はてなキーワード: ミクロとは
等価可処分所得とは、世帯の可処分所得(≒税などを抜いたいわゆる「手取り」)を世人数の平方根で割ったものを言う。
相対的貧困とは、この半分だから、等価可処分所得が127万円以下の世帯のことを言う。
で、これ以下の世帯はおおよそ16%で、これはOECD38ヶ国中ワースト7に相当する。日本より悪いのはブルガリアとかメキシコとかしかない。
また、子どもの貧困率が注目されるが、実際は老人の貧困率が20%に達する一方、子どもの貧困率は14%とそれよりも低い事などもあるので、ここらへんの統計を抑えておくと、若者VS老人みたいな雑な煽りに乗らずに済む。
ただ、相対的貧困率はどこまで行ってもミクロの指標なので、「日本は相対的に貧困である」みたいな言い方にはならない。用語はきちんと使ってくれ。
政府や国が出産を奨励する施策は人権侵害で、頭数を揃えようという姿勢で、グロくて気持ち悪い、みたいな人増えてない?
今の日本の問題の多くは少子化に突き当たるんだし、少子化対策って、どうのこうの言ったって出産奨励じゃん。
「露骨にやらなくても皆の賃金を上げたり幼稚園保育園の充実をすれば」とか言うけど、現状の深刻さでは、それらだけでは動機づけとして弱すぎるんだから、もっと露骨な出産奨励もしなきゃいけないでしょうよ。
というかそもそも、出産や子育てという行いや人体機能自体が、目をそらしたいよくないもの、生々しくグロいものだと思ってる人が増えてないか?
「出産や子育てはグロテスク、あるいは自傷的行動であり、強く望んでやる人は止めないけど決して素敵な行動ではないし目をそらしておきたい世界にとっての消しきれない悪行みたいなものだから、子供を産むのは良いことみたいな文脈で扱いたくない、まして他人からやりましょうと言われるなんて耐えがたい」みたいな嫌悪感をインターネットの世論から感じる。
出産奨励されるぐらいなら清く正しく少子化が進んだ方がいい、って実質的に反出生になりつつある。
「ある行為をポジティブに扱うなら、しないことは相対的にネガティブに扱われる」ってのは、飛躍じゃなくて実際そうならざるをえないと思う。そんな単純な二択じゃないんだなんて理屈も世の中にはあるが、それは誤魔化しの建前である。
けど、中長期的に考えればそれは責められる事じゃないはずだ。
あらゆる論功行賞だってそうでしょ。表彰される生き方、賞金をもらえる努力が推奨されて、そうじゃない人生はネガティブに扱われることで、よりよい人材を増やそうとしている。それが回り回ってみんなの幸せに繋がる。
これまでは、個人の自由意思尊重の理念を語りつつ、実質的には価値のない生き方はやめましょうという干渉も両立させて回してきたけど、建前を建前じゃなく徹底させるべきってのを本気で信じる極論論者が増えて、持続性がヤバくなってる。
しかも、出産奨励に嫌悪感を持つ人って、個人の自由な生き方を大事にせよとは言うけど、そこで想定される個人の自由って、今から5年か10年程度の短いタイムスパンでしかなくないか?
なんなら5年どころか、今この一瞬における、妊娠出産への感情的な嫌悪感に駆られてないか?
現時点で出産奨励のメッセージや施策というある程度の干渉を受け入れることで、30年後でも個人の自由と幸福をある程度保てる、そういうもんだと思うよ少子化対策は。
一般人の立場でこういうことを言うと「ただの平社員なのに経営者目線かよ。権威と自分を同一視して気持ちいい?」みたいな揶揄もあるけど、民主主義では有権者である私たちが正に経営者なんだから、数年単位の個人規模というミクロな幸福論だけでなく、社会持続性みたいなデカくて長いマクロなことも考える必要がある。
個人レベルを超えて社会全体のためになることを考えるのは全体主義に繋がるから怖い、と拒絶していては、国家の主権者としてよくないのだ。
ああ、本当ならこういうのも匿名じゃなく主張したい。
でも友達付き合いしてるアカウントたちにグロテスク!って怒りと軽蔑むき出しにしてる人たちがかなりいて、ビビって理屈を語れないよ。
私は弱い奴だ。
じゃあお前、何を根拠に死ねば次のガチャ回せるって思ったわけ?
俺が信奉している宗教は現代科学っていうんだけど、ここでは死ねば次のガチャが引けるなんて言ってる奴はいないし、少なくともミクロでは死ねば解決する問題なんて存在しねえ(問題を固定化するだけ)って経典に書いてある
「医療費を払い続けるためには会社に居座り続ける必要がある」というインセンティブを病気の老人に与えてしまない方法が難しい。
極論を言えば「金輪際社会に利益を生み出すことがない、投資詐欺にすらなってない老人たちは切り捨てるのが資本主義的合理的判断」なのだが、それをやってしまうと今度はミクロ単位の老人たちの生存戦略によって社会の動脈硬化が加速して社会が死んでしまう。
死にかけの老人に対しての社会保障を圧縮しつつ、彼らが「より良い医療を受けるために重役として無意味に仕事をしているふりを繰り返してお金を稼ぎ続けよう」と考えないようにするための方法を考える必要がある。
理想を言えば、わざわざ生かしてやっている老人共から労働を搾り取っていきたいわけだが、死にかけのボケ始めた老人というのは全くもって使い物にならないので難しい。
判断力が落ちている上にプライドだけは高く責任能力もないので何かを決定する仕事にはつけられないし、単純労働をさせるには身体能力が劣化しすぎているし、頭脳労働なんてボケた頭で出来るはずもない。
治験のようなことをさせようにも、体が元々バグった人間が更にバグったとしてそれがプラシーボなのか単なる老化なのかの切り分けさえ個体ごとに千差万別となると社会が利益を得るレベルの動物実験に出来るかも怪しいものだ。
だが「死にかけの老人は殺す」という社会は「死にたくないから重要なポジションに居座る老人」を大量に作るわけだ。
誰か賢い人はもう思いついているんだろうか
残念ながら、キモくて金のないオッサンこと、弱者男性は弱者ではなくなってしまった。
真の弱者を救わなければならない。
この時点で、もう現代社会において弱者ではない。ここに我々が救うべき、真の弱者の姿を提言する。
『声無き弱者は声をあげられない。なぜならば声が無いからである』
つまるところ、現代における真の弱者とは表現力が無い人間であり、プレゼン力がない人間であり、ロビイング力がない人間である。
何故ならば、現代において表現力という力が圧倒的に重視されるようになってしまったからである。
日本銀行券はただの紙だし、通帳残高なんてものはただの数字の羅列に過ぎない。
何故貨幣や土地やらの資本に価値があるかというと、他人に影響を及ぼすことができるからだ。
そして、現代において表現力ないしプレゼン力ないし、ロビイング力は、その金と全く同じ力を持ってしまったのである。
理由は簡単、SNSが発達して、他人のプレゼンを聞く機会が増えてしまったからだ。当然ながら表現力の持つ力は圧倒的になったからだ。
情報技術の発達によって、「受信者」の数が圧倒的に増えた今、表現力の持つ力が純粋に増えるのは当たり前のことである。
もっとミクロな世界で言うと、要は表現力がある人間、自分をプレゼンできる人間は他人をイジメても許される。
表現力が無い人間は、他人にイジメられても仕方がない。こういう世界になってしまった。
教室でイジメられているイジメられっ子だろうと、自分の状況を大人に上手く伝えられる人間は自分の環境を変えられるだろう。
しかし、プレゼン下手にはそれができない。これは、能力による差別だ。
差別は断絶しなければならないのだから、つまりこの表現力差別やプレゼン力差別を無くさなければならない。
最初に戻る。
これは、認知されたからだ。改善しなければならないという風潮を作り上げたからだ。つまり弱者男性には声があったということである。
私からすると、フェミニスト、ヴィーガン、障害者、これらも全て「富める者」に含まれる。
世の中をよく見てみると、先導者がいるはずである。
弱者男性しかり、フェミ、ヴィーガン、障害者、……ありとあらゆる弱者には、その旗手となる人間がいたはずだ。
平等とは、つまり資本家が下々の者に分配をしてこそ生まれるものである。
我々が戦うべきは表現者だ。
まだ気づいていない人間達が、この「表現力差別」に気がつく時代が遠からず来るだろう。
我々は彼らを守らなけらばならないはずだ。だからこそ、「表現力差別」に今、向き合わなければいけない。
シュレーディンガーはアインシュタインに宛てて、量子力学のコペンハーゲン解釈の重大な欠陥を明らかにするために、架空の実験装置を作った。この解釈では、量子系は外部の観測者と相互作用するまで、2つ以上の状態の重ね合わせに留まるとされる[1]。
この効果を、原子というミクロな世界の特殊性として片付けることはできるかもしれないが、その世界が、テーブルや椅子、猫といったマクロな日常世界に直接影響を及ぼすとしたらどうだろうか。シュレーディンガーの思考実験は、それを明らかにすることで、量子力学のコペンハーゲン解釈の不条理を明らかにしようとした。 粒子が重ね合わされた状態にあることは、一つの事実だ。しかし猫はどうだろう。猫はどちらか一方にしか属さないし、死んだり生きていたりもしない。
ガイガーカウンターの中に、ほんの少しの放射性物質が入っていて、1時間のうちに原子の1つが崩壊するかもしれないが、同じ確率で1つも崩壊しないかもしれない。このシステム全体を1時間放置しておくと、その間、原子が崩壊していなければ、猫はまだ生きていると言うだろう。システム全体のΨ関数(波動関数)は、その中に生きている猫と死んだ猫(表現は悪いが)が等しく混ざり合っていることで、このことを表現している。
この思考実験の意味合いについては、多くの現代的な解釈や読み方がある。あるものは、量子力学によって混乱した世界に秩序を取り戻そうとするものである。また、複数の宇宙で複数の猫が生まれると考えるものもあり、「重ね合わせられた猫」がむしろ平凡に見えてくるかもしれない。
通常の話では、波動関数は箱入りのネコを記述する。QBismでは、箱を開けたら何が起こるかについてのエージェントの信念を記述する。
例えば、Aさんがギャンブラーだとしよう。ネコの生死を賭けたいが、量子波動関数が最も正確な確率を与えてくれることを知っている。しかし、世の中には波動関数のラベルがない。自分で書き留めなければならない。自由に使えるのは、Aさん自身の過去の行動とその結果だけである。なので結果として得られる波動関数は、独立した現実を反映したものではない。世界がAさんにどう反応したかという個人的な歴史なのだ。
今、Aさんは箱を開けた。死んだ猫、あるいは生きている猫を体験する。いずれにせよ、Aさんは自分の信念を更新し、将来の出会いに期待するようになる。他の人が不思議な「波動関数の崩壊」と呼ぶものは、QBistにとっては、エージェントが自分の 賭けに手を加えることなのだ。
重ね合わせを形成するのはエージェントの信念であり、その信念の構造から猫について何かわかる。なぜなら、波動関数は、エージェントが箱に対して取り得るすべての行動(相互に排他的な行動も含む)に関する信念をコード化しており、Aさんの信念が互いに矛盾しない唯一の方法は、測定されていない猫に固有の状態が全く存在しない場合だからである。
QBistの話の教訓は,ジョン・ホイーラーの言葉を借りれば参加型宇宙であるということである。
2. ボーミアンについて
量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、電子のような量子粒子は、人が見るまで、つまり適切な「測定」を行うまで、その位置を持たない。シュレーディンガーは、もしコペンハーゲン解釈が正しいとするならば、電子に当てはまることは、より大きな物体、特に猫にも当てはまることを示した:猫を見るまでは、猫は死んでいないし生きていない、という状況を作り出すことができる。
ここで、いくつかの疑問が生じる。なぜ、「見る」ことがそんなに重要なのか?
量子力学には、ボーム力学というシンプルでわかりやすい版があり、そこでは、量子粒子は常に位置を持っている。 猫や猫の状態についても同様だ。
なぜ物理学者たちは、シュレーディンガーの猫のような奇妙でありえないものにこだわったのだろうか?それは、物理学者たちが、波動関数による系の量子的な記述が、その系の完全な記述に違いないと思い込んでいたからである。このようなことは、最初からあり得ないことだと思われていた。粒子系の完全な記述には、粒子の位置も含まれるに違いないと考えたのである。 もし、そのように主張するならば、ボーミアン・メカニクスにすぐに到達する。
シュレーディンガーの猫の本当の意味は、実在論とは何の関係もないと思う人もいる。それは、知識の可能性と関係があるのだ。問題は、量子世界が非現実的であることではなく、量子系を知識の対象として安定化できないことである。
通常の知識の論理では、私たちの質問とは無関係に、知るべき対象がそこに存在することが前提になる。しかし、量子の場合、この前提が成り立たない。量子力学的なシステムに対して、測定という形で問いを投げかけると、得られる答えに干渉してしまう。
これらの本質的な特徴は「反実仮想」であり、何があるかないか(現実)ではなく、何が可能か不可能かについてである。実際、量子論の全体は反実仮想の上に成り立っている。反実仮想の性質は、量子論の運動法則よりも一般的であり、より深い構造を明らかにするものだからだ。
量子論の後継者は、運動法則は根本的に異なるかもしれないが、反実仮想の性質を示すことで、重ね合わせやエンタングルメント、さらには新しい現象が可能になるだろう。
シュレーディンガーは、仮想的な猫の実験で何を言いたかったのだろうか?現在では、シュレーディンガーは、量子論は、猫が死んでも生きてもいない浮遊状態にある物理的可能性を示唆していると主張したと一般に言われている。しかし、それは正反対である。シュレーディンガーは、そのようなことは明らかに不合理であり、そのような結果をもたらす量子論を理解しようとする試みは拒否されるべきであると考えたのである。
シュレーディンガーは、量子力学の波動関数は、個々のシステムの完全な物理的記述を提供することはできないと主張したアインシュタイン-ポドロスキー-ローゼンの論文に反発していたのである。EPRは、遠く離れた実験結果の相関関係や「spooky-a-distance(不気味な作用)」に着目して、その結論を導き出したのである。
シュレーディンガーは、2つの前提条件と距離効果とは無関係に、同じような結論に到達している。彼は、もし1)波動関数が完全な物理的記述を提供し、2)それが「測定」が行われるまで常に彼自身(シュレーディンガー)の方程式によって進化するなら、猫はそのような状態に陥る可能性があるが、それは明らかに不合理であることを示したのだ。したがって、ジョン・ベルの言葉を借りれば、「シュレーディンガー方程式によって与えられる波動関数がすべてではないか、あるいは、それが正しくないかのどちらか」なのである。
もし、その波動関数がすべてでないなら、いわゆる「隠れた変数」を仮定しなければならない(隠れていない方が良いのだが)。もし、それが正しくないのであれば、波動関数の「客観的崩壊」が存在することになる。以上が、Schrödingerが認識していた量子力学的形式を理解するための2つのアプローチである。いわゆる「多世界」解釈は、1も2も否定せずにやり過ごそうとして、結局はシュレーディンガーが馬鹿にしていた結論に直面することになる。
シュレーディンガーの例は、量子システムの不確定性をミクロの領域に閉じ込めることができないことを示した。ミクロな系の不確定性とマクロな系の不確定性を猫のように絡ませることが考えられるので、量子力学はミクロな系と同様にマクロな系にも不確定性を含意している。
問題は、この不確定性を形而上学的(世界における)に解釈するか、それとも単に認識論的(我々が知っていることにおける)に解釈するかということである。シュレーディンガーは、「手ぶれやピンボケの写真と、雲や霧のスナップショットとは違う」と指摘し、量子不確定性の解釈はどちらも問題であるとした。量子もつれは、このように二律背反の関係にある。
ベルが彼の定理を実験的に検証する前、量子力学の技術が発展し、もつれ状態の実在性を利用し、巨視的なもつれシステムを作り出す技術が開発される前、形而上学的な雲のオプションはテーブルから外されるのが妥当であった。しかし、もしもつれが実在するならば、それに対する形而上学的な解釈が必要である。
波動関数実在論とは、量子系を波動関数、つまり、死んだ猫に対応する領域と生きた猫に対応する領域で振幅を持つように進化しうる場と見なす解釈のアプローチである。シュレーディンガーが知っていたように、このアプローチを真面目に実行すると、これらの場が広がる背景空間は、量子波動関数の自由度を収容できる超高次元空間となる。
6. 超決定論について
不変集合論(IST)は、エネルギーの離散的性質に関するプランクの洞察を、今度は量子力学の状態空間に再適用することによって導き出された量子物理学のモデルである。ISTでは、量子力学の連続体ヒルベルト空間が、ある種の離散的な格子に置き換えられる。この格子には、実験者が量子系に対して測定を行ったかもしれないが、実際には行わなかったという反実仮想の世界が存在し、このような反実仮想の世界は格子の構造と矛盾している。このように、ISTは形式的には「超決定論」であり、実験者が行う測定は、測定する粒子から独立しているわけではない。
ISTでは、ISTの格子上にある状態は、世界のアンサンブルに対応し、各世界は状態空間の特別な部分集合上で進化する決定論的系である。非線形力学系理論に基づき、この部分集合は「不変集合」と呼ばれる。格子の隙間にある反実仮想世界は、不変集合上には存在しない。
アインシュタインは、量子波動関数は、不気味な距離作用や不確定性を持たない世界のアンサンブルを記述していると考えていたが、これは実現可能である。 特に、シュレーディンガーの猫は、死んでいるか生きているかのどちらかであり、両方ではないのだ。
シュレーディンガーの猫の寓話に混乱をもたらしたのは、物理システムが非関係的な性質を持つという形而上学的仮定である。 もし全ての性質が関係的であるならば、見かけ上のパラドックスは解消されるかもしれない。
猫に関しては、毒が出るか出ないか、猫自身が生きているか死んでいるかである。 しかし、この現象は箱の外にある物理系には関係ない。
箱の外の物理系に対しては、猫が起きていても眠っていても、猫との相互作用がなければその性質は実現されず、箱と外部系との将来の相互作用には、原理的に、猫がその系に対して確実に起きていたり確実に眠っていたりした場合には不可能だった干渉作用が含まれる可能性があるからだ。
つまり「波動関数の崩壊」は、猫が毒と相互作用することによって、ある性質が実現されることを表し、「ユニタリー進化」は、外部システムに対する性質の実現確率の進化を表すのである。 これが、量子論の関係論的解釈における「見かけのパラドックス」の解決策とされる。
8. 多世界
物理学者たちは古典物理学では観測された現象を説明できないことに気づき、量子論の現象論的法則が発見された。 しかし、量子力学が科学的理論として受け入れられるようになったのは、シュレーディンガーが方程式を考案してからである。
シュレーディンガーは、自分の方程式を放射性崩壊の検出などの量子測定の解析に適用すると、生きている猫と死んでいる猫の両方が存在するような、複数の結果が並列に存在することになることに気づいた。実はこの状況は、よく言われるように2匹の猫が並列に存在するのではなく、生きている1匹の猫と、異なる時期に死んだ多数の猫が並列に存在することに相当する。
このことは、シュレーディンガーにとって重大な問題であり、量子測定中に量子状態が崩壊することによって、量子系の進化を記述する方程式としての普遍的な有効性が失われることを、彼は不本意ながら受け入れた。崩壊は、そのランダム性と遠方での作用から、受け入れてはならないのだろうか。その代わりに、パラレルワールドの存在が示されれる。これこそが、非局所的な作用を回避し、自然界における決定論を守る一つの可能性である。
表現の自由戦士でリベラルなオタクと自認している私が回答します。
>性的表現が原因で性犯罪が発生しても、性的表現は規制されるべきでないと考えますか。その理由を説明してください。
そして性的表現が原因で起きた性犯罪と、性的表現のおかげで防げた性犯罪のどちらが多いかは調査が行われておらず比較不能。
であれば、少なくとも「表現の多用性」というプラスポイントのある性的表現促進の方に肩入れします。
>性犯罪の被害者や家族が性的表現の規制を求めたとしても、あなたは性的表現の規制に反対しますか。反対の場合、どのように反論しますか。
ミクロの出来事を、マクロの施策に直結させるべきではありません。合成の誤謬にハマってはいけません。
様々な医療ミスは起きても社会全体で医療機関は育てるべきですし、交通事故が起きても移動手段は発展する方が、人々の幸福度は上がるのと同じです。
医療ミス被害者、交通事故被害者、性犯罪被害者、それぞれ同情に値しますし心身の治療支援は受けるべきですが、個人の被害経験の辛さを社会全体の規模に広げて議論するのは合理的ではありません。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
無能のワイが教えてやろう
だから、与えられた仕事や指示の欠陥を「ここきめなあかんやろ……」みたいなところを、サッと見つけて、適切な質問ができるわけや。
せやから全部おっけーとするんや。
質問して欲しかったら、それに対する解像度あげてもらうしかないんちゃう?
すると最初優しく質問答えててくれた人も、どんどん無能に対して厳しくなるわけや。
すると無能はどんどん萎縮するわけや。
有能な君が無能ちゃんに対して、厳しくしてるかしてないかは関係ない。
無能ちゃんに質問してもらいたかったら、質問しても怒らへんで〜っていう経験をたくさん積ませたれ。
でもまあ有能様の貴重な時間を無能の介護に使うのは時間の無駄遣いやな
とはいえ、たくさんの人を使って何かを成し遂げようとしたら、必ず無能は混じるもんや。
自分の周りは有能だけにして、それをインタフェースにして無能を使うのがミクロ的な問題解決かもしれんな。
もし有能な君が、周りの無能ちゃんにストレスを抱えてるんやったら、自分が無能ちゃんになるのも良い選択肢やな。
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gkmond これの難所は脳が優しく教えてもらった10に怒られた1でも怒られた記憶の方が強烈に残る仕様になってるとこだよなあ。
ほんまやなぁ。まあ、恐怖は生死に直結するから忌避されてるんやろうね。
翻訳してくれてありがとう。ワイが言いたかったことの一つやな。
ROYGB トラックバックでも書いてあるけど、こちらから説明したあとに、相手に内容の説明をしてもらうと理解度がわかる。具体的な作業内容を聞いてもいい。
これいいやり方に思えるやん。
実際意味を解する有能にとっては、咀嚼してるか判断できるええやり方なんやろな…