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はてなキーワード: メールとは

2023-06-08

anond:20230608000916

いってないけどメールで通知とどくねん とめにいくのもめんどくさい

2023-06-07

anond:20230607180019

不動産屋はヤクザなやつら多いから気をつけてな。すぐウソつくし契約書にも無効な特約ばかり入れてくる。連絡もメールや書面で証跡残すのがベター

[]

捨てメアドでつくったDアカウントでなんとかマガジンとなんとかヒットっていうのを初回月無料契約してた。

無事解約できた。捨てメアドなためかしらんけど、メール認証とかだったらダメだったとおもう。電話認証だったからよかった。

いわゆるショートメッセージなんとかってやつ。ポイ活とはいえドコモアカウント系はやめとこう。手続きがめんどうすぎる。しにそう。

リンククリックで0.1円分とか0.3円分とかでチマチマかせごう。というか電気代のほうがうわまわるかもしれんので、ポイ活は職場実践あるのみ。

建前が面倒くさい

その建前要る?ってよく思う。

例えば漫画が好きですって言うと、話し相手おすすめ作品を聞いてくるわけ。でも本当は何勧めても読む気なんて無いのよ。じゃあ聞かなくてよくない?

他にもお世辞とかおべっかとか、無意味だと思う。時間無駄だろ。その生産性の無いやり取りに時間が費やされるの本当に無意味に感じる。メールの内容だって、前振りばかり長くて要件自体は本当に短い。でも人間社会はそういう無意味なやり取りを重視する。

ああ、無意味だ。

2023-06-06

50歳95㎏のボンレスハムなワイ氏、60代半ばじっじにベッドに誘われる

表題の通りである

胸、腹、尻のボンレスハムなワイ氏は50歳95㎏である

あと5㎏で100㎏の壁を突破するがなかなか太れないでいる。

 

とある広い公園で、年配の女性ナンパしてるスポーツ新聞片手じっじがワイ氏の後ろをついてくることに気が付いた。

なんか話しかけてくるがスルーした。

ちらっと、ベンチに腰掛け隣に座れとジェスチャーしてるのが見えた。

ワイ氏は非常に麗しいツラをしている。

ハンターでいうところの優しい顔のミルキがボンレスハムと思ってくれればいい。

そして巨乳だ。同じぐらい腹も尻もデカい。

これが15-20歳ぐらい年上の一部の男性性癖にずっきゅん刺さるらしい。

職場で、電車で、街角で、初対面であるというのに初手「ホテル行こう」という直球を投げてくる輩がいる。

道を歩いてても、いきなりジュースを買ってくれたり、小遣いを上げようと財布を出すおじさんもいる。

すぐスケベ話をしてくるので、そういう目的だ。

昭和生まれの男に、女のデブデブ脂肪が好きな層が一定数いるようだ。

もしくはデブ女はすぐヤれる、という成功体験をもっているのかもしれない。

平成、令和ときて、もろアウトなセクハラではあるが、ワイ氏はちょっと興味を持った。

スルーしていたが、戻って、ベンチの隣に座った。

じっじに比べれば若い女だ。

大喜びである

会話は、競馬競艇、どこに住んでるのか、独身か、男はいるか、などと個人情報を探ってくる。

じっじの一方的な会話と質問に、ワイ氏は嘘を並べて、真実は何ひとつ語らない。

嘘だらけのワイ氏の個人情報を聞き出して、じっじから結論であるところの「ヤりたい(意訳)」という言葉が出てきた。

 

先に、ワイ氏は興味を持った、と書いた。

興味は満たされた。

 

ワイ氏は少女時代からホワイトカラーからブルーカラーからもお誘いを受けてきたが、

言葉セクハラはあれどお触りはいっさいないのだ。

今回の60代半ばじっじも、隣に座れと席をべしべし叩いてみせたが、ワイ氏には指一本も触れないことが確認できた。

彼らは前時代の性規範で生きているが、痴漢行為と受け取られるような行為はしない。

これは失敗から学んだ学習成果か、それとも一応道徳心ある紳士であろうとしているのか。

判別がつきづらい。

『なぜ触らないのか』

と尋ねようものなら、触れ!、と受け取られそうである

誤解を恐れて尋ねることはできない。

 

結婚したけど別れた。寂しい。女が欲しい」

人間男と女だ。男欲しいだろ?」

「いいえ。いりません」

 

結婚に失敗するのは、夫婦どちらかの人間性に問題がある。

道を行く年配女性ナンパし、初対面のワイ氏をベッドに誘うようなじっじの人間性には間違いなく問題がある。

野良猫交尾でもあるまいし、良識ある人間名前も知らない異性と寝ようとは思わないのだ。

 

見ず知らずの人間相手に、事件事故が怖くないのか。

本能全開でまるで動物のようなじっじだと思った。

しかし触ってこない理性があるのでぎりぎり良識がある方か。

 

恋人でも結婚相手でもない男と金銭のやり取りもなくセックスする女はまずいない。

いくら提示してくるかちょっと期待した。

じっじの提案は「ガストで飯を奢る」という他愛ないものだった。

お互いに安いですねえ、とワイ氏は一人でちょっと笑った。

 

夕方には雨が降ると天気予報が言っていた。

空の雲行きも怪しいし、帰ると告げて席を立ったら、また付いてくる、まだ話しかけてくる。

暗がりのある公園なので、ちょっとまずいかな。

  

警告のちに面倒くさいけど警察コールかと思ったら、ヘルパーさんとそのお世話になる品の良いおばあ様が車椅子でやってきた。

ワイ氏はぱああああっと顔が明るくなる。

いいところに来てくれた。

 

じっじの目の前でその二人に話しかけた。

第三者がいると犯罪は起こりにくくなるのだ。

じっじはそそくさと公園から出て行った。

付きまとい終了。

 

何度か付きまとわれてるが警察が来る前に逃げてしまパターンほとんどだ。

一応、逃げてしまった場合でも警察通報していいことになっている。

地域の防犯メール等で呼びかけ拡散がされる。

 

今回はワイ氏が付きまといに応じてしまったのがアカン要素で、本来ならば厳しく拒絶が望ましい案件である

警察通報した場合も、ワイ氏はたぶん怒られるか注意を受ける。

人間食べ残しの味を覚えたクマが人里に降りてくるようなもので、

性欲と孤独に負けたじっじが再び年配女性や勢い余って未成年に近づいて警察通報され、性犯罪者となり、逮捕される事態を招きかねないからだ。

 

以上の事柄を、ワイ氏は時間が経過すると忘れてしまうだろう。

一日の終わりに書き記して覚えられたら覚えていようと思う。

転職で感じたこ

従業員500人程度の中小エネルギー会社 人事課長従業員1万人超のSI企業NECとかNTTとかそのへん)人事職(非管理職)に転職して一年ほど経過したのでその雑記あんまり増田で人事の転職たことないな?

自分の事

日東駒専どこかの文系卒。妻あり、子供はいない。34歳

それなりに要領がいい方だとは思うが、お世辞にも能力が高くはない。英語力も皆無。(TOEICは受けさせられて300ぐらい)

前職に入社するための就職活動転職に至るまで

氷河期と言われる2012卒だったのに加え、自分就職活動に対してやる気がなかった(4年から就活開始したあたりでお察し)が、4年時、中小企業秋採用になんとか入社。しばらく営業職として全国を転々としていたが、途中で人事に異動。

採用教育給与以外の人事業務を実施評価とか異動とか個別人事対応とか)し、30歳で人事課長に昇進。

30歳で課長というと一般的には早いのだろうが、残念ながら名ばかり管理職のため部下はおらず、残業代がなくなったため給料は減り、決裁権は1円たりともなく、業務も変わらず、ただ参加する会議が増えただけだった。

(これは余談だが、管理職に対し残業代を払わないためには、厚生労働省が開示している管理監督者定義合致している必要がある。前職では当然何一つとして合致していなかったため、名ばかり管理職に対し残業代を支払う旨の制度改定提案上司に持っていったがその後何一つ音沙汰は無かった。尚、内部通報制度使用しようにも肝心の窓口が上司の為詰んでいた)

また、パワハラ気質サービス残業特に上司からメールが来たら土日祝日であろうと24h以内に返信が必須なのがしんどかった)にうんざりしたのと、結婚に伴い全国転勤が難しくなったため転勤がない会社への転職活動を本格的に開始。

転職について

上記キャリアのため転職するなら人事職が良いだろうと考え、人事職で転職開始。転職は以下3点を軸に、エージェントを頼りながら進めていった。

・人事にもかかわらず、採用教育給与あたりの専門分野が未経験というやや特殊キャリアが活かせる事。
引っ越しを伴う転勤が発生しないこと。(そのため、制度が整っている超大手か、拠点東京しかない中小かのどちらかが多かった)
年収レベルが今(500万)より下がらない事

エージェントには管理職待遇マストかを聞かれたが、上述の通りまともなマネジメント業務実施していないため拘らず)

転職にかかった期間は半年程。エージェントは3名ほど使用転職は30社ほどエントリーして、面接は15社ほど受け1社から内定をもらい快諾。

「5社受けて3社内定もらいました!」ってレベル退職エントリが多い中比較するとひどいもんだけど、新卒就活の時の連戦連敗を考えれば無傷みたいなもんだった。

退職報告

前職に退職の報告を上司にしたところ、「転職先が決まってから退職を報告をするのはマナー違反だ」「お世話になった会社を辞めるのは人間として狂っている」などと説教を受けた(注:上司中途採用組)ため、やはり転職活動してよかったなあと思いながら適当にその場は愛想笑いで凌ぎ無事退職

転職で変わった事

年収で500万→800万ぐらいになった(賞与は50万→130万に増)

業務内容は採用退職までの一連の人事業務すべてに薄く広くかかわる感じ

・転勤原則無しの扱いになったので、戸建の購入計画を進められるように

残業時間は60h→10h程度に

・年間休日は110日→120日後半に

・在宅か出社かはどちらでも問題なく、業務に支障さえ出なければ共有スケジュールに入れるだけで在宅可能

裁量労働制のため、仕事が片付いていれば定時より早く仕事を切り上げることもしばしば。

・前職で(名ばかりとはいえ)「管理職」を経験していたためか次期管理職候補としての期待が大きく、今期の評価では最高評価を受ける。

・土日祝にメールが誰からもこない。

働いていて気づいたこ

仕事業務時間ストレスは減り、年収待遇が爆増し、社内の人間関係も良好のため、転職はこれ以上ない大成功だったと感じる。

・周囲のメンバーを見ると、前職と比較しても(ごく一部のスーパーマンを除き)そこまで能力が高いというわけではないし むしろ自分の周りを考えると前職のメンバーの方が能力は高かった。(でも給料は今の会社の同僚の方が遥かに貰ってる)

転職して一番のギャップ経営から担当者まで全員穏やかな人である事。周囲から怒号が聞こえない事の快適さを痛感。

・バックオフィス転職あるあるかもしれないが、自身能力仕事アウトプットが増えていないにもかかわらず 年収待遇が爆増した事の違和感が凄い。年収個人能力でなく所属する業界企業によって決まるのはガチだなと感じた。

結論

転職してよかったーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!


追記

諸々反応ありがとう

名ばかり管理職通報先が違うのでは?

会社提案したのは私が人事部所属だったので、「人事としてこの会社制度は変えないとあかんな?」…といった業務上の理由制度改訂提案をしていた感じです。

転職した今、仲の良い後輩・同期達には転職支援する形でサポートしてるので、残された他の人たちの事は正直知ったこっちゃなく、通報とかは考えておりません。

転職時の年収交渉について

これはネタバレなんですが弊社の経験採用では前職の収入考慮していなくて、

学歴とか経験年数とかの諸々を入力すると既定のルールに基づき年収がいくつか設定される仕組みになってるんだよね。その中で職場側の期待度によって選択するみたいな感じ。

なので俺が凄いとかエージェントが敏腕とかでなく、本当に自分場合は運が良かっただけ。あとはいくつか言及されているように、(名ばかり)管理職経験者という実態がうまく働いたのはあると思う。

氷河期の同期達

あの時皆どんよりしてたよね…

ただ、大学の同期で転職したメンツと話すと、だいたいみんな「転職新卒就活より遥かに楽」って口をそろえて言うんだよね。

100社受けて1社内定あるかないかみたいな極限状態では絶っ対ないので、転職するかしないかは別としても片手間で転職エージェントと話してみたり、転職サイト覗いてみるのはいいんじゃないかな。

これまで新卒一括採用しかしていなかった大手企業経験採用爆増してるので、自分経験と当てはまる求人さえあれば当時ではESすら通らなかった企業が割と気軽に面接してくれると思う。

>長い

ごめん!!!!!!!!!!!!!!!

[]

なんか朝からしんどいわ。そもそもなぜ私が○○会社に連絡してアレンジしてやらなきゃならんのだ.....そんなの○○○のしごとだろうとおもわれる。あああまったく。これでうまいこといかんかったらどうすればいいのか。妻ちゃんがいっていたように○○か。しかしそれにしても自分で○○くらいみつけろやっていいたい。○○支援のやつとか地域○○し〇とかダメなんか。前者は、この前のドラマにでてきたやろ。紹介しないのか。そのうちメールするはめになるだろうから・・・それについて提案してみよう。だいたいえり好みするな。そういいたい。しごとがみつかりゃ御の字とちがうのか。どうなるのですか?

2023-06-05

追悼】 上岡龍太郎を語る。

無理や。

増田には手に余る。

それが出来ないのは分かるってるけど、したいか自分語りになってしまった訳で。

予想外に多くの人に読んでもらえて嬉しいやら申し訳ないやら恥ずかしいやら……。

id:lady_joker

 

 あと、失礼。増田アラフォーでしたわ。ごめんなさい。

アラフィフの人の意見が聞きたい!」  という気持ちが空回りしてしまいました。

テレビで追悼特集とかも流れているし、引退されてから幸せで後輩方とも定期的に連絡を取られていた様だし。

おかげで増田気持ちは落ち着きました。皆さん有り難う。

 

id:ftq  "23年前は大昔じゃなくて、ちょっと前やで。"

 大昔と言っても良いだろ。受精卵が大学出てるで。

逆に23年後には我々も そこそこ死んでるぞ。

 

id:shields-pikes

 上岡師匠の評伝は複数書籍になってるし。当時も散々 惜しまれたし。亡くなられてからじゃないと書けないよ。

好きな著名人が亡くなったら、こんなモンじゃない?

増田にとっては神格化しているけど、芸能界全体ではそうでも無い事は理解しているし。

 

 その……。増田としては若い人に紹介できる動画分からんのよね。

短く切り抜かれている動画面白いけど、上岡師匠の魅力はソコでは無いし……。

かと言って、パペポや一人で語っているのも極端だし。

個人的には 、『さんまのまんま』で、さんまさんと共演しているヤツが一番オススメかなぁ……。

 

改めて調べてみると

師匠って、現役の時は個人事務所で、更に奥様が社長を務められていたのね……。

 凄くない?!

それで、あの芸風、あのレギュラー数、あの攻めた番組ってw

道理で常に覚悟が決まっているし。 スパッと辞められる訳よね。

 でも、奥様も凄いわ……。

上岡師匠の8歳下の筈だから引退時には50歳。40代の時に1990年代師匠を支えられた訳か……。

ネタにされていたけど。引退のキッカケも奥様の発言らしいし。

夫婦ドラマもあったのだろうなぁ……。

 

願わくば上岡師匠インターネットへの評価を聞きたかたかな……。

メールとかは利用されていた様だけど……。

 

増田にとっては書いて良かった。

皆さんのお目汚し失礼。

引き続き、師匠情報が集まっていそうな場所情報をお待ちしています

https://anond.hatelabo.jp/20230603224821

社内の報告がクソすぎるので半自動化した結果

同じ内容の報告を5か所に入力するルーティン業務があった。(エクセル、スプシ、メールSalesforceチャット)

報告内容を知りたいクソ上司どもがそれぞれ使えるツールが違っていて、他のツールを覚えようとしなかった結果なんだけど、あまりにも酷いから一か所に入力させて後は全部csv読み込みで半自動化してみた。

その結果、私の社内評価は「便利なパソコンオタク」になった。え、パソコン得意なんですね…ネクラなんですね…みたいなちょっと引いてる態度。

これが文系クソ企業です。

ただ、何かパソコンで困ったことがあると私に絶対声がかかる。追加賃金寄越せ。

親切に他人の分なんかやらないで自分のだけやって楽してサボればよかった

田舎高校に通っていた頃の思い出


昔のことに整理がついた。いつもお世話になっているはてなで語りたい。

ちょっと長くなるけどごめん。ピュア気持ちが赤裸々に表現されているなんてことはないので安心してほしい。若かりし頃の日記を見ながら書いている。

かつては花の高校生だった。今はすっかりアラサーが身に付いている。

地元の小中学校卒業してからは、家からキロほど離れた高校に通っていた。進学理由は、そう、友達三人がその高校を志望していたから。制服もかわいかった。だから私も志望した。今思えばその程度の理由だけど、自分には大事なことだった。

偏差値が高い学校ではなくて、みんな専門学校かに行く感じの、ごく平凡な高校だった。同じクラス大学に進んだ子は5人もいない。そんな中で、晴れて高校生になった私は、コンビニアルバイトに挑戦することにした。同じクラス女子アルバイトをしている子は少なかった。早く大人になりたかったのもある。

七月の始めだった。近所のセブンイレブンに応募した。夏は暑くて元気が出ないから嫌いで、新しいことを始めたくはなかった。けど、上の友達の一人がどうしても同じお店がいい!! というので、一緒に挑んでみることにした。

60才ほどのお爺さんがオーナーで、二人一緒に面接を受けたのを憶えている。パイプ椅子に座って面接を受けた。それで、志望動機を聞かれて、私は「社会勉強したいです」と言った。お小遣いが欲しかったのが本当だけど、別に嘘はついていない。

友達のMちゃんは、「タウンページを見て応募しました!!」と言っていた。「タウンワークのこと?」とオーナーに問い返されて、隣の部屋の大学生達が大笑いしていた。ほかにも同じくらいの時期にアルバイトで入った子達がいた。



八月頃だった。働いていて、ある男性に気が付いたのは。

その人は、がっしりした体形で、作業服を着ていた。あまり汚れはない。夏頃は薄い緑の作業服で、冬になると白い作業服の下からワイシャツネクタイが覗いていた(作業服の下にワイシャツを着ている人がいるよね。わかるかな…? 建設コンサルタントみたいな)。黒いカバンを持っていて、手のひら大のキイロイトリストラップひとつ付いていた。

ある時だった。その人のレジを受けたのが何度目かの時だ。私がいるレジの前に来た時、「こんにちは」と声をかけてきた。その時、私はどうすればいいかからなかった。ひとまず「こんにちは」と返して、何点かの食料品バーコードを読み取っていった。

レジ袋を渡す際、少しだけ手が触れた。変な感じがして手を引っ込めた。

その後も、その人は週に1,2回は私のいるレジに来た。その度に、「こんにちは」や「こんばんは」と挨拶をする。私は黙ってることにしていた。挨拶は返さない。マニュアルにないのもあるけど、なんだか変な感じがした。

ほかのアルバイトの子は、みんな「落ち着いてる」とか「男らしい」とか言っていて、でも私にはわからなかった。嫌な人じゃないとは思っていた。

その人のことをMちゃんに話してみた。すると、Mちゃんも同じように挨拶されているとのこと。そういう人みたいだった。彼女は、ちゃんと男の人に挨拶を返していた。何度か見たことがある。Mちゃんと一緒のシフトになることは珍しかったけど、作業服男性(当時の苗字を取ってKさんにする)に「こんにちは」と挨拶されると、「こんにちはー!!」と元気に返していた。

Mちゃんは人気があった。はつらつとしたキャラクターの子だった。30才になった今でもかわいい。異性にモテる子で、小柄で明るくて元気だった。不細工ではない。本当にいい子だった。



八月の終わり頃だった。生まれて初めて美容院に行った。当時実家には、両親と私と弟がいたんだけど、毎回千円カットだった。弟はスポーツ刈りで、私は簡単なボブカットだった。Mちゃん小学校の時から美容院に連れて行ってもらっていて、うらやましいと思っていた。

で、私も晴れて、初めてもらったお給料美容院に行ってみた。当時の私は物を知らない子だった。美容院にかかる料金も知らなかった。恥ずかしくて友達に聞くこともできなかった……。

入口では綺麗な人がこっちに来て、「初めてですか?」と聞かれた。緊張しながら「カットお願いします。ブローなしで」と言った。Mちゃん受け売りだった。「シャンプーしますか?」と問い返されたので、「お願いします」と伝えた。

こうして私は、まるで違う人になったみたいなショートヘアを手に入れた。料金はシャンプー込みで五千円だった。

それで、次の土曜の昼にコンビニレジをしているとKさんがやってきた。彼の順番がくると、「ん!?」という声が店内に響いた(はずだ。さすがに記憶あいまい)。ちょっとびっくりした。

増田さん、髪切った?」

どうしようかと思った。まだ、親以外の誰からコメントをもらっていない。なんだか怖くなって、「はい……切りました」って小さい声で答えた。そうしたら、

「似合ってるね!!」

と、Kさんは言うのだ。自信満々の目つきで。

あの頃は、Kさん特殊な人だと思っていた。まだ16年しか生きてなかったけど、彼のような人を見たことはなかった。でもその時、理由がわかった気がした。彼を特殊だと感じた理由が。

瞳だ。力強かった。当時、私と同じクラス男子はもちろん、周りの大人や、教師でさえあんな瞳の人はいなかった。Kさん目力ダントツだった。

ありがとうございます…」

途切れ途切れだったと思う。恥ずかしいけど、嬉しかった。レジの中で私は小さくなっていた。心臓の音が大きくなってきて、震える手でKさんが選んだ商品を読み込んでいた。お釣りを返す時に、緊張のあまり10円玉を床に落としてしまった。急いで拾って、拭くのも忘れて返した。



土日のどちらかで、Kさん接客をすることが多かった。

別に、その人に会うためでは全くない。そんなことは全然ない。ただ、雇用契約書を交わす時のオーナーとの約束で、「平日は2日と、土日のどちらかにシフトに入る。お盆正月シフトに入る。試験間中休み」という約束を守っていただけ。

月に何度か、Kさんは話しかけてきた。他愛のない話で、10秒くらいで終わる。ほかの話しかけてくる男の人と違って、こちらが返しやすい問いかけや、共感を呼びかける言葉が多かった(雨が多いね、名札が曲がってる、ゴキブリ死体が落ちてる、会計金額が2000円ぴったりとか)。

和やかな日々が続いていた。学校勉強は難しくなかった。偏差値が高くないところだった。風紀が乱れているとか、そういうことはなかったけど。制服を着崩す人は少ないし、部活動をやってる人もたくさんいた。女の子可愛い、ということで有名な広島県東部公立高校だった。思い出話が多くなってごめん。こんな時しか話せる機会がないので許してほしい。

その年の冬だった。放課後にMちゃんから相談を受けた。夕日が教室を照らしている時間帯で、ほんのりとまぶしかった。Mちゃんと一緒にやっている文化部活動が終わった後だった。彼女自分の机に座っていて、私は自分椅子をそこに移動させていた。

Mちゃんカバンの中から取り出したのは、手紙だった。薄い青色封筒だったと記憶している。小さい便せん2枚に渡って手紙が添えられていた。

「これ、あの人からもらった」

とMちゃんが言った。Kさんのことだ。話を聞くと、一昨日の夜にKさんコンビニに買い物に来て、帰り際にMちゃんに渡したという。それで、Mちゃんは受け取った。

もやもやとしていた。何かが燃える感じが、ぶすぶすと胸の奥から込み上げてくる。あの時、私の表情は歪んでいたかもしれない。へんな感情だった。心臓から血管へと、血液が流れ出ている感じがわかって、心臓から流れ出たその血が体の中を巡っていった。そういう感覚があった。

増田さん。これどうすればいい?」

「あー、はいはい。うん。すごいね。知らんよ。好きにすれば」

気持ち言葉で表すとこうなった。

そのまま席を立って、教室を出て、靴箱まで下りるところの階段で涙が込み上げてきた。別にKさんのことが好きなわけじゃなかった。当時、私に「付き合ってよ」と告白してくる男子もいた。Kさんはただのお客さんだった。何の感情もない。本当だ。

今思うと、わかる。女として負けたのだ。Mちゃんに。だから気分がもやもやした。当時は「女としての負け」という考え方はなかった。でも、心の中で感じていたのは、まさにそれだった。

コンビニを休むようになった。それまでは試験間中しか休んでなかったけど、行く気がしなくなっていた。休んでいる間は、別に普通だった。学校は楽しかったし、部活は週に二回しかなかったし、それ以外の日はまっすぐ家に帰っていたし、稼いで貯めたお金好きな音楽漫画雑誌に使っていた。

美容院には通い続けていた。三ヶ月に一度。何度もお風呂で髪を洗っていると、セットしてもらった髪がシワシワになる。そうなったら行くことにしていた。周りのおしゃれな子に合わせて、大人の女性が読むような本も買った。



高二の梅雨時だった。Mちゃんコンビニを辞めると聞いたのは。マクドで、同じ中学出身のみんなで騒いでいる時にMちゃんがそんなことを言った。別に理由はないらしい。

そんなことはないはずだ。だって、冬頃からMちゃんは太りだしていた。以前はスラっとしてこぢんまりしていたのに、今ではすっかり丸くなっていた。お腹が出ていて、制服を着ていても目立つ。以前はハムスターだったのに、今はチンチラだった。

Mちゃんが「オーナーが困ってるよ」と私に言った。ほかにも欠員が出て苦しいらしい。もう何ヶ月も休んだし、そろそろ出てみることにした。

Kさんは、やっぱり週に何度か来店していた。冷凍食品ホットスナック炭酸水ビールを買っていく。最初は「久しぶりだね」と聞いてきたので、「はいお久しぶりです!」と作り笑いを返した。

昨年入った高校生は、みんな辞めていた。先輩の大学生やパートさんに聞いてみたけど、そんなものらしい。オーナーは「働くという行為に耐性がつく子が少ない」「もっと楽なアルバイトを探す子も多い」と愚痴をこぼしていた。

それからKさんと話す頻度が増えていった。前よりも話すのが楽しくなっていた。Mちゃんが辞めて気分が楽になったのも正直ある。

その夏だった。一度、ファッションカラーというのをしてみたかった。夏休み限定で。完全に金髪にするんじゃなくて、線状にスッと部分的に染めるのをしてみたかった。

馴染みになった美容院に行って、当時流行っていたロングヘアの横髪の方に金色ラインを入れるのをやってもらった。後ろの毛先もちょっと染めた。

次の日、コンビニレジを受けているとKさんが入ってきた。土曜日で、ジーンズTシャツラフな格好だった気がする。

増田さん、今日どうしたの。金色じゃん」

はい。変えました」

「うん、うん。変わってるね」

「どーですか?」

「似合ってるね!」

この時、息がしにくくなって、左手を前に出して2,3回すばやく振った。小さい声で会計金額を告げて、お札を受け取って釣銭を取ろうとしたところで、また落としてしまった。お釣りを拾う時、休日だったので当たり前だけど、Kさんカバンを持ってないことに気が付いた。キイロイトリ(リラックマ…)のストラップを思い浮かべて彼の前に立った。

Mちゃん気持ちがわかったかもしれなかった。何も言わずにお釣りを返した。Kさんはほんのり笑っていた。2023年の今と違ってマスクをしていない。朗らかな笑顔だった。懐かしい。

でも、怖い時もあった。同じ年のことだったけど、私は中年のお客さんに怒られていた。声が聞き取りにくくて、タバコ選びに二度も失敗したからだ。Kさんレジの三番目に並ぼうとしていた。

ずっと怒られ続けていて、ようやく終わるかと思ったけど、やっぱりまだ続いていた。すると、Kさんが割って入ってきた。「すいません。あと二名ほど並んでるんですが」とフォローしてくれた。

でも、その中年のお客さんはキレてしまった。「兄さんは関係なかろうが。おい!!」とヒートアップしてた。「関係あるでしょ」とKさんが返していた。

かに店員もいなくて、話のやり合い(ほとんど平行線)が続いている中、いきなりだった。Kさんが「あぁ!!?」と怒鳴ったのだ。彼はおじさんにこんなことを言っていた。

「さっきからお前、つまらんことをグチグチグチグチと……俺はのう、お前に手を出そうとするんを、ずっと我慢しとるんやぞ!!」

「……兄さん警察呼ぶよ」

「呼べ!!」

「……」

おじさんが退散すると、Kさんバツが悪そうにしていた。ほかの子応援に来たので、私は向こうのレジに行った。



もうすぐ高3になる頃だった。変化があったのは。

Kさん手紙をもらった。夜9時くらいで、お客さんもほかの店員も誰もいなかった。会計を終えた後で、「増田さん、増田さん」と声をかけてきて、カバンの中から手紙を取り出した。

何も言わずに受け取って、家に帰って読んでみた。以下内容。

増田さんはよく動いていてすごいと思う

・どんな人なのか知りたい、食事に行きたい

・今年中に引っ越すのでその前に

・興味があるならメールがほしい

・興味がない場合は返信はいらない

当時は彼氏がいた。初めての彼氏だった。同じ学校で、お調子タイプ男子だった。

そこまで好きではなかったけど、告白されて悪い気はしなかったし、嫌な人でもないから付き合っていた。クラスの中でも悪い立ち位置の子じゃなかったのもある。

ある夜、その彼氏Kさんとを心の中で比べてみた。別に、どちらがいいとか結論は出なかった。いや、見た目も中味もKさん圧勝なんだけど、今の彼を嫌いにはなれなかった。それで、交際中の人がいる以上は、Kさんに何も答えない方がいいなって思った。

もし仮にKさんと会ってみて、一緒にご飯を食べて、もし仮に告白とかされて、付き合いはじめたとしても・・・・・・すぐにフラれるだろうなって、ベッドの中で思った。

Kさん雰囲気が優しそうで、見た目も悪くない人だった。ほかのアルバイトの子も皆格好いいって言ってた。自分相手にされない、付き合ってもすぐに幻滅されると思った。



高3に上がってからも、これまでどおりKさんとの関係が続いた。私のいるレジに並んで、たまに会話をする。天気の話が多かった。あとは、私のメイクとか、髪型とかが変わった時は気づいてくれた。ほかのお客さんがいない時に限って会話をしていた(迷惑になるから?)。

当時、高校を出た後の進路は美容専門学校を考えていた。そこまで大した志じゃない。高校入学した頃は、見た目が『じゃが芋』だった私も、メイクファッションを覚えてだいぶましになっていた。『メインクーン』になっていた。

自分でいうのはどうかと思うけど、本当に私は変わったのだ。高1の時の写真と高3の時の写真を比べると、じゃが芋から進化した存在になっていた。別人みたいだった。

その年の秋になると、第一志望の専門学校に入るために、コンビニの隣にある地域集会所で毎日勉強していた。いつも親が仕事帰りに迎えにきてくれる。当然Kさんと会うことはできず、悶々とした気分になった。

入学試験ちょっと前だった。集会所を出て、お腹がすいていてコンビニに何かを買いに行こうとしていた。すると、ちょうどKさんがお店から出てきたところだった。自転車に乗ろうとしていて、コンビニ駐車場に入った私を呼び止めた。

お疲れ様です」と声をかけてきて、私も「お疲れ様です」と返した。「今日寒いね」には、「本当寒いですね」と返した。「元気そうでよかった」には、「はいめっちゃ元気です!」と返した。泣きそうだった。嬉しかった。

その時、Kさんが「増田さん。俺、今日最後なんだ」と手短かに言った。「今週末に引っ越す。今日コンビニ最後から。じゃあ、元気で」と、Kさん自転車に乗った。

私が「こちらこそ、ありがとうございました」って言うと、「増田さんはい社会人になると思う。もし、大人になってどこかで会うことがあったら何か奢る。約束な」って、自転車に乗って私の家とは反対方向に駆けていった。



あれから十年以上が経った。今は結婚二年目で、生活に慣れてきた頃だ。子どもはまだいない。そろそろ社会人として復帰しようかと考えている。コンビニで働こうか、それとも昔いた会社契約社員ポジションを探そうか思案している。

実は、あの別れの日から数年後にKさんに会うことがあった。当時の私は、美容専門学校卒業した後、都会の方で美容とは関係のない仕事に就いていた。求人情報誌への掲載営業で、とある喫茶店に出入りしてたんだけど、ある日そこでKさんサンドイッチを食べているのを見た。その時は、作業服じゃなくてスーツだった。後日聞いたところだと、会社からの出向で政令指定都市に赴任しているとのこと。

お久しぶりです。元気でした?」と声をかけてみたけど、Kさんちょっと悩んだ様子だった。かくいう私もメイクが濃すぎたし、髪も長くなっていたから、気づくのに時間がかかったみたいだ。向こうも驚いてたっけ。やっぱり優しそうな雰囲気で、笑顔がまぶしかった。あの日約束どおり、後日ご飯をおごってもらった。

この日記を書こうと思ったきっかけは、早朝に旦那を送り出した後で、昔の自分を思い出したからだ。玄関で、旦那カバンに付いているぬいぐるみストラップを眺めていて、思うところがあった。

とりとめのない内容だったけど、以上になる。最後まで読んでくれた方がいたらうれしいな。

ChatGPTって今のところお話するくらいしか使えてないんだけど

仕事に組み込んでる人ってどう使ってるのか気になる。

メールを書かせるとか?

発達障害の見分け方

雨後の筍の如き勢いで発達障害の人が自身の周りに湧いたので。独断偏見に満ちてるから冗談半分で見れない人は読むのやめてね。

自分にその気があるなと思うならメンクリ行けばいいし、発達障害の人が好きならコレ見て探せばいいと思う。物好きかよ。

・財布に小銭溜めがち

変な話、キャッシュレス決済は障害者福祉に貢献してる。

彼らの一部はお札しか使えなかったりするらしい。だから支払いで財布の小銭が捌けない。

話聞く限り女の発達障害にはそう多くなくて、男によく発現してるように思う。

溜めた小銭どうしてるんだろうね?謎。

個人的に溜まった小銭の捌きかたは駅の券売機Suicaチャージが丸い。

・会話のキャッチボールができない

この傾向は発達障害よりアスペかも。まあ両方持ってる人も割といるしまとめちゃうけど。

定型発達が話題を1投げたら1返すキャッチボールをするなか、彼らの一部はこっちが1投げたら100ぐらい返してくる。要は話が長すぎ。

時々発達障害側がこっちに会話の主導権を渡してくるけど、気付いたら発達障害のターンに戻ってる。ずっと俺のターン

・男友達が多い

これは女の発達障害のケース。女社会コミュニケーション難易度が男社会より高いため、発達障害の女はそこに入りにくいor異物扱いされやすい。

友達が多いのも女友達の少なさと相対的にという話だったり、少々コミュニケーションの取り方が下手でも女だからということで許されやすいって話。

オタサーの姫は多分発達障害多いと思う。こわい。

抽象表現理解できない

皮肉が通じないとかもここに入るかも。

例えばだけど、仕事で一日の引き継ぎ事項とか発達障害メールで送ったとする。こっちが確認のために「メール見てくれた?」とか聞くじゃない?だけど「引き継ぎ事項見てくれた?」って言わないと会話にならないわけ。「メールってなんすか?」とか言われるの。

発達障害の方が立場高かったりするシーンだと逆ギレとかしてきて最悪。

自分ルールに忠実

こだわりが強いとかそういう話。信号が赤の交差点は車が来てなくても絶対に渡らないとか。

子供に見られても恥ずかしくない大人でありたい」とか、そういう信念があって渡らないなら分かるんだけど、発達障害の人のそういうのってどっか違う星から理由が来てる。いや理由なんて来てないかも。

テーブルリモコンの置き方にうるさいとか、いろんなのがあると思う。綺麗に置く割になぜか失くすんだけど。

・不可解な行動が多い

突然だけど「推しの子」見ました?作中で星野アイが発達障害の傾向アリなんて言われてたけど、彼ら空気を読まない突飛な行動が結構ある。

普通に考えたら「アクアマリン」なんて名前つけないでしょ?そういうことです。

私が見聞きした例だと、修羅場差し入れ持って行った発達障害がいたりしたかな。空気は読めなくてもヘリウムガスなら読めるのかも。

友達が作りにくい

上で語ったことは大体コミュニケーション関係する話なんだけど、友達ってそこが円滑じゃないと作れないし維持できない。仲直りも無理。

アスペの特徴に近いけど、ナチュラルに失礼な発言をしたりする。人の身に付けてるカバンかに対して「それ百均?」とか言う。そんなんで心象悪くするの当然なんだけど、彼らは悪意もなければ失礼だとも思わない。

そんな「なんやコイツ」的な人間と真に友達として関係を築けるか?という話。

発達障害友達が多い

類友。彼らには彼らにしかからない苦悩があるから仕方ないけど、定型発達の世界常識が違う所にわざわざ行かない方がいい。

いろいろ書いたけど彼らにもいい所ってあると思うしそう思いたい。親切にしてくれる発達障害の人もいたし。

けどあんまり発達障害の人の世界に深入りすると、定型発達の自分が頭おかしいんじゃないかとか思い始めてメンタル壊しちゃう絶対危ない。

別に彼らを差別しろかいう話じゃなくて、付き合い方や距離感に気を使うとかそういう話。

ひとり暮らしをはじめた息子に会いにいく (→ 追記:会ってきた)

この春から地方大学に進学して、ひとり暮らしをはじめた息子のようすがすこし心配だ。よくある五月病だったらいいのだけれど(よくないけど)、とにかく一度顔を見にいくことにした。

息子はバカではないが成績が良かったわけでもなく、小~中~高と見事に「下の上」あたりをキープしつつ受験生となった。それでも受験の年には勉強も頑張り、あっぱ第一志望の公立校合格、腕試しに受けたそこそこの私学もなぜか受かり、合格祝いのPS5をかかえて引っ越していったのが4月の初旬。ちなみに地方大学というのは親戚が通っていたこともあり、遊びついでに何度かいたことがある。というかそれで気に入って志望校にしたらしい。また、私自身が(そこではないが)地方大学下宿生活経験者なので、最初さびしいぞー、みたいな話は家でよくしていた。

最初電話で話をしたのが4月中旬、ひとり暮らしが思っていた以上につらいという。仮面浪人して、地元大学を受けなおしたいとのこと。大学にはちゃんと通っているらしい。というか部屋で一人だとさびしいので、できるだけ毎日講義があるようにカリキュラムを組んだそうだ。ぼっちというわけでもなくて、会えば普通に話す程度の友人もいるみたい。バイトもして自動車教習所にも通って、なんかふつう大学生じゃんとおもうんだが、それでも帰りたい帰りたいと思いながらくらしているんだとか。

その電話の時は、こりゃほっときゃおさまるな、と思ったので、「夏休みまでは真面目に大学生して、そのときになってもまだ悩むようなら仮面浪人勉強をはじめれば?とりあえずそれまではちゃん単位を取るつもりで通いなさい」というようなことを話した。

次の電話がちょうど1ヶ月後の5月中旬、なんと担当教官に他大学受験相談をしたらしい。そこで後期は休学したらどうなるかとか、あと授業料の話なんかもしたらしくって、ようするに後期の休学かなんかの申請をすれば授業料減免(?)される、その締め切りが5月末までなのでどうしようか…。という相談電話だった。

こっちはてっきりおさまりつつあるもんだと思っていたので、まださびしい帰りたい病が続いていたことにおどろいた。とりあえず「前回の電話での話はまだ変わらない、夏休みまではちゃんと通え・夏休みに考えろ、あと金の話は気にすんな、5月末の締め切りとか考えなくていいよ」と答えた。ほかにも話を聞いてみると、仮面浪人するから一年よぶんに学費がかかるのを気に病んでいるらしい。仕送りお金も使い切ると申し訳いからと節制しているという。アホか、遊べ。

ちょっとさすがにこれはまずいかなと思ったので、次の日に会いに行くよとメールした。なるべく早く行きたかったんだけど、その後こっちの別件でなんやかんやあったので、けっきょく明日になってしまった。ということで行ってくる。

まだどうなるのかぜんぜんわからない。とりあえず当たって、後は流れで。だな。

一番大事なのは本人のメンタルヘルスだと思う。ただの五月病ならいいけど、うつ状態かになるのは絶対に避けたい。それくらいなら戻ってきたらいい。それが大前提だけど、それがクリアなようであれば、なるべく続けてほしいなと思っている。もちろん金の問題一年ロスの時間問題もあるけど、なにより「しなくてもいい挫折体験」はせずにすませてほしいから。

明日会って、いろいろ話して吐き出してスッキリしてくれるといいんだけど。

【以下追記

コメントありがとう!!会ってきた。きょう帰ってきたので報告です。二晩いっしょに食事しながらいろんな話をして、笑ったりときどき泣いたり(←息子が)でした。

とは言っても、正直いって報告するほどの進展というか、成果みたいなものはありません。二日間の印象ではこのままうつになりそうな感じではなかったし、仮面浪人意思はけっこう固いものの、後期も休学はしないつもりでいるらしい。とかいいつつ、本人の気持ちにもまだ揺らぎがあるみたいで、最初の晩には「受験してだめだったら切り替えて4年間通う」と笑ってたのが、次の晩は「でも帰りたいな…」とちょっと涙ぐむとか、そんな感じ。

というか、会いに行ってわかったんだけど5月中旬の二回目の電話とき結構ヤバかった。いままで二回ほど寝坊講義を欠席しちゃったとか言ってたのがちょうどそのころらしく、聞いたら寝坊というかまあ寝坊なんだけど、そこで目が覚めても布団から出る気になれずにそのまま休んでたらしい。ほかに休みの日に映画を見に行ったけど何を見たか覚えてなかったり、たぶんそれアカンやつやん。ほんと危なかった。よく持ち直した。

いまは本人にも当時はヤバかったという自覚があるみたいなので、もう一度そんな状態になったら、なりそうだったらすぐ連絡しろとよくよく言い聞かせつつ、ほんとうに持ち直しているのか気を付けてみておかないと、と肝に銘じる。

ともかく本人が「会って話ができて本当に良かった」と言ってくれたので、ああ行ってよかった。間に合って(間に合ったのか?)よかった。

そういう過去のヤバさはあるものの、いまは落ち着いている感じだったので、元増田でも書いた私の考え(うつを避けるのが一番とか、しなくてもいい挫折体験とか)はそのまま伝えました。たぶん伝えて大丈夫だと思う。それから教習所を早く卒業して、夏休みまでにいちど帰省して免許とりに行くことにしました(住民票そのままなのです)。これも息子はお金を気にして夏休みにとるつもりだったらしいけれど、しばらくはこまめに帰省させたり、こっちから行ったりしたほうがいいと思う。息子も「教習がんばる!」とのこと。

奴が検定でしくじりまくらない限り、来月にはまた会うことになるはずなので、またいろいろ話をしようと思います

コメントからみでもうちょっと書くと、浪人留年評価については私はわかりません。息子に言わせると、「なぜか受かったそこそこの私学」だとちょっと残念な気がするらしい。そのもう一ランク上の私学を目指して仮面浪人するつもりだそうです。まあ大学によるってことですね。

グループワークや課題、泊まり込みなんかは、息子のすすんだ学課ではそうでもないみたいです。他大学に進んだ高校同級生からそんな大学生活も聞いているみたいで、うらやましがっていました。

異性の雰囲気は…なかったですね。いや昨今は異性とは限りませんが、そういう雰囲気は。あればたぶん素直に言う息子だと思いますし、隠したとしても見抜けない私ではない、と思う。そんな感じです。コメントありがとう

でも帰ってきてから、今度は私が泣けてきてとまらない。

好きな芸能人Aがいて、彼がラジオをやってて毎週聞いてるのだがモヤモヤすることがある。

リスナーからお悩み相談メールが届くのだが、旦那がこうで〜みたいな愚痴が多い。

それに対してAは「男ってそういうもんだからね〜」「何で男ってみんなこうなのかね」「同じ男として謝ります!」「男ってこういうとこあるから許してあげて」と毎週言ってる。

正直これがしんどい

主語でかすぎやろ。

男女で世の中を分断しすぎやろ。

Aのパフォーマンスや歌は好きだし人間性も好きだけどマジで微妙価値観アプデ出来てないところが見え隠れする感じ!しんどい

今令和なんだけど!?平成終わったよ!?!?

ただ単にnot for meなだけ?

いや〜…

ラジオ聞くのやめよかな

2023-06-04

ファイルパスワードを別メールで送る謎の風習

あれなんなんすかね。

ファイルを添付したメール安全に届いたけれども、パスワードを書いたメールハッキングされてしまった(またはその逆)というパターンを想定しているんだろうけど、一方が盗み見されてたらほぼ100パーもう一方も読まれてるはず。

もうやめません?

…という話はネット上で腐るほどされていて、もうやめようという意見が優勢だと思うけど、いまだになくならない。

その理由は、

(1)従来のやり方を変更し、新しいやり方を提案して、浸透させるために要する労力(ITに疎い上司、同僚などに説明し、説得する作業など)が計り知れず、躊躇する

(2)万が一何かの間違いで何かトラブったときに、対策してなかったのかと責任を問われてしまうことを(過剰に)恐れてやめられない

(3)自分は気にならないけど、送り先は気にする人かもしれず、別メールで送らないと問題となってしま可能性があってやめられない

あたりだろうか。

結局、セキュリティ上の理由ではなく、「一旦定着したやり方に思考停止で乗っかってる方が楽」というに尽きる。

これどうやったらなくせるんだろうね?

anond:20230604192723

疲れてる時に愚痴を聞かされるのは辛いよね

妻は言い返せないにしても上司メール相談できないか

提案してみなよ

メール文が思いつかないとかならAIに書かせればいいわけだし

震災と地続きの生活

忘れそうだからどっかに残しておきたかったんだけど、どこもしっくり来なくてここに書き散らす。

震災の話を書くので苦手な人は読まないでね。

___

仙台実家があってその時地震が来た。

家には父(無職)と犬(デカいけどビビり)と自分(高3。卒業式も終わって春休み中)

そもそも宮城地震が多くて、震度5〜6も数えるくらいだけど体験してた。最初はいもの感じかなーと思ってたんだけどなんか長くて、ヤバさを感じたからとりあえず犬を抱えた。犬は震えながらテーブルの下にいた(避難訓練やってたんか?)。ちなみに父はテレビ押さえてた。

そしたら揺れが大きくなって台所食器棚が倒れて皿が割れデカい音と砂煙が舞って(マジかよ〜)って気持ちになった。多分正常性バイアス

家にいるのも危ないのか?と思い犬を抱えたまま外に出ると大人がたくさんいた。近くの一軒家のブロック塀が崩れてて(本当に崩れるんだ)と思う。

母は出勤してたので出迎えも兼ねてたんだけど、場所が悪くてすれ違いになり「どこいるの?」とメールが来る。空にはガァガァ鳴いて飛んでる白鳥の群れと雪がチラついててなんだか絶望的な気持ちになった。

(家の近くで白鳥は飛ばないので、普段と違う様子の怖さと寒さのせいだと思う。それと人間が大変なことになっても変わらず雪は降るのか…っていう無力感)

家に戻ると母が割れ食器を片付けてた。割れ食器の中に神戸旅行で買ったレトロなお皿もあった。勿体無いから使わずに取っておいてたんだけど使わないまま割れしまった。

確かその時は電気が通っててテレビが付いてた気がする。緊急事態の時の縁が青い画面で、右下に被災地域の地図沿岸に赤いライン。確か津波来るから逃げてくださいって言ってた気がする。

こんな地震でも電気来るなら大丈夫かなって思ったけど夕方?くらい?には電気も止まった。

家にいるのも危ない気がしたので近所の中学校体育館避難する。父は犬と家に残った。

体育館には結構人がいて、ストーブが炊いてあった。ストーブ囲って近くの知らない大人ちょっと話した。携帯ニュースを見るけどイマイチ状況がわからない。充電もなくなるので寝た。

余震マジで1時間に何回も来ててうんざりした。

朝、体育館入り口河北新報だか朝日新聞号外が貼ってて、デカデカ気仙沼石巻松島?の火事写真が載ってた。

えーここに住んでる人どうしたんだろう…と思う。

家にいても学校にいても同じなので、次の日からは家で寝ることにした。

この後の記憶はなんとなく時系列順に箇条書きするけど順番間違ってるかもしれん。

・こういう時ってご飯どうするんだろうって思ってたけど、うちはお歳暮お菓子(マドレーヌとか)があったのでそれで食い繋いでた。元々少食だけど不思議な事にお腹はそこまで減らなかった。

ライフライン全部止まってるのでトイレは2回したらちょっと流す でやりくりした。ご飯も水も最小限だったのでトイレ自体あんまり行かなくならなかった気がする。

・近所の集会場の水道が出るって話を誰かから聞いて、バケツとかペットボトル持って並んだ。並んでたら夜になって星がめちゃくちゃ綺麗で、こんなに星見えるんだ と思った。

タバコ屋のじいちゃんがやってる自販機も開けて飲み物売ってくれてたらしいけどコーヒーしかなかった、と父が言ってた。(買って来てたかは覚えてない)

コンビニロープ張って立ち入り禁止になってた(スナック菓子とか売って欲しいなと思ったけど従業員被災者からな…と諦める)

ヨークベニマル食品を売ってくれるらしいという噂を親が仕入れて来たので行ってみる。駐車場一帯を大きく円を描くように人が並んでた。(こんな時でもちゃんと並んでてエラい と思う)店舗の前で長机に電卓でお会計してる店員さん、カート運んで並んでる人に商品選ばせてくれる店員さん、みんな家族がいて自分被災者なのにありがたいなぁと思う。

・なんか父親ががっくりしてる日があった。何かと思ったら津波被害を受けた地域祖母宅がある場所だったらしい。具体的にいうと陸前高田祖母と連絡が取れない日が続く。ラジオではずっと同じニュース

・とうとう電気が復旧してくる気配を感じる。マンションから夜外を見てると市役所がある方が明るい。数日に1度?電気が付いてる区画が広がる。母と明日かな?明日かな?と言い合う。電気が戻ったときは歓声がわいた。ガスと水はまだなので2,3週間くらいお風呂に入ってない。

大学入学式は予定通りやると連絡が来た(進学先はあまり被害がなかったらしい)。この3週間風呂に入ってない、しっとりツヤツヤヘアで入学式出ろと!??と驚いた。っていうかそもそも出席できなくね?2,3日後、式は1ヶ月後にやると連絡が来た。電気も戻るまで3週間かかったのに1ヶ月後に入学式出れるのか???と思う。(結局出れた)

・ガスか水道が戻る前に高速バスが復旧した。進学先の他県にアパートは借りてるので食料調達兼入浴に出かけた。びっくりドンキーでほぼ1ヶ月ぶりくらいにちゃんとしたご飯を食べる。食べたら秒で腹壊してトイレに駆け込む。固形ほとんど食べてなかったから胃がビックリしたんだと思う。勿体ない…。そのままアパート温泉かに入り、まだ電気開通前の部屋で凍えながら寝た。(引越し前なので布団もないかフローリングにそのまま)

これ以降は更に時系列あやふや入学式普通に出れた。また父がグッタリしてる日があって母に聞くと震災で亡くなった方の特集を見てたら高校の後輩?が出てたらしい。

震災1ヶ月後くらいやっと落ち着いた時にまた5強?とか来て片付けたものがまた落ちたり倒れたりして地球氏ねって思った。

余震死ぬほど来てたので震度4くらいじゃビックリしなくなった。

祖母とも連絡取れたらしい。家にそこまで被害はなかったけど壁が壊れたとかでGWに父と高田に行く。

車に乗っててそろそろ近くまで来たな〜と思ってるとなんか訳わからない丘に漁業船が乗ってる。

こんなんあったっけ?と思ってると瓦礫まみれになって行く。

でも場所がわからないので元々瓦礫まみれの土地なのか、津波でこうなったのかわからない。道も当たり前に変わってるので検討がつかない。

えーどこなんだろうここ、そろそろ祖母宅着いてもいい頃なんだけどって思ってたら見覚えのあるアパートが建ってた。

そこで今瓦礫まみれの場所帰省の時使ってた道だった事に気づく。

コメリは?隣にあったスーパー(名前なんだっけ わかる人いたら教えて欲しい)は?お食事処のキリン看板は?過去にあそこですれ違ったはずの人たちは?

突然の事でボーッとしてしまう。唯一残ってたアパートもよく見たら窓が割れてて、勿論誰も住んでなかった。

___

とりあえずここまで。読んでくれた人ありがとう。その後の話はまた別で書きます




【追加】

コメントの返事のやり方全然からないんだけどなんでみんな普通に使えてるの?私が風邪で休んだ日に学校で習ったの???

anond:20230604161421

悪いどころじゃないよ。そもそもこれも書いたが、全体会議前に

"担当者間でPOPM入れて会議やって合意を得てる" んだよ

ほんで、その会議議事録"音声とメールで送ってる" んだよ

それにもかかわらず、突っかかってくるヤツが合意内容をガン無視した全体会議資料をあげてきても、

POPMも偉い人も突っ込んでくれないからな

ほんで、ワイが毎回、ぶっ潰すことになってるし、

突っかかってくる人が更に荒れたり休みがちになってもフォロー入れてくれねぇし

突っかかってくる人+PO or PM会議して『△△で行こう』って言質取ってるし、

会議後に『△△で行こう』って決めましたメール送ってるので、PO or PM は逃げらんないからね

あと、みんながみんなあまりよくわかっていないわけでもないので、

会議中に過去事例や仕様説明すると納得してくれる

 

困ってるのはここなんや

  • 突っかかってくる人が合意内容ガン無視した会議資料あげてきてきてるのに PO or PM が突っ込んでくれない
    →事前合意はとってるので、ワイが説明しても顰蹙は無いけど何か違くない?ワイは突っかかってくる人の上司やないで・・・

 

  • 突っかかってくる人がボトルネックだったと全体会議ではっきりしてしまうこと
  • 突っかかってくる人がさらにワイを敵視したり突っかかってくるようになること
  • 突っかかってくる人が仕事抱えたまま休みがちになること。でも会社を辞めないし異動しないこと

https://anond.hatelabo.jp/20230604115840#

 

  

でも、上司(偉い人)やPOPMが悪いしたってしゃーないのよ

 

ワイが求めてるのは、突っかかってくる人を叩き潰す・職階で黙らす以外で、

なんとかする方法いか?って事や

anond:20230604114507

そこは困って無いのや

突っかかってくる人+PO or PM会議して『△△で行こう』って言質取ってるし、

会議後に『△△で行こう』って決めましたメール送ってるので、PO or PM は逃げらんないからね

あと、みんながみんなあまりよくわかっていないわけでもないので、

会議中に過去事例や仕様説明すると納得してくれる

 

困ってるのはここなんや

 

  • 突っかかってくる人がボトルネックだったと全体会議ではっきりしてしまうこと
  • 突っかかってくる人がさらにワイを敵視したり突っかかってくるようになること
  • 突っかかってくる人が仕事抱えたまま休みがちになること。でも会社を辞めないし異動しないこと

anond:20230604031729

お前もいつ凍結されるかわからんし、凍結されて異議申し立てしてもどのツイート規約違反

教えてもらえず自動返信メールが帰って来るだけ

2023-06-03

語り継ぎ難い芸人 上岡龍太郎 【追記有り

口惜しいです。 ありがとうございました。 上岡龍太郎師匠

 

面白くて、賢くて、粋で、格好良くて、危険おっちゃんが おったんや。

 

 上岡師匠を語る事が難しい理由は、いくつもある。

そもそも現役引退23年も前である事。

引退ネット普及の直前で、その足跡ネット上に殆ど無い事。

増田自身アラフィフで、 実際には上岡師匠活躍引退前の5~6年しか知らない事。

 (追記修正:ごめんなさい。増田アラフォーでしたわ。「アラフィフの人の意見が聞きたい!」  という気持ちが空回りしてしまいました。)

上岡師匠の芸は司会とトークが強く、

  その実力と活躍に比して〈作品〉や〈芸〉と言えるものが少ない事。

 

考えが まとまらない。  思いつくままに書く。

 

大昔に引退された故人を語り継ごうと思う事自体が、増田老害になった証拠なのだろう。

 しかし、

若い人に語り継ぐという方針でないと

上岡師匠に関しては、増田と同世代以上との 思い出話も紡げないと感じる。

 

訃報や、Wikipediaなどで上岡師匠の概略は説明されているだろう。

 一方で、

ネット上に膨大に残された動画や音声はどうか?

 恐らく、

23年以上前動画や音声だけでは 前提情報文脈が違い過ぎ、あの時代の空気感は おろか 意味意図も正確に伝わり難いだろう。

 無謀にも増田はそこを少し補いたい。

 

上岡師匠は、そもそも危険芸人

 訃報に際し、

上岡師匠が時にトラブルを巻き起こした事は書かれてあると思うが……。

決して、トラブルメーカーなタイプでも、我儘でも、爆発するタイプ芸人でもなかった。

 基本は、

常に機知にとみ、理知的で冷静な姿勢を保ちつつ毒舌を組み込んでいく司会とトークの達人だったのだが。

芸の本質的危険性も十分に理解しておられた方で、

 出演されているだけで

【常に、0.1%程度は放送事故を起こしそうな芸風】だった。

これは、テレビラジオへの誠実さの裏返しで常に少し緊張感のある芸風だった。

それが良かった……。

 そして

社会的正義と、ご自身の信念が重なった領域では決して曲がらない人だった。

 特に自分がメインの番組では。

 

 【時代

上岡師匠引退されたのは2000年

2chの開設が1999年

ブロードバンド(!)の商用提供1999年との事。

 当時は

インターネット携帯電話の普及期で、

インターネットケータイの影響は確実に有ったが、ネットが使えて当たり前という時代では無かった。

動画の送受信なんて一般には不可能で、 画像の表示さえ重かった。

 ただ、

メール等の文字情報の送受信の利便性理解されて始めていた

 IT革命(!)の黎明期

一般人同士の情報発信は まだ困難で

 テレビが、マスメディアとして独占的地位にある最後時代だった……。

増田は、上岡師匠ネットテレビの現状を当時の時点で察しておられたと確信している。

 これは増田記憶ソースなので確証は無いが。

上岡師匠は当時、

「(ネットが普及すると) ウチら(芸人)は いらん様になるな。 だって友達と喋った方が面白いもん。」

と、発言されていたと記憶している。

(追記修正:肝心、要のポイントなのだけど。『松紳』での紳助さんの発言混同しているかも……。申し訳ない。)

 

実力的にも、年齢的にも、まだまだ余裕だった筈。

 ただ、

から見れば炎上必至の芸風だった。

ネット前夜にネット特性を見切った確かな見識。

引退という決断

2000年というタイミング

引き際も含めて上岡龍太郎という【芸】の完成形だった……。

 

上岡龍太郎を知っている。あるいは影響を受けた

少なくない人間上岡龍太郎を真似したがる。

 しかし、そこに

上岡龍太郎の知性、センスバランス感覚人間性、 思いやり、そして環境が揃わなければ。

 それは単に、つまらない悪口に過ぎない。

 

20世紀良心重石が去った様だ……。

 

 いや……、増田は……、

〈 表舞台から去った真の実力者を知っている。〉

そのストーリー固執しているだけだ……。

かにそれは増田の心の拠り所であった。

 しかし同時に、下の世代に対する

暗い優越感でもあった事を認めねばなるまい……。

20世紀の終わり。

上岡龍太郎引退という空白を埋める度量を

23年も経つの増田は持てていないのだ……。

 

師匠

 本当に綺麗に引退されましたね。

増田も当時、幼いなりに その価値、その意味を分かっていたつもりでした。

師匠が本気で二度と表舞台に立たない事も。

 でも 正直、寂しいですわ。

この23年間の何処かで 、また見たかった。また聞きたかったです。

 甘いですわね。

人生は、全ては、一期一会なんですから……。

 

P.S.

 もう、ムツゴロウさんも逝っちゃう

イヤになっちまうわ……。

 

探偵!ナイトスクープDVDとかは有るし。

上岡龍太郎師匠比較最近の話は

ここで買えるみたい。増田も後で買う。

https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/430131/A001805387/

 

何か、お別れ会も無いみたいだし。

師匠の思い出話も出来ないわ。

このままだとエピソード散逸していくだろうし。

アラフィフ以上の人も集まって 師匠の思い出話が集まる様な場所を知っている人がいたら教えて欲しい。

このまま散逸するのは悔しいわ。

追記とかもするし。

[追記しました。]

https://anond.hatelabo.jp/20230605195217

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