はてなキーワード: レーベルとは
化粧したってブスはブスなのに!!!化粧品代は平等に必要という現実!!!
……という何の実にもならない愚痴はおいておいて。
====
特に手放せないのは夏限定のアクアレーベルのホワイトニングゼリーエッセンス。
なので今回の騒ぎを知った時、
最初は「あー、ちょっとアピールの方向性まずっちゃったのかなー」と思いました。
で、CMを見まして。
「こりゃあかんわ……」となりました。
個人的に、お化粧というのは本人の欠点を隠す(肌荒れとかにきびとか目が小さいとか鼻が低いとか諸々)と同時に、
こうなりたい! あぁなりたい! という、女性の夢を叶える魔法の道具だと思います。
もちろん本物の魔法みたいに呪文を唱えてハイおしまいではありません。
化粧は技術を磨き、自分に合う化粧方法を探し、極めていくという一種の芸です。
その芸の頂点を目指すプロの方は、メイクアップアーティストですよね。
だからこそ、技術を極めて自分をなりたい姿に限りなく近づようとするための技術が『化粧』。
老いも若きも化粧品を購入するのでしょう。
いや、自分のように「化粧メンドクセェ。やらなくていいならやりたくねぇ」という人もいると思いますが、
めんどくさいと感じるのは義務感から化粧しているせいでしょうね。
ともかく個人的には化粧品に時間を使うならその分色々やりたいという人間なので、
……にも関わらず。
「お前がなりたい姿が可愛い系? はぁ? その年で?」と、
なりたい自分に向かって努力する人に言ったら、どうなるでしょうか。
年を取ることは『悪』である。
かわいいは25歳であきらめろ。
そう、断罪してるように聞こえました。
若さゆえのかわいさは、年を取れば難しくなるのは当然です。
かわいくなりたいと化粧をする女性は、
……でも、それが事実だとしても。
可愛い自分になりたくて、そのためにお化粧を頑張り努力している人に対して、
その努力が無駄だと否定することはけして褒められたものではないと思います。
コトがどう転がるかはわかりませんが、
頑張って資生堂製品を作ってくださっている他の社員さんのためにも、
余談
25歳になるまでちやほやされたことなんてないし、
女性、というだけで十把一絡げに「25歳からは女の子じゃない」と
そもそも持ち合わせていない若さ故の利点を点を切り捨てられたことに対し、
「お、おう……」と真顔で頷いたのは私だけではあるまい。
ラノベ作家、漫画家、ゲームクリエーターなどを養成する専門学校の体験入学に参加してきました。
入るつもりは全くないのですけど、後学と言いますか社会の闇を見たくなって突撃した次第です。
別に、自分より程度の低い人たちを見て優越感に浸りたかったわけではありません。
有吉弘行は仕事がなかった頃、お年寄りが集まる場所に行って「まだ自分はやれる」と自分を鼓舞していたそうですけど、私の人間性はそこまで低くありません。信じてください。
もう三年近く専門学校を襲撃していなかったので、ムラムラしていたのですよ(本音)。
三年前の顛末は『ラノベ作家養成専門学校が酷い ~2nd Season~ http://anond.hatelabo.jp/20130901102804 )』にまとめてあります。
この過去エントリー読まなくても本エントリーは楽しく読めるので安心してください。
話は横道に逸れないのですが、『〜2nd Season~』をアップした直後から、Google先生が『ラノベ 専門学校 実態』をサジェストするようになったのはここだけの秘密です。
ちなみに『ラノベ 専門学校』でググると『〜2nd Season~』がトップに表示されます。
あと、このエントリーは若干長いです。3行にまとめると……
・学生超頭(・∀・)イイ!!
・講師陣優秀!
です。
まずはラノベ専攻科について。
卒業生の“掲載作品数”が多いと謳われていて、あっ(察し)ってなりましたね。
その証拠に現役ラノベ作家として活躍する卒業生の声が載っていました。一人。
新人賞取ってなかったり、密林レビューが一番多く付いている作品でもたったの8レビューだったり、3巻前後で打ち切りになっている作品がやたら多かったりと、香ばしいキャリアを詰まれて、もとい積まれております。
次、講師陣。
ハイローミックスですなぁ。
ジョージ・バーナード・ショーが「行動できるものは行動する。できないものが師になる」と言い残していますけど、まぁそうだよね。
それとなぜか名誉職なるポストがあって、まぁそこそこネームバリューのある人が収まっています。仕事しているの?
作家関係の講師ですと、昨年留置場にブチ込まれた方がいらっしゃいます。
すっかり名前を聞かなくなったと思っていたら、こんなところで働いていたのですね。くいぶち!
講師ではないんですけど、コスプレして剣を振り回していたイラストレーターさんや絶対に許さない声優さんが以前講演しに来たようです。
過去のイベント履歴を見ますと、いわゆる業界関係者が間歇的に小金を稼ぎに来ています。低学歴からどんどん搾取していこうな。
次、入試。
多いです。
一人の受験者が複数回筆記や面接試験受けるとかじゃなくて、正味で入試が二十六回あるんですよ。ふ、ふぇええ……
その上まだサイトに掲載されていない入試もあるようで、詳細日程は学校にTELすれば教えてくれるらしいYO!
なんで随時受け付けにしないのでしょうかね? 文科省に怒られるから?
次、各種イベントについて。
体験入学、学校説明会、入試説明会、保護者説明会、個別相談会、学費相談 etc.
大学のオープンキャンパスの比ではなくて、盆なんて関係なしに毎週行われています。
さらに学校までの無料送迎バスが首都圏六県と長野、静岡、福島から出ています(イベントによって発地は若干変わるよ)。
それと東京にある本校だけでなく、地方への出張説明会もあるようです。商魂、逞しい。
たぶんアレがアレしてアレなんでしょうけど、詳述するとPCに触れそうなので、リベラルを自認する私としてはお口にチャックでミッフィーしようと思います。ごめんチャイナ。
各学科の体験入学・学校説明会が開催されているのに、来校している見学者は数えるほど。
在校生と思しき若い人も少なかったです。本気でクリエイターになるなら休みも来ましょうよ……
受付を済ませると、『見学者様控室』に通されました。
見学者は私のほかは一人だけ。ガイジっぽい、専門学校ではなくお医者さんに行った方が良い感じの子が一人。
その子はイラストレーター養成講座の見学なのに、絵は描けないとか言ってる。人生、大丈夫か?
2-1=1だからつまりそのひょっとすると私は一人でラノベ講座を受けるのまさかそんなわけ……うっほほ~い!
パソコンが置いてある、謎の部屋に案内されました。
謎というのは、その部屋にあるパソコンもホワイトボードも何も使わなかったからです。
部屋にはラノベレーベルの編集者を自称するオッサンと、作家を自称するオッサンがいて、あぁ来たのといった感じで私を迎えてくれました。
編集者は所属している出版社名とか言いませんでしたね。専門学校の講師やりながら、激務で知られる編集者ってできるの?
自称作家のおっさんが最後に本を出したのは一年以上前。既刊で密林レビューが付いているのは半分くらい。全く知らない人ですね。
この二人、公式サイトの『講師紹介』には名前がなくて、学校側としては内緒にしておきたいご両人なのでしょうか? まさか講師ですらないというミラクルを私としては期待しております(切り込み隊長感)。
事前説明では小説を二作、ゲームプロットを一つ書く予定だったんですけど、そんなもの全く書かかない。
私はノートPC持参してきて書く気まんまんだし、二人の発言タイプしてるのに、オッサン二人は椅子にふんぞり返っているだけ。メモくらい取れや。
結局、自称業界人のオッサン二人と雑談しただけで“体験入学”は終わりました。
オッサン二人との会話が有意義だったらまだ救われたんですけど、話の内容も酷い。
自称作家は分からないこと聞かれると「作家は魂が重要なんです」みたいな精神論説いて逃げる。
自称編集者は『電撃にいた三木』も知らない、ユーザーが何に可処分時間を使っているかにも関心がない。
お二方とも物事を構造的に見られなくて、アンテナが低くて、社会人としての根本的な能力が疑われます。
三年前、専門学校の体験入学に応募したときは、頼んでもないのにどっさり資料が送りつけられて来たのですよ。
でも、今回はなかったですね……
仕方がないので帰り際に「くれ」って頼んで手に入れました。
ガキ、失敬、入学希望者がスマホで見ることを念頭に置いてるんでしょうかね。
活字びっしりで、内容は学校と企業のパイプがいかに太いか、就職実績はどれだけあるかというもの。
社会の厳しさを知っている親はお花畑スクールライフ見せられたら不愉快ですし、子どもは学校で遊ぶことしか考えていないので、この二方面作戦は賢明だと思います。
あと、学費。
サイトには載っていなくて、紙の募集要項に小さく書いてあるだけ。
年額約百五十万円。
官能小説の出版社はそんなに多くないんだけれども、今回のKindle Unlimitedの対象になっている本が多すぎるのです
既刊数:164冊
Kindle発刊数:132冊
Kindle Unlimited対象数:128冊
既刊数:361冊
Kindle発刊数:307冊
Kindle Unlimited対象数:302冊
既刊数:398冊
Kindle発刊数:145冊
Kindle Unlimited対象数:115冊
既刊数:65冊
Kindle発刊数:65冊
Kindle Unlimited対象数:65冊
全巻対象
既刊数:465冊
Kindle発刊数:355冊
Kindle Unlimited対象数:344冊
既刊数:26冊
Kindle発刊数:26冊
Kindle Unlimited対象数:26冊
全巻対象です
既刊数:240冊
Kindle発刊数:117冊
Kindle Unlimited対象数:25冊
ここは少ないですね
既刊数:146冊
Kindle発刊数:52冊
対象の本無し。残念ですね
既刊数:41冊
既刊数:?冊
Kindle発刊数:481冊
Kindle Unlimitedのエロラノベ系の充実度は異常です
官能小説のレーベルは昔から電子でも販売しているところがありましたが、実本より高値で販売しており、値下げをしないことが有名でした
それを考えると今回の大盤振る舞いはおかしいと言わざるを得ません
また、一部作家さんが「読み放題対象になるなんて聞いてない」とTwitterで言及していることもあり、今後取り下げられる可能性もあります
なにはともあれ、現状では内容の10%まで読むと、購入した場合と同じ配当があるそうなので、読みまくって作者に利益還元するのもありなんじゃないですかね
もうこれ以上ないくらい単純化したアドバイス。清潔感を与えて女性からも好感を持たれたい人向け。
服で自己表現とか考える人には向かない。以下に書くことは、あなたが服を選ぶときに脳みその稼働をどこに振り分けるかである。
服は正しいサイズで着た時の形を考慮して作られている。半分の男性はなぜか大きく着てしまう。
「上半身は肩でピッタリなもの、下半身は腰でピッタリなもの」これだけである。
肩・腰で合わせたのにお腹や太ももが合わない?ならば、その服は買わない。必ず合う服(店)があるのでそちらを買うこと。
単品でなくてコーディネート。8割の人が着る服でも、ジャケット・Tシャツ・パンツで組み合わせれば凡庸ではない。
「白・ベージュ・グレー・紺・黒」と「無地かシマシマ」。これ以外のモノを買う必要はない。
どうしても個性を出したければ靴で出すこと。変なマークとか英文ロゴとか、大人には不要。
肩と腰を意識しているのに、ここまで意識できている人は少ない。ほとんどの男性は長く着すぎである。
「手首は汚れない長さ、足首はたるまない長さ」これだけである。
短すぎると感じる人は、まだ背が伸びている小学校時代を引きずっている。女性は先端への意識が強いから、ここで清潔感を判断する。
試着して長過ぎた?ならば切ればいい。基本、長く作ってあるのだ。ここのお金と時間だけはケチってはいけない。絶対に。
「ユナイテッドアローズ グリーンレーベル」「エディフィス」「ジャーナルスタンダード」「スーツカンパニー」を回るだけでいい。
ザラやH&Mは難しい。ユニクロや無印はカタチがジジすぎる。それ以外は高すぎるか偏っている。
サイズの話ばかりじゃないかと思うかもしれない。実際そうなのだ。
パッと見の「いい感じ」はサイズが作っているのだ。色でも柄でもロゴでもない。
そもそもバンドが神聖視され、カリスマ的な地位があったのは「金」によるものという大前提を認めない人間が多い。
過去に売れたバンドは漏れなく集客力があり、メディアでも取り上げられ、何をしても売れた。
それは経済効果が大きく、乗っかると美味しい思いをできる会社が多かったからどんどん優遇された。
それがさらなるチヤホヤを生み、カリスマ性を持たせ、音楽に補正をかけるという好循環を生んだ。
だが、今はそれが通用しない。
肥大化したレーベル会社、間に挟むたくさんの人間、それらを養っていけるほどのマージンは期待できない。
また、物珍しさも無くなり、どのバンドも過去のバンドの類似点という呪いから逃れられない。
音楽を聴いているものにとっては、似ていない音楽などほとんどない。
だから音楽以外の部分で抜きん出るしか無いという現場になりつつある。
バンドの設定だったり、背景だったり、マーケティング力の差がバンドの差を作り出すと言ってもいい。
ゴールデンボンバーがなぜ売れたのかを考えろ。彼らほどマーケティング力に長けたバンドはない。
今のバンドに言いたい。
売れたければお前らはマーケティングに力を注げ。
自分たちの音楽は至高で、わかるやつだけがわかるという思い上がりで飯を食える時代は終わった。
幼稚で未熟な時代は終わったんだ。今はもうみんなが冷静に物事を見ている。
「俺たちが求めてるのは金じゃ無い」という綺麗事の皮を被った、全能感を担保するための逃避は止めるんだ。
頭脳だ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/989697
このネタ、定期的にやってくるね。見るたびにほんとクソだなって思う、こういうこと平気で言うアーティストって。
結局、世の中の事象を表面的にしか捉えられない極めて残念な頭脳の持ち主だってのが露見するからこういうのはできるだけ見たくない。
CCCDやレーベルゲートCD(以下CCCDに統一)は、別に必要が無いのに突然作られたわけじゃない。ビジネスとしてそれが必要だと判断されたから作られた。それが成功か失敗かに関わらず、産業を護るための1つの手法として作られた。
当時、音楽の世界を猛烈な勢いで襲ってきたのは、「印刷技術の陳腐化」と、「それに伴う経済圏の破壊」だ。
音楽が、中世のパトロンに音楽家が養われていた時代から先に進めたのは「印刷」の技術のおかげだ。楽譜を印刷し、アナログレコードを印刷し、そしてCDを印刷することで音楽をお金に変えることに成功した。1つのマスターを大量に印刷し複製すること、その「印刷」が特別な技術であったからこそ、そこに金銭的な価値が生まれ、音楽を金に変えることに成功した。
マネタイズが上手くいった場合の恩恵などいまさら語ることではないと思うが、その金がさらなる設備投資を生み、最高峰の音楽スタジオを作っただけでなく、作品の多様性、文化としての多様性をも生んだ。1作品の売上で1度失敗したらすべてが終わる世界ではなく、大衆に広く伝わる音楽から、極めてマニアックでありながらしかし深く深く誰かの胸に突き刺さるような、採算を考えたら許されるはずのない作品さえも許容できる余裕が生まれた。80年代、90年代の音楽を見ればそれは一目瞭然であり、多様性こそが文化としての豊かさだというのは誰の目にも明らかだ。それもこれも、マネタイズが上手くいっていたから可能になったことだ。
この辺の「ありがたみ」を、元記事の音楽家などはきっと理解していないんだろうと思う。もっとも恵まれた時代に活動し、勝手に思うがままにできていた世代特有の傲慢さ。プラットフォームを築き上げることがどれだけ大変で、それを維持することがどれだけ重要なことか、まったく理解していないんだろう。いい歳こいてるくせに。
それらの恵まれた状況をもっとも大きく変えたのは、「家庭用パソコンにCD-ROMドライブが搭載されるようになった」ことに他ならない。その時点で「印刷」の専売特許が失われ、「印刷」が家庭レベルに落ちた。誰でも印刷ができるようになってしまった。ここでいう印刷とは、CD-Rに焼く行為のみならず、HDDにデータを取り込む、そのデータをコピーする、これらすべてがつまるところ「印刷」だ。誰でも自由に印刷ができるようになった時点で、そこに金銭的な価値を維持できるような専売性は無くなった。
それをいち早く察知したのは、アップルとグーグルだ。彼らはしきりに「おまえの持っているCDをパソコンに取り込め」とけしかけた。とにかく入れろ入れろとしきりに促した。同時に「その取り込んだデータをどうするかはおまえ次第だから知らないけどな」と、極めて狡猾な態度をとり続けた。スティーブジョブズが本当に音楽家を救いたかったのだとしたら、やるべきことは人々にCDをパソコンに入れさせコピーさせることでは無いことは彼も気付いていたはずだ。気付いていながら彼は巧みにポジショントークを繰り返し、自社製品を売り、むしろ自社製品が音楽を救うとまで言ってのけた。そして、それに音楽家たちはまんまと騙された。
音楽をパソコンにさえ入れさせれば、後はユーザーが勝手にコピーするなり、ネットにアップするなり、金も法も関係なく勝手にやり始めることを彼らは知っていて、それを積極的に促した。
なぜ彼らはそれができたかといったら、それは「彼らは音楽に投資をしていなかったから」に他ならない。制作費やスタジオ設備に一銭も出していないからだ。音楽CDプラットフォームを作ると同時に音楽制作も始めたソニーには、ビジネスを通じて音楽文化を育てる気概があった。対してアップルは音楽制作には一切触れようとしない。彼らは単に、はちゃめちゃコピーマシンと、投資はせずに回収だけするプラットフォームを作り上げただけだ。
そうやって彼らが「パソコンにじゃんじゃんCDを入れちゃって~」とやり始めた時、当然、それに抗わなくてはならなかったことを想像もできないようなら、もう一度中学生からやり直した方がいい。
コピーコントロールCDという名前が表すように、コピーをコントロール、つまり「印刷」をコントロールする必要があった。そうしないと、音楽を育むための全ての経済圏が破壊されてしまうからだ。指を咥えて待っているわけにはいかない。対策を講じなければならない。
明らかに不利な立場だった。何もしないと責め立てられ、やろうとすると「考えが古い」と叱責される。アップルやグーグルが上手かったのは、いかにも「先進的で素晴らしいパラダイスを目指している」ようなイメージをアーティストたちへも擦りこむことに成功していたことだ。その先に実際には何もなくても、イメージさせてしまえば勝ちだ。あの頃のみんなに「10年後、音楽はアイドルと大人数ホストサーカス団しか残ってないよ」と教えたらどんな顔をするだろうか。
実際にはCCCDの技術はあまり褒められるようなものではなかったし、それは作った側も認めている。技術とアイデアが足りなかったのだとは思う。しかし同時に、何もしないわけにはいかなかったこともちょっとは理解してやったらどうだ。いい大人なんだから。
当時、全てのレーベルがCCCDを出していたわけではない。人を「犬」呼ばわりするほどCCCDが嫌なのだったら、違うレーベルからリリースすればよかったではないか。契約などのせいでリリースせざるを得なかったのだったら、裁判でもやって争えばよかったではないか。制作費をしこたま出して貰って、ワガママもできるだけ聞いてもらいながら制作をしていた人間が、気分でボロクソに言うのって本当に程度が低いと思う。
CCCDは正式にはコンパクトディスクでは無い。redbookのCD-DA規格に準拠していないからだ。つまり厳密なことを言えば、CCCDに対応していないCDプレーヤーにCCCDをぶち込むのは、CDドライブにフロップーディスクをぶち込むのと大して変わらない。
ここで「だからプレーヤーが壊れたのは自己責任」などとは言いたくないし、その辺りは確かにソニーやエイベックスのやり方や啓蒙の仕方、技術には問題があった。 だが、何かしらの対策をしないといけないのは明白で、それに対して失敗したからといって上から目線でボロクソに言うのはまったく関心しない。
実際、あれからCCCDは多くの非難を浴びた。ほぼ同時期に、アップルはiTunesにまったくもってクソみたいに使いにくいDRMを自ら導入し「ほら、使い辛いでしょ?」とお決まりのポジションで言ってのける演出をし、そして業界全体が「コピー禁止やDRMはやってはいけない」という風潮になり、まんまとIT屋の餌食になった。 すぐ近所でゲームや映画DVDは「私的複製を許可するけど、鍵は外したら怒るよ」というクレバーなやり方を開発し、一定の効果を上げコントロールできているというのに、音楽だけは「複製は許さなくてはならない」という空気に飲み込まれた。そんな馬鹿な話はない。それもこれもアップルとグーグルの熱心な啓蒙のおかげだ。
そしてレーベルやアーティストは制作費が出せなくなった。 自宅で制作したような貧乏臭い音のショボイ作品しか作れず、過去の遺産にしがみつくしかなくなった。若いアーティストたちはどんなに才能があろうと、お金を掛けた制作をさせてもらえずバイトをやめることができなくなった。毎晩、叙々苑弁当を食わせてもらってた上の世代がこぞって「音楽をタダで聞かせればファンが増えてもっとカネになる!」とかいうアホみたいなIT屋の理論を鵜呑みにし業界をその方向へ誘ったがために、明らかに業界は縮小し、文化は萎縮し、これから先の若い才能は音楽などやらなくなってしまった。
おまえが良識のある音楽家たちを「犬」呼ばわりするなら、おまえはあいつらのポジショントーク、セールストークを無邪気に信じこんでお花畑を目指してたITの「犬」だろうが。 mn3
http://www.tedium-life.com/entry/2016/06/16/190000
つーか元ネタ記事も今から俺が書くのと同じこと書いてると思ってたら全然違って拍子抜けしたから、じゃあ知ってる分だけでも俺が書くわって
魔乳秘剣帖の作者と言えば、なるほどと思う人も多いのでは
エロ漫画家でもある
一見粗くみえるが勢いがある線を用いて、表情豊かでユーモアも交えたエロ漫画を書く
まだエロ漫画を書いて欲しいから、ぜひ単行本買ってあげてほしい
個人的にすごく好みの絵柄
デッサンもしっかりしていていろんなアングル、ポーズで書いてくれるから、個人的に絵の勉強にもなるなあと思ってる
まあtoshだよね
昔はあんま好みの絵柄じゃなかったけど、今はすごく見やすく上手で好みの絵柄になったと思う
ただエロさ・フェティシズムがないから、味見シーンで脱いでもあんまりエロさを感じない
もっと汗ばんだ美味感の表現(もといエロい表現)を勉強してほしい
そしていつかまたエロ漫画にもう一度帰ってきてほしい
ちょっと違うかもだけど一応
プロになる前に個人サイトで書いてたのにちょっとエロいのがあったよ
今の絵柄はすごく少年ジャンプむきに矯正してるっつーか合わせてるんだなあとしみじみ感じる
以下追記
忘れてた
昔から絵はうまかった
成年向けも書いてた?
桃栗みかん名義?それ以外?
近所付き合いが嫌いだ。田舎に帰るとよく言われるだれそれが結婚したとか、あそこの家の息子はロクデナシだとかどうでもいい。
他所の家の事情なんてどうでもいい。金にもならないのによくそんなどうでもいい話題考える暇があるなと思う。
そんな自分が見ている投稿サービスで「ストリエ」というのがある。
スマホを意識しての「縦読み」に特化したUIで一部の人が見ると爆笑するか胸が痛くなるかもしれない。自分は後者だ。
基本はユーザーの投稿だが、ライトノベルレーベルと提携して無料配信しているがやっぱり苦戦しているらしい。
最近は露骨に勧誘をしているようでアメブロやらライブドアやらtwitterやらなんでもかんでも引っ張っている。
その中に家族を題材にしたブロガー連中がいた。どうも大量に引きいれたらしくエッセイ特集と銘打ち取り上げまくっている。
最初に書いた通りでそういったものも嫌いだが大衆に受けているのだから何かしら面白いところがあるのだろうと思って挑戦してみた。
一人目
自閉症の子供を育てているらしい。そこそこ読めたが別にドラマチックな展開も無いので2つくらい読んで飽きた。
二人目
二世帯住宅で暮らしてる嫁のブログの再掲。やっぱり調べたら姑がボケたり死んだりしてた。
三人目
普通の子育て日記、子供が喋ったとかどうとかで記事書いてる。それだけ。
四人目
同上。年の差兄妹なのが特徴らしい。一三歳と五歳くらいでそこまで言うほどのものなのだろうか。
五人目
海外で嫁いでる女の記事。夫が金持ちらしくひけらかしてんのかと腹がたった。
適当に読んでいたが五人目で心が折れた。何が楽しいのかさっぱりわからなかった。
家族の出来事とか世界中に見世物にして何が楽しいんだ?ついでに障害持ちでもなんでもない家の様子とか見て楽しいか?
ビックダディもいないぞ?
いくらなんでも乖離が激しすぎるし、書店棚の傾向を分析するにしても「ハードカバー棚はラノベか?」みたいな判断は入るよね、という話なんだけど。
まずもって本当に書店棚の統計的傾向を尊重するなら、実際に全国の書店を調べるまでは「このレーベルはラノベ」なんて誰にも言えなくなっちゃう。
「いやそこはフィーリングで電撃文庫もラノベって分かるでしょ」
というなら、それは定義としては失敗してるよね。
あと、ラノベの棚かどうかで分かれることはありうるよ。
「電撃文庫の隣に置いてください」
それを便宜的に「ラノベの棚」と言ってるだけだったりするし。
あと、文庫棚から少し離れたところにあるソフトカバーWeb文芸の棚はラノベ棚と見なさないのか、とか。
逆に、「似ているもの」ってだけで近くの棚に置いているだけだったり。
「ラノベ」とは、もともと読者側から発生した呼称、つまり俗称であって、
実際に90年代から2000年代初頭までは読者側しか使っていないものだったし、
それ以降も「分かりやすいから」ということで新興のレーベルが採用したにすぎない。
では90年代のラノベはラノベじゃないのか、と言うとまた議論になるだろう。
「うちはラノベじゃない」と明言しながら、ラノベ出身作家にイラスト付き小説を書かせているレーベルもある。
ソフトカバー単行本レーベルをラノベに含むかどうかで、市場が膨張しているか縮小しているかの結論も変わる。
書店でだって、一つの棚に並んでいることもあれば、棚が分かれていることもある。
「じゃあラノベレーベルを定義してください」という話にしかならない。
何がどうなっても上手い定義じゃないよね。