書店月刊アニメージュ2015年6月号より)

オーダーで「渋谷系」が出てくるあたり、音楽ジャンルとしての「渋谷系っぽさ」は既に確立したのかもしれない。

加えて「乙女感のあるサウンド」というディレクションもあったらしく、「渋谷系」と「乙女感」は結びつくものだという認識があるのだと捉えることができる。

以下のPVで流れるBGMを聴けば、彼なりの渋谷系の解釈が聴き取れるだろう。

「アイドルマスター シンデレラガールズ」アニメ新PV

(追記:サントラの試聴が始まってたのでいくつか貼っておく)

【楽曲試聴】「The Girls Etiquette (M22)」

【楽曲試聴】「The Dancing Glass Slippers (M25)」

【楽曲試聴】「Passione (M04)」


少し時間が戻るが、2013年アニメ渋谷系の繋がり、そして渋谷系イメージ形成において重要な役割をもたらしたと思われるアルバムが発売される。

それは花澤香菜claireである

総合プロデュース北川勝利。そして参加するアーティストカジヒデキ沖井礼二矢野博康宮川弾中塚武、ミト、神前暁、古川本舗、ドラム宮田繁男ギター奥田健介など。

多くは渋谷系ムーヴメントが終息した後に出てきたアーティストである

2nd、3rdアルバムになるにつれコンセプトは変わっていくが、この1stアルバムでは明確に渋谷系というコンセプトは存在していたようだ。

1枚目では、わりとわかりやすく「渋谷」というキーワードがあって、(後略)

花澤香菜×北川勝利が明かす、“極上のポップソング”の作り方「人生と音楽がより密接になってきた」|Real Sound|リアルサウンド

花澤香菜というボーカルとの相性とその完成度から評判になり、「渋谷系ポップス」としてリスナーに受け入れられた。

Amazonレビューでも渋谷系について言及したものが見られる。Amazon.co.jp: 花澤香菜 : claire - ミュージック

花澤香菜の音楽は渋谷系だという語り口はネット上で多く散見される。花澤香菜 渋谷系 - Twitter検索

ここにきて、渋谷系ムーヴメント当事者ではないアーティストによって「渋谷系っぽい」音楽が一つの到達点に達したのである

若者にとっての渋谷系とはこのアルバムだ、と大げさに言ってもいいのかもしれない。


また、この「claire」に加え、沖井礼二末光篤筒美京平などが参加した竹達彩奈apple symphony」の2つに影響を受けたアイドルプロデューサーがいる。

それがNegiccoプロデューサーであるconnieだ。

でも今年に入って、大きな衝撃を受けた3枚のアルバムがありまして。

──全部挙げてもらってもいいですか?

connie NONA REEVESの「POP STATION」、花澤香菜さんの「claire」、竹達彩奈さんの「apple symphony」です。

T-Palette Records#3 Negicco (4/6) - 音楽ナタリー Power Push

Negiccoとは新潟県を拠点とする3人組アイドルユニットで、近年ではピチカート・ファイヴの小西康陽オリジナル・ラブの田島貴男ノーナ・リーヴスの西寺郷太シンバルズの矢野博康などの楽曲提供を受けており、

渋谷系と評されることが多いアイドルである

花澤香菜と違い、渋谷系ムーヴメント当事者の参加もあり、これこそ渋谷系の正統だとみることもできるが、時期的には花澤香菜よりワンテンポ遅れての評価になっており、ポスト渋谷系渋谷系の順番が逆になっているように見えるのが面白い

さらに面白いのがノーナ・リーヴスで、花澤香菜Negiccoの楽曲にメンバーが参加した影響からか、現在では彼らも渋谷系扱いされることがあるという点だ。

世代的にはROUND TABLECymbalsと同じ世代であるのだが(奥田健介Cymbalsサポートメンバー)、

ノーナマイケル・ジャクソンプリンスの影響が色濃く、当時は彼らを渋谷系と評する人は少なかったはずだ。

しかし現在、「渋谷系っぽい」音楽に関わりを持つことで遡及的に渋谷系の枠に入ってしまうことがある。

これはクラムボンなども同じである


また、アイドルといえば、沖井礼二がかつて手掛けたさくら学院バトン部のユニットTwinklestars」も渋谷系と評されることがある。

Twinklestars「プリーズ!プリーズ!プリーズ!」

矢野博康Negicco夢みるアドレセンスの楽曲を手掛けており、アイドルファンには彼らを渋谷系アーティストだと思っている人も少なくない。

夢みるアドレセンス 『くらっちゅサマー』MV

また、Perfumeから中田ヤスタカに遡ってcapsuleを知った者は、初期のピチカート・ファイヴを彷彿させる楽曲を聴いて「これが(ネオ)渋谷系」と認識するようである

レトロメモリーPV 【capsule】


渋谷系以降のポップスが語られる際に「渋谷系を彷彿させる」などと表現されることで渋谷系イメージは少しずつ形成されていった。

当時の渋谷系ムーヴメントにいたアーティストではなく、渋谷系の文脈で語られた音楽によってイメージが形成されたのである


   *


さて、ここまでとりとめもなく「渋谷系っぽい」音楽を追ってきたが、こういった曖昧な認識は今後も広がっていくのだろうか。

私個人の考えではイエスである

それは、アニメアイドルゲームなどを通して渋谷系の種が既に播かれてしまったからである

渋谷系っぽい」音楽に触れた若者はその音楽を渋谷系であると認識する。その流れは、渋谷系に代わる便利なワードが出て来ない限りは続くのではなかろうか。

例として「アイカツ!」を挙げておこう。

アイカツ!」とは女児向けアーケードゲーム及びそれを原作としたアニメであり、その楽曲は音楽の多様性トレンドに非常に敏感であるとされている。

2013年には既に旬を迎えていたEDM・ダブステップを取り入れた曲をOPに起用しているし、他にもメタルロカビリーディスコジャズなどあらゆるジャンルを取り入れている。

その中にも、いわゆる「渋谷系っぽい」音楽というものが存在し、子供の世代にも渋谷系の種は既に播かれている。

アイカツ!ミュージックビデオ『恋するみたいなキャラメリゼ』をお届け♪


本来の「渋谷系」の意味するところから少しずつ意味合いは変化し、若者にとっての「渋谷系」は既に当時のムーヴメントであった「渋谷系」とは異なるところへ向かいつつある。

DMCにおいて強調された「渋谷系=可愛くてポップ」というイメージや、ひなビタ♪で紹介された「ちょっとシャレオツなカンジの雰囲気ポップス」というイメージが強くなっているようだ。

この現象を嘲笑するか、面白いと思うかは個人の自由である

2016-02-22

プロフィールを疑う

最近、ある大手レーベルから女性ピアニストデビューした。

なかなかルックスが好みなので調べてみると、

検索候補のなかに、「その人の名前 父親」というワードが現れる。

それで検索してみても、詳しい情報は得られない。しかし、

彼女の来歴やインタビュー記事を読んでみると、どうも変だ。

六歳の時だったか、弟も一緒に、母と三人でロシア移住したそうである

それも、別に母親ロシア語に堪能だった訳でもなく、

音楽一家だったということでもないらしい。

母娘のインタビュー記事によれば、父親は単身で日本に残ったとか。

しかし、これはどう考えてもあり得ないことだろう。

たかが六歳の娘に少し、ピアノの才能があったからといって、

ちょっと奨められたくらいで、縁もゆかりもないロシアへ行くだろうか?

これはどう考えたって、夫婦間に何らかの亀裂が生じたとしか考えられない。

恐らく、女手一つで子供たちを育てる決心をし、娘の才能を信じて、

異国の地へ渡る事にしたのだろう。そこに父親の声は一切届かない。

彼女の心の闇が、音楽に哀しい陰翳を添えている。

2016-02-12

海外の陵辱モノの動画

レーベルによっては最後に必ず女優さんが笑顔出てきて、これは合意のもとで行われたんですよとという説明と軽い広告的なインタビューが丁寧に入っている。以前はなかったと思うが、近年増えてきた印象。

なるほどなと。

よく現実との区別がつかないのはオカシイはいうが、これを肯定否定するのであれば現実問題社会科学での相関データはまだまだ長期で研究必要ではあるし、現実では法律違反することをしている事に対しての社会から批判に耐えうる説明はしておかれるべきだろう。

Twitterなどは、「俺は創作現実区別が付いているし、(Twitter上の)他の人もそうに決まっている」と皆いうが、創作を全く見ないで生きる人はあまりいないであろうし、影響もゼロではないと思うので、保守的なセーフラインを引いてあるく自己規制はやはり必要なのではないだろうか。(そうでないと下手すると全規制される)

ネットのこの手の人達は、結局世間知らずという事に尽きる。

2016-02-07

嫌いな人からフォローされた時ってどうしたらいいの?

同じレーベル作家で、過去に一度大げんかしたことある嫌いな作家がいる。

そいつ現実だと他の作品disりまくったりして口が悪いんだが、

Twitterでは愛想を振りまいて、他の作家陣と仲良くしているようなやり取りをしている。

そいつからフォローされたけど気付かないフリをして過ごしてたら、

ついにリプライが飛んできてしまった。

このまま気づかないフリをしてTwitterを続けていいのか、それとも辞めたほうがいいのか迷う。

ファンの人とやり取りできる場所としては最高だけど、それと同時に嫌いな同業者ともやりとりしなきゃいけないなんて、

ここは地獄か何かか!?

2016-01-19

http://anond.hatelabo.jp/20160119221642

w-inds.ya-ya-yahキャラ被ってたり

レーベル元のポニーキャニオンが嵐見捨ててまでプッシュしだしたり

たか圧力かかったんだと思ってた

2016-01-13

やばい」のはアニメ業界じゃない。まとめサイト脳のバカだ。

http://anond.hatelabo.jp/20160112123847

元増田を要約すると、

(A)ライトノベル現在、かつてないほどに多様なジャンル作品が大量に生み出され、市場規模は拡大し続けている。

(B)しかアニメファンは「ライトノベル原作アニメ)はテンプレートのような設定、展開のものが多い」と言い、ライトノベルバカにする。

(C)だがこれは、アニメ業界テンプレートのような企画を求めており、そのようなライトノベルばかりをアニメ化するという状況があるからだ。

(D)つまり問題があるのは、ライトノベル業界)ではなく、アニメ業界である

……こういう話のようで、(A)に関しては認識割れる点だろうからひとまず元増田の主張を呑むとする。(B)の内容も一旦受け入れよう。

そして(C)だが、

ソードアート・オンライン』(web小説

ログ・ホライズン』(web小説

氷菓』(ライトノベル出身作家の一般文芸

メカクシティアクターズ』(ボカロ小説

ミカグラ学園組曲』(ボカロ小説

オーバーロード』(web小説

ニンジャスレイヤー』(web小説

GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり』(web小説

『ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜』(ボカロ小説

……と、元増田のいう「テンプレート」ではない「ライトノベル」が、大量にアニメ化されている。つまりアニメ業界は「テンプレート」ではない企画を求め、実際にそれをアニメ化しているということだ。よって(C)(D)は間違っている。

元増田が主張すべきは、「ライトノベル原作アニメ)=テンプレート展開でありくだらない」という主張が端的に間違っており、そのような主張をして恥じることのない輩が見る目のないカスである、ということだけなのでは。

【追記】

http://anond.hatelabo.jp/20160113124613

SAOログホオバロはテンプレだよw

内容はそうだが、元増田は「web発の作品」「ライトノベル既存レーベル外で出されている作品」などがアニメ化されていない、といっているので例に入れた。

それらのタイトルを外したところで、この記事の論旨に変化はないが、外しておいた方が誤解はなかったか有意義なご指摘多謝。

2016-01-12

テンプレラノベアニメを量産しているアニメ業界のやばさ

ライトノベルテンプレート的な作品が良く話題になる。

まとめサイトなんかじゃ、よく馬鹿にされたりする。


ラノベ業界やばい


なんてのはたいていどこ言っても見かけるもんだ。

特にアニメファンが口にすることも多い。

ところが、このテンプレラノベ一見した多さというのはライトノベルではなくて、アニメ業界の危なさを象徴するものだということに気づいていない。


現在ライトノベル業界はかつてないほど盛り上がっているといってもいい。

ライトノベル過去に書いていた人たちはライト文芸や少しターゲットを大人向けに絞ったレーベルに新作を書き下ろすパターンが増えている。

また、なろうに代表されるWeb小説が増加し、かつてない盛り上がりを見せている。

既存ライトノベルレーベルだけを注力しているとその豊穣さに気づかないことが多い。

年間2~3千冊が刊行され、かつないほどに多様なジャンルが生み出され、市場規模ハードカバーなどを含めるとどんどん拡大して言っているのが現状だ。


ところが、アニメファンからライトノベルテンプレ作品が多すぎるという発言をよく耳にする。

「最弱無敗の神装機龍」がテンプレートであるという批判も耳にした。


しかし、冷静になってアニメーション作品と、ライトノベル作品を見比べれてみると強烈なまでにアニメ作品テンプレート塗れなのに気づく。

テンプレラノベアニメといわれる作品がまさにそうなのだが似たようなラノベばかりアニメ化するのだ。

また、日常系ロボットアニメなどの作品も毎回のように作られておりその画一的作風にあまりにもおどろかされる。

そして気づく。


「ああ、アニメってこんなに似たような作品ばかりなんだ」


と。

はっきり言ってしまえば、アニメを通してみるといろんなメディア原作作品漫画大衆小説ラノベ)が画一的に見えてしまうのだ。

それははっきり言ってしまえばある程度売れることがはっきりしている作品しかアニメ化できないからだろう。

テンプレラノベアニメ石鹸枠から透けて見えるのはアニメ業界の危なさなのかもしれないなと思った。

2016-01-09

二次創作とかそこら辺のもにゃもにゃ

中のひとです。

つっても「K社(仮)で本出してる原作者」なんで社内のひとじゃないけど、まあ、二次創作サイト利害関係者ではあります

別のかみつくつもりも否定するつもりもなく、どちらかというと考えの材料になるようにいくつか視点提供に来たよ!

まず、「いろんなもの一枚岩じゃない」っていう大前提は頭の片隅に置いておくべきだと思うんだよ。

二次創作にあたって、その原作者意識なんて、みんなも判ってると思うけど一枚岩じゃない。自分は「BLだろうがヘイト創作だろうが何でも来い」だけど、そうじゃない原作者の方だってたくさんいる。図書館に本が所蔵される、ということだって、いろんなスタンスがあるのは、ニュースを見てればみんなもご存知の通りだよ。

そして企業内部であっても、というか、そうだからこそ、全く一枚岩じゃないというのは多分覚えておいていいと思う。それは編集者AさんとBさんでは二次創作に対する好悪が違うという個人の趣味的な問題というレベルももちろん存在しうるんだけれど、もっと上のレイヤの、編集部方針問題かいう部分でも意見対立はあるんだ。

K社(仮)(という風にふんわり書いて話を続行する)の二次創作サイトなんてのは、社長直下の、社内のかなり高い場所から上位指令として企画が始まったわけだけど、かといって、企画遂行者や協力編集部ひとつ理念で固く結ばれているなんてことはなく、もっと社内の立場であるとか、政治的損得勘定であるとか、ぶっちゃけ派閥駆動してるよ。

(そうでもなければ似たようなライト文芸レーベル連続立ち上げでつぶしあうとか、サイトのものも似たコンセプトでバッティングとか、何やってんだあれって話だ。ああいうのも「要するに手柄を奪い合ってるのね」って理解のほうが正しい)

もちろん、企画遂行者の井上氏とかにインタビューすれば、それなりに理念的なコメントは出て来ると思う(確かそういうのもどこかで発表されてたはずだ)。でも、それが「K社(仮)の堅持すべき法や理念」ではないし、その証拠に、数年でうまく利益が回転しなければ、消滅や縮小するよ。利益を得るのが企業の使命なんだから、そういう意味では当たり前だよね。今目の前のチームを駆動するときに、ディレクションとしては理念必要から設定した、に近い。

しろ、あの種の二次創作を囲い込もうっていう動きは「小説家になろう」みたいなサイトが十分にマネタイズできる、っていう発見のほうが、大きな影響を与えていると思うよ。

以上が、(自分なりに出来るだけ)自分自身意見を脱色した「K社(仮)の中の人に聞きたい」に対する精いっぱいの誠実な回答です。つまり「そこまで確固とした理念なんてないし、参加者によって考えてることバラバラっすよ……そんな買いかぶりすぎっすよ……」というもの

次は個人的増田に対するレス。もちろんこれもまた、原作者一名のレスであって、代表するものではない。けれど、現場意見ひとつとして届けたい。

本家を超えることはないだろうし、これは本家を超えた!とか言われたらむしろ戦争が起きる。

戦争とかはそうかもしれないけれど、「本家越える」とか、普通にあるよ。

本家より面白い二次創作なんて、ざらにある。

これは自戒を込めて言うけれど、自分を含めた多くのプロが、プロになれたのは、そりゃアマチュアの多くよりは、そこそこマシな作品を作れるから、ではあるけれど、アマチュアと隔絶したぶっちぎりの差をつけた天与の作品を作れるから、ではないよ。

プロと(少なくとも作品を作る才能ある)アマチュアの間に「作る作品レベル」に、そこまで大きな差はない。

思うに、プロになるには、作品を作る才能以外に、プロになる才能(っていうか無鉄砲さ?)みたいなもの運命みたいなもの必要なんだよ。

と入ってもここでいう運とか運命は、出版社スカウトが見つけてくれるかどうか? とかコネ持ってるかどうかみたいな、夢見がちな話では一切なくて、もっと人生とか家庭環境の話でさ。

だって正直言って、マンガ家しろ作家しろ絵描きしろ、みんな堅気の仕事はいえないよね。「キミ来月原稿もってきてよ、デビューできるかも」っていわれて、実際最初印税が発生するまで、半年一年はかかるし、しかもそれで印税貰えたからって、一生生活が安泰になるなんてのは、夢のまた夢でしょう? 控えめに言ってもそれは将来の選択であって、賭けに負ければ、履歴書に空白が数年発生する。いくら本人やる気や才能があったって、初期段階では、家族とか、友人とかに(生活面とか理解とか)迷惑かけざるを得ないんだよ。チャンスが訪れた時にそれに乗っかることができるか? ってのは、そういう部分が大きい。家庭の事情プロを断念するなんてざらに訊く話だ。

まり、世の中には、描く作品面白さはそこらのプロ以上だけど、いろんな事情プロではない人――ってのがたくさんいるんだよ。もっともそれは10年前よりはずっと状況が改善してて、サラリーマンをする傍ら書き溜めた原稿が、Web人気経由で単行本化! みたいなケースが増えてきた。昔よりは、才能があるのに事情で埋もれる、は少なくなったと思う。でも、やっぱり、確率論的に「強いアマチュア」ってのは絶対にいる。

そして、そういうハイレベル二次創作をする場合キャラ世界設定が固まってるっていうのは、思ったよりも作品クオリティに対してアドバンテージをもたらさない。つまり二次創作でも別に敷居低くない」んだよ。

お話を作るうえで一番難易度が高いのは、エピソードを作って物語駆動する部分で、キャラ設定世界観設定って、大事じゃないとは言わないけれど、最難関じゃない。

(もちろんキャラを並べてエピソードは別作品から移植して、あるいはいきなりベッドシーンとなればそれはまた別の話だけど)

上記の視点で見る「この人なんで二次やってんだ? とっとと商業書けばいいのに」みたいなアマチュアの人って、結構いる。たぶんそういう人にとって、二次をやるのは本当に愛情なんだと思う。

まりここでいいたいのは「増田が思うほどプロアドバンテージって絶対じゃないよ」ってこと。もちろん手塚治虫とかレジェンドクラスの人はまた別だけど、いま現代でいえば、いろんなプロの人がいるから、いっしょくたに神格化はできないよ。

二次創作のことは好きですか。二次創作大事ものは、何だと思いますか。

物語のことは好きですか。物語必要ものは、何だと思いますか。

最後になるけれど、いま、ものすごい数のマンガが出てラノベが出て深夜アニメもやってて、百花繚乱だ。飽和状態にさえ、見えると思う。

でも、個人的には、全く足りてない。

何が足りてないって、市場規模や読者が足りてないんだけど、でもそれって送り手とワンセットなんだよ。

二次創作物語の一形態だと思う。物語が好きで、二次創作が好きだ。物語を作るのに必要ものは、物語りたい気持ちだ。物語りたい気持ちは、読む経験しか培われないと思う。つまり、優秀な物語製作者は、過去、優秀な読者だったはずだ。

日本には創作者も読者もまだまだ足りてない。どんどん増やすべき。だって個人的にそういう世界の方が好きだから。だからみんなでバンバン読んでバンバン書けばいい。

業界としてもゼロサムゲーム作品Aの読者が増えたら作品Bの読者が減る)なんて感覚は、さらさらない。もちろん自分自身にもない。むしろ、人気作品が増えてジャンルが盛り上がったほうが、みんなが幸せになると思ってる。

一枚岩じゃないので個人的なことしか言えないけれど、新年的に、そう思ってる。

つーか読み返したら危険なこと書いてる気もするけど増田しまあいいか。

2016-01-03

[]小川麻衣子ひとりぼっちの地球侵略

★★☆☆☆

あらすじ

主人公少年は、小さいこ宇宙船に襲われたときに、ある宇宙人心臓を入れてもらって生き延びていた。

高校入学後、その宇宙人が先輩として現れる。

少年の祖父が襲われたことをきっかけに、二人で地球征服するために、ひとまず他の宇宙人侵略から地球を守ることになる。

感想

評判よかったから読んでみたけど、期待しすぎてたか微妙だった。

絵柄は好きなんだけど、地に足がつかない感じというか、読んでて終始フワフワしててテーマが定まらない感じがして居心地悪い。

多分主人公能動的に活躍することが少なくて空気からだと思う。

周りの人間けがやたら増えてどんどん動くけど、主人公がなんか空気・・・

戦闘シーンと通常のコマあんまり区別がなくて、悪い意味でメリハリがないように感じる(それがいいっていう人もいるのかもだけど)。

他の作品作風考えたら、思った以上にアクションシーンかけててすごいとは思うけど。

腹に一物抱えてるキャラばっかで消化不良気味な状態が続くし。

ゴールがあいまいすぎて何のためにキャラがどう動くかの感情移入しづらい。

ラストはいっぱい宇宙人がせめてきて先輩は死んじゃうとかいう感じかなー


1巻は王道ボーイミーツガールなんでこんなレーベルでやってるんやろなんて思ったのになあ・・・

絶賛してる人も多いし、単純に合わなかったってことかなあ

2016-01-02

性的妄想を持つことそのものを悪く言われたくない

よくさ、オタク犯罪を起こした時にはお決まりのように、「現実妄想区別がつかなくなった」みたいにTVで言われるじゃん。

だけど一方で、新幹線とかが停まる駅でフランス書院文庫とか他にオヤジ週刊誌買ってるサラリーマンはどうよ?

あぁいうメディア性犯罪の実行に影響力を与えてるってんなら、駅売りの売店は犯罪幇助で捕まるだろ。

でも現実は、そこまでにはなってない。


もちろん、エロゲエロ漫画でも、21世紀以降ではニッチ性的趣味を掘り起こしたテーマレーベルは多いし、

それに触発されたというか、自分でも気づいていなかった内なる性癖に「目覚めた」人は居るだろうとは思う。

だけど「欲望や性欲の発散の際に、他人第三者迷惑が掛かるのはいけない事」なのは、家庭でも学校でも教わる話だし

その上でもし仮に「エロ本に影響されて・・・」とか逮捕時に供述したなら、そんなものは単なる責任転嫁だろう。

エロ本読んで・エロゲーやってて、なおかつ日常生活をちゃんと送っている人が、世間では大多数なのだ

実際にやってもないのに、エロゲーマーらを性犯罪者呼ばわりするのはやめていただきたい。

なお多くの小児猥褻性的犯罪では、主犯の大半は実父・義父・ないしは教師が大半というデータがあったはずだ。

要は、普段から子供と密に接していて、何らかの形で強権を振るう事ができる存在というだけの事で、子供への性犯罪はつまり

虐待一種でもある事の性質を、みごとに表していると言えよう。


ただ、いわゆるノーマルエロに対しては、そういう本や画像家族らに見つかっても「お前も仕方ねーな」程度の扱われ方で済む。

問題なのは自分は違うが)リョナだとか人体改造、他にはケモや人外ふたなり女体化など、実現がまず不可能タイプ

趣向のエロがバレた時だ。

ひどい時は「そういうのが好きなやつだから、お前は結婚できないんだ!」まで決めつけられ、罵倒される例も想像に難くない。

当時は『空想科学小説』と呼ばれたSFの愛好者が、今で言うテロリスト世界征服目的結社メンバーのように扱われたらしいが

人間ってやつは『自分理解を越えた趣味』に接すると、拒絶反応で追いだそうという心理に達するのは仕方ないのかもな。


そういう自分はいわゆる「裸ブーツ」とかがお気に入りで、うるし原智志辺りの作品出会った際は、元からゲームキャラデザでは

やけになまめかしいイラストを描く人だなとは思ってたところ、「ラグナロックシティ」でズガーンと来た。

2015-12-17

http://anond.hatelabo.jp/20151217131831

今だと、ちょうど 第1回 日本官能ノベル大賞が 12/14 に締め切りしたところなんだよね、笑。

http://compe.japandesign.ne.jp/nihon-pornographic-novel-2015/

フランス書院文庫官能大賞は毎年5月末、11月末締め切りで、年2回の募集がある。

17フランス書院文庫官能大賞のお知らせ

http://www.france.jp/c/etc/f_0181.html


二次元ドリームノベルズなら作家募集中

http://ktcom.jp/wanted_illust.htm

エッチ過激オリジナル小説を書ける方。

二次元ドリームノベルズドリーム文庫に相応しいテーマ性(エロさ)を内に秘めている方。

エッチシーンの少ない小説を書きたい方は本レーベルには向いていないかもしれません。


媒体にこだわらないなら、DLSite なんかで電子書籍でだしてもええんやで。

http://www.dlsite.com/books/

2015-12-13

ライトノベルって概念が蟻地獄みたい

市場規模もどんどん拡大してて、年間3000冊近く発刊されてる。


けど、肝心のライトノベル自体は滅茶苦茶なネガティブイメージがつきまとってて皆なぜかそこから逃げようとする。

このラノベはもうライトノベルレベルじゃない」

みたいなことを読者が言ったり、出版社側も

「うちのレーベルラノベじゃないよ」

とか言ったり。


その割にはどんどんライトノベル定義が拡大してあらゆる書籍ライトノベルみたいとか言われるようになってる。

気づかない間にどんどんライトノベルという概念に蟻地獄のように吸い込まれ自分の読んでいた本がライトノベルって言われるようになる日が来ると思う。


なんか怖くね?

2015-11-29

Janne Da Arcインディーズでやっていくべき

メジャー経験した彼らにはインディーズ時代のso blewやfantasiaのような味のある曲はもう作れないだろう。

彼らがやりたい事はメジャーデビュー後の音楽ではないことを彼ら自身が一番良く分かっているはずだ。

もう今はネット検索したら無料音楽が聞けてしま時代ロック音楽を購買層である1020代CDを購入するのは相当のファンでない限りはない。

今は自らネットに売り込む時代

昔は巨大なレーベル所属できることがプロへの道だったが、今は無名でも自ら事務所を立ち上げて音楽を続けることもできる。

音楽を続けていくにはお金がかかるのでプロデューサーのいいなりになってしまう。

一体俺達は何のためにやってきたのか。彼らは皆そう思ってた時期があったはずだ。

2015-11-28

ねとらぼハッカドール記事ツッコミを入れる。

監督演出絵コンテ作監原画、全部俺! アニメハッカドール」のスタッフロール無双すぎる

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1511/28/news018.html

放送中のアニメハッカドール THE あにめ~しょん」の第9話にて、監督のげそいくおさんが絵コンテ演出作画監督原画を1人で兼任。その凄まじさがネットで話題になっています

 監督のげそいくおさんは以前、インターネット掲示板2ちゃんねる”にて「ハッカドールは短いアニメなのだから、下手に他人に任せないで死ぬ気で全部のパート担当すればいいのに」と書かれたことがあり、1つの担当パートだけでも圧倒的に作業量が多いことから「暗に死ねと言っているよねこれ」と苦言を呈していました。

そこからまさか絵コンテ演出作画監督原画とかなりの数のポジション兼任したことで、そのファイティングスピリッツアニメファンもびっくり。監督絵コンテ演出兼任すること自体は珍しくないのですが、ここまで多岐にわたる兼任は滅多にないことから「げそいくお監督人間国宝にするべきだ」「狂気を感じる天才」など、さまざまな反響が寄せられています


この間放送された「ハッカドール THE あにめ~しょん」第9話を指しての記事だが、この文章だと色々とミスリードを誘おうとしているように見える。

「何もかもげそいくお監督が1人でやったから凄い」という風に誘導しようとしてる印象を受けたが、実際はどうだっただろうか。

ハッカドール1話分は約8分、その内OPEDの尺を除くと本編は約6分。一人で原画担当するのも何とか可能な規模だろう。

しか担当したげそいくお氏はハッカドール監督自体も兼ねているため、監督業務を考慮した上で考えるとかなりの作業量ではあるだろう。

その点では八面六臂の活躍をしているのは事実かもしれない。

しかし実際第9話を見てみると、後半はアクションシーンなどもあるが前半はドット絵の画面を用いたり、同じカットを何回も繰り返したりと省力的に済ませられる所は省力的にやっている

http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/434/hakka9.jpg

ハッカドールという作品ギャグアニメなので、こういった省力化もギャグ演出として機能するように計算してやっているのが窺える

また、げそいくお氏本人が言ってるように一人原画と言ってもL/O(レイアウトラフ原画)までで清書等を含めた第二原画以降は分担作業である

ネット上では動画や仕上げ、背景なども担当している事も取り沙汰されているが、これも結構な人数のうちの1人として数えられる

http://i.imgur.com/VON7UJ3.jpg

憶測ではあるが、第9話でげそいくお氏が動仕まで担当したのは、こういう線のタッチを強調した一連のカット↓の事だろう。

http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/435/hakka9-2.jpg


これらを鑑みるに、今回げそいくお氏がやった事は「常識外れの脅威的な行動」をしたというよりも「地に足がついた堅実な方法」を取っているように思えた。

様々なセクションに名を連ねていたとしても、それぞれ実現可能な範囲での作業を執り行っているように見える。

それらをしてネット上では狂気を感じる」を称されているが、世の中にはもっと狂気を感じるぐらい個人が作業を抱え込んだアニメ存在する。

例えば、いまざきいつき氏は「ちょぼらうにょぽみ劇場あいまいみー」1&2期や現在放送中の「不思議なソメラちゃん」において監督キャラクターデザインと共に脚本絵コンテ演出作画監督原画を1人※で"全話数"担当している

この2作品は1話の尺数はハッカドールよりも短かく3分であるが、全て合わせると30話はゆうに超えるので作業量プレッシャーも相当なものになるだろう。

※(厳密には、あいまいみー1期は最終回だけ二原に撒いているし、2期やソメラちゃんは最初から第二原画有りきの体制

竹内哲也氏も「百合星人ナオコサン」で監督脚本キャラクターデザイン絵コンテ演出作画監督原画を全て1人でやっている。こちらは第二原画も無しだ

「ナオコサン」のアニメは2本作られているが両方とも竹内哲也である。2本目は30分近くあるにもかかわらずだ。

OAD版「百合星人ナオコサン」(6分)

http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/437/yuri1.jpg

"アニメ文庫"レーベル版「百合星人ナオコサン」(28分)

http://dl1.getuploader.com/g/sakugasure/438/yuri2.jpg

OP演出山下祐)もEDも1人で作画している。カットの内容もアクションありエフェクトあり群衆あり回り込み背景動画もありの超ハードだ。

三原三千夫氏が「カイバ」の第4話で動画まで1人で担当仕切った時は作画オタクの間では騒然としていた。

カイバ第4話「ばあさんの記憶の部屋」(23分、OPEDを除けば20分弱)

http://download1.getuploader.com/g/sakugasure/436/kaiba.jpg

動画チェックこそは違う人だが、ほとんど他者を介さず三原三千夫氏の絵がそのまま画面上に全編にわたって映し出された事になる。

ただしこれらは特別スケジュールが組まれ、完成まで半年から1年はかかっているので通常のアニメとの比較では参考にならないかもしれない。

もう一度ねとらぼから引用する

 監督のげそいくおさんは以前、インターネット掲示板2ちゃんねる”にて「ハッカドールは短いアニメなのだから、下手に他人に任せないで死ぬ気で全部のパート担当すればいいのに」と書かれたことがあり、1つの担当パートだけでも圧倒的に作業量が多いことから「暗に死ねと言っているよねこれ」と苦言を呈していました。

そこからまさか絵コンテ演出作画監督原画とかなりの数のポジション兼任したことで、そのファイティングスピリッツアニメファンもびっくり。

この書き方だと、まるで「全部やればいいのに」という発言を受けてから第9話の1人複数担当が決まったような書きぶりだ。

しかし「暗に死ねと言っているよねこれ」というげそ氏のツイート投稿されたのは11月15日

そしてハッカドール第9話が放送されたのは11月27日短編アニメはいえ幾ら何でも12日で放送まで完パケするのは物理的に無理だろう。そんな"思いつき"のような案がまかり通る状況とも思えない。

からこれは「1人でやればいいのに」という反応とは無関係に9話の体制は決まっていたと考えるのが自然であろう。ちょっと考えれば当たり前の話であるが。





自分別にハッカドール THE あにめ~しょん」を貶めたいわけじゃない。大したことしてない等とは思っていない。

それどころか今期のアニメでは「ハッカドール」は抜群に面白いと思っている。決してゴージャスなアニメではないが、ジャンクな感じがたまらなく良いと思ってる。

楽に作ってるアニメでも決して無いだろうし、監督以下スタッフが身を削る思いで作られてるのは紛れも無い事実だろう。

放送開始直前の頃は、監督げそいくお氏のツイッターがかなり荒れた内容になっていたし、ニコ生でも制作状況の厳しさ、意思疎通が上手くいかない状態を何度も嘆いていた。

アバウトなアニメに見えても、作ってる方は決してアバウトに作ってるわけではないのだ。

自分がこの記事で一番に疑問に思うのは、執筆したねとらぼ大里ミチルなる記者は本当に物事を解った上で書いてるのか?という事である

自分ねとらぼの事を、企業運営するまとめサイトという認識でありはっきり言って悪い印象を持っている。

はちま起稿やらおん等の悪名高いまとめサイト群と大差ないとすら思っている。

企業運営である分余計質が悪いとすら思っている。(はちまjinやらおん企業ぐるみで無いとも思ってはいないが。)

ねとらぼ過去はちま起稿喧伝するようなインタビュー記事掲載していたし、つい最近でもその記事作成した池谷勇人というライター久保帯人先生誹謗する意図があるとしか思えない記事を書いた

集英社が“久保帯人先生ネタ行為に警告 「別人の肖像をあたか久保帯人先生であるかのように紹介」「悪質な場合には法的措置も」 - ねとらぼ

http://b.hatena.ne.jp/entry/nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1509/04/news145.html

この記事は当初の題名最後に「あっ……(察し)。」と書かれていた。

「あっ……(察し)。」という言葉を付け加えることで、久保帯人先生を貶める方向に印象付けようとしていたのは明白であり、ユーザー通報によってタイトルから「あっ……(察し)。」が削られた

これを記者無記名で行ったわけだが、有志によってこの記事作成者池谷勇人である事が暴かれた

(察し)とか書くやつ全員死なねえかな、例えばねとらぼとか

http://kyoumoe.hatenablog.com/entry/20150905/1441391885



要するにねとらぼとはそういう事をしでかす連中である

そういう所が送り出す記事は常に身構えている。

何よりロクな下調べもせず、適当な事を書き散らすだけの記事は悪だ。

サブカル、語る」みたいな個人ブログですら槍玉に上げられる昨今、企業運営の所が糞ザルな記事書いてどうすんだと思う。

今回のねとらぼハッカドール記事は、はっきり言ってザル記事だ。

ハッカドール THE あにめ~しょん」の魅力を伝えるわけでもなく、ただ単にネットで目についた話題適当にちょっぱってコピペで仕上げただけにしか見えなかった。

ましてや「ネットの反応を真に受けて監督は一人演出作画を敢行した」という嘘のストーリーでっち上げようとしているのは、作品を持ち上げてる記事だとしても流石に看過できなかった。

追記

2015-11-20

http://anond.hatelabo.jp/20151119183357

「読者数からペイできる金額が決まり、その金額により装幀が決まる」に対して、

基本が文庫レーベルって逆に売れる作者・作品単行本になってね?

という疑問でした。

単行本出す作家の売り上げにその他大勢文庫描きおろし作家がぶら下がってるの?

あんまそうは思えないんだけど、という。

2015-11-19

http://anond.hatelabo.jp/20151119145752

「なぜ最初から文庫本で出さないのか? 」を書いた増田です。

質問の件に触れる前に前回の補足と今回の質問関係する部分をお話ししたいと思います。話が長くなって申し訳ないです。くどかったら飛ばして下さい。

ものには何でも「値ごろ感」とでも言うべきものがあり、それはその値段の歴史でおおざっぱに決まっているようです。原価や需給のバランスというのは経済学的には価格決定の要素として解説されるのですが、マクロにはともかくミクロ日常レベルではそこまでビビッドは要因にはなりません(人間の目は店頭で需給バランス可視化して見えるというわけではないですからね)。書籍で言えば文庫本って500円から1000円弱くらいだよなあ。ハードカバーって2000円から3000円くらい? そういう肌感覚です。もちろんこれは永遠不変のものではなく、値上げしたり値下げしたりがおこなわれ、受け入れられ日常化する繰り返しです。いまから10年ほど前、おそらく文庫本平均価格は50円ほど安かったと思いますし、僕たちが子どもの頃(というとばらつきがありますが)週刊少年ジャンプは200円を切っていました。

前回はなした「ハードカバー3000円ほどで売り出して、後に廉価版で700円ほどの文庫で出し直す」というのも、この値ごろ感が関係した結果です。最初から3000円の文庫でだし、部数が伸びるに従って値段を下げることは(少なくとも法制上や原理上)不可能ではありませんが、みなさんの「値ごろ感」が邪魔をして、3000円の文庫は購入してもらえないのです。なかには「いいや俺は本棚圧縮のために喜んで金を払うね」という方もいらっしゃいますが、それは少数派です。

さて、値ごろ感の話ですが「ハードカバーって2000円から3000円くらい」の本は売れます。多くは売れません。しかし少なくとも、その規格の本が現在でも毎月出る程度には、世間に受容されているわけです。「この大きさの商品に2000円から3000円くらいは払うよ」というのが一定読者層から理解を得られていると考えられます。それは文庫も同じです。文庫サイズで500円から1000円弱(じりじり値上がりしています)は世間に「まあ、そんな値段のアイテムだろう」と思われているわけです。パッケージと値段のセットはセットであって、たとえば「ハードカバー文庫の間の大きさで、値段も真ん中くらい」とか自由に決めてもなかなか浸透しません。書棚のサイズ問題や整理の問題もありますし、なにしろ値ごろ感は皆さんの内部の常識ですからそれを固定化するのに時間コストがかかります

角川ホラー文庫とかあとハヤカワとかの、

基本文庫で時々単行本ソフトカバーとかのレーベルってどういう戦略なんですかね?

さてやっとこの話が出来るのですが、「B6程度のソフトカバーで1000円~1500円程度の小説を売る」というのは、最近発明」されて「根付いた」新しい値ごろ感なのです。

いやいや昔からあったよ、という指摘もあるとは思いますが、いまほど安定できたのはごく最近のことだと思います。(さらに以前はカッパノベルスなどのノベルス判型があった地位なのですが、仮想戦記没落のあたりで徐々に廃れて行ってしまいましたね)

この新しい値ごろ感は、Web小説などをきっかけに広まったように思います(ここは私見です。きちんと統計などを蒐集すれば別の経緯かもしれません)。

新しい値ごろ感の発見というのは、そのまま、新しい読者層の発見でもあります。いってみれば「文庫しか買ってくれないと思っていたライトノベルユーザーが、少し大きめの判型であれば1200円だしてくれるのだ!」というエウレカでした。はっきりとした統計データなどはもっていませんが、現場の肌触り的な感覚で言えば、a)初期ラノベを読んでいた読者の皆さんが年齢を重ね可処分所得が増えた結果、1200円程度のレーベルでも購入してくれるようになった。b)すべての国内大衆小説が多かれ少なかれラノベの影響を受ける中で、文庫判型ではないライトノベル(の隣接したなにか)が要請された――などの実感を持っています

日常的に書店に行く皆さんであれば判ると思うのですが、ここ数年の間に書店ではB6判型ソフトカバーライトノベル的な書籍がふえていませんか? Web小説が主流ですがそれ以外の参入や、ボカロ小説と呼ばれるものや、自動文学的もの推理小説ライトノベルのハイブリットのようなものも見られると思います。それはこの「新しい値ごろ感」=「新しい判型と価格バランスポイント」が皆さんに受け入れられ、希望があると出版社判断たからです。もちろんそれが全面的に善だとはいいません。まだ固まっていない規格でぼったくってやれ、というような出版社レーベルがあるかもしれませんし、読者的には「文庫で良かったのに」と思われるかもしれません。

はいえ、新しいチャレンジなど10して1つか2つ成功すれば万歳ですから、この「B6ソフトカバーで1000円~1500円」というチャレンジは、最近出版業界では(かなり)成功した部類だと言えます

http://anond.hatelabo.jp/20151119124356

角川ホラー文庫とかあとハヤカワとかの、

基本文庫で時々単行本ソフトカバーとかのレーベルってどういう戦略なんですかね?

2015-10-28

最近フリーゲーム

ふりーむではともかく、ニコ動ではそこまで知名度が高くないと思ってたゲーム製作者が、3ヶ月前に新作のゲームニコニコで賞を取り、ゲームマガジンであるラノベとタッグを組んでゲームを出してた。そのラノベが角川のレーベルだったのを見て「あーニコ動フリゲに力入れた理由はこれか」と思った


フリーゲームの金銭回収モデルは、主に書籍化・有料版の配信・スマホで続編を出して広告収入で稼ぐの3つなんやけど、その3つの中でも特に重要書籍化ニコニコゲームマガジンとはニコニコの実況者を使って書籍化予定のゲームを売り出してドワよりも角川に還元するシステムだったんやなぁ…と



フリーゲーム製作者がお金持つことに対して僕は本当なら大喜びすべきところなはずなんだけど、なんでモヤモヤたかというと、僕が好きなゲーム製作者が「角川から出てるラノベという原作ありきのフリーゲーム化」という「いや、それフリゲーなのか?」というモノをやってること。謎い




いや〜複雑だ。「短いゲームリーズナブルに作ってくれる職人」としてフリーゲーム制作者に賞を与え、すでに出てるラノベフリーゲーム化してもらうというのが果たしてフリゲなのかと言われるとすげー疑問。また、マガジン版した限り難度が下がって演出が凝るという商業ゲー側の発展してるのも危うい


なんでこんなことを書いているかというと、フリーゲームってマリオメーカーブログ、あるいはYouTubeニコ動よろしく「成熟してたユーザー成熟したユーザーに向けて送る面白さ」があったか面白かったわけですよ…。単に無料で短くできるゲームの事をフリゲと言うわけじゃないっすよ


あーそういう風になっていくのね。ニコ動クリエイター(かつてのボカロPぐらいに革新的人達)がいなくて、拡散力だけはある実況者がいる。クリエイターフリーゲームの界隈から持ってきて、ニコ動で実況者とゲームフェス宣伝。その後、角川がノベルコミカライズ化逆にフリゲ化か…辛いな


いや〜フリーゲームフリーゲームでもやりこみRPGを中心に紹介しててよかった。ホラゲー中心のほうがアクセスは取れたかもしれないけど、あっちの方はニコニコと角川に蹂躙されてあと2年ぐらいでおもいっき空気が変わると思う。合作ゲームとかすごく増えそう


食べていけるクリエイターは出てくると思う。マネタイズできる人も増えると思う。ただ、一方で角川原作のフリーゲーム化という展開を見て「フリゲ界隈に書籍化狙いのフリゲバッタモンが出る」と少し感じてる


ボカロもそうなんだけど、動画イラストの完成度が上がったり、作家性が強くなりすぎたりしてコンテクスト無視した暴走を始めた時期から面白くなくなり始めたんよなぁ…。お金回収する、仕事くれるのはええことやと思う反面、それだけの人以外を汲み取るシステムがないと画一化してゆるやかに死ぬ


はてなダイアリーはてなブログがそこそこのライター作家10年以上にわたって出し続けてる理由は、はてなドワンゴや角川みたいにスカウトすることがほとんどなかったことだよなぁ…。あるいは商業化に向かない人もはてなの中ではスターだったりするから良かったのよね…。今は崩壊しつつあるが

引用元 tm2501のツイッター

よくわからんマイナージャンルが好きであることをアイデンティティにしているひとにありがちな反応のようだ。しかしtm2501他の件については信用出来ない語りしかしないイメージだがさすがにフリーゲームについてはいい加減なこと言わないだろうと思ってるんで、参考にしたい。

一方本田未央ファンはただでさえ不人気な本田未央アニメの結果ますます不人気になるのをみて本田未央への愛情を強くするのであった。

2015-10-27

原作既読だけどうろ覚え人間屍者の帝国を観て書いた悪口

まえがき

ネタバレかつ悪口の垂れ流し、悪文

原作文庫が出る少し前くらいに読んだ

書き手腐女子

シネマサンシャイン池袋

・初めの10分はCMだったんだけど、プリキュアとかガルパンとかガラスの花と壊す世界とか、フリー過去エピとかデュラララの番外編を劇場でやります~みたいなやつばっかりで死ぬほど萎えた。屍者帝なんだからワトソンでウォルシンガム機関で全世界を股にかけた冒険もの夭折したSF作家の遺作なんだから007スペクターの予告とか流そうぜって思ってたんだけど、でも、見終わった今となっては妥当だったのかも。あの予告群で

本編

ロンドン

・「まず必要なのは屍体だ」っていうのは原作の冒頭の文だった気がするし、世界観バーンと出してる感じで良かった。ただフェードインした絵でロンドン医大の大講義室でなくワトソン君の自室なのはな? 伊藤計劃絶筆の序章くらいそのまま映像化してもよくない? ダメ

ロンドン風景はきれいだった。Fate/staynightUBWのエンドを思い出した。映像

・それでフライデー原作では貸し出された屍体だったと思うんだけど友人なの? マジ? 友人なのになんでこんなショタいわけ?

首に霊素注入器みたいなやつをさすところは痛そうだった

・M~~~?!?!? これヴァン・ヘルシング教授では? 原作に出て来てた気がする。屍者帝映画内でMって呼ばれてたかどうかちょっと覚えてないけど、MI6じゃなくてウォルシンガム機関なのは元々だっけ、From the Nothing, with Love.とちょっと混ざってるわごめん。そうじゃなきゃ007と混ざってるんだと思う

・いきなり博士の異常な愛情ネタぶっこんでくるのやめろ。ワトソン君の傾向はまだ対象が(故人とはいえ)人間だぞ

ヨーロッパアジア

ボンベイに飛ぶの速すぎワロタ原作でもそうだったっけ。覚えてない

ハダリーはアートワーク見た瞬間から思ってたけどファッションぶち抜きすぎじゃない? アリなの?

バーナビーは出てきた瞬間ブルックスJrかよと思った。理不尽すまん

・クラソートキン(名前記憶あやしい)って原作に居たっけ?

ワトソン煙草吸うシーンには萌え

・アリョーシャがあんな死にかたしてたか覚えてないのでアレ。保留

・クラソートキンとフライデー容姿類似意図的ならもっと対比してほしかったし、無いとは思うけど意図的じゃないなら悪手

日本

バーナビーの下着じゃないから恥ずかしくないもん発言伊藤計劃オタク趣味内包した台詞ってことで良いんですかね

日本パート北斎の娘の映画たかったけど見損ねたこと思い出した。名前忘れたけど会社でのバトルよかったし、手記が祀られてる部屋で即身仏みたいな屍者が並んでるのもよかった。ただワトソンの行動はクズすぎるし、フライデーに執着しすぎてて無理

原作ハダリーって音波キャラだったっけ。ハダリーにせよザ・ワンにせよ、かかとでカッてやるたびに、アナ雪かよと思ってしまいつらさが募る。最近ずっと誰かが「ありのまま」っていうたびつらいんだけど、そんなの台詞で一切出てこなかったのに、屍者帝めっちゃアナ雪じゃなかった??? 最後結晶化も同じく

アメリカ

ワトソンめっちゃエレンに見えてきてつらかった。WITStudio~~~頼む~~~

フライデー叫び過ぎだし、ワトソンは友人の亡霊を追い求めてないで現実フライデーくんに対処してくれ、と思っていたらどんどん取り返しのつかない状況に陥っていくドン

・ワトフラワトがエモい。とにかくエモいマジでこれ伊藤計劃作品なのか?

ノーチラス号原作に出てきたかまじで覚えていないけど出て来てたんだっけ

再びロンドン

・Mとザ・ワンのおっさん対決にMGSみを感じて伊藤計劃みを感じた

・Mが言ってるのは御冷ミァハの言葉ではないか? と思ったし、意識統合あるいは無意識を共有とか、なんかエヴァかなっていう。原作もそうだったかマジで覚えていない

エンドロール

・もう大概意地悪な気持ちになった所で突入したエンドロールの曲、ノイタミナ御用達アーティストEGOISTさまだけど、ジャズチックなせいか椎名林檎かなにかに聞こえるしこれもうサイコパスでしょ……

エンドロール

原作ではワトソンホームズ関係はぼやかしてなかったっけ。Mに探偵の弟がいるよ程度の触れかただったよね? エンドロール後の展開、めっちゃ冒険したな??? 探偵ブームきてる? ヒュウ!!!

フライデーモリアーティって理解で良いの。犯罪フライデー犯罪フライデーするべきでは?)死にそ~~~(死んでる)

ハダリーがアドラーっていうのはよくわからん原作がどうだったか覚えてない。エンドロール後で目にハイライトあったのハダリーだけだった気がするのは怖い

その他

・上映中ずっといたたまれなかったのはキャラデザ五割、台詞三割、脚本二割ぐらい

・こういうの腐女子の皆さん好きでしょっていう振られ方も、こういうの中高生の皆さん好きでしょって振られ方も、ひしひしと感じるものがあってほんとうにいたたまれなかったし正直引いた

・進撃もだけど、あのぐるぐる目デフォルメが苦手というか嫌いというか好きになれないので、あの絵柄でグッズが出るとわりとげんなりする。

・魂の重さ21gネタって原作にあったっけ

・これは伊藤計劃物語ではなく、書き継いだ円城塔物語でもなく、二人の作品の大枠を取りノイタミナが好きな雰囲気アレンジし、中高生の好きな感じのキャラデザと一部の腐女子の好きな感じのキャラ関係を仕立てたあれ

サイコパスとかギルティクラウンとか、ノイタミナアニメ会社とかレーベルとしての趣味ガンガン出してくるのは別にいいんだけど、原作があるものにまでそうするのはまじで勘弁してほしかったな……な……

FIN.~

あとがき

また何か思うところがあったり、原作読み返したりしたら書きます

2015-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20151015153806

日本屋へ行って同じようなことを思ったんだけどさ、

新規開拓したいけどなるべく好みから外れる作品は引きたくないなあ”

てな感じに若干財布の守りに入りつつ漠然とした目的のまま本探しする際に

タイトルの時点で選別できるから結構効果あるわ。

作品レーベルも相当数存在する一方で受け手側の趣味は細分化されまくっている時代だし、

出版社側がタイトル作品タグ付している感覚なんじゃないかなあ。

1巻の時点でタイトルが決まるから2巻以降は展開が表題全然関係ないじゃんって作品も数あるのだろうけどね。

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